オープニング

 ほやほやとした空気を漂わせた長身、童顔の世界司書アマノは、『導きの書』のとあるページを眺め、その表情をくもらせた。
 「ううん。覚醒直後のロストナンバーにはいろんな人がいますが……今回はまた難しそうだなあ。まあ、みなさんなら大丈夫でしょう」と顔を上げた時には、ほやんとした顔に戻っている。

 「まず、目的地ですね。インヤンガイにある、ティエンライという街区です。そこへ、ディアスポラ現象によって転移したロストナンバーを保護しに行ってください。ええと、消失の運命についてはみなさんご存知ですよね。それに加えて、覚醒したばかりのロストナンバーは、転移した世界に混乱を巻き起こす恐れがありますので、まずは世界図書館によって保護されることになっています。このケースもまさにそれと言えそうです」
 ぱらりぱらりとページをめくる。
 「保護して頂きたいロストナンバーの名前は、……あれ、名前は不明ですね。元の世界では曲馬団の軽業師で、芸名を『鴉御前』と名乗っていたそうです。彼はいま、街外れの廃墟に建てられた塔の上に立て篭もっていて、近寄った街の住人を片っ端からぶちのめしているようなんです。急に異世界に飛ばされて、しかもその場所が選りにも選ってあの物騒な街区だって言うんですから無理も無いですけど」つらつらと資料を読み、一瞬遠い目をして、アマノは言葉を継ぐ。
 「……そもそもの素行も悪かったようですね。彼は元いた世界では、大変な色男だった。多少誇張もあるのでしょうが、彼が流し目を送れば靡かぬ女性はいなかった――と書いてあります。その所為で相当数の男性を敵に回したとも。義理人情に厚くて仲間思い、腕っ節が強く、売られた喧嘩は必ず買った、とのことです。あとは、彼の風貌ですね。体格の良い男性で、金色の長い髪を無造作に束ね、女性の着るような華やかな模様の衣装を着ており、顔にはカラス天狗の面を付けている、と。なんだか妙な格好ですが、彼はいつもその姿で観客の前に表れたそうです。……ふむ。それにしても、混乱しているとはいえ、是ほどまでに他者を退けるっていうのは、何か理由があるんでしょうかね?」不思議そうに首を傾げ、「……まあそれも本人に確認すれば、万事解決、ということで。はい。帰りはひとりぶん多めにありますからね」
にこやかにアマノは言って、チケットを差し出した。


 * * *

 ティエンライの中心部から南へ向かう大通りを下ると、廃棄処分にされた機械や鉄屑や様々なものが積み上げられた、歪な<塔>が建っている。霊力エネルギーの暴走による爆発事故で、大勢の死者を出した工場の跡地だという。
数十年ものあいだ無人の廃墟であった其処に、最近奇妙なうわさが立ち始めた。
得体の知れない気狂いが<塔>の天辺に住み着き、若い娘を浚うというのである。
街の腕自慢がこぞって退治に乗り出し、あべこべにぶちのめされて戻ってくる、という事件が相次いだ。

 ティエンライ住民の味方(ただ便利に使われているだけとも言う)、ご近所探偵ヤン・シーイィの耳にも、否応無くそれらの出来事が届けられる。
 「そんなもん、放っておきゃあどうってことないだろが!? 娘を浚うっつーのも眉唾モノだね、どこの娘が居なくなったってんだよ」
 「だから、放っておけば是からそうなるって言ってるんだよ。男は容赦なく叩きのめすが、若い女には口笛吹いて笑いかけるって言うじゃないか、いやらしい」
 「なんだかワケのわからない言葉を話すとも聞いたよ? 怖いわあ」
 「ねえ?」
 「ねえ?」
 顔を見合わせる女たちの様子を眺め、ふう、と溜息をつく。
 「わかったよ。調べてみよう」
 「退治してよ」事も無げに言う女に、シーイィが目を剥く。
 「退治ぃ?! 俺があ?! あのさ、そういうことだったら俺絶対無理だから。他を当たってくれ。考えても見てくれよ、この街区の若くて活きの良いヤツらが次々にノされてるっつってんだぜ、俺が敵うと思うか?!」
 「なんだい、じゃあ今までタダで恵んでやった食事代、払ってもらうよ」
 「そうよ、大家のおばあちゃんにも言いつけてやるから」
 「どうしてあんた達は、俺の身を案じてくれないんだ……」

 こうしてシーイィは、心ならずも男の調査を始めることになる。
 薄汚れた窓から眺める<塔>は、いましも暮れゆく茜色の空を突き破るように、不気味にそそり立っていた。

 あすこに近付くのは本当の気狂いだけだ。
 あの<塔>には、あれが建った時分から化けモンがいるんだからな。
 仮面の男、か。
 一体何者なんだ。何を考えてる――


ちょうど今も、塔の途中までよじ登った若者が、天狗面の男に蹴り落とされたところだった。男の足首に絡み付いた鎖がじゃらりと音を立てる。
 「なんでえ、だらしの無え。ちったあ骨のある奴を連れてきな!」
吹き上げる風に濃紫の裾を翻し、声を張り上げ威勢良くのたまうも、ティエンライの住人達には通じる筈も無い。

品目シナリオ 管理番号304
クリエイター立夏(wdwt3916)
クリエイターコメントこんにちは、立夏です。

今回の舞台はインヤンガイです。
暴れん坊ロストナンバー『鴉御前』を捕獲して下さる方を募集いたします。
力づくで捕獲するもよし、色仕掛けで籠絡するもよし。
覚醒直後のご自身の状況と照らし合わせ、説得してみるのもよいかもしれません。
どうぞ楽しい作戦を考えて下さいませ!

・<塔>は、建物で無く、いろんなものが積み重なった不安定な場所です。
登るときには十分にお気をつけて。
・『鴉御前』は何故、塔に立て篭もっているのでしょう。
・シーイィの言っている「化けモン」とは?

気になる点がございましたらプレイングにお書き添えください。
特に無くても大丈夫でございます。

それでは、みなさまとの冒険旅行を楽しみにしております!

参加者
常盤(cara9121)ツーリスト 女 16歳 墓守
サーヴィランス(cuxt1491)ツーリスト 男 43歳 クライム・ファイター
ジュリアン・H・コラルヴェント(cutn5843)ツーリスト 男 26歳 専属エージェント

ノベル

一.

 『巡節祭』を終えたばかりのティエンライは常よりも幾分落ち着いた様相を見せ、道の其処此処にぽつりぽつりと散らばる天花は、瓦礫の街に、夢のような一夜の余韻を薄っすらと残している。
 それだけに、『塔に現れた気狂い』は住人たちを震撼させ、その噂は瞬く間に街中に広まった。

 「酷いもんだ。もう何人目かね」
 「とっくに片手じゃ数えきれないくらいさ」
 (……つまり、まだ10人には満たない程度、ということか)
 昼間でさえぼんやりと薄暗い街の中、白く抜けるような肌に金色の髪を持つ碧眼の青年は、その不釣合を気にも留めぬ様子で尋ねる。
 「被害者の、怪我の程度は?」
 「そりゃああんた、酷かったわよ。靴屋の息子なんかさ、右目の周りを真っ黒にしちゃって。そうそう、シャオトウはどっかから突き落とされて、足を挫いたっていうのよ」
 「あらまあ可哀想に」
 「ほんとだよ。あの子がいなけりゃ誰が餅を運ぶんだか。ねえ?」
 ねえ、と言われても、青年にはそのシャオトウが誰なのかも分からない。青年は、ティエンライの女たちに軽く会釈をして礼を言うと、滅多にお目にかかれないほど整った顔立ちの青年とまだ話したそうにしている彼女らを置いてその場を立ち去った。

 青年の名は、ジュリアン・H・コラルヴェント。
 世界図書館の依頼でロストナンバーを保護しに来たジュリアンは、直接現地を訪れたほかの二人と別れ、市場付近で住人達の聞き込みをしていた。先程の女たちの言葉を信じるなら、被害自体は大したことが無い様だった。
 対象であるロストナンバー『鴉御前』は、自らは攻撃を仕掛けては来ない。誰かが<塔>に登ろうとすると、向かってくるのだという。若い女を浚うという噂も耳にはしたものの、そちらに関しては今のところ「女を見ると笑い掛ける」というだけで実質の害は無く、『鴉御前』はただ、<塔>に人を近付けないようにしているのだと、ジュリアンは確信した。夢を見ていると思い込んでいるにしては、男の行動には曖昧なところが無い。しっかりと目的を持って、他人を寄せ付けず、<塔>に立て篭もっている。一体、それは何故なのか。集まってくる情報は全て似たようなもので、その単純さから、被害者に直接話を聞く必要は無いように思われた。
 それより世界図書館と繋がりのある探偵、ヤン・シーイィにも話を聞いておこうと向きを変え、探偵の住処を目指して歩きながら、ジュリアンは視線を上げ、大通りの南、歪に組み上げられた建物の影に見え隠れする<塔>を眺める。
 そろそろ着いた頃合いだろうか。
 どこか物憂げに、ジュリアンはひとつため息をつき、与えられた仕事を果たすべく、黙々と歩き続けた。




 「あれが<塔>か」
 「思ったより立派だわ」
 黒いゴーグルとボディアーマーで、その顔とそびえる様な巨躯をがっちりと覆った男は、クライム・ファイターであるサーヴィランス。隣に立つ黒髪の少女、常盤(トキワ)は、内面の激しさを閉じ込めたかのような赤い目で<塔>の天辺を見上げた。
 鈍色の街にふさわしく錆び付きくすんだ塊は、近くで見れば、元はそれぞれに役割を果たしていたのであろう、あらゆる形の、さまざまな物質が組み合わさって出来ていることが分かる。天辺付近にはちょうど窓のようにぽっかりと空いた穴が見えたが、人の気配は無い。
 迷わず<塔>の建つ敷地を囲む鉄条網を乗り越えようとする二人の耳に、「ちょっと待ったー!」という、切羽詰まった声が響いた。振り向くと、見るからにくたびれた中年男が、肩で息をしながら、「待て」だの「早まるな」だのと言いつつ、近付いてくる。
 「何よ。邪魔する気?」毛を逆立てた猫のように警戒し、襲い掛からんばかりの常盤を、サーヴィランスが大きな手ですっと遮り宥める。「落ち着け、常盤。彼は探偵だ。そうだな?」後半の質問に中年男は頷き、「如何にも俺は、探偵の、シーイィだ」と、切れ切れに名乗った。


 「ってことは、あんたら、例の図書館から助けに来てくれたわけだ」
  シーイィが嬉しげに言い、傾いた机の上に集めた資料を広げる。
 サーヴィランスと常盤、それに途中で合流したジュリアンは、互いの情報を共有すべく、一旦シーイィが拠点のひとつとして使っている<巣>に集まり、これまでの経過について報告し合うことにしたのだった。
 「結果として、そうなるというだけで、目的は別だが」
 「目的はともかく、あのお面野郎を連れてってくれるなら喜んで協力するぜ!」
 サーヴィランスが訂正するも、シーイィは気にせず勢い込んで叫ぶ。
 「よほど困ってるようね」
 「困ってるも何も、ここらの住人は『こんな時のための探偵だろ、なんとかしろ』の一点張りで……」呆れ顔の常盤に情けなく眉を下げて言い、「いや、しかし、うん、みんなが困ってんのに放っておくわけにもいかないしな!」と慌てて取り繕った。
 「まず聞きたい」
 シーイィの慌てぶりをあっさりと無視してジュリアンが問う。
 「<塔>で、何があった?」
 シーイィが口を噤む。
 「そちらが情報を隠すのなら、協力のしようがない。君が知っていることをただ話してくれればいい。あとはこちらで何とかしよう」
 黙り込んだシーイィを促すように、低く落ちいた声音でサーヴィランスが言うと、探偵は諦めたように肩を竦め、<塔>について語り出した。

 「爆発事故が起こったんだ。あすこは、元々ちいさな部品を作る工場でな。霊力エネルギーの暴走が原因だと聞いた。……事故から数十年と経ってやしないが、もう街のほとんどの人間は忘れちまってる。そもそも働いてたのは別の街区から連れて来られた下層の人間ばかりだった。ただでさえ酷え事件やら悲惨な出来事やらの多い場所だ、いつまでも過去に拘ってたら日々の暮らしも覚束ねぇんだよ。常に明るく前向きなのは、ティエンライに生きる者の知恵さ」
 「何故隠そうとする」
 問い詰めようとするジュリアンを、サーヴィランスが視線で制する。
 「別に、隠すつもりは無えよ。けど、これは街の恥でもある。『傷』だと言えば分かりやすいか。触れない方がいい。『悪いこと』は、『無かったこと』にしたいんだ。たとえそこで犠牲になった者がいたとしても。近付きさえしなけりゃあ何事も起こらないんだ。だったら、忘れられてた方がいいだろ?」
 「犠牲者が、街の外の人間だからか? 家族が事故のことを知らされていない可能性は?」
 「ジュリアン、探偵を責めても仕方が無い。いま我々の為すべきことはひとつだ」
 穏やかな口調と裏腹に握りしめられた拳は、ただ不幸を忘れることでしか生きていけない住人に対する憐みであろうか。
 「わかってる。少し気になっただけだ」伏せられた睫の下の青い瞳が揺れる。

 「だったら、私の分野じゃない」
 黙って話を聞いていた常盤が、無機質な表情を崩さぬままに言った。
 「あんたの分野ってのは?」
 「幽霊、よ」
 常盤の言葉に三人が顔を見合わせる。
 シーイィが、呻くように言った。


 「そうだ。あの<塔>は、死んだ人間の怨念で建ってるんだ」


 「『鴉御前』は、その『霊』を相手にしているというのか」ジュリアンが眉を上げて呟く。
 「保護と言っても、一筋縄ではいかん男のようだな。犯罪者相手でないだけ、喜ばしいことだが」
 (……今回の依頼、単に手のかかる男を連れてくるだけでは終わりそうもない。)
 サーヴィランスは胸騒ぎを感じて、顎に手を遣り俯いたが、誰にもその表情を窺い知ることは出来なかった。



二.

 照らすともなく瓦礫の街を照らしていた太陽が傾き、ティエンライに黄昏の光が降り注ぐ。昼間の活気と夜の喧騒の、ちょうど途切れ目の時間帯は、凪いだ海のように不思議なほど静かで、通りを歩く住人の姿もほとんど見当たらない。
 三人のロストナンバーは、再び<塔>の前に立った。

 「じゃ、行くわね」
 振り返りもせずに片手を上げ、常盤が<塔>の真下に向かう。まずは「若い女」で、相手の警戒を解こうという作戦である。サーヴィランスとジュリアンは、それぞれ少し離れた所から常盤の姿を見守っている。天辺近くに人の姿が見えたが、ちょうど逆光になっていてどんな姿なのかは分からない。
 常盤は<塔>の基礎部分に触れる程近付き、茜色の光を遮るように窓を見上げた。

 高下駄を履いた逞しげな足。
 紫の着物は派手な大柄の花模様で、その上に、ひとつに結んだ金色の髪がなびいている。
 『鴉御前』は、常盤の姿を見つけると、天狗面を頭の上にずらし、さも嬉しげに、思いのほか人懐っこい笑顔を見せた。年の頃なら三十代半ば、見様によっては二十そこそこにも見える、何とも捉えどころのない男の天真爛漫な笑みに、常盤までがつられて笑いそうになる。
 (いきなりボコって連れていくのが手っ取り早いと思ってたけど、話が通じない相手でも無いみたい。とりあえずは、話を聞いてみましょうか。)
 常盤は、今度は丁寧に笑顔を作って、大声で叫んだ。
 「ねえ、そこの人! あなた、やってきた人を片っ端からブチのめしてるって話じゃない。なんでそんな事をするの?」
 『鴉御前』が目を見開く。
 「……驚いた。言葉が通じんのか」
 「通じるわ。ところで、ここじゃ話しづらいから、下に降りて話さない?」
 常盤の提案に『鴉御前』はひとつ瞬きをすると、「さあ、そいつァどうかなあ」と曖昧に笑った。
 「あんまり私を怒らせないでね? ナメた真似すると怪我するわよ」凄みを利かせた声に、男は口笛を吹き、「気の強ェ女は好きだ」と嘯く。
 「オイラだって可愛い嬢ちゃんの傍に行きてェさ。だが、モテる男は困るねェ、この<塔>の主が離してくれねえんだ」
 「へ!? じょ、冗談はやめてよ! そんな事言ったってなんにも出ないわよ!?」
 大人びた見かけによらず、純真な、少女らしいところのある常盤は照れて慌てふためき、次いで、ハッと我に返って聞いた。「主って?」


 (やや押され気味のようにも見えるが。)
 (危険は無さそうだ。もうしばらく様子を見るか。)
 離れたところでサーヴィランスとジュリアンの二人は同時に同じようなことを考え、事の成り行きを見守る。


 ここの家主だよ、と『鴉御前』はちょうど窓枠に当たる鉄材に肘を付いてのんびりとくつろぐ体勢を作り、「ところで嬢ちゃん、アンタ名前は?」と話題を変えた。
 「『嬢ちゃん』ってのは止めて欲しいわ。そういえば、名乗るのが遅れたわね。私は常盤。墓守をしてるの。……あなたは? 『鴉御前』ってのは芸名なんでしょ?」
 「へェ、その名は知ってたのかい。常盤。ますますアンタの正体が知りたくなったな。オイラの名か。親も家も無ェドサ回りの人生だ、名前だって無ェような身の上だが、仲間はオイラを『キラン』と呼んでいた」
 「キラン、っていうの」口の中で確かめるように言うと、次の瞬間、窓の向こうの気配がガラリと変わったのに気付き、常盤は素早く仲間に合図を送った。
 「……誰かいるわ!」

 同時に物凄い勢いで飛んで来る何かが目に入り、常盤が顔を背けると、すれすれのところを通過した物体が常盤の髪を数本、切り裂いていった。
 「やめろ!!」キランが窓の奥へ向かって叫ぶ。
 「女に手ェだすのか。約束が違うんじゃねェか?」
 異変に気付いたサーヴィランスが常盤を庇うように立ち、ジュリアンは念動力を使ってキランの足に絡み付いた鎖をすくい上げ転倒させた。
 「待って! 捕われてるんだわ!」
 「畜生め、何しやがる! んな簡単にはずせるもんだったら、テメエではずしてらあ!」
 罵声を飛ばすキランに、「それは失敬」と悪びれもせずに答え、ジュリアンは軽々と不安定な<塔>を登っていく。
 「何か見えるか?」サーヴィランスが<塔>から目を離さぬまま聞くと、常盤は真紅の眼を見開き、武者ぶるいして言った。「ええ。うじゃうじゃいるわ。数えきれないくらい。ここは、『墓場』なんだわ」

 驚異的な身体能力と、念動力を組み合わせ、ジュリアンは瞬く間に塔の天辺へと上り詰めた。
 「初めまして、キラン。僕はジュリアン・H・コラルヴェント。君の状況を説明しに来た」息ひとつ乱さずに言い、右手を差し出す。

 こんな人間、今までに見たことも無ェ。

 キランは唖然としてジュリアンを見つめ、慌てて言った。
 「はやく降りろ! 頭っから落ちたらタダじゃ済まねェ!」
 「君と一緒でなければ降りない」
 「!?」
 ジュリアンは、ジュリアンなりに上手い説得の方法を考えていた。自分の覚醒時のことを思い浮かべもしたが、その時はいろいろ投げやりになっていて、参考になるような気もしなかった。
 覚えているのは、説明に来た人間の率直さだけだ。
 だから、自分もそうするしかなかった。
 与えられた仕事を完遂するために。

 次々と飛んでくる釘や、鋭い刃や、鉄材や、あらゆる物体を避け、時に避けきれず体中を傷だらけにしながら、ジュリアンは集中して念動力を発動させ、キランの足に絡み付いた鎖を断ち切ろうとする。窓枠に足を掛けて身体を支え、歯を食いしばり、鎖の中程までを切ったところで、大きな揺れに、バランスを崩した。軽く舌打ちをする。
 呆然とジュリアンの手を凝視していたキランは、異変を察知すると、足首の鎖に引きずられ、天井から逆さまに吊るされながら、ジュリアンを窓の外側へと突き飛ばした。
 「……何をする!」
 「さっきのお返しだよッ」
 見る間に<塔>を構成していた鉄屑が崩れ、新たに組み直されていく。<塔>はこれまでより倍ほども高くなり、窓のように開いていた部分も少しずつ、閉ざされていった。
 僅かに開いた隙間から届くよう、常盤とサーヴィランスが叫ぶ。 
 「キラン、あと少し、待ってるのよ!」
 「必ず助けに行く!」
 「オメエら一体ェ何者なんだよ! どうして……」
 キランの言葉は、言い終わるよりも前に、闇に吸い込まれて消えた。



三.

 インヤンガイには、『暴霊』と呼ばれるものが存在する。
制御できなくなった霊力が暴走し、動物や、人間や、それらの死体、あらゆるものに取り着き『災厄』を齎す。
 工場で起こった事故は、それら『暴霊』による災厄が原因とされた。これらの『災厄』は天災と同じで、以降の対策や復旧の為の施策を除き、原因の究明や責任の追及といったことは行われてこなかった。それが当然とされていたのだ。

 事故について出来るだけ詳しい資料を集めようとしたシーイィは、その中で、ある事実を突き止めた。

 「ほとんどの記録は抹消されてる。忘れられたなんてもんじゃない。意図的に消されてるんだ。事故の痕跡はこの街のどこにも残ってない」
 腕利きの情報屋を使ってさえ、有用な情報を得ることは出来なかった。ただひとつ――消すことが出来なかったのは、住人達の記憶だけだ。
 シーイィは、当時病院に勤めていたという老婆を探し当てた。

 「ところで、さっきから気になってたんだけどさ。<塔>の形、変わってね?」
 「……気にしないで」
 「詳しくはあとで話す」
 「で? その老婆は何と?」
 サーヴィランスに続きを促され、まあいいけどさ、と、シーイィは言葉を継ぐ。「事故は大層酷いもんだったらしい。ほとんどの従業員が即死だったそうだ。その中で、責任者だった男がたまたま大型機械の隙間で生き延びたんだな。それでも長くは保たなかった。彼は死に際に言ったそうだ」

 ――巻き込んでしまって済まない。みなを助けられなかった自分のことはどうなっても構わないが、どうか、娘だけは…… たった一人で私の帰りを待っている娘のことだけは、面倒を見てやって欲しい――

 「その娘の名ってのが」
 「『キラン』、か」
 「へ? 何故それを?」サーヴィランスの言葉に、シーイィが首を傾げた。

 びゅう、と突風が吹く。名前に反応して、<塔>がざわめいたのだ。

 「わ、わ、なんだよ!」慌てた探偵がサーヴィランスのマントの影に隠れようとするのを、寡黙なヴィジランテ(自警団員)は、無情にも身体をかわして避け、探偵の恨めしげな顔を一瞥すると、これまでの出来事と、そこから導かれた推測を話して聞かせた。

 『鴉御前』は本名をキランという。
 工場に憑いた『暴霊』に捉われた彼は、どうやら死者と意思の疎通を図ることが出来るらしく、囚われの身になりながらも死者を宥め、一方で、住人達が<塔>に近付かないよう仕向けた。
 『暴霊』の正体は、工場の責任者とその部下たちであろう。目覚めた切欠は『キラン』という名前だ。『鴉御前』が女性を誘うような態度を見せたのは恐らく、責任者の娘である『キラン』の無事を確かめるためではなかったろうか。

 「で? なんで<塔>は高くなってんだ?」
 「それは、僕たちが怒らせたせいだろう」
 「で? あんた達はこれからどうする気?」
 「『鴉御前』を助けだすのよ」
 「どうやって」
 「……力ずくで」

 最後のサーヴィランスの言葉にシーイィはため息を吐いて言った。
 「とっときの情報を教えてやるよ。この世界で、記録をまるっきり塗り替えちまうってのは並大抵のことじゃない。この件に関わってんのは、『暴霊』だけじゃねえ、強大な力を持った、想像より大きな組織だ。それは、間違いない」
 探偵の言葉に、サーヴィランスは表情を隠すかのようなゴーグルをきらりと光らせて言った。
 「もし私が失敗したとしても、こちらには世界図書館という大きなバックボーンがある」
 「……つまり?」
 「つまり、私は立ち向かうということだ」
 漆黒の男は事も無げに言う。
 「最低でも、『鴉御前』だけは保護して連れ帰る。無論これはただの報告で、君たちの行動に対する提案では無く、況してや指示をするつもりも無い」
 「そう、じゃ、私も報告しようかしら? <塔>に登らせていただくわ。一度始めた仕事は最後まできちんと片づけないと気が済まないの」
 ほっそりと頼りなげな少女の姿に強い意思を宿し、可憐な笑みを浮かべる常盤に、ジュリアンは思わず遠い面影を重ね、「僕も行く」と、いっそ幼げな口調で言った。

 思わぬ展開に慌てたのはシーイィである。
 「OK、わかった! 一度落ち着こ?」
 「何よその口調は。気持ち悪い」
 揉めごとを仲裁しようとする女子高生(コドモっぽいけどアネゴ肌)のような台詞に、常盤が顔をしかめた。
 「私たちに何かあったら、図書館に連絡頼むわよ」
 「知らねえよ! しねえよ連絡なんか! っていうか無茶すんな!」シーイィが言い募る。
 「俺はね、あんた達が手を出す相手じゃないヨ?って言いたくて、今の話したの。分かる? 俺は最初っから、化け物がいるって、知ってた! 事故の所為でそういうことになるんだ。ここだけじゃねえ。そんなトコは他にもある。近付かなきゃあいいんだよ。あの、お面の野郎もそうだったんだろ? あいつぁ運悪く閉じ込められっちまったが、周りのやつを巻き込むまいと踏ん張ってたんだから、本望じゃねえか」
 「無茶はしない」サーヴィランスが装備を整えながら言った。
 「どちらにしても捨て置くわけにはいかんのだ。だが探偵、君の心遣いには感謝する」
 「うるせえ! 好きにしろ!」
 サーヴィランスは、仮面の下で、笑った。



 彼らがひとたび足を掛ければ、あとはあっという間だった。
 先程も華麗な登攀術を見せたジュリアンだったが、サーヴィランスも負けず劣らず、その体重を感じさせないほどに器用な身のこなしで<塔>を登り切る。彼は持参した鉤付きのワイヤーロープを使い、ジュリアンと二人で天辺まで常盤を引き上げた。
 「ありがとう」常盤は言い、息を吸い込んでから声を張り上げた。

 「あなたの娘、『キラン』は無事よ!!」

 シーイィが直前に入手した、確かな情報だった。
 ぎしぎしと音を立てて軋み、<塔>がざわめく。
 「その男を解放しなさい。これ以上、捕らえておく意味は無い筈。あなたはもう、眠っていいの」墓守が、声のトーンを落とし、慰めるように囁く。
 次の瞬間、張り詰めていた緊張が一気に解けるように、がこん、と大きな音が響き、<塔>が傾き始めた。
 「いけない」ジュリアンがロープを掴み、常盤を素早く下へ降ろす。サーヴィランスは、無言で、崩れ掛けた隙間から<塔>の中へと飛び込んで行った。
 「サーヴィランス!!」
 常盤が悲鳴を上げる。
 地面へと降り立つ間にも<塔>はガラガラと音を立てて崩壊し、工場の跡地は、瓦礫の山に埋もれた。
 辺りが不気味に静まり返る。
 ジュリアンに常盤、傍で見ていたシーイィは、息をすることすら忘れて呆然と立ち尽くした。
 と、瓦礫の下から呻き声が聞こえ、三人は必死に鉄屑を掻き分け、持ち上げて、ついにふたりの居場所を探し当てた。サーヴィランスのマントはぼろぼろに破れ、所々に黒光りのするボディアーマーが覗いている。大きな身体の下にはキランが、丸くなって倒れていた。その足首に、絡まっていた鎖は見えない。
 <塔>は『キラン』を解放したのだった。
 ふたりの無事を確認し、常盤が歓声を上げた。

 三人がキランに事情を説明し、揃ってロストレイルに乗り込むのは、もう少し後のことになる。


 「ねえ、あなたどうして『鴉御前』っていうの?」
 「オイラは墓場で生まれたんだ。オイラの親は墓場に群れる鴉だ。だからカラス天狗の面を被って、鴉を名乗ってンのさ」
 「そう。じゃあ、キランって名前は?」
 「そっちは秘密だ。嬢ちゃ――じゃねェや、常盤。あんたの名は?」
 「もちろん、ヒミツよ!」

 飽かず楽しげに語り合う二人の姿をサーヴィランスとジュリアンが見守り、その背中を、沈みかけたティエンライの太陽が照らしていた。







クリエイターコメントおかえりなさい!
ギリギリのお届けになってしまい、申し訳ありませんでした。
ティエンライの旅、いかがでしたでしょうか。

みなさまの的確かつバランス感覚に優れたプレイングによりまして、『鴉御前』ことキランは無事ターミナルに到着した模様です。どうもありがとうございました!
ご参加下さいましたみなさまに、少しでもお楽しみいただけましたら幸いです。

今回、随所にモヤッとした部分が残っているかと思いますが、今後インヤンガイのシナリオを出していく中で、それらの部分も少しずつ解き明かされて…いけばいいなあと……、ぼんやり、考えております。ご縁がありましたら、またどうぞ、よろしくお願いいたします。

それではまたいつか、お会いできます日まで。
公開日時2010-03-06(土) 12:50

 

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