小暗い悪意うずまくインヤンガイ。しかしそんな世界にも、活気ある人々の暮らしは存在する。生きている以上、人は食事をする。実は、インヤンガイは豊かな食文化の花咲く世界であることを、旅人たちは知っていただろうか――? インヤンガイのどの街区にも、貧富を問わず美食を求める人々が多くいる。そこには多種多様な食材と、料理人たちとが集まり、香ばしい油の匂いが街中を覆っているのだ。いつしか、インヤンガイを冒険旅行で訪れた旅人たちも、帰りの列車までの時間にインヤンガイで食事をしていくことが多くなっていた。 今日もまた、ひとりの旅人がインヤンガイの美味を求めて街区を歩いている。 厄介な事件を終えて、すっかり空腹だ。 通りの両側には屋台が立ち並び、蒸し物の湯気と、焼き物の煙がもうもうと立ち上っている。 インヤンガイの住人たちでごったがえしているのは安い食堂。建物の上階には、瀟洒な茶店。路地の奥にはいささかあやしげな珍味を扱う店。さらに上層、街区を見下ろす階層には贅を尽くした高級店が営業している。 さて、何を食べようか。●ご案内このソロシナリオでは「インヤンガイで食事をする場面」が描写されます。あなたは冒険旅行の合間などにすこしだけ時間を見つけて好味路で食事をすることにしました。このソロシナリオに参加する方は、プレイングで、・あなたが食べたいもの・食べてみた反応や感想を必ず書いて下さい。!注意!インヤンガイではさまざまな危険がありますが、このシナリオでは特に危険な事件などは起こらないものとします。
久方ぶりだと感慨を抱いたのもつかの間。ドアを開けて飛び込んできた光景にムシアメは瞠目した。 「フェイはん、そんな趣味あったんか」 机に押し倒されたフェイと、それに覆いかぶさったチャイナ服のお兄さん。まさか真昼のいけない事情に遭遇するとは露とも考えてなかったので、適切な言葉を絞り出すのに一分ほどの時間が必要だった。 「わい、邪魔なら帰るで?」 「馬鹿なことを言うな、体の治癒だ」 フェイが手元にあった灰皿を投げつけるのを慌てて避けると、白肌には包帯と複雑な刺青が施されているのが見えた。 「ははは、おもしろいお客さんネ。もう終わったよ。じゃあ、お大事に~」 チャイナ服の優男はけらけらと笑いながら黒鞄を片手に、あいているもう片方の手をひらひらとふり、ムシアメには秋波の一つを投げて出ていった。 フェイは手早く衣服を整え、腕につけている点滴を乱暴に引きぬいた。 「あの変態め、人の体を……何の用だ」 「キサはんの墓参りに来たんや」 ムシアメの言葉にフェイはそっぽ向いた。 「なら、こちらまで来る必要もないだろうに」 「えらい冷たいな。久しぶりやんか……ほんまに、久しぶりや。やっとや、キサはんの墓参りにこれた」 キサの墓がないというのは聞いていた。かわりに生前彼女が開いていた事務所に花や酒を手向けているというのに、ムシアメも習うことにした。 悩んだが、キサらしい黄色い菊の花を購入して、彼女の事務所に訪れた。生前の彼女がいたときのまま放置された事務所は、他人行儀なほどに片付けられていてそれが彼女は死んだのだとはっきりとムシアメに教えてくれた。花を机に供えたあと、ぼんやりと天井を仰ぎ見てある場所に行くついでにフェイの顔も見ておこうと足を伸ばしたのだ。 そういえば、わい、あのとき以来、まともにフェイはんと顔を合わせてなかったなぁ あのとき――狂ったフェイとの殺し合い。そのあとなんとなく顔を合わせづらさは互いにあってずるずると避けていた。 「あん時は楽しかったな、キサはんも、リンヤンはんもおった」 「迷惑ばかりかけられたのに楽しかったか……そんな過去を語りに来たのか?」 「いやー、そんなモンは呪術道具のわいはもってへん。ただな、これ」 ずいっと差し出したのは子供のラクガキのような絵。 「アメムシはんに教えてもろた、おいしい野菜炒めを出してくれる店に行きたいんや。しっかし、この地図やと、どーもようわからへんから教えてほしいんや。いくら道具のわいかて腹ぐらい減るんやで」 「……他に頼め。俺はいそが」 「あ、いた、いたたたた。前にフェイはんに焼かれたところがまだ痛む!」 「……お前、いい性格してるな」 「これでも呪術道具やからなぁ、必要ならいくらでも冷酷になれるで?」 けろりっとムシアメは言い返すのにフェイはささやかな反撃として深いため息をついた。 「ここだな」 事務所からほど近い、赤い暖簾の店は小さいながらもかなりの人気があるらしく、人でごったがえしていた。 フェイは呆れた視線をムシアメに向けた。 「本当にひどい地図だな。俺も迷うかと思ったぞ」 「しゃーない。わいらは呪術道具で、絵を描くのは専門外や」 頭をかきながら笑うムシアメをフェイは一瞥したのち一緒に店内に入り、テーブルについた。 「フェイはんも食べるん?」 「昼を食べてないからな。相席になったのは店がこんでいるからだ。気にするな」 フェイのそっけない態度にムシアメは肩を竦めて、野菜炒めを注文した。料理がくる間にこの店を知った経緯をざっと説明すると、フェイは無表情のまま 「あいつは本当の悪い虫だったわけだな。燃やせばよかった」 「あかんで! フェイはん! ……けどなぁ、あーあ、わいもフェイはんやなくて、キサはんをデートの誘いたかったんに。いつか出来ると思って、結局こうや」 「人生はそうやってわりと手遅れなことばかりだ……それに、お前たちみたいに誰にでも時間があるわけじゃない」 「知るってるわ、そんなこと」 恰幅のよい女性が青野菜とひきにくを炒めたものの下に白飯が敷かれたどんぶりを二つ、二人の前に置いた。 まずは野菜から口のなかにほうばり、そのしゃきしゃきの歯ごたえとしっかりとした味付けを堪能する。野菜と一緒にごはんをかけこむとますます味に深みが増してうまいはずなのにムシアメの顔は晴れない。 「あー、しょっぱい」 ぽつりと漏れる文句。 「しょっぱいわぁ。フェイはん、ここの野菜炒め、塩が効き過ぎやないん? 何でやろな、何でこんなにしょっぱいんやろな」 「水をとってくる」 フェイが気を利かせて席を立つのにムシアメは半分も食べていないどんぶりをテーブルに置いて俯くと、不意に目の前に七味の瓶が差し出された。 「しょっぱいなら、ほら、コレ。ここの野菜炒めは七味をいれて辛くしたらまた一段とおいしいのよ?」 ムシアメは反射的に顔をあげたが、誰もいない。目を瞬かせて横を見ると若い女性が微笑みを浮かべていた。 「これ、あんさんが?」 「邪魔だったかしら? 私ね、ここの野菜炒めが好きで、たまに護衛たちを撒いて食べにくるの」 おちゃめけたっぷりに笑う女性にムシアメは首を横に振った。 「おおきに」 「おいしいものを食べると、人って幸せになれるのよ。けど、あなたは、辛そうね」 「人はなぁ」 言い濁すムシアメに女性はようやく、その瞳を見て気が付いたのか不思議そうに首を傾げた。 「あなた、旅人さんかしら?」 「知ってるん?」 「ええ、前にとっても御世話になったの」 「それやと話がはやいわ。わい、呪術道具なんや」 「へぇ。……道具なのね、けど、あなたって、私から見たら」 「なんや?」 「道具だけど、ちゃんと心があるように見えるわ。素敵なことね。きっと周りの人たちがとてもあなたを大切にして、あなたもその人たちを大切にしているのね」 ムシアメが目を瞬かせていると、女性は大きなおなかを撫でて立ちあがった。 「さようなら、旅人さん。またお会いできるといいわね」 「妊婦さんかぁ……周りのモン、心配させたらアカンで」 「ええ、そうね。心配させないようにしないと! ふふ、今年、娘が生まれるの。名前はキサというのよ、旅人さん」 「へぇ、キサっていうんか……キサ? …キサはん!」 顔をあげたときには妊婦は既に居なくなっていた。 入れ替わりに水を持って帰ってきたフェイは不思議そうに茫然としているとムシアメを見た。 「どうした」 「いや、先、フェイはん言ったように、人生は、わりと手遅れなことは多いけどな、それってどこかでなんとかなることがあるかもしれん。……ここの野菜炒め、七味かけるとおいしいらしいで?」
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