古城に灯が入っていく。それに誘われるように、仮装の人々が城門に吸い込まれていく。ある者はとんがり帽子と黒マントを纏い、ある者は蝙蝠のモチーフをあしらった杖を振り、ある者はゴーストの仮面を被っている。 ヴォロスの辺境、『栄華の破片』ダスティンクル。古い王国の跡地に建つ、微細な竜刻を多数内包する都市である。入城した人々を出迎えたのはこの土地の特産品であるお化けカボチャだった。カボチャをくり抜いて作られたランタンがそこかしこに飾られ、大広間にもカボチャを用いた料理や甘味がずらりと並んでいる。「ようこそ、皆様」 という声と共に、黒のロングドレスと仮面で装った老婦人が現れた。領主メリンダ・ミスティである。先代の領主の妻で、数年前に謎の死を遂げた夫に代わってこの地を治める人物だ。「今宵は烙聖節……この地に埋まる竜刻と死者たちが蠢き出す日ですわ」 冗談めかしたメリンダの言い回しに来客達は顔を引き攣らせた。「共にこの夜を楽しみましょう。けれど、お気をつけあそばせ? あたくし一人では手に負えない出来事が起こるかも知れません――」 未亡人探偵。領民たちはメリンダをそう呼んでいる。面白い事が大好きで、不可思議な事件に首を突っ込みたがるのだと。 時間は少し遡る。「要はハロウィンみたいなモノ? はいはーい、エミリエがやる!」 元ロストナンバーであるメリンダから依頼が届き、エミリエ・ミイがそれに飛び付いたのは数日前のことだった。 烙聖節。かつての王国が亡んだとされる日で、死者達が蘇って現世を彷徨うと言われている。そのため火――生者の象徴である――を夜通し焚き続け、竜刻の欠片を用いた仮面や仮装で身を守るのだ。今日では一晩中仮装パーティーを催す行事として息づいているらしい。 王国は巨大な竜刻を保有し、『聖なる祝福を受けた血』と呼ばれる王族が支配していたが、度重なる戦禍で亡んだ。王族は焼き殺され、竜刻も粉微塵に砕けて各地に飛散したという。ダスティンクルから出土する竜刻の大半はこの時の名残だ。「昔のお城は領主のお屋敷になってて、そこにみんなを集めてパーティーするんだよ。楽しそうでしょ? でもね……烙聖節の夜は不思議な事が沢山起こるんだって。竜刻のせいなのかな?」 エミリエは悪戯っぽく笑った。彼の地には調査の手が殆ど入っていないため、メリンダと繋ぎをつけておけば今後の任務がやりやすくなると付け加えながら。「依頼って言っても、難しく考えなくていいと思うな。あ、ちゃんと仮面と仮装で行ってね!」 わらわらわらっと人が散る。 いくつかの人の輪がつくられ、その中心で任務を説明する世界司書達。 エミリエ自身も己の任務を説明し、ロストナンバーを笑顔で送り出す。 周囲を見渡すと、まだ説明が終わってないチームもちらほらといるようだ。 早めに終わらせようと思ってはいたが、思ったよりも早すぎたとエミリエは少し輪から離れた。 そして、じっと待つ。 小さな樽にちょこんと腰かけているエミリエは、いつも通りのかわいらしい少女だった。 その様子を眺めていたものは何人いるだろう。 では、ふふふ、と小さな忍び笑いに不穏なものを感じ取ったものは? 小一時間。 人の輪も少なくなり、最後の世界司書○○が姿を消すと、エミリエは樽の上に立ちあがった。「イタズラって何だと思う?」 にこっと浮かべられた笑みとともに発せられた声が、たまたま残っていたロストナンバー達の視線を集める。 立ち上がった少女は胸の前で手を組み、やんわりと笑っていた。 眉間に、額に、何故かどす黒いオーラのようなものが漂っている他は何も違いがない。「イタズラって何だろうね? 考えたことがある人は。あ、けっこう多いんだね。 ――お菓子をくれなきゃスカートまくり? 違う。 ――誰かが大切にしているネックレスを隠すこと? 違う。 甘露丸のつくったシチューをつまみ食い? お部屋のベッドにムカデのゴム人形をしのばせること? 正露丸を「壱番世界のチョコだよ」って言って、世界司書に配ること? リベルが夢中になっていた推理小説の途中で、登場人物の名前に蛍光ペンでチェックいれて「こいつ、犯人」って注釈を書いておくこと? シドの被ってる頭飾りの羽根を、クジャクの羽根でできたものに変えておくこと? セクタン繁殖講座っていう本を読んだからって、ホントに試してみちゃうこと? 違う。ちがうちがうちがう! 違うと思うんだよっ! ……あ、その後、リベルにはオシオキとして、難しい本を五冊読まされました。 エミリエはいまだにその「こーいしょー」で、難しい文章を読むと眠くなります。 ええとね、いたずらっていうのはね、後々までダメージがないこと! 笑ってすむ範囲の、あるいは自分の力でリカバリが効くくらいの内容で、なおかつ相手に絶大なインパクトを与え、いかに相手を怒らせず、もう笑うしかないじゃないかという状況に持ち込むことです。 相手が怒ったらそれはもうイタズラじゃなくて悪ふざけなんだよ。 そりゃもう、エミリエもアリッサもよくその境界線を踏み越えてしまうけど、そのときはちゃんとゴメンナサイって謝ります。お仕置きからはがんばって逃げます。 さて、今はカレンダーでは十月も末みたいです。明日から十一月です。 こないだアリオが壱番世界は紅葉の時期で、山が真っ赤に染まって綺麗だっていうお話をしてくれたの。 エミリエにとっては、そんなに真っ赤なのはお小遣い帳だけです。 エミリエだって遊びに行きた~いっ!!! なのに、ハロウィンのお祭りだって言って、メリンダに誘われて皆はヴォロスに行っちゃってます! その間、エミリエはどぉしたらいいの? アリッサもなんだか忙しそうであんまり遊んでくれないし、リベルは大勢を送り出す準備だって言って、司書室に閉じこもってます。 シドは新しく腹筋を考えるとか言ってるけど腹筋に新しいも古いもあるんだかないんだかよくわかんないし、ドードーは極太マジックで眉毛を描いても気づかないくらいだしバラしたら一緒に笑うくらいいい子だから張り合いもないしこっちが罪悪感にかられてエミリエはシーツに飛び込んでうわぁぁぁとか言いながら手足をばたばたさせました。あんな事したのはロストナンバーの皆さんに渡したメモが自作のポエムのメモと間違っていたとき以来です、いつのことかって? 先週です。それにそれにウィリアムは半径5mに近づいただけで気配を察して隠れちゃうし、リリイが作ってた新作の洋服の型紙に猫ちゃんの落書きしておいたら、ホントにそのまま作った上で「これ、エミリエにプレゼントよ」ってエミリエにくれちゃうし、また落書きのぐるぐるのトコまで忠実に再現してくれた上で「これはエミリエのデザインなの」ってリリイが言いふらしたものだから、エミリエはしばらくファッションセンスをみんなに疑われるようなイタい子になっちゃうし、真っ黒なおねーさんの持ってた書類の並び順をこっそり変えておいたらイタズラがバレる前に自分でぶちまけちゃうし、火城(ホムラ)って世界司書さんの名札のフリガナをこっそり「カジョウ」って変えておいたのに本人には気付かれないし他の人はそのままナチュラルに信じてるんだか知らないんだかでスルーされてるし、医務室のクゥの白衣を牛さん柄に変えておいたらあの無表情の人形女は何事もなかったかのようにそのままの姿で診察続けてたし、アマノの読んでた推理小説にさっきのリベルにやったのと同じことやったら「あ、この本読むのもう五回目なんですよ」とか笑顔で言われちゃうし、さっきのイモリのゴム人形のやつをポランに仕掛けたら「うまそう」とか言いだしててあれからゴム人形見ないから誰か知ってたら教えてね。セクタン大繁殖の本を試した結果は、ちょっとこう……いろいろ名乗り出にくい事になっちゃってるし、寝てる間にツギメの耳ってどうなってるのかなって思って髪の毛めくってみたら……げふげふっ、ごほんごほん。とーにーかーくー!!」 ばんばんと手にもった導きの書を叩きつつ、エミリエは顔をあげた。 次に思いきり手を振り上げる。「イタズラだよ。思いっきりイタズラするんだよ。目標、元ロストナンバー、メリンダ! これってさっきの依頼とどう違うのかって!? あれはメリンダが主催したパーティにお呼ばれする依頼だよ。でもってこっちはイタズラだよ! すっごいイタズラするんだよ! 徹底的に、絶対的に、感動的に、全体的に、潜在的に、根本的に、凶悪的に、頭脳的に、本格的に、基礎的に、本質的に、抜本的に、基本的に、具体的に、ものすっごく、そりゃもう、情け容赦のない子供騙しのようなしょーもないいたずらをするんだよ!!!! 合言葉は大山鳴動してねずみ一匹!! ……と、いうわけで、イタズラをしてきてください。夜闇に紛れて。目標、メリンダ」 にやり。 くふふふ、とエミリエは微笑む。「ふふふふ、めぇりんだぁぁぁ。ヴォロスに帰属なんかしてもあの日々は忘れてないからねぇー!? お菓子とイタズラの祭典の招待状を出してくるなんて、久々にエミリエに挑戦する気だよねー!? うふふふ、かぁくごぉぉ」======-「と、いうようなことをエミリエに言われていらしたのよね。皆様?」 上品な老婦人、元ロストナンバーのメリンダは笑顔で告げた。 ハロウィンパーティの準備と称して、エミリエから半ば強引に持たされたグッズの数々を背負ったスタイルでは言い訳のしようもなかった。「アリッサちゃんか、エミリエがそういうことをするかなと思いましたの。ところが皆様、思ったよりも上品な方々で少々毒を抜かれておりましたのよ。だけど、そんなはずはないと思いまして、家の隅から隅まで探しておりましたら、……あなたがたを見つけましたの」 そして、これが主催者かつ名士であるメリンダが、なぜ地下の石炭置場にいるのかという問いに対しての、老婦人からにこやかな笑みを浮かべた返答だった。 笑顔の圧力に負け、仕方なく状況の説明を行うと、年甲斐もなくメリンダは微笑んだ。 よし、と呟いた声まで聞こえた気がする。「あなたたち、今からロストレイルに乗りこんで0世界へ帰ってちょうだい。勘違いしないでね、皆様を追い返すとか、怒ったとかではないのよ。むしろあたくし、今、とてもわくわくしておりますの。残念ながら、0世界へ気軽に乗りこんでいけない身であることがとても残念ですの、あなたたち、あたくしからの親善大使としてエミリエにイタズラを仕掛けてきてくださいませんこと?」 老婦人は少女のような笑顔を浮かべて言い放った。 すでにロストナンバーを運んできたロストレイルは0世界へと引き返す準備を始めており、さぁさぁ早くと急き立てるメリンダに背中を押されて半ば無理矢理に、なんと窓から座席へと押し込まれる。 間もなく発車しますとのアナウンスが成り、ロストレイルの車輪の駆動が始まった。「あなたがた」 メリンダが窓を開けるように促す。「イタズラって何かご存じかしら?」 老婦人はウィンクとともにいたずらっぽく微笑んだ。 人差し指をたて、こう告げる。「笑ってすむ範囲の、あるいは自分の力でリカバリが効くくらいの内容で、なおかつ相手に絶大なインパクトを与え、いかに怒らせず、もう笑うしかないじゃないかという状況に持ち込むことよ」 ――と。!注意!イベントシナリオ群『烙聖節の宴』は、同じ時系列の出来事を扱っています。同一のキャラクターによる『烙聖節の宴』シナリオへの複数参加・抽選エントリーは通常シナリオ・パーティシナリオ含めご遠慮下さい(※複数エントリーされた場合、抽選に当選された場合も、後にエントリーしたほうの参加を取り消させていただきますので、ご了承下さい)。
「エミリエさんの演説がなんだかすごく楽しそうで! 私覚醒するまで悪戯ってしたことなかったんですよねぇ。怒られることは多かったですけど。個人的にセクタンの繁殖方法が気になります。……あ、悪戯する相手? 誰でも良いです」 わくわく、と顔に描いてあるかのように、テオはターミナルに到着したロストレイルからホームへと降り立った。 その間にも楽しくて仕方ないという風に次から次へと口から言葉が紡がれ出て行く。 ヴォロスのハロウィンパーティのために出動した臨時列車に近い運用であったため、今、この時間にロストレイルから降り立つパーティは視界に入る限り、いない。 もしや、世界司書の誰かに合わないかといった心配もあったがどうやら杞憂で終わったようだ。 そんなテオの後ろで聞き役を務めつつ、小さくぼやいているのはナオト。 ヴォロスに持っていくつもりだった仮装グッズはカバンに仕舞い込まれたまま、出番を迎えることもなく、来年あたりまで埃を被る運命を辿るに違いない。 「えぇー……。俺ってばまたこんな扱い~? ちゃんと仮装の準備までしてさ、メイクの練習までしたんだよ? そりゃどういう風に動けばそれらしいのか一人の部屋で研究してたけど、さすがにそれは恥ずかしいから何をやってたのかはナイショにするとしても、結局、こんなふ~に0世界に送り返される自分が恥ずかしいよっ」 「しょげてるわりには口と舌がよく回りますねぇ」 テオはにこにこと悪気なく口にする。 「うわ、そっちの方向でつっこみいれる!? しかもテオさんの方が喋ってるじゃん!? っつーか、普通はなんていうかこう、何の準備だよとか、めっちゃノリ気じゃんとか、そういう方向じゃないかな!?」 「そっちをつっこんで欲しそうでしたので、あえて外してみました」 「あえてのボケ殺しっ!?」 「いえ、高等テクらしいですよ。よくわかりませんけど」 言葉は対抗路線だが、のんびりと並んで歩く二人の姿はわりかし仲の良い友達のように見える。 もっとも。 その二人が率先して先行する理由は二つある。 ひとつ。 「失礼。その酢昆布をいただけるかな?」 「は、はい」 駅前の販売店で格安の酢昆布を買うだけなのに、穏やかな物腰ともってまわった仰々しい喋り方。 体にまとった漆黒のマント。 隠し切れない死の香り。 吸血鬼伯爵様ここにありと言わんばかりの初老の男性。ヴィルヘルム。 ハロウィン期間でなければ目立って仕方がないし、ハロウィン期間でも人目を引く。 ふたつ。 金属の兜に覆われた頭部。 そして筋骨隆々とした体躯に、時折、呼吸するついでかのようにキメられるポージング。 唐突に、ふんぬっ! ふんぬっ! とスクワットを始めたかと思えば、ふしゅうううううううう、ふむっ! と満足気に窓ガラスや金属ポールに映る己の姿をチェックする事も忘れない。 そんな巨漢が今は号泣するかのように身を震わせている。 「おおおおお……。エミリエ殿も年相応にイベントを楽しみたいものを。なんといういじましさ!」 「ねぇ、あれってホントに俺達の仲間かなぁ? やっぱりモンスターじゃないかな」 「竜刻の暴走の影響でも受けたんでしょうかねぇ」 「我らの手でエミリエ殿にハロウィン気分と糖分を提供してやらねばな!」 ぴしっ、と指差しを空につきつけ、巨漢マッチョ、ガルバリュートはポーズをキメた。 ぴく、ぴくと大胸筋がうねりをあげる。 と、まぁ、そんな二人が同行しているので、なし崩し的にナオトとテオは二人で先行する。あまり友達だとか、できれば仲間だとかも思われないように。 ターミナルは今、真夜中。――と言っても、ターミナルに夜はないので、習慣的に住人の多くが就寝している時間だった。 「さて、やるにしても、です」 テオはいつも通り、にこにことハガキを取り出した。 宛名は無記名。 「色々仕掛けたいですよね? 私は仕掛けたいです」 ロストレイルの中で書いておきましたとテオは微笑んだ。 そして、彼は笑顔と共に手紙を裏返す。 『悪戯研究会』 ~色んな世界の色んな悪戯~ 最高の悪戯をアナタだけにこっそりと教えます! (※)なお、この招待状は送り先を厳選しています。 悪戯に理解があり、好奇心が強く、秘密を守れる方! ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 窓の雨戸を閉め、ついでにカーテンも引くと、室内は真っ暗となる。 主不在のエミリエの部屋で四人は手早く作業を進めていた。 予めリベル達に口裏を合わせるように頼んでおいたので、咎められる心配もない。 ましてや幼女の部屋に忍び込む変態扱いされてはたまらない。 そんな中、一番の変態は、もとい歩く大胸筋ことガルバリュートは巨体に似合わず細やかな作業を率先して行い、その横でヴィルヘルムは深く瞳を閉じていた。 真剣な表情がふと緩み、彼は目を開く。 「エミリエ嬢は今、指定された部屋で椅子に座ってお菓子を食べながら待っている。今のところ、まだ気付かれれてはいないな」 監視のため追跡させた彼の一部たる蝙蝠は、エミリエにバレないように彼女のやや遠くを静かに飛び、逐一、ヴィルヘルムに状況を伝える。 そのため、ヴィルヘルムは部屋にいながらにして、彼女の動向を手に取るように把握できた。 「いや、それってすごい便利なストーカースキルだよね!?」 ナオトのつっこみを思い切りスルーし、ヴィルヘルムはばさりとマントを翻す。 足先から細かな粒子のように消えはじめ、やがて姿が霧散する。 「あ。すごい能力だね! 俺の嫌いな能力にちょっと似てるけども、これで狼の遠吠えとかしたり」 アォーン……。 「……えと、蝙蝠が群れてたり」 キーキー、キキー。 「……あと、逆立ちして歌ったりするのが得意で、商店街でオバちゃん相手に値切るのが上手だったり、エレベータの隠しコマンドに詳しかったり、どちらかといえば筍よりキノコ派だったりしたら、もう完璧に吸血鬼だよね!」 「そういう能力は持ってないが」 体を湯気のようにぼやけさせると、彼はようやくナオトへと振り向き、それだけ口にし、ヴィルヘルムの姿は室内の霧となった。 うわ、もしかしてホントに……と呟くナオトの肩をテオが叩いた。 「そうですよね。じゃあ、ヴィルヘルムさんは吸血鬼じゃないですね。あと吸血鬼といえば贔屓の野球チームの応援は欠かさないと相場が決まってますよ」 「そ、そーだよね! ……ってなんで野球と吸血鬼が関係あるのさ!?」 「どっちも、たまにバットで活躍しますし」 「なるほど! ……って、誰が上手いことを言えとー!?」 したり顔で指を立てるテオに、ナオトのハリセンが炸裂したあたりで、廊下を歩く足音が耳に届いてきた。 『言い忘れたが』 室内のどこからともなく、ヴィルヘルムの声がする。 狭い室内とは思えない程、低音の声が反響した。 『エミリエ嬢がこちらへ向かっている。表情が引き締まっているところを見ると……』 「大丈夫、私の準備は終わってますよ」 「拙者も万端である!」 「……あれ? 俺、何も準備してなかっ……むぐっ!?」 大声を出そうとするナオトは口をテオにふさがれる。 一呼吸で落ち着きを取り戻したナオトは、せめてこれくらいは、と持参したアイテムを机に散らしはじめた。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 自分の部屋の前でエミリエは立ちつくす。 正確にはかつて自分の部屋があった位置の前である。 その廊下の並びは、同一色の壁紙が続いており、そこにあるはずの扉はなかった。 ――なぁるほどぉ……? エミリエは顔を思い切り歪め、にやりと微笑む。 時、折りしもハロウィンである。 イタズラの祭典であるこの日に、誰かが、エミリエにイタズラを仕掛けているのだ。 先ほどの招待状を受け取った時は、ハロウィンに引っ掛けて誰かがイベントでも起こしたのかと期待した。 だが、いつまで待っても何も起こらないということは、いたずらの標的はエミリエに違いない。 お菓子を全部食べ終わったところで、何かのイタズラの準備をされている可能性があると見抜き、ずっと待ちぼうけを食わされないよう、彼女は足早に自室へと引き返した。 その結果、この、部屋の扉の消失である。 『いちチャイ=ブレ上の都合により移転しました。移転先はこちら!』 と言う張り紙も、何らかの意図があると見るべきだろう。 移動した先で何かのイタズラを仕掛けるつもりか? いや、それならば、エミリエを部屋から離す必要はない。 ならば本命の舞台はエミリエの部屋であり、と、いうことは今はまだ準備の真っ最中に違いない。 くくくっ、とエミリエは笑う。――その手は食わないからねぇ~! 壁紙は手でなぞると僅かに凹凸が見受けられた。 道具箱から道具を取り出すと、壁紙に切り込みをいれ、扉の位置を把握する。 ドアノブはさすがに外されているようだが、くぼみに棒を差し込んで回せば扉は開くだろう。 穴に差し込んだ棒をひねり、エミリエは壁紙ごとドアのあたりを思い切り蹴り飛ばした。 ドアは開き、壁紙の一部に穴が空く。 エミリエはその窪みに手と足をいれると、ドアをカモフラージュするように張られた壁紙を自身の体で引き裂いて部屋に侵入した。 雨戸が閉じており、部屋は真っ暗。 あろうことか室内に霧が発生しており、湿っぽい。 広くない部屋のどこかから、狼の遠吠えや蝙蝠の鳴き声まで聞こえてくる。 最初に目に飛び込んだものは何の変哲もないギリシャ彫刻だった。 もちろん、彼女の部屋にそんなものはない。 よく確かめるまでもない、イタズラを仕掛けている時はヤるかヤられるかだ。 そして、彫刻像など、ある程度の大きさがあるものは得てして、何かの仕掛けが取りやすい。 毒ガス……と言うほどの事もないだろうが、コショウ爆弾程度の予想はできる。 そこで、エミリエはジュースの瓶を手に取り思い切り振り下ろした。 ――さすがに。 彫刻そのものがロストナンバーである可能性は考慮しきれなかった。 ごいん、と言う景気のいい音が響き、彫刻像もといガルバリュートは「ふおおおおおおおおお!?」と呻いて頭を抑え、呆然とするエミリエの足元を、ごろごろと床を転がった。 「きゃあああああ!? ぶ、豚!?」 「……豚ッ!?」 兜ごしに響いた打撃の痛みと、エミリエから投げかけられた言葉がガルバリュートの背筋を快感となって駆け抜ける。 ぞくぞくぞくっと全身を伝う電撃のような甘い痺れに、ガルバリュートは「も、もっと……」と手を伸ばした。 だらだらと血に塗れた手がぬるりとエミリエの足を掴む。 「いやぁぁぁぁ!? な、なにこれ!? ぬるぬるする。って血ィ!?」 ばたばたと振り倒すエミリエの足はガルバリュートの頭に、顔に、肩に、首筋にと当たりまくり、本気で怖いものを見るエミリエの視線にガルバリュートの興奮がさらに煽られた。 中腰になり、ずりずりとすり足でエミリエに近づいて吼える。 「も、もっと言うのだぁぁぁぁー!!!」 「え、え、え、何!? 何なの、これ!? え、人!? モンスター!? 来ないでぇぇー!!! やだ、気持ち悪いっ!」 「……ぬふぅっ!!!!!」 びくびくと筋肉を痙攣させ、床に倒れたガルバリュートが動きを止めた。 エミリエがおそるおそる筋肉をつつくと、その指の感触に2、3度、びくびくっと震える。 「あ、明かりをつけなきゃ……」 いそいそとテーブルのあたりを手探りで撫で回すうち、カチリと何かのスイッチが入った。 部屋全体がうっすらと明るくなり、ぼうっと所々から淡い光が放たれる。 締め切った狭い室内で風もないのに、ばさりとカーテンがはためく。 雨戸一枚隔てた先には真昼の明かりがあるはずなのに、カーテンにはほんの残り火が放つような弱々しく、妖しげな黄緑がかった明かりである。 蝙蝠が持ち上げたカーテンにうっすらと文字が浮かび上がった。 月明かりのような淡い光をバックに、カーテンに妖しく浮かぶおかしな文字。 ――おひさま るんるん ――おつきさま らんらん 「……え?」 エミリエが笑顔のまま硬直する。 引きつった瞼で追いかける文字列の意図するところは……。 「きゃぁぁぁぁ!? や、やめてぇぇぇぇ!?」 エミリエの絶叫が廊下まで響き渡った。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 場所は押入れ。 肩を寄せ合い、隙間からエミリエの様子を眺める二人。 暗闇に強いナオトは暗闇でじたばたと悶えるガルバリュートの姿に「うっわぁ……」と同情の声をあげていた。 テオの方はカーテンに浮かびあがる文字に絶叫するエミリエの姿に、軽くガッツポーズを決める。 「あれってどうやったの?」 ナオトの耳打ちにテオはにこりと微笑んで見せた。 エミリエが必死で畳もうとしているカーテンには、先週誤って流出事故の憂き目にあったエミリエ作のポエムが浮かび上がっている。 記憶を辿り、なんとか再現させたナオトの手記を眺め「じゃあ、カーテンに写しましょう」と言ったのはテオだった。 実際、ナオトの目の前でカーテンに文字が浮かび上がるという芸当が為されている。 テオは指先をくるくると回して見せた。 「魔法をかければ簡単ですよ」 「え、魔法なの!? アレ」 「カーテンの裏地を、紙やすりとかハサミとかで文字の形に薄く削るんです。後ろから薄い光で照らすと、ああいう風にぼんやりと浮かび上がるっていう魔法です」 「へぇ、すごいね。ってそれ、魔法じゃないよね!? なんか、とっても科学ちっくな説明に聞こえたよ!?」 ナオトのつっこみを、唇に人差し指をあてる「しーっ」と言うジェスチャーで制したテオが「あ、そうそう」と、ナオトを小さく手招きした。 もとより狭い押入れの中、近づくも何もほぼ体は密着しているわけだが、それでも身をよじりナオトはテオに近づいた。 「えと、何?」 「イタズラの犯人をですね、作りましょう。相談している時間がありませんでしたので、そうですね、今回の四人の特徴をあわせて……、後でリベルさんにも協力してもらいましょう」 そのあまりの思いつきの早さと、計画の生々しさに、ナオトは半目で呟いた。 「テオさんってさー、わりとこういうイタズラ好きだったりする?」 「いいえ? 私は公明正大で実直なテオ・カルカーデさんで通ってますよ?」 彼は暗視に長けたナオトの瞳をテキトーに見当をつけて覗き込む。 にっこりと微笑むと、テオは真っ直ぐに嘘をついた。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ はーっ、はーっ、とエミリエは荒い息をつく。 カーテンを必死で回収――強引に引きちぎり、ぐるぐると丸めて、抱きかかえた後、エミリエは勝手知り尽くしたる自分の部屋とばかりにベッドまでたどり着く。 当然、ベッドの中にも何か仕掛けてあるものとして、念入りに手探りすることも忘れない。 塗料の粉がベッドの中に塗してあって、寝てる時は気付かないけれど、起き出した時に全身ラメ入りになっているような、そんな種類のイタズラもあるのだ。 「誰かわかんないけど、エミリエに挑戦しようなんていい根性だよ。よーっし、反撃するからね!」 暗闇に向かって宣言したエミリエは、その勇ましい言葉と裏腹にベッドにもぐりこんで、頭から布団を被った。 そして、動かない。 無言の時が流れる。 ――しん、と。 無音という名の音があるのかというほどに鼓膜を圧迫した。 仕掛ける側も、仕掛けられる側も。 お互いがどんな手を用意しているのか分からないため、迂闊には動けない。 「きゃあ!」 あがったのは少女の悲鳴。 ベッドの下からあがった第一声と共に、何度か「ひぃっ!?」「わぁ!?」とエミリエの叫び声が聞こえるが、ベッドの中の人影は動こうとしない。 ばたばた、がさがさとベッド下から這い出てきたエミリエは、ベッド上に飛び乗り、ベッドの中の人影ならぬ丸めた毛布をぎゅうっと抱きしめる。 「ゆ、幽霊!? 幽霊だよね!? 幽霊がいたぁぁ!?」 先ほど、眠ったフリをして相手から仕掛けてくるのを待つため、エミリエは布団に入った。 と、同時に毛布を丸め、人が寝ているように見せ掛けると、敷布団の切れ目から僅かにベッドの板を外し、そのままベッドの下まで身を落としたのだ。 エミリエ特製の空蝉仕掛けベッドである。 そして、ベッドの中に眠っているエミリエならぬ毛布にイタズラを仕掛けられるのを待っていた。 一瞬のスキをついてベッドの下から手を伸ばして相手の足でも握ってやろう、と。 だが。 そういうものを物ともしない存在が部屋の中に大量に湧き出ていた。 浮遊霊と呼ばれる存在である。 ヴィルヘルムがこっそりと部屋に召還した彼らは、暗闇の中で、密かに、だが確実に動いていた。 息を殺して悪戯犯の動きを探るためベッドの下に潜むエミリエは、必然的にベッドの天板の裏を睨み続けることになる。 明かりが消えているため、何も見えないのだが。 ――ぼんやりと何かの形のシミが網膜に飛び込んできたと思ったら、いつのまにか青白い人間の顔になり、かっと目を見開いて―― そこでエミリエは絶叫したのだ。 後はベッドに逃げ、きゃあきゃあと叫んだこれまでの成り行き通り。 そして、毛布とくまさん型アニモフのぬいぐるみを抱いたエミリエの眼前。 ガルバリュートがゆらぁりと立ち上がった。 こきんこきんと肩を鳴らすと、くわっと兜の視線を少女に向ける。 「エミリエ殿ぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!!!!!!!」 「ふ、ふわきゃぁぁぁぁぁー!!!」 カッ、と最良のタイミングで雷鳴がとどろく。 繰り返すが室内である。 だが、ヴィルヘルムの霧の空間で、不気味な雰囲気は留まる所を知らない。 雷くらいは鳴り響こうというものである。 そして、一瞬の閃光がガルバリュートの全身を照らし出した。 エミリエの眼前。 自分に対して突進を仕掛けてきた筋肉ダルマは血まみれのカボチャをかぶっていた。 全身に巻きついた鎖のようなシロモノは、おそらくキャンディやチョコの小包を連鎖して作成したもの。 左手にチェーンソー、右手に大根。 その体で叫ぶ言葉は、 「エミリエ殿!! TRICK or TREAT!」 再び雷鳴。 浮かぶは、カボチャを被り、お菓子の鎖に縛られた囚人のごとき筋肉ダルマの姿。 僅かな瞬間の強烈な光線が過ぎ去った後、ガルバリュートの後頭部にハリセンが炸裂した。 ぶっ倒れたガルバリュートにびしっと指を突きつけ、ナオトが叫ぶ。 「ちょっと待って!? 何その殺傷能力の高いイタズラは! 駄目だよ笑えないよ! ハロウィンが血に染まるよ!? ハロウィン・オン・ザ・ブラッドだよ!? Veille de la Toussaint sur le sang! 何語なのかって? よくわかんないよ! でも、そんなのイタズラの枠を超えてるよ!! もうちょっとこう、導きの書にエミリエの決め顔がプリントされたカバーを付けたり、正露丸が入ったカップケーキを渡したり、エミリエの持ってるメガネに鼻とヒゲを付けたり、寝ているエミリエの髪をシド風にしたりするような微笑ましい方向に行こうよ!? ってか、なんでチェーンソーなのさ!? 確かに怖いけど、子供に対するイタズラじゃないよね? そこらへんもうちょっと考えなよね!? 当たってもケガしないように気をつけなきゃ、そこへ行くと大根はいいよね、あたってもケガしないしね。ふかすと美味しいけど煮込んでもとろとろして美味しくなる冬の代表野菜で美味しいんだよね、って、でも、なんで大根なのさーっ!?」 「はっはっはっ、エミリエ殿。高いたかーい!」 「きゃぁぁぁぁ!?」 「ムシしないでよー!!!?」 ナオトの絶叫と、天井に背中が軽く当たるほどの高度で投げられるエミリエの絶叫が入り混じる。 数度、強引に放り投げられたエミリエは強制上下運動に疲労し、ついでに悲鳴と緊張のため、今度こそエミリエはベッドに倒れこんだ。 正確には、ベッドの方へと投げられた。 彼女が安全にベッドへダイブしたことを確かめ、ガルバリュートは高笑いをあげる。 「HAHAHA、ドッキリ大成功である!」 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 「……この部屋にいる、ロストナンバーのみんな! ……トリック!」 起き上がったエミリエが唐突にそう宣言した。 除湿機のスイッチが入れられ、エミリエの手にはランプがあり、素早く火が灯る。 ぼうっと映し出された室内は視界と呼ぶにが不十分な薄い光で包まれ、だが己の周囲に光を得たエミリエはにたぁりと微笑んだ。 ナオトには見えている。 この暗い部屋の中、エミリエは黒いマントを被って移動していた。 ランプがエミリエ人形の近くにおいてあり、ゆらゆらと人形が揺れているため、エミリエ自身がそこにいるかのように見える。 くわえて、その人形のすぐ傍で、エミリエは今、トリック! と宣言した。 それは、トリック・オア・トリート ――お菓子をくれなきゃイタズラするぞ、という宣言ではない。 イタズラする。 そこに、お菓子をくれれば、と言う選択肢はない。 悪戯をする。 ただ単純な仕返しの意思表示だった。 最初の一撃は花火だった。 ばぁんと部屋の中が一気に明るくなる。 「うわ、眩しいっ!?」 思わずナオトが目を伏せる。 除湿機のスイッチが入り、霧の端がどんどん吸い取られていく。 視界が徐々に明るくなる中、ガルバリュートの背中に取り付いて、足で彼の首に絡みついたエミリエはカボチャのマスクに手をかけた。 抵抗する間も与えず、すぽっと抜いてしまう。 カボチャが脱げた下にあった頭部には、ガルバリュートのいつもの兜があった。 ――にたり。 エミリエは邪悪に笑う。 次の瞬間、躊躇なくガルバリュートの兜に彼女の小さな手がかかった。 「ま、待つのである! せ、拙者のシークレットを覗いたら冗談では済まぬ事態になるのであるッ! 咽び泣き、打ち震え、茫然自失となり[検閲により削除]であるぞ!」 やたら過激な言葉を並び立て、ガルバリュートは少女の肩を掴み、ここぞとばかりに恐るべきマッチョな筋肉を使って引き剥がそうとする。 だが、遅い。 二つ目のマスクが無理矢理、引き剥がされる。 勢いと共に剥がされたマスクと共に、勢い余ったエミリエの体が床に落ちた。 今まさに兜を剥がされたガルバリュートは、無意味に筋肉を誇示するポーズをとっている。 顔には、エミリエの引き剥がしたマスクと同じもの。 マスク、オン、ザ、マスク。 「兜の下にマスクを被っていたのであるな」 彼は勝ち誇った笑いをあげ、ぴしっと倒れたエミリエに指を突きつける。 「騎士(おとこ)とは、多くの秘密を隠しているものであるよ!」 ぶわっはっはっはっは! と豪快に笑うガルバリュートにつられ、エミリエもあはははと笑い出した。 とても。 とても楽しそうに。 ――これが、この夜の惨劇の「幕開け」である。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 時刻は回る。 がやがやと世界図書館が活気付いてきた。 多くの住民が活動を開始する時間帯を迎え、あちこちでがやがやと情報交換という名の雑談が始まる。 「最近、保護されたツーリストさんですが、筋骨隆々で、真っ黒な服をまとって、獣耳だそうです。普段からグラサンをかけているそうですよ」 「へぇ? なんだか物凄いわねぇ」 「あら、でも、この資料『世界"凶"書館』って書いてますよ?」 「偽者かしら? ハロウィンだったから誰かがからかわれたのかしらね?」 「それよぉ、ねぇ聞いた? エミリエちゃんが襲われたらしいわよ」 「あらあらまぁまぁ、変質者?」 「なんか変質者呼ばわりされてますねー」 「自分で仕掛けておいて、なんでこの人、涼しい顔で笑ってるんだろう……」 にこにこと世界図書館の噂になっている「エミリエ襲撃犯」の話に、テオはにこにこと笑顔を浮かべる。 ナオトはと言えば、一晩中、つっこみ続けて疲労困憊。 気だるそうにコキコキと肩を回している。 「俺、もう寝るよー。そういえばメリンダさんに報告ってどうやるのかな?」 「うーん、そうですね、お屋敷でロストナンバーがパーティしていますから、トラベルノートで連絡すればいいんじゃないでしょうか?」 テオの提案に、ナオトは「うーん」誰かいたかなぁ、と腕を組んで首をかしげた。 一方、ざわざわと人が集まってくる世界図書館の一角で、ガルバリュートは息も絶え絶えに石造りの床に倒れていた。 「エミリエ殿に……、た、楽しんでいただけ……たかな?」 「コメントは差し控えよう。それにしても、エミリエ嬢も、メリンダ女史も……成程、年齢や程度の差こそあれ、似た者同士か」 倒れ伏したガルバリュートの傍に立ち、漆黒の衣装でヴィルヘルムが応じる。 「集めた浮遊霊はそのままであるか?」 「いいや、すでに還した。エミリエ嬢の部屋も元に戻してある。……しかし霧になっている時に、除湿機で対応できると思われたのは、聊かショックだな」 普通の霧なら、間違っていない対策だ、とヴィルヘルムは微笑む。 霧状に見える、とは言え、吸血鬼の霧は、実際の霧ではない。 エミリエに想像されたであろう除湿機の貯水タンクから出てくる吸血鬼を想像して、彼は苦笑を浮かべた。 「それにしてもメリンダ刀自はかなりの達者であるな。次はもっと慎重に『訪問』したいものであるな! 拙者らが悪戯の的にならぬよう気をつけたいものよ」 「悪戯、か。……メリンダ女史とエミリエ嬢が同じことを言っていたのは、おそらく、二人で話し合ったことがあるに違いない」 「おお、拙者も覚えているのである。――笑ってすむ範囲の、あるいは自分の力でリカバリが効くくらいの内容で、なおかつ相手に絶大なインパクトを与え、いかに怒らせず、もう笑うしかないじゃないかという状況に持ち込むこと」 「そう。その通りではあるのだが……一つ付け加えるとするならば『少しだけ幸せになれること』だ。そのために駅前で買った菓子を置いておいた。メリンダ女史に聞いておいたものだ」 「あの酢昆布であるか?」 「おそらくは、――昔にメリンダ殿と食べたであろう菓子を、な」 そう言って、ヴィルヘルムは己の口に酢昆布を運んだ。
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