ごうんごうんと歯車が轟き、暗闇の縦穴をエレベーターが上昇する。 幾許かの時間の後、開かれた扉の先はロストナンバーの訓練所、コロッセオだった。 藁の笠に蒼の重ね。体躯に似合わぬ大振りの刀を携えた雀は、数歩、扉から踏み出してあたりを眺める。 足元にじゃりっと音がした。砂利で覆われた獣道は音や気配を隠すに向いていない。 その左右、そそりたつ木々は密林とまでは言わずとも、生い茂る植物のため、視界が十分に確保できる戦場ではなかった。 どこからともなくスピーカーから発せられた音がコロッセオに響き、オペレーターが訓練相手の説明を開始する。 それによると「敵は猛獣型。訓練の難易度は雀にとってウォーミングアップ程度の部類だが、気を抜かないように」との事。 一歩踏み出すと、予想通りに砂利敷きの足元が軋み、足音が響いた。 その音を聞きつけたのか、雀の肌に突き刺すような殺気が襲い掛かる。 彼が視線を向けると同時に咆哮をあげた獅子型の獣は駆け出し、ほんの僅かな時間でぐんぐんと距離を縮めた。 駆け寄るその姿に対し、雀は腰を深く落とした体勢で睨みつける。 己の姿が獅子の射程圏内に入っても、まだ動かない。 獅子の牙が、爪が、喉笛に突き刺さる刹那、雀の姿はくるりと回転した。 途端、獅子の姿は地に倒れる。 腕と、牙と、胴体でそれぞれ切断されていた。 あまりの速さに斬られた獅子すら、動作を止めるに止められず、じたばたと動き、その瞳は苦悶を感じるよりも戸惑いの色を宿す。 片腕に握られた刀をひゅっとふった動作で、雀が斬ったのだと分かった。 やがて、もがく獅子の姿は霧のようにかき消えた。 コロッセオの生み出した幻影は敗北すると霧散する。 むやみやたらと命を奪うわけではない。と、事前に説明されたとおりだった。 もうしばらくすればコロッセオの舞台装置もリセットされ、オペレーターから帰還の合図が出るはずだ。 が、雀は己の背筋に悪寒に似た寒気を覚え、思わず体を翻し、木々の闇に隠れる。 数秒。 ――静寂。 もう数秒。 ――ぞわり。 雀が斬った獅子など比べ物にならないくらの奇妙な気配が、雀の皮膚感覚を刺し回した。 ぞわっとした悪寒が頂点に達し、雀は思わず全身のバネを活用して跳ね飛び、同時にそれまで雀が居た場所に、かかかっと金属片が突き刺さる。 投擲武器の類かと、雀は刀を納める。 雀の武器は抜刀術。 最も力を発揮するのは納刀状態からの最初の一撃であるため、危機に対してあえて刀をしまう。 息を殺して木々に潜み、物言わぬ敵対者へと感覚を研ぎ澄ませた。 不意打ちを極限まで警戒していた雀の耳に、最初に飛び込んできたのは攻撃の予告だった。 「……行くぞ」 「来い」 それを戦闘開始の合図とし、雀の体が宙に跳ね、構えた太刀を横なぎに払う。 逃げられない程に踏み込んだため、捕らえたはずの獲物だったが、その感触は肉ではなく金属だった。 腰のあたりを切断するつもりで薙いだ雀の剣は、獲物が体の横に立てた太刀によって防がれている。 続けて二度、三度と雀は刀を振るう。だが、ゆらゆらと踊る太刀がその閃光を全て食い止めていた。 「やるな」 「応!」 着地し、雀は体を翻す。 左足を軸に、着地した衝撃を利用してぐるりと回転した。 遠心力に、己の筋力を思い切り乗せ、振るわれる。 「斬る」 短く発した錆び付いたような声と、それに似合わぬ磨きぬかれた所作で、愛刀、紅葛の重量をこめ、相手の太刀ごと斬るつもりで振るいつける。 ひょぉ、と風を斬る音の次に聞こえたのは、相手の太刀が砕ける音だった。 刹那の音で、雀は「はて?」と迷う。 予定では受け止めた相手の太刀ごと、相手の胴体を切り裂くつもりだったが、聞こえてきたのは切断音ではなく破砕音。 つまり、相手の太刀を砕く結果となった。 奇妙な違和感と本能の忠告に従い、深追いはせず、雀はその場から数メートルほど転がる。 振り返り、訓練相手が砕けた太刀を右手に持ったまま立ち尽くしている姿を目にし、雀は刀を納めた。 どうやら相手の武器を破壊することはできたらしい。 訓練終了、とばかりに相手を一瞥し、くるりと背を向け、エレベーターへと歩きはじめる。 「おいおい、もう終わりか? 気が早いな」 何を、と振り返り、相手の周囲に浮かぶ無数の金属片に目をみはる。 砕いた太刀の破片は地に落ちず、相手の周りを浮遊していた。 高速で浮遊する金属片は空気を切り裂き、キィィ、キィィと甲高い音を奏でる。 「俺は歪という。これは刃鐘(ハガネ)というんだが、面白いぞ。試してみろ」 歪の言葉通り、宙に浮く無数の金属片は雀を目掛けて飛び出した。 駆け出した雀がいた場所が金属片に晒され、草木がなぎ倒された。 無数の細かな欠片がひとつの目標を穿つと、犠牲者はひき肉のようになる。 今、貫かれた木がそれを実証していた。 追跡の効く散弾で狙われたようなものか、と納得し雀は体勢を反転した。 地面を蹴り、歪の胴体目掛けて駆け出す。 やはり、というか、刃鐘が雀に向けて飛び込んできた。 構わず、雀は刀の柄を頭上へと掲げる。 刃鐘の金属片が己を貫く瞬間、雀の姿は掲げた刀の柄のさらに上へと転移していた。 跳ね上がった勢いで、重力を加え、歪の正中線に刀を振り下ろす。 再び金属の抵抗。 歪の両手に収まった双剣が雀の太刀を押し返していた。 二本の刀がぶつかる位置を支点に、雀は己の体躯を腰から曲げ、歪の肩口を強かに蹴り付ける。 その反動で己の体を地面に叩きつけ、今度は地面を蹴りつけ、土煙をあげた。 ほんの僅かな目くらましでも戦場では生死を分ける。 土煙を割るように雀の剣が閃いた。 勝利を確信したなぎ払いは、しかし、歪の双剣ががっちりと食い止める。 目晦ましが効かなかった事を悟り、雀は三度、大地を蹴りつけて木々の中に身を隠した。 ぽんぽんと肩口の泥を払う。 ついでに衣装についた埃を払い、歪はふぅと息をついた。 一連の流れを思い返し、相手の身体能力に「ほう」と感心のため息を漏らす。 事前の説明によると、訓練相手は幻影。しかもそれほど強い相手ではなかったはずで、つまりこれは何かの間違いだとは思う。 だが、周囲に漂う殺気と濃厚な気配。 何より、たった今の、ほんの一瞬の立ち回りは相手が相当な剣士だという事を物語っていた。 しかも、相手はやる気になっているらしい。 ならば、せっかくの機会を逃がすのは『勿体無い』と。 口元をにやりと綻ばせ、歪は刃鐘のコントロールに気を向けた。 キュィィ、キィィィィ。 キン。キィィン。 飛ぶ刃は風を斬る。 空気を切り裂き、高速で飛び交う。 分かたれた空気は刃が過ぎると再びぶつかり、余分なエネルギーを空間の振動に変え、様々な周波の波を発生させる。 飛び交う金属片の大きさと、その速度を変化させる事で、風切り音は旋律を奏で、数々の金属片を、様々な音階で鳴らす事で、刃は楽器へと変化する。 ひょうひょうと鳴る空気の軋みが、どこか悲鳴に聞こえるのは己が心の持つ刃鐘への思い入れ故だろうか。 奏で続ける音の中に僅かに響く、雀の呼吸音。拍動に気配。 光に頼らずとも、世界はこんなにも主張を繰り返してくれる。 「おっと、戦闘中だったな」 参、弐、壱、、、 読み通りに切り込んできた雀の姿に刃鐘を向ける。 そして、読みと異なり、雀の太刀筋は素早さを増してきた。 ゆらり、と流れるように体をそらし、歪は双剣を持って雀の太刀を何度も止める。 カン、カン、と小気味良い金属音がしたかと思うと、刃鐘の音が歪の耳元で唸った。 それが刃鐘ではなく雀の太刀筋だと理解し、次に避けられぬ速さであると理解する。 咄嗟に。――迷わず歪は己に襲い掛かる刃に対して右腕を突き出した。 太刀筋に直角に当てれば腕を切り落とされると、威力を殺すよう斜めに切り込ませる。 今度の「がきっ」とした鈍い音は、双剣ではなく歪の骨が雀の太刀を止めた音だった。 ぶしゅっと噴出す血糊を浴びた雀も、己の右腕から血液が噴出した歪も、双方に顔色を変えない。 次の瞬間で、太刀を己が右腕で食い止めた歪が、左腕に持った剣を突き出した。 思わぬ突きは雀の肩口を僅かに斬り、そこから血飛沫を迸らせる。 数歩。 お互いに下がり、己の対戦相手の姿を見据える。 方や己の瞳に布を巻きつけた白の剣士。 もう一方に、紺に染め抜いた笠の剣士。 双方に言葉はない。 深い森を模したコロッセオに、生命の気配はお互いだけ。 己の有利に口元を綻ばせたのは、まず、歪だった。 雀の放つ殺気、足音、気配、呼吸音、脈動。 言葉にせずともありとあらゆる「話し声」が歪に雀の居場所を伝えてくる。 それは、時として光に頼りすぎた索敵よりも、より多くの情報を得る事に繋がった。 己の周囲に鳴り響く刃鐘の共鳴は、さらに音の屈折を通じて雀の居場所を伝えてくる。 ――吸う。 ――吐く。 ――吸う。 ――吐く。 ――大きく吸った。 ――拍動が強くなる。 来る! 同時に歪は身構えた。 刃鐘を散らし、雀の襲撃に備えて重心を落とす。 飛び込んできた気配に、歪の双剣は左右から流れる。 が、刃先が捕らえたはずの獲物を素通りして空を割いた。 完全に捕らえたはずの獲物の気配は踏み込む事もなく、人一人分の高さの空中にあった。 回転を加えて落下してくる雀は、体が地につくと同時にその勢いを縦から横へと転化し、刀を横なぎにふるった。 それでも歪の双剣は必殺の一撃を難なくいなし、伸びきった雀の腕目掛け、刃鐘の礫を走らせる。 再び、命中したはずの相手の姿を素通りする。 光を捉えていない歪にも、これだけの攻防を重ねれば、一連の雀の動きが尋常の物理法則に従っていない事が分かる。 「飛んでいる? ……いや、跳んでいるのか」 雀の『仰ぎ御影』は愛刀を納める鞘であり、彼のトラベルギアでもある。 鞘に触れていられる範囲において、転移という形で雀の体を一瞬で飛ばす。 鞘の端から端まで人一人分ほどの距離を『跳』ぶことができるのだ。 ほんの僅かな、2mにも満たない瞬間移動の術は、しかし、剣での斬り合いという状況下において絶大な効果を生む。 直線を描いて進む刃の筋は、触れたもの全てを切り落とす。 だが、数ミリメートルの距離をあけているだけで、その無慈悲な剣の筋はあっさり無害な微風と化す。 まして鞘一本分の距離である。 歪の双剣の太刀筋を見切るまでもなく、刃鐘の標的を予測するまでもない。 自分の体ひとつ分以上の距離を『跳』べばそれで良いのだ。 「なるほど、厄介な相手だ」 ふぅ、とため息をついた歪の喉元に雀の剣が迫る。 一歩、後ろへ引いて太刀筋をかわした歪に、雀の太刀筋は正確無比な連撃を繰り出し続ける。 高速であり、尋常ならざる連続攻撃ではあるものの、瞬間移動ほどの無茶な動きではない。 一撃一撃が恐ろしく理に適っており、必要最小限の太刀筋を、最短の距離で繰り出してくる。 砂利を踏みつける音が歪の鼓膜をヤケに叩いた。 雀が足で砂利を蹴り飛ばしたのだ。 歪にとって、砂利程度がぶつかっても痛くもかゆくもない。 まして、砂塵を目潰しに使われることもない。 だが。 石飛礫の気配はほんの一瞬だけ、歪の感覚を狂わせた。 雀の剣を交わしたと思った瞬間、彼の「気配」が歪の後ろに現れた。 繰り出されたのは剣ではなく、鞘。 そして、その鞘の距離を跳躍した雀の体は、歪の背へと現れた。 気配を探る暇もなく。 歪は思い切り地面を蹴る。 次に刃鐘を、――己の周囲に飛び交っていた金属片を踏みつけ、さらに宙へと跳ぶ。 雀が目を見開くほどの驚愕が伝わった。 体重を支えるほどの浮力がない刃鐘ではあるが、うまく踏み台にすれば跳ぶ事ができる。 地に構える雀の刃は思った以上に正確であり、近接戦はマズいと判断する。 思い切りよく空中に逃れた歪は、背に迫る気配に己の感覚を疑った。 振り向いた先に、雀が飛んでいる。 歪の真似をしたか、歪の刃鐘の軌道に従って足を踏み出し、空中へと飛び出していた。 歪の飛び出す先に、刃鐘の道はいつまでも続かない。 彼を追って宙へ跳んだ雀にとっては、引き返す道もない。 最後の金属片、歪はその足場を更に飛び上がるのではなく、引き返すために蹴る。 ほんの僅かな距離まで追いついていた雀は、空中にあって自由の効かぬ歪に向け剣先を思い切り突き出した。 同時、浮かぶ刃鐘の散弾が一斉に雀へと向かう。 ――歪にとっては、ここから先への逃げ場はなく。 ――雀にとっても、引き返す道はない。 ならば、と双方が出した答えは同じ。 己が最上の一太刀をもって応える。 例え先に、首を切られようと最後の一撃は相手を斬る、と。 最後に。視線が絡み合った。 「そこまで!!」 大声が、コロッセオを覆う。 同時に、ぴたりと止まった三本の刃。 歪の双剣は雀の首を左右から包み。 雀の太刀は歪の胸に真っ直ぐ当る。 皮一枚で止まった、と言うわけではない。 ほんの数ミリ、お互いの体へと食い込んでいる。 まず、宙に浮いた姿勢でその状態を察知した。 次いで、お互いの視線がぶつかる。 にやり、と微笑んだのはどちらからだっただろうか。 ほんの、万分の一秒にも満たない期間がとてつもない時間に感じられた。 思い出したように、ちりちりと焦げるような痛みが傷口から伝わってくる。 浮遊感。 次に、自由落下。 己の体重を重力に任せ、膝と腰のバネを効かせた二人は何なく着地に成功する。 すっくと立ち上がり、双方、視線を外さない。 「すまない。手違いだ」とスピーカーから男の声が流れる。 コロッセオの管理人、リュカオスの声だった。 「早く決着がつきすぎると、たまにあるんだ。……二人ともケガはないか?」 リュカオスの問いに雀は応じない。 歪はひらひらと手をふって二人とも無事だと告げた。 納刀した雀は、ようやく真っ直ぐに立つ。 刃鐘を集め、太刀へと戻している歪の姿をただ見つめていた。 ――目の前の相手に。 それも、殺し合いを演じた相手に、どう声をかけて良いものかと思案するも、言葉が出てこない。 もとより、気持ちを言葉に変えることも。言葉を文章に組み立てることも。 何より声帯を震わせて空気を振動させることすら慣れていない雀に、この状況を収めるのはひたすらに困難だった。 歪の方も出方を伺う、と言うよりは雀が何をしようとしているのか掴みかねて、手を出すに出せない。 やがて、コロッセオを覆った木々の幻影が消えると、管理人リュカオスの姿が見えた。 彼はトラブルについて詫びると、手当てだの、武器の手入れだの、トラブルではあったがいい試合だっただの。 ついでにその後の始末について説明を始めた。 歪の方では雀に何かしら声をかけようとするが、なんと声をかけて良いものか迷う。 雀の方ではあいも変わらず、そもそも何をどうしていいか分からない。 「そういうことだ。とりあえず、ゆっくり休んでくれ」 リュカオスはそう言って背を向けた途端。 雀の全身から迸る殺気が立ち上り、本能的に構えた歪の太刀に向け、思い切り「鞘」を振り下ろした。 ギィィィン、と響き渡る金属音。 あまりの出来事に、きょとん、と目を見開いたリュカオスがなんとか口を開こうとしたのを制し、歪は雀へと笑った。 「――ああ。またやろう」 ――と。
このライターへメールを送る