オープニング

 銀色の箔押しに彩られた4通の封筒は、赤い封蝋によって閉じられていた。
「これを、届けていただきたいのです」
 美しい女主人――《赤の城》のあるじにして、館長の後見人、レディ・カリスことエヴァ・ベイフルックは集まったロストナンバーたちに告げた。その美貌に変わりはなかったが、注意深く彼女を観察していたら、いつになく、彼女の困惑を見てとることができたかもしれない。
「クリスマスに、この赤の城でパーティーを行うことになったの」
 アリッサが、ロストナンバーたちに向かって言った。
「大ホールを開放して、ダンスもできるようにするし、盛大なものになると思うわ」
 館長はにっこりと笑った。そして、
「それで、『ファミリー』の皆様にも、もちろん、出席していただきます。でないと、格好がつかないでしょう?」
 と付け加え、ウィンクしてみせる。
 アリッサを知っているものなら、そんな格式に必ずしもこだわる少女でないことはわかる。「格好がつかない」と思っているのはレディ・カリスだと、彼女は言外に告げているのだ。
「ロバート卿に、ヴァネッサおばさま、エイドリアンおじさまに、リチャード翁と奥様。この4つの招待状を、それぞれにお届けして、出席の約束をとりつけてきてほしいの」
 レディ・カリスは、あとの説明はアリッサに任せたとばかりに、彼女が話しはじめてからは視線をよそに投げていた。だからアリッサが話を続ける。


「ヴァネッサおばさまは、出席して下さると思うわ。でもわがままなところもある方だから、ご機嫌を損なわないように。失礼のないようにしてくれればいいと思うの。せっかくだから、『エメラルドキャッスル』を見学させてもらうのもいいと思う」
 異世界の宝石のコレクターとして知られるアリッサの大叔母。ヴァネッサ・ベイフルックは、『エメラルドキャッスル』という、豪奢な宮殿のチェンバーで、宝飾品に囲まれた暮らしを送っているという。カリスとは仲が良いというから、招待には応じてくれるだろう。問題は、その他の面々だ。

「ロバート卿は、とてもお忙しいようなの。でもそこをなんとか。きちんとお話すればわかって下さる方だと思うけれど」
 アリッサは少し含みのある言い方をした。
 このところ、とみにロストナンバーたちへの歩み寄りを見せている前館長の従兄弟・ロバート・エルトダウン。《ロード・ペンタクル》の称号で知られるかの青年紳士は、壱番世界に莫大な資産を保有する実業家でもある。礼節を重んじるロバート卿がレディ・カリスの招待を断るとは思えないが、考えられることとしては、「渋る態度」を見せるかもしれない。ロバート卿は此度のパーティの意図を見抜いているに違いないからだ。すなわち、レディ・カリスが、ロバート卿がロストナンバーたちの好感を集めすぎるのを牽制したい、という。

「エイドリアンおじさまは、もともとこうした派手な催しは好まれない方よ。でもエドマンドおじさまがいない今、エルトダウン家の年長者としては出席していただきたいの。奥様は無理だろうから、おじさまお一人でいいわ」
 ロバート卿の父であるエイドリアン・エルトダウン。生来の人嫌いに加え、息子ロバートと仲が悪いとされているため、彼に出席を承諾させるのは難しいことだと思われた。

「そして一番の難関はリチャードおじいさま。春の花宴以来、おじいさまと奥様のダイアナおばあさまは、一切、公の場にいらしていないの。リチャード翁のチェンバー『虹の妖精郷』は翁の許しがなければ立ち入ることさえできない場所。レディ・カリスの招待状があれば入ることはできるけど、お二人が話を聞いてくれるかさえわからない。お二人はロストナンバーとは距離を置きたいようなの。どうにか心を開いてもらえるといいんだけど……」

 どうやらこの任務、単なるお使いのように見えて、決して簡単な仕事ではないようだ。


 ヴァネッサは安全パイ。
 心楽しく『エメラルド・キャッスル』を訪れたロストナンバーは、しばし呆然と口を開けて目の前の宮殿を眺めることになる。
 白い基盤の上に作られた八角形二階層の建物。上には大きな薄緑のドームを取り囲むような4つの小ドームがある。基盤の角には、小さなドームを乗せたやはり白い4本の尖塔がそびえ立つ。
 そしてそこまでは緑豊かな庭園が通路と水路に区切られて並び、訪問者は中央門から通っている二つの通路に導かれて、まっすぐその宮殿へ向かうことになる。
「これって…」
 見る者が見れば、壱番世界でよく知られたタージ・マハルそっくりだと気づくだろう。もっとも壱番世界のそれは、宮殿ではなく、霊廟、つまりお墓なのだが。
「う…わあ……細かい…」
 近づくにつれ、建物の表面に施された薄緑の石を使った象嵌細工が目に入ってくる。道理でうっすらと緑色に煙ってみえるはずだ。
「…ってか、これって……エメラルドも混じってる?」
 顔を近寄せて思わず息を呑む。単なる石だけではなく、宝石も一緒にちりばめられているようだ。
「ああだから、『エメラルド・キャッスル』ね」
 薄青い空、淡く緑がかった白い宮殿、振り返れば入り口の門まで整然と配置された庭園。静かで穏やかで。
「なんか意外…」
「もっとこう、派手派手してごたごたしてるところだと思ってた、『エメラルド・キャッスル』…」
 ほら、持ち主が持ち主だけに、と同意を求めると、残り二人もうんうんと頷いた。
「で、ここを上がるわけだ」
 けっこうな急勾配の階段を上がり、基盤部の上に立つと、やはり細かな象嵌と花のレリーフで飾られた入り口は目の前だ。
「なんかするすると入ってこれたよね?」
「だよな?」
 あの人のことだから、きっと何か仕掛けてくるんじゃないかと思ってたんだけど、考え過ぎだったな。
 くすくす笑う。

 入ったとたん、今度は別の意味で口を開けて周囲を見回した。
「悪趣味…」
「ってか、なんていうか、持ってる限りのものを飾ってみました的な?」
 楚々とした外見を裏切る豪奢な装飾、とにかく金色の花や草のレリーフで埋め尽くされた壁面、扉、天井、窓枠。白地にきらきらというかギラギラと言うか。
「目が痛い」
「なんかもうお腹一杯って感じ」
「あ、あれ!」
 小ホールの中央、磨き抜かれた白い大理石のミニテーブルの上に、これみよがしに金色の縁取りをされたガラスケースがあり、その中に見覚えのあるものが真っ白な毛皮の上に置かれて展示されている。
「『ブラッド・オブ・ジャスティス』だ」
「……これ…返す気ないよね?」
「……研究してる風でもないな」
「これは?」
 ガラスケースの手前にカードがあった。覗き込んでみると、どうやら宮殿の見取り図らしい。一階は幾つかのホール、奥まった階段を上がると二階、客室らしい小部屋が並び、再び階段を上がると、三階、つまり外から見た小ドームに辿り着く。べったりしたキスマークがその一つについているところを見ると、そこにヴァネッサがいるのだろう。
「大きなドームは吹き抜けか…」
 見取り図を手に奥へと進むと、薄青く煙ったドーム内部が視界上半分を覆った。ドームの下は扉が囲む大ホールだ。
「わ…」
「大きい…」
 再び見上げながら歩いていく。ホールを囲むように壁に取り付けられた中廊下へは幾つも階段が繋がっている。そこからなお上への階段があるはず、と確認しようとして固まった。
「あれ? 三階への階段、ないぞ?」
「扉ばっかり」
「扉の奥が階段になってるの?」
「……ちょっと待て」
 はっとした一人が慌てて周囲を見回した。
「なあ、どこから入ってきた?」
「え」
 三人は急いで見回す。いつの間に閉じたのだろう、どれも同じようにぎらぎらと金色と白の花と草のレリーフの扉壁扉壁扉扉扉……。
「おーい…」
 この見取り図の、今どっちを向いてるんだ?
「あああ、やっぱり」
 主そっくりのどうしようもない宮殿だったんだ、ここ!
 出口さえわからなくなった今、とにかく招待状を渡さなくては、帰ることもままならないだろう。
「とにかくなんとかしてヴァネッサの居場所まで行けと?」
「今、逝けに聞こえたから」
「昔、緑の魔宮って映画があって…」
「言うな」
 仕方ない。
 三人は溜め息をつきつつ、カードを片手に歩き出した。

「ここどこ〜!」
「知るか〜!」
「腹減った〜! 喉渇いた〜!」

 宮殿内で、遠く微かに響くロストナンバーの声に、ヴァネッサは小ドームで、遠く美しい景色を眺め、優雅にティーカップを傾けながら微笑む。
「せっかく来たんだから、宝石の魅力を十分に堪能して頂きましょ」
 これから先も、いろいろとお願いしなくちゃならないしねえ。
 壁に交差するように飾られた大きな鳥の羽根の中央で、『胡蝶の石』がきらりと光った。

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!注意!
『カリスの招待状』は、同じ時系列の出来事を扱っています。同一のキャラクターによる『カリスの招待状』シナリオへの複数参加(抽選へのエントリー含む)はご遠慮下さい。
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品目シナリオ 管理番号1528
クリエイター葛城 温子(wbvv5374)
クリエイターコメントどこまでいっても性質(たち)の悪い女性です(笑)。
壮麗な『エメラルド・キャッスル』を見て頂きますが、とにかく招待状を手渡すためにヴァネッサのいるところまで辿り着いてもらう必要があります。
辿り着きさえすれば、後は拒否されることはないでしょう。
では、迷宮の果てでお待ち致しております。

参加者
柊 白(cdrd4439)コンダクター 男 20歳 専門学生
幸せの魔女(cyxm2318)ツーリスト 女 17歳 魔女
墨染 ぬれ羽(cnww9670)ツーリスト 男 14歳 元・殺し屋人形

ノベル

「ヴァネッサさんがどんな人か知らないけど、この迷宮みたいにひん曲がった性格してるって事は分かったよ」
 セクタンのぐりを頭に乗せた 柊 白がうんざりとした顔で、腕を組みながら開け放った扉にもたれて唸る。白い髪の毛、赤い瞳、背丈も十分ある青年なのに、この派手な宮殿の中に呑み込まれそうに見えるのは、その容貌のせいか。
 立っているのは『エメラルド・キャッスル』の二階の壁面をぐるりと取り巻いている回廊、見守っているのは先を楽しげに歩く幸せの魔女と、墨染 ぬれ羽だ。
「見れば見るほど良い趣味をしているわねぇ。とても人間の所業とは思えないわ」
 ばたん、と手前の部屋の扉を開いて、中を覗き込みながら、幸せの魔女は肩を竦めてみせた。
 金の髪に金の眼、小柄で細身の体を純白のドレスに包んだ彼女は、とても魔女には見えないが、彼女は常に幸せな状態ではなくてはならず、降り掛かる不幸はどんな手を使っても全力で排除するという、とんでもない存在だ。
「白さんとぬれ羽さんは幸運ね。幸せの魔女の名を持つこの私と一緒にこの宮殿…エメラルド・キャッスルを訪れる事が出来たんだから。こんな素敵な宮殿に迷い込めたら、それはとても幸せな事だと私は思うの。幸せなのは当たり前、そうでしょう?」
 少し振り返って金色の目を細めて笑う。
 今のところ、ヴァネッサなり、『エメラルド・キャッスル』なりが彼女の攻撃対象になっていないのは、まだまだ彼女がこの状況を楽しんでいるからに他ならない。
「ようやく半周、かしら」
 白に確認しながら次の扉を開く。
「あらぁ…ここも壮絶」
 こじんまりとした部屋だった。
 窓が一つ、ベッドが一つ、書きもの机一つ。まるで安ホテルを思わせるような部屋の造りなのに、そのベッドに所狭しと真っ赤なルビーが広げられている。微妙に光度を落としてある照明に、ベッドが血潮で濡れているようにさえ見える。
 メインはベッド中央にある小箱、そこにはただ一つ、大粒の真珠が入っている。
 黒ビロードの小さな箱から今にも零れ落ちそうな飾り方をされているだけに、ことさらその大きさ、見事さ、どこか女性の肌を思わせる輝きが目立つ。
 側に小さなプレートが添えられていた。
 黒地に金文字、『SOUL』。
 人の体から零れ落ちた魂、とでもいうところか。
「…」
 その部屋の中をちらりと見た、ぬれ羽がこくん、と小さく喉を鳴らした。
 手当たり次第に扉を開け放っていくというのはぬれ羽のやり方だが、いいかげん疲れて、腹が減った。
 宝石はあまり好きではない。キラキラしてるとは思うけど、ただの石だ。味もしないしつまらない。でも偉い奴らは血眼で奪い合って、殺し合って、莫大な金も動く。ぬれ羽にはよくわからない。
 でも、真珠は少し美味しそうだと思う。ぼんやりした輝きは柘榴石や金剛石みたいに光を無視しないで、内側に溜め込んで、食べたら甘くてあったかそうな気だけはする。
 するだけだけど。
「…」
 藍鉄色の大袖長着にかけた黒と黒灰市松模様の袈裟を揺らせて、先へ進む。
 ぬれ羽が開いた扉の向こうは真っ暗だった。
 ここが三階へ向かう階段が隠された部屋か、と踏み込んだとたんに、ぱっと灯がつき、眩さに赤い瞳を細めると、次の一瞬激しい風が吹き込んで灰色の髪をなびかせる。
「出口?」
 背後から覗き込んできた幸せの魔女が、声をかけてきたが、
「違うようねぇ」
 ぬれ羽は振り向いて頷いた。
 部屋の中は、外と同じ金と白の草花のレリーフで埋め尽くされていて細長く、如何にもどこかへ続きそうな廊下に見えるが、よく見ると、少し先で壁に描いた窓があるだけだとわかる。風は上から吹き込んできており、斜め上に小さな窓があった。換気口か。
「ここには宝石はないの?」
 入り込んで、左右の壁に巨大な蝶が描かれているのに気づく。蝶はピンクと紫の宝石を贅沢にはめ込んで作られている。体の中央は羽目殺しの窓になっている。
「だまし絵のようね」
 幸せの魔女が窓か外を覗いてみながら呟いた。
「どういう仕掛けなのかしら。内側から外を見ているはずなのに、ここから覗くと外からこちらを見てるみたいよ」
 促されてぬれ羽も覗いてみた。
 確かに、そこから見えるのは『エメラルド・キャッスル』の全貌だ。ただし、入り口ではなく、背後から見た形だが。
 思わず戸口を振り返る。
「…」
 入り口まで戻って、壁を伝って上まで登った方が早い気さえした。
 だが、きっとここの主はそれを望まない。来た人皆、見なければならない所にある宝石。きっと見せたがり。
 ぬれ羽たちにも見せたがっている。見ないで行ったら、きっと怒る。目的を果たすには、見なければならないのだろう。
 赤い目を細める。
 脅して済むなら楽だったのにな、偉い人との付き合いは、ままならない、そう考えつつ眺めていたぬれ羽は、ふいと目を凝らした。表から見えなかった奥の小ドームの一つのテラスに人影が動いたように見える。
「なぁに? 何か見えた?」
 幸せの魔女を振り向くと、もう一度窓を覗き込み、彼女も気づいたようだ。
「あそこに居るのねぇ、ヴァネッサは」
「何か見つかりましたか?」
 二人が部屋に入ったまま出てこないのを心配したのか、背後から白の声が響いた。
「大丈夫?」
「あ! 来ないで、きちゃ駄目よ!」
 幸せの魔女が慌てて部屋を出て警告したが、時既に遅し、白は急ぎ足に回廊をやってきている。そして、その背後、今まで幸せの魔女とぬれ羽が開けてきたはずの扉が一つも開いていないのを見つけて、彼女は薄く微笑んだ。
「白さん」
「え? あ!」
 どきりとしたように白が振り返り、固まった。
「幾つ開けてきたのかしら、覚えてる?」
「えーと……4つ、ずつ、ぐらい?」
「最初のドアはどのあたりかしら」
「あのあたり…かな?」
 白がひきつり、あやふやな方向を指差す。
 実は一階で入って来た入り口を見つけようとして、既に酷い目にあっている。
 手当たり次第に扉を開けて、そのまま放置していけばいい。有限なんだ、残った扉のどれかから、いつか必ず入り口が見つかるはず、その入り口を目安にヴァネッサのいる方向を見つけ出そう。
 そう試みたのだが、なぜか開けたはずの扉が次々勝手に閉じていくのをぬれ羽が見つけ、結局誰も入り口を見つけ出せなかったのだ。
 そこで考えたのが、どこからでもいい、とにかく二階の回廊へ上がってしまい、そこから誰か一人一番最初の部屋の前に立っていて、残った二人が回廊に沿って扉を開けていけば、三階へ通じる小部屋かなにかを見つけ出せるだろう。そうしたら、その場所で一人が待っていて、残る二人が駆け寄ればいい、そういう方法だった。
「喉が乾いてきたし、さっさと招待状渡してこんな迷宮からおさらばするか、と言っていたのは、白さんでしょぉ?」
「そこはいざとなったら、幸せの魔女さんの魔法があるじゃないですか」
 にこやかに詰め寄られても、白は明るく応じる。
 ぬれ羽は再び扉を開け始める。
 さっきの部屋の方式でいけば、こうやって一つ一つ部屋を見て行くのは、満更ヴァネッサのコレクターとしてのみせびらかしばかりでもないかもしれない。
 そこに小さな意味、ヒントがあるのかもしれない。
 扉を開く。
 覗いてみる。
「…」
 金色塗れの部屋の壁に、掌ほどのサファイヤがある。プレートがやはりついていて、『盲目』とあった。澄んだ青い瞳を思わせるのに、なぜ盲目なのか。
 次の部屋の扉に向かい、開こうとすると、何かにひっかかって動かない。
「…」
 がたがた、がたがたと揺らしていると、急いで白が走ってきた。
「開かないのか? ここかな」
 ぬれ羽と一緒にドアノブを捻る。回す。動かない。引っ張っても押しても開かない。
「怪しいな。こんな宮殿で、壊れてるとか故障とかって」
 いかにも何かを隠してますって感じだよな。
「…」 
 ぬれ羽は少し首を傾げる。
 ここの宮殿はずっと同じだ。
 食い違っている。内装と外装、さっきのサファイヤとプレートも。
 見せたくないから隠しているというのは、それでいくと当たらないだろう。見せたいから隠しているんじゃないのか。
「ちょっと失礼」
 後ろからすいと手が伸びて、幸せの魔女がドアノブを掴む。
「え、あれっ」
 今度は幸せの魔女さんが目印で待ってるってことになってたじゃないですか。
 慌てる白にウィンクして、幸せの魔女はノブを横へずらす。
「押してもだめなら、引いてみるのも、幸せへの近道よ?」
「えええ」
 何だよこれ、横滑り? 引き戸? そんなのありなのか、こんな宮殿で。
 白が呆れ返りながら中へ踏み込み、一緒に飛び込んだぐりが何かを見つけて跳ねる。白は当然のように階段を見つけてにやりと笑った。
「いい勘でしたね?」
「でもこの階段」
 幸せの魔女が指でそっと差してみせる。
「下方向よ?」
「うーん」
 やっぱり、ここの主と同じでひねくれているんだ。
「ここじゃないのかなあ」
 白と幸せの魔女が部屋を出て行くのに、ぬれ羽はなおも踏み込んだ。
「ぬれ羽さん?」
 さきほどの窓は踏み込むと居場所が見えた。この階段は見せたくないから隠しているのではなくて、見せたいから隠している。
 ならば、この階段も、下方向に向かっているのではなくて。
「どうしたの?」
「それを降りたら、また一階に戻るだけだよ」
 ぬれ羽は脚を早める。
 一階? とんでもない。この階段はもっと深くに降りている。とっくに始めの階段の高さは降り切ったのに、なお下へ続いていくばかりか、薄暗闇の下に灯が見える。
「ぬれ羽さん!」
 幸せの魔女の声がする。
「おい! 大丈夫か!」
 振り返って、呼ぼうか、と口を開いたがまた閉じる。それよりも、いっそこのさきに一気に進んだ方がめんどくさくなくていい。
「あら、一階より深いじゃない」
「みたいですね」
 と、背後から声が響いてきた。足音とともに、すぐに幸せの魔女と白が姿を見せる。いざとなったら私がいるわ、と笑った幸せの魔女に、今までの努力は何だったんだよ、と呆れた白が、ぽかんとした顔で、前方を指差した。
「あれ…」
 ぬれ羽もその方向を注視して、確認した。
 階段の途中の壁に、くり抜かれたような窪みがあり、そこに小箱が一つ置かれている。白いビロードの上に置かれた真紅の宝石、それは上に飾られていた『ブラッド・オブ・ジャスティス』とそっくりな石だ。
「どういうことだろう?」
 近づいて、それがガラスケースにさえ入っていないのがわかった。白がおそるおそる手を伸ばして触れる。
「こちらが本物ね」
「報告書では、本物の『ブラッド・オブ・ジャスティス』じゃないけど…とにかく、持ち帰ったものはこれですよね」
 上の宝石とは色の深みが全く違った。
 ぬれ羽はゆっくり先に進む。うねりくねる階段は降りては少し上り、まるで地下を行く列車の通路のようだ。
「『胡蝶の石』もあるぜ」
「これもこちらが本物ね」
 今にも震えて動き出しそうな黄金の羽根、体幹のファイヤー・オパールに魅入られる。
「ここはさすがに空だな」
 次の凹みには『ヌカ・タマ・ヒ(青空の涙)』のプレートだけが残されていた。
「まだあるわ」
 幸せの魔女が進んだ先には、『銀青瞳』のプレート。
 だが、中は何も入っていない。
 その先にも凹みは三カ所ほどあり、それぞれに名前が入っていた。
「『パープル・ヘイズ』、『マーラー』、『シークレット・エメラルド』…」
 そして、その先には。
「…」
 さすがのぬれ羽も立ち止まる。木組みの小部屋に辿り着いた階段は、それから四方八方に伸びている。
「ここはどこだ?」
 白が呆然と周囲の階段を眺めた。
「出られそうかしら、白さん?」
「…」
 何だろうこれは、とぬれ羽は思う。
 こんなちぐはぐでめちゃくちゃな宮殿なんて。建築当初からこうだったとはとても思えない。
 内装と外装の差、奇妙な感じ。昔と今で、何か変わったのか。人間なんて、心なんて簡単に変わるものじゃないはずだけど。
「うーん、どこか全くわからないなあ……ああ、腹減った〜! 喉渇いた〜!」
 白の声に、ヴァネッサの部屋の鳥の羽根を思い出した。
 うろつきまわって腹が減った。焼いたら美味しいかな。じゅるり、と溢れた唾を呑み込む。と。
「私はね、今まで道に迷ったフリはした事があっても本当に道に迷った事はないわ。私は幸せの魔女、この私が道に迷って不幸になるだなんて絶対に有り得ないもの。」
 幸せの魔女が、突然宣言した。
 にっこりと、この上なく幸福そうに笑う。
「『道に迷う事なく迷宮から無事に脱出できる幸せ』を求め、迷う事なくヴァネッサのいる小ドームへ一直線に向かいます」
 さあ、行くわよ。
 純白のドレスを翻す相手に、ぬれ羽は慌てて従う。
「わかった!」
 白も急いで走り寄った。


「意外に早かったわね」
 残念、とヴァネッサは扇の後ろでくすくす笑った。
 埃に塗れた三人を、まあお座りなさい、と促す。
「ご機嫌麗しゅう御座いますわ、ミス・ヴァネッサ。貴殿の威光を拝見賜り誠に光栄に存じます。」
 依頼は依頼、と幸せの魔女が丁重に腰を折った。差し出した封書を、ヴァネッサは面白そうに眺める。
「エヴァからね?」
 ペーパーナイフで封を開けながら、
「それで? 『エメラルド・キャッスル』は楽しんで頂けたのかしら?」
 勧められた紅茶や菓子に、ぬれ羽はそっと手を伸ばした。
 香ばしくて甘い匂い。口元で楽しむ。
 その横で、お代わり、と白が勝手に紅茶を注ぎ足している。
 ヴァネッサの問いには、幸せの魔女が満面の笑みで応えた。
「宝石の魅力を十分に堪能させて頂いたわ。でも…ここには私の求めるバラマンディの心臓(ピンク・ダイヤモンド)はなかったわねぇ。非常に残念だわ。えぇ、残念だわ」
「バラマンディの心臓? 確かにそれはないわねえ」
 ヴァネッサは興味深そうに頷いた。
「その宝石はどこにあるの? まだ誰の所有でもないのかしら、それともオークションか何かにもうかかってしまったのかしら」
 それならそれで厄介だけど、やりようはあるわね、とヴァネッサは含み笑いをする。
「おぞましい噂でもたてばすぐに、人の手から手へと渡るでしょうし」
「…」
 ぬれ羽はちろりと相手を見た。
 ひどく物騒な台詞に聞こえたのは、彼だけではなかったらしい。白が何か言いたげに口を開き、不愉快そうに口を噤む。
 ただ一人、幸せな魔女だけがことばを続けた。
「それでも、これだけ多くの宝石に囲まれて暮らしていればさぞ幸せな毎日を送れるのでしょうね。私の次くらいには」
 こっくん、とこれみよがしに満足そうに紅茶を飲む彼女に、ヴァネッサはにんまりと笑みを返した。
「ええ、幸せよ。ドラマチックな物語を抱えている宝石は特にそうね。何が何でも欲しくなるわ、だって」
 刺激的じゃない。
「…」
 こくん。ごっくん。ぬれ羽と白は同時に口の中のものを呑み込む。
 やっぱり今のことばも随分危なそうに響いた。
「……どうして集める?」
 初めて響いたぬれ羽の声に、白もちかりと目を光らせた。
 ふいにぬっと立ったヴァネッサがゆっくり近づいてくると、腰を折り曲げ顔を近々と寄せて、深くぬれ羽を覗き込む。まるで相手を喰らい尽くそうとするように大きく開かれた緑の眼は、奇妙に平板で光がない。
「退屈なのよ」
 白は思わずヴァネッサを見た。
「退屈で退屈でたまらないの、毎日、毎時間、毎分、毎秒」
 そのままくりん、と顔だけを幸せの魔女に向ける。
「あなたの次になんて、不幸よね」
 にやあ、と粘り着くような笑みが赤い唇に広がった。
「だからもちろん、ご招待をお受けするわ」
「喜んで頂けて嬉しいわ、わざわざ辿り着いた甲斐があったと言うもの」
 幸せの魔女も幸福そのものの笑みを返す。
 すうっとヴァネッサは体を引いた。笑み綻んだ顔を、一瞬広がった扇が遮った。
「楽しみだわ、とても」
 ゆっくりと扇が降ろされた。
 細められた緑の瞳は、穏やかで明るく、陰一つなかった。


「一直線に来たのでしょう?」
 三人が一息ついたのを見計らって、ヴァネッサは声をかけてきた。
「他にも様々な部屋があるわ。ご案内しましょう」
 先に立って、一階へ戻りながら、ヴァネッサが次々と宝石を飾った部屋を見せていってくれる。
 黒真珠ばかりを集めた部屋。
 ダイヤモンドを星屑のように部屋中にちりばめた部屋。
 トルコ石や瑪瑙を様々な衣装とともに飾った部屋。
「ここが幻都のリーガ・ライン石の部屋よ」
「ここの珊瑚は、今はもうなくなってしまった海岸のもの」
「構わないわ、触っても。壱番世界のオークションで落としたのよ」
「サファイヤとルビーはなかなかいいのが集まらないわ」
「ああ、その持ち主は先日事故死したらしいわ、お気の毒ね」
 案内してくれるヴァネッサの後ろ姿を見つめながら、幸せの魔女がぼそりとつぶやく。
「一直線に来た」
「え?」
 白が不審そうに振り返る。ヴァネッサの隣で話を聞きながら、ぬれ羽も一瞬肩越しに視線を投げてきた。
「彼女、私達が『一直線に』来たって知ってるわ」
「あ…」
 白が再びヴァネッサの後ろ姿を見やった。
 壁に飾られたり棚に置かれたりしている宝石を、一つ一つ扇で差してみせる背中には、警戒心も見受けられない。
「聞いていたのね、ずっと。いえ、見ていたのかしら」
 私達が困惑し迷いうろたえる有様を。
 幸せの魔女はヴァネッサの伸びた背筋を凝視する。
「退屈だから?」
 幸せの魔女はくすりと笑い、付け加えた。
「懐かしい匂いがすることばね」
「引っ掛かるな」
 白は眉を寄せた。
 
 宝石探しにも飽きた時、ヴァネッサは何をしようとするのだろう。

クリエイターコメントご参加ありがとうございました。
看板に偽りあり、どこが壮麗なのか、というような秘境探検ものになった『エメラルド・キャッスル』です。
楽しんで頂けているといいのですが。

とにかく、招待を受けることに関してはノープロブレムです。依頼達成、おつかれさまでした。
公開日時2011-12-17(土) 01:30

 

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