表通りは昼間のように輝きと騒がしさに満ちているが、そこから少し踏み出せば溺れてしまいそうな静寂な暗黒が広がっていた。 その人気のない、闇と静寂のいりくんだ路地を選んで彼は走っていた。 その背後から敵が迫っていた。 ――くすくすくす 獲物を狩ることが楽しくてたまらないという笑い声が静寂に広がる。 彼の追っ手……漆黒を纏った男と、それに付き従うのは二人の女は余裕たっぷりな動きで闇のなかを進んでゆく。「ジエンダオ、トウファー、いけ」 男の声が命じた。「はぁーい」 「お任せくださいな」 二つの甘い声が答えた。 とたんに、数メートルも先に逃げる彼へと向けて黒い無数の紐のようなものが何かが伸びて、彼の手足に巻きついて捕えた。 体を暴れさせて断ちきろうとするが、まるでワイヤーのようにかたく、手足を拘束されてしまった。そのワイヤーのような紐は己の意思があるように彼をぐるぐるまきにすると、その役目を終えるとぷっつんと切れた。――まるで自在に長さを調節できるように。 空気が震えた。 と、無数の銀色の石礫が彼の肉体を打った。彼の前に間合いをつめた人物が片手をあげると、きらめく大きな二つの刃があった。それが彼を無造作に地面に叩きつけた。「まったく、マスターの手間をかけさせるんじゃないわよ! あんたなんかね、マスターの命令がなきゃ、真っ二つなんだからね」 そう口にしたのは黒いドレスをきたショートカットの少女。「本当に、ちょろちょろと動く鼠のような人ね。きつく結ったから逃げられないでしょう?」 肉体を誇張するボディスーツに身をつつませた長い髪をたらした女性が嘲笑う。 その二人の間からいロープを纏った男が進み出てくると、彼は憎悪を湛えた眼で睨みつけた。「その目をまずはもらおうか」 ――ぐちゃり、っと音をたてて乱暴に、奪われた音がした。「あああああああああああああああああああああああああああああああ!」 彼はちっぽけなプライドを捨てて咆哮をあげ、めちゃくちゃに四肢を暴れさせた。「よくも物のくせに手を煩わせてくれたな。だが、まぁいいお前の片目はよく使えそうだ。さて、その心ノ臓をいただこうか」 彼は血の涙を流しながら、口をぱくぱくとさせる。「……しまった!」 彼の手から放たれたのは一枚の紙。それが黒い人型をとってロープの男を襲う。「マスター! この、身の程知らず!」 少女――ジエンダオが怒りに叫ぶと片手をふりあげた。とたんに空気が震え、銀の鋭い刃が飛び、それに合わせてトウファーの頭から黒く長い槍のようなものも紙を破った。 一瞬の隙をついて、彼は敵の前から消えていた。★ ★ ★ 太陽の光が差し込む探偵事務所に左顔半分を黒い文字を綴った絹を巻いた情報屋がよれたスーツに土埃まみれの薄汚れたひどい有様で苦笑いを浮かべて立っていた。「今回の依頼は、ハオ家の術者から、あるものをとりあげて、破壊してほしいんだ。 ハオ家っていうのは、術師の名家で、彼らは呪いを使って権力者たちに恐れられているやつらなんだ……呪具を作ることにも長けているんだ」 そういうと情報屋はおもむろにブライトンドを閉めたあとにっと笑って、服を脱ぐ。その肉体に刻まれたのは無数の傷跡に、闇の中で青く淡く輝く無数の文字。「ハオ家が作る呪具の素材は生きた人間。長年にかけて、術を体内に刻みつけて、頃合いを見計らって殺して使う……俺はハオ家の飼っている生きた呪具なのさ。 奪ってほしいのは俺の片目。呪具として使用される前に奪い返して、俺の前で破壊することが今回の依頼」 情報屋は衣服を身にまといながら説明を続けた。「今回相手するは、俺の心ノ臓を狙ってるから、俺が囮になれば必ず現れると思う。 相手のことを言えば三人。そのうち一人はハオ家の術者で戦力としてはさして問題じゃない、術なんてものは時間や準備をしなくては使えない。ただこういう術は使ってくる」 そういって情報屋は机から紙を取り出すと、指を噛み切り血で何か紙に書くとふぅと息を吹きかけた。そうすると、全身が真っ黒で、二メートルほどある人型の化物があらわれた。「これは紙で作った【シキガミ】。たいした力はない、軽い打撃なんかですぐに元に戻る、こんな風に」 情報屋はいつの間にか片手にナイフを持つと黒い人型のシキガミを斬りつけた。とたんにぶるりと震えて、床にひらりと真っ二つに切られた紙が落ちた。「まぁ子供のお使い程度しか役ただないけども、時間稼ぎや邪魔な行動をとるくらいはする。さて、ここからが本題。一番の問題はハオ家の術者の連れている二体の【ツキガミ】。【ツキガミ】ハオ家が長年の研究の末に産み出した、人が日常で使っていたりする道具を人型にした兵器。 見た目は人間と変わらないが、人よりも身体能力は優れているし、一体、一体にそれぞれに特殊な力がある厄介なやつらさ……実物を見せたほうが早いな」 情報屋が懐から取り出したのは白い包みの万華鏡。それを彼は投げると、真っ白な衣服をまとったなにもかもが真っ白な少女へと変わった。「この子は俺の【ツキガミ】のキララ。半径五百メートルほどの空間を結界で別空間として隔離する。 だから、もし戦いで周囲を破壊することを心配しているなら、この子で空間隔離するから心配しなくていい。一般人も結界の内にははいれないから、空間の中は戦いが終わるまでは君らと敵だけだ。空間隔離で建物やその空間の時間は止まっている状態だから破壊したものは結界さえ解けば元に戻る。……結界内で戦う君たちが死亡したり、怪我は戻すなんてことは出来ないから、無茶はしないように。【ツキガミ】にも不便なところがあってね、この子たちはマスターからあまり離れたところでは動けない。つまりは、【ツキガミ】の近くには必ずそのマスターもいる。 機能停止方法は二つ。その個体に一定のダメージを与えるか、マスターを殺すかのどちらか」 情報屋は目を眇めた。「俺を襲ったのはジエンダオ、トウファーという二体。 ジエンダオは見た目は十代くらいの女の子でドレス姿だった。攻撃は見えない空気で切りこんできたり、どこからか刃を出していた。 トウファーは見た目は二十代の髪の長い女だった。彼女はなにももってないはずだけど、なにか黒くて長いもので俺の体を拘束した……これくらいしか情報はないんだ。 敵の狙いは俺だからね、囮になって街をふらふらと歩いて、あいつらが誘いらのって俺を襲ってきたからすかさず結界を張って君らが戦いやすい状態にするよ」 情報屋は皮肉ぼく最後に笑った。「君らの強さだけは、信用しているから、さ」
情報屋の説明に一番はじめに口を開いたのはギルバルド・ガイアグランデ・アーデルハイドであった。 身長は情報屋の腰ほどしかないが、見事な髭に覆われた戦士の瞳は同情を湛えていた。 「情報屋、おぬしの目を破壊するとは……どういうことじゃ?」 ギルバルドは優しく言葉を続けた。 「わしは、神官戦士ではないが……目さえ取り戻せばくっつけることぐらいは出来るぞ」 「ギルバルドさん、お気遣いは感謝しますが、目を戻すことは不可能です」 「そりゃ、なんでだ。戻せるなら、戻してもらったほうがいいだろうがよ」 木乃咲進が顔をしかめた。 「ボクもそう思うけど、不可能ってどういうことなの?」 ミトサア・フラーケンの目か眼鏡のレンズ越しに不思議そうに細められた。 黙っているサーヴィンランスも視線を向けて情報屋の頑なな態度の理由を知りたいと無言で尋ねている。 「目は術者の手に渡ってから、数時間は経過しています。その間に奴がなにもしないとも限りません。呪われた穢れのついたものを肉体に戻せば呪いに感染する恐れがありますし、俺の体が拒否反応を起こす可能性も高いんです」 それにと情報屋は言葉を続けた。 「奪われた片目を媒体として元々の所有者である俺自身に術を使い、俺の精神を壊し、廃人にすることも考えられるんです」 情報屋は自分の失った片目に触れた。 「今は、この包帯に呪を施して奪われた片目から気を読んで俺の居場所を特定出来ないようにしていますが、いずれは……術が施されて俺は廃人にされ、片目は呪具として使われるでしょう」 「なんという外道な」 ギルバルドの顔が悪臭なものを嗅いだように険しくなった。 「……普通の材料じゃ満足できねーのかね。それに目を奪うなんて正直、グロイな。その先に呪ったり、他人の精神を破壊しちまうのも、性格最悪だな、そいつら」 木乃咲も素直に自分のなかにあるハオ家に対する嫌悪感を吐き捨てる。 「人の生命を殺しの道具にする組織か……正真正銘のクズだな」 サーヴィランスは逆に嫌悪が深すぎて無感動に言葉を吐き捨てる傍らでミトサアは黙って拳を握りしめた。 情報屋は敵を誘いこみ、不意打ちをつくためにも選んだ場所――左右は何度も改築を繰り返したビル、それに三人程度の人間が立てばいっぱいになるほどの人の出店などの多い路地――説明した。 「ここを選んだ理由は二つあります。敵を逃さないのと、相手を油断させるため。あからさまに罠を張っているとわかれば術者は絶対に表に出てきません。しかし、あいつは俺が無力だと思っている。だから油断してツキガミと共に出てくるはずです」 「……ならば、前後で挟み撃ちにするのが最善だな。二体のツキガミを分散することも望める」 「けど、情報屋はどうするんだ?」 と、木乃咲がテーブルに広げられた指でこつこつと叩いた。 ここで一番のネックであるのは情報屋が囮になるということだ。彼はすでに深手を負っている。その身体で戦いがはじまって、一人で逃げられるだろうか。 敵に狙われる彼を守りながら戦うのは、どう考えても、この地形の狭さ――相手を逃がさず、確実に仕留める奇襲にはいいが、守りに入ると自分たちが不利となってしまう。 とはいえ、情報屋のキララの力を使わずに全力を出して一般人たちに被害を与えることはこの場にいる誰もが避けたい道だ。 「ならば、わしの魔法はどうだ? サーチ・エネミーで半径四百メートルほどの敵は感知でるようになるぞ。これで待ち構えればよいのではないか?」 ギルバルドが提案した。 「しかし、離れすぎたところでキララを発動すれば奇襲そのものも難しくなる。術者を取り逃がすわけにはいかない」 「だったらボクが人ごみに紛れて情報屋を守るよ」 ミトサアは一番危険だろう役回りにつくことを平然と口にすると、仲間の三人がなにか言う前にそれを封じるようににこりと微笑んだ。 「ボク、進ちゃんとサーヴィランスの強さは知ってるから、信頼してる。ギルバルドさんは初対面だけど、強そうだし。ボクはサイボーグ戦士だよ? 簡単にやられないから! ギルバルドさんのその魔法で敵のことがわかっていれば心強いし、大丈夫! それに、この場で一番敵が見た目で油断するのはボクだと思うんだよね」 サーヴィランスはミトサアの言葉に情報屋に顔を向けた。 「……ミトサアが敵からお前を守る隙をついてキララの力が及ぶぎりぎりまで自力で離脱してくれるか? 敵は私たちが出来る限り抑え込む」 「わかりました。そうさせていただきます」 「じゃあ一緒に俺も、人ごみに紛れる。いざってときのためにもな」 木乃咲は言うとちらりとサーヴィランスを見た。黒の鎧をまとった彼は無言で頷いた。 「私は反対側から相手を挟み打ちできるように動こう。出来る限り術者を狙いたい」 「そうだよな、術者をぶっ倒すのが一番話がはやいが……罠とかしかけられてないか? 俺らがツキガミを引き受けるにしてもよ。あいつら二体いるんだぜ。絶対一体は傍にはべらせてるんじゃないのか」 「その傍にいる一体はわしが任されよう」 ギルバルドが胸を張ってどんと拳で叩いた。 それぞれの分担が決まると、すぐさまにギルバルドはサーチ・エネミーの魔法を全員にかけ、さらに魔法をくわえた。 「おぬしらに神の加護を与える」 厳かに太い声が朗々と呪文を唱えた。 「我が神より、我等に、我が神の力の加護を与えたまえ! ……ゴッドブレス!」 淡い輝きが四人を一瞬包み込み、空気に溶け消えた。 「なんだ? なぁ、本当に魔法ってのかかったのか? なんにもねぇけど」 木乃咲が手を握ったり開いたりするのにギルバルドはふんと鼻から息を吐いて胸を張った。 「ちゃんと強化しておいた。戦えばわかるわい」 「へぇ、期待してるぜ。じゃあ、はじめるか。……反撃を!」 ★ ★ ★ 夕暮れの、町並み。 ミトサアと木乃咲は微妙な距離を情報屋の背を追っていた。 外見は完璧な少女であるミトサアと木乃咲は夕方という人通りの多い時間帯ではさして目立つことはない。 サーヴィランスとギルバルドはあの姿は多少、この世界では目立つということもあり情報屋が教えてくれた裏道に姿を隠している。 ミトサアと木乃咲は屋台に目を向けて楽しんでいるふりをしているが――よく観察したものにしかわからないほどに一緒にして顔を渋くさせた。 ぴりりっと、うなじにくる強烈な殺気と敵が来たとはっきりとわかる――ギルバルドの魔法の効果だ。 「きたな。すげー感じるぜ」 うなじを撫でながら木乃咲が呟く。 「……しっ」 ミトサアが口元に指をあてて情報屋の前に現れた女を眼鏡のレンズ越しに捕えた。 女が腕を伸ばして情報屋を捕える。 そのタイミングで情報屋は懐から万華鏡を取り出し、放つ。 「キララ! 空間を隔離しろ!」 万華鏡から具現化した白い少女が、声をあげた。 一瞬の体の全身に走る違和感と共に、あれほどにいた人が消え、静寂が包みこむ――隔離された空間に変化した。 切り離された空間で今までいた人間が消えたのにミトサアは誰を傷つける恐れもなく加速することができた。 情報屋と敵の間に――トゥファーに滑り込むと、その腕を掴むとさらに加速して情報屋から乱暴に引き離し、壁にまで追い込んだ。 「逃げて!」 情報屋はその声にキララを自分の腕に抱くとミトサアの盾にして走り出す。 「このっ、邪魔ですわよ、おちびさん!」 黒い鞭がミトサアの腕、足と自由を奪い取る。トゥファーは乱暴にミトサアを地面に転がし、情報屋に向き直り黒い鞭を振う。 「逃がしませんわ!」 ぱんっと空気を弾が響く音と共に黒い鞭が斬り裂かれ、宙に舞う。 「ったくよ、人の決め台詞くらいいわせろよな!」 木乃咲が放ったナイフの一つがトゥファーの黒い鞭――それは束ねられた髪の毛を斬り裂いたのだ。 「それじゃ、毎度お馴染み決め台詞の時間だ」 トゥファーが邪魔されたことに苛立ちと怒りに真っ赤になった顔で木乃咲を睨みつける。その怒りを挑発するように、木乃咲はわざと笑ってナイフを構えた。 「裂いて咲かせて――散らしてやる」 「……この、邪魔ものがぁ! イッておしまい!」 無数に伸びた黒い髪の毛が木乃咲に襲いかかる。 髪の毛が腕、足と絡みついてきたが木乃咲は動揺しなかった。 木乃咲は地面を蹴って飛ぶ。――空間をねじ曲げ、トゥファーの懐に、そしてナイフで彼女の胸を突き刺すつもりでいたのだ。 「なっ」 木乃咲のナイフに黒い髪の毛が、鉄の塊のように弾くと――三つ網になったそれが蛇のように木乃咲の腕に巻きつくと、肉を締め付け、髪の毛の先端が鋭い針のように顔に襲いかかる。 腕をまわし三つ網を斬り落として間一髪で我が身を守った。 「あら、女の髪を切るなんてひどいじゃないの」 トゥファーは嘲笑うように言う。彼女の髪の毛は再び伸び始め、それがくるくると結ばれ、三つ網が二つ、三つと増えていく。 「おもしろい力があるわね。それで間合いを詰めてごらんなさい。捕まえて、その心臓を貫いてあげるわ!」 「おっかねー、女だな」 「女の髪の毛を切った殿方に言われたくないわ。礼儀を教えてあげる!」 トゥファーの髪から生まれた三つの三つ網が蛇のように宙でうねりあげて襲いかかる。 「進ちゃんが、斬り裂くなら……じゃあ、ボクは燃やし尽す、かな?」 どこか幼さのある声と共に、ごっと火炎が放たれトゥファーの三つ網を燃やし尽した。 「なっ!」 「容赦しないから」 ミトサアの左手を覆う金属製外観の手袋からは炎が踊り、自分の束縛をした髪の毛を燃やしていた。 炎を身に纏ったミトサアの冷たい目が、トゥファーを捕えた。 「トゥファー! なによ、こいつら! 切り裂いてやるんだから!」 ミトサアと木の乃咲の背後から現れたジェンダオは苛立しげに吼えた。 「マスターはあいつを追ってください」 「……そうだな。逃げ場はない。邪魔をする者たちは始末しろ」 ジェンダオは横にいる黒いロープを身に纏った男――術者を見上げた。 この狭い路地に情報屋を発見した敵もまた、この道を有利に使うためにも挟みうちを思いついたのだ。 そして情報屋の狙い通りに術者は己が優勢から油断し、ツキガミを連れて表へと現れていた。 「マスターの邪魔なんてさせないんだからね! あんたたちなんて挟まれてるんだから!」 ジェンダオは、はっと後ろを振り返った。 「危ない、マスター!」 術者を庇ったジェンダオのスカート、腕、足と鋭い刃物が斬り裂いた。 三つの刃は空気を切り裂きながら、放った主の元によく調教された犬のように戻っていった。 「逃げ場がないというのは、こちらの台詞だ」 「挟みこませてもらったぞ!」 路地の隠れていたサーヴィランスとギルバルドがあらわれたのにジェンダオは顔を険しくさせた。 「……マスター、下がってください」 術者の前にジェンダオが立ちふさがり、少女の顔に不似合いな怒りと憎悪を湛えた牙を剥いた。 「斬り裂け!」 ジェンダオが片手をふると、空気が鳴いた。 とたんに真空の刃が三つ、サーヴィランスを狙い放たれる。 「甘いわ!」 腹から轟く気合いの入った声と共にギルバルドが前へと出るとシルードで目に見えない刃を受けた。 その隙をついてサーヴィランスは高く飛んだ。 いくつも並ぶテント、テーブル、荷台――それらを見て、己から術者に行きつくまでの一本の道を把握すると黒い猟犬は飛び、走り、さらには宙を飛んだ。 優れた身体能力を駆使し、荷台からさらに飛び、身を捻ってビルの壁を蹴り――その態勢で、再び刃を放った。 一つであった刃が空中で踊り、三つへと別れると術者に向かう。 「マスター! このぉ!」 ジェンダオが片手をあげた、その手は――異様なことに人の手であったはずなのに、今では鋭く大きな刃物と化していた。 ジェンダオの刃となった手が一つ目の刃を乱暴に弾き軌道を変えさせ、さらには二つ目には真空の刃を放って術者を守り、そして三つ目には自らの手の刃を伸ばそうとしたとき 「ゴッドフィスト!」 隙だらけのジェンダオの背中に、ギルバルドが神の手を振りおろした。 神の手はジェンダオの体をまるでゴミのように地上から弾き飛ばし、周囲のテントや荷台すらも強い風圧で押しつぶした。 それはさながら小さな台風のようにして地上のあらゆるものを飛ばし、砂埃をあげた。 サーヴィランスが壁からテントの屋根、そして地上に降りると、その手に三つの刃が戻ってきたのにギルバルドが身構えたまま尋ねた。 「手ごたえはどうだ」 「……あった」 ただし、浅い。――と、続けようとしたサーヴィランスの言葉は殺意の刃によって遮られた。 砂埃から現れたのは大きな二本の刃――否、ジェンダオの刃物となった両手――鋏だった。 ジェンダオはサーヴィランスの首を胴から斬ってやろうと刃物となった両腕に力をこめるのに、サーヴィランスは腹に力をこめて刃物を押さえつけた。 「殺す、殺す、お前なんて殺してやる! マスターを傷つけたあんたなんて!この、黒蝙蝠めっ!」 「なら、お前はさながら鋏女だな」 押す力に抵抗をやめて腰を落としたまますっと後ろへと下がるとジェンダオが意表を突かれ、よろけた。 サーヴィランスは腰を捻って回し蹴りをくらわせた。 「がぁ!」 潰れた蛙のような声をあげるジェンダオの胸にサーヴィランスは掌打を放った。 「これで攻めてくれる。ぬおおおおっ!」 後ろから加勢したギルバルドのモーニングスターがどすっと音をたててジェンダオの頭脳に降りおろされた。 「あ、ぁああああっ……ます、たぁ……」 ジェンダオは身を痙攣させると、その姿はぴきっと音をたてて人の姿は破壊された――地面に大きな鋏となって落ちた。 斬って、裂いて、咲く。 燃えて、消えて、踊る。 木乃咲とミトサアの攻撃は、トゥファーをじわじわと苦しめた。 彼女の武器である髪の毛は木乃咲によって叩き斬られ、それすぐにはミトサアの炎が燃やしつくされるのだ。 獣が獲物を狙うように睨みあいとともにじりじりと互いに牽制をしあう。 と、不意にあがった土埃に一瞬視界が奪われる。 「ん? っと、あぶねぇ!」 木乃咲がそれを――術者が放ったシキガミがぬっと黒い手を表したのに、ナイフで斬り裂いて消した。 「くそ、術者のやつ、シキガミで邪魔してくるつもりだぜ、そんなこと、させるかよ!」 木乃咲がシキガミに意識を逸らした瞬間を狙い、トゥファーが髪の毛を放った。 「させない!」 ミトサアの炎にトゥファーは自分の髪の毛が燃やす。このままトゥファー時代も燃やそうと炎を放つが、彼女はさっと後ろへと逃げてしまう。 「うろちょろと……! 進ちゃん、あいつの動き、ちょっとだけ動きをとめて!」 「わかった」 怒鳴るように木乃咲は言い返すとシキガミの始末を終えてナイフを構え、地面を蹴った。 その姿が一瞬にして見えなくなるのにトゥファーは身構えた。 「同じ手は二度も通用すると思わないでちょうだい!」 トゥファーが即座に髪の毛を自分の周囲にまるで蜘蛛の巣のように広げて木乃咲を待ち伏せた。しかし、その肝心の男は現れない。 「悪いな、俺は、あんたの動きを封じるようにいわれたんだ」 ひらひらと木乃咲がミトサアの後ろから現れて手をふる。 「これで終わりだ!」 二人で完全な形でトゥファーを騙し、そして不意打ちを仕掛ける――ミトサアが加速してトゥファーの懐に入る。 敵を捕えるための蜘蛛の巣である髪の毛もミトサアの炎と、その背後からの木乃咲の援護するナイフによって切られて散っていく。 ミトサアはトゥファーに体当たりをすると、距離のないその状態で、彼女の腹に炎を放った。 ごっと炎が燃える。燃える。燃えていく。 「あ、ぁああああああ!」 トゥファーが悲鳴をあげたのにミトサアがさっと離れ、木乃咲が留めのナイフを放った。それはトゥファーの額にざっくりと突き刺さる。 「がぁあああ! あ、ああ、わたくしが、そんな……ます、た」 炎に包まれたその姿が音をたてて崩れると――黒く焦げた紅い櫛だけが地上に残った。 「おい、マスターはどこだよ」 「先ほどまでいたが……わしの魔法で吹っ飛ばしてしまったか」 ギルバルドの言葉に木乃咲は呆れた顔をした。 「おいおい、どうするんだよ」 「この空間からは逃げられないはずだよ。きっと隠れてるんだ。ちょっと静かにしてくれる?」 ミトサアは冷静に言うと目を細めて告げると、己の聴覚を操作し、この静寂の空間の音をすべて捕えた。 そして、 「いた!」 ミトサアは立ち並ぶ屋台の中に入ると、その黒いロープの男を乱暴に引きずり出した。 「がぁ」 術者はギルバルドの与えた一撃とサーヴィランスの与えた攻撃によってひどく傷つき、ひきずられると悲鳴をあげたがミトサアは容赦はしなかった。 地面に術者を転がすと、四人は取り囲んだ。 「片目はどこだよ、おい、出せよ。とっとと、あんたのツキガミは倒しちまったぜ」 「……渡すと、思うか?」 木乃咲の脅しに術者が掠れた声で吐き捨てるのにミトサアが目を眇めた。 「なら、力づくで奪い返すまでだ。お前たちがしたようにな」 サーヴィランスは無感動の声で術者の片腕をとると、力をこめた。 「あ、あああ!」 「このまま骨を折るぞ」 「……」 「押さえておく、こいつの体を探れ」 サーヴィランスの言葉に術者が激しく手足を動かして抵抗したが、押さえつけられて三人に探られては無力に等しかった。 「あったぞ」 ギルバルドが術者の懐から、透明な硝子のケースに包まれた片目を取り出した。 「うげ、ぐろいな」 目的を達成してサーヴィランスが術者を腕から捨てるのにミトサアは左手をつきつけた。 「おい、まてよ。俺らの狙いは情報屋の目だろう」 「コイツを殺さないと、何の解決にもならないよ、進ちゃん」 ミトサアは冷酷な目で地面に崩れた術者を睨みつける。 「サーヴィランスは人を殺せないし、進ちゃんに嫌な思いはさせたくない。ギルバルドさんだって、そうだし。……それに、これはボクの役目」 殺してしまえと心の中にあるミトサアの憎悪が囁く。殺してしまえ。こいつを。 彼女の脳裏に人を道具としかとらない、過去の己を踏みつけた憎い組織のことが鮮やかに思い出される。 「ミトサア、私の殺さずの考えを強制するつもりはないが……殺すことは反対だ。私達が手を汚すことはない。簀巻きにしてほっておけば、あとは組織の奴らがこいつの始末はつけてくれるだろう」 「それじゃ、だめだよ!」 ミトサアは怒りに満ちた声で叫んだ。情報屋のためではない、自分のために。 「その人を殺したところで、あなたは救われませんよ」 ミトサアが振り返るとキララを抱えた情報屋がいた。 情報屋の片方しかない黒い眸が、ミトサアの姿を映す。ここで自分を踏みつけるものを殺したところで、それはなんの解決にもならないと告げるように。 「俺も、救われたりはしない……戦いの音が止んだのでたんです……すいませんが、その前に眼玉を破壊していただけますか?」 「よし、これを」 ギルバルドが地面にケースごと叩きつけると、眼玉が転がる。 「くそ、お前な、今度はもうちょっとグロくないもの奪われろよな。眼球をナイフで突き刺すって中々やりたくない体験だぞ」 愚痴をこぼしながら木乃咲はナイフで転がる目玉を突き刺すとどろりと目玉は崩れ、破壊された。 それを情報屋は静かに見守ったあと、まだ術者の前から動けないミトサアに近づいた。 「……正義の、つもりか? 俺を殺さないとは、貴様も大概だな」 くっと術者は嘲笑う。 「お前らはその男に利用されたんだぞ」 「なにい……っ!」 怒鳴ろうしてミトサアは絶句した。 術者がロープを解くと、その顔には淡い文字――情報屋が自分の衣服を脱いでみせてくれた呪の文字が刻まれていた。 「人を、とくに優れた術者の肉体を呪具にすると、その力はますます高まる……ハオ家に生まれた術者は、みな、不要と言われれば殺されて呪具になる運命なんです」 「うげぇ、なんっー悪趣味だよ」 情報屋の説明に木乃咲が吐き気を覚えて顔をしかめて吐き捨てた。 「なんということを、己の一族まで利用するか」 痛ましげなギルバルドの言葉に術者は吼えた。 「はっ、同情はよしてくれ。それとも、助けてくれるのか? 先ほどもいったが、お前たちは騙されているんだよ。……この男を不思議に思わなかったか? ツキガミを所有していることを、ハオ家の情報を良く知っていることを」 術者は嘲笑うように続けた。 「いいことを教えやる。こいつの名は、フッキ・ハルオミ・ハオ! 俺と同じ、いいや、ハオ家始まって以来の最高の呪殺師と謳われた男だ! あつはな……何千人と殺してきた術者だ。お前たちは、そいつを守ったのさ。はははははは。他人を殺して、道具にしてきたのに、自分が死ぬのはいやか、なぁフッキ!」 術者が血走った目で睨みつける。 「裏切り者め! お笑い草だな。お前たちは正義のつもりだろう? だが、こいつも所詮は同じ穴のムジナ、女、お前の目、俺は知っている。お前は俺と同じ目だな」 「……黙れ!」 ミトサアが叫んだ。 「ふん、俺を殺して、こいつも殺すか? お前たちのあまっちょろい同情と善意のためにっ!」 口から血を吐きだした術者は笑った。 「ハオ家は失敗を許さない。任務についたものは失敗したときは呪い死ようにされている。ようやく、踏みつける側にまわっても俺も所詮は道具さ。ハオ家のな!」 狂ったように笑いつづける術者の声に、その首に左手をあてたミトサアの全身が戦慄く。 「忘れるな。お前は、作られ、生かされている。忘れな。お前の名は滅び、お前の名は呪。なにも生み出さない、愛されない、求められないことを……いずれ、ハオ家の者に殺され、そして利用される、道具だ……お前も、所詮は……っ、あ」 術者は嘲笑い続け、そしてことりと地面に生命をなくした状態で転がった。 「……情報屋、いまのは」 ギルバルドが困惑とした声をかけるのに情報屋は頷いた。 「真実です。……俺はハオ家の術者でした。人を殺してきた、道具に、してきました」 静かに情報屋は告げた。 「どうして、そのハオ家を逃げたの?」 ミトサアは術者の憐れな亡骸に目を向けたまま尋ねた。 「……幼いときから、人を殺すことを強制させられました。そしてハオ家に不要といわれれば、その肉体は道具になるようにと……すべてを支配されて、なんの疑問にも思わなかった。自分の、大切なものを奪われて、取り返しのつかないことなのだと知るまで」 「復讐なの?」 ミトサアが振り返ると情報屋は首を横に振った。 「そんな御大層なものではなくて、ただ自分が救われたいのかもしれません。ハオ家を恐れて逃げたのも、憎悪も、悲しみも……ただ償いたいんです。今はそれだけです。憎悪もあるし、恐怖もある。今はごちゃまぜなのでわからないんです」 「そっか」 ミトサアはじっと情報屋の心を探るように見つめたあと下唇を噛みしめて顔を逸らした。 痛みが憎悪を生む。 憎しみは炎のようなもの。 それは何もかも破壊尽くさなければ終わらない、煉獄の炎。 だが、その炎で全てを燃やし尽したとき、救いはあるのだろうか。 それは誰にもわからない。正しい選択なんてありはしないのだから。ただ救われたいという願いは、己が力をもって弱い者を傷つけたところで、そして守ったところで、終わらずに自分を苦しめる。それに終わりがくるのだろうか? 「これで終わりではないだな」 サーヴィランスが確認するように問いかける。 「そうですね。ようやく逃げずにスタートラインに立った、というところでしょうか?」 「恐れるな。お前は一人じゃない……私も、何かあれば必ず力になろう」 情報屋は静かに笑って頷いた。
このライターへメールを送る