クリエイター玉響(weph3172)
管理番号1351-11885 オファー日2011-10-25(火) 15:11

オファーPC 雀(chhw8947)ツーリスト 男 34歳 剣客

<ノベル>

 彼の山には鬼が出る、と云う。

「討伐隊を組まねば」
「放っておいては更なる被害が出よう」
 近隣の村の者が集まり、膝を突き合わせて話し合う姿が見える。
 旅の御方も如何か、と誘われたそれに、雀は無言のまま首を横に振った。放浪の途中で立ち寄っただけの村だ、縁故もなければ理由もない。それきり此方に興味を向けなくなった村人達から意識を離し、刀の刃へと目を戻す。
「ほんとうに若いものだけで鬼を倒すつもりか」
「しかし手を拱いているわけには……」
 声を聞き流しながら、ふと奇妙な感慨を抱いた。
 雀はまことの鬼を目にした事がない。恐らくは、俗世に生きるほとんどの者も同様だろう。現し世の裏側に得体の知れない何者かの実在を知り、それに適当な名を与えているだけの話だ。
 だから、この集落を襲うと言う『鬼』もまた、都合よく鬼と名付けられただけの何者かだ。雀はそれを知りながら、好奇と猜疑が首を擡げるのを止められなかった。
 山に棲まう鬼が、周囲の村を荒らして去っていく。在り来たりの逸話と共に捏造される鬼の容姿はその名にふさわしく凶暴なもので、しかし村に残される鬼の爪痕はどう見積もっても人の身で付けられたものにしか思えなかった。

 山に住まい、俗世との関わりを断ったヒト。――思い当たる節が、あったのだ。

 ◇

 何年前の事だったか、最早彼には判らない。
 ただ、育った地を裏切って、何処へとも判らず逃げ伸びて――深い森の中、情けなくも力尽きた彼を受け止めた、広い掌だけを覚えている。

 次に目を覚ました時には、彼は暖かな火の隣に寝かされていた。
 逃げなければ、と思いはするものの、最早起き上がる力は残されていなかった。身を横たえる大地が傷口の熱を取り去っていく事に得体の知れない安堵を覚えながら、息を緩めた。
 軋む頭(こうべ)を巡らせて、光源を探る。開いたばかりの眼に静かに忍び込む灯の傍らには、影がひとつ、ゆらゆらと光に融けていた。
「起きたか」
 問いかけに似た確認の声は、乾いた胸に穏やかに沁み入った。
 ――人か。
 醒めた思考の中で初めに形を為したのは、それだった。猜疑、殺意、焦燥。恐らくはそのどれでもない、怯えに似た心。
 咄嗟に跳ね上がり、傍に落ちていた刀を握ると跳び退いて距離を置く。鯉口に手を掛け、男の一挙一動を待つ。
「その動き。忍びか」
 握る刃と同じ色した瞳は炯々と、静かだが苛烈な拒絶の意志を顕している。思わず手を伸ばそうとした男も、言葉一つ発さぬ手負いの獣に嘆息を零した。
「……軽率な真似をした。事情は聞かん、傷が癒えるまで此処に居るといい」
 殊勝な言葉に僅か目を丸め、改めて男を見極める。
 纏う衣装の所為か、その姿は影のように暗く、光に慣れぬ眼には見え辛く映る。黒灰の長い髪を無造作に括り、前髪の奥に隠れた眼を確かに煌めかせてわらった。――含む物の何もない、純粋な笑みだった。
 ひゅ、と息を呑む。頑なに口を戒め、言葉を封じている筈の布が外されている事に今更気付く。
「何故」
 初めて、口を開いた。たった二つの文字に万感の思いを込めて、灰鋼の瞳で探るように男を見上げる。
「名は」
 二つの文字で掛けた問いは、二つの文字で返された。瞬間その問いかけの意味を捉え損ね、暫くの時間を於いていらえる。ただの忍びの子であった彼が持つ、名と呼べるものはひとつしかない。
「雀」
「雀か。俺は天狗だ」
 雀から返った答えに笑み、男は飄々と言葉を重ねた。それは名ではない、と思ったが、必要以上の言葉は投げかけない。よく見遣れば、闇に溶けるその装束は確かに山伏の形を取っていた。
「だからな、小鳥の一羽二羽、大したこたァない」
 腕を広げ、指し示す。男の背に広がった、煌々と照る星空と寛大なる森の深さを誇るように。

 ◇

 天狗を名乗り、山に居を構える男。
 忍びの端くれであった雀よりも余程山に融け込み、森と共に生きる男だった。結局名の一つも聞けずじまいではあったが、それでも雀にとっては恩人と呼べる存在だ。
 ただひとふりの刃の為に主を斬り捨て、忍びの里から抜け出したばかりの彼には、単独で生き延びる力など無かった。天狗と山の庇護がなければ、何処かで野垂れ死んでいたか――里の者に追い付かれ、斬られていただろう。
 茂みを掻き分け、山の奥深くへと分け入る村の若衆が見える。鬼を討伐する為に乗り出した彼らの威勢の良い後姿を眺めて、雀は笠を深く被り直した。
 真実、『鬼』が彼の天狗の事を示すのかは判らない。
 しかし、事実であれば助けたいと、柄にもなく雀はそう思うのだ。かつて受けた恩を、返す時が来たのだと。
 己自身、そのような義侠心とは無縁だと思っていた。当惑と僅かの期待とを綯い交ぜにしながら、雀もまた木々の中に踏み入っていく。
 足音を立てぬよう、足痕をつけぬよう、歩く路を慎重に選ぶ。忍びの里を離れて数年経つが、しかしその教えは骨の髄まで深く沁み込んでいるようだった。討伐隊は雀の気配を悟る素振りひとつ見せず、迷う事無く踏み込んで行く。
 ただでさえ光の少ない森の中、深く被る笠が更に陽光を遮って雀の視界を暗く狭める。鬱屈とした光景は、短い期間とは言えかつて匿われた森の景色と同じものとは思えなかった。
 迷い込んだ無力な小鳥を庇護した、あの穏やかな森の面影はない。
 眩暈のするような静寂にどろりと脳髄を揺さぶられて、思わず首を振る雀の耳を、獣の如き咆哮が劈いた。
「――!」
 咄嗟に地面を蹴る。最早見つからぬように留意していた事も忘れ、声のした方へ駆けて行く。

 ◇

 陽の光も遮られるほどに深い森の奥。大樹に囲まれながらも或る程度開けた場所で、雀は脚を止めた。
 斬り裂かれ、打ち捨てられる屍。流れたばかりの血が野辺を赤く染める。草々の合間に倒れ伏す若衆の姿が覗く。微かに聴こえていた呻き声も終に途絶えた、その中央で背を丸めて立つ異相の男。
 両の手に握る刃の先から、血が滴り落ちる。山伏の体裁を成していた筈の装束は褪せ、破れ、腐り、最早襤褸としか呼べぬ。ただ首から下げる数珠だけが血を固めたような色で煌めいていた。醜い刀傷で片眼を潰し、傷口は膿むに任せた異形の貌。憎悪に狂ったその形相は、まさに悪鬼羅刹の如く、対峙する者をただ萎縮させる。
 ふと、雀の鼓膜に蘇る声。
『余り山に長く居るなよ。人であることを忘れるぞ』
 ――そう言ったのは、この男ではなかったのか。
 落ち窪んだ眼窩の奥。ぎらりと閃く沼の如き隻眼が、立ち尽くす雀を捉えた。
 にぃ、と唇が歪む。枯れた皮膚が破れて血を流すのも気に留めず、貌を崩して笑んだ男はまるで、旧友との再会を喜んでいるかのようだった。
「すずめ!」
 咆哮ばかりを上げていた喉が、確かに雀の名を紡ぐ。
 応え、名を呼ぼうとして、立ち止まる。――呼ぶべき名など、知らなかった。
 その僅かな逡巡を、しかし男は見逃さなかった。
 強い力で地面を蹴り、雀が反応するよりも早く間合いを詰める。片手に握る刃を振り降ろす、その一閃を、戸惑いながらも雀は紙一重で躱した。
 唐突に視界が開ける。驚きに強張る雀の貌が陽の元に曝される。茶の髪が風に散って、それを目にした男が懐かしさに頬を緩めた、ように見えた。――成程、確かに雀の羽の如き髪をしている。かつてそうわらったのは誰だったか。
 振り払うように顔を上げ、声を振り絞る。
「何故!」
 何があった、おれは違う、おまえを――錆びた喉を駆使して叫びかけるも、常軌を逸した男の眼に光るのは殺意。その口が放つのは哄笑。
「俺はもうヒトではない」
 当惑にぶれる太刀筋を見極め、男は嗤う。迷う雀の心を、かつての慧眼が見通している。片手の刃を己の顎に当て、半ば泣きじゃくるようにして男は表情を歪めた。
 いざなうように手を動かせば、揺らいだ刃が顎を浅く斬る。立てた刃を伝って流れる血潮は、やはり人と同じ色をしていた。
「斬れぬなら殺すぞ」
 ――それは、誰に向けて放った言葉なのか。
 問い詰める言葉は持たなかった。
 代わりに、柄を強く握る。愛した刀の鍔が音を立て、それでこそ、とわらうようだった。この刃を手放せば殺される、それは判っている。――しかし。
「迷うな! 刀が鈍るぞ!」
 男が吼える。狂人の叫びは雀の耳を揺さぶり、正気に返らせる。否、どちらが正気でどちらが狂気か、雀には最早判然付かなかった。ただ一つの意志が身を貫いて、それに従うまま紅葛を抱き締める。此方へと駆けてくる男に応じ、忍びの動きで足を踏み込む。男が両手の刃を高く掲げるのが見えた。奇妙に顔を歪ませるのが、見えた。

 抜刀、そのまま躊躇い無く刃を振り抜く。
 炯々と煌めく灰鋼の瞳に射抜かれ、男は一層高く嗤った。

「おまえこそが鬼だ」

 無音が耳を切り裂く。その言葉の意を測りかねたまま、
 紅葛の刃が、『鬼』の胸へと吸い込まれた。

 ◇

 好奇と恐怖の視線が突き刺さる。

 茫然としたまま村へと帰還した雀を、村の者達は遠巻きに出迎えた。
 森を掻き分け、戻ってきたのが見知らぬ剣士一人――それも見る影もなく血で汚れているとあっては、彼らが怯えるのも無理は無かった。
「あんたは……」
 当惑のまま投げられた誰何にも答える言葉はない。雀はただ討伐隊の後を追っただけであり、実際村とは何の関係もないのだから。
「若衆は、どうなされた」
 前面を血に染め、ただ寡黙に佇む剣士へ、恐る恐る近付いた老爺が端的に尋ねる。
 のろのろと顔を上げて、返答の代わりに首を横に振る。
「なれば、鬼は」
 もう一度、首を横に。色の薄い瞳が黄昏の光を捉え、眩い、と感じた所で漸く、笠を何処かに捨て忘れてきたのだと悟る。笠の代わりに手で翳りを作り、男の屍から剥ぎ取った数珠を無造作に突き出した。
 村人達が動揺と、歓喜に沸く。それを冷淡な眼で見届けて、雀は村から立ち去ろうと踵を返した。
「お待ちくだされ」
 しかし、投げられた制止の声に律儀に立ち止まる。
「これを」
 振り返った彼の目の前に差し出されたのは、幾許かの金子だった。鬼を退治してくれた礼だと言う老爺に、必死に首を横に振って不要の意を示すが、老爺は引き下がらなかった。
 金銭を欲して彼を斬った訳では、ない。
 恩人を――男を切り裂いた瞬間の感触が唐突に蘇って、慣れた雀の背に怖気が走る。
 あの一瞬、男の太刀筋が鈍った。
 戦場での勘に長ける雀は、それを見抜いていた。だからこそ雀の抜いた刃は男に届き、その身を切り裂く事が出来たのだとも、判っていた。
 迷っていたのは、男自身だ。
 刀を鈍らせたのも、斬れぬと泣いたのも。どの言葉も、雀を叱咤しているようでありながら、その実男自身を奮い立たせる為の言葉だったのだ。
 山の奥で静かに暮らしていただけの男が何の末に狂い(狂わされ)、人を斬らねばならなくなったのか、雀には判らない。ただ愛する刀の為だけに人を斬る雀には、男の見せた貌の理由と、その一太刀の重さを真実理解出来ない。
 だが、その迷いに怯える姿は、やはりただの人だ。天狗でもなければ、ましてや鬼でもない。
(あれは人だ)
 村人達が何を云おうとも、それだけは明白な事実だ。
 急速に心が冷える。指先から熱が消え、怯えるように愛刀へと手を伸ばす。
 受け取らぬのか、と訝る老爺の、金子持つ手を跳ね上げるようにして抜刀した。毀れた刃はしかし見事な剣閃を魅せ、鮮やかな切口だけを残して手と腕とを分離する。やはり美しい、と手の中の刀に魅入られる。
 落ちる手首、遅れて叫び声が轟いた。
 耳を塞ぐのも忌々しい。叫びを聞き付け集い始めた村人を、雀を留めようとする若衆を次々と斬り伏せて、脚の向かうままに駆け抜ける。村を去らなければならない。これ以上この村に関わってはならぬと、冷淡な意識がそう焚き付ける。
 口を覆う布を剥ぎ取って、喘ぐ息で籠る熱を、逃がす。
 何を考えている余裕もない。ただ一刻も早く此処から離れたい一心で、雀は駆けた。逃げ出した。今しがた斬ったばかりの鬼が棲んでいた、森の中へ。無力な小鳥を庇護した穏やかな森は、今また無情なまでの寛容さで雀を受け容れる。
 ――彼(あれ)は人だ。
 散漫とする思考の中で、ただ、その言葉だけを繰り返す。
 掌に握る毀れた刃が不穏な光を燈した事にも気付かないまま、
 男の哄笑だけが、耳に強く焼き付いている。


 あれは人だ。


(――ならば、おまえは?)


<了>

クリエイターコメント二度目の御縁をありがとうございます。そして大変お待たせいたしました。
オファー、ありがとうございました!

捏造改変歓迎、の御言葉に甘えてのびのびと書かせていただきました。
和風の世界観、閉塞された集落での出来事、「鬼か妖か人か判らぬモノ」と言う題材にとても惹かれましたので、心行くまで筆を走らせてしまいましたが、いかがでしょうか。
また、出身世界の設定から、ほんとうは男ではなく雀様の方が『鬼』により近いのではと解釈しました。PL様のイメージから離れていない事を祈るばかりです。

今回は素敵な物語をお任せいただき、ありがとうございました。
それでは、御縁がありましたら、また違う物語をお聞かせくださいませ。
公開日時2012-01-02(月) 19:40

 

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