オープニング

「ヴォロスの一地方、アルヴァク地方の西部に位置する深い森林の奥に、かつて栄華を誇った伯爵の城があります」
 その城に住んでいた者の名は、クリューエル伯。
「彼ら一族が支配していたその一帯は、森が切り開かれ、伯爵をはじめとする一族郎党合わせて数百の人が暮らしていたようです――あくまでも、そう伝承に伝わっているだけ、のようですが」
 しかし、と獣人の世界司書アインは目前の二人を見やって続ける。
「既に現地において百数十年も前の話になりますが、一夜にしてその城は滅ぼされました。森を切り開き、無から街を作り出そうとし、森にすむ先住の者等を狩ろうという彼らの動きに反発したエルフの民が森林の外の国、シュラク公国と連合し攻めたてたためであるようです」
 あるいは、脅威をおぼえたシュラク公国が主体なのかもしれませんが、とアインは補足した。
「ふむ、まぁ比較的よく聞くような話ではあるのう」
 ネモ伯爵の端的な感想に、アインもそうですね、と頷く。
「諸事情により、お二人にはこの城を訪れてほしいのです――彼の城は、城主一族が滅ぼされて後に誰かが入城することもなく、森の深奥であるがままに放置されました。であるのに、一向に森に飲まれていないのです」
 普通、人の手が入らない人工物が森のような環境に放置されれば、数十年もあれば崩壊の途を辿るところであるはずなのに、それがないということだ。
「なるほど、それは確かに奇妙であるな。だが彼の世界であれば、竜刻による不可思議等はいくらでもあろう。しかるに、我々を指名するのはいかなる理由によるものであろうか」
 魔王、と名乗る異形の壮年が、己よりも遥かに小さなアインをぎろり、と見下ろし、そう尋ねた。
「お二人だからこそ、です。お二人であれば、滅びた一族の気配を感じることもできようかと、或いは城になんらかの仕掛けや、竜刻の作用があることを感じることができるかもしれないと思いましたので。幸いなことに、預言書には竜刻の暴走等を示す記述は一切でていません。まぁ、半分は物見遊山というところで赴いていただいて、実状を見分し報告していただければ、と言う次第です」
 預言書を小脇に抱え、つぶらな瞳でそういうアインの言葉に、ネモ伯爵と魔王は互いに顔を見合わせると、やってやろうかの、と応じてきた。
「ありがとう――こちらがチケットになります。あ、そうそう、この城や、周辺を支配していた伯爵の一族ですが……記録によると一般に吸血鬼とよばれるような種族であったということです。お二人を指名したのは、つまりはそういうことで」
 アインはチケットを渡しながらさらりとそう告げると、「では次の旅の案内をせねばなりませんので」と言いおき、さっさと立ち去っていくのだった。





 鬱蒼とした森の中、燃やされた跡なのか、城壁のところどころが黒く染まる城が其処に在る。
 城内の広い内庭にはいくつもの木々が植えられていた跡があり、その中でただ一本、焼け残ったものらしき巨木が天に向かって枝を伸ばしていた。
 その枝に降り注ぐのは、かつてのこの地の栄華を思わせるような眩い月の光。
 夜にのみ花が咲くその木が月光に照らされて輝く様は、闇を支配する一族が、月下花宴を愉しんでいた事を思わせるような光景だった。
 いくつかの聳え立つ尖塔は窓が打ち付けられたままのもの、開かれたまま風雨の侵入を許すもの等様々であり、かつて華々しかったであろう大広間を持つ中心部には今や人影がない。
 エルフ達の安息の地である森が抱く、壮大かつ異質な遺物は、今もなおその地にて厳然と立ち続けている。
 その城の奥の間、クリューエル伯が起居していた部屋から抜ける風が、城の中を吹き渡る。
 風の哭く声が、伯の肖像画が飾られた広間に響き、尖塔の階段を昇り、或いは地下へと潜り込んでいく。
 荒れ果てて久しい城は、それでもなお変わらぬ月の光を受けながら、その威容を保ち続けている。
 百数十年の間、主の死を悼み続けてでもいるかのように、城はまだ息吹を保ち続けていた。


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!注意!
企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。

この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。

<参加予定者>
ネモ伯爵(cuft5882)
魔王(cfdr1663)
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品目企画シナリオ 管理番号1721
クリエイター蒼李月(wyvh4931)
クリエイターコメントこんばんは、あるいはこんにちは。
そしてお二人の参加者様はお初となります。
企画シナリオ、ご提案ありがとうございました。

 ヴォロスで滅びた城、はははそんな美味しいネタに食いつかないはずはないじゃないかとばかりに余裕も薄い中ではありますが引き受けさせていただければと思いました次第でございます。
 ちょこちょこ提供しているアルヴァク地方シリーズの一遍としてお届けさせていただきますが、シナリオの趣旨でありますところは、「故郷を偲ぶ」でございます。
 竜刻の暴走もなければモンスターが暴れることもなく、城の持ち主だった吸血鬼さん達が現れることも大かたないと思われます。
 プレイング内で希望があれば、その限りではありません。


 あと、ちょっと今月来月の余裕の有無が若干怪しいところがございまして、製作日数を保険のために一杯にとらせていただきました。
 必ずしも期間いっぱいになるとは限りませんが、間違うと期間ぎりぎりまでお待たせすることがあろうと思います。申し訳ありませんがご了承いただけましたら幸いです。

 それでは、ヴォロスにて、己の故郷を憶う旅、ご参加お待ちしております。

参加者
ネモ伯爵(cuft5882)ツーリスト 男 5歳 吸血鬼
魔王(cfdr1663)ツーリスト 男 100歳 魔王(世襲制)

ノベル

 そこはアルヴァク地方西方の森林。
 エルフ達の集落が点在し、その王が住む区域よりも森の奥へと踏み入った辺りに、その城は在った。
 ようやく空を半分ほど登り終えた月と、満天の星空が照らすその奥津城は、静寂に支配され、キンと冷えた冬の空気をより一層硬いものとしているように見える。
 その城の中庭に、今下り立つ影が二つ。
 うちの一つは美髯を蓄えた壮年の男性の上半身を持ち、黒き大蛇の半身をうねらせる者。逞しき角に月光を反射させながら、その異形は身をかがめ、横にいた少年に囁く。
「これ程に静かでは、鱗の擦れる音もやや不気味であるな」
「……お主は本当に残念じゃの」
「な、何を言う。これはこの緊張感を和らげようというものであって――」
「まぁよい、行こうではないか魔王殿。斯様に滅びた一族の奥津城、ワシには他人事とは思えぬでな」
 周囲を見渡し小さな歩幅で歩き始めた愛くるしい容貌の少年の声色には、その見かけの年に似合わぬ風合いが聞いて取れる。
 一言に、万の経験を載せて語る事に慣れた者の声だった。
「うむ。しかしネモ伯爵よ。彼の世界に慣れた今となっては、こうして月明かりの下を歩くのも久しぶりであるな。このような城が森にあるとは――廃墟になっていることを除いても、景色へのこの馴染み方、余程に長い間ここにあったという証拠かの」
 当人が言うほどの音もたてず、静かに移動し始めた魔王の横をネモもついて歩き出す。
「全く。それでいて不自然なまでに健在な城であることじゃな――おお、あれが件の一本ではないか?」
 二人が目にしたのは、黒く焼け焦げた跡を持つ幹。
 しかしその生命力の強さからか、その焦げた部分より上、枝葉に至る部分は生き生きとした樹皮を見せ、硬く白い莟があちらこちらに下がっていた。
「この木だけこれほど生命力に満ち満ちておるなど、まるでこの木が竜刻で、この城を支えでもしているようではないか――ふむ、しかし今日の所は見分であるからして、魔王殿。どうじゃ、まずはあそこに見える尖塔に上ってみるというのは。今宵は良い月夜じゃ。きっと見晴らしが良いぞい。塔から見通す月下の森はまこと神秘的で雅趣に溢れておろう」
 そう提案したネモ。彼は、そうであるな、と頷く魔王を先導するかのように、広くとられた内庭を塔に向かって歩き出す。
 が、当の魔王はといえば生返事を返したにすぎなかったようで、ネモが方向を変えたことに気づかず、庭の作りや城のつくりに見入る等して明後日の方向へと進み続けていた。
「見事な城壁に、造りの丁寧なこの庭園。こうしてみればみるほど、我輩の城とは異なるというのに不思議なものであるな。どうにも生まれ育った城が思い出されてならぬ――ネモ伯爵よ、そうは思わぬか? ……ネモ伯爵? ネモ伯爵!?」
 不意に側にいると思い込んでいた少年がいないことに気づいた魔王は、あわてて周囲を見渡す。
「おぉい、何をしておるか。魔王殿、ここじゃぞ」
 ついてきていない事に気づいたネモが、尖塔の入り口で魔王へ呼びかけてくる。
「なんと、ネモ伯爵。まったく落ち着きのない事であるな。これでは我からはぐれてしまうではないか――うむ、別に向こうに進むことにやぶさかではないからな……今追いつくところであるからして、待っておるのだぞ!」



「時に魔王殿、おぬし故郷に家族がおるのだったな」
 尖塔内部で螺旋を描く階段を一段一段と昇りながら、ネモが背後の魔王へと声をかける。
 同意の声に頷くと、ネモは前方に視線を向けたまま、再び口を開いた。
「ワシも若い頃は一族郎党を率い人間と戦った。その過程で妻子を亡くし、世界に絶望した事もある」
 語る声は、幼い少年特有の高めの声に似つかわしくない平坦な口調。
 心の奥にしまわれたままの思いを、少しずつ、少しずつ取り出しながら語りつづける。
「じゃがそのワシにも、今は多くの子や孫がおる。いずれも独立し世界中に散らばり、今なお新たな血族を増やし続けておろう。ワシはといえば、今では悠々自適隠居の身じゃ。孫の世代ともなれば、人間に溶け込んで穏やかに暮らしておる――」
 歩みを止めぬまま語りつづける彼の言葉を、魔王は邪魔することなく聞き続けていた。
 少年の声のほかは、靴音と、鱗のかすれる音のみく。尖塔内部の空間を渡る音は奇妙に調和し、どこか空虚な和音となって響いていた。
「此処の城主もな、野望など抱かず、家族とただ平和に暮らしておればよかったのじゃ」
 かつての己の城や姿を思い起こさせるこの城の様子に、思わずそんな感想が口をつく。
 個々では圧倒的な技量を持とうとも多数を相手にすれば不利となる。それをわからぬままに驕りを高めたがゆえの結末を見せられているかのようで、懐かしさと苛立ちの同居する奇妙な感覚が胸に湧いていた。
「家族――我輩にも妹と、家族のようである家臣らがいたものである」
 無言となって歩み続けるネモの背中に語りかけるでもなく、魔王がぽつりと口を開いた。
「だが、我輩が勇者に敗れ覚醒したのは城から遠き地であった。我が家や、家族、家臣らが我輩が敗れた後にどうなったのか。残してきた者らの安否がわからぬというのは歯がゆい事である。しかし、零世界に来てわかったこともある。それは、同じ境遇の者は数多と居るのだ、ということであったよ」
 「そうか」、とネモは応じる。
 後ろをついてくる大きな背丈の童のような者の言葉に含まれた郷愁や望郷の念、そして家族を思う心の有り様に、言うべき言葉を探すも、ネモにしてなお、大して目新しい言葉を思いつくものではなかった。
「お主も、難儀な運命の中にあったものじゃの」
「何、それはお互いさまである――おお、ようやく頂上か」
 尖塔の頂に至る階段を昇り切り扉を潜ると、ヴォロスの雄大な光景がそこには広がっていた。
 光の無い森林が月の光を吸い込むように闇を形成している。風にさざめく木々の揺らぎは、湖畔を静かな波が渡りゆく様を思い起こさせた。
 湖畔に映る星の影のように、ぽつぽつと、森の中にはささやかな火の光が揺らめいて見える。エルフの集落か、あるいは森で狩りをする者の火か。
 ネモや魔王等のように夜目の利く者にしかみえぬほどはるかに遠くの方であるが、いくつかの尖塔も見えた。おそらくは、近隣で最も大きな国家であるシュラク公国の城であろうかと思われた。
「まるで――」
「まるで『我が家』のようである」
 思わずもれそうになった呟きを、魔王の独白を耳にして引き取る。
「我が家、とな?」
「そうだ。壁の色ひとつ取ってもまったく違うというのに、こうして思い出すというのは不思議なものである。ネモ伯爵よ、そうは思わないか?」
 眼下の森、月の光に照らされながらも夜の闇に色濃く塗り込められた城。
 闇の中に浮かび上がるその陰影を見やる魔王の横顔に現れる感情はない。ただ、彼は静かに語り続けていく。
「我が城は、それは美しい黒い石壁であった。おそらくは我ら魔王としての威厳を知らしめるためのものだったのだろうな。だがどれほどに威圧的な有り様であろうとも、あの城は我輩にとっては、家族――そして数多の家臣との思い出が詰まった、そう、単なる『我が家』であったよ」
 我が家、とネモが口の中でつぶやき、視線を魔王から眼下に広がる景色へと戻した。
「のうネモ伯爵。ここに住んでいた吸血鬼達にとっては、この城はどうだったのだろうかな。一人くらいは、ここを我が家と捉えていた者が居たのだろうか」
 視線を外したネモを追うかのように、魔王はネモへと顔を向けてきた。
 その目に宿る光が、その厳めしい容貌に不似合な純真なそれであるように思えて、ネモは思わず笑みを漏らしてしまう。
「お主らしいな、城をそのように捉えるとは」
 くつくつとこぼされた笑みを納め、ネモは魔王に身体を向き直らせて、目を合わせる。
「じゃがその心地、わかる気がするぞい」
 そう言うと、ここにはもう用はないとばかりにその身を翻す。
「行こうぞ、魔王殿。広間にて、この城の主に謁見するといたそう。例え肖像画しか残っておらぬとしても、正式に挨拶もしておかねばならんじゃろうて」
 言い置き、扉を潜る少年の背を魔王は追う。
 故に、彼らは外の風景の変化に気づくことはなかった。
 闇から染み出るようにしてあらわれた、複数の人影。
 城壁の上に姿を現したそれらの影は身軽な様子で内庭へおりると、その影を、聳え立つ巨木の下へと歩んでいっていた。



 かつては多くの客人を迎え賑わったであろう大広間。その奥の壁には、この城を支配していたであろう一族の肖像画や、進軍する軍を指揮する将軍としての様子等の肖像が数多飾られていた。
 風雨が渡っていた様子があるのに、それらの絵は色あせることなく内壁の壁に存在し続けている。
「留守であるところに邪魔をする。今しばらく邸内を散策させていただきたいので、よろしく頼むのじゃ」
 そうネモ伯爵が一礼するのを見て、魔王も軽く礼を肖像画に向かって行う。顔を上げて再びいくつもの絵に見入る魔王だったが、その正面にある、最後の城主と思しき人物の肖像画がやはり別格の存在感を放っていた。銀色の髪を丁寧に撫でつけ、地面に直立させた錫杖に左手を置く。右手には重厚な書物を抱いて立つ城主の表情は知性と怜悧さに満ちている。
 モノクルの中にある瞳と他方の瞳で色味が違うのが絵師の工夫でなければ、混血か、あるいは特殊な何がしかがあったのであろう。いずれにせよ強烈な意志の光を感じさせる黄金と、全てを包み込むような雄大な心の有り様を感じさせる臙脂色の双眸が印象的だった。整った顔立ちはまだ若く――実年齢が見た目通りかは、種族の特性上不明だったが――髭を生やしていないせいもあろう、学者然とした佇まいと武将としての存在感を同居させる不思議な存在に思える。
「この絵は見事じゃの」
 絵を見上げたまま、魔王へと告げてきた。
「うむ、まったくである。ここまで描ききる絵師の腕も見事であるが、絵師に対してそれだけの仕事をさせるこの城主の器量とでも言うべきものを、感じさせてくれるものであるな」
「これだけの主が、一夜にして敗戦の憂き目に会う――空しいのぅ」
 ネモ伯爵のぽつりとこぼした言葉が、魔王の耳に不思議と引っかかった。
「何か感じ入るものでもあるのであろうか、ネモ伯爵」
「うむ」
 広間を見渡し、数多の肖像画を見やった少年の姿をした吸血鬼が、数度口を開きかけて、後に魔王へと向き直る。
「まぁここでこのまま話すのもなんじゃ、サロン等があるじゃろう、そこまで行こうではないか」
 肩をすくめて見上げてくるネモ伯爵に頷きを返す。「まぁ、おそらくはこの方向じゃろうよ」と笑いながら指し示す彼の横顔に、自分と同じ郷愁の念か、それに近しいものを感じただその後をついていく。広間をでていくつかの部屋を渡り歩く中で、魔王の視界の端に、一枚の絵が映った。
 一家全員がサロンと思しき場所で集合している絵が、そこに往事の様相のままで存在している。
 親しい客人をもてなす場であろうサロンは、その絵のある奥に位置していた。
 燭台をおく作り付けの金具に持っていた蝋燭をおいていくことで、部屋全体の明かりをつけていく。
 そこには色とりどりの家具がすえつけられ、様々な椅子や遊技台が置かれていた。
 内庭に面していると思しき窓は観音開きとなっており、ネモ伯爵がその扉を開くと、素直に開いた。
 そこに長年放置されていた様子はまるでない。窓の滑りも潤滑油が欠かされず、日々数多の侍女により掃除や手入れを受けているかのようである。
「おお、見よ魔王殿。件の木が花開いていくようじゃぞ。さては月下においてのみ咲く花なのやもしれぬな」
「むむ、確かであるな。我輩達が横を過ぎたときにはまだ莟のままであったが、見事なものだ」
 二人で外の光景を見る中、窓枠に肘を預け頬杖をついていたネモ伯爵が不意に口を開いた。
「魔王殿も似たような事を話しておったがな、ワシも同じじゃ。この城はどこかワシの居城に似ておる。最初の妻と子の為に築城した湖畔の城――先祖の魂が眠る霊廟にして一族の墓標」
 語る少年を見下ろす魔王の視界には、少年の頭頂部しか見えずその表情がどうなっているのかはわからない。
「湖面に映る月。時候毎に開かれた晩餐会――懐かしいものじゃ」
 開かれた窓から見える夜天には、故郷と変わらぬ月が輝いている。
 ネモ伯爵の視線に誘われるように空を見上げた魔王の瞳にも、その光は等しく届く。先ほどの広間に飾られた家族の肖像が思い起こされた。故郷に残した者達もまた、この光をその身に無事に浴びることができているのだろうか。
「情けないことであるが、郷愁に駆られてしまうものだ、な」
 呟く魔王を見上げ、ネモ伯爵はにやり、と微笑む。
「こんな麗しい月夜は詩の一節を口ずさみたくなるの。壱番世界で著名な、エドガー・アランポーの大鴉などどうじゃ? 気分が出るじゃろう」
 大鴉? と思わず問うた魔王に、ネモ伯爵は囲気たっぷりに詩を歌いあげ応える。
 不気味な韻律だけでなく、何故か実際に扉を敲かれるような、誰かに覗き見られているような奇妙な感覚に丁度とらわれたこともあり、魔王は話題を変えるべく記憶をあさった。
「そ、そうだネモ伯爵! 我輩ココアを持ってきていたのである。どうだ、一息つかぬか」
「はは、すまぬ。お主はでかい図体に見合わず臆病じゃったな――ココアとは嬉しい、頂くのじゃ」
 窓に背を預けたまま、携帯用の器に入れられたココアに舌鼓を打つ少年の姿は、まさに見た目の年齢どおりに見える表情のそれで。
「うむ、うまいぞ――心まで染み入るようじゃわい」
 そういうネモ伯爵の言葉に、魔王もまた厳つい顔の頬を緩める。
「――ふむ、甘い飲料を好む吸血鬼、か。この城に住んでいた吸血鬼がみたら、どんな感想を抱くのだろうな」
 髭に隠れた口元をゆるませ、そう呟く魔王。
「何か言ったか?」と問いかけてくるネモ伯爵に、なんでもないであると返し、窓の外へと目をやった。
 白く冴え冴えとした月光が城壁や尖塔に影を落とし、それでもなお、地上にある幾多の木々や生命に慈愛の光を投げかけている。
 願わくば、今なお彼の地の者らも同じ光を見上げていてほしい――そう、願ってしまう魔王だった。



 時は少し戻り、二人が奥の間へ向かう頃、内庭の巨木の下に二人の男女が姿を現していた。
 一人は端正な顔立ちをした青年。真っ白な髪を丁寧になでつけた彼が作業を終え立ち上がると、傍の女性が声をかけてくる。
「作業は終わりですか?」
 傍らに立つ少女が声をかけてくる。どことなく待ちくたびれた、という口調の彼女だが、実際の表情は半分しかわからない。
 精緻な装飾の仮面を顔の右側に着け、先ほどまで青年に見せていた身軽な動きが不思議な程にひらひらとした服を着ていた。
 朱く彩られた唇は蠱惑的な印象を持たせるが、容貌自体は少女のそれの為、少々ちぐはぐな感じに見える。
「あぁ、下準備はな――手伝ってくれて助かった。この城周辺を支配下に置く竜刻に宿すのだ、私では時が来る前に暴走させる危険性もあったろうから、君がいてくれて助かったよ」
「いえ、私の計画の実行前に今一度この地を見ておきたいと思っていましたから。ドンガッシュにも言いましたが、別に何をしても構いません。が、こちらの計画に支障が出る程の事はご自重ください。最も、すぐに始まる可能性が高い以上そのどさくさに紛れて動く方が賢明かもしれませんね」
「理解している。これは、私の我儘だからな」
 少女の言葉に反駁を行う事なく、静かに同意の意を伝える青年。それでは、と少女は口を開いた。
「私はこれにて研究所へと帰還いたします。あなたはどうされますか?」
「いや、己の足で戻ることにしよう。それに、訪れているらしき客人を少し見ておきたい」
 そういって彼は城の内部へと視線を向ける。内部では広間を抜けたネモと魔王が奥の間へと進んでいる頃合いの事だった。
「世界図書館」
 忌々しげにつぶやく彼女に、青年は苦笑する。
「マスカローゼ、君はいつもそれだ。明白な敵対でかかれば逆手にとられて踏みつぶされる可能性もある。謀略は密やかに、復讐は静謐の中で、後悔は事を成した後で、だ」
 そう言う青年の表情は、どこか遠くをみるもの。
「わかっています――貴方に草花の加護を」
 そう言って姿を消すマスカローゼを見送った青年だったが、サロンであった場所に明かりが灯った事に気づいた。
「あそこからでは見つかるやもしれんな――尖塔にでも上がっておくとしようか」
 部屋の窓が開けられたその時、青年は既に内庭から姿を消していた。
 後に残されたのは、百年以上もの間花を開かせる事のなかった巨木の、今まさに花の盛りを迎えようとする姿のみ。


 ――眠りの時が終わる。この地に根付く謀略の根。
 様々な者の思惑を孕んだそれは森林内部にとどまらず、周囲一帯を巻き込む因果律の端緒となる。
「私は今一度試そう――かつて為せなかった事が、異邦の民であったがゆえか、それともただ、己の無謀によるものであるのか」
 尖塔から見通せる先にある隣国の城郭、さらにはその先の地平を見据え呟かれた声。
 真円の月だけが、変わる事のない光を遍く地へと注ぎ続けていた。

クリエイターコメント お待たせいたしました。
 十六夜に追憶の光降る、お届けさせていただきます。
 本当はもう少したってから出そうとしていたネタでしたがぴったりの企画をいただきましたのをこれ幸いと、一連のシリーズの一部としてご提供させていただきました!
 見た目を裏切るお二人の素敵な設定にわくわくさせていただきながら、やりとりをかかせていただいていました。
 以下個別に少しだけですが。

>ネモ伯爵
 この愛くるしい容貌で既に引退済みとか卑怯! とか思ってしまいました。
 子孫も多く、数多の戦いを乗り越え、傷ついたこともあればつけたこともあるであろう様々な経験の果てにある今、故郷とは全然別の場所にいる現実。
 その中でたまさか受けた依頼で訪れた城をきっかけに湧く望郷の念。
 亡くされた奥様やお子様の事を思い起こさせる湖畔のような外の景色。
 共に訪れた魔王様の率直な意見を受けて、どのように感じているのか。そういったことを表わせたら、と思いつつ書いておりました。叶っておりましたら幸いです。
 あと子孫は訪れませんでしたが別の来訪者がいたようです。彼らは彼らの事情で見つからないように最大限の注意を払っている事、今回のシナリオの内容等を考え、遭遇する事はなかったものとなりました。またいずれかの折に遭遇することができましたら、きっと色々と話すこともあろうかと思えます。

>魔王様

 魔王! 魔王なのにこんな魔王!
 キャラ設定をみた時に思わずなるほどと思わされてしまいました。RPGで勇者を待ち受けるのが魔王の本懐、なるほど、結成したての一味を倒しに来るのは魔王じゃないですよね。でもその慣例をあえて破り、城を出て勇者達に立ち向かっていった当代魔王様は、きっと家族や家臣を巻き込みたくなかったのかしら……とか夢想しながら書かせていただきました。
 プレイングや過去の作品等を眺めていると、世間知らずというよりも純朴な気のいい、でもちょっと気の弱い青年なイメージでございました。容貌詐欺だと褒め言葉が湧いてきます。
 経験年齢としてははるかに年上、されど行動や見かけに少年の部分もあるネモ伯爵。彼と二人での望郷の語り合いの中で、家族を思う魔王様の御心を少しでもお書きできていればと願う次第でございます。

 それではお二方、今回は素敵な企画のご提案ありがとうございました。
 それにのっかる形で当方の一連のシナリオ群のフラグ立てもいくつかさせていただきましたが、プレイングの中で取り入れたら面白そうな部分を組みこんだらこうなってしまいました。
 某青年が訪れる予定って実はなかったのです、とちょっとだけネタばらしでした。
 それではまた、いずれかの機会にお二人のご活躍を記録させていただく機に巡り合えましたら幸甚でございます。
 重ね重ねになりますが、ご参加くださりありがとうございました!

P.S.本シナリオご提供時のイメージは、荒城の月の歌詞でした。大分そこから離れてしまいましたが……
公開日時2012-03-25(日) 20:40

 

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