オープニング

 インヤンガイの夜は危険だ。
 そして今は冬。
 冷気が衣服をくぐりぬけて肌にしみこんでしまいそうだ。
 が、二人は感じなかった。
 二人は恋人同士だったから。月の光の下に照らされ、裏通りにある大きな木の下で、二人は時間を忘れて語り合っていた。
「またこんなとこに生傷作っちゃって」
 女の指先が、男の腕に巻かれた包帯を探り当て、女は心配そうに眉根を寄せた。
「こんなもん、痒くもねぇよ。それよりアラハナ……さっきの話だけど、よ。4月はどうだ?」
 男は女の瞳を覗き込む。女はほほを染め、見つめ返す。
「早すぎるよ……ラリー、結婚した後、どっちの事務所を使うかとかさ、これからのことが決まってないだろ」
「お前、意外と心配性なんだな」
「ラリーが何も考えなさ過ぎなんだ」
 幸福そうな笑い声が上がる。
 二人は、探偵であった。ある事件を通して知り合い、協力して事件を解決するうちに、深く愛し合うようになった。
 腕っぷしが強く、事件周辺を駈けずりまわって手がかりをつかむタイプのラリー・ラウ。
 根気よく情報を集め、分析して事件の鍵を探り出すタイプのアラハナ・シャーン。
 冬の寒さが少しゆるみかけたころ、ラリーはアラハナに結婚を申し込んだ。これからもずっと力をあわせて解決しようぜ。いや、事件だけじゃなくてさ……という、テレ隠しの言葉とともに。
 二人は飽かずに語り合った。結婚後は、どんなに忙しくても夕食は一緒にとろうとか、他愛ない話題。でもそれだけに大切なことを。
 忍び寄る影に気づかなかったのは、あまりにも満たされていたせいか。
 ラリーがふいに言葉を切り、体を硬直させた。
「どうしたんだ?」
 いぶかるアラハナの目の前で、ラリーはゆっくりと倒れた。背中にナイフが深く突き刺さっている。
 続いて、大きな影がざく、ざく、と何度もナイフを引き抜いては刺し、を繰り返した。
「やめろ!」
 アラハナは、体ごと殺人鬼にぶつけるようにして、阻止しようとした。アラハナは女性にしては上背もあり、細身ではあるが体力もタフなほうだ。
 だが、殺人鬼の腕のひとふりで跳ね飛ばされた。
 地面に叩きつけられたアラハナにも、ナイフが振り下ろされた。
「ああああ! ラリー!」
 息絶えた恋人がアラハナを救いに来ることはない。
 アラハナの目が、殺人鬼の目と合った。うつろな目。殺気ではなく、人形のような空虚さがそこにあった。

 二人一緒に殺されたほうが、多分まだしも救いがあったのだ。
 アラハナは重傷を負ったが、生き残った。ラリーを死なせてしまったこと、犯人を取り逃がしたことへの罪悪感にさいなまれながら。
 アラハナはしばらくは体の傷の治療に専念した。
 ラリーを殺した殺人鬼を必ず捕らえてやる、その復讐の一念に燃えていた。
 見舞いに来る探偵仲間や親戚から、彼女はアラハナたちを襲った殺人鬼が今も街を跳梁していること、その通称を「ラバーズ・キラー」と呼ばれていることを知った。
 なぜか恋人たちが二人でいるところを襲い、必ず男だけを殺す。女は半殺しにまで痛めつけるが殺しはしない。
 人を殺した上、心までももてあそぶような手口に怒りを燃やしつつ、アラハナは事件を追い、手がかりといえる人物二人を見つけた。
 一人は、アラハナが普段から情報源としている、女情報屋のメミーだ。
 メミーは元娼婦であるが、客に噛み付く悪癖があるため男に敬遠され、今は元の職業とそのつながりから得た情報を探偵たちに売りさばいて口を糊している女。
 アラハナは、歩けるまでに回復すると、真っ先にメミーのところへ向かった。
「きゃはははっ。泣いてる~♪ あんなに幸せそうだったアラハナが泣いてるぅ♪」
 情報源としては、すこぶる有用な存在であるメミーだが、人間としては最低なレベルに属するだろう。「人の不幸が何よりの幸福」だとはばからずに公言し、殺人鬼のうわさを聞けば嬉々としてどんな風にして人が殺され、そのおかげで親族がどんなに悲しみ嘆いているかを探り出しては恍惚としているのだから。 その情報を探偵たちに提供するおかげで、かろうじて「人間」にとどまっているのかもしれない。
 事件のことを話すうちについ涙ぐんだアラハナを見て、メミーはおもちゃを見つけた子供のように手を打って喜んだ。
 怒りを抑えつつ粘り強く情報を聞き出そうとするアラハナに、メミーは歌うように楽しげに語った。
「でもさー、『ラバーズ・キラー』ってさー、事件のたびに目撃情報は出るんだけどさ。その情報がねぇ……あんまし使えないみたいなんだよねー」
「どういうことだ?」
「この前の事件はさ、大柄でガタイのいい男が犯人だって主張してる目撃者がいるんだ~。でもさ、その次の事件じゃあ、『ほっそりした綺麗な女が犯人だ』って、生き残った女が主張してるって言うしさあ♪」
「妙だな」
 アラハナは考えこむ。手口が同一なのに犯人が複数であるとなると、アラハナが推理していた快楽殺人犯の線は薄れる可能性が高い。 
 もう一人の手がかりは、目撃者であった。
 アラハナたちが襲われた裏通りの奥にある小さな酒場。その女主人の娘が、事件を目撃していたようだと、メミーから情報がもたらされたのだ。
「ガタイのいい男が犯人だって言ってるのは、その子なんだけどさあ。その子の母親があたしの、元娼婦仲間なんだよねー♪ よかったら引き合わせてあげるけどぉ」
 メミーの恩着せがましい言葉とともに、アラハナはある酒場の女店主の娘を紹介された。
 サーヤというその娘は、10歳ほどか。
 さらさらした長い髪の、ふっくらした面差しをした娘だが、やけに暗い目をして、自分からはほとんど話さない。
 アラハナたちの事件のあった夜、眠れずに窓の外を見ていて、事件を目撃したらしい。
 おおきなからだの、おじさんが、おとこの人をころした。
 おんなのひともナイフでさした。
 目撃後、母親を起こして、そう告げたのだとう。が、アラハナはその証言を危ぶんでいた。
 事件のたびに目撃情報が異なるというラバーズ・キラー。それも生き残った被害者の、半ばパニック状態での目撃情報であるから、100%信頼のおけるものとはいえないだろう。
 まして子供が夜目に、遠くから目撃した情報では、果たしてどれほどの信憑性があるものなのかーーー
 失望の色を隠せないアラハナに、酒場の客が、熱心な口調で語った。
「子供だからって、馬鹿にしたもん居合わせたじゃねえぜ。サーヤちゃんはかしこいから、な」
「そうだよ、この子は普通のガキとは違う」
 聞くうちに、アラハナは奇妙な印象を持った。
 無口で、うつむいて絵ばかり描いている、どちらかといえばかわいげのない子供に映るサーヤだが、酒場の客たちの話を聞いていると、まるで小さな王女といった風に大事にされているのだ。
 聞けば、酒びたりの父親がしょっちゅう母親を殴りつけ、母親とともに父親の機嫌をとったり、荒れ狂う父親から逃げたりして暮らし、大人びた少女となったらしい。父親は去年、酒に酔って歩いていて車と衝突して死んだという。
 そんな少女のただひとつの楽しみが、絵を描くこと。貧しい母親はやりくりをしてサーヤにノートとクレパスだけは買い与え、サーヤは母親の手伝いをする傍ら、自由な時間にはもくもくと絵を描く。 
「絵が好きなんだな、サーヤちゃんは」アラハナは、今もうつむいてクレパスを走らせている少女に声をかけた。
「サーヤがかくと、ぜんぶほんとになるんだよ」
 無口なサーヤがふと、目を上げて言った。
 サーヤの描いた絵が、酒場に貼られている。
 サーヤの誕生祝を母親と、酒場の客たちが彼女を囲んで祝っているらしいかわいらしい絵。母親に連れられて巡節祭を見ている絵。
 ……といったものに混じり、頭から血を流して死んでいる男の絵が。
 その死に様から推して、サーヤの飲んだくれの父親だろうか。
 他の子供らしい絵と同じように並べて壁に貼られているのが異様である。父親の死は、お祭りや誕生祝と同じぐらい、この子にとってはうれしい出来事だったのだろうか……
 アラハナの背筋が寒くなった。
「今度、おねえちゃんも描いてあげるね」
 サーヤがうっすらと微笑んだ。

 目撃情報はまとまらず、手詰まりとなったアラハナは途方に暮れていた。
 不幸中の幸いといおうか……
 世界図書館の司書がラバーズ・キラーの暗躍を察知しており、既に旅行者たちを送り込むべく手配していた。
 旅行者たちが訪れた時、アラハナは絶望から這い上がろうとする者だけが持つ、細いが力のこもった声で言った。 
「頼む。『ラバーズ・キラー』だけはあたしの手で捕らえたいんだ。力を貸して欲しい。……ラリーの弔い合戦だ」
 アラハナの黒い瞳に今は涙はない。泣くよりも深い、怒りと悲しみがあるのみだった。

品目シナリオ 管理番号351
クリエイター小田切沙穂(wusr2349)
クリエイターコメントこんばんは、小田切です。某京都の某鴨川沿いにずらりと等距離で並んで座る恋人たちを見たら、無性に蹴落としたくなりませんか。
 それとは関係なく(ないのか)今回の依頼は通称「ラバーズ・キラー」、恋人同士を狙い男だけを惨殺、女を半死半生に陥れる奇妙な殺人鬼を捕らえるのが目的です。アラハナはまだ完全には傷が癒えてはいませんが、皆さんに同行することを強く希望していますが、彼女を調査に連れて行くかどうかは皆さんの判断にお任せします。 

参加者
サーヴィランス(cuxt1491)ツーリスト 男 43歳 クライム・ファイター
ディブロ(cvvz6557)ツーリスト その他 100歳 旅人
シャルロッテ・長崎(ceub6221)ツーリスト 女 17歳 高校生
新井 理恵(chzf2350)ツーリスト 女 17歳 女子高校生写真部

ノベル

●傷痕
 見るからに憔悴した姿で、アラハナは旅行者たちの前に現れた。きっと、ろくに睡眠も食事も取っていないのではないかと思われるやつれた顔が痛ましい。
「協力、感謝する。悪いけど、新しい情報は今のところまだ……」
「それより、何か食べないか」
 と、サーヴィランスが遮った。
 ここはアラハナが打ち合わせの場所として指定した、裏町によくありそうな、小さな酒場。
「食欲がなくて……」
「スープと果物くらいなら喉を通るだろう。自分の体を大切にしなくてどうする?」
 淡々とした物言いながら、アラハナへの思いやりに満ちていた。
「このお団子も美味しいですよ」
 新井理恵は屈託なく、自分の前に来た料理を可愛い口元に運んでいる。
 アラハナが暖かいスープをようやく口にしたころを見計らって、サーヴィランスは自らの計画を告げた。
 ラバーズ・キラーを誘い出すために、囮が必要だと思う、と。
 その言葉をまるで待っていたかのように、 いそいそとディブロがかばんを開き、かつらと花模様のワンピース、パッドとおぼしき丸いもの、化粧品……などの女装セットを取り出す。
「同感です。基本は囮を使って誘い出すのがよいと思います。ただ問題は女性役を用意しないといけない所。トラベルギア等の加護があるからといっても、シャルロッテさん達女性の方を参加するのは危険ですから」
 ずい、とディブロはサーヴィランスに女装セットを差し出した。
「これ、着てください」
「私がこれを着てどうしろと」
「簡単です。男性役をした人は『体』に致死的な酷い怪我を負う恐れがあるからです。その点、自分は危険を感じたらこの『器』から、負傷する前に抜け出せば……本体は半死半生な状態にはなりません。つまり、男性役は自分が適任となるのです。となれば、消去法でサーさんが女性役決定となるのです」
 ディブロは大真面目に語るが、他のメンバーはサーヴィランスの女装姿を思い描いてあるいは噴出すのを必死にこらえ、あるいは悪夢を振り払うごとくに懸命に首を振っている。
 アラハナが遠慮がちに口を挟んだ。
「あの……あたしが言うのものなんだが、ラバーズ・キラーは『幸福そうな恋人同士』を襲う。この組み合わせじゃあ、怪しいコスプレ趣味のオフ会に見られるのが関の山じゃないかな」
「そういうものなんですか?」
 人間の肉体に憑依し生きるディブロにとっては、まだ人間の思考の流れや感覚といったものがつかみきれないのか、きょとんとしていた。
 一方アラハナは、理恵たちに自分はどういう形で協力すればよいかと問いかけた。
「君にとっては不愉快かもしれんが……しばらくの間、私は君の護衛兼恋人候補として振舞おうと思う。出来れば捜査の間だけ、それを受け入れる風に振舞ってもらえないだろうか」
 と、サーヴィランスはゴーグルに覆われた目をアラハナに向ける。アラハナの顔が見る見る翳った。
「つまり、あたしは囮……? しかもラリーが死んだばかりなのに貴方と恋人のふりをしろと……?」
「殺人鬼にとって、探偵でもあり恋人の復讐を誓った君は目障りな存在に違いない。君の行動をそれとなく監視している可能性もある。そこを逆手にとって犯人を誘い出すのだ」
「……」
 アラハナは不承不承といったふうに頷いた。いずれにせよ、今は傷から回復しきっていないので、護衛は必要だ。硬い表情でうつむいたアラハナに、なんと言葉をかけたものかサーヴィランスが悩んでいると、優雅なしぐさでハーブティーを飲んでいたシャルロット・長崎が言った。
「殿方に始終貼りつかれるのが負担でしたら、私がアラハナさんの護衛を担当してもかまいませんわ」
 落ち着き払った言動ではあるが、お嬢様風の外見がこの薄汚れた街角に似つかわしくない。アラハナはシャルロットの姿を疑わしげに見つめている。 
「護衛として力不足と思うのでしたら実力は見せても構いませんのよ?」
 シャルロットは嫣然と微笑む。が、アラハナはシャルロットの物腰等から、何事かを見て取ったようだ。
 うら若い女性の身でインヤンガイへ乗り込んでくる旅行者、と聞けば、相当のつわものであることは想像に難くない。さもなくば余程の無鉄砲だが、シャルロットの場合はもちろん前者。
 新井理恵がアラハナに、情報屋のメミーとじかに会って話したいと頼んだ。
「メミーさんと少しお話したいな」
「あの娘はちょっと変わっているんだ。何を言われてもあまり気にしないでやってくれ」
 と、アラハナはメミーを呼び出した。インヤンガイならではの、呪符のようなものでの呼び出しだが、メミーは近くにいたのかすぐに顔を見せた。黒髪の艶やかな、なかなかの美形だが、意地の悪そうな表情がにじみ出ている。 
「へ~~え。事件を調べに来たんだって?子供のくせに超生意気~。」
 メミーはしょっぱなから理恵をじろじろ見た挙句、失礼な発言をする。
「やめな、メミー!」アラハナが叱り飛ばしても、メミーはどこ吹く風。
「目撃者の……サーヤちゃんっていう子のことなんだけど」
 理恵は人懐っこい口調で切り出した。 
「メミーさんのお話からすると、ずいぶんしっかりした女の子だなあと思って。殺人を目撃した、10歳かそこらの子供なのに、しっかりお母さんを起こして見たことを話せたんだものね」
「ああ、まーね。そりゃま、あの子もいろいろと苦労してるから」
「もしかして、お父さんを早くに亡くした子だって聞いたけど、そのことかな?」
 理恵がじっとメミーの目を覗き込む。メミーの表情が変わった。へらへらと薄笑いを浮かべていたのが、真剣な表情に。
「『亡くした』んじゃなくって、あの子の母親が『殺した』んだよ~、絶対そうだって」
「どういうこと?」
「だってさ、稼ぎは飲み代に消えちまう、酒場の売り上げが少ないと女房を殴る、最低な男だっていつも、ジョーナ……ってのがサーヤの母親の名前なんだけどね……が愚痴ってたもん。旦那に殴られるたびに、ジョーナがののしり返すのさ、『死んじまえ最低野郎』って。それをサーヤは隅っこで震えながら見てたそうだよ。スケッチブックをしっかり抱きしめてね。亭主の死に方だってさ、酔って足を滑らせて階段から落ちたっていうじゃないか。千鳥足ならジョーナの力でも十分突き落とせたろうね」
 ぺらぺらとメミーはぶちまける。普段のメミーなら、情報を小出しにして情報料を釣り上げようとするはずなのに、とアラハナは傍らで見守りながらあっけに取られている。
「あの理恵って子……催眠術でも使うのか?」
 アラハナはシャルロットに囁いた。シャルロットは、至極当然のことのように答えた。
「心理定規(マインド・ルーラー)。対象との心的距離を自在に操る能力ですわ。今のメミーには、理恵が親友か、それとも恋人に感じられるのでしょうね」
 理恵は、悪意に満ちた推論をはきまくるメミーに困惑しているようだったが、メミーはまだ語り足りないようで、理恵に向かいべらべらと話し続けている。
「それにジョーナってのは怖い女だもの。その証拠にサーヤを見てみな、いつだってジョーナの顔色をうかがってる」
「それは……子供は誰だって、お母さんのことが好きだからじゃ……」
 純粋な理恵には、メミーの言葉が悪意に偏りすぎているように聞こえた。が、メミーは鼻で笑った。
「ははん、この街じゃあね、純粋な『愛』なんてものはそうそうお目にかかれやしないんだよ。……まあ、サーヤがジョーナを喜ばせたがってるのは事実かな。殺人現場を目撃したときも、さぞかし嬉々として報告したろうよ。だって、ジョーナは大好きだもの、他人の不幸せが、ね」
 理恵が話の接ぎ穂に悩んでいると、シャルロットが助け船を出した。
「参考になったわ。ねぇ理恵」
「う……うん、ありがとう、メミーさん」
 メミーが細身の体に似合わぬ食欲で食事を平らげ、去っていく後ろ姿を見ながら、理恵は呟いた。
「あのひと、心を病んでる……人の不幸せが何よりの贈り物だなんて」
「というか、この街全体がそうなのかもしれませんわね」
 シャルロットがそう分析した。理恵はそっとシャルロットと寄り添うと、手をつないだ。


●疑惑
 目撃者であるサーヤの住処でもある、小さな酒場。
 サーヤの母親であるジョーナは、生活に疲れた表情はしていたが、酒場の経営者だけあってどことなく艶っぽさはある。
 ジョーナは、アラハナがサーヴィランスに伴われて再び来店したのを見て、驚いたようだった。しかもサーヴィランスはまるで姫君に求婚中の紳士といった風に何かとアラハナを気遣い、アラハナも甘える様子こそないが、淡々とそれを受け入れていたのだから。
 ジョーナがアラハナに囁いた。
「もう新しい彼氏かい? 今度はまた頼もしそうなのをくわえ込んだもんだね。面は分からないけどさあ」
「……ウマが合うのさ」
 うつろな声で肯定するアラハナを、ジョーナは底光りのする瞳でじっと見ていた。
 一方、退屈そうにしていたサーヤを理恵が外で遊ぼうと誘っている。シャルロットがその隙に、密かにサーヤの自室へ忍び入る段取りだ。
「これは全部子供さんの絵か?」
 サーヴィランスがジョーナに声をかけた。ジョーナはそうだと答える。子供の絵を飾る酒場など珍しいはずなのだが、何の疑問も抱いていないように見える。
「貼っていない絵はないのか? アラハナとラリーの絵とか」 
「それはママが破っーー」
 サーヤが何か言いかけたが、ジョーナが怖い目で少女をにらみつけ、サーヤは理恵の後ろに隠れる。アラハナが注文したカクテルを造りにジョーナが厨房に入ると、サーヤは逃げるように理恵の手をひっぱり、外へ出て行った。
 サーヴィランスはアラハナに向かい合う形でテーブルに座ると、防御グローブをはめた指で、サーヤの絵の隅っこを指した。
「この刻印のようなものは何だ?」
 サーヤの描いたどの絵にも、昆虫に似た形の小さなマークが印されているのだ。隠し絵のように、濃い色の背景にまぎれていたりして、よほど目を凝らさなければ判別できない。ゴーグルを介して世界を見ているサーヴィランスなればこその気づき、だったかもしれない。
「よくこんなわかりにくいものに気づいたな」アラハナは畏敬のまなざしを向ける。
「人の命にかかわることなら、何事も見逃しはせぬ」サーヴィランスが、自らに誓うように呟いた。続けて、
「この世界の法則が、私にはまだよくわからないのだが……何かの符術記号ではないだろうか。この絵に描かれた現象が実現するようにという念を込めた」
 アラハナの顔が強張った。サーヤの父親の死を描いた絵を見つめている。
「まさか、『ラバーズ・キラー』もサーヤが符術で起こしたっていうのか?」
 符術とは、古代より伝わる文字や記号を介して霊力を駆使する呪術である。
 黙々と事件の起こった地点を地図に起こしていたディブロが戻ってきた。
 事件現場を地図上で結び、円状に展開しているのであれば、その中心に犯人がいると考えたのだが、残念ながら分散した形になっており、地図から犯人のめぼしをつけることはできなかったと告げる。
「犯人は野宿して移動しながら犯行に及んでいるのではないでしょうか?」というディブロに、アラハナが首を傾げた。
「だけど、それだといつどこで恋人たちがデートするか、常に犯人が把握していることになって少し不自然だな。それに犯行時刻に比べると、移動時間が短すぎるな」
 サーヴィランスが頷いた。
「どこかで見かけた恋人たちに符術をかけ、身近な人間に襲われるように仕向けておく方法なら話は別だな」
「サーヤがあたしたちを殺そうと呪ってたっていうのか? あんな子供が?」
 アラハナは動揺し、もう聞きたくないと言いたげに顔を伏せる。 サーヴィランスは問いかけた。
「ラリーも自分はなぜ死ななくてはならなかったのか、理由を知りたいはずだ。それに君は大切なことを忘れている。君も目撃者の一人だという事実だ」
「あたしは……犯人の姿はよく見ていないんだ」恥じ入るようにアラハナは言った。恋人がいきなり倒れたため動揺して犯人を観察できなかったことを、探偵として未熟と恥じているらしい。 
「記憶をそのまま話してくれればいい。犯人はどんな様子だった?」
「姿はよく覚えてない。でも、不思議なのは、気配がまるでなかったことなんだ。殺人鬼なら殺気を発してて当然なのに、ラリーが刺されるまで、まるで殺気を感じなかったんだ。まるで自分には殺す意思はないみたいに……」
 アラハナがはっとした様子で言葉を切る。
 重い沈黙が流れた。 
 一方ーー
 シャルロットは隣のビルから屋根に飛び移り、サーヤの部屋の窓から忍び込んだ。少女の部屋にしては殺風景もいいところな、ベッドと机だけの部屋。ただ机の上にはカラフルなクレヨンが何本もある。
 片隅に置かれたくずかごに、シャルロットの目が留まった。サーヤの絵と思しきものが捨ててある。だが、ばらばらに千切られていた。
 シャルロットは断片を拾い集め、机の上に並べてみた。
「これは……」
 細い眉が歪み、ため息がもれた。   


●愛と毒
 アラハナとサーヴィランスは、ラリーが殺害された現場でもある大木の下にいた。
 互いに遠慮して微妙な距離にしか肩を寄せ合っていないが、ひそやかに語り合う二人は、付き合い始めたばかりの恋人同士に見えなくもない。アラハナがぽつりと呟いた。
「もし犯人がサーヤだとしたら、動機は何なんだろうな」
「幸せな人々が憎い、のではないかな。自らの恵まれない境遇ゆえに、幸福そうな人に嫉妬し、それが悪意へと変わってしまったのかもしれない」
「他人の幸せを壊しても、自分のものになりはしないのに」
 アラハナがため息まじりに言った。
「この推理が正しくても間違っていても、頼みがある。怒りに任せて犯人の命を奪わないでくれ」
 アラハナが沈黙した。心のどこかに、ラリーを殺した犯人を八つ裂きにしたいほどの憎しみが渦を巻いていたのだろう。
「憎しみを捨てろとはいわない。だが怒りや憎しみに身をゆだねてはならない。そうしてしまえば、憎しみは消えるどころか膨れ上がり、いわゆる愛だとか夢だとかの入る余地はたちまちなくなるのだ……私のように」
 覆面で表情は伺えないが、サーヴィランスの声はそのときアラハナの耳には寂しく響いた。
 丁度そのとき、人影がひとつ、二人に忍び寄りつつあった。ごく普通の主婦に見えた。目が異様に空ろで、手に包丁を持っている他は。
 主婦が包丁を振り上げた。サーヴィランスがアラハナを背にかばうように立ちはだかる。
 びしっ!
 空を裂いてサーヴィランスの投げた深紅の手裏剣が、包丁を叩き落す。夜闇の中でも彼の投擲は狙いをあやまたず刃物は銀色の光芒を放って地面に落ち、主婦は呆然と立ち尽くした。
 次の瞬間、物陰から飛び出したディブロが、犯人の腕をしっかりとつかんでいた。
 明らかに正気を失った状態の主婦が暴れて腕を振り回し、ディブロの体につめを立て、殴りつける。
 アラハナとサーヴィランスが協力して主婦の手足を拘束し、ようやく事なきを得たのだが。
「私ならば、肉体は器に過ぎませんから。暴れて傷つけられたとしても問題ありません」
「かもしれないが、血を流すことには違いないだろう? 無茶は……もう、しないでくれ」
 アラハナはディブロを気遣う。
「やはり、サーヤには符術で他人を操る能力も備わっているようだな」
 サーヴィランスは重い声で言った。

 サーヤは粗末なベッドの上にいた。毛布を被っているが、ドアを開けた瞬間びくりと毛布が動いたことから見て、目覚めているのは明らかだ。
「残念ながら、君の目論見は失敗した」サーヴィランスが宣言すると、もぞもぞと毛布が動く。
 アラハナが近づいて、毛布をめくった。毛布の下に懐中電灯、クレヨン、画用紙が散らばり、画用紙には長身の男と女性が並んでいる絵が描いてある。そして男女は黒いコートの人影に襲われている構図になっていた。だが、コートの殺人鬼の姿はまだ描きかけだった。
 無邪気でありながら禍々しいその絵にも、やはり昆虫に似た印が描き込まれていた。
「私の目からは逃れられんぞ。自らは手を汚さずとも、君の符術が原因である以上、君は殺人者だ。これ以上罪を重ねるな。殺人の罪はたとえ一度だけでも、死して償わねばならぬほど重いものなのだぞ」
 畳み掛けるようなサーヴィランスの言葉に、サーヤは初めて罪の意識めいたものを覚えたようだ。
 サーヤの目が逃げ場を求めるようにくるくる動き、ドアの際にいる新井理恵を見つけた。一緒に遊んでくれた優しいお姉さんでもある理恵にサーヤは、この場から救って欲しいといいたかったのかもしれない。
 だが、理恵の唇から放たれた言葉はーー
「もうやめなさい、サーヤ。絵で人を操って殺人を犯させるなんて、あなたは悪い子よ」
「ひいっ。マ、ママ……ぶたないで!!」
 理恵のマインド・ルーラーで心の距離を操作されたサーヤにとって、理恵が母親に見えるのだ。サーヤには、母親は保護者であると同時に恐ろしい魔女でもあった。
 自分の手で幸福を作り出すことが出来ず、他人の不幸を楽しむことによってしか幸福を感じられない女。《なんだいあの女、また新しい男をくわえ込んで、かわいくもないのにさ》悪意をサーヤの心に吹き込み、サーヤもまた自らと同じように、他人の幸福を壊すことが喜びとなるように感化していった女。
「約束して頂戴、サーヤ。もう、人を不幸にする絵は描かないって」理恵の言葉に、サーヤはがくがくと頷いた。
「や……約束するぅ!」
「いい子ね、サーヤ」
 サーヤは堰を切ったように大声で泣いた。
「母親を喜ばせるために、不幸な人間を増やしてたっていうのか……」
 アラハナが苦しげな声で言った。    
「だとしても、罪は罪として裁くのが私のスタイルです」
 シャルロットがレイピアをすらりと抜いた。流れるような動作で、サーヤの喉元に突きつける。
「やめて!」
 駆けつけたジョーナの悲鳴が上がる。サーヤもひいっと悲鳴をあげ、壁際にへばりつくようにして固まった。
「こ、殺さないで……ごめんなさい……」サーヤが哀れな泣き声を上げる。
 シャルロットは静かにレイピアを収めた。
「死の恐怖がどんなものかわかるのなら、今まで何人もの人たちにそれを味あわせてきた償いは出来るはずね?」
   

 サーヤは符術を、店の客からの見よう見真似で覚えたという。ストレスがたまると母親が不機嫌になり、サーヤに辛く当たる。それから逃れたくて、いつしか絵に呪をこめるようになったと。
 サーヤはある教会に預けられ、養育されることとなった。孤児を引き取り養育する施設でもあるというそこは、アラハナが強く奨めた。
「あそこなら大丈夫だ。きっと、サーヤもちゃんとした大人になれる。……あたしが証拠だ」
 アラハナは、自分もまたそこで育ったのだと明かし、サーヤの身元保証人の役目をも引き受けた。 サーヤの心を蝕んだ母親ジョーナにも罪の一端はあるが、何よりもジョーナにとっては、精神的なはけぐちでもあったサーヤを失うことが、最大の罰だと言える。サーヤが引き取られると決まったあとのジョーナは腑抜けたように無表情で、魂の抜け殻としか見えなかった。
 サーヤが施設に旅立つ日、アラハナたちは見送りに行った。
「心を操ってサーヤちゃんに罪を認めさせたこと……ごめんね。もうこれ以上、罪を重ねて欲しくなかったんだ」
 理恵は旅立つサーヤに謝った。サーヤは無言のまま小さく頷いて、迎えの車に乗り込んでいった。
 サーヤの乗る車を見送りながら、アラハナはシャルロットと並んで立つ理恵に言った。 
「二人は親友同士なんだな。……全然、似てない同士だけど」
「理恵がバックス、私がフロント、いつもの役割ですわ」
 シャルロットは金髪を風になびかせながら答えた。
「面白いコンビだな。今回はとても助かったよ。協力ありがとう」
 アラハナは混沌の街へと歩き出した。その背中に、サーヴィランスが声を投げた。
「ラリーの墓に、供えてやってくれ。私のような者が君の恋人代わりを演じて、怒っているかもしれないからな」酒瓶を差し出す。
「ありがとう。……さよなら」
 アラハナは受け取って歩きかけ、立ち止まった。
「また、いつか」
 振り向かずに言った声だけがサーヴィランスの耳に届いた。

クリエイターコメントお疲れ様でした。ポイントは絵と事件の関連、動機(幸福への嫉妬)でした。皆さんの能力を生かしてサーヤの心理に迫りつつもアラハナを守ることができ良かったです。アラハナの護衛役として、サーヴィランスさんとシャルロットさん両名がいらっしゃいましたが、ラバーズ・キラー対応により効果的と思われるサーヴィランスさんにお願いしました。シャルロットさんはサーヤの絵についての探索を重点に行動していただきました。
個人的にはレオタード姿で忍び込んでいただきたかったのですが(略)。
お疲れ様でした。
公開日時2010-03-15(月) 18:30

 

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