世界図書館館長代理アリッサ・ベイフルックの呼び掛けによって、インヤンガイは『美麗花園』地区にて行われた、大掛かりな館長エドマンド・エルトダウンの捜索。 ロストレイルで直接乗りつける強行策まで打ち出したものの、目撃された館長は暴走した霊力によって再生された過去の情景であり、数多くの暴霊を鎮めたロストナンバー達は人知れずその地を後にするのだった。 しかし、全く無意味な探索だったわけでもなく。 静寂に満ちた庭園の奥にて、館長からロストナンバー達へと宛てられた一通の手紙と、鈍色に光るドッグタグが発見された。 手紙に記された、不可解な謝罪の言葉。そしておよそ彼には似合わない品に、「これが本当に手掛かりになるのか?」と首を傾げる者も少なくなかったとか。 だが、間を置かずして事件は動き出す。 舞台は再びインヤンガイ。悪意に満ちたこの世界は、一体どれだけの混沌を内包しているというのだろうか。 新月の夜を進むように、ロストナンバー達は運命のうねりの中を歩き出す。 そろり。 そろりと。 ガチャリ「どう?」 建てつけの悪い扉を開けて現れた大柄な男に、壁に背を預けていた長身の女が声を掛けた。「だーめ。強情な奴だよ。この程度の拷問じゃウンともスンとも言わねぇ」 肩をすくめながら冗談めかす言葉に、真っ赤なルージュに彩られた唇から嘆息が漏れる。「何なら、取って置きのヤツがあるぜ?」「半々の確率で死ぬって自慢のアレでしょ? それは最後の手段よ、シャーク」 男の提案を却下すると、女は考え込みながら無線機へと手を伸ばした。「ラット、警戒は大丈夫でしょうね」 呼び掛けに、スピーカーの向こうからは雑音混じりの若い声が返ってくる。『こちらラット。大丈夫っスよ。奴の部屋の監視カメラ含めて、全ての映像は奇麗に映ってるっス。周辺にも目立った反応も無し。――隊長、俺思うんスけど、こいつはただの売人なんじゃないんスかね?』「いくら武器の取引をしていたからって、軍服はないわよ」「いやー、軍事マニアって奴は分かりませんよ? 俺のダチにも――」「お馬鹿」 与太話が過ぎるのが彼の欠点だ。問答無用で通信を切り替える。「モグラさん?」『こちらモグラ。同じく、状況に変化無しだ。――なぁ、女王様よ。ラットの言う通り、外れなんじゃないか? クソ仕事に鬱憤が溜まってるのは分かるが』 最古参の宥めるような物言いが、逆に女の神経を逆撫でした。「――ボス!」『そもそも、我々の本来の任務は終了している。報告書は上へ提出済みだ。後は好きにやれ、としか言えんな』 無線の向こうの声はにべもなかった。 彼等はこのインヤンガイにおける治安当局の一組織だ。警察組織の中でも特殊かつ上位の権限を与えられ、かなり自由な活動を許されているが、それでも巨大な組織の一部である事には変わらない。腐敗したインヤンガイの管理体制は汚職と既得権益にまみれ、彼等の仕事も一部の人間の私兵と変わらないものがほとんどだった。 そんな中で見つけた、あの男。現行犯は武器の密売だが、その行動を洗っていて違和感を覚えた。あちこちの有力なマフィアに接触を図っていたのである。背後にいる組織も不明な為、最初は新参者かと思っていたが、それにしては動きが大き過ぎる。そもそも、成り上がりが調子に乗ればすぐに消される社会だ。 有力者に取り入るだけのバックボーンがありながらも、自分達が今まで情報を得る事すらできなかった組織―― 興味が湧いた。場所を自前のセーブハウス――自宅とは別に確保した住居の事だ――に移し、「サービス残業」をするくらいには。「口を割らないとなると、手掛かりはこっちだけね……」 視線を傍らのテーブルの上に移す。 女と同じ場所を見る男――通称シャークは、しかし首を傾げて唸り声を上げた。「そんなドッグタグ、その辺の露店でも買えるんじゃねぇ?」「そうでもないわよ」 それを手に取ると、女はシャークの目の前まで持ってきてぶらぶらと左右に振ってみせた。「ここ、何て書いてある?」「……読めねぇ」 揺れるタグをひっつかみ細かく調べてみるものの、読めないものは読めない。読み書きできない程、頭は悪くないつもりだが……「そう、読めないの。資料も漁ってみたけど、合致する文字は無かったわ」「どういうこった?」「分からない。でも――」『多数の熱源確認! 何だこりゃ!? 何でこんな至近距離まで――うわあぁぁぁっ!』 二人の会話に割り込んできたラットの悲鳴は、ノイズだけを残して忽然と途絶えてしまった。『ラット沈黙! 建物の周囲に重装備の連中がいるぞ。くそっ、何で気がつかなかった!?』 モグラと呼ばれている隊員の声にも焦りと悔しげな色が混ざる。ノイズが激しいのは、ラットの二の舞にならないよう移動しているのだろう。「当たりだったみたいね。嫌な方向に」「どうするよ? ちっとばかしヤバそうだぜ」 銃を構えながら外の様子うかがい、シャークが尋ねてくる。 自身も銃を手に反対側へと向かいながら、彼女は迷い無く言い切った。「何とかするわよ」 しかし、今回は片腕の言う通り、少し分が悪そうだ。 闇の中を行き交う影を睨みつけながら、女は死を覚悟していた。 これが、『導きの書』が指し示した未来の断片。書はこの先も懇切丁寧に教えてくれたが、それはロストナンバー達にとっては無用のものであろう。 世界図書館は、この未来に介入する事を決定したのだから。 それは決して、人道的な理由からではない。 インヤンガイ。そしてドッグタグ――ようやく手に入れた館長の手掛かりと共通する要素があったからだ。この場に居合わせ、ドッグタグの持ち主を中心に調べれば、更なる情報を得る事も可能かもしれない。 こうして、急遽インヤンガイへと向かう部隊が編成されたのだった。●「皆様にお願いしたいのは、調査の為の露払い、下処理になります。――下の処理ではありませんよ?」 世界司書エリザベス・アーシュラ。彼女なりに場を和ませようと気を利かせたのかもしれないが、ジョークのチョイスは最悪だった。 しんと静まり返った室内に、彼女の小さな咳払いの音だけが虚しく響き渡る。「『導きの書』によると、ドッグタグの持ち主らしき男性は、現地の警察組織に捕縛されています。しかしこれを包囲し、男性を奪取、もしくは諸共殲滅せんとする集団があります」 彼等は銃火器の扱いに長け、重装備にもかかわらずその動きは軽快だ。相当に訓練され、統率された集団と言えよう。「彼等もまた、ドッグタグに関係のある者達と思われます。そこで皆様には、包囲されている方々と協力してこの集団を攻撃し、撤退させるまでに追い込んで頂きたいのです」 敵の敵は味方――とも限らないが、この三つ巴の場において、彼等とロストナンバー達は不利な立場となろう。ならば、共同戦線を張れる見込みはある。「撤退する敵は、もう一方の部隊が追跡します。こちらは敵に存在を悟られないよう、攻撃には参加しませんので、援護は期待できません」 つまり、ここにいる者達は囮の役も兼ねているわけだ。物理的な意味でも心理的な意味でも敵の矢面に立ち、注意を惹きつける。戦いに敗れれば追跡も何も無い為、露払いとはいえ重要な役割だ。 本命の情報収集部隊へは、別室にて世界司書オリガ・アヴァローナが説明を行っている事だろう。どちらが欠けても、今回の任務は成功しない。まさに運命共同体と言えた。「敵を撃退後、こちらは負傷者を回収し、速やかに撤退します。ドッグタグを所持している男性の身柄は、先にお話しした警察組織に預けようかと。そうする事で、今後も良い関係を築けるかもしれません。――奪還を阻止できれば、の話ではありますが」 戦場となるのは、インヤンガイの寂れた一角。複雑に絡み合った建物の陰を利用すれば、強力な銃火器を操る敵にも活路が見えよう。ホームレスに代表される第三者の巻き添えも危惧されるが、戦闘が始まれば自然と避難してくれると思われる。 最後に、エリザベスは一言だけ告げた。「どうか、命だけは失くされませぬよう。御武運をお祈りしております」 さあ、運命(さだめ)を捻じ曲げんとする者はチケットを手に取れ。 戦いの始まりだ。!注意! このシナリオは『【死の影を追って】真実は罪の匂い』とリンクするシナリオです。 同一のキャラクターで両方のシナリオへの参加はご遠慮下さい。
●try gun キィッ 急ブレーキに砂煙を上げながら、何台もの装甲車が廃墟同然の建物を取り囲むように停車する。その表面は、闇そのもののような漆黒に塗り潰されていた。 先導する者が手を挙げると、その中から一糸乱れぬ動きで軍服に身を包んだ者達が次々と吐き出された。整列、そして流れるような動きで陣形を組み、大小さまざまな銃器を手に走り始める。 通信機を手にした一人の口から、初めて人の言葉が漏れた。 「――作戦開始。我等の未来の為、立ちはだかるものは全て殲滅せよ」 一方的な蹂躙が今、始まろうとしていた。 「オイオイオイ。どこのレンジャー部隊だよ、ありゃ?」 のぞき窓から外の様子を確認した男――シャークは揶揄するように口元を歪めた。しかし、その額には嫌な汗が浮かんでいる。 敵はどうやら、徹底的に訓練された職業軍人、あるいはそれに類する者達のようだ。様々な組織を渡り歩いてきた彼の見立てでは、その錬度はインヤンガイでも最精鋭のものに匹敵すると思われる。 一対一ならば、負けるつもりは毛頭無いが…… 「私達は一体、どこの藪をつついたのかしらね」 こんな状況でも、相棒の女性――ビーは顎に手を当てて静かに考え込んでいた。危機を告げてくれた仲間――ラットとモグラの通信が途絶えた後、二人は部屋の中の物を使ってバリケードを組み立てると、別室より目隠しと猿轡をされた男を傍まで連れて来ていた。武器の密売を行っていたこいつが原因なのは間違いない。 「軍全体で横流しでもしていたか?」 「だとしても、現場の売人程度なら尻尾を切った方が早いわ。私『達』と表立って対立したら、下手すりゃ内乱にまで発展するわよ?」 形骸化しているものの、軍と警察はこのインヤンガイの治安を守る二大勢力だ。ぶつかる事になれば、計り知れない程の血が流されるだろう。 「今は仕事中じゃねぇから、一部の暴走として揉み消そうとしているとか? あるいは本当に、軍の一部が暴走しているとか」 「そこまで考えるとキリが無いわね」 何にせよ、この場を切り抜けなければ、事件の顛末を見守る事もできない。 やがて始まった激しい銃撃に、二人はバリケードに隠れながら身をすくませた。 「ノックも無しにいきなりかよ! マナーのなってねぇ連中だな!」 「全ての壁に防弾処理を施してあるし、家具も耐弾性の高い素材の物よ。しばらくは持ちこたえられるはず。加えて、玄関の扉は特殊装甲を挟んだ特注品――」 ゴン ゴゴンッ ちらりと視線を走らせた玄関先では、鋼鉄製の扉に突如として大きなヘコみが生まれていた。 「対戦車弾頭だぁっ!?」 シャークの声を掻き消すように、爆風と砂塵が衝撃波となって駆け抜けていった。 「わ、もう始まってる!?」 薄暗がりの中に火薬の燃える瞬間的な光を認め、ミトサア・フラーケンは足を止めた。 建物の屋根から屋根へと跳び移っている彼女の鼻孔を、硝煙の臭いがくすぐる。不快なような、それでいてどこか胸を高鳴らせる香り。それは一種の麻薬なのかもしれない。 闇の中で蠢く影が見えたのは一瞬だけだったが、ミトサアの眼となっているカメラは的確にピントを合わせ、その正体を探った。一様に同じような服を着込み、整然とした動き。中には甲冑のようなもので全身を包んでいる者もいる。 ここから見えるのは三人だけだが、あちこちから聞こえる銃声はそれなりの人数を感じさせた。世界司書の予言が事実ならば、総勢四名の部隊を壊滅させる為だけにこれだけの戦力が投入されているのだ。 「とにかく、モグラちゃんを助けないと」 しかし、視界の中にそれらしき姿は無い。この状況で、この区域から脱出するならば―― ミトサアは取り出したノートに何かを書きつけると、今度は一転、下へ下へと廃墟の中を滑り降りていくのだった。 「陽動を頼む、か」 ノートに浮かび上がった文面に目を走らせると、男は巨躯に似合わぬ静かな動きで振り返った。 「では、参ろうか。気張る必要はない。皆、帰ったらマスターに一番いいボトルを開けてもらおう。……今日は死ぬにはいい日だ」 ガルバリュート・ブロンデリング・フォン・ウォーロードの不吉な物言いにも、怯えたりするような者はここにはいない。何よりも命を惜しむならば、そもそもこの場にはいないだろう。 そして同時に、自殺願望があるわけでもない。必ず生きて帰る決意があればこそ、こんな冗談を口にするのだ。 その中で古めかしい軍服姿が挙手した。ヌマブチだ。こんな有象無象の集団の中にあっても、その動きは直線的で規則正しい。 「ミトサア殿は帰還しないのでありますか?」 「このままモグラと呼ばれる人物を救出しに向かうそうだ」 ぬう、と、珍しく苦い表情のヌマブチは喉の奥で唸る。その様子を見て、木乃咲 進が口の端を歪めた。 「何だ、心配なのか?」 からかうような口調は、見るからに堅物な男の感情的な反論を期待していたのだが、 「いや、ミトサア殿の実力は知っているので、作戦上の異論は無いのでありますが……」 と、実に生真面目に返されてしまった。 まぁ、気持ちは分からないでもない。自分より年下、しかも女性に危険な事をさせるのは、どこか気まずい思いのするものである。たとえそれが、姿形だけのものであったとしても。 ガルバリュートは一つ頷くと、 「どちらにせよ、モグラとやらを助けなければ、ラットと呼ばれる者の位置も分からない。このまま全員で援護に向かおうではないか」 「ラット殿の救出を急ぎたいが……仕方無いか」 いつ殺されるともしれない者の存在に気が急いているのか、イフリート・ムラサメの鎧を模した装甲がガシャガシャと小刻みな音を立てる。ヌマブチも敬礼を返した。 「了解であります」 「そんじゃ、俺は一足お先に挨拶させて貰ってくるぜ」 進の姿がすっと足下から順に消えていくと、残された者達もそれぞれに動き始めた。梅雨を前にした生温かい大気以上に、戦いの場特有の息苦しい空気が彼等を包み込む。 一行の最後尾に陣取るアクラブ・サリクがぼそりと呟いた。 「ぬるい風だな。死の匂いが漂っている」 彼のコードネームは、その独特の隠蔽術に由来する。 「ハァッ……ハァッ……!」 多くの装備を担いで駆ける男の吐息が、闇に満たされた空間に木霊した。全く、歳は取りたくないものだ。この程度で息が上がるとは。 モグラ。地面に潜り続けるかの動物と同じく、彼もまた地中を愛する者だった。もっとも、彼は自分では道を掘らず、偉い人が勝手に作ってくれた下水道を利用する横着者ではあったが。 封鎖されて現在は使用されていないものまで含めて、彼の保有する情報はインヤンガイ屈指だと自負している。人の住む所には必ず延びているこの道を使って、今まで仲間をサポートしてきたのだ。 (それが、こうも簡単に見つかるなんてな) 飾り程度のプライドもズタズタに引き裂かれた気分だ。相手は高性能のレーダーでも持っているのか、着実に自分を包囲しつつある。 (A-1535は駄目……C-7902なら……) その時、ズン、と地下を揺るがす音が響いた。自分のように道には明るくない分、壁を破壊して無理やり道を作っているのだろう。強引な連中だ。 (ともあれ、この道も消えたっと……クソったれ!) どうやら、モグラの流儀を捨てるしかないようだ。彼は意を決すると、赤錆びた梯子に手を掛け、マンホールの蓋を押し上げた。 「まだ押さえられちゃいなかったか」 勿論そのつもりで地上へ出たのだが、思わず安堵の言葉が口をついて出た。そう遠くない距離に激しい銃撃戦の音を聞く。ビーとシャーク、そして何より、ラットは無事だろうか…… (とにかく、ボスに連絡できる場所まで逃げて、応援を……) そう思い再び駆け出そうとしたモグラの姿を、強烈なマグライトの光が照らし出した。もう見つかった!? 「抵抗は無駄だ。止まれ」 (そう言われて「はいそうですか」って降参すると思ってるのかよ) とはいえ、どうしたものか。どう見ても相手の方が上手だ。 おそらく、これからの一分間が自分の命を左右するだろう。背筋に冷たいものを感じながら、彼はゆっくりと光の方を振り返った。 その時だ。空気を震わせる激しい音が鼓膜を打ち、彼にライトを当てている者達にも明らかな動揺の気配が広がった。 「我が名はガルバリュート•ブロンデリング•フォン•ウォーロード! アルガニアの誇り高き騎士にして姫の忠実なる守護者!」 朗々とした名乗りは遥か上方からであった。そして、 「チェストー!」 一斉に銃を撃ち始めた敵の一団に何かが突っ込み、砂塵と悲鳴が巻き起こった。空気を裂くように長い槍のような物を振り回しているのは――鎧武者? 嫌な予感がして屈み込んだモグラの頭上を、流れ弾が通り過ぎていく。何にせよ助かった、この混乱に乗じて脱出を―― 「きみがモグラちゃん?」 すぐ傍から、弾丸の飛び交う場には不釣り合いな少女の声がした。 「そうだが、お譲ちゃんは一体?」 もうすっかり訳が分からないが、既に一回死んだような命だ。モグラは覚悟を決めると、声の主に向かって頷いた。 長いマフラーを揺らしながら現れた少女の瞳には、強い意志を感じさせる光が宿っていた。 「きみを助けに来たよ。ついてきて」 この状況では是非も無い。瓦礫の間を転がるように移動を始めると、 「逃がすな!」 こちらに気づいた敵に向かって、闇の中から銃弾が襲い掛かった。 「ミトサア殿、急ぐであります。ここは某(それがし)とアブラク殿が足止めを」 敵と同じような軍服姿にモグラは一瞬ぎょっとしたが、既に後の祭だ。「某は味方であります。御安心を」という本人の言葉を信じるしかないのだろう。 距離をおいては、同じ軍服でも歴史を感じさせる古めかしいデザインのものに身を包んだ男――アクラブが煙草を踏み消しながら不敵な笑みを浮かべる。 「業火に焼かれるか、刃に斬り裂かれるか。死にたい者は好きな方を選べ!」 どういう原理か、その手に瞬時に火の玉が現れると、敵に向かって一直線に飛んでいった。 「あんた達は……」 自分は夢でも見ているのか? それとも、極度の緊張状態で精神に異常を? 困惑するモグラの手を引き、ミトサアは駆ける。 「とにかく、きみの仲間を助けないと。その為には情報が必要なんだ」 その言葉に現実に引き戻され、同時に決意する。 彼等に賭けるしかない、と。 「流れが変わったな」 「えぇ」 建物の中に閉じこもったまま応戦していたビーとシャークだったが、状況の変化は敏感に感じ取っていた。 いきなり破壊されたドアから突っ込んでくるようならば蜂の巣にしてやるところだったが、相手もそこまで馬鹿ではないらしい。こちらを威圧するように、じりじりと包囲を狭めつつある。 お互いに遮蔽を利用しつつ銃弾のやり取りをしているが、いかんせん手数が足りない。フルオートで弾を撃ち尽くすと、ビーは大きく息をついて銃のマガジンを交換した。勿論この間はシャークが弾幕を張ってくれているが、カバーし切れない範囲の敵がまた距離を縮めた事だろう。 しかし、今までは詰将棋のように整然としていた敵の動きに綻びが生じていた。人数自体も減っているようだ。モグラが応援を呼んでくれたのか? ――と。 「よっこいせっと」 身近から聞こえた聞き覚えの無い声に振り向けば。 「なっ……!?」 何も無い空間から人間の腕が生えていた。 続けてにゅっと顔を出した、まだ少年といっても良いような年頃の青年は、自分に向けられた銃口に慌てた表情を浮かべる。 「あぁ、待ってくれ待ってくれ。信じてくれっつーのも無理な話かもしれねえけど、俺は味方――おわっ」 足下に穴を穿った弾丸に冷や汗を浮かばせつつ、進はバリケード伝いにビーへと近づいた。 「あんたの言葉通り、無理」 突きつけられた銃はそのままだ。両手の銃を外と内に向ける彼女の表情は変わらないが、内心は相当苛立っているのだろう。小刻みに震える腕を彼は見逃さなかった。 「シャーク、拘束して!」 「ンだよ、これ以上お荷物を増やそうってのか? こっちだって忙しいんだぞ!?」 「忙しいのはアタシも一緒よ!!」 「あー、お二人さん、喧嘩は程々に……」 「「お前が言うか!?」」 「……すんません」 いやいや、そうではなくて。漫才をする為にここに来たわけではない。 「えーっと。俺の仲間が外で戦ってる。一応、あんた達の味方だと思ってくれていい。こっちはこっちの都合で戦ってるだけだけどな」 少なくとも危害は加えないから、あの軍服以外に見慣れない奴がいても撃たないでくれ。何なら、担保代わりに自分が本当に拘束されてもいい。 「要するに俺は相互信頼の証だ……俺はあんたらが味方に対して手を出すような奴らじゃねえと思って此処に居て、あんたらにとっては俺が居る事で俺達を信頼できる」 そう告げると、進は言葉を切って相手の出方をうかがった。 「そしてさっきみたいにいきなり逃げるのかしら?」 ……見抜かれていた。実はこのインヤンガイにおいては、彼の空間を「渡る」能力も万能のものではないとさっき分かったのだが、それは言わないでおく。 「とにかく、この状況じゃ確約はできないわね。そちらの目的も分からない事だし」 冷たく言い放つ彼女の頬を弾丸がかすめた。鮮血が流れるのにも構わず、ビーは引き金を引き続ける。 まあ、こんなところだろう。自分達の存在を伝えるのが重要だったのだし、これ以上は今後の行動で示すしかない。 「分かったよ。そんじゃ、お互いに好き勝手やるって事で」 再び何も無い空間へと消える進。ビーは一瞬迷ったが、何もせずにそれを見送った。あるいは、本当に味方かもしれない――彼女らしくもなく、微かな希望にすがって。 「だあっ」 そこへ、さっき別れたばかりの進が舞い戻ってきた。目の前で繰り返される手品のような現象に常識が麻痺していくのを感じながら、二人は何事かと注目する。 彼は額に汗をにじませながら、悔しげに表情を歪めた。 「やっぱ安定しねえ! もう少しで穴だらけになるところだったぜ」 大きく息を吐きながら毒づく。この世界特有の霊力の影響か、さっきから調子が悪いのだ。転移先がイメージとずれ、銃撃戦の真っ只中に出た時は流石に肝が冷えた。 おまけに消耗が酷い。もう数回試みれば、立つのもやっとな状態になってしまうだろう。 こうなれば、取るべき手段は一つ。 「……俺もここで戦うぜ。よろしくな」 気まずそうに頭を掻く彼の言葉に、二人は白けた視線を注ぐのだった。 絶体絶命、新たに一名追加。 「とにかくいきなりだったんだ」 ロストナンバー達と共に走りながら、モグラは事の経緯を説明した。 「センサー類にノイズが走ったかと思ったら、すっかり囲まれちまってた。あんなジャミングは初めてだよ」 それでも彼がすぐに捕まらなかったのは、長年の経験とアナログな隠蔽が功を奏したのだろう。現に、まだまだ未熟な後輩のラットはあの有様だ。 「拙者のレーダーにウルトラな影響は無いな……この世界の機械に特化したものなのかもしれない」 そう告げるイフリート。「この世界?」、眉をひそめるモグラに慌てて誤魔化そうとするも、彼は仲間達の救出を急ぎたいらしい。それ以上は詮索されず、一行はほっと胸を撫で下ろした。 「それで、ラット殿はどこに?」 話を戻すべく、ガルバリュートが尋ねる。その身体からは先程の戦闘の激しさを物語るかのように、汗の臭いと湯気が今でも立ち上っていた。 モグラを追っていたのは三人の兵士。そのいずれもが、先の戦闘で死亡していた。モグラを助ける為に悠長な事はしていられなかったのもあるが、最後の一人は敗北を悟るや、自身のこめかみに銃口を当てて自害してしまった。捕虜となり情報を漏らす事を恐れたのだろう。 直接は聞けなかったが、やはり相手はそれなりの規模を誇る組織なのだと感じられる。それも、後ろ暗い目的を持った。 「ラットには『屋根裏』を任せていた。最後に反応があったのは、女王様のアジトを見下ろせる空き部屋だったが……」 今現在どこにいるのかまでは、と口を濁されてしまった。 そこへ風をまとったミトサアが戻ってくる。モグラの目にはいきなりその場に瞬間移動してきたような速さだったが、それもひとまずは置いておこうと彼は心に決めていた。 「ラットちゃん、発見! こっちだよ!」 彼女に先導されて向かった先には、モグラを追っていたのと同じような少人数の部隊が銃を手に待機していた。その輪の中に、両手両足に加え目や口も拘束された男が転がされている。 「まだ殺されていなかったとは、僥倖」 「酷い状態ではあるが」 塞がれた個所からは涙や涎がだらしなく滴り落ち、失禁したのか、股間の大きな染みがこの位置からでも確認できた。注意を払えば、きついアンモニア臭すら感じる事ができるかもしれない。そうする者は誰一人いなかったが。 それぞれが再び戦闘配置に就く中、敵の一人が突然銃を下ろすと、大きく声を張り上げた。 「そこにいるのは分かっているぞ! 抵抗をやめ、投降せよ! 抵抗をやめない場合、この男の命は保証できない!」 (流石に情報は伝わっていたか) 「分かっている」と言いながら、兵士の視線は定まっていない。こちらの具体的な位置までは悟られていないようだ。冷静に状況を把握しながら、アクラブは物陰を移動した。この場合、投降したらどうなるかは見えている。かといって、まだ生きている人間を見捨てるのもどうか。さて、次なる動きは―― 他の仲間も沈黙を続けている。あからさまに兵士の声に苛立ちが混じり始めた。 「聞こえていないのか! 投降しろと言っている!!」 「ならば、その者を殺している間に貴様等を殺してやろう! その者の命など、拙者には痛くも痒くもないのでなう。さあ、やってみろ!」 兵士達を見下ろす位置に仁王立ちしたガルバリュートの声が響き渡る。ここで膠着状態になるかと思われたが―― パァンッ 「うウゥーーーーーっっ!」 炸裂音に続いて、ラットの絞り出すような苦悶の声が耳をつんざいた。兵士が躊躇いも無く、彼の脚を撃ったのだ。 「次は頭だ! もう一度だけ警告する。直ちに抵抗をやめ、投降せよ!!」 もはや一刻の猶予もならなかった。ミトサアが地面を蹴る。 「でやあぁぁぁっ!」 目にも留まらぬ勢いのタックルが、ラットに銃を向けていた兵士を弾き飛ばした。 「くそっ」 慌てて銃を構える他の兵士。その足下にガルバリュートの放ったランスが突き刺さり体勢を崩すと、ヌマブチの放った銃弾が武器を持った手に突き刺さった。一方ではアクラブが一気に距離を詰め、両刃の剣で敵を斬り払っている。 その間に、バーニアの焔をなびかせたイフリートがラットの身体を抱えてその場を離脱していたのだが―― 「うぅー!」 悲鳴のような唸り声に気がつき、とりあえず目と口を介抱してやれば。 「い、息が、息ができない! 死ぬ、シヌー!」 必死な余り、力加減を忘れていたようだ。「これはスーパー申し訳無い」、イフリートは彼を地面に下ろすと、その戒めを手で引きちぎった。 「あんた誰なんだよ!? てゆーか、何なんだよ!」 ずささ、と後退りするラットの後頭部を、今度は鈍い衝撃が揺さぶった。 「落ちつけ。味方じゃないかもしれんが、今は少なくとも敵じゃない」 色んな意味で手厳しい言葉はモグラだった。 そうこうしている間にも、戦闘は一気に収束へと向かう。 「こんなところでありますか。なかなかに難しいものでありますな」 最後の銃撃を終えると、ヌマブチは銃を下ろした。逃げる敵に向けての威嚇射撃のようなものだ。敵を殺さず、かといって無力化させてもいけない今回の作戦は、彼が生活のほとんどを過ごしてきた戦場とはまた違った困難を伴う。 それにしても徹底した相手だ。ここでも逃げ遅れた者は全員、銃や薬を使って自害していた。それ程までに、自分達の素性を隠す必要があるのだろうか? 「ん? あれは――」 死体の間にある者を発見して、イフリートはそれを拾い上げた。 敵の使っていた通信機のようだ。穴の空いた部分から、指揮官らしき声が聞こえてくる。 『D(デルタ)班が壊滅。先のB(ブラボー)班のものと合わせ、使用兵器、目撃情報から、この世界の者ではないと断定。――総員に告ぐ。敵は世界図書館を名乗る者達だ。S型装備の自由使用を許可する。殲滅せよ』 「「!!」」 異世界には痕跡を残さない自分達の事を知っている!? 驚き、疑問、期待――ロストナンバー達の胸中に様々な感情が渦巻いた。だが、相手が絶対的な敵である事は確定的のようだ。むしろ、その声には憎悪すら感じる。 『繰り返す。敵は世界図書館だ。どのような能力を保持しているかは不明だが、敗北は自らのみならず、同胞達の死と思え。総員、突撃!!』 ●死に至る媚薬 もう限界だった。 「――ぐっ……!」 太腿に巻いた包帯を引き絞ると、ビーの口から苦痛の声が漏れた。これでもう何ヵ所目だろうか? 今では怪我をしていない部分を探す方が難しい。 「やれやれ。安月給の公務員二人殺すだけなのに、こんなに弾使いやがって。この分を恵まれない子供達にでも恵んで社会貢献しろってんだ」 シャークも似たような有様だ。お互いに皮肉な笑いを交わすしかない。 こうなると、頼りにせざるを得ないのは―― 「追っ払っても追っ払ってもきりがねえな」 そうぼやきながら現れたのは、第三勢力と主張する進だ。得物が投げナイフの為、銃撃戦には参加せず近くに迫った敵に対処している。それ程までに彼等は追い詰められていた。 「けど、耐えた甲斐があったみたいだぜ」 にやりと笑った彼の手には、戦いの邪魔になるからと外していたヘッドセット。連絡用にイフリートが用意した無線機だった。一定の距離に近づかないと繋がらないのだが、そのスピーカーから今は激しい戦いの音が聞こえてきている。 波が引くように敵の攻勢が衰え始めた事からも、それは確かな事実として三人の胸に刻まれた。 「んじゃ、憂さ晴らしといきますか」 「そんな余裕があるのかしら。深追いは厳禁よ」 嗜めるビーの口元にも、いつしか笑みが浮かんでいた。 「でも、このまま大人しくしているのも癪ね。まだ諦めていない連中もいるみたいだし」 その視線の先には、数こそ減ったものの、こちらへ向かってくる兵士達の姿。 「怪我の治療費くらいは分捕りたいわね」 「FUー!」 爆風の中を筋肉ダルマが踊るように突き進む。次々と迫るロケット弾を、ガルバリュートは間一髪のところでかわしていた。一発かわす度に何やらポーズを取っているが、それがサイドチェストだったりアドミナブル・アンド・サイだったりするのに気がつくのは、いわゆる「その筋」の業界人だけであろう。 そして大きく跳躍。 「貴様らの上はこの作戦を取り下げた! 確認してみるがいい、逆賊め!」 敵の動揺を誘う為の言葉にも、激しい攻撃が衰える事は無かった。指揮系統はしっかりしているのか――考えながらも、彼は自身のトラベルギアであるランスを放った。すれ違い様に飛来したロケット弾を避け切れず、後方へ大きく飛ばされる。 すかさず追撃しようとする兵士達を、彼方より落ちてきたいくつもの瓦礫が阻んだ。 「投げれる物なら全てボクの武器だ! くらえっ!」 新たに落とされた巨大な瓦礫が地面を揺るがす。 まるで映画の中で繰り広げられるようなトンデモ戦争だ。 「援護するだけでも一苦労でありますな」 珍しく苦笑いを浮かべながら、ヌマブチは地を走る。中腰に銃を構え、遮蔽から遮蔽へ。思い出したように銃撃を加える事で、敵の注意を上下に揺さぶる腹積もりだ。 しかし、敵も然る者。 「いっくぞぉっ、『加速装置!』」 「撃てぇッ!」 大きく踏み込んだミトサアだったが、次の瞬間には無数の銃弾を浴びて大きく後ろに弾き飛ばされていた。その身体のあちこちに穴が空いている。 物体の速度が増せば、他の物体とぶつかった時の衝撃も当然大きなものになる。それを利用した一斉射撃だった。 「ミトサア殿!」 「だ、大丈夫……!」 砂塵の中から力強く手を挙げる姿に安堵するヌマブチの横を、今度は深紅の風が突き抜けていった。 「これ以上の狼藉は許さんぞ、悪漢共!!」 敵陣の真っ只中に半ば墜落するように舞い降りたイフリートが得物であるハルバートを振り回す。咄嗟に反応し銃身で受け止める者もいたが、彼は構わず銃ごと薙ぎ倒した。 「次――!」 新たな標的を探す視界の端に、白銀の閃きが奔った。 ギィンッ 胸元で構えたハルバートの柄を、研磨された刃が削っていく。 (サーベルか!?) 輝きの正体を知った時には、既に返す刃が迫っていた。 「ぬぅっ!」 理屈で考えるより先に身体が動く。本来は姿勢制御の為のスラスターが火を噴き、強引に相手との距離を取った。 「…………」 まるで甲冑のような装甲服に全身を包んだ相手は、イフリートを見据えてゆっくりと構えを取る。その表情は見えず、静かな殺気だけが彼のセンサーを震わせた。 (面白い!) まさかこんな場所で、このような相手に巡り合うとは。 「いざ、尋常に勝負!」 「ヒャハッ、ヒャハハハハハハ!!」 突如として響き渡った狂気の叫びに、三人の視線は一点に集中した。ビーが訝しげな声を上げる。 「なに、あいつ……?」 敵の一人であるその兵士は、銃撃戦の最中にもかかわらず遮蔽も利用しようとせず、よたよたとこちらに向かって歩いてきている。仲間であるはずの取り巻き達があからさまに距離を取っているのが、嫌な予感を呼び起こさせた。 「い、イく、いくいくいくいクぅぅぅぅぅぅ!!!!!」 懐から肉厚のサバイバルナイフを取り出し、べろりと舌なめずりするその額に、シャークが照準を合わせた。 「何でもいいさ。死人に口無しってな」 殺されては情報が手に入らない――進の制止も間に合わず、引き金が絞られる。 まるで手品のように、兵士の姿が掻き消えた。 「マズい、逃げろ!」 本能的に危険を察したシャークがビーを引き倒す。刹那、彼等の居た空間を刃が斬り裂いていった。 「しまった!」 その足下には、確保していた売人の男。奴等の狙いが彼にある事は確かだ。このままでは―― が。 「ゲヒャヒャヒャヒャヒャ!!」 振り回される刃が、男の頸動脈のみならず、その全身を切り刻んでいた。猿轡を噛まされていた男は断末魔の叫びを上げる事すらできず、幾度か痙攣すると事切れる。 そして。 「ヒャヒャヒャヒャ――ハァ――」 狂ったように笑っていた兵士も、糸の切れた操り人形のように突然その場に倒れ込むのだった。 「……死んでやがる」 恐る恐る近づいて、進は兵士の状態を確認した。どうなっている? ――さっぱり分からないが、一つだけ言える事。 見えないところでどす黒い何かが蠢いている。そしてそれは、自分達の背後にまで迫っているのかもしれない。そんな不気味さだった。 床に落ちたドッグタグが血に染まる中、敵兵達の撤退する音だけが耳に残っていた。 「ヒャハハハハハ!」 狂った言葉とも言えない鳴き声だけを残して、イフリートと斬り結んでいた装甲服の兵士は地に伏した。 「面妖な……何事だ」 戦闘中である事も忘れ、イフリートは茫然と呟いていた。それは彼のみならず、敵味方共に動きを止め、戦場に一瞬だけ静寂が訪れる。 そこへ、後方から聞き覚えのある声が届く。 「総員に告ぐ! 『夜叉露』の効果が切れ始めた。これ以上の交戦は不可能だ。各自、速やかに撤退せよ。繰り返す。総員、撤収!!」 それからの彼等の動きは流れるようであった。 煙幕が辺りを覆い、散発的な銃撃と催涙弾がロストナンバー達の行く手を阻む。その隙間から、次々と装甲車へと乗り込む兵士達の姿が垣間見えた。 残されたのは、数多もの死体と硝煙の香り、そして何とも言えない胸の澱みのみ。 伏兵がいない事を確認しながら、ヌマブチが誰にともなく尋ねる。 「一体何だったのでありますか、あれは……?」 「麻薬の中毒症状のようにも見えたが……」 死体の傍に屈み込み、アクラブは黙考した。その辺りを調べるのは、密やかに動き出した別働隊の仕事であろう。 肩に負った傷が痛む。見渡せば、誰一人として無傷の者はいなかった。全身汚れだらけ、気がつけばのしかかるような疲労に倒れそうになる。。 それでも。今手にした勝利に、ロストナンバー達は喜びを禁じ得なかった。 ●去るもの、残されるもの 「お前ぇ、これ折れてるぞ」 「マジっスか!?」 「ほれ」 「あだだだだだ!!」 シャークの診断によると――彼にはちょっとした医療知識もあるらしい――、ラットは右腕の他に肋骨を数本折り、全治数カ月は下らないそうだ。もっとも、命があっただけでも幸運と言えようが。 「それで、あんた達は一体……」 「ただの通りすがりでありますよ」 あまりに苦しいヌマブチの言い訳にしかし、ビーは半眼を向けながらも諦めたように嘆息を漏らした。 「まぁいいわ。まともな答えが返ってくるとは思えないし、この場でヤり合っても勝てそうにないし」 敵の撤退に伴いジャミングは解除され、既に救急車その他の要請は済んでいる。現場整理が始まるまでの僅かな時間に、ロストナンバー達は済ませるべき仕事を行っていた。 「写しはOK、と。俺達は同じ物を持ってるし、これはあんた達にやるよ」 ドッグタグの表面に刻まれた文字を書き留めた進は、ビーに向かってそれを放り投げた。 彼女は片手で受け止め、鋭い視線をロストナンバー達に向ける。 「あんた達も奴等を追ってるのね?」 「そんなところだ。――おっと、こんなところに発信機が」 ガルバリュートは自分の尻をつまむと、手にした小さな機械を握り潰した。ビーとモグラが目を逸らしている。抜け目の無い二人だ。 「うわっ、汗臭ッ」 「これがレーダーだな。おぉ、無傷の銃まで残っているぞ!」 ミトサアとイフリートは敵の遺品を物色しているらしい。一部は世界図書館へと提出され、別働隊の調査と合わせて今後の動きを助ける事となろう。一部は自分の懐に入れそうな勢いの者も若干一名いるが。 「そろそろ刻限のようだ。行こうか」 紫煙を吐き出したアクラブの声を合図に、一行はその場を去った。 自らが目にした出来事を反芻するビーの耳に、遠くからサイレンやエンジン音が聞こえてくる。 『敵か味方か。いずれにせよ、これからも仕事には困らなさそうだな』 「ボス。通信はとっくに回復しているのに、随分とだんまりを決め込んでいたわね?」 『なに、可愛い部下が感傷に浸っているのを邪魔する程野暮ではないさ』 「それはアリガトウゴザイマス」 インヤンガイの闇の中には、自分が想像もしないような真実がまだまだ眠っている。 それはもしかしたら、決して近づいてはいけない禁忌なのかもしれない。 だが、その存在を知った今、自分は日常に戻れるのだろうか? 答える者は誰もおらず、小さく汽笛の音だけが耳の奥底に聞こえた気がした。 (了)
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