――あなたを引き留めるつもりはないの。ただ、あなたが行ってしまうと、私は退屈を持て余す。 ――じゃあこうしよう。きみに千とひとつの出題を残していく。ひとつひとつの解答は無限。だからきみは永遠に退屈しない。 そうね、だから。 だから――わたしは。 時の動かぬこの世界で。 あなたのいない、この世界で。 ただひとり、チェンバーに閉じこもり、遊び続ける。 あなたが残してくれた謎だけを友として。 =/=/=/=/=/=/=/=/=/=/=/=/=/=/=/=/=/=/=/=/=/=/=/=【一一 一様さま。由良久秀さま。深山馨さま。三雲文乃さま】 拝啓 貴殿ますますご清栄のこと、お喜び申し上げます。 さて、来る期日、当《たそがれのチェンバー》にて、 ミステリセッションを開催させて頂きます。 つきましては皆様のご参加を賜りたく、こうして書状をお送りした次第です。 当日、当セッションにて扱いますのは、実際に起きた事件ではありません。 あるひとりの少年の創作によります、無限の解答を持つ物語。 いわゆる《リドル・ストーリー》です。 今回の《設定》は、ターミナルで起きた連続殺人事件。 被害者は12人。すべて女性。全てツーリストです。 彼女らの死体は、白と黒のチェス盤の上に並べられておりました。 ただひとりの《容疑者》もまた、女性のツーリスト。 彼女は毒をあおり、自ら命を断ちました。 たった一行、「我、彼ゆえに、奈落に落つ」と記した遺書を残して。 もしもご希望であれば、事件の状況をチェンバー内にて再現し、 皆々様の推理を拝聴したく思います。 また、当日の余興の一つとして。 皆様には、事前より敢えてご自身の推理の方針を明確にして頂きたいと思います。 この容疑者が、実は哀れな被害者であったのか。 それとも、真相を隠しきった真の犯人であったのか。 皆様には各々の方針の下、それらを証明して頂きたいのです。 真っ向から対立した推理討論の果て、新たに見えてくるものもありましょう。 無限にある解答の中の、あざやかなひとつの光が。 チェス盤を逆転させ、さらにまた裏返して。 その先に何があるのか、ご興味はございませんか。 皆様のご来訪を、心よりお待ちしております。 敬具 《たそがれのチェンバー》アイリーン・アドラー =/=/=/=/=/=/=/=/=/=/=/=/=/=/=/=/=/=/=/=/=/=/=/= 出向いた4人の前には、白と黒の椅子がふたつずつ、それぞれ向かい合わせに並べられていた。 アイリーン・アドラーを名乗る女は、透きとおるような白い指先で、参加者の席を指し示す。「一さんと由良さんは検事席に。深山さんと三雲さんは弁護人席に着席ください」 そして、宣言する。「では《黄道12宮の殺人》の裁判を始めましょう。僭越ながら、わたしが裁判官をつとめさせていただきます」 4人の前に、資料映像が浮かび上がる。 ……が。 それは、曖昧なシルエットだけの、どうとでも取れるビジョンだった。 ■□ ■□ □毛を刈られた【ひつじ】は、白の盤に。 ■角を折られた【うし】は、黒の盤に。 □荒縄で縛られ、串刺しにされた【ふたご】は、白の盤に。 ■鋏をもがれた【かに】は、黒の盤に。 □たてがみを落とされた【しし】は、白の盤に。 ■髪を切られた【おとめ】は、黒の盤に。 □バランスの狂った【てんびん】は、白の盤に。 ■毒を抜かれた【さそり】は、黒の盤に。 □矢を欠いた【いて】は、白の盤に。 ■ひげをそられた【やぎ】は、黒の盤に。 □底の抜けた【みずがめ】は、白の盤に。 ■干からびた【うお】は、黒の盤に。 □■□そして、容疑者は【おとめ】の髪を握りしめ、【しし】と【てんびん】にはさまれて、こと切れていた。 ■□ ■□「あのー、まったくもってよくわかんないんですけど、何をどうすればいいんでしょうか……?」 一が片手を挙げる。「読み解いていただければと思います。あなたがたの想像力で。検事視点と、弁護士視点から」「うーん?」「もとよりこのセッションは遊びに過ぎませんので。このシルエットにどんな肉付けをしようと皆様の自由。どんな背景、人間関係を想像するかも、ご自由です」「《設定》したうえで《糾弾》したり、《弁護》したりしろってことですか?」「はい」「難易度高ッ!」「……それも含めての出題ですから」 アイリーンのおもてに、一抹の寂しさが横切る。「これは20年前に、ある少年が私に残した謎のひとつなのです。 まぎれもない“名探偵”であった彼は、わたしを飽きさせることのない、良き遊び相手でした」「……遊び相手、ですか。そのひとって、まさか」 一は、探るようにアイリーンを見た。しかし彼女の表情の変化は読み取れない。「ええ。別の世界に帰属しました。わたしを――て」 ――わたしを、置いて。 たしかにそう言ったように、聞こえたのだったが。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>一一 一(cexe9619)由良 久秀(cfvw5302)深山 馨(cfhh2316)三雲 文乃(cdcs1292)=========
■□人定質問――雨だれの前奏曲 「抽象的すぎる」 そして、わかりにくい。シルエットのみの資料映像に、由良久秀は顔をしかめる。 それでもきびすを返さずに、指し示された弁護側の席についたのは、アイリーン・アドラーを名乗る女のありようが、その仮の名から連想されるしたたかな悪女とはかけ離れていたからだ。清楚でもの静かで、消え入りそうに儚げでもある。 ――水の女。 以前、このチェンバーからの招待に応じた“名探偵”たちに、彼女は自身をそう形容したという。その顔立ちを、表情のうごきを、真理数の存在の有無を、由良は観察する。 0世界に帰属したロストメモリーであるならば、頭上に「0」を現す数字が見えるはず。だが彼女は真理数を持っていない。世界司書であり得るはずもないので、一般のツーリストと判断するべきなのだろう。 螺旋飯店のダイニングルームで見た肖像画のひとり、最初の世界司書アイリーン・ベイフルックとの関係や相似を疑ってもみたのだが、しかし、ベイフルック家の女性たちとの容貌に共通するものはなかった。 (なら、なぜ) 何故、この女はアイリーンを名乗る? 偽名なら、他にいくらでもあろうものを。それとも、ただの偶然の一致に過ぎないのか。 「……そんなに、見つめないでください」 由良の鋭い視線を感じたアイリーンは、水縹(みずはなだ)いろの長い髪を揺らし、笑う。 「もしわたしが、あなたの関心を惹ける女であったなら、うれしいですけれど。この設問を解くキーワードを『恋愛』に設定するつもりでしたので」 「どういう意味だ」 「犯行動機だけは最初から明らかにするということです。それが『恋愛』」 「……わかりにくいのは変わらんと思うが」 由良は憮然とする。 「動機はともかく前提が不明瞭だと、どう始めていいかわからん。そもそも、この事件の《被告人》は誰だ?」 それを受けて一一 一が大きく頷いた。 「ですよねー。人定質問、でしたっけ? 検察側としては、被告人に氏名・年齢・職業・住居・本籍を尋ねなくちゃなんないんですが、肝心の被告が特定できないと最初からゲームオーバーですよ。そこんとこどうなんでしょうかアドラー裁判官!」 一の人差し指が、ぴしっとアイリーンに向けられる。 「そのうえで、起訴状の朗読ですよね? 被告人が、いつ、どこで、どんな犯罪を行ったか。それがあってようやく、検察側と弁護側の論述応酬が可能になると思うんですけど」 「そこから始めてくださるなんて、本格的ですね。とてもすてき」 アイリーンは静かに微笑みながら、そっと頬に手を添える。 「では、裁判官は『黙秘権の告知』を被告人に伝え、被告人はそれを行使した、ということにしましょう」 「え。でも」 その意味するところに、一の指先が行き場をなくした。 「被告人、すなわち《容疑者》は死亡している設定ですので、形式としてそうするからには、わたしは、裁判官と被告人を兼任し、被告人として黙秘権を行使させていただきますね」 「いきなり黙秘されたッ!? どうしましょう由良さん!」 「知らん。進行はまかせる」 「いきなり丸投げされたッ!? どうしましょう弁護側の皆さん!」 あまつさえ、検察側の片割れにまで、さっくりと進行役を委任されてしまった。一は思わず、弁護席のふたりに助けを求める。 □■ □■ 「わたくしが法の守り手の立場に立つなんて」 ――皮肉めいていて、愉快ですわ。なんて楽しいゲームなんでしょう。 三雲文乃の口もとが、ゆっくりと弧を描く。水に映りこんだ下弦の月がゆらめくように。黒いヴェールに覆われて、表情はつまびらかではないが、それでも興味深くは思っているらしい。 「この謎かけは、回答者の数だけ答があるのですね。検事が容疑者の罪を証明するのなら、こちらは無実を証明すればよいということでしょうか」 「そのようだね」 深山馨は弁護席に悠然と腰掛け、サックスを演奏するにふさわしい指を、今は膝の上で組んでいる。 「そして、わたくしたちが出した解以上に、あちらの方がたの解が納得いくものであれば、『敗北』ということになるのでしょうね」 歌うような声音で文乃が言う。 「『敗北』に得心できるのならば、それも甘美かもしれないけれども」 低音の伴奏ででもあるかのごとく、文乃の声音に添ってから、馨はふっと苦笑する。 「さて。検事どのがお困りのようだね。このままでは我々は、甘美な敗北を享受するどころではない」 一のすがるような瞳が、じーーーーーっと馨を捉えていたのだ。 「では、被告人の特定は、我々で行うとしようか」 「そうですわね。先ずは登場人物の整理から始めましょうか。十二の死体と《彼女》と《彼》」 資料映像を見つめ、文乃はすうと目を細める。 そこにあるのは、何かの寓意のようなシルエット。ここに想像の色彩で、いのちと感情を持ったひとびとの物語を、どう構築していけば良いのか。それも、論理的に。 しかし文乃は、あくまでも楽しげだった。 「次に、起こったことの確認です。十二人の死体が出来て、一人の容疑者が自殺した。ですが、それですと矛盾が発生します」 「そのとおり」 ひときわ高く、幻想のサックスが鳴り響く。 「双子座が二人なら被害者が十三人になり、数が合わない」 馨は、資料映像ではなく、水の女を見つめる。 「裁判官にして被告人。ならば君がこのチェス盤の駒を配置したマスターということになるね、アイリーン」 探るように。いとしむように。 「マスターにお聞きしたい。この事件の登場人物は、容疑者・被害者を合わせると、合計何人になるのかな?」 「黙秘させていただきます」 「あるいはマスターではなく、出題者の意図的な穴かもしれないがね。無限に遊ぶことができるゲームにするための」 「……黙秘させていただきます」 「成る程」 ぽつり、と。チェンバーのなかに、雨が降り始めた。 それもまた、幻想の雨。 誰の身体も濡らしはしない。 「十二宮の死者の中に、被告も含まれていたと?」 見えぬ雨だれをそのヴェールで受け止めるように、文乃が心持ち、上を向く。 「そう。であれば、被害者も容疑者も皆女性ということになるね。遺書にある『彼』は、女性にも適用できる代名詞だから」 「わたくしも同じ意見ですわ。剃った己の髪を持って死んだ乙女座こそが被告であると」 「……でも」 一が困惑気味に首を傾げる。 「動機は『恋愛』ですよ?」 「恋情を抱く相手が異性でなければならないと、誰が決めたのだね?」 さらりと返されて、一は言葉に詰まる。 「や、否定はしませんよ、しませんけど」 ……ハードル、高いです。 がっくりうな垂れる一をよそに、馨はアイリーンに向き直る。 「被告人を《乙女座》と比定しよう。それでいいかな?」 「承認いたします」 ■検察側の陳述――水に映る影 一は思う。 この舞台設定は、ターミナルの暗喩ではないかと。 であれば、発端は、ロストナンバーゆえの悲劇ということになる。 覚醒と忘却。そして、変化の受容。 「……、わかりました。乙女座を被告とし、その罪を糾弾させていただきます」 ぱし、ん。 気持ちを切り替えるために、 一は両手で自分の頬を軽く叩く。 脳裏を横切る鉄仮面の囚人を振り払うように。 ……振り払うことなど、できないけれど。 たとえば、鏡のような水面に映った翳りある横顔が、ぽたりと落とされた水滴の波紋に一度はかき消されても、いっそうの鮮やかさで蘇るように。 囚人の残像は不協和音を奏で、時には低く、時には高く、常に鳴り響いている。 「《彼女》と《乙女座》は、故郷で恋人同士でした。ですが《彼女》は覚醒し、行方不明になった。《乙女座》も、《彼女》を探すうち、覚醒しましたが、再開したとき、《彼女》は記憶を失っていたんです」 「ロストメモリーになったということかい?」 穏やかに問う馨に、一はかぶりを振る。 「いいえ、覚醒のさいのショックか、何らかの事故で。病識としての記憶喪失です。だからそれは彼女の意思ではなかった。彼女の記憶を取り戻すため、《乙女座》はさまざまな方法をためした。でも、幾多のロストナンバーのちからを借りても、ターミナルの医療技術を駆使しても、彼女の記憶は蘇らなかった。《乙女座》は自分を忘れた彼女のそばに、それでも在りつづけた。そんな《乙女座》の前に、《双子座》のふたりが現れたのです」 椅子から立ち上がり、一はゆっくりと歩く。 「《双子座》たちは《乙女座》と《彼女》と出身世界を同じくし、しかも、近しい間柄でした。《双子座》たちもまた《彼女》の記憶喪失を嘆き、取り戻せるように尽力しました。それは純粋な好意からだったのですが、しかし《双子座》は不用意なことを口走ってしまった」 あなたひとりじゃ、限界があるわ。 わたしたちふたりも、協力する。 まかせて。ひとりよりふたり、ふたりより三人よ。 あなたの努力だけじゃ、彼女の記憶は戻らないかもしれない。けれど、わたしたちが力を合わせれば奇跡が起こるかもしれないじゃない? だって、彼女と親しかったのは、あなただけじゃないもの。 わたしたちも、彼女の親友だったのよ。あなたの知らない彼女を、たくさん知ってるんだから。 ――そして《双子座》は、《乙女座》により、串刺しにされた。 「しばらくして、今度は《蟹座》が覚醒し、ターミナルにやってきました。やはり同郷だった《蟹座》は、《彼女》が以前交際していた女性でもありました。《蟹座》は、今の状況をせせら笑い、あなたの愛が足りないからだと《乙女座》を責め、これ見よがしに自分の腕を見せました。そこには、かつて《彼女》が《蟹座》と交際していたときに刻んだ、お互いの名前を図案化したタトゥーがありました」 ――そして《乙女座》は《蟹座》を殺し、その腕をもぎ取った。 同郷出身のロストナンバーが現れるたび、犯行は繰り返された。 長い年月をかけて、死体は積み重なっていった。 「《乙女座》には、ターミナルに来てから知り合った、異世界出身の友人がいました。《獅子座》と《蠍座》です。ターミナルでのイベントや冒険旅行をともにするうち、《獅子座》と《蠍座》は《乙女座》の犯行に気付きました。そして、彼女を心配し、正そうとしたのです」 こんなことを続けていては駄目よ。もし《彼女》が知ったら、とても苦しむでしょう。 彼女の記憶は戻らない。もう彼女のことは忘れなさい。 わたしたちが、ずっとあなたのそばにいるから。 「それでも《乙女座》は止まりませんでした。《彼女》への妄執のため、気遣ってくれた友さえ殺しました」」 故郷での彼女の記憶を、自分だけのものにするために。 変化を、受入れたくはなかったがために。 「質問してよろしいでしょうか?」 文乃がおっとりと片手を上げる。 「どうぞ」 「《彼女》は、十二人の被害者の中にいるのですか?」 「はい。バランスの狂った《天秤座》を、《彼女》と比定します」 「それではなぜ、《天秤座》は殺されたのですか? 《乙女座》は彼女を愛していたのでしょう?」 「《乙女座》の犯行を薄々気づいていた《天秤座》が、ロストメモリーになると言い出したからです」 ――これ以上、罪を重ねるのはやめて。わたしの記憶を取り戻すのは、どうか、あきらめて。 どうか……、あなたは、自由になって。 ここでの生活を、これからの人生を、どうか、受け入れて。 「《天秤座》の記憶が少しでも戻る可能性がある限り、《乙女座》は変化を受け入れられず、いっそう死体は増えていく。それを懸念した《天秤座》は、《乙女座》の呪縛を解こうとした。けれど《乙女座》はそれさえ許せなかった。彼女が完全に自分を忘れる選択をしたことが」 ――《乙女座》は、愛するひとの記憶を、自分だけのものにしたかったんです。 □弁護側の陳述――雨の庭 幻想の雨脚が、強くなった。 まるでこのチェンバーが緑ゆたかな庭園で、そこに雨が降り続けているかのように。 水を含んだ樹木の匂いさえ、漂ってくるかのように。 「では私は、少し違う視点から、物語を紡ぐとしよう」 雨音を楽しむが如く、馨がふと、空(くう)を見る。 「そもそも何故《乙女座》は、自らを含め、関係者を十二宮に見立てたのだろうか。何故この事件は、見立て殺人の体裁を取ることになったのか」 面倒くさそうに、由良が眉を動かす。 「被害者らが容疑者より《優れていた》部分を潰していったからだろう?」 「……優れていた部分……、つまりは、勝(まさ)っていた部分、ということだね。すなわち《彼女》との関係性において。しかしそれは動機に集約される。そのほかに理由があったとしたら?」 「理由?」 「たとえばシンプルに考えて、はたして十二人ものツーリストを、ひとりの女性の手で殺害することが可能なものだろうか?」 「被告も特殊能力者なら、できるだろう」 「できたとしても、それだけの死体の山を築き続けて、なぜ発覚が遅れたのかな」 「以前のターミナル外周はチェス盤が広がっていただけだった。変わり映えのしない景色に注意をはらうものは少ない。死体には白と黒の布でもかぶせて、ターミナル基部の影に置いておけばいい。それに」 表情を変えずに、由良は続ける。 「孤立するロストナンバーは少なくない。誰かの姿が急に見えなくなっても、慌てて探そうとはしない。準備を怠らず、導きの書にさえ予知されなければ、連続殺人は難しくないだろう」 「まるで君自身が、実行犯のように言うんだね」 馨の喉がかすかに、楽しげなビブラートを鳴らす。 由良の眉間の皺が深まった。 「……!」 「失礼。私は、この見立ては、殺害の順序を誤認させるためではないかと思っているのだよ」 最後に死んだのが、双子座のふたりだとしたら。 乙女座以外の十人を殺したあと、自分たちの身体を繋いで串刺しにしたのだとしたら。 ――獅子座以上に双子座が、乙女座を愛していたのだとしたら。 「被告は殺人者ではない。まして被害者でもなく、ただの、取り残された哀れな傍観者だ」 だから、自ら命を絶った。 欠けた最後の星座を埋めるために。 ■検察側の論告――大雷雨 幻想の雷鳴が、轟音を立てる激しい雨が、一を打ち据える。 こころが、揺らぐ。 法のないこの世界で、何を基準に善悪を裁くというのか。 たとえば検事。たとえば警察。 正義とされているはずのもの。 だが、容疑者とされている乙女座は、冤罪かもしれない。 誰も信じず、誰からも信じられず、追い詰められた彼女は、死を選ぶことになったのかもしれない。 真の正義とは何だろう? それは、本当に存在するのだろうか? 「忘れるな」 一の揺らぎを知ってか知らずか、由良がぼそりと言った。 「これは只のゲームで、俺たちは検察側にいる。それだけのことだ」 そうだ。これはゲーム。 あらかじめ決められたとおりに、立場をまっとうしなければ。 試されるのは、仮定という曖昧さのなかで、如何におのれの意思を貫けるか、そういうことだ。 (しっかりしろ、一一 一!) 信じなければならない。容疑者は真犯人だと。 そう断じる、おのれの正義を。 「乙女座を犯人とします。そう比定します! だとしたら、何故彼女は死を選んだのか?」 ……美学? 否。 死は彼女にとっての償いなのだ。 この世界に法はない。贖罪を願ったとしても、望む罰は下されない。 だから彼女は、自らに死刑を科した。 おのれの罪を許せぬ故に。 おのれの罪は、おのれにしか裁けないと。 □弁護側の最終陳述――静かな湖のほとり 「何故、彼女たちは死んだのか。どうして死ななければならなかったのか」 文乃もまた、立ち上がる。ゆっくりと。 雷雨の過ぎ去った湖のほとりを、ゆるやかな足取りで散歩でもしているように。 「ですが、わたくしは思うのです。彼女たちは、自ら死を望んだのではないかと」 ――死んだ彼女たちは、みな、望んで、自らの身を差し出したのではないでしょうか。たったひとりの女性《乙女座》のために。 それは崇拝でもあり、恋愛でもあり、敬慕でもあったのではないでしょうか。 そして彼女たち自身もまた、その感情の共有で強く結ばれていたのではないでしょうか。 誰かひとりが彼女の隣に並ぶということではなく。 みな、揃って、永遠を夢見たのではないでしょうか。 そうして、並んだ死体をみた被告がとる道は―― 奈落に落ちることだけだったのでは、ないでしょうか。 ■□判決――曲水の宴 「今回のこれは、ミステリセッションというよりは、まるで……、そう、曲水の宴(きょくすいのうたげ)でしたね」 曲水の宴とは、水が流れる庭園などで、その流れのふちに参加者が座り、流れてくる盃が自分の前を通り過ぎるまでに詩歌を読み、盃の酒を飲んでは次へ流し、そして別堂で詩歌を披講するという、そんな催しである。 「判決を申し上げます。真犯人は《双子座》。よって被告人は無罪とします」 裁判官はそう宣言し――、ミステリセッションは終了した。 「え〜? 検察側の敗訴ですかぁ? がんばったのにー」 ぷうと頬を膨らます一に、アイリーンはくすりと、どこか無邪気な笑みを漏らす。 「あなたが揺らいだからですよ、一さん。ですが、強風に飛ばされ湖に落ちた、若葉のさざなみのようなその揺らぎを、わたしはいとしいと思います」 「だったら、お友達になりましょう!」 「……はい?」 「貴女にも貴女の人生があります。《天秤座》が《乙女座》にそう言ったように。チェンバーに閉じこもったまま、異世界に帰属したベンジャミンさんを想い続けるとか、不健康です」 「……あの?」 「ベンジャミンさんですよね? 今はインヤンガイに帰属して螺旋飯店の支配人になってる黄龍さんが、このセッションの出題者なんでしょ?」 「ええ……。彼をご存知なんですか?」 「そっっっっれはもう! いけ好かない金貨野郎の弟だったり、あと、それとかこれとか、いろいろありますけど、そんなあれこれはともかくとして」 一はにこりと笑い、アイリーンを見る。 「今度、一緒に冒険旅行に行きましょう。このチェンバーから出てみましょう。貴女を、助けたいんです」 「――わたしを?」 想像もしていなかったことを言われたふうに、アイリーンは目を見張る。 「そろそろ本名を教えてください。アイリーン・アドラーではない、貴女自身の名前を」 「あら?」 水の女は、小首を傾げた。 「えっと……。最初にお会いしたとき、お伝えして……、いませんでしたっけ?」 「聞いていませんよ!?」 「たしか、招待状にも書いたような?」 「書いてないですよ!?」 「……うっかりしていました。ごめんなさい」 もしかして天然ですかねこのひと。一が由良に耳打ちすると同時に、水の女は居住まいをただし、一礼する。 「わたしの名はサラスヴァティ。水の流れとともにある者と、思し召しください」 「サラスヴァティさんですのね、かしこまりました。それでは今後、サラさんとお呼びしますわね」 文乃がやわらかに受け止める。 「――サラスヴァティ。たしかに、貴女を形容するにふさわしい」 馨が足を組み替えた。 「水の女神ということか」 由良が、彼にしてはひどくニュートラルな声音で問う。 「もとの世界では、そう呼ばれておりました」 「ベンジャミン・エルトダウンということでいいんだな。20年前、あんたに千とひとつの出題を残して去った少年とやらは」 「ええ……。彼は、今でも”名探偵”でしょうか?」 「探偵は好かん。評価のしようがない。だが周りからは、そう呼ばれてはいるようだ」 「そうですか。安心いたしました」 「会いにいかないのか?」 由良の口からごく自然に出たことばに、一が驚愕の反応をする。 「…………ゆ、由良さん……」 「何だ?」 「あ、いえ、なんでもないです」 それに応じたアイリーン――サラスヴァティの返答に、一はいっそう、のけぞることになる。 「――では、由良久秀さん。あなたと、一緒なら」 ――Fin.
このライターへメールを送る