オープニング

その店の名前はトゥレーン。
 樫の木のドアを押しあけて、中にはいると、静かな店内には椅子が二つ。真ん中のテーブルには紅茶と鉢植えが。
 そして、自分の席の前にある椅子に腰掛けているのはチェロを抱えた目隠しの男がにこやかに出迎える。
「いらっしゃい、お客様、それで、あなたはどんな花を咲かせますか?」

 ここでは、チェロ弾きの主人があなたの話を聞きながらそれに合わせて一曲チェロを弾いてくれる。
 きっかり三分間だけの曲を。
 そして話終えると、二人の真ん中に置いた小さな植木鉢からひとつ、花が咲く。
 どんな花かは、あなたの話し次第。
 悲しい話は暗い色を、優しい話しは淡い色を、怒りの話は激しい色を、

 ただし花にする話を語れるのは主人が弾くチェロの演奏時間だけ。
 トゥレーンはきっかり三分間だけの曲。

 その思い出の奥底にある感情を封じた花が出来あがる。
 その花を受け取るのも、店主に預けてしまうのも、または破棄してしまうのも、あなた次第。

 決して長くはない時間に語れることはほんのわずかなこと。
 トゥレーンが始まる。――きっかり三分間。
 さぁ、花にしたい記憶の断片を音楽に乗せて口にしよう。

品目ソロシナリオ 管理番号1323
クリエイター北野東眞(wdpb9025)
クリエイターコメント チェロの演奏の間だけ、さぁ、自分が作り出したい花のために物語を語ってください。
 語るべき物語のカケラ、そして、それによってどのような花が生まれるか。

 花に関しては具体的な希望を書いていただいても、色だけでも。完全にお任せの場合は、ライターの独断と偏見によって花が生み出されますのでご注意ください。

参加者
オフィリア・アーレ(cfnn8798)ツーリスト 女 10歳 人形に取り憑いた幽霊

ノベル

 ギィ……
木造のドアは遠慮がちに開けられた。
小さな影がまず無言で薄暗い室内に入り、そのあとに数秒ほど迷うような足取りで影の主――オフィリア・アーレが店のなかへと足を踏み入れる。
 海の底のような深い紺色に、白い薔薇のアクセサリーをつけて、緑色のリボン――見た者が瞬時に薔薇を連想させるドレスを身に付けた彼女は一目見ると小柄なためか子供のように思うが、反して全身からは落ち着きが全身から滲みだし、丁寧に研がれたトルマリンの瞳は知的さを感じさせた。
今、その顔はどこか戸惑いがあった。
もしかしたら共に暮らす者とまた喧嘩をして、そのままここへと来てしまったのか。そう、危惧してしまいそうになるほどに、その愛らしい顔は涙を流すことも忘れてしまったように途方に暮れていた。
「お待ちしておりました。どうぞ、お座りくださいな」
 店主の言葉にオフィリアはソファに腰掛けて、唇を開いた。笑おうとして失敗した顔で
「本当はね? 今日のことを話したくて来たの。今日はとても素晴らしい一日だったから。でもどうしてから。あたしは面白くもないお伽噺を語ろうとしているわ」
 震える声に、寄り添うようにチェロの音が室内に漂いはじめる。目には見えるのに掴む事の叶わない、遠い存在のように。

「これは雨と霧ばかりの海辺の街に、ずっと昔から伝えられているお話よ」
 気を取り直すようにしてわざとかたい、無機質な声で語りはじめた。努めて何も感じていないようにした声はチェロの音と混じり合い、部屋に木霊する。
「灰色の街のすぐ近く、夜より暗い海の底には霧を煮詰めたより白いとても大きな魚の神様が住んでいるの」
 ざぁ、ざぁ、ざぁ。
優しい海の子守唄のように、寄せて、引いてを繰り返すリズム。
ざぁ、ざぁ、ざぁああああ。
波の音……それはときどき人の心を理由もなく誘う。切なさに、無力さに、そこに立ちつくすのはいやでたまらなくて、けれど進みだすには巨大すぎた。
ざぁ、ざぁ、ざぁ。
海はいつも白い牙をむき出しに砂に噛みあとを残す。湿った空気は冷たく人も建物をも無情にも錆つかせていく。
ときどき癇癪を起した風に、嘲笑う鳥の声。
そして、
すべてを覆い尽くすような白いミルク色の――霧。仄暗いぐぐもった旋律。
「神様は暗い夜に、身体を震わせて白い霧を街へと溢れさせ、海から出て霧を泳いで街を彷徨うことがあるの。誰かを呼ぶような長く尾を引く声を響かせながら」
 あぁああああ。ため息のように漏れる音は青よりも暗い不透明な蒼色に似ていた。
寂しいと囁き声は、長く、長く、長く耳を愛撫し心の底へと浸食していく。まるで水のように。耳をどれだけ閉じても、目をどれだけ瞑っても、必ず掴ってしまう。
「彼に出会ってしまったら魂を食らわれると伝えられていた……街に住む人にはそれは単なる言い伝えではなかった。不思議なほどに白く濃い霧の流れる夜、確かに声が聞こえることはあったし、窓から大きな魚の姿を見たという人もいた。なにより、そんな夜に外に出た人が喪われることもあったから」
 ざぁ、ざぁ、ざぁ。
心を満たすその音色はどれだけ捨てようとしても出来はしない、心という器に注がれて、いっぱいになって溢れてしまいそうな透明な液体。自分でひっくり返さない限りは空っぽになったりはしない。
 オフィリアは伏せていた瞳をそっと開くと、前へと視線を向けた。口元にかすかに微笑が浮かぶ。憐れみでも、ましてや愚かと笑うこともなく。ただ、どこか愛しむように
「わたし、死んだ人を知っているわ」
 凛と響く彼女の声に合わせて、チェロの音が深みを増す。海の底へ、底、闇しかない。なにもない青から蒼へ、沈む藍の世界。そこはあたたかく、優しくも、人が踏み込むことは叶わない。未知の世界へと誘う魚の唄声。ああああああ。
「彼女は街で育ったくせに霧の迫る夕暮れに外に出たの」
 オフィリアのあえて少しだけ小馬鹿にした口調で言葉を紡ぐ。
「そして霧に捕まったのよ。……彼女は魚に出会えたかしら?」
 その問いはせっかく投げたのに、それを受け取る人はおらず、床を何度かボールのように弾んで、転がり、消えていく。
答えは還らない。
ただかわりにチェロの柔らかな音色が沈む。海の底。静謐にして冒しがたく、ゆえに手を伸ばす。月がほしいとはいわない、ただ天底にある、寂しくも狂おしいほどの一輪の花を、求めて。
一度鳴く。ああああああ。魚が泳ぐように、ふわりとした音色は、長く部屋のなかにとどまった。

 長く、心に留まっていた音は去りゆく旅人のようにどれだけ願っても、跡形もなく消えていく。
オフィリアはかたく目を伏せていた。
もしかしたら、彼女の閉じられた瞼の裏にはまだはっきりと映し出されているのかもしれない。それを好きなだけ味わい、惜しむ。
永遠にも等しい沈黙の時間。それは海の底のようになんの音もしない。
 オフィリアは名残惜しげに目を開いた。
「……これは、薔薇ね。それも白い薔薇だわ……けど、蕾ばかり」
 なにもなかったはずの鉢植えにオフィリアの話した濃い霧を集めたかのような白い薔薇の蕾たち。それは慎ましな集まりであったが、今にも弾け咲いてしまいそうな、何かに挑むような力があった。
 蕾は幾つも溢れ出る水泡のよう。触れれば消えてしまうかもしれない。けれどそれはたえまなく、いくつも現れてくるだろう。
 じっと薔薇をみていたオフィリアに目を眇めた。
「……私はとても忘れやすい。それは、それで構わないの。きっと思い出す必要のないことなのよ」
 悔いることは一つもないといいたげにオフィリアは微笑む。その顔は、やはり知っているはずの街で、なぜか自分のいる場所がわからなくなってしまったかのように、途方に暮れた子供のようだ。
「そう、思うのに、懐かしくなるのはどうしてかしら?」
「どうぞ、この花はお持ち帰りください。ときどきで構いません、優しく撫でて、愛しんであげてください」
「そうすれば答えは出るかしら?」
 店主は黙って小首を傾げて、曖昧に微笑んだ。
「……さぁ、ずっとしゃべっていて喉がつかれたでしょう。紅茶をお飲みください。その間はトゥレーン以外の曲を弾きましょう。あなたの花のために」
 オフィリアは袖引く子供のような一瞥を店主に向けたが、結局は答え得られないものと諦めて白いカップへと手を伸ばした。
 淡い茶色の液体を口のなかに流し込むと、とたんに広がる儚い甘さは風に乗って薫る薔薇の香りに似ていた。
 ゆっくりと嚥下すると、喉の奥に小骨がひっかかたように錆ついた味が残って、いつまでも胸を締めつけた。

クリエイターコメント 参加、ありがとうございました。

 素敵な物語のカケラをありがとうございます。
 お聞かせいただき、そして書かせていただけて楽しかったです。

 またご縁がありましたら。
 そのとき、またあなたが素敵な物語を胸に抱える旅人であることを!
公開日時2011-06-14(火) 21:30

 

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