広島県廿日市市にある、厳島神社。 現在は八代目に当たるという大鳥居はそれ自身の力で立ち、潮の満ち引きによってその様相を変える。「ここなら、とりあえず干潮にならない限りは、来れないでしょ」 世界樹旅団の千代子は、吐き捨てるように言う。大鳥居の上にちょこんと座っている姿は、誰の目にも留まらない。 誰も、いないから。「……あの、連中」 ぎり、と奥歯を噛み締めながら、千代子は言う。 鳥居の下に植えられた苗木は、第二段階に達している。もうすぐ、実がなるだろう。美しいと称されるこの地を、ぐちゃぐちゃにしてしまう為に。「お姉さまを、あの連中。あの連中!」 ぎりぎりと、和傘の柄を強く強く握りこむ。「千代子、第三段階だ」 仲間のツーリストが声をかける。ずたぼろのスニーカーを履く彼は、そのスニーカーを以って戦う。水面を走り、風を纏わりつかせて。「そう、そうですわね。ニーク」 千代子は頷き、巾着に入れているビー玉たちを優しく撫でる。ビー玉たちは、小型のワームとなる。 世界樹がヴヴヴヴ、と震える。そうして、次々に実をつけ、放つ。 中から出てくるのは、鹿たち。神の使いと称され、崇められている支配者達だ。 違うのは、その雄々しき角。人を傷つけぬように切られているはずの角は、天に向かって猛々しく聳え立っている。 人を、物を、全てを、傷つけるために。「さあ、ぐちゃぐちゃにしましょう」 にっこりと、千代子は微笑む。もう一人も水上を蹴って本殿へと突き進む。――赤く赤く染め上げるために。 予言された未来は、世界樹旅団によってもたらされる。 世界司書が知った出来事はまだ不確定な未来だ。しかし、このままでは確実に訪れる出来事でもあるのだ。 壱番世界各地の「世界遺産」をターゲットに、何組かの旅団のパーティーが襲来することが判明した。かれらは「世界樹の苗」と呼ばれる植物のようなものを植え付けることが任務のようだ。その苗木は急速に成長し、やがて、司書が予言したような惨劇を引き起こす。 言うまでもなく……「世界樹の苗」とは、世界樹旅団を統べるという謎の存在「世界樹」の分体だ。 だが、この作戦を事前に察知したことにより、世界図書館のロストナンバーたちは、苗木が植え付けられてすぐの頃に到着することができるだろう。周辺の壱番世界の人々を逃がす時間は十分に確保できるはずだ。 むろんそのあとで、苗木は滅ぼさねばならない。苗木は吸い上げた壱番世界の『歴史』や『自然環境』の情報をもとに反撃してくるであろうし、旅団のツーリストも黙ってはいない。 司書は、引き続き、戦うことになるはずの、敵について告げる。 千代子という、レースのついた浴衣を着ている女性。彼女は巾着に小型ワームとなるビー玉を複数携えている。 もう一人は、ニークというずたぼろのスニーカーを履いた男性。靴に込められた力を以って、水上や空中を駆けたり、重い蹴りを出したりするのだという。 そしてもう一つ、と司書は告げる。 実から、歴史上の人物は出現しないだろう、と。========!注意!イベントシナリオ群『侵略の植樹』は、、同じ時系列の出来事を扱っています。同一のキャラクターによる『侵略の植樹』シナリオへの複数参加(抽選へのエントリー含む)はご遠慮下さい。========
皆が到着したのは、まだ観光客や地元民が普通に横行している時であった。 既に世界樹の苗木は植えられているが、被害は出ていない。予言にあった、角が大きく聳え立っている鹿もおらず、いるのはのんびりと過ごす角のない鹿だけだ。 「まだ、被害はないのう」 ほっとしたように、鍛丸が言う。「ここは儂らにとって、武士にとって、重要な意味を持つ土地。地で穢してもらっては、困る」 「僕も、頑張ります。着いたばかりの頃、行く当てのない僕達を助けてくれた人たちが、壱番世界の人ですから」 兎も、こっくりと頷く。 「神聖なる御社を穢すなど、許しがたい行為です」 ぽつり、と細谷 博昭は言う。表情も態度も、素っ気ない。しかし、その目に宿っているのは、静かな怒り。 「寝床が減るでござるっ! 許さんでござるっ!」 チャルネジェロネ・ヴェルデネーロは、長い体を揺らしながら言う。 頭の中で、苗木が育つと壱番世界がぼろぼろになる、つまり寝床候補がなくなる、という結論に達したようだ。 「あ、拙者、蛇でござるから。避難誘導は、任せるでござる」 チャルネジェロネが言うと、ジャック・ハートがちらりと皆を見つつ口を開く。 「誰もやらねェなら、避難誘導に回るがヨ。マフとお嬢チャンがやンだろ?」 お嬢ちゃんと言われ、兎が「はいっ」と返事をする。 が、マフ・タークスは静かに首を横に振る。 「悪いが、オレは初っ端から行かせてもらうぜ。モフトピアでは、散々やらかしてくれたからな」 ククク、とマフは笑う。あのガキ、とも。。 「ならば、儂が誘導に回ろうかのう。儂は皆の中では強くない方じゃ」 鍛丸はそう言って、皆を見回す。 「では、兎さんと鍛丸さんが避難誘導、その他が戦闘という事ですね」 博昭が確認のように言うと、一同が頷く。 「じゃァ、いっちょ派手にやってやっカ!」 ヒャヒャヒャ、とジャックが笑う。続けてマフが、にたぁ、と笑う。 「人の庭荒らしといて、テメェの身が無事で済むと思うなよッ!」 かくして、避難誘導組と戦闘組が、一斉に動き出すのだった。 商店街や市街地には、人が溢れている。 穴子や竹輪、饅頭のいいにおいが辺りに漂っており、普段ならばそれらに舌鼓を打ってもいいだろう。 だが、今はそのような時ではない。 「鹿じゃ、鹿が大量に降りてきた!」 鍛丸は人々に向かって叫ぶ。何事かと鍛丸のほうを見る人々に、改めて口を開く。 「山から、大量の鹿が降りてきたんじゃ。妙に凶暴でのう、次々に人を襲っておるんじゃ」 ざわ、と人々がざわめく。 「し、しかし、そこの鹿は大人しいんじゃけど」 地元民が、のほほんと座る鹿を指差す。 「そ、それとは違う鹿さんなんですっ」 兎が、弁明するように言う。「角も……そう、角もすっごく伸びてて」 兎の言葉に、人々がいっそうざわめく。 「ちょ、ちょっと無理がありましたかね?」 ひそ、と兎が鍛丸に言う。 「いや、大丈夫じゃないかのう」 鍛丸が言い、人々の会話に耳を澄ます。 「まだ手をつけてない鹿がおったんか」 「ああ、でもおってもおかしくないのう。山の奥深く、おるかもしれんけぇ」 兎の言葉に、妙に納得をしている。ありうる、と思わせるだけの存在、宮島の鹿。 「念のため、避難してもらえるかのう。フェリー乗り場の方が、安全かと」 「なるべく早く、避難して下さいね。もし人が残っていたら、声をかけあっこしてください」 「あんたらは、大丈夫なんか?」 焼き牡蠣屋の主人が、声をかける。鍛丸と兎は、顔を見合わせた後、こっくりと頷く。 「儂らは、その為に来たんじゃ」 「頑張りますから、大丈夫です」 二人はにこやかに言うと、更に声をかけるために走ってゆく。人々はそれぞれが「じゃあ、行こぉか」と言って店を閉めたりしつつ、フェリー乗り場の方へと向かっていく。 誰も居なくなった後、鹿がのっそりと立ち上がり、店先に残っていた穴子をぱくりと食べてから、のそのそと歩き始めた。 フェリー乗り場の方へと。 「あ、そうだ」 兎は言い、厳島神社へ向かう道に幻術を掛ける。無意識に行きたくない、と思わせるように。 「人が近づいたら、意味ないですしね」 「弥山の方も行った方がいいかもしれんのう」 「厳島神社本殿の方は……大丈夫、ですよね」 予言で、千代子たちは本殿に向かおうとしていた。つまりは、今マフたちが向かおうとする場所へと。 「場所的にも、あちらの方がフェリー乗り場に近いからのう。まずは弥山から下りないようにするか、今すぐ下りてフェリー乗り場の方へといってもらうか、じゃのう」 「下りない方が、いいかもしれませんね。そのまま幻術を掛けて、近づかないようにすれば」 「なるほど。ならば、今は紅葉谷付近の人々を誘導しておこうかのう」 二人は頷きあい、弥山へと向かう。 フェリー乗り場の方が近ければそちらへ、弥山頂上にちかければ、そのままその場へといてもらうように。 「ついでに、鹿さんたちにも、近づかないようにしておかないと」 ぽつり、と兎は付け加えるのだった。 一方、戦闘組。 予言にあった、世界樹の苗木が植えられているという、大鳥居のある方へと向かっていた。 「今は、満潮のようですね」 ちらり、と海を見ながら博昭は言う。 「まだ鹿も出てきてねェようだナ」 「実がつく前に来られたからな。上手くやったもんだ」 ジャックの言葉に、マフが言う。 実際、情報を早めに入手できたのは大きかった。予言にあったような情景の前に、こうして訪れることが出来たのだから。 「あれが、鳥居でござるな」 チャルネジェロネが、前方を見ながらいう。 赤い大鳥居が、見える。すぐ近くに、木が生えている。海の中に、ぽつんと。徐々に成長しているようだ。そうして、その傍に控えている、千代子とニークも確認できる。 「大分、育っテいるナ」 「実がつく前に来られただけでも、上出来なのかもしれません」 「余計な奴らもいるがな」 「寝床を減らされるのは、困るでござる!」 四人はそれぞれ口にしつつ、突き進んでいく。 「俺は、本殿の方へと向かう。奴らが向かうようだからな」 マフが言うと、博昭が「そういえば」と口を開く。 「まだ、本殿には人が残っているかもしれませんね」 「予め結界を張っておくつもりでは、あったんだがな」 「なラ、それでいいんじゃねェカ? 今から避難場所に行く方ガ危険だロ」 ジャックが言うと、それもそうか、とマフが頷く。 「拙者は、鱗を飛ばして援護するでござる。さすれば、威嚇になるでござる」 チャルネジェロネはそういうと、むん、と気合を入れる。 あっという間に、その体が巨大化してしまう。 「これで、本殿の方には行かせないでござるっ!」 びちびちと尻尾を振る。すると、小さな蛇が無数に召喚され、チャルネジェロネの周りを固めた。 「多いですね」 博昭が感心したように言うと、チェルネジェロネはこっくりと頷く。 「前後左右、上下と、視界に資格をなくしたいでござるからな」 「では、俺は先に本殿へ行く。結界を、さっさと張っておきたいからな」 マフはそういうと、地を蹴って本殿の方へと向かう。それにジャックが手を振ったところで、チャルネジェロネが「あ」と声をあげた。 「あそこにいるのは、旅団ではござらぬか?」 その声を受け、ジャックと博昭が鳥居の方を見る。 確かに、いる。千代子とニークが、鳥居の上からこちらをじっと見つめている。 ぼそぼそと何かを言っているようだ。 「何言っテるんダ? あいつラ」 「もう来た、とか言っているでござる」 「中々、険しい表情にも見えますね」 口々に言い、三人はまっすぐに鳥居の方を見る。そうして、先に動いたのはニークだった。 「来るでござる!」 チャルネジェロネが叫ぶと同時に、ニークの靴が三人の前を掠める。 「……早いじゃないか」 「それはどちらの意味で?」 博昭の問いに、ニークは静かに答える。「どちらとも」 「フン、テメェも来たらどうだイ? カワイ子チャン」 ジャックは千代子に向かって叫ぶ。口元には、笑みを携えて。 「冗談を。ニーク一人で、十分でしょう?」 皮肉げに笑う千代子に、ジャックは鼻で笑う。 「ついでに捕まったらどうだ? テメェのお姉サマの隣の部屋に、入れて貰えるかもしれないゼ?」 「なっ……」 絶句する千代子に、ジャックはヒャヒャヒャヒャヒャ、と笑う。 「そんなに、そんなに、死を熱望されるのでしたら、仕方がありませんわねぇ!」 千代子は巾着を握り締め、中からビー玉を取り出して投げつける。ビー玉はあっという間に、小型のワームと化す。 「やはり、あれは厄介でござるな」 チャルネジェロネが生み出されたワームを見て、言う。 「フン、またワームかヨ!」 ジャックは言い、己を中心に電撃を纏わりつかせる。「俺サマは、半径50m最強の魔術師だゼ!」 だむっ、と地を蹴ってワームへと向かう。電撃がばりばりとワームの方へと向かい、なぎ倒していく。 「たまにゃァ考えねェバトルも楽しいゼ。テメェらにゃ遠慮する必要もなさそうだからヨ!」 ヒャヒャヒャヒャ! と笑い、ジャックはカマイタチを放つ。風の刃が、ワームたちに襲い掛かる。カマイタチに負けじとジャックの方へと向かってくるものもいるが、それらもカマイタチとサンダーレインを食らわせていく。 ワーム相手のため、すぐには倒せない。しかし、確実にダメージは負わせている。 ジャックの電撃を、風を、その身に受けても尚向かってくる。 「ヒャヒャヒャヒャヒャ! こうでなくっちャつまらねェよナ!」 ジャックは笑いながら、次々に技を繰り出す。脳内から、何かがじゅわじゅわと染み出してくるかのようだ。 たまんねェ、とジャックは呟く。ぞくぞくと身震いがする。 楽しくて、楽しくて、たまらない。 「偽りの神の使いよ、退去するでござるよ!」 一方、チャルネジェロネが、鱗を次々と飛ばしている。無限に出てくる鱗は、海上にいる千代子と近づいてくるワーム、そしてニークへと向けられている。 「こんなもの」 小さく声がしたかと思うと、鱗をすり抜け、ニークの蹴りがチャルネジェロネへと向けられた。「小賢しい、大蛇め!」 ――ガキンッ!! ニークの蹴りは、チャルネジェロネには届かない。 その前に、博昭の腕によって防がれたからだ。 「良い蹴りです」 「……よく防いだな」 感心するように言うニークに、博昭は口を開く。 「良い蹴りですが、あの方には遠く及びません」 ざっ、と博昭は勢いよく刀剣「大和」を振るう。ニークはそれをぎりぎりに避けるものの、空中でバランスを崩す。 「脆いですね」 博昭は呟き、腰を低くした状態からニークの背後へと周り、大和で斬りつける。ニークはそれをなんとか靴裏で防ぎ、再び体勢を立て直す。 「何を!」 ニークは叫び、大きな蹴りを放つ。それを博昭はすっと避ける。が、その後ろに居たチャルネジェロネの方へと、蹴りの風がカマイタチとなって向かってゆく。 「なっ、こっちにくるでござるか!」 チャルネジェロネは小蛇たちと共に、鱗を飛ばしてカマイタチを分散する。うまく相殺させたが、今度は鱗の一部が本殿へと向かってゆく。 「何かのスイッチかヨ!」 ワームに電撃を食らわせつつ、ジャックが突っ込む。 が、結局鱗は本殿に到達することなく、跳ね返される。 「……間一髪、だな」 マフが静かに言い、小さく笑った。本殿に結界を張り終えたのだ。 「避難誘導、終えたぞ」 「フェリー乗り場と弥山に、避難してもらっています」 避難誘導を行っていた、鍛丸と兎も合流する。 そろった一同を見て、千代子とニークは顔を合わせる。しかし、二人に困ったよう様子はない。 むしろ、笑っている。 「何がおかしい?」 マフの問いに、千代子はにこやかに微笑む。 「第三段階に、入ったからですわよ」 千代子の声と共に、巨木がぶるぶる、と震える。あっという間に実を付け、それらが次から次へと解き放たれる。 中から、雄々しい角を携えた鹿が飛び出してくる。 予言の通りに。しかし、予言とは違って破壊はできぬ。倒すべき人は避難され、壊すべき建物には結界が張られているからだ。 それでも、千代子とニークの表情は崩れぬ。彼らの目的は、破壊ではない。世界樹の苗木を、守ることなのだから。 だからこそ、落ち着いている。苗木を守るべき行動を、ニークと千代子はする。鹿も、ワームもいる。 「だから何だっテ言うんだヨ!」 ヒャヒャヒャヒャヒャ、とジャックは笑いながら電撃を纏わりつかせる。向かってくる鹿たちが、一瞬怯むほどに。「片っ端かラ、やっちまえバいいだけじゃェかヨ!」 「同感だ。なぎ払えば、済む問題だからな」 マフはそう言い、己の影を刃状に具現化する「影の刃」をばら撒く。辺りにいる鹿やワームたちが、ざくざくという音を立てながら攻撃をされていく。 「ならば、儂は」 鍛丸は言い、ガキン、という音と共に刀で鹿の角を斬りつける。角を重点的に、破壊するために。「偽者とはいえ、神の使いに人を傷つけさせる訳には行かぬからのう」 角を破棄された鹿は、それでも体当たりをしようと鍛丸へと向かってきた。が、それは途中で向かっていく方向を変え、他の鹿へと向かっていく。 鹿に依る、相打ちだ。 「ワームにも、効けばいいんですけど」 やったのは、兎だ。睡眠によって、相打ちを誘導したのである。角を壊され、相打ちさせられ、鹿達は倒れたりふらついたりしている。 そこをまた、ジャックとマフが狙う。 「数は圧倒的に、こちらが有利なだがな」 ぽつりとニークは呟き、鹿やワームにまぎれつつ、皆をなぎ払おうと地を蹴る。しかし、その蹴りは誰にも当たらぬ。 鱗が飛んできたからだ。 「ちぃ!」 「無限でござるからな。拙者の鱗は、無限でござるからな!」 チャルネジェロネは、ニークの舌打ちに答えるように叫ぶ。チャルネジェロネから放たれる鱗だけに集中しようとするものの、なぜか小蛇の群れの中からも鱗が飛んでくる。 「小賢しい!」 ニークは着地し、態勢を整えてから再び地を蹴る。目標は、チャルネジェロネ。援護射撃が一番厄介であると踏んだのだ。 「……良い褒め言葉ですね」 博昭が、ニークの蹴りを受ける。 「今回は、止め切れなかったようだが?」 ニークは、小さく笑う。 蹴りを受けた博昭の腕から、つう、と血が流れていた。博昭はそれを拭い、ニークが足を引っ込めようとした瞬間に靴を撫でる。 ちょうど、ニークのスニーカーに、血で模様が描かれたかのようだ。 「……何の真似だ?」 「直に分かります」 意味深な博昭の言葉に、ニークは難しい顔をする。そして地を蹴り、再び飛び上がる。 ――どさ。 落ちる。 飛び上がった空から、地上へと。 「ヒャヒャヒャヒャヒャ! カッコ悪ィったラねェナ!」 ヒュンッ、とカマイタチをワームに向かって斬りつけつつ、ジャックが笑う。 「地べたが好きなら、ずっとそこでキスしてろ!」 影の刃を掻い潜った鹿たちを浮遊で浮かしつつ、マフが笑う。ざんっ、と大鎌で斬りつけて。 「くそ、何だ、これ!」 ニークは再び地を蹴ろうとする。だが、足が動かぬ。地に縫い付けられたように。 ――重い。 「……呪い、呪いをかけたんですね」 兎の言葉に、博昭は静かに頷く。靴につけられた博昭の血が、ニークの靴に呪いをもたらしているのだ。 「しっかりしてくださいませ、ニーク!」 千代子の声が、ニークに投げつけられる。それに対し「分かっている」とニークは答える。 「所詮、靴に頼ってンだろォ!」 ジャックは笑いながら言い、自分を中心にして雷を発生させる。慌てて仲間達はその場から離れるが、呪いをかけられたままのニークは上手く動けぬ。 「全く、厄介なものを受けましたわね、ニーク!」 千代子は唇を噛み締め、再ビー玉を取り出そうと巾着袋に手を掛ける。 「させるか!」 マフは叫び、蔦を投げつける。大鳥居の上にいる千代子の方まで伸びた蔦は、巾着の口を閉じさせるまでには至らぬものの、一瞬ふらつかせることに成功する。 「今でござるよ!」 チャルネジェロネの声によって、小蛇たちの群れが一気に海上を駆け抜ける。そして、そのうちの二匹が巾着を強奪する。 「チャルさま怖いー」 黒の蛇、イェスィルーが言う。 「寝床の恨みって怖いー」 緑の蛇、スィヤフが言う。 二匹は巾着を抱え、再びチャルネジェロネたちのいる陸へと向かう。 「ま、待ちなさい!」 千代子が和傘を開き、追いかけようとした瞬間、しゅっ、と蔦の鞭がしなる。 「あれがないと、困るようだな」 マフの声に、千代子が身構える。その間に、小蛇たちは陸地の方へといってしまう。 「チャルさまー」 「持ってきたー」 「よくやったでござるよ、スィル、ヤフ」 チャルネジェロネに褒められ、小蛇たちは誇らしそうに笑う。 「それを、お返しくださいませ!」 大鳥居の上から、千代子が叫ぶ。 「そんなに言うのならば、おんしがこちらに来られれば良かろう」 鹿の角を破壊しつつ、鍛丸が言う。 「巾着ならば、ここでござるよ」 チャルネジェロネが巾着を掲げながら言う。 「誰が、そちらなんかに」 「『お姉様』とやらに会えるかもしれないぜ?」 千代子の言葉を遮り、マフが鼻で笑う。 「……どういう、意味ですの?」 「あの世でな」 ギリ、と千代子が和傘を握り締める。 「よくも、よくも、よくも……!」 「千代子、落ち着け!」 ニークが叫ぶ。「冷静になれ、我らの使命を忘れるな!」 「忘れてなんて、いませんわよぉ!」 千代子が叫ぶ。「忘れてなど、忘れてなど」 何度も口にし、千代子はぎりぎりと和傘を握り締める。ざざざ、と波の音が響く。千代子の背中から。 足元からではない。背中から、波の音が聞こえるのだ。 はっとしたように、千代子は眼下を見る。その行動を見、兎も気付く。 「皆さん、あれ!」 海の方を指差しながら、兎が叫ぶ。 潮が引いていた。 眼下に広がる光景は、砂浜。大鳥居には歩いていけるようになっており、鳥居の足元には巨木の根が見える。 ――鹿を生み出す実をつける、大本の木が! 「これで、破壊しやすくなりましたね」 兎の言葉に、鍛丸とジャックが動いた。目の前に居た鹿やワームをなぎ払い、真っ直ぐに苗木へと向かってゆく。 「行かせるか!」 ニークが地を蹴る。一瞬ずしりと靴が重くなるが、かまわず動く。「呪いは、ああ、呪いなんて、跳ね除ければいいだけだ!」 ニークが叫ぶと、靴の重みが軽減する。ぱらぱら、と赤黒いものが靴からこぼれてゆく。 「血が、剥げかけてるようですね」 博昭は呟き、ニークへと向かってゆく。靴につけた博昭の血が、戦いの中で剥げかけている。それにより、気力で呪いの力を捻じ曲げられたのだ。 シュッ、と博昭はニークの前で大和を振る。苗木に近づこうとする鍛丸とジャックの行く手を、阻まぬように。 「どけ!」 「退けといわれて退くと、お思いですか?」 博昭はニークに斬りかかる。それを避けつつも前へと進もうとするニークを、今度はチャルネジェロネの鱗が阻む。 「なんなら、魔力波動砲で薙ぎ倒してもいいでござるが」 びちびちと尻尾を揺らしながら言うと、小蛇たちが「危ないー」「無理ー」と声をかける。 「建物にあたると、貫通してしまうでござるからな」 苗木のすぐ傍には、大鳥居がある。世界遺産の、厳島神社の象徴たる大鳥居が。 「行かせなくてよ」 千代子が和傘を握り締め、大鳥居の上から鹿達を誘導する。「近づけさせないでくださいませ!」 「余計な真似を、するんじゃねぇよ」 静かな声でマフは言い、鹿達を影の刃で攻撃してゆく。主に、鍛丸とジャックの進行方向の鹿達を。 「余計な真似は、どちらかしら」 「お互い様だろう?」 「それもそうですわね」 千代子はあっさりと頷く。その間にも、鹿達はジャックと鍛丸の行く手を阻む。マフはそれを跳ね除ける。鍛丸とジャックも各々が薙ぎ倒しているものの、何しろ数が多い。 「テメェ自身は、何もできねぇだろうが」 「そうですわね。私の可愛い子達を、奪われてしまいましたから」 「なるほど。ならば、テメェから死ね。その後で、お姉様とやらの首をそっちに送ってやるからな!」 マフは頷き、千代子の体を目で捉える。気力を集中させ、浮遊で浮かせるためだ。 「……ですから、私に出来るのは、少ないのですわ」 突如、ふふ、と千代子は笑う。ばさりと和傘を開き、自らの体を隠す。 「なっ」 視界から、千代子が消える。否、和傘はあるのだから、そこに千代子がいるのは間違いがない。ただ、千代子が見えぬ。 次から次へと、鹿が来る。ワームは粗方倒しており、巾着袋をチャルネジェロネが奪っているため、新たなワームは出てこない。 それでも、鹿は生み出される。前へ進もうとする鍛丸とジャックの前に、マフの前に。地上を、空中を、鹿が縦横無尽に動き回る。巨大な角も、厄介だ。 それらを薙ぎ倒しつつ、千代子の姿を捉えるのは中々にして難しい。 「お姉様、私は本当に感謝しているのです。神に殺されそうになった私の、あの屑のような世界をぐちゃぐちゃにしてくれたお姉様。私の命は神ではなく、お姉様のもの。だけど囚われてしまって、私は此処にいる。ならば、私は使命を果たすだけですわ」 くるくると和傘が回る。 「思い出しましたわ、私の使命を。激昂することではありませんわ。もう為すべき事が限られているのですから、私はこうして少しでも成長のための時間を増やすしかないんですわ」 次から次へと鹿が生まれる。 「くそ!」 マフは吐き出すようにいい、鹿だけに集中する。 後方から、鱗が支援してくれるものの、やってきた方にもまだワームと鹿は残っている。チャルネジェロネと兎が対処してくれている。 ニークは博昭が相手をしている。 千代子はもう戦闘能力はない。鹿を先導するだけ。 「モフトピアのツケを、支払わせてやりたいんだがな」 ちっ、と舌打ちをする。 苗木を斬るのは旅団どもをなんとかしてから、と思っていた。だが、こんなにも次から次へと鹿が出てきてはたまらぬ。だからこそ、ジャックと鍛丸は倒すべくして向かっている。 「本当、多いなクソ!」 「近づけば近づくほど増えるのう。危機感を覚えているかのようじゃ」 それでも進むしかない。もう少しで、大鳥居に到着するのだから。 ジャックはカマイタチで薙ぎ払いつつ、鍛丸は角を重点的に壊してから薙ぎ払う。マフのサポートとチャルネジェロネの鱗支援もあり、着実に大鳥居へと近づいてゆく。 「行け!」 マフが叫ぶ。影の刃が、ジャックと鍛丸の目の前に居る鹿達を薙ぎ払い、視界を開かせる。 「はぁぁぁぁ!」 「喰らえぇ!」 ――ザンッ!!!! 鍛丸の刀とジャックのカマイタチが苗木に斬りつけたのは、ほぼ同時であった。 彼らの目の前に居た鹿の群れが、マフの影の刃によって切り開かれたのだ。 ずずず、と苗木は斬られた部分からずれてゆき、ほどなくずしん、と倒れてしまった。 「世界樹の苗木が……!」 ニークが気付き、叫ぶ。 「捕まえたでござる!」 その隙を、チャルネジェロネが捉える。ニークはあっという間に、チャルネジェロネの尻尾によって巻き付けられてしまった。 「終わったようですね」 鹿が一瞬にして消え、兎がほっとしたように言う。 「そのようですね」 ふう、と息を吐き出しながら博昭が言う。 「貴様ら、なんと言うことを」 「うるさいでござる」 抗議しようとするニークを、きゅっとチャルネジェロネは締め付ける。 「こ、殺す気ですか?」 兎の問いに、チャルネジェロネは頭を振る。 「命までは、とりたくないでござるよ」 「……お仲間は、そうじゃないらしいが」 顔を歪ませつつ、ニークは言う。視線の先には、大鳥居の上に和傘を差したまま佇む千代子に対峙する、マフたちの姿がある。 「モフトピアでのツケ、支払わせてやろうか」 マフは千代子に言う。千代子は答えない。ただ、くるくると和傘を回す。 ひどく、つまらなさそうに。 「それが、お望みですか?」 「ああ。簡単な話だろう?」 「そうですわね。本当に、簡単で、つまらないですわ」 和傘を閉じる。そこから現れる千代子の顔に、表情はない。 「殺される覚悟っテやつカ?」 ジャックが言うと、鍛丸が「さてな」と言いながら千代子を見上げる。 「しかし、人を殺そうとしておったのじゃ。自分が死ぬ覚悟くらい、できておろう?」 「死ぬ、というのも変な話ですわね。私が為すべき事はなくなったのですから、私は空っぽなのですわ」 千代子の答えに、マフはフンと鼻で笑う。そして、浮遊で無理矢理千代子を浮かせた。「もう、容赦はしねェ」 「こ、殺すでござるか?」 その行動を見て慌てたチャルネジェロネの隙を、ニークがつく。勢いよく靴で胴体を蹴って脱出し、千代子の巾着をも奪って飛ぶ。 「あ、いつの間に!」 奪われた巾着を見て、兎が叫ぶ。 「お待ちなさい!」 博昭が前に立ちはだかろうとするが、攻撃を目的としないニークの足は、速すぎて追いつかぬ。 「千代子!」 ニークは巾着を投げる。千代子に向かって。それを受け取れば、ただのビー玉も小型ワームになる。 ――逃げるだけの時間を稼げる、ワームとなる! 「ごきげんよう」 静かに、千代子は微笑んだ。 巾着袋は千代子の手に渡ることなく砂浜に落ち、ころころとビー玉が転がってゆく。 千代子の体は大鎌によって斬られ、鮮血が辺りにふわりと舞った。 大鳥居のごとき、赤い色が。 「残念だったナ」 ジャックは言う。転がる千代子に、呆然とするニークに。 どさり、と千代子は落ちる。砂浜に赤い花を咲かせ、千代子は動かぬ。 「……なるほど」 ニークはそれだけ言い、動かぬ千代子の体を抱えて地を蹴った。 「待て!」 マフが蔦を飛ばすが、ニークの足を掠めただけで終わってしまう。 そうして、あっという間に姿を見失ってしまった。 「終わりましたね」 博昭の声にそちらを見れば、砂浜にチャルネジェロネと兎がやってきていた。大鳥居は変わらず聳え立っている。 違うといえば、近くに赤いしみが出来ただけだ。 「目的は達成したようじゃな。苗木は無事に破壊でき、被害もないようじゃ」 鍛丸はそう言いながら辺りを見回す。 以前と変わらぬ風景が、そこに広がっている。 「本殿の結界を、解いておくか」 マフが言うと、兎が「あ、僕も」と続く。 「幻術を解いておかないと」 「これで寝床が減らなかったでござる。安心でござる」 こくこく、とチャルネジェロネが頷く。既に体は元のサイズに戻っている。 「おッ、また波ガ戻っテきやがったゼ」 ジャックの言葉に波を見ると、なるほど、引いていた潮が戻ってきている。 この砂浜も、また再び波の下となるだろう。 「これも、洗い流してくれるでしょうね」 ちらりと赤い跡を見ながら、博昭は言う。 海は全てを戻すだろう。此処であった事も、潮の満ち引きによって。 結界を解いたからか、早速鹿が海岸沿いを歩いていた。角がおとなしい、宮島にもともと住んでいる鹿達だ。 「もう安心ですよ、鹿さん」 兎が鹿に向かって言う。 一同は大鳥居に背を向けて歩き出した。 満ち潮となる波が、すぐ傍にまで近寄っているのであった。 <赤き大鳥居に波が打ち寄せつつ・了>
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