窓の外はどこまでもつづく虚無の空間「ディラックの空」。 ロストレイルは今日も幾多の世界群の間を走行している。 世界司書が指ししめす予言にもとづき、今日はヴォロス、明日はブルーインブルー……。大勢のコンダクターが暮らす壱番世界には定期便も運行される。冒険旅行の依頼がなくとも、私費で旅するものもいるようだ。「本日は、ロストレイルにご乗車いただき、ありがとうございます」 車内販売のワゴンが通路を行く。 乗り合わせた乗客たちは、しばしの旅の時間を、思い思いの方法で過ごしているようだった。●ご案内このソロシナリオでは「ロストレイル車中の場面」が描写されます。便宜上、0世界のシナリオとなっていますが、舞台はディラックの空を走行中のロストレイル車内です。冒険旅行の行き帰りなど、走行中のロストレイル内のワンシーンをお楽しみ下さい。このソロシナリオに参加する方は、プレイングで、・ロストレイル車内でどんなふうに過ごすかなどを書いて下さい。どこへ行く途中・行った帰りなのか、考えてみるのもいいかもしれません。!注意!このソロシナリオでは、ディラックの落とし子に遭遇するなど、ロストレイルの走行に支障をきたすような特殊な事件は起こりません。
窓の外にはディラックの海が流れて行く。ユーウォンは、移動しているはずなのに変わり映えのしない景色に飽きていた。 翼を折りたたみ、首を縮めた姿は服を着た赤い玉に見えるかもしれない。どう見えても関係はない。今日のロストレイルは、ユーウォンの貸し切りである。 ロストレイルには幾度も乗車していたが、今日は特別退屈だ。 がらんとした座席の一つに、まるで精巧な置物のように座ったまま窓の外を眺めていたが、さすがに飽きてしまった。 ちょっとしたお使いの帰りだった。ちょっとした用事にも、世界間の移動はロストレイルに乗らなければならない。不便なことだと思いはしても、ロストナンバーとなる以前から長命な種族であるユーウォンは、生き急ぐこととは無縁だった。 ただ環境を楽しむことが何より大事であり、その意味では壱番世界の僧侶並に達観しているともいえる。 そんなユーウォンにとって、現状何の刺激もないというのは退屈なのだ。 トラベルギアでもある肩掛けカバンを開けて見る。顔を突っ込んでみると、見た目とは違って実に広い。見ていて飽きないほど面白い。しかし飽きた。 他にも誰か乗っているかもしれない。 不意にそう思った。 カバンの中から首を引き抜いた。 どうせ暇なのだ。車内を隅から隅まで見て回ったことはない。良い機会だ。 ユーウォンは翼を使い、座席からふわりと降り立った。 いつも使用している座席の列を抜け、客車を移動していくと、コンパートメントで仕切られた個室ばかりの客車があった。ここなら、だいぶゆっくりできそうだ。 ――でも、こんな所にいたら、よけい退屈しそうだな。 きっと誰も使わないだろう。ユーウォンは勝手に納得した。ただでさえ出身世界から切り離されたロストナンバーが、現状以上に孤独を求めるのは滑稽だ。ユーウォンの理解ではそうなる。使用する者を否定するつもりもない。ただの興味本位で、一つ一つ覗いて回る。 やっぱり誰もいない。 さらに客車を移動すると、様々な世界の地図や宇宙の座標を標した図面が飾ってある部屋があった。 大がかりな作戦の際にはここを利用するのだ。ユーウォンも観客の一人のような立場で参加したことがあった。 世界司書がふんぞり返って作戦を語った姿を思い出した。 ユーウォンは世界司書が以前定位置とした場所に移動し、世界司書の口調を真似ながらあちこちの図面を突いてみた。 まあ、一人ではあまり楽しくも無い。一応カメラを取り出し、指揮棒を振り回す姿を撮影しておいた。 意味は無い。 さらに食堂車に移動しようとした時、客車と客車の間で、サービスワゴンに寄りかかって眠る添乗員の姿を見かけた。 同じように暇な仲間を見つけたのはいいが、眠っているのを起こすのは可哀想だ。ユーウォンはそっとしておく事にした。 添乗員の側を静かに通り過ぎ、次の客車を楽しみにしていた時、窓の外に人の顔らしきものが見えたような気がした。 立ち止り、長い首を窓に向ける。大きな瞳をしばたかせる。 窓の外には、ディラックの海が延々と続いている。実際にはどれほど広いのか想像もつかない。想像してみても無駄なことはわかっているので、ユーウォンは想像したいとも思わない。 そのディラックの海を走るロストレイルの窓に、人の顔が見えることなどがあり得るだろうか。 不思議に思い、ユーウォンは首をにゅっと近付けてみた。 これから向かおうとした客車から物音が聞こえた。 誰かに聞いてみよう。ひょっとしたら、他にも見た人がいるかもしれない。そう思い、ユーウォンは不思議に思いながらも首の向きを客車のほうに向けた。 人の顔が、客車へ続く扉の窓に浮き上がって見えた。 ちょっと不自然な感じがした。ロストナンバーの中にはどんな人種がいてもおかしくない。変わった人なら、友達になれば退屈しなくてもすみそうだ。 ユーウォンは翼を軽くはばたかせ、揚力を得ながら床を蹴った。 扉に辿り着く。 誰もいない。 ――あれっ? 影に隠れているのかもしれない。扉を開けてみた。 続く客車は、ユーウォンが乗ってきたのとほぼ同じ形状だった。向かいあって座るタイプの座席がいくつか並んだ、あまりにも見なれた客車だった。 誰かいるのだろうか。 ユーウォンは声をかけながら、ふわりと浮きあがりながら人影を探した。 座席の下を探した。 見つからない。 腕を組んだ。長い首を曲げた。その時だった。 座席の下が、小さく光ったような気がした。 首を伸ばし、覗きこむ。 小さな男の子がいた。 手を振っている。 とても小さな男の子だ。 壱番世界出身のコンダクター達の手のひらにも乗れそうだ。ユーウォンなら、鼻先に乗せることもできるだろう。 声をかけてみた。 男の子は話さなかった。男の子からしたら巨体をもったユーウォンに怯えた様子も無く、舌を出して見せた。お尻をむけ、自分の手で叩いた。 遊んで欲しいに違いない。 行為の意味を理解できなかったユーウォンは、男の子の意図を自分なりに解釈した。 小さな男の子を傷つけないよう、鼻先をずいと近付け、鼻に乗るように言おうとしたところ、男の子はかき消えてしまった。 ――どこに行ったのだろう? ユーウォンは首を傾げた。座席の下から首を引きぬく。 添乗員が傍らに立ち、楽しそうに笑っていた。 「そこに、小さな男の子がいたんだけど、おねぇさん見なかったかい?」 「もうじき到着の時間です。降車の準備をお願いします」 「うん。そうか。わかったよ。だけど、あの男の子はどうなるんだろう?」 さらに添乗員は楽しそうに言った。 「お買い上げになりますか?」 添乗員は小さな電燈のような道具を見せた。スイッチを入れると、男の子の姿が床でも壁でも浮かびあがり、決まった動作を繰り返すようだ。 どうやら、あの男の子は添乗員のいたずらだったらしい。 「ううん。いいや。その代わり、また遊ぼうねって伝えておいて」 ロストレイルが停車する。ユーウォンの荷物はカバンに全て詰めてあるので、準備をすることもない。ユーウォンが添乗員に笑いかけると、添乗員は少し困ったような表情を浮かべた後、深く頭を下げた。 おかげで退屈せずに済んだ。ユーウォンは、添乗員の心遣いに感謝しながらロストレイルを後にした。 了
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