一時、混乱に陥っていたナラゴニアが落ちつきを取り戻したのは侵入者が去った一日後だった。 しかし、まだ街に火が放たれたという事件に住人たちは怯えて、出歩く者は少ない。ほとんどの者が自分の住まいに身を隠し、不安と恐怖から祈る気持ちで上部たちの結論を待っていた。 世界図書館の者たちの身柄を預かることを真っ先に宣言した銀猫伯爵はいまのところ、この前代未聞の事件の指揮官としてことをすすめていた。 現在、捕えた侵入者を屋敷に捕え、装備はすべて没収、それぞれ個室に空間隔離したが―― 銀猫伯爵の屋敷の食堂に旅団の一部の者が集まっていた。「小生が捕えた者たちは、火を放ったのでありますぞ? 生きたままにしておくのでありますか?奴らはこの都市、ひいては世界樹を危険に晒したのでありますから、すぐにでも処刑するのが妥当でありましょう!」 百足兵衛の意見に追随したのがフウマ=小太郎である。「私の捕えた者に関していえば、ナレンシフを一個使用不可能にしたんです。兵衛くんのところは毒、こちらは刀一本でなんとか拘束している次第。……街の者たちも不安がっています。大々的に処刑することが適切な処置ではないのですか?」 二人は自分たちの捕虜を銀猫伯爵に渡すことを頑なに拒否した。「しかし、危険なものを知らないまま始末するほうが危険だ。潜伏している人数もはっきりとわかっていない。幸い、この屋敷は世界樹から遠い、さらには私の力で彼らを抑えることが出来る……囚われた以上、彼らも考えるのではないか? 情報を引き出し、寝返らせることができれば利益になるはずだ」「お言葉だが、銀猫伯爵。私は一度、交渉したが、彼らが保身に走るとは思えない」 ドクタークランチの言葉に銀猫伯爵は頷いた。「あのときは説得する時間も材料もなかった。今回は、こちらには世界図書館から寝返った者たちが二名いる、彼らを使ってはどうかな?」「あの二人は任務で現在はここを出ている……尋問にしても彼らが嘘を言わないとも限らない」 棘のあるドクタークランチの言葉に銀猫伯爵は首を傾げた。「嘘を見抜く者が尋問にあたればいいだろう」「銀猫伯爵、あなたは手ぬるすぎる。……しかし、能力を知りたいという意見については同意しよう。彼らの持っているトラベルギア、あの機能には多少とはいえ興味はある」 銀猫伯爵は口元に笑みを浮かべた。「トラベルギア、ノート、セクタンはこちらにはない技術だ。知って損はない。重傷の者が囚われていると知れば、少しは態度を変えるかもしれない……百足、フウマ、君たちの捕えた者については」「彼らは常闇の檻に放り込んでおきましょう。毒でじわじわと肉体と心が殺されていく恐怖に、少しは考えを改めるかもしれません。世話は兵衛くんのところのきぃちゃんが最適でしょう。彼女は決して裏切らないですし」 フウマの回答に銀猫伯爵は頷いた。「わかった。彼らについては君たちに任せる。では、尋問についてはドクタークランチ、あなたに任せる」「従順になればいいがな……利用価値がなくなれば即座に始末する」★ ★ ★ ナラゴニアの街にあるとある建物の一室に黒埼壱也はいた。 必要なものだけが置かれた、そこはナラゴニアにおいての壱也の住まいだ。「ウォスティ・ベル、あなたを呼んだのは他でもない。頼みたいことがあるんだ」 茫洋とした男は尋ねるように首を傾げた。「未だに潜伏した状態にある世界図書館側の奴を見つけ出し、俺のところに連れてきてほしい」 とんでもない頼みにもウォスティ・ベルは顔色一つ変えない。「あなたの能力ならば、それができるはずだ。もし無理だというならば、ドンガッシュの力を寄付してもいい。拒否することは許さない。俺の能力の影響下にあなたはまだいるんだ。最悪の場合、精神をのっとって言うことを聞かせるくらいは出来る」「……ドクタークランチは?」「捕えた上で差し出すよ。その前に俺は個人的にあいつらと交渉したい」 壱也はため息をついた。「もしここにいる捕虜を殺してしまったら救出は難しくなる。キャンディポットが殺される可能性は高い……条件を出せば、彼らはキャンディポットを解放してくれるはずだ。……あなたが彼らを見つけるのが先か、それともドクタークランチが先か……ぎりぎりまで時間を稼ぐから。頼んだよ」★ ★ ★ そこにはありとあらゆる女の子が欲しいと思うだろう可愛らしいものが、たった一人のために集められていた。「これなんて似合うんじゃないのか?」 ゴーストはディーナ・ティモネン相手に上機嫌で服やアクセサリーを振舞った。 ディーナは気が付いたとき、この部屋にいた。肉体の痛みもなく、いつでも好きに出来る状態だ。しかし、ゴーストがそれを許さず、ずっと人形遊びする子供のような愛情を受けていた。「ここの部屋にあるものはぜんぶお前のものだ。好きにしな……お前がほしいものはなんでも用意してやるよ? たとえ死人を生き返ることだって、な。うっけけけ! サァ、ナニガシタイ、ナニガホシイ?」 ただし、とゴーストは笑みを消すと、目を眇める。「今回、お前には世界図書館の逃げ回っている奴らを見つけ出して、捕えてもらう。方法は任せる。逃げてる奴はお前の裏切りを知らないんだ。仲間のように振舞えばうまくいくだろう? 結果を出せばクランチも信用するはずだ。とはいえ、今は無理をしなくていい。後々お前にはいろいろとしてもらう予定だし、まずはここに慣れること、ほしいものを手に入れることだけ考えな」 優しく髪の毛を撫でながらゴーストは楽しくて仕方がないといいたげに笑って説明したあと、ふと思い出したように懐から一本の針を取り出した。 ディーナの左手をとると、甲を突き刺す。 ちくり、とした痛みのあと茨の模様が浮かぶ。「これは……?」「『罪の茨』。お前が頭のなかで考えれば、茨が現れる。望めば、これはいくらでも伸びて敵を捕えるし、武器にもなる。ただし、この茨を構成しているのはお前の血だ。使いすぎれば血液が不足して死ぬ。……もしお前が裏切ってもたいしたことは出来ない処置だ」 ゴーストは優しく、ディーナの手を撫でた。「罪が重ければ重いだけ、刻まれた茨の紋章は黒く染まるって聞いたが、へー。真っ黒だな。お前の茨は……新しい力がほしかったんだろう? うまく使いな。……何かを大切にする、愛する行動はこういうものだろう? オレサマはお前をうんと大切にして愛してやる。そうすれば……さてと、そろそろ、欲しいものは決まったか? なら行くか……そうだ、一つだけ、大切の約束事だ」 ベッドから立ち上がったゴーストは微笑んだ。「いつでも裏切ってもいいぜ。ただし、お前がお前を殺すことは許さない。お前はオレサマのものだからなァ?」★ ★ ★ 東野楽園、ヒイラキ、森間野・ ロイ・コケ、アマリリス・リーゼンブルグ、ヘータの五人は、銀猫伯爵の屋敷の四階にある個室に監禁されていた。ベッド、椅子、トイレのみの最低限のものだけがある部屋だ。ドアは押しても引いても開かない。試しに壁に耳をあててみるが音は一切ない。 個室一つひとつを銀猫伯爵が空間隔離しているため、完全に密室で一人という状況だ。 銀猫伯爵は五人に一切危害をくわえぬよう、最低限の扱いはされるようにと配慮してくれた。しかし、今後どうなるのかはわからない。捕えられて一日経つが、まだ旅団たちからの接触はないが、彼らが自分たちの処分を話しあっているというのは予想がつく。 うまく立ち回らなければ殺されてしまうし、銀猫伯爵が協力者だとばれてしまう可能性もある。命綱のない綱渡りをしているように、発言や行動には気を配らなくてはすぐに足元から転げてまっさかさまに落ちてしまう。失敗は死に直結している。それだけではない仲間の危険、もしくは死を意味する。 しかし、これは危険であると同時にうまくすれば旅団に個人的に接近することが、もしくは情報を手に入れることも可能ということだ。★ ★ ★ 常闇の檻、とはナラゴニアで危険と判断された者が監禁される場所だ。世界図書館のホワイトタワーと趣旨が似ているが、この檻には一切の光がなく、音も。寒さも暑さも感じない。ただただ闇が広がっている空間。時間の感覚はすぐになくなり、思考は停止する。自分がどこにいるのか、何者なのか、この闇の檻にいるとだんだんと曖昧になってくる。 はぁ、と小さな呼吸音。ときおり、じゃらりっと音がする。「……生きているわよね、まだ? 私からこれ以上、幸せを奪わないでちょうだいよ」 幸せの魔女が尋ねる。「聞こえている」「……ちっ。なんだよ」 答えたのは百田 十三とグレイズ・トッド。 三人はナラゴニアで騒動を起こした結果、百足兵衛の蟲の毒に体を蝕まれた状態で、ここに入れられた。 それも三人とも両手、両足を鎖で繋がれて動くことはかなり難しい状況だ。それでも声だけは通じる。三人は互いに声をかけあい、それを頼りに仲間の元へと移動しようとしたが、少し進むとすぐに鎖にひっぱられる。 そうしてわかったことは、互いに近くにいても、鎖のせいで接近することは出来ず、ここでは自分たちの特殊能力が一切使えないということだ。「血の匂いがするわ」 幸せの魔女の声とともに、不意に光が差し込む。 見ると、光を背にして黒髪を一つに結んだ、黒い着物を見に包んだきぃが、誰かをひきずってきた。 きぃが現れたのは二度目だった。そのとき最低限の食事といった世話はしてくれたが……どさっと重たいものが落ちる。見ると、ジャック・ハートだった。胸にはふかぶかと日本刀が突き刺さっていたのに一瞬、死体かと思うが、それをわざわざここに運ぶのはおかしい。つまりは生きては、いるのか? ジャックはその状態のまま片腕にのみ鎖をつけられて、無造作に床に置かれた。 きぃは三人には一切一瞥も向けず去っていく。 再びの深い闇が広がる。★ ★ ★(灯台もと暗し) そんな言葉が壱番世界にあったが、今の状況はまさにそれだ。 ヴェンニフ 隆樹は墓地からずっと銀猫伯爵の影に隠れてこの状況をやり過ごしていた。銀猫伯爵がドクタークランチ、その他の旅団の話しあいをずっと見ていたが、このままでいるわけにもいかない。(ここでいま自由なのは、僕と、あとは、) ムシアメは屋敷の庭にある花たちの間にこっそりと身を隠していた。小さな蟲の姿は目立つことはないが、一匹でふらふらしていたらいつ旅団たちに捕えられるかわからない。ずっと葉っぱの下で動かずにいた。屋敷のなかでは銀猫伯爵の能力が作用し、園丁の視る力からもある程度は守られているのだろう。今のところ、誰かが探しにくる気配はない。 ただずっとここで息を殺しているわけにもいかない。 捕まっていないのは二人だけであることを隆樹とムシアメは知っているが、互いにどこに隠れているのかまではわからない。(もし、捕まっても、仲間のことは言わんつもりやけど) なんとかして合流するべきなのか。それとも単独で動くべきなのか。 ノートで連絡を考えるが、捕まった仲間のノートが旅団の手のなかにある以上、下手すればこちらの行動がすべてばれてしまうかもしれない。 捕えられた仲間を助けるべきなのか、それとも情報を集めることに集中するべきなのか。 それは今や自由に動くことのできる二人の判断に任せられていた。========================!注意!このシナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。このシナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になります。ご参加がなかった場合、「状況に応じてできるだけのことをした」という前提でノベルには登場します。ご参加がなかった方も含めこのシナリオの参加予定者は、状況により死亡する可能性があります。<参加予定者>東野 楽園(cwbw1545)ヘータ(chxm4071)アマリリス・リーゼンブルグ(cbfm8372) ヒイラギ(caeb2678) 森間野・ ロイ・コケ(cryt6100) (以上の方は銀猫伯爵の屋敷に「銀猫伯爵の囚人」としてとどまっている状態からスタートします)幸せの魔女(cyxm2318) ジャック・ハート(cbzs7269)グレイズ・トッド(ched8919)百田 十三(cnxf4836) (以上の方は負傷して、世界樹旅団に拘束されている状態からスタートします)ムシアメ(cmzz1926)ヴェンニフ 隆樹(cxds1507)ディーナ・ティモネン(cnuc9362) (以上の方はナラゴニアの都市内で自由な状態でスタートします)
走る。息を飲む。手に力をこめる。全身から力が奪われる不愉快な感覚。血が流れ、赤い茨は黒く撓った鞭となり、宙をかく。敵を捕まえる一点にのみ全神経を傾ける。血がどれだけ流れても気にしない。ただただ前へ。あ。力が抜けていく。 ここで生きるなら、それに見合うだけの働きがいる、とディーナ・ティモネンは目の前に差し出された品に一目もくれずに主張した。 ゴーストは今の状況を親切に説明した。 「能力は三分の一まで落とされているぜ」 「能力……私の能力は暗視だけよ? 人殺しはただの特技だもの」 不意に手が伸ばされると乱暴にディーナのサングラスがはぎ取られた。眩しさに目が焼かれると覚悟したが、――世界は、とても鮮やかな色に染められていることをディーナははじめて知った。 「お前の目はなかなかにきれいだったからな。まぁよほどのことがないかぎりサングラスはかけてろ」 サングラスをディーナの顔に戻してゴーストは優雅に問いかけた。 「それでお前はどうしたい?」 「まず、捕まった人たちの特徴を教えてほしいの。捕まっていないのが誰かわかるかもしれないから」 「……わかった」 面白くなさそうにゴーストは囚人の特徴をひとつひとつあげていくのにディーナは必死に意識を底に落す。一度閉ざした目は必要なことを容易く思い出してくれない。今更だが自分自身の迂闊さが腹立しい。 考えているとちりちりとこめかみが痛み、疼きだす。 「無茶はしなくていい。お前は出来ることを考えろ。ここでじっとする以外にも出来ることはあるだろう」 ゴーストが窘める。 「……お願いがあるの」 「なに?」 「使いこなせなければ捕まえられない。罪の茨の性能を知りたい……活動限界がいつまでかを知るためにも戦闘訓練をしたいの」 ゴーストはそんなディーナを止めないかわりに、苦笑いを浮かべてある場所――緑に覆われた木々のなかに白い石を加工して立てられたコロシアムに案内した。ターミナルに存在する「無限のコロッセオ」とシステムは似たもので望めば戦闘訓練が出来る。ディーナはそれから疑似戦闘を肉体と時間が許す限り繰り返した。はじめは茨を出すことから。上手く出来ずに仮想の敵に何度も地面に叩きつけられた。それでも立ち上がり続け、なんとかカンを掴むと次に茨でどれだけのことが出来るかの確認に移る。 小さな蟲は捕まえられるか、水のようなものは捕まえられるか。 ちりりっとこめかみが疼く。 何かを思い出そうとしている予兆。倒れる寸前に視界を覆う、白い霧が晴れた。 目覚めたときゴーストが無表情でディーナを見下ろしていた。目だけ動かしてみると、血の気を失った白い手を、ゴーストがしっかりと握りしめていた。そこからふつふつと力が湧いてくる。 「痛みはないだろう? 体もずいぶんラクなはずだ」 「なにを、したの?」 「癒したのさ」 ゴーストはディーナの髪の毛を撫でた。 「何時間、私は持ったの?」 「5分」 ディーナは無感動に五分と時間を呟く。 「水も影も拘束は無理、飛び回る蟲も難しい……延々放出し続けるのは5分保たない、か」 独り言のあとディーナはゴーストを見つめる。 「なんとなく、思い出しそうなの」 「そう。いい子ね、いい子」 起き上がったディーナをゴーストは幼い子供のように抱きしめると頭を撫でた。どこかちぐはぐな優しさを示していたゴーストは不意に身を離して懐からウッドパッドを取り出すと、画面を見て舌打ちを零した。 「しつこい男は嫌われるんだぜぇ」 「なにか、あるの?」 「クランチが尋問に協力しろとさ。めんどくさいコトだ」 「……クランチ……ゴースト、お願いがあるの。ドクタークランチに会いたい。会って、彼の部品が欲しい」 その言葉にゴーストの顔はあからさまに不機嫌な顔になるが、ディーナは食い下がった。 「少しずつ、思い出してきたの。残っているのは影に潜む忍者と蟲。罪の茨で影は拘束できないし蟲も掴み取るのが難しい……もっと全てを壊せる力が欲しい。対象を選ばず壊せる力が」 痛みと気だるさの引いた体からはっきりとした記憶が蘇ってくるのをディーナは感じた。戦闘において、それに見合う精神に切り替える彼女はどれだけの悲しみや苦しみに溺れてもそれを客観的に見るもう一人の自分が存在した。その自分の記憶を必死に辿っていく。 「私たちは潜入組と帰還組に分れていた。私は帰還組だった……会えば私が裏切り者だとすぐばれる。捕まえようと思うなら、殺し合いをしなきゃならない。相手に嬲り殺しされるために探しに行くのは、嫌。だからもっと力が欲しい。そのためにもドクタークランチの部品がいるの」 「……嘘はないようだな。一匹は知らんが、もう一人の影は知ってる。俺を食べようとしたやつだな。……クランチね。あんまりおススメはしないぜ?」 「ゴースト」 切実な訴えにゴーストは肩を竦めた。 「いいぜ。どうせ、あいつのところにはそろそろ行かなくちゃいけないんだ。……チッ、通信までしてきやがった。ちょっと待ってろ……ああ、クランチ? そうカッカッするなよ。すぐにそっちに行く。でね、お願いがあるんだよ。なぁにたいしたことじゃないわ。お前が今回用意している部品、一つ譲ってくれよ。うちの可愛い子が欲しがっていてね。……取引だ、いい情報もある。メールしとくから、あとでな」 それだけ言うとゴーストは乱暴に通信を切ると立ちあがってディーナに手を差し伸べた。 「ほら、立て。シエラ」 「……シエラ?」 「新しい名前がほしいんだろう? さすがに名は自分で決めるわけにもいねぇからな。ずっと考えていたのさ、だからシエラ。銀色の月って意味さ……ああ、名字もいるな。そうだ。シエラ・スティグマはどうだ。スティグマの意味は罪人の烙印。奴隷……お前にぴったりだろ?」 ディーナは黙ってゴーストの手をとった。 ★ ★ ★ 闇、闇、闇……静寂。 気が狂ってしまいそうな闇と静けさを乱暴に引き裂き、抗議するのは可憐な声。 「……ねぇ、私の声が聞こえていたら、ひとつ聞きたい事があるんだけど。私の名前って何だったかしら? ここにいると大事な大事な自分の名前を忘れてしまいそうになるわ。誰でもいいから私の名前を定期的に呼んでくれないかしら? このままじゃ気が狂って死んでしまいそうよ」 「ちっ。うるせぇ女だな。てめぇは魔女だろう」 苛立った声に魔女は不服を唱える。 「魔女だけじゃないでしょう? ああ、あなたは誰だったのかしら? もう忘れてしまいそうよ」 「幸せの魔女、グレイズ・トッド」 太く落ちついた声が割ってはいった。 「ああ、ああ、そうね。そうね! 私は幸せの魔女! ……ああ、なのに、こんなところにいるなんて! ……ところであなたは誰だったかしら?」 自分自身への苛立ちを吐き捨てるその声は、この空間の影響を受けて、どこかヒステリックで、支離熾烈であった。 「百田十三だ」 苦笑いの声で十三は返す。 「元気なようだな」 多少疲れた声で十三は言った。 「あら、この程度の毒、少し眠ればすぐ治るわ。魔女の生活って普段から毒を摂取してるようなものだし」 平然と幸せの魔女は言い返す。ちっと舌打ちが聞こえた。 「そうか。それは頼もしい……不安なときは好きなだけ声を出せ。答えられるだけ答えよう。トッド、お前もだ。一人でないとわかれば、狂気に陥ることは避けられよう……俺は呼吸を整え、毒の中和を試みる」 「中和なんて出来るのかよ」 グレイズが尋ねた。 「多少の心得でどこまで出来るかわからんが、やってみる価値はある。……幸せの魔女、出来ればジャックにお前の幸せを分けることは出来ないか?」 「私の幸せを?」 「そうだ。……トッド、お前は耳が一番いい。きぃが来る前に教えてくれ」 「奇襲でもするつもりか? この状況で?」 グレイズが言う。 「チャンスはあるはずだ。そのためにも出来る限り体力を温存しておけ」 諭す声に小さなため息が答える。 「そうね。何事も急いじゃだめよね。幸せは最後に手に入れてこそ味わい深いもの。……いいわ、ジャックさん、ターミナルに戻ったら倍返しよ? ジャックさん、ねぇ聞いてるの? 返事をしてちょうだい。ねぇ、ああ、血の匂いがするわ。どうしてかしら?」 「幸せの魔女、ジャックは重傷だ。気が付けばいいが」 「ふん。ここまできて仲良しこよしなんざ俺はする気はねぇぜ。利用できるなら利用させてもらうだけだ」 「トッド」 窘める声を苛立ちの声が言い返す。 「俺はここにチャンスを探しにきたんだ。世界図書館は本当に故郷を探してるのか、怪しいもんだぜ。だったら世界樹旅団のほうがチャンスはある。……俺には毒を中和するのも、ここから抜け出すだけの力もねぇ。おっさん、あんたはチャンスがあるっていうが、具体的なもんはねぇんだろう?」 「ああ」 「……5回だ。きぃがここに5回来るか、交渉に誰かが来た地点で俺は投降する。正直、もう体がもちそうにねぇ」 きっぱりとグレイズは断言した。 「それがお前の選択ならば、この状況だ。仕方ないだろう。しかし、出来ればみなでターミナルに戻りたい。脱出出来るときはお前も一緒に戻ろう」 「お人よしにもほどがあるんじゃねぇのか」 嘲り笑う声に十三は穏やかに言い返した。 「それが俺の誇りであり、生きる理由だ」 「好きにしろ」 どこか皮肉げな声のあと、静かな、鼻歌が静寂のなかに広がった。 「葬送曲ね?」 いくぶん、落ち着きをとりもどした幸せの魔女が尋ねた。 「この状況にぴったりだろう?」 「ふふ、素敵ね。いいわ。歌っていてちょうだい」 こつ、こつ、こつ、こつ。 「……来たぜ」 グレイズの鼻歌が止むと、ほぼ同時にドアが開かれる。 闇を照らす、眩しい光が差し込み、長い人影が落ちる。 目を細めて見れば、入口に鮮やかな金の蝶の絵柄の黒い着物、長い黒髪を一つにくくりつけ、首には鈴のついた黒いリボンをつけたきぃが立っていた。 時間の感覚がなくなりそうなこの空間で彼女の訪問は一つの区切りとなる。むろん、きぃが特定の時間に訪れているとは限らない。もしかしたら囚人の混乱を招くため、てんてんばらばらな時間に訪問している可能性もある。 しかし、きぃが来るということは食事が与えられるということだ。 握り飯一つに水を少しだけ……粗末な食事だが、この状況では唯一の娯楽といっても過言ではない。きぃはここにいる者たちが死んでいないかもチェックしていく。青白い顔をしたグレイズには多少大目の水が与えられたが、乱暴な飲ませ方にグレイズが咽せ、咳き込んだ。 「てめぇ……!」 怒るグレイズにきぃは無関心に次の作業に移る。 「あら、グレイズさんだけ特別扱いなんてずるんじゃないかしら? きぃちゃん、私はおかわりがほしいわ」 幸せの魔女のおねだりもきぃは無視し、全員の食事が終わると瀕死のジャックの確認に移る。 「きぃちゃん、少しぐらいサービスしてもいいんじゃないかしら? ごはんの量が少なすぎるわ。おにぎり一個だなんて」 執拗な要求に檻を出ていこうとしていたきぃは立ち止まった。振り返り、懐からウッドパッドを取り出すと、素早く何かを入力する。 『五月蠅い。黙れ』 機械の声で冷たい否定が響く。きぃは無表情だが、その周囲には数匹の蟲が飛び、羽ばたきは囚人への嫌悪と憎悪、軽蔑を語っていた。 『お前たち、世界図書館は一人残らず死ね』 ふらりっときぃは動き出すと、グレイズの前に屈みこむ。 ぶんぶんぶんぶん。蟲が女の悲鳴のように唸る。細く、白い手がゆっくりとグレイズの首にまわろうとしたとき 「殺さないと会議で決まっただろう」 突然の声にきぃは動きを止めた。檻の入口にフウマ=小太郎が口に煙草をくわえて立っていた。 「先ほどの会議、君も兵衛くんを通して結果は聞いていたはずだ」 きぃは片手に握るウッドパッドを仕舞うと素直に立ち上がり、フウマに近づき、優しく手を伸ばし、顔を近づけようとした。 ふぅ……フウマが煙草の煙を吐き出すのにきぃは素早く後ろに下がる。 「色気で惑わし、毒で殺すか? 蟲風情が百年早い。……兵衛くんが外で待っているよ」 フウマの言葉にきぃはさっさと入り口から出て行った。 「あまり刺激しないほうがいい。あれには説得も、脅しも、ましてや泣き落としも通じない。……彼女は人の姿をしているが蟲だ。常に毒を放っている。君たちがいくら毒をなんとかしようとしてもきぃは君たちの世話しながら毒をまき散らし続ける。つまりは君たちには時間はないってことだ」 フウマはグレイズの前に、屈みこんだ。 「君は人の地雷を踏むのがうまいな。きぃは君たちの仲間のせいで歌えなくなったんだ」 「知るかよ。なんの用だ」 舌打ちとともにグレイズが睨みつけるのに、フウマはどこふく風。 「私がここに来たのは、彼のことが気になってね」フウマはちらりとジャックを一瞥すると、すぐに話題を変えた。「今の状況を説明しよう。君たちの仲間はすべて捕えた」 闇のなか、空気が強張る。 「捕えた全員が投降を選択し、現在はドクタークランチの部品を埋め込まれている。彼らは素直に情報を提供してくれているよ」 「世迷言を!」 押し殺した声で十三が吐き捨てる。 「信じる、信じないは勝手にすればいいが投降するか否か、ここで決めたほうがいいじゃないかな?」 とフウマは片手を振って、何かを投げた。とたんに幸せの魔女が悲鳴をあげた。 「っ……レディに対して失礼じゃないの?」 「生憎、フェミニストじゃない」 幸せの魔女の右手に隠されていた、唯一残っていた「幸せのコイン」は手ごと鋭い針に貫かれ、壁に縫いつけられていた。 フウマは投げた針とコインを容赦なく一気に引き抜くのに幸せの魔女はまた可憐な声をあげた。 「全部没収したのに幸運にも見つからなかった、か……その運の良さ、どこまで通用するか、その命を賭けてみるといい。私はあなたに全額かけてあげよう」 「あら、私に賭けるの?」 「私はいつでも女に賭けると決める。ほら、いま、投降出来る幸運に恵まれているよ?」 「……っ!」 その言葉は幸せの魔女をいたく侮辱していた。彼女は怒りに押し黙る。 「……投降する」 低い声でグレイズは宣言した。 「君が投降したとして、こちらが殺さないほどの利益を持っているのかな?」 「俺の、知ってる情報をくれてやる……っ」 唸るようにグレイズは吐き出した。 「情報ね。たとえば? 君の差し出せるものはなにかな?」 「……ブルーインブルーの古代遺跡のことは知ってるか? あと、ロストナンバーの、俺の知ってるやつの能力を教えていい……前館長のこともだ」 フウマが目を眇めるのにグレイズはチャンスを感じた。 「……っ、どうだ」 「投降する理由は? さらにいうと火をつけ理由はどう説明する?」 グレイズの口元が皮肉ぽく笑った。どこか疲れ切った老人のような、憎悪と悲しみが混じった笑い方だ。 この場でパスを呼び寄せれないかと試してみたが、出来なかった。パスがあればいい取引になると思ったが諦めて自分を差し出すしかない。 「俺の目的は元々俺がいた世界をぶっ壊すことだ。別に世界図書館なんて関係ねぇ、てめぇらと戦う理由もねぇしな……ここのことを調べたら投降する予定だった。火をつけたのは邪魔なやつを一人でも多く帰らせるためだ。街で足止めっていえば火事だろう? 信用ないなら、針でも部品でも埋めこめよ。俺はこんな奴だ。人質としての価値は無いぜ? 世界図書を潰すのも、苗を植え付ける手伝いでもなんでもやってやる」 「……野良犬の目だ」 伸ばされた手にグレイズは歯を剥きだして威嚇する。触れるか触れないかで手はあっさりと退く。 「君の知る世界図書館に属する者の能力はさして多くないのは人質価値がないと自分で宣言した君が証明しているようなものだろう?」 フウマは肩を竦めて笑った。 「そうだ。野良犬くん。ここにいる仲間を君の手で殺して、覚悟と裏切りを証明してもらおうか。できなければ君を殺す」 「卑劣な!」 十三が怒気を孕んだ声をあげたが、フウマはそれを無視してグレイズを見つめる。 息も絶え絶えのグレイズの瞳が激しく燃える。怒りか、軽蔑か、本能的な戦意からか。それとも、覚悟からか。 フウマは背を向けると一度たりとも振り返らず、ドアを閉めた。 絶望が押し寄せて、光を、魂を、精神を潰していくような闇と静寂のなか。 幸せの魔女は確かに持っていたものは奪われた。だが彼女の「幸せ」は何人たりとも奪うことは出来ない。 何故なら彼女がいま、願うのは自分一人だけの幸せではないのだから。 幸せのコインは役目を果たした。 必死にあがく彼を敵の目から欺いたのだから。 「……っ、クソがぁ」 血を吐くような呟きが闇の零れ落ちる。 「俺ァジャック、だぞ……」それは誇りと強さ、役目の名。「ンな、ところで、死んで、られっかヨ……!」 ジャック・ハートは手負いの獣のように吼える。 幸せの魔女の与えた「幸せ」の力によって目覚め、チャンスを得たジャックはじれったくなるほどゆっくりとした動きで自由な片腕が動かし、胸に刺さる刀を握りしめると肉を裂き、血を滴らせ、痛みに喘ぎながらも、確実に引き抜いていく。 ★ ★ ★ 屋敷のなかを旅団たちがひっきりなしに出入する。 銀猫伯爵はクランチたちに指示を出したあと、しばらく休むと告げて書斎に赴くと、いくつかの荷物を手早くまとめて影のなかにいる存在に手渡したあと庭へと急いだ。 「……ムシアメ君、いるかい?」 もぞっと、葉っぱの一枚が動いて、黒い蚕がひょこんと顔を出すと小さな前足をわきわきと動かす。 銀猫伯爵が屈みこむと、影からぬっと出てくる者がいた――黒装束に身を包んだヴェンニフ 隆樹だ。 「厄介なことになったな」 隆樹が吐き捨てた。彼は銀猫伯爵の影に隠れて、旅団の会議をすべて見聞きしていた。 それが終わるとムシアメがまだ捕まってないことから、蟲の姿で隠れるのにどこが適しているのかを考え、庭だと検討つけたのだ。 「なにがあったんたや?」 庭のなかに隠れて事情を知らないムシアメが尋ねる。 「ここではまずい。少し奥に行こう」 銀猫伯爵の提案で、三人は一度、庭の中央に位置する大理石で作られたテラスに向かった。 傍から見れば、疲れた伯爵が庭で休憩しているようにしかみえない。そこで三人は素早く自分たちの知る情報を交換した。 「常闇の檻はどこにあるんだ」 「ここから西のところに……あれは、檻というよりは穴だ。他者を落すために存在している。早く助けに行かなくてはなかにいる者の精神が危ない」 「伯爵にそこまで連れててもらうことは出来ないか?」 隆樹の提案に銀猫伯爵は首を横に振った。 「私が迂闊にここから離れればクランチがなにをするかわからない、それに不審に思われる。……場所については細かく教えられるが」 「だったらウッドパッドを借りることは? ノートが使えないから、二つあれば助かるんだが」 それにたいしても銀猫伯爵の顔は渋い。 「亡命した者たちのウッドパッドはすべてターミナルに帰還する者に渡してしまい、手元には私の分しかないんだ。今、二つも余計にウッドパッドを借りたいと言ったら、やはり不審に思われるので避けたい」 隆樹は潔くウッドパッドを諦め、常闇の檻にはムシアメと協力して行くことに決めると、すぐに細かな場所を聞きだした。 常闇の檻――会議中に何度か説明されたが、檻といってもその造りは塔のようなものらしい。 正確にいえば井戸だ。 昔は罪人を地面から出た穴に突き落とし、蓋をして始末していた処刑場。 ゆえに部屋は一つだけ。囚人たちは一か所に閉じ込められ、わりと近くに拘束されているはずだという。 なかにはいるには、檻の横にある一本だけある狭い石階段を使用するしかない つまりは敵が迫ってきたら逃げ道がない。 「面倒だな。檻のところにはきぃがいるなら、どうにかする必要がある」 隆樹は思わず漏らす。 「やったら、わいが敵の注意をひく」 「ムシアメ?」 「わい、七匹くらい自分の偽物作るわ。それで街のなかをひっかきまわす。みんなで糸吐く、わい自身も幻視の呪って、混乱さす。もちろん、隆樹はんや、伯爵の邪魔ならん程度や。この街の樹、呪いとか無効化せん?」 銀猫伯爵は頷いた。 「この街にあるものは、基本的に普通の樹だ。君たちの行動を邪魔することまずないだろう」 「やったら役に立てるな。わいは道具。呪い紡ぎの虫天や。道具は使われてこそ道具や」 「……警備が手薄になったところを突くのは賛成だが、僕たちは一緒に動いたほうがいい。離れたら回収がしづらくなる。僕はここの住人になりきって移動する。敵も堂々と動くとは思わないだろう?」 「隆樹はん……わかったわ。わい、この姿でええやろか? こっちのほうが目立たんで済むし」 「ああ」 蚕のムシアメを隆樹は肩に乗せる。この程度の大きさと重さなら移動に支障が出ることはない。 隆樹とムシアメは伯爵の協力のもと、ナラゴニアの住人として不自然ではない設定を作る――隆樹は蟲使い、ムシアメはその使い魔。これならば蟲を連れていてもおかしくはない。 「伯爵、かなり強引な手段に出るつもりだ。何があってもあなたは大丈夫だと――」 「自分の身と、ここにいる世界図書館の者たちは守るくらいは出来るから安心しなさい。さて、私はそろそろ戻らなくては」 銀猫伯爵が顔をあげると、庭の端に伯爵を呼びに来たらしい旅団の姿があった 「では、君たちに幸運を」 銀猫伯爵は優雅に立ち上がると仲間に声をかけて屋敷のなかへと誘い、隆樹とムシアメが見つからないように配慮した。 二人は旅団たちの気配がなくなったのを合図に行動を開始した。 ★ ★ ★ 隆樹は庭を抜け出ると、屋敷のなかの誰もいない部屋に移動し、打ち合わせ通りに二重に変装を己に施し、ナラゴニアの住人のふりをするとムシアメと共に堂々と屋敷を出た。幸いにも屋敷は今、出入りが多いため二人が誰かに見咎められることはなかった。 「隆樹はん、あれ」 門のところまで来たとき、肩に乗るムシアメは小さな声をあげる。それに隆樹も気が付いた。淡い春色の長い髪に、白を主にした騎士服らしきものに身を包んだゴーストと、その後ろをついて歩くディーナ。 「なんでおるんやろう」 「……決まってる、裏切ったからだ。あの騒動の大元はこいつだったんだ……ここで見つかるのはさすがにまずい。無視して外に急ごう」 「わかった」 ディーナたちから門をくぐってなかにはいるのに、二人は素早く外へと出て行った。 ディーナは何かに気が付いたように振り返る。 「どうした? シエラ」 「……ううん」 「行くぜ。カッカッしたクランチのやつが待ってる」 ゴーストは迷子の子供を導くようにディーナの手を握って屋敷のなかに誘う。玄関に入るといきなり怒声が飛んだ。 「遅いぞ、ゴースト!」 怒り狂うクランチにゴーストは肩を竦めた。 「そう怒るなよ。俺がいなくても尋問は出来るだろう? それとも不都合なことがあるのか」 「園丁がお呼びだ」 その言葉にゴーストはあからさまに顔をしかめた。 「なんでだ? 俺、呼び出されるようなことはまだねぇぞ」 「……お前自身に確認したいことがあるとのことだ。内容はメールしたぞ」 ゴーストの失言についてはあえて聞かないふりをしたクランチはため息交じりに説明する。ゴーストは素早くウッドパッドを取り出して、内容を確認し、噴出した。 「クランチ。しばらく、シエラを頼む」 「ゴースト、どこかに行くの……?」 「ちょっとな」 ゴーストはディーナを安心させるように抱擁し、すぐにクランチに向き直った。 「てめぇが望むように証言してやるよ。かわりに部品をくれ。とびきりなやつ!」 クランチは眉を顰めたのち、銀手をディーナに差し出した。そこには銀と鉄が絡み合った、まるでクルミのような「部品」が一つ。ディーナは迷うことなく「部品」を手にとり、自分の心臓の上に押しこみ、肉体を支配する不愉快さを耐えて満足げなため息をついた。 「……注文通り爆弾はなしだろうな?」 ゴーストの言葉にディーナは目を丸めた。クランチの部品には必ず爆弾がセットされているものだと思っていたのだ。 「どうした、シエラ……ああ、部品はクランチが望んだ『機能』を与えるんだぜ? 今の世界図書館のやつの爆弾は『機能』の一つにすぎない。……ま、裏切られないための機能はつけているけどね、言っただろ? 俺はお前を殺すつもりはないって! さぁ、お前は新人なんだ。伯爵に挨拶しに行っておいで……ちょうどいい奴らがきた!」 廊下から現れたのはドンガッシュと黒埼壱也だった。 「オイ、この子のこと頼む。俺はちょっと野暮用でな」 「……ドンガッシュ、彼女を伯爵に案内を。俺は、クランチたちと打ち合わせがある」 壱也の言葉にドンガッシュが頷いて、ディーナを伯爵のところに連れていく。その姿を見送ったあと呼び出しを受けているゴーストは屋敷を出て行った。 壱也とクランチは二人揃って空いている部屋に移動した。 「尋問はいつでもはじめられる。あと、ゴーストからのメールは見たけれど、今回ナラゴニアにきた人間の数は、追跡組の証言もあわせて信頼できる。たぶん二人だ。追跡についてもすでに手は打ってる」 「短時間で素晴らしい働きだ」 「効率良く動いているだけだよ。……失礼、連絡だ……はい。ベル?」 壱也は自分のウッドパッドに連絡がはったのに気が付くとすぐに通信を開始した。 「街に幻影が現れているそうだ」 「忌々しい、屑どもが……!」 クランチが舌打ちするのに壱也は冷静に言い返した。 「彼らが街のなかでこんな大々的な行動をとっているには理由があるはずだ。何かするのにわざと注意を逸らそうとしている。……対応は俺がしても?」 「どうするつもりだ」 クランチの言葉に壱也は黙ったあと、右手をこめかみを軽く叩く。それは壱也が考えるときの癖で、このときばかりは邪魔しないようにクランチであっても口を閉ざす。 「……ベルには、ハングリィを応援にやれば対応できる。そもそも、今は街のなかを歩いている者はあまりいないから、最悪、無視して構わない。彼らは必ず捕虜を救おうとすること」 「そんな危険すぎることをわざわざするだろうか?」 「あなたの証言と、今までの行動を照らしあわせれば、かなりの高確率で彼ら仲間を救いに動く。それに例の二人組は捕まえることは無理だよ」 「なぜだね」 「特徴を聞けば彼らが隠れることにとても優れているのがわかる。それに今、住人たちは混乱しているから彼らはわざわざ隠れなくても、ここの住人のふりをすればいい。この街の住人すべてを把握している者がいない限り見分けがつかないからね。むしろ、下手に隠れていたほうが目立つ……今、確信したけど、彼らは動き出した以上、今日中に逃亡用のナレンシフを奪うはずだ。最短ルートは、常闇の檻からナレンシフを奪ってここに乗り込むこと」 「しかし……まさか」 壱也は肩を竦めた。 「彼らはここを破壊しても構わない。なりふりかまってはいられない。逃げるならば出来るだけ大きく、最短を望むはずだ。……問題点は、彼らがここの地形に詳し過ぎることだ」 「それは矢部が教えたのではないのかね。しかし、檻の場所は……彼らの能力か? 影に潜んでこちらのことを聞いていたのか?」 すでにディーナから矢部が亡命者の主犯であると報告され、追跡の際にもその姿を見られていた。 「ノートは破かれて、何を書いていたのかはわからないけど……亡命者二十名は多すぎる。彼にそれだけの人間を束ねる人徳があったかな? 逃亡には準備期間がいるはずだ。最低、三日くらいは……その三日、どこに彼らを隠す? それにナラゴニアのことをすべて教える必要はない。そもそも、北の端から逃亡したなら西の場所、それも忌み嫌われる檻のことを言う? つまりはここにまだ協力者がいるってことじゃないかな」 壱也の言葉をクランチはようやくすべて理解すると口元に残忍な笑みを浮かべた。 「あなたは彼らが好き勝手するのに、少しだけ手をくわえればいい。自分にとって都合がいいように」 ★ ★ ★ やれるべきことはすべてやった。 アマリリス・リーゼンブルクは待っていた。 ナラゴニアに赴く際に最悪な事態に陥ることも覚悟していた彼女はこの事態を誰よりも落ちついて受け入れた。 離ればなれになった仲間たちは心配だが、いまの自分に出来ることはない。 しっかりと眠り、与えられたものは食べる。一見、大人しい囚人だが、その頭はずっと考えていた。ここから仲間たちを逃がす方法を。 チャンスはきっと一度だけだろう。最大にして最後の希望を掴むために己を犠牲にすることも厭わないだけの決意はある。 脳裏に浮かぶターミナルの知り合いたちの顔……一人ひとりに心の中で謝罪しながらも、アマリリスはそのためにもこっそりと動き出した。 この不思議な空間は銀猫伯爵によるものだとアマリリスは検討つけた。 以前対面のときに銀猫伯爵は空間を操る力を使っていた。なによりも自分たちを守ると言った彼が接触を断つとは考えられない。 アマリリスは翼の魔力を利用して、空間に干渉を行う。手のなかに風を生み出し、祈りをこめて投げた。 風は銀猫伯爵に向けて、仲間を連れてターミナルに逃げてほしいと伝言を託してある。きっと銀猫伯爵ならば叶えてくれるはずだ。 風は人に見られることなく、声を届けてくれるだろう。 そのあと翼は透明しておいたのはクランチから出来れば隠蔽しておきたいからだ。 「……信じるしかないな」 ドアが開けられて、はっと顔をあげる。 ナラゴニアの頭脳であるドクタークランチ、その背後にはスーツ姿の青年が立っていた。 「……なんの用だ」 たとえ絶対的不利な囚人になったとしても、アマリリスは気丈な態度を崩さない。腰かけていたベッドからすばやく立ち上がり、相手につけいる隙を態度からも与えないように振舞う。 「腰かけてはいかがかな? 私は話あいにきたのだから」 「話しあい?」 「私は利用できるものはなんでもすることを好む。この状態で君が選べるのは二つ。投降し、こちらにつくか、はたまた死か……仲間になるならこちらは歓迎するつもりだ。かわりにターミナルのことを聞きたい」 「……」 アマリリスは警戒したまま考える。これはチャンスだが、クランチとともに入ってきたスーツの男が気になった。 もしかしたら心を読む者かもしれない。 意図的に心を沈め、読まれないようにと配慮して、ベッドに腰かける。 「聞きたいこととはなんだ?」 クランチは微笑んだ。トラベルギア、セクタン……ターミナルの情報提供を要求するのにアマリリスは困惑したふりをした。 「それは三日月たちから聞いているのではないのか?」 「君がそれを気にする必要はない」 クランチは取り合わない。 「では何を話せば仲間の命を保障してくれる?」 「君次第だろう」 アマリリスは情報のかわりに仲間の命の保障を要求出来ればと考えていたが、クランチは冷酷に切り捨てた。これは対等な会話ではなく、尋問である以上、クランチに囚人と会話する必要は一切ないのだ。なにより、アマリリスから情報が引き出せないとしても他の囚人がいる以上、困ることはない。 「基本的に私たちの旅の目的、行動は……旅人の掟に書いてあるとおりだ」 アマリリスは慎重に言葉を選び、演技した。クランチの顔を見てこれだけでは満足していないと感じ取ると、チャイ=ブレとナレッジキューブ、世界計と導きの書の有効……自分の知識の範囲を語っていく。 「チャイ=ブレは、世界樹とは違うが同等の特異な存在であるように思うが……あなたはどう思う」 あえてアマリリスはクランチに話を向けた。ここでクランチの意見を聞くことが叶えばと思ったが 「クランチ様」 不意に控えていた男が動く――瞬くよりも速く、アマリリスは壁に叩きつけられた。痛み以上に驚愕が彼女を混乱させた。 黒い鉄の刃が首に、そして、もう片方は彼女の翼を突き刺していた。 先ほどまでただの男だと思っていた者は、その姿を鉄のスーツに包ませ、その表情は一切と伺えない。 「私はロボットです。五感を惑わす術は通用しません……あなたの呼吸、目、温度、すべてで判定します。あなたは嘘をついていないが、隠している」 「……っ」 アマリリスは息を飲む。鉄の刃が今にも首を掻き切ろうと迫ってくる。 「さすかだな……! お前たちの仲間になるべきか、試させてもらった。悪いが、裏切った上で無駄死にするのはごめんだ。これくらいは見破ってもらわなくては困る……今後はお前たちのために働く。かわりにここにいる仲間たちの命の保証してくれ。もし信用ないならば、部品を埋め込んでもらって構わない」 「その発言は矛盾しています。他の仲間と戦うことになりますが、それはよろしいのですか?」 「私はここにいる者を守りたいだけだ。お前にはないのか?」 気丈に、ハイキを睨みつけてアマリリスは言い返す。ここでつけこまれるわけにはいかない。 心の底では裏切ることへの罪悪感と葛藤はあったが、アマリリスは希望を捨てなかった。 「……私は、水薙さえ守れれば、他の仲間はどうなっても構いません。……そうですね、あなたの行動は矛盾している。けれど理解は出来ます。信じましょう。クランチ、部品を埋め込むのでしたら、お貸しください、私がやります。……希望箇所は?」 「心臓と脳以外で頼む。埋め込む部品に魔力を使う邪魔をされては困る」 出来れば、幻術で避けたい箇所をアマリリスは告げておく。それを相手が配慮してくれるとは思わないが。 「了解しました。では」 クランチから部品を受け取ったハイキはスーツ姿の男性に戻ると、アマリリスの手に部品を持たせ、問答無用で首に部品を押しつけた。 「っ!」 不愉快な痛みに吐き気すら覚えたのは一瞬のこと。部品が首のやや下、鎖骨の上に埋まったのがアマリリスにはわかった。 咳き込み、その場に崩れるアマリリスをハイキは冷ややかな眸で見下ろした。 ★ ★ ★ 困ったことになりましたね。 監禁されたヒイラギは敵の前では弱いふりを通すことに決めた。無駄に抵抗はしないし、反抗的な態度もしない。ただ黙って大人しく、怯えたふりに徹する。 幸い、ノートが奪われる前にヒイラギは工夫し、情報が旅団に渡らないようにした。 頭のなかで必死に情報をまとめていた。ここで余計なことを告げれば、それはすなわち銀猫伯爵の死に直結してしまう。 ドアが開けられたのに素早く顔をあげる。 ドアから現れたのは――クランチとハイキだ。ここから出て外の様子を少しは見れるかと期待したが、尋問はこの部屋で執り行われるようであった。 ヒイラギはあえて自分からは何も言わない。クランチが質問するのを待った。情報を入手できればと考えてのことだ。 クランチの要求にたいしてヒイラギはただ怯えた顔で俯いていると、問われた。 「その服はどうしたのかね」 「これは亡命者さんからいただいたものです。本当は全員でターミナルに戻るつもりだったんですが、私は銀猫伯爵に見つかり、帰還に失敗したんです」 銀猫伯爵は自分を捕えた敵という印象をクランチにあたえようとさりげなくアピールすることも忘れない。 「情報を流すのは構いませんよ。ただ、個人的にあなたが私を雇ってくれません? 寝返ると取ってもらっても構いません」 ヒイラギは微笑する。 「救援は期待できないですし、来たとしてもそのときに首と胴が離れているのは困ります。でしたら旅団につくことも考えます。痛いのは苦手なんです」 わざと軽薄に言い放つ。ここが正念場と演技に力をこめる。 「それで提案ですが、常闇の檻を改善しておいてはいかがですか? 心配というか、彼らのなかにブルーインブルーに介入した者がいます。人質として有効なはずです」 「ずいぶんと協力的だな」 「先ほども言ったように無駄に痛い思いはしたくありません」 しれっとヒイラギは言い返す。 「私の流せる情報はあまりありませんよ? そうですね、セクタンは壱番世界のロストナンバーのみ与えられる者です。能力もさまざまありますし、追跡能力があります。殺す方法、振り切り方は不明です。封印しない限り見つかります」 それまで油断ならない笑みを浮かべていたクランチの顔が一瞬だけ険しくなった。 「追跡機能か……実に面白い」 「おや、知りませんでしたか」 「幸い、君が教えてくれたおかげで、こちらも対策がとれそうだ。さあ、続きを」 「……ターミナルを支配するファミリーは全員が壱番世界の出身者で、血縁者だそうです。数年前にごたごたでトップが変わりました……トラベルギアは破壊されると持ち主の大幅な戦力を削げるはずです」 ヒイラギは淡々と告げながらも、トラベルギアの重要な箇所――能力制限についてはあえて語らないように気を付けた。 「いかがですか?」 「では」 差し出された部品にヒイラギは目を細めて受け取る。そのひややかさを手のなかで弄ぶ。 「首に埋め込むといい。君自身の手で、裏切る証をたてるんだ」 ヒイラギは目を伏せた。 ★ ★ ★ コケは部屋のなかで不安を抱えたまま時が来るのを待っていた。これが、よくない状況であることは理解している。 クランチが尋ねてきたとき、一瞬震えそうになったのを耐え、睨みつけた。 クランチから聞かされた常闇の檻の状況にコケはこっそりと拳を握りしめる。 「コケは……ここに亡命にきた。一緒に来た人たち、利用した……銀猫伯爵はどこ? あの人は、信用できる。あの人を通して話したい」 銀猫伯爵との関わり合いが完全に切れてしまうことは恐ろしい。それに常闇の檻にいる仲間も助けたい。ならばどうすればいいのだろうか。必死に考えて、伯爵にここにきてもらい、なんとか葉っぱで自分の行動を説明し、後々援助してもらうことを考えた。 しかし。 クランチは優しく微笑んだ。 「銀猫伯爵はお忙しいので、私が君たちの尋問を担当しているのだよ。亡命したというならば我々は仲間になるのだから、私が相手だとしてもなんら問題はないはずだ」 コケは言葉を探した。 「彼らを利用して亡命しにきた理由は?」 「いたくないから」 コケは言い返す。 「コケ、必要なものは渡すから、仲間にしてほしい」 「必要なもの?」 「ギア、個人としても大切なもの。けど、渡すこと可能……気になることある。常闇の檻には誰が居るのか、教えてほしい」 クランチは笑っている。目は笑っていない。 「よろしい。彼らは――」 幸せの魔女の名前を聞いてコケは微かな希望を抱いた。こういう事態で一番、効果が期待できるのは「幸せの魔法」だ。だったらなおさら、彼らが自由に動けるようにしなくてはいけない。 「ギア、渡す、条件がある。檻のなかにいる仲間に少しでも自由、与えてほしい」 「それはなぜたい?」 「借りのある人、いる。助けたら帳消し。亡命に心残り作りたくない」 借りがあるというのは嘘だが、目や真剣な顔から自分自身のために心残りになることを消そう、清算しようという意思をアピールした。 「彼女の発言には嘘があります。クランチ」 後ろに控えていたスーツの男が冷たい声で告げたのにコケはぎくりと震えあがった。コケは気が付かなかった。なぜクランチが一人ではないのかということ。それは護衛であり、尋問に利益に進めるための道具が傍に在るからだ。 「コケ君、君は実に面白く、筋の合わない発言をしている」 「な、に」 「亡命した地点で世界図書館の者は君にとっては仲間ではないだろう。だが君は未だに彼らのことを仲間と言っている。それに清算するならば、彼らを殺してしまえばいいだけの話ではないのかね」 「ころ、す?」 「そうだ。殺してしまえば心残りもないだろう。……君のように」 ぐらりっとコケの視界が歪んだ。 刺された。 気が付いたとき、壁に叩きつけられ、胸からは鉄の剣が生えていた。コケの口から大量の血が吐き出される。 「なにをしている、クランチ!」 空間を移動して銀猫伯爵が部屋に訪れ、空気を震わせるほどの怒気が室内を冷たくする。 それぞれの部屋を隔離しているのは彼なのだから、空間内の異変は真っ先に察知することも容易い。 「今すぐに、その少女を刺している剣をしまえ、ハイキ!」 ハイキは一度クランチを見やると、コケの小さな体を部屋の隅に投げ捨てた。 「……っ、ひどいことを!」 崩れたコケの体を抱き起こし、まだ弱弱しくも息をしているのを確認すると銀猫伯爵はクランチを睨みつけた。 「あなたが尋問を私に任せると言ったのだよ。そして私は先に告げたはずだ。利用価値がなければその瞬間に始末すると」 「だからと言ってこのような扱いを私は私の屋敷で許可した覚えはない! ……私の屋敷で血の匂いをさせるな、けがらわしい!」 「相変わらず甘いことだ……死ぬのではないのかね。ならばひと思いに殺してしまうことこそここでは優しさだろう」 クランチの挑発的な笑みに銀猫伯爵は黙りこみ、おもむろにコケの体を床に降ろすと、鈍姫を抜いた。 「鈍姫」 血の溢れる傷の部分を鈍姫で真っ直ぐに突き刺した。コケの体が大きく震え、停止する。その身体を抱き上げると、ベッドに寝かせて、銀猫伯爵はさっさとドアへと歩き出した。 「死体はそのままで、次の尋問は私も付き合う。はやく行くぞ」 「他の雑務に追われているはずだというのに、彼らについてはずいぶんと肩入れするような。銀猫伯爵」 ドアをくぐろうとした銀猫伯爵は足をとめてクランチに振り返った。 「……一度は見逃すが、今後このようなことがあれば、貴様の首が飛ぶと思え!」 殺意をこめた睨みにクランチは押し黙り、片手をあげてハイキを呼んだ。ハイキはスーツ姿に戻ると、一度、コケの死体を見たが、すぐにクランチのあとを追った。 無人となった部屋のベッドで、コケは咳き込み、薄らと目を開ける。その胸にあったはずの怪我はきれいに消えていた。 鈍姫に突き刺され【強制】の力で、傷は癒した。それがばれないように瞬時に作り出した空間にコケを閉じ込め、死んだことを偽造したのだ。 コケはゆっくりと目を閉じる。再び意識は闇に落ちる。 ★ ★ ★ ヘータは多くを知らない。かわりに多くを識っている。 知らないのは恐怖といった感情。――零世界に自分のコピーはいる。完全な予備であるが、それが動く可能性は低い。しかし、在ることと無いことは違う。 識っているからヘータは動くことを選んだ。世界旅団を知らないまま帰ることは出来ない。出来れば旅団を知れる立場がほしい。 彼らが自分たちを知ることは悪いこと? 否、良いこと。 ヘータは、そもそも善悪の感覚がない。知ることこそ正しいのだ。 ぼんやりと、まるで海のなかを漂う生き物のように思考する。 「うん。多く、良いコト」 不意にドアが開けられたのにヘータは首だけ動かす。すると、クランチ、銀猫伯爵、さらに知らないスーツの男が入ってきた。 クランチが微笑み、一歩前に進み出る。銀猫伯爵とスーツの男は壁際に立つ。 三人で来たが、尋問そのものはクランチが担当するらしい。 「キミだけがワタシに質問するの?」 「そうだよ。彼らが気になるかい」 ヘータは頷く。見た目に反して、それがどこか無垢な子供を連想させる。 「銀猫伯爵は知っているだろう。こちらにいるのはハイキだ」 ハイキが頭を軽くさげるのにヘータもさげ返す。 「クランチ様、彼は……普通の生物ではありません。……電子生命体のようです。私ではお役立てない可能性が高いです」 ハイキの言葉にヘータは小首を傾げた。 「キミ、わかる?」 ハイキはヘータの言葉を一切無視してクランチに問う。 「クランチ様、いかがなさいますか? ゴースト様を呼びに」 「このままで構わん。控えていろ」 クランチはヘータに視線を向けた。 「今の状況を説明しよう」 ヘータが銀猫伯爵の屋敷に囚われていること、常闇の檻のなかに重傷で囚われている者がいること、そしてこの尋問ではターミナルのことを聞きたい――要領よく説明されたヘータは素直に頷く。 「世界樹旅団が世界図書館のコトを知ろうとしているのは良いコトだから、聴かれたコトには答える」 「実に素直で助かる。ギアやセクタンについて知っていることはあるかい?」 「ギアは、ワタシ達の情報に合わせて作られる。大きい力を小さく、小さい力を大きくする」 「……大きい力を小さく……」 「力による平均化をはかっているのだろう」 銀猫伯爵が声を出した。 「トラベルギアは力在る者を束縛し、無き者を在る程度戦えるように強制的に力を与える……トラベルギアは破壊することは彼らに力を与えるということだ」 ヘータは頷いて説明を続けた。 「セクタン、チャイ=ブレが作る。コンダクターなら誰でも持ってる。七種類あるね」 「……君は素直でいい子だ。さぁ、次は今回の潜伏について説明してくれないか」 「二十名の亡命の人をターミナル、行く。ワタシはナラゴニアのコトを知るために来た。仲間は……知らないひとは探せない。ワタシが知るのは幸せの魔女だけだな。あ、アマムシに似てるヒトも精神波のパターンが似ているから探せるけど」 「君は彼らの居場所がわかるのか」 ヘータは頷く。 「知らないヒトは探せないけど」 「その発言はおかしいな。ヘータ、君は仲間とここにきたのだろう? なら、ここにいる仲間はみんな知っているはずだ。さぁ、協力するか、しないか、選んでごらん」 まるで幼い子供をあやすようにクランチは告げる。 「ワタシ、世界樹旅団を知りたい」 「では、これをつけたまえ」 差し出された部品をヘータは受け取った。 ★ ★ ★ 「投降するわ。私にクランチ、あなたの部品を埋め込んでほしいの」 東野楽園は部屋に訪れたクランチに彼が話しを持ちかける前にずばりと切りこんだ。その目にも、口調にも迷いはない。 楽園は自分がただの小娘であることを知っている。 そして冷静になろうとすればするほどに彼の――ヌマブチの顔がちらつく。 憎い。 けれど 愛しい。 旅団は憎い、憎くて、憎くてたまらない。そこに属する者たちを殺し尽し、あの大きな樹をずたずたにしても足りないほどの嫉妬が心を燃やす。ああ、けれど、ここにいればヌマブチに会える――! 紅く燃える愛憎の炎は楽園を嬲る。 生きたまま奈落に落ちるのはこんな感じなのかしら? 一人ぼっちでいるときに耐えきれずに自分の腕に爪をたてた。毒姫もここにはいない。完全な一人であることは楽園から正常さを失わせた。それでも目的のために、彼女は悲しいほどに冷静でいようとした。他者から見れば明白な狂いをその瞳に抱えながらも。 「私は壱番世界出身のなんの能力もない小娘よ。差し出せるとしたら自分くらい」 楽園は小首を傾げて提案した。 あの人を殺せるなら、手段は選ばない。 「私がここにきたのは、殺したい人がいるの」 「殺したい人とは?」 クランチの問いに楽園は迷いなく、ヌマブチとの関係を語る。 「ヌマブチは三日月と今は組んで動いています」 ハイキが口にする。 三日月についても楽園は知っている。ヌマブチと同じく旅団に寝返った男だ。まさかヌマブチとコンビを組んでいるとは思わなかった。いや、同じ裏切り者同士として一緒にいるのかもしれない。 憎い。 また一つ、憎悪が燃える。 彼は楽園の目的には邪魔な存在。だめ。今は敵の懐にはいることだけ考えなくては。そのあと、邪魔ならば殺せばいい。そして、必ず私があの人の横にいく。 「あの牧師は使えるのかしら? ヌマブチは旅団の作戦に協力的とは言えないのではなくって? ブルーインブルーでキャンディポットを世界図書館に売り渡したのはあの人よ」 楽園は微笑む。 「けどあの人はああ見えて甘いから……私をお目付け役兼相棒にすればきっと従順になるわ」 楽園の言葉にクランチは何も言わない。ただ一瞥を後ろに控えているハイキに向ける。ハイキは黙って頷く。その横にいる銀猫伯爵だけがひどく悲しげな顔をして楽園を見つめていた。 「信用してもらうには、どうすればいいかしら?」 「そうだな。これから、ここに君の元仲間が乗りこんでくる可能性が高い」 「元仲間?」 「そうだ。蟲と忍者」 「……ああ、わかるわ。その二人なら。その二人を狩りだせばいいのね? いいわ。するわ」 楽園は自ら手を差し出した。 「部品をちょうだい」 「首に埋め込むといい」 「わかったわ」 受け取った力を楽園はなんの迷いもなく自らの首にそっと当てる。不愉快さは一瞬で過ぎてゆく。 「……っ、何が出来るの?」 「願ってみるといい」 楽園は願った。ただ真っ直ぐに愛しい男を殺すことを。 ふわり、と楽園の周囲に蝶が現れる。まるで美しい花に吸い寄せられるように蝶は楽園の身に寄ってくる。 そのとき楽園の背には蝶の羽が生まれ、まさにその姿は女王といっても過言ではなかった。 周りを飛ぶ蝶の姿を見るだけで、楽園はすべてを理解した。 この子たちは私の願ったとおりに、命令を聞いてくれる、武器だ。 愛を望み、殺すことを願う楽園の心がそのまま形となった美しい蝶。 力の使い方はもう既に理解していた。愛しい分身たちが楽園に教えてくれるからだ。 楽園の口元が花咲く一瞬のように甘美に綻ぶ。 楽園は満足して片手を軽くふりあげると、蝶たちはその姿を空気に溶かして消した。たった一匹だけ、美しい黒蝶が残った。 ひらひらと黒蝶は優雅に宙を泳いで、楽園の白い指先にとまる。 「彼らを捕えることに成功したら彼に会わせてほしいの。お願い」 最後だけ声が暗闇のなかにいる子供のように震えてしまった。 「君が成功した場合は考えよう」 その言葉に楽園は微笑み、頷くと、首にそっと触れる。ここに彼と同じものがある。それが嬉しい。 「これで私達おそろいね……ヌマブチさん」 まるで小指には紅い糸があると信じている夢見る乙女のように。いいや、それ以上に確かな繋がりを楽園は自分の手で勝ち取った。 クランチが外に出ることを促すのに、楽園はこれからやるべきことのために歩き出そうとして、すぐに足を止め、銀猫伯爵に視線を向けた。 「挨拶をさせてちょうだい、銀猫伯爵は捕虜である私にとてもよくしてくれたから」 クランチは無言で部屋の外に出ていったのは、許可したととってもいいのだろう。 楽園は銀猫伯爵の前に歩み寄り、スカートの端を持ちあげて感謝の気持ちをこめて頭をさげる。 「貴方のご厚意は忘れないわ」 「……クランチは信用しないほうがいい」 「私は私の希望を手にとったの、だから後悔しないわ。……ただこの子をお願いね」 唯一消さずに、そばに置いた黒蝶は楽園の声で銀猫伯爵のまわりを一周して、肩にとまる。 「この子を可愛がって頂戴。……また一緒に紅茶を呑みましょうね」 そのときだけ、まるで狂気から解放されたように歳相応の微笑みを浮かべて、楽園は右手の小指を差し出す。 銀猫伯爵は黙って楽園の小指に、白い手袋をした指をからめた。そして、ゆっくりと離れていく。 言葉のない約束をかわし、楽園は背を向けて歩き出す。 ★ ★ ★ 暗闇のなかでじりじりと、じれったくなるほどの時間をかけてジャックは己の心臓を突き刺す、それを抜き切った。血が散り、また溢れる。 咳き込みするだけの体力はすでにないが、幸運にもまだジャックは動くことができた。 「っ!」 この状態で手首を切ったりしたら大量出血でショック死すると判断したジャックは片腕を、肘を狙って刀を振う。もし狙いどころが悪ければ無駄に体力を消費するだけだが、幸いにも――幸せの魔女の幸運はジャックを守った。一撃で肘を失うだけで済み、出血も少ない。しかし、再接着は無理そうなので潔く諦めた。 「っ、ハ……テメェら無事かァ? オイ、魔女、今回だけはテメェに感謝してやる」 暗闇では互いの姿は見えないが、声は届く。 「ジャックさん? なんの音?」幸せの魔女が声をあげる。 「次にきぃが来るのを待ッてろ」 「……やったのか」 微かな希望を抱き、十三が問う。 「大人しく待ってナ。……っ、はやくきやがれ、きぃ」 血が抜けていくなかでジャックは幸運を信じた。自分が血を失い、倒れる前に必ずきぃは来る。 ぎぃ。 ドアが開く音がする。 幸せの魔女を味方につけたジャックは、自分との賭けに勝った。 ドアから差し込む光に向けてジャックは駆けだす。隙間からきぃの姿に渾身のタックル。 常闇の檻に油断していたのか、それとも羽化に失敗したきぃには元々、それだけの力しかないのか、驚くほどに容易く突き飛ばされた。本当は出た瞬間に壁に突き刺す予定だったが、階段という予想外の地形にジャックは一瞬だけ迷った。力は戻っているかと冷静に頭で考える。――無理だ。 階段もまた常闇の檻の範囲内ならば、ここからも逃げる必要がある。 「テメェも立派な使い魔になったンだ……この程度で死ぬンじゃねェゾ、きぃ」 ジャックの声にきぃは慌てて体勢を立て直そうとするが、それ以上にはやく、ジャックはきぃを押すような形で階段を駆け上がった。一気に地上へと出ると、腕のなかにいるきぃを地面に叩きつける。 「っ!」 きぃは声をあげない。表情も変えない。ただ黒い瞳がジャックを見つめる。 その心臓の真横に、ジャックは刀を突き刺して地面に縫いとめた。きぃの手が伸び、ジャックの頬に触る。、冷たい肌の感触とともに脳に直接、どす黒い色に染められた悲痛な憎悪が流れこんできた。 りん、りぃいいいん。 きぃの手は滑り落ち、かわりに鈴の音が悲鳴のように響く。 「――っ、テンペスト!」 唯一残った片腕に残る力のほとんどを溜め込んで、放つ。 轟。 雷鳴は闇を裂き、常闇の檻のドアを破壊する。ジャックは念動を発動し、全員の鎖を引きちぎりにかかた。檻を破壊しても効果そのものは薄れないらしく、鎖がすぐには引きちぎれない。 「ちっ……!」 ジャックの背に蟲の囁きが聞こえた。 「っ! やべっ」 それはジャックを宙に容赦なく、吹き飛ばす。咄嗟に受け身をとって地面に転がったジャックは舌打ちとともに起き上がり前方を睨みつける。 百足兵衛が片腕にきぃを抱えて憎悪に顔を歪めて立っていた。 慎重な手つきできぃの胸の刀を抜きとった百足は吐き捨てる。 「後ろで見ていろ。こいつらが小生の手にかかって全員死ぬところを!」 血を吐き出しながらジャックは獣のように唸る。まだ仲間たちの鎖をちぎるために意識はそちらへと向けたままだ。この状態では攻撃にまわす余力はない。 「ハッ、やってやろうじゃねぇかヨ」 「あ、あわわ……はの七号が……」 ムシアメは震える声をあげる。 「どうした」 「隆樹はん、すまへん。街にいるわいの分身、全員、殺されてしもたわ」 隆樹は眉根を寄せた。時間稼ぎとして七匹を街のあちこちにばらまいておいたというのに……街を出てまだ五分ほどしか経ってはいない。 出来れば噂話を少しでも集めようと試みたが、火事の騒動が尾を引いて住人たちは自分の家のなかに閉じこもってしまい、出歩く者はみな警戒し、とても気軽に声をかけられる雰囲気ではない。仕方なく真っ直ぐ檻を目指したのだが……つまり敵は五分の間に七匹すべてを始末したことになる。 「なんや、逃げも壁で道塞がれて、その上、幻影がきかん人がおったらしい、その人に思いっきり潰されていったわ」 目を共通していたのでムシアメは分身たちがどれだけ悲惨な死に方をしたのか目撃していた。 「急いだほうがいいな」 焦りはあっても、それを表情にも、動きにも出さないように隆樹は努めた。街を抜けたあとは、平坦な道がひたすらに続く。そこまでくると隆樹は走った。 「あれ!」 ムシアメが叫ぶ。隆樹も気が付いた。 ジャックと二つの影――きぃと百足が争っている。きぃは百足に庇われて後方にいるので、狙いやすい。 「あかん、ジャックはん、苦戦しとる!」 「行くぞ」 「わいも戦うわ」 蚕の姿からムシアメは人の姿にかわり、トラベルギアを投げる。風を切る音にきぃが気がついて振り返り、それを回避するが、隆樹の追撃が――こちらの攻撃が本命だ。きぃの足を突き刺し、地面に倒す。 そのタイミングで常闇の檻にいる者たちは鎖から解き放たれた。 十三は怪我によって動きが鈍い幸せの魔女を抱きかかえ、階段まで這い出た。 「すまんが、服を少しばかり破いて貸してくれないか?」 「仕方ないわねぇ。ターミナルでもっと素敵なドレスを買ってちょうだいよ?」 幸せの魔女の白いドレスを引き裂いて、十三はそこに血液で文字を書くと叫んだ。 「炎王招来急急如律令、雹王招来急急如律令! ……少々、薄いが、出る! お前たちはジャックを援護しろっ! トッド、お前も」 しかし、まだ檻の中にいるグレイズから回答はない。十三は必死に手を伸ばす。 「動けぬなら俺の手をとれ!」 「今のあんたじゃ二人もかかえられねぇだろう」 「トッド!」 「俺はここに残る。はやくいけよ」 グレイズの言葉に十三は土くれで頭を殴られたような衝撃を受けた。 目の前にいる少年の決断をひっくり返したいと願っても今の十三にはそれだけの力がない。ここで迷えば、いま腕のなかの助けられる存在も潰してしまうことになる。魂を引き裂かれるような痛みを覚えながらも十三は守るために決意しなくてはいけなかった。 「必ず、お前を迎えに来る!」 そう告げて十三は階段を駆けあがる。 「ジャック! 助けがきたのか!」 ジャックの無事を確認し、隆樹、ムシアメの姿に十三は声をあげる。 「今がチャンスだ。逃げるぞ!」 「母上――っ!」 足を突き刺されて倒れたきぃに百足は戦闘を放棄して駆けよっていく。その姿はまるで迷子の子供のように弱弱しく、推さない。 蟲たちも激しく羽ばたき続けるが攻撃をしようとはしない。むしろ、操るべき主人がいなくなって混乱するように宙を舞い続け、落下する。 蟲たちの主人は百足兵衛であるはずだというのに。 ジャックが空間移動する瞬間、その場にいた者たちは見た。きぃを抱える百足兵衛の姿は、人ではなく、一匹の醜い蟲の姿であったのを。 「これはひどいな」 駆けつけたフウマは檻の前の悲惨な状況にあからさまに顔をしかめた。すぐさまウッドパッドでクランチに連絡をいれたあと、地面に転がる自分の刀を拾い上げ、檻のなかに歩く。 「それが君の覚悟かい?」 犬の金色の眸が光を浴びでぎらぎらと輝いていた。まるで血に飢えたように。 「名前は?」 差し出された手に犬は牙を剥いた。 「グレイズ・トッド」 と。 ★ ★ ★ 「これからどうする」 ジャックが空間移動を繰り返し、以前グレイズが発見した空家に逃げ込むと十三が尋ねた。 今の状況については隆樹とムシアメからすでに説明されている。 「銀猫伯爵の屋敷に乗り込むンだよ」 ジャックが吐き捨てる。 「しかし、彼らが無事潜伏出来ているなら屋敷に向かうのは拙かろう。様子を見てみるか……飛囀招来急急如律令! 銀猫伯爵の屋敷の様子を探って来い」 十三は式神を飛ばす。 檻から出ても、長時間の拘束と毒で体がまだしっかりと動かず、本来持つ力も十分には発揮出来ない状態だ。 式神が戻る間に全員でこれからの作戦を素早く組み立てる必要があった。 「ナレンシフを屋敷に突っ込んで、逃げればいいだろう。全員連れて……僕は好きにする」 ひとつめの変装を解いて別人となった隆樹が告げる大胆な作戦に誰もが息をのむ。彼自身は、この変装をして、屋敷の影に潜ってさらなる潜伏を試みるつもりだ。 「それ以外の方法があるか?」 「いや、ないな。だったらナレンシフを5機ほど拝借して、うち3機を袁仁に操らせよう。それを少し遅めに飛ばせして目眩ましに、残りの2機に分乗して逃げる、でどうだ。もし囮が必要ならば手数が多い俺がやろう」 「待てよッ、俺らはあれの操作方法を誰もしらねェんだぜ」ジャックが噛みついた。 「……壱番世界ならば、ナレンシフにルートがはいっているかもしれん」 「そんな賭けはできねェ。動かすのも無理だったらどうするんだァ」 「ジャックさんたら、いやね、私のことを忘れているわよ」二人の間に幸せの魔女が割って入った。 「私の今の幸せはここから逃れること。ナレンシフを動かすのは私がなんとかしてあげるわ」 「チッ……屋敷に乗り込むなら、銀猫伯爵が操作方法を知ってるはずだ。その情報を俺がテメェらに流す。これでどうだ?」 「なら1機にまとめて乗っておくほうがいいな」 「……そうだな。……屋敷の様子は警備も多少いるが、抜けれぬことはないだろう。銀猫伯爵がこちらに気が付いたようだ。協力してくれるだろう……よし、機械は欺くことは無理だが、ナレンシフを奪う間は」 「見つけた」 数羽の黒蝶と一緒にディーナは立っていた。 全員が息を飲むのに、その背後でひらひらとゴーストが手をふった。 「ったくよ、園丁に絞られたあとはこっちかよ。フン、あれだけ派手にした上、お前ら顔を知る奴がいて、見つからないなんて思うのは甘いんだよ。俺は記憶を読めるんだからな。……お久しぶりね、可愛い影龍ちゃん。ハッ、どんな変装しようが、俺を食べようとしたテメェの気配はよく覚えてるぜ。食べられる側にまわってみな。くそったれ……シエラ、やれ」 茨が撓り、打つ。黒蝶も負けじと――それは楽園のものだが、激しく羽ばたいてその場にいる全員に毒を与え、めちゃくちゃに包みこもうとする。逃げようとすれどゴーストの生み出した強風に体が壁に吹っ飛ばされ、思う様に動くことも出来ない。 「くっ……幻虎招来急急如律令! 我等を敵の眼から欺け! ジャック!」 十三が叫ぶのに、ジャックがナレンシフの工場に飛んだ。 銀色の円盤がずらりと並び、作業員が行きかうなかに降りたつと、十三は術を発動させた。 「袁仁招来急急如律令! 手筈通りにナレンシフを動かせ、行け! 炎王招来急急如律令、雹王招来急急如律令! 暴れ回って時間を稼げ!」 十三の式神は命令通りに工場のなかを暴れまわる。突然の事態に作業員たちが混乱する隙をついて一機のナレンシフに乗り込んだ。 「私は幸せの魔女! 誰も私の幸せを妨げることは出来ないわ!」 幸せの魔女の白い手がナレンシフに触れると、不思議なことにナレンシフは作動し、動き出した。 飛ぶまではいかないが、前へと進むだけならば問題はなかった。邪魔なものをすべて蹴散らし、進む。その姿はさながら獰猛な銀色の獣だ。 数多の建物とぶつかり、安定のない浮遊を続けながらも銀猫伯爵の屋敷の前まで来ることに成功した。 激しい衝撃。砕け散る音。白花が宙を舞う。 ジャックは衝突した瞬間を狙い、ナレンシフから全員を連れて銀猫伯爵の居る場所に空間移動した。 十三と幸せの魔女は気丈に振舞ってはいるが、毒の効果は消えたわけではない。この場で唯一、毒をどうにかできるのはコケしかいない。 「っ! ……ついたナ! はやくコケを出せ、コイツら毒にかかってんだ!」 部屋に転がったジャックが怒声をあげると、部屋のなかで待っていた銀猫伯爵は微笑んだ。 ここに彼らが来ると事前に察知した銀猫伯爵は、楽園から預かった蝶をまず主人の元に行くようにと命じ、コケの部屋で待機することで彼らを危険がないところに誘導したのだ。 「コケ君は、今は動けない状態だ」 見るとベッドにコケがいたが、まるで死人だ。 「生きているから安心しなさい。連れて帰って、毒も処理するといい」 「どうしてそのようなことに」 「クランチはコケ君を殺そうとした。……私は彼女を殺したふりをしてここに隠しておいたが怪我があまりも深すぎた。しばらくは目を覚ませないだろう。仲間が敵にまわった以上、君たちは捕まえられる確率が高い。悪いが、これ以上君たちのフォローに回るのは正直、無理だ。逃げなさい」 「今回は、ここにいる全員、帰還するほうが得策ということか」 十三が渋い顔をする。 「それしかねェだろう。ナレンシフの操作、読みとって全員に叩きこむゼ。時間がねェ、ワリィが勝手にさせてもらうぜ……っ……ここに残るヤツもいンだろう? だったら俺がテメェに仲間捕まって奇襲かけて、相打ちっていうことでどうだ?」 「ジャックさん、あなた」 幸せの魔女が顔を歪めるが、ジャックは無視して銀猫伯爵と向き合った。ここに残る者のことも考えた上で、この提案をジャックはずっと胸の中に秘めていた。死ぬ覚悟もしてある。 「君は死ぬつもりか?」 「俺ァ女に刺されて死ぬって決めてんだ。未練もありまくりだ。ターミナルに戻ったらうるわしの茨姫とデートの予定だったんだぜェ。だがよ。強ェ奴が仲間守ンなくてどうする!」 銀猫伯爵は微笑んだ。 「尋問で、コケ君以外はクランチの部品を手に入れ、ここに残ることを選んだ。彼らに何かあったとき、私は彼らを守りたい……約束をした」 銀猫伯爵は自分の杖を差し出した。 「鈍姫には強制・否定の力がある。……これは持ち主が否定したものだけを排除し、強制は刺したものを復元する力がある」 「つまり、これを使えばクランチの部品が埋められた奴を無傷で助けることもできるのか?」 「試したことはないが……君たちに役立ててほしい」 隆樹が鈍姫を両手で受け取る。 「かなりの技術と勇気と判断が必要だろうが……鈍姫は君たちに襲われて、奪われたことにする。さぁ、行きなさい」 隆樹は頷き、十三がコケを抱きあげ、ジャックが神妙な顔で、部屋から駆けだしていく。まだ銀猫伯爵からナレンシフの操作を読みとっているのでジャックは空間移動が出来ない状態だ。 廊下を駆け抜けて進んでいると目の前に現れたのはアマリリスと楽園だ。 「すまないな」 アマリリスが片手に構える剣から鋭い一撃が炸裂するが、幸いにも十三には後ろに回避する。 (避けやすいようにタイミングをずらしているのか……!) 不意打ちも狙えたはずだか、アマリリスはあえてしなかった。そして裏切ったことも告げた。 状況が状況だけに裏切るしかなかった彼女はこうして出来る範囲で自分たちをフォローしようとしているのがひしひしと感じられた。 しかし、 「手ぬるいわ」 楽園は吐き捨てると、蝶を出現させる。毒の粉をまき散らす黒蝶はひらひらと優雅に、しかし容赦なく襲いかかる。 「今度こそ……あの人に会うためよ!」 二度目の衝撃が屋敷を襲った。 十三の式神が操るナレンシフが時間をずらして屋敷に突撃したのだ。突撃は一番確実に屋敷に行くことのできる手段だが、それと同時に目立つ。下手すれば、行きのナレンシフに乗り込むとき攻撃される恐れもあった。 十三の式神に奪わせた別のナレンシフを再び突撃させて、それに乗りこんで逃げるという大胆な作戦だ。 「よし、一気にナレンシフまで飛ぶぜェ」 ジャックが空間移動を発動し、その場にいた仲間をナレンシフに移動させた。 ★ ★ ★ 逃げていく円盤を誰も追うことはできない。 先ほどからまるで悲鳴のようにウッドパッドがけたたましく鳴り続ける。 銀猫伯爵が、応答しようとしたとき、体に軽い衝撃が走った。 「あなたにはここで敵によって殺された」 クランチが微笑んでいた。 ウッドパッドの連絡と、破壊された屋敷……注意が散漫してまるで気付かなかった。 「あなたには謀反の疑いがあると親切な連絡がきているのだよ。こちらもそれを利用させてもらうことにした。あなたが謀反を行おうとしたが世界図書館に利用さて殺された。たとえその身が潔白としても、それはそれで殺されたということにすればいいことだ……あなたを信じている者や頼りにしている者たちはさぞや世界書館を憎むだろう」 武器はなく、魔力を消耗した状態ではろくな抵抗することもできない銀猫伯爵は無力に死にゆく。 ドクタークランチからナラゴニアの住人に向けて連絡が入った。 ――世界図書館は街を荒らし、さらには銀猫伯爵を殺害した、と。
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