『ターミナル』 それは何と意味深い名前であることか。 鉄道においては、起点と終点、いわゆる分岐点として多くの路線を束ねる場所。 コンピュータにおいては、データの入出力に用いるハードウェア、複数の接続を束ねるもの。 医療においては、終末期医療をさし、数週間から数ヶ月以内に死亡されると予期される状態。 つまり、そこでは多くの運命が交差している……最終的な答えに辿り着くまでの。 そして、その『最終的な答え』を、いずれ誰もが選び取っていく。 短く切り揃えられた前髪。額には菱形のアザがある。三白眼気味で眼つきは良くない。瞳孔は蛇に似て、額の両端に生えていた角は今はない。 人の姿に似てはいるが、人ではなく、水を司る水神、龍族の子。仙界と人界の境目に結界を結ぶ一族、年齢300歳程度、龍神としてはまだまだ子供。 それがしだりだ。 黒髪に黒い目、身長172㎝、大学三年。壱番世界の『今どきの大学生』らしい服装で、合気道をたしなみ、家事全般が得意、特に料理は周囲をいつも喜ばせる。 穏やかで温和な笑みは優しげだが、いざ依頼を受けて敵に向かえば、意外に容赦なく振舞うこともでき、数々の友人との出会いと別れを通じて最近特に大人びた。 それが相沢 優だ。 おそらくは、『ターミナル』以外では出会うことも関わることも、ましてやこんなふうに近しく側に立ち、話すことなどあり得なかった二人。「ヴォロスでの竜刻回収……ずっと前に同じような依頼があったよな」 優は記憶を探っている。「採石場で石が連なって、竜のように人を脅して追い払う……その片目に入っているのが竜刻らしいけど」「……しだり、知らない」 首を振った幼い友人に、かなり前だからね、と優は頷く。「けれど、しだりと一緒なら大丈夫だ」「…しだりも、優となら安心」 見返して伝えると、優が少し驚いた目で嬉しそうに笑み返す。 辛い思い出があった。人など信じるに価しないと思っていた。 だが、優に会って、その気持ちは少しずつ変わっていった。 こうして、次の依頼に向かうロストレイルを待つ間、しだりは優の側にいられることに安堵する。いつかは来る別れを、気にはしていても。「さようなら!」 すぐ側で突然声が響いて、二人はそちらを見た。 今しも発車しようとしているロストレイルの窓から、女性が一人、激しく手を振っている。「今までありがとう! 私、きっと忘れない、ここのことも、皆のことも!」 一所懸命に続ける声が震え、大きな瞳から涙が零れ落ちる。 ホームには、彼女の友人だろう、幾人かの獣人や天使、小さな動物達が走り出すロストレイルを追い始めながら手を振っている。「俺達も!」「頑張れよ!」「またヴォロスに行くから!」「きっと会いに行くから!」「……帰属者だね」 優が目の前を走っていく一団を見送りながら呟いた。「……うん」 しだりも頷く。 ホームの端まで駆けていって、名残惜しく手を振って、どんどん遠ざかるロストレイルを見送って。堪えかねたように大泣きし始める獣人を、リスのような姿のロストナンバーが慰めている。何かを祈るように手を握りしめる天使や、きつい表情で戻ってくるヒトの姿が、二人の前を再び通り過ぎていく。「これが最後ってわけじゃないんだから」「すぐに依頼で行けるさ」「そうだ、司書のところで、あの地方の依頼がないか確かめよう」「でも…でもさ」 大きな緑の目の、わしわしと広がったたてがみの獣人は、ぐすぐすとしゃくり上げながら首を振る。「あそこは危険な場所なんだ、それは皆知ってるだろ? 俺達が行く前に、死んじまってる可能性だってあるよな?」「それは…」「短命な種族だって、言ってたよね、彼女」「帰属したら時間が動く……そんなに長く生きられないかもって」「そんなこと!」 一人のヒトが唇を噛みながら俯いた。「そんなこと、俺達みんな、わかってたさ、でも」 引き止められるわけ、ないだろ? かけがえのない絆を結んだ。その時からきっと覚悟はしていたはずだ。 もう二度と会えないかも知れないってこと。「うん、わかってるよ俺」 顔を覆ってしまった獣人が呻いた。「それでも、彼女が行くって言うなら、止められないことぐらい、わかってる」 目の前を通り過ぎる集団を見送る優としだりの視線を感じたのだろう、獣人がちらりと視線を投げて来た。 潤んで輝く瞳。 大切な友人を手放すしかなかった傷みを堪える瞳。 優としだりに一瞬だけ視線を絡ませ、仲間と一緒に遠ざかっていく。「……『ターミナル』っていう映画があるんだ、壱番世界に」 見送ったまま、優が口を開いた。「政治的な問題で、ある空港に閉じ込められたまま出られなくなって、そこで生きていくしかなくなった男が、いろいろな人と関わって」 やがて自分の望みを果たして、そこから出ていく物語だよ。「……ふぅん」 しだりは去っていく獣人から、優の横顔に視線を向ける。 短命な種族だろう、人間は。 しだりより、おそらくうんと短命で。 優もまた、ターミナルから離れれば、しだりの時間では瞬きするほどの間に、年老い、命を終えるのだろう。 つきり、と胸が痛む。「…しだり?」 伸ばした手で、優の手を握った。 出発まで、まだ時間がある。「どうした?」「……まだ時間がある」 まだここは、『ターミナル』だ。「…そうだね」 あいているもう片方の手で、しだりの頭をくしゃくしゃと撫でながら、優もまた考え込んだ目になった。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>相沢 優(ctcn6216)しだり(cryn4240)=========
「…話を聞いてくれる?」 帰属者との別れを惜しむ一団が去った後、伸ばした手で優の手を握った。 その手をじっと見詰めながら、しだりはぽつぽつと過去を話す、己が人間嫌いになった過去を、他者に、それも他ならぬ人間に。 「……しだりは、椿が嫌い」 目の前に浮かぶ逆巻く奔流。滝壺に落ちていく少女。人ならぬ力を備え、それ故に短くなる命も受け入れて、父親の愛を求めた少女。彼女が愛したのが椿だった。 滝の奔流の中、広がった彼女の血によって造られた巨大な椿。鮮烈の赤。 「……人ならぬ力を持った藤という娘が好きだった花」 優が少し目を見開いた。 しだりが何を話そうとしているのか察したのだろう、握った手をそっと握り返す、話す力を支えるように。 「…力が尽きたから、しだりの木の葉を使って……」 ずきり。 胸の内を荒れ狂うようにうねる流れは何だろう。骨を砕き、肉を裂き、溢れ出る血であたりを染めてしまえと囁く声は紅の奔流、無数の椿が舞い踊る。しだりが呼んだ黒雲と雨が山を土石流と化して、村人達を呑み込んだ、あの流れ。 「……父親に名を呼んで欲しかったのに、父親は藤の力だけを欲しがった」 人間は汚い。 「…」 吐き出したことばを、優はぴくりとも震えず受け止めてくれている。 しだりは、優の手から静かに視線を上げた。 自分を見下ろす黒い瞳に向かってもう一度。 「……人は、自分の欲望のために、小さな想いさえも踏みにじる」 それは優を含む『人』への激怒。同時に胸をむかつかせるような激しさで、脳裏に閃き舞い踊る、幾つもの紅の花に見惚れる自分がいるのを感じた。 巻き込まれる。 透明できららかで、静かで温かな想いを引き千切って、紅蓮の絶望の怨嗟の満ちた花が胸に溢れる。 「嫌だ。汚い」 優はじっと見下ろし続ける。握った手に力は籠らない。ただただ、しだりの手を受け止め、その手の形を覚え込もうとでもするように、静かに包み続けている。 だからこそ、もう一言が口にできた。 「……怖い」 「…うん」 穏やかに優が頷いてくれて、ぱつっ、と胸のあたりで何かが弾けた気がした。 そうだ、怖いのだ、と気づく。 人間が怖いのではなくて、その汚さに怒り狂う自分が。 奔流に藤を突き落とした父親の姿と、村人達を怒りに任せて奔流に呑み込ませた自分の姿が、まるで合わせ鏡のようにそっくりに見えるときがある。 怖いのだ、自分の力が。あの時あそこに居た人々は、全て自分の別の姿ではなかったのか。だからこそ、流し切り消し去らなくてはいられなかったのではないか。藤を追い詰め死なせた遠い要因が、自分にあると感じていたのではないか。 「……優」 「なに、しだり」 柔らかな声が降りてくる、今彼の属する種族を詰った自分に向けて。 あの村の中にも、奔流に呑み込まれるべきではない者がいたかも知れない。口に出さずに居たけれど、藤を哀れみ愛しんだ者もいたのかも知れない。 それら全てを、しだりは濁流の中に葬っている。 そのしだりの手を、優は握り続けている。 そこに守られた信頼を感じている。 「…向き合うよ。この恐れは消しても忘れてもいけないものだから」 「うん」 「…優には言っておきたいと思った」 「……うん、ありがとう、しだり」 そっと手を離そうすると、優は逆らわずに手を開いた。 離れてもまだ、見えない何かが繋がっているような不思議な感覚が残る。 しだりは掌を見詰める。 優もまた、自分の掌を見ながら思う。 最初に出会った頃のしだりは人との距離を明確にとっていた。 見えない壁がいつもそこにあった。 けれどそれでも話をすればしだりはちゃんと俺の言葉を聞いてくれた。 だから俺はしだりが大好きになった。 もっと仲良くなりたくなった。 そうして交流を続けていくうち、少しずつうち解けていった。 最初の頃は振り払われた手だって、今はしだりから繋いでくれる。 「しだり」 「…?」 見上げてくる瞳に微笑む。 ちゃんと伝えよう。 「俺は、しだりの事が大好きだ」 少し大きく見開かれた目にゆっくりと頷く。 いつか別れは避けられないとしても、それでも俺はしだりと出会えて良かった。 しだりだけじゃない隆とも綾とも、一ともロバートとも、リオとも灰人とも。 みんなと出会えて良かった。 楽しい事ばかりではなかったけれど、絆はいつか別れと共に、途切れてしまうのかもしれないけど、確かにあった過去は揺るがない。 いつだってきっと俺を支え続けてくれるものになる。 しだりにとっても自分の存在がそういうものであるといい。 胸の内に次々溢れることばをどう伝えたらいいのかわからなくなる。 ようやく、吐息とともに押し出せたことばは、深いところで微かに震えているような気がした。 「しだりの幸福を、ずっと願い続けているよ」 「…最後の別れの時、優は泣く?」 小首を傾げたしだりが、ぽつりと尋ねた。 「…しだりは泣かないと思う。喜ばしき門出を祝うのだから」 さっきの一団は、今生の別れとなるかも知れないと嘆いていた。けれど帰属は、新たな世界、己を受け止めてくれる場所が見つかったという意味でもある。 大切な友が、ついに居場所を見つけたのだ。それが門出でなくて何であろう。喜びでなくて何だろう。 「……うん」 小さく頷く優の瞳が微かに揺れた気がした。その目の奥に誰が過ったのか、しだりにも少しわかる気がする。 「……ただ、」 途切れたしだりのことばを掬い上げるように、優が少し覗き込む。その顔をまっすぐに見上げ、大いなるものに陳情するかのように、しだりは口を開く。 「……泣いてみたいと思った」 「しだり…」 想い詰まったような声で優が唸った。 「泣いて、みたいの…?」 ゆっくりと瞳を瞬く。 しだりより、優が今にも泣きそうな気がする。切なげで愛しげで、温かく濡れる目は、山里に降る慈雨を思い出す。命を育て、干涸びた空気を潤し、豊かな実りを約束する、細かくて静かな雨。 その雨に濡れてみたいと思う。 「…素直に感情を表せる者が羨ましいな。こういう時は未熟な己を歯痒く思う」 本当に残念だ、そういう気持ちを込めたのだが、優はどこか苦しげに悲しげに眉を寄せた。 「……ひどいことがあったんだね」 掠れた声で応じられて、なぜかふくふくと胸が和らいだ。 「…だから、時間のある間に伝えておく」 しだりは懐を探った。この依頼に優とともに参加すると知ってから、忘れずに持ってこようと思っていた。 金のワイヤーで繋がれた青い珠、椿に似た赤い鉱物花、太陽を思わせる光を包む金剛石めいた石、ヒスイのような濃い緑の鉱物葉、鉱物鈴を組み込んで涼やかに鳴るストラップのようなもの。【電気羊の欠伸】灰羊カリュプスの領域の八総のもとで、優を想い、その守りを願ってしだりが造ったものだ。 それをしだりはそっと優に差し出す。 「俺に…?」 「…ありがとう。会えて良かった……どれ程感謝の言葉を重ねても、きっと足りない…今のしだりが在るのは優のおかげ」 「しだり…」 煌めき玲瓏と音を響かせる鮮やかなそれを手に、優は目を細めて二度三度鳴らした。 「俺に作ってくれたのか」 あのしだりが、これを『人』である俺に。 「…ありがとう」 静かに握りしめ、しっかりと礼を伝える。 少し前の自分だったら、しだりがこれを作ってくれたことに感激し、ただただ喜ぶだけで終わっただろう。 だがしかし、今の優は、しだりがこの形を選んだことの意味を思う。どこにでも寄り添って、必ずあなたの幸福を守る、そう囁く声を感じ取れる。 ならばこそ、それを受け取る自分の器が整っているかと問わざるを得ない。この切なる真摯な祈りに応じるために、自分がもう愚かな突進や無謀な試みに飛び込むわけにはいかないと感じる。祈りを受けたならば、満たしてこそ価値がある。 「必ず身につける。どこにでも持っていく」 「……優」 ふんわりと和らぐ顔に笑み返す。その笑みを、もうたじろがずに受け止められる自分を感じる。 自分もおそらくはまた、変わったのだ。あれだけの事があったのだから、変わらないのも変かと小さく笑うと、しだりがきょとんとした顔になる。 「嬉しいよ。本当に、嬉しい」 変化は必然だ、例え時が止まったこのターミナルでも。 自分の帰属はまだ考えられない。自分には壱番世界を救うという譲れない目的があるから。 目的を果たしたら、たぶん壱番世界に帰属はするとは思うけど、それだって確かな事ではない。 まだ自分の道の先はわからない。 けれど今はただ、自分が目指すものに向かって進む。 その決意に、これほどふさわしい贈り物があるだろうか。 顔を綻ばせた優は、再び目を見開いた。少しずつ視線を動かしていく。見下ろす首は次第に上げられていく。 しだりの姿が変わっていた。細い頼りなげな四肢がかっちりとした筋肉に包まれた伸びやかな骨格に、何もなかった額の両脇に蒼く透き通った角が輝き光る。そこに立つのは先ほどまでの華奢な少年ではない。内側に力を蓄えてエネルギーに満ちあふれた。二十歳を少し過ぎたように見える青年。 聡明そうな生真面目な顔で、しだりはついと手を上げて、優の頭をそっと撫でた。 「し、しだり…?」 戸惑う優に、 「……いつも撫でられてるから、たまには撫でてみたい」 微かに笑みを浮かべながら返され、優は思わず苦笑する。 「…この姿も優のおかげで成れるようになった…まだ少し時間はある。続きは列車の中で話そう」 静かに体を翻しながら誘う相手は、人の姿を取りながらも、巨大なうねりを身内に秘めた不可思議な生物の圧倒感をひたひたと漂わせる。 「ああ、話そう……もっと」 応えて後を追う優を、ちらりと見返って、しだりは笑った。
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