<赤の城>のうえに、夜が舞い降りる。 0世界には時間帯や気候の変化はない。だからターミナルに夜がきて、あまつさえ、粉雪さえちらちらと舞い始めたとしたら、それは誰かがそうあれかしと望んだ結果にほかならなかった。 そのものの意図は、むろん、聖夜の夜会を彩ることに違いなかった。 普段は堅く門扉を閉ざし、その女主人同様、なんびとたりとも寄せ付けぬ厳しさを見せているその城が、今宵ばかりは訪れるロストナンバーを拒むことはなかった。 今、城門を一台の馬車が過ぎた。 降りてきたのはタキシードに身を包んだ青年紳士――ロバート・エルトダウンだ。そして彼にエスコートされているのはほかならぬアリッサ館長だった。 アリッサはなんと淡いローズピンクのイブニングドレスだった。ブルネットの髪は結い上げられ、そうするといくぶん大人びた印象になる。髪を飾るのはきらめくティアラだ。夜空からこぼれた星屑を、捕まえて髪に留めたかのようであった。 そのアリッサの手をとるロバートの袖口にはスターサファイアのカフスが光っている。 赤の城で、クリスマスの晩餐会が催されるという話はずいぶん前から巷のロストナンバーたちの耳にも届いていた。 招待状は、望めば誰でも手に入れることができた。 それを手に、赤の城を訪れさえすれば、誰でも夜会に参加できるのだ。 格式にはうるさいレディ・カリスだが、ドレスコードは特に定められていない。ただ、今夜の演出のひとつとして、『<星>をお持ちください』 とだけ示されていた。 アリッサはティアラとして、ロバート卿はカフスとして、星を携えてきたのである。 べつだん、アクセサリーでなくとも、なんらかのかたちで「星」と解釈できるもの、ゆかりあるものを携えていればよいようだ。 続々と―― 思い思いのいでたちに、<星>を身につけたロストナンバーたちが城門をくぐる。 その中には、『ファミリー』のエイドリアン、ヴァネッサの姿もある。リチャード夫妻だけは、夜会の招待を断ったと知らされていた。 パーティーは華やかなものになるだろう。 贅を尽くした晩餐に、大ホールを開放しての舞踏会もあると聞く。 さながらそれは、きらめく銀河が地上に降りたかのようなひとときになると思われた。=============!注意!パーティシナリオでは、プレイング内容によっては描写がごくわずかになるか、ノベルに登場できない場合があります。ご参加の方はあらかじめご了承のうえ、趣旨に沿ったプレイングをお願いします。=============
■ 晩餐会~煌く夜のはじまり ■ 大勢の客が長い長いテーブルに着席すると、給仕たちが皿を運んでくる。銀のクロッシュの下からあらわれる料理は、どれも見た目にも美しく、味はむろん素晴らしいものだ。 「わーすごいご馳走! ……うまっ!」 頬に星のペイントをほどこした臣 雀は前菜から全力で食べていた。 食べつつも、本来の目的(?)である、兄の姿をもとめて招待客たちへと視線を投げてはいるのだが、その間も料理を運ぶ手と口の動きは止まらないし、新しい皿が運ばれてくれば意識はそちらへ(「色気より食い気、身内の情より食欲だよ」)。 「あ、お代わりってある? ない? なかったらタッパーで持って帰っていいかなあ」 などと言って給仕をたじろがせている雀の隣では、氏家 ミチルが同じく一心に食べ物を口に運んでいた。 そこへネモ伯爵が、 「おぬしワシの後妻にならぬか?」 と声をかけた。 「!? ……いきなりナンパっスか!」 「なぬっ、ナンパとは失敬な。れっきとした求愛じゃ! ワシの後妻になれば3食昼寝献血付きの高待遇を約束するぞい」 「いやー、自分、心に決めた人がいるんで!」 「そうか? おぬしはどうじゃ!」 「えっ、わ、私……?」 ふいに振られて、椿 朱音はとまどう。 星をあしらった服装、と聞いて流星柄のトレーナーを着てきたはいいが、イブニングドレスとタキシードのあいだで肩身の狭い思いをしていた朱音だ。ネモにはじめに声をかけられたミチルは、言動はともかく服装はドレッシーだし美少女だから、その一幕を横目で見ていた朱音は、自分にもネモ伯爵の目が向いたのは(大勢の人がいるパーティーで会話の糸口がつかめなかったこともあって)嬉しくないでもなかったが、ミチルに断られたあと、「じゃあ」とばかりに振られたのは、やはり釈然としない乙女心である。まして、ネモは見た目は5歳の子どもだ。 「え、ええと……」 「キミの星はその服? 素敵だね」 別の席から助け船のように声がかかった。仲津トオルだ。 「最近金欠でロクなもの食べてなかったんだよねぇ。この食事美味しくて良いね。誰が作ったんだろうね?」 トオルはフレームの一部に星型がワンポイントで入った眼鏡をかけている。その眼鏡の向こうで、瞳が優しく笑ったので、朱音は思わず照れた。 「誰ってそりゃ料理人に決まっておろう! しかしたしかに良い腕じゃ。何、自分も欲しい?」 ネモ伯爵の肩で、使い魔のコウモリ(星型のハゲがある)が騒いだ。 「ワシは寛大な伯爵じゃ、使い魔にも分けてやるぞい」 そういってパセリとブロッコリーを与える。 「それ、その野菜がキライなだけだったりして」 「し、失敬な! ワシはなんでもまるっと残さず食べるぞ!」 その様子を見守っていたホワイトガーデンがくすりと笑った。 「もっときどった会になるかと思ったけれど、そうでもなかったわね」 同意をもとめて隣を向けば、 「……? あ、あぁすまん。少しばかり呆けていたようだ」 百田十三はふいに意識を引き戻されたように居住まいを正した。 「なにか気にかかることがあるのかしら」 「いや……。それで何の話だったかな」 「良いパーティーね、と言ったの」 「そう――だな」 十三は銀のフォークで、料理を口へ運んだ。彼の手袋の甲には五芒星が染め抜かれている。 十三は、入城するなり、ひそかに召喚した護法童子を放っていた。火燕に飛鼠は、ロバート卿やヴァネッサの動向、そしてかれらに誰が接触するのかを見張り、十三はそこにいながらにして一部始終を見ているという寸法だ。そのぶん、多少、意識がよそに行ってしまうのは致し方がない。かわりに、彼はこのあとも、かれらと対面する人々をつぶさに見ていくことになる。 仲津トオルも、『ファミリー』たちの様子を気にかけてはいたが、彼はせいぜい、パーティーを楽しみながら、ときおり、視線を走らせるくらいのことだ。 それでも、傍目に見た限りはそつなく、場は進行しているようだった。 ホワイトガーデンは、そんなことを知ってか知らずか、にこにこと、同じテーブルの人々との会話や、料理を楽しんだ。彼女の<星>はオキシペタム、ブルースターとも呼ばれる花をかたどったペンダントだ。 「食べないの?」 「……いや」 ふいに訊ねられて、飛天 鴉刃は肩をすくめた。 「ただ2人があまりによく食べるものだから。見ているだけで腹が膨れてきただけだ」 そう言ってグラスを持ち上げる。中にはワイン。 「ん、なかなか」 極上の芳香をたたえた葡萄酒は壱番世界から取り寄せたものだと聞いた。 鴉刃はアルド・ヴェルクアベル、ツィーダとともに席についていた。 鴉刃は紺色のイブニングドレスに、先のプレゼント交換会で入手した純銀のペンダントをかけ、彼女の<星>として携えていた。 「アルド」 ワインの香りを存分に味わいながら、鴉刃は言った。 「うん?」 「何か心配事でもあれば相談に乗るぐらいはできるぞ?」 「え、ええっ?」 アルドは驚いたようだ。 「べ、べつに心配事なんか……」 「そうか? だったらいいが。いくぶんぎこちなく見えたのでな」 「……ちょっとドキドキしてただけだよ。こういった夜会に参加するの、初めてだから」 黒のスーツに、モフトピアで手に入れた黄色い星のメダルを身につけてきたアルドだ。 「鴉刃やツィーダは経験ある?」 「それなりには。しかしアルドがいくら初めてでも別段緊張するとは思えぬが……」 「そうだよねー」 鴉刃の言葉に、ツィーダは笑った。 「どういう意味だよー」 「でも今日は来られて嬉しいよ。豪華な晩餐会でも、ありふれた食堂でも、なんでもいい。アルドやエヴァと一緒にいる瞬間がいいんだよね。この時が長く続きますように」 「……。ツィーダ」 「……私もそう思うよ」 「鴉刃。……ダスティンクルでは、二人に迷惑かけたね」 アルドはうつむきがちに言った。 「あの時はごめん。けど心配してくれて、手を握ってくれて……嬉しかったよ」 思わず頬が赤らむ。 そんなアルドに、ツィーダは突然、抱きついた。 「!?」 「それくらいならいつでもするよ!」 「ちょ、ちょっと、わっ」 グラスを倒しそうになって焦る。 見ていた他のテーブルからも、微笑ましげな笑い声があがった。 ■ 星のティアラを戴いて ■ 食事が終わると、人々はダンスホールへと案内された。 きらめくシャンデリアの灯りのした、ぴかぴかに磨き上げられたフロアに、盛装の人々の姿が映り込む。 楽団が演奏する優雅な舞曲が、ホールには流れていた。 フロアを取り囲むように長椅子が置かれ、踊り疲れればそこで休めばよいし、飲み物や、簡単な食べ物はいつでも用意されていた。 長椅子のひとつにはアリッサの姿がある。 そして、彼女に挨拶しようとやってきたロストナンバーたちも。 「お招きに預かり光栄です」 イェンス・カルヴィネンの礼に、アリッサは笑った。 「今夜の主催はレディ・カリスよ」 「そうでしたね。ですがターミナルの平穏な催しは館長あってのことかと」 「ありがとう。楽しんでいってもらえれば私も嬉しいわ」 「エイドリアン卿のピアノが楽しみですよ」 「ええ、私も」 「あの――」 アリッサに、おずおずと話しかけたのは黒葛 小夜だった。 「ごめんなさい。リチャードさんたちを、呼ぶことができなくて」 「気にしなくていいの。誰が頼んでも、結果は同じだったかも」 「でも」 小夜は星型のペンダントをぎゅっと握った。 「あの人達は悪い人達には見えなかった。きっとなにかわけがあって」 「小夜さん」 アリッサは小夜の髪をやさしくなでた。 「あなたは優しい子ね。……どんな理由だったにせよ、来なかったのはおじいさまたち自身の選択なの」 「クリスマスなのに、家族が揃わない……」 「家族。そうね。今度のことは、もうそんなつながりさえ、私たちには意味がなくなってしまったということかもしれないわね。でも本当に、小夜さんが気にする必要はないのよ。どうか、パーティーを楽しんでね」 アリッサが懇々と話すのへ、小夜は頷く。 「またクリスマスできて良かったな。アリッサ、かんちょはお忙し?」 アルウィン・ランズウィックがやってきた。 「そうね、ちょっと忙しいかな」 「ちゃんとお休みしたり遊んだりしてるか? お忙しいと、具合悪くなったりするからな。元気が一番デス。そんでいつかアルウィンとも遊んでなー」 「もちろん」 アリッサがにこりと笑えば、アルウィンもはにかむように、白い歯を見せた。 そしてぱっと駈け出すが、ぽろぽろとどこかに隠していたらしいパンを落としたので、慌てて拾っている。晩餐で出されたパンを持って帰ろうとしていたようだ。アリッサは笑いながら給仕を呼んで土産に包ませてやった。 「ね、アリッサ」 星のピアスをつけたヘルウェンディ・ブルックリンが話しかけてきた。 「壱番世界の件だけど、その後進展はあった? 旅団の侵略と滅びの運命は関係あるの?」 「うーん、世界樹旅団が壱番世界に干渉を始めたのは、比較的最近のことだと思うわ。だからそれは無関係だと思うけど、かれらの侵略が影響を与えないとは言い切れないわね」 「そんな。私達、呑気にしてていいのかしら。クリスマスなのにこんな話ごめんなさい。でも……」 「そのとおりだ」 ハーデ・ビラールが話に加わってきた。 「お前が旅団を敵としない理由を知りたい。どうしてだ。敵対しないことが前館長を取り戻す手掛かりになるかもしれないと思っているのか?」 「それは関係ないわ。それに、世界樹旅団が敵じゃないとも言ってないわよ」 「そうか。小競り合いは既に何度も起きている。根本的に相容れぬ思想であることも了解済みのはずだ。ならば、さっさと世界樹を滅ぼす算段を立てて、あちらの団員すべてをこちらに迎え入れればいいのではないのか」 「勇ましいのね」 アリッサは笑った。 「私も彼女の意見には反対しないわ」 ヘルウェンディも言った。 「もうすぐ妹か弟が産まれるの。その子が生きてく世界を守りたい」 「そうね……。たしかに慎重すぎると言われれば否定はできないけど……。けど、『世界樹』が私たちの想像しているとおりのものなら、それを滅ぼすことは不可能なの。それに、私たちはまだかれらの拠点を掴んでいないわ。それができるまでは防戦にまわらざるをえない」 アリッサはふたりを見たが、特にハーデのほうが納得したとも思えないので、話を続けた。 「今のところ世界樹旅団の基本戦術は少人数のチームによるゲリラ的な作戦活動だわ。私たちは世界司書の予言によってひとつひとつ、それを潰しているけれど、これからはみんなに、もっと積極的に世界群で警戒にあたってもらうことはできないか、方法を考えてみたいと思うわ」 「お疲れ様」 ティリクティアだ。 アリッサにジュースを差し出す。 「気苦労が多いみたいね」 ティリクティアの言葉に、アリッサはウィンク。 「……今日の服、大人っぽくて素敵」 「ありがとう。ティアさんも、とてもきれいな髪飾りね」 少女たちは並んで座った。 フロアでは、人々が手に手をとって、円舞に興じる。 かろやかな音楽。さざめく談笑の声。 「……あれから一年近く経つのね」 「うん」 「いろいろなことがあったわね」 「あったわ」 「……」 そして、ティリクティアはアリッサの手に手をそっと重ねた。 「これからも、がんばろうね」 ぱっと立ち上がり、ふわりと腰を落として礼をする。 「踊らない?」 「いいよ」 そこだけ切り取れば歳相応の、黄色い声をあげながら、ふたりはフロアへ駈け出す。 いささか作法にははずれるステップだが、今だけはそれも許されるだろう――。 ■ 星々の舞踏 I ■ 「要! 踊ってくれー!」 虎部 隆が青海 要に申し込む。 「あら、ダンスなんてできるの? あたしのダンス料は高いわよっ!」 要はふふん、と笑って、隆の様子をじろりと見た。ブローチタイにベストの隆は、それなりに様になってはいるが、上着もひっかけずにいるところはジゴロめいている。 「あ、良い事考えたわ、他の人とペアを組んで、ダンスバトルしましょうよ! 一緒に踊って恥ずかしくないくらいに踊れるんだったら、それからペアになってあげてもいいわ」 「なんだ、強気だな。見てろよ、よーし。……おい、綾!」 「え、あ、あたし……!?」 隆がひっぱってきたのは日和坂 綾だ。 せっかくのイブニングドレスのうえに、赤いジャージの上着を羽織っている。ドレス姿が気恥ずかしかったのかもしれないが、この場ではジャージのほうがどうかしてる、と脱がされて、フロアへ。 一方、要もなるべく上手そうな相手を物色していると、鵤木 禅が声をかけてきた。 さきほどから目に付く女性という女性に声をかけ続けている禅だ。 ふたくみの男女は、軽快な曲調の楽曲にかわったところで、そのリズムに乗り始める。 優雅というよりは、むしろ元気に。しかしのびやかで、すがすがしい。 「あら、やるじゃない」 「どーだ、俺も結構大人だろ」 要と隆が言い交わした。 「ちょ、ちょっと隆――もっとゆっくり……」 「ちゃんと着いてきてるじゃないか。蹴り以外にもいい技出せるじゃん」 「やめてよ。……でも」 綾は赤くなりながら、うつむきがちに言った。 「お城の舞踏会って子どもの頃から憧れてたんだ。だから1度、ホントにドレスで参加してみたかったんだよね……隆に踊って貰えて良かったよ」 ふっ、と隆が片頬をゆるめる。 目と目があって、思わず綾が息を呑む……その次の瞬間には彼女のヒールが鋭く隆の足を直撃するのもお約束だ。 「はう!?」 「あーっ、ご、ゴメン!」 「ありがと!」 「いえいえ、どーいたしまして」 禅は一礼すると、すぐさま別の女性を探しはじめたようだ。 要は苦笑するが、そういう彼女もすっと近くをとおりすぎたすらりとした、有翼の麗人に目を奪われる。しかし、よく見れば、女性だ。白銀の翼の美女、アマリリス・リーゼンブルグは飛田アリオから申し込みを受け(アリオはブランにけしかけられたようだ)、優雅なステップを踏む。 思わず自分がリードをとりそうになって、今日の自分はレディの側だ、と思い直す。それでもアリオが慣れないダンスにおっかなびっくりなのを、やんわりと、だが毅然ともっと背筋を伸ばして、と叱咤してしまう程度には男前ぶりを発揮していた。 「ありがとう。楽しい一時だった」 礼を言うさまはあくまで淑やかだったが。 「踊っていただいても?」 「いいの? 嬉しい」 スイート・ピーははにかみながら、有馬春臣の手をとる。 「君の時間をお借りする訳だが、暫しお付き合い頂ければ何より」 「スイート、あまり上手じゃないけど……」 ゆっくりと、ステップを踏む。 「ヴォロスでは踊ってくれた人の足を踏んづけちゃったの。あれから特訓したんだけど、なかなか上手くならなくて」 「難しいことはないよ。最初はゆっくりでいいんだから」 ワン、ツー、スリー。 春臣に導かれるように、星を映す夜の海にたゆたうように。 「……足引っ張ってないかな? ごめんなさい、運動音痴で」 スイートの言葉に、春臣は微笑を浮かべてかぶりを振る。 ゼシカ・ホーエンハイムは、ドアマンにリードされていた。 「えっと……えっと」 身長差、体格差はかなりある。それでもゼシカはおぼつかないながらも、ちいさな靴で懸命に踊った。 「なかなか筋がよろしいようですよ、リトルレディ」 「ほ、ほんとう?」 ドアマンは慣れた様子で、ゼシカに上手に動きを合わせている。褒められて、ゼシカは花のように笑顔をほころばせた。 「はやく……もっと大きくなりたいの」 ゼシカは言った。 おっきくなって、パパの事さがしにいくからね――。続く決意はこころの中で。 ドアマンは、微笑ましげだった。 (わたくしのような大木も、引き立て役にはちょうど宜しいかと) 頼もしい大木は、木陰に咲くちいさな花をやさしく見守る。 (あんなちいさな子も……) 舞原 絵奈は踊るゼシカを目に留めて、ちいさく息をつく。 晩餐会に、舞踏会。 来てはみたものの、なんて自分からは遠く、不釣合いな世界だろう。 せっかくのドレスも、まるで似合っていないように思えてきて、絵奈はひとの陰に隠れるようにしていた。 「踊らないの?」 そんな彼女に声をかけてきたのが鵤木 禅であった。 禅は今夜、さみしく壁の花になってしまう女性がただのひとりもいないようにすることこそ、おのれの使命だというように行動している。 「い、いいんですか」 返事をまたずに、連れ出される。 「よ、よ、よろしくお願いします……」 深々とお辞儀をして。 禅はそれなりに巧みであった。根っから、女性への気遣いが身に付いているのだろう。 一曲すぎるころには、絵奈もようやく緊張がとけている。しだいに、こわばった顔にもやわらかな笑みがのぼるまでになった。 「こんな私と踊ってくれてありがとう。あなたに幸せが訪れますように」 ダンスを終え、こころからの感謝を込めて礼を述べる。 禅は満足気に笑みを浮かべた。 ■ 金貨の王 ■ フロアの片隅に、グラスを手に談笑している男たちがいる。 中心にいるのは他ならぬロバート・エルトダウンだ。 傍らに立つのはメルヴィン・グローヴナー。なんとダークレッドのスーツに身を包んでいるが、彼の黒い髪と浅黒い肌に不思議なほど調和し、しっくりと違和感がない。クリスマスツリーのポップアートをあしらったポケットチーフも目立ちはするが主張しすぎないバランスで、場慣れたした様子がうかがえた。 「ここでクリスマスを過ごすのは久しぶりだとか。実は僕もね。ニューヨークの街角のクリスマスも悪くないが、ここもずいぶん賑やかになってきた。人の笑顔があるのは本当にいいね」 「本当に。みんなが笑っていられるって、とても素晴らしいことだもの」 もうひとりは蓮見沢 理比古だ。 こちらはなんということはないシャツに、簡単にジャケットを羽織っているだけだが、そのわりに見劣りして見えないのは長身ゆえかもしれないし、ふたりの紳士のまえに気後れした様子を見せていないせいかもしれない。理比古はギベオン隕石製だというヘアピンで前髪をとめている。ともすれば奇矯に見えなくもないが、不思議とそれが似合っているのだ。 「金の高騰もそろそろ落ち着くと見るかね」 「吊り上げているのは貴方じゃないんですか」 「えっ、そうなんですか。リーマンショックのあとにキャッシュ目当てで売られたぶんを、その後、どうせまた上がるからって買い占めた人が随分いるそうですけど」 「失敬だな。ロバートくんこそ。こう聞けばよかったな。金の値段はまだ上げるつもりなのか?と。理比古くん、このロード・ペンタクルこそ壱番世界の経済の黒幕なのだよ」 世間話のようにかろやかな口調で、その実、世界経済について論じている3人だ。ああ見えて、間違いなく、数多の名士を輩出してきた一族の当主なのだな――と、虚空は思う。彼は理比古の背後に、影のようにつきしたがい、主人たちの様子を一歩引いて眺めている。主人に命じられて今日はスーツだ。タイピンが揃いのギベオン隕石である。 そんな虚空は、かれらに別々の方向から近づいてくるふたつの影にむろん、気づく。 うちひとりは武器――懐に銃を持っていることがわかったので、瞬間、備えたが、殺気はないので、わずかに立ち位置を変えるにとどめた。 「あのっ、先日は秘書さんに好き勝手言ってスミマセンでした」 「聞いたぜ、ロストナンバーに色恋沙汰の後始末させたって。そのうち刺されても知らねえぞ」 同時に話しかけたのは、一一 一と、ファルファレロ・ロッソである。 ロバートはあいまいに微笑んでみせた。 「あの時、本当は最初から彼女の真意に気付いていたんじゃないんですか?」 一が続けるのへ、 「そうですよ。レディ・カリスの招待にただ『うん』というだけでは、せっかくいらしたみなさんがただのお使いになってしまうでしょう?」 と応える。 一は隠す様子もなく頬をふくらませた。 「でもそれって……。ホント、いつか刺されるかもしれませんよ」 「まったくです。実際、ヘンリーは刺されたじゃありませんか」 思いもかけない名が出る。 「……」 それなら容赦すまい、とでもいうように、一は一拍置いてから、訊ねた。 「それで、ご家族とは上手くいっていらっしゃいます?」 「家族の定義によりますね。僕は最近、みなさんやレディ・カリスとはもっと仲良くすべきだと考えているのですよ」 「逆に言えば、それ以外の連中とは敵対しているという意味かね」 ファルファレロはにやにやと笑った。 「ロバートさん」 口を開いたのは理比古だった。 「貴方の守りたいものは何ですか」 澄んだ瞳がまっすぐにロバートを見る。 「世界の自由です。自己矛盾と思われるかもしれないが」 「それは壱番世界という意味か」 虚空だった。 影のように理比古の傍らに控えていた忍びが、そっと口を開く。 「あんたの雰囲気が他のファミリーと違うのは、外を向いてるからなのかね。俺はアヤのいる壱番世界を愛してるが、あんたは?」 「もちろんです」 「だったら。愛する奴の為ならプライドも捨てるって言ったよな」 ファルファレロが引き取った。 「てめえが愛する壱番世界……その存続の為に他の何を犠牲にする?」 「痛いところを指摘するのですね」 苦笑めいた笑みを、ロバートは浮かべた。 「僕はなにもかもを手に入れすぎて、なくして困るものが逆になくなってしまったのですよ。ヘンリーやエディは自分自身を賭けたけれど……僕も必要とあらばそうしますが、あまりに部の悪い賭けは意味がありませんからね」 「なにもねぇってことはないだろ。おまえにもまだ大切なものがあるはずだ。それと引き換えに世界が救えるとしたらどうする? たとえば……母親とか」 「おやおや、ずいぶんロマンティックなことを仰るんですね。僕の母はとうに亡くなっているじゃありませんか。それに、ひと一人の犠牲でどうにかなるようなことなら誰も困っていませんよ」 その少しあと、青銀色の星飾りを携えた相沢 優がロバートのもとを訪れた。 「お久しぶりです」 グラスを持って、挨拶。簡単に、近況などを述べた。 「……あのあと、いろいろ考えて。あの時は失礼しました」 「いいや。僕が言いたかったのは、伏せられているカードはいくつもあるが、すべてが使えるカードではないということだよ」 「ただ聞く、知るだけでは意味がない――、ですか。でも、俺は壱番世界を守りたい、その為に知る事が必要ならば、今後も自分自身の力で、悪あがきでも何でも続けて行きます」 「そうだね」 ロバートは微笑んだ。 「僕たちはきみたちが知りえないことを知っているが、逆に、だからこそ、僕たちにはできないことがたくさんある。きみたちは知らないからこそそれができるということもあるんだ」 「覚えておきますよ。そうだ」 優はコインを取り出す。 それを握りこみ、てのひらを開くと消えていた。 「失礼」 ロバートの胸ポケットに手をのばし、そこからコインを引き出す。 「お見事」 「練習してみたんです」 肩をすくめた。 じゃ、と去ろうとする優を、ロバートは引き止める。 「待ちなさい。……以前、公邸の庭園を案内してあげたね」 「ええ」 「しかし、すべての庭を案内することはできなかった。あのとき見せられなかった庭も、いつかきみたちに見てもらいたいんだ。だがそれは、僕にはいささかやりにくいことなので」 「……」 言わんとせんことを汲み取ろうとする優をよそに、ロバートは視線を別の方角へ投げた。 「お嬢さん。よければこちらへ。さきほどからずっといらっしゃいますね」 「あなたを見てたのよ。何がそんなに楽しそうなのかなぁって」 リーリス・キャロンはカーテシーの動作で一礼。 通りがかったウェイターの銀盆からグラスをとると、ロバートへ渡した。 「……はい、どうぞ? ずっとお話してると疲れたでしょ? ……ジュースよりお酒が良かった?」 「これで結構ですよ。あなたはパーティーは退屈ですか?」 「楽しいこともあるわ」 「あなたにもあの庭は見てもらいたいものです」 「何のお話?」 ふふふ、とロバートは笑った。 リーリスは猫のようになめらかな動きで、ロバートに近づき、ごく自然にその手をとった。 「長いよね、二百年。たった1つだけに特化して……ファミリーはそうやって、形を保っているんだね……」 「でもそれが、このターミナルの礎なのですよ。僕もその一員である以上、協力できるのはここまでですが」 それだけ言うと、ロバートは黙礼を残して立ち去ってゆくのだった。 ■ 星々の舞踏 II ■ ダンスは、続いている。 それぞれに着飾ったロストナンバーたちの舞踏は、実に華やかだったが、中でもカンタレラとクージョン・アルパークのペアが目立っていた。 濃い緑のサテンドレスのうえに赤いストールを銀細工で留めたカンタレラは、もとより人目をひく美女であったし、リードするクージョンのステップは変幻自在で、あやつられるように豊満な肢体を躍動させるカンタレラの姿は、夢の世界の住人のようだった。あたかも魔術師が魔術で現前させた美しい幻のように、カンタレラはクージョンの腕のなかで情熱的に踊る。 楽曲はおもにワルツだったが、ふたりが踊るそれはタンゴのようにも見えた。 「……」 Marcello・Kirschは、遠く、カンタレラたちのダンスに、はっとちいさく息を呑む。 「……どうか、しましたか」 サシャ・エルガシャが小首を傾げて問うてきた。 「いや」 ヴォロスのマスカレイドの夜のことを思い出していた。まるで美しい夢だったような、赤いランタンの残像……そんな想念を今は捨て、傍らの同行者へ意識と視線を向ける。 「ロキ様、ワタシ慣れてなくて……」 「それは何回も聞いたよ」 Marcello――ロキは笑った。 アパートメントまで、彼女を迎えに行ったときから、サシャはずっと緊張していて、せっかくのドレスも似あってないのではないかとか、自分でダンスの相手が務まるのかとか、そんなことばかり心配しているようだった。 「その服、とても似合ってる」 「あ、ありがとうございます」 ふたりは音楽に合わせて身体をゆらしはじめた。 ロキが髪を結んだ紐につけた星型のチャームが、動くたびにゆれてきらきらと灯りを反射する。 今夜のダンスホールを燦然と彩る星々のなかに、ふたりも数えられていった。 「あの、私……こんなつもりじゃなくて――だから、こんな格好で」 流鏑馬 明日は地味なパンツスーツ。 なにせ彼女は、大勢が集まり、図書館の要人も参加するこの会でなにかあってはと、頼まれたわけではないが警備につもりでいたのだから。 そんな彼女をフロアへ連れ出したのは細谷 博昭だった。 細谷はタキシードである。彼の<星>としてラペルブローチが輝く。 細谷の踊りは巧いものだった。不慣れな明日を上手にリードしている。彼が明日を誘ったのは、壁際から会場を見渡す明日の、職業人としての警戒の視線のなかにもほんのわずかにある、華やかなダンスホールへのあこがれのような色を見てとったからだ。直接質せば、彼女は否定するかもしれないが。 「フロアに出てみなければ、わからないこともあるでしょう」 そんなことを言って、納得させた。 納得させられたものの、いざ踊りだしてみるとどうしても恥ずかしさのたつ明日である。 こんなことなら、もうすこしお洒落してくればよかったな、と彼女は思った。 奇妙なふたりの姿があった。 銀の紋章がついたマントの、ふたり――ニッティ・アーレハインと、ブレイク・エルスノールである。 「ね、ニッティ」 ブレイクが疲れたような声で言う。 「男同士で踊っても楽しくないんじゃない?」 というか、実際、楽しくない。 さきほどから、ニッティにひきずられるようにして、フロアのあちらこちらへと。 「別にブレイクサンが楽しいかどうかはどうでもいいんです」 ニッティはそっけなく答える。 それはあんまりだと勢い込むブレイクだが、ニッティがはっと表情を変えるのを見て、その視線をたどった。 その先には―― 「あー、ドミナとヴィクトルさん」 ぐぐぐ、ニッティが奥歯をかみしめるのを見て、ブレイクはにやりと笑った。 「……あれ、ニッティ、もしかして妬いてるの? 確かにドミナって、元居た世界じゃ男性からケッコウ人気あったよね」 「なんデスカブレイクサン。ボクはただ仲間としてドミナサンの動向を見学しに来ただけデスヨ」 「ほほー」 遠くでそんな一幕が演じられているとは知らず。 ドミナ・アウローラはヴィクトルの胸に自らを預けるようにして、流れる舞曲のなかをたゆたっていた。 「ヴィクトル様、貴方が幼い私の元を去ってから、何年経ったかしら」 「6、7年は経つか。……この世界で貴殿の姿を見たときは驚いたものだ」 ドミナは笑おうとしたが、うまく笑えたか自信がない。 沈黙を、音楽が埋めてくれるのが、今はありがたい。 (世界の次元を超えてまで、私が追いかけてくるとは思ってもいないと思うけれど。そしてこの行為が、貴方にとって重荷になっているかもしれないけれど) 心の中では彼女は饒舌だ。 その思いを察してているのかどうなのか。ヴィクトルは静かに微笑むばかり。 「ヴィクトル様」 ささやくように、ドミナは言う。 「せめて今夜だけは、私の傍にいては下さいませんか」 「ドミナ、我輩は……かつての仲間を忘れてしまったように、貴殿を忘れてしまうことを恐れた。だから、今夜の事は忘れぬことを願おう」 ■ 緑宝石の未亡人 ■ 長椅子の背にもたれかかり、ヴァネッサ・ベイフルックはけだるげにフロアを眺めていた。 「こんばんはヴァネッサさま。今宵もご機嫌麗しゅう」 話しかけたのはハギノだ。 今夜のハギノはタキシードである。タイピンは星をくわえた獣をかたどっている。 「今夜も素敵な宝石(いし)をお持ちですね。見せてもらっても?」 「あら! そのサファイア、とっても素敵ですわね」 いつのまにか、バーバラ・さち子がいて、のぞきこんできた。 しばし、ヴァネッサが見につけている宝石の数々を見せてもらい、これはどこで買ったの、こちらはどこから取り寄せたのという話に花が咲く。 「これも加えたら映えますわ」 さち子がヴァネッサの手をとり、握らせる。開いたときには、ピジョン・ブラッドのルビーの指輪がそこにある。 「よろしければ」 「まあ。わたくしの指輪のサイズをどうやって調べたの?」 それにはニコニコ笑って答えない。 「お似合いですよ、とても」 ハギノもヴァネッサと宝石を褒めた。 「星が集まるこの宴で、いちばん輝いておられる」 「よく言うわねぇ、さきほどからずっとぺらぺらと」 「あなたも如何?」 さち子が虚空から花を取り出し、ハギノの胸ポケットに飾ってやった。 「これはどうも」 微笑み返す。 と、そこへジュリアン・H・コラルヴェントが姿を見せる。 「お久しぶりです。今日は格別に素敵なコレクションをお持ちですね」 「それほどでもないのよ。おもに昔、壱番世界で手に入れた古い持ち物をたまにはと思って身につけただけ」 「レディ・カリスに敬意を表して?」 「そういうことにしておくわ」 「なあ太太。ちょっと話したいんだがいいか」 中国語の、婦人への呼びかけをしてきたのはリエ・フーである。 人民服の襟には星の刺繍。彼は以前、アリッサを通じてヴァネッサの依頼を受けたのだと前置きし、 「あんたが自慢げに飾ってる『胡蝶の石』、ありゃ偽物だ」 と告げた。 「まあ、突然、不躾なことを言うのね」 「本物はあんたの手が決して届かねえとこにある。……リーラの胸ン中さ」 「……。何が言いたいの?」 「あんたが宝石を集めたがる本当の理由は」 「ただ欲しいからだけではいけないの?」 「本当にそれだけ? 実の所世界群に宝石をばら撒いた犯人にご執心だったりしてな」 ほほほ、とヴァネッサは笑い、扇で口元を隠した。 「……そんなひとがいるのなら会ってみたいものだわ。……いいわ、それがあなたの推理だというなら、その犯人とやらを捕まえてごらんなさいな。白い鴉がいるかどうかは、その一羽を檻に入れてきたなら認めてあげるわ。でもそんなものが最初からいなかったとしても、わたくしを恨まないで頂戴ね」 ジャック・ハートはつやつやと輝く卵型のものを、うやうやしく差し出した。 「宝石じゃない星屑さ」 それはモフトピアからもたらされた。もとは流れ星だったという。 「宝石じゃないが、それでも自分で取りに行けば面白いぜ……今度一緒に取りに行かないか」 「なんですって」 ヴァネッサは驚いたようだ。 そんな率直に、誘ってくるものがいるとは思わなかった、という顔だ。 「どういうつもりなの」 「あんたに興味がわいたし喜ばせたくなった。それはあんたが退屈を宝石探しで紛らわせるほど優しくて可愛い女だからだ。アリッサの親族だけのことはあるよな」 「……退屈はしないでしょうけれどね。けれど最近はなにかと物騒でしょ?」 「怪我はさせない」 「考えておくわ」 あまり気乗りしなさそうな顔で、ヴァネッサは応えた。 そんなヴァネッサの様子を、たまたま雪・ウーヴェイル・サツキガハラは見届けることになった。 彼は騎士の甲冑で来ていたが、胸元に花が挿されているので、夜会の風景にはなじんでいた。花はオーニソガラム。6枚の花弁をもつ可憐な花は、別名を「ベツレヘムの星」。 「なぜ、自分からは皆の輪に入らないのです?」 彼は訊ねた。 話しかけられれば愛想よく答えもするが、自分からは動かない。贈り物は受け取るが、誘いはやんわりと断る。そんな様子を雪はずっと見ていたのだ。 「べつに。わたくしはこれでいいのよ」 ヴァネッサは超然と応えた。 雪は続ける。 「すべての宝石を手にしたら、あなたの飢えと渇きは収まるんだろうか」 「それはわからないわ。別のなにかに興味が移るかもしれないし。 扇の陰で、ヴァネッサは欠伸を漏らしたようだった。 ■ 冬空の奏者 ■ フロアに流れていた楽団の演奏が波が引くようにすこしづつ静かになっていった。 かわりに、ひとりの紳士がグランドピアノの前に着席するのが見える。 今宵の趣向のひとつである、エイドリアン・エルトダウンによる演奏がはじまるのだ。 やがて、流れだした繊細な旋律に、いつしかフロアの人々は聴き入ることになる。誰も聴き覚えのない曲で、どうやらエイドリアン自身の作品であるらしかった。 さほど、長い演奏ではなかった。 曲が終わると、わっと拍手が沸いたが、演奏家の横顔は冷静で、ただ、楽譜をめくっただけだ。 次は楽団も加わって、壱番世界のクラシックが演奏された。バイオリンにムジカ・アンジェロが加わっているのに、気づいたものもいたかもしれない。 エイドリアンに劣らず、終始不機嫌そうだった由良 久秀が、このときだけ、かすかに片頬をゆるめた。 最後に、もういちどソロの演奏があって、みじかいエイドリアンのコンサートはお開きとなる。 レディ・カリスが花束を渡したが、エイドリアンのおもてに笑みが浮かぶことはなかった。 それでも、演奏を終えたかれのまわりには、賛辞を述べようと集まってくるものたちが大勢いたのだった。 「なるほど、噂に聞いてはいたが素晴らしい曲だ。だが、残念なのは、こんなにも素晴らしい曲を紡ぐ人間が不機嫌であってはもったいない」 タバサ・フォーゼは無邪気に言ってのけた。 誰しもが思ってはいてもあえて口にしなかったことだ。 「それでは我輩を始め他の者の感動が半減するであろう? はて、どうしたら気分よく引いてくれるのであろうな? エイドリアン?」 「もとより、大勢に聴かせることが本意ではないので」 エイドリアンはすげなく応えた。 「誰かのために――誰かのためだけに、お弾きになるのね」 言ったのは東野 楽園だった。 彼の演奏がはじまると知ると、もっとも良い場所に席をとり、終わると惜しみのない拍手を送った彼女である。 「ねえおじさま、一つ聞かせて頂戴。今夜の曲は誰に捧げたの? カリス様?……違うわね、きっと」 「最初に弾いたのは、私が妻のためにつくった曲だ」 「やっぱり! ……でも、今、弾く時思い浮かべた人は一緒? おじさまが奥様以外の女性を囲うだなんて、私には信じられないのだけれど」 「なんだって」 エイドリアンは驚いたようだ。 「いったい誰がそのような下賎なことをきみの耳に入れたのだろうね。とんでもない。私が妻以外に心を移すなどと」 「素晴らしい演奏じゃった……細君のための曲と聞いて納得、ワシも亡き妻を思い出したよ」 胸に赤いバラ――「レッドスター」という名のバラだ――を挿したジョヴァンニ・コルレオーネが演奏を褒めた。 ほかにも、次々に彼のピアノを讃えるものたちがあらわれ、エイドリアンは大して顔色は変えないものの、いくぶん声がやわらかくなったのは、そうされると存外にまんざらでもないらしいのだ。 「時に貴殿は息子さんと仲が悪いと聞くが」 だから、折を見て、ジョヴァンニは言った言葉にも、即座に会話を切り上げるほどではなかった。それでも、やはり愉快な話題ではないとみえるエイドリアンに、ジョヴァンニは、 「ワシも娘と冷戦していた時代があった。今はそれを後悔しておる。ロストナンバーといえど時間は無限ではない……後悔を増やすものではないよ」 と言った。 「それはご忠告でしょうか」 実質はともかく、見た目ではジョヴァンニが年長者と見て、エイドリアンは慇懃に応える。 「ロバートとわかりあえずに、この身が果てるときがきても、私が後悔するとも思えませんが。……というよりも、べつだん、私は息子を憎んだりはしていませんよ。ただ向こうが、子どもらしい意地を張っているに過ぎないのですから」 客たちとの会話を終え、控え室に下がろうとホールを出たエイドリアンをふたりの人物が待っていた。 ムジカ・アンジェロと、由良 久秀だ。 ふたりが『ネモの湖畔』へ今夜の招待状を届けた。 「約束通り、参りました」 そのとき、ムジカはひとつの物語を語り、しかし、終いまでは話さなかった。続きはパーティーの夜に話しましょう、と。 まさかそれを聞くためだけにエイドリアンが来たとは思わないが、約束は約束である。 「音楽家が天使をどうしたか、という話だったな」 ムジカは頷き、そして語る。 「音楽家は天使を殺した。けれど音楽は死なない、彼は何度でも現れて、創造主を責め苛んだ。やがてかれが命を断つまで」 「……そんなことではないかと思っていた」 と、エイドリアン。 「あとで、演奏を聴いてもらっても? 例の旋律を、あなたに聞かせたい」 ムジカはそう言って、バイオリンを示した。 「1722年製ストラディヴァリ――『ジュピター』か。良い品だ。少し休んだら聞きにこよう」 頭を下げるムジカ。 かわって、久秀が進みでた。 「この前の写真だ。気に入らなければ捨てるなり、好きにしてくれ」 無地の封筒を渡す。 中には、彼が先日『ネモの湖畔』で撮影した写真が入っていた。 「それだけだ。では」 久秀の要件はそれだけのようだった。 ■ 赤の女王 ■ 坂上 健が、レディ・カリスに近づいてきたのは、もう宴も佳境を過ぎた頃だった。 はやめに退出するものもいるし、パーティーはだいぶ落ち着いてきている。ここまで、大きな問題がなかったのだから、おそらく、今宵の宴はつつがなく終わったと考えてもいいだろう。 レディ・カリスの顔にもしだいにその安堵の色が見え始めるのを見計らって、健はやってきたのだった。 「お邪魔をしても?」 カリスは、長椅子にかけ、傍には南河 昴とシーアールシー ゼロの姿があった。 「今、カリス様がモフトピアを訪ねたときのお話をうかがっていたのです」 と、ゼロ。 「カリス様が?」 「ずっと昔――図書館が創立されて間もない頃、なんですって」 昴が応えた。 「あの頃は、わたくしもロストレイルに乗ってさまざまな世界へ出かけたものよ。……いただくわ」 レディ・カリスは健の差し出す深紅のバラを受け取った。 「それが貴方の星?」 彼女が目にとめたのは、盛装の健の、唯一、らしからぬ、ポケットから垂れた布製のそれだ。 「おもしろい」 昴がアイデアに目を見張った。 健の持参した星は「モーニングスター」だ。 「貴方もなかなかだったわよ」 「光栄です」 昴は褒められて照れた。彼女は自身の名前「昴」そのものを星だと告げて門をくぐってきたのだった。 「……どこまで話したかしら?」 「ひつじアニモフがもふもふして、ふかふかして、ふわふわしていたところまでです」 「それはもう言ったわ」 「いくら語っても語り足りるということはないのです」 ゼロが力説する。 「レディ・カリスはきっとお疲れなのです。安らぎの不足を感じるのです。そういうときはふわもこ分の摂取をお奨めするのです。なぜなら安らぎは万人にもたらされるべきものであり、ふわもこは人類の夢であり世界の宝だからなのです」 「……そうね。あの愛すべき世界へももうずいぶんと行っていないわ」 「お忙しいのでしょうね」 健が言った。 でも――、と昴が加わる。 「こんな素敵なパーティーをやってくださって。わたし、ターミナルには夜や星がないのがすこし寂しいな、って思ってたから」 「夜会の主人役、本当にお疲れさまです。……でもそろそろお開きも近いんじゃないですか。宴の後なら踊ってくださいって頼めば受けて貰えるのかなぁ――、と思ってさ」 ふいに、健がそんなことを言った。 「わたくしにダンスを申込むというのね」 「頑張った人にはサプライズプレゼントがあっていいんじゃないかな?」 「それはどういう意味かしら。プレゼントを受け取るのがわたくしなら、貴方はずいぶんと自信家だわ。プレゼントを受け取るのが貴方なら、その頑張りの中身によるけれどと。……でもいいわ。お受けします。次の曲にしましょう。すこしだけ、待っていただける?」 その、曲がかわるまでの寸隙をぬって、ハクア・クロスフォードが近づいてきた。 ウェイターに運ばせたグラスをレディ・カリスに差し出す。 貴腐ワインのまろやかな香りがふわりと立ち上る。 「以前渡した札は上手く活用したようだな」 低く、囁く。 「ええ、使わせていただいわ」 「今後もいりそうか」 「なんとも言えないわ」 「必要なら届ける。……今夜の催しに感謝を」 それだけ言うと、きびすを返した。 かれが消えたフロアに、まだ星はまたたいている。 レディ・カリスは立ち上がると、健にエスコートされて、ゆっくりと、そのなかへ歩み入った。 ■ 星々の舞踏 III ■ 「どうしたんですか店長?! いつ覚醒しちゃったんですか?! 店のみんなが困っちゃうじゃないですかぁ?! それにこれ何のコスプレ……あれ?」 駆け寄ってきた川原撫子、その翼をむんずと掴んでから、ようやく相手が別人であることに気づいたようだ。すなわち、彼女の知人――バイト先の店長ではなく、ラファエル・フロイトであるということに。 「ごめんなさいごめんなさい! てっきりウチのゴッド店長だとばっかり……本当にそっくりなんだもの」 なるほど、彼女が携帯電話で見せてくれた写真の人物は、ラファエルに面立ちが似ているようだ。ラファエルはいえ、気になさらず、と言ったあとで、 「先日は、シオンがお世話になったそうですね。御礼申し上げます」 「あの、これも何かの縁だと思うので……。踊って貰えますか?」 「素敵な店長さんの名代がつとまりますか、どうか。……お手をどうぞ」 「憧れてたので……。嬉しいです」 「憧れていたのは店長さんに、でしょう」 ラファエルは笑い、撫子は恥ずかしそうにうつむいた。 「おっ、誰かと思ったらディーナ姉さんじゃん。こういう席だとみんな綺麗で緊張するよなぁ」 「シオンくんは、踊らないの?」 月と土星のイヤリングをつけたディーナ・ティモネン、話しかけてきたシオン・ユングに問いかけた。 「ダンス下手なんだよな~。店長みたいに上手くリードできないから、百年早いとか言われそうで」 そう言ってシオンが示した方向では、ラファエルが撫子をリードして踊っている。 「クリスマスなんだもの……。ラファエルさんは怒らないと思うけど?」 私も上手くないけど、踊ってくれる? と、手を差し出すディーナ。 シオンは――普段の彼の仕事を考えると意外なほどに――照れたような表情でその手を取り、踊りの輪に入った。 「シオンくんは女の子に優しいから、安心して頼めるの」 「ディーナ姉さん、上手じゃん」 「少しだけ、練習したの。踊ってくれる相手の足、踏みたくなかったから」 「よ、よかったら一曲宜しくお願いします!」 七夏から声をかけられて、ヒルガブは片眼鏡の奥で目をしばたいたあと、たっぷり1分近くは無反応だった。 「……私ですか?」 「は、はいぃ」 その間、七夏は緊張のあまり倒れる寸前であった。わざとならそうとうな手練といわざるをえないが、どうもそうではないようだ。世界司書はおっとりと、 「まさか、私と踊りたいなどという、奇特な方がいらっしゃるとは」 「いえ、その……私、ヒルガブさんのことは以前、お見かけしたときから気になって――」 「そうなんですか?」 「……あぁぁえっと! その、服の布が!」 「ああ、これですね。この生地は実は……」 それから5分近く、ヒルガブの衣裳の話に費やしてしまった。 こっそりと息をつく七夏。 「……っといけない、ダンスでしたね」 と言われて、ぱっと顔を輝かせる。 ようやく、ワルツのなかへとふたりは歩み入ることができた。 「足取りもしっかりしているし、顔色もよさそうだが」 クゥ・レーヌは、近づいてきたエドガー・ウォレスに向かって言った。 「至って健康。ただちょっと、動悸はするかも」 「どれ」 タキシードの腕をとり、カフスのしたの手首にふれた。 「やや脈が速いが正常範囲だ」 「そう? でもいくつになっても、女性をダンスに誘うときは緊張するものだよ」 エドガーは言った。 「まさか私? 物好きだね。綺麗な壁の花はいくらでもいるのに」 「迷惑だったかな」 「いいや、とても嬉しい。ありがとう」 そうして、エドガーはクゥを誘うことに成功した。 クゥ・レーヌは、酔客の介抱要員として来ていたから、いつもの白衣姿だったのだが、さすがにそれでは、と白衣を脱いだものの、盛装のエドガーと釣り合うかといえばあやしい。しかしエドガーがそれを気にするようでもなかった。 以前から一度話してみたかった、自分も医師だ、と、音楽に乗りながら、彼は言った。 「すごく綺麗な羽根ですね……お空と同じ色をしています」 黒嶋 憂のやわらかな賛辞は、ラファエル・フロイトに向けられたものだった。 撫子と踊り終え、給仕から受け取ったシャンパンで喉をうるおしているところ、そんなふうに話しかけられたのだ。 「ありがとうございます。場ふさぎになるので、たたんでおこうかと思っていたところでした」 「ここは、踊る場所なのですね」 憂は、陶然としたようすで、フロアを見遣った。 美しい音楽に、きらめくような衣裳の男女。華やいだ空気。 憂とラファエルは名乗り合った。 「ラファエルさんはもう、踊られたのですか?」 「ええ。先ほど、お声がけいただきまして」 「では……、お誘いしたら、私と踊ってくださいますか?」 「私などでよろしければ、喜んで」 手をとられ、フロアへと。 憂は、鳥が好きだ。だからつい、羽根に目をやってしまう。 踊ってもらえたことも嬉しくて、自然と笑顔が花開くのだった。 大勢のオペラパンプスやドレスシューズが行き交うなか、くるくると踊っているセクタン――らしき生物がいる。ヒトデ型のきぐるみをまとったデフォルトフォームに見える。星……のつもりなのだろうか。 謎の生物は、次々に来場者のセクタンたちに近寄っていく。 相沢 優のタイム、サシャ・エルガシャのガネーシャ、東野 楽園の毒姫、日和坂 綾のエンエン、椿 朱音の姫、ムジカ・アンジェロのザウエル、ジョヴァンニ・コルレオーネのルクレツィア、ゼシカ・ホーエンハイムのアシュレー、川原 撫子の壱号、Marcello・KirschのHelblindi、ファルファレロ・ロッソのバンビーナ、南河 昴のアルビレオ、坂上 健のポッポ、虎部 隆のナイアガラトーテムポール、黒葛 小夜 の小枝、青海 要の富士さん、メルヴィン・グローヴナーのネクサス、イェンス・カルヴィネンのガウェイン、エドガー・ウォレスのビリケンさん、虚空のHimmel、蓮見沢 理比古の輪廻、仲津 トオルのグミ太……セクタンというセクタンにダンスを申込んで(?)は踊ってもらったり断られたりしていたが、リエ・フーの楊貴妃の狐火が着ぐるみに引火するという事故により、火だるまになり、池のある庭のほうへ走ってゆくのが最後に目撃された(その後の詳細は不明)。 赤の城の聖夜はさざめきながら更けてゆく。 星空から舞い降りる雪が、その尖塔や城壁を白く変えても、なお――。 (了)
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