太鼓の音が樹海に響く。 鳥たちがぎゃあぎゃあと鳴きながら飛び立ってゆく。 木陰の動物たちもどこか落ち着かない。「森が慄いている」 ドラグレットのまじない師たちが厳かに告げるなか、戦士たるドラグレットたちは武器を携え、その時に備えた。「勇敢なる戦士たち」 樹海の奥深く、ひっそりと隠れるように存在していたドラグレット族の集落は、その日、熱く沸き立っていた。 《翡翠の姫》エメルタが、戦士へと呼びかける。「悪しき魂が、森を侵すのを許してはなりません。この地はわれわれの聖地にして、この大地そのものの源につながる場所なのですから。……客人エドマンドの友人たちが、このたびの戦に力を貸してくれます。かつて、エドマンドがそう約束してくれたとおりに」 ドラグレットたちの瞳が、ロストナンバーたちに向けられた。 館長の足取りを追って、前人未到の樹海を旅してきたヴォロス特命派遣隊、そしてその援軍要請にともない、急ぎターミナルから駆けつけたもの。かれらは今、ヴォロスの古き種族ドラグレットとともに、かれらの領域へ侵略を企てる軍と、斬り結ぼうとしているのだ。 太古の時代、ヴォロスを支配したとされるドラゴンの末裔、それがドラグレットだ。かれらはワイバーンなる小型の飛竜を駆り、空を征く勇猛な戦士だった。樹海を開拓し、おのれの領土拡張を目指す人間の国、ザムド公国は、竜刻使いの一団の結び、魔力で空に浮く船を手に入れた。その力をもってすれば、ドラグレットをも退けられると考えているようだ。 なるほど、いかにワイバーンに騎乗し、空中戦も挑めるとはいえ、ドラグレットの原始的な武器だけでは心許なかっただろう。だが今は、ロストナンバーたちがいる。 戦いは、ドラグレット精鋭による小隊が、飛空船を襲撃するという形で行われる。 ロストナンバーも小班に分かれ、ドラグレットの部隊に加わることになる。 戦意を高揚させる打楽器のリズム。燃え盛るかがり火。 やがて、見張りのドラグレットが、空の彼方にその影をみとめた。 ザムド公国の飛空船が、再び侵攻を挑んできたのだ。「よし、いくぞ!」 荒々しい雄叫びとともに、竜の末裔は、愛騎とともに空へ。 これこそのちに、ヴォロス辺境の歴史書にひそやかに記された「ドラグレット戦争」の始まりであった。 次々に空へと舞い上がる竜の末裔達の先頭に、一際大きな姿があった。「フン、一度ならず二度までも」 面白くなさそうに鼻を鳴らすその下で、髑髏の首飾りが乾いた音を立てる。 獲物の頭蓋を集めて束ねて、ついた仇名が《首狩り大将》。オウガンという名の赤いドラグレットは、ザムド公国再侵攻の報せを聞くや否や、ドラグレットの中でも腕の立つ者達を集めて出陣の準備を整えたのだった。「この地を守るのは俺の役目だ。貴様等が客人エドマンドの友人だという事は理解したが、足を引っ張るようなら捨て置くぞ!」 厳しい視線がロストナンバー達に向けられる。それは戦士としての対抗心のみならず、未知の存在と力に対する畏怖にも似た感情が入り混じっているのだろう。まだまだわだかまりは大きい。こんな状態で圧倒的な敵を退ける事ができるのだろうか? しかし、時は待ってくれない。「敵の先陣、発見!」 空の遥か彼方。米粒のようだった黒い点の集合は徐々に大きくなり、大型の猛禽――この世界ではグリフォンと呼ばれる魔獣だ――にまたがった騎士達の姿が確認できた。 一斉に向けられる白銀の刃。巨大な空飛ぶ船からは数え切れない程の矢が狙いを定めているに違いない。 オウガンは得物であるハルバートを掲げ、高々と宣言した。「我が名は《首狩り大将》オウガン! 聖地の守護者にして、竜の牙の執行者なり! 人間共よ、我が屍を乗り越えねばこの地を犯す事まかりならぬと心得よ!!」 約束は守られた。 世界図書館とドラグレット。全てが異なる二つの勢力が盟友として絆を結べるか否かは、ドラグレットの存亡を懸けたこの一戦に委ねられている。 ――さあ、決戦の幕を上げよう。「全軍、突撃いィィィィィィィィィィ!!!!!」==============================!注意!イベントシナリオ群『ドラグレット戦争』は、同じ時系列の出来事を扱っています。同一のキャラクターによる『ドラグレット戦争』シナリオへの複数参加はご遠慮下さい。また、「ブルーインブルー特命派遣隊」に参加中のキャラクターはこのシナリオには参加できません。※「ヴォロス特命派遣隊」に参加していなくても、参加は可能です。
●避けられぬ衝突 「全軍、突撃いィィィィィィィィィィ!!!!!」 《首狩り将軍》オウガンの号令の下、それぞれに雄叫びを上げて敵へと向かっていくドラグレットの戦士達。その後を追うロストナンバー達の思いは十人十色だ。 「よーし、悪いヤツラをぶっ倒すぞー。今日の晩飯は焼き鳥だ!」 敵のまたがる魔獣に目を留め舌なめずりした緋夏が赤い髪をなびかせて飛竜の速度を上げたかと思えば、そこへ並ぶようにして鉛色の塊が陽光を反射する。 「勢いがいいのは嫌いではないのである。わしも一気に行くぞ、ガハハハハ!」 ギルバルド・ガイアグランデ・アーデルハイドが口髭を歪め豪快に笑うと、飛竜はその意を得たとばかりに荒々しい動きで天空へと舞い上がった。必死につかまりながらも、彼の口からは愉快そうな笑い声が零れる。 「そうか、おまえも待ち切れぬか。ならば共に参ろうぞ!」 「待て、逸るな!」 制止も虚しく、描かれる軌跡は空の彼方へ。厳しい表情を浮かべる怜悧な顔を緩め、ハクア・クロスフォードは呆れたような嘆息を吐き出した。 「考え無しに突撃しても被害が増すだけだろうに……」 苦言を呈しながらも、その言葉から嫌悪を感じないのは、彼等の猪突猛進な行動をある意味で好ましく思っているからだろう。愚かしいまでの真っ直ぐな生き様は、そうでない人間には時に眩しくも見える。 そこは、自分には決して戻れない世界だから。 彼の横に並んだヌマブチもまた、鋭い剣先を思わせる瞳の奥に似たような色を宿していた。 「このままでは危ういでありますな」 「そうなのか?」 と、これは玖郎の言。飛竜に乗っていない彼は自らの背から生えた二対の翼で器用にホバリングしながら、表情を曇らせる二人に疑問を投げ掛けた。押し寄せるような鉄の臭いに鼻が曲がりそうだ。世界の平衡を崩しかねない「戦争」という名の狩りに興じる者達のやり口など分からないし、分かりたいとも思わない。 別の意味で顔をしかめる玖郎に、ヌマブチは軽く頷いて肯定した。 「敵軍は入念な準備の上に今回の侵攻作戦を決行しているようであります。比べてこちらは、寄せ集めの手勢に付け焼刃の編成――消耗戦は不利を否めないかと」 「だからこそ、少数精鋭での短期決戦を狙うのだろうがな」 ハクアが見遣る後方では、次々と飛び立つドラグレットとロストナンバーの姿があった。あの中に、敵の飛行船を強襲する部隊も混じっているのだろう。自分達の役割は敵を惹きつけ、彼等の為の道と時間を切り拓く事。その点では、目立つのは決して悪い事ではないのだが…… 「向こうの方が、人数が多い。つまり、複数を相手に立ち回って同等以上の出血を強いる必要があるんだ。効率が重要視される」 活路を見出すとするならば、敵はドラグレット族を蹂躙するつもりで攻めて来ている点だろう。自分達の異能の力が虚を突ける可能性は高い。ハクア自身としてはあまり手放しで喜べる心境でもないのだが。 その手に白銀の銃を握り締める彼の説明を、どこまで理解できたものか。 「ようは、より少ない力で獲物をしとめればいいわけだな?」 短く、深く息を吸い込んだかと思うと、全身の筋肉を収縮させた痩身が矢のように放たれた。「先にいく」――そんな音だけをその場に置き去りにして。 「ムッ!?」 先頭のオウガンすらも追い越し敵勢の正面に躍り出た玖郎は、やおら翼をはためかせると、その場で渦を巻くように身体を捻った。刹那、大気が唸りを上げて吹き乱れる。 玖郎には追い風、敵にとっては向かい風として。 「くそっ、急に風が!?」 「気をつけろ! 魔法を使う奴がいるぞ!」 騎士達と魔獣の悲鳴が入り乱れ、中にはバランスを崩し慌てて命綱を手繰り寄せる者も現われた。思い出したようにパラパラと矢が射掛けられるが、風に乗らなければどうという事もない。木枯らしに揺らされる朽木の枝も同然に落ちていくだけである。 「……去ね。さもなくば森に喰われろ」 怒りを秘めた玖朗の瞳が見下ろす中、乱れた整列に打ち込まれる赤褐色の楔。 「ぬおおぉぉぉぉぉっ!」 風を切り裂く音が聞こえると、オウガンの振るったハルバートは敵の首を易々と刎ねていた。勢い余って砕いた兜の破片が陽光を反射し、場にそぐわぬ煌びやかな彩りを添える。 そして、鮮血の雨。 その場の全員が剋目し、沈黙が世界を支配したのは一瞬だけだった。 ワアァァァァァァァァァァッッッ 戦士としての本能が血を沸騰させ、目の前の敵を殺せと四肢に命令する。オウガンに続いたドラグレットの戦士達も果敢に迫り、敵と得物を合わせた。 金属同士のぶつかり合う硬い音。それに混じる鉄錆びた血の臭い。 オウガンの上方で激しい音がした。 「ふん、運の悪い連中である。わしがいるからである。がはははは!」 ギルバルドの放ったハルバートの一撃は、相手の分厚い西洋剣を弾いていた。丸太のような腕に操られる得物は即座に払いから突きへと転じ、がら空きになった胴を深く貫く。 「さぁ、かかってくるのである!」 長物を頭の上に構えて敵を見据える彼に負けてなるものかと、改めて心を奮い立たせるその右手で、今度は激しい炎が高空の澄んだ空気を焼いていった。 「ぐわぁぁぁっ!」 一瞬にして炎に包まれた騎士が、悲鳴を上げながら愛騎と共に眼下の森へと落ちていく。地上でも激しい戦いが繰り広げられているようだ。鬱蒼とした森林のあちこちからは煙が上がったり、最前線の兵達の怒号が轟いたりしていた。 「おじさーん、周りもよく見ておかないと怪我するよー?」 すぅっと近くまで寄ってきた緋夏が艶めかしい唇を開くと、マッチのような小さな炎がぽっと灯り、ハートの形を作ってはすぐに霧散していった。 「わ、分かっている!」 そこへ敵の囲みを突破してきた玖朗も合流した。先制攻撃で目の敵にされたか、随分と激しく追い立てられたようだ。かすり傷が目立つ。 「おまえ、火行を扱うのか。風上の都合は要り用か?」 「かぎょう?」 言葉の意味は分からなかったが、ニュアンスから言いたい事は伝わったらしい。 「んー。それじゃ、お願いしちゃおっかな」 「心得た」 「散開せよ!!」 横合いより発せられる有無を言わさぬ号令に、身体は自然と動いていた。 ついさっきまで三人がいた空間を、巨大な突撃槍を構えた騎士が物凄い勢いで突き抜けていく。 興奮する乗騎を力任せに操る騎士だったが、さらなる突撃を行おうと方向転換したところで「ぐっ」とくぐもった苦悶の声を漏らすと、突然力を失いそのまま魔獣の背に身体を預けて沈黙した。 「流石に鎧の隙間を狙うのは難しいな」 銃を構えたハクアがいた。直前の発射音からすると、かなりの数の銃弾を放ったようだ。余程神経を集中していたのか、肩で大きく息をつく。 「将軍。敵軍が体勢を整えつつあるであります。各個撃破される前に一度合流し、隊列を組み直すべきかと」 そう進言したのはヌマブチだ。「隊列だと?」、聞き慣れぬ単語に訝しげな表情を浮かべるオウガンだったが、ヌマブチは気にせずに言葉を繋ぐ。 「この場で全体の統率を取れる将はオウガン殿以外にいないであります」 「む。そ、そうか。そういう事ならば仕方ない」 そう言っている間にも戦闘は激しさを増し、即席の作戦会議も途切れがちになってしまう。 「怯むな! 我等の安息の地を守るのだ!」 先頭に立つオウガン――そして陰に日向に戦力の穴を埋めるロストナンバー達の下、ドラグレット側も徐々に組織的な動きを見せ始めるのだった。 激しい剣戟の様子を、少し離れた位置から見る青年の姿があった。 「マジで戦争やってるのかよ……」 険しい表情を浮かべた面長の顔は、あまり血色が良くない。若干青ざめているようにも見える。 小竹 卓也。二十歳の大学生。小説家――というか、ライトノベル作家志望。 思えば、非日常的な日常に憧れる気持ちは子供の頃から少なからずあったかもしれない。事件は絶えないものの、彼の生まれ育った世界はつまるところ平和であり。刺激を求める脳は、頭では危険だと理解できる空想にも奇妙な高揚を覚えるのだ。 それは、実際に接すれば自分の命を脅かすかもしれない生物達の姿であり、己の全てを懸けて火花を散らす弱肉強食の世界であった。 それが今、目の前にある。さらに言えば、自分は主役の一人になれるのかもしれない。なのに、沸き立つ心の裏側で、酷く醒めた自分がいる。 (……いやマジで、自分は相手殺せるん?) 先にドラグレットの里でオウガンと繰り広げた手合わせとは全く違う。これは殺し合いなのだ。 瞳を閉じ、上空へと飛ばした相棒のセクタン――メーゼと同調すれば、戦場全体の様子を見る事ができる。その中には、直視に堪えない光景もあった。 (うっ……) 喉の奥に酸っぱいものがこみ上げる。正直、今すぐにでもこの場を逃げ出したい。だが―― (オウガン……) 鬼の形相でハルバートを振るう巨漢の姿があった。 エメルタが透き通るような声で味方を鼓舞している。その頬を滴り落ちる汗が、彼女の心の内をうかがわせる。 突入部隊と思しき一団は、死線を掻い潜りながら飛行船との距離を詰めつつある。 戦場のどこか、見知らぬ誰かが叫んだ。 「下がるな! 俺達が斃れたら、誰が皆を守るんだ!?」 その声に背中を押されるようにして、卓也を乗せた飛竜は徐々にスピードを上げていった。 「心は決まったようだな」 ようやく追いついてきた卓也に、ハクアが飛竜を寄せて声を掛けた。戦場においても冷静さを保って状況を見定めていた翡翠の瞳が、懐かしいものを見るようにうっすらと細められている。が、それに気づけるだけの余裕が卓也には無かった。 「ここで逃げたら、一生後悔しそうな気がしたんでね」 相変わらず顔色は悪い。落ち着かない口の奥では、震える奥歯がカタカタと耳障りなリズムを刻んでいる。精一杯の強気な言葉も、その胸の内を強調するだけだ。 それでも。ハクアは一つ頷くと、 「俺はしばらく手が塞がる。その分を穴埋めしてくれ」 「……いきなり無茶ブリじゃね?」 おまえならできるさ――そう言い残して去っていくハクアを見送り、卓也は改めて表情を引き締める。取り出したるは、刃ではなく人類の叡智。 (俺には俺の戦い方があるさ!) 壱番世界ではイベント等でよく使われる拡声器を握ると、彼はセクタンの視界を頼りに声を張り上げた。 「右から迂回しようとする奴等がいるぜ! 玖朗、先回りできるか!?」 ●不協和音 始めは敵味方の大きな塊に分かれてぶつかっていた軍勢も、障害物の無い空中戦とあっては互いに入り乱れ、戦場は混沌の色合いを増していった。 敵とすれ違いながら全速力で戦場を突っ切るヌマブチは、初めての感覚に思わず「むぅ」と唸り声を上げる。 「下半身が猛烈に涼しい」 長く地上戦に従事し、塹壕に籠もる事も多かった身としては、何とも落ち着かない状態である。 それでも飛竜が一瞬だけ静止すると、両手で構えた長身の銃から放たれた弾丸は狙い違わず魔獣の頭部を貫き、死へと追いやっていた。 感覚としては馬上からの射撃と同じだ。環境適応能力はしぶとい兵士の必須条件である。 「北西より新たな敵影接近、右翼から我こそはと思う五騎は迎撃に当たれ! 首狩りオウガン部隊の名に相応しい戦果を挙げてみせろおぉぉぉぉぉぉ!?」 勇ましく味方へと呼び掛けたのも束の間、強烈な無重力感に晒されたヌマブチの悲鳴じみた声はドップラー効果をまといながら遠ざかっていった。見れば、今度は飛竜が自由落下に近い勢いで下へと飛んでいる。危険を避ける為の動きだろうが、乗っている人間はたまったものではあるまい。 (参謀の復帰まで持ちこたえる必要があるのである) ヌマブチの様子を視界の端に捉えながら、敵兵と対峙したギルバルドは魔獣目掛けてハルバートを振り下ろした。重装備に身を包んだ騎士よりは与し易い相手と見越しての事だったが―― キィンッ 「むぅっ!?」 がっちりと嘴で刃を咥え込まれ、動きを止められてしまった。 「もらった!」 垂直に振り下ろされる鋼鉄の刃が目前に迫る。 刹那、強烈な熱と光が視界を奪い、次いで激しい衝撃が彼の頭蓋を揺らした。 「ぐおぉっ!」 がむしゃらに相手を振り払い、ようやく白一色の世界から戻ってきたギルバルドの目に飛び込んできたのは、ドラグレットの戦士が振るう斧に鎧を砕かれ、血を流しながら逃げていく騎士の背中だった。 「何が起こったのであるか?」 目を点にしているギルバルドに、追撃を諦めたドラグレットが振り返りながら告げる。 「アンタの敵が流れ弾にやられた隙に、オレが仕掛けたのさ。運が良かったな。まともに食らっていたら死んでいたぜ」 確かに。急所を外して軽い脳震盪を起こしたくらいだ。直撃していれば自慢の鎧兜どころか命が無かったかもしれない。 「偉いのである」 飛竜の首筋を撫でてやったところで再度襲ってきた灼熱の気配に、ギルバルドとドラグレットは反射的に顔をかばっていた。 炎のみで形作られた無数の槍が、二人のすぐ傍を飛んでいく。空中で軌道を変えたそれは敵の一人に命中し、身体の一部を一瞬にして炭化させていた。 「あ、ごめーん」 ペロッと子供じみた仕草で舌を出したのは言わずもがな、緋夏である。隣を飛ぶ玖朗も苦い表情だ。 「すまん、いつもと勝手が違うから手もとが狂いがちだ」 玖朗の生み出す風によって威力や速度を増した緋夏の炎だったが、普段と扱う感覚が違うという欠点もあった。加えて、この混乱した戦場の影響もある。常に360°全方位に気を払っておかなければならないというのは、なかなかに神経をすり減らすものである。 こうしている間にも斬り掛かってきた敵を鉤爪の生えた足で蹴り飛ばすも、避け切れなかった傷口から血がにじむ。 腰のポーチから取り出したマッチで火を点けた緋夏は、その炎だけをするりと吸い込んで胃の中に収めた。 「火種を補給してる余裕もあんまり無いんだよねー」 調子こそ軽いものの、その表情には疲労が色濃く漂う。 誰もが焦りを感じていた。まだ飛行船は占拠できていないのか……? そこへ、戦場の最中にあってよく通る男の声が轟いた。 「我は銀襴(ぎんらん)騎士団団長、ゼイエン・アウバッハである。ドラグレットの猛将、オウガン殿に一騎打ちを申し込む!!」 声に応え、飛竜に乗ったオウガンが進み出た。 「よかろう! 貴様の首も刈ってくれようぞ!!」 戦場の一画から一斉に兵士達が離れ、ゼイエンと名乗った壮年の騎士とオウガンだけが残される。 「おい。お約束とはいえ、止めなくていいのかよ?」 「……うむぅ」 卓也に尋ねられるも、ヌマブチは喉の奥で唸るのみ。こういった形式の戦いに疎い彼には判断しかねるところである。終わりの見えぬ膠着状況に、敵も痺れを切らせたのだろうとは想像がつくが…… 「……いつでも割って入れるよう準備を」 たとえ卑怯者と罵られようが、誰一人として無駄死にはさせない。それが彼の信念である。 それぞれの愛騎にまたがった二人は、その場でホバリングしながらじりじりと間合いを測り―― 「ぜえぇぇぇぇぇぇぇぇい!」 「うおおぉぉぉぉぉぉぉっ!」 全く同じタイミングで相手に向かって突っ込んでゆく! その時だ。 「今だ、放て!」 突風が唸りを上げるような音が無数に鳴り、小さな影が群がる虫のようにオウガンの巨躯を包み込んだ。 「何だこれは!?」 得物を構えた体勢で硬直したオウガンは全身に力を込めるも、その身体は金縛りに遭ったかのようにピクリともしない。その四肢には細い紐が幾重にも絡まっていた。 「ボーラであるか!」 「微塵か!」 ギルバルドと玖朗が同時に叫んだ。呼び名こそ違えども、形状としては全く同じ物を指している。両端に重石を付けた紐を投げるという、極めて原始的な武器だ。それに狩猟道具として用いられる事が多く、こういった戦争ではあまり見掛けない。 「かかれぇぇぇい!」 号令を合図に乱入してきたのは、明らかに騎士団とは違う装いの一団だった。装備もまちまちで傷が目立つが、使い込まれた手練の風格を感じさせる。 (そういえば、傭兵が参加していると情報にあったな……!) 自らにも飛んできたボーラをサバイバルナイフで断ち切りながら、ヌマブチは歯噛みした。見慣れぬ光景に反応が遅れた感は否めない。まさか相手も横槍を入れる準備をしていたとは。 「ちょ、ちょっと、なにだよこれー!」 緋夏が炎を吐こうとして大きく咳き込む。咄嗟に腕を差し込んで首の骨を折られるのは免れたようだが、深呼吸は無理な様子だ。 「じっとしていろ。今解く――」 いや、それよりも優先すべき事がある。 「オウガン!!」 卓也の絶叫が響き渡った。 「ぐっ……!」 苦悶の声を漏らすオウガンの身体から、赤い水滴が滴り落ちていた。その根源は、深く肩口に食い込んだ鉄の刃。 剣の柄を握る傭兵がさらに力を込める。 「くそっ、まだ生きてやがるのか」 「てんめえぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」 そこへ、手綱を片手で握り締めた卓也が飛竜ごと突っ込んできた。ボーラが絡まったままの得物を振り回すと、その本来の形状とは異なり、まるでフレイルのような動きで敵をしたたかに打ちつける。 「おまえらの相手はわしがしてやるのである!」 続けて到着したギルバルドが、押し寄せようとした傭兵達に向けてハルバートを構えた。こちらもまだ体のあちこちにボーラを絡ませたままだが、それ故に力任せに構えを取る姿からは気迫が感じられ、相手は思わずたたらを踏んでしまう。 その後方から聞こえてくる怒声のやり取り。 「貴様、傭兵の分際でどういうつもりだ!」 「ハァ? 何言ってやがんだ。戦争なんだ、勝たなきゃしょうがねぇだろ。騎士道ごっこがしたけりゃ城で大人しくしてろってんだ!」 「何だとぉ!!」 どうやら、向こうにとっても一部予定外の出来事らしい。この好機を逃す手は無い。 「全員、すぐにその場を離れろ!」 ハクアの声がし、卓也とギルバルドはオウガンを守りながら後退を始めた。ようやっと呪縛を逃れた緋夏が玖朗の助けを借りて大きく放射線状に炎を放ち、敵を牽制する。 「あれは……」 呟くヌマブチの瞳の中で、いくつもの魔力の光が芽吹いていく。それは彼等のいる空を囲むようにして点在していた。 青白い顔のハクアがゆっくりと息を吸い込んでいく。今にも意識が遠くなりそうだが、まだだ。こんなところで倒れてはいられない。 「我は願う、裁きの雷を!!」 天高く掲げた右手が振り下ろされるのと同時に、大気が断末魔の叫びを上げた。 輝く雷光。縦横無尽に奔る稲妻が騎士や傭兵達を捉えると、苦痛の絶叫が耳をつんざく。 「……て、撤退! 撤退だ!!」 沈黙の訪れた戦場で、騎士団団長であるゼイエンはそう命令するのが精一杯であった。無論異議を唱える者は無く、お互いを支え合いながら飛行船へと退却していく。 「追い掛けなくてよいのであるか?」 「残念ながら、それは無理な話だ」 ギルバルドの問いに、ヌマブチは考える間も無くそう断言した。その視線は目の前の光景に注がれている。 「嘘だろ……おい……?」 ぐったりとしたままのオウガンを支えながら、卓也は声を詰まらせた。主を失った卓也の飛竜は本能からか、未だに激しい戦いが続く中を里に向かって飛んでいく。 と、爬虫類を彷彿とさせる独特の形状の瞳がうっすらと開いた。 「オウガン!」 「……おまえ達……戦はどうした……俺はまだ戦えるぞ……!」 「そう言って部下達を死に追いやるならば、某はオウガン殿を指揮官と認めず、この場で殺すであります」 あまりに物騒なヌマブチの言葉に、全員が目を見開いて注目した。深く軍帽をかぶった彼の表情はよく分からないが、声からは必死に感情を押さえ込んでいるのが分かる。 「……殺せるものなら殺してみろ……ドラグレットの誇り高き戦士は、この程度の傷で膝を折ったりはしない……!」 「信頼してくれる部下を殺すのが、ドラグレットの誇りか!? 本当に部下を――戦友を大切に想うのなら、泥まみれになりながら『生きろ』と命令してみせろ! 帰るべき場所へ帰してやれ!!」 それはほとんど絶叫に近かった。噛み締めた唇から血が一筋の線となってヌマブチの顎を伝っていく。 気まずい空気が漂う中、気にせずに口を開けるのは、やはり彼女しかいなかった。 「んー。あたしには難しい事はわからないけど……」 汗と汚れでドロドロになった顔を拭いながら、緋夏は飛竜の硬い皮膚を愛おしげに撫でた。 「この子が死んじゃうのは嫌だな。だってこんなにカワイイじゃん!」 太い首をぎゅーっと抱き締める。その無垢な姿に、邪気を抜かれた者は苦笑いするしかない。 「森をおびやかす存在を完全に排除できなかったのは残念だが、志を共にする仲間がいる。おれたちは独りではない」 玖朗は気絶したハクアを支えていた。大量の魔力と、その媒介となる血を消費し過ぎたのだろう。すぐに暖を取らせて体力を回復させてやらねばならない。 ロストナンバー達を黙って見ていたドラグレット達だったが、意を決した様子で口を開いた。 「将軍、オレからもお願いします。後はエメルタ様達にお任せして、一旦下がりましょう」 「俺も、まだまだ将軍の下で腕を磨きたいです」 「それに……おで……しぬのいやだ……」 「将軍の命令を無視して命欲しさに逃げ帰ったら、どんな罰が待っている事やら……」 「おぉ、怖い怖い」 冗談めかして身震いする部下をじっと見ていたオウガンの目尻が和らいだ。それはどこか諦めたような、それでいて肩の力を抜き安堵したかのような。 「………………………………撤退だ」 ●繋がれた未来 「ホント勘弁してくれって。圧倒的な敵に突撃した揚句玉砕なんてストーリー、小説の中だけ充分だよ」 オウガンの飛竜を操る卓也は、心から――そう、心からそんな愚痴を漏らした。 その頭にポン、と節くれ立った手が乗せられる。 「クク……オレと互角の勝負を繰り広げた貴様がこんな臆病者だったとはな」 「チクショー、好きに言え! 『三十六計逃げるに如かず』って昔の偉い人も言ってるんだ!」 涙目で見上げてくる卓也に、しかしオウガンは。 「怒りに狂った獣は格好の獲物。臆病さこそ、森で生きる上で必要なもの――か」 「……へ?」 突然の言葉に、卓也の目が点になる。オウガンは喉の奥で低く笑い声を上げると、 「オレに狩りのやり方を教えてくれた男の言葉だ。久しく忘れていたな」 遠い空を見ながら、わしゃわしゃと黒髪を撫でさするのだった。 「痛い! 痛いよちょっと!?」 一方、未練がましく飛行船の方を見ているのはギルバルドと緋夏だ。 「わしはまだまだ戦えたのであるが……」 と、飛竜が甲高い鳴き声を上げた。 「おまえが腹を空かしてしまったのならば仕方ないのである。ドワーフ特製の火酒を馳走してやろうではないか。ワッハッハ!」 誰か全力で止めてあげて下さい。 「そういや、焼き鳥食べそこなっちゃったなー。ざんねん」 空の上であれだけ激しい戦ならばさもありなん。しかし彼女は本気だったようだ。 「帰ったら、ドラグレットさんにお願いして用意してもらおう! そして一緒に食べよう! ねー♪」 屈託ない笑顔を向けられて、彼女の飛竜も嬉しそうな鳴き声を発したのだった。 ボロボロの状態にも関わらず賑やかな仲間達の様子に少々面食らいながらも、肩を並べて戦った今とあっては、玖朗はそれを頼もしくすら思える。 と、飛行船の周囲で激しい戦いを繰り広げる一団が目に入った。 「あれは……」 「エメルタ殿の部隊だな」 流石に、ヌマブチは抜かりが無い。さっき啖呵を切ったのが気恥ずかしいのか、あまり話そうとはしないが。 未だ旺盛な火力を誇る飛行船の表面を滑るように飛びながら、こちらを見る細身のドラグレットがあった。炎と煙の中でも気高さを失わない姿は見紛うはずもない。《翠の姫》エメルタその人である。 その表情は「また、無茶をしたようですね」と呆れているようであり、「よくぞ止めてくれました」と感謝しているようでもあり。 まだまだ続きそうな戦いの様子を振り返ったオウガンが歯を食いしばる。 「口惜しいな。あの場にいることができないとは」 悔しさを忘れず、それでも退く勇気を胸に。 彼等の戦争はここに幕を下ろしたのだった。 <了>
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