「《海賊法》にもとづき、ジェロームを反逆者とみなす……だと? おいぼれが戯言を」 偉丈夫は、布告をせせら笑った。「よかろう。ならば今より、この俺こそが新たな法だ。海賊王の幻想に縛られた時代は終わりを迎え、海原は次なる支配者を迎え入れるだろう。この俺、ジェロームこそが海賊王をも超える海賊皇帝として、すべての海に君臨するのだ」 消息を絶ったロストナンバー、日和坂 綾のゆくえを追ってブルーインブルーへ向かった特命派遣隊は、彼女が列強海賊ジェロームに捕らわれたことを知った。 しかもその裏には、別の列強海賊・“赤毛の魔女”フランチェスカの謀略があったのだ。 最強の海賊と言われたジェロームは、フランチェスカのはたらきにより、今や全海賊から、海賊社会の秩序を脅かす反逆者とみなされてしまった。孤立したジェロームがとった方策は、ジャンクヘヴンへの急遽の進軍。 海上都市同盟を滅ぼしてしまえば、海賊間で孤立しようと関係なく、ジェロームの覇権は確立する。 微妙なパワーバランスを保っていたブルーインブルーの海の平穏は、一挙に戦乱へと傾いたのである。 ここに、特命派遣隊の成果が生きてくる。 ひとつは、ジェローム進軍の情報を誰より早く得たということ。 次に、進軍を開始したジェロームの拠点にして旗艦・ジェロームポリスの現在地を把握していること。 最後に、ジャンクヘヴンで亡きレイナルド宰相の遺した「ジャコビニの幽霊船」を入手したこと。「このまま放置すればジェローム軍は海上都市群へと迫り、ブルーインブルー全土を巻き込む戦争が始まってしまう。そうなればジャンクヘヴンは、当然、世界図書館の助力を乞う。けれどその段階に至っては状況の泥沼化はいっそう進んでいるだろう。そうなるより先にジェローム軍を壊滅させることは、かえって、事態をきれいに収束させることができるはずだ」 特命派遣隊の大使として同地に赴いていた世界司書の判断を、世界図書館も支持した。 どのみち、ジェロームポリスには日和坂 綾が捕らわれているのだ。戦いへの関与は避けられなかった。 作戦はこうだ。まず「ジャコビニの幽霊船」がジェロームポリスに近づき、周辺海域に霧を発生させる。 霧にまぎれ、ジェロームポリスに上陸したロストナンバーが騒ぎを起こし、都市に混乱を招く。その隙に、複数のゲリラ部隊が都市内に散る。ジェロームの軍団は、当人の絶対的なカリスマ性のもと、「鋼鉄将軍」と呼ばれる直属の指揮官によって統率されているという。この指揮官たちを討ち取ることができれば、軍団は自然と崩壊してゆくだろう。逆に、かれらが存命であれば、ジェロームポリスを失っても、残党が再び組織されるおそれがあるため、指揮官を倒すことは重要な意味を持っていた。 この作戦はジェロームポリスが同盟の海上都市に近づく前の海域で行われる。 静かな海に霧が満ちるとき――ブルーインブルーの歴史の1頁が、書き換えられるのだ。* * * ブルー・イン・ブルーにも自由がある。 それは、ここ鋼鉄のジェロームポリスでも変わらない。 要塞の主であり最強最悪の鉄の皇帝ジェロームが、ジャンクヘヴンに宣戦布告し進軍を開始したことを知った一般住民たちは戦々恐々となった。自ら戦えるわけでもない者が戦乱を好むはずがない。要塞からの脱出をはかる者も少なくなかった。 彼らには逃げ出すために、船着場に殺到する自由があったのだ。 家財道具をまとめ、家族の手を引き、彼らは港へ走った。そして自分たちが乗船できる船はないか血眼で探した。 彼らが選んだのは、主に商船が立ち寄る小さな港だった。内側に湾曲した船着場には停泊中の中型船がおり、荷降ろしのための広場には積み出し中の木箱の山がそのまま残されている。 しかし、彼らは思いもよらぬ光景をそこに見ることになったのだ。「この要塞から逃げ出そうなんて、けしからん奴、わたしが許さないわよォ」 どこからか風に乗って声が響いた。 声の主を探そうと、住民たちは空を見上げようとして気付く。 ひときわ大きくそびえたつ倉庫。その屋根の頂上にあるのは、蛇の髪を持つ巨大な女の顔の彫像だ。 その鉄の蛇一本、一本に一人ずつ縛られた人々が吊るされていたのだ。 中には女子供や老人の姿もある。彼らは、後ろ手に縛られ、足は空を蹴っている。ある者は助けを求め、ある者は諦めて目を閉じていた。「ウフフフ……、逃げようとしたらこうなっちゃうわよ。これから一人ずつ殺すんだからァ」 蛇女の額の上で、一人の男が背を丸め笑いながら言った。黒光りする鎧と緋色のマントをまとった巨漢である。腕や足にはち切れんばかりの筋肉を備え、額の両脇を深く剃った独特のヘアスタイルに、顔の左半分が黒い痣のようなもので覆われた異形だ。 しかし最も異彩を放つのは、彼が右手に持った大剣だった。 黒く塗られた大きな刃は波型にうねるように加工されており、殺傷力を上げてある。その形はまさに黒蛇である。 彼の正体に気付いた誰かが恐怖の悲鳴を上げた。「あれは、まさか“黒蛇剣”の──」 言い終わる前に、その者の上半身が消えた。 輪切りにされ残った両足の向こうに、剣を振り抜いた巨漢の姿がある。一瞬にして地上に降り立った男が、自分の名を言おうとした者を斬り殺したのだ。 恐るべき身のこなしだった。「あんたみたいなクズに気やすく名を呼ばれる筋合いはないわ」 彼は剣についた血を人差し指に付けると、それを愛おしそうにチロリと舐める。 その背後に、ドサッと音を立てて斬った男の上半身がようやく落ちてきた。地上に無残な姿を晒すそれをよくよく見ると、斬られたところがドス黒く変色していた。 猛毒である。 それが彼を恐怖の存在たらしめるものでもあった。「グラシアノ様!」 いつの間にか、彼の回りに同じ意匠の鎧をまとった男たちが集まっていた。港に停泊していた商船の制圧活動に回っていたようだ。その数はざっと100人程度である。 そのことを報告すると、黒い剣の男は満足そうにふむふむと頷いた。「いい? よく聞きなさい、あなたたち。ジャンクヘヴンの小賢しい手先どもが、このジェロームポリスに潜り込んだという情報があるの。わたしたちの目的は二つよ」 女言葉ではあったが、よく通る声で彼は部下たちに命令した。「一つ、この港の守りを固めること」 そう言って、住民たちの方を振り返る。「二つ、すでに潜り込んでいる者どもを見つけて始末すること」 彼は高々と黒い剣を掲げ、真っ直ぐに吊られた13人の一般市民たちを指し示し、大きな声で住民たちに語りかけた。「みなさァ~ん、聞いてちょうだい。ジャンクヘヴンの手先どもがわたしたちの街に潜入したらしいのォ。みんなで手分けして見つけてくれないかしら? そうしてくれたら、あそこにいるコたち、返してあげる。でもォ、見つけられなかったら……」 ウフフ、と鋼鉄将軍“黒蛇剣”グラシアノはニコニコしながら言ったのだった。 一人ずつ殺しちゃうわよ、と。* * *!注意!イベントシナリオ群『決戦!ジェロームポリス』は同じ時系列の出来事を扱っています。同一のキャラクターによる『決戦!ジェロームポリス』シナリオ、およびパーティシナリオ『【決戦!ジェロームポリス】軍艦都市炎上』への複数参加(抽選へのエントリー含む)はご遠慮下さい。●特別ルールイベントシナリオ群『決戦!ジェロームポリス』において、1つの通常シナリオの参加者は1つのチームとして行動するものとします。通常シナリオでは、各チーム(各シナリオ)ごとに、1人の敵指揮官と戦います。登場する将軍についての情報はオープニングを参照して下さい。なお、全シナリオのうち1チームのみ、全軍を統率する“鉄の皇帝”ジェロームその人とまみえるチャンスがあります。ジェローム団の首魁、列強海賊最強の男と戦う誉れを狙う方は参加決定後、3月31日10:00までに、プレイングを編集して「ジェロームにたどりつくための手段」を書くようにして下さい。4月1日23:00までに事務局が「全シナリオ参加者のプレイング内容」を確認したうえ、もっとも妥当なプレイングを書いていた人のいるチームが、ジェロームに遭遇したと判定します。※3月31日10:00~4月1日23:00まで、プレイング編集はご遠慮下さい。キャラクターシートの内容は参照しません。※ジェロームに遭遇した場合、当該シナリオ参加者には告知されます。告知のなかった場合、シナリオ中でジェロームには会えません。
「絶体絶命の状況だな」 呟くようにティーロ・ベラドンナが言った。彼は食品用ラップの筒──彼のトラベルギアを魔法使いのワンドのように持ち、仲間に聞こえるように自身の声を風に乗せる。 彼らはそれぞれ群集の中に紛れ、広場を悠々と闊歩している鋼鉄将軍グラシアノを見つめていた。 ロストナンバーたちは散らばっていたが、魔導師が配った小さなラップフィルムの欠片を耳に貼り付けることで、囁き声で会話を交わせるようになっている。 「人質を助けるのもいいが、今、この港にゃ人が多すぎる。下手打つと血の雨が降るぜ」 「気に要らねえな」 スーツを着たワシ男、村山静夫もティーロの言葉に頷いた。 「野郎が自分の役回りと弁えてるのか好きでやってるのかは知らねぇ。細けぇ事ぁ訊かねぇよ。戦う訳や“矜持”って金看板を背負う理由を、小鳥みてぇに囀る男は居ねぇ。俺は、野郎が堅気を面白半分に殺すのが気に入らねぇ」 吊るされた者たちや、この港にいる人々は要塞の住民たちだ。 話によれば、他の海上都市などから強制的に連れて来られた者が大半だという。村山は気に入らなかった。命を賭けた戦いはそれ相応の者たちが身体を張れば済むことではないか。 「堅気衆を逃がしてやらにゃならねえ」 「ここは港だ、道は広い。街に逃げ帰るのは簡単だ。……軍隊さえ居なければな」 ヴェンニフ隆樹は淡々とした口調で口を挟む。 見た目は少年だが、彼は影を操る忍者である。誰にも見つからぬよう影に潜むことは何よりも得意だ。 「確かに。彼らを逃がすには俺らが道を作ってやる必要があるな」 隻眼の青年、アジ・フェネグリーブも左手の鎖の調子を確かめながら口を開いた。彼は最前線で身体を張るのは自分だと理解し、覚悟を決めていた。 「それに吊るされた人質もだ。彼らがいる限り、行動が制限されるだろう? 見捨てるのでなければ先に助けた方がいい」 「人質は見捨てないわけだな?」 念を押すようにティーロ。アジは、ああと頷く。 「二手に分かれて、人質を救出する役と敵を引き付ける役で対処したらどうだろう。とにかくこの場から住人を逃がさねば、また新たな人質を取られるかもしれない」 「何だっていいだろ」 最後に苛々した様子で言うのは、ファルファレロ・ロッソだ。 彼はこの場の様々なものが気に入らなかった。凶剣を持ったグラシアノの笑み、吊るされている人質たちの諦めたような顔つき。それに、それに……。 「こそこそ逃げ隠れは性に合わねえ、ド派手にいってなんぼだろ」 「じゃあ、あんたは何をする?」 ティーロが訪ねてきた。 「殺し合いさ」 そう前置いて、若きマフィアは自分のアイデアを簡潔に話し出す。彼は実のところ、この魔導師も気に入らなかった。普段はクソみたいな漫画の話しかしない癖に、上陸作戦の時になると的確な発言でチームをまとめ上げたからだ。 しかもいつの間にか、この港や要塞全体の見取り図を作り上げていた。よく分からないが、彼は要塞にいる風の精霊から情報収集が出来るらしいのだ。皇帝や古代兵器のある場所まで推測しており、ファルファレロもこの魔導師の手腕を認めざるを得なかった。 「分かった。そうしたいならするといい。あとで銃を貸せ。魔術を強化してやるからさ」 「嫌だ」 きっぱりとファルファレロ。魔法の無線の向こうで、ティーロが笑ったのが聞こえる。 「マジか、お前オレのこと嫌いだろ?」 それを切欠にアジが笑い出し、少しだけ場が和む。これから死線をくぐるのだ。彼らは迫り来る死闘に備え、自分の出来うる最大限を全うするのだと心に決めていた。 ティーロが言う。人質、グラシアノ、兵隊、退路の確保の4つのうち、役割分担を決めようと。 「オレはあんたらのサポートに回るが、その前に退路を確保しとく。もちろん、オレには直接戦闘は無理だ。黒蛇に殺されねえように守ってくれよな」 「分かった」 「それから、隆樹」 最後に忍者に声を掛けるティーロ。 「あのグラシアノと一番相性がいいのはお前さんだ。気付かれないように間合いを詰めろ」 隆樹は喉の奥で笑った。それは肯定の意でもある。 「──よし。いいか、確認するぞ。」 そうして5人は魔法の無線を通した短いミーティングを切り上げた。 「オレたちの目的は鋼鉄将軍の数を減らすこと、すなわちあの黒蛇のおっさんを仕留めることだ」 それから、とニッと笑う。「オレらが無事にこの場を脱出すること、だぜ?」 * * * 港に集まった群衆は、ほとんどの者が合理的な判断をした。すなわち、この場で敵のスパイを探すより、一刻も早く危険な場から逃げ出すことだ。 人質の近親者らしき数人が駆け寄り押し戻されているのを尻目に、人々は蜘蛛の子を散らすように町に戻る道へと流れていった。 「あーら、役に立たない連中ねえ」 グラシアノは、眉を潜め手を上げる。すると、彼の部下たちが統率の取れた動きで四方に向かっていった。 大半の人々が広場から見えなくなったが、巨漢グラシアノは仁王立ちのまま、ニヤニヤと笑っている。彼は自分の軍隊がすでに港の一画を包囲していることを知っていたからだ。 皇帝から命ぜられたことは、戦争に備え港の守りを固めることであり、彼はこの港の封鎖を完了させていた。港から外に人を逃がすつもりは無かった。 その上、敵の傭兵がいるという情報もある。グラシアノの兵士たちは迅速に行動し、町へ戻る道路上で陣形を組んでいた。検問体制を作ったのだ。 人々は路地の先々で軍隊に槍と銃器を向けられ、仕方なく検問を受け始めた。 「さあて」 鋼鉄将軍は首を巡らせて、吊られている人質たちを見た。側近からナイフを受け取り、ゆっくりと狙いを定めようとする。 「んー、どれから殺そうかしら」 「面倒くせえ! ジャンクヘヴンの傭兵ならここにいるぜ!」 群集の中から、いきなり進み出た男がいた。 ファルファレロだ。 グラシアノとの距離は、ざっと7、8メートル。相手が振り向くのに合わせて彼は懐からパスホルダーを出し、相手に放ってみせた。 「こんな状況で俺たちに勝ち目があるわけがねえ。俺は降りるぜ」 「あーら、出てきたわよ」 眉をひょいと上げてグラシアノ。 「俺は自分の命が惜しい。あんたの側につくぜ。そいつがジャンクヘヴンの傭兵の証だ」 「ふぅん」 グラシアノは舐めるようにファルファレロを見た。側近に拾わせたパスホルダーをつまんで中身を確認する。 「自分から名乗りでるとはねェ。一体どういう了見?」 「俺にジャンクヘヴンの傭兵を狩らせろ」 若きマフィアはギラついた目で鋼鉄将軍を睨む。 「元から好きでこっちにいたわけじゃねえ、愉しく殺し合えりゃそれでいい。共食いってなァ乙なもんさ、シケた首吊りショーよか余っ程刺激的だぜ」 「アァ、仲間がいるわけね」 グラシアノは笑みを消し、探るような目で彼を見る。うなづきヘラヘラと笑うファルファレロ。 「そうさ。──おい、片腕野郎、出て来いよ!」 マフィアは群集の一点を指差す。指差された者を残し回りの人々が離れていった。立っていた人物は諦めたように被っていたフードを外す。 それはアジだった。 「自分だけ生き残ろうっていう魂胆か? このクソメガネ」 「そうさ、悪りぃかよ? 俺は自分が一番可愛いぜ」 言いながらファルファレロはグラシアノに背を向け、懐の銃を抜いた。魔銃ファウストとメフィストである。 アジはバッと外套を脱ぎ捨てた。武器となる腕の鎖は身体に巻きつけたまま、右手にはいつの間にか抜き放った短剣が握られていた。 「なら、生き残るのは俺の方だな」 魔道具を構え、若き兵士は相手との間合いをはかるように腰を落とす。 マフィアも二丁の銃を真っ直ぐアジに向けた。 「俺たちが変なことしたら殺したって構えねえ。それに──」 つと、斜に振り返りグラシアノと目線を合わせるファルファレロ。「てめぇにゃ生き残った方を嬲る特権をやる」 眼鏡の奥から流し目を送られ、鋼鉄将軍はピタリと動きを止めた。 「あーら」 そしてようやくグラシアノは、嬉しそうに笑ったのだった。 * * * 一方、街に続く最も広い道路には、みるみるうちにグラシアノ配下の黒鎧の兵士たちが集まり、バリケードを作っていた。 住民たちの検問も始まっているが、通されている者はほとんど居ない。大概が、因縁をつけられ殴られて終わりである。住民たちは怖々と兵士を遠巻きにして見つめている。 「ここが栓になっちまったってえわけだ」 空を飛べる村山は、屋根の上に潜み独りごちていた。上空から見ていた彼は状況を手に取るように掴んでいる。 将軍は自分たちジャンクヘヴンの傭兵たちが潜んでいたことを知った。そして他にもいる可能性を考慮したのだろう。だから群衆を港から逃がさぬように部下を配置した。 ならばなおさら──堅気衆を逃がしてやらねばならない。 「怪しい奴がいたぞ! 恐ろしく強い奴だ!」 すると眼下で大きな声が上がる。近くにいた兵士が数人気を取られ、そちらへ向かっていく。守備を固めている兵士たちも反応し、武器を構え直している。 ニヤリと笑う村山。 「さて、お呼びとあらば参上仕るとしようかね。堅気衆に魔女狩りなんかさせちゃ気の毒だ」 言いながらバサリ。背中に翼を生やして彼は飛んだ。 グンッ。スピードを上げ高く飛び上がり、村山が向かった先は兵士たちのバリケードだ。彼らも、まさか空から敵が来るとは思いも寄らない。誰も村山を見てはいなかった。 「──ガラ空きだぜ?」 飛びながら村山は両腕を大きく振るい突風を生み出した。強風とともに彼自身の羽が刃となって、兵士たちの頭上から降り注ぐ。 ワァッという悲鳴が上がる。思わぬ奇襲攻撃にバリケードの陣型が崩れた。 村山はその隙を逃さなかった。肩を固めてそのまま猛然とタックルしたのだ。 ドガガッ! 数人の兵士がはじき飛ばされる。 「こっちにも敵がいるぞ!」 そんな声が上がった時には、村山は地に降り立ち懐から拳銃を抜いていた。 間髪入れず引き金を引き、彼は反撃を避けるために飛び上がる。ダンッ、ダン! 彼の目前で、また数人が銃弾に倒れていく。 「チンタラやってると、死んじまうぜ?」 兵士たちは銃を構え、飛び回る村山を撃ち落とそうとする。が、村山の動きは素早く、とても当てることができない。 「クソッ、飛べる傭兵なんて聞いてないぞ」 「まて、加勢が来たぞ!」 ふと、目前の兵士がそんなことを言うので、村山は後ろを振り向いた。 黒に統一された兵士たちの一団が背後に迫っていた。舌打ちする村山。 しかし──何か変だ。 見ていると、加勢の兵士たちは銃を構えることなく両腕をだらりと垂らしたまま、バタバタと前へ後ろへと倒れていった。 倒れたあとに一人だけ立っている兵士がいる。 「──キオクをタベテやりました」 それは兵士に変装した隆樹だった。いや、それは目を怪しく光らせた彼の影ヴェンニフである。隆樹にとり憑いた魔物が、兵士たちの意識を一瞬にして奪ったのだ。 「遅せぇぜ、若けぇの。俺が全部片付けちまうぞ」 「そりゃコマリます。ワタシのブンもノコシテいただけないと」 「傭兵だ! 殺せ!」 言い終わらないうちに、兵士たちが銃を撃って二人を狙ってくる。 その場から跳び退く二人。 隆樹がひと睨みすれば、兵士の足元の影がうごめく。影に足を取られバランスを崩した兵士の胸ぐらに、隆樹は威力をこめた膝蹴りを叩き込む。 村山は舞うように両腕を振るう。風が生まれ、兵士たちの銃や槍の向きを狂わせた。 残った兵士は二十人程度。村山と隆樹は背中合わせになり、めいめいの武器を構えて兵士たちとにらみ合う。 「要は、こいつらを片づけちまえいいんだろ?」 「ちょろいもんデスね」 短い会話を交わし、二人はまた兵士たちへと向かっていった。 * * * ファルファレロが打ったのは芝居だった。人質を助けるための時間稼ぎのためだ。 グラシアノに芝居を見破られてはならない。だから彼は銃も撃った。本気で、全く躊躇せずに彼は撃った。 相方役のアジもうまく銃撃を避けている。彼は銃撃をやり過ごすために、広場にある様々なものに身を隠した。 間隙に飛び出して間合いを詰めるアジ。短剣で斬りかかるが、ファルファレロも身軽に飛び退くので近接戦闘に持ち込めない。そんな攻防だ。 「わたしはどちらかというと眼帯の方が好みかしらね」 グラシアノは、逞しい筋肉の両腕を組み二人を眺めていた。黒蛇の剣は隣りに控えた側近が恭しく捧げるように持っている。 コトン。 ふと背後で物音がして、グラシアノは振り返る。側近たちの後ろには倉庫の壁があるだけだ。目を細めたものの、すぐにグラシアノはアジたちに視線を戻す。 「ふぃー、危ねぇ危ねぇ」 物音を立てたのは姿を隠したティーロだった。彼は上空の人質たちに魔法で防御結界を施し、地上に降りたところだった。これで飛び道具の類からほぼ完全に守られるはずである。 ティーロは、こう見えても元は宮廷魔導師であり、チームの中で最もドライな判断を下していた。彼は人質のことは二の次で、グラシアノさえ仕留められれば、あとはどうにでもなるだろうと踏んでいた。 が、彼は人質に対して現状できうる最大限の術を施した。オレも甘ちゃんだな、とティーロは口端で微笑む。仲間の意志を尊重したのだ。 そして彼は姿を消したまま、懐から掌に収まるほどの大きさの丸いケースを取り出した。蓋を開けて持ち、右手に取り出したのはラップに包んだ仲間たちの髪の毛である。 ティーロは口の中で呪文を呟きながらそれを指で揉み、小さく丸めていく。奇妙なことにラップの包みが段々と緑色を帯び、透明感のあるクリーム状のものに変化していった。 それをケースに移し、さらに人差し指で練り込んでいく。 やがてドロドロの液体になったものを、ティーロは指に付けて、目前の壁に線を描き始めた。空気を動かさないように、慎重に。 ジュッ。 指が触れた瞬間、液体は色を無くし壁の煉瓦に溶け込んでいく。 大きな丸い円を。魔導師はデジタルの腕時計で時間を確認しながら、自分が今すべきことに没頭した。 やがて大きな魔法陣の姿が浮かび上がってくる。 これが完成すれば、この場から一瞬にして幽霊船に帰還できるのだ。 あと少しで完成する──。ティーロは汗をぬぐいながら人知れず笑うのだった。 * * * 「クソッたれ! 何で当たらねえんだ!」 ファルファレロは素早く弾倉を交換しながら走っている。 もう限界だ、と彼は心中で呟き、銃をファウストに持ち替えた。優美なデザインの白銀の拳銃は、退魔の力を秘めた恐るべき凶器だ。 「ド畜生!」 若きマフィアは弾丸を放った。弾丸は空中で燃え上がりアジの潜む木箱に向かって飛んでいく。火炎地獄の弾丸である。着弾すれば一帯を地獄の炎に包み込むのだ。 アジがパッと木箱から飛び出し別の物陰へと避難する。しかし弾丸は木箱をはずれ、海に向かって撃ち込まれていた。 ジュワッという音と共に、いきなり海の水が爆発したように盛り上がった。高熱で水が一気に蒸発したのだ。 「ヒャハハッ」 彼は、まるでヤケを起こしたように笑った。 ダンダンッ、ダンッ! 彼は火炎地獄の弾丸を、ひたすら海に向かって撃ち込む。撃って、撃って、撃ちまくった。 背後でどよめきが上がる。大量の海水が蒸発して、辺り一面に水蒸気の白い煙が沸き起こったのだ。しかも尋常な量では無かった。 「何なのこれは!?」 グラシアノの周辺にも不自然な風が起こり彼らの視線を遮断した。白い煙はまさに煙幕となって、周囲の状況を掴ませない。ティーロの仕業だ。 そこで──アジが動いた。 彼には煙の中にいる敵たちの姿がよく見えたのだ。ジャラッ、と左手の鎖を構え、アジはそれを彼らの足元を攫うように振るい、自分も前方へ突っ込んだ。 ガツッ。 手応えと共に、バランスを崩している兵士の姿が目に入る。今だ! アジは地面を蹴り、短剣で兵士をひと突きにした。一人目、と口にして、腹を蹴って隣りの兵士を首筋に斬り付ける。 まるで兎が跳ねるように、至近距離でアジは見事な奇襲を仕掛ける。二人目が倒れた向こうにいた兵士の喉下にも短剣の刃を潜り込ませ、刺すと同時に左手の鎖を手元に戻す。 「行けッ」 アジはそれを真っ直ぐに、狙っていた方向へと振るった。鎖の先についた砂鉄の袋が地を這い、凶悪な蛇に姿を変えた。 その先には──あの凶悪な黒蛇剣が。刃が放つ禍々しい光を、アジの目が捉えた。 鋼鉄将軍の武器を奪おうと、アジは鎖を剣に絡め素早く引いた。 ──ガキィンッ! だが鎖はピンと張られ、アジは動きを止める。 風が吹いて、白い蒸気を散らしていく。霞の中から現れたのは黒い異形の巨漢──グラシアノ。 鋼鉄将軍は自らの蛇剣の柄をしっかりと握り立っていた。刃に絡みついたアジの鎖を引き、目に強い光を宿し彼を睨む。 目線を真っ直ぐに合わせ、自らの元に武器を戻そうとする二人。 にや、とアジが笑うと、グラシアノも笑った。 「あんたを相手にするために来たんでな」 「へぇ嬉しいわねェ。それにこの剣が欲しいんでしょう? そんなに欲しいのなら──」 くれてやるわよッ! グラシアノは叫びながら一気にアジに間合いを詰めた。 シャッ。 アジは仰け反るように、自分の喉元に伸びてきたグラシアノの突きをやり過ごしていた。 鼻先を削がれるような恐ろしい勢いの剣である。まだ左手の鎖を戻さないうちに、相手は剣に左手を添え、そのまま体制を崩したアジに振り降ろしてくる。 「ぐっ」 彼の髪の毛を数本斬り、蛇剣は今までアジがいた地面の煉瓦を叩き割った。 すんでのところで攻撃を避けたアジは、すかさず鎖でグラシアノの足元を薙ぎ払った。追撃を牽制するためだ。 鋼鉄将軍はサッと跳び退いた。重い鎧を着ているとは思えない身のこなしである。 「ウフフ」 十分な間合いを取り、彼は嬉しそうにアジを見つめている。 一方、ファルファレロは蛇女の彫像に銃を向けていた。そして撃つ。 彼は音速の早撃ちで、人質の縄を焼き切ったのだ。 13人もの人たちが、一斉に宙を舞った。 だが何人かは鳥の羽根が落ちるようにふわりふわりと地面に降り立っている。さらに町の方から影が二つ飛んできた。村山と隆樹だ。 「さぁて、大トリの出番だぜ?」 飛び回りながら人質を助けて地上に降ろす村山。隆樹は黒い影を袋状に展開して人質を助け飛び道具からも守っている。 女子供たちは下で待っていた身内と合流し、歓喜の声を上げながら足早にこの広場から逃げて行った。 「見殺しにすると、ヘルがうるせーからな」 娘の顔を思い浮かべながら、マフィアはニヤリと笑う。手には魔銃ファウスト。彼はグリップを強く握りしめた。人質たちはもういない。 この混乱に乗じて──うるさい蠅どもを一掃するのだ。 ファルファレロは、魔銃をまた海に向けた。 * * * 「──港にゃ余るほど水があるぜ!」 狂ったように、ファルファレロは銃を海に向かって乱射した。今度は火炎ではなく純粋なエネルギーの固まりだ。魔銃の弾丸は大きなうねりを巻き起こす。 ゴオオッと轟音と共に行く場所を失った水は、波となって広場にそそぎ込んだ。 勢い良く流れ込む波に停泊していた船は大きく揺れ、陣型を固めていたグラシアノの部下たちが悲鳴を上げて呑まれていく。 が、即興の津波は彼自身にも迫っていた。舌打ちし、飛び退こうとするものの、この距離ではさすがに間に合わない。 ザアアッと彼の姿を大きな波が覆い隠した。視界が黒くなり、ファルファレロは反射的に目を閉じようとする。 しかし──。 息が吸えるし、身体が濡れていない。波が彼を避けて流れていくではないか。 ハッと彼は振り返った。 「何でも一人でやろうとするんじゃねーよ。流されるトコだったろ?」 背後に、大柄な魔導師がにやにや笑いながら浮いていた。魔法で彼を助けてくれたのだ。 「余計なことしやがって!」 素直に礼も言えず、声を荒げるファルファレロ。ティーロは浮きながら片耳をほじるような仕草をする。 「あそこにも傭兵がいるぞ!」 ふと船の近くにいた兵士たちがティーロに気づき、銃を撃ってきた。 だが魔導師はそちらを見ることもなく、サッと腕を上げた。銃弾は彼の背後で威力を失い、ポロポロと水面に落ちていく。 「舐めんじゃねえぞ、ザコが」 ようやく振り向くティーロ。短く呟きながら上げた腕を降ろせば、そこから新たな突風が生まれ大波を起こした。波は勢いを増し兵士たちに猛然と向かっていく。 彼らは慌てて逃げようとするがもう遅い。波が広場に残っていた兵士たちを次々に海へと落としていった。 「年貢の納め時ってヤツだぜ、将軍さんよ」 海に落ちる兵士たちの悲鳴や怒号を背に、村山は銃を構えた。 大波のおかげで広場は混戦状態に陥っていた。アジが側近たちと戦っている腋で、彼はたった一人で鋼鉄将軍と対峙している。 「ウフフ。あんたも変わった顔してるけど、カワイイわよ?」 下唇を舐めながら左手を剣の柄に戻すグラシアノ。波がすぐ近くに迫っているというのに二人は静止し、動かない。 まさに波に呑まれそうな瞬間、先に動いたのはグラシアノだ。 低く滑るように走り込み、下段から大きく蛇剣を振るう。ふと村山は気付く。上空に飛べば、相手の剣は見事に自分を捕らえるだろう。 「ヘッ」 なら撃つまでだ。ギャングは全く物怖じせず、銃を撃った。近ければその分当たりやすいはずだ。彼は鋼鉄をも貫く銃弾を、遠慮なくグラシアノの顔めがけて撃ち放った。 チッと相手は舌打ちしたようだった。足裁きのリズムを狂わせ、彼はもう一歩先に跳び、銃弾をやり過ごした。 剣の軌道は飛び上がった村山を外している。 ズガガガッ! 村山は足元のグラシアノに至近距離から銃を乱射した。 だが、グラシアノは蛇剣を振るって何発かの銃弾を弾き飛ばし、大波を避けるために飛び退こうとした。 クソッ、と村山が吐き捨てた時。突然、グラシアノの動きが止まった。 びたん! 跳ぼうとしていたグラシアノの具足に黒いものが巻きついていた。鋼鉄将軍は足を取られ、みっともなく転んで地面に顔面を打ちつける。 むろん、潜んでいた隆樹の仕業である。 思わず村山が笑ったところで、グラシアノは大波に飲み込まれていった。 * * * 「やったか!?」 波が引いていく中で、ティーロが声を上げる。 隆樹がグラシアノを捕らえていた。これだけ長い時間息が吸えねば、さすがの鋼鉄将軍といえど無事で済まないだろう。 アジもファルファレロも空を飛び、浮きながら水面を眺めている。 ──ヒュルルル、パァーン。 つかの間の静寂を破ったのは、背後で起こった奇妙な音だった。振り向く五人。 例の蛇女の彫像の隣り。倉庫の屋根の上にグラシアノが立っていた。 「海賊を甘くみるんじゃないわよ」 鎧を脱ぎ捨てたのだろう、身軽な姿になった鋼鉄将軍は蛇剣を手に、狼煙を打ち上げていた。空高く上がった花火が空に何らかの合図を浮かび上がらせている。 「ようやく分かったわ。あんたたちの狙いは、このグラシアノね」 水滴を落としながら彼は言う。「いい線いってたじゃない? 褒めてあげるわ。でも、もう終わり」 グラシアノは大きく手を広げてみせる。彼はここでようやく自らの要塞が奇襲を受けていることに気付いたのだった。沖で交戦が起きているのが目に入ったからだ。 「合図をしたから、すぐにわたしの旗艦がここに入港するわ。たったの五人でわたしの軍隊に勝てると思う? あんたたちがこの港から出るのは不可能よ」 そっと剣の刃を撫で、「それまでの短い間だったら、遊んであげるわ──よッ!」 と、グラシアノは突然、背後の足元に蛇剣を突き刺した。 突き刺さる一瞬先に、影から飛び出した者がいた。隆樹である。彼はバク転しながら鋼鉄将軍から距離を取った。 「よくもわたしに恥をかかせてくれたわね?」 鳥肌が立つような形相で隆樹を睨むグラシアノ。「耳と鼻をそぎ落として、じわじわ嬲り殺してやる」 隆樹は答えない。彼は返事をする代わりにタンッと跳んだ。 それが合図になった。 隆樹はグラシアノの懐を狙って一足で跳んだ。グラシアノは進路を阻むように蛇剣を薙ぎ払う。サッと横に跳んでよける隆樹。落ちる、と思いきや、彼の手から黒い影が伸び、蛇女の髪に巻き付いた。 ググッと彼の身体は宙で反転し、いきなり死角から相手に迫った。 「なっ!?」 さすがに驚いて跳びずさるグラシアノ。 慌てて戻した剣の平に、隆樹の蹴りがまともにぶち当たった。魔力をつぎ込んで強化した脚での蹴りだった。ガキィィンッと大きな音が鳴り響く。 が、堪えるグラシアノ。隆樹を押し返そうと力を込めるが、忍者の背後から彼の分身が、両腕の影の刃をニュウッと伸ばしてきた。相手を挟み撃ちにするのだ。 鋼鉄将軍は剣から力を抜き、自らを守るように背後に跳んだ。ヴェンニフの攻撃は屋根瓦を派手に飛ばして終わる。 「厄介な野郎ねッ」 体勢を整え、ハッとグラシアノは自らの剣に目を落とした。彼の黒蛇剣はいつの間にか三分の一ほどの長さを残して折れてしまっていた。今の隆樹の攻撃を受けたからであろう。彼は信じられないといった面持ちだ。 「大切なオモチャが壊れちまったってか? ヒャハハハ」 「遊んでやるのはこっちだぜ?」 屋根に降り立ち、村山とファルファレロが銃撃を繰り出す。唇を噛み、巨漢は難なくそれを避けた。鎧を脱ぎ捨てた分素早さが上がっている。 が、いきなりグラシアノは足を踏み外したようにバランスを崩した。 「悪りぃがここで死んでもらうぜ」 一人だけ離れた場所に浮くティーロが笑う。彼は魔法で鋼鉄将軍の足を払ったのだ。 「もらった!」 そこへ駆け込んだのはアジだ。投げた蛇の鎖はグラシアノの右腕と剣に巻きつく。そのまま彼は短剣を相手の胸にまっすぐ突き出した。 グラシアノは獣のような雄叫びを上げた。 空気が震え、本能的に危険を感じたアジは右腕で顔を守った。次の瞬間、彼は強い打撃を受けて弾き飛ばされていた。 悲鳴を上げる間もなく、地面に叩きつけられるアジ。身体の中の空気という空気を全て吐き出し、うめき声を漏らす。 仲間たちの声が聞こえる。伸ばした自分の手にアジは黒い傷跡を見つけた。 アジが毒の激痛に襲われるのに時間はかからなかった。 「──あんたみたいな奴が一番嫌いなのよ」 グラシアノは宙に浮いたティーロの肩に蛇剣を突き刺していた。かなり離れていたのに、その距離は何の効果も無かったのだ。 傷口を広げるように捻って蛇剣を引き抜く。ティーロが大きく苦痛の声を上げて落ちていくのを、咄嗟に村山が飛んで助けて、地面への激突を防いだ。 「……やべえ、マジ痛てえ」 魔導師は立つことも出来ずその場に崩れ落ちた。斬られた肩から血が溢れ出るのを手で必死に止めようとしている。 「ウフフ、あと3人」 地に降り立ったグラシアノは折れた剣を構え直した。 次に剣筋を向けたのは隆樹だった。本気を出したのだろう、先ほどより数倍速い。隆樹はバク転しながら後方へと逃げるが、グラシアノはピタリと着いて離れない。 「チッ」 隆樹は低い体勢から滑り込むように、相手の剣の柄をその手ごと握った。鋼鉄将軍が剣を振る動作を利用して剣を奪い取る──合気道の技を応用したものだ。 が、グラシアノはそのまま勢いを殺さず、ぐるりと一回転させて隆樹を地面に投げつけた。間髪入れず、全体重を掛けながら肘を彼の首に落とす。 巨漢にそんな技を食らっては、彼もひとたまりも無かった。隆樹の意識は白くなる。 「相手はこっちだ、浮気すんじゃねぇよ」 そこで村山たちが銃を撃った。接近戦では撃つに撃てなかったからだ。 グラシアノは最後に隆樹を蹴り飛ばすと、銃器を持つ二人に向かってきた。 二人はパッと両脇に散り、鋼鉄将軍を挟み込むようにする。グラシアノはファルファレロを先に選んだ。 ファルファレロは二丁の銃を連射した。しかし相手は、なんと真正面から突っ込んできたのだった。致命傷になる銃撃だけを避け、腕や足を撃たれながら、一戟、二戟、三戟と、嵐のような剣戟だ。 村山が援護射撃できないような角度に入り込み、グラシアノは凶悪な笑みを浮かべる。 「ほうら、間に合わなくなってきたわよッ」 ガチッ。グラシアノの剣が彼のファウストを捉えた。 「うるせぇ!」 吠えるファルファレロ。銃は手放さなかったが、身体の均衡を崩される。そこへグラシアノが強烈な膝蹴りを彼の腹部に見舞った。 呻き声とともに、若きマフィアは身体をくの字に折って、後方の海へと落ちていった。 間髪入れず、振り返るグラシアノ。上空にいた村山に向かっていきなり蛇剣を投げた。 「ぐッ」 村山の右翼を、折れた剣が突き破っていた。 彼は受け身を取りながら地面に落ちる。これではもう飛ぶのは無理だ。 まさか自らの剣を投げてくるとは──。村山は起き上がるものの、背中から広がってきた焼けるような痛みに歯を食いしばった。 「そろそろ時間かしら?」 グラシアノはゆっくりと自分の剣を拾い、振り返る。銃撃を受け腕や足から血を流しているというのにそれを気にした様子もない。 「何のだい? お前さんの命の火が尽きる時間かい?」 「ズタボロのクセに、まだ減らず口叩くのね」 溜息をつきながら、鋼鉄将軍は懐から小さな薬瓶のようなものを取り出して、村山に振ってみせた。 「解・毒・剤。分かる? わたしの毒って強いのよ。これが無いとすぐ死んじゃうの」 「何が言いてぇ?」 「死にたくないでしょ? お仲間を助けたくはなァ~い? わたしにひざまづいて、命乞いして“あなた様の家来になります”って約束してくれるなら、これあげてもいいわ」 「ケッ」 村山は忌々しげに唾を吐き捨てた。「冗談じゃねえぜ、外道が」 彼が銃を構えた時、港が大きな影に覆われた。黒い旗艦が入港してきたのだ。 村山は残った左翼をバッと広げる。確かに時間が無い。あの中から新たな加勢が来れば自分たちの命は無いだろう。 「行くぜ!」 村山は豪風を起こしてグラシアノの正面からぶち当てた。彼は笑い、剣を下段に構えた。 まさに彼が地を蹴ろうとする、その時だった。 村山の風が突然凪ぐ。 シャラン、という音にグラシアノが自分の剣を見れば、そこに絡み付いているのは蛇の鎖。 毒の苦痛に耐え、アジが接近していた。村山の風はカモフラージュだったのだ。 舌打ちし、鋼鉄将軍は剣を振り上げアジの脳天を割ろうとする。が、アジは振り上げた動作に合わせて鎖を彼の背後に回し、懐に飛び込んでいた。 「何ッ!?」 剣ごと腕を背後に引かれ、グラシアノの上半身はガラ空きだ。 アジは剣を鎌に変え、相手の首を狙った。一撃必殺。これを外せば後が無い。 ──ブシャァッ! 鮮血が飛び散り、アジの頬に点をつくる。 ギャアッと、グラシアノがおぞましい悲鳴を上げた。鋼鉄将軍は生きていた。しかし──。 「あァッ! わたしの、耳がッ」 剣を投げ出し、彼は自分の左耳を押さえ叫んでいる。鮮血が後から後から彼の手を伝って地面に流れ落ちていった。 「耳が、ミミが、わたしの耳! ミミが、耳がアァアァ!」 ──ふつん。 その絶叫が突如止んだ。グラシアノは自らの胸から突き出た蛇剣に目を落とす。 まさか、と目を見開いた時、鋼鉄将軍は絶命していた。 「王手、だ」 倒れた鋼鉄将軍の背中から剣を引き抜いたのは隆樹だった。しかし目は得体の知れない光を帯びている。もはやヴェンニフなのか隆樹なのか分からないその存在は、じっと血に濡れた剣を見つめていた。 「おい、逃げるぞ!」 ティーロが声を上げる。見れば、黒い旗艦から降りた兵士たちがバラバラとこちらに向かって来るではないか。 傷の手当てをする時間も無い。 クソッと吐き捨てるアジ。ファルファレロも戻り、ティーロは仲間たち全員を確認してから、壁に向かってパチンと指を鳴らした。浮き出る緑の魔法陣。 「飛び込め!」 ティーロの合図で5人は魔法陣へと飛び込んだ。兵士たちの銃弾や槍がすぐそこに迫っている。 しんがりを務めた隆樹が先頭の兵士の槍を蹴り飛ばし、魔法陣の中へと消えた。 ティーロの魔法陣は五人の髪の毛や爪で書いたものだった。兵士たちはそこを通ることが出来ず、緑の光は一瞬にして消え失せたのだった。 * * * 「こりゃあ……」 村山が感心したように声を上げる。5人は一瞬にしてジャコビニの幽霊船に帰還していたのだった。あの魔法陣が無ければ自分たちはどうなっていたか──。 船の甲板でホッとするのもつかの間、毒の苦痛に村山は大きく息を吐き柱によりかかった。アジは膝を折り、ティーロは床にうずくまる。 「クソッ」 ファルファレロが忌々しげに床を蹴った。解毒剤だ。あれが無ければ3人は長くは持たない。 「何だよ、心配してくれてんのか?」 ふとティーロが笑う。うるせえ、と返すマフィアに魔導師は握っていた血塗れの手を開いてみせた。そこにあったのは、グラシアノが持っていたあの解毒剤の瓶だ。 あっ、と驚く村山。 「あんたが目くらましの風を吹かせた時に、魔法でチョチョイとな」 ティーロはニッと笑い、そのまま倒れて意識を失ったのだった。 (了)
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