いつからそこに居たのか。 ひとりの男が座席についている。 見たところ、壱番世界人のように見える男だ。あまり特徴のない顔……分かれて五分後にはもう顔を思い出せないような人物だ。 それなのに―― なにか云い知れない、独特の空気のようなものを、かれはまとっているように感じられた。 窓の外は、漆黒のディラックの空。 いつもと変わらぬ、ロストレイルの旅。 見知らぬ男は、古びた文庫本を読み耽っているようだったが、視線に気づいたように、ぱたん、と本を閉じた。「……それで」 目をあげる。黒い瞳が、魂を引き込む深淵のようだ。深淵を覗き込むとき、深淵もまたこちらを見ている、と云ったのは誰であったか。 男はおもむろに、口を開いた。「あなたは何処へ行こうと云うのです。あなたの旅のゆくえは何処なのですか。この列車に乗って……いつまで旅を続けるつもりなのです」 * * * 後方のドアが開き、あらわれたのは、美しいが陰気な顔をした女だった。 どことなく看護師を思わせる衣装であったため、車両内を見渡したしぐさは、まさしく病棟の見回りに来たナース然としていた。 車内は静かである。 いつもならロストナンバーたちの談笑する声、これから向かう任務について打ち合わせする声、体験した冒険旅行の感想を語る声、そして、車内販売の乗務員や、運行情報をしらせる車掌の声がしているはずの空間が、奇妙な沈黙に支配されていた。「……貴方の用は済んだのかしら」 ナースめいた女は訊ねた。「ええ。そちらも問題ないようですね、ナイチンゲール」「もちろんよ。本来なら、この仕事はあたし一人で十分だったんですもの。みんな、あたしの『死の夢』の中」 ふふふ、と女の青ざめた唇がアルカイックな笑みをかたちづくる。 目を開けているのは、ふたりだけだ。 車両内にいるロストナンバーたちは……みなぐったりと正体をなくし、座席に深く身を沈め――あるいは床のうえによこたわり、意識がない。 それは、累々たる屍の山を思わせ、ぞっとする光景であったが、仔細に見れば胸が上下しているので、眠っているだけと知れる。 さりとて、いくら旅の疲れがあったとして、全員が全員、眠りこけているこの状況が尋常であるはずがなかった。 男が、すっと席を立つ。「そうかい。しかし僕は僕なりに役割を果たしたつもりだ。実に興味深いよ。かれらの話を聞けて、この任務に就いて良かったと感じた。……そうそう、興味ふかいと言えば、この本もそう。先日、例の――かれらが壱番世界と呼んでいる世界で手に入れたのだが、星の世界を行く列車の物語なんだ。しかもそれが、死の世界のメタファーだと言うんだ。まるで、今のこのロストレイルのようじゃないか。きみの能力で、乗客たちは文字通り死の世界を体験しているのだから」「どうだっていいわ。あとはこの列車を運ぶだけでしょう」 女は言った。「それもすぐ済む。ワームが車体を凍結させて動きを止めれば、ね」 ロストレイルの車窓に、白く霜が降りている。 車内の温度も、どんどん下がっているようだった。 しんしんとした静寂だけが、車内に充満していた。 * * * その日―― 世界計が見下ろす図書館ホールでは、司書たちがパニックに陥っていた。 次々にもたらされる凶報――あるいは救難信号。ディラックの空を運行中のロストレイルが敵襲を受けたという報せに、蜂の巣をつついたような騒ぎが巻き起こっていたのだ。「2号とは連絡がとれたのですか!?」 リベルが叫ぶように言った。「応答がないんだよう」 と、エミリエ。 世界計によると、ロストレイル2号はいまだ走行中であることは確認できる。 しかしながら、こちらからの連絡に一切の応答がないことが不気味であった。他の列車が次々に襲撃を受けていることと合わせれば、2号もまた、なんらかの攻撃を受けていると考えたほうが自然であった。「あ、あれっ? スピードが落ちてるよっ?」 そして今、2号の走行速度は急速にダウンし……ほとんど停車せんばかりになっていた。 ロストレイルが、ディラックの空で停車することなどありえない。なんらかの異常事態であることは間違いないだろう。 だが、世界司書たちには、無事を祈るよりほかに、なすすべはないのだ。 誰が知ろう。 ロストレイル2号――雄々しい牡牛のエンブレムを掲げた列車の機関室で、車掌が頭上に例の鳥型機械を乗せたそのままの姿で、白い薄氷に覆われ、ものいわぬ彫像のようになっているなどと。 そして機関士や乗務員たちもまた、乗客同様、倒れ伏し、寝息を立てているなどと。 * * *「あなたは何処へ行こうと云うのです。あなたの旅のゆくえは何処なのですか。この列車に乗って……いつまで旅を続けるつもりなのです」 見知らぬ男に、そう訊ねられた。 男は、皆に、そう質問して回っているようだった。 訊かれたのだから、差し支えない範囲で、答える。男はいちいち頷き、興味深そうに耳を傾けていた。どんな些細なことも漏らすまいとするかのようだ。「……僕、ですか?」 誰かが、ではそういう自分はどうなのか、と反問したようだった。 男は瞬間、虚を突かれたようだったが、やがてゆっくりとかぶりを振った。そして、「僕の旅など、もう、とうに終わっているのです」 と言うのだった。「ちょうどこの本の物語のように。もう死んだ人間が、旅をしているようなものです。なんというのでしたっけ……そう、幽霊のようなものですよ」 そうこうしているうちに、なぜか、急な眠気が襲ってくる。 抗うすべもなく、意識が闇に溶けていった。========!注意!イベントシナリオ群『ロストレイル襲撃』は、内容の性質上、ひとりのキャラクターは1つのシナリオのみのご参加および抽選エントリーをお願いします。誤ってご参加された場合、参加が取り消されることがあります。また、このシナリオの参加キャラクターは、車両が制圧されるなどの状況により、本人のプレイングなどに落ち度がなくても、重傷・拘束等なんらかのステイタス異常に陥る可能性があります。ステイタス異常となったキャラクターは新たなシナリオ参加や掲示板での発言ができなくなりますので、あらかじめご了承下さい。========
■ 死に至る夢~ヴィクトル ■ 「旅の目的など、最初から決まっている」 ヴィクトルは、そう答えたはずだ。 「『理想郷』に至るためだ、それこそ我輩の旅の終着駅。……ま、それがどのような所かは知らぬが」 逆を云うと―― 死とは旅の終わり。終着ではなく、あえなく道半ばにして斃れることだ。 それはすなわち、帰属すべき世界の理から外れてしまったものに待ち受ける罰のようなものとしての終末である。 (消失の運命。真理数を失ったものはやがて消えてしまう) それは恐怖だった。 むろん、パスホルダーを得た今のヴィクトルは、その死神の手に触れられることはないはずだ。 それでも、消失の運命を思うとき、指先から感覚がどんどん消えてゆき、身体の輪郭が溶けてゆくような心持ちがするのだった。 (まるで空間に食われていくようだ) かつてともに旅をしていた仲間たちは、その運命に呑まれて消えたのだ。 中には、かれの妻も含まれている。 もはや、消えたものたちの顔を思い出すことさえできない。それなのに、消えてしまったものたちがいた、という喪失感だけが、ヴィクトルの中に埋めがたい空白として存在していた。 それが云うなれば死の種子だ。 ふと気をゆるせば、死はかれのなかで芽吹き、ヴィクトルのなかではびこる。 (まだだ) ヴィクトルは思う。 (まだ我輩は死ぬ訳には行かぬ、『理想郷』に辿り着くまでは死ねぬのだ) じわじわと――消えてゆく。 真っ暗な深淵に、溶けてゆく。心も、身体も。 すでに感覚がないというのに、奇妙な寒さがあった。 死とはつめたいものだ、とヴィクトルは思った。 (だめだ――まだ終わらぬ。我輩は抗うぞ。たとえこれが運命だと言われても) * むくり、とヴィクトルが身を起こしたとき、男女はちょうど隣の車両に消えてゆくところだった。 ヴィクトルが目覚めたことに、かれらが気づいた様子はない。 ヴィクトルの黒い瞳が、困惑とともに周囲を見回した。 ロストレイルの客車。記憶が戻ってくると、倒れるように眠りこけている乗客たちという状況の異常さが、ちりちりと背筋を焦がした。 なんだ。なにが起こっている――? ■ 死に至る夢~天摯 ■ 燃えている。 煌々と、夜空に火の粉を舞わせながら、火は奔り、広がってゆく。 踊る火炎を背景に、いくつもの影が近づいてくるのを、天摯はねめつける。 熱く焦げた空気を裂いて襲いかかってくる刃を、天摯の刀が受け止め、弾き返した。 一対一なら滅多なことで遅れをとる天撃ではない。だが、一度に十人を相手にすればどうか。普通なら退くよりほかはないと思うだろう。しかし彼はそうしなかった。 「っ!」 ずん、と重い衝撃。 死角から突き出された槍の穂先が、深々と肩に埋まる。 それを皮切りに、次々に浴びせかけられる攻撃が、天撃の、実はどうあれ少年に見える細身の身体を無残に切り裂き、抉り、刺し貫いてゆくのだ。 そのまま、壁へ。残酷な昆虫標本のように、天撃の身体は、床から足を浮かせた状態で、胴体の中央に食い込んだ太槍を支えに留められてしまう。 ごぼり、と口から血があふれる。 おびただしい血流が、この身体の中に、これほどの量の血があったのかと驚くほどの迸りが、しずくとなってぼたぼたと垂れ落ち、床に血溜まりをつくった。 「流石に、年寄りの身には堪えるのう」 その言葉も途中途中、血まじりの咳に咽て途切れ、すでに顔面は蒼い。 敵は、そんな天撃は捨ておいて、先へ向かおうとした。だが。 「待てぇい」 天撃は自らを壁に縫い留めた槍の一本を掴むと、力任せに引き抜いたのだ。 「死ぬことなど恐れはせぬ」 あおざめた頬をゆるめ、血に汚れた唇の端を吊り上げる。 「死を恐ろしいと思う時期は過ぎてしもうた。――だが、死ねぬ理由なら、今でも持っている」 気づいたものがいたかどうか。 床の血溜まりが、ひそやかに、こぽこぽと泡立ち始めたことに。 「まだやることがあるでのぅ。……仕方なない、老体に鞭打つとするか」 刹那、血溜まりが爆ぜた。 紅い飛沫は瞬時に刃となって放射状に飛ぶ。 十人の刺客たちは、その一瞬で、今度は自分たちが蜂の巣にされたことを気づく暇さえなく、絶命していた。 * 「やはりそうか」 天摯がふいに口を開いたので、ヴィクトルは驚いたようだった。 「目が覚めたのか」 「眠らされるとは不覚。どこへ消えた?」 「あちらへ行った。知らない女も一緒だ」 「なんというたか……そう、たしか――『世界樹旅団』」 「近頃、よからぬ話を聞く連中だな。あいつがそうか」 「おそらくな。あちらは……まさか機関室」 天摯は立ち上がり、そして、かすかに眉を寄せて空気を探った。 「この冷え……」 「あの男、妙なことを聞いていたな」 ふたりは思い出す。 自分たちが眠り込むまでどうしていたか。 それは、あの男が口火を切ったのだ。 ■ 見知らぬ乗客 ■ 「おかしな問いじゃの」 灰燕は笑った。 「おかしい――ですか」 男はきょとり、と、灰燕に目を向ける。 見たところ何の変哲もない壱番世界人のように見えて、どこか異様な印象のある人物である。まばたきひとつせず、灰燕を見つめる黒い瞳はどこか爬虫類じみていた。 「俺は何処へも行かん。ずっと此処におるだけじゃ」 灰燕はそう続ける。 「旅をしているのでは、ないのですか」 「そうじゃ。俺は何処へも行かん。ずっと此処におるだけじゃ。仮に居場所が変ろうが、俺は俺のままよ」 「しかし」 男は灰燕の言わんとするところを、今ひとつうまく汲み取れないようであった。 「世界図書館に属して、異世界群を旅することが生業だといえばそうなのだろうけど」 助け舟を出すように雪深 終が引き取った。 「ただ、その目的を問われてもな」 男の視線が、今度は終をとらえる。 「もといた世界や、新しい帰属先を探すとか……そういうことになるのだろうが、俺としては、あまり目的を考えたことはないな。そもそも、だ。生きることに目的などないだろう」 「……」 ロストレイルの客車だ。 向かい合った4人がけのボックス席に、たまたま乗り合わせたのがその4人である。 ひとつ空いていた席に、最後にやってきた男がかけた。男はしばらく読書に没頭していたようだが、ふいに、問いかけてきたのだ。 旅の目的は何なのか、と。 「生きる目的があると云うのも後付のことだ。生きているから生きる。旅も変わらぬ」 「それはそうじゃな」 天摯が頷く。 「今ここに、こうしてあることそれ自体は、すでにして与えられているものじゃからな。ただ、そこにどんな意味を見出すのかは、やはりそれぞれにあるとわしが思うが。とはいえ、わしも、何処へ……というほど大仰なものではないな。行き着く先があるのなら見てみたいと思うだけだ」 ふむ、と男は考えこむ。 「みなさん、そうなのですか」 「我輩は目的をもって旅しておるぞ」 言ったのはヴィクトルだ。 彼は、4人とは通路を隔てた反対側のボックス席にいた。 「ほう。貴方の目的は」 「旅の目的など、最初から決まっている」 ヴィクトルは答えた。 「『理想郷』に至るためだ、それこそ我輩の旅の終着駅。……ま、それがどのような所かは知らぬが」 「私は、美味しい物を食べる為デス!」 にゅっ、と、背もたれを超えて、顔を出したアルジャーノが会話に加わってきた。異世界には未知の食材が一杯! 食べると幸せな気持ちになりマス。貴方だってそうじゃないですカ?」 「……あいにく、あまり食べることには関心か」 「へえ! それはドウシテ? 味がワカリマセン?」 「そう――、そうかもしれない」 「それはお気の毒ですネ! 貴方に味覚があれば良いのニ」 「ツーリストにはそれぞれの感性や考え方があるということですよ」 ヴィクトルの向かいに座っていたイェンス・カルヴィネンが穏やかに言った。 「僕はかつて、死を待って生きていた。けれど今は違う。ロストナンバーとなってから出会った人やものごとが、再び世界に目を向けさせてくれた。……最初から目的をもって旅するものもいるし、あるときから目的を持ち始めるものもいる」 「……では失うものも」 男の瞳がイェンスを射た。 「あるいはね。……君の名を聞いても?」 「呼びたければウォスティ・ベルと」 「ではウォスティ。不躾で失礼したが、あまり見かけない顔だったのでね。僕はイェンス・カルヴィネンだ」 なんとなく、全員が名乗り合うことになった。 「……ところでウォスティ。そういうぬしの旅の目的は?」 天撃の反問は、皆も気になるところだった。だしぬけに問いかけてきたのは男――ウォスティとやらのほうだ。彼にはさぞ特別な旅の目的があるのではないか。 「……僕、ですか?」 ウォスティは瞬間、虚を突かれたようだったが、やがてゆっくりとかぶりを振った。そして、 「僕の旅など、もう、とうに終わっているのです」 と言うのだ。 「ちょうどこの本の物語のように。もう死んだ人間が、旅をしているようなものです。なんというのでしたっけ……そう、幽霊のようなものですよ」 「旅が終わっている、とはどういう意味かな。それは旅に目的がないこととは違うのだね」 イェンスが質問した。 「目的とは意志あるものが持つもののことです」 ウォスティは言う。 「僕には僕自身の意志などありません。僕はただ……そう、『機能する』」 「面白いことを言うね。それじゃ幽霊というよりまるでロボットだ」 皆が、なんとなく微笑った。 当のウォスティは表情を変えない。 いつのまにか、灰燕が座席に身体を沈め、うつらうつらしていた。 終も瞳を宙にさまよわせている。 天撃と、アルジャーノは、じっとウォスティを観察するように見つめている。それを知ってか知らずか、彼は再び手元の本を開いた。 イェンスが記憶しているのは、そこまでだ。 ■ 死に至る夢~イェンス・カルヴィネン ■ さすがにこの時刻になると大通りも車が少ない。 深夜のドライブは気持ちが良いものだ。特に今夜は、なんだか気分がいい。それが何故なのかは思い出せなかったが、とにかく上機嫌で、イェンスはアクセルを踏んでいる。 カーラジオから、静かなジャズが流れていた。 流れさってゆく街灯。 タイヤがアスファルトに吸い付くような、心地良いドライブ感。 フロントグラスの向こうで、赤い光が灯るのをみとめ、彼はブレーキを踏んだ。すう、っと車は停まった。後続車はなかったが、バックミラーの中に一つ目のライトが近づいてくる。バイクだ。 それはイェンスの車の左側に並ぶようにして停まった。 「?」 不審を感じて、イェンスは左を向き……、そして、彼の目がはっと見開かれる。 バイクの男――かどうかはわからない、フルヘルメットの人物――は、運転席のイェンスへ向けて、ガラス越しに銃口を向けていたのだ。 あっと思う間もなく、ガラスは砕け散り、フロントグラスに血しぶきが散った。 信号が変わり、バイクはなにごともなかったかのよう発信する。 イェンスの車だけがそこに残されたままだ。 「……う……」 低い、呻き。 わかるのは、撃たれた、ということだけだった。 (死ぬ――のか) 至近距離で撃ちこまれた弾丸は、イェンスの胸に。呼吸が苦しい。肺に傷がついたのかもしれない。だとすれば残された時間はわずかだろう。携帯でレスキューを呼んだところで、それが到着するまでもつとは思えなかった。 (これが、僕の一生か) こんなふうに終わりがくるとは思わなかった。 こんなにも突然に。 ふと、割れた窓の外に気配を感じた。目をやれば、そこに女が立っている。 (ああ) 思わず、微笑が浮かんだ。 (迎えにきてくれたんだね) 妻だった。 あのときのまま――ぐっしょりと濡れ、その水に、血が混じって。 ぽたり、ぽたりと、血まじりの水がしたたって、真夜中のアスファルトに落ちる。 濡れた髪と、街灯がつくる影に、彼女の表情がうかがいしれないけれど。 「……帰ろう……」 イェンスは腕を伸ばした。ほとんど入らない力を振り絞って、窓の外へ。 「僕達の……部屋へ、もう、これからは……」 これからは二人きり、そう言おうとして、彼は気づいた。 自分の手に貼ってあるちいさなシール。セクタンのシールだ。 (セクタン?) 嘆息が、漏れた。 伸ばした、腕をすっと戻せば、その手に握られているのは艶やかな髪の束。 それが自身を縛めるシートベルトのみならず、車体さえ切り裂いたのは一瞬のことだ。 重い金属の殻を脱ぎ捨てて、イェンスは確かな足取りで立つ。 「すまない。もう少しなんだ。もう少しだけ……待っていて」 つめたい妻を抱き、そっと、彼はくちづける。 * 「起きるんだ。目を覚まして」 イェンスがまずしたことは、眠っている他の客たちを起こしてまわることだ。 「死ぬのは今じゃない。騙されるな!」 びくり、と終が目を覚ます。 「何……、何があった」 「攻撃されているようだな」 むっすりと、ヴィクトル。 「おい、しっかりせんか」 天撃が、アルジャーノをゆさぶっているが、そちらは一向に起きる気配がない。 「今の……夢――。君たちも夢を見ただろう?」 「夢……。そういえば」 「あれが敵の攻撃だ。おそらくだが、あの夢を受け入れてしまえば、本当に……」 「精神攻撃の一種というわけか。ならば」 ヴィクトルが青いカードを2枚、隠しから取り出した。 「『催眠防護』だ。これで防げる」 「それにしても、妙に寒いな。まさかこれも?」 「そのようじゃな」 天撃が、油断なくあたりに気を配る。 ■ 死に至る夢~雪深 終 ■ 咳き込んだ。 喉の奥から駆け上がってきた血に、カッと咽喉から脳天まで突き抜けるような、痛みとも熱さともつかぬ感覚が襲う。 身を折って、喀血する。 すでに、薄い布団にはいくつもの、こぼれた血の跡が乾いて茶褐色の染みになっている。 ぜえぜえと、肩で息をする。ひゅうひゅうと、すきま風のような呼吸。 家の中は冷え切っている。 しんとして、誰もいない。ここでこうして……俺は死んでゆくのだと思った。 がたがたと、家が揺れるのは、むろんここが板張りの掘っ立て小屋に過ぎぬせいもあるが、外の風が強いのだろう。 ふと―― 見たわけでもないのに、終の脳裏に、その光景が浮かんだ。 それは桜の花が散っていく光景だ。 桜は毎年、咲いては散ってゆく。それは美しくもはかない眺めよと、人々は言う。 (ああ、そうか) 今、わかった。 散っているのは桜ではない。 桜が散るのを見るたびに、こちらの命がひととせずつ終わりへと近づいていたのだ。 ごう、と風が唸った。 桜の花の幻想は、一転して、吹雪の風景になった。 終は自分の背中を見ている。 さく、さく、と雪を踏む足音をさせて、少年の自分が雪山を歩いている。吹雪はやまず、やがて終はその中に崩れた。そのうえに、容赦なく雪は降り続ける。 だが、雪風のヴェールのなかに、白く浮かび上がる影があった。 影は女のすがたをしている。 それは終の傍にそっと腰を落とし、たおやかな手を伸ばすのだ。 (これは夢だ) 女の唇がうごくが、何を言っているのかわからない。それなのに、女の声がはっきりとわかるのだ。 はげしい雪は、また桜になったり、喀血の血になったりもした。 終は薄い布団の中で咳き込みもしたし、雪の中に埋もれもし、あるいは散りゆく桜を見上げもした。 (これは夢だ) 記憶が食い違い、混じり合う。 (雪女は冬山で死んだ霊……) (なら俺は……?) (俺はいつから俺だった) (俺と雪女どちらが幻想だ) (あるいは――) 「死ぬのは今じゃない。騙されるな!」 目覚めるとそこは、ロストレイルの客車である。 ■ 死に至る夢~灰燕 ■ それはいずこの光景か。 白銀の桜が散りゆくしたに、灰燕はよこたわっている。 傍らには白待歌。 ――そうか、ついにこのときがきたのだな。 もはや身を起こすこともかなわない。なぜなら彼は死にゆくからだ。 空はふしぎな七色の雲がたなびき、遠くに雅やかな楽の音が聞こえたかと思えば、戦火の喧騒が聞こえたようにも思う。 今がいつで、ここが何処か、そんなことは曖昧模糊としていた。 ただ、灰燕の息は浅く、大の字に投げ出した四肢からは力が失われてゆく。 傍らにそっと坐って、その様子を見ている従者は、どこか吾子の昼寝を見守る母のような優しさを感じさせた。 ゆるゆると手を差し伸べれば、白待歌はそっと握った。 目が、合う。 灰燕は頷いた。 ずっとせんに、これは決まっていたことだ。 これこそが、従者・白待歌と結んだ契り。 鳥妖の指が、灰燕のてのひらをすっと撫で、指文字でも書くように、そのうえに爪を滑らせたと見えた、次の瞬間。 まるで紙人形を蝋燭にかざしたかのごとく、灰燕は火に包まれている。 あやかしの白い炎が、瞬時にして灰燕の全身を覆ったのだ。 灰燕のおもてには、ようやく成就した安堵の微笑と、火に焼かれる苦痛とが混ざった、不可思議な表情が浮かんだ。瀕死の肉体は、しかしまだ死んではないのに、生きながらにして荼毘にふされようとしている。 「幸せか」 灰燕は問うた、これによって白待歌との契りは完遂されるのだ。 こくり、と従者は頷く。 『この時を、どれほど待ったことか』 「そうじゃ……の。随分、待たせた」 目を閉じる。 その瞼の上にさえ焔が這う。 さあ、焼き尽くせ。この膚も、肉も、血も、髪も、骨さえも。なにもかも燃やして、灰さえも残さず焼き尽くして、おまえのものにするがいい。 (……) 目を、開けた。 あいかわらずそこには白待歌がいて、微笑のまま彼を見下ろしている。 凍りついた仮面のような笑み。 男とも女ともつかぬ、美しい鳥妖の、怜悧なおもて。 「……なにを、しとる」 灰燕は訝しむ。 この鳥妖を従者とした契りの代償として、灰燕はその命の尽きるとき、肉体も魂もすべて、白待歌の焔に灼かれ、啖われることをさだめられている。だがそれは同時に、契りの相手をうしなうあやかしの、命が終わるときでもあるはずだった。 「お前は来ぬのか」 だから従者が、ただ彼を見送る――、そういうことにはならぬはずなのだ。 「お前が共に来んのじゃったら、黄泉路も楽しゅうなかろう」 ぱぁん、と音を立てて、火炎が砕け散る。否、炎ではない。それは氷だった。 「つまらん。なんじゃこの茶番は」 ■ 氷の世界 ■ 「どうやら他のロストレイルも襲撃を受けているようだ」 トラベラーズノートから顔をあげ、イェンスが厳しい声で言った。 「……この寒さをどうにかしないと。俺はいいが、このままでは」 終は、低温によって乗客の体力が奪われていくことを懸念する。雪女の力を持つ半妖である彼はむろん問題ないが、そうでないものも多いだろう。 隣では灰燕が大あくび。 「しゃらくさい。けったいな奴じゃとは思うたが、敵じゃったとはの」 「注意はしていたつもりだったがまんまとやられた。すまぬ」 「なに、あんたが謝るようなことでもなかろう?」 「とにかく、まずはこの冷えだな」 天撃は客車の通路に仁王立ちに立つ。 「許せ、少々蒸すやも知れぬが、な!」 宙空に、きらめく銀の刃が結晶する。 一本や二本ではない。何十もの刃が一瞬にしてあらわれたかと思うと、そのまま豪速で客車の壁や天井、床に突き立つ。そして離れていてもわかるほどの熱を発し始めたのだ。 「これは……エレメントから錬成したのか。この数を一瞬でとは」 ヴィクトルが魔術をなりわいとするものの好奇心に瞳を輝かせる。 「講釈はあとじゃ、行くぞ」 天撃は動き出す。 あとのものもそれに続いた。……ただひとり、いまだ目覚めぬアルジャーノは、そこに寝かせておくよりなく、終はやや不安げな一瞥を残してゆくのであった。 5人は客車を機関室へ向けて駆け抜けてゆく。 途中、倒れている乗客を、終とイェンスが揺り起こし、呼び起こしているあいだに、天撃は同じ方法で車体を熱してゆくのだ。 やがて、先頭車両にたどりつくが、一同はそこに凍りついた車掌の姿を見る。 「ふむ、敵の狙いはやはりロストレイルの機動力を奪うこと。凍結させて停車させることと見た」 ヴィクトルが推測を述べる一方、イェンスは、まずは車掌を助けねば、と近づく。 「車掌さんには天撃くんの刀を突き立てるわけにはいくまいね?」 「食堂車でお湯を沸かしてこようか」 と、終。 「それには及ばん。白待歌」 灰燕の言葉とともに、ぱっと咲いた白い炎が車掌を取り囲む。 「……っと、これは刀で刺すのと大差がないが……ああ、気が付きましたか?」 灰燕の従者の火炎の熱にたじろいだイェンスだが、はたしてそれにより氷が溶け、車掌が身をよじった。 「あ! 助かりました!」 「平気ですか」 「ええ。みなさんも?」 「僕たちは――。ロストレイルは大丈夫なのですか」 「確かめます。もう大丈夫だから、ここは任せて」 「え、ええ……」 すっ――、と、灰燕が前へ。 イェンスと車掌のあいだに滑りこむ。 「あんたは誰じゃ?」 「……? 車掌――ですが」 「その鳥、なぜ話さん」 頭のうえのアカシャを指して。 「さ、さあ。壊れたのか――な」 その違和感に全員が気づくより早く――灰燕は抜刀していた。 「……どこで……気付きましたか……」 袈裟懸けに斬られ、車掌がよろよろと後ずさる。 「外見はよう似せた。じゃが中身がまるで偽もんではのう!」 「ウォスティと言ったか!」 終が呼びかけた。 「これがおまえの『機能』だと。この列車を襲ってどうするつもりだ」 「この列車は『世界樹旅団』が接収します。それだけのこと」 「君たちの目的は何だ! ロストナンバーの保護や救済は世界図書館でもできる。場合によっては、われわれは手を組むことだって」 イェンスが言ったが、相手は車掌の姿のまま応える。 「それは難しいでしょうね」 「なぜ!」 「ゼロサムゲームだからです」 そのときだった。 車両が激しく揺れ、傾いた。そうは見えなかったが、なんらかの合図でもあったのか、壁を突き破って、いくつもの巨大な楔のようなものが侵入してくる! 天撃が進み出る。 出現した刃と、楔とかぶつかりあって音を立てる。 それは昆虫の脚のように見えたが、その表面は霜が降りている。白熱する天撃の刃と触れ合うと、じゅっと音を立てて蒸気が立ち上った。 その機に乗じて、車掌――いやウォスティは逃げようとしたようだ。しかし。 「ちょっと待ってクダサイ」 凍りついた楔のひとつを覆っていくすべらかな銀色の液体がある。 それがざわりと波立ち、アルジャーノの上半身に変わった 「お会いするたびに顔が変わりますよネ、アナタ」 「よかった、無事だったのか!」 イェンスたちの声に、一瞥だけで応えるアルジャーノの半身はまだ液体のままで、その中からめきめきとなにかが砕け、咀嚼される音がする。氷の楔を、喰っているのだ。 「んん、これもまた変わった味……そうそう、このまえ、壱番世界で食べた貴方は人間味でしたがファージには隠し味がありましタ。コレお返ししますネ!」 体内からアルジャーノが取り出したのは細い金属の針のようなものだった。 せんに壱番世界にあらわれたファージの体内から見付け出したものだ。 「かわりにお話させてクダサイ!」 「そうはいかないわ」 ぱぁん!と音を立ててアルジャーノの頭が爆ぜた。 ナース服の女だった。 銃と注射器を合成したような武器らしきもので、アルジャーノを撃ったようだ。 「なぜ起きているの? 見たはずでしょう? 自分が死ぬのを!」 イライラとした口調で女は言う。 瞬間、空気のなかになにか不浄な、まがまがしいものが広がっていくのを感じたものもいたかもしれない。 「そう、『メメントモリ・ウィルス』。ナイチンゲールの敵は自らの死を夢みながら死んでいくはずです。ですが……」 他人ごとのように、ウォスティが言った。 ヴィクトルの催眠防護の魔術を施された面々にもはやその力は通用しなかった。 ただひとり、アルジャーノを除いては、である。しかし。 ■ 死に至る夢~アルジャーノ ■ 死。 死ぬって……何でしょうネ。 今、独立しているこの部分が活動を終わること。感覚も、この自我も消えてしまう。 それが死だというなら、私だって死にますヨ。 ただ、それが恐いかといえば、怖くはありまセン。なぜって……それが何だと言うんでしょう。 ああ、その意味では。 高橋サン――でしたっけ? それともウォスティさん?と、私は似ているのかもしれませんネ。私はただ『機能する』。この意識がなくなっても、私の別の部分は別の場所でただ在り続けるでショウ。 ……。 ウォスティさん。 貴方もそうなのですネ。 自分などない、旅など終わっていル。そう意味なのでショウ。 壱番世界で、私は確かに貴方を食べた。けれど、今日の列車で会って、スグにわかりましたヨ。違う顔をしていても、貴方だって。今はまた違う姿をしてイマス。おそらく今の貴方が死んでモ、貴方はまた違う姿であらわれる、それが貴方の『機能』なのでショウ。 デモ、貴方と私が違うところがあるとしたラ―― 貴方は、別の何かの意志に命じられて『機能』しているということデス。 ■ 世界樹旅団 ■ 「アルジャーノ!」 誰かが叫んだ。 アルジャーノの身体がどろどろと溶け崩れてゆく。 「撤退しますよ、ナイチンゲール」 ウォスティが言った。 「なにを言うの、こんなやつら」 女は撤退の必要を感じていないようだった。それが、隙となった。 「逃がさぬぞ!」 ヴィクトルの手のなかを、手品のようにカードが切れ、流れてゆく。そのなかから青いカードが、1枚、2枚、3枚、4枚、5枚、飛び出す。 「止まれ!」 解放される呪力は静止をもたらす。 女の身体が硬直する。 それを待っていたかのように、さきほど凍りついた脚が入り込んできた車体の穴から、どろりとした銀色の液体があふれだしてくる。それは溶け崩れたはずのアルジャーノに違いなかった。 誰が知ろう、客車でウォスティと会話していた時点ですでに、アルジャーノの一部は分裂していたなどと。そしてどれか一体が死んでも、総体としてのアルジャーノは死滅することはないのだ。 アルジャーノは動きを封じられた女に巻き付くと、一部を触手のように伸ばして床に落ちていた『針』を拾った。 「これって、どうなるんですカ!」 にゅっと突き出したアルジャーノの顔は、子どものような好奇心に瞳を輝かせていた。 そして子どもが虫の脚をちぎるような無造作さで、『針』を女の延髄に突き立てたのである。びくん、と女の四肢が跳ねた。 「ロストナンバーに効果はありませんよ。もっとも、どのみちそれはもう“使用済み”ですから」 「へええ、教えていただいて、ご親切に!」 「返していただきます、針も彼女も」 脚が再び車体に差し込まれ、めきめきと、車体の天井をちからまかせに剥がした。 一同は、そこではじめて、この列車に取り付き、車体を冷やし続けていたものの姿を見ることになった。 言うなればそれは巨大な蜘蛛か蟹のような節足動物のように見えた。だが、胴体にあたる部分はほとんどなく、ただ節くれだった脚だけがいくつもいくつも寄り集まってできたような奇怪な姿をしていた。 その一本がウォスティをひっかけて持ち上げる。 別の一本がアルジャーノを女から引き剥がそうとするが、反対に先端からアルジャーノに食われていってしまうため、諦めたようだ。そのまま、ロストレイルの屋根のうえへ消える。 「待て!」 「おい、外は……仕方ない、か」 終は、ディラックの空に振り落とされかねない車外の戦闘は危険と躊躇したが、もはや、やむをえなかった。 ガン! ガン! ガンッ! と、甲高い音―― 巨大なワームの脚がロストレイルの天井を駆けてゆくと傍からそこが凍り付いてゆく。 「灼け、白待歌」 灰燕の声が高らかに告げると、白い焔がさざ波のようにそのうえを滑り、氷を溶かしていった。 「熱と、冷却!」 イェンスが言った。 「寒暖差が激しくなれば、そのぶん脆くなるんじゃないか」 「よし!」 終が飛び出す。 「俺が囮に。アルジャーノ、手伝ってくれ!」 「いいですヨー」 にゅーっと伸びるアルジャーノの身体のうえに乗り、そこからさらに、空間に氷をつくりだしてゆく。ディラックの空に架かる氷の虹のような軌跡だ。ロストレイルの起動とすれ違うようにそのうえを駆け、過ぎ去り際にワームに冷気を浴びせた。 脚を振り上げ、ワームは怒りをあらわす。 温度のないはずのディラックの空に、ダイヤモンドダストが舞い、きん、と大気が凍てつくような波動にすべてがふるえる。だが雪女の半妖たる終に冷気でのダメージはない。 そのあいだに、ワームの足元には他の面々が近づいていた。 「我が行く手を阻む者よ、燃え尽きるがいい」 めくれてゆくヴィクトルのカード。 赤のカードが6枚……『煉獄』が牙を剥く! 同時に、灰燕の駆る白い焔が巻き起こった。 地獄から呼び出されたような紅蓮の豪華と、眩く輝く白い焔が混じり合ってワームの冷え切った身体を急速に熱していった。さらにその上に、虚空から出現した何十本もの刃の雨が降り注ぐ。 むろんそれは天撃の錬成した炎熱の剣。 その瞬間、ディラックの空に小型の太陽が生まれたようだった。 おそらく幾千万度を超える光熱がそこに凝縮したに違いない。 灼熱の閃光が見るものの目を射たと思った次の瞬間には、ワームの体組織は轟音とともに砕け散っていた。 銀色の円盤だ。 どこに潜んでいたものか、それが音もなく虚空を滑るのを、イェンスは見た。 宙に投げ出されたニセ車掌、いや、ウォスティ・ベルを回収する。ナイチンゲールと呼ばれた女の、意識のない身体もまた、目に見えぬ重力の糸に引っ張られるようにして吊り上げられていく。 イェンスは、機関室のものかげから本物の車掌を助け出し、抱き起こしながら、ぽっかりあいた車両の天井の穴から、銀色の円盤が飛びさってゆくのを見ていた。 追撃することもできるかもしれない。しかし、イェンスはトラベラーズノートを通じて、他のロストレイルの状況もわかっている。これは単なる偶発的な衝突ではないのだ。組織的に行われた奇襲作戦であり、明確な宣戦布告なのである。 「世界樹旅団……。争いは、避けられないのか」 『なんと粗暴極まる。無粋な!』 「苛立つな、白待歌」 灰燕は微笑って、ロストレイルの屋根の上を歩く。まるでぞそろ歩きの散歩のように、走行を続ける車両のうえで、ディラックの空を見渡した。 ぱん、と和傘をひろげて、かざす。 「退屈な旅にはならんかったの」 「穴を開けてしもうたな。これはあとで文句を言われるかのお」 天撃が、自身の刃が開けた車体の傷口を眺めて言った。 「なに、連中のせいにしてしまえばよい。正当防衛というやつだな」 ヴィクトルが言った。 「ウォスティ・ベルか……幽霊きどりが笑わせる」 終は吐き棄てた。 「何を求めているのでしょうネ」 傍らに、アルジャーノが、立つ。 「チャイ=ブレが知識を求めるように、かれらにも……」 円盤が飛び去った方角へ、視線を投げる。 ロストレイル2号――『牡牛座号』は、主たる走行機能には異常なく、ターミナルへの帰還の途についた。 『世界樹旅団』と『世界図書館』との、本格的な戦いの、それが始まりの一幕であった。 (了)
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