きしゃしゃしゃしゃしゃっっ!! 鋭く激しい金属音がディラックの空を引き裂く。 ロストレイルが生物ならば、末端から絡みつかれ喰われていく痛みに絶叫している悲鳴だっただろう。「あ」 座席に座っていた少年の手からリボンの巻きが転がり落ちる。レースで飾られたふわふわの青いワンピースの裾を持ち上げ、少年はぱたぱたと転がっていったリボンを追いかける。「エンジン一つ、資料室一つ、リビング一つ、食堂一つ、シャワー室はない……双子座なのに全部一つ」 つぶやきは列車の仕様と知れる。 だが、世界図書館からの依頼を受けたものならば、当然聞かされているはずの予備エンジンについて知らないのはなぜか。 ようやく追いついて巻きを拾い上げ、少年は深い青の瞳を瞬いた。そこら中にリボンを結んだ茶色の髪の隙間から、ゆっくり窓の外を振り返る。 ロストレイルの最後尾から、白や赤や青色、色とりどりのリボンが車体に巻きつき、容赦なく砕きながら締めつけていく。千切れる座席、上がる白煙、そして、それらに追われるように車内をこちらへ、先頭車輌に向かって走ってくる、世界図書館のロストナンバー達。 本当ならば、同じような仲間を保護しに向かっているはずだった、心優しい異世界人。「…ディラックの空は本日荒れ模様」 ひたりと窓に手を当てて、その様子を横目で眺めながら少年はつぶやく。「『世界樹旅団』の襲撃により、ロストレイルは破壊される」 きょろりと見開いた大きな青い目が、激しい勢いで開いた扉に向けられる。頬をガラス窓につけたままで振り向く姿は、まるで寄り添う二人の少年のように見える。「逃げて!」 ワームの襲撃だ。早く、君も逃げて! お人好しな警告にくすくす嗤う。「知ってるよ」「え…?」「いらっしゃい、ロストナンバー達」 窓から離れ、通路の中央へ、戸惑い立ちすくむ相手にワンピースの裾を広げてお辞儀する。「ママ・ヴェルジネ、愛してる」 睫毛を伏せて静かに祈る。 再び目を開けば、もう一人の自分が目覚める。 薄笑いしながら顔を上げる。「パパ・ビランチャ、始めるよ」「あ」 つぶやいた名前をどこかで聞いたことがあるのだろう、前に立っていた一人の顔が白くなった。「ボクはアクアーリオ・ガウリコ」 目を細めて笑いかければ、くるくると指先にリボンが絡み付いてくる。 青は氷結。白は拘束。 裾を離し、両手を差し上げる。「予言する」 艶やかに光る七色のリボンが空中に弾け、相手に向かって吹き飛びながら、座席を切り裂いていく。「『世界樹旅団』はこの列車の破壊とあなた達の捕獲に成功する」「っっっ!」 迸った血は赤かった。========!注意!イベントシナリオ群『ロストレイル襲撃』は、内容の性質上、ひとりのキャラクターは1つのシナリオのみのご参加および抽選エントリーをお願いします。誤ってご参加された場合、参加が取り消されることがあります。また、このシナリオの参加キャラクターは、車両が制圧されるなどの状況により、本人のプレイングなどに落ち度がなくても、重傷・拘束等なんらかのステイタス異常に陥る可能性があります。ステイタス異常となったキャラクターは新たなシナリオ参加や掲示板での発言ができなくなりますので、あらかじめご了承下さい。========
双子座のロストレイルは二つの顔を持つ。 異世界へロストナンバーを送り出す和やかで温かな守り手の顔と、世界のバランスを保つための知恵と工夫、強靭な意志を貫く顔。 『世界樹旅団』の襲撃に対して、その双子座号が『彼ら』を乗せていたのは、偶然を越えた運命、だったのかもしれない。 だからこその結末……今、激情を込めた優の叫びがディラックの空を駆ける。 「あやぁあああっ! 灰人さぁああんんっ! あ、やあああああっっ!!!」 時間は戻る。 「おいひ〜〜ぃっv」 赤ジャージ姿の日和坂 綾は目を潤ませながら、ロストレイルの食堂で並べられた数々の料理に舌鼓を打っていた。 「まさか、行く前からこれだけのごちそうにありつけるなんてv」 「今日が時々やるイベント日だなんて思わなかったよな」 相沢 優は依頼前でもいつも通りの食欲を見せる彼女に癒される。 「ああこんな素晴しい日に巡り逢わせて下さった神に感謝を! きっとこれはこの先の試練を心して耐えよと言う深く優しい掲示に違いありません」 「ちょ、何その死亡フラグ!」 十字を切った三日月 灰人にぼとりと綾がフランボワーズソースを落とす。 「これだけの顔ぶれが揃っている」 百田 十三はつやつやと光る握り飯を次々旨そうに口に運ぶ。既に30個は越えているかもしれない。珍しく淡い微笑みが浮かぶ。 「きっとやり遂げられる」 ワイテ・マーセイレが何か気になったようにコーヒーのカップを置いて、片手でシャッフルしていたカードを捲った。 「おやア?」 「何なになにっ……ワイテさんまで何っ」 綾が生クリーム添えの果実クレープ包みを慌てて口に放り込む。 「何かおかしなカードでもっ」 「おかしなカードってほどでもないケド」 ワイテはくるりと周囲を見回す。 「このメンバーには意味がありすぎるカードだネ?」 示したのは『戦車』。正位置ならば勝利、逆位置なら敗北、単純に読めばそうなるが、それよりもこのカードが意味するものを忘れるはずもなく。 「……ふぉん…」 ごくん、と綾が口の中のものを呑み込んだ。クリームのついた唇で小さく呟いた顔が傷みに歪む。 「……戦いが待っている、ということですか?」 灰人が理由がよくわからないままに、覗き込んだとたん。 きしゃしゃしゃしゃしゃっっ!! 「っっっ!!」 激しい衝撃、悲鳴のようなロストレイルのきしみ音、美しくセッティングされていたテーブルが一気に飛び跳ね、空に舞う、もちろん、ロストナンバー達も。 「な、に…っ!」 壁に、窓に、床に叩きつけられた中、すぐに身を翻して窓から外を伺った十三が、双子座ロストレイルの最後尾から絡み付いてくるものに気づいた。 色とりどりのリボンにしか見えない。サテンの美しくて艶やかなリボン、だがとてつもなく大きい。ロストレイルに巻付き締め上げ、見る見るうちに車輌を砕いていく有様は、巨大な蛇か海龍のようだ。 「ワームか!」 先頭車輌を振り返れば、順調に運行していたはずのロストレイルが、急に行き先を見失ったかのようにふらふらと揺らめき、次第次第に速度を落としていく。 「何が起こった!」 「あれを!」 「光の……円盤……? あっ!」 前方を遮るように閃く光の塊にはっとした綾が前へ走り出す。続いて優が、灰人が、ワイテ、十三が続く。 食堂車を駆け抜けて前の客車に飛び込んだとたん、窓に顔を押し付けている不安そうな少女に気づいた。深い青い瞳、レースやフリルで飾られた青いワンピース、茶色の髪に一杯リボンを結んでいる。 「逃げて!」 ワームの襲撃だ。早く、君も逃げて! 綾の警告、灰人の叫び、一瞬優が不審げに立ち止まったのは何を感じたのか。 くすくす、と少女は嗤った、明らかな嘲りを込めて。 「知ってるよ……いらっしゃい、ロストナンバー達」 ワンピースの裾を広げ、通路の中央でお辞儀する、ロストレイルは今にもディラックの空に沈みそうなのに。 「ママ・ヴェルジネ、愛してる」 「え」 「パパ・ビランチャ、始めるよ」 「あ」 綾は一瞬全身から力が抜けるような感覚を味わった。 「ボクはアクアーリオ・ガウリコ」 「君は…少年…?」 灰人が呟くのにからかうように両手を差し上げる。その腕をワンピースのあちこちから転がり出たリボンの巻きが、生き物のようにくるくると這い上がっていく。 「予言する…『世界樹旅団』はこの列車の破壊とあなた達の捕獲に成功する」 『世界樹旅団』。光の船。ワーム。そしてはっきりと示された目の前の脅威。 「っっっ!」 「ウボァー!」 アクアーリオの手から弾けた七色のリボンが客席を、咄嗟に構えた綾の肩先を、灰人の髪を掠め裂いていく。ワイテの間抜けた叫び、けれどその手から滑り出したカードが青のリボンに触れて霜を帯び、白のリボンに搦められ、オレンジのリボンに触れて燃え落ちた。残ったカードが次々と空を舞い、防御壁を形づくったのは歴戦経験の賜物、その防御壁にアクアーリオがきょとんとする。 「あれ? 強いんだね、意外に?」 「綾っ!」 「い、いったぁ~…ってか、あの子、天秤パパと乙女ママと水瓶座って言ったよ?! もしかして幹部クラス?!」 駆け寄る優に、綾が大きく目を見開く。 「ふーん、君達が世界を作りかえるって人達?」 ワイテが肩を竦めてカードを捲った。現れたのは塔。破滅と崩壊を表すカード。 「ファージを作ったりするのかナ? ファージは世界壊すんじゃなくて作り変えるから問題ないっテ?」 けれど、今は確かに非常にまずいネ。 「で、ママやパパはどこにいるのかナ?」 カードを捲る。未来は、と。 現れたカードは女教皇。二極性原理、ボアスの柱(神の試練)とヤキンの柱(神の慈悲)。神秘の扉の守護者、自分の知らない事実。 「ま、いいサ。君の予言とあっしの占い、どっちが正しいか確かめル?」 「いいね」 にっこり笑ったアクアーリオが差し上げた両手の指先を軽く振った。ぴっ、とリボンが空中で切れ、切れたリボンと、新たに指先から放たれたリボンがカードを振り放しつつ空に漂う。 どぅん、と背後で大きな振動が起こり、窓の外、視界の端で、大きくうねったロストレイルの一番最後の客車が、砕かれ断ち切られてデイラックの空に散っていくのが見えた。瞬間、手がかりを失ってワームの本体が広がる。 それは巨大なイソギンチャクのように見えた。真っ暗に澱んだ虚空を囲み、ひらひら揺らめくリボン状の触手。のたうつロストレイルがその魔手から逃れたように見えたのも一瞬、すぐにそれは砕いた客車を内側に取り込み、再び残った客車に絡み付き始める。 ぎしゃあああああっっ。 声を限りの絶叫、そう聞こえたのは自らの運命が類似していたせいか。 「予言なんか! 外してやるっ!…っ?!」 「く!」 綾の叫びははったりではない、だが空中をしゅるしゅると音を立てながら一気に展開するリボンは、それぞれに冷気を発し、炎を宿し、時に鋭い刃となってロストナンバー達に襲いかかる。とっさに灰人が握りしめた十字架から、無数の光線が放たれ、間近に迫ったリボンを焼き切った。 「青は凍結、オレンジは炎、白は、拘束、かナ!」 ワイテも新たなカードを放つ。リボンに貫かれ、叩き落とされるカードでできた防御の穴をあっという間に埋めつつ、仲間にリボンの効果を叫ぶ。 「他にもまだまだありそうだネ!」 防御だけではなく、効果が明らかになったもの、特に行動阻害系のリボンは確実にカードの面で壁に張りつけていく。切り裂かないのは、万が一分裂されてそれぞれに攻撃してくると厄介だからだ。読みは正しく、壁に張りつけられたリボンはアクアーリオの指先から切り離されて、次々ただのリボンとなって床に散り落ちる。 「赤は切り裂き、黒は貫く、緑は、毒っ…痺れるっ!」 綾も自分の体で確かめた効果を叫んで注意を促す。 「攻撃は最大の防御って言うもんね。エンエン、火炎属性ぷりーず! 燃やし尽くすよ!」 ワイテの防御、灰人の攻撃の隙間を縫って、必死に距離を詰める。背後にワーム、速度の落ちたロストレイルが喰い尽くされるのは時間の問題だ。 だが、押される。 「く…そおっ!」 綾がリボンに跳ね飛ばされて後方一回転、思わず引いた灰人の腕に白いリボンが絡み付く。引っ張られかけた灰人を十三が掴み、割って入った優が断ち切る、体を仰け反らせた次の一瞬に、ワイテの放つカードがアクアーリオを囲むが、 「あははっ、無理だよ、この列車はもうボクのものだ」 気持ち良さそうな笑い声とともに一気に弾かれ飛ばされた。 押し込んでくる相手に5人は食堂車に後退した。割れ砕けた皿、飛び散った鮮やかなソースにワイン、ぐしゅりと綾が踏んだのはまだ手をつけていないとっておきの七色ムース。 「食べ、たかったのにいっ!」 涙目になって蹴りを繰り出す、その綾を抱くように包むように凄まじい数のリボンが集まりかけた矢先、 「綾っ! 無茶するなっ!」 優の新技が炸裂、間一髪で綾への猛攻を全て弾き飛ばして護り切る。 「ユウっ!」 だってあれ、凄くおいしいって『絶対おすすめロストレイル食堂車ガイド』にまで載ってたのにっ! 叫びながら地団駄踏む相手に優はちらりと笑う。後方からワーム、前方にはアクアーリオ、こんな不利なのに、まだ何かやれると思えるのはどうしてだろう。 食堂車からリビングへ、なおも後退しながら、頭の中に閃いたのは双子座ロストレイル特有の予備エンジン。あれを使えば、少なくとも挟み撃ちにはならないはず。 「十三さん!」 背後の十三を振り向くと、 「そうと聞いては尚更この列車、くれてやれんな」 相手は優の考えを読み取っていたかのように頷き、身を翻した。 「後方ワームは任せろ! 火燕招来急急如律令! 先行してワームの様子を探れ!燃やせるなら燃やして構わん!」 走り出しながら立て続けに詠唱する。 「炎王招来急急如律令! 屋根を破って上からワームを引き剥がし、燃やし尽くせ! 雹王招来急急如律令! 延焼を防ぎ、ワームを切り刻め!」 炎の燕が逃げて来る乗客の上を掠め、ロストレイルの中をくぐり抜けていく。そこから零れ落ちたように見える炎が、彼方のワームに喰い破られた車輌に到達するや否や、見る見る巨大な炎の狒々となって立ち上がり、ワームに掴みかかった。後を追ったのは白く冷気を纏った豹、炎王からの業火から乗客を守っていく。 十三も後部車輌に走り込みながら、優を振り向いた。 「とりあえずこの車両の後ろまでワームを封じ込められれば充分だ。後ろ、前の順で連結器を壊す。出来れば元の車両と併走してくれ…俺があちらに戻る!」 この車輌と示したのは資料室、確かに後方に居た乗客のほとんどが資料室までは逃げ延びられたようだ。それを越えて十三は資料室に続く客車に躍り込んでいく。 「了解!」 優がリビングの端に駆けていく、それを見た綾もやるべき事を理解した。 「分かった、ここの足止めは任せて!」 両頬をぱちんと叩き、食堂車に入り込みかけて、驚いたように中を見回すアクアーリオに向き直る。 「うわあ…凄い、ばらばら……アイスクリームも落ちてる」 呟く声は幼い少年そのもの、飾り立てられたパフェが床に叩き付けられているのを見て、一瞬戸惑ったように瞬きした顔も、おいしそうなおやつが食べられなくなっているのにがっかりした子どもでしかない。その顔に綾の胸が詰まった。 「キミの本当の年なんて知らないけど。キミ、子どもなんだもん。装って、鼓舞して、成功すれば大事なヒトが喜んでくれると思って…そこまで思い込まないと戦えないくらい、戦うの好きじゃないじゃないか。例え得意でも、嫌いなら無理しない方がいいよ?」 「…え?」 アクアーリオが放とうとしたリボンを止めた。 「キミの大事なヒトが、戦う以外で喜んでくれたら、褒めてくれたら。キミ、きっとこんな場所に居なかったろうなって思っちゃったんだもん」 続けながら、綾は、ああ本当にそうだろう、そう思った。 少年なのに少女の姿をして、敵意も殺意も全くないのに、これほどの破壊と攻撃を操ることにためらわない。今もちらちら動く瞳は、あちこちに散らばったお菓子に向いているあたり、破滅を導くリボンをまるでおもちゃのように結び解きしつつ、けれど自分がここに居ていいのかと戸惑うような表情で。 「ボク……ボク…?」 「君は男の子ですか? なんで女の子の格好をしてるんでしょうか……?」 ここぞとばかりに灰人が続けた。十字架から手は離していない、もちろん綾も警戒を緩めていない。ワイテが静かにカードを壁に添わせて展開していく、攻撃と防御に備えて。背後で、優が予備エンジンを動かそうとしているのが伝わってくる、そこからアクアーリオの意識を遮るように、灰人は畳み掛ける。 「どうやってロストレイルに潜入したんですか」 「潜入? ああ、どうやって乗り込んだかってこと?」 「車掌や乗務員は」 「……浮かんでるんじゃない?」 くすり、とアクアーリオは笑って、唇に指先を当てた後、外を示した。 「放り出したから。別にボクは要らないから」 「浮かんでル…ディラックの空ニ?」 「たくさん浮かんでるよ、今だってどんどん浮かんでるはず」 くすくす楽しげに笑うアクアーリオのことばの意味を噛み締めた灰人は顔から血の気が引くのを感じる。 「なぜですか」 「あっちこっちにいるもの、依頼を頼まれたのが」 オウルフォームのセクタン、綻はさっきとっさに優についていかせた。おかげで優が何とかリビングの予備エンジン可動システムを動かし始めたことがわかる。だが、同時に自分の得たこの情報も伝えねばならなかった。気づいたワイテが質問を続ける。 「依頼ってなニ? 誰が来てるノ?」 「同じことしてるんでしょ? パパ・ビランチャは言ってたよ? 頼まれて、他の世界に出かけるんでしょ?」 灰人はトラベラーズノートで情報を送る。『この襲撃は双子座だけではない。他のロストレイルも同時に襲われている可能性あり。またこの襲撃は「依頼」であり、アクアーリオと名乗る少年は、私達と同じ、「依頼を受けたロストナンバー」にすぎないかもしれない』 情報を受け取った優の衝撃が想像できるような気がした。今この瞬間にも、仲間達がディラックの空で攻防を繰り返しており、犠牲や被害が出ている恐れがあり、しかも、これほどの力を示す相手は『世界樹旅団』の一員にしか過ぎない、という事実。 ならば何としても、この少年をここで食い止め、誰かが生き延びて、次の手に備えなければならない。 「でも、あなた達、本当に弱いんだね。今までよく消えてなくならなかったね」 おしゃべりにも飽きてきたのだろう、アクアーリオは再び両手を差し上げた。 「弱くて何が悪いのさ?」 綾がゆっくり呼吸を整えた。 「確かにキミの方が強いけど…キミを蹴りたいと、あんまり思えなくなっちゃったけど。それでもやっぱり譲れないや」 息を吸い込む。背後からワームの絶叫、大きくロストレイルが跳ね回る。 「戦闘向きではないのは自覚しています。女性や子供が相手では尚更戦いにくい。ですがそうも言ってられない、今はただ私が出来ることを全力でなすべきです」 灰人も一旦肩から力を抜いて十字架を握り直した。 足下が揺さぶられ、まるで吸い付くようにロストレイルに立つアクアーリオとは格が違うのは歴然、それでも、少しでも時間を稼がなくてはならない。 「パパ・ビランチャ、ママ・ヴィルジネとやらは貴方のご両親…今回の襲撃計画の首謀者ですか? 子供が手を汚すのを容認する親など間違っている、私は彼等をけして許さない」 「パパを悪く言うな」 ぎらりと、アクアーリオの瞳が滾った。 「ボクを助けてくれたのはパパだ。パパのためなら、ボクは何度だって出る!」 ああ、やっぱり、この子。 ためらいかけた綾の耳に、背後から声が響いた。 「あ、やっ!」 肩越しに振り返る、リビングと食堂車の境のドアがゆっくりと閉じつつあった、その向こうに心配そうな優の顔。 予備エンジンの可動が成功した。2回列車が身震いする、新たな力に目覚めたように。そして、確かに落ち始めていた列車の速度が、じりじりと、やがてはっきり上がり出す。 「何…?」 「予備動力車両を切り離したんだ。列車壊す予言、外れちゃったよ?」 「え…」 綾は静かにアクアーリオに話しかけながら、片手のこぶしを握り締めた。親指を立て、体の横に示す、遮られる境界を越えて、背後の優に見えるように。背筋を伸ばし、ずっといいたかったこと、それをはっきり口にする。 「キミさ、私たちと一緒に来ない? 戦わなくても誰も怒ったりガッカリしたりしないよ?」 アクアーリオが両手を差し上げたまま固まった。大きく見開かれた深い青の目、その目がまっすぐ綾の中に飛び込んでくる。 「一緒にキミのしたいコト探してみない?」 アクアーリオがのろのろと俯いた。 「……そんなこと」 ぼそりと響いた暗い声。指先にしゅるしゅるとリボンが溜まっていく。力を溜め、滾るエネルギーがぶつかり合って、そのあたりの空気が揺れる。 「できるわけないよ……だって」 死んじゃうもん。 「死んじゃうもんんんーーーっっ!!!」 悲鳴に似たアクアーリオの叫びとともに、今までの数倍のリボンが空間を埋める。サムズアップを解いた手をこぶしに変える。 「エンエン、狐火操り! リボン狙って燃やし尽くすよ! 外して延焼もOKだ!」 走り出す。体をワイテのカードが包む。灰人が追ってくる。 ここで止める、絶対に。 「ワイテさん、灰人さん、フォローするから先に抜けてくださいっ!」 最初の蹴りは、リボンに切り裂かれて紅を散らした。 最後のスイッチは重かった。 点検はされていたものの、あまり使われることがないのだろう、タッチパネルではなく旧式の指で押し込むボタンを、ぎっちりと押し込んだとたん、資料室で成り行きを見ていた乗客からも驚きと歓声が上がる。 食堂車の後ろに繋がれていたリビングは、気持ちいい絨毯と座り心地のいいソファ、落ち着いた気配のがっしりした調度品から成り立っている。だが、他のロストレイルに見るような絵やシャンデリア、数々の部屋を飾るものがほとんどない。窓もない殺風景な部屋だと思っていたのだが、部屋の隅に隠されていたボタンを押し込んだとたんに変化が始まる。 床が絨毯ごと割れた。壁が継ぎ目さえ見えなかった部分で次々反転していく。天井も同じだ。机が沈み、ソファが空気を抜かれたように形をなくす。変わって起き上がりせり出し、現れてきたのは無機質と言ってもいい金属のプレート、機器、モニター類。同時に、何もなかった中央部に競り上がってきた巨大な作業机を思わせる台の上に突然薄緑と青のホログラムが列車を形作り、食堂車と繋がっていた扉が中央に絞り込まれるように閉じていく。 その意味に気づいて、思わず優は変形したリビングに走り込んだ。 「あ、やっ!」 小さくなる卵形の空間、薄暗がりのこちらに比べて猥雑に見えるほどの様々な色を塗りたくられたような世界の中、赤ジャージを着た後ろ姿が、静かに片手を握ってみせる。 「ワイテさん! 灰人さん!」 サムズアップの意味が、これほど厳しいなんて誰が想像していただろう。 『双子座ロストレイル、分離開始』 ぎちりと閉じた扉と同時に響いた声に我に返った。ホログラムの中央付近に黄色の光点、大きく輝いたかと思うと、次第に双子座ロストレイルが前後に分かれ始める。 『後部車輌損壊』 「十三さん!」 さすがの十三もたった一人では苦戦している。できるだけ早く支援に向かいたいが、この車輌を無事に運べなくては、アクアーリオに向かったメンバーの努力が無駄になる。 タイムのユーザーサポートで何とか離脱後の操縦を確認し、覚え込んだ。緊急用に使われる類なので、それほど難しい作りにはなっていない。自動走行にすれば、何とか戻れそうではあるが、問題は『予備エンジン』というだけあって、どこまで持ちこたえていけるかだ。 「ターミナルへの連絡はいってるのかな」 数々の計器類を見て回る。どれも安全範囲に入っているようで、異常を示す警告はでていない。おそらくは予備エンジンが使われた時点で、ターミナルには何かの問題が起こったという知らせが入っているだろう。だが、それならとっくに、何か情報が入ってきてもいいはずだが、予備エンジン搭載のこの車輌にも、連絡が来ているという合図がない。 トラベラーズノートを開いて、何か情報はないかと確認しようとして、灰人からの情報を確かめ、思わず優の体が震えた。 「…別のロストレイルも襲われている…」 考えていた以上に状況が悪い。他の乗客も不安そうに身を寄せ合い、資料室に集まっている。また大きく車輌が揺れた。と、資料室の彼方から、 「袁仁招来急急如律令! お前らは操縦の手伝いをするのだ!」 十三の声が響き渡り、再びロストレイルが波打って、乗客が悲鳴を上げて座り込んだ。その間を縫うように、十三の猿達が跳ね飛ぶようにやってくる。 「よし、頼んだよ!」 することは簡単な操作だ。線路の確保、障害物の回避、そして何よりも前半部車輌を見失わないように警報をセットした。それぞれに分担して運転を頼んで優は列車の中を駆け抜ける。 「っっ!」 最後部の列車が今や切り開かれた戦場となっていた。炎の猩々がワームに絡みつかれながら、次々と相手を引き千切っていく。千切られたワームはディラックの空に燃え盛りながら散り、あるいは溶け崩れてロストレイルに滴っていく。ワーム本体には雹王が飛びかかっていた。氷の息を吐かれた場所から凍りつく、その部分を鋭く蹴って空中を跳ねると、粉みじんに砕けていく。裂かれ焦がされ凍りつつあるワームの切れ端が、十三を繰り返し押し包もうとし、果たせずにいた。 「護法招来急急如律令!」 高らかに響き渡る声は圧倒的劣勢に見えながら、その実ワームの侵攻を完全に食い止めていることを示している。 「遅くなりましたっ!」 飛び込めば優の新技が効果を現した。寄せてくるワームを弾く、抜き放ったトラベルギアが防御壁を展開、間合いを変えて繰り返し飛び込み、ワームの攻撃を蹴散らし引かせていく。 だが、唐突にワームは攻撃を緩めた。しゅるしゅると自らを内側に巻き込みながら後退しようとする。 「退く? なぜ………? ……っ!」 優は背後を振り返る、仲間を乗せ、アクアーリオを閉じ込めた双子座前半部分を。優位に立っているワームが退却する理由などない、あるとすれば、命令があったから、そして、退却してもよいという命令があったというのは。 「そうはさせん!」 十三が鉄串を立て続けに投げ、逃げようとするワームをつなぎ止めた。巨大なワームがそれこそ針のような鉄串によって列車に縫い止められている異常な光景、それを楽しむ余裕など優にはない。 「十三さん、早く!」 「わかっている!」 雹王がつなぎ止められたリボンを駆けて、ワームの口の中へ飛び込んだ。同時に鉄串を散らしてワームが触手を巻き取り、縮こまる。が、そこまでだった。途中でがちりと動かなくなったワームが見る見る白くなり、次の瞬間、躍りかかった炎王に粉砕される。 「護法招来急急如律令!」 連結器を護法童子が砕く。破壊された列車がワームの破片とともに、ゆっくりと背後に置き去られていく。 綾達とアクアーリオの攻防は続いていた。 「え、いっ!」 「あははっ、早い早い!」 綾の渾身の蹴りはアクアーリオに届かない。くるりくるりとフリルワンピースを翻し、アクアーリオは舞い続ける。指先から弾かれるリボンは、何度も綾の手足を掠めている。 「く…っ!」 がくっ、と膝が落ちて、必死に転がった。擦り抜けたのは緑のリボン、片足の痺れに歯を食いしばる。 「まだ…まだ…っ!」 綾が食い止めている間に、かろうじてワイテが前へ抜けた。灰人は綾と一緒にアクアーリオの足止めに必死だ。光の矢が空を走る。アクアーリオの影を貫いて動きを止め、綾の攻撃をヒットさせようとしているのだが、影がうまく捕まらない。途中から気づいたアクアーリオが紫のリボンを弾き、そこから閃光を放って牽制されてしまう。 「灰人さん、あれ、行こう!」 「そう、ですね」 ワイテが前へ擦り抜けたのは、一か八かの全方位からのカード投擲、壁に這わせて準備していたカードに一斉攻撃させたのと同時にボーラを投げ、ボーラに片足絡まれたアクアーリオの反応が遅れた隙を狙ったのと、もう一つ。 「リオくん」 綾の呼びかけにびくりとアクアーリオは動きを止めた。周囲に蜘蛛の巣のように開いたリボンが空中でゆらゆらと揺れる。 「リオ君」 「そんなふうに、呼ぶな」 「リオくん」 「ボクは、アクアーリオ」 ワイテがたまたま口にした「リオ」の呼び名に少年は奇妙に反応した。今もそうだ、動きが止まる、隙はないけれど、時間が止まる。じりじりと灰人が移動する。 「リオくん」 「嫌だ」 「リオ」 「嫌」 「りお…」 「いや、だあああああっっ!」 「今だっ!」 距離を詰めた綾の一撃がアクアーリオの腹に入った、灰人の光の矢が震えた相手の影を貫いた、その瞬間。 「ママ・ヴィルジネ、助けて、いい子にするから!」 絶叫とともにアクアーリオのワンピースのリボンが一斉に弾け飛び、綾と灰人を襲う。 「誰もいないんですカ?」 ワイテはそろそろと先頭車輌に踏み込んだ。背後では激しい攻防が続いている、なのに、ここは不思議なほど静かだ。まるで耳を押さえられたかのように。 「……誰もいないですネ」 どうやらパパ・ビランチャは乗り込んできていないらしい。とすれば、ここで連結を切り離し、客車を分離してしまえば、アクアーリオを封じ込めて捕虜にもできるんじゃないノ? ワイテがそう考えて、客車側へ向きを変えた瞬間。 「あなたは誰ですか」 「っっ」 背後からがしりと両肩を押さえられた。低い穏やかな声、だが閃いたイメージはとかげをも凍らせる冷血。両側に均等にかかる圧力、重くはないのに、体がこのまま埋め込まれそうな圧迫感。手にしていたカードに思わず目を落とす。 『審判』 「パパ・ビランチャ…?」 「ほう……賢明ですね」 やられる。 脳裏に掠めた塔のカード、だが次の瞬間。 「ウボァー!!!」 突然目の前の通路に開いた大穴、それが何かを意識する前にワイテは外へ放り出される。 「十三さん!」 綾達を乗せ疾走する双子座ロストレイルの先頭部へ、優が必死に車輌を寄せる。 「…軽身功!」 朗々とした詠唱とともに十三が飛び移る。 「護法招来急急如律令!」 先頭車輌の客車移行部の通路を護法童子がぶち破る。 「幻虎招来急急如律令! 敵を切り裂け! ワイテ、三日月、日和坂、無事か! うっ!」 帰還を果たしかけた十三の視界に飛び込んできたのは、投げつけられてくるワイテの姿、とっさに抱えて吹き飛ばされる。その向こうに一瞬ちらりと黒づくめの男が見えた。放った符術の虎はざくりと男の背後の壁を切り裂く。 「十三さん! ワイテさん!」 優の叫び、見る見る飛ばされて行く自分に歯がみする。穴の底に居た男が、小さく挨拶するように、被った黒い帽子に触れる。背が高い。190は越えている。 「あいつだヨ」 「何っ」 「あいつがパパ・ビランチャだっテ」 悔しげなワイテの声の苦しさを分かち合う。 「く…そっ!」 「帰らなくちゃ」 アクアーリオのつぶやきに、のろのろと灰人は顔を上げる。自分は白いリボンに巻付かれている状態、隣の綾はこちらに背中を向けて横になったまま、黒いリボンに絡まれて身動きしない。 「もう、帰らなくちゃ」 アクアーリオがゆっくりと綾にかがみ込んだ。 「日和坂さんっ」 灰人が苦しい息を押し出せば、微かに相手が身動きした。 「灰人…さん…」 続くことばが掠れて潤む。 「……みんなが…助けを求めてる……」 なのに…いけないよぉ…。 「トラベラーズノート……書かなくちゃ…」 綾の声が濡れている。 「ユウ…に……頼まなくちゃ…」 「だめだよ、ママ・ヴィルジネ」 かがみ込んだアクアーリオが、そっと綾の髪にキスして微笑んだ。 「ボクと一緒に帰ろう?」 いけない。 灰人は息を整える。さっき突然の衝撃があって、なぜかアクアーリオの背後、列車に穴が開いている。一瞬聞こえた声は十三ではないだろうか。助けが間近に来ているのかもしれない。この一瞬を何とか凌げば、少なくとも綾は助けられるのではないだろうか。 トラベラーズノートを取り出し、仲間の救出の依頼を書き込む。加えて、これからの自分の予定も。 『ナレンシフ、というUFOが回収に来るのに賭けましょう。旅団の目的や本拠地も探りたいし、最悪捕虜になるのも覚悟の上です』 「リオ君」 「……その名前は嫌いだ」 「りお、くん」 ことさらはっきり呼びかけると、ぎらりとアクアーリオが目を光らせて体を起こした。 「まだ、私は元気ですよ?」 これも聖なる慈しみ深い神の、深遠なる導きによるものでしょう。 よろよろと立ち上がり、十字架を握りしめる。ぎりっとリボンが引き締まる。 「いたたたた」 呻いてよろめき、おお神よご照覧あれこれほど私はあなたを敬愛しております、そうつぶやきながら一気に床を蹴った。 「な…っ」 走り寄る、十字架から手を放し、アクアーリオの頭を抱え込むようにきつく強く抱き締め、そのまままっすぐ背後の穴へ向かって駆け抜けた。 「きゃああああ」 腕の中で響く悲鳴、だが、次の瞬間、強くしがみついてきたアクアーリオに驚いて見下ろせば。 「なんてね? ……あなたに幸いあれ」 にやりと嗤った横顔に眩い光が跳ねた。 「ワイテさん! 十三さん!」 「もう少しだったのニ!」 ディラックの空から何とか優に回収されたワイテが珍しく悔しげに呻く。 「パパ・ビランチャが居たぞ」 「え…っ」 「それに…」 十三が語った列車内の状況に優の顔色が白くなった。 トラベラーズノートを開ける。思った通り、灰人の情報、それに。 「灰人さん……あや…」 「見てヨ!」 並走している双子座ロストレイルの前半部分、十三が開けた大穴からワームに絡み付かれたような人影が二つ飛び出す。 「灰人さん!」 ではあれがそうなのか。ならば今すぐ回収に、そう走りかけた優は、次の瞬間息を呑む。 巨大な光の船だった。 ロストレイルの前半部分を軽々覆うような、光の船。 「連れてかれる…」 背筋が冷たくなって頭から意識が飛びそうになる。 追いたい、今すぐ、あの光の船を。 だが。 「……優君」 ワイテが厳しい顔でホログラムを示した。 「とんでもないことになってるヨ」 「……何だ……これは…」 ホログラムに浮かぶ列車は点々と散らばり、赤やオレンジの救難信号を発しているものがかなりある。列車サイズではないものは、ディラックの空に放り出されたロストナンバーかもしれない。放置すれば、そのまま消えてしまいかねない。 「走れるのは……数台……この近くに居るのは、あっしらぐらいだネ」 「く……」 もう一度トラベラーズノートを見た。 綾も望んでいる、仲間を助けてくれ、と。 「……相沢」 十三の苦渋に満ちた声が聞こえる。 「トラベラーズノートで知らせよう。双子座ロストレイルは一部破損のみ……要救助者は連絡請う、と」 今にも座り込みそうな優の元へ、天秤座から、射手座のロストナンバーから、そして山羊座から連絡が届く。 「山羊座……山羊座なら走行距離が長かったな」 優は思い出した。仲間うちでロストレイルや車庫についていろいろ調べたり語ったりしていた、それがこんなところで役立とうとは。 「山羊座に追走しましょう。新たな襲撃がないとも限らない…かたまって、とりあえず、ターミナルへ帰還するんだ」 なんとかそこまでつぶやいた優は、よろめくように客車に戻った。 窓の外、光の船が高速で遠ざかっていく。 何も手が出せないまま、むざむざ目の前で攫われていく、大切な笑顔。 「く……っ…あやぁあああっ!」 届かないとわかっても吠えた。 「灰人さぁああんんっ! あ、やあああああっっ!!!」 叫びよ、ディラックの空を貫け。 想いよ、彼方の人に届け。 予言する。 必ず君たちを取り戻す。
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