世界計も修復され、ようやく異世界での旅が再会された。 久方ぶりのインヤンガイは生憎の雨だったが、せっかくなので何か仕事はないかと探偵・フェイの事務所を訪ねたロストナンバー。「そろそろ探偵業を廃業しようと思っていてあまりとってないんだが……それに雨の日は火が使えないからやる気が出ないんだが」 ああ、フェイって火を使うからねぇ。つまり雨の日って無能!「……お前ら、いますぐに燃やされたいか? 燃やされたい……ん?」がらっ! ドアが勢いよく開いて、おなかの大きな女性が入ってきた。 それは今までの依頼で何度か顔を見たことのある五大組織の一つ、ヴェルシーナのボスの若妻・理沙子だ。「お願い、助けて!」 理沙子が叫ぶ。「あなたは、一体、なにが?」「どうもこうもないわ。夫のボディガードを巻いて外で食事していたら、黎明会とかに追いかけられたのよ。あいつら私の赤ちゃんを奪う気なのよ!」 理沙子が憤慨する。 建物の外ではがやがやと声がするのに気がついて窓から様子を見ると、なんと十人近くの屈強な男たちが建物を取り囲んでいる。「巫女を出せ!」「いや、生贄だ!」「その子は新世界の母となるんだぁ!」 聞くだけでなんか危なげなことを言っているのにフェイが理沙子に問いかける。「あれは」「黎明会って、なにかの宗教らしいのよ。私は良く知らないけど、そこは、霊力が高い子が生まれたとき、世界が滅びるなり、救うなりって変な予言を信仰しているのよ。私の子がどうも予言にぴったりだったらしいの。……ここ最近、いろいろとあって追いかけてはこなかったから油断したわ。一人でごはんを食べてるところを捕まりそうになって逃げてきたの」「どうしてここに?」「なぜかしらね。ふふ、気がついたらここに向かっていたの。もしかしたら、この子が、キサが教えてくれたのかもしれないわ。この子を宿してから、そういうカンが鋭くなったの。あなたたち旅人さんには以前も助けてもらったから」「キサ? あなたのおなかの子が?」「そうよ」「……キサ、会いに来てくれたのか?」 フェイは震える手で理沙子のおなかに撫でた。その顔が喜びに綻ぶ。「ご安心ください。ここには丁度暇を持て余し、血に飢えた旅人たちがおりますので必ずキサと奥さまを守ります」 おい、営業スマイルでフェイ、お前、さらっと紹介ひどくないか。なぁ。「外の連中は殺さないかぎりは何をしてもいいぞ」 全力のつっこみも見事にスルーしてフェイは告げる。その笑顔が何となく怖い。「安心しろ、証拠を残さなければ犯罪なんぞない」 フェイ、お前……いま、さらっとあくどいことを。「よかった。あなたたちに任せて、よかっ……っ」「どうしたんですか!」 理沙子がおなかを押さえて唸る。それにフェイは慌てた。「い、いたたた……う、うまれるっ! これは絶対に生まれる! 予定日前なのに!」 は? えーと、これって、もしかして、世に言う陣痛!? ちょ、ちょ、フェイ、病院は? または医者は!「……まともな病院は、ここから十キロ近く離れている。ここら辺は建物が入り組んでいて救急車は来れない。産婆も知らん。もぐりの医者は論外だしな」 外では赤ん坊を出せーという声がする。 どう考えても、この状態ってものすごーく……「……お前たち、覚悟はいいか?」 今まで殺人鬼と戦ったり、海賊相手にしたり、もっと凶悪なモンスターと戦ったことはある。しかし――未だかつてない覚悟がその場にいた者たちには必要だった。
灰色の雲に覆われた空からしとしとと雨が降る。 微妙な空気での半密室(外の邪魔な人たちのせいで)一緒になってしまった五人の前には唸っている人物(妊婦)。 ここがもし孤島だったら殺人事件発生! の雰囲気だが、生憎とそんな現実逃避している余裕は五人にはない。 事件は今、目の前で起こっているのだ。 「姉さん、あのときの……そっかー、今スグ生まれるんかー、うま……どないしょう!」 「落ちついてくださぁい☆ お気持ちはわかりまぁす、けどぁ、私たちがここで混乱して、パニックっちゃったら、それこそだめですぅ! ここは冷静に対応しないとぉ」 思わず叫び出すムシアメに見事なボディブローを川原撫子がかます。落ちつける、というよりも気絶させるといったほうが正しい。 がくっと倒れるムシアメの胸倉を掴んでがくがくと揺さぶる。撫子さん、そろそろムシアメさん、死ぬかも。 「撫子おねぇちゃん、ムシアメお兄ちゃん、死んじゃうよ?」 「テメェが冷静さなくしてどうすンだヨ」 ちゃっかり、理沙子の手をとっているリーリス・キャロンと絶賛暴走中の撫子をさりげなく回避したジャック・ハートが冷静につっこんだ。 「ハッ! 私ったら、て、てぺぺろー☆ ……あぁん、すいませぇん、ムシアメさぁん」 「い、いや、だ、だいじょうぶやから、そろそろはなしてぇ~」 「うう、すいませぇん。ちょっと失礼してぇ、窓から外を見ますねぇ、むむぅ手加減要らなそうな方ばっかりお集まりになってますぅ。とりあえず半殺しにしますぅ?」 閉め切ったカーテンからこっそりと外を見て叫んでいるむきむきまっちょボディにどう見ても悪人ですな顔を見て撫子は笑顔でさらっと告げた。 「やぁん、そういうのはやっぱりぃ、建物の裏よねぇ?」 にこっとリーリスも賛同する。 「建物の裏だよナァ」 「簀巻きにしてほたくったらええんちゃうん?」 か弱い妊婦を相手にろくでもないことをする悪人の処置に反論する者はいない。 まさかに、血に飢えた上に暇を持て余した旅人である。 「大丈夫よキサ……キサもママも、私たちが守ってあげるから」 リーリスは理沙子と手を握り、生気を送って痛みや疲労を和らげる。それに理沙子は不思議そうな顔をしてリーリスを見つめる。 「ありがとう。だいじょうぶよ、だいぶ、陣痛はおさまってきたから」 「おさまるものなの?」 「陣痛は産まれるまで何度か来るの。その間が狭まるんだけど……今はまだはじまったばかりだから」 「そっか。よかった。キサ、怖い? ……リーリスが怒ってるのはキサと理沙子さんを苛めようとしたおじちゃんたちよ。キサじゃないからね。ふふ、守ってあげる、かまってあげる、遊んであげる……だから、約束よ?」 リーリスは夢見る表情でうっとりとおなかを撫でて囁くと、すっと顔をあげた。 「外の退治はみんなにお願いするね? リーリス、外の人たちにとっても腹が立ってるの。だからもし相手すると全員殺しかねないから、宜しくね♪ あっ、もちろん、この小汚い部屋から移動するときは協力するわ。魔法で安全に運べるようにするから!」 「お前、今、さらっと物騒なことを言いながら喧嘩売ったか」 ついフェイがつっこむ。どうやらリーリスが理沙子の横を陣取っていて近づけないことが不服らしい。赤い目を輝かせてリーリスはにっこりと笑った。 「何よ、仮面のおじちゃん? 理沙子さんはハワードさんの奥さんなのよ? キサはハワードさんと理沙子さんの大事な一人娘よ? 誘惑するつもりなのかなんなのか知らないけど、ハワードさんに言いつけるわよ」 「俺は、まだお兄さんだ!」 つっこむのはそこ。 「おじさんじゃないの? ジャックのおじちゃん、……ムシアメお兄ちゃん」 「ジャックはいいとして、俺もお兄ちゃんだろう」 「オイ、フェイ、テメェも俺に喧嘩売ってンのか?」 ちなみにジャックは二十四歳、フェイは二十六歳、ムシアメは二十七歳である……リーリスのお兄ちゃん認定は、あれだ。顔だ。絶対に顔。 「このガ」 「ガッテェム!」 かこーん。 それそれそ見事なボディブロー(本日二回目)がフェイの顎に見事にヒットした。 「フェイさぁん、だめですよぉ! 私は男の人と女の子でしたらぁ、女の子の味方でぇす! むしろ、リーリスさん愛護委員会会長ですぅ! そんな私の前で、リーリスさんになにかしようとしたら承知しませんよぉ!」 びしっ! リーリスの前に仁王立ちした撫子が叫ぶ。本人はわかっちゃいないが、完全に魅了されている。 撫子の手加減なしのボディブローに倒れたフェイは顔を押さえていた。(自称美形たるもの、鼻血くらい気合いで止める) 「オイ、テメェら! じゃれてねぇで、外のヤツら、どうすンだ!」 ターミナルの一部では「あにきぃ、すてきぃ」とファンクラブなるものもいるらしいジャック。最近はホストしたり、ギャップ萌えを狙って掃除に料理できるという一家に一台ほしいほどの男気溢れる彼の一喝は効果バツグンだ。やはりこういうときに役立つのは兄貴、素敵。 「んー、そうやな。妊婦はんの目の前であんまり刺激強いことするのもなぁ……どうやろ、迷路の呪いを事務所の入り口前とか、道にかけるんや? 蚕の姿やったら目立たんからかけ放題や」 「ムシアメ、それだと重要なことが抜けているぞ」 「ん? なんや、フェイはん」 「あちらに呪術師がいたら看破される恐れがあるし……窓とかから入ってきたらどうするつもりだ?」 「……」 「それに外に出る俺たちもかかったらどうするんだ」 「……」 ムシアメは黙って蚕の姿になると部屋の隅っこで体操座りした。いじいじ。 「わい、がんばって考えたんやで。キサはん産まれるから。わい呪い紡ぎなりにがんばったんやで。」 「で、ムシアメが無能であることが証明されて」 「フェイはん、ひどいー!」 「やっぱり、荒事に慣れた俺だろ」 流石、兄貴! 一生ついていきますくらいのフェロモンを放ったジャックが言う。 「さっさとぶちのめしてくッかァ、精度気にしなきゃ簡単なンだヨ。全員ミンチとか得意だゼ、俺サマは……ヒャヒャヒャヒャヒャ……って!」 ごすっ! 思いっきりジャックにアッパーをフェイが放つ。 「テメェ! なにすンだァ」 「妊婦の前で殺伐とした事言うなって言ってるだろう! ジャック、半殺しはセーフだが、ミンチはアウトだ! もっと丁寧かつ濁せ!」 「だったら挽肉だァ! んで、コネてハンバーグにしてやるヨ! どうだァ!」 「だからどうして、そういう」 「二人とも」 低い声にジャックとフェイはぎくりと止まった。 見ると、撫子に理沙子をしばし託したリーリスがにっこりと笑顔で立っていた。なんとなく、いや、ものすごく怖い。 「なんでもいいからぁ、はやくいってきてぇ☆ じゃないとぉ」 リーリスは左親指で首を切る真似をする。 「二人とも巻き込んで、外の人たちごと……しちゃうよ?」(あまりの残忍な用語に規制がはいりました) 「……」 「……」 「ねっ?」 二人の男は黙って外の障害に向き直った。 「すいませぇん、ハワードさんの連絡先、教えて下さいぃ☆さすがにキサちゃんが産まれるのにぃ、パパさんが知らないのは拙いと思いますぅ☆殿方が拗ねると後が大変ですよぅ☆」 「ええっと、荷物に、携帯電話があると、思うんだけど、いたたぁ」 「寝ててくださぁい、私がぁ、とりまぁす」 ぜぇぜぇとしんどそうに息をする理沙子をソファに寝かせた撫子は鞄から携帯電話を取り出して早速、電話する。 「あ、ハワードさぁんで」 ばきゅうぅううんいいいん。 「はぅ! なんかすごい音がぁ!」 「撫子おねえちゃん、しっかりしてぇ」 「うう、負けませんぇ。あの」 ばるぅうううううすすすすすす。 「耳がぁあああああ! 耳がぁあああああああ!」 またもや通常ならありえない破壊音に撫子はのけ反って叫ぶ。 『もしもし? ダーリン?』 「あっ……ようやく普通の人の声ですぅ!」 『君は?』 「お世話になりますぅ、川原撫子と申しますぅ☆奥様の理沙子さんが産気づかれたのでぇ、今から病院までお連れしますぅ☆申し訳ありませんがぁ、なるべく早く病院までお越し下さいぃ☆」 『なに! よりにもよって襲撃されている今か! ジーザス! わかった出来る限り力は尽くそう。だから、すまないが』 「はい?」 『カメラを! カメラ撮影を! 生まれるまでの一瞬一秒たりとも見逃さず、妻と子の姿を撮ってくれ! あとその場に男は? 男がいたら妻の姿に惚れてしまう可能性があるのですみやかに排除することを要求する。また生まれたばかりの娘に惚れられ』 がちゃん。 撫子は爽やかな笑顔を浮かべて明後日の方向を見た。 うざい人、退散てすぅ☆ (かけなおされたら面倒なので電源も切っておくことも忘れない) 「撫子はん、いま、電話」 「さぁ、義務は果たしましたぁ☆ ジャックさぁんなら、外の人なんて五分もかかりませぇんからぁ。はやく病院に行く準備をしましょう。だいじょうぶでぇす、私以外はみなさん空を飛べるので病院なんてすぐですよぉ! ムシアメさん、糸を吐けますかぁ? それで、奥さまがぁ寒くないようにしましょう☆ 無能じゃないってところをどどーんと、見せてくださぁい」 「撫子はん、無能いわんといて……無能……」 女子供を襲うような輩は死んでもいい、というのがジャックの持論である。ゆえに今回は強敵ではないが手加減はしない。窓から外に飛び出すと自分の半径2mに球形にサイコシールドを張る。 「術者か!」 「撃て!」 マシンガンの連撃をシールドがすべて弾いて届くことはない。ジャックが地上に降りたタイミングでナイフを抜いた男が間合いを詰める。 「うおらぁああああ!」 にぃとジャックが肉食獣のように笑った。 「甘ェンだヨ!」 ジャックが攻撃する前に水が飛ぶ。驚いてジャックが見上げると、なんと撫子がふってきた。 「お手伝いしますぅ!」 「仕方ねェナ!」 手の中に生み出した雷撃がジャックを中心に地面に円を描いて放つのに撫子の水攻撃にくわわって、男たちを気絶させた。 一人だけ残った男は唖然としてその場に尻餅をつく。 ジャックはその男に近づくと胸倉を乱暴に掴んだ。 「次に同じことしやがったらこの程度じゃ済まさねェ! 消えろ!」 「ひぃいい!」 地面に崩れる男を見てジャックはふんと鼻を鳴らした。見ると、撫子がごぞごぞとなにかしている。 「なにしてンだ?」 「迷惑料としてぇ、入院料をいただいてるんでぇす☆」 撫子、笑って男たちの財布からがんがん御札を抜いていく。 「お前なァ。ホラ、さっさと中に帰るぞ!」 「え、あーん、まってくださいぃ!」 ジャックは撫子の叫びを無視して事務所のなかに空間移動した。 「外はカタついたぜェ?」 とジャックはソレを見た。 「ンだソレ」 指差したのは白い繭である。 しかも巨大な。そこから困った顔の理沙子が顔を出している。これは一見すると恐怖! 巨大虫人間にしかみえない。 「わいの力作やき!」 きりっと先ほどまで落ち込んでいたのが嘘のようにムシアメが胸を張る。 「外は雨やろ? ジャックはんが戦ってる間に、わい、一生懸命糸吐いたんやで! 呪術もちょい活用して雨風から奥さんを守る、まゆくん一号を作ったんや! 繭のなかは呪術つかってるから相手に合わせて大きさも変えられる! 矢が降ろうが、核兵器ぶちこまれても絶対にだいじょうぶや!」 「……俺はどこから突っ込めばいいんだァ」 「あれも、本人なりのがんばりですよぉ!」 「ほぉら! はやく病院に行こう? リーリスがみんなを連れて浮遊するわ。ジャックおじちゃん、借りを1つ返してちょうだい。シードルを張って?」 「ハッ、俺ァ半径50m最強の魔術師だゼ。この程度の人数全員シールドで覆って飛べるッてェノ」 ジャックが歯を剥きだして笑うのにリーリスはふぅんと肩を竦めて笑った。 「じゃあ、信用する。もしものときはリーリスがフォローするね」 「イイゼ」 「あのぅ! 今気がついたんですけどぉ! 奥さまをどう運びましょうか! さすがにぃ、空中でそのままはまずいと思うんです。立つのも大変ですしぃ、けど、寝たままで、もし陣痛きたらぁ、ですからぁ、誰かが抱いていないとぉ」 撫子は首を傾げた。 「この場合、フェイさんはなんとなくだめっていうのはわかるんですけど」 「おい!」 「ジャックさんは運ぶのでお忙しいですしぃ、リーリスさんは小さいですしぃ、ムシアメさんは繭を作って疲れてますしぃ……この場合、私ですよねぇ? わかってまぁす、生まれてうにゃうにゃ年、両親にトレッキングに連れ回され続けてぇ、腕力筋力ともに熊並☆ 林檎だって握りつぶせまぁす! 胸だってぇ大胸筋と言われ、血の涙を流し続けてはや数年! ここでその力を見せなくてどうしますかぁ!」 「これ以上の人材はいねェナ」 「撫子はん、男らしいで!」 「お姉ちゃん、脂肪なしの筋肉ムキムキだもんねぇ!」 褒められてるのに全然嬉しくない。撫子はまた心のなかで血の涙を流しつつ、ソファごと奥さまを持ちあげた。 さすが、撫子ちゃん! 病院で医者に理沙子を預けた一行は廊下での待機を命じられた。 というのも。 「君たちは……えーと、旦那さんは?」 「わい? ちゃうで」 「俺も違うゼ」 「違います」 「リーリスちがうもん」 「私も当然ちがいまぁす! 生物上立派な女ですぅ!」 「……なんだ、間男ズか。とりあえず、家族以外は廊下で待ってなさい」 不名誉なメンバー名をつけられて放置されたのだ。それに不服を爆発させたのは女性陣である。 「むきぃ、誰が間男ですかぁ! む、胸はありませんけどぉ、立派な女ですぅ」 「こんな可愛いリーリスが間男なんて失礼しちゃう! 理沙子さんの傍にいくんだから!」 断固間男否定をする二人を尻目にジャックが提案した。 「で、ハワードのヤツはこっちに向かってンだろう? 俺が連れてくるゼ」 「本当ですかぁ! 私はぁ、ママさんのお傍にいますねぇ!」 「リーリスもぉ!」 「テメェら、暴れずに大人しくしてろヨ」 「しませんよぉ」 「しないよ」 ねー。 とリーリスと撫子はお互いの顔を見合わせて言いあう。ジャックはなんとなく不安な面持ちでこの場でたぶん唯一信用なりそうなムシアメを探した。 「アイツ、どこだ?」 いないのだ。 先ほどまでいたと思ったら、忽然と消えている。 「オイ、ムシ、うおっ!」 「わぁ! なんや! ジャックはん、びっくりしたわぁ!」 なんとジャックの足元からムシアメが飛び出した。 「それはコッチの台詞だァ! 人の足元から出てきやがっテ!」 「え、いやー、あー……なんや、その落ちつかんのや。前に、ここにきたとき、あの、主人はんから娘の自慢は聞いたけど、なぁ、その、実際に巡り合うとなぁ。あかん、ああああ、アカン!」 叫びあげるとぴょーんと小さな蚕の姿になって廊下をむにゅむにゅと移動しはじめたが、またすぐに人の姿にもどって周りをきょろきょろ。冬眠していた熊が間違えてまだ冬の間に目覚めてしまったような混乱ぷりだ。 「あー」 ジャックはため息をついた。 その横では「間男じゃありまぇん! せめて、せめて女扱いしてくださぁい!」「まだ分娩室はいらないなら、リーリス、それまでいるぅ」と看護師相手にくってかかる野生の獣よりもタチ悪い乙女たち。 はぁとまたため息がジャックから漏れた。 「俺がしっかりしネェとナァ」 がんばれ、アニキ! 理沙子から借り受けた携帯電話からハワードの気配を追った。インヤンガイでは電力のかわりに霊力が使用されている。それを逆手にとって精神感応による追跡だ。断片的な情報を頼りに空間移動。と、いきなり、ジャックの頭に銃口があてられた。 「ッ!」 もう雨は止み、灰色の雲が割れて光が差し込む。 「なんだ。君か……敵かと思ったじゃないか」 ハワードがさっと銃をさげる。手にある銃が砂となって消えていく。 「テメェ……まぁイイゼ。テメェの妻の出産ダ。ここでのことは後回しにしろ、男の甲斐性ってモンがアンだろうォ? 今は廊下で待つのも男の甲斐性ダ!」 「まったくだ。まったくそのとおりだ。今向かっていたところだ。ありがたい。助けてもらおう。ところで」 ハワードは真剣な顔でジャックを見つめた。 「カメラは買ってくれたかね?」 「あ?」 「買ってないのか! あれほどに頼んでおいたというのに!」 そのあとカメラを買う、買わないと口論が勃発した。 リーリスは魅了の力を使って病室に入った。まだ分娩室には入らないらしい。そういうシステムをリーリスは良く知らない。本ではそこまで書いてないんだもの。 けど、ベッドで苦しい息遣いをする理紗子を見ていると、なにかしたくて。だからこっそりと手を握りしめる。 「田舎で出産にぃ立ち会ったことありますぅ! ハワードさんがくるまで手伝わせて下さいぃ! 呼吸とか、ちゃんとマスターしてまぁす!」 「あら、頼もしいのね」 撫子がにこにこと笑うのに汗だくの理紗子も笑う。リーリスはむぅとする。呼吸法とかしらないもん。 リーリスは拗ねて唇を尖らせる。人間が人間を産む方法はいまいち知識不足でわからない。 「そんな顔しないで、魔法使いさん」 「だって……理紗子さん、すごくしんどそう」 「そりゃあ、しんどくってとっても痛いわよ」 「だいじょうぶ? 死なない?」 「大丈夫よ。死なないわ」 「ほんと? 本当にほんと?」 「本当に、本当に、本当。娘が生まれたら、遊んでくれるんでしょ? なら、もうお姉さんよ? しっかりしなくっちゃ」 「リーリス、お姉さん?」 「そう。お姉さん。ホラ、妹のために笑って。そしたら、私も安心できるし、キサも早く会いたいって思ってくれるわ」 リーリスはゆるゆると頷いた。ごしごしと袖で顔を拭うとにこりっと笑う。 「大丈夫よ、キサ、世界は明るくて楽しいわ。みんなキサのこと待ってるから……早く来てね!」 「オラァ! カメラとダンナだァ!」 結局のところハワード氏との口論に負けてカメラ購入まで付き合ったジャックが転移したのはまさに狙ったようにフェイの上だった。 「あ、フェイはんが……まぁ、ええか。ええよね。うん。……はよ、うまれんかなぁ。うまれんなぁ、なんでこんな長いんやぁ」 踏んづけられた上に、ハワード氏が駆けていくのに再度踏まれたフェイを横目にムシアメは愚痴る。 ついうっかり病室に入り損ねてしまったせいで、理紗子を励ますことも出来ない。そのため一人廊下の前で看護師や入院患者に、あれはなに? という奇妙な目で見られながらうろうろしては虫になって、虫になってうろうろしてまた人間になって……を繰り返していた。 ハワードが病室のなかに入っていく姿にムシアメははぁああとため息をつく。 「せやかてなぁ」 わい、呪い紡ぎの蚕やねん。 本当にこんな場にいてもええんやろか? 呪術であるムシアメと命の産まれる場所はまるで間逆の存在だ。 手を握り、開いて。もう一度握りしめる。 「わいが傍におってええんやろか」 ほぼ勢いでついてきてしまったが、今からでもここから離れるべきかと弱気にもなる。こんなこと、ただの呪術道具やったらかんじんかったことや。 一年前、わいはなんかに怒った。なにに怒っているのかわからんかったけど。 「前にここにきたときは、しょっぱくてたまらんかったなぁ。ほんと、覚醒してからわからんことばっかりや」 けど、それは不愉快ではない気がする。 胸の中に湧き上がる不思議な感覚。それはときどき針で刺されたような痛みや口元が緩むようなぬくもりを自分に齎してくれる。それが不幸なのか、幸せなことなのかは別にして。 「ここにおりたいねん」 やから、ちょっとだけ堪忍な。 「オイ、フェイ、産まれるまで飲みに行かねェか。雨は止ンでるからヨ」 「ジャック?」 フェイの腕を乱暴に掴んでジャックは問答無用で空間転移して、外に連れ出す。フェイはいささか面食らった顔をしたが、ジャックが憤然と歩くのにあとに続いた。 ジャックが転移したのは屋台がいくもならぶ通り。路上テーブルの一つに陣取って、ジャックは酒とつまみを頼むのにフェイは呆れた目をしたが、文句も言わずに腰かける。 「アレはテメェの妹であって妹じゃねェ……『今の』家族の前だ、弁えろ」 ジャックの言わんとすることをフェイは察して微笑んだ。 「わかっているさ。俺は事務所に残るつもりだったのにお前が一緒に連れだしたんだろう」 「……仕事をヨ、辞めるつもりなのかァ?」 目の前にアツアツの厚揚げが差し出されたのに二人は黙ってつつく。 「偉ェナァ、テメェの妹は……約束通り戻ってきやがった。だからテメェも仕事辞めンな、生きる努力をしろ」 「ジャック、お前」フェイは皮肉ぼく笑った。「気を回し過ぎて空回りするタイプだろう?」 「アァン!」 ジャックが威嚇するような声をあげると、額にデコピンがされた。 「いって、テメェ! ……フェイ、お前」 ジャックが眉間に皺を寄せたのに、フェイは熱燗をぐいぐいと飲み、熱い料理もまるでそれを感じないようにパクパクと食べていく。 「ずいぶんと鈍な刀になったな」 痛烈な皮肉にジャックは押し黙る。 「百足に利用されたとき、薬漬けになったせいで感覚らしいものがなくなってな。今は気力と執着で生きている状態だ……事件が終わったあと鳳凰連合のボスに言われた。昔のように働くか、それとも隠居するか」 「どうすンだ」 フェイは立ち上がると、子供のように笑った。 「なぁ、ジャック、付き合ってくれ。以前、お前が俺を誘ったが今度は俺が……私があなたを誘おう」 伸ばされた手をジャックはとった。 紺碧に染まりは出す空に音をたてて花火が散る。季節外れのそれに誰もが目を奪われる。 とある病院では命が産まれたことに旅人たちが歓喜した。 「やっぱり赤ちゃん可愛いですぅ☆私も早く……な、何でもないですぅ! 聞かなかったことにしてくださぁい!」 「リーリス、だっこしたい! ……キサ、産まれてきてくれて、ありがとう。これからよ。これからいっぱい遊びましょ?」 「え、わ、わいもだっこしてええんか? ……アマムシさんに、羨ましがられるなぁ。はじめまして。キサはん、わいは呪い紡ぎのムシアメっていうんや。よろしゅうな」 そして廃墟ビルの屋上で花火をあげた男は空を眺めていた。 「綺麗だなァ、テメェもたまにはいいこと思いつくじゃネェか」 「褒められて光栄だ。なぁ、ジャック、お前はそのまま鈍の刀になってもいいんじゃないのか。お前たち旅人は可能性なんだろう? だったら……お前も世界から許されて自由になったんじゃないのか? お前が気にしてくれるように、私たちだってお前のことを気にしているんだ……だから、ありがとう」 仮面を捨てて、赤い瞳を細めてフェイは優しく笑う。ジャックは口元に笑みを作ると紺碧色の空にまだあがる花火を見つめて、片手の酒瓶を掲げた。 「ハッ! これからのキサの幸せに……乾杯」
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