オープニング

 太鼓の音が樹海に響く。
 鳥たちがぎゃあぎゃあと鳴きながら飛び立ってゆく。
 木陰の動物たちもどこか落ち着かない。
「森が慄いている」
 ドラグレットのまじない師たちが厳かに告げるなか、戦士たるドラグレットたちは武器を携え、その時に備えた。
「勇敢なる戦士たち」
 樹海の奥深く、ひっそりと隠れるように存在していたドラグレット族の集落は、その日、熱く沸き立っていた。
 《翡翠の姫》エメルタが、戦士へと呼びかける。
「悪しき魂が、森を侵すのを許してはなりません。この地はわれわれの聖地にして、この大地そのものの源につながる場所なのですから。……客人エドマンドの友人たちが、このたびの戦に力を貸してくれます。かつて、エドマンドがそう約束してくれたとおりに」
 ドラグレットたちの瞳が、ロストナンバーたちに向けられた。
 館長の足取りを追って、前人未到の樹海を旅してきたヴォロス特命派遣隊、そしてその援軍要請にともない、急ぎターミナルから駆けつけたもの。かれらは今、ヴォロスの古き種族ドラグレットとともに、かれらの領域へ侵略を企てる軍と、斬り結ぼうとしているのだ。
 太古の時代、ヴォロスを支配したとされるドラゴンの末裔、それがドラグレットだ。かれらはワイバーンなる小型の飛竜を駆り、空を征く勇猛な戦士だった。樹海を開拓し、おのれの領土拡張を目指す人間の国、ザムド公国は、竜刻使いの一団の結び、魔力で空に浮く船を手に入れた。その力をもってすれば、ドラグレットをも退けられると考えているようだ。
 なるほど、いかにワイバーンに騎乗し、空中戦も挑めるとはいえ、ドラグレットの原始的な武器だけでは心許なかっただろう。だが今は、ロストナンバーたちがいる。
 戦いは、ドラグレット精鋭による小隊が、飛空船を襲撃するという形で行われる。
 ロストナンバーも小班に分かれ、ドラグレットの部隊に加わることになる。
 戦意を高揚させる打楽器のリズム。燃え盛るかがり火。
 やがて、見張りのドラグレットが、空の彼方にその影をみとめた。
 ザムド公国の飛空船が、再び侵攻を挑んできたのだ。
「よし、いくぞ!」
 荒々しい雄叫びとともに、竜の末裔は、愛騎とともに空へ。
 これこそのちに、ヴォロス辺境の歴史書にひそやかに記された「ドラグレット戦争」の始まりであった。

 ◇

 空を行く巨大な船を目指し旋空していく飛竜たちを見送った後、アドンは歯噛みをして拳を堅く握りしめた。ドラグレットのそれに似せるために伸ばしている爪が皮膚に刺さり、鈍い痛みが走る。
 ドラグレットの男の大半がそうであるように、アドンもまた幼い頃から心身を鍛えぬいてきた。首狩り大将・オウガンの隆々たる肉体には及びもしないが、それでもそれなりに無駄な肉のない身体に整えているつもりだ。両腕両脚には鱗を模した刺青を施し、顔面には木の実を利用して彩色した化粧を施している。身体を鍛えることに専念してきたためか、身長はさほど伸びなかった。が、肩下まで伸びた黒髪はたてがみのようで、深い黒を宿した双眸は飛び去っていく飛竜と、それに騎乗する戦士たちの逞しい彷徨に憧れを抱いた輝きをひらめかせている。
 素足で草を踏みしめてきびすを返した後、アドンはふと視線を横手へと移した。――アドンよりも小さな男がひとり立ってこちらを見つめている。年齢もアドンと変わらないぐらいだろうか。
 アドンは男をねめつけた後、森の奥を目指して駆け出した。森の奥で待ってくれているはずの友達を目指して。

 アドンは赤ん坊のときに森に連れて来られたのだという。詳しいことは知らないし、聞かされてもいない。ドラグレットは精霊の試しを受けていない者を客人としては迎え入れることをしない。アドンを森に連れてきた人間は赤ん坊だったアドンをドラグレットに手渡すとそのまますぐに絶命してしまったのだという。外部から穢れを運び入れた人間、それが連れてきた赤ん坊。ドラグレットにとっては、それだけでも充分すぎるほどに異端な事だったといえよう。本来であれば森の中に放置されてもおかしくなかったアドンだが、受け取ったドラグレットがたまたま変わり者として名の知られていた者であったことが幸いしたのかもしれない。捨て置かれることもなく、それなりに面倒を見てもらうことができたのだ。
 しかし、ドラグレット族の中で育つには、アドンはあまりにも異端すぎた。何よりも容貌の違いは決定的だ。アドンには頑強な腕も足もなく、全身を覆う鱗もない。体格の大きさも比ではないし、眼の形もまるで違う。腕力も身体能力もドラグレットのそれに比べれば到底及ぶものではない。――何よりも、アドンは一族の中では圧倒的に異端だ。大半の者が彼を蔑み、傍に近寄る事さえも厭う。
 ――おれは、姿こそ違うが、心と魂はドラグレットの同士ではないのか
 ――同士でありたい
 そのためにはどうすればいいのか。十五年近い歳月の中、彼はひたすらにそれだけを考え続けた。このままでは成人を迎えるための儀式すらも受けられないかもしれない。いつまでも異端のまま、いつまでも半人前のまま、何の役にも立たず、ただ右往左往することしか出来ないのだろうか。
 ザムド公が侵攻してきたのだと耳にしたとき、アドンはこれは好機になりうるのではないかと考えた。ドラグレット族の側で武功を立てれば、もしかすると居場所を確立できるかもしれない。仲間として認め、改めて迎え入れてくれるかもしれない。
 ――しかも、ザムド公は、アドンが生まれ落ちた小さな集落を残虐の後に滅ぼした当人なのだという。記憶にはない故郷を滅ぼしたのがザムド公であるならば、これに対し武功を立てるのは二重の意味を遂げることにも繋がらないだろうか。

 はやる心をかろうじて落ち着かせながら、アドンはやがて一体の飛竜の前で足を止めた。他の飛竜に比べれば体格はいくぶんか小さい。体色は夜を映したような黒、琥珀のような眼光。竜はアドンを目にするとわずかに頭を垂れた。乗れ、そう言っているのだろう。
 アドンは迷わずに飛竜に騎乗すると体勢を低く構えた。アドンの飛竜は体格こそ小ぶりなものの、飛行速度は比較的に高い。急速に速度を高めるため、それに備えた構えが必要なのだ。
 
 他の、正規の陣営のように数はない。一騎のみで向かわねばならないのだ。腰と背中にくくりつけた太い管の中には自作の矢を収めている。刀剣を扱う練習も、むろん積んできた。腕力もドラグレットのそれには及ばないながらも鍛え上げてきた。走る速さも、視力も、おそらく人間のそれを超えているはずだ。中でも弓矢を射る正確さに関しては相応の自信を持っている。
 
 森の上空で船を攻撃するわけにはいかない。万が一にも森に害が及ぶようなことがあってはならない。――アドンもまた、森を深く愛しているのだ。

 空を行く船をめがけて黒い飛竜が滑空する。見る間に森を眼下に見下ろす高度にまで達した彼らは、その時、自分たちを追い滑空してきた五つの影を目にとめた。



!注意!
イベントシナリオ群『ドラグレット戦争』は、同じ時系列の出来事を扱っています。同一のキャラクターによる『ドラグレット戦争』シナリオへの複数参加はご遠慮下さい。
また、「ブルーインブルー特命派遣隊」に参加中のキャラクターはこのシナリオには参加できません。
※「ヴォロス特命派遣隊」に参加していなくても、参加は可能です。

品目シナリオ 管理番号960
クリエイター櫻井文規(wogu2578)
クリエイターコメント当シナリオにお目をとめてくださり、ありがとうございます。

当シナリオでは異端児アドンと共にザムド公の船を目指す展開となります。が、ご覧の通りにたった6名の陣となりますので、役割としては陽動が主体となります。
派手な戦闘描写は控え目になります。

NPCアドンは文中での情報の通り、人間の子どもです。ドラグレット族からすれば異端ではあるのですが、アドン自身は自分はドラグレット族であるという意識を強く抱えています。仲間として認めてもらいたいがために行動を急いている部分も色濃くあるようです。むろん、急いた行動が空回りし、その結果悪い結果に結びついてしまうことも多々あるでしょう。
ご参加いただける皆さまには、アドンの行動を諌めつつ、陽動もこなしていただく形となります。
戦闘時においての行動手段はもちろん、アドンに対しどのような言動をとられるのか等をプレイングにてご提示いただければさいわいです。

ちなみに、アドンは今回が初の出陣となります。その辺りのフォローも必要かもしれません。

それでは皆さまのご参加、心よりお待ちしております。

参加者
清闇(cdhx4395)ツーリスト 男 35歳 竜の武人
シンイェ(cnyy6081)ツーリスト その他 31歳 馬に似た形の影
響 慎二(cpsn7604)コンダクター 男 28歳 俳優
三日月 灰人(cata9804)コンダクター 男 27歳 牧師/廃人
コレット・ネロ(cput4934)コンダクター 女 16歳 学生

ノベル

 風が怒号を撒き散らしているようだ。
 空気を引き裂くような風の音を聴きながら、コレット・ネロはくちびるを噛む。
 小柄な身体を白いワンピースで包み、背にはトラベルギアで具現化させた真白な両翼が伸びている。
 森の中でアドンを見かけたとき、コレットはアドンが浮かべた表情を目にして、次の瞬間には考えるよりも先に駆け出していた。仰ぎ見る上空には数知れぬ飛竜が旋空しているのが見える。そのさらに向こうにはザムド公の乗る船があった。船に煽られ生じているのか、あるいはその空気の波を飛竜たちの滑空がザムド公の船が生み出す揺らぎをさらに煽っているのか。――いずれにせよ、森が風の煽りをうけて大きく波打っている。
 コレットがアドンを呼び止めようとした矢先、アドンは一体の飛竜に騎乗し、瞬く間に頭上高い位置に達してしまった。いくつかの影がアドンを追うように空に向かい飛んでいく。
「……私も行かなきゃ……」
 呟き、周囲を見渡す。上空を飛んでいるのは大半が飛竜だ。同じような飛竜を探してはみたものの、辺りには一面深い森が広がっているばかりで、飛竜はおろか、ドラグレットやロストナンバーの姿も見当たらない。おろおろと視線を泳がせた後、ふと、コレットは思い出した。――ここに来る前、別の場所で見送った、兄と慕う男のことを。
 コレットのトラベルギアである羽ペンは、描いたものを一定時間の間具現化させる効力を持っている。これを用い、その男の背に一対の羽を描いてきたのだ。それと同じものを自分の背にも具現化させれば、飛竜なしでも空を飛ぶことが可能になるはずだ。
 そうして今、コレットは大空の中にいる。少し間をあけてしまったためか、アドンの姿を見つけるのがいくぶんか難しくなっていた。なにしろそこかしこに飛竜に騎乗した男たちがいるのだ、その中からアドンを探し出すのは容易ではない。
 くちびるを噛み、小さくかぶりを振った後、コレットは再び周囲を見渡した。――一刻もはやくアドンを見つけなければならない。そうして逸るアドンを諌め、冷静にさせなければ。
 大きな火の玉が飛んできた。咄嗟に羽ペンで大きな盾を描く。火の玉は具現化した盾によって阻まれ、コレットの身体はわずかほどにも焦げつくことはなかった。

 シンイェは深遠を思わせる深い漆黒の体躯を誇る馬の姿をしている。逞しいその躯は、見る者によっては大きな影のように見えるかもしれない。本来であればその大きな躯のゆえに力も強靭で、なおかつ翼を産み出すことにより自力で飛行することをも可能とする。が、今シンイェは仔犬ほどの大きさをとっていた。たてがみが風をうけて無尽になびく。
「あの少年……アドンといったか」
 口を開き静かに告げた。シンイェの言をうけて応えたのは和装に似た出で立ちに身を包んだ男だった。清闇という名のこの男は右目を黒い眼帯で覆い隠している。残る左目は焔を内包する宝石のような彩を放っている。騎乗しているのはシンイェと同じく深い漆黒色の大きな飛竜だ。竜の全躯に残る数々の傷痕や眼光の鋭利さなどから察するに、おそらくは相応に齢を重ねてきた類に含まれるだろう。清闇は、見るからに誇り高いこの大きな竜を悠然と従えている。腕を組み、ゆったりとした微笑を浮かべ、紅い眼光で見据えているのは前方を往くアドンの後姿だ。
「出陣はこれが初というところか。矢数もいくらか読み違えてやがる」
 応えた清闇に、シンイェが深く首肯した。
「あの飛竜は巧みに乗りこなしている。矢玉の避け方も問題ないようだ」
「しかし、ありゃァどう見ても“ドラグレット族”じゃあねえよな。全身に手を加えて姿を似せようとはしていやがるようだが、ありゃどう見ても人間だ」
「しかし、なぜ人間の少年がドラグレット族の中にいる?」
 シンイェの問いかけに清闇は眉をしかめる。
 森の中、アドンは首狩り大将に「自分も連れていってくれ」と懇願していた。まるで異物を退けるかのような応対であえなく退けられ、残されたアドンは一人飛竜に騎乗し、空を目指したのだ。それを追い、清闇とシンイェは空の中にいる。同じく飛竜に乗りアドンを追いかけてきた者も他に何人かいたようだ。横目に彼らの姿を検めながら、清闇は静かに口を開く。
「あいつァ、たぶん、この森の中じゃ異端児扱いだろうよ。どういう流れでドラグレットに紛れてんのかは知らねェがな」
「異端?」
 訊ね返したものの、シンイェもまたそれは理解出来ていた。あらゆる条件基準から見ても、アドンは規格から外れているだろう。そもそも外貌自体がドラグレットのそれから逸しているのだ。疎外感はどうしても感じざるを得ないはずだ。
「……思うのだが」
 眉間にしわを寄せ何事かを考え込んでいるらしい清闇の顔に視線を向けて、シンイェは告げる。
「ドラグレット族の中に含まれたいのではないのだろうか」
 清闇の言うように、どういった経緯を踏み、ドラグレット族の中に身を置いているのかは分からない。それを調べてまわる時間もあろうはずもない。いずれにせよ、身体に施してあるもの、それに単独で滑空している状況などから察するに、少なくともアドンが孤立した立場にあり、それでもなお輪の中に入りたいと願っているのであろう事は充分に窺い知ることができる。
「すまない、清闇。アドンに追いついたならば、後はおれ一人でも動けるよう整えておく」
「かまわねェよ。俺も自力で飛べんだがな、せっかくだろ? こうやって触れ合うのは楽しいもんだ」
 言いながら飛竜の腹を軽く叩く。
「よろしく頼むぜ、兄弟」
 満面の笑みを浮かべた清闇に応えるように、飛竜が大きく首を動かし、咆哮した。空気が大きく震え、周囲を飛び交う竜たちがわずかに身を縮めたのが見てとれる。 
 飛竜は咆哮しながら飛行速度を一段と速めた。急速な風圧が襲いかかる。が、清闇は悠然と腕を組んだまま、シンイェは竜の腹に四肢を据えたまま、揺るぎなく真っ直ぐに前方を眺めているだけだった。

 清闇とシンイェが騎乗している飛竜を左手に眺め、響慎二は大きく手を揮う。手に構え持つ臥龍剣からは疾風が生み出され、前方にいた魔獣の一体を微塵に裂いた。鳥の半身と他の獣の半身とをかけあわせ作り出された魔獣だ。それがザムド公の船からわらわらと躍り出て周辺を囲うドラグレットたちを襲っているのが見えたのだ。少なくともドラグレット族の味方ではないことは確かだろう。ならばそれに加担している自分たちにも襲いかかってくるかもしれない。敵対するものならば一体でも多く除外しておく必要がある。
 鈍く光る銀色の躯をもつ飛竜に騎乗し、トラベルギアである剣を片手に携えたまま、慎二は低く体勢をかまえて笑みを浮かべた。
「もう少しだ、頑張ってくれ。――もう少しでアドンに追いつく」
 竜を励ますように告げると、その言を合図にしたかのように、銀竜は急速に飛行速度をあげた。
 アドンが騎乗している小型の竜は、その大きさに見合わずかなりな速度を誇るようだ。ざっと見たところ、他のドラグレットたちが騎乗している竜に比べればかなりなものになるだろう。だが速度を誇るからといって、攻撃力も相応のものであるとは限らない。現に、オウルフォームをとらせアドンの周囲を警戒させているセクタンの目を通して視る限り、魔獣に対し攻撃を放っているのは騎乗しているアドンばかりなのだ。
「急いでくれ。……あいつが動きやすくなるようにフォローしてやりたいんだ」
 告げた言葉を受けて銀竜は風を斬る。片手で竜の躯にしっかりと掴まり、視線はまっすぐにアドンを見据える。口の両端をかたく結び、眉根を寄せて、慎二はふと自分の過去を思い出した。
 慎二は幼いころに養子として義両親のもとに引き取られた。義両親から酷い扱いをうけたわけではない。が、やはり血の繋がらない二人から認めてもらえるよう、あらゆる努力を積んだ。義両親は著名な音楽家だったから、二人に認めてもらうためには自分も音楽を始めるのが効果的だと思った。元々歌や芝居に興味はあった。しかし、より高みを目差すためには並ならぬ努力はどうしても必要だった。
 受け入れてもらうために、認めてもらうために。頭を撫でて、よくやったと笑いかけてもらうために。そうする事で、血の繋がりを超えた繋がりを得たかったのだ。
 セクタンを通して視えるアドンの表情はひどく苦しげでもあるようだ。何かを思い悩み、それを懸命に払拭しようとしている表情のようにも思える。
 ザムド公の船から、新たに魔獣が数多く放たれた。咆哮をあげながら迫りくるそれらに向け、慎二は再びトラベルギアを揮いあげた。

 三日月灰人が騎乗した飛竜は、黒に近い深い青色の表皮をもつ種だった。飛行速度は比較的に速いほうに分類されるらしい。現に、アドンを追って空を駆る仲間たちが騎乗している竜よりも群を抜いている。が、その飛行の仕方がいくぶん難ありだった。その竜の特性なのかどうかは定かではないが、一度大きくカーブを描きながら高い位置にまで舞い上がり、その直後に目標に向け真っ直ぐに滑空して降りるのだ。
「うっぷ……吐き気が」
 飛竜の乗り心地は決して安定したものではない。まして滑空速度があがるにつれて身体にかかる気圧も跳ね上がる。――細身で貧弱とも言えるような体格の灰人にとって、これらの条件は極めて悪いものだ。せめてもの慰めに、胸に提げている十字架を片手で握りしめ、飛竜の背中から転げ落ちないように祈るばかり。
 上下に蛇行しながらの飛行は決して効率の良いものとも思えなかったが、しかし、気がつくと灰人の乗る竜はアドンが騎乗している黒竜に近く隣接する位置にまで達していた。ずり落ちていた眼鏡の位置を正し、自分が騎乗している飛竜に礼を述べた後、灰人はアドンに並びながら口を開ける。
「アドンくん、ですよね? 初めまして、その、私は三日月灰人と言います」
 周囲には数多くの飛竜が飛んでいる。どれもがザムド公の船を目指しているのだろう。先行した他の隊はもうすでに戦闘を始めているようだ。矢玉は火球がそこかしこで飛び交っている。勇ましい声や竜の咆哮、風が唸る音。それらに消されないよう、灰人はなるべく大きな声をと努めた。
 アドンはまるで灰人の呼びかけに気付いていないかのように、ただ真っ直ぐにザムド公の船を睨みつけている。周囲を飛んでいるのは慎二のセクタンだ。肩越しに振り向き、数メートルほど後方に慎二と清闇、それにシンイェの姿があるのを検める。
「アドンくん、聞いてください。私の国の言葉で、少年よ大志を抱けというものがあります。されど生き急ぐなかれ、なんですよ。生き急ぐことは死に急ぐことも同じなんです。貴方は死にたいのですか?」
 自分の声がアドンの耳に届いているのかどうかは分からない。少年はかたくなに口を閉ざしたまま、不意に弓矢を構えて矢を放つ。放たれた矢は風を斬り一体の魔獣の眼球に深々と突き立った。――魔獣使いでもいるのだろうか。気付けば辺りには飛竜の他、数知れない魔獣の姿も散らばっていた。鳥の半身と獣の半身とを合わせた、いわゆるグリフォンと呼ばれるものに形状がよく似ている。それが咆哮と共に、一体の飛竜に対し数体が多方向から襲いかかっているのだ。ドラグレットたちはもちろんそれに対し反撃をみせている。勇猛な彼らは強靭な戦闘力を見せてはいるが、中には襲撃され飛竜から落下していく者も見受けられた。
「――神よ、どうかお慈悲を!」
 ばらばらと落ちていくドラグレットたち、それを追いさらに群がる魔獣。騎手を失った飛竜たちはバランスを崩し、その隙を狙われてさらに多くの魔獣どもによって襲撃されている。その見るからにおぞましい光景を目の当たりにして、灰人は咄嗟に十字をきった。
「彼の魔獣たちの頭上に正義の鉄槌が下されますように!」
 早口にそう告げた後、灰人は騎乗している飛竜に「あのグリフォンの群れの中にお願いします」と語りかけ、次いでアドンに顔を向け口を開いた。
「私が、私たちが貴方のお手伝いをします。だから単身で乗り込んでいこうなんて考えちゃダメです」
 他のドラグレットたちと異なり、単身で戦闘の渦の中に乗り込んでいこうという、その行動はまさに無謀というものだ。しかも見たところアドンが携えている武器は弓矢や、あるいは剣といったところか。いずれにせよ、一度に複数の魔獣から襲撃を受ければ、それに対抗しうる手数の上限など知れたものだろう。まごついている間にアドンもまた地上に叩き落とされ、また、喰らいつかれかねない。
 この魔獣どもの群れのどこかに魔獣を使う者がいるはずだ。その者の手を止めることが出来れば、あるいは、魔獣どもも統率を欠き動きを鈍らせるかもしれない。
 飛竜はやはり大きなカーブを描いて上昇する。魔獣どもが灰人に狙いを定めたのか、群をなして襲い掛かってきた。と、その群れを突っ切るように滑降した竜の動きで、灰人は再び激しい酔いに表情を歪めるのだった。

「アドンさん!」
 ようやくアドンに追いついたコレットは、アドンが乗る竜の前に躍り出て両手を広げた。
「一人じゃ危ないわ。私たちも一緒に行く!」
 突如として姿を現したコレットに、アドンは驚愕の声をあげて相棒である竜の動きを急ぎ、制する。竜もまたコレットの出現に驚いたのだろう、咆哮をあげながら羽を大きく上下させギリギリのところで軌道を変えてコレットの横に止まった。
「おまえ! 危ないだろう!」
 首を大きく動かし気を荒げている飛竜を宥めながらアドンが怒鳴りつける。ただでさえ、魔獣はもうすでにそこかしこにたむろしているのだ。それらに向かい弓矢を放っている矢先の事だ。何の前触れもなく姿を現されては、うっかりとコレットの眉間に矢を突き立ててしまうとも限らない。あるいは飛行する竜、あるいはその風圧によって吹き飛ばしてしまうかもしれないのだ。そうでなくとも飛竜は仲間たちが次々と襲撃され落下していくのを横目にしている。気が荒れているのだ。
「ごめんなさい。でも私、どうしてもアドンさんとお話がしたくて」
 怒鳴りつけられたことにより少しばかり萎縮してしまったコレットだが、それでも引こうとはせず、まっすぐにアドンに向かう。
「話だと? おれはおまえを知らないし、話すことなど何もない。おまえも客人エドマンドの友人か? 悪いがおれにはやらなくてはならないことがある。こうしている暇はないんだ」
 言って再び飛び去ろうとするアドンの前に再び立ち塞がると、コレットは胸の前で両手を握り、小さく息を整えた後に口を開けた。
「アドンさんはドラグレットの役に立ちたいの? よくやってくれた、って褒めてほしいの? それとも、……ドラグレットとして認めてほしいの? 戦わなくても認めてもらう方法なんてきっと他にもあるはず。……一度戻ろう?」
 思いのままに問いかける。
 アドンはコレットの言をうけて驚いたように目を見開く。飛竜は羽を大きく上下させたまま、同じ位置に留まっていた。まるでコレットの言葉を少年と共に聞いているかのように。
「あのね、私、戦うこととか、武功を立てることとか、そういうことってよく分からない。……私もずっと一人だったわ。誰からも名前を呼んでもらえない。誰からも必要としてもらえない。……私はこのままずっと一人のままなんだろうかって思って……寂しかった」
「おれはドラグレット族だ!」
 アドンが声を荒げた。コレットはその言葉に小さくうなずき、微笑む。
「私もそう思う。アドンさんはそのままの姿でもきっとドラグレットの仲間なんだって」
「このままの姿でも、……だって? おまえにおれの何がわかる!?」
 怒気を顕わにアドンが叫んだのと同時に、これまでは速度ゆえに追いつくことが出来ずにいたのであろう魔獣どもが一斉に顎を開き襲い掛かってきた。コレットが小さな悲鳴をあげ、アドンは舌打ちをして弓を引く。だが魔獣の数は他の竜やドラグレットたちを囲む群れの数よりも倍はあるようだ。周囲が魔獣どもによる影で覆い尽くされたその瞬間、その影をも飲み下すほどの深い闇が上空から降りかかる。目を見張り上空を仰ぎみたアドンの視界に、大きな飛竜の横に並び立つ清闇の姿と、その位置から滑降してくるシンイェの姿とが映りこんだ。
 残像を引きながら滑降する途中、シンイェはトラベルギアであるイヤーカフスを発動させた。光が放たれ、闇に飲み込まれた魔獣どもを目掛けて散っていく。
 シンイェは、今はもう常なる大きさに戻っていた。空を滑るように駆けて来る逞しい馬によく似た姿をしたその背には大きく伸びる黒い翼がある。
 飛び散った光に触れた魔獣どもは数瞬の間を置いた後に大きな悲鳴に似た咆哮をあげ、次々と落下していく。
「戻るだと?」
 アドンの脇で動きを止めたシンイェは金色の眼差しをアドンにぶつけ、ため息を落とすような語調で続けた。
「いや、この戦場はおまえに向いている」
「いいか、アドン! 戦場で目立つにゃ見せ場を選ぶのが先決だ!」
 上空では清闇が腕を組み笑っている。その背には翼が生え、従うように大きな竜が首をもたげていた。
「おまえは自分もドラグレットだって事を皆に知らしめてやりてェんだろう? この広い樹海を愛しているんだと、きっちり見せてやりてェんだろうが」
 そう告げた後、ゆっくりと片手を持ち上げて上空にかざす。その手の中には魔力をもった球の中に闇を閉じ込めたものが収まっていた。と、それを上空に向けて放りやる。
 闇が散り、アドンたちがいる辺りだけが深い闇に包まれた。まるで広い空の一部分だけを闇で切り取り、外部との繋がりを遮断したかのようだ。
「見せ場は多少演技がかってるくらいがいいんだ。……判り易いだろうが」
 そう言って頬をゆるめた清闇に続き、シンイェも口を開く。
「後先を考えずに飛び込んでいく勇ましさは必要だ。だが死んだら元も子もない。功を焦り成果を出すことも出来ないままに死んでいく間抜けになりたいか?」
 魔獣どもは清闇が作り出した闇によって視界を奪われ、右往左往している。
「武功を立てるのだろう?」
 シンイェのその言葉と共に、闇はやはり唐突に消滅した。光が視界を覆い、眩しさにアドンは目を細める。
 と、右往左往していた魔獣どもをめがけ風の刃が無尽に飛び交い、アドンとコレットに襲い掛かろうとしていた魔獣の大半を切り裂き落下させていく。
「逸る気持ちはわかる。分かるが、戦う理由なんて武勲のためとかではなく、仲間を守りたいっていう、それだけでもいいんじゃないのかな」
 言いながら現れたのは慎二だった。飛行の風圧で乱れた銀色の髪を片手で撫でつけながら、慎二もまた小さく首をすくめる。
「少なくとも捨てられずに育ててきてもらえたんだろ?ドラグレット族の誰もが君を疎んでいるわけでもないんだろ? ドラグレット族の中にはきっと君を心配している人もいる。帰りを待ってる人だっていると思うんだ。だから、俺たちが勝つっていうのはもちろんだけど、絶対に無茶をしちゃ駄目なんだ」
 言って頬をゆるめた。
 コレットは慎二の言葉に深く首肯し、アドンの顔をまっすぐに見据えている。
「いいか、アドン。俺たちがお前のサポートをする。せっかくの機会だ、見せつけてやれ」 
 清闇があごを動かしてザムド公の船を示す。その周りでは首狩り大将はむろんのこと、多くのドラグレット族が隊をなして飛び交い、戦っていた。
 アドンはしばしの間ドラグレット族の戦う姿を見つめ、それから大きく息を吸って呼気を整える。
「覚悟は出来たか? なら、後は派手にやんな。背中は俺が護っといてやらァ」
 清闇がにやりと笑う。それに応えるように大きくうなずくと、アドンは再び飛竜に飛行を命じた。――目指すのはあの船だ。あの船を取り巻く魔獣どもを引き寄せ、他のドラグレットたちが戦いやすくなるように整える。
 目標は定まった。今度は迷いなく、アドンとアドンを乗せた竜はまっすぐに飛んでいく。

 灰人は一足先にザムド公の船の隣を飛び、忙しなく視線を動かしては“魔獣を使って指揮しているであろう何者か”を探していた。火弾や矢が飛び交い、魔獣が襲いかかってくる。ドラグレットたちやロストナンバーたちが入り乱れ戦うその中で、灰人に出来ることはといえば首に提げたトラベルギアであるロザリオを両手で掲げ持つことだけだった。トラベルギアの効力により防御力を高め、何とか流れ矢やグリフォンからの襲撃を逃れている状況だ。けれどそれももしかするとただ単純に“運が良い”だけなのかもしれない。突然効力が途切れ、あらゆる攻撃が降りかかってくるかもしれない。そう思うと恐怖で身が震える。
「はやく見つけなければ」
 独りごちながら船を見渡した。中には勇猛にも船に乗り込んでいくロストナンバーたちもいる。感嘆の息を吐きながら視線を横に移したとき、灰人は思わず小さく声をあげていた。
 船のすぐ傍に一際大きな魔獣がいる。グリフォンとはまた形状が異なるようだが、いずれにせよ魔獣であることに違いはない。そうしてその背にまたがり、頭からすっぽりとフードで覆ったいでたちの人間がいるのも見えた。
 その何者かを乗せた魔獣は一定の位置に留まっているだけで、他の魔獣どものように襲撃しに行くわけでもない。周辺を大きい魔獣たちによって護られ、その何者かに矢などがあたることもないようだ。
「すみません、あの魔獣のところに行きたいのですが」
 灰人は自分が騎乗している竜に語りかける。竜は了承したように小さな咆哮をあげた。
 ほどなく、灰人は魔獣使いだろうと思しき者の周囲を取り囲む魔獣どものすぐ近くにまで達したが、魔獣のすべての目が自分に寄せられているのに気がついたとき、初めて気がついた。
「……この隙間を縫って進むのは……難しくないかな」
 呟き息を飲む。
 その次の瞬間、灰人のすぐ横を数本の矢が飛んでいった。後方から飛んできた矢のすべてが一体の魔獣に突き立ち、魔獣は怒号にも似た咆哮をあげる。
 矢が飛んできた方を検めた灰人の目に映ったのはアドンの姿だった。アドンの後ろには清闇を乗せた大きな飛竜、銀竜に騎乗する慎二、空中に浮かぶシンイェ、そしてコレットの姿もある。
「あいつが魔獣どもを指揮してるヤツか?」
 清闇が訊ねる。灰人はかくかくと肯きながら応えた。「たぶん」
「たぶん、か。――まあ、しかし、見たところ確かに間違いはないようだ」
 シンイェが目を細める。
「アドンさん」
 コレットがアドンに近寄り、顔を覗きこんだ。アドンはコレットを横目に睨みつけてはきたが、わずかな時間の後、静かに弓矢をかまえて放つ。矢は魔獣使いを定めて飛んでいったが、取り囲む魔獣どもによって焼き落とされた。
「まずは周りにいるこいつらを仕留めるのが先だ。……やれるか?」
 清闇がアドンに向けてささやくと、アドンは視線を前方に向けたまま強くうなずき、灰人の横をすり抜けながら、弓矢ではなく刀剣を携える。
「派手にやるか」
 清闇の言を合図に、大きな飛竜が風を裂いて飛んだ。
 シンイェは清闇を送った後、ふと遥かな上空を仰ぎ見て小さな息をひとつ吐く。
「あまりこの位置を経験したことはないが、……良いものだな」
 地上に立っているときよりも、当然だが、太陽がとても近い。
 シンイェは限りなく馬に似た姿をとった影のかたまりだ。影は光を得なければ喪失してしまう。ゆえに天空に輝く太陽は何よりも大切なものともいえる。
 誰に向けたものでもなくそう呟く。コレットがそれを聞いて微笑んでいた。横目にコレットの笑みを確かめた後、シンイェは空を蹴り魔獣どもが待つ場へと向かった。
「えっと……灰人さんで良かったんでしたっけ?」
 残った灰人のすぐ横で止まった慎二が口を開けた。灰人はこくこくとうなずき、慎二の顔を見つめる。慎二は満面にやわらかな笑みを浮かべて言を続けた。
「俺たちは魔獣を抑えます。魔獣使いに関しては、灰人さん。……お願いできますか?」
「わ、私がですか!?」
 驚いたように声をあげたが、意を決し、灰人は大きく一度だけうなずいた。それを検め、慎二はもう一度微笑んだ後にアドンたちに続き魔獣どもの群れの中に突っ込んでいく。
 灰人は十字架を胸に掲げ持って目を伏せる。
「神よ、ご慈悲あれ!」
 言って、見る間に落下していく魔獣どもの隙間を縫うようにして飛び、まっすぐに魔獣使いを目指した。

 ドラグレットやロストナンバーたちがザムド公の船を襲撃している。中には船の中に乗り込み、直接内部を叩いている者もいるようだ。魔獣が彼らに襲いかかる。が、それらはことごとくに射抜かれ、あるいは風で裂かれ、あるいは焼かれて落ちていく。
 アドンはもう先を急こうとは考えていないようだ。戦いはもちろんもう少し続くのだろう。だが今は、一切の不安を感じることもなく、その背中を送り出すことができる。
 コレットは手を大きく振りながら声をあげた。
「頑張って! 必ずみんなで帰ろう!」
 応えるように、アドンが片手を振り上げた。その顔には小さな笑みが浮かんでいる。
   
 

クリエイターコメントこのたびはご参加くださいまして、まことにありがとうございました。

全体的に、派手な戦闘場面の少ないものになってしまったかもしれません。また、いただいたプレイングもすべてを拾いきることが出来ず、申し訳ありませんでした。

個人的にはドラゴン乗りという題材を愛しております。もう少し映像的な場面もいれたかったなという感もなくもないのですが、とても楽しく書かせていただきました。ありがとうございます。
皆さまにも、少しでもお楽しみいただけていればなと思います。
戦いの結末は、今シナリオ中では描いていません。どのような結末が訪れるのか、わたしも皆さまと一緒に楽しみに待っていようと思います。

口調その他設定など、イメージと異なるといったような点などございましたら、ご遠慮なくお申し付けください。
それではまたいずれご縁をいただけますように。 
公開日時2010-11-15(月) 22:00

 

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