その日、世界司書たちは図書館ホールに集められていた。なんでも館長アリッサからなにかお達しがあるというのである。彼女が新館長に就任してから初めての、正式な館長通達。一体、何が発せられるのかと、緊張する司書もいた。「みんな、こんにちはー。いつもお仕事ご苦労様です」 やがて、壇上にあらわれたアリッサが口を開いた。「私が館長になるにあたっては、いろいろとみなさんにご迷惑をおかけしました。だからってわけじゃないんだけど、世界司書のみんなの『慰安旅行』を計画しました!」 慰安旅行……だと……? ほとんどの司書たちが言葉を失う。「行き先はブルーインブルーです。実はこの時期、ジャンクヘヴン近海で、『海神祭』っていうお祭りをやってるの」「あ、あの……」 おずおずと、リベルが発言の許可を求めた。「はい、リベル。バナナはおやつに含みます」「そうではなくて……われわれが、ロストレイルに乗車して現地に向かうのですか?」「あたりまえじゃない。慰安旅行なんだもの。年越し特別便の時に発行される、ロストメモリー用の特別チケットを全員分用意してあります。あ、念のため言っておくけど、レディ・カリスの許可もとってあるからね!」「……」 そうであるなら是非もない。 時ならぬ休暇に、司書たちは顔を見合わせるばかりだったが、やがて、旅への期待が、その顔に笑みとなって浮かび始めるのを、アリッサは満足そうに眺めていた。「コンダクターやツーリストのみんなのぶんもチケットは発行できます。一緒に行きたい人がいたら誘ってあげてね♪」 さて。 この時期、ジャンクヘヴン近海で祝われているという「海神祭」とは何か。 それは、以下のような伝承に由来するという。 むかしむかし、世界にまだ陸地が多かった頃。 ある日、空から太陽が消え、月が消え、星が消えてしまった。 人々が困っていると、海から神様の使いがやってきて、 神の力が宿った鈴をくれた。 その鈴を鳴らすと、空が晴れ渡って、星が輝き始めた。 ……以来、ジャンクヘヴン近海の海上都市では、この時期に、ちいさな土鈴をつくる習慣がある。そしてそれを街のあちこちに隠し、それを探し出すという遊びで楽しむのだ。夜は星を見ながら、その鈴を鳴らすのが習いである。今年もまた、ジャンクヘヴンの夜空に鈴の音が鳴り響くことだろう。「……大勢の司書たちが降り立てば、ブルーインブルーの情報はいやがうえに集まります。今後、ブルーインブルーに関する予言の精度を高めることが、お嬢様――いえ、館長の狙いですか」「あら、慰安旅行というのだって、あながち名目だけじゃないわよ」 執事ウィリアムの紅茶を味わいながら、アリッサは言った。「かの世界は、前館長が特に執心していた世界です」「そうね。おじさまが解こうとした、ブルーインブルーの謎を解くキッカケになればいいわね。でも本当に、今回はみんなが旅を楽しんでくれたらいいの。それはホントよ」 いかなる思惑があったにせよ。 アリッサの発案による「ブルーインブルーへの世界司書の慰安旅行」は執り行なわれることとなったのだった。 * * * ターミナルには幾つもの不思議な喫茶店がある。その1つ、彩音茶房『エル・エウレカ』ここは世界司書である贖ノ森火城が料理番を務める事のある喫茶店だ。 店内の片隅、外の通りが見える窓の傍には小さな食器と赤い熊のぬいぐるみがちょこんと座っている。ぬいぐるみとその向かい、空席の前には空のカップが置かれ、真っ白なシュガーポット、僅かに湯気を出すティーポット、そして砂時計がさらさらと小さな砂を落とし時を刻んでいる。 ただの店内ディスプレイかと思えるが、そのテーブルの下でぐずぐずと鼻をすする音を立てた黒い塊、床にべったりと座り込む無名の司書がいる事でぬいぐるみが彼女の同僚、ヴァン・A・ルルーであると伝えている。 砂時計の砂が全て落ちるとルルーはティーポットを手に取り、客人のカップにお茶を注ぐ。それが合図だったかのように空席だった席には真っ白いフェレット、アドがするりと着席した。テーブルの横に荷物を置くと、入れ立ての紅茶を一口飲み、ふーと息を漏らす。『あっちこっちで調整入って書類が全然ねぇや』「ブルーインブルーへの世界司書の慰安旅行ですね。アドは行くんですか?」『まだ決めてねぇ』 ぐずず、ずびずび。音が聞こえアドとルルーはちらりとそちらを見るが何も言わず、直ぐに会話を戻す。『そういや、ヴァンの書類ブルーインブルーだったな』 言いながら、アドはごそごそと籠を漁り、1つの書類をテーブルに広げた。「えぇ、丁度いいので行ってみようかと。どうです? 一緒に」『……イカ?』「イカ、ですね」 海神祭の行われるジャンクヘヴン近郊で大型海魔が出現、それを捕獲もしくは討伐せよ、という依頼なのだが、その姿形や攻撃方法等、どうみてもイカだった。 再度ぐしぐし、ずず、と音が聞こえ二人は音の発信源を見るが、やっぱり何も言わないままだ。そんな、微妙な空気漂うテーブルに一組のカップと2種類のケーキが置かれる。「推理合戦でタルトの話題があったのを思い出し、デザートもタルトにしてみた。赤はイチゴのタルト青はブルーベリー、ブラックベリー、カシスのタルトだ」 デザートをまるっとお任せされた火城がケーキについて説明し取り分ける。『そういや、あの推理合戦も結局ギャンブルに落ち着いたよな』「えぇ、アドの推理も大活躍でしたよ。そうそう、次はこ……」『だーかーらー、オレはミステリだ推理だギャンブルだは苦手なんだって言ってるだろうがよ』「そうだ、次のお茶会のデザート、火城さんにお願いしてもいいですか?」「都合があえば。ところで……そろそろ許してあげてはどうだ」 三人分取り分けた火城がそう言い、足下に視線を落すと、目も鼻頭も真っ赤にした無名の司書が天の助けを受けたかのように見上げている。『ぷんすこ』「例え無害であっても、軟膏を飲むなんてどうかしています」「もう何回も謝ってるじゃないですかぁぁぁぁ。ずずず、これでも一応退院したばっかりなのにぃぃぃ」『自業自得じゃねぇか。なんでもかんでも食べるからだ』「お薬は処方箋に従って、用法用量を守ってですね」「うえぇぇぇん、ごめんなさいぃぃ。ずびび。そのもふもふで癒してくださいぃぃぃ、ちょっと触るだけでいいですからぁぁぁ」 先日の一件を無名の司書はずっと謝り倒しているがアドとルルーは一向にもふらせてくれる気配はない。勿論、二人は本気で激怒し、無名の司書を嫌っているわけではないのだが、簡単に無名の司書を許してしまうのも違うよな、という二人なりの思いやりと愛情らしく、火城を始め他の客は成り行きを微笑ましく見守っている。 とはいえ、何時までもソレを引き摺っている訳にもいかないだろう。火城が何か良い話題換えはないものかと思案していると、テーブルの上に書類を見つける。「お、ブルーインブルーの依頼じゃないか。慰安旅行と丁度重なってるな。一緒に行くのか?」「えぇ、イカ退治。どうです? ご一緒に」「イカか……良い食材になりそうだな」『……食えんの?』「ジャンクヘヴン近郊の大型海魔はよく食材として取引されてます。これも立派な食材です」「俺の導きの書に依頼が無かったら、同行させてもらおう。一度、ブルーインブルーの新鮮な魚介類を調理してみたかったんだ」「はいはいはいはい! はいはい! あたしも! あたしも大型海魔討伐出てます! 行きます! 一緒に行くー!!」『そんな書類あったか?』「今見ました! すぐ書類書きます!」 ぱんっと導きの書を叩き、無名の司書が鼻息荒く言う。火城は腕を組み、既にイカレシピの考察に入っている。「アドは? 何か出てます?」『……えび』「えび」『えび』 * * *「ぐすん。。。。今日も今日とて、世間の荒波が厳しいわ〜」 去るトレインウォーからの帰還直後のこと、無名の司書は大いなる腹痛に見舞われた。おとめ座号から降りるなり、ホームにびた〜んと倒れたのだった。 同乗していたロストナンバーたちの手を借りて病院に担ぎ込まれ(多忙なカリスさまは、さっさとお帰りになられた)そのまま入院。 ……腹痛の原因は「薬の飲み過ぎ」であった。 トレインウォーでの拘束中、もしものことがあってはと気が気ではなかった同僚の世界司書たちは、命に別状はないことにほっとしながらも、「……あんなに皆に心配させといて」と、がっくり脱力した次第である。 で、退院してからも、ふわもこ系司書たちから「モフらせてあげないよ刑」という厳罰をくらい、ずっと泣き濡れていたのだが。「でも、どうせ荒波に揺られるなら、ブルーインブルーへ行っちゃったほうがいいわよね」 気を取り直して涙を拭いて、チケットを差し出してみる。「板子一枚下は地獄、じゃなくて、大型海魔の討伐依頼です〜。この海魔、壱番世界の能登半島の高級食材『幻の黄金ズワイガニ』にそっくりで超美味しいんですって。そんなこんなで『カニ食べ放題・戦闘つき・海神祭で夜の鈴の音も鑑賞しちゃおうツアー』4名様募集中ですよ〜」 しか〜し。 当然ながら他の世界司書も、ロストナンバーたちを誘っておりまして、やっぱ皆そっち行っちゃうというか。「あ、あの。あたしと一緒に……。その……」「ごめん、急ぐんで。ルルーさん探してるんだ」「あっ、火城さん。お久しぶりです」「アドさんだアドさんだ! わーい、モフらせてくださーい!」 正直者の彼らは無名の司書の前をスルーし、お目当ての世界司書のもとへと駆けつける。 ぽつーーーーん。「め、迷惑は、かけません、から……。おとなしくしてますから……」 と言ったところで、今までが今までゆえに、説得力皆無である。 ……もし、誰もツアーに参加しなかったら。 そのときは、ひとりで現地に行き、星を見上げてカニ座を探し、土鈴をちり〜んと鳴らそう。 それもまた、世界司書のつとめというものだろうから。 !お願い!イベントシナリオ群『海神祭』に、なるべく大勢の方がご参加いただけるよう、同一のキャラクターによる『海神祭』シナリオへの複数参加はご遠慮下さい。
ACT.1■出発前から大漁旗 図書館ホールの片隅に、ゆらりと佇む白い影。いつの間にかそこにいて、気づいたときには姿を消している、限りなく透明なイメージの少女。 存在感の淡さがシーアールシーゼロの持ち味ではあるのだが、無名の司書の美少女キャッチセンサーを素通りすることはできなかった。 「む、むむむ? そこにいるのはゼロたん! 逃がさないわよ逃がさないわ〜」 少女のほっそりした腰を、怪しい黒い女は完全ホールドした。危険レベル無限大。通報されないのが不思議である。 「ゼロた〜ん。愛してるぅ。おねーさんと一緒にイイトコ行かなぁ〜い?」 「黒衣の司書さん、はじめましてなのです」 ゼロは淡々と、初対面の挨拶をした。 「あれ? 一方的に知ってるから全然そんな気しなかったけど、そういえばそうだっけ。ごめんね?」 司書はその職務柄、ロストナンバーたちのあれこれを、非公開情報までも付箋つきで把握してるので、ターミナルの住人全員お友だちだったり全員オレの嫁だったりな脳内妄想に囚われていたりする。だがロストナンバーたちからすれば、大勢いる世界司書の中のひとりなど、個別認識できないのが実情であろう。 しかしゼロは、大きな澄んだ瞳で、まっすぐに無名の司書を見る。 「どういたしまして、お会いできてうれしいのです。ゼロは聞いた事があるのです。世界図書館には、名の秘された黒衣の女性司書がいると」 「んまっ」 「そして彼女は、ターミナルで最もふわもこに通暁している人物であるのだと!」 「いやん。そんなにほめられる(?)と照れちゃう」 どうやらゼロたん、この司書を認識しているばかりか、リベルさんが聞いたら衝撃のあまり青ざめそうなくらいに過大な評価をしているようだ。 「ぜひこの機会に、全異世界のふわもこについて御教授していただくのですー!」 「まかせて! でも、あのね、このツアー、カニ退治がメインなの」 「カニ……?」 ゼロは、いとも哀しげな顔になる。 「カニはふわもこしてないのですよ……?」 「あああ、そんな、世界が絶望一色に反転してしまったのですみたいな顔しないでぇぇ。待ってて、今すぐ、ふわもこな同行者を調達……、いたいた、チェガルた〜ん」 (ん? アヤシい視線!) チェガルフランチェスカは、先ほどから、無名の司書が必死こいて見苦しく営業しているのには気づいていた。んが、かかわり合いになっちゃうとアレがナニな予感がするので、何とな〜く敬遠しつつ通り過ぎるつもりだった。 なのに司書は、チェガルにがっつり目ぇつけて黒い竜巻のように突進してくるではないか。 「やー! 司書さん、なに、その目危険〜。襲われるぅー!」 チェガルはひょいと身をかわす。 勢い余った司書はつるーんと滑り、図書館ホールの床を顔面できゅきゅ〜〜〜と磨くことになった。 「……チェガルたん……。あたし、あたしね……。ひとめ見たときからあなたのことを……」 上体を起こして、手を伸ばす。 「もっふもふしたいなって思ってて……」 「そうなの? なーんだ」 しゃがみこんだチェガルは、司書が握りしめているチケットを1枚、引っこ抜いた。 「それくらいならOKOK。ところで今、カニって聞こえたんだけど」 「うん、巨大ズワイガニを倒して美味しくいただきましょう企画っていうか」 「……ズワイガニ! やったあ大好物。そんなに大きいの? 食べがいある?」 さいわい、チェガルはズワイガニに関心を示してくれたようだ。 「もっちろんよ。うわーい! チェガルたんゲットだよー! ほめてほめてゼロたん」 「やりましたのです。ふわもこな方がいるとうれしいのです。ミッション後のふわもこ&ふわもこ話のためにもカニを退治するのですー」 「司書さん司書さん司書さん! カニですよねカニですよねカニですよね!」 そしてまたひとり。カニの魅力に取り憑かれた美少女がやってきた。 目をキラキラさせて走ってきたのは、南雲マリアである。どこでどう調達したのやら、カニ漁に使うとおぼしき、すんげぇごっつい巨大網を抱えて準備万端だった。 「あっ、マリアたんだー!」 「ふわもこ司書さんたちに109回目のプロポーズ断られちゃったって聞きましたけど、元気だして! 根気よく口説き続ければ、いつか振り向いてもらえますよ」 「ううう、優しいのね」 「旅先ではのんびりしてくださいね。司書さんたちの慰安旅行なんですから、わたし、がんばって働きます」 「うんうん、来てくれてありがとー」 「あっったりまえじゃないですか。だってカニ! ですよ。しかもカニ中のカニ、カニの頂点を極めた最高級ブランドの幻の黄金ズワイガニ!! ですよ。それの巨大バージョン!!! ですよ」 そ こ が 大 事 な ん で す と、マリアは熱く激しく主張した。 幻の黄金ズワイガニは、ズワイガニのオスと紅ズワイガニのメスとの間に生まれた貴重な混血カニで、3万パイに1パイの割合でしか取れない。その味は濃厚にして究極、ズワイガニの旨味に紅ズワイガニの甘みが加わって……、と、マリアたん、カニ情報に超詳しい。 しかもマリアは、ふたつのバージョンの網を用意していた。 その理由はというと。 「これは小さいカニ専用網です。おっきいカニの近くには、小さいカニがたくさんいるかもしれないじゃないですか! 小さいカニは甲羅焼きにすると最高じゃないですか!」 「マリアた〜ん。準備万端なあなたが大好き」 「ん……? あんたら、初めて会うよな……? おかしいな、以前、どっかで……」 それまでのんびりと、各司書たちが勧める祭りの案内を聞いていた清闇が、ふと足を止める。 マリアと、その手をしっかと握りしめる黒衣の司書のすがたに、既視感のようなものを感じたのだ。 それは、遠い、夢の―― 「いや、やっぱり初対面だよなァ。何か、懐かしいような気がしたんだが……」 「む。男前はっけーん!」 無名の司書は、脊髄反射でずざざざざざーーーとスライディングし、その足に追いすがる。 「きっと前世で永遠の愛を誓い合った仲なんですよ。せっかくだから結婚してください清闇さん……、っと、いきなり距離詰めすぎかしら、まずは健全にお友だちからはじめましょう、お願いします!」 「面白ぇ司書だな。飲み友達なら、いつでもなれるぞ?」 「ホントですか? じゃあ手始めに一緒に海に行きませんか? ブルーインブルーでカニを肴に一杯酌み交わしましょうよ」 「おう、いいねぇ」 ……んなわけで。 かーなーりー強引な手法ではあったが、何とか、カニツアーの施行人員は確保できたのだった。 「ではでは皆さーん、出発しますよー」 ツアーコンダクター(本来の意味の)よろしく、司書は目印の旗を掲げながらロストレイルに乗り込む。 ちなみにその旗は、いわゆる「大漁旗」のデザインである。荒れ狂う海を背景に乱舞する巨大カニが、見事な刺繍で活き活きと表現されている。 何でも司書は、コレをわざわざリリイに発注したらしい。 仕立屋リリイ、さすがにプロだが、仕事は選んだほうがいいんじゃ? と、乗り合わせた他のツアーの皆さんは思ったとか思わなかったとか。 ACT.2■幻の美味との邂逅 ジャンクヘブンは、独特の華やぎと、神聖ささえ感じる安らぎに満ちていた。 この海上都市は、常に活気のあるにぎやかな街なのだが、今はふとした拍子に、しずかなあたたかさが感じられる。 空を覆う厚雲が割れ、天上からひとすじの光が降りてくるような。 目に見えぬ海の精霊が、ひとには聞こえぬ歌を口ずさみ、波間で薄衣をゆらめかせているような。 「えびチームもイカチームも、鋭意出発したみたいですよー! 調理チームは手ぐすね引いて食材が来るのを待ってます。我々もさっそく行きましょう」 船を調達した一行は、さっそく海に繰り出した。 今日は風ひとつない好天で、海面はあくまでも静かだ。 船の周りに散る波しぶきも、波頭は控えめに白い。 澄んだ海中をついと泳ぐ、青い魚の群れが美しい。穏やかな風が、そよそよと頬を撫でる。 すがすがしい、潮の香り。 「……綺麗な海なのです」 「なんだか、リゾートに来たみたい」 ゼロとマリアは、甲板から身を乗り出して海面を見つめる。 「きゃー! 美少女ふたりのサマーバケーションね。写真写真!」 旗と一緒にデジカメを持参(註:荷物そんだけ)した司書が、おもむろにシャッターを切る。 「海では水着があったほうがいいのです。ゼロは今こそ、秋葉原ジェノサイダーズで入手したロボ娘パーツ『スク水スーツ(白/名前入り)』を装着するのです!」 「船の上で着替えるの? 大胆だね。……あっ、でも、今、女性しかいないから、いいのか」 チェガルは右手をかざし、船から少し離れた水面を見やる。 清闇は、本来のすがたである黒竜に戻り、凪いだ海に、ゆったりと身体を伸ばしていた。 「おウ、俺のことは気にすんな。女の子だけのほうが気楽だろうしな。カニが出たら知らせるから、しばらくくつろぐといい」 「きゃーきゃー、スク水ゼロたん! 読者サービス(←???)ね! 写真写真写真! 大丈夫よ〜着替えシーンは撮らないから〜」 着替えを終えたゼロたんに、司書は狂喜してカメラを向ける。 「あ、水平線を見るチェガルたん、シャッターチャーンス! 目線こっちね〜」 「ボクの写真撮ってどうするの?」 「秘蔵のマイふわもこコレクションに追加するのー」 まだカニが現れないのをいいことに、司書、趣味に走りまくった写真撮り放題である。 「清闇さーん、黒竜のすがたも素敵だけど、あとで人間バージョンの写真撮らせてー。マイ男前コレクションに追加したいのー」 とか何とか、ぜっんぜん緊張感のないまったりムードが船を包んだ矢先…… 突如、水面が泡立った。 ざ、ざざざ。 ざざざざざ……… ずざざざざざざざ。 こー、まるで壱番世界の特撮映画的効果音がどこからか聞こえてきそうな、怪しい気配があたりを包み―― ざっばーんーーーー!!! 満を持しましたよん、といわんばかりの大迫力で、カニ型巨大海魔は登場した。 鮮やかなオレンジ色の、小島さながらの甲羅。 真昼の太陽をはじいて光る、ぎらりと鋭い鋏。 差し渡し20mはありそうな、とてつもなく長い脚。 「おいでなすったか!」 それまで、ぷかりと浮かびながらくつろいでいた黒竜は、ゆっくりと海面から身を起こす。 次の瞬間には、その翼、その体躯、鱗のすみずみまでも、漆黒の鋼のような闘気をまとっていた。 人間のすがたに変化するなり、清闇はひらりと船に飛び乗る。 黒竜のままで海魔と戦ったならば船ごと潰しかねない、という配慮からである。 「これは……、なかなかだね。どうしたもんかな」 チェガルはしばし、自分なりの作戦を考える。 強そう、という意味と、大きくて食べがいがありそう、という、両方の意味で。 「幻のズワイガニ……。これだけ大きなカニだったら、夢に見てた憧れの『ズワイガニでカニチャーハン』が出来るかしら……。ああでもカニ雑炊も捨てがたい……。どうしよう……」 マリアはもう、食材と化した状態を想像し、ドキドキが止まらない。 「カニクリームコロッケも美味しそうよねー。たくさん作れそう」 この非常時に、司書もすっかりその気だった。脳内では調理チームの作ったごちそうがラインダンスを踊っている。 清闇は冷静なまなざしで、カニを観察する。 「そういや、カニらしからぬ特徴があるとか、予言してたみてェだが」 「前後にも猛スピードで動くとかかなぁ? でもそれだと、海上に出てくる時点でもう意味分かんないし……うわっ」 チェガルがそう言った瞬間。 まさしくカニは、真っ正面に突進し、船に体当たりをした。 船体が、大きく揺らぐ。 「やーん!」 「カニのくせに前後に動くー!」 「ジャンプしたりするかも知れないのです」 「こりゃ、不意は突かれるわな」 海に放り出されそうな衝撃だったが、ゼロとチェガルは甲板の手すりにつかまって、事なきを得た。 抱き合って座り込んだ司書とマリアは、あわや滑り落ちそうなところを、清闇が両腕を伸ばして支る。 「大丈夫か?」 「ありがとー、清闇さん」 「ありがとうございます」 ――しゃらん。 清闇は刀――鎮吼王(シズクオウ)を抜き放つ。 刀身120cmの片刃剣は、目にも留まらぬ軌跡を描き、脚の先――爪の一部を切り落とした。 「脚は切断できねェか。……堅い装甲だな」 それでも僅かに、カニの動きが衰える。 さいわい、船の転覆は免れた。 左右の鋏を交互に繰り出して、カニは激しく攻撃してくる。 マリアは果敢にも、愛用の日本刀を構えた。 だが、脚も甲羅も鋏も、ともかく、この海魔の堅さは尋常ではない。 きりりとカニをにらみつけ、おもむろに右手を上げる。 「こうなったら、勝負よ……!」 じゃーん、けーん、ぽん! マリアはグーを出した。 当たり前だが、カニはチョキしか出せない。 「やったー! マリアたんの勝ちー! ばんざーい!」 司書は万歳三唱した。 が、カニは降参したそぶりを見せず、攻撃の鋭さは増すばかり。 「わたし、勝ったのにな……」 (……いちか、ばちか。挨拶代わりに) チェガルは弓矢を構えた。 カニの眼を狙って、矢が放たれる。 ……しかし。 カニの攻撃は止まない。 狙いは外さなかったというのに、カニの眼は、矢をはじき飛ばしてしまったのだ。 鋏が一閃した。 その切っ先は、無名の司書の喉元に向けて光る。 残念無念、司書の首はシャキーン☆と切られてしま…… ……ったかと思いきや。 「危ねぇ!」 清闇が再び竜に変化し、その力強い尾で、鋏を退けた。 船ごと守るように、司書との間に立ちふさがる。 間一髪。 ざっくり切られたのは、前髪のみだった。 「やぁん、前髪ぱっつんになっちゃった」 「それも似合いますよ」 マリアがほっと息をつく。 「やっぱ弾かれるか。思ったとおりだけど、どうすっかな……」 チェガルとしては、カニの装甲の堅さは想定内だった。 ならば、次の手段は―― ACT.3■食材に変わるまで 「ゼロは攻撃や拘束はできないのです。でも、ミッション遂行には貢献するのです」 そう言いながら、ゼロは船の縁に立つ。 「海はカニの領分なのです。ならばゼロは陸を調達するのです」 「それって……?」 「ゼロも巨大化できるのですよ」 どうやらゼロは、海に飛び込もうとしているようだ。 チェガルは首をかしげる。作戦がまだ、読めない……。 だが、水しぶきを上げて海中に潜ったゼロが、カニの下から巨大化した頭を出したとたん―― 謎は解けた。 頭を即席の島として、カニを陸に上げたのだ。 ゼロの頭の上で、カニは落ち着かなそうにおろおろしている。 「すごい、ゼロたん。頭を使った計略ね!」 司書がぱちぱちと拍手する。 「司書さん」 チェガルは、司書に近づいた。 「もふっていいよ」 「え?」 司書は目をぱちくりした。そんらもう、願ってもない申し出ではあるが……。 「今?」 「そう、今」 「でも、今って、鋭意戦闘中……」 「いいからいいから。静電気いっぱい貯めてね」 思う存分もふらせてから、チェガルは、カニの背中に飛び移った。 手にはバスタードソードとカイトシールド。 カニは暴れながら、背中の闖入者を捉えんと鋏を向ける。 ひらり、ひらり。 鮮やかに身をかわしざまに、剣を殻の繋ぎ目に突き刺した。 縄で剣と自身を固定し、足場をかためてから、グレンスフォッシュを何度も振り下ろす。 「キミが!」ぐさり。 「食材になるまで!!」ぐさりぐさり。 「ボクは!!!」ぐさぐさぐさり。 「振り下ろすのを!!!!」ぐさぐさぐさぐさ。 「やめない!!!!!」ぐさぐさぐさぐさぐさっりーーー! 強固な甲羅が、少しずつずれていく。 チェガルはその隙間から、最大パワーの雷を左手に集め、思い切り叩き込んだ。 そのための、静電気収集であったのだ。 動きを止めたカニの背に、再々度、人のすがたになった清闇も飛び乗る。 彼は……、両手に、熱波を発生させていた。 「とりあえず、火でも通しとくか」 + + + 「きゃー、茹でたてのカニ、おいしーん」 「つまみ食いが、一番美味いっていうしなァ」 「直接沸騰させてるから、旨味が逃げないんですね!」 「うっわ、美味しすぎる。茹でただけでこうなんだから、本格的に料理したらすごいよね」 「これが幻のカニの味なのですね」 一同、お料理してもらうまえに、ついつい脚一本つまみぐいしちゃいましたとさ。 ACT.4■星の音色 ――そして。 えびチーム、イカチームと合流したカニチームは、意気揚々と、調理チームのもとへ向かった。 マリアの用意した網で巨大ガニをくるみ、さらに、船に仕掛けておいた小ガニ捕獲用の網にもぎっちり獲物が引っかかってたんで、それも手みやげとして携えて。 「うっわー、豪勢だな! さすがグルメ祭りだね!」 並べられた料理の数々に、チェガルが歓声を上げる。 「おなかすいたー。たくさん食べるぞー」 さっそくパクつく隣では、清闇と無名の司書が、ジャンクヘブン特製地ビールのジョッキを掲げていた。 「おう、あんた、イケる口なんだな」 「清闇さんほどじゃないですよぅ〜」 いい男と美味しい料理を前に、司書はテンションぶっちぎりである。 「灯緒さんとアドさんがいるのです! 今夜はもふもふ祭りなのです。盆と正月が一緒に来たのです」 ゼロたんが手をわきわきさせながら熱い視線を注ぐ先には、えびや蟹の殻を一心不乱にぢゅーぢゅーと吸っている、灯緒とアドの勇姿があった。 マリアはふと、夜空を見上げる。 降るような星空の瞬き。ひっきりなしに流れる流星は、故郷の空とは少し違うけれど。 それでも――星と星を結びつけ、馴染み深い星座を見いだすことは、異世界でもできる。 (あのね、カニ座っていえば、蟹座星雲っていうのもあるらしいんだけど、その中にあるのは蟹座じゃなくておうし座なんだって! 笑えるよね!) そんなことを、誰かに話してみようか。 愛らしい口元に、笑みが浮かぶ。 めざとく『それ』を見つけたのは、ゼロだった。 洗濯ばさみで止められ、ひらーんと干されている赤いクマ。 水滴がしたたっているそれは、厚みがなく、ぺったんこで―― (これは……!) 「あ、それ。あたしが洗ったのー。詳細はヒミツ〜」 何杯目かわからない乾杯のあとで、無名の司書が、謎めいたことをほざいた。 + + + …―…―…―…チリーン。 …―…リン…―…ン。 鈴の音が、響く。 食材との戦闘のため、土鈴を探す時間もないだろうからと、灯緒が用意しておいてくれたのだ。 一同は、鈴を鳴らしながら、それぞれの想いを馳せる。 (イカ、エビ、カニが現れたのです。次は、タコや海栗や貝がジャンクヘヴンに来襲するかもしれないのです) ゼロはふと、考える。 タコや海栗や貝なら、何の問題もないのにと思いながら。 (ゼロには天の光は全て枕座なのですー。土鈴を鳴らして、ブルーインブルーの安寧安息安泰安心安定安全安眠安逸をお祈りするのです) 流れ星がひとつ、光の糸をひいた。 銀の髪の少女に、答えるかのように。
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