リベルの机の横に簡素な椅子を置き、アリッサがちょこんと座っている。 黙々と書類をこなす世界司書の姿を、アリッサはただ見ていた。 ひと段落ついたのだろう、深く息を吐いてリベルが一枚の書類を取り上げた。「それで、今回はどうしてこんなマネをしたのですか?」「うんとね、おじ様が見つかった時、みんなからエアメール貰ったの。そのうちの一つで、コロッセオ機能の拡張っていうのを見つけて、……ホントは相手を選んで訓練したいっていう内容だったんだけど、いきなりやっても戸惑っちゃうだろうから、コロッセオの機能の確認や、みんなの戦いを参考にしようと思って」「それでよりにもよって封印されたほどの危険な訓練、ええと、八戦車輪大獄……? 私はそんな訓練方法、初耳ですが」「私も初耳よ」「…………」「…………」「……ですよね」「うん」 きっぱりと頷いたアリッサと、額を抑えたリベル。 二人の会話を聞いて、傍にいたシドがすすっていたお茶に蒸せて咳き込む以外は、淡々と話は進んでいった。「だから、最後は私が締めるつもりなの。リベル、許可を頂戴」「ダメです」「……じゃあ、勝手にやる」「でしょうね。分かりました、許可します。危ない事はしないでください」 予期していればこそ、リベルは諦観そのものの表情で書類にサインを走らせた。 八戦車輪大獄。 世界図書館に数千年前から伝わる封印名物。「おかしいとは思いました」「どのあたりが?」「自分で『これは数千年前から伝わっています』なんて書く古文書はありません」「うん、そうよね。エミリエに適当に書いてもらったものだもの」 何事もなかったかのようにアリッサは紅茶を口に含み、渋すぎちゃった、と、はにかんだ。 八戦車輪大獄。最後の獄。 この勝敗に限り、観衆の前で行われるらしい。 観客席に向け設置された大型のモニタは、激しかった三つの獄の中継を既に終えていた。 ぎぃぃ、と重そうな扉が開く。 古代ローマのコロッセオを彷彿とさせる広い円形のグラウンド、それを囲むように壁が迫り出し、観客席はその上にある。 双方八人、合わせて十六人で始まったこの八戦車輪大獄も、残りは僅か四人となった。「みんな、おつかれさま」 アリッサがにこりと微笑む。 すっと手を掲げると、スポットライトは残った四人を照らし出した。「最後の獄は、ここ、何の変哲もないグラウンドで2:2の戦いを行います。交代制ではなく四人が同時に戦闘に入り、最初の一人が倒れた時点で試合終了。でも刃物や銃、カイザーナックルやハリセンを含め、一切の武器やトラベルギアの使用を認めません」 マイクを使ってもなお、観客の声援にかき消されそうな大声援の中、アリッサはぺこりとお辞儀をした。「世界司書の承認が試合の開催条件です。なので、試合の承認者は私ではないけれど、ここでみんなの訓練を見守らせてね。それじゃ、リベル。お願い」 スポットライトはリベルを映し出す。 声援を浴びてなお、彼女、リベルの鉄面皮は覆らない。 ウォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!!!!! ワァァァ!!!! オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!「肉体戦です。流転なんとかの時もそうでしたが、大将戦は武器やトラベルギアに頼らず、己の肉体のみを駆使するルールでお願いします」 そしてリベルはこほんと咳払いをひとつした。 その姿に大声援が降り注ぐ。 こういう舞台は苦手なはずだった。 だが、リベルはリベルで不思議な気分だった。 自分の手でロストナンバーの仲間を戦わせようというのに、いざこざに発展しないように気を揉む立場であるはずなのに。 これもチャイ=ブレの意思でしょうか、と呟き、彼女はすっと手をあげた。「世界図書館司書、リベル・セヴァン。八戦車輪大獄 四つ目の獄を承認します。それでは、思う存分……はじめ!」
闘技場の天井に、3つの舞台を写す巨大なモニターが吊り下げられ、各バトルフィールドの混戦を伝えていた。 そして、どの舞台にも惜しみない声援が注がれていた。 路地裏を模した第一の獄では鎖に繋がれた熱いバトルが繰り広げられており、密林の舞台では、何やらか大騒ぎが起きているようだ。 キッチンスタジアムにいたっては「うまそう……」と言う、おおよそ格闘の感想に思えない言葉まで聞こえる。 各々の舞台はすでに幕が上がっているらしい。 そして、第四の獄でも勝負開始の合図は出されていた。 だが、開始の合図後も両チームはのんびりと体を動かしている。 エルエムは大きく体を伸ばし、ついでに屈伸と小さなジャンプでウォーミングアップを計っていた。 その隣ではフィミアが、こちらは入念なストレッチを行っている。 「体、柔らかいねー?」 「レスリングは柔軟が命だよ。昔から柔軟体操は欠かさないんだ。きみもなかなかやるじゃないか」 「エルはダンスしてたら柔らかくなったよー」 「はははっ、そういうのもいいな。今日は、一緒に戦ってくれるんだ。僕はフィミアっていうんだ。宜しくね」 「エルエム・メールだよ。エルって呼んでね! 歌って踊れるバトルダンサーコンビで八戦車輪大獄もいただきだよ。向こうの大将は……サーヴィランスと呉藍か。サーヴィランスとは前に一緒に出かけたけど、たしか得意技が投擲だったっけ。今回は武器がないぶんエル有利かな? 呉藍のほうはよくわからないんだよねー。えーっと……空飛べるのかな? 要注意だね」 エルが和やかに握手を求める。 快く応じたフィミアは対戦相手へと視線を移した。 「それじゃ、始めようか?」 闘技場を挟んで反対側の入り口。 こちらは青い髪の青年が一人、真剣な眼差しに腕組みをして仲間を待っていた。 酸素を深く肺に送り込み、ゆっくりと送りだす。 大観衆の前という緊張感、そして別の舞台ではチームの仲間が戦っている責任感。 肌にぴしぴしと突き刺さるプレッシャーを感じ、いいねぇと呟いた。 程なくして入場してきたサーヴィランスにてをあげ、ふふっと微笑う。 「さて、行こうぜ。相棒」 「…………」 「こんな舞台は二度とねえさ。ええと、名前は。さ、さーび……悪い、カタカナ苦手なんだ」 「……好きに呼べ」 「じゃあ、おっさんでいいか?」 「…………」 「なんか喋れよ!?」 「いや……ああ、そうだな。互いに『全力』を尽くそう」 静かに、言い放つ。 そして眼差しは柔軟体操を終えたエルエムとフィミアへと向けられた。 「……『全力』を、な」 「おう!」と笑い、呉藍は首飾りを空中に投げる。 天高く放り上げられた首飾り、彼のトラベルギア、龍樹小さく砕けて無数の破片となって停滞する。 「へへっ、『武器』を使わなきゃいいんだろ? さあ、行こうぜ」 開始と同時につっかけたのはエルエムだった。 地面を蹴り、まっすぐに二人に向けて走り出す。 応じたのは呉藍。サーヴィランスに「お先に」と告げ、中央へと先んじた。 彼の周囲で炎があがる。 先ほど投げた首飾りの破片も応じるように炎をあげた。 「武器には使わねぇから安心しなっ」 闘技場の土を蹴り思い切り跳躍すると、舞い散る炎のひとつに足をかけ、さらに高く跳ねる。 いつのまにか会場の四方八方に飛び散った炎の欠片は呉藍の足場として、空中での複数回の跳躍を可能としていた。 そのまま高空まで駆け上がり、天井付近にたどり着くと今度は反転する。 地上へ構えるエルエム目掛けて飛び掛かり、重力を利用して蹴りつけた。 吹き飛んだエルエムの体を追いかけ、今度は拳を叩きつける。 「訓練のひとつだし、敵だからな、降参しないと女でも容赦しないぞっ!」 「望むところだよっ。次はエルの番だねっ! 『コスチューム、ラピッドスタイル!』 いっくよー!」 身にまとった布を勢いをつけて投げつける。 服は呉藍の拳を絡めとり、その射線を逸らした。 ついでとばかりに肘を打ち込む。 「な”っ!?」 「服は武器じゃないよっ!」 「ちがうっ! 女がそんな恰好をするとは……」 ただでさえダンス用の露出の高い服装を脱ぎ捨てたエルエムは、本当に必要最低限の服装となっていた。 観客の一部から野太い声援が飛び、彼女は手を振ってそれに応じると、ふふっと笑う。 「もう一人いるんだけどな」 派手に注目をひきつけたエルのパフォーマンスに、フィミアが苦笑を浮かべた。 途端、至近距離から返事が聞こえる。 「同感だ」 瞬時に距離をとり、対戦相手のサーヴィランスへと向き直る。 それを切欠に地上でも戦闘が始まる。 フィミアの戦闘スタイルはレスリング。 打撃系ではなく、組み付いてからの攻防を得意としていた。 対してサーヴィランスは接近すらしないスタイルを得意としている。 こちらに戦意を向けているフィミアと対峙し、サーヴィランスは周囲を伺った。 (まず、衆人環視であり、闘技場の範囲は限られている。畢竟、遮蔽物がない。つまり、どこかに逃げ込み、奇襲すると言った戦法を取ることができない。さらに、ルールとして武器の使用ができない、つまり最も得意とする投擲武器の使用もできない) 戦場としては最悪の状況だった。 『だが、それでいい』と彼は思う。 「この程度を超えられず、あらゆる世界の悪と戦える訳がない。自分の世界に喧嘩を売っていた男がどうやって生き残ってきたか。その年季の違いを、見せてやろうではないか?」 「見せてみな。悪いけど、素手ルールの衆人監視は私の方が得意だ」 言うが早いか、フィミアはサーヴィランスへと手を伸ばす。 腕に組み付く必要はない。 服の端、ほんの僅かでもフィミアの手に触れれば、後は二度と放さない。 左手で腕を掴みに行くようフェイントをかけると、それを避けたサーヴィランスのマントの端の端。 ひらりと舞った一部を右手の指で掴み、あてたと同時に手首を返し、さらに数十センチ先の布を掴む。 掴んだ布を幸いと強引に引っ張りあげると、牽引に抵抗するべく踏ん張られる。 それを見越して今度はフィミア自身の体重を移動する。次の支点はサーヴィランスの体重、そのまま今度は逆に己の体を相手の側へと引っ張り寄せた。 組まれまいと避けるサーヴィランスの胴に手を回し、思い切り締め上げる。 ベア・ハッグ。 要するに「思いっきり抱きしめる」技である。 ただ単純なその抱擁は、格闘家の膂力を持ってすれば背骨をへし折りかねない。 「捕まえた」 そう宣言し、勝利を確信する。 「――もう、僕から逃げることは出来ないよ」 細い腕に筋肉が盛り上がり、サーヴィランスの胴体を思い切り締め上げた。 そのままの体勢でフィミアは顔をあげ挑戦的に視線をぶつける。 「……ギブアップするなら折らないよ?」 「No」 「いいんだね? 容赦しないよ?」 「甘いな。実戦の時は折ってから聞け」 いい覚悟だ、と呟き、フィミアは全力を持って締め上げた。 ごん、と音がした。 一拍おいて、自分の後頭部が地面に叩きつけられたのだと悟る。 視界一杯に天井が見え、次に空から降ってくるエルエムの姿が見え。 はっと気付いた途端、地面に倒れたまま呉藍は体を転がす。 次の瞬間、今まで呉藍が転がっていたであろう地面にエルエムが着地した。 「あら、残念。トドメのつもりだったのに」 のんきに笑ったエルエムの顔に、一種、何かしらぞくっと背筋に悪寒を走らせる。 エルエムが服を脱ぎ『コスチューム、ラピッドスタイル!』と叫んだあたりから、彼女の動きに磨きがかかった。 足場であった焔は次々と蹴り潰され、目まぐるしく動く姿に呉藍の対処が後手後手へと回る。 結局、足場のひとつと目論んだ焔に飛び移る瞬間、先に足場を壊されてバランスを崩し落下する。 そこにトドメとばかりにエルエムが飛び込んできた。 仲間と頼むサーヴィランスの方はフィミアに締め上げられているため、そちらの助けは期待できない。 ついでに言えば、呉藍にもサーヴィランスを助けに行く余裕はない。 「あっちゃぁ、もうちょっと楽だと思ったんだけどなぁ」 「あははっ! エル達を甘く見ちゃダメだよ!」 「……だよなぁ」 次の攻撃を仕掛けてこないと見て、呉藍は両手両足を大の字に広げ、闘技場の真ん中で寝転ぶ。 天井を見上げる形となり、自然とモニターが目に飛び込んできた。 第一の獄、仲間のハーミットが血に染まっており、その姿をマグロが抱きかかえている。 第二の獄、こちらは樹海中に広がったアコナイトの蔦から、チェキータとテオドールも必死で逃げている。 第三の獄、大きな一つ目に大きな涙を浮かべ泣き倒している少女、まぁ、コショウのせいだが。 「うん、今回はエル達のチームが完勝してばっちりだねっ!」 同様にモニターに見入っていたエルがにっこりと笑う。 ふぅ、と呉藍は深く息をついた。 「おい、オッサン。まだやれるか?」 「勿論だ」 フィミアに締め上げられたままの体勢でサーヴィランスが応じた。 ようし、と立ち上がり、呉藍は瞳を閉じる。 「荒波々木が見守っている。無様に負けるわけにはいかないだろ」 観衆の声援が盛り上がる。 ちょっと待て、とエルエムを制し、呉藍はマイクを貸せと要求する。 程なくして係員からマイクを受け取ると、彼はモニターを指差した。 「おいおいおいおい!!! 何ヘタってんだ!? 楽しいじゃねーか。まだやろうぜ! まだだ。まだまだだ! おい、ハーミット! マグロ! 聞こえてるか!? よー、そっちも随分と勝ち目薄そうだなぁ。あー、残念ながらこっちもだー。どーしよーもないわー、あははっ、これってさ、逆転したらそーとーカッコいいんじゃねーかな? 俺ももうダメかもしんねーって諦めかけてたけど、こりゃうちのチームがカッコ悪すぎるからなー。せっかく大将に選んでもらったんだ。もうちっとだけやってみるわ。気が向いたら悪あがきにつきあってくれよ」 多少、歩いて移動する。 第二の獄のモニターが見えるように。 「そーんでもってぇ、猫ぉ! ……と、テオぉ! あははっ、モニターで見えてんぜぇ? すっげぇなぁ、森全部が敵ってかぁ? 山で荒波々木(アラハバキ)を敵に回すよーなモンだよなぁ。あははっ、無理無理。勝てねぇ勝てねぇ。なんか言ってやりてーけど、ちょっと思いつかないんだ。なぁなぁ、それ、もし勝てたらさ、どうやって逆転したか教えてくれねぇか? 大丈夫かどーかわからないけど、俺もこんだけボロボロの状態からどうやって逆転したか後で話すぜ。……なーんて、まだ考える所だけども、な!」 そして次のモニターへ。 「おーい、綾ー! 一つ目ー! 生きてるかー? そっちはまた、随分と派手にやらかしてんなぁ? 悪魔と剣士相手によく張り合ってんじゃん。後でその料理、食いたいんだけど、こうしようぜ。今から俺が超カッコ良く逆転キメるから、そしたら、それ、くれよ。味付けは、そーだなぁ。……勝利の味付けって事でどーだ? あははっ、よっし、みんなの顔見たし、元気も出たし。もうちょっとだけ悪あがきしてみようか!」 マイクの電源を切る。 観客の声援がクライマックスに転じた。 「さて、こんだけやって何もできなかったら格好悪いぜ。おっさん」 「分かった」 己の体を思い切り締め上げるフィミアの腕を振りほどこうとあがいていた腕を止める。 一瞬の後、サーヴィランスは金属に覆われた己の顔面をフィミアの顔面に思い切りぶつけた。 僅かに弱まった腕と体の間に指を食い込ませ、親指を曲げて割りいれる。 締め上げれば締め上げるほど、フィミアの腕にサーヴィランスの親指が食い込む仕組みとなり、フィミアはあっさりと腕を放した。 顔面に金属をぶつけられた衝撃で額に切り傷ができ、流れた血を拭い取り、そして、不敵に嗤う。 「やるじゃないか」 「投擲が使えない私では、速度ではエルエムに、技巧では君に勝てない」 「ふうん?」 「ならばひとつ、本気で勝つつもりでやる」 「へぇ、本気でやったらスピードやテクニックがあがるのかな?」 「いいや。例えばだ、君の仲間を見てみるといい。彼女には……」 フィミアの視線がエルエムに向いたのと同時。 踏み込んできたサーヴィランスの肘がフィミアの鳩尾にまともに入った。 「えっ……」 思わず屈んだフィミアの髪を掴み、膝蹴りを打ち込む。 なるべく顔の真ん中、鼻をへし折るつもりで。 すんでのカンで顔の向きを変え、鼻骨折を免れたフィミアではあるがそのあたりを思い切り蹴られ、鼻先にチカチカと火薬のような香りを覚えた。 「何をするん……」 顔を抑えた手を放したタイミングで、足元から手を振るったサーヴィランスに砂を投げつけられる。 話している最中に攻撃する事も、髪を掴んで引っ張る事も、足元の砂を使った攻撃も。 そのどれもが、ルール違反ではない。 本気で戦っている以上、どれも有効な戦術であり、有効な。いわゆるダーティプレイである。 体をぶつけ、体を急所をひとつひとつ丹念に狙っていく。 もちろん、的には瞳や股間といった急所を優先させていた。 「こういう攻撃には慣れていないか? それは幸いだ。私は勝たなければならない時は『なんでも』する。汚いとか、卑怯などといえるのは勝ってからだ。だから、勝つためにはルールで制限されていようと――武器も使う」 懐に手を伸ばし、フィミアの前から横っ飛びに、次のターゲット。エルエムに向けて走り出す。 エルエムはといえば予測していない方面からの宣言に、咄嗟に構えの向きを直す。 来い、と腰を落としたところで獣が肩口に食いついた。 「犬!?」 「犬じゃないし猫でもねえ。鈴賀の天狼だ。おい、おっさん、やれ!」 「無論だ」 サーヴィランスがマントの下につっこんでいた手を引き抜く。 出てきたのは武器ではなく、黒い手袋に包まれただけの拳。 思い切りふりかぶって、思い切り殴る。 ただそれだけの動作で、エルエムは数メートル先の壁まで吹き飛んだ。 慌てて駆け寄るフィミアに呉藍が咆哮で威嚇する。 ワンテンポ置いて獣化した姿から人型へと戻った呉藍に、フィミアが叫ぶ。 「武器はルール違反だろう」 「おいおい、あのおっさんがさっき言った事を聞いてなかったのかよ。勝つためになんでもするヤツが『今から武器を使います』って宣言するか? 俺がそうなったら相手に一撃食らわせるまで、武器を使うなんて絶対言わないぜ。あれは誘導するための嘘だ。ぶりーふって言うんだ」 「『ブラフ』だ。てっきり貴様も卑怯だと止めに入るかと思ったが」 「おう、それだ。――いや、そう思ったんだけどな。相棒の、……仲間のことは信頼するもんだ」 やっぱカタカナ弱いのはシマんねぇな、と頭をかく。 再びモニターへ顔をやる。 いつのまにかチームの勝敗は決していた。 完全に劣勢だったにも関わらず逆転を果たした彼らは医務室へ運ばれたらしい。 ジャングルの怪物は退治されたとゆーか、自爆したとゆーか、とりあえず引き分けって事になっていて。 キッチンにおいては、なんだかうまそうに料理のデキを競っていた。 なんのかんの言って、ケガとかがなくて何よりだ、と呉藍は安堵する。 サーヴィランスがトドメだ、と拳を振り上げた。 それを見て「よっし、俺達の勝ちだ」と、呉藍が腕をあげるパフォーマンスを行った。 次の瞬間。 「まだだよっ!」 サーヴィランスに組み伏せられた体勢にも関わらず、エルエムが元気に声をあげる。 「エルはまだ、踊ってないからねっ!」 組み伏せられた体勢は、そのまま相手の体が射程距離にある事を物語る。 まして、エルエムのように超近接の打撃技を主体とするスタイルならば、ほんの僅かの予備動作ができるスペースがあればいい。 腕を掴まれていても、足は動く。 「舞布がないから威力は足りないけど、……いっけぇっ!」 エルエムの姿が思い切り光る。 その光に撥ね退けられるようにサーヴィランスが後ずさり、僅かにできた隙間に身を反転して立ち上がる。 腕を掴まれた体勢のまま、エルエムは小さく飛び上がった。 そのまま思い切り足を突き出す。 「サイクロンインパクトっ!」 いわゆる跳び蹴りの衝撃を想定して防御を試みたサーヴィランスだったが、よくわからない全身への衝撃に思い切り吹き飛ばされる。 超必殺技、というものだろう。 おそらく通常の飛び蹴りに何らかの付加がつけられている。 エルは思い切り手を叩き、観客の手拍子を誘った。 「レッツ・ダンスっ!」 腕が、足が。文字通りダンスのテンポでサーヴィランスへの攻撃と変わる。 全身をフルに活用した攻撃の流れは拳と足の弾幕となり、くるくると不規則に動き続けるために反撃の的をつかませない。 助けに向かおうとした呉藍の腕をフィミアが掴む。 そのまま腕ひしぎ十字の体勢で地面へと寝転ばせた。 「貴様の相手は私だ」 「くっ、……え、あれ、男だった?」 「ほう。……さっきサーヴィランスにアドバイスを貰ったからな。先に折る。それから弁解を聞こう」 「うわわっ!?」 咄嗟に呉藍は人型から、獣型へと転身する。 手足と関節の構造が組み変わり、するりとフィミアの腕から抜け出ようとして。 今度は足を掴まれる。器用に獣の関節を逆にヒネり、ダメージの蓄積と固定を図られた。 再び人型へと、次に獣型へと。 器用に体を捻って、転身を繰り返し、フィミアの関節技から逃れようとするが、次から次へと変身の後の関節を狙われる。 執拗に、執拗に。 「ああ、もう、どこまで追いかけてくるんだっ」 「折るまでだっ。関節を外すのは慣れてるけど、折るのは慣れてないから痛かったら許せ」 「痛いに決まってるだろ!?」 ちょこまかと子犬のように逃げ回る呉藍を追いかけて、フィミアが組み伏せる。 当初の目的であったサーヴィランスへの援護を防ぐ、という点では間違っていないが、なぜかフィミアの表情からはそれ以上の迫力があった。 派手に立ち回れば立ち回るほど、それを抑える者の集中力は分散されない。 呉藍が暴れれば暴れるほど、フィミアの集中はそちらへ持っていかれる。 観客の興味もそちらへ引かれる。 エルエムが派手なパフォーマンスをする裏で、サーヴィランスの次の一手が牙を研ぐ。 アリッサは紅茶をすする。 前回の時と違い、今回は堂々と観戦していられる立場だから。 だが、その心情は堂々としていられない。 今度は自分が主催だと宣言してしまっているからだ。 世界図書館の館長代理としてどれだけ派手にパフォーマンスを行っても、そしてその結果どれほどの被害が出たとしても、ロストナンバーに被害が出なければ問題はない。 だが、今回の戦いは一歩間違えればロストナンバー同士が傷つけあう結果に繋がりかねない。 いざとなったらタオルを投げる覚悟は十分にあった。 万が一にも、死という結末を迎えないように。 ロストナンバー同士に遺恨を残さないように。 お互いの技量を試しあうという趣旨は、勝負という概念を抱えている限りにおいて優劣をつける。 それに根ざした遺恨が残らないかどうか。 リベルの心配の種はそこにあり、おおっぴらに勝負を行わない理由でもある。 だが。 時として、拳を交えた間柄は何者にも変えがたい信頼へと変わる。 表面同士の馴れ合いを超え、血の絆を超え。 真剣勝負という己の披露の場において、お互いの全てを曝け出すに等しい。 すでに試合を終えた闘技場の話は逐一、係員によってアリッサへと奉じられていた。 重傷者を出したものの致命傷には至っていない。対戦者同志の労わりも見えた。 この勝負は純粋な腕試し、そして鍛錬。 世界を違え、出会うことすらなかった存在がロストナンバーとなり集結し、お互いの技を交換してさらに己を磨き上げ、仲間への信頼を生む。 大規模なパフォーマンスの中枢に一貫して存在するアリッサの考えは間違っては居ない。 そう確信してはいても、やはりアリッサはいつまでも迷ってしまうのだ。 現在、勝負はどちらも一勝一敗一引分。 サーヴィランスはエルエムに押されており、呉藍はフィミアと組み合っている。 屈強のロストナンバーを16人も集めての大格闘大会。 最後の最後の最後の決勝戦。これで終わるはずがない。 アリッサは最後の一口を飲み終えたティーカップを机に置くと、何度目かのメディカルチームの確認作業を再開した。 エルエムのキックに対して、サーヴィランスは己の顔面をぶちあてた。 常人ならば弱点であるところの顔面だが、サーヴィランスにとってはプロテクターの一部だった。 思わず足を庇って飛びのこうとしたエルエムへ、ショルダータックルを追い打ちして吹き飛ばす。 彼女の体を受け止めたのはフィミア。 ゆっくりと地面におろすと、エルエムを庇うようにサーヴィランスの前に立ちふさがった。 呉藍もサーヴィランスの傍に駆け寄り、人型へと戻って立ち上がる。 口を開いたのはフィミア。 「ダーティプレイはネタ切れかな?」 「この場でできるネタに関しては正直、このくらいだ。いや、後ひとつ……」 「何をやっても、エル達が破ってみせるよ!」 「……おい、おっさん。そんな手、あんのかよ?」 沈黙が流れる。 観客も静まり返る。 やがて、サーヴィランスが本当に気が進まないと言いたげに口を開いた。 「正直に言うが、あまり気が進まない」 「る、ルルルー違反か?」 「いいや。ルールには抵触しない。しかし、対象が少し大きいことと、威力に耐えられるかが問題だ」 「……じゃあいいじゃん。俺にできることだったら何だってやるぜ」 「本当だな?」 きらん、とサーヴィランスの目が光ったのに気付いたものはいただろうか。 唯一、呉藍だけが何かイヤな予感を感じて背筋を凍らせた。 やがて。 どちらともなく弾かれるように立会いに入る。 お互いの対戦相手を決めぬまま、自分一人で相手二人を相手に戦うと言わんばかりの攻防を四人全員が繰り広げていた。 「おい、おっさん。さっき言ってたやれる事ってのはまだか!」 「……分かった。行くぞ。獣化しろ」 あン? と聞き返した呉藍だったが、とりあえず素直に獣へと姿を変える。 むんずと首をひっつかまれたかと思った次の瞬間、呉藍の視界が思い切りブレた。 ――思いっきり「投擲」された、と気付いたのは遥か後になってから。 サーヴィランスの最後の手段。 「仲間」を投擲武器に使用する事だった。 投げつけられた呉藍の体はエルエムの額にぶつかり「ゴッ」と生々しい音をあげる。 「しまった」とフィミアが振り向いた先に。 きゅう、と目を回したエルエムと呉藍が倒れていた。 「試合終了です。両チーム、共に一名ずつ気絶により引き分け」 一歩進み出たリベルが手をあげて宣言した。 あまりの展開に、まだ観客は静まり返っている。 「だから気が進まないと言ったのだが……」 「ああ、なるほど。威力に耐えられるか、か」 目を回している一人と一匹を見て、フィミアはため息をついた。 しばらくして、モニターに試合結果が表示されると、一斉にわーっと歓声があがった。 今大会の参加者の姿が映し出されていた。 その中のひとつがマイクを取った。 「おーい、大将ー! みんなー! 料理作ったから食べにおいでー」とはキッチンスタジアムより。 「い、医務室にいるから行けな……いぃ……」と哀しそうな声がしたり。 「あーっははっはっ、おほほほー!!!」と良く分からない高笑いが聞こえたりで。 ほんの数分前まで戦闘でぴりぴりしていた雰囲気が一気に和らいだ。 「やれやれ。決着がつかないとはね。そのうちリベンジを申し込むよ」 「シングルマッチで構わないぞ」 「……いい勝負だった。ありがとう」 フィミアの差し出した手を、サーヴィランスはゆっくりと握り返した。 「あたたた……いったぁーいなぁ、もう!」 目を覚ましたエルエムと、呉藍もお互いに握手をかわす。 そして、自分のチームメイトとも握手。 その風景にアリッサも拍手を送る。 「うん。うん。これなら大丈夫。このロストナンバーの皆ならコロッセオで戦えるようにしても憎みあったりしないよ、きっと」 万雷の拍手に覆われて。 アリッサは満足そうに頷いた。 「ところで」 アリッサに近寄るリベルが嘆息と共に呟いた。 「前回は4人のチーム。今回のは8人のチームマッチ。もしかして、次は16人でやる気ですか?」 しばしの沈黙。 次の瞬間。 「バレた?」と、アリッサは軽やかにはにかんだ。
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