竜に師事せし者嘗てその師に尋ねて曰く。「雲竜は、何処より来て、何処へ至るのか」 師、之に応えて曰く。「汝の認識は謬錯也。雲竜は常に其処に在る」 水に溶かされた塩の姿は見ざれど、而して其処に在る。 雲竜も亦然り。 故に雲竜は常に空に在る。◆ ヴォロスの一地方であるアルヴァク地方において、竜刻の暴走が予見される、との情報でロストナンバー達が宇治喜撰によって招集されたのは、少し前の事だった。 今彼らの目の前では、宇治喜撰によってスクリーンに映し出された作戦概要が示されている。 図ではアルヴァク地方の北、山脈の一部の地点が示されていた。 預言書によれば、その付近にある洞窟周辺で竜刻の暴走が予見されるとのことらしい。 そして当該地点は麓にある神竜都市アルケミシュや、周辺のドラグレット、トロール等の集落にも少なからぬ影響を与えかねない地点にあるとのことだった。 :order_4_lostnumbers → 図に示された地点に赴き、竜刻の暴走を未然に防止してください。 → 暴走前に生じる可能性が高いモンスターを鹵獲又は殺害することにより、被害の拡大を防止してください。 :submission → 竜刻の持ち主は現地において高名な竜刻使いであり研究者でもあった人物のようです。 → この者が完全にモンスター化する前に接触を行い、有用な情報を手に入れてください。 :import 導きの書 → アルヴァク地方にある神竜都市アルケミシュの背後の山脈は、多数の竜刻窟があると考えられています。 → 暴走状態になった場合、周辺地帯の竜刻に悪影響を及ぼす可能性もあります。 → 暴走が予見される竜刻は所有者の体内に保有されています。保有箇所は心臓部となります。 :warning → 到達する段階で既に所有者がモンスター化している可能性があります。 → モンスター化した場合、元に戻る術は通常考えうる範囲内では存在しえません。 → モンスター化した場合所有する竜刻の力を最大限に引き出す能力を備え得ると考えられます。 → 対象は洞窟内に篭っています。内部の状況に関しては不明ですが、大規模行動が不可能なため、少数精鋭による解決を期待します。 → 崩落、雪崩等、冬季の山岳特有の現象により帰還不可能の状況にならぬよう戦略の必要性を提起します。 → 討伐の後は確保した竜刻に、支給した封印のタグを利用し、その暴走を防止してください。◆「ふ、ふはははは、なるほどなるほど、因果律の外に在る存在により我輩の運命が捻じ曲げられたということか!」 神竜都市アルケミシュ。 その背後の洞窟に篭り水鏡を眺めていた老爺が狂ったような声で嗤っている。 老爺の名はラインヴァルト。 かつて神竜都市において次代の教皇と呼ばれる程に高位の司祭、即ち有能な竜刻使いだった。 だが、ある時を境に彼は都市を支配する権力構造から追放される。 「我輩は神の一部となる、その力を得た!」、と公言して憚らなくなった彼は、その頃を境に公務を放棄し、ひたすらに竜刻の研究のみを行うようになった。 ただの研究者ではなく、常軌を逸した熱意と狂気が彼の身を包むに至り、その行動は奇異なものが多くなっていく。 口角泡を飛ばして、アルケミシュ統治機構の頂点たる教皇に「神に最も近いのは我輩也」と襲い掛かる時点において、彼はアルケミシュの追放を言い渡された。 本来なら死罪に等しい罪を犯しながらも、死罪とするには彼の能力が多岐にわたり且つ強力なものであったことから軍事バランス上好ましくないと判断され、都市部からの追放を命じられるにとどまったのだ。 彼自身もまた、己を理解しようとしない周囲を嫌悪し、「我輩こそ神竜の核也」と言い捨てて北の洞窟に篭った彼は、一人引き籠って研究を続けていく。 その彼に人知れず再度の異変が生じたのは、しばらく前の事だった。 それ以来彼は、その原因の事象を突き止めるべく動いていく。 そして、それを理解したことで、彼は哄笑に至ったというわけだ。「許さん、許さんぞ――我輩を認めぬ世界と、因果律を歪めた者達め……」 洞窟の奥深くで、一人彼はぶつぶつと呟き続ける。 その様相にはかつて廟堂において権威をふるった壮年男性の名残が殆どない。 髪は蓬髪とし、髭も蓄えられたというよりは無造作に伸ばされたが為に胸のあたりまで伸びてきている。 白髪まじりの黒髪と同様、濁った瞳は時折水鏡を覗き、傍らの書物を繰る。 時折苛立ちを示すかのように親指の爪を齧りつづける彼の胸は黒い光が漏れ出でていた。 その竜刻がかつては緑色の光に包まれていた事を、彼以外の誰もしらない。 そしてその光が失われ、徐々に持ち主の狂気に染まるままに黒くなっていった理由もまた同じ事であった。
―― 去来遡及完了。調律者を一に固定。 深い根雪を抱くアルヴァクの北嶺群。 名もなきそれらは通年を通して白い雪に埋もれ、夏にのみようやくかすかな黒い岩肌を示す程度でしかない、高峻な山の連なりにより形成されている。 嶺の合間には穏やかな盆地や谷間が点在し、長く厳しい冬を物ともしないトロールやドラグレットの部族が集落を成して過ごす場所となっている。 麓に位置する人の街は、峻厳な山を背後の守りとし、竜刻の力を神の奇跡として信仰する人々が住まう都市国家である。 名を神竜都市アルケミシュ。 その街をはるか遠くの望む山の中腹。雪に覆われたこの地にはいささか不釣り合いな恰好をした一隊が降り立つ。 「うぅ~、着込んでいるとはいえ、さむぅいですぅ~。でも今日はシャンテルちゃんとジャックさんが一緒で良かったですぅ☆生き埋め対策全然考え付かなかったんですよぉ☆」 その場で身体を暖めるように足踏みしながらそう語る少女の頭上では、昼日中であるというのに梟が1羽。 ツーリスト達で構成される面子の中、立ち止まっている間の警戒役として、唯一セクタンを扱える彼女が名乗りを上げたが故の光景だった。 そんな彼女の懐の中には優美な体の線を撫子の服の中へと落ち着かせた一匹の猫。 まぁその時はどうにかするよ、とばかりに一声ニャア、と啼くと、彼女は再び懐に丸まって暖をとりはじめた。 その二人の横では、二人の男が言葉を交わしている所だった。 「絡め手というのは構わんが、相手に悟られずにその心中を読み取るなど、できるものなのか」 一本の長い三つ編みを、山肌を撫ぜる風に任せゆらゆらと揺らしながらアクラブは傍らの連治へ問いかける。 「さて、その辺りは俺もちょっとわからんね。だが、おそらく会合地点は洞窟の奥深く。引き返そうと思っても引き返せない地点ならば、彼の得る情報は何よりの武器になるだろうさ」 そう言って連治はもう一人の、傍に立ったまま瞑目をしている青年の方へと視線を移した。 好き放題に撥ねさせられた青銀色の髪と、ド派手且つ薄手の衣服。むしろ露出されている部分が多い。 その状態でありながら、この寒風吹き荒れる山肌で鳥肌一つ立てずに立って集中し続けているジャックの姿があった。 刺青のような文様がある端正な彼の顔立ちを眺める。こうして黙っていれば、まともに見えんこともない奴だな――そう連治が心中で思いを抱いた時、不敵な笑みを引っ提げて、ジャックの意識が、彼らのいる地点へと舞い戻ってきた。 「ヒャハッ、こりゃいいや。なぁおいなぁ、さっさと行こうや。爺さん待ちくたびれてもうすぐ人間やめちまうみたいだゼ?」 「……これは、特段期待できないか」 一瞬でトリガーハッピーの表情へと変貌したジャックの様子に、連治は痛むこめかみを指でほぐしながら、訂正の言葉をアクラブへと投げかけた。 問題ない、と頷くアクラブに視線で応じ、ジャックへと向き直った。 「ジャック。すまんが、先走らずに道案内をよろしく頼む」 「チッ、まぁ途中までは遭難しかねねぇくれぇ深い洞窟だからな、しっかりついてきてくれヨ。もしはぐれたら食われちまうゼ? なぁ子猫ちゃんたちぃ」 胸の辺りがこんもりとしている様子を何事か考えているのか、やたらと真剣に見下ろしている撫子と、すっかり撫子の懐への引きこもりを決め込んでいるシャンテルの二人に声をかけ、ジャックは足取りかるく雪原を行く。 「え~? 子猫ちゃんって私のことですかぁ? わぁいなんかかわいくて素敵ですぅ~☆ でもでもお爺さんが暴れて洞窟壊しちゃいそうになったら、助けててほしいですぅ」 はっと我に帰った撫子は、胸のところのシャンテルを抱え直し、なぜだか上機嫌でその後に付き従った。 「俺サマは半径50m最強の魔術師だゼ? 洞窟でヤバくなったらつれだしてやんゼ。マァ大船に乗った気で居ろヨ、ギャハハハハ!」 先ほどまでの真面目な様子等、もはや微塵も残ってはいない。 これから起こるであろう戦闘への期待に心躍らせる男の姿がそこにはあった。 そうした二人のやりとりに顔を見合わせる残りの男性陣二人であったが、どちらからともなく肩をすくめると、視界の先へ見える洞窟への道を、進み始めていく。 待つは咢。 竜の頭の如き様相の洞窟の入り口が大きくその口をあけ、異邦より降り立った者らの来訪を待ち構えていた。 ―― 因果律を編み直す。オーン再起動。 洞窟の奥、自然の日の光が入り込まぬほどに深いその場所では、奇妙な明るさを見せていた。 壁の各所に施された不思議な光を放つ石の塊のおかげで、それまでの道行を照らしていたアクラブの炎が消えてなお、広場全体を見通せる。 広場への入口から奥へは緩やかな下り坂となっており、最も天井が高い部分では、通常の人間4、5人分の高さがあるようにみえた。 すり鉢状に掘り込まれていくその空間の最も低い部分にあるのは祭壇のように切り出されて見える岩。 壱番世界にあるマヤのピラミッドの天頂部に近い形をしているその岩は各段毎にその壁に精緻な文様が彫り込まれている。 それは、かつてとある魔人と対峙した者が見たら、既視感をおぼえたことだろう。 幾多の竜刻によって織りなされる魔術の闘いが織りなされた魔法陣の代わりとなるのは、円状の口を持ち水鏡を形成する水盆。 その水盆を覗き続けていた男であったが、入口に一行が至った事にようやく気付いたとばかりに顔を上げた。 「ようやく来たか、異邦の者ら、因果律の外側より来るもの――神の定めた運命を捻じ曲げし者らよ」 五十幾つの齢を重ねた男の容貌からは、かつて麓の都市で権勢を極めた頃の面影は消えており。 頬はこけ、頭からつま先まで至る外套を深く被った男は萎びた指をロストナンバーらに向け、語りかけてくる。 フードの奥、暗く影が落とされるその中で、男の眼だけが奇妙に濡れたように光を放ち、炯々と輝いていた。 しわがれた声はしかし力強く、多数の者らの心へ響かせる説教を得意としたかつての有り様ゆえにか、確実に訪問者の耳へと届く。 「あんたがラインヴァルトか――だが、妙ないいがかりもあったもんだな」 中央の祭壇もどきへと向かいゆっくりと歩みを進める一行の内、連治が言葉を投げかける。 「俺達はあんたに会いにやってきただけだ。それなのに、何故それほどに憎まれなければならない?」 そうですぅ、といつもの状態となった撫子が続ける。 「私は只人ですよぉ。特殊能力もありません~。だからぁ、なぜ貴方が因果律の外の存在に運命を歪められたと思ったのか教えて頂きたくてぇ」 「何故、とな――これは愉快な事もあったものだ。おぬしらは己らが成したことを理解しておらぬと見える。貴様ら因果律の外の者らの諍いが、我輩らに及ぼした影響を知らぬと」 言いつつ、ラインヴァルトは水盆の淵、円環の部分にはまっているいくつかの石をはめ直し、或いは動かしていく。 「かつて我輩は神に選ばれた。神と一体となり、神の御力としてこの命捧げるべしとされる運命を与えられたのだ」 ラインヴァルトは独白をしながらも次々と水盆の淵の石を動かしていく。 「この身、この胸に宿りし神の意志は、天に至る叢雲の先――神の力を我輩に与え、神の心を伝えた。時至れば、我輩は即ち神と一つになれるはずであった」 すぅ、とラインヴァルトが盆中の水面に手をかざす。 「つまりそれはぁ、貴方の胸に宿る竜刻の事ですかぁ? どうして貴方は体に竜刻を埋め込んだのでしょぉかぁ」 不審な動きを見せるラインヴァルト。その存在を間合いにとらえるまでの間、注意をひきつけるためなのか、或いは何も考えていないのか。 撫子は問を重ねていく。 「埋め込んだ……? 告げたとおりよ。これはわしの意志に非ず。わしの力の優れていたがゆえに、必然に選ばれたがゆえのこと」 「その結果が、追放か?」 連治が、再び口を開いた。 「何に、いつ選ばれたのか――実に興味深いし、詳しく聞きたいところだがな。人は所詮人だ。どうあがいてもそれ以上にはなれねえ」 「そのとおりだ」 アクラブが同意、とばかりに頷く。 「お主の身に宿る気配には禍々しさしかない。神に近づこうなどと思うならまずはその邪念を捨てるべきだな」 後、60m――想定外に広大な広間の中止んまで、老人の意をそらしながら、じっくりと注意をひきつけつつ近づいてきた一行。 もっとも、撫子だけはやや離れたところで止まっている。 「邪念!」 老人が狂ったように声を上げた。 「邪念、邪念! なるほどの、しかしはたしてそれは何故に生まれたものか!」 水盆に翳されていた手は、岩肌に隠された天へむかって突き上げられる。 「敬虔なる竜刻の徒たらんとすれば、その神秘に近づく事が何よりの修行のはずだ! しかるに時の大司教オーフェンハイムはただ無心に神の下へ頭を垂れよと重ねるばかり。然様な事等、そこらの童でもできること、あえて我輩らがそれのみに尽きるべきことがあろうや」 勢いで外れたフードから現れたその肌は、どす黒くそまりかけている。 胸から伸びているかに見える黒い筋は今や顔の過半を多い、目は充血の為か、それ以外の理由によるものかは不明であるが、本来白くあるべき部分が深紅に染まっていた。 「……竜刻には強い力がありますぅ。その扱いにぃ、例え建前でも清廉潔白さが求められるのは当然じゃないでしょうかぁ。貴方と竜刻はお互いの力でお互いを歪めあったとしか思えません~」 「黙れ!!」 嫌悪感を隠さずに指摘する撫子へ、老爺の強烈な一喝が浴びせられた。 「全ての元凶は貴様ら……そうとも貴様らの同輩のせいである! 我輩が時至りてなお地上に捨て置かれてしまう運命に置き換えられたのは、全て貴様らのせいではないか!」 一気呵成に告げる老人の声によどみはない。 何度も何度も脳内で繰り返していたであろう言葉であるかのようだった。 「器として不足していたがゆえに、本来はその命潰えるはずであった娘。あの者がその運命から解き放たれる事となった――そうとも、貴様らのせいで、だ」 天に掲げていたその手が、再びゆっくりとおろされてくる。 「何故だ、何故彼の娘を神は選んだ――何故斯様に竜刻の神秘に近づき、神の力を何人よりも扱える我輩を選ばぬ……何が違うというのだ……」 ぶつぶつと呟く様は、先ほどまでの明朗さが急激にしぼんでいくようで。 「そうとも、こやつらだ――運命を歪めたこやつらさえ倒せば、あの娘よりもわしの方が、神により近い事、きっと通じよう」 目の光が、急速に失われている事が、間近に迫ったロストナンバーにも見えた。 互いの距離は既に50mを切っている。それは、一つの到達点。 「ンじゃそろそろ始めるかァ、殺し合いをヨ」 ようやくだ、とばかりにジャックが目を見開き、口の端をニィ、と釣り上げる。 「この世界に在るべからざる者らは皆血祭りにあげてくれる――外より来たる者などに、我輩の、この世界の運命を変えられることなど、あってよかろうはずがないのだ!!」 ジャックの言葉に応じたように、老人が水盆に掌を再度翳し、何事か唱える。 既に、その身は黒く染まり――醜悪な怪物へと変化を見せようとしていた。 ―― 構成設定変動。未定義事象の存在を認知。未定義事象を影響最小化 「シャアッ!」 ラインヴァルトであったものの背後。祭壇の後方から忍び寄っていたシャンテルが襲い掛かる。 既にその身は猫でなく。全身を包む黒いスーツの先には強靭な爪。 そのナイフは、不意をつかれたラインヴァルトの心臓を後方から貫く――はずであった。 「なんて硬さだっ」 舌打ちするシャンテル。微動だにせずナイフを背で受けたラインヴァルトは、後方のシャンテルを顧みる事もなく、水盆上で何事かの操作をした。 途端、強烈な鎌鼬が唐突に出現し、シャンテルを襲う。 「う、あっ――!?」 完全に不意を打たれた形で、彼女が遥か後方の岩盤へと叩きつけられた。 激しい衝撃に、ぱら、と洞窟の天井から石の欠片が落ちてくる。 「ハッ、ジジイのくせに、ちょいとオイタがすぎんぜ」 身体加速で一気に間を詰めたジャックが、その手に宿した雷を振り下ろす。 「テメェなんぞ消し炭にしてやるゼ、サンダーレイン!」 「ぐガアアアアアアアアアアアアア!」 強烈な電撃に、ラインヴァルトの咆哮が響く。だが、同時に彼は水盆の一部へと、ツイ、と指を滑らせた。 刹那、洞窟の壁の一部が剥落し、巨大な石塊となってジャックの背後から襲いかかる。 「油断するな!」 ジャックと同時に間合いを詰めていたアクラブが、ライヴァルトへふるうはずだった剣の軌道を変え、岩を一閃にて叩き割り急場をしのぐ。 しかし二つに分かれた岩は、洞窟の反対の壁へ盛大に激突し、巨大な衝撃を与える――はずだった。 「音を飲め」 連治のギアが放った弾丸が、岩壁に着弾した刹那の後、裁断された岩塊が衝突する。しかし、轟音は響かず、衝撃も殆ど相殺された。 「全く、もう少し考えてくれ。ここが崩れたら、自力で帰れるのはジャックとシャンテルぐらいしかいないんだからな」 落ち着いた様子で眼鏡を直しながら、連治が前方で戦う二人に声をかける。 その間も、ラインヴァルトから目を切らさず、その動きに注意を払うことを忘れない。 ラインヴァルトの指が、せわしく水盆を行き来した。 「ヒャハッ、想像以上じゃン!」 突如地表が突出し、竜巻が生じ、以上な重力場が形成される。 「二人でかかってあの水盆を壊せばどうにかなると思うが、どうだ」 天井より降りてきた燃える流星を弾き落とし、一部は老人の方へと受け流しながらアクラブがジャックに声をかけた。その言葉に、数瞬ジャックは考え込む表情を見せる。 「ジャック?」 「……オウ、マァいいんじゃネ? って、いってぇな!」 一瞬動きのとまったジャックの身体を無数の鎌鼬が襲う。縦横に走った裂傷は、しかし再生能力によりすぐに修復されていった。 物理的な攻撃はそのベクトルを変える事で防いでも、非物質の攻撃は若干後手に回っている。 「こちらも忘れてもらっては困る」 転移を繰り返しつつ様々な種類の攻撃を避けてきた連治が、二人の側に現れた。 数多の攻撃を避けながら、彼もまた「轟け」、「貫け」、と言霊を具現化する弾丸を、ラインヴァルトへ打ち込んできていた連治だったが、そのいずれの結果も思わしくない。 「おそらく仕掛けは水盆だろう。そこからでる力か? 奴の身体を結界のようなものが包んでいるように思える――単純に防御力が高いという説もあるがな」 奇術師としての性分か。種を探るような目で、いくつもの弾丸を放つが、どれもやはりラインヴァルトの体表わずかの付近で無効化される。 これだけ三人の攻撃を受けてなお、平然と立つラインヴァルトが一度だけ悲鳴を上げた瞬間。 それは、水盆ごと、ジャックの雷を受けた瞬間だけ。 「普通にしてりゃ絶対防御のシールドってか。ハッ、そうでなくちゃ楽しくねぇや。おら、いくぜアクラブ、連治!」 それ以上の言葉は、この三人には不要だった。 縦横無尽に襲い掛かる洞窟内の数多の魔術。 このまま好き放題にさせていれば、遠からず洞窟が崩壊することは目に見えていた。 「ジジイ、こっちだゼェ!」 天井から落ちてきた石や、アクラブによって粉砕された岩の欠片がジャックの周囲に浮きあがる。 「ココじゃ弾の材料にゃ事欠かないンでナ……穴だらけにしてやるサ……レールガンッ!」 ジャックの力により、拳銃の弾丸を超える速度で放たれた石達が、ラインヴァルトの周囲360度を囲み、水盆を含めて襲い掛かる。 「グ、ガ、アァ!」 咆哮一声。ラインヴァルトの足元から竜巻が湧き出し、石達を弾き飛ばしていく。 だが、ジャックの攻撃への対応に気を注いだ瞬間は、見逃されるものではなかった。 「人の姿を捨ててまで神に近づこうというその覚悟は認めよう――だが、もはや戻ることもできぬのであれば諦めてもらおうか。唸れ、スコーピオン」 しっかと両の足を祭壇に根付かせ、逆袈裟に切り上げたその刃は分厚い竜巻の壁を、易々と切り裂いていく。 そのままアクラブは一度腕を引き、ようやくに相対したラインヴァルトにその切っ先を突き出した。 「神の御許へ、送ってやろう。それならば、満足だろう?」 突きと同時に体当たりを食らわせ、ライヴァルトを祭壇の上から突き飛ばしていく。 祭壇の上に残されたのは、無防備な水盆。 「――これならばどうかな……『腐り落ちろ』」 腐食の弾丸が、水盆を襲った。 そしてその瞬間に、明後日の方向から撫子の声が、響く。 「駄目ぇ!!」 ―― ダウゼンからハプトまでの領域に改変を認知、未定義事象の検出開始 「あ、気が付いた?」 腕の中のシャンテルが身じろぎした事に気づいて、撫子が声をかける。 ニャア――弱弱しく啼いたシャンテルに、「ここはねぇ、あの広場よりも奥の方の部屋なんですよぉ☆」と撫子は返した。 「シャンテルちゃんは不意打ちでやられちゃうし、ちょっと人外さんの中でやりあうにはぁ、ほらぁ私ってばか弱いですからぁ☆」 戦闘が三人でどうにか拮抗している状態を確認した後シャンテルを回収、そのまま奥の部屋の入り口を見つけたので、探りにきたのだ、と懐の猫へ状況説明をしつつ、彼女は雑多に積まれた書物をひっくり返していく。 その間も、遠くの方では無数の衝撃が響く。その衝撃が伝わってくる間が勝負だということは、撫子も理解していた。 「やっぱりぃ、研究者なんだから研究ノートとか、あったりするんじゃないかと思うんですよぉ。それにほら、ほかに竜刻を隠し持ってたりして、それまで一緒に暴走しちゃったら危ないですからね~」 言いつつ、空き巣もあきれる程の荒っぽいやり方であっちこっちを探っていく少女。 しばらく沈黙を余儀なくされたシャンテルであったが、ふと目に入った書物が気になり、撫子の手を飛び出していく。 「ニャア」 これじゃないか、と示したのは、既に荒らされていたらしき場所であったのだが、確かにそれは撫子の目的のものだった。 「おぉ~、研究日誌じゃないですかぁ☆ これさえあれば竜刻の秘密がばばーんとわかるっていうものですぅ」 ――が、その期待は裏切られる。 「ちょっとぉ、読めないわよっ」 ため息と共に、彼女は書物を投げ出した。この世界の文字であることに問題はないが、過去に使われていたらしき特殊言語、そしてそれの専門用語が満載で且つ老人の走り書き。読める条件が、何一つなかった。 結果、投げ出されてぱらぱら、とめくれていくその書物。しかしページが、よく広げられていたのであろう場所でとまった時、それがシャンテルには無視できないものであるように見えた。 「これって、ひょっとしてさっきの場所じゃない?」 人の姿に変化した彼女が、つ、と絵図面で描かれた部分をなぞる。 竜を象ったかのような洞窟の全体図。 各所に配置された無数の竜刻。 そしてそれらの力が集合することを意味するのではないかと思わせるラインが、先ほどまで皆がいたであろう大広間――竜の胃袋に当たる位置に伸びている。 ページをめくれば、水盆の図面があった。 こちらも殆どが古代言語や走り書きであったが、ノートの隅にあった一文だけは、かろうじて読み取れるものだった。 「『水鏡に竜刻の制御を集中すれば、我が身の竜刻の暴走も或いはその他の竜刻と同時に制御することで食い止める事が可能であろう――そして時間を稼ぎ全ての竜刻の制御を可能とした時、我輩は神の力に近づくことができるであろう』――えーっと……つまりぃ、水盆を壊すとぉ、ラインヴァルトさんの竜刻が暴走しちゃうって事ですかぁ?」 「まぁ、すぐさま暴走するってわけではないとおもうけど」 「でもでもぉ、なんかこれ見てるとこの水盆壊さないと、洞窟全体が襲ってくるようにみえません~?」 「みえるよね――あの三人なら、多分水盆を壊せばどうにかなりそうって、気づくよねぇ」 静かに目の前の情報と、現状への想像を成し終えた二人は、顔を見合わせると、すぐさまもといた広間へ戻るべく、走り出した。 ―― 吸引流域分岐、第三段階解析完了 「あぁあああ……」 撫子の呻き声が響く中、銀色に鈍く輝いていたその水盆は、着弾と同時に、その光を急速に失わせる。 黒く、ついで赤茶色に染まり、そして複雑な文様は跡形ものこさず、形もまた溶けて消えていった。 残ったのは、原型をとどめなくなった水盆から零れ落ちた、大量の水。 「これで水盆の加護は失われたはずだ。――ジャック!」 「ハッ、なぁんか楽しい予感がするナァ……貫いてやるゼ、ライトニング!」 アクラブが退いた瞬間を狙い、ジャックの放った閃光が、ラインヴァルトの身体を貫く。 「グォオオオオオオオオオオオオ!!」 既に人の気配は欠片も残していない異形が吼える。 ジャックの攻撃は、先ほどまでと異なり確かにダメージを与えていた。 「ジャックさん、連治さん、アクラブさん! 水盆を壊してしまっちゃったので、もうすぐその人、いいえ、その竜刻、暴走するかもしれません!」 ぶりっ子喋りをする余裕は、撫子からは消えていた。 その場にいる面子の中で、現在の状況を理解しているのが彼女とシャンテルしかいないという事実の危険性について、よく理解していたからだ。 先ほどまでは辛うじて水盆を通じての攻撃という、人の範疇のせめぎ合いだった。 だが、水盆という軛が外されて後にどうなるか――。 「オイコラ、これでも俺サマが崩落しないよう手加減してるッてのにテメェはヨォ……」 ジャックが、思わずあきれたような言葉を漏らしつつ、攻撃をいなす。 先程までの無造作な魔術の展開が、それでもまだ制御されたものであったことを実感させるかのような雑然とした攻撃が、無数に襲い掛かってきていた。 嵐、炎、氷の矢、雷、風の刃。 確かにこちらの放った魔法によりラインヴァルトもダメージを受けはするが、威力のました攻撃が、その分増加しているように感じられた。 そしてそれらが襲うのは当然ながら、ロストナンバー達だけでは、ない。 「く、このままだと持たないぞ――!」 連治のギアや、ジャックのサイコシールドで一部の崩落を押しとどめているものの、全体的な落盤はこれ以上防げそうになかった。 撫子もギアを使い落ちてくる岩塊を弾き飛ばしてはいるが、とても手が足りている状況では、ない。 「ジャック――仕方あるまい」 これ以上は危険だと判断したアクラブが、事前に打ち合わせたとおりに、と依頼する。 「ハッ、俺サマが同行して怪我人出すわけねェだろがッ! 連治、おまえは自分で何とかしろヨ!」 ジャックがそう言ったまさにその瞬間に、ラインヴァルトであったものが、巨大な重力の塊を天井へと叩きつける。 既に、何を対象とすべきかわからなくなってしまっているモンスターの攻撃は無差別なそれとなり、天井の大部分が崩れ落ちてくる。 無数の巨大な岩塊が落ちてくる中、ジャックはアクラブ、シャンテル、撫子に触れ、そのまま地上へと転移した。 「確かに自分だけなら問題はない、が――俺だけ置いてけぼりとは、ひどいな」 連治は苦笑するように消え去った四人のいた場所を見るが、それどころではないと思い直し、その後へと続いた。 ―― 虚運命肢廃合、一般散逸構造定着 地表が、揺れていた。 巨大なクレーターが形成されでもしたかのように、地表部分が崩れ、穴に向かって周囲の雪が雪崩れ込んでいく。 かなりの分厚さを有する根雪の崩落は、岩以上の質量をもって洞窟内部のモンスターに襲い掛かったことであろう。 これで死んだか――? 空中に放りだされた形になった一行は一瞬そう考えたが、精神感応を試みたジャックが、一つ舌打ちをする。 「来るゼ――だがこれで終わりだナ」 ジャックが、自由落下の中で周囲の風を捕まえる。 「俺も、加勢しよう」 「私も」 アクラブとシャンテルが、力をためる気配を見せる。 「なら、露払いは俺の仕事かな――」 ギアを構えた連治が、言霊を唱えた。 「爆ぜろ」 タン、と乾いた音を響かせ、クレーターの中心、巨大な闇色の光が漏れだしてくる中心点へと、弾丸が飛ぶ。 着弾の瞬間、今まさに突き破られていた岩が爆散し、異形がその姿を現した。 弱々しい体躯に成り果てていた老人の姿の名残は全く残っておらず、その体躯はアクラブよりも軽く頭二つ分は高そうな体躯となり、その表皮は竜の鱗に覆われている。 黒い光がその身を包み、背より生えた翼をはためかせ、天空より落下するロストナンバー達へと向かってくる。 ――あるいは、その先の雲竜を目指してか。 「逃がしはしない」 連治の出したチェーンの結界が、その行く手を阻んだ。 「哀れな男だ――大人しく、眠れ」 憐みの視線を向けるも、躊躇する理由はない。アクラブは己が呼び出した極炎を、チェーンに囚われもがく竜人へと叩きつけた。 断末魔の咆哮が、峰々に轟く。 「怨むなら俺だけにしとけヨ、ラインヴァルト……じゃぁナ」 静かに告げたジャックの手から、鎌鼬の刃が解き放たれた。 無数の刃が、焼けて落ちた鱗の隙間を襲い、その身を無尽に切り裂いていく。 四肢を、胴を、そして頭部を。切断されたラインヴァルトの身体に取りついたのは黒い影。 「こんな場所で暴走させるわけにはいかないから……竜刻は、回収させてもらうよ――」 シャンテルの刃が閃き、どす黒く染まった竜刻が胸の中から取り出される。 それが、神に成り損ねた者の最期だった。 竜刻の力により構成されていた体は粉と消え、北嶺を渡る風が、その塵となった体を消し飛ばしていく。 「うわー……皆すごいわぁ」 とどめをさした四人が地表にうまく着地する様を見ながら、撫子は感心したようにそう呟く。 彼女の腕をつかみ、必死に空中に浮き続けているのは、オウルフォームとなったセクタンだった。 元来そんな飛び方等得意としていないのだろう。 力の限りに羽ばたいているが、徐々に、落下する速度が増して行っている。 「うぅん――無事に地面につけるかしら」 一抹の不安を己のセクタンに抱きつつも、彼女は腕の中の本をしっかりと抱きかかえなおす。 あの混乱の中でもどうにか確保した、ラインヴァルトの研究日誌だった。 「きっと――ここに竜刻の秘密にせまる何かがあるかもしれないし! 落ち着いたらきっとよめるかもしれないし!」 そんなことをいいながら「でもどうかなー、読めるかなー」とぼやく撫子だが、不意に落下速度が増していく。 「え、ちょっと! 壱号!? 頑張って! 普段と違うけどそこは頑張って!」 ―― リアプノフ時間の周波数整合 「本来の継承者は、潰えたか」 雲竜の背に乗った魔神が、神を目指したものの気配が消失したのを感知し、そう呟く。 「あら、でもその研究の成果物はまだ生きているようですが?」 「制御装置が消えたことであるし、特段の問題はなかろう――いや、こちらに必要な力を供給するには丁度よい対象の一つとなるやもしれぬ」 「そう、ですね……考慮します」 はるか天空。 ラインヴァルトが目指した場所で、密やかな会話が交わされていた。
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