―――――― その日、世界司書たちは図書館ホールに集められていた。なんでも館長アリッサからなにかお達しがあるというのである。彼女が新館長に就任してから初めての、正式な館長通達。一体、何が発せられるのかと、緊張する司書もいた。「みんな、こんにちはー。いつもお仕事ご苦労様です」 やがて、壇上にあらわれたアリッサが口を開いた。「私が館長になるにあたっては、いろいろとみなさんにご迷惑をおかけしました。だからってわけじゃないんだけど、世界司書のみんなの『慰安旅行』を計画しました!」 慰安旅行……だと……? ほとんどの司書たちが言葉を失う。「行き先はブルーインブルーです。実はこの時期、ジャンクヘヴン近海で、『海神祭』っていうお祭りをやってるの」「あ、あの……」 おずおずと、リベルが発言の許可を求めた。「はい、リベル。バナナはおやつに含みます」「そうではなくて……われわれが、ロストレイルに乗車して現地に向かうのですか?」「あたりまえじゃない。慰安旅行なんだもの。年越し特別便の時に発行される、ロストメモリー用の特別チケットを全員分用意してあります。あ、念のため言っておくけど、レディ・カリスの許可もとってあるからね!」「……」 そうであるなら是非もない。 時ならぬ休暇に、司書たちは顔を見合わせるばかりだったが、やがて、旅への期待が、その顔に笑みとなって浮かび始めるのを、アリッサは満足そうに眺めていた。「コンダクターやツーリストのみんなのぶんもチケットは発行できます。一緒に行きたい人がいたら誘ってあげてね♪」 さて。 この時期、ジャンクヘヴン近海で祝われているという「海神祭」とは何か。 それは、以下のような伝承に由来するという。 むかしむかし、世界にまだ陸地が多かった頃。 ある日、空から太陽が消え、月が消え、星が消えてしまった。 人々が困っていると、海から神様の使いがやってきて、 神の力が宿った鈴をくれた。 その鈴を鳴らすと、空が晴れ渡って、星が輝き始めた。 ……以来、ジャンクヘヴン近海の海上都市では、この時期に、ちいさな土鈴をつくる習慣がある。そしてそれを街のあちこちに隠し、それを探し出すという遊びで楽しむのだ。夜は星を見ながら、その鈴を鳴らすのが習いである。今年もまた、ジャンクヘヴンの夜空に鈴の音が鳴り響くことだろう。「……大勢の司書たちが降り立てば、ブルーインブルーの情報はいやがうえに集まります。今後、ブルーインブルーに関する予言の精度を高めることが、お嬢様――いえ、館長の狙いですか」「あら、慰安旅行というのだって、あながち名目だけじゃないわよ」 執事ウィリアムの紅茶を味わいながら、アリッサは言った。「かの世界は、前館長が特に執心していた世界です」「そうね。おじさまが解こうとした、ブルーインブルーの謎を解くキッカケになればいいわね。でも本当に、今回はみんなが旅を楽しんでくれたらいいの。それはホントよ」 いかなる思惑があったにせよ。 アリッサの発案による「ブルーインブルーへの世界司書の慰安旅行」は執り行なわれることとなったのだった。―――――― ターミナルには幾つもの不思議な喫茶店がある。その1つ、彩音茶房『エル・エウレカ』ここは世界司書である贖ノ森火城が料理番を務める事のある喫茶店だ。 店内の片隅、外の通りが見える窓の傍には小さな食器と赤い熊のぬいぐるみがちょこんと座っている。ぬいぐるみとその向かい、空席の前には空のカップが置かれ、真っ白なシュガーポット、僅かに湯気を出すティーポット、そして砂時計がさらさらと小さな砂を落とし時を刻んでいる。 ただの店内ディスプレイかと思えるが、そのテーブルの下でぐずぐずと鼻をすする音を立てた黒い塊、床にべったりと座り込む無名の司書がいる事でぬいぐるみが彼女の同僚、ヴァン・A・ルルーであると伝えている。 砂時計の砂が全て落ちるとルルーはティーポットを手に取り、客人のカップにお茶を注ぐ。それが合図だったかのように空席だった席には真っ白いフェレット、アドがするりと着席した。テーブルの横に荷物を置くと、入れ立ての紅茶を一口飲み、ふーと息を漏らす。『あっちこっちで調整入って書類が全然ねぇや』「ブルーインブルーへの世界司書の慰安旅行ですね。アドは行くんですか?」『まだ決めてねぇ』 ぐずず、ずびずび。音が聞こえアドとルルーはちらりとそちらを見るが何も言わず、直ぐに会話を戻す。『そういや、ヴァンの書類ブルーインブルーだったな』 言いながら、アドはごそごそと籠を漁り、1つの書類をテーブルに広げた。「えぇ、丁度いいので行ってみようかと。どうです? 一緒に」『……イカ?』「イカ、ですね」 海神祭の行われるジャンクヘヴン近郊で大型海魔が出現、それを捕獲もしくは討伐せよ、という依頼なのだが、その姿形や攻撃方法等、どうみてもイカだった。 再度ぐしぐし、ずず、と音が聞こえ二人は音の発信源を見るが、やっぱり何も言わないままだ。そんな、微妙な空気漂うテーブルに一組のカップと2種類のケーキが置かれる。「推理合戦でタルトの話題があったのを思い出し、デザートもタルトにしてみた。赤はイチゴのタルト青はブルーベリー、ブラックベリー、カシスのタルトだ」 デザートをまるっとお任せされた火城がケーキについて説明し取り分ける。『そういや、あの推理合戦も結局ギャンブルに落ち着いたよな』「えぇ、アドの推理も大活躍でしたよ。そうそう、次はこ……」『だーかーらー、オレはミステリだ推理だギャンブルだは苦手なんだって言ってるだろうがよ』「そうだ、次のお茶会のデザート、火城さんにお願いしてもいいですか?」「都合があえば。ところで……そろそろ許してあげてはどうだ」 三人分取り分けた火城がそう言い、足下に視線を落すと、目も鼻頭も真っ赤にした無名の司書が天の助けを受けたかのように見上げている。『ぷんすこ』「例え無害であっても、軟膏を飲むなんてどうかしています」「もう何回も謝ってるじゃないですかぁぁぁぁ。ずずず、これでも一応退院したばっかりなのにぃぃぃ」『自業自得じゃねぇか。なんでもかんでも食べるからだ』「お薬は処方箋に従って、用法用量を守ってですね」「うえぇぇぇん、ごめんなさいぃぃ。ずびび。そのもふもふで癒してくださいぃぃぃ、ちょっと触るだけでいいですからぁぁぁ」 先日の一件を無名の司書はずっと謝り倒しているがアドとルルーは一向にもふらせてくれる気配はない。勿論、二人は本気で激怒し、無名の司書を嫌っているわけではないのだが、簡単に無名の司書を許してしまうのも違うよな、という二人なりの思いやりと愛情らしく、火城を始め他の客は成り行きを微笑ましく見守っている。 とはいえ、何時までもソレを引き摺っている訳にもいかないだろう。火城が何か良い話題換えはないものかと思案していると、テーブルの上に書類を見つける。「お、ブルーインブルーの依頼じゃないか。慰安旅行と丁度重なってるな。一緒に行くのか?」「えぇ、イカ退治。どうです? ご一緒に」「イカか……良い食材になりそうだな」『……食えんの?』「ジャンクヘヴン近郊の大型海魔はよく食材として取引されてます。これも立派な食材です」「俺の導きの書に依頼が無かったら、同行させてもらおう。一度、ブルーインブルーの新鮮な魚介類を調理してみたかったんだ」「はいはいはいはい! はいはい! あたしも! あたしも大型海魔討伐出てます! 行きます! 一緒に行くー!!」『そんな書類あったか?』「今見ました! すぐ書類書きます!」 ぱんっと導きの書を叩き、無名の司書が鼻息荒く言う。火城は腕を組み、既にイカレシピの考察に入っている。「アドは? 何か出てます?」『……えび』「えび」『えび』――――――「そんなわけで、烏賊と海老と蟹だ」 赤眼の強面司書、贖ノ森火城は開口一番そんなことを言った。「特大サイズだから、つくり甲斐も食べ応えも充分だろうな」 ヴァン・A・ルルー、アド、無名の司書の『導きの書』に現れた大型海魔退治の依頼は、火城の中ではすでに食材ゲットの旅にすりかえられている。 無論、依頼の失敗など疑いもしていない。「彼らが帰って来るまでジャンクヘヴンで待機して、皆で食事をする場所のセッティングと、帰って来たあとの調理をするつもりなんだが、誰か、一緒にやってくれないか」 さすがにひとりでは大変、というのももちろんあるが、「準備も、大勢でやったほうが楽しいからな」 ほんのかすかに笑みを浮かべて言うように、火城は、顔に似合わず賑やかで楽しい空気が好きなのだ。「海神祭も楽しめるぞ。あちこち探して土鈴を探すのもいいし、景色のいいところの宿を押さえてある、土鈴の音色を聞きながら一夜を過ごすのも悪くないだろう」 ロストナンバーたちが異郷の地での素朴な祭に思いを馳せる中、「ああ、あと、それほど大層なことにはならないと思うんだが」 そこで言葉を切り、『導きの書』をぱらぱらとめくる。「準備中、柄の悪いのに絡まれそうなんだ。ついでにその対処も考えておいてもらえるとありがたい。――まあ、それに関しては俺が何とかしてもいい。ひとまず、大型食材と格闘する楽しみを満喫してくれ。もちろん、逆に、料理は苦手だが荒事なら得意、という護衛役も歓迎だ。そのときは、腕によりをかけて海鮮料理を振舞おう」 新鮮なシーフードをおなかいっぱい食べたら、夜には素朴な土鈴の音色とともに星空を見上げる。「――あんたも、いっしょにどうだ?」 そんなまったりとしたひとときを提案し、火城はチケットを掲げてみせたのだった。!お願い!イベントシナリオ群『海神祭』に、なるべく大勢の方がご参加いただけるよう、同一のキャラクターによる『海神祭』シナリオへの複数参加はご遠慮下さい。
1.腕もお腹も鳴るキッチンにて 「……巨大海魔三体狩りの最大の問題。それは――食いきれるか否かだ……!!」 仁王立ちでカッと目を見開き、ファーヴニールが重々しく告げる。 雷光など背負った雰囲気は重厚だが、言っていることは結局食いしん坊万歳である。 「え、俺はそのくらいたくさん食べたいなあ」 さらっと大食い発言をした後、 「にしても……すごいなあ……!」 蓮見沢 理比古が歓声を上げたのは、山と詰まれた色とりどりの食材を目にしたからだ。 つやつやとした肉類、すぐ傍の朝市で仕入れてきたという魚介類。 鮮度のいい野菜、果物。 薫り高いスパイス。 文化の坩堝を思わせる、多種多様な調味料。 個性的な乳製品。 菓子をつくるための、魅惑的な甘い材料。 噛み締めるごとに味が出る穀類、それらを使ったパンや麺類、料理に使うのがもったいないほど質のいい酒類。――もちろん、飲むための酒も大量に準備されている。 ダイナミックにして絢爛豪華なメイン食材は後ほどシーフードハンターたちが持ち帰ってくれるとしても、これだけで何十人分もの料理がつくれそうな大量の食材が、今日の料理人たちを待ち構えている。 「ほんと、すごいね。ここ、好きに使っていいんだ?」 火城が借り上げたという大規模なキッチンをぐるりと見渡してから、ディーナ・ティモネンは食材の山に手を伸ばして大きなにんにくを掴んだ。 「ん、これ、よさそう。……ねえ火城、手伝ってもらってもいい、かな?」 「ああ、無論だ。何をつくるつもりなんだ?」 「んー、あとでのお楽しみ? ……まずは向こうの準備、したほうがよくない?」 ディーナが指差す先では、白いエプロンを身につけたデュネイオリスと、ロキことMarcello・Kirschがテーブルセッティングに勤しんでいる。 「あ、そうだ、俺も『益荒男』組み立てないと」 移動式組立屋台装置の部品を取り出し、いそいそとキッチンから出て行くと、ファーヴニールはテーブルが設置された広い食堂の片隅で鼻歌交じりに屋台を組み立て始める。 火城を伴って移動したディーナも、皆に混じって周囲の拭き掃除や皿の準備を手伝っている。 理比古はそれを見るともなしに眺めつつ、野菜や肉類の下ごしらえを始めていた。 「デュネイオリスさんてさすが本職だよね……なんかすごい手際のよさでびっくりした」 明らかに手練と判る雰囲気の大柄な竜人が、実は繊細な手仕事を得意とする喫茶店店主だと、いったい誰が想像し得るだろうか。 思わず驚いてしまうほど、テーブルと椅子を絶妙のバランスで配置し、真っ白なクロスで覆い、更に周辺で仕入れてきた花を飾るデュネイオリスの手つきには危なげがなく、また流れるような熟練の度合いをみせている。Marcelloとの連携もばっちりだ。 「しかし、いい場所だな。よくこんな場所を見つけたもんだ」 と、馬来田 史信が、火のついた煙草を携帯灰皿で押しつぶしながら高い天井を見上げる。 「広い調理場に開放的な飲食スペース、窓からは海。絶好のロケーションだな。さぞかしメシも美味いだろうぜ」 史信が言うとおり、一日限りの海鮮パーティ・スペースとなったこの場所は、眼前に地中海を思わせる明るい空と海が広がり、抜群の雰囲気のよさだ。 ここは元々、規模の大きな大衆食堂であったらしい。 店内のみならず、鮮やかな植物で飾られた庭にまで白いテーブルと椅子が立ち並び、休日ともなれば料理や酒、菓子や賑やかなおしゃべりを求めて人々が集まってくる、そんな開放的な場所だったのだそうだ。 主人が体調を崩して休業し、もう何ヶ月にもなるらしいが、いつか必ず再開するのだという執念を滲ませ、店は埃ひとつなく磨き上げられている。 「まったくだ。美味いメシにはイイ風景が欠かせねェ。舌で楽しみ目で悦ぶ、この調和の妙にゃ魔王だって裸足で逃げ出すってなモンだ」 椙 安治は、同意しながらも軽妙な口調とともに包丁を研いでいる。 やる気満々といった風情の安治を見て、理比古がにっこり笑った。 「また安治さんのつくる美味しいごはんが食べられるのか……楽しみだな」 「ハッハァ、そう期待されちゃアこの椙安治、お応えしねェわけにゃァいかねぇだろうよ。待ってな、舌も心も蕩かすような美味ェもんを出して差し上げるからな!」 安治の下準備は万全だ。 調理設備や食器類をさりげなく確認し、海鮮料理に合う、酒を含む飲み物類もしっかり確保。 「メイン食材が届くまでァもうちょいかかるかねェ?」 それから、使用する調味料を見繕って小分けにし、更には他の食材の下拵えに精を出している。 その手際のよさたるやテーブルセッティング時のデュネイオリスもかくやという素晴らしさで、彼の手の中で包丁がくるりと踊ると、次の瞬間にはブロッコリーとズッキーニが一口大に裁断されているという寸法だ。 「それは何にするんだ?」 他者のレシピにも興味津々の史信が、鍋に野菜を放り込んで火にかける一連の動作を見つつ問うと、安治はにやりと笑ってぶつ切りにしたにんにくと乾燥唐辛子、海水だけでつくった質のいい塩、それから白ワインを鍋に追加して蓋をした。 「ははぁ、なるほど、ワイン蒸しか。シンプルだけどうまそうだな」 「っていうかすでにいい匂いしてきたね。お腹減ったなー」 何の下ごしらえなのか、ほぐした舞茸とくし型切りにした玉葱をバター醤油で炒める理比古を尻目に、安治は効率化のため調理補助用魔法陣を描き始めている。背中にはいつの間にか黒い翼が顕れていたが、ロストナンバーでそれを気にするものはいるまい。 「さァて、メインの三品が届くまでァ軽くつまめるようなモンでもこしらえてるとしようかね。何かリクエストがあったら承りますぜ、お客さん」 「甘いもの」 「酒の肴によさそうなもん」 理比古と史信から同時にまったく違った方向性のリクエストが飛ぶ。 しかし、全方位型万能悪魔料理人である安治に隙はなく、一瞬で脳裏にレシピを思い描いた彼がテンション高く承りましたァと叫んだとき、にわかに外が騒がしくなった。 「……?」 窓から外を見やって、史信が何とも言えない笑みを浮かべる。 理比古も、ありゃー、という顔をした。 「アレが『導きの書』が言ってた『柄の悪いの』か。……ま、どこにでもいるよな、ああいうの」 「そだね。っていうか、あの子らってまだ十代後半くらいだよね? まさに『そういう時期』なんだろうなー」 「あの子ら、って……あんたもそんなもんじゃねぇのか」 「ん? 俺覚醒したの三十超えてからだよ?」 「え」 上背こそあるものの、少年のような顔をして実は自分より年上、という事実に史信が一瞬動きを止めるうちにも、外の騒ぎは大きくなっていく。 外の五人が、やれやれ、という顔をするのが見えた。 2.トラブルは幼い顔をして 派手なシャツ、逆立てた髪、これ見よがしにつけられたごつい銀のアクセサリ、こちらを挑発するような表情。火城の予言の通り、ロストナンバーたちの前に現れたのは、十代後半から二十代前半といった印象の、若い男たちだった。 人数にして十三人。 着ているものの質は悪くないし、肌艶のよさや手に荒れも見られない辺りから察するに、中流階級以上の家庭で苦労もなく育ち、間違った方向に自我を肥大させたお坊ちゃんたち、といったところだろう。 「よう、兄ちゃんたち、ナニしてんの? 楽しそうだよなァ、オレらも仲間に入れてくれよ?」 ニヤニヤという軽薄な笑みを浮かべ、少年のひとりが手近な場所にあった椅子を蹴飛ばす。ガンッ、という音がして椅子がひっくり返り、何がおかしいのか若者たちがゲラゲラ笑う。 恐らく、大抵の善良な一般市民は、この人数に囲まれてあれをやられれば、呆気なく萎縮して従順になるだろう。 が。 「――ふう。さすがにこの大テーブルはひとりでは無理だな」 「無茶をする……ロキ、手伝おう」 「ああ、ありがとう。でも、かなり整ってきたな。いいロケーションだ……昔、出かけた海辺の町を思い出す」 「ふむ、確かに、ここで摂る食事は素直に血となり肉となってくれそうだ」 「デュネイオリスさん、あんたが飾ったこの花は何ていうんだ? 色とりどりで可愛らしいもんだな」 「これか? これはスイートピーだ。花言葉は『小さな喜び』……今の我々に相応しいとは思わないか」 「ははあ、そりゃあ洒落てるな」 ちらと目をやった後は威嚇にまったく反応せず、相変わらずの手際のよさでテーブルセッティングに勤しむMarcelloとデュネイオリス、 「ねえ火城、食器ってどのくらい用意しておくべきだと思う? 私たちの分と、漁……っていうか海魔討伐に出てる人たちの分と、飛び入りのお客さんたちと……?」 「付け合せ用の食材だけでも何十人分とあるからな。更に、運び込まれる海産物は特大と来ているから、多めに準備しておくに越したことはないんじゃないか?」 「そうだね。あと、きっとお酒が飲みたい人もいるだろうし、グラスをたくさん、と……」 「ディーナは、酒はやめておけよ。飲酒免許取得まではお預けだ」 「えー」 てきぱきと、大小様々な皿を出しては綺麗に磨いていくディーナと火城、 「あ、しまった、ここんとこの組み立てはひとりじゃめんどいんだ……ねえねえそこのおにーさんたち、手伝っていかない?」 むしろ若者たちを労働力としてターゲットロックオンしているファーヴニールなど、彼らを脅威として捉えているものなどひとりもいない有様である。 世界を異にする、戦い慣れした人々にとっては当然のことでもあるのだが、注目され怯えた目を向けられるものと思っていた、間違った優越感に浸りたかった若い衆には面白いはずもない。 「てめぇら、舐めてんのかっ!」 お約束のように怒鳴った青年が、手近な場所にあった机の足を蹴り付ける。 それを見て、ディーナの眉根が寄った。 「……私、お腹空いてるんだけどな……」 せっかく、平和に楽しく美味しいものをつくろうとしているというのに、無粋な横槍など入れられて、この苛立ちをどうしてくれよう。――もちろん、そんなもの、決まっている。 この程度の力量なら殲滅は容易いかな、と冷ややかに笑ったディーナが静かに実力行使に出ようとしたところで、 「わー、ちょっと待った! まあそうカリカリせずに!」 キッチンから理比古が飛び出してきてディーナの前に立ちはだかる。 「理比古……だって、あいつらが邪魔するんだよ?」 ディーナが小首を傾げてみせると、理比古は困ったように笑った。 「いやまあそうなんだけどね。若い子がああいう問題行動を取るのって、基本的に出発点は『関わりを求める』ことからだからさ。『悪いことをしたら関わってもらえた』っていう誤学習を積み重ねないためには、過剰な反応をしないことも大切なんだよ」 「?? なんか、難しい」 「んー、要するに、『自分はこうしたい、してほしい』って気持ちを適切に表現出来ないから、簡単に注目してもらえる方法を取ろうとしちゃうんだ。結局、コミュニケーション能力の拙さが暴力的なかたちで発露してるってこと」 流れるような理比古の説明に、ディーナは首をかしげたままだったが、史信は感心していた。 なりゆきで外へ出たら、自分とは分野の違う専門家と行き逢ったかたちだ。 「……詳しいな。俺は、人間相手はさっぱりだが」 「馬来田さんは……監察医だっけ? 命と語らうって意味ではある意味お仲間だよね。……ん、分野的に言うとちょっと違うんだけど、俺、作業療法士の資格持ってるから。なんか、ほっとけなくて」 「ああ、OTな。『作業』を通じ、不適切な行動を和らげて快い社会生活が送れるようにする、って奴か」 「そうそう。だから、個人的には、完膚なきまでにやっつける、みたいのは反対。今の、この瞬間はそれで解決しても、後々の彼らとこの地域のことを考えたら決して最善じゃないと思うから」 理比古の発言は、若者たちの今後まで考えてのものだったが、それが当人に届くかというとそんなこともなく、侮られたと感じたのか少年のひとりが理比古に向かって拳を振り上げた。 「意味の判んねぇことベラベラ喋ってんじゃ……」 ねぇよ、という言葉が続かなかったのは、その拳がデュネイオリスのたくましい腕によって受け止められていたからだ。 身の丈190cmにも及ぼうかという、筋骨たくましい竜人が、理比古を殴りつけようとした少年を見下ろし、重々しく問う。当の理比古は怯えている様子もなく、ふわりと笑ってありがとうと言っただけだったが。 「……お前たちのためを思って発言した理比古の手前、あまり手荒な真似はしたくないのだが」 「な、なんだと、この、てめぇ……」 少年はどうにか凄んでみせようとしたが、言葉尻が震えてしまってむしろ滑稽さを誘う。粋がっているだけのチンピラと、数多の戦いを潜り抜けた武人とでは格が違うのだ。 デュネイオリスの迫力、無言の威圧に気おされ、若者たちが思わず黙った時だった。 「なンだなンだ辛気臭ェ。要するにアレだろ、時間と力が有り余ってるってことだろうがよ? ハッハァ、そんなに暇なら働いて食ッてけゴルァ!」 高笑いしながら現れたハイテンション悪魔が、若者数人の首根っこを引っつかみ、捕食者ばりの早業でキッチンへと引きずり込んで行き、そこで膠着していた空気が変わる。 ちらと見やれば、若者たちは有無を言わさず食材の仕込みなど手伝わされているようだ。安治のことだから、多少の反抗は軽くいなしてしまうだろうし、食材を無駄にする所業などは一切許すまい。 「ああ、それはいい。労働の貴さと楽しさ、労働の後の食事の美味さを教えてやろう」 ぽむと手を打ったデュネイオリスがMarcelloと目配せを交し合い、展開についていけず固まったままの少年たちに白いテーブルと椅子を指し示す。 「これを運んで、テーブルを拭いてからクロスと花を。あとは配膳と皿洗いでも手伝ってもらうかな」 「はぁ? てめ、ふざけ、」 「……何か問題が?」 「……」 「……」 「ん? どうした?」 「い、いや……べ、別に……」 迫力負けで、若者らの手伝い決定。 渋々といった風情でセッティングに加わる若者を、いやー若いっていいよねーなどと笑って眺めつつ、ファーヴニールもそのうちのふたりばかりを借り受けて、組み立て式屋台『益荒男』の設置に勤しんだ。 「……おい、コレ何に使うんだよ? 意味が判んねぇ」 「んー? すぐに判るって。その時は君らにも食べさせてあげるから心配しなくていいよ」 獰悪な戦いの場に身を置き続けて来たファーヴニールにとっても、エネルギーの発散方法が判らずくすぶっているチンピラたちなどはある意味可愛らしい存在だ。何せ、それは結局のところ、彼らが平和な場所で生きているという証明に他ならないのだから。 「せっかくだから料理もしてみる? やってみると楽しいんだ、これが」 「はぁ? ナニ言ってんだ、誰がそんな面倒なこと」 「あ、もしかして自信ない? まあねー、やっぱ難しいからねー、ごめんごめん。ま、無理にとは言わないから」 「バッ、んなわけねーだろ! 判ったよ、てめぇがびっくりして目ン玉飛び出るくらい美味いのつくってやっからな!」 「ははは、うん、期待してる」 駆け引きの巧みさは戦場でのやり取りで培われたもの……という注釈が不要なほど、呆気なく単純に乗せられて、少年たちが鼻息荒く腕まくりをする。 ファーヴニールはそれをどことなく微笑ましく見つめた後、 「あっ、食材確保班が帰ってきたみたい? おーい、どんなもんよー?」 大荷物を抱えてやってくる、見慣れた面々に向かって大きく手を振った。 良好な返答がかえり、ファーヴニールの笑みは更に深くなる。 3.ヒートアップ・クッキング 「見事な、っていうのを超越してるな、このサイズ……」 ロストナンバーとなって間もない青年、ロキことMarcelloは驚嘆していた。 シーフードハンターたちの手でもたらされた、巨大と表現するしかない、海老、蟹、烏賊。小山のごときメイン食材にはただただ圧倒されるばかりだが、同時に武者震いのような興奮が湧きあがって来るのも事実だ。 「初陣としては、最高かもな」 彼は自他ともに認めるゲーマーだが、同じくらい料理も大好きなのだ。 「さて……」 他面子が料理を開始しているのを横目で確認しつつ、Marcelloは目を閉じて沈思黙考に入る。 冒険の初陣として成功を収めたい、そう思うから、満足のゆくものをつくりたいのだ。 「場所に合った料理がいい」 明るい海の傍ら。 眩しいくらい透き通った空。 瑞々しく輝く緑。 感じるのは、強い生命の躍動。 「海、か……小さい頃を思い出すな」 良家の子息として窮屈な幼少時代を過ごしたMarcelloだが、真夏の祝日にはよく海辺の町に出かけたものだった。自ら捨てた祖国ではあれ、あの町は好きだった。 そこまで考えて、パッと目を開ける。 「そうだ……パエリア!」 アラブを起源に持つ、スペインはアンダルシア地方の郷土料理。 本来はウサギ、鶏、カタツムリ、インゲン豆、パプリカなどを使うらしいが、Marcelloの愛する日本では海の幸でつくることが多いらしい。 「西で生まれ、東の文化が加わって新たなかたちになる……」 西洋の生まれながら、日本人の血を引く自分のようだ、と思ったら、唇に笑みが浮かんだ。 「よし、これでいこう」 さっそく、調理器具の山をごそごそと探り、パエジェーラと呼ばれる専用のパエリア鍋、両側に取っ手のある、平底の、丸くて浅い、大きなフライパンを見つけ出す。 「まずは、鍋にオリーブオイルとにんにくを……」 良質なオリーブ油を熱し、つやつやのにんにくをぶつ切りにして加え、香り付けをする。ふわり、と食欲をそそる独特の香気が立ち上り、ぶつぶつ文句を言いつつもすっかり馴染んでいるチンピラを含む何人かが、Marcelloの鍋を覗き込みに来た。 海老と烏賊を一口大にカットしたものをさっと炒めて塩コショウしたものを、玉葱とパプリカを炒めたものと同じく別皿に取り分けておく。干し貝柱を水で戻したダシにチキンスープを加え、そこへ更にサフランをひとつまみ。 アサリとタラを白ワインで煮込み、ダシが出たら具は取り出す。 油を追加して、洗ってよく水切りをした米を入れ、半透明になるまで炒めたら、湯剥きしたトマト、玉葱、ダシを加えて中火で煮込む。 「……よし、水分が少なくなってきた」 少し薄めに味を調えてから、海老、烏賊、アサリにタラ、パプリカにアスパラガスを米の煮え立つパエジェーラに盛り付け、ふたをして中火で十分ほど蒸らす。 「ん、いい出来だ」 ふたを開けると、魚介の旨味が凝縮されたような、濃厚な潮の匂いが周囲に漂い、作業に没頭していた人々が生唾を飲み込む。一足先にシーフードハントに精を出してきたロストナンバーたちなど、今すぐ食べたいといった風情である。 「火にかけるのは鍋だけ、片付けも楽。味わい深いが手軽な料理だ」 あとは、米がパラリとすれば完成だ。 「いい匂いだな……その手際、君も相当な料理好きと見たが?」 パスタやピッツァ、ピラフなどを手際よくつくり終え、デュネイオリスが声をかける。Marcelloは笑って頷いた。 「ああ、美味いものにはいい思い出ばかりがあるからだろう。自然と、自分でもつくってみたいと思うようになった。――ん、それは、デザートか。へえ、ティラミスにスフォリアテッレ、カンノーロまで。俺は甘党なんだ、楽しみだな」 デュネイオリスの武骨な、大きな手が、小麦粉や玉子、ドライフルーツや乳製品を巧みに扱って食後の菓子をつくりあげていくのを、Marcelloは目を輝かせて見つめた。 「おや、よく知っているな」 「地域こそ違えど、故郷の菓子だからな。特に、海洋系都市発祥のものには馴染みも興味もある」 Marcelloが言うとおり、デュネイオリスがつくっているのはイタリアの伝統菓子である。今回、パスタやピッツァなどイタリアンでまとめた料理をこしらえたからか、デュネイオリスはデザートもそちらで統一することにしたらしかった。 おなじみのティラミスは、実は菓子の歴史から言えば新しいものだ。エスプレッソやアマレットを混ぜたシロップをフィンガービスケットに染み込ませ、その上にマスカルポーネ・チーズを基本としたクリームを流し込んで固めた生菓子である。 対して、スフォリアテッレは貝殻型の焼き菓子だ。薄い生地が何層にも重なり、それがぱりぱりとした楽しい食感を生み出す。一方、カンノーロは薄く伸ばして揚げたパスタ生地を巻き、中にリコッタ・チーズなどを使ったクリームを詰めたシチリア発祥の菓子である。 どの菓子もエスプレッソとの相性が抜群で、喫茶店を営むデュネイオリスの選択としては当然とでもいうべき品揃えだった。 「トルタ・カプレーゼやストゥルッフォーリなんかもいいかもな」 「ふむ、なら、それもつくるとしようか。どうせ、数は幾らあっても足りないくらいだろうからな」 料理を仕上げたふたりがデザートの算段をする傍らでは、史信がベテラン主婦並の正確な目分量で気に入りの料理を仕上げていく。 「……なんだっけ、男の料理? っていうのとはちょっと違うみたい?」 火城に手伝ってもらいつつディーナが言うのへ肩をすくめる。 「理系だからな」 「リケイ? どういう……?」 「きっちりしてなきゃ気が済まねぇっつーか、まあそういう性分ってことだ。っつっても、目分量って時点で立ち位置が揺らぐけどな」 飄々と笑い、熱したフライパンにバターとおろしにんにくを放り込む。 じゅわ、という音がしてバターが溶け、熱されたにんにくと合わさって、食欲をそそるえもいわれぬ芳香が立ち上った。 「……いい匂いだな。何をつくるんだ?」 「シンプルに、烏賊のにんにくバター炒めでも。そういうあんたは?」 バターがブツブツ言いはじめたところで1cm幅に切った烏賊を投入、硬くなりすぎないよう火の通し方を加減しつつ炒め、仕上げに塩コショウで出来上がり。 問われた火城は、ふくらし粉と粉末にしたパルミジャーノ・レッジャーノを混ぜた揚げ生地に一口大に切った烏賊をくぐらせて揚げ、さくさくのフリッターをつくっている。 「お、それも酒のつまみに合いそうだな」 「史信もお酒好きなんだ? お酒っていいよね」 「……ディーナは駄目だぞ」 「えー、うー、はぁーい」 火城に釘を刺されて情けない顔をするディーナを横目に見つつ、史信が次に取り掛かったのは蟹クリームコロッケである。 クリームコロッケといえば、ベシャメルソース、いわゆるホワイトソースに衣をつけて揚げる洋風の料理だが、史信のそれには鰹ダシが使われており、ほろりと甘くやわらかく、どこか懐かしい、郷愁をそそる味わいに仕上がっている。 馬来田家に代々(?)伝わる自慢の逸品である。 「クリームコロッケを爆発しないようにつくるには、少し小振りに成形するのと、ホワイトソースをしっかり冷蔵庫で冷やして固めてから手早くやるのが一番だ。つっても、中が冷たいまんまだと爆発しやすいから、揚げ時間短縮のためにも常温に戻してから揚げなきゃ駄目だけどな」 慣れた手つきで、ひとつも爆発させずにコロッケを揚げ、丁寧に油を切って皿に盛ってから、 「最後は、と」 海老のシェリー酒風味アヒージョをつくり始める。 アヒージョ、とはにんにく風味といった意味合いの、スペインの定番料理だ。 すなわち、良質のオリーブオイルににんにくを加え、じっくりと加熱して香りとうまみを出し、そこに魚介やマッシュルームなどを入れてつくるもので、スペインのバル(飲み屋でも軽食屋でもある、スペインの人々にとって非常に身近な飲食店)ではおなじみのメニューである。 直火にかけられる小さな土鍋にオリーブオイルを注ぎ、鷹の爪とスライスしたにんにくを入れて火にかけると、じんわりと加熱していく。ぶつ切りにした海老に塩コショウをし、軽く揉んだあとドライシェリーを振りかけて置いておいたものを、にんにくが色づき始めた辺りで鍋に投入、かき混ぜながら海老に火を通せば出来上がり。 一口含めば、ドライシェリーの華やかな香りが鼻腔を抜けて行き、海老の甘みとにんにくの香ばしいうまみ、鷹の爪のピリッとした風味が舌を楽しませてくれることだろう。 「……酒の肴が多いな」 「というか、そればっかりだ、基本。飲みながら食べたいと思って、自分でつくるようになったからな」 「ああ、なるほど」 頷く火城は、ディーナに求められて海老や蟹の素揚げを手伝っている。 「で、これをどうするんだ?」 「ん、あのね。この前、蝦蛄のにんにく揚げっていうの食べさせてもらって。それがとっても美味しかったから、海老や蟹でもやれるかなって思って。えーとね、素揚げしてから、にんにくチップとソースで味付けするんだって」 ボウルににんにくチップと唐辛子の微塵切り、塩、オイスターソースを注ぎいれてかき混ぜ、指先でつついて味見をする。 「……ん、確かこんな味、だった」 「こっちも出来たぞ」 大皿にレタスやベビーリーフを敷き詰め、ほんのりと赤く色づいた海老と蟹の素揚げを並べると、その上から特製のにんにくソースをかけまわせば、出来上がり。 これまた、食欲をそそる香りが鼻腔をくすぐる。 「熱いうちが美味しいよ。もう、皆、出来たみたいだし、ちょうどいいタイミング?」 食堂には、もう、たくさんの料理が運びこまれ、美味しそうな湯気と匂いを立ち上らせていて、席に着いた人々は、全員そろっての乾杯を今か今かと待ちわびている様子だった。 「お腹空いた……早く行こう?」 大きな盆に魚介尽くしとでもいうべき数々の料理を載せ、ディーナは足早に歩き出す。 アルコール禁止令を食らっている身ではあるが、それでも、皆でする乾杯は、とてつもなく美味しいものになるだろう、という確信があった。 4.みんなで食べるともっとおいしい 広い大衆食堂は、美味しい笑顔と楽しいおしゃべりでいっぱいだった。 シーフードハンターたちを労う盛大な乾杯の後、辺りは食器と銀器の触れ合う音でしばし騒然とする。 特に、ファーヴニールが『益荒男』を駆使してリアルタイム調理を行う周辺はどこにも増して賑やかで、更に彼の自家発電による加熱のせいもあって暑いほどだ。 ――そう、ファーヴニールの定番、屋台焼き物コーナーである。 「ふふふっ、何があれって、俺は完全自力の調理工程だからねぇ」 若い衆をこき使って組み立て、仕込みから配膳まで手伝わせているので――案外筋がよかったのには驚いた――回転も速く、次々に料理が出来上がる。 「おい、ニル、この料理はなんてぇんだ」 小麦粉を昆布ダシでとき、一口サイズの海老と烏賊を投入、キャベツやもやし、ニラなどを加えて鉄板に流しいれながら少年が問う。 「あ、それ、お好み焼きっていうんだよ。甘辛いソースとか、マヨネーズとか、鰹節とかかけて食べると美味いから試してみな。ちょっと働かせすぎたし、疲れたろ」 焼きあがった海鮮お好み焼きにソースを塗り、蒸して解した蟹身を乗せてから皿にとり、差し出す。 「……まあ、別に食ってやってもいいけど」 少年はぶっきらぼうに、しかし嬉しそうに皿を受け取り、屋台の傍らにしゃがんでお好み焼きにかぶりついた。 「ん、美味い」 「だろ?」 ファーヴニールはくすっと笑い、 「さーて、まだまだいくよー。米と同じだけの蟹身をぶち込んだ鉄板蟹チャーハン! 烏賊と海老のすり身と蟹の出汁で仕上げるすり身汁、豚肉と野菜に合わせて海鮮餃子! ……どうだ!」 鉄板を駆使して、屋台料理の真髄とでも言うべき料理を次々と仕上げていく。 海鮮餃子は、実にイイ顔をして大ジョッキを空にしていた無名の司書が電光石火の勢いで食いつき、あっという間に平らげたし、蟹チャーハンは行列が出来るほどの人気ぶりだった。 「そしてぇ! 俺の電撃調理最大出力で贈る最大料理! 海老烏賊蟹の直火焼きだぁー!」 どぅわぁえぇ~ん、とか、どじゃあぁ~んとかいう、銅鑼のような音響効果とともにででんと出てきた料理、それは、 「ニルおまえそれ単に足一本丸焼きにしただけじゃねぇか」 「うわ君ツッコミまでこなすの!? 将来有望だなあ……!」 少年の指摘の通りの代物だった。 といっても、そんな野趣満点な焼き物も好まれて、あっという間に皆の胃袋へとすっ飛んで行ってしまったが。 「ふー、美味しいって食べてもらえるのってホント楽しいよな」 「……まあ、頷いてやってもいい。うん」 「君は嬉しくなるくらいツンデレさんだなあ。――あ、でも俺食べる側もしたい。超食べるよ!! ってことで安治さん、この海鮮お好み焼きとその海老のアーモンドフライ交換してー!」 つくるばかりじゃ損だ、とばかりに、もうひとり、延々と料理をつくり続けている悪魔料理人に物々交換を申し出るのだった。 その安治はというと、 「如何にも我が身は悪魔料理人、美味による誘惑者でございます。――何、悪魔は幸福をもたらすものではなく、ゆえに身をゆだねるのは恐ろしい? そんな出鱈目をどこのどいつが申しました、我々はあンた方の幸せを心から願っておりますとも! さァさァ存分に飲みなさい食しなさい、何を恐れることがありましょう!」 料理をしながら上等なシェリー酒を二本ばかり開けていて、更に陽気になった彼の腕は冴え渡るばかりだ。 先刻仕込んだ魔法陣の魔術で海老蟹烏賊を丸洗いし、烏賊を縦切りの刺身に、蟹脚は冷水で身を『咲か』せて見た目にも美しく。海老は軽く湯通ししてから氷水で〆、刻んだアサツキと薫り高いごま油、醤油で和えて酒の肴に。 「さァさァ、好きなように飲んで食ってくれるがいいや、足りねェものはすぐさまつくるから言いやがれってんだ」 皆が食事に没頭する中、安治は料理に没頭していた。 時々、ビンに直接口をつけて酒をあおりつつ、どこまでも明るく、ただ己が心の赴くまま――悪魔の本能のままに、次々と美味なる海鮮料理を仕上げ、一夜限りの客人たちに振舞っている。 蒸し蟹のミソ和え。 氷水で〆た生海老のぶつ切りを、もみじおろしとポン酢でさっぱりと。 ゲソとえんぺらを、生姜と酒で臭みを消したワタで煮込んだ酒のつまみに。 ――彼は、美味による誘惑者、美食と悪食と飽食の守護者。 『手がけた料理で籠絡する』自己の欲求のみに忠実な、悪魔の論理と料理人としての誇りを矛盾せず持つ男。 食事をすることよりも、食事を提供することで得られるエネルギーを彼は糧とするのだ。 「あー、この海老のごま油和え、やばいな。酒がどんどん進んじまうわ。白ワインもいいが、シェリーも役者が悪くない」 美味い酒と肴にありつけてご満悦の史信の傍らでは、理比古が旺盛な食欲で次々と皿を空にしてゆく。 「安治さん、このイカスミソース美味しい。どうやってつくったの?」 「おッ、こりゃあお目が高い。そいつぁ巨大烏賊解体時に出た墨袋や肝を白ワインで伸ばしてな、刻んだマッシュルームと烏賊身をミンチにしたモンと一緒に延々と煮込んだのさ。烏賊墨ってやつァ、ものすげえ旨味のある部位だからな、こいつを利用しないなんてのは、もぐりってもんだ」 「ああうん、旨味ってのはよく判るかも。パスタによく合うよね」 「烏賊の刺身と一緒に食っても美味ェぞ」 シンプルに蒸して甘みを増した蟹をテーブルに置いてから、理比古がつくった烏賊の特大松かさ焼きを摘んで口に放り込む。 「へェ、こりゃあいい、ウニに酒と味醂と醤油を混ぜて?」 「うん、烏賊には格子状に切れ目を入れてね、ウニのたれをこってり塗って炭火で焼いたんだ。ウニの濃厚さと、烏賊の甘みがよく合ってて美味しいでしょ」 「確かに。……しかしまァ、世の中にゃアまだまだ侮れねェ料理人が山といるもんだ。オレもうかうかしちゃァいられねェなァ」 「そうかな? うん、でも、美味しいものって、食べるのも楽しいけどつくるのも楽しいからね」 理比古は穏やかに、幸せそうにおっとりと微笑む。 そんな理比古を見て、彼が年の離れた義兄たちから意図的に食事を抜かれる虐待を受けていたことや、それゆえに理比古にとっては食に関する全般が喜び楽しみ幸せの対象なのだという真実を嗅ぎ分けられるものは恐らくいるまい。 彼の優しさ、穏やかさが、苦しみを乗り越えてきたからこそのものだと気づけるものはいるかもしれないが。 「で……ありゃアなんだ? アンタがつくってたやつだよな? 焼いたのァオレだが」 会場の中央では、蟹の巨大甲羅を使った特大和風グラタンがグツグツと音を立てている。参加者は、備え付けられた大きなスプーンを使って、めいめいに、好きなだけ皿に盛りつけるようになっているのだ。 「えーとね、玉葱と舞茸をバター醤油で炒めて、さっき安治さんに蒸してもらった蟹身を解した奴を混ぜて、軽く塩コショウをして甲羅に詰めてあるんだ」 「上にかかってンのは?」 「あく抜きして摩り下ろした長いもと、何種類かのチーズを混ぜたもの。和風グラタンだからね」 「なるほどなァ」 やっぱり気が抜けねェ、と思わず唸る安治である。 ディーナはその和風グラタンをふうふう言いながら食べ、それからMarcelloがこしらえたパエリアに手をつけた。 「ロキ、このパエリアすごく美味しいよ。濃い味が、ぎゅーってつまってて、噛むごとに味が出てくるんだね」 「……そうか、冥利に尽きる。ディーナのにんにく揚げも美味かったぞ」 「わ、ホント? 嬉しいな」 Marcelloはというと、パエジェーラの傍らに陣取って、史信謹製の蟹クリームコロッケをつまみつつ、皿を持ってやってくる人々にパエリアをよそってやっていた。 それが一段落すると、Marcelloは、大皿にパエリアを山盛りにし、会場の隅でぐったりしている若者たちのもとへと歩み寄った。 ――そう、問答無用で手伝いに巻き込まれた、地元の若い衆である。 こんな風に長時間働いたことがないのか、疲労困憊といった趣で沈没している彼らの前に、Marcelloはそっとパエリアの入った皿を置いた。 「……おまえ」 きょとんとした表情で見上げてくる幾つもの顔は、自分と大して年齢の変わらない、どこか幼いものだった。 「今日は手伝ってくれてありがとう、おかげで美味いものがたくさん出来た。よければ食べてくれ、『美味いものが好きな奴に、悪人はいない』……亡き祖父の教えだ。俺も、美味いものを共有することで、いい時間を過ごせれば嬉しい」 文句を言いつつも投げ出さず、最後まで手伝ってくれた彼らは、Marcelloの中ではもうすでに仲間だ。 それゆえ、まっすぐに彼らを見つめ、素直な心情を吐露すると、 「……べ、別に。あのでかいおっさんがおっかなかったから手伝っただけで、おまえのためとかじゃねぇよ、勘違いすんな」 今も、自分が食べることよりもまず給仕を優先し、あちこち動き回っている竜人の男を指差して、少年たちは照れ隠しのように目をそらした。 「でも、俺は楽しかったし、嬉しかったから」 照れもてらいもない、まっすぐなMarcelloの言葉が追い討ちをかけると、彼らはガリガリと頭を掻き毟り、 「あーもう、調子狂うな、おまえ!」 大皿をひったくって、物凄い勢いでパエリアを食べ始めた。 「あーくそ、美味いじゃねぇかよ、ちくしょう」 毒づきながらも食べ進める彼らを、どうやら全部聞こえていたらしいデュネイオリスが微笑ましげに見つめている。 Marcelloもくすりと笑うと、スプーンを手に自分もパエリア攻略に加わった。 同じ皿から同じ料理を食べる、それだけでずいぶん、心は近くなるものだと、実感と喜びとともに思う。 「……初陣にしては、上出来だ」 Marcelloは、海神祭そのものに負けず劣らずの賑わいを、充足とともに見つめて微笑んだ。 理比古はデュネイオリスが丹精こめたデザートに舌鼓を打ち、ディーナは舌を火傷しそうになりながら史信特製蟹クリームコロッケを頬張り、ファーヴニールは安治の仕事の確かさを褒め称えながら蟹刺しを楽しみ、安治はMarcello謹製パエリアに唸り、史信は理比古がつくった特大和風グラタンを米の蒸留酒とともに楽しんでいる。 デュネイオリスがそれらを楽しげに見やりながらエスプレッソを仕立て、茶や酒の給仕に精を出す傍らで、アドと灯緒が無心に蟹や海老を攻略し、無名の司書はというと三杯目の大ジョッキを気持ちよく空けるところだった。 「ところで、イカといえばイカフライだと思うんだけど、あるかな?」 烏賊ハントに加わっていたオッドアイの獣人青年のリクエストに、皿洗いを始めようとしていた火城が頷き、調理場へ入っていく。 ――そのずっと後ろのほうには、赤い熊のぬいぐるみ、否、着ぐるみが、ぽたぽたと水を滴らせながら干されていたが、『中身』はどこへと云々するツッコミ気質のものは今はおらず、また、美味しいお祭に夢中の人々がそれに気づいたかどうかも謎だ。 5.鈴音が水面を揺らし ほろほろと、素朴な土鈴が音を立てている。 浴衣に着替えたディーナが、どこぞの店でもらってきたものだ。 「そういえば……神楽、は? 火城ひとりって、珍しい、かも?」 「いや、知らん。別に俺はアレの親でも兄弟でもないからな。どちらかというと被害者だ」 真面目腐った顔で答え、ディーナの前に熱いほうじ茶と涼しげな葛饅頭を置く。 「ありがとう。――あ、そうだ、この土鈴、たくさんもらったから……火城にも。可愛い、綺麗な音がするよ」 「そうか……なら、ありがたく」 武骨な手が、ディーナの白い手から土鈴を受け取る。 ディーナは小さく笑って、湯飲み茶碗を手に取った。 「どうした?」 「ん……皆でゴハン、喜んでもらえるの……楽しかった。火城や神楽の気持ち、ちょっぴり判った、かも?」 「……そうか」 ほんのわずか、口角を持ち上げて、火城がディーナの頭をくしゃりとかき回す。くすぐったげに笑うと、ディーナは、星空に土鈴を掲げて揺らしながら、そのやわらかい音色を楽しんだ。 「綺麗な、音色……でも、少し、寂しくなる、かも……?」 ほう、と息を吐き、ディーナは鈴を、夜空を見上げる。 昼間の喧騒がうそのような食堂は、あちこちから、見知らぬ誰かの鳴らす鈴の音が聞こえてくるほどの静けさだ。 人々は、今頃、賑やかで美味な思い出をいとおしみながら、土鈴のやわらかな音色に耳を澄ましていることだろう。 「何か、あっという間だったね」 「だな。まあ、楽しかったが」 理比古と史信は、庭の一角に陣取って、鈴の音色と星空を楽しんでいた。 理比古はデュネイオリスが淹れてくれたカフェオレに残り物のカンノーロを、史信は持ち込んだ日本酒を安治特製アタリメとともに。 「……ま、いい一日だったな」 「そうだね」 星空を見上げ、目を細める理比古。 その向こう側に、彼が『誰』を見て、『誰』を思っているのかは、彼自身にしか判らない。 「ああいう、楽しい賑やかさは好きだな。気持ちが弾むし、酒も進む」 史信は、唇を満足げな笑みのかたちにして、ゆったりと杯を乾す。 端麗にして芳醇な香りが口腔を抜け、穏やかな熱とともに咽喉を滑り落ちていく感覚を楽しむ。 と、 「あ、流れ星」 ディーナが小さく声を上げ、空を指差した。 見上げれば、彼女の言うとおり、光る筋が空を横切っていく。 「お願い、しなきゃ」 「何を頼むんだ?」 「ん、また皆で、来られますように……って」 微笑むディーナは、無邪気な少女のようだ。 「……ヒトとヒトのつながりというのは、いいものだな」 デュネイオリスは、それらを見るともなしに見ながら後片付けに精を出していた。 綺麗に洗った皿を、真っ白な布で一枚一枚丁寧に磨いていく。 「また皆で、か……悪くない」 かすかに笑い、次はどんなものをつくろうか、などとレシピを脳裏に思い描くと、気のいい喫茶店マスターは、山のような皿を手際よく片付けていくのだった。
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