「去年のヴォロスでのお祭りですが、覚えておられますか」 鳴海は小さく溜め息をつき、気を取り直したように微笑んだ。「賑やかで、熱気溢れる『セティナ・エル・シドス』ですが、今年は少し趣向が変わったそうです」 同じものもありますが、と鳴海は指を折る。 一つ目、『ガルガ追い』 ガルガと呼ばれる大人三人分ほどはある図体の四つ足動物を追い立てて、狭い街中を駆け抜けるもの。5頭走らせるのだが、死傷者が出ることもある。 二つ目、『バイスト食い』 人の顔ほどの大きさのパンケーキをバイストと呼ぶが、それをどのぐらい食べられるかを競う。昨年の優勝者は90枚食べた。 三つ目、『私と踊る』 広場で行う仮面舞踏会フォークダンス系。なぜ『私と踊る』というタイトルかというと、毎年必ず最後に誰か一人は相手が仮面を剥いだら自分だったということがあるため。ちなみに、自分と踊った者には強運を授かるという。 四つ目、『未来の鐘』 街の礼拝所で行う占い。時々真実が見抜かれるというので浮気者は参加しない。 五つ目、『真夜中の決闘』 祭りの最後にパホと呼ばれる偽物の剣を使って闘いますが、美しく闘ったものに街の有力者の娘達から抱擁とキスがある。「この内、四つ目の『未来の鐘』の礼拝所が崩れたそうです。何度か建て直そうとしたのですが、いろいろと事故が続くので中止され、そこに今は小さな泉が湧いています。この泉に願いを囁くと、何かの答えが返ってくるとの噂があります。また、『バイスト食い』は伝説の記録が出て、それを越えるのは難しいだろうということで、今年から『激辛バイスト』を何枚食べられるかというものになりました」 他にもひょっとすると、いろいろ変わったところがあるかもしれません。「いかがでしょう。また出かけて頂けますか?」 鳴海はどこか翳りのある笑みをそっと浮かべた。「お望みならば、『フォーチュン・ブックス』のフェイ・ヌール、『フォーチュン・グッズ』のロン、『フォーチュン・カフェ』のハオが同行するとのことです……珍しい顔ぶれですね」 鳴海は最後にぽつりとつぶやいた。 彼らも何か得たい情報があるのかもしれません。====※このシナリオはイベントシナリオ群『ロストレイル襲撃!』で描かれたロストレイル襲撃事件よりも過去の出来事として扱います。ですが、システムの都合で現在、ステイタス異常の方は参加できません。申し訳ありませんがご了承下さい。====
「うわぁ。凄い熱気なのです」 銀色の髪をふわふわと、由緒正しい怪盗仮面マスクにまとわりつかせながら、シーアールシー ゼロが周囲を見回して声を上げた。 「ガルガ追いなのです。ゼロも一緒に走るのです。踏み潰されそうになったら大きくなるので大丈夫なのです」 頬を上気させた以外は何もかも白い幼い少女がガルガ追いに加わると聞いて、周囲の大人達が必死に引き止めるのに自信ありげに説得するが、 「いやいや、お嬢ちゃん、大人の男でも危険だから」 「大丈夫なのです! ゼロはだいじょ…」 「いやいやいやいや」 「ゼロは!」 がっしり抱えられて通路から引っ張り出され、ゼロはじたばたする。 その横で、背中から白い背びれを生やしたペルレ・トラオムが、水かきのついた指を曲げ伸ばししながら、金の瞳をきらきらさせてガルガを眺める。つけている仮面は真っ青な魚に2匹が交差した意匠、だがその仮面も今にもよだれを垂らしそうな表情を隠し切れてはいない。 「あんな美味そう…いや、面白そうなのを見たら追いかけるしかない!」 きらりん、と光った歯はハート形、縁は鋸状、タトゥーが彫られた体にこもった殺気を感じたのだろうか、大人3倍の大きさがあるガルガ5頭は、囲いの中で次第次第に興奮を高めていく。 オーレオーラ! オーレオーラ! 走り出すのはもう間もなくだ。 ぎしりぎしりと小さな囲いと通路を隔てた木の柵が鳴る。色鮮やかな紅のスカーフを首に、あるいは腕に巻いた男達が手足を屈伸し、とんとん、とジャンプしてみて脚の具合を確かめる。一歩間違えればガルガに踏みつぶされて死ぬ、だがたとえ生きていたとしても、転がったら最後、次々と走り来るガルガの中へ飛び込み救出など出来ない。だから、煽りつつもぎりぎりの制御が男達には求められる。 その男達と同じ目をして、百田 十三は角刈りのいかつい顔に人の悪い笑みを浮かべつつ、『フォーチュン・ブックス』のフェイを引き連れてやってきていた。目元だけを隠した黒い革マスクは周囲を銀色の目打ちで飾られている。対するフェイは、頼りなげな、羽根と細い網を搦めたような透けるマスクだ。 「無事連れ帰って性根を叩きなおしてやる、そう言ったろう。遅くなったが俺は有言実行でな」 「あ~いや、その」 フェイはへらりといい加減な笑みを返して、じりっと十三の側から後じさりする。正面切ってやりあえば勝てるはずもない、同じロストナンバー、しかもターミナルでは何かの縁でお客にならないとも限らない、それでなくともこの男には、あれこれ弱みを晒し続けているのが気になっている。微妙に怯みながら、何とか十三の申し出を断ろうとする。 「俺はこういうのは、ほら苦手で。体育会系じゃなくて、文化系だし」 「大丈夫だ、たかが大人の3倍程度。どうしようもなくなったら止めてやる」 「たかがって」 からから笑う十三にフェイだけでなく周囲の男も引き攣ったが、十三は堪えた様子もない。小さな猫の子を摘むようにフェイの上着の襟を引っ張っていく。 「いくぞ」 「おいおい…っ」 がたん、と木の戸が開いた。 オーレオーラ! オーレオーラ! 歓声が上がる、人の声に急かされて、ガルガが次々と囲いから飛び出す。 「うわ、想像以上にでっかいな……でも、前に出なきゃ大丈夫だよな? いや、フラグとかじゃなくて」 音成 梓が呟いたことばそのものがフラグだと誰もが思ったに違いない。 オレンジの髪、無造作だがスタイリッシュに止めた黒ヘアピン、耳に光るピアスに針金細工のような銀色の仮面の梓は、周囲に控えた筋骨系の男達女達の間で既に、あんちゃん、何か頭の上にでっかい旗が立ってるぜ、逝き先探してんのかよ、的な違和感だ。 「これ死傷者ってどれくらいの割合で出るんだろうっていうか俺やっぱりやめていいかな、ちょっとタイム! ストップストーップ!!」 背後からどんどん押し出され、否応なく追いかける人の渦に巻き込まれそうになった梓が必死に踏みとどまろうとした次の瞬間、 「いっけー!」 「ぎゃぶっ!」 目一杯背後から蹴り飛ばされた。つんのめって倒れかけた梓の前で人ごみが割れる。勢いで駆け込んでいく梓は、一瞬なだれ込んだ群衆に向きを逸らされ、慌てて通路に戻ったガルガの前に飛び出した。 「いやああああああっっっっ!」 「あ~」 毎年いるよね、ああいうの。 観客が微妙な声を上げつつ、すぐに激励の拍手と掛け声を送る。 「頑張れー! あんちゃんー!」 「死ぬなー! 優男ー!」 「行けー!」 「ちょ、今それ逝けって聞こえたからあああっっ!」 「あはははは! 凄いぞ!」 大笑いしながら梓を蹴り飛ばし、手近のガルガの背中に飛び乗ったのはペルレ、興奮してきたのか、金の瞳は真っ赤に輝いている。しかも梓を蹴った勢いで空中一回転して、走るガルガの上を数頭飛び跳ねてから目指す1頭に跨がったパフォーマンスにどよめきが上がる。 「すげええ!」 「今年もいるなああ、たいした奴が!」 梓が必死に走る後を興奮しきったガルガが追いかける。砂埃、叫び声、そして振りまかれる花と菓子。梓の顔から血の気が引いている。 「今年もいるなあ……ぎりぎりのが」 「ぎゃああああ!!!」 帰りたい。とんでもなく今すぐに帰りたい、あの穏やかな日々へ。 「く、そっ!」 たぶん同じことを思いつつ、間近でフェイも必死に走っている。身体能力がそれほどないとは思えないが、ペルレや十三に比べると明らかに劣る体力に、仮面を片手で押さえる余裕もなくなった。喘ぎながら必死に走り続ける、その隣で。 「オーレオーラ! オーレオーラ!」 楽しげに赤いスカーフを振り回しながら走るのは十三、走り出す瞬間にフェイの首筋を引っ掴みガルガの横を抜けて前へ飛び出したのだ。ごっつい体で軽々とした動き、ガルガを追い立てながら、始めのフェイの切羽詰まった表情が、次第次第にガルガとともに走ることだけに集中していくのに微かに笑む。 十三は知っている、フェイの抱えた悩みの重さと苦しさを。それに向き合おうとして向き合いきれずに、動けなくなっているフェイの気持ちを。 「そうだな、直至…片腹痛かろうな、お前から見れば。それでも俺は、前に進むぞ」 進むと決めた誓い、進むと決めた意志、それらがどれほど自分を押し出してくれるのか、十三はフェイに伝えたい。 「オーレオーラ! オーレオーラ!」 「な…んで、俺が……ぁっ!」 「はははは!」 必死なフェイの唸りに笑いが零れた。 背後からガルガの地響き、地面を蹴りつける己の脚、怒濤のように心を追い立て支えてくれる群衆の叫びと歓声、ああ、ひさしぶりだ、と胸が吐いた。 久しぶりだ、この湧き上がるような力に導かれ護られ、まっすぐに目的に向かって駆け抜けていく興奮。 「…はっ…」 「おっと」 文化系とぼやくだけあって、フェイの息が上がって脚がもつれた。がくりと膝が砕けて前のめりになり、ガルガに踏みつぶされそうになったのを首ねっこを捕まえ引きずり上げ、 「…硬気功! 護法招来急急如律令!」 フェイとついでに巻き込まれかけた梓の耐久力を上げ、ガルガの1頭を吹っ飛ばす。 「うぉおおお!」 ガルガを吹っ飛ばしやがったぞ、あいつ! 群衆の困惑とどよめき、地鳴りとなって会場を包む興奮、だが祭りの主役であるガルガが欠けて4頭で中央広場の『ガルガ囲い』に飛び込んでは、いささか興が薄れるというもの、かといって、今夜空の彼方に飛ばされたガルガを誰がどうやって取り戻すのか、いやいやあのガルガがどこへ落ちてくるのかと不安が広がった瞬間、 「キャッチなのです!」 いつの間に巨大化していたのだろう。 ゼロが白いワンピースを翻しながら、夜空に高々とこぶしを突き上げている。そのこぶしの中に、ミニチュアフィギュアに見えるガルガがばたばた脚を動かしている。 「ガルガさんガルガさん、ゼロと一緒に走るのです」 にっこりかわいらしい微笑みとともにゼロはガルガを激走の背後に戻した。巨大な何かに掴まれたガルガは恐怖と怒りで興奮混乱し、猛スピードで走り始める、その前に。 「で、なぜそこで俺の後ろに置くかな、ガルガっっ!」 何とか十三に庇われて激走から逃れたはずの梓が絶叫しながら走り出す。 「いっけー!」 「しかも追い立てる? なぜだ何の恨みがあってっっ!」 「ガルガ追いなのです!」 ゼロの宣言に、よくやったお嬢さん、あんたの参加を認めるぜ、と周囲からこぶしが突き上げられた。 「いっけーーーーー!」 「ぎゃあああああああ!」 梓が生き残る方法は、遥か前方を行くガルガ4頭に追いついて再び十三に助けられるか、『ガルガ囲い』まで逃げ切るかしかない。 「だから死亡フラグじゃなかったってえええ!!!」 「あはははは、頑張れっ!」 ペルレは笑いながら、楽しくガルガの背に揺られる。温かく力強いガルガの体は本当に気持ちいい、本当にとっても……おいしそうだ。 「……終わった後なら、一口…いいかな」 つぶやいた彼女の声は歓声に紛れて聞こえない。 ほほう、こんな所に美味そうなものがあるではないか。 そんな顔でどっかりと座って、目の前に積み上げられたバイストを満足そうに眺めたのは、柔らかくて細い白髪を腰まで伸ばした眠たげな少女、ノイ・リアだ。壱番世界のアラビア風の衣装に身を包んだ少女に、 「大丈夫かい」 去年までのとは大違いなんだよ、と心配そうに黄色いスカーフを巻いて、バイストを焼き上げ、運び、積み上げていくおばさん達がこっそり囁いた。 「…?」 きょとんと見上げる瞳は赤、バイストと相手を交互に眺め、いかにも食べたそうにごくりと唾を呑む。 バイストはこんがりと薄赤い生地が焦げて香ばしい匂いを放っている。いや、香ばしいだけではない。何かこう、鼻を強く刺激するような香り。敏感な客が激しくくしゃみをし始め、慌てて会場から退散する。気のせいか、去年よりうんとたくさん、ジャムだのクリームだのチーズだの、味の種類を増すような素材が準備されているようだ。 「美味しそうだよ、見かけはね、けどさ」 今年から『激辛バイズト』というのになってね。 おばさん達はいささか不安そうな顔で自分達の運んでいるバイストを眺めた。 「始まる前に、何だか白い服の可愛い子がやってきてさ」 身振り手振りで話したところによると、確かに今年は激辛バイストにしようと、工夫を凝らしていた。その粉を練っている真っ最中に、その少女がやってきて、こう言い放ったのだそうだ。 『ゼロはバイスト食いには直接参加しないのです。辛いものを食べる催しだそうなので、用意する人に以前入手した「極限の超激辛ハバネロペースト・地獄の炎スーパー」を進呈するのです』 えい! 気合いもろとも放り込まれたそれが、あれよあれよと練っている生地に入り込んでいくや否や。 『うぎゃあああああ』 『手が! 目が!』 悲鳴と絶叫、あっという間に、その生地に触れた料理人が二人担ぎ出されていった。 これはまずい、死傷者が出るんじゃないか。 慌てた周囲が、数倍の粉をぶち込み、思いっきり薄めたつもりだったのだが、仕上がったバイストを味見した料理長は卒倒し、動かなくなった。時間は迫る。もう他の粉はない。 「……というわけでね」 今年のこれはもう、そりゃとんでもなく凄い代物になっていてね。 「今のところ、まだ誰も5枚目にもいけなくてね」 「ぎゃー! なんじゃこりゃああっ」 背後で悲鳴が上がった。 リアが振り返ると、仲間のロストナンバーらしき一人が、腹と口を抱えて転げ回っている。ガルガに乗り、途中まで意気揚々と追いかけっこを楽しんでいたペルレが、あまりの空腹にガルガが食べ物にしか見えなくなり、これはまずいとガルガから離れてやってきていたのだ。 積み上げられ、熱気と香りを放ち、確かにとてもおいしそうに見えた。いくら食べてもいい、食べれるだけ食べてもいいと聞いて、意気揚々と手を伸ばす前に、周囲に悶絶して介抱されている者達の様子に気づけばよかったが、空腹で目に入らなかった。 「ううう、辛いっっ!」 涙を盛大に吹き零れさせながら、ペルレはよろよろと焼き上がったバイストの前を離れる。彼女の食生活に、こんなものはあり得ない。 「くそおおっっ!」 鳴る腹が、空腹のせいなのか、一口食べたバイストの刺激のせいなのかわからないが、とにかく何か食べたい。たぶん焼き上がってるから辛いんだ、そうだ、それなら材料の段階で食べればいいじゃないか。 「はぐっ!」 「あ、あんたっ!」 「う…ぎゃああああああ!」 周囲の制止は遅かった。 もちろん、ゼロの放り込んだ『極限の超激辛ハバネロペースト・地獄の炎スーパー』の味わいは焼き上がる前でも健在だ。 「なんじゃあ……こりゃああああああっ!」 ペルレが口から炎を吐きながら両手を突き上げ夜空に吠える。この時、彼女は、目の前に現れたいかなる敵であろうとも、一杯の水のために完璧に葬り去ったに違いない。 「大食いが、得意な訳じゃ、無いけれど、辛いものは、好きだし、得意だから」 それを横目に、テューレンス・フェルヴァルトはきちんと食卓に向かい、ナイフとフォークを丁寧に使いながら、『激辛バイスト』に挑んでいた。 頭にしなやかそうな2本の触角、薄く軽そうな昆虫系の4枚の透き通った4枚の羽根。滑らかですべすべした肌に、長い尾。竜族のそれを思わせる顔立ちに紫の瞳が優しい。 勝敗はあまり気にしないで、気軽に参加。 その無欲が功を奏したのか、それとも辛さの耐久力が元から違うのか。 淡々と食べていくバイストの数、現在8枚。 「んっ」 それでも一瞬顔をしかめて、ちろっ、と舌を出してみせたのは、きっと『極限の超激辛ハバネロペースト・地獄の炎スーパー』の塊があったのだろう。 「うん、なかなか、いける」 に、人間じゃねえ。 周囲のつぶやきに、いや人間じゃねえだろ、と微妙に首を捻った者も居たが、すぐさまその横で皿を積み上げていくリアに目を見張った。 「何じゃ、ありゃ」 「もう15……いや、20枚はいってるか!」 「に、人間じゃねえ…」 「ってか、ひょっとして意外に美味いのか? あんな小さな子でも食えてるんだし?」 リアがあまりにもおいしそうにぱくぱく食べていくものだから、ついふらふらと手を出した男が一人、また一人。 「あ、ばか、やめろっ」 「ぎゃあああああっっ!」 「担架担架担架!」 「うわああああっっっ」 「こっちも担架担架担架!」 どたどたと犠牲者を運び続ける周囲をよそに、 「うー」 これは癖になる、そんな顔でリアがにっこり笑ったが、その唇がさすがに腫れ上がってきているのに、主催側から止めが入った。 「も、もう結構です。優勝はあなた! 記録枚数……なんと37枚っ! 賞品は…っ」 本来ならばバイスト10年分だが、さすがにそれは惨すぎるだろうと周囲が涙ぐむ。 「?」 賞品を期待する顔でリアが首を傾げて、次のことばを待った。 「しょ、賞品は……美女の抱擁!」 「おめでとう~~!!!」 走り寄ってきたくだんの『美女』は、少女の腰ほどある二の腕と重量感溢れる体躯でリアを押し包む。 「よかったなあっよかったよかった!」 去年の優勝者の悲劇を知っている者達は、思わず安堵していたが、当のリアはちょっと残念そうに皿に残ったバイストを眺める。 抱擁の後、もう少しバイストを食べていたいと身振りで訴えたリアに、周囲から阿鼻叫喚が上がるのだが、それはもう少し後だ。 「うぉあああああ!」 「今年は早えな、ガルガ追い!」 『ガルガ囲い』の中へ群衆とともに走り込んできたガルガを、歓声が迎えた。毎年あちらに行ったりこちらに行ったり、迷走するガルガも結構居るのだが、今年はほとんど逸れることなくまっすぐに走り込んできたようだ。 「し…死ぬ……っ」 その先頭近く、ガルガを追うのではなく先導してきたような状態になった音成 梓は、はあはあ言いながら手近のベンチにへたり込んでいる。乱れ切った髪が汗を吸ってやや濃いオレンジになっている。何本か確実にピンは消えている。 「もう絶対駄目だと思った…」 「同感…」 呼吸を乱して喘ぎながら、その側にフェイが座り込んでいる。白尽くめの服は泥だらけであちこちに踏まれかけたのか、足跡らしきものもあるようだ。 すぐ側まで二人を護衛しつつ駆けていた十三が、いつの間にか周囲の屋台を回ってきたのだろうか、フェイには酒を、梓にぱちぱち弾ける黄金色の飲み物を渡してくれる。 「う…まっっ!」 梓は思わず一気飲みして、歓声満ちる夜空に空の器を上げる。 「う、ふう…っ」 珍しくフェイも一気に中身を空けた。横殴りに口を擦る、その耳に、 「…どうだ、気が晴れたか。それなら未来の鐘へ行っても大丈夫だな」 「っ」 十三の声にぴくり、とフェイが顔を上げる。 「どうした、元々そのために来たのだろう、おまえは?」 「……たまんねえ」 突っ込んでくれるねえ、あんた。 探るように十三を見返したフェイが苦笑いしながら、空になった器を緩やかな仕草で近くのテーブルに置いて立ち上がる。 「行くぞ」 促されたフェイが梓に軽く会釈して、先へ行く十三を追っていく。気のせいか、走り出したときより、確かに少し元気になった気がする。 「私と踊ろう!」 声高に呼ばわって、軽い足取りで人々が集まり始めた。 真っ白の服、銀色の髪の少女が、怪盗を思わせるマスクをつけ直しつつ、人の輪の中に紛れ込んでいく。 ロストナンバーだ、ターミナルで何度か見かけたことがある。ってか、あれ、さっき梓の後ろにガルガを置いてくれちゃった娘じゃないのか。 「あの娘も踊るのか」 ぶっ飛んではいたけれど、楽しそうな娘だった。 「自分と踊る、かぁ……強運はいいけどホントにそうなったらちょっとびびっちゃうかも」 梓も立ち上がって、ガルガ追いで乱れた衣服を整えた。仮面を一旦外し、目を閉じて汗を拭って手櫛で髪を整え直す。飛び散ったピンの配置を変え、ギャルソンベースの衣装から埃を払う。実は所々に変わり布を使っていて、炎や月光に揺らめく光を跳ね返す仕立て、金糸まじりのレースをポケットチーフに、銀の仮面に羽をあしらえば、あっという間に舞踏会仕様だ。 「レガート」 セクタンにもお揃いの仮面をつけて、渦を巻き出した人の中に入っていく。 柔らかなどこか哀愁を帯びた曲だった。手を打ち合わせる、くるりと回り、背中で触れ合い、別の輪の相手に手を取られて引き寄せられる。 悪くないリズムだ。気持ちいい和音、だがもう一音あれば。もう一本絡むメロディがあれば、もっといい。 「流れ…流れいくよ」 梓の口から即興の唄が零れ落ちた。 「どこまでも、流れいく」 打ち合わせる手、くるりと回る視界、背中に感じる熱。 (仮面だらけだな。なんだか仮面がついてるってだけで、相手が人なのかどうか疑わしくなるような……不思議な気分だ) 仮面の上から獣の耳が突き出ている者が居る。色鮮やかな鳥の羽根、ふわふわ揺れる不思議な編み込み毛もある。仮面の奥から見返す瞳も千差万別、赤や紺、黄色に紫、銀色に黒、そして閉じられたままの瞼さえある。 ゆらゆらと覗き込み、笑いかけ、体を捻り、回り、遠ざかる。 「運命流れ、魂流れ、命流れる、この想い」 自分の唄もうまく巻き込まれて気持ちよくなる。 踊りの渦は中央に集まり、周囲に広げられ、複雑に絡み合い混ざり合う。握った手も冷たかったり、固かったり、温かかったり、しなやかだったり。 このまま永遠に踊るのも悪くない、なんてな。 強運を授かろうとして自分を探す、その意識も薄れ始めた頃。 ぎゅ。ふいに強く握られて我に返る。 「即興詩か、上手いね」 囁かれて相手を見返し、どきりとした。同じ背格好、ギャルソンベースの衣装も同じ、だが仮面の色が金色、表面に炎が描き込まれている。オレンジの髪に大量に止められた黒いピン、耳には幾つものピアス。 鏡の中で見るような、姿。 「もっと詩ってくれ」 ねだるような声は自分よりやや低い、か。 「……行き先は知らない、誰も知らない」 誘われて続ける。 「行き先を知らない、俺は知らない」 相手が静かに声を合わせてきた。 「俺は知らない、誰も知らない」 漂泊の唄は胸を切なくさせる。触れ合うことさえ一瞬の夢。 「俺が知らない、お前も知らない」 その夢の中で、はからずも響き合う二重奏、踊りながら互いを見つめて重ねる声に、周囲が見惚れたように距離を置く。離れていくはずの踊りはゆっくり中央へ押し出されて、二人だけで踊り合う。 「幻の」 「幻のこの」 出逢い。 千載一遇、強運を手にするのは、自分の踏み込みではなかったか? 「っ!」 瞬間、梓は相手の仮面に手をかけ、むしり取った。あっさりと仮面を外した顔が、それと確認する間もなく、巧みに顔を上向け逸らせて背後に仰け反りながら小さく笑う。顔は見えなかったのに、ウィンクしたと感じた。 「強運をw」 もっと踏み込み、追いかけようとし、覗き込む、もう見えるその顔立ちは。 「おま…」 次の瞬間。 どぉおおんん! 「!」 一瞬周囲が真っ暗になったような感覚の後、巨大な花火が打ち上がった。 「『真夜中の決闘』だ!」 「『真夜中の決闘』が始まるぞ!」 思わず見上げ、はっとして見下ろすと、既に目の前には誰もいない。 「おい!」 お前は俺、だったのか? 「おい、どこだ!」 梓の声にレガートも慌てて跳ねるが、相手はどこにも見つからない。 「おいっっ!」 「……見た?」 きょろきょろして相手を捜す梓を見ながら、女郎蜘蛛を象ったマスクをつけた東野楽園は自分の相手に囁いた。 「一瞬で人ごみに紛れたわ」 「そもそも、最初から居たのかどうか」 「居たわよ、私は見たもの」 「そうかね」 相手は静かに微笑む。穏やかな物腰、楽園をリードする手は年齢を重ねているが力強い。 「……お父さん以外の男性と踊るのは初めて」 「君の父上に殴られなければいいが」 私のようなへたな老人と踊るのは退屈だろう。 気遣う相手に安心感が広がる。微笑んで首を振った。 「安心して、ダンスは得意なのよ?」 それは心強い。 男の手から、次の相手に受け渡される。見送る楽園に、相手は道化師を象った滑稽なマスクの背後から、明るい青の瞳で笑み返した。 「君にも強運を」 「あなたは私ではないのに?」 「……を奪う返礼として」 「え…?」 離れていく相手の格好にいまさら気づく。黒い帽子に黒いコート。祭りにはずいぶん不似合いだ。 「世界にはバランスが必要だ、そうだろう?」 応じた声が踊りの輪を遠ざかる。それがなぜか気になって、楽園はしばらく相手を見送っていた。 「花火だ」 アルド・ヴェルクアベルは背後で上がった巨大な光に目を細める。何かの合図……そう言えば、さっき街角で『真夜中の決闘』の始まりを知らせるとか言ってなかったか? 「急がなくちゃ」 脚を速める。 もう一度ここへ来れると聞いて、わくわくした。前とは違うものを楽しもうと思っていた。 『このお祭り、オルグと一緒に来たことある! あの時はガルガ追いに参加したなぁ、迫力があって面白かった! さぁって、今回はどこへいこうかなー?』 準備をするアルドに仲間が笑った。オルグの分まで楽しんでこなくちゃね、と。 だが。 「……んー?『未来の鐘』、もうないんだ」 案内を確認して、ちょっとがっかりしたのも事実だ。 「礼拝所が崩れた……か、なんで崩れちゃったんだろう、地震でもあったのかな。 代わりに泉が沸いてるみたいだね、ちょっと寄ってみようかな」 場所は同じ。報告書を読むと、とても不思議な礼拝所だったらしい。いや、現れた存在が、というか。ヴォロスの存在だったのか、それとも何か全く違う存在だったのか、それさえももうわからないが。 「……願い事を囁くと、答えが返ってくる、かも? んー、僕の願いは僕個人のことだし、泉が答えを返してくれるとは考えづらいけど……。やってみるだけなら、いいかな」 とっとことっとこ薄闇の中を小走りに進む。顔につけている仮面を途中で取った。理由はきっと、真実を掴みたいから。 礼拝所だったと思われる場所はすぐにわかった。 空気が違う。 賑やかなお祭り気配の中で、そこだけひっそりと小さな木に包まれた空間。誰も整理しようとはしなかったのだろう、砕かれた石や壊れた金属が円形にばらまかれて、その中央に天井屋根が崩れ落ちた、そんな状態だ。 「……焦げてる…?」 ゆっくりその中を入っていって、アルドは眉を寄せた。そうだ、確かに石は焦げている。金属は溶けてねじ曲がっているものもある。何か大きな熱量がここに加わった、そういう感じだ。 「雷…? 落雷…かな」 けれど、礼拝所一つをこれほど砕く落雷なんて。 首を傾げたアルドの鼻先に、清冽な水の香りが届いた。崩れた礼拝所の向こうに、ひたひたと揺れる小さな泉がある。 「……誰も、いないよね」 泉は夜の中に、闇色をしてたゆたっていた。広場の明かりが届かない。昼間見たら美しい泉かもしれないが、今は湧き上がる源泉の場所もよく見えない、たゆたゆと水面を揺らし盛り上がる。 「…」 ごくん、と唾を呑んだ自分の連想がどこから来るのか気づいている。そっと静かにことばを舌に乗せる。 「僕自身の、呪いじみた血への渇望。これを抑える術を、僕は探してる」 声が震えているだろうか、今も沸き起こる興奮を感じて。 「大好きな友達や、大切な人を傷付けてしまう前に、見つけなきゃならないものだから」 泉は静まり返っている。 「……んじゃ、次行こーっ!」 アルドは身を翻して泉から離れた。『真夜中の決闘』が待っている。 「去年はオルグが参加してたなぁ、ちょっと飛び入りしてみよっかな」 明るく言い放った矢先、ざぶっ、と泉が大きく音を立てた、まるで襲いかかってくるように。 「っ」 思わず振り返る、そのアルドの瞳に噴き上がった水がぼたぼたと落ちてくるのが映る。餓えた心にそれは。 「……命の、水」 思わず呟いた自分の声にアルドは呟き返す。 「『誰』の命を守るか…ってこと…?」 泉は再びたゆたゆとするのみ。アルドはきゅっと口を引き締め、『真夜中の決闘』へ向けて走り出していく。 アルドが去っていったのと入れ代わりに、十三が現れた。 「人智ならざるものを神と呼ぶなら。俺の世界は神と戦う世界だった。ゆえに俺は神など信じぬ。人と人の間の答えは人の間にしかないと思うが…それを人に押し付けるつもりもない。望んだ答えが得られるよう祈っておく」 静かな声が送り出しているのは、フェイだ。仮面を着けたままのフェイが、一瞬十三を振り返り、苦しげに顔を振る。 「だが……ハオには話せない」 吐くような叫びをフェイは噛み殺すように歯を食いしばる。 「ようやく落ち着いたんだ」 「……」 十三は無言で腕を組み、崩れた礼拝所のただ中で立ちすくむフェイを見守る。 「俺達が『保護』しなければ、フォン・ルゥは無事だったかもしれない」 「『世界樹旅団』の手は伸びていた」 「確証はない」 「失ったままでいいと思うのか?」 「……」 フェイが縋るように十三を見返す。 「どれほど傷みに満ち、苦痛しか思い出せなくとも、それもまた今のハオを形作っているものだろう」 「インヤンガイから連れ出して、その後あいつは高熱を出して倒れた。うなされて何日も寝込んで、起きた時には記憶をなくしていた」 フェイは唸った。 「酷い目に合っていた、と話したのは俺の弱さだ。助けてくれたんだね、と聞かれて否定しなかった。そんな幻は人を傷つける、そうロンは言ったのに」 もう戻れないからいいじゃないか、そう言ったのは俺で。 「戻れなくても、『それ』はハオのものだ、手を出すな、とロンは言って」 二度と俺とは組まないと。 「……わかってる、弱いのは俺だ。戻れない世界を抱えることも、突き放すこともできない」 だからターミナルに居る。 「けれど時々…」 ハオが誰かを探している瞳で、来る客来る客に一所懸命笑いかけているのをみるとたまらなくなる。 「お前の探しているやつとは、もう二度と会えないんだ、と言ってしまいそうになる」 それが僕の罪なら甘んじて受けましょう。なぜなら、何度同じ選択を迫られても、僕は同じことをするから。冷ややかに答えたロンの声。 「ロンほど、潔くもできない」 だから探していたずっと、ロストナンバー達の物語を集め、その中に自分の道が見えないかと。 「だが…みつから…ない…っ」 顔を覆うフェイの仮面がぐしゃりと握りつぶされる。 「みつからないんだ…っ」 「弱き心には弱きものが近付き、病んだ心には病んだものが惹かれる」 腕を組んだ十三が低く吐いた。 「友を人を助けたいと思うなら、まず自分が健全であれ。俺から贈れる言葉はその程度だ。おまえが助けたいのが、おまえ自身か友なのかは知らんがな…支えたいのだろう、ハオを」 「……っ」 ふいに、巨大な稲妻に貫かれたようにフェイは体を跳ね起こした。 「……ああ…」 泣き笑う顔からのろのろと仮面を外す。泣きじゃくった子どものようなオッド・アイ、ゆっくりと閉じられて密やかな声が応える。 「ああ……そう…だ……」 俺が……まず、か。 立ちすくむフェイを残して、十三は静かに立ち去っていく。 「エスコートをお願いできるかしらフェイさん。」 その大きな後ろ姿と入れ替わるように、東野 楽園がやってきた。 気づいて慌てて顔を軽く拭い、フェイが微笑む。 「いらっしゃい、お嬢さん?」 いつか会ったことがあるよね? 滑らかな動作で近づいていくフェイに、猫のように悪戯っぽく光る蠱惑的な金の瞳が応じた。 「願いごとは決めてあるの」 フェイが断るとは考えてもいない顔で、楽園は泉の側へ歩み寄っていく。瓦礫を踏み分ける、その華奢な脚にフェイが思わず手を差し出すと、平然と自分の手を与えて、楽園は泉の側に立った。 泉はこぽこぽと小さく音をたてて水を湧き上がらせている。だが、いつまでたっても、淵を侵して広がってくる様子がないところを見ると、どこかに流れ出していく小川もあるのだろう。 「こないだヴォロスで一緒に冒険した、猫好きな軍人さん。不器用で武骨で、でもとても優しい人。こんな気持ち初めて」 楽園の呟きに、ぴくりとフェイが指を震わせた。それに構わず、楽園が続ける。 「正直戸惑ってる。でも、嬉しい。私でも誰かを愛せるってわかったから。孤独に冷えて凍えた胸でも、ぬくもりを育めるとわかったから」 「……」 「それを教えてくれたのはあの人。かけがえのない人」 フェイが俯く。 「本当の私を知ったらあの人は軽蔑するかしら? 猫かぶりで意地悪くて根性曲がり、こんな私でも好もしく思ってくれるかしら」 楽園の声は秘めた情熱に揺れている。 「ねえ教えて泉さん、私はあの人に相応しい素敵な大人の女性になれる?」 願いの熱さが泉を揺らせたように、表面に風もないのにさざ波が立つ。 「もっと素直になりたい。そして今度はあの人と一緒に泉に来たい。……あの人が元の世界に帰ってしまったら、私はまた一人ぼっち。それが怖い。とても怖いの。不謹慎だって自覚はあるけど、あの人の所属世界が見つからなければいいと思ってる」 「…………」 フェイは項垂れる。楽園の手を取り、今にもその側に膝をつきそうだ。 「大事な人を失うのは一度でたくさん。お父さんお母さんの時と同じ悲劇がおきたらきっと耐えられない、心が壊れてしまう。それならいっそこの手で……私はいけない子? ドロドロ醜い独占欲を恋と呼んでいいの?」 泉はたぷり、と揺れた。 否とも取れる、是とも取れる。 ことばは返ってこない。何の兆候もない。 だが、フェイの胸には十三のことばが響いている、楽園の願いに重なる自分の気持ちへの答えのように。 だが、楽園にそれを告げることは正しいだろうか? あの時、ハオを保護しなくてはならなかった、それは本当に正しいことだっただろうか? 人には失いたくない存在がある。 それを願うこと、守ること、そして繋がり続けようとすることは、ごく自然なことだろう。 だがそれは、本当に『自分が願っていいもの』なのか? 楽園はフェイの心の内側のことばに弾かれたように手を引いた。 泉を覗き込み、そっと手を組み、祈る。 「どうか一日でも長くあの人と一緒にいられますように」 その願いが、フェイ自身の声とフォンの声で聞こえる。 後に起こる、ロストレイルの襲撃、そしてそれに続くトレインウォー、何よりも、その先に待つ別離を、泉は知っていても知らせてはくれなかった。 ただ。 「あ…」 楽園の足下から小さな石が転がり落ちた。 その石は泉の中へゆっくりと沈んでいき、何かに吸い付けられるように転がって、ぴたりとある場所で止まる。 水面が動かなくなり、覗き込む楽園の紅の仮面とフェイの白い顔を映し出す。 それは闇の中のカーニバルの絵のようだった。 「うん、これ、で」 テューレンス・フェルヴァルトはサーベル型のパホを二本手にした。元々使っている「蒼キ雨」も2本のサーベル型の剣、扱いは慣れている。 だが、華奢で壱番世界なら童話や絵本で語られるような風貌、様々な民族が入り乱れるヴォロスではさすがにそういう意味での注目はないが、対戦相手が明らかにテューレンスの2倍はある大男、しかもがっちりついた赤銅色の筋肉を隆々と周囲の明かりに浮かばせて、にやりと笑ってみせるなら、この一戦は見逃すまいと観客も息を呑む。 「さて、共に、奏でよう、か。決闘から生まれる、美しき旋律を」 緩やかにパホが揺れ始める。テューレンスの体から生まれるリズムに共振するように。相手が不審そうに眺めるのも道理、テューレンスの動きはどんな構えでもない。薄く削った木の皮を筒状に巻いたパホは、明らかに殺傷能力が高そうな武器っぽくはない、それをテューレンスが両手で翻らせると、まるで踊りのように見える。 「何をそんなにちゃらちゃらと!」 こざかしい! 叫んで飛び込んできた大男の動きは予想以上に素早く軽い。テューレンスの動く先を見越して、次々と、ぎっしり巻いて重そうなパホを叩きつけてくる。 「美しく、ないな」 テューレンスはこっそり呟いて、小さく息を吐いた。毒のあるブレスは吐けるが、もちろん祭りの余興だ、そんなものは使わない。だが、ドラゴン系とも闘ったことがあるのかもしれない、大男が一瞬びくりと身を引いた。顔に巻いた目だけ開いてる黒い布、何か特別な文字なのだろう、銀色の殴り書きがされていて、見物客の中から野次るような笑うような声が上がる。 「わかってらあ!」 その声に追い立てられるように、大男は一気に間合いを詰めてきた。けれど、体の動きとリズムで、その攻撃はお見通しだ。ぽおん、と軽い音が響いたように見えるテューレンスのステップが、あっという間に逆に男の背後を取る。うろたえた相手がパホを伸ばしながら振り返ったとたん、僅かに体を捻っただけで男と背中合わせに立ったテューレンスが、相手のパホを叩き落とした。 ばふんっ! 砕け散る互いのパホから色とりどりの花びらが舞う。 「この……っ!」 既に勝負はついたのに、大男は歯ぎしりしてテューレンスに躍りかかった。 「またやってるぜ、ガゴルが」 「ああもう、どうしたもんだかな、あいつは」 人々がひそひそと囁き交わしたところによると、どうやらこのあたりで有名な暴れ者、力を頼りに誇示したがるが、それほどおつむはよくなくて、悪い友達にそそのかされては周囲に迷惑をかけているらしい。 「去年は何とか気を逸らせたんだがな」 「今年はどうしても出るって聞かなくって」 「娘達だって怯えちまうし」 そんな男に勝利者として抱擁とキスなど贈ったら、後々まで何をされるかわからない。 「頑張ってくれ、細っこいの!」 「ああ、けどパホはもう砕けちまったし、どうしようもねえだろ、あいつも」 「どうするかな」 「なるほど、ね」 小さな囁きから響く不安と困惑の声。 「皆が、困ってる、ということ」 自分から戦闘を仕掛ける気はないが、降り掛かった火の粉を払うのには怯まない。どうしても避けられないなら望まないけど闘うしかない、それともいっそ、小さくなって相手の気を削ぐか。 テューレンスが考えながら、くるりくるりと身を翻して攻撃を避け、次の配置に付こうとした矢先、 「飛び入りーっ!」 元気一杯の声が響いて、文字通り飛び込んできたのは、銀の瞳をきらきらさせたアルド・ヴェルクアベル。鋭く尖った犬歯を覗かせて笑った後、相手が驚いて立ち止まるのに、ちっちっち、と指を立てて振って見せた。 「勝敗はついたんだよ、大人しくしろって」 「何を!」 「みっともないよ、でっかいのがさ」 「しょ、勝者、テューレンス!」 「お、おめでとう!」 その間に慌てて司会がテューレンスの勝利を宣言して、娘もこれ幸いとテューレンスにしがみつく。唇をそっと頬に押し当てられて、戸惑いつつも嬉しそうに微笑んだテューレンスに、ガゴルが切れた。 「この、くそ虫がああ!」 「おいおい、それはひどいだろ!」 テューレンスに突進していくガゴルに周囲から悲鳴が上がったが、それよりも早く、ガゴルの鼻先でたんっ、と一回転、体を丸めたアルドが跳ねた。 「う、おっ!」 さすがにぶつかる、と顔を背けたガゴルに、にやりと笑って、相手の腕の下を駆け抜けつつ、脛を思い切り蹴り上げる。 「ぎゃあっ!」 「やろうぜ、ごついの」 駆け抜けただけではなくて、爪を軽くひっかけた。大男の脛に薄く血の筋が走り、アルドの鼻を刺激する。 「この猫野郎!」 「この人間野郎っ」 売り言葉に買い言葉、だがガゴルのことばには余裕がなく、アルドの台詞には遊びがある。つけた白い仮面の両側にはさらさら鳴るリボンの束が翻り、動きを華やかに彩る。 「ヒーローショーの時間だよ」 茶目っ気たっぷりのからかいが零れた。 「く、っそおおお!」 大男は差し出されたアルドの身長ほどもあるパホを掴んだ。アルドはそれに比べると、あまりにも華奢な細剣っぽいパホだ。 「ふふん、これでも訓練訓練って言うオルグの双剣を受けてきたからねっ。並みの剣術じゃあ僕には勝てないよ?」 ウィンクして見せる姿が相手に比べてあまりにも小さく、娘達が手を揉んで不安がる。 「はいはいお嬢さん達ぃ!」 アルドは楽しそうに笑った。 「キスの順番を決めといて!」 言い放つや否や地を蹴る。突進してくる大男の周囲を、身軽に飛び回り、跳ね回り、あそこと思えばここ、ここと思えば向こう、うろたえて慌てる相手の頭部を軽く剣で打ってみたりと、からかい放題やりたい放題。 「ちょこまかちょこまかちょこかまとおおお!!!」 「へっへへえん、ここまでおいで、大男……あの世までぶっ飛ばしてやるっ!」 わああああっっ。 あわやガゴルに捕まると思われた次の瞬間、アルドがくるくると空中に舞った。楽しんでいる。誰がどう見ても楽しんでいる。 それが一層ガルゴを激怒させる。 「そうらあっ!」 「べ!」 走り込んできたガルゴの腹を、一瞬の間合いで見極めて、つっくん、とアルドは突いた。 ばふっ! 「うおあああ!」 腹で砕けたパホ、舞い上がった花びらに視界を遮られたガルゴが仰け反り、どしん、と背中から倒れる。地響きと土煙、歓声と興奮。 「やりやがったああああ!」 「うぉおおお!」 「勝者ーーーっっ、アルドぉおお!」 「いえーーっっ!」 駆け寄ってきた娘が、半泣きになってお礼を言いながら、アルドを抱き締め、キスを降らせる。 「うー!」 さっきからアルドとガルゴの闘いを眺めつつ、次第次第に興奮の度合いを高めていたノイ・リアは、ついに限界を越えた。ゴーレムに乗り込み、パホを一本ずつ両手に持ち、あれほど華やかで愛らしい娘達からのキス、それが欲しいなら我を倒してからいけぃ!とばかりに参戦する。 だが。相手が。相手がもういない。 「う…うー…!」 その時。 「ふっかーっっつ!」 ガルゴが立ち上がった。 もう花びらに塗れ、泥に塗れ、汗に塗れ、何が何だか凄い状態だが、それでもガルゴは立ち上がった。さっきまで彼をののしっていた観客が、さすがに歓声を上げる。見ろよ、あの状態であんなそびえ立つ巨大なゴーレムとやり合うってさ! 「え……ごーれむ?」 「あー!」 「ひいいいい!」 ゴーレムが逆手に順手にくるくると二本のパホを回して迫る。追い迫るゴーレム、その前で必死に逃げ惑うガルゴ、先ほどからの状況の逆転、だがしかしあまりにも圧倒的に不利。 「えええいい、こうなったらやってやるあああああ!」 ガルゴもついに覚悟を決めた。手渡される限りのパホを受け取り、ゴーレムに立ち向かう立ち向かう立ち向かう。急所狙い、姑息な引っかけ、もう何でもありでゴーレムの力技に向かい、その必死さは観戦していたゼロの感動を誘った。 「あれはあれでまた美しいといえるかもしれないのです!」 「勝者ーーー、ノイ・リア!」 うぉおおおお! ついにガルゴが座り込んで、その頭をぱこんとやられ、花びらを被る。ゴーレムへのキスはもらえたが、自分へのキスがなくてちょっとがっかりなノイ・リアの横を、ゼロはとたたたとガルゴの側へ走り寄った。いつの間にか、大人の倍ぐらいの大きさで、見かけとしては愛らしいが、サイズがちょっと半端ない。 「ひっ」 何をされるのかと背後に仰け反ったガルゴに、ゼロは抱きついた。 「よく頑張ったのです!」 「へ?」 「美しく戦った人が街の娘さんに抱きかかえられるのですか? それなら、負けた人は他所の娘さんにだっこされるのですー。手当てもするのです」 「ぐっ」 どきゅん、とガルゴの胸を何かが貫いた音がした。 「うぉあああああ…そんなこと言われたのは初めてだああああ!」 号泣するガルゴの側できょとんとする愛らしい少女姿の大女。 「……感動的なんだが…」 「……感動しきれねえ………」 「でもまあ……祭りだし」 「祭りだもんな」 「そうだ、祭りだもんな!」 よくやったぞ、お前ら! よくやったぞ、ガルゴ! 「ありがとうなのです!」 「俺は……おれはああああ!」 押し包む歓声にゼロは手を振り、ガルゴは再び大声で泣いた。 以後、「大泣きガルゴ」と彼は呼ばれることになる。 その頃。 崩れた礼拝所の泉は、新たな訪問者を迎え入れていた。 「ぼくはどうすればいいんだろう」 モービル・オケアノスはそっと囁く。 直立歩行するドラゴンのような姿、筋肉のしっかりついた体には戦化粧のペインティング。高い背に金色の瞳を光らせ、背中の翼で飛行し、口から炎のブレスを吐くこともできる。強靭な戦士を思わせる容貌、だがしかし、その心は繊細で……あまりにも繊細で。 泉の側に佇む姿も、ほとんど迷ってしまった子どものような頼りなさ、戸惑った表情はまだまだ成長過程にある者のそれだ。 ならばこその問い、当然で、必然な。 「……」 答えを待つ。 ちゃぷんと水が跳ねる。 「……」 答えがないのはわかっているような気がする。どんな答えを得たところで、きっとそれではないと思うだろう、何の確証もないままに。 (ぼくはどうすればいいんだろう) ふいに人の気配がして、モービルは慌てて近くの木立に身を隠す、どうして隠れたのかを訝りながら。 やってきたのは、白い少女だった。黒い仮面を外してみれば、銀色の瞳を瞬く、どこまでも白い印象だ。 「知りたいことがあるのです。物は試し、泉に囁いてみるのです」 戸惑うモービルとは裏腹に、ためらいなく泉に近づき、覗き込む。 「世界は一つだけではなく無数に存在し、それぞれが異なる理を持つのです。ならば世界群もまた一つではなく無数に存在し、それぞれが異なる構造を持つと考えるのは極自然な思考なのです。そしてその超世界群もまた無数にある超世界群のひとつであるのかも知れないのです。その超々世界群もまた上位の構造の、無数の構成要素の一つに過ぎないと考えるのも、このような階層構造が何処までも連なっていると考えるのもまた当然の思考なのです。ゼロはその無窮の彼方、果ての果てへと辿り着くことができるのでしょうか?」 淡々とした声音は確信ありげに理論を組み立てる。けれども、ふと、首を傾げた。 「………あれ? そもそもゼロは何故、こんなことを願っているのでしょう…??不思議なのです…?」 自分の呟きを、自分の願いを耳にしたことから起こる疑問。 ぽふぽふぽふ。 泉が何かに詰まったような奇妙な音を立てた。覗き込むと、転がり落ちた石でも泉の湧出口を塞ぎかけているのだろうか、澄んだ底でころころと何か揺れている。 広がる波紋。同心円。 一つの輪を囲む輪。それを囲む輪。それをまた囲む輪。 その輪の一番外側が、ゼロの足下の泉の淵へ辿り着き、跳ね返されて波紋を戻す。次々と。次々と。 「……終わりがないのです」 疑問は疑問を生み、世界は世界を生む。外側へ投げた問いが見せてくれる階層と、内側へ投げた問いが見せてくれる階層。 「終わりを決めると……辿り着くのです?」 淵を見下ろしながら、ゼロは思考する。 「けれどそれは終わりとは限らないのです」 ならば、辿り着かないというのも答えなのです? 「全ては途中、なのです」 少女のことばに、モービルもまた、木立の中で考え込む。 ゼロが去って行った後、モービルが出ようとしたとたんに、テューレンスがやってきた。 「テューラの、願いは、沢山の、音楽に、出会うこと。この先、沢山の音に出会って、この子(カネート)を喜ばせる事が、できるかな、って」 装飾品の一部に付けて持ち歩いている。握り拳くらいの大きさの透明な水晶は、音楽等に反応して様々な色に輝く。 その昔、村の長老に、音に反応して輝き、沢山の音を聴かせる事で何かが起こると言い伝えられる「カネート」を授けられた。様々な音色、旋律を求めてあちこち旅をしていたが、気がつけば異世界に居て。 それでも、していることはやはり同じ。 世界が違っても、テューレンスは様々な音を探し求め、様々な出逢いの中で、旋律と音色を得ていく。 「そうか、もう、している、んだね」 どこへ旅立っても、全く知らない音はまだまだある。全く知らない旋律もまだまだある。 じゃあ、僕のすること、は。 テューレンスは呟いた。 「どんな、答え(音楽)が返って来ても、静かに、耳を傾け、お礼を言うよ」 テューレンスが立ち去った後、モービルは木立から出て来た。 全ては途中。 どんな答えが返って来ても、静かに、耳を傾け、お礼を言うよ。 ならば、モービルのすることは。 振り返り、まだまだ賑やかな祭りの広場を見つめ、目を細め……歩き出す。 「おお、ここが礼拝所跡の泉かの」 誰もいなくなった泉に、現地の娘に案内されてジュリエッタ・凛・アヴェルリーノがやってきた。生き生きと輝く緑の瞳、色白の肌に茶色の髪。イタリア名家当主のイタリア人父と日本人の母の間に生まれ、いつもならセーラーにハーフパンツという活発な出で立ちだが、今夜は違う。 『ガルガ追い』も見た、『バイスト食い』も見た、『私と踊る』も『真夜中の決闘』も見た。街の娘達と知り合い、トマト料理を教える代わりに、今ここで流行っている様々な色の薄物の布を重ねる衣装を着付けてもらい、お互い仮面の無礼講、一緒に泉へやってきた。 願いを囁くと答えが返るという泉。故郷イタリア、トレヴィの泉を思い出す。 ズバリ『未来の旦那との出会いはあるのか』について尋ねるつもり満々だが、神託の夢で2回連続旦那となる相手の顔は見れなかったので、ちょっと不安だ。 だが、その不安を押しのけるように、祭りで笑い、遊び、はしゃぎ、楽しんできた。屋台も回った。エネルギーも気力も満タンにしてきたつもりだ。 「わたくしの故郷の泉は、コインを投げて想い人と永遠にいられるという願い事をする風習があったのじゃ。面白いのは、枚数によっては縁切りまで願えるものがあるのじゃが」 地元の娘達がお互いに突き合ってくすくす笑う。 「ふむ、では手本を一つ……とと、足元がふらついて、のわわわわ!」 こうやるのじゃぞ、とトラベルギアを掲げて、よいしょ、と投げる真似をしたが、泉の淵が脆くなっていたのだろう、踏み抜いた。 じゃぼんっ! 「ジュリ!」 「大丈夫?」 「だ、大丈夫じゃ、大丈夫じゃ、えーとギアはどこに……ああ、ここじゃ!」 泉の底の湧出口のような所に沈み込んでいたギアを拾い上げ、誇らしく嬉しくびしょ濡れのまま高々と手を挙げた、その瞬間。 どがっしゃんんっっっ! 「うきゃっ!」 「じゅり…っ!!」 駆け下りた閃光、ギアが発動して落雷したのだと気づくと同時に意識を失う。 「……だね」 「え…?」 優しく囁かれてジュリエッタは我に返ってどきりとする。 背中合わせに誰かが立っている。 柔らかな熱、そして。 「あ」 搦められた小指。 「…誰…じゃ」 走り出していく胸の鼓動。 「そなたは……誰じゃ…」 わかっている、未来の伴侶だ。振り返ればいいだけだ、すぐに顔もわかり、年格好もわかり、すぐに、すぐに。 なのに、脚が動かない。 「……誰じゃ、と聞いておる!」 じれったい、自分が、これほどに。 「……っているよ」 「あ!」 次の瞬間、解かれた指、必死に振り返れば突然の雨に霞む彼方に消え去る姿、けれど声は確かに耳に残り。 待っているよ。 「…り!」 「…見た…」 「え…?」 気がつけば、自分を囲んで、半泣きになってヴォロスの友人達がジュリエッタを覗き込んでいた。濡れた衣服を上から温かく包まれて、どうやら必死に介抱されていたらしい。もう少し目を覚まさなければ、医術師に駆け込もうと思ってたのよ、と訴えられて、思わずにっこり笑う。 「……見たぞ…」 「何?」 「未来の…伴侶を…」 「え」 「ええええっ!」 「起こしてくれ…っ」 未だ痺れてスムーズに動けない体を支えてもらい、泉の方を振り返れば。 「なんと…っ」 壊れ果てた円形の礼拝所の残骸、その向こうに木立に囲まれ陰気に密やかに湧き出していた泉は、雷に木立が一部焼き払われ、奥の泉から溢れ出た豊かな流れが、礼拝所の残骸を洗いつつ、手前の地面の裂け目に吸い込まれていく、この世ならぬ不思議な光景と化している。 廃墟に月光が落ち、星が飾られる。泉にはもう直接は近づけない、だが溢れた水量の豊かさ、その水面に、どこに咲いているのだろう、薄紅の花びらが散っている。 「…美しいのう…」 破壊の果てに、形を変え、姿を転じて、なお命を満たす、この世界。 ガルガを追って、力と情熱の在処を知った。 バイストを食べながら、誰かに支えられていることを感じた。 輪の中で踊りながら、自分の真実を追い求めた。 攻撃に立ち向かい、抗って、打ち倒されて、新たな価値を見つけた。 そして今ここで。 「未来の……泉…じゃな」 「え?」 「……終わりなく、途切れることなく、溢れ出し、流れ出してくる、時間…」 「未来の泉…」 「いいね……その名前」 「うん、いいね」 ここを、これからそう呼ぼうよ。 友人達が嬉しそうに呟くのに、確信する。 「……っしょ、っと」 立ち上がる。 循環していく時間の中で、きっと自分はもう『未来の伴侶』と会っている。後は、一緒に歩こうと踏み出す決意だけ。 「うん、きっと」 きらり、と肩越しに光が弾けた。 「…っ」 いつの間に夜が終わったのだろう。 振り返った空が、薄白くなり、光が満ち始めている。 夜明けだ。 祭りが終わるのだ。 歩こう。 再び新たな一日を、確かに自分が居た証を、この手に掴んで生きるため。 「…っくしょい!」 冷えた明け方の空気にジュリエッタのくしゃみが高らかに響いた。
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