もう、じぶんのことでかみさまにおねがいするのはやめたよ だって、かみさまがぼくをたすけてくれないのは、これがぼくのやくめだからでしょ だから、もうなくのはやめたよ どんなにいたくても、くるしくても、ひもじくても、ぼくはたえないといけないんだね パパとママがぼくをたたいたりおこったりするのは、ぼくがわるいこだからなんだ かみさまがぼくをたすけてくれないのは、ぼくがいいこになるのはたえるひつようがあるからなんだ だからぼくは、じぶんのことはいのらないし、なかないってきめたんだ どんなにからだがいたくても、どんなにきついことばをあびせられても、どんなに翅をむしられても だからかみさま、パパとママを堕とすのだけはやめて ぼく、がんばるから…… *-*-*「……ああっ、もうっ……」 うずうずする身体と心を精神力で抑えこむようにして、世界司書の紫上 緋穂(しのかみ ひすい)はどんっとテーブルに拳を叩きつけた。 ここはターミナルの一角にある一室。緋穂は好んでこの部屋をよく借りていた。ロストナンバーへの依頼も、この部屋で説明することが多い。「なんだかなぁ……」 そしてため息。依頼を受けに来たロストナンバー達が入室しているのも気づかないほどに、今日の彼女はアンニュイなようだ。「あ、いらっしゃーい……」 力無げに瞳を向けて、緋穂はひらひらと手を振った。「できることなら自分でさっさと駆けつけたい位なんだけど」 ロストメモリーである彼女は、そうするわけにもいかない。だから、集まったロストナンバー達に縋るような視線を向ける。「急いで、ヴォロスに向かって。小さなロストナンバーを保護して欲しいんだ」 彼女の説明によれば、今回保護対象のロストナンバーが飛ばされたのはヴォロス。早咲きの花々が咲き乱れる花畑に、対象は居るらしい。「名前はエーリヒ。5歳の男の子。種族は……一言で言えば妖精族、かな。フェアリー。背中に蝶のような翅を生やしているよ。妖精族といっても大きさは、壱番世界の人と同じだから、壱番世界の5歳の子と同じくらいかちょっと小さいくらいの背丈をしているよ」 その花畑は彼の故郷のものとよく似ているらしく、だから――「エーリヒは自分が異世界に飛ばされたことに気がついていないよ。というか、気がつく余裕がない、のかも……」 言葉を話す現地の者が側に居ないせいもあるだろうが、他にも原因はあるようだ。ロストナンバーが尋ねると、緋穂は少し口ごもって。「……エーリヒの翅は、元は美しい羽だったんだろうけど、今はボロボロ。髪の毛は感情に任せて刈り取られたのか、すごいことになっているし……顔とか身体には新しいものから古いものまで痣や傷がいっぱい……」「っ……」 わかるでしょ、とばかりに憂えた視線を向けられ、ロストナンバー達は息を飲んだ。「彼の両親が、彼を痛めつけた原因。暴行で死に瀕した所で飛ばされてきたみたい。だから、意識の朦朧としていたエーリヒには、その花畑は故郷のものに見えているよ」「そのまま放置しておけば、息耐えてしまうということだな?」「それもあるけど、もっとタチが悪いんだよね……。エーリヒの側に大きな大きなカマキリが2体、迫っているんだよ。更にタチが悪いことに、彼にはそのカマキリが両親が変身したものに見えているみたいなんだ」「自分を痛めつけた両親に対する憎しみの念を抱いているというわけか」「うーん……そうとも言えないかも」 ロストナンバーの言葉に、緋穂は小さく首を振って。「カマキリはまだエーリヒの存在に気がついていないから、少しでも生きる気があれば頑張って体を動かして、草花の影に隠れるとかできると思うんだけど、彼はそうするつもりはないみたい」「死を回避する気がないと?」「……でも、みすみす彼を死なせる訳にはいかないの。だから、お願い……エーリヒを助けてあげて!」 祈るような、縋るような言葉。願い。緋穂の思いが伝わり、ロストナンバーたちの胸に熱い炎が灯る。「言われるまでもない」 ロストナンバー達は力強い言葉でその意思を示し、緋穂の手からチケットを受け取った。 *-*-*(かみさま、おねがい……パパとママをカマキリに堕としたりしないで……!) 遠目に大きなカマキリを見つけたエーリヒは、涙をポロポロこぼしながら祈る。 自分のためには祈らない、泣かないと決めたけれど、これは両親のため。 殴られても蹴られても、大好きな両親。(パパとママはわるくないんだ。ぼくがいいこじゃないから、パパとママはぼくを叩かないといけないんだ……だから) カマキリの体色であるコーラルピンクとオレンジは、両親の翅の色と同じ。 エーリヒの国では悪いことをすると、その身体を捕食者のものに変えられてしまうという言い伝えがあった。捕食者となるとその本能は止められず、愛する者や大切な者をその手で殺し、食らってしまうという罰――。(わるいのはぼくだから、ぼくのいのちでパパとママを救えるのなら、ぼくはしんでもいいから、だから――) ――パパとママをたすけて。 小さな祈り、小さな願い。 小さな命と引き換えに、その願いは叶うのか――?
●花園におとされた、小さな妖精の光となるために 眼前に広がる花畑は豊かな色に恵まれており、妖精の棲む花畑だと言われてもすんなり納得できそうだった。見渡すかぎりの花々は美しく、平時であれば花を愛でながら軽食でも頂きたいところだ。しかし今はそんな余裕の無いことは、ここに集った五人のロストナンバー全てが理解していることだった。 「エーリヒを助けたいっす」 ぽつり、広大な花畑を見つめながら呟いたのはアルバ・ケラスス。金色の瞳が意思に揺れる。 「自分は初めてあう赤の他人だけど、死んだら悲しいっす」 「私も」 救急セットを抱いた春秋 冬夏の足元では、セクタンのルゥリオンも小さく飛び跳ねている。 (……どういうことだ? 両親から逃げられないという諦めか……?) 目視できる所にカマキリの鮮やかな色が見て取れないかと視線を動かしながら、風雅 慎は司書から聞いたエーリヒの行動を思い出していた。考えれば考えるほど不思議で、理解できない。 (それとも自分が死ぬことに気づかない程バカなのか?) ふう、と大きくため息を付いて。 「どちらにしろ死なせないがな」 次の言葉は力強さをもって、音として紡ぎだされていた。 「学校で聞いたことあるわ。虐待って言うの」 ぽつり、誰に話しかけるともなくティーグ・ウェルバーナが紡いだ言葉にぴく、と一同が身体を震わせる。 生々しいその言葉は事情を説明する司書でさえも避けた。だが、それで現実が変わるわけではない。 「あたしなら絶対お父さんやお母さん、恨んじゃうけど……どういうことなのかなぁ? ニュースで見たような、自殺したい、ってわけじゃ、ないよね?」 「違うと思うっす……けど」 ティーグの言葉に答えたアルバは、過去に思いを馳せて。 「自分は親から罵倒とか怪我とか受けたことないけど、他人からそうされたことはあるっス。エーリヒの辛い気持ちは……分からなくもないっす」 心の傷、身体の傷、どちらも辛いもの。他人からのいわれもないそれは、希望や生きる目的を容赦なく叩き潰す。それを知っているからこそ、アルバは強く思う。 「自分には手を伸ばしてくれる人がいたっす。その人みたいに、自分が手を伸ばしたいっす」 「妖精さんを……探しましょ」 まるで自分も同じ気持ちだと主張するように発せられたその言葉は、ゼシカ・ホーエンハイムのもの。スカートをきゅっと握りしめ、花園を見つめる。エーリヒと同い年のゼシカにしか、わからない『子供の心』がある。 「アシュレー、お願いね」 セクタンに声をかけ、ゼシカは一番に花畑の中へと分け入る。アシュレーの緑のしるしを使い、道標を作ることも忘れない。エーリヒと同じくらいの目線だからこそ、探しやすいとも言えた。 「エーリヒ君を発見したら、呼んで。一直線に向かうから!」 茶色の翼を動かし、ティーグが飛翔する。それを見てアルバも慎も冬夏もそれぞれ走りだした。 *-*-* 視界の広いティーグが一番にカマキリの姿を捉えたのは当然といえよう。最初はやたら大きなコーラルピンクとオレンジの花があるなと思ったのだが、それが風に揺れるのとはまた違った動きをしたから。 同じ頃、慎も視界に異様な大きさのカマキリを捉えていた。あれだけ大きければ、地上からはとても目立つ。見つけるのにはそんなに困難はなかった。 「近くにいるはずだ。オレはアイツらの抑えに回る」 「探すっす」 「わかりましたっ」 慎はカマキリへと走りだし、アルバと冬夏は二方向へと散る。カマキリの位置は把握できたが、そのぐるりのどの方向にエーリヒがいるのかはわからないからである。 「おい」 慎は草花をかき分けて、二体のカマキリの前に進み出た。まだ距離は保ったままだが、カマキリ達は自ら飛び込んできた獲物に喜んでいるのか、鎌を振り上げる。 「抵抗しないヤツを喰っても面白くないだろ? 食事前の運動を手伝ってやる。……もっとも食事は二度とできないがな!」 だがその鎌が振り下ろされるより慎が接近するスピードの方が早かった。コーラルピンクの巨体に急接近し、未変身のままその腹を蹴り飛ばす。バランスを崩したピンクが立ち上がるのに手間取っている間に、オレンジが庇うように立ちはだかった。 「もうしばらく、オレの相手をしてもらうぞ」 ゼシカは花を傷つけぬよう、草に足を引っ掛けぬよう注意をしながら花畑を進んでいた。大人より歩みが遅くなってしまうのは仕方ないけれど、所々背の高い草花が生い茂っている中で、ゼシカの低い視線は大人が見て取れぬものを見る。 少し離れた所で慎の声と何かが倒れるような音がした。空を飛び回るティーグが風を切る音が聞こえる。アルバと冬夏がエーリヒの名を呼んでいる。 ゼシカは顔を上げて、その位置から見える景色を確認しながら進んでいく。動けなくなっているエーリヒからカマキリの姿が少しでも確認できて、それでいてカマキリからは離れた場所。背の高い草が生い茂ってしまえばカマキリの姿は見えなくなってしまうから、そういう場所は違う。 「アシュレー、こっちよ」 大きなカマキリの姿がチラチラと見える。けれども倒れこんでしまえば、近くに来なければこちらの姿は見えぬだろう――そんな場所を見つけると、ゼシカは精一杯急いで草花をかき分ける。鋭い葉っぱで手が傷ついてしまうこともあったけれど、エーリヒの痛みに比べたら、そんなの我慢できた。 だからかき分けた草の先に横たわる妖精を見つけた時、駆け寄って、スカートが汚れるのも構わずに彼の顔の側に膝をついた。 「妖精さん、妖精さん」 声をかけたがエーリヒの閉じた瞳は動かない。傷に響かないように注意しつつ、肩を揺する。するとゆっくりではあったが、その瞳が開いていった。よかった、生きてる――そんな思いがゼシカの胸を満たす。ポシェットから急いでキャンディを取り出し、包み紙を開けた。 「妖精さん、キャンディよ……お腹、すいているでしょう?」 「きみは……てんしさま?」 口元に寄せられたキャンディからは花とは違った甘い香りが漂っていて。それを差し出す少女の金色の髪は陽の光に照らされてきらきらと光っている。エーリヒは少しだけ聞いたことのある神の使いを思い出してた。 「ゼシはゼシカというのよ。妖精さんを助けに来たのよ」 エーリヒがキャンディを口に含むと、ゼシカは続いてバンドエイドを取り出した。何枚も何枚も、丁寧にエーリヒの傷に貼りつけていく。 「あ……」 沢山用意してきたはずなのに、いつの間にかバンドエイドは底をついていて。ゼシカはバンドエイドの代わりに自分の手を、エーリヒの破れた翅へと伸ばす。 「いたいのいたいの……とんでけ。いたいのいたいの……」 何度も何度も、繰り返す。優しい掌は、ゼシカの想いを運んでいく。 「……!」 と、がさごそと草花をかき分ける音が近づいてきて、ゼシカは一瞬身体を固くした。ポシェットの紐をぎゅっと握る。だが顔を上げた視界に入ったのは見覚えのある顔で。ほっと息をついて身体の緊張を解く。 「あ、見つけたっす!!」 近づいてきたのはアルバで、エーリヒを探して走りまわったのだろう、少し息が上がっていた。 「みつけたっすよー!!」 アルバは振り向いて、来た方向と空へ大きく手を振る。ティーグが滑空してこちらへと向かってくる。冬夏も急いでこちらへ向かっている。程なく到着するだろう。 「さて、と」 アルバはゼシカとエーリヒの様子を見て、うん、と一度頷いた。そしてエーリヒの傍らへとしゃがみ込む。彼の瞳が不思議そうに自分を見ているのに、気がついて。 「大丈夫っすよ。自分は、君の怪我を手当てしたいだけっす。救急箱を持ってきたっす。バンドエイドが足りなかった分、手当させてもらってもいいっすか?」 これはエーリヒだけではなく、ゼシカにも確認という意味がある。ゼシカの施したバンドエイドをはがしてまで手当を行えば、彼女の真心を否定することになるからだ。 「私、もっ……」 息を切らせて走ってきた冬夏も、救急箱片手にエーリヒの傍らに膝をついた。しかし。 「ぼくは……いいの」 「「え?」」 ゼシカのキャンディのお陰で唾液が口の中を濡らし、しゃべりやすくなったのだろう、エーリヒはアルバと冬夏をじっと見つめて。 「ぼくは、どうなってもいいの……だから、パパとママを、たすけて……」 小さな、声。切実な願いを抱く瞳。ひゅっ、と誰かが息を飲んだ。 静かに降り立ったティーグは振り返ってカマキリ達と戦っている慎の位置を確認する。意外と敵は迫っていた。 「ぼくは、しんでもいい、から……っ!」 その言葉は今までで一番大きな声で発せられた。大きな衝撃となって一同の心を打つ。助けに来たのだ、なのに、死んでもいいなんて――。 ドォンッ……ドォンッ!! その時、続けざまに大きい物が地面へと倒れる音がした。少し、揺れる。何事かと音の源に目をやる前に、彼らの隙間をすり抜けたのは、慎だった。 カマキリと戦っていた彼に、今までで一番大きな声だとはいえ弱っているエーリヒの言葉が聞こえたかどうかは怪しい。だが、彼にその言葉は届いたのだ。それは、慎が知っているから。誰よりも知っているから。 「……なるほどな。それで逃げなかった……か」 慎は横たわるエーリヒの胸ぐらをぐっと掴み、引き起こす。 「ちょっとまっ……」 「……ふざけるなっ!!」 怪しくなる風向き。止めに入ろうとしたアルバの言葉を遮ったのは怒声。近くにいたゼシカはまるで自分が怒られたかのように大きく身体を震わせて、ぎゅっと両手でポシェットの紐を掴む。 「オレはどんなに生きたいと願っても生きられなかったヤツらを知っている! だがそいつらは最期まで闘った!!」 そう、慎は知っている。生きたいと願っても生きられぬ者がいることを。彼らは、最期まであきらめずに戦ったということを。 だから、許せなかった。簡単に生を諦めてしまうエーリヒが。5歳の少年には難しいかもしれないが、それでも。 「あの化け物がおまえの親だとしても、おまえが死ぬ理由にはならない! 自分が犠牲になれば救われるだと? まわりを犠牲にしてでもおまえは生きろ!!」 自己犠牲が素晴らしいと評されることがあるかもしれない。だが、それは必ずしもとは限らない。少なくても今は――。 パッ……と、掴んだ時と同じ唐突さで慎はエーリヒの胸ぐらを離した。そのまま地面に再び倒れこみそうだったエーリヒの身体を、慌ててアルバと冬夏が支える。ゼシカが心配そうに覗き込んだエーリヒの瞳は、諦観一色ではなかった。驚愕の色が差し込んでいる。 「生きることはおまえの義務だ……。生きて、未来を見て、それでも死ぬとかぬかすなら、オレが殺してやる」 陽の光を背景にエーリヒを見下ろす慎の表情は厳しい。表面だけ見れば、その言葉も厳しいだろう。だが、少し角度を変えればどうだろうか。そこに込められているのはエーリヒを生かそうとする気持ち。それがわかるからこそ、その場にいた4人はだれも、慎を止めようとしない。 ふと、慎が向こうを見た。こちらに来る時に蹴り倒してきたカマキリ達が起き上がり、こちらを狙っている。 「……変身!!」 ――イグニッション―― 電子音と共に慎の身体に変化が訪れる。瞬く間に彼の身体は全身バトルスーツに包まれる。 「わぁ……」 その感嘆の声がエーリヒのものだとわかっただろうか、慎は一度振り返り、頷いた。そして、変身前も十分速かったがそれ以上の速さでカマキリ達との距離を詰める。 「あたしも援護に向かうけど、その前に」 ティーグは持参したお菓子の包みを開き、エーリヒに差し出す。先ほどの慎の言葉が少し効いているのだろうか、躊躇いはあるものの彼は小さな手でそれを受け取った。 「あのね、良く聞いて。ここはアナタがいた世界じゃないの。そこからずーっと遠い、ヴォロスっていうところなの。どうしてここに来ちゃったのかはあたしも分からないけど、だけどここはアナタがいた場所とは違う所なの」 「でも……お花畑が……パパとママも、いる、し……」 いきなり違う世界に来てしまったと言われても、理解するのは難しいだろう。そこが、元いた世界と似ているのなら尚更。けれども、一度現状を伝えただけで「はいそうですか、わかりました」と言われるよりは、自然だ。予想はしていたけれど、ティーグは少しばかり困った顔をして。 「え?! あのカマキリ、アナタのお父さんお母さんなの?! そ、そうは見えないけどなぁ……」 「あのね……言い伝えが、あるの……悪いことをすると、神様がほしょくしゃに変えちゃうの……でも、パパとママはわるくなくて、悪いのは、ぼくで……だから……」 「あ、えーと……うん。それじゃあのカマキリは違うわ」 精一杯言葉を紡ぐエーリヒをぴしゃりと遮り、ティーグは続ける。こは大事なところだ、しっかり否定をしておかねばならない。でなければ彼は、あのカマキリをずっと両親だと思ってしまうから。 「さっきも言った様に、ここはアナタがいたところからずーっと遠い所なの、お父さん、お母さんを置いて、飛ばされてきちゃったの」 「ねえ、パパとママをたすけて? 僕は悪い子だから、どうなってもいいからっ……」 それでもエーリヒは頑固に言い募る。ずっと自分が悪いと信じて生きてきたものを、簡単に変えることができないのだ。見かねたアルバが救急箱から傷薬を取り出しつつ、口を挟む。 「親に酷いことされても、親を大切だと思うのは凄いとおもうっす。けど……両親のためなら死んでもいいなんて間違ってるっス。 自分の命を粗末にしちゃいけないっす!」 「それは、僕が悪……」 脱脂綿に染み込んだ消毒液を塗られて、エーリヒの言葉が切れる。ゼシカは自分の白く小さな手をエーリヒの小さな手に重ねて、同じ高さでその瞳を覗き込んだ。 「あのね、妖精さんは悪い子じゃないのよ。妖精さんのパパとママは勘違いしてるだけよ。勘違いは誰でもしちゃうもの。……哀しいけど、その勘違いがずっと治らない事も、あるの」 彼が両親を想う気持は痛いほどわかる。それは、ゼシカも持ち合わせているものだからだ。重ねた手から、うまく気持ちが伝わってくれないだろうか。 「ね、だからお父さんもお母さんも大好きなんだよね? だったらさ、どうなってもいいって思わないで! まずはアナタ自身を大事にして! そうじゃないと、お父さんもお母さんも、悲しんじゃうよ……?」 「!」 ぴくっ……ティーグの言葉にエーリヒが肩を震わせた。泣き出しそうな顔でティーグへと視線を移す。混乱と悲しみに揺れる瞳を受け、ティーグはエーリヒの頭に優しく手を置いた。次に問われるのはわかっていたから、だから先にその答えを示す。 「お父さんやお母さんに会うまでで良いから、今はアナタ自身のために頑張って! アナタ自身のためが、お父さんやお母さんの為になるんだから!」 発破をかけるように笑顔を浮かべ、ティーグはエーリヒの頭を優しく撫でる。その内心は、締め付けられるようで。 (この子……すごく優しいんだ。あたしにはとても真似できないぐらいに、自分よりも他人を全部、優先させるぐらいに……) 同時に湧いて出たのは保護欲とでも言うべきだろうか、絶対に彼を救わなくてはならない、そんな気持ち。 「あたし、行くね! 絶対にエーリヒを守ってみせるから!」 安心してね、笑顔でそう言い、ティーグは飛び立つ。向かうはカマキリ2体と戦っている慎の元。二対一よりも二対二の方が楽になるはずだ。 (お父さん言ってた。武術は守るために使うんだって) 心に浮かぶのは、体術を教えてくれていた父。父が何度も何度も繰り返し言っていた言葉。 (お父さん、今なら分かるわ……! 守るために使うって、こういうことだって!) ティーグは猛スピードでコーラルのカマキリへと接近する。そして一気に飛びかかった。 *-*-* 残されたアルバと冬夏はむき出しになっている傷の一つ一つに丁寧に薬を塗っていく。早く、この痛々しい傷が消えますように、そう祈りながら。 「ぼくは……ぼくのために?」 エーリヒはぽつり、呟いて。ティーグの言葉を反芻しているようだ。 「そうよ、もう自分の為に祈っていいの。痛かったり怖かったら助けてって叫んでいいのよ」 「いい、の? ぼく、悪い子なのに……」 「妖精さんがいい子だから、もうガマンしなくていいよって神様が此処に飛ばしてくれたの。妖精さんのパパとママが本当のカマキリになっちゃう前に……」 もう、ガマンしなくていいよ その言葉がエーリヒの心を打つ。 「もう、がんばらなくても……いいの?」 エーリヒにとっては我慢が通常のこと。極限を超えても頑張るのが普通。だから。 「いいっすよ」 「うん、いいんだよ」 「いいのよ」 優しく薬を塗るアルバ。ガーゼを張る冬夏。エーリヒを見つめるゼシカ。 こんな日が来るなんて、思ったこともなくて。ずっとずっと、我慢するのが自分の役目だと思っていて。自分が我慢するからこそ、両親がカマキリにされないのだと思っていて。 「ゼシね、お話を聞いた時からずっとこうしたかったの」 澄んだブルーの瞳に大粒の涙を浮かべたゼシカは、エーリヒの傷に障らないように注意しながらも、痩せ細った彼の身体をギュッと抱きしめた。生きている、そのぬくもりを感じると、大粒の涙はとめどなく零れ落ちる。 「お願い、自分はどうでもいいなんて言わないで、ゼシにはどうでもよくないの。死んじゃったら哀しいの。だから一緒に来てほしいの」 「……悲しい、の? ……ぼくが、死んだら……」 身体に回したゼシカの腕に力が入る。エーリヒの頭の側で頷くと涙が両の目から転がり、バンドエイドに吸い込まれていく。 「ぼくは、ぼくは……」 優しく頭を撫でるアルバの手。優しく翅を撫でる冬夏の手。抱きしめるゼシカの腕。その全てから気持ちが流れこむ。 暖かい、あたたかい、アタタカイ――想いと熱がエーリヒの身体の本能を呼び覚ます。 「ふぇ……えっ……っぐっ……」 言葉にならないそれは、嗚咽。瞳を閉じ、歯を食いしばったエーリヒの瞳からは、滝のように止まらぬ涙が流れ落ちていた。 (一体どれだけ涙を溜めてたっすか……) 暖かい想いで、アルバは口元を綻ばせる。つんと鼻の奥が痛くなって、気を抜くと一緒に涙してしまいそうだった。 *-*-* 慎――仮面バトラー・アイテール――の蹴撃がオレンジのカマキリの腹に食い込む。だが、オレンジは堪えた様子がない。先ほどから何度か試してみてはいるが、コーラルピンクのカマキリには手応えがあるものの、オレンジには目立った手応えがないのだ。 (装甲が厚く、パワー系か) 隙を見てオレンジから距離を取り、慎は一枚のカードを取り出す。そして、アイテール・ドライバーにインサート。 「……なら、これだ」 ――ファイアー―― 電子音がその効果を告げる。心の身体に力が漲る。ただし、俊敏さが劣ってしまうのだが仕方あるまい。幸い、相手もそれほど俊敏な相手ではなさそうだ。 「そっちはしばらく任せたぞ」 「了解よ」 素早く飛び回ってピンクを翻弄しているティーグに声を掛け、慎はオレンジとの距離を詰める。オレンジは大きな鎌を振り下ろそうとしたが、大きな武器は隙が生まれやすく、なおかつ懐に入られてしまうとおしまいだ。今回も、慎が懐に入るほうが早かった。 ぐおおおぉんっ!! オレンジの巨体が宙を舞う。そう、彼が投げ飛ばしたのだ。 まさか自分が投げ飛ばされるとは思っていなかったのだろう、オレンジは今自分が置かれている状況が理解できておらず、宙に浮いた一瞬で身体をばたつかせた。だから落下に伴って鎌が慎へと振り下ろされる形になったのは、良い偶然に他ならない――しかし。 がっっっっっ!! 一番先に慎との距離を詰めた鎌を、彼は片手で難なく受け止めて。そして。 どごぉぉぉぉぉぉぉっ!! 次に落下してきたオレンジの腹に、パンチを一撃お見舞いする。落下に伴う勢いとパンチに込められた慎の力により、一瞬、オレンジの背から慎の拳の様な形が浮かび上がったようにも見えた。 「そっちへ飛ばすわよ!」 タイミングを伺っていたのだろう、ティーグが叫んだ。ピンクの真空波を避けて、回転しながら尻尾を横っ腹に叩きこむ。 ぐぉんっ!! ピンクの巨体も勢いで飛んだ。体表に細かい傷があるのはティーグが何度も何度もヒットアンドアウェイを繰り返したからだろう。 慎はちらっと声のした方向を見て、そして横を向いたまま飛んでくる巨体に拳を突き出す。 どぐっ……! 鈍い音を立ててピンクの腹に拳がめり込み、そしてその反動でピンクは仰向けに落ちる。オレンジほど装甲の固くないピンクだ、致命傷になったと容易に想像ができた。 「……やはりこんなモンか」 (そろそろトドメだ) 軽く痙攣しながらも未だ起き上がろうとするオレンジを見て、そしてふとエーリヒのいる方を振り向く。一瞬、戦いをじっと見つめる彼と目があったような気がした。 手にしたカードを挿入する。耳慣れた機械音が花園に舞う。 ――ファイナル―― 「はぁ……っ! インフィニット・アイテェェルッ!!」 ジャンプした慎は、その勢いのまま漸く起き上がったオレンジへと飛んで行く。そしてその蹴撃が吸い込まれるようにオレンジの身体をうがった瞬間、まばゆい閃光が花園を包んだ。 全員が目を閉じ、手や腕で顔を覆う。 それは、エーリヒが『救われた』ことへの祝福の光なのかもしれなかった。 *-*-* 「これからは自分の為に祈ればいい。……あとは知らん」 帰りのロストレイルまでエーリヒを抱いて運んだ慎はすでに変身を解いていた。ぶっきらぼうに告げられた言葉の裏に優しさが隠れていることを、エーリヒは気がついたに違いない。慎はそのまま通路を挟んだ隣のボックス席に腰をかけ、窓際で頬杖をついている。視線は外に向かっているが、きっと心の中ではエーリヒの事が気になっているのかもしれない。離れた席に座らなかったのがその証拠だろう。 「お菓子、まだあるんだけど食べない? 欲しかったら全部上げるわよ」 「うわぁぁ……こんないっぱいのお菓子、はじめて……」 慎の斜向かい、エーリヒと通路を挟んで隣りに座ったティーグは、持ってきた菓子を膝の上に広げて。量としては鞄に入るくらいではあるのだけど、エーリヒにとってはその位でも「たくさん」なのだ。ちくり、胸が痛む。 (これから、沢山嬉しいこととか幸せなことを体験できるといいわね) 心からそう思い、ふわふわのマシュマロをエーリヒの口に放り込んでやった。 「傷は痛まない?」 「ターミナルには、いいお医者さんがいるから、きっと傷も翅も治るっすよ」 エーリヒの斜向かい、窓際に座った冬夏とその隣、エーリヒの正面に座ったアルバは彼の怪我がまだ少し心配だ。だがきっと、しばらく静養すれば傷も治り、健康体になるだろう――そうでなかったら痛々しすぎる。 ゼシカはエーリヒの隣に座り、クレヨンを持つ手を動かしている。 「ゼシじゃパパとママのかわりになれないけど……お友達なら」 最後の方はとてもとても小さい声で紡がれたものだから、向かいに座るアルバと冬夏には聞こえていなくて。けれども身を寄せるようにして座っているエーリヒには届いたようだ。彼は驚きに目を見開いてゼシカを見つめているが、ゼシカはそれに気が付かないふりをして、恥ずかしいからクレヨンを無心に動かす。 「おともだち……」 エーリヒがゼシカに負けぬくらい小さな声で、呟いた。その言葉を噛み締めるようにして。 「……うれしい。友達、初めてだよ」 ゼシカがちらっと顔を上げると、エーリヒのはにかんだような泣き顔が目に入って。ゼシカは慌ててポシェットを漁った。 「妖精さん……どこか、痛いの……?」 取り出したハンカチでエーリヒの涙を拭いてあげる。顔の傷にふれてしまわないようにしながら。 「わかんない……なんでだろう?」 首を傾げるエーリヒ。そんな微笑ましい一幕を、他の4人は優しく見守って。 走るロストレイルはエーリヒの未来が続く証。 彼が今後幸せを掴めるかどうかは彼次第だとしか言えないけれど。 でも、彼らが望むのは、祈るのは、苦しみに満ちた生を送ってきた彼に、その分幸せが降り注ぐこと。 「できた、のよ」 車中に転がってしまわぬようにしっかりとクレヨンを仕舞ってから、ゼシカはそれまで描いていた絵を差し出す。 「これが妖精さんのパパ。こっちがママで……これが妖精さん」 それはとても子供らしい絵だった。しかしその中で両親と手をつなぐエーリヒは、幸せそうな顔をしている。 「こんな事しかできなくて、ごめんね」 「……」 俯くゼシカから絵を受け取ったエーリヒは、穴が開くほどじっと眺めて。 「ありがとう!」 固く身をすぼめていた蕾が開いたように、明るい笑顔を見せた。それは、関わったロストナンバー全てに対する感謝。いつ以来なのだろうか、心からの笑顔。 「着いたっす」 「行きましょう」 ロストレイルの停車を感じたアルバとティーグが立ち上がる。 慎は何も言わずに再びエーリヒを抱き上げた。 冬夏はゼシカに手を差し出して。ゼシカは躊躇いがちにその指の先を掴んだ。 花園が沢山の花をさかせるように、エーリヒの『花』が、これからたくさん咲きますように。 【了】
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