インヤンガイには『巡節祭』と呼ばれる年中行事がある。 当地の暦における新年を祝う為の祭りで、有り体に言えば壱番世界の正月のようなものである。爆ぜる爆竹。連なる屋台と的屋の群。獅子舞、龍舞、演舞に雑技、その他数多の大道芸。そして何よりこの日を祝う見物客の喧騒に、街は華やぎ彩られ、活気と笑顔で満ち足りる。 この街は、辛いことが多くて。だからこそ、人々は全てを忘れ、盛大に賑やかに、新たな年を迎えるのかも知れない。その様相はインヤンガイらしくとても混沌としていて、けれど、どんなにか美しいことだろう。「素敵……」 異世界に、想いを馳せて幾星霜。仕事忘れて、頬をひと撫で。溜め息ひとつ。「あ、うん。それでね。その巡節祭、行ってみません? 楽しいですよう」 仕事、思い出した。「行ったこと無いけど」とからから笑う、そばかす顔。 世界司書ガラは、今日も今日とてマイペースだが、さておき話を続けよう。「ガラいち押しのスポットは、ずばり人形芝居! なんかちょっと変わってて、人間大のお人形と本物の人間とが、一緒にお芝居するんですって」 基本的な流れは一般的なそれと同じく、人形の滑稽な演技で物語を紡ぐ。 しかし、ここに見物客が好きな時に飛び入り参加できるのだ。「勿論、作品世界に居ないはずの人が突然割り込むからには、役柄と演技ぜーんぶアドリブ、です。少しぐらい世界観が崩れてもいいみたい」 元々、この辺りに伝わる御伽話を題材としている為、少なくとも現地人には入り込み易い。それ故か、定石を覆す勢いで演じてくれた方が、喜ばれるのだ。「ね、やってみません? 楽しいですよう。暴霊も参加しちゃうくらい」 両手を合わせてしなを作るガラの口から、なにやら不穏な言葉が次いで出た。「実は、一体のお人形に暴霊が憑依して、ちょっぴり騒ぎになりそうで」 ガラが導きの書を通して視たのは、少女の暴霊。「この子、人形芝居を楽しみにしてたのに、ついこの間亡くなってしまって。前までは見てるだけだったけど、今年は飛び入り参加する気だったんですね」 その願いが叶わぬまま逝き、暴霊化してしまった。「あ。暴霊って言っても、暴れる心配はありません。でも、放っておいたら、悪さをするようになるかも。だからね、その前に優しく送ってあげて欲しいんです」 憑依の対象は物語の主役。明らかに見た目が生々しくなるので判り易い。「どのタイミングで参加するかは、きみ達にお任せです」 あとは、暴霊扮する人形と共に、即興芝居で場を盛り上げれば良い。 上手く立ち回れば、騒ぎにはならず、未練が解消されて暴霊は消える。「ちなみに刃傷沙汰はNGです。穏便に楽しくよろしくです」 何にもまして、大勢の人々が年に一度の祭りを楽しんでいる場所なのだから。「探偵さんにきみ達の案内をお願いしてあります。お芝居の内容とか、聞いてみてくださいね」 インヤンガイ下層、某区画にて。「いらっしゃいませ。贈答ですか? 供物でしょうか?」 花が咲いたような明るい挨拶で、エプロン姿の女性が出迎える。 両開きの扉は開け放たれ、店の内外に所狭しと、色も形もとりどりの、暗鬱な街並みに対して少々奇抜とも思える花が犇めき合う。どう見ても花屋だ。 恐らくは面食らった旅人達の様子を見て、女性は声のトーンを下げた。「じゃなけりゃ……『シショ』の身内かい?」 女は、ただ『花屋』と名乗り、異界の旅人達を奥へと通した。「話は聞いてんよ。じゃ、御伽話の方からね」 花屋の大雑把な説明によると、人形芝居の原題は『ザオニャンシ』という。――それは、ザオと言う名の少女が出会う奇妙な一夜の物語。 家で床に就いていたザオが、気付くと寝巻き姿で外に居り、それからうっかり古びた妖怪屋敷に迷い込んでしまう。屋敷の中ではヤンという少年が外に出れず怯えていた。ザオはヤンと出会い、二人で数多の妖怪を撃退しつつ屋敷からの脱出を試みる。妖怪との対決を経て屋敷は炎上してしまい、二人は命からがら逃げ出す。なんとか外に出た直後、ザオは意識が途切れてしまい、目を覚ますと自分の部屋に戻っていた。妙な夢を観た程度に思っていたザオだったが、翌朝表を歩いていると、あの屋敷に辿り着き、ヤンと再び出会うところで、物語は終わる。「ザオ役は『元気で勇ましい娘』って感じで演る奴が多い。暴霊も、多分そんな感じで動くんじゃね? あんたらはあんたらで好きにやりゃいい。ザオ役以外でね」 ヤンでも妖怪でも、他の何かでも構わない。既存の役柄についた場合は、同じ役の人形が舞台から居なくなるだけだから問題無い。 但し、ザオ役を取ってしまうと、幾ら大人しい暴霊でも何をしでかすか判らない。その点だけは気を付けて欲しいとのことだ。「別に難しいこた無いさ。派手にキメて楽しくやりゃいいんだ。それで全部丸く収まるなら、いいことずくめだろ?」 そこまで話すと、花屋はエプロンを外してそそくさと店仕舞いを始めた。「さ、行くよ。巡節祭に仕事なんざやってられっか!」
「オイラ、お祭りだ~い好きにゃ。ワクワクにゃ~」 雑踏と喧騒、むせかえる熱気もなんのその。 ぴくぴく耳を動かして、方々より鳴り響く爆音さえも楽しげに、ポポキは皆を振り返った。 隣には案内役の花屋、目の前にはホワイトガーデンとグラミー・アテイナ号が肩を並べており、最後尾をヌマブチがついて来ている。 皆を見る他に、通り過ぎた屋台の美味しそうな匂いに未練があったことも、振り向いた重要な理由のひとつだが。 「わくわくと言えば。現地の衣装に袖を通すのって、わくわくするわよね」 ホワイトガーデンも、これより臨む飛び入り人形芝居に目を輝かせていた。 とは言え、一方で芝居と切り離せない、暴霊のことも考えずにはいられない。 誰しも遣り残したことは、叶うなら終わらせてから旅立ちたいものだ。 実感こそ伴なわないが、ホワイトガーデンも我が身に置き換えてみれば、やはり同じことを思う。 「想いを残してこの世を去るのは、悔しいものね」 隣を歩くグラミーの言葉にホワイトガーデンは少し驚いた。 偶然思考が重なった、少しばかり大き過ぎる美女を見上げる。 「ツーリストにも、同じような想いを抱えている方がいるのかしら?」 グラミーの短い言葉に、想いの一端が垣間見えたのかも知れない。 事実グラミーには未練があり、それは嘗て一隻の帆船でもあった彼女の比類無き無念として、胸に刻み込まれている。 「……色々あるわ、皆」 旅人だけではない。数多の世界、誰も彼も。 この地で人が暴霊と化身するも然り。 まあ、でもね。 「重い話は置いといて。やるからには本気で楽しむわよ!」 「ええ」 ホワイトガーデンはグラミーの気風に感じ、口元が綻んだ。 「っつうか、あんたらさ」 今度は花屋が、一同に声をかける。 「さっき羽の嬢ちゃんが言ってたけど、まさか仮装すんのかよ?」 「えと、駄目……かしら?」 ホワイトガーデンがグラミーと顔を見合わせ、首を傾げて不安げに尋ねる。 花屋は四人を見比べて鼻を鳴らし、 「面白え」 にやりと、含みのある笑みを浮かべた。 ホワイトガーデン、グラミー、ポポキは、三人共妖怪役をすると言うので、急遽花屋が手配した衣装を着込み、別所にて、同じく花屋から化粧を施されている。 ひとり暇を持て余したヌマブチは、何気なく舞台の周辺を歩き回り、徴兵前に観た芝居のことなどを懐かしんでいたのだが。 その最中に劇団員に捕まり、ちょっぴり困っていた。 「某では既に薹が立っているでありましょう」 「設定変えれば大丈夫だって」 二人が話しているのは、飛び入り参加時の役柄についてである。 劇団員に奨められた、ある役柄は、自分には合わないとヌマブチは主張する。 「むしろその身長ならまんまいける!」 「撃つぞ貴様」 「怒るな怒るな。身の丈だって持ち味さ」 「む」 常日頃より背丈のことを気にしている、気にし過ぎているヌマブチだが、それを活かせと言う劇団員に悪気は無さそうだ。 元々(憧れの魔法使いを演じたいが為に)妖怪の親玉役でもやろうかと考えていたのだが、飛び入り四人が妖怪では、と自ら身を引いた経緯がある。 ならば、これは。 「なんなら最初から混ざっちゃえよ。な?」 鶴の一声……なのか? そして、幕は上がった。 大小数多の銅鑼の演奏が開幕を告げる中、ついにヌマブチは戻らなかった。 「どこほっつき歩いてるのかしら」 グラミー、ホワイトガーデン、ポポキは観衆の中に紛れ、来るべき時に備えていた。 「お腹でも壊しましたかにゃ?」 ポポキがまだ何も食べてないのに、と不思議そうな顔をする。 始まって暫くは、さかさまの瓢箪に顔を描いて四肢を繋いだような糸繰り人形のザオが、ひたすら一人芝居で間を持たせていた。 母親に寝かしつけられても眠れないザオが、今夜はどんな夢を観ようかと、うろうろ考える。 ちなみに、ザオの声は甲高く裏返った男声だった。 これだけでも滑稽で、多少は受けを狙えるだろう。 やがて芝居は闇夜の表通り、ザオが立ち尽くす場面に移った。 『どうしてお外にいるのかな? どうして右手が垂れてるの? おかしいな? おかしいな? お母さんが踏んづけた? 上の人がいい加減? どっちにしても許せない!』 腰に左手のみ当てて、そっぽを向くザオに見物客の一部から笑い声があがる。 どうも、何かの弾みで糸が切れてしまったらしく、右手がぶら下がっている。 「ふうん。案外やるじゃない」 「でも、大丈夫かにゃ?」 今のままでは動きに精彩を欠くだろう。 旅人達が感心と不安を囁き合う間にも、物語は進んでいく。 ザオが偶然見つけた屋敷に迷い込む場面だ。 しかし、入るや否や、無情にも門は閉ざされてしまう。 屋敷の中はうっすらと明るく、家財道具や骨董品、がらくたで埋め尽くされている。 『ごめんください! 誰か居ないの?』 返事はない。 代わりに、 『誰かに見られているみたい……』 視線はどこから来るものか、薄闇の邸内では判然としない。 ここで、徐に糸で釣られた大きな瞳がするすると降ろされる。 怖れつつも奥へと進むザオは、瞳と狭い壇上をぐるぐる追いかけっこする。 『あ! 明かり!』 そのうち、奥から強い光が洩れていることに気付いた。 扉が開きかけているのだろう。 ザオは視線から逃れたい一心で、光に、実際には舞台袖に飛び込んだ。 伴奏と共に幕間――と思いきや、ものの十秒ほどで再び幕が開く。 背景は薄暗いがらくた山から一転、無数の人形が所狭しと並ぶ部屋に変わる。 片隅には、どの人形よりも仏頂面の、やたら姿勢が良い男。 「あら?」 ホワイトガーデンの声に、ポポキとグラミーも思わず目を瞠った。 「…………ヌマブチ?」 「い、一体何してるにゃ~」 面食らうグラミーとポポキに、ホワイトガーデンが活き活きと答えた。 「あはは。飛び入り参加に決まってるじゃない」 ヌマブチの役柄を想定していたからこそ嬉しく、かたや二人の仲間が驚く様子がおかしくて、つい笑ってしまう。 「それにしても、にゃ~」 状況からヌマブチがヤン役であるのは誰の目にも明らかだ。 だが、ヤンと言えば少年であり、三十路を過ぎた厳めしい小男が演じるギャップは並ではない。 未だ何もしていないヌマブチは、既に強烈な存在感を放っていた。 さてさて、人形犇めき合う部屋に、ザオが文字通り飛び込んだ。 室内は蝋燭が灯され、じんわり赤い火の光に浮かぶ人形たるや実に不気味。 何より人形と言えば、その目。 『せっかく目から逃げたのに、このお部屋にも目がいっぱい。それに、なんだか生きてるみたい』 ザオは、一体の人形、のような、人間にぺたぺた触れる。 『こ、こそばゆいであります!』 『わあ!? 人形が喋ったあ!!』 ザオは驚きぴょんと飛び退く。 ヤンことヌマブチの軍人口調で、場内に拍手と爆笑が渦巻いた。 「すごい……」 「たった一言でお客さん掌握にゃ」 観衆のお腹が落ち着いた頃、気を取り直してザオとヤンはお互いに自己紹介。 二人共屋敷から出たいということで程無く意気投合する。 『必ずや妖怪どもを打ち倒し、外に出よう!』 『うん! でも、あなた強そうなのに、どうして引き篭ってたの?』 『それは……は、腹! お腹が痛かったからであります!』 出撃拒否児童の如き言い訳に、これまた観衆は大いに笑った。 芸風のみならず、ヌマブチの良く通る堂々とした声に因るところも大きい。 「本当にお腹壊してたにゃ?」 「ふふ、違うでしょ。でも……負けてられないわね」 妖怪役ならば、そろそろ頃合。 そう考えた三人は、即座に壇上に登れるよう、舞台の目の前まで来ていた。 「にゃ! 二人ともちょっと!」 ポポキが耳をひくつかせ、小声で叫ぶ。 観客席の笑い声は、いつしかざわめきに変わりつつある。 壇上。 ヌマブチに手を引かれたザオ人形が、劇的な変化を遂げていた。 目鼻立ちは描かれたものが浮き上がって流線的ながらも愛らしい奥行きを見せ、四肢は限りなく人のそれに近い形状となった。 明らかに厚紙を塗り固めた肌も、いつの間にか生々しさを帯びている。 繰り糸は際限なく伸びて地に垂れ、上から操ることもできまい。 そろそろ頃合――暴霊にとっても、同じのようだ。 ヤン――ヌマブチが暴霊扮するザオの手を引いたところで、幕間に入ることなく背景のみが再度廊下の絵へと切り替えられた。 「粋に仕掛けやがる! 今年は特に面白えな!」 客席で お陰で「凄いな」「次は何が起こるのかしら?」「目が離せないねえ」といった風に、不安げなざわめきは期待のそれへと転じていった。 ひとまず混乱は避けられそうな見込みだ。 「オイラ達、責任重大にゃ」 「任しといて!」 言うや否やグラミーはヤン目掛けて壇上に飛び乗った。 あわやぶつかる寸でのところで、ヌマブチは身を退きがてらザオを庇う。 『何処へ行くつもり!?』 二人の前に、まさしく壁として現れた、眉目麗しい大女の像。 無造作に纏う黒衣は露出度も高く、否が応にも男性の目を惹きつける。 『逃げるのか? このシュイシャンから逃げられると……思っているのかっ!!』 シュイシャン――グラミーが叫び、だんと身を乗り出すと同時に、携えた大筒を一発ぶっ放す。 短い轟音。 そして一拍の後、客席の遥か上方でばあんと派手に弾けた玉は、空に花を咲かせた。 観客は度肝を抜かれたが、ザオは、あくまで気丈に振舞う。 『あんたなんかより、おかあさんのほうがよっぽどこわいんだから!』 ザオの、暴霊の声は愛らしい少女のものだったが、声量とは別の何かに因って、誰もがはっきりと聞き取ることが出来た。 『脅しじゃないわよ』 天女と見紛うばかりの扮装をした娘が舞台袖から摺り足で現れ、冷たく言い放つ。ホワイトガーデンである。 目元にはきつめの朱を入れて、自然な笑みも中々に悪役らしい。 『シュイシャンが放った炎は、すぐに屋敷を包み込む。ふふふ』 『ふざけるな! 貴様らの思い通りにはならないであります!』 『小賢しい。シュイシャン、やっておしまい!』 『応っ!!』 銅鑼の音が緊迫感を醸す中、大立ち回りが始まった。 グラミーが大袈裟に両手を広げては、子供達が逃れて空を掴む。 ヌマブチはザオを連れて逃げ回り、大女の手が振り下ろされる度、庇うようにザオの身を引き寄せた。 死角に回って追われて逃れ、と繰り返し、双方動きが加速していく。 その間に背景は移ろい、炎上する邸内に切り替る。 伴なって駆け足になる伴奏は、手玉に取られている仲間に業を煮やす妖天女の心境をも表しているようだ。 ホワイトガーデンが苛立ちの台詞を入れようかと思っていた矢先、ヌマブチとザオはグラミーの後ろをとった。 『今だ!』 『そおれっ!』 『わっ!?』 走りずくめで体勢を崩したところを二人の子供に背面から体当たりされ、グラミーは大の字に倒れてしまった。 『きゃあああああ』 ホワイトガーデンも巻き込まれ、巨躯の下敷きとなる。 『ちょ、ちょっと、さっさとおどきなさいよ! ああもう!』 『う~ん』 じたばたと這い出そうとしつつ尚もヒステリックな声を上げるホワイトガーデンは、すっかりのびたグラミーの下から抜け出せずにいた。 『今のうちに逃げ――』 この隙に逃げ出そうとしたヌマブチだったが、 『ヤン!?』 突然何者かに組み付かれて、ザオから引き離されてしまった。 『ぐへ ぐへへへへ』 『っ!? ……! ……っ!!』 『オイラはヤオマオにゃ~。美味しそうな人間だにゃ~。お前らを食べちゃうのにゃ~!』 今この時こそ待ち構えていた、ポポキの飛び入り参加。 ヌマブチが大の猫嫌いと知ってか知らずか、早速ヌマブチを捕えて悪玉らしさを演出している。 丁度ホワイトガーデンを観衆の目から隠す立ち位置である。 『こっちの少年のほうが美味しそ……うじゃないけど、まず、お前から食べちゃうのにゃ~! ぐへへへへへへ』 顔面蒼白で口をぱくつかせているヌマブチは、確かに美味しそうとは言い難い。。 もし、これが演技ならば迫真と言う他あるまい。 ポポキはヌマブチの顔を肉球でぷにぷにしながら「ぐへへへへ」と笑い続ける。 『うっ……ば、ばけねこ! ヤンをはなせえ!』 『ぐへっ』 逡巡したザオ――暴霊は、けれど意を決して思い切りポポキに体当たりを見舞う。 ポポキはこれに直撃し、ヌマブチ共々弾けるように吹っ飛んだ。 『やられたのにゃ~。ぐふぅ~……にゃ~』 ポポキの呪縛からやっと解放されたヌマブチは、打ち身の痛みも引かぬうちに、結構必死な様相で猫獣人から離れた。 『にゃ、にゃ~』 『はあっはあっはあっ』 『だいじょうぶ?』 『やられたにゃ~』 心配そうに覗き込むザオにはっとして、ヌマブチは背筋を伸ばす。 『異常無しであります! 今度こそ逃げるぞ!』 『うん!』 『ぐふぅ~、にゃ~』 『うるさいなあ!』 『にゃ……』 倒れてもしつこいポポキの鳴き声をザオが一蹴した。 緊迫した状況ながら、掛け合いに観客は笑ってしまう。 こんどこそ事切れたポポキを尻目に子供達は逃げ回る。 背景でも舞台の飾りでもない、炎の幻が、二人の行く手を時折遮った。 先刻ポポキの陰に居るうちにホワイトガーデンが施した、トラベルギア『未来日記』の力である。 書には、こう記されている。 ――幻の炎が舞う。本物のように、それ以上に―― ――観客の、演者の熱気がそう見せているのか―― ヌマブチは、傷付いた戦友を連れて戦線離脱を試みる兵士のように、常に先に立ってより良い道を選り分ける。 やがて二人は退路を見出し、舞台袖へと駆けて行った。 『うぅ……』 子供達の背中を、なんとかグラミーの下から這い出したホワイトガーデンが、切なげに見送る。 焔は激しさを増し、逃げることなど叶わない。 徐に。 ホワイトガーデンは、舞い始めた。 崩れ行く屋敷、燃え盛る炎と共に、滅びを彩る狂気の舞。 楽しそうに、笑いながら。 火勢が強まれば強まるほど伴奏は激しく、客席からは感嘆や悲鳴が上がる。 ザオは、袖に入った途端元の姿へと戻り、力無く崩れ落ちたと言う。 そして、暫しの幕間。 炎の幻が消えて間も無く、静かに幕は開く。 翌朝寝室で目を覚ましたザオが、昨夜の出来事に首を傾げる。 客席では、誰もが、あっと思ったに違いない。 ザオは元の糸繰り人形に戻っていたのだから。 『夢でも観たのかな?』 その台詞は、まるで全ての観衆に向けられたかのようだ。 「皆驚いてるにゃ~」 舞台袖から観客の様子を窺うポポキが、呑気に言った。 ホワイトガーデン、グラミー、ヌマブチも控えている。 「無理ないわよ。色々、派手だったしね」 「某は、あれで良かったと思う次第であります」 ヌマブチがぼそぼそとフォローを入れる。 「さしずめ視覚効果賞といったところか」 「わけ判んないこと言ってないで、そろそろ出番よ」 グラミーに背中を押され、「いかんいかん」と足早に演壇へと出て行った。 「シカクコウカショウって何にゃ?」 「さあ……?」 揃って首を傾げるポポキとグラミー。 ――――の。 「誰か、何か言った?」 傾げた首を戻しかけて、グラミーは微かな声を耳にする。 ――とっても、たのしかったの。 「空耳ではないみたい」 ホワイトガーデンも、ポポキも確かに聞いた。 あの、ザオ人形に憑依した少女の声だ。 ――ありがと。ありがと。 感謝の言葉を繰り返したのを最後に、声は聞こえなくなった。 「ちゃんと逝けたのかしら。あの子」 在るべきところへ、送ることはできただろうか。 「ありがとうって……言ってたにゃ」 嬉しそうだった。 舞台に目をやれば、ザオとヤンが再会を果たし、照れくさそうに話していた。 本来なら感動的な場面だが、滑稽な人形とヌマブチの掛け合いは、どうしてもコメディに見えてしまい、場内には笑いが満ち足りている。 笑い――笑顔。 「そうだ」 ホワイトガーデンが袖から未来日記を取り出して、何事か認めた。 笑顔でお別れするのなら、例えばこんなのがいい。 そんなことを思いながら。 ヌマブチとザオ人形が向かい合い、俄かに言葉が滞った頃。 ひらり、ひらりと、陽光に似た色の、尖った花弁が舞い落ちる。 見上げれば、雪のように幾つも。二人の元へ降りて行く。 どこからともなく陽光が差し込んで、透ける花弁は、美しかった。 ――陽光に棗の花弁が舞い踊る―― ――二人の出会いを寿ぐように―― 客席からは、ぱらぱらと、ぱちぱちと。ごおおおっと。 疎らに。やがて盛大に。拍手が巻き起こった。 皆、笑顔だった。 いつまでも、いつまでも。 「オウ、ご苦労さん。この後、時間あるか?」 閉幕後、花屋が旅人達の元に顔を出す。 何でも、祭りに行くなら労いも兼ねて諸費用を負担すると言う。 「にゃ! 行きたいにゃ~!」 ポポキが真っ先に、全身で参加を表明する。 「某も腹が減ったであります」 「酒、酒♪ あ、言っとくけど樽で飲むわよ」 「……お金、大丈夫?」 ホワイトガーデンが、(特にグラミーの発言で)不安そうに尋ねる。 「任しとけ」 曰く、「何故かさっきから懐がヌクい」のだとか。 「そう……?」 「じゃ、面舵一杯樽一杯と洒落込みますか! 行くわよー!」 きょとんとするホワイトガーデンの肩を組んで、グラミーが陽気に出発の号令を出した。 「お祭り楽しみにゃ~。ガラさんにもお土産買って行くにゃ~」 ぴょこんぴょこんと跳ねるように、また花屋に並ぶポポキ。 皆、来た時と同じように並んで、歩き出した。 旅人達にとっての巡節祭は、まだ始まったばかりである。
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