オープニング

 窓の外はどこまでもつづく虚無の空間「ディラックの空」。
 ロストレイルは今日も幾多の世界群の間を走行している。
 世界司書が指ししめす予言にもとづき、今日はヴォロス、明日はブルーインブルー……。大勢のコンダクターが暮らす壱番世界には定期便も運行される。冒険旅行の依頼がなくとも、私費で旅するものもいるようだ。
「本日は、ロストレイルにご乗車いただき、ありがとうございます」
 車内販売のワゴンが通路を行く。
 乗り合わせた乗客たちは、しばしの旅の時間を、思い思いの方法で過ごしているようだった。

●ご案内
このソロシナリオでは「ロストレイル車中の場面」が描写されます。便宜上、0世界のシナリオとなっていますが、舞台はディラックの空を走行中のロストレイル車内です。冒険旅行の行き帰りなど、走行中のロストレイル内のワンシーンをお楽しみ下さい。

このソロシナリオに参加する方は、プレイングで、
・ロストレイル車内でどんなふうに過ごすか
などを書いて下さい。
どこへ行く途中・行った帰りなのか、考えてみるのもいいかもしれません。

!注意!
このソロシナリオでは、ディラックの落とし子に遭遇するなど、ロストレイルの走行に支障をきたすような特殊な事件は起こりません。

品目ソロシナリオ 管理番号876
クリエイター櫻井文規(wogu2578)
クリエイターコメントソロシナリオのお誘いにあがりました。

皆さま、冒険旅行、お楽しみいただけていますでしょうか?
よろしければ皆さまの旅にまつわる一端を、わたしに描写させてはいただけませんでしょうか?
ご参加、お待ちしております。


製作日数を多めにとらせていただいております。
ご理解のほど、よろしくお願いいたします。

参加者
サーヴィランス(cuxt1491)ツーリスト 男 43歳 クライム・ファイター

ノベル

 巨躯をボディアーマーで被い隠し、フードつきのマントを羽織る。フードは目深に被り、その下に覗く顔には覆面と大きなゴーグルをつけている。表情ひとつ読み取る事の出来ない風貌で、サーヴィランスはロストレイル車中に乗り込んできた。
 他に乗客の姿はない。いや、見えていないだけで、どこかに座り、車窓から見えるディラックの海を眺めているのかもしれないのだが……それよりも今は、疲弊した身体を一刻もはやく休めることが大切だ。
 サーヴィランスは全ての犯罪が撲滅することを望んでいる。サーヴィランス自身もまた、犯罪者の手によって両親を無残に殺され、顔面に重度の傷を負った。――彼は憎むのだ、全ての悪を。欲望のゆえに他者を踏みにじる、厭うべき犯罪者たちを。

 重い身体を引きずって、ボックス席に腰をおろす。大きく呼気を吐き出し、窓近くに肘をついて頬杖をついた。
 静かに走る列車の音、流れていくディラックの海。あの光のすべてに生命が息衝いているのだろうか。――考えると途方もない心地に包まれる。

 ふと、サーヴィランスは知らず閉じていた瞼を薄く開く。視線を動かし、その先に、何者かの足があるのが見えた。足が見えるということは、何者かが向かいのシートに座っているということだ。
 ぼんやりと目を持ち上げ向かいに座る者の姿を検めて、サーヴィランスはわずかに驚愕の色を浮かべた。
 向かい合わせに座っているのは男だ。頑強な巨躯をボディアーマーで包みこみ、フードのついたマントを羽織っている。顔面には大きなゴーグル、その下には覆面をつけていた。およそ覗き見ることの出来ないはずの眼光が、歪んだ光と共に細く笑みの形を描いたような気がした。
 ――これは、
 思わず腰を持ち上げようとしたサーヴィランスの動きは、しかし、男の言葉により制された。
「二十年」
 男のものと思われる声が空気を揺らす。気付けば、他の音が消えていた。「すべてを投げ打って、二十年だ。実際、私はこれまでよく続けてきたと思う」男の声は小さなため息を交えながら、他に音をたてるもののない空気の中、静かに紡がれる。歪んだ笑みを描いている眼差しがまっすぐにこちらを見据えているのが、なぜか手にとるように分かる。
 サーヴィランスは持ち上げかけた腰を再びシートに戻した。両手を組み膝の上に投げやって、姿勢をやや前かがみにして男の姿を検めた。
 サーヴィランスと同じ姿形、同じ出で立ち、同じ声。――夢を見ているのだろうか? 
「いいや、夢などではない」
 男はサーヴィランスの思考を読み取っているかのように口を開く。
「窓の外に溢れる光のすべてが個々に世界を築いている。ひとつの世界には無数の正義や秩序が存在するのだ。それがあの光の数ほどに存在する。無限に広がる世界群の中で、さて、どれだけの事が出来る?」
 サーヴィランスの姿をした男はサーヴィランスの声で言を放つ。両手を組み、やや前かがみな姿勢を作って。 
「どれほどの命を悪から救い出せる? そもそも正義とは何だ? 犯罪を撲滅することがそうなのか? 悪と対峙するものは正義か? ならば正義の対比にあるものは悪なのか? 私が重ねているものは、本当に正義なのか?」
 男は静かにそう続けた。
グローブをつけた両手の指先が汗ばんでいるのが分かった。が、それに反し、背筋を小さな氷が滑り落ちているかのように、全身があわ立っている。
「私には何一つとして救うことはできないのだ。すべてがこの両手をすり抜けていく。私は無力だ。私には何も変えられない」
 視線を男の顔面から逸らす事ができない。サーヴィランスは指先に力をこめ、ようやく一言だけを結ぶ。
「……いや、」
 それは違う。そう続けようとした瞬間に、もはや鼻先が触れ合うほどの距離にあった男の顔面が大きく歪んだ。まるで視界がブレたかのように。
「無力だ、私はこうも無力なのだ。何一つ救えない。己が信条すらも貫き通すことはできない。世界は絶望的なまでに広大だ。対し、私のこの力など及ぶべくはずもないほどに矮小だ。キキキ、無理なのだよ、カカカカカ、カカカッ!」
 嗤う声が耳をつんざく。同時に車窓が音もなく砕けた。窓の外を流れていたディラックの空が粘つく膜となって割れた車窓からなだれ込む。眼前の男の姿はもはやヒトとしての形を成していなかった。粘つく闇の奥にゆっくりと飲み下されていくかのように、男は歪んでいく。しかし、それでもなお、男の嗤う声は消えない。歪む闇をさらに歪めるように、同じ言葉を繰り返しているのだ。
 足もとが闇に飲み込まれている。辺りにはもはやロストレイルの形すらもない。腐った沼の底に沈殿している泥のような闇が、意思を得た生物のように這い上がってくる。サーヴィランスは男を見据えていた視線を足もとの闇へと移した。嗤いながら這い上がってくる泥こそが、今まで向かい合い座っていた者の変じたものだ。なぜか確信できる。
 無駄だ、無力だ、何一つとして救えない、何一つとして
 声が耳をつんざく。眩暈がする。何一つとして、そうだ、何もできるわけがない。
「あああああああああああがががががががああああ!!」
 喉の奥になだれ込む泥を吐き出すように、サーヴィランスは叫んだ。すでに飲み込まれているはずの両腕を揮いあげてトラベルギアを構える。そうして、先ほどまで男の顔面があった場所を目掛けて振り下ろした。三枚からなる手裏剣で、何度も何度も殴り続けた。何かを潰しているような音が響き、手にはその感触が伝わる。それでもサーヴィランスは振り下ろし続けた。叫びながら、何度も。
  
 カエルが潰れたような音がして、静かになった。

「まもなく0世界、ターミナルに入ります。お席にお座りになってお待ちください」
 列車内にアナウンスの声が響く。その声を耳にして、サーヴィランスは弾かれたように顔をあげた。
 列車内には数人の乗客がいる。交わされる声がさわさわと空気を揺らしていた。窓の外にはディラックの空が広がっている。サーヴィランスはボックス席にひとりで腰かけていた。
 ――夢……だったのか?
 周囲を見渡しながらそう考えて、手元に視線を落とした。
 手の中に握りしめているのはトラベルギアだ。身体中がヒヤリとしている。喉がからからに乾いている。――夢、なのだろうか?

 ターミナルで列車を降り、フードをかぶりなおした後、サーヴィランスは小さく呼気を正した。結局のところ、夢だったのか、あるいは現実のことだったのか分からない。対峙していたものが何であったのかすら分からないのだ。
 
 ロストレイルはまた違う乗客たちを乗せてターミナルを滑り出ていく。サーヴィランスがまだ訪れたことのない世界に向けて走りだしていくのかもしれない。そう、世界は無数に存在する。
『世界は絶望的なまでに広大だ』『私のこの力など及ぶべくはずもないほどに矮小だ』
 耳の奥、声は残されている。――夢ではなかったのかもしれない。
 考えて、サーヴィランスはかぶりを振った。
 否、何であろうとも、揺らぐはずもないのだ。揺らぐわけにはいかないのだ。
 サーヴィランスには、全ての世界の抗う力を持たぬ者たちを救うために、永遠に戦い続けることしかできないのだ。届くはずもない高みならば切り崩してでも目指せばいい。
 旅立って行った列車を見送った後、サーヴィランスはマントを翻し踵を返した。

クリエイターコメントこのたびはソロシナリオへのご参加、まことにありがとうございました。

お久しぶりです。またご縁をいただけたこと、心から嬉しく思います。
さて、プレイングを拝見して、ウワッホイ!!とテンション高く書かせていただいたのですが、そのテンションゆえに文字数をだいぶ削るはめになってしまったのはここだけのヒミツです。
前半部分を縮め、何者かとの対峙を得た後の描写を色濃くしてみました。
いかがでしたでしょうか? お気に召していただければ幸いです。

それでは、またご縁をいただけますことを心待ちにしつつ。
公開日時2010-10-01(金) 18:50

 

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