オープニング

ーーーどれくらい走ったかわからない。
 耳元で風が鳴る。
 ここは一体どこなんだ。
 少年は、ようやっと追っ手を撒いたことを確認すると、街角に立つ看板にもたれて呼吸を整えた。
 みっしりと、黒ずんだ建物が密集した町。
 あたりを見回してみる。落ち着きなく、灰色の瞳が上下左右に動く。整った顔立ちではあるが、表情は暗かった。
 痩せた体に似つかわしく、少年にしてはこけた頬と薄いくちびるの、寂しい面差しだった。
 今、その瞳には絶望の色が浮かんでいる。
 気がついたらここにいた。 どこだかわからないこの場所に。町のどこにも、少年の記憶に訴えかけるものはなかった。
 そして、いつしか追いかけてくる黒い影におびえている。
 だが、少年は年齢の割りにはしたたかなものを秘めているようで、再度、追っ手たちの気配を探り、今いる場所の安全を確かめた。
 追われることが半ば習慣化しているかのような警戒の仕方だった。
 少年は額を押さえ、記憶を探ろうとこころみた。
 帰らなくてはならないはずだ。もっとなじみ深い世界へ。どんな場所だったかは、もう、思い出せないけれど。
 すべてが夢だったらいいのに。
 目を閉じて、また開いてみても、目の前の現実は醒めなかった。
 少年はため息をつき、続いてーーー
 ぴくりと身を振るわせた。
 どこからか聞こえてくる、歌うような、唱えるような声。祈りの歌らしき節回しである。
 その声とて、なにやら言葉を成しているようではあるが、まるで意味は解せない。
「ーーーいっ!?」
 少年は妙な感触に靴先をこすられ、驚きのあまり飛び上がった。
 かしゃん。かしゃん。かしゃん。
 足元を、奇妙な機械が猫のようにくぐりぬけて行過ぎる。
 八本足にブラシのようなものがくっついており、それで歩行しながら地面を掃除してまわる、一種の掃除ロボットであるらしい。
 だが、動力はなんなのか皆目わからない。
 少年のいた世界でなら、機械はすべて電気か、風力か、いずれにしろもっとわかりやすい動力でで動くはずだったのだが、この機械ときたら、ネジやコードはむき出しであるものの、なんらかの神秘的なマークを書いた札が、そのてっぺんに貼り付いているのみ。
 そんなものが動力の代わりになるものだろうか?
 この世界が霊力を糧として回っている「インヤンガイ」だと知らない少年には、首をひねり、同時に恐怖に駆られた。
 この世界はなんなんだーーー!?
 パニックのあまり叫びだしそうになり、口元をぐっと抑えた。
 だが、叫びの代わりに少年の身体から噴出したのは、その「能力」だった。
 触れていた看板が、ごおと音を立てて、一瞬にして青白い業火に包まれたのだ。少年はあわてて看板から飛びのいた。
「○△◆!? △※●■」
 異変に気づいた周辺の住人達が、建物からわらわらと飛び出して、ふしんそうにあたりを見回している。
 少年は震えた。
 またやってしまった。
 震える足を踏みしめて、少年は脱兎の如く逃げた。
 やつらがやってくる、少年は歯を食いしばり、萎えそうになる脚を必死で動かした。
 この悪夢に迷い込んですぐ、動揺のあまり能力を発揮して、建物を一軒燃やしてしまった。
 思わず後も振り向かずに逃げ出してしまったが、建物の中に人はいなかったろうか。建物を住処にしていた人は、困っているだろうか。
 罪悪感で胸がつぶれそうになる。
 さらに悪いことには、その火事が少年のしわざだと、勘付いた人間がいるようなのだ。
 その人間は、……いや、人間「たち」だ。その男たちは似たような黒い服をまとっていて、見え隠れしながら少年をじっと観察し、じりじりと忍び寄ってくる。
 本能的に少年は逃げた。
自分の力が、忌み嫌われる一方で、殺戮を生業とするものたちを蜜に群がる蟻のごとく引き寄せるものであると、理性ではなく直感で知っていた。
 自分の能力も、追ってくる黒服の男たちも呪わしかった。
 だが一番呪わしいのは、どこまで走り続ければいいのか、皆目わからないことだった。
 守ってくれる人がいないことは、別段寂しいとも思わない。
 逆に言えば、「寂しくない状態」がどんなものか少年は知らない。
 ものごころついた時から、少年はずっと一人で何かから逃げていた気がするのだった。
 
 ■         ■        ■

「インヤンガイ」に迷い込んだ異世界人を保護してもらいたいのだ、とシド・ビスタークは言った。
 保護すべきロストナンバーの年齢は15歳前後。黒髪に灰色の瞳、痩せ形。 服装はTシャツにズボン。下層世界出身、元の世界では、「ユン・フェンライ」と呼ばれていたようだ、とのこと。
「ただし、この迷子ちゃん、ちと厄介でな」
  どういうことかと、彼の要請で集まった協力者たちは問うてみた。 
 ーーーー念力発火能力(パイロキネシス)。それもかなり強力な。
 少年の持つ能力はそれだった。しかも、年齢ゆえの幼さも手伝って、少年自身が能力をコントロール出来ていない。
「むやみに興奮させたり、不用意に近づいたりすりゃ黒焦げにされても文句は言えん。用心してかかるこった。おまけに、この能力のおかげで厄介なおまけがくっついてるときた」
 『おまけ』とは、少年はインヤンガイで追われる身なのだという。
 少年が転移後、興奮のあまり能力で周囲に自然発火してしまい、それを目撃したインヤンガイのよからぬ連中が、少年を捕らえ、生きた武器として利用しようと追い掛け回しているというのだ。
 インヤンガイで暗躍している暗殺者組織のひとつらしい。
「第一に迷子ちゃんをやつらから遠ざけること、だな。その上で彼を落ち着かせ、ゼロ世界へ連れて行ってやってもらいたい。
 相当警戒心が強いみたいだから、どうやってこっちを信頼させるかがキモになるだろう。
 任務も大切だが……忘れるなよ、くれぐれも一番大切な、自分の命を落っことさないようにな」
 シドは冗談めかして言葉を切った。が、……彼の表情を見れば、笑顔どころではなく、厳しく引き締まっているのは明らかだった。
 
 

品目シナリオ 管理番号245
クリエイター小田切沙穂(wusr2349)
クリエイターコメントこんにちは、銀幕から引き続き参加させていただいております小田切沙穂です。いきなりですが予言します。寅年ですからタイガース優勝間違いなし。そんな小田切ですが、ギャグばっかりじゃなく幅広く書いていけるように心がけたいです。今後ともよろしくお願いします。

参加者
ダンジャ・グイニ(cstx6351)ツーリスト 女 33歳 仕立て屋
ポポキ(ctee8580)ツーリスト 男 14歳 クムリポ族の戦士
デッドヒート(chfd4285)ツーリスト 男 24歳 サイボーグ兵士

ノベル

「このあたりの地図、だぁ? さあなあ、隣のビルの持ち主が誰かもわかんねえしなあ」
「駄目駄目、あの道は行き止まりさ。また殺人鬼が出たってんで、住人が怖がってセメントで壁を作っちまったのさ」
 ダンジャ・グイニは聞き込みで情報を集めていたが、苦労していた。
 インヤンガイでは地図を手に入れるのも一苦労ときた。何しろ、信頼関係が成立しにくい町である。ゆえに建物や土地の権利など安定しにくい。従って今回の目的たる少年探しも、地図をもとにして目撃情報を探すのではなく、少年もしくは彼が原因だろうと思われる不審火の目撃証言を集め、それをもとに建物の位置関係を図面化していくという逆説的な方法をとらざるを得なかった。
 幸いにして、もう一人同じ依頼を受けた仲間、デッドヒートが似た発想で、不審火の目撃証言と黒服の男たちについての情報を集めていたのが功を奏し、二人はユン・フェンライの足跡をつかみつつあった。
 ダンジャはあらゆるつてをたどり…、時にはつてじゃないもの……大きな声では言えないが、「つべこべ言わないでこの紙に情報書き込まないと、頭のてっぺんにこの針ぶっ刺すよっ」と脅された、と震えながら仲間に漏らしたちんぷらも多数いたという(ダンジャ本人は「真っ当な話し合いさね」と澄まして言うだろう)……を使い、図面の形に仕上げていった。
 最後に二人が行き着いたのは、怪しげな占い師。近所の連中によれば、つい昨日のこと、占い屋の看板が突然青白い炎で燃え、その後黒服の男がうろついていたというのだが、当の占い師はぬらりくらりと口を濁す。黒服男たちに金でも握らされたのかもしれぬ。
「ほんの子供が、多勢に無勢で追っかけまわされてんだ。見ぬふりすると寝覚めが悪いよ」
 ダンジャは酒とタバコで鍛えたハスキーボイスで凄みを利かせるが、
「ネエさん、ヤバいことに首突っ込むのぁよした方がいいってことよ」
 占い師はにやにやと話を打ち切ろうとする。ダンジャの背後から、ゆらりとガスマスクを被った男が現わす。
「そっちこそ、知ってることを話さなきゃ、突っ込む首もなくなるぜぇ?」
「な、なんだ!?」ガスマスクと陽気な声のギャップがなお更不気味だ。
「この姐さんが料理長なら、さしずめオレは……屠殺屋ってとこかなー♪」
 さらに不気味な名乗りに、しょせんは小悪党な占い師はひとたまりもなくぺらぺらと、黒服男たちが網を張っているという廃墟町の存在を語った。その廃墟街の中の、ある無人ビルの周辺で、このところ不審火が妙に多いとも。
 ええ、そうです、やつらは特殊能力者や呪術に長けた者を無理やり拉致ってるってうわさです。でも、別に生かしたまま捕らえるってわけでもなさそうでして。
 つまりは「脳」さえ生きてりゃ、念力は使えますからね、肉体は切り刻んだってかまわねえってんで、きっと数を頼んで取り囲み、ズタボロに……
 と、占い師は聞かれてもないことまで喋り、「これだけ喋ったんだから勘弁してくださいよぉ」とぺこぺこ頭を下げた。が、その言葉が終わらぬうちに、ダンジャとデッドヒートはもう、廃墟街に向かい走り出していた。
(「人間を拉致して改造だって? 冗談じゃない。命には、触れちゃならない領域ってもんがある」)
(「子供を武器に変えようなんざ、黒服の奴ら、許せねぇ。皆殺しにしてやりてぇとこだが、今は迷子ちゃんの保護が先だ」)
 それぞれの想いに駆り立てられながら。
 廃墟街に向かって急ぎながら、ダンジャは、半透明のマントのようなものを差し出した。
「防火結界さ。あたしたちの誰かが怪我すると、迷子の坊やが気にしそうだからねぇ」
「せっかくだが、オレは特別仕様なんでね。心配無用だぜ」
 理想のため人ならざる身となったサイボーグは不敵に笑った。

 一度逃げ切れたせいで油断した。気づいたら、囲まれていた。
 黒服の男たちが、ユンの目の前に迫っていた。いくつもの銃口に狙われて、ユンの気力は萎えていた。棒のように立ち尽くすユンの腕を、。男たちの一人がつかみかけた。
 が、それよりもすばやく、男たちとユンの間に立ちふさがった者がいる。すばやい動作ゆえ、当初、男たちの目に残ったのはただ全身茶色い何かの残像のみ。
 ちゃんと見るまでに数秒を要した。そして、
「ね……猫!?」
 男たちが意表をつかれて叫ぶ。
 たしかに、子供の身長ほどの、二足歩行の巨大な猫……に見える、獣人。
 獣人は目をカッと見開いたかと思うと、とんぼを切って後ろ足で立ち上がり、刃のようなものを左右に数回、振った。刃から、炎のかまいたちが飛来した!
 かまいたちは放たれた鳥のように飛び、男たちの服や体を食い荒らす。運の悪い奴は髪の毛をごっそり奪われた。二度と頭髪に恵まれまい。炎の刃が銃器やナイフを熱し、男たちは悲鳴とともに武器を取り落とした。
 この猫獣人、異界の戦士である。名はポポキという。だが、ユンはただ目を見張って呆然と立ち尽くしていた。小さな体を利用して、通りに転がる土管や瓦礫に身を隠しつつ、巧みに戦う猫獣人。白昼夢でも見ているのかとユンはわが目を疑った。
 一方、敵の方はあらゆる場合を想定して、応援部隊を用意していたらしい。わらわらと、町のそこかしこから新手の黒服が現れる。
そいつらは、銃などの武器を手にしていなかった。 
 男たちの一人が、手のひらをユンに向かって突き出した。
 同時に、空気を裂いて衝撃波がユンに襲い掛かった。ユンは全身を強打して倒れた。やはりユンのような特殊能力者を欲しがるだけあって、組織では何人かの特殊能力者を飼っているのだ。ポポキも衝撃波を食らい、歴戦の勇士とはえ、数分間は痛みのため動けなかったほどだ。
「……いた……いっ!」
 ユンの灰色の瞳が一瞬青白く燃え上がった。彼を囲む数メートル四方に、炎が燃え上がった。
 ユンの危機感が、能力を暴走させたのだ。
 ポポキは落ち着かせようと話しかけるが、ユンはパニック状態に陥り、やたら念力の炎を放って叫ぶばかり。
「もういやだっ。何もかも消えちまえ!!」念力の炎が、廃墟を舐めつくす。衝撃波を放った黒服も、炎の勢いにうろたえている。
 ヒャハハハ。
 調子っぱずれで陽気な笑い声が炎を切り裂くように響いてきた。
「おーっとビックリ、飛び出す炎に見えない武器かぁ? 今日こんなとこでマジック大会があったなんて、聞いてないぜェ~?」
 陽気な声と裏腹に、鋭い動きでガスマスクを被った何者かが、灼熱の炎を浴びながらも、飄々とした身ごなしでユンに近づいてきた。
 暴走したユンの炎で、敵はもはや数名しか残っていなかったが、ガスマスクの男……デッドヒートはその存在自体が許せないといった勢いで、黒服どもを手にした武器で叩き伏せていく。人を超えた反射速度と筋力の前で、黒服どもの銃器は役に立たなかった。ましてデッドの改造された体は、熱を吸収し、己の筋力を増強する恐るべき機能を備えていた。衝撃波を放った特殊能力者さえも炎に囲まれ高熱のため精神集中が出来ずにいたところを、デッドのAMBで胸に強打をくらい、苦痛のあまり悲鳴を上げられずに無様に地面に叩きつけられた。
 敵を蹴散らすと、
「HEY、迷子ちゃん。えらい目にあったな。……もう怖いおじさんはやっつけたぜ。逃げる必要はもうない」
 立ちすくんでいるユンに、デッドヒートが無造作にガランと武器を地面に投げ出し、両手を挙げて近づいた。
 今しがたの戦闘で見せ付けられたデッドヒートの力は、おびえきったユンの目には超人というより怪物めいて映った。
 ユンの目がまた青白く燃えた。
 デッドヒートの、武器を捨てたばかりの右手がぱっと燃え上がる。だが、彼は他の人間のように、わめいたり燃える部分を振り回したりはしなかった。 燃えたままの腕をたいまつのようにかかげ、なおも恐れずに近づいてくる。
「見ろ、その力でオレは傷つかないし、オレもお前を傷つけたりしない。オレはお前が怖くない。だからさ…友達になろうぜ、ユン?」
 ユンにはようやく、先ほどの猫獣人とこの男は、少なくとも黒服たちよりは自分に近い存在だと理解した。言葉が通じるのだ。
 だが、『ともだち』という言葉は理解できず、さらなるパニックに襲われた。 
 〔理解不能 ≒ 敵?〕
  孤独しか知らない少年は疑り深い。
 ごおっ。再び念力の炎がデッドの体に放たれた。今度は肩。
「そうそう、何度でも試せばいい。お代は見てのお帰り♪」
 あくまで陽気な声が返ってくる。ユンはさらに混乱した。しかも、デッドは武器を投げ捨て、丸腰である。さらにデッドは近づく。
「来るな!」
 ユンの周囲は炎のために温度が急激に上がり、ユンは大量に汗を流していた。ゆらりとユンの体制が崩れる。
 次の瞬間、ユンは意識を失い、その場に倒れていた。
 びりっ。
 ユンの立っていた地面の下が、ふいに割れ、ほっそりした褐色の手が突き出し、デッドたちを手招きした。
「早くこっちへ!」
 ダンジャがユンの居場所への通路をファスナーで開き、今は使われていない廃トンネルに一同を導いたのだった。デッドヒートが気絶したユンの体を抱え、追っ手が来ないか背後を警戒しながらポポキが続く。
 トンネルの壁をファスナーでびりりと開けると、郊外の道路へと、繋がっている。「仕立て屋」たるダンジャの面目躍如だった。道路から、またファスナーを開けばロストレイルの停車場までほぼ一直線。万が一ユンの能力がまた暴走したとしても、なるべく市街を離れた場所を通過するため犠牲は少ないルートを、ダンジャは選択していた。停車場に着いたとき、ポポキが感謝した。
「防火結界のおかげで助かったにゃ」
 ダンジャの手になる結界を着込んでいたポポキは、そのおかげで業火に耐えられたのだった。だが、衝撃波を食らったため、ユン同様全身打撲を負っており、ユンほどではないが治療を要した。 

 衰弱したユンを連れ、一行はロストレイルに乗り込んだ。
 空腹と、能力の暴走による疲労に加え、衝撃波での全身打撲、骨折。それに炎の高熱による熱中症。車掌はそう診断を下し、ユンに応急手当を行った。
 冷たい水で体を冷やされると、ユンは意識を取り戻し、自分を取り囲むデッド、ダンジャ、ポポキをおびえた目で見た。
「そう睨まないどくれな。……あたしたちゃ、あんたと一緒だよ。知らない世界に放り出された迷子なのさ。……あたしも最初は、ずいぶん困った」
 氷水のグラスを差し出しながら、ダンジャが苦笑する。ユンはよほどのどが渇いていたのか、もぎとるようにグラスを取ると、がぶ飲みした。
「おっと、そう水ばっかり飲むんじゃないよ。大量に汗をかいたら塩分もとらなきゃ。ほらこの……」
 と、干し肉をポケットから取り出そうとしたダンジャだが、ポケットに詰め込んでいた妙なものが飛び出した。仕立て屋たるダンジャゆえ、ボタンやファスナー、指貫はわかるがぷにぷにした肌色の道具は何だ。目を丸くして見つめているユンに、ダンジャはすごんだ。
「何見てんだい。それよりせっかく栄養のあるものを出してやってんだからさっさとおあがりっ。ほら、毒なんかありゃしないよ」
 と、自ら干し肉をかじって毒見してみせ、何か言いたげなユンの口に押し込んだ。黙らせたとも言う。
 どうやら怪しいブツは、バストをふくよかに魅せる極秘ツールであったらしい。用途は不明だが、デッドヒートやポポキに何だ何だとツッコまれ、ダンジャはぶち切れた。
「うるさいっ。あんたたち、口にファスナー縫いつけられたくなかったらお黙りよっ」
 細身の女性に追い掛け回され、その形相に怯える猫獣人とサイボーグ兵士。眺めるうちに、ユンの口元がかすかにほころんだ。
 が、呻いて笑顔を引っ込める。折れた肋骨が痛んだらしい。
「ひでぇ奴らだったな。……こんな子供を追い詰めて、おまけに骨まで折りやがって」
 デッドヒートがユンをいたわる。が、その口調には激しい怒りが込められていた。人間を道具に仕立てる非情な組織への。
 特殊能力者を呪術や薬物で意思を奪うのは序の口、果ては脳だけ残して体を奪い文字通りの「道具」にしてしまうという組織。
 志願して己を人ならざる身に変えたデッドヒートは、痛いほどにその曲々しさを感じるのだ。
「あんたたちは、オレの『力』が欲しいんじゃないのか……?」ユンは暗い目をして聞いた。
 あははは。女傑がその懸念を笑い飛ばした。
「気を悪くしたらすまないけど、あたしらみたいな能力者が今更あんたを利用すると思うかい?」
 ダンジャとポポキ、デッドヒートは、この世界の仕組みを出来るだけわかりやすく説明した。
 衰弱しきったユンを刺激しすぎぬよう、注意しながら、少しずつ。
 インヤンガイという世界についても、軽く触れた。あの町でなんとか生き延び、こうして命あることを褒め、励ますために。
 命が売り買いされ、暴力が法よりも強く、堕落が美徳とされる町であると。
「なのにあんたは、たった一人で、よく頑張ったね」
 そういわれたユンは、返事に窮している様子だった。必死で逃げ、追われることと自らの力の両方に怯えながら生きることが当たり前だったため、そのことを労われほめられるなんて、あまりにも意外なことだったのだ。
「だけど……オレ……人を」
 炎の暴走で、無関係の人を焼死させてしまったかもしれないとユンは灰色の目を伏せた。
「人を傷つけるのが怖いって思う気持ちがあるなら、その力を抑える術も学べるさ」
 デッドヒートが言った。  
「心を強くするんだ。どんなときも目を開いて耳を澄ませて、冷静に状況判断が出来るようになればいい。本当の力は、ぎりぎりの時、大切なものを守るときにだけ発揮する。そうすれば、無意味な血は流れない……はずだ」
 デッドヒートの言葉は、半分自身に向けられているようだった。
 戦いの意味は、平和を勝ち取ることにあると信じて異形の戦士となった彼は、ユンにかつての自分を見たのかもしれない。  
 ダンジャは、破れほころびだらけのユンのシャツを繕ってやりながら言った。
「あんたはまだ、半分迷子みたいなもんさ。……これからどう自分を生かすか、その道を探すんだ。今は新しい自分を探すきっかけをつかんだ、ほんのスタート地点なんだ。その力を使うとしたら、今度はあんたが新米を助けておやり」
 ちなみに数ヶ月後、ユンはインヤンガイへ再びその身を投じることになるのだが、このときの会話がその決断に影響したか否かは定かではない。
「オイラも他所の世界から来た者で君と同じ境遇にゃ」
 ポポキが共感を込めてユンに右手を差し出した。ユンも反射的に右手を差し出し、
 「ぷに♪」
 「いや、肉球ぷにぷにするんじゃなくて、握手の手なんだにゃ」
 「あ、いや、ごめ……」
 少しずつ、少年は、人間らしい表情を取り戻していくように見えた。
 人との「絆」を作るまでになるには、まだはるかに遠い道のりだとしても。  
◆ 
 ゼロ番世界に到着したユンは、しばらく治療施設に身をおくことになった。
 危険な能力者として閉じ込められるのではないかとユンは最後まで不安がっていたが、どうにかこうにかデッドヒートが説き伏せた。
「目的地を見つけるには、体力がなけりゃな。怪我を治してうまいもん食って、もうちっと太れよ」
 一方、彼は柊マナのワゴンから紅茶を買い、ユンに分け与える。紅茶こそ心を和ませるのに最適と信じる香りだったから。
 生き延びるだけが目的だった少年には、それがどれほど新鮮だったか想像に難くない。
 なぜそんなことまでしてくれるのかと少年に問われた異形の戦士は、それがともだちってもんだ、ともだちってのは相手が参ってるときには力を貸してやるもんさと説明していたそうな。
◆  
 重傷のうえ能力の暴走による衰弱状態と、いわば救急搬送のような形ではあったが、ともあれ危険なロストナンバー=ユン・ライフェン保護の目的は果たされた。  
「やれやれ、ロストナンバーってのは迷子センターの職員だったのかよ?」 
 ロストレイルを降り、ゼロ番世界の治療施設へとユンを送り届けたデッドヒートは、軽口を叩いた。
「じゃ、あの迷子ちゃんの保護者はデッドヒートさんですね? こちらユンさんのお食事代請求書になりまーす♪」
「だああっ! あのガキ、最高級のニルギリをがぶ飲みしやがったーー!!」
 柊マナに請求書をぴらりと突きつけられたデッドが叫んでいたようだが、世界図書館への報告にその叫びは記述されていない。
 
 ーーーThey are tested by fire.(彼らは修羅場をくぐっている)
 

クリエイターコメント厄介な迷子の保護、お疲れ様でした。戦闘よりも保護対象の身柄確保に力点が置かれていたのが成功ポイントとなりました。
 ですが敵の組織にも特殊能力者がいることを予測されている方がいなかったので、少々の肉体的ダメージをこうむることになりました。
 ダンジャ・グイニさんの脱出に関する特殊技能でカバーできたものとして、重傷とはしていません。ユンの罪悪感への言及が少なかった

ため、ユンの心も完全に開くまでには至りませんでしたが、心に残る言葉があったので明るい方向に向いています。
 でもってニルギリがぶ飲みって殺意沸きますよね。天然最凶。 
公開日時2010-02-14(日) 16:20

 

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