『日和坂綾さん。日和坂綾さん。おられましたら、図書館ホール、1番カウンターまでお越し下さい』 そんなアナウンスが世界図書館内に響き渡った。 呼び出し? なにやらかした? 仲間たちの軽口にからかわれながら名乗り出た日和坂綾を、リベル・セヴァンは館長の執務室へと連れてゆく。「ごめんね、急に呼び出して」 アリッサはにっこり笑って、綾にソファーをすすめた。 そして。 「襲撃容疑!?」 寝耳に水だった。「そんなこと、やってない!」「もちろん。ロストレイルの乗車記録を調べて、その日時に、綾さんがブルーインブルーにいないことは確認しています。つまり、アリバイがあるってわけ」 アリッサの話を要約すると、こうだ。 ブルーインブルー最大の海上都市・ジャンクヘヴンと、世界図書館は秘密の同盟を結んでいるが、それを通じて、不可解な情報がもたらされた。 ジャンクヘヴンの宰相である、レイナルド・ディアスなる人物が、先日、夜道でなにものかに襲撃され、負傷するという事件が起きた。レイナルドは要人であるから、それもありうることだが、問題は、彼が月明かりに見た襲撃者こそ、日和坂綾だったというのだ。 レイナルド宰相は、ブルーインブルーの人間だが世界図書館の存在についても知っており、依頼を受けて同地に赴いたロストナンバーたちの顔も見知っている。たしかに、その中にいた顔だと彼が言うので、人相描きをつくらせてみたところ、果たして綾に相違ない相貌であったという。 しかし、綾本人でないことはアリッサも言ったとおりだ。「でも、先方としてはいちど会って確かめたいと言うの。だから悪いんだけど、群青宮へ行ってもらえないかしら。会って話せばわかってもらえると思うし。……レイナルドさんは、ロストナンバーがブルーインブルーにかかわりすぎることに慎重な人物だと聞くわ。綾さん、以前に、ジャンクヘヴン海軍の詰所におしかけたり、群青宮の周辺をうろうろしてたりしたでしょう?」「あー……」 それはたしかに覚えがあった。「そういうこともあって、先方は、綾さんへの疑いを深めている、というわけなの。……フォンスがとりもってくれてはいるのだけど、このまま群青宮の人たちにロストナンバーへの疑念を持たれるのはやっぱりまずいわ。なので、綾さんが直接行って『申開き』を……相手の疑いを解いてきてほしいの。チケットは手配しておいたわ」 かくして――、綾は、ジャンクヘヴンへ“申開き”の場に出席しなければならなくなった。 とはいえ、あきらかになにかの間違いだ。 誤解はじきに解けると、アリッサも、綾も、誰もが思っていたのである。 * * * 「事情については、ご説明したとおりです」 リベル・セヴァンはロストナンバーたちに語った。「日和坂さんが犯人ではないとして、しかし、いったい誰が、レイナルド宰相を襲撃したのか。みなさんには、それを調べてほしいのです」 いかに要人の危難とはいえ、それがブルーインブルー世界内の固有の事情であるなら、世界図書館が嘴を挟む必要はないかもしれない。だが、ロストナンバーが犯人として疑われたというのであれば、真犯人を見つけてその疑いを晴らすのはやぶさかではないだろう。「残念ながら世界図書館とジャンクヘヴンとの関係は良好とは言い難いのが、現状です。フォンス宰相は元ロストナンバーですので我々に協力的ですが、今回の被害者、レイナルド宰相は世界図書館がブルーインブルーに関わる事を余り良く思っていません。ですが、レイナルド宰相はお話を伺いたいと言われて門前払いするお人ではありません。レイナルド宰相にお話を伺いたい人は、先に申し出てください。フォンスに連絡し、場を作っていただきます。分かっていると思いますが、レイナルド宰相は被害者で、怪我人です。手短に、要点のみを伺うようにしてください」 そこまで説明するとリベルは一枚の羊皮紙を広げた。真っ先に目を奪われるのは薄茶色の紙面に映える鮮やかな赤い色だ。「こちらがレナルド宰相の証言を元に作られた人相描きです。人相描きを制作したのち、レイナルド宰相は日和坂綾さんの名を出しました」 言われてみれば、確かに、顔立ちや面影が日和坂綾に似ているのだが、似たような女性を探せばジャンクヘヴンにもいるはずだ。しかし、人相描きの人物がロストナンバーである、という決定的な物が二つ、あった。「レイナルド宰相の証言は…………」 その頃、群青宮ではレイナルド宰相襲撃事件の容疑者候補として、旅人の少女が申し開きに来る事が決定された。 フォンスは辺りをキョロキョロと見渡しながら足早に群青宮を巡る。まるで海底にいるかの様に美しい宮を楽しむ余裕もなく、フォンスはレイナルドを見つけると彼の名を呼びながら駆け寄った。「レイナルド殿、少し、よろしいでしょうか」「構わない、と言いたいところだがね、フォンス。私は証言を変える事も、撤回する事もない。申し開きを停止する事もしない。これ以上、きみは何を聞きたいのだね?」 レイナルドがそう言い切ると、フォンスは言葉を詰まらせる。「世界図書館という者たちの存在は知っているし、彼らのお陰で助かっている事は事実だ。しかし、昨今の彼らの行動は目に余る。海賊を擁護する行動や言動が増え、海賊との関係を悪化させ、避けられるはずだった戦争を増やし、海軍詰所にちょっかいをかけ仕事を妨害し、群青宮の様子まで伺う」「しかし……」「フォンス、誰よりもきみがよく知っているだろう? 私は彼らを受け入れすぎる事に反対だった。きみという、太守の親友であり、数々の実績から宰相になったきみの仲間達だというから、どこから来るのかはっきりとしない旅人であっても、信頼したのだ。彼らの功績故に。だが、もう無理なのだよ」「……本当に、彼女だったのですね?」「あの月明かりの下で見たのは、20前後の女性、女性というよりも少女といった方が良さそうな幼さの残る容貌は市民とも貴族とも違う、汚さを知らない顔だ。あの旅人の外装と真紅の上着と炎を操る獣。何より、きみの言う<駅>へと通じる道へ逃げていった事。以上が私の証言であり、それを元に作ったのが、あの人相描きだ」 群青宮より自宅へ向かう途中、載っていた馬車に火を点けられたレイナルドが馬車を降りたところで彼女に襲われ、斬りつけられたという。幸い、街中だった事と火が大きすぎた事で周囲の人が集まるのが早く、レイナルドは重傷を負ったものの、命に別状はない。「……すまないが、申し開きの時間まで休ませて貰う」「え、えぇ。気が付きませんで、申し訳ありません。レイナルド宰相、どうぞ、時間までごゆっくり、お休みください」 フォンスを一人残し、レイナルドは自身の執務室へと歩き出した。 深々と頭を下げた医師たちが静かに扉を閉める。ゆらり、とランプの灯が揺れ部屋に大きく影を揺らすと、レイナルドは大きく息を吐いた。弾力性のあるクッションと繊細な彫物が施されたチェアに体を沈め、難しい顔をしている。 窓のない部屋にはレナルドしかいない。扉の向こうには数名の海軍兵が待機しているが、レイナルドの許可無しには、部屋に入って来る事もできない、密室だ。「仲間が容疑者とされた世界図書館は、まず間違いなく、あの娘の無実を証明する為に情報収集をし、証拠を見つけてくる」 レイナルドは小さく言葉を落とす。「あの娘が犯人でない場合、彼らが真犯人を連れてくるだろうだが、あの娘が海賊に関わりすぎている事は確かだ。密偵である可能性も捨てられん……」 ゆっくりと立ち上がり、レイナルドは壁際にある鏡台へと歩み寄る。部屋の隅に置かれた鏡台にはランプの灯りも届かず、鏡は薄暗い室内を写すだけだ。レイナルドが傷を庇う様に鏡台へ両手を付くと、手の下には最初に描かせた人相描きがあり、まるでレイナルドをじっと見ているようだ。傷口に触れないよう、レイナルドはゆっくりと引き出しを開けると、中から一枚の羊皮紙を取り出す。厳重な警戒体制の中でありながら、いつの間にかレイナルドの手元にお送られてきたソレを、レイナルドは力いっぱい叩きつけた。羊皮紙には海賊の印と膨大な賞金額、そして人相描きとそっくりな人物が描かれていた。「……お前たちが何を企もうと、ジャンクヘヴンは遅れを取らんぞッ! 決して! 決して屈したりしないッ! 海の藻屑となるのはお前たちだッ!」 ギリ、と歯ぎしりを鳴らしレイナルドは薄暗い鏡を睨みつける。そこには彼を憐れむような仮面が、“亡霊船長”ジャコビニが写っていた。<ご案内>このシナリオに参加された方は、「レイナルド宰相を襲った真犯人」を探すことが目的となります。時系列的には、綾さんたちがジャンクヘヴン入りするすこし前に到着し、調査を開始しているという状況です。!注意!『【赤の手配書】渦中遁走曲』に参加している方(日和坂綾さん含む)は、このシナリオには参加できません。
誰もが足早に行き交う道端で深山は腕を組み、壁に背を預け佇む。放置された燃えかすは細い路地に詰め込まれ、焼け跡と煤の残る岩壁に埋め込まれたフックは、吊るすべきランプが壊されてしまいただの飾りとなっている。 先日、レイナルド宰相が襲撃を受けた現場はジャンクヘヴンでも数少ない、綺麗に舗装された道だ。昼間は多くの馬車や人々が行き交い、夜間はランプに火が灯され馬車がよく通っている。しかし、襲撃事件以降、この道を通る人は減り、皆そそくさと通り抜けていく。 「流石に怖いんじゃろうなぁ」 「だろうね」 深山が頭上から落とされた声に答えると、アコルが顔を出してきた。大きな体を壁に沿わせ、一応カモフラージュをしているらしい。 「お主、群青宮に向かったんじゃなかったんかの?」 「これから向かうよ。一目現場を見ておきたくて、ちょっと寄ったんだ。直接来てみないとわからない事もあるだろう?」 「確かにの。ワシもここまで降りてこんかったらこの臭いは気がつかんかったわ」 そう言うとアコルはシュルシュルと赤い舌を出し入れする。 襲撃現場は日常的に使用される通りだった為、現場保存はされていない。調査はしたらしいが、それはジャンクヘヴンの人間が行なったものだ。こちらに有益な情報や物的証拠などが残されてなどいないと思っていた。火災の爪痕がそこかしこに残された現場には幸いにも、証拠となりうる異臭が残っていた。焼け跡の傍で鼻につく、石油臭。真犯人が炎を付ける為に使用したのだとすれば、これは綾が襲撃の犯人ではない証拠の一つとなる。証拠としての力は弱いだろうが、何も無いよりはマシだ。 「この辺の霊はやんちゃなのが多くての、今やっと、死者は一人もいないと聞き出せたんじゃよ」 「一人も?」 「あぁ、御者も近隣住民も無事、負傷者はレイナルド宰相のみ、一点狙いじゃと」 「それはそれは……。随分とわかりやすいのだね」 ふと、深山が空を見上げ、目を細めた。光を反射するモノクルの中に、空に溶け込むような青いオウルフォームのセクタンが一羽、旋回しているのが映る。 「お主のセクタンかの?」 「あぁ。どうも、雲行きが怪しいようだね」 重要人物が襲撃されたのだ。警備や警戒を強化し街中が慌しいのはわかる。だが、そんな街中に紛れ込む荒くれ者たちが目立つのは、説明がつかない。見かけた、というのならまだしも、一箇所に纏まっている人数も、辺に散らばっているグループの数も多過ぎる。一つのグループがじわじわと近づいてきているのが見え、深山は小さく息を吐き歩き出した。 ずる、とアコルの這いずる音を聞きながら、 「お偉いさんというのは待たせるものだからね。そろそろ質疑中だろう」 誰に言うでもなくそう呟き深山は薄暗い路地へと足を踏み入れる。深山の姿が通りから見えなくなった瞬間、数人の男たちが彼の後を追い路地へと駆け出す。 しかし、そこには誰もいなかった。 上空高くへと移動してきたアコルは周囲に集まった霊たちの姿を見てチロチロと舌を動かす。アコルの周りに集まっている霊たちはどれも逞しい体つきをしており、生前はさぞ強い、屈強な傭兵や海賊だったのだろう事が伺える。しかし、何故かどの霊もむっつりと口を結び、ちらちらと目を泳がせて落ち着かなくアコルを見ているのだ。 「そう怖がらんでもえぇんじゃよ? ワシ、どこにでもいるお爺ちゃんじゃから。ちゃぁんと、ワシの質問に答えてくれりゃぁそれでええんじゃからの。ちぃとばかし時間がなくてのぅ、さっきみたいにされると……困るがの」 ゆらとアコルの体が動き鎌首をもたげる。それだけで、既に死者である霊たちが恐怖に身を縮こまらせる。 襲撃を目撃した霊を集め、会話がしやすいよう半実体化させた瞬間の彼らのはしゃぎ様は、酷いものだった。何度アコルが声をかけても聞こえぬ振りをし、問いただしても無視、返事を返したと思えば馬鹿にするようにオウム返しだった為、ほんのちょっとだけお灸を据えたのだ。 「さぁ最初から確認じゃ。襲撃した女性はこの人物だったんじゃろか?」 アコルが人相書きを見せると霊たちは仲間の様子を伺いながらも、首を横に振る。 「違うんじゃな。では人数はどうじゃ、一人か? それとも複数かの?」 一つ一つ質問を呟き彼らの反応を確認するアコルは、次第に困惑してきた。彼らも生前のプライドが、海賊としての誇りを持っているせいか答えを明確に返す事はしない。知りたい事さえ答えてくれれば良いと思っていたものの、相反する答えにすら首を振られ……すなわち、襲撃人数が一人でも複数でもないと言われてはどうしようもない。 「ふーむ、このお嬢ちゃんでもなく、一人でも複数でもない。獣も連れていない、武器もない、蹴る技でもない、そして……どこにも向かっていない、とな。まるでとんちじゃな」 アコルは暫し思考を巡らせ、彼らにもう一度質問を投げかける。 「そうじゃのぉ……レイナルド宰相を襲った襲撃者、本当にいたんかの?」 赤い舌が見え隠れすると、霊たちは揃って首を横に振った。 「……なるほどの。最初から襲撃の真犯人は存在しない、ということじゃな。しかし、それはそれで困ったのぅ。……そうじゃお主ら、他に怪しい人物は見かけなかったかの?」 アコルの質問に霊たちは顔見合わせると、一体だけ、首を縦に振った霊がいた。 「ほぉ、それじゃ、詳しく聞かせて貰おうかの?」 アコルの目が鋭く光る。霊は蛇に睨まれた蛙の様だった。 群青宮に訪れた虎部とリーリスは宮内の一室に案内されると、準備ができ次第迎えが来るので、と言われたきり、今までずっとほったらかしにされていた。時間に限りがある状態でただじっとしているのは焦りと不安が増したが、ここでヘタな事をして印象が悪くなっては意味がない。 「お待たせして申し訳ありません」 「やっとか!」 扉が開き一人の男が頭を下げ、声をかけてきた。長い黒髪がさらりと揺れ、穏やかな微笑みを向ける。ジャンクヘヴンの人間とは印象が違い、虎部は不思議そうな声で問いかけた 「……もしかして、あんたがフォンス宰相?」 「はい、ロストナンバーの方とお会いするのも久々ですが、やはりバレてしまうものですね。レイナルド宰相がお待ちです。こちらへ」 促され、虎部とリーリスはフォンスの後を追い屋を後にする。石畳とは思えないほど綺麗に磨き清められた廊下を歩きながら、リーリスはフォンスに声をかけた。 「フォンス様、ちょっと聞いてもいいです?」 「はい、なんでしょう?」 「レイナルド様の仕事って何? あとジャコビニは元太守の家系かな?」 「……詳しい話はできかねますが、レイナルド殿の仕事には海軍兵の配置と貴族、裕福層に関わる事です」 「配置? えーと、数を決めるって事か?」 「えぇ、島の大きさや人口、近隣諸島との距離、海域の安全性などから、その島にどれだけの兵士が必要なのかを推察し、配置します。この世界はまだ機械が発達していませんから、天候次第で島は簡単に孤立してしまいます」 「そっか、海魔や海賊も危険だけど、食料とかにも気を配らないとなんだな」 「兵を多く配置しすぎて反乱起こされても面倒ってのもある?」 リーリスが無邪気に聞くと虎部が絶句する。少々失礼な物言いに怒られるかと思ったがフォンスは困ったように笑い聞いていて心地よい声色で答えてくれた。 「鋭いですね。そういった危険も含め、レイナルド殿は適切な配置をしてくださいます。裕福層に関しては……ご存知の通り私は元ロストナンバーですから、彼らとのお付き合いがありません。レイナルド宰相はお家柄上、幼い頃からお付き合いされている方々も多いので、彼らに関してはほぼ、任せっぱなしです」 虎部の片眉が上がり、怪訝そうな顔をするとフォンスは小さく笑う。 「ご心配なく、レイナルド宰相は聡明なお方です。例え彼らがよからぬ事を企て誘惑しても計画に乗るような事はありません。現に、何度かそういったお誘いを受けたようですが、逆に彼らを罰してます」 「真面目な人なんだね」 「……レイナルド宰相は、本来なら太守になっているお方でしたから」 フォンスの言葉に、リーリスと虎部は言葉を失う。 「王制と違い太守は血筋や家系で選ばれる物ではありませんが、家柄は重視されるものです。確実に約束されていた太守の座を奪ってしまったのは、私なのです。お二人と同じように私も多くの依頼を受けました。何度もこの世界に来ている中で現太守と友人になり、共に多くの海魔を討伐していました」 「それがそのまま功績となって現太守と宰相が誕生した、ってことね」 「そっか……。それじゃぁ、ロストナンバーが嫌いなのもわかるわ~」 フォンスが足を止め、扉に手をかけようとすると、虎部が慌てた様子で声をかけた。 「あ、あ、待った。俺もお願いがあるんだ。レイナルド宰相との話が終わったらでもいんだけど」 「では次の鐘が鳴ったら先程お会いした場所までいらしてくださいますか? その時、詳しいお話をお伺いいたします」 虎部が頷くのを見て、フォンスは扉を開けた。 「レイナルド様、お会い下さってありがとうございます」 スカートの裾を持ち上げリーリスが一礼すると、虎部も軽く頭を下げた。最初に待たされた部屋より広く、装飾品も豪華な部屋は応接間といった雰囲気だ。 「座ったままで失礼する。私がレイナルドだ。おや、三人だと聞いていたのだが?」 「一人は後で来ます」 「そうか、座りたまえ」 席を勧められ、リーリスと虎部はレイナルドの向いに座る。 「聞きたい事があるそうだが、お互い時間が惜しいのだ。手短に頼む」 「レイナルド様、最初に人相書きを作った時のお話を聞いても良いですか? 人相書きってどうやって描くのかから、伺いたいの」 リーリスはそう言った瞬間、精神感応をレイナルドの思考に集中させ、彼が思い浮かべた物を見る。 「描き方もなにも、見た人をそのまま、覚えている特徴を並べるだけだ」 茶化す様に肩をすくめて言うレイナルドだが、彼が頭に浮かべたのは、実際には人物ではなく手配書だった。しかし、リーリスが持っている手配書とは少し違う。 「サンバイザーはこの世界にもあるの?」 虎部の言葉にレイナルドはさん?と言葉の意味を理解できない風に呟く。 「ないんですね? ならよくこんなにはっきり描け、ましたね? 絵描きも綾っちを見てたの?」 「見た、かもしれんな。絵描きは詰所にいる事もある。あの少女が詰所に来た時に見かけていれば、不思議な帽子の事を覚えていても不思議ではないだろう?」 「……海賊が旗を燃やされた報復に身柄の引渡しを要求してるんじゃないか?」 低く、声を落として絞り出すように虎部が言えば、レイナルドはくつくつと喉を鳴らす。 「要求されていたら、なんなのだ? ジャンクヘヴンが海賊の戯言に従うとでも? 馬鹿馬鹿しい。海賊とて我らに要求を出すより先に、少女を探して掻攫うさ」 「要求が無かった、とはいわないんですね?」 「似たような脅しがあった気がするからな」 会話が途切れ、レイナルドは小さく溜息をつくと終わりかね?と言いたそうに肘をつく。 「レイナルド様は、あくまで、あの少女が自分を襲ったと、仰るんですね?」 「無論だ」 「そんな筈ないッ!」 虎部が小さく怒鳴ると、レイナルドは視線を向ける。怒鳴り散らしたいのを必死で抑える虎部は拳を握り、睨みつける。 「俺は、あいつを信じてる。あいつはこの世界が好きなんだ。バカだけど優しい奴なんです。 そんな好きな町の宰相を襲うわけがないんです! この世界の為に海賊を根絶するって頑張ってんの!」 本音を伝えようとするせいでだんだんと口調が崩れてしまうが、レイナルドの態度は変わらない。つまらなそうな、面倒くさそうな視線を投げかけてくる。 「今、あんたに味方と思えというのが無理ならこう言おう。俺達は海賊の敵だ。そういう意味で信用してくれ」 「これは全て個人の行き違いと申し開き、図書館とジャンクヘヴンの関係とは無縁…でしょ?」 「物事全てがそう綺麗に収まればいいな」 二人の言葉にレイナルドが嘲笑う。最早、彼を納得させるには確かな証拠しかなさそうだ。 扉が開けられると同時に鐘の音が鳴り、二人はハッと顔を上げる。開かれた扉の側には深山がいた。 「まだ質問に答えてもらう時間はあるかね?」 「あぁ、構わない。申し開きまでそう時間もないが、気になる事はスッキリさせておく方がよいだろう?」 レイナルドにそう言われ、虎部は音を立てて席を立つ。 「……俺たちは、これで失礼します」 返事もまたず虎部が部屋を後にする。リーリスは虎部に続き席を立つが、礼儀正しくお礼をしてから虎部の後を追っていく。 「若さというのは、時として残酷なものだな。さて、君は私になにが聞きたいのだろうか」 「失礼ですが、先に、お願いがありましてね」 「ほう? なんだろうか。申し開きを中止する事や証言を変える事はできないが?」 「はは、中止されたり、変更されては困ってしまうな。……申し開きの場に、同席させて頂きたいのだよ」 レイナルドが驚きに目を丸くしていると、深山はこう続ける。 「もちろん、貴方の側で」 深山の言葉を聞き、レナルドは眉間に皺を寄せて考え込む。深山の言い分をそのまま受け取れば、深山はレイナルドの味方につくと言っているのだ。しかし、レイナルドは彼らロストナンバーが一筋縄ではいかない人達の集まりだとも知っている。何か裏があるのではと勘繰り彼を観察してみるが、どうってことのない仕草や佇まいから滲みでる優雅さが邪推する事が失礼だと思わせられてしまう。 「……いいだろう」 穏やかな微笑みを向ける深山からは何も伺えず、悩んだ末、レイナルドは深山の申し出を受け入れた。 部屋を後にした虎部は怒りと焦りを隠しきれない歩き方をしていた。質問には答えてもらえ、情報は貰ったが役に立つものは何もない。背後から小走りに駆け寄ってきたリーリスが虎部の隣に並び二人はフォンスと約束した最初の部屋へと向かう。何とかして事態を変えねば、そう思っていると、虎部たちの前方に見覚えのある人物が廊下を横切り、角を曲がって行った。 「いま……の」 歩きながら、姿が見えなくなった人の事を確認するように二人が顔を見合わせると、どちらともなく走り出す。一瞬、ほんの一瞬だけ見た人物だが、頭上に何もなかった。市街地ならロストナンバーがいてもおかしくない。見覚えのない人だっているだろう。しかし、ここは群青宮だ。ロストナンバーですら滅多に入る事のできのない、海上都市の要だ。綾たちが来るには早すぎ、さらに、言うなれば、見かけた人の姿は、旅団に行ってしまった人にそっくりだった! ばたばたと走り角を曲がると、彼は扉の向こうへと行ってしまう。すかさず追いかけた二人が扉を開けると、驚いた様子で二人をみるフォンスの姿があった。 「どう、なさいました?」 「あ、あれ!? 俺たちより先に、今、人が来なかった!?」 「いいえ、先程来たばかりですが、どなたもいらしてません」 「フォンス様、群青宮の警備を強化したほうがいいと思います」 リーリスが簡単に旅団の事を伝えるとフォンスは難しい顔をする。 「ちょうどいい、俺さ、海賊の拠点に侵入したくて狂言襲撃の口裏あわせをして欲しかったんだ」 「狂言……ですか」 難しい顔をしたままフォンスが口元に手を当てると、キラリと光る、鱗の様な物が見えた。アラビアンナイトの装束みたいに手足や首元をすっぽりと布に隠していたのはこの為かと、虎部は一人納得する。 「本当に侵入者が居たんだし、難しい事じゃないだろう?」 「うん、本当に群青宮のまわりに海賊集まってるよ?」 いつの間にか窓辺にいたリーリスが窓を開けると、風と共にのっそりとアコルが室内に入ってきた。 「すまんのぅ、助かったわ。こちらに到着したあのお嬢ちゃんじゃがな、強面の男たちに襲撃をうけたようじゃよ」 「綾っちが!?」 「群青宮に入られたら困るんかの、この周囲にも結構人が集まっとるし、そうそう、面白い事がわかったんじゃ」 アコルは霊たちから聞いた事を順番に語りだす。 「レイナルド宰相を襲った人物は存在しない、これは全てかの御仁の狂言じゃの。それと、旅団らしき人物を見たという話もある」 「……よし、やっぱり俺、海賊に紛れて情報探してくる」 「大丈夫? なんか皆、殺気立ってるよ?」 「こんなチャンス逃したらもったいねぇよ。この状況なら、狂言襲撃にならない。海賊も綾っちを狙ってるんなら向こう側に証拠になりそうな物があるかもしれない」 アコルの情報は正確なものだろうが、霊に聞いた、心を読んだ、では証拠にならない。目に見える、形のある証拠が必要だ。 「そうじゃな。ワシももう少し聞き込みでもして、探してみるとするかの」 「じゃぁリーリスが海賊見つけたー! ってやるね」 フォンスは心配そうな顔で虎部を見ると、お気をつけて、と言い頭を下げる。止める事も、協力する事もできないのを謝っている風でもあった。 群青宮の警鐘が鳴り響く中に海賊がいたぞー!という可愛らしい声が混ざる。刀身の曲がった刀やヘアバンドを頭に巻いたいかにも海賊、といった風体の男たちが慌てた様子で辺りを見渡す。見張りが集まる声が聞こえ、彼らは顔を見合わせると一目散に逃げ出した。 建物の角に隠れていた虎部は頭に青いバンダナを巻き、海賊達が通りすぎると最後尾につき一緒になって逃げ始めた。自分が仲間だと錯覚させるため、虎部は声をかける。 「おい、どこの馬鹿が見つかったんだ!」 「知らねぇよ!」 「額がでけぇから頭に血でも上ったんだろ!」 「あと名前売り出しな!」 「名前ぇ?」 虎部が嫌そうに呟くとけたけたと男が笑う。 「なんだ、お前は金だけか! だが、あのネヴィル卿がかけた賞金首だ。捕まえれば嫌でも名が売れるぞ」 「ネヴィル卿? ガルタンロックじゃないのか」 「あー、お前、そっち経由で手配書手に入れたのか! どんな手配書だ? 額が違ったりしねぇだろうな」 ばん、と胸元に一枚の羊皮紙が叩きつけられ、一瞬息が止まる。走り、角に止まり様子を見ながら道と呼べない路地裏を駆け抜けながら、虎部は手配書を見る。そこには綾の顔が、申し開きの人相書きとそっくりの絵姿が描かれていた。様式が違うのは膨大な懸賞金の額と、海賊マークがついている事か。 「シェルノワルのネヴィル卿の命令だ。海賊なら誰もが二つ返事でこの女を探しに来るさ」 「シェルノワルが焼かれたのもあって、殺しかねないヤツらもいっぱいいるぜぇ?」 「ジェロームやガルタンロックも逆らえねぇ、ジャコビニとあの気分屋フランチェスカだって動いてるって話だ」 楽しそうな、一攫千金を狙う海賊たちの話に相槌を打ちながら、虎部は焦りを隠すのに必死だ。 ――おいおいおい、なんだ、この状況ッ! 目的が綾っちなのは確実みたいだが、シェルノワルのネヴィル卿って、列強海賊従わせられる程の人物なのかよ! それが全部まとめて綾っち確保に乗り出してるって? 旗燃やされてどうのこうのどころじゃねぇな!―― 「おい! このままじゃラチがあかねぇ! 一回、安全な場所に隠れようぜ! 一番近いのドコだ?」 「別の賞金首の居場所もしりてぇし、そうすっか!」 「じゃぁあそこの酒場にしようぜ! コッチだ!」 予想をはるかに上回る状況の悪さに、虎部は不謹慎ながらもわくわくとしていた。 鐘が鳴り、申し開きが始まる時刻を告げる。 「あの少女は、無事に着いたのか」 鐘の音にかき消されそうな程小さな呟きをし、レイナルドはゆっくりと立ち上がり、深山と共に申し開きの場へと入っていった。 ジャンクヘヴン中の鐘が叩かれている音がする中、虎部は海賊の手配書片手に空を見上げたまま、騒然とする街中を駆け抜ける。空と群青宮の青を破壊する黒雲と雷鳴、その中に空へ飛び立つ龍を見つけ、虎部の目が見開かれる。何が起きたのかは、この際どうだっていい。群青宮にいる仲間達が無事なのか、それが第一だ。 悲鳴や泣き声が聞こえ出し、呆然と突っ立っている人を押しのけ必死に走っていると、虎部の横をアコルが並走する。乗れ、と言われている事に気がついた虎部はアコルの体と前方を何度か見ると、近くにあった木箱を足蹴にし飛び上がる。両足を胸に付ける様に曲げ宙に浮いた虎部の足元にアコルが体を滑り込ませる。虎部を背に乗せたアコルは体を大きくしながら、空へと舞い上がった。 「なに、あれがフォンス宰相じゃと!?」 風の音に紛れアコルの声がすると、虎部はアコルの頭を操縦桿のように掴みながら大声を張り上げる。 「そんな馬鹿な! 俺が会ったのはのほほーんっていうか、すんげぇ優しそうな人だったぜ!? アレが本当の姿だとしても、あの人は、この世界に帰属する事を選んだんだ、そんな人がなんで」 アコルが近づけば近づくほど、雷雲は大きく広がり、稲妻の数が増える。このままでは群青宮だけでなく、ジャンクヘヴン市街地にまで被害が広がりそうだ。 「これ以上は無理じゃ!」 「クソッ!」 黒雲が消え去り、青空が広がっても鐘の音は止まなかった。 ふわり、と落下傘のように広がったスカートがゆっくりと戻っていく。ぱらぱらと青い砂利が落ちる中、リーリスが音もなく降り立つと靴に赤黒い液体が付着した。 群青宮の崩壊は誰かが抑えているようだ。しかし、すでに開いた穴は戻らず、隠す事もできない。屋根も、レイナルド宰相の体に開いた穴も。 傷を負い、尋常じゃない力で壁に叩きつけられたレイナルドに、誰よりもフォンスの近くにいた彼に崩れ落ちてくる天井を避けられるわけがない。青い瓦礫を赤く染めるレイナルドは横たわり、ぽっかりと開いた穴を、その先にいるフォンスの姿を濁った目に移している。どう贔屓目に見てもブルーインブルーの医学では助からないだろう。 ぴちゃりと水滴を跳ねさせ、リーリスは近くに落ちていたソレを拾い上げるとレイナルドの顔を覗き込む。自分の顔にソレが……ジャコビニの仮面がついて見える様、仮面を両手で持ち上げて、だ。 「ふっ……ふははッ……」 こぽり、と口端から血液を流しながらも、乾いた笑いを漏らす。 「お前らが……壊すのだ……私も、ジャンク……ヘヴンもッ! お前たちがッ、いなければ、平穏な日々が……。ははッ……全てを……見届けられない、のは、残念だ……」 血に濡れ、震える手で仮面に触れる。仮面はレイナルドの胸元にぽすんと落ちたが、腕は空に伸ばされたままだ。何かに縋るような手は小刻みに振れ、虚ろな瞳にはフォンスが今も写っている。 「……無様な、歴史を……繰りかえ……」 言葉が途切れ、レイナルドの手が力なく落ち、指先がリーリスの頬に赤い線を残した。 リーリスはずっと、レイナルドの側に居た。 怒号が飛び交い、海軍兵達が駆け回る。騒々しい群青宮の中で、申し開きの行われていた小広間だけが静寂に包まれていた。 ぽっかりと開いた屋根穴や瓦礫は太陽に照らされキラキラと、破壊されても尚美しく輝いているがそれに目を向ける者はいない。 列強海賊の一人がその存在を消したが、活動が活発になった海賊に加え新たな脅威もその姿を表した。完全な崩壊は免れたものの、ジャンクヘヴンの象徴たる群青宮は破壊され、二人の優秀な宰相が失われた。 そして、申し開きに来ていた少女が姿を消したという知らせが、太守バルトロメオの元に届く。 真実が明らかにされる度、新たな問題がいくつも顔を覗かせる。海賊、ロストナンバー、失われた二人の宰相、群青宮を破壊し飛び去った彼、旅団、少女の行方。 今、ジャンクヘヴンの全てを守り、理解し、指揮できるのは、バルトロメオただ一人だ。悲しみを癒す時間と友人を弔う時間は、後に回さねばならない。 そうまでしても、時間が足りない。 それでも、時を告げる鐘は鳴る。
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