クリエイター玉響(weph3172)
管理番号1351-20087 オファー日2012-10-20(土) 11:43

オファーPC 雪深 終(cdwh7983)ツーリスト 男 20歳 雪女半妖

<ノベル>

 あるじを喪った屋敷は、伽藍としている。

 冷えた縁側を歩いて、裏庭に目を遣りながら、床板を踏み締める音を聴く。冴えた空気は沈みゆく陽に従って、一層冷たさを増していた。
 雪深終は幼い頃から慣れ親しんできた屋敷の中、恐る恐る脚を進めた。
 幼い少年が愛した舶来品や翻訳本――異国の文化に触れることのでき、狭い世界を想像の中だけでも広げてくれたものたちは、その殆どが処分されてしまったらしい。それらは祖母の物だ。死した彼女から受け継いだ父母がどう扱おうと、そこに終の意志は挟めない。
 空白の増えた室内。枯れた桜の大樹。まるで初めて訪れる屋敷のようで、寄る辺ない心細さを抱きながら冷えた指先を擦り合わせる。
 刺すような風が一陣、廊下を吹き抜ける。
 不意に、呼吸が軌道で引っ掛かるような感覚を抱いた。
 ――また、いつもの発作の兆しだと、冷静に嘆息する思考とは裏腹に、身体が強く痙攣する。くの字に身体を折り曲げ、倒れ込むのを堪えて襖の淵に片手を押しつけた。口許を抑える。慣れた痛みへの、拒絶反応。
 ひゅ、と吸いこんだ息が音を立てる。胃の腑から迫上がる痛み。気道を無数の刃で斬りつけられるような違和感。
 咳き込み、掌を唇に宛てる。

 空咳は次第に湿り気を帯び、苦痛に背を丸めて青年は赤を吐き出した。

 開いたままの襖に縋り付いた掌が、ぐなりと歪む。確かな漆の滑らかさが掌の中で融け出し、形を喪って、眩暈にも似た幻覚が目の前を覆い尽くした。

 白。何も見えない。天から地から、吹雪いてくる冬の山に似て。

 ◇

 紅葉の掌が、硝子の簪を握り締めた。

 縁側から射し込む光に透かし、その意匠を確かめる。蝶、花、氷、何にでも見えるようで、何でもないような、ひどく曖昧な容(かたち)。
 離れた場所に座る祖母が、ひそやかに微笑む気配があった。振り返る童を手招きし、冷えた冬の昼空の下、穏やかな翳りの奥で彼女は座している。駆け寄る孫の頭を撫で、彼の長く伸ばした髪を慣れた手つきで纏め、そっとその簪を挿してやった。
 無邪気に喜ぶ孫を目に、ほんとうにそれが好きなのね、と彼女はわらう。その貌は靄がかった白に覆われて判然としない。

 はた、と、童子は眼を見開いた。

 掌の中で硝子の簪が弾け、薄紅の雫となって垂れ落ちる。否、それは己の吐いた血の残滓だ。終は最早幼子ではない。縁側へと向いていた身体は襖を掴んだまま膝から崩れ落ちて、もがくように床を掻き毟る指先だけを凝視している。短い爪は床の間を傷付けない。音も立てずに床を這って、畳のささくれを求めるように蠢いた。ずるり、と胎内から這い出る赤子のような足取りで、どうにか部屋の中へと身を収める。藺草の匂いと鉄の匂いが混じり合った。
 裸木の色に似た瞳を瞼の内側に閉ざす。光を遮って、靄の掛かった記憶を辿る。
 見覚えのない簪。
 幼い記憶の中に、当然のように存在していた氷の意匠。
 出所は判らない。なにせ、それが真実幼き日の記憶かすら判然としないのだ。終の内側は棲みついていた何者かが飛び立ってしまった後の虚のように、いつからか瓦解を始めている。剥がれ落ちる記憶は不自然に縫い合わせられて、奇妙な容を創り上げていた。
 ゆるゆると巡らせた視界の中、室内で目に付くものは、隅にひっそりと佇む箪笥一竿だけだった。それ以外には、ぞっとするほど何も残されていない。祖母と己との記憶が否定されるようで、終は喘ぎ声の内側に惧れを噛み殺した。
 祖母が己の物を片付けていた筈の調度品。
 中の物もほとんどが処分されてしまったのだろう。あの簪も、残っているか――否、もしかしたら初めからこの家には存在しなかったのかもしれない。
 それでも、終の腕は取り憑くようにその箪笥に縋っていた。また血を吐かぬよう息を落ち着かせ、真鍮の取っ手に手を伸ばす。冷えた金属の感触を握り締め、軋む音を立てながら開く。
 性急な手つきで暴かれた樫の匣は、仮初の記憶と同じ、薄紅の硝子細工を大切に仕舞い込んでいた。

 ◇

 落葉がひとひら、窓からするりと忍び込む。
 幼い目でその軌道を追う息子の髪を、母親の櫛が優しく梳いていく。祖母とはまた違った手つきで、違った形に髪をまとめながら、簪を挿してくれる。硝子細工ではなく平凡な朱漆の花飾。幼子の赤茶色の髪に融け込んで、ひっそりと栄える。可愛らしい、と女は何処か虚ろな声音で我が子を愛でた。その眼に映るのは男子ではなく女子なのだろうか。
(いつ)
 ――そう呼ぶ声が、終の名を指しているようには、どうしても思えなかった。
 母親が選ぶ着物は白が多かった、ように思う。雪だか桜だか判らない、細やかな花弁の散る図柄が銀の糸で縫い込められた、童女の衣裳。生来身体の弱く、兄たちのように働く事も御国の為に命を賭ける事もできず、引け目を感じていた少年はそれを甘んじて受け入れた。母が欲していたらしい娘の、吉祥の童の身代わりにされるならばそれでいいと。静かに口を閉ざし、求められるがままに物分かりのいい娘を演じた。
 父は母ほどに娘を求めていたわけでもなく、男子として終を見ていた。病弱な彼を腫れ物でも扱うかのように眺め、構う事もほとんどなく、成長への期待も寄せていないようだった。
 家に縛られながら、居場所を喪ったまま、少年は口を閉ざす。
 彼らの目に己は見えているのか。
 それすらも幼い終には朧げだった。

 ◇

 ざら、ざらと、粗目の雪が降る。
 視界に鏤められる白は舞いこんできた雪の粉か、それとも己の眩暈故か。

 ◇

 咳き込み、血を吐く終を、誰も見向きはしなかった。
 己が着物を赤く染める少年は、最早吉祥の童からは遠く離れている。成長し、娘らしさを喪い青年に近付き始めた彼に母親も諦めを抱き始めて、白い着物を着せる事はしなくなった。
 それ故に、青年へと成長した彼が戻らぬ決意を固め、祖母の家へ向かった姿を引き止めるものなど居なかった。

 白い唇を血で濡らし、縛られていたはずの家を発つ。

 本家に居場所を喪って、自然と幼い少年の足は祖母の家に向かう事が多くなった。
 少し離れた場所に在るその屋敷はただ広く、祖父や先祖の集めたらしい翻訳本や異国由来の品が多く置かれて、物置然としていた。詳細は不明――祖母に尋ねても詳しくは教えてもらえなかった――なのだが、不思議なことに、過去の代に何処からか流れてきて一帯の土地を買い占めたそうだ。
 終はその雑然とした空気を好み、祖母に懐いていた。広々とした屋敷は裏庭に桜の樹を抱き、村の傍に聳える山を眺める事ができた。春になれば薄紅、夏は新緑、秋には紅黄色――いつ見ても燃え盛るような色に染まる山は、ただひととき、冬にだけは静謐の白を一面に曝していた。
 空と、山と、庭と。境界線をも曖昧にしてしまうほど激しく、雪が降り頻る。数多の命を己が内に閉じ込めて。

 ――着物を血で濡らし、赤く染まった青年が家を見捨て。
 居場所を失くした、白い吉祥の少年が祖母の元へ逃げた。

 果たして、どちらの記憶が先んじていたのだろう。

 ◇

 畳に掌の血を擦り付ける。
 粘り気のある赤は真っ直ぐな線を残し、確かにそこに終の痕跡を刻みつけた。
 ぐにゃり、弾力を以って、泥沼のような底知れぬ感覚が終を取り込む。視界が歪む。五感さえも信じられぬ。肺を灼くような冷たい痛みだけが、生を感じさせる。
 息を吸う度上がる、掠れた音が草野を駆ける風に変わる。足先から世界が塗り潰される。雪に。白に。灰に。凍える曇天に。
 再び、記憶が流動する。

 恐ろしかったのだろうか。

 彼女を焼いた、あの焔が。

 くすんだ色を曝し、真っ直ぐに空へと伸びていく煙を見つめながら、終はぼうやりと祖母の死した光景だけを思い出していた。彼女は今荼毘に付されている。だのに、それがいつの記憶か、何故か疾うに翳み始めていた。蝶を埋めるのだと躍起になって雪を掘り進める少年、その隣で眠るように静かに息を忘れていく老女、噫、この記憶は誰のものだろう。
 誰が、視ている? 幼い少年の過ちを正すでもなく。
 冷える風が生温かい鉄の匂いを運ぶ。己の吐いた血のいろ。視界が一気に畳の上へと引き戻され、記憶の境目へと融けた祖母に置き去りにされた終は手の中の簪を強く握り締める。掌の赤が硝子の透いた色に融け込み、薄紅の簪が一層色付いたようにも見えた。
 背を丸め、再び咳き込めば、先程よりも多量の血が掌と畳に散る。どろりと滴る血を畳に擦り付け、ひゅう、ひゅう、と雪風にも似た息を零す。肺を充たす風は鉄と藺草の匂いに占められ、生温く垂れ込める。外の冴えた、刺すような冷気を欲し、ふらつく足で立ち上がって縁側へと続く障子に手をかけた。薄紙がばりばりと鳴っている。外の風が雪を躍らせているのだろうか。
 手に力を入れ、戸を開ける。
 舞い交う白が、視界を襲う。
 大粒の花弁は雪か、桜か、終には判別付かなかった。冷たくも、貼り付きもしない。幻惑の吹雪。終の眼前から飛び退って、空を飾り立てる。煌々と照らす月を翳め、羅紗の奥に匿った。白銀に凍る山が儚い光を燈し、月光の代わりに空を照らす。
 そして、発光する暗闇の中に浮かび上がるは、ひとつの影。

(籠女、籠女)

 唄声。

 ――立って、いる。

 終がその裸木の色を瞬かせるだけで、幻はすぐさま容(かたち)を変えた。
 枯れた桜の幹に凭れかかり睡る躯。死んでいるのか、生きているのか、眠っているのか、それすらもこの場所からは定かではない。しかし終は知っている。あれは骸だ。桜の籠根に囚われ、雪に包まれて死んだ女。荼毘に付され、焔の中に消えた女。
 それがなぜ、桜の隣に佇んでいるのだろう?
 二つの幻はどちらが真と主張するでもなく、終の目の前で朧げに重なり合った。骸の隣に立つ女、女の足許で睡る骸。どちらもが彼の前に確かに存在している。――彼自身が、確かに存在しているならばの話だが。
 女の纏う、白い着物は冬山の景色に溶け込む。細やかな花弁の意匠だけが袖から切り離されたように浮かび上がり、大気に散る。雪に変わり、桜に変わって、空を舞う――幻覚。
 枯れ枝のような指先。瑞々しい氷の肌。低い背丈は年老いて丸めているのか、ただ華奢なだけなのか。老若も、その容貌も判らない女はしかし確かに、凍り付いた唇で微笑んでいた。紫の色が弧を描く、その冷たくも美しい軌跡だけが強く目に焼き付く。
 手の中の硝子細工が、冷えた風に中てられて温度を奪っていく。まるで氷の女の口付けのように。

(籠の中の鳥は、終々出遣る)

 雪女。幼い頃に伝承として聴かされていた、女妖の話を思い出す。
 女だけでは子は為せぬ。故に彼女らは、雪山へ分け入った男を惑わせ、その心と身体とを奪い種を欲するのだ。無垢な命をはぐくむために。
 ざあぁあ、吹き流る雪嵐に感覚ごと攫われてしまいそうな心許なさを抱き、終は足を踏み出せずに逡巡する。
 女は、骸は、終の訪れを待っているのか。
 山へいざない、潰えようとしているその命を新たな命のために欲しているのだろうか。月に掛かる靄のような模糊とした印象を纏い、何かを待ち侘びている。
 純白に足跡も残さず、雪の上に浮かび上がるようにして立つ、女の髪に挿さる赤。
 氷の透いた色に一滴の血が混じり、赤く染まっていくような色彩。
 はたと女から目を逸らし、己の掌へと視線を落とす。其処に握っていた筈の簪は、既に姿を消していた。女が知らぬ内に奪い返したとでも言うのだろうか。茫然と手の中だけを見据える。
 唇から溢れたはずの血。気が付けば乾き、終の肌の上でくすんだ色を曝している赤。握り締めれば、かさり、と掌から剥がれ落ちた。決して混じり合う事のない白と赤。乾いた掌とは対照的に、歪み、融け合う心の内が、静かに薄紅色の何かを形作るのを終は感じ取っていた。虫か、氷か、花か、桜か、判然としないまま、流動する想いは凝固する。凍て付いて、容易く触れるだけで砕け散ってしまいそうなほどに。
 片脚を、板の間から踏み外す。
 重力に惹かれるように、繰る糸に絡め取られたかのように、女だけを見据えながら、終はその身を傾けた。

 吹き荒ぶ雪風に舞って、氷の唄声が耳を灼く。



 ――この足を踏み出して、残るのは、





 <了>

クリエイターコメント大変お待たせいたしました。オファー、ありがとうございました!

頂いたオファー文の解釈に悩みつつ、このような形に整えてみました。
時間軸完全無視・不確定で曖昧な演出を、との御言葉に甘え、何が真実で何が幻かも判らないよう、描かせていただいております。どこまでが確かな出来事と捉えるかは、PC様次第という事で。
PL様のお望みの雰囲気が描けていれば、幸いです。

今回は素敵な物語をお任せいただき、ありがとうございました。
それでは、御縁がありましたら、また違う物語をお聞かせくださいませ。
公開日時2012-12-26(水) 23:00

 

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