オープニング

 その店を訪ねるには、世界図書館から向かうのが恐らく一番判り易い。
 不案内な者なども、いい加減な地図を頼りに右往左往と彷徨って、何処を歩いたとも知れぬうち、いつの間にやら着くという。
 そんな胡乱な道の果てにある、これまた胡散臭い古びた日本家屋。
 よくも名付けし『白騙』の屋号、その看板を認め、がらがらと木戸を開けた途端――薄明かりに照らされた怪しげな調度や人形、楽器に掛け軸、反物、面、梟の置物、武器と、仕舞いには使途さえ判然としない、得体の知れぬ古今東西種種雑多――床、壁、天井、果ては戸口の境すら曖昧に仕立て上げる骨董品の数々が、客の視界を一編に埋め尽くすことだろう。

 ――だが、先の戦争から暫くの間、家屋は空疎な有様を見せていた。

 ◇

 雪深終は茶菓子と酒を手土産に、その店を訪れた。
「槐」
 声を掛けてみても、一度ではいらえがない。
 あの日と同じがらんとした、商品のない店内を歩き、あの日と同じ懸念に囚われる。陳列物と共に店主が行方を眩ませ、もう姿を見せる事はないのではないかと――そう思う度、背筋が静かに粟立つような感覚を抱くのだ。
「槐。……居ないのか」
「――はい?」
 先程よりも一段と大きくした声にこたえ、ぬるりと、その男は暗がりから顔を見せた。
 居間と廊下、光と闇の境目に立っているからか、明りも男の顔半分までしか届かない。――否、それは単に男の被る鬼面が黒く影めいて見えただけのことだった。相変わらずの異相に、終は苦笑にも似た息を吐く。
「終さん。どうされました?」
「明日から営業を再開すると、灯緒に聞いて来てみたんだが」
「ええ。ですので今から蔵を開け放とうかと、鍵を探していました」
 微笑む男が手を掲げれば、携えた旧く大きな鍵がぢゃらりと音を立て揺れる。寛いで待っていてください、とそのまま身を翻そうとする男を、終は僅か慌てて引き止めた。
「今日は、俺も手伝う」
「いえ。御客人にそこまでして頂く程の事ではありません」
「客ではない。……友人と、して」
 僅かに視線を逸らしながら、そう小さく呟かれた声を、しかし槐は確かに聴き届けたようだった。面に覆われていない方の目を丸め、次いでふと微笑む。
「……そうですね。では友人として、頼みを聞いて頂けますか?」
 有り難い申し出を断る理由など、彼にはなかったようだ。

 ◆

 槐曰く、ひとつの独立したチェンバーを形成する彼の蔵は【空啼】と名付けられているらしい。蔵の内部を常に充たす暗闇はそれ自体が微量の意志を持ち、通常の灯りを燈そうとすると厭がって光源ごと呑み込まれるのだと。
「黒い闇を祓うには、同じく黒い焔が必要です」
 そう言って店主の掲げたカンテラには、彼の言葉通り紫の艶を纏った漆黒の焔がゆらゆらとうねっていた。この灯を入り口に燈しておけば、暗闇は僅か――視界が確保されるほどには、大人しくなるのだと。
 暗闇に果てがないのと同じように、その蔵にも果てがない。
 恐らくは何日かけて歩いても、その全容を知る事は出来ないらしい。
「……どれだけ物を貯め込んでいるんだ?」
「さあ……帳簿を見れば大体の数はわかりますが、時折そこに無い物が増えたり減ったりしていますので。気になるなら歩き回って確かめていただいても構いませんよ」
 店そのものと同じように、あてどなく歩いても目的の物の場所には辿り着ける為、蔵の中で迷う事はないようだ。そういうものだろうか、と終は首を捻りながら納得をし、槐のゆったりした足取りを追う。

 ◆

 道すがら、終は幾つか、気になっていた事をぶつけた。少年の好奇心にも似たまっすぐさで。
「その鬼面、いつも着けてるが、何か意味が?」
 小さく首を傾げて問えば、男も同じように首を傾げ、自らの顔の右半分を隠す黒に手を遣った。
「これは僕のトラベルギアです。以前は違う形だったのですが」
 黒い鬼面は自己防衛のための力を有する。それ故、平穏なターミナル内では必要ないと判っていても常に身に付けているのだそうだ。――確かに、この男とはこの店以外で顔を合わせた事がない。
「世界計も直った様だ。……槐は、今は、朱昏に行く事はないのか」
 つい先日も、彼の豊葦原を担当する世界司書から依頼の募集があったという。しかし、かつて朱昏を懇意にし、今も尚気に留めている彼がそれに興味を示した風はない。
「いや……槐から依頼の話を聞く度、その方が効率的ではないのかと」
 話しながら、ちら、とくすんだ赤茶色の瞳が白い店主の足許に向けられる。以前異世界への渡航中、足に怪我を負って以来ターミナルに籠りきりの生活をしているとは、人伝に聞いた事があった。店主もまた、その視線の意味を理解しながら言葉を挟む事はしない。
「こうして皆さんの土産話を聴いているのも、中々楽しいものですよ」
 笑みながら与えられた応えに、終は僅かに考え込んだ。
 物に囲まれ伝承だけを聞いて過ごす、その在り方は、人として生きていた頃の己を彷彿とさせる。そして、先日の依頼の際に聴いた『忘れたくなかったから』という言葉が彼の胸にずっと引っ掛かっていた。――何故か、は未だ判らない。
 ふと顔を上げると、既に店主は彼を引き離してしまっていた。
「槐!」
 声をかけてみても、彼は振り返らない。足取りは先程と変わらないのに、何処か怒っているようにも見受けられるのは己の不安故だろうか?
「不快にさせたのならすまない」
 追いながらそう言葉を継ぎ足す、青年の顔はどこか曇っている。こうやって、他人の内側まで知りたい、踏み込んでみたいと思った事はあまりなく、どうやって距離を取ればいいのか判らなかった。
「そもそも俺は、人付き合いがあまりうまくない、から……」
「いえ」
 徐々に小さくなっていく言葉尻を捉え、男は蔵の前で足を止め振り向いた。その手の中で黒い焔が揺れる。
 漆黒の鬼面の下、男は柔らかくけぶるような笑みを浮かべる。
 それは常の胡散臭さを払拭した、何の含みもないものであるように、終には思えた。
「僕は特に不快などと、思ってはいませんよ」
 はた、と終の瞳が小さく瞠られる。
 沈黙を保っていたのは、言葉を探しあぐねていたからだ、と付け加えて、槐は言った。
「貴方は先の戦争の際も、僕とこの店を心配して逢いに来てくださった。そうやって、気に掛けて頂けるのは、純粋に嬉しい事です」
 一日のほぼ全てをこうして、店の敷地内で過ごしている。
 外の世界と関わりを持たない身の槐にとり、終は貴重で、得難い存在であるらしい。

「何かお訊きになりたい事があれば、遠慮なくどうぞ」

 もちろん、まだお答えできない事もありますが、
 蔵の片付けがてら、お話し致しましょう――。

 そう言って微笑み、鬼面の店主は観音開きの扉に手を掛けた。

 漆黒の闇が、口を開いて待っている。

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!注意!
企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。

この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。


<参加予定者>
雪深 終(cdwh7983)
槐(cevw6154)

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品目企画シナリオ 管理番号2349
クリエイター玉響(weph3172)
クリエイターコメントリクエストありがとうございました、玉響です。
いつも槐と朱昏を気に掛けて頂き、ありがとうございます。

御希望のデートコース(?)は【白騙】の店内整理と蔵の探索、縁側での語らいでよろしかったでしょうか。
どの部分に比重を置くかは終様の御意向にお任せいたしますので、お好きなようにプレイングを掛けていただければ大丈夫です。

槐自身の事については、まだまだ口を閉ざす事も多くあるかとは思いますが、どうぞ遠慮なくお尋ねください。終様であればお答えしたい、と彼自身も思っているようですので。
その他、朱昏に関する事もある程度はお答えできると思います。

それでは、謎多き鬼面の店主と共に、終様のお越しをお待ちしております。

参加者
雪深 終(cdwh7983)ツーリスト 男 20歳 雪女半妖

ノベル

 開かれた扉の向こうから、濃密な闇の香が溢れ出る。

 まるで外の者をいざなうかのような艶やかな虚に、終は僅かに足を退いて立ち止まった。
 ――呑まれる。
「これは……」
「さ、どうぞ」
 扉に手を掛けたまま、槐は首を傾げて微笑み、終の戸惑いを見護っている。妖気や瘴気とも見紛う程の狂おしい気配にも煩わされることなく、鬼面の男は光と闇の境目で彼を待っている。人と妖の境目で惑い続ける青年を。
 終は一度息を呑み、誘われるままに足を踏み出した。漆黒の闇は寛容に青年を受け容れ、確かな地面の感触を足裏に覚える。
「闇の、意思……」
 足を踏み入れてしまえば闇はより濃厚に、かつ芳しく終を包み込んだ。まるで、彼の訪いを歓迎しているかのように。
「物から滲む氣の類か……それとも槐の趣向か?」
 ちらりと隣の槐を見上げれば、彼は黒の焔を収めた洋燈を入り口脇に置いて、振り返った。
 光によって和らいだ暗闇の中で、あの食えない笑みが閃いている。
「僕の趣向と言えばそうですが、一応実用的な意味もあるんですよ」
 さて、始めましょう――そう促され、終は指示された物を探しに闇の奥へと踏み込んだ。

 ◆

 入り口と蔵とを往復し、光と闇とに交互に身を曝して、終は充足感にも似た心地好い疲労と共に手伝いを続ける。蔵特有の冷気も埃めいた感触もなく、ただ虚ろで模糊とした空間は終を惹き付けると共に、得体の知れない恐怖を与える。
 光を厭う闇。
 明確な陰を望まぬ、曖昧な――。
 光と闇とが同じ色彩で融け合う蔵の色彩を、どことなく身近に感じた。ゆらりと踊る焔を通りすがりに見つめる度、視界が歪む。眩暈のような感覚に不安を抱いて外へ出、光をまた全身に浴びる。その繰り返しだった。

 しりん。

 背後で、小さな鈴の音が響く。
 振り返った終が闇の中に視とめたのは、黒の奥へと走り去っていく小さな人影。
「今のは」
 後姿だけだが、黒い着物を着た黒髪の少女のように見えた。
「どうしました、終さん?」
「あ、いや……」
 蔵の付喪の悪戯か、それともただの見間違いかと首を捻る彼に、槐が声をかける。終は瞬間応えに詰まり、しかし言葉を紡ぎ直した。
「……この蔵には座敷童子でも住んでいるのか」
 一部の伝承によれば、座敷童子の中には屋敷ではなく土蔵に住み着くものもいる。
「いえ。……似たようなものではありますが」
「似たような?」
 光の外側から、槐が歩み寄る。飄然とした笑みを浮かべたまま、終の視線の先を追う。
「昏ノ神、この空間に安寧を与える主です」
 平たく言えば、あの少女がこの“チェンバー”の主、と言う事らしい。
 人付き合いのない槐が他者と共存している事に僅かな驚きを覚えつつ、“昏”の言葉に、終は彼らと縁の深い世界の事を思い描く。
「――そう云えば、あの欠片も今此処に?」
 朱昏の西国にて、沼の主と蜂の姫君の胎内から採取された欠片。強大な力を持ちながら得体の知れないそれを何と顕せばよいのかも判らず、何処か曖昧な物言いになってしまう。
「ええ。母屋に置いておくと、何が起こらないとも限りませんから」
 しかし槐はその言葉が示すものを的確に汲み取って、蔵の闇へと片腕を伸ばして示して見せた。
「たとえば、売り物が反応して動き出すかも知れない。尤も――それはそれで、興味深くはありますけれど」
 妖気の実在と可視化に相反する感情を覚える終と同じように、しかし室の違う探究心と懼れを滲ませる。その含みのある意味合いが終の好奇心を擽った。
「此処ならばその懸念はなくて済むと」
「……あの破片の他にも、此処には異世界から持ち帰った付喪――物ノ怪の類が多く収納されていますから。無暗に暴れたりしないよう、措置は取ってあるんですよ」
 ふと手の中の行燈に目を落とした。火を付けずとも奇妙に光を零し続け、笠の裏で小さな餓鬼にも似た影が走り回っているのが判る。光は燈る傍から闇に呑み込まれ、餓鬼が蠢いていられるのはこの蔵では行燈の中だけなのだろう。槐の云う“措置”とはこの闇そのものを指すのだろうか。
「槐は、アレをどう思っている?」
「未だはっきりとした事は云えません」
 言葉を受けて、僅かに黙考した後、槐は口を開く。
「只……今まで起きた、欠片に纏わる事件。これらは似通っていながら、同時に酷く対照的だ」
 僕の所感に過ぎませんが、と前置きをし、推測を重ねる。
「懼らく沼の主は欠片の由縁を心得ていた。その上で、自らの身に封じ込めたのではないでしょうか」

 ――動けぬ事情が有る。

 かつて終の視た、白昼夢が蘇る。
 胡乱な夢中、小町は確かにそう言った。それは今槐の云った通り、欠片を含んだが故に身動きが取れなくなったからか。
「一方で、逆に欠片の力を利用した姫蜂は、報告書を読む限り、その何たるかは知らなかった可能性が高いかと。元は人間のようですしね」
 沼の主とは違い、偶然欠片を体内に取り込んで変質してしまったのではないかと、彼の国の事情に詳しい男は尤もらしく語る。終もまた頷いて、ふと首を傾げた。
「では、直近に起きたと言う議員の件は」
 姫蜂の事件と同じく、終は直接遭遇したわけではないが、彼の世界には強く興味を惹かれている。何気なく口にすれば、槐は己の顎に手を当て、僅か考え込む。
「……その、議員の姓は覚えておいでですか?」
 そして、鬼面と人面、二つの黒い瞳で飄と笑った。

 ◇

「ところで、その鬼面だが」
 訪れてすぐに口にした問い。含みのある答えで返されて、興味は更に深くなっていた。“必要もないのに付けてしまう”との言葉に、冗談めかせて解釈を添えた。
「物品の妖気から身を護っているのか」
「大体そんな所です」
 口では同意を示しながら、鬼面の男は初めて思い至ったように目を丸くし口端を吊り上げている。
「それと、ギアが、形を変えた……と」
「ええ」
「それは意識の変化によるものだろうか。……元の形状を聞いても?」
 触れてはならぬ領域に踏み込んでしまう事を恐れ、言い淀む終を安堵させるように微笑んで、槐は自らの顔半分を覆う面の割れ目をそっと指で撫ぜた。そして、露わになっている側の顔を掌で覆い隠し、嗤う。
「懼らく、御想像の通りではないかと」
 男がその向こう側で如何な貌を見せているか、終には判らない。
 しかし、脳裏には思い描いているものがあった。
 最近発見されたと言う、三ヶ目の謎の欠片。ソレが引き起こした事件の際に現れた女の妖。――斜めに割れた面で顔の下半分を覆った姿。
 問いを重ねる前に、槐は手を離し、白い貌を曝して言葉を続けた。
「ご存知のように、トラベルギアはロストナンバーの登録情報を元に、往々にして最も相応しい形状の物が作られ、支給されます」
 例えば、と仕種で示されて、終は己のトラベルギアをその手に呼び出す。
「言い換えれば、それは所有者を器物で表現しているに等しい」
 決して融ける事のない氷の斧。焔に中てられれば終の心身にも影響を及ぼすそれは、確かに雪女の力を身に抱く彼自身を顕している、とも言えようか。
 隻眼をす、と細め、鬼面の主は微笑む。

「まるで付喪神のようだと、思いませんか」
 ――我々の方が、ね。

「……なら、その面こそが」
「――そろそろ蔵を閉めます。外へ出ましょう」
 茫然と口を開き、急くように問いを投げた終の言葉を遮って、槐は一足先に歩き出してしまった。

「……僕は、鬼に成りきれなかった」

 艶やかな闇に、小さな言葉を置き去りにして。

 ◇

 暗闇の奥から救い上げた幾つもの物品を庭に敷き詰め、天気のないターミナルの空の下で天日に干す。その様を静かに見守りながら、終と槐とは店の縁側に腰を降ろしていた。終の手土産である茶菓子と酒を、間に置いて。
「……見て貰いたい物がある」
 徐に、猪口から口を離した終が呟く。この場には二人しかいない筈なのに、槐以外には聞かせられないとでも言いたげな、真摯な横顔と密やかな声音に槐もまた瞳を細くした。
「だが、ひとつ頼みがあって」
「はい」
 赤茶けた裸木の色の瞳を逸らし、商品を見究める。
 庭に並ぶたくさんの物ノ怪たちが、カタカタと存在を主張しているようだ。
「少しでいい。その鬼面を、外してくれ」
 不安と躊躇を色濃く映した瞳が、白い男の纏う唯一の黒へと向けられた。何も今でなくても構わない、と添えて、反応を待つ。
「……ええ、構いません」
 槐は暫し考える素振りを見せた後、是とだけ返した。
 終もまた感謝を告げ、袂から件の品を取り出す。
 ――以前来た時は、何故か命を握られるような気がして、見せる事が出来なかった物だ。
「多分只のモノ――躯同然なのだろうが、恐らくは俺の身と同じ、或いは既に同化した何かではないかと思う」
 握り締めた掌を開き、縁側の床板の上にころりと転がす。透明な氷に一筋の血――紅を注ぎ込んだような、薄紅色の硝子細工の簪。
「俺が半妖になって以降、離れた事がない……色々と不可思議な物だ」
 所以も判らないが、確かに終と共にあった物。槐の眼が興味深げに閃く。
「つまり、未だ手元にあり続ける理由が判らない、と」
「ああ。……如何思う」
 薄紅色に花開くような、雪の山中で凍えていく蜉蝣のような、美しい意匠の硝子を細めた眼が見定めている。
「では、失礼して」
 恭しく伸ばされた指先が、簪を受け取った。
「……硝子細工を選んだのは、春を閉じたか、または春まで閉じていようとしたとみるべきか……。造りは江戸時代後期の物にも似ていますね」
 穏和であった隻眼は、品を手にしたその瞬間から鑑定士としてのそれに変わっている。簪に触れ、見目の割に冷たさを持たぬただの硝子である事を驚いているようでもあった。
「失礼ですが、これは終さんの――」
「祖母の箪笥の中から見つけた」
 時代的には槐の見立て通りだと、終は素直に頷いて応える。
「幼い頃に親しんでいたような覚えもあるし、祖母の死後初めて手にしたような覚えもある」
「記憶が混同していると」
「噫、胡乱だ。曖昧で、前後も不明瞭で――何一つ、宛てにならない」
 それを皮切りに、終は訥々と己の胡乱な過去を語り始める。
 酒を口に含む度、閊えていた言葉が滑らかになる。居場所のない家、雪を掘り埋めた蝶、枯れた桜の下で凍り付いていた祖母――青年の頬は僅かに上気し、酩酊を如実に表している。
 手にした杯の中で、揺らめく青い空を呑み下した。
「……槐、物は一体何を繋ぎとめる」
「何を――とは」
 揺れる視界を瞼の裏に綴じ込めて、終は硝子簪を握り締める。氷ではないはずのそれさえも、火照った己には冷たく感じた。
「――俺は、」
 閉じた瞳の奥に、鼓膜に、凍える冬の景色が蘇る。降り止まぬ雪、鳴り止まぬ風。懐かしくも、畏れ多い景色。
「いつも、物の作り出す空間の質感……それ以外に何も必要無い気がして、想いが虚空に消えてしまう」

 ――音が雪に吸い込まれ、
 言葉が吹雪に掻き消され、
 そのうちに身も氷に閉ざされる――

 瞳を閉じたまま、ともすれば眠っているようにも見える、静かな姿勢。その奥で終が何を見ているのか、恐らく槐には判じ得ないのだろう。
 しかし、外側から慎重に、優しく戸口を叩くように言葉が掛かる。
「身も蓋も無い事を云いますが、先程終さんも仰った通り、物は只の物でしかありません」
「……ああ」
 声を聴きながら、ぐらぐらと、終の身体が傾いでいく。緊張感を和らげたくて酒のペースを速めたのが災いしたようだ。元々それほど酔いに強いわけでもない青年は、本当に眠気に抗えなくなっていた。
「物が繋ぎ留めているのではなく、我々ひとが物を作り、繋がろうとするのです。ひとは誰も自分を形作る為に、物を必要としている――だから、」
 終(つい)に倒れ伏した身体を、槐が受け止める。その肩に己が羽織を掛け、優しい声が鼓膜を揺する。
「……もし、いつかその簪を失う事になったら、貴方は今の貴方では居られなくなる」
 鎖されゆく意識の中、終は確かに目にした。
 断面を撫ぜ、紐に手を掛けて、鬼面を外した男の貌を。

「嘗ての僕がそうであったように、ね」

 けぶるような笑み。果たされた約束。
 安堵に再び瞼を閉じて、曖昧な青年は全て、胡乱な記憶の中に仕舞い込む。

 <了>

クリエイターコメントいつもありがとうございます。そして、大変お待たせいたしました。
骨董品店【白騙】での一日をお届けいたします。

槐が鬼面の下に何を隠しているのか、全ては終様の朧な記憶の中です。外すタイミングをお任せ頂いたので、こうなりました。
どうか、彼が真実を明かすまで、もう暫くお付き合いくださいませ。

また、今回、ノベル執筆において、朱昏と槐に纏わるもう一人の首謀者である藤たくみWRに多大なる協力を頂きました。この場を借りて御礼を申し上げます。

この度は嬉しい御指名をありがとうございました。
それでは、御縁が在りましたら、何処かの階層で、また御逢いしましょう。
公開日時2013-01-24(木) 22:20

 

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