オープニング

(疲れた)
 オフィス街のカフェテラスで、鳴海 晶は溜め息をついて座り込む。
(何だかずっと緊張してる)
 世界図書館からの依頼で、あちらへ飛び、こちらへ飛び。
(何か進んでるのか? 何か変わっているのか?)
 もう一度溜め息をついて、コーヒーを口に運んだとたん、
「でさ、その子ったら、あれは何ですかって聞くのよぉ」
「マジっ? ウソ、すごっ」
 カフェテラスの一画で爆笑が響き渡った。
「ありえないー」
「ないない」
 得意気に話した同僚を周囲が一気に否定する。
「いくら田舎でも、信号機知らないってないって」
「ないよねーっ」
(ロストナンバーだ)
 話を聞くともなく聞いていて、鳴海は直感する。
(だが、なぜ言葉が話せているんだろう?)
 どうやら外見は壱番世界とほぼ同じらしいし、服装も極端に違和感がないあたり、壱番世界に極めて似ている世界なのだろう。20代の女性に見えた「その子」は、通りがかった相手を止めてはいろんな質問を繰り返していたらしい。
 あの、赤と青と黄色を繰り返し表示している機械は何ですか?
 小さく唸ってて中にいろいろな色の瓶や缶が入っている箱は何ですか?
 なぜ皆、リモコンを付けていないんですか?
 あげくには懐かしそうな顔で自動車や電車を眺め、「こういうのがまだ動いているんですね」と。
 その娘の存在は世界図書館に知られているのか。
(騒ぎが大きくならないうちに)
 事態を急いで確認し、保護しなくては。
 鳴海は静かに席を立ってレジに向かった。

「壱番世界にロストナンバーが居ます」 
 リベル・セヴァンは『導きの書』を手に説明を始めた。
「自分が突然放り込まれた世界に戸惑っていましたが、興味もあるようで周囲と接触を繰り返した後、ある程度の言語が話せるようになったようです」
 きっと聡明な娘なのだろう、自分の属している以外に様々な世界があるらしいと推測し始め、それを確かめるべく行動範囲を広げている様子だ。
「自らが居た世界について語り、他の世界について語り、真理に覚醒したものが真理を説いて回っているような状態が出現しつつあります」
 このままではディアスポラ現象が次々誘発され、世界の安定が崩れるのではないかと世界図書館は危惧している。
「実は、彼女の側には一人の男性のコンダクターが同行しています。名前は鳴海 晶。彼女の保護の依頼をしたのですが、その後こちらと連絡を絶ちました。なぜ彼女を保護することなく同行しているのか、意図は不明です」
 リベルは複雑な表情で集まったメンバーを見渡した。
「たった一度よこした連絡は『彼女を手放せば、俺の世界は滅亡する。彼女に世界を救ってもらう』です」
 小さく溜め息をつく。
「皆さんにはロストナンバーの保護と同行コンダクターの確保をお願いします」
 戦闘にはならないと思いますが、とリベルはなお複雑な顔になった。
「既に、彼女は今その街で『星娘教』という新興宗教の教祖のようなものになりつつありますので、接近も困難かもしれませんが、どうぞよろしくお願いいたします」
 え、それって、ちょーむずかしくね?
 上がった突っ込みの声を軽やかに無視して、リベルは『導きの書』を片手にすたすたと去っていった。

品目シナリオ 管理番号705
クリエイター葛城 温子(wbvv5374)
クリエイターコメント突然ですが、
依頼を受けたコンダクター、鳴海が戻ってきません。
皆様にはロストナンバーの保護と鳴海の確保をお願いします。
「教祖となったロストナンバーにどう近づくか」
「鳴海をどう説得するか」
あたりでプレイングを頂けるとありがたいです。
なお、ロストナンバーは向かう相手の心の闇をゆさぶることがあります。
触れられたくない部分はお知らせ下さい。

参加者
花菱 紀虎(cvzv5190)コンダクター 男 20歳 大学生
千場 遊美(cdtw1368)ツーリスト 女 16歳 学生
流芽 四郎(cxxx5969)コンダクター 男 33歳 自称・皮職人
ルゼ・ハーベルソン(cxcy7217)ツーリスト 男 28歳 船医

ノベル

「『星娘』様だよ!」
「『星娘』様がお通りになる!」
 広場に集まった人々の一群から、囁き声が次第に広がり大きくなる。
「『星娘』さまあ!」
「治してください、病気!」
「戻して下さい、あの人!」
「『星娘』さまああ!!」
 声は次第に大きくなるが、集まった人々はほとんど身動きすることがない。暗闇の中、小さな明かり一つ灯して通っていく、四人の男に支えられた神輿の上に静かに横たわる小さな姿に呼びかけつつ、道を開き、再び道を閉じて見送っていく。
「あれですかね」
「そのようだ」
 色鮮やかなピンを髪に止め直しながら、花菱 紀虎は眼鏡の奥から神輿を眺めた。その隣で猫背の背中を僅かに伸ばすようにして、流芽 四郎も通り過ぎていく神輿を人の間から凝視し、訝しそうに眉を寄せる。
「だが、あれは」
「で、あれが鳴海くん!」
 ようし、覚えたっ、と楽しそうに千場 遊美が指差した。
「私はあっちの説得だよねっ」
 張り手一発くらいで目覚ましてくれるんじゃないかなーと、ふんふん鼻歌まじりで神輿の側に付き従う喪服じみたスーツ姿の青年を眼で追う。
「これだけ人を集めるってことはスーパースターなんだね、あの娘は!! じゃ、絶対サインをもらわないといけないね、お好み焼きに!!」
 お好み焼きもってきたかなあっっ。しまったこれだけ人出があるから、売ってるかも知れないって思って忘れた!
 白いリボンのツインテールを揺らしながら、遊美は服のポケットを叩いて探し、残念そうだ。
「クレープならどうかな? 無理かな? 勢いありすぎると破れちゃうしね!」
 だから、鳴海くんを説得しようっ。
 満面笑顔で宣言する。
「なら、俺と組むってことかな、お嬢さん」
 ルゼ・ハーベルソンが今にも走り出しそうな遊美の腕を捉えた。
「陸ってのは狭くて暑くてたまらないな、ほんと」
 苦笑しながら、遠ざかっていく神輿と付き従う鳴海を見やる。
「とにかく、晶の言い分も聞いてみたいよ。晶もコンダクターなんだし、俺たちの数字が無い=ロストナンバーだ、っていう事は向こうもすぐに分かるだろ。世界図書館から派遣されて来たって伝えたら、大人しく話し合いに応じてくれるだろうか…」
「ああ、まあそりゃ」
 四郎は奇妙な表情で僅かに肩を竦めて、ルゼを振り向いた。
「言い分も話も山ほどあると思いますよ。あっしも是非いろいろと聞きたいことがありますね、なぜ、あの死体がああも見事に保存されているのかとか」
「死体っ? 死体なのっ、あの娘っ!」
 遊美がけらけら笑い出した。
「へええ死んでるんだ、ならサインはできないってことだよね!」
「突っ込みどころはそこじゃないでしょう」
 紀虎が呆れ返りながら、四郎を振り向いた。
「『星娘』が死体だって言うのは確かですか?」
「『そういうこと』に関してはプロなんですよ」
 四郎が薄く笑う。
「見間違えるわけもありませんね」
「じゃあ、依頼の一つははなから失敗ってことか?」
 ルゼが溜め息まじりに首を振る。
「ロストナンバーはとっくに死んじゃってましたって?」
「でも、それなら鳴海くんはどうしてここにいるわけよ」
 遊美がにっこり笑う。
「あの娘が生きてる間に、トラウマとか再現されてウボォアーとかなっちゃったの? じゃあ、やっぱりひっぱたいて助けてあげなきゃ!」
「いやいや、それよりもまず話をだな……っっ!」
 目を輝かせて人ごみをかき分けかけた遊美を引き寄せたルゼは、いきなり周囲で起こったどよめきに動きを止めた。
 うぉおおおおおお!
「『星娘』様!」
「『星娘』さまあ!」
「……まさか」
「………へへええ……こりゃ、枕にしても凄すぎる…」
 一体どういう落ちをつける気なんですかねえ。
 紀虎がつぶやき、四郎が眼を見張る。
 それもそのはず、四人から少しずつ遠ざかっていた神輿がふいに動きを止めたかと思うと、その上の白い床に横たわっていた娘が、体にかけられたレースの覆いのままにゆっくりと起き上がったのだ。
「いやあれは確かに死体だったはず」
 四郎が眉を険しく寄せる。
 その声が聞こえたように、娘はまっすぐに四人を見つめた。
 澄んだ大きな黒い瞳、真っ白な肌、小さくぽっちりとした紅の唇が何かを言いたげに薄く開く。
 仏像のように静かで穏やかな微笑み。
「『星娘』様、お手を! 息子にお手を!」
 その間近で一人の女性が幼稚園ぐらいの子どもを抱えて転がり出た。
「どうぞお手を!」
 神輿がゆっくりと下ろされる。周囲の人間が息を呑み、見守る中で、『星娘』の白いワンピースに包まれた手が伸ばされる。母親の腕の中で、真っ赤な顔をして喘ぐように呼吸をしていた子どもの額に触れた、と。
「おおお!」
 見る見る呼吸が平静に戻った。顔色も戻り、子どもが瞬きして目を見開き、おかあさん、とか細い声で母親を呼ぶ。
「ありが、ありがとうございます、ありがとうございますありがとござ…っ」
 後は涙で詰まって声にならず、泣き崩れてしまった母親を、周囲の人間がわさわさと取り囲んだ。よかったね、さすが『星娘』様だ、そう讃える声に混じって、ざわざわと親子の状況が伝えられて来る。
 曰く、その親子は父親の度重なる暴力に堪えていたこと。子どもは繰り返し傷を受け、母親もまた傷を受け、しかし父親は至って世間体の良い男であったので、行政の手も福祉の手も届かず、事情を察した近所の通報も役に立たなかったこと。ついに子どもは繰り返し高熱を発するようになり、ストレスからだろう、薬も効かずに日がなうなされ、体力が落ち、それでもどこへも助けを求められず、唯一その高熱を落ち着かせることができたのが『星娘』だけであったこと。
「そういうことが重なって『星娘教』ですか」
 人を癒し導くと信じる絶対的な力の前にひれ伏す民衆と、その側近よろしく力を貪る男の存在、なるほど天皇の赤子らしいねぇ、と冷ややかな笑みを浮かべた四郎だが、
「『プロ』として、なぜ死体が動いたり人を癒したりできるのかは興味がありますね」
「怪しいツボの代わりに奇跡の治癒か」
 船医でもあったルゼが、そういうお嬢さんなら俺の船にも一人欲しかったなあ、仕事がかなり楽になっただろうに、と苦笑する。
「さて、そういうことなら、近づくのは容易いな」
 宗教だったら信者を募集してるだろう。
「知人から話を聞いて詳しい話を聞いてみたくなったと言って、晶の名前を出せばそれなりに潜入できそうだけど、な……と」
 ルゼが画策しつつ視線をあげて動きを止めた。
「どうしたんですか?」
 紀虎もルゼの見ている方向を振り返る。
 鳴海 晶がこちらを見ていた。
 歓声の中、再び神輿に横たわる娘を支えて寝かせ、もう一度はっきり四人を見つめる。
「……気づいたらしいな」
 ルゼがつぶやいた通り、鳴海の眼が何かを見つけて大きく見開いた。
「攻撃してきますか、それとも」
 操られかねない群衆を見回した四郎が、意外な顔で瞬きする。
「え?」
「どういうことだ?」
 群衆の彼方、『星娘』の側で、鳴海 晶は確かに助けを乞うように、片手を高く差し伸べた。

「では、『星娘』様にお会いしてきますか」
 四郎はきちんと身なりを整え、手みやげを確認する。
「日本を滅ぼしてくれるなら、喜んで崇拝しそうで恐いですね」
 広場での騒ぎの後、『星娘』の神輿は何事もなかったように、その奥にある小さな平屋に消えた。何でも数日前に完成したばかりの信者からの寄付による『お堂』だそうだ。
 『星娘教』は24時間いつでもあなたのために祈りを捧げます。
 信者の一人はそう言って、その『お堂』が常に訪問者を歓迎することを教えてくれた。
「じゃあ、俺は別口で入り込もう。あの娘の正体が何であるにしても、二人一度には相手できないだろうしな」
「いざとなれば私がいるしね!」
 遊美が楽しそうにウィンクする。
「女の子のほうの説得は男の子がいいよね! 絵画的に! カタツムリだってバケツと結婚するご時世だしね!」
「カタツムリ? バケツ?」
 なんだそりゃ、と戸惑った顔にルゼをさっさと行こうよう、と促して遊美が歩き出す。少し離れてから、四郎も紀虎と歩き出した。
「しかし……まるまる都市伝説ですよねえ」
 小さな街に現れた新興宗教の女性教祖、しかもそれは死体なのに人を癒したり起き上がって笑ったりする。ついでに、その教祖を守るために自分の属している場所を捨てた男は、まるで囚人のように助けを求めてくる。
「知らされていた情報が間違っていたのか、それともどこかで状況が変わってしまったのか」
 あるいはまた、見えない情報が自分達以外の場所で流され変形してしまっているのか。
「真実起こったことが、都市伝説にすり替えられ、いつの間にかただのフィクションとして消費されていくように、今回のこれも、本当に起こっていることはもっととんでもないことで、わかりやすい『正体不明の教祖』という形に置き換えられているだけなのか」
「皮一枚のことですがね」
 四郎が掌をゆっくり開いて眺める。
 そこにはいつものハンマー型のトラベルギアはない。代わりに握ったのは、自作した女性用牛革製の鞄とコートの入った手提げ袋。
「皮一枚の下にはいろんなものが隠されてますよ」
「そう…ですよね」
 紀虎は微かに身震いする。それが恐怖からではない、と気づいている。伝説の奥に潜みちらつく人の真実、人の本性、体の外側に広がる闇だけではなく、人は自分の体の内に、深くねっとりとした生温かな闇を抱えていることを知っている。
「………」
 ごくり、と唾を飲む紀虎の脳裏に甦るのは、大きく開いた牙が生えているように見える金属製の扉、彼方に小さな明かりが揺れて、微かに響いた声が自分の名前のような気がする、踏み入ればそこにあったのは。
 そこにあった、のは。
 恐怖だったか、それとも……歓喜…?
「……さん?」
「あ、はい」
 再三呼びましたよ、と笑われて、紀虎は急いで心の扉を閉める。
 それは、今、関係ない。
「行きましょうか」
 四郎が促す。
「常人なら、同じ状況になってしまえば、赤子と同じく何もできないはずなのに、苦もなく意思疎通ができるとは。その偉大さに拝みたく参りました。教祖様への贈り物も用意しました、こんな感じで近づけそうですかね」
「それぐらいで会えるかな…?」
 もし、贈り物だけ受け取っておきます、と言われたら?
「サイズが合うのか判らないので、直接教祖様が試着している姿を確認したいのですが、よろしいでしょうか、とでも」
「ああ、それならいいかもしれない」
 でも、もしあれが本当に本当に、死体、だとしたら。
「行きはよいよい、帰りは恐い…とか?」
 地獄八景、亡者の道行きぃ、と続くかの噺家の名調子が紀虎の耳を掠めた。

「あら、そうなの、晶さんのお知り合い」
 入り口の中年女性は上機嫌すぎる遊美にちらりと目をやったが、すぐに人なつこく笑い返した。
「ここにお名前どうぞ。外国の方なのね……いえ、大丈夫よ、『星娘』様は分け隔てなどされませんから、安心なさって」
「ありがとうございます」
 ルゼはにっこり笑み返す。
 『お堂』の中はさすがに夜中近くなってきたせいか、人気がなかった。こちらですよ、と案内されたのは、中央近くにある小さなホール、並べられたパイプ椅子に腰を落ち着けるまでもなく、前方に飾られた祭壇の横から鳴海が姿を現す。
「鳴海、晶さん?」
「いっぱーつ!」
「こらこら!」
 にこやかにビンタを食らわせようとする遊美をかろうじて制して、ルゼは座ってくれるか、と顎で示した。抵抗することもなく、鳴海が静かに腰を降ろす。
「何の用できたか、わかってるよな?」
「……」
「……聞きたいことがいろいろある」
「……」
「どうして彼女が壱番世界を救うんだって思い込んでるんだ?」
「……」
「そもそも、彼女は壱番世界を救うことを約束してくれているのかい? 壱番世界を救うことができるって、彼女の口から聞いたのかい?」
 鳴海は椅子に腰掛けたまま、深く吐息をついた。
「疲れたんだよね、鳴海くんは! よし、じゃあ、一度、この世界滅ぼしちゃおう!! 女の子一人で簡単に救われる世界なんて情け無さ過ぎてつまんないし!! そっちのほうが楽しそうだ!!」
 遊美が満面の笑みを浮かべて突っ込む。
「それが嫌なら、来たばっかの女の子一人に自分の世界の命運握らせようなんてしないでよ。だって、ここは君の世界なんでしょ?」
 ルゼが驚いた顔になった。
「まともなことも言えるんだな」
「こらこら仲間に突っ込みなしでしょ、今突っ込むの鳴海くんの頭の中っ!」
 遊美が応じると、鳴海が、なお大きな溜め息をついて頭を抱える。
「……悪いけどね、鳴海。たった一人のロストナンバーが壱番世界を救えるのなら、大勢のコンダクターは何年も世界群を彷徨っていたりはしないよ」
 ルゼが畳み掛けた。
「さあ、その子を連れて帰ろう。早くパスホルダーを発行して貰わないと、彼女は消失してしまうからね」
 びくん、と鳴海が震えた。
 のろのろと顔を上げ、ルゼを凝視する。
「彼女はもう、いない」
「何だって?」
「……彼女はもう……とっくにいないんだよ、あの体には」
 く、くくくっ、と引き攣った笑いを零した鳴海が、虚ろで大きな眼を見開き、
「もうとっくに、どこかへ旅立ったんだ」
「……どういうことなんだ……何があったんだ、鳴海」
 ルゼの問いが最後の防壁を崩した。
 鳴海の顔が幼い子どものようにくしゃくしゃと歪む。
「彼女は……っ……俺を……っ……世界を……見捨てた……んだっっ!」
 うわああああっっ、と号泣が響き渡り、慌てたように周囲から人が駆け寄ってくる足音が響いた。

「………急に人がいなくなりましたね」
「ちょうどいい機会だ」
 紀虎と四郎は顔を見合わせ、静かに『お堂』の中を巡っていく。平屋でそれほど大きくない建物、部屋数も知れていると踏んだのだが、意外に小部屋が多い。
「こっちはなさそうだ」
「……こっちも違う感じですね……あれ、かな」
 紀虎が指差したのは廊下の突き当たりにある壁。
「壁では……ない?」
「こういうのはね、たぶん違います。ほら、ここ」
 柱と壁の間が不自然に汚れて擦れた跡がある。
 紀虎が柱を押さえつけながら上下にがたがたさせていると、がこん、と柱の裏で何かが外れる音がした。
「押せますね」
「仕掛け扉なんですよ」
 壁を押さえて入り込む先はいやにひんやりと空調の効いた小部屋、外見からするとここは建物の端に突き出た部分のはず、廊下の続きかと思っていたが、窓のない小部屋だったらしい。
 部屋の真ん中にベッドがあり、そこにさっき見た白いワンピース姿の娘が横たわている。瞳は閉じられており、白いレースが全身にかかっている、それを引き上げてみた四郎が、抑えた声で感嘆を漏らした。
「………これが『星娘』…」
「これが?」
 これ、とはまるで人形のような、と言いかけた紀虎が相手の微笑に気づく。
「人間じゃ、ない?」
「おそらくは」
「いや、でも、だって」
 思わずもう一度『星娘』を覗き込む紀虎に、四郎がゆっくりと『星娘』の首筋から髪の生え際を指差した。
「とてもよくできている……本物を使ったのかもしれませんね」
「本物って……えええ」
 低く抑えた叫びでも、思わず口を押さえてしまう。
「というより……これはあっしが知っているどんな技術でもない……今まで見たこともありません」
「でも、起き上がって、目を開いて、笑って、手を伸ばしましたよ」
「人形の動作ですよ、ほら」
「っっっ」
 四郎が静かに体を起こすと、『星娘』の瞳が開いた。潤んで澄んだ大きな眼。唇が微かに開く。しばらくおいて、片手が曲がって浮き上がった。
「ママー、って言わないだけで」
「う」
 だけど、あの親子は。あの光景は。第一、鳴海のことは。世界司書の依頼は。
「全部、ウソ?」
「ウソじゃない」
 背後からルゼの声が響いて、紀虎はぎょっとして振り返った。
「ルゼさん、遊美さん」
「生体自動人形、とでも言うのかな」
「ははあ」
 四郎が納得した声音でゆっくり『星娘』を寝かせる。
「別の世界の特注品ということですか」
「ところが、単に人形ってわけでもないらしい。……なあ、鳴海?」
「鳴海さん?」
 ルゼの背後から不安定な足取りで現れた鳴海は泣きはらした顔で頷く。
「始めは確かに居た、んです」
 新鮮な感覚、現実の一瞬一瞬を楽しみ充実して生きる努力、未来へのひた向きな願いと期待。
「……彼女こそ、彼女の居た世界の理論こそ、滅びに向かう世界を救ってくれるんじゃないかと、思って」
 魅きつけられた。いや、何より、彼女の存在そのものに。
「彼女となら、どんな苦労も堪えられる、長く苦しいコンダクター生活が続こうとも、頑張っていけると思っていた」
 鳴海が俯く。
「けれど……彼女は……行ってしまった」
「……どういうことですか?」
 俯いて堪えない鳴海に代わり、ルゼが話し出す。
「もともとその『体』は一種の『観測装置』のようなものらしい」
「……『観測装置』?」
「彼女の居た世界は精神生命体とでも言うような存在が中心なんだってさ。だが、その存在もどこかの世界へ転移することになって、『彼女』が『観測装置』の中に入って、世界の最後を見届けることになっていたらしい」
 ルゼが眉を寄せて説明する。
「で、その最中にディアスポラ現象に巻き込まれた。『彼女』は興味深い状況であると『観測』を続け、鳴海と出逢い、残り時間終了まで情報検索することを選択したんだそうだ」
「………『彼女』には帰還命令が出ていて……その残り時間がなくなったんです」
 さよなら、鳴海。
 あなたの世界の幸福を祈るわ。
 それが最後のメッセージ。
「でも……離れたく、なくて」
 『観測装置』には生命体のエネルギーを修復するシステムがあった。それはまだずっと稼働し続けている。
「それで……人が癒せた」
「後はそれこそ、都市伝説、というやつですね…」
 四郎と紀虎が続けるのに、鳴海ががっくりとうなだれる。
「幻でよかった、けれど、皆の期待は高まるし、評判があがる一方で、そこからどう抜け出せばいいのか、もう、わからなくて」
 こんな救いを求めていたわけではないのに、いつの間にか自分が救世主に祭り上げられてしまった男の苦悶。
「迎えが来るのを待っていたそうだ」
 ルゼが呆れた声でつぶやいて、溜め息をついた。
「……なるほど」
「じゃあ、依頼終了ですね……ところで、遊美さんは?」
「それがだな」
 ルゼが肩を竦めて窓の外を指差す。
「鳴海がこうなってしまったのを信者が見つけて騒ぎになって、それを」
 窓の外、いつの間にか集まっていた信者がうろたえているただ中で、遊美が楽しげに声を張り上げる。
「じゃあ、派手に、派手に、ド派手にいってみよー!! 私の世界よ、狂い咲け!! 【百花狂乱】!!」
 
 ばふんっっっ!
 広場の四方にいきなり煙が上がった。
 現れたのは巨大な花、しかも壱番世界では蓮と認識される類の花が、巨大な花弁を揺らしながらどんどん広がり、次々と花を開き、人々を押し包んでいく。
「うごわあああああ」
 感極まった絶叫は蓮の花の上を飛び回る蝶の金粉のせいか、夜空を色とりどりに染める鮮やかな七色、いや十色以上もありそうな巨大な虹のせいか。
 ぱんぱんぱんぱんっ。
 立て続けになる爆竹、がしゃんがしゃんと賑やかなどらを鳴らしながら行軍する人形達、『お堂』を取り囲み、渦を巻き、竜のように螺旋のように上へ上へと舞い上がっていく。
 人々は口を開けてただただ見上げるだけ。

「……ちょうどいいですね」
 四郎が紀虎に促して『星娘』を抱えた。
「新たな都市伝説だな」
 四郎と肩を並べて、再び眼を見開く『星娘』を二人で支えて歩き出す。
「行くぞ、鳴海」
「は…はい」
 茫然としている鳴海がルゼに促されて、激しく顔を擦りながら足を踏み出す。
「もういっぱーつ。行ってみよっかあーっっ!」
 後を追ってきた遊美の声に、なお新たに鳴り響いたのは、上空に出現した巨大な火の鳥が、炎を天に吹き上げた音。
「依頼完了、万事終了ーっ!」
 あー、楽しかったあっ。
 遊美の声を背中に聞きながら、紀虎は思った。
 これはどんな都市伝説になって残るんだろう、いつかまた調査に来てみてもいいな、と。
 

 

クリエイターコメントご参加、まことにありがとうございました。
今回も皆様のプレイングに助けられた葛城です(笑)。
オカルト情報と、その裏に潜んでいた真実、二つの間に挟み込まれて身動きできなくなったコンダクター、鳴海。
無事連れ帰って頂けたのは、鳴海へのアプローチを考えて下さった方と、『星娘』へのアプローチを考えて下さった方のバランスがよかったからですね。
『星娘』の状態と鳴海の帰還は、あらゆる場合があり得ましたので、とにもかくにも依頼完了にお礼申し上げます。
きっとあの『お堂』では『星娘』と鳴海が、眩く光る五色の雲に包まれて天界に帰ったとでも伝わっていくんでしょう(笑)。
皆様のプレイング、キャラクター性が少しでも生かせ、楽しんで頂けたなら、これに勝る喜びはありません。
またのご縁をお待ちいたします。
ありがとうございました。
公開日時2010-07-28(水) 17:10

 

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