オープニング

「、ちいっ」
 嵐の中に飛び込んだ船が激しく揺さぶられて、ファルファレロ・ロッソは舌打ちしながら部屋の壁に叩きつけられかけた黄金の魔女を庇った。
「くっ」
 ひやりとした顔で黄金の魔女は両手を深く抱え込む。常時身に付けている黄金の籠手を押さえ付けたのに、ファルファレロは微かに笑った。
「上等だ、そうやってしっかり押さえつけといてくれよ?」
 あんたの煙管もたいしたもんだが、その両腕はもっととんでもねえ。
「へたに外れて船を黄金に変えられちまうと、俺達はすぐに海の藻くずだぜ」
「わかってるわ…っ!」
 言い捨てて黄金の魔女がファルファレロの胸を突き放そうとし、次の瞬間なお大きく振り回されて2人抱き合いながら床に叩き付けられた。


 ブルーインブルーでの仕事は簡単だった。
 いや本来なら、商船を襲う3匹の巨大な海魔と反乱を起こそうとした船員達という、誰が敵やら味方やらわからない状況で、無事に荷物を届けさせたというのは大手柄といっていい代物だったのだが、何人撃ち倒しても罪悪感なんかないぜというファルファレロと、襲いかかる海魔を次々特大の黄金の塊にして鎮めてしまう黄金の魔女という組み合わせでは、困難の方で尻尾を巻いて逃げてしまう。
 意気揚々と帰ってきた船で、お手軽気分は帳消しとなった。
 嵐だ。
 しかもここ数年出くわしたことがないと船乗りが保証するぐらいの規模と激しさで一気に船に迫った嵐は、乗組員をあっという間に攫って呑み込み、ついでに船を粉々にしつつ、ようやく小さな島に押しやった。
「潮まみれだな」
 ぺっと唾を吐いてファルファレロが濡れた髪をかきあげ、眼鏡をうっとうしそうに海水で洗う。ぼんやりとでも見えなくては動けない。
「…ファレロ」
「おい、俺はてめぇと寝た覚えは」
「迎えが来たわ」
 ぐっしょり濡れた金色のドレスの体を抱き締めて、黄金の魔女が赤い瞳で合図する。冷え始めた夜気に、ただでさえ色白の顔がなお青く見える。
 示されて振り返ると、確かに数人の男を従えて、一人の女性がやってくる。
 高く結い上げた栗色の髪、いささか時代がかった古めかしいドレス、歳の頃は40〜50歳、鮮やかな青い瞳で物珍しげに2人を眺め、やがてにっこりと笑った。
「黄金の島へようこそ」


 遭難した2人を助けたのは、島を治める豪商の女主人だった。
「ミリリア・アルファンガス……ミリリアと呼んで下さると嬉しいわ」
 晩餐の席で親しげにファルファレロと黄金の魔女に微笑む。
 壱番世界ならばシルクサテン系の白いドレスに着替えた黄金の魔女は、両手の黄金の籠手で品よく食事を続けている。艶のある黒のタキシードがいささか窮屈で先ほどから黒い蝶ネクタイを緩めたくてたまらないファルファレロは、小さく溜め息をついて、笑み返した。
「よろしく、ミリリア。俺のことはファルファレロと。こい…彼女は黄金の魔女」
「黄金の、何ですって?」
 ミリリアが訝しそうに瞬きする。
「黄金の魔女、よ」
 切り取った肉を一切れ、口に運んで黄金の魔女は繰り返した。
「まあ…それはその見事な細工の籠手から来たあだ名?」
 ミリリアは無邪気な様子を装って尋ねてきた。
「…まあ、そうとも言える、わね」
 そっけなく、黄金の魔女は応じた。
「失礼。充分な待遇に感謝している」
 無作法一歩手前のパートナーをさりげなく窘める口調で、ファルファレロは肩を竦めた。
「ひどい嵐で船も仲間もばらばらだ。正直、これからどうやって戻ればいいのかもわからない」
 口にしたことばの半分は本当ではない。トラベラーズノートは健在、ファルファレロと黄金の魔女の遭難は遅かれ早かれ、世界図書館の知るところとなり、これまで通り、2人の探索が依頼として世界司書の口で告げられるだろう。いや、うまくいけば、既に『導きの書』に予言されていて、捜索隊が募られつつあるかも知れない。
 ファルファレロが困惑を口にしたのは、ミリリアの時々光る青い瞳の真意を探るためだ。黄金の魔女の籠手に気づいているだろうに、あえての無反応は頂けない。この程度の籠手では揺らぐこともない金持ちなのか、ことさら見えないふりを装っているのか。
「いつまででも滞在して頂きたいほどよ」
 ミリリアは再びにっこりと笑った。
「それに……もし、その籠手のことを気にしているのなら」
 私が揺らぐわけがない理由をお話ししましょう。
「昔、この島は海賊の拠点だったの。けれど、海賊達は嵐に合って全滅した。ここは時々、奇妙な風が吹いて船を沈めるのよ。海賊はいなくなったけど、彼らが残した財宝……大量の金塊もあったそうだけど、それはここに残されたまま」
 ワイングラスを取り上げる。こくりと飲んだ口許が薄紅に濡れる。
「私の先祖はそれを元手に財を築いたのよ」
 いかがかしら、とミリリアは笑みを深めた。
「大量の埋蔵金は、まだ残っているわ。そんな籠手程度、見飽きているわ」
「なるほど」
 ファルファレロもワインを含む。黄金の魔女の力を知ったら、腰を抜かすだろうと思ったが、当の黄金の魔女も素知らぬ顔だ。
「旅の話を聞かせて欲しいわ。島には刺激がなくて」
 できるだけゆっくり滞在してくれるといいのだけど。
「それが…そうもいかなくて」
 黄金の魔女が淡々と固辞した。
「助けて頂いたことには感謝しています。けれど、明日か明後日には、この島を発ちたいと思っていますわ」
 無人の孤島だと思っていたが、これほどの屋敷があり、これほどの贅沢な暮らしをしているのだから、交易の船が行き来しているだろうと踏んでのことば、だが、それまで談笑していたミリリアが、いきなりカタンと手を落とした。
「ミリリア?」
「そう……貴方たちも金塊めあてだったのね」
 打って変わった低い声が俯き加減の相手の、胸のあたりから零れ落ちる。
「欲しいものを手に入れたら私を捨てて行ってしまうのでしょう?」
「っ!」
 いつの間に背後に迫られていたのだろう、振り向いた視界を埋めるような大男の拳が降り落ちたのが、ファルファレロの最後の視界だった。


「…くそっ、どうなってやがる」
 天国から地獄とはこのことか。
 手足を鎖で繋がれて、ファルファレロと黄金の魔女は屋敷の地下牢に監禁されている。外されることを頑なに拒んだのだろう、黄金の魔女は、籠手で自分を抱えるように縄で縛られ、脚を鎖でつながれている。2人の居る地下牢は海より低い位置にあるのか、天井から潮っぽい雫が思い出したようにぽたり、ぽたりと落ちてきていた。服装だけはさっきのままの正装なのがいささか笑える。
 がこん、と音がして、地下牢の正面にあった鋲を打った木の扉が開いた。
「…てめぇ」
 しずしずと入ってきたのはさきほどの女主人、ミリリアだ。
「行儀の悪い口だこと」
「趣味の悪い部屋だわ」
 黄金の魔女が冷笑を返す。
「何とでも言うがいい。遭難者は死んだも同然、誰もさがしにこなくってよ?」
 ミリリアの瞳がゆらゆらと揺れた。
「他の皆と同じように、ずっとここに居ればいいの、淋しくないでしょ?」
「他の皆?」
「壁際に鎮座されてるお歴々か?」
 ファルファレロの返答に、黄金の魔女が素早く周囲に視線を奔らせる。微かに揺れる明かりに照らされ、そういえば布の塊だと思っていたそれらの奥に、白い骸骨が見えるものがある。
「…悪趣味」
 ぽつりと言い放った黄金の魔女に、ミリリアはにい、と嗤った。
「大丈夫よ、1人じゃないわ」
「……ぶっ飛んでやがる」
 ファルファレロが吐き捨てる。岩をくり貫いたような地下牢、頑丈そうな鉄格子、それを破っても外には木の扉、その外には見張りが立つ。
「もう少しいい子になったら、会いに来てあげるわ」
 くるりと身を翻したミリリアが木の扉の外に消える。
 静寂が戻った地下牢で、ファルファレロと黄金の魔女は見つめ合った。
「で?」
「レディファーストで構わないぜ?」
 にやりと嗤ったファルファレロがパスケースを引きずり出す。
「隠されたお宝も気になるところだな」


 ロストナンバーを封じておける檻はめったにない。
 2人はそれを証明しようとしていた。


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!注意!
企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。

この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。


<参加予定者>
黄金の魔女(chen4602)
ファルファレロ・ロッソ(cntx1799)

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品目企画シナリオ 管理番号2151
クリエイター葛城 温子(wbvv5374)
クリエイターコメントこの度はご依頼ありがとうございました。
かなりぎりぎり状態からの開始です。
お察しの通り、ミリリアはかなり『ぶっ飛んで』おります。
どのように脱出されるでしょうか。
お二人の手腕の見せ所、わくわくと楽しみに待たせて頂きましょう。

参加者
ファルファレロ・ロッソ(cntx1799)コンダクター 男 27歳 マフィア
黄金の魔女(chen4602)ツーリスト 女 21歳 魔女

ノベル

「見回りの頻度、女主人の様子の経過……黄金のありかのヒントや脱出の手がかりだって書いてあるかもな」
 ファルファレロは手鎖のまま、牢の骸を探り出した。悪臭腐臭も気にした様子もない。シルクスーツで屍体を漁る様は作り手の嘆きを誘いそうだが、元々そんな上品な階層で育ってはいない。
「ふん……マッチ…はしけってるな。高そうな懐中時計だが塩水でやられてる。万年筆は緑青で使いものにならねえ、手帳はぼろぼろだし…待てよ、こいつはここにぶち込まれるまでに結構屋敷の中をうろうろできたらしいぜ」
 黄金の魔女に示したのは手帳に細々と書かれた屋敷の見取り図らしいものだ。
「見張りの人員と巡回間隔、非常用の出口と…地下室。彼は立派に『黄金目当て』だったのね」
 黄金の魔女は見取り図と人員配置を頭に叩き込む。手帳が使われていた年代は隅に書かれたメモで数年前と確認できた。人員配置は多少変わっていても、屋敷そのものに大きく手を加えた様子はなかった。
「今もまだ、ここにあるのかしら」
 黄金の魔女が顎で示す地下室に、ファルファレロはからかうように嗤う。
「それだけきんきらきんに飾りながら、まだ欲しいのかよ、お宝が」
「黄金には興味ないわ」
 冷ややかに黄金の魔女は応じる。『黄金の煙管』で一発ファルファレロを殴りたそうだが、赤い瞳を細めることで怒りをやり過ごしたようだ。
「ミリリアが、他の人間が皆自分の黄金を狙っていると考えるような、その『価値』に興味があるのよ」
「まあ、金がありゃ大抵何でも手に入る。なら、願いを全部満たすために、どれだけあっても満足ってことにゃならねえだろ」
「黄金は食べられないのよ。願いを叶えて嬉しいのも生きていてこそだわ」
「高邁なご説法、拝聴致しましたぜ、くそったれ」
 ファルファレロはパスホルダーから『ファウスト』を抜き放った。
「ちょ…」
 そんなことをしたら騒ぎになる、そう黄金の魔女が止める間もなく、互いの鎖と扉に撃ち込み破壊する。
「いい度胸してんな、あんた。で、何だって?」
 手首の近くに銃弾を撃ち込まれても顔色一つ変えない黄金の魔女の縄を解いてやりながら、ファルファレロは感心して見せ、思い出したように尋ね返した。
「もういいわ」
 扉が砕け散り、その向こうから派手な音に驚いたらしい見張りが飛び込んでこようとするのを一瞥、黄金の魔女は小さく嘆息し、立ち上がる。
「こういう事はあんまりやりたくないんだけど…仕方がないわね」
 黄金の魔女は外の見張りに特殊能力『黄金の瞳』を使用した。強力な魅了効果を持つ隠し技、瞳の色が赤から金色へと変化し、この状態で目が合うと魔女の虜になってしまうのだ。
「おまっ…」「こいつっ……」
 顔色を変えて飛び込んできた数人が、牢屋の中の、白いシルクドレスに黄金の篭手、黄金の瞳で金色の髪を肩に乱した黄金の魔女に気づき凝視した。戸惑いと驚き、やがてほれぼれと見つめ出し、ついには惚けていく。
「黄金のように目映い私に目が眩まぬ者は無い。さぁ、身も心も全て私に委ねてしまいなさい」
「は…い」「はぁい……」
 ふわふわふらふらと吸い寄せられるように黄金の魔女に集まっていく見張り達に、ファルファレロは苦笑しながらバンビーナを扉の外へ放つ。
「おいおい、その状態でこっちに振り返んなよ? こんなところで骨抜きになっちゃ、ファルファレロの名がすたる」
「試してみたい?」
 欲深ければ欲深いほど効果は絶大。
「貴方なら、充分私に跪いてくれそう」
 黄金の魔女は寄ってきた見張り達をゆっくりと見下ろした。足下にすりより、今にも爪先を舐めかねないほどトロトロの見張り達に、優しく囁く。
「私の鎖を解いてほしいの」
「はい今すぐ」
「彼の鎖も」
「はいもちろん」
 見張り達はいそいそと黄金の魔女の指示に従い、鎖を外した。その後の命令を待つような見張り達に微笑みかけ、黄金の魔女は篭手を外し、慈愛に溢れるかのような仕草で手を伸ばした。
「お疲れ様、休んでいいわよ」
 ぽん、と静かに肩を叩かれた見張りの一人が見る見る肩から黄金化していく。だが隣の見張りは逃げようとしない。そればかりか、あっという間に物言わぬ黄金となった仲間のことも気にならないように、ただひたすら黄金の魔女の顔を眺めている。労をねぎらい、黄金の魔女はその一人一人に軽く触れていった。暗かった牢屋がこの世ならぬ黄金の像の輝きに照らされて、周囲の壁にもたれたり崩れたり砕けたりしている骸骨や屍体を浮かび上がらせる。
 やれやれ、とファルファレロが手足を改めて伸ばし、ふいにひょい、と中空を眺める。
「見つけた」
「宝?」
 ここに呆れ返るような量の黄金があるわよ、そう言いたげな黄金の魔女に、ひどく猛々しい、けれども思わず目を奪うほど魅力的な笑みを返して、ファルファレロはついてこいよ、と促す。
「疲れたのね」
 黄金の魔女は眉根を寄せて、軽く摘んだ。『黄金の瞳』は物凄く眼が疲れるのだ。


「麗しのレディをエスコートするのは紳士の務め。ファレロ、この私を退屈させては駄目よ?」
 黄金の煙管を吹かしつつ、悠然と付き従ってくる黄金の魔女に、ファルファレロはこっそり嗤う。
「生憎、俺は紳士じゃねえ」
 目指すはミリリアの寝所だ。さすがにこんな奥まで忍び入ってくる賊もいないのだろう、バンビーナのミネルヴァの眼で確認しつつ容易く彼女の寝室に近寄る。牢屋の派手な騒ぎで、おそらくはとっくに外へ逃れたと思われたのか、ここには護衛が配置されていない。
「ファレロ、ここは」
 入り込んだ部屋の中央、巨大な天蓋つきのベッドで眠っていたミリリアを見つけた黄金の魔女が、何か問いたげにファルファレロを見やる。見返した相手が野獣の顔で笑う。
「金めあて? 違う、体めあてだ」
「…ファレロ」
「刺激的な夜を見せてやるぜ?」
「………ふう」
 ベッドに素早く近寄っていくファルファレロに黄金の魔女は溜め息をついた。黄金の煙管をゆっくり吹かす。気配に気づいたのかミリリアがのろのろと起き上がる。
「…誰」
「誰だと思う?」
「…っ、きゃ…」
 天蓋から下がったレースを片手で払ってファルファレロが滑り込み、意外にか細い悲鳴を上げて体を捻ったミリリアにのしかかる。微かな悲鳴が響き、ベッドが激しく揺れ、低い囁きが繰り返し漏れ、次第に静かになっていくのを黄金の魔女は煙管を吹かしながら眺めていたが、
「退屈させるなと言ったのに」
 ぼそりと呟き、静かに篭手を外し、その手をゆっくりと振り上げ、ばん、と部屋の扉に叩きつけた。びいん、と震えた扉がすぐに震えを止め、掌から四方八方に見る見る黄金色の輝きが扉を染めていく。隙間が黄金の魔女が擦り抜けるほどしか空いていないから、ファルファレロが出て来る時も苦労することだろう。
「ふ…」
 意地の悪い笑みを浮かべて、黄金の魔女はベッドに近寄った。ファルファレロに組み敷かれて虚ろな視線を上げて来るミリリアに、素手でレースを引き開ける。その指先から柔らかなレースが次々と黄金の細工ものに変わっていくのに気づいたミリリアの瞳が丸く大きく見開かれた。
「何故私が黄金の魔女と呼ばれるか…教えてあげるわ。それは、私が触れたモノは全て黄金に変わってしまうからよ」
 笑みを浮かべてミリリアに指を伸ばすと、相手が小さく悲鳴を上げて体を竦め、あろうことかファルファレロにすがりついた。
「どういうことよ」
「さあ?」
 ファルファレロは開いたシャツの間にミリリアを抱き込み、にやにやする。けれども、その眼は冷ややかに黄金の魔女に行け、と命じる。
「紳士の風上にもおけないわね」
 とんだパートナーだわ。
 きびすを返してベッドを離れると、篭手を嵌め直し、トラベラーズノートを開いた。やはりファルファレロからのメールが届いている。
『辺鄙な島で暮らしてるんだ、使用人が使う小舟の一艘二艘繋いでるはずだ。緊急時の連絡船だって必要だからな、どこかにあるだろう。探せ』
 目を上げると、扉の向こうでファルファレロのバンビーナが羽ばたきつつ、くるくる飛んでいる。どこからか、散っていたミリリアの配下が戻ってくるらしい怒号と足音。
「彼らを倒し、脱出手段を手に入れろ、と?」
 黄金の魔女は煙管で一服つけると、スリングショットを取り出した。黄金の玉を打ち出す暇つぶしの玩具だが、篭手を外してて片端から触れて回り、やたらに黄金像を増やしても脱出路を塞ぐだけだ。
 ファルファレロのバンビーナを振り仰ぎ、ゆっくり走り出した。
「案内ちゃんと頼むわよ」


 黄金の魔女が黄金の扉を擦り抜け、バンビーナと共に走り出したのを確認して、ファルファレロは胸の中のミリリアを覗き込んだ。
「どう…して…」
 掠れた声で尋ねるミリリアの瞳は潤んでいる。
「黄金が不幸の元? てめえが黄金以上に値打ちのある女なら問題ねえ、それだけの話だろうが」
 低く囁くと、相手の眉が切なげに寄った。ぴくりと震えたのは、ファルファレロの熱を感じてか。
 狂気の底には孤独がある、逃れようもない絶望と不安がある。
「男に去られるのが嫌なら自分で殺せ。そうすりゃずっと一緒だぜ」
 パスホルダーから抜き出した『ファウスト』を相手に持たせた。驚いた顔で両手で受け取ったミリリアが、ベッドの端へ身を引く。
「使えるんだろ?」
「…使えるわ」
「これは賭けだ」
 脱ぎ捨てた上着をはだけたシャツの上に羽織り、ファルファレロはベッドから滑り降りる。部屋の小さな灯に、黄金に変わったレースがぎらぎらと毒々しく光るのを眺め、半身振り返る。
「勝ったらここを出ていく。いいな」
 一緒にいたければ俺を殺せ、そう聞こえることばに、ミリリアは歯を食いしばった。
「弄んだのね」
「黄金に縛られて現実を見ねえのはどっちだよ」
「殺してやる」
「てめえを縛る黄金の鎖を断ち切ってやる」
「…っ」
 ミリリアが引き金にかけた指に力を込める。『ファウスト』が咆哮する、だが銃弾はファルファレロの耳の側を過ぎ、黄金となって凍りついていたレースを砕き、立ち去るファルファレロの肩や背中に金色の花弁を降らせる。
 一瞬立ち止まったファルファレロが、娘から貰った指輪にポケットの上から無意識に触れて呟いた。
「世の中にゃ黄金をいくら積んでも手に入らねえもんがある。それが何か忘れちまったがな……お前は覚えてるか」
 そういう女を男は欲しがるもんだ。
 吐き捨てて、再び立ち止まらないファルファレロが、狭まった扉の隙をかろうじて擦り抜けていくのを、なおも狙おうとしたミリリアが手を震わせ、悲鳴のような叫びを上げながら『ファウスト』を取り落とした。
「誰か……彼を…止めて…っ!」


 ファルファレロが黄金の魔女に合流した時には、彼女は見事に数人しか乗れないような小型の舟を支配しつつあった。桟橋からゆっくりと疾り出すそれに駆け寄っていくファルファレロを、黄金の魔女は冷笑で迎え撃つ。
「てめぇっ…」
「レディファーストで構わないと言ったでしょ」
 魅了した船員達は黄金の魔女の言いなりに速度を上げる。
「それに、あれだけの人数、この船に乗れると思うの」
「…っ」
 黄金の魔女に煙管で指し示されて、ファルファレロが振り返ったそこには、彼が走り抜けて来た道なりにミリリアの配下らしい男達がぎっしりと走っていた。
「あいつだっ」
「あいつさえ捕まえれば、ミリリア様は安泰だ!」
 無限の黄金を生む娘を捕まえろ!
「俺じゃねえのかよ!」
「当然でしょ」
 ファルファレロの突っ込みに黄金の魔女は嫣然と笑う。
「いつまでぐずぐずしてるの、置いていくわよ」
「ち、いっ」
 もう少しで桟橋が切れるというあたりで、ファルファレロは背後に向けて銃弾を放つ。『ファウスト』から放たれた炎の弾丸は、追撃する連中のただ中に落ちて炎を上げ、その後ろの屋敷にも火を放った。絶叫が響く。
 怒りと嘆きが渦巻く炎を背に走るファルファレロに向けて、黄金の魔女は船から数本のロープを立て続けに放った。桟橋に先端が落下したとたん、次々に黄金化させて一瞬だけの黄金の橋、それと気づいたファルファレロがためらう間もなくその上を走る、今にも闇の海上に落ちそうになる、
「遅い!」
 黄金の魔女が最後のロープを放って黄金化させたのにファルファレロが飛びつく。
「足りねえぞ、糞やろう!」
 罵倒が海上で消えた、間に合わずに暗闇の海中へ落ちたのかと思われた次の瞬間、ばしり、と船縁を叩く音がして、ファルファレロが体を引きずり上げてきた。
「何て言ったの、聞こえなかったけど」
 甲板に上がろうとするファルファレロの前に立ちふさがった黄金の魔女が、煙管を手に上下させながら見下ろす。
「今ここで篭手を外してもいいんだけど?」
「…… A caval donato non si guarda in bocca.」
「何?」
「危機一髪のところだったな、って言ったんだ」
 なあ、引き上げてくれ?
 吐息まじりで篭手に包まれた手を伸ばす黄金の魔女に、ファルファレロは爽やかな笑みを浮かべてみせた。

クリエイターコメントこの度はご依頼ご参加ありがとうございます。
お宝探しの要素もあったのですが、お二方とも宝よりも脱走の方がメインでしたので、そちら中心の展開となりました。ぴったり息が合った、とは言いにくいお二人ですが、タッグを組まれると無敵かもしれません。
お子様禁止になりかねないすれすれを掠めたあたりですが如何でしょうか。


またのご縁がありますことを祈っております。
公開日時2012-10-07(日) 19:30

 

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