深い樹海に鎖された0世界の大地をよそに、復興にわくターミナル。 世界司書たちは、さまざまな激務に追われ、忙しい日々を送っていた。そんなある日のこと―― とある世界司書が仕事中に倒れた、と連絡があった。 アリッサが駆け付けたとき、そこでは同僚の司書たちが難しい顔で本の山と格闘していた。「どうしたの……?」「最初は過労かと思ったのですが、そうではないようなのです」 応対した司書は告げた。 事態は思ったよりも突飛で、重大であった。「私たちロストメモリーは、記憶を封印することで真理数0を獲得します。その封印された記憶は『アーカイヴ』に保存されます」「そうね」「つまり、ある意味、私たちはつねにアーカイヴ遺跡とつながりを持っている……そう言っても良いのです」「……! それじゃあ」「そのとおりです。先のチャイ=ブレの一時覚醒と、世界樹との戦いにより、アーカイヴ遺跡内にも破壊が生じました。その結果、保存されている情報に乱れが発生したようなのです」 その結果、世界司書が意識障害に陥ったのだろうということだ。 アーカイヴは自己修復機能を持つため、時間とともに問題は解決すると思われるが、それまでは、いつ、どのロストメモリーに症状があらわれるか予測できず、すでに発症したものには対処を要する。 「稀な事例ですから、対処法を見つけるのに苦労しました。しかし」「なんとかなりそうなの?」 司書が頷いたとき、がらがらと音を立てて、台車で運ばれてきたものがあった。「え……壺……?」「『壺中天』です」「――と、いうわけで、みんなは、この『壺中天システム』を使って、意識だけアーカイヴへ行ってもらいます。アーカイヴ遺跡深層『記憶宮殿』。そこには司書のみんなの記憶が封印されているの。倒れた司書の記憶に接続するから、みんなはその中に入り込んでもらうことになるわ。司書の……記憶の中に」 『壺中天』とはインヤンガイで普及している仮想現実ネットワークだが、今回はその技術が応用できた。 司書の記憶の中に入り込み、中で生じている「乱れ」を正すことで、司書は目覚める。 乱れとは、「本来、その記憶にはなかった要素」のことだ。 たとえば、ある司書が、故郷で、ドラゴンと戦って勝利した記憶を持つとする。ところが今、『記憶宮殿』に生じた乱れのため、「ドラゴンに敗北した記憶」になってしまっている。これが昏睡の原因なのだ。そこで、壺中天を通じて記憶に入り込み、もとの記憶に沿うよう、ドラゴンに勝たせてやればよい。なにがもとの記憶と違っているのかは、記憶に入り込めば直観的に知れるという。「ひとつ、約束してほしいの」 アリッサは赴くことになったロストナンバーたちに言った。「みんなは、本人さえ、もう思い出すことができない、封印された記憶に立ち入ることになる。プライバシーを覗き見てしまうことにもなるでしょう。だから戻ったあと、『記憶宮殿』で見聞きしたことは、本人はもちろん、この先誰にも、決して話してはダメよ。一生、秘密にしてほしいの。この約束が守れる人だけに、この任務をお願いします」 *-*-*「少し、酷な任務になるかも知れません……特に紫上司書と面識のある人には」 ここはいつも紫上緋穂が依頼の説明に使う部屋ではない。緋穂の司書室だ。事は内密に進められるため、集められた者達は代理だという有翼の司書に説明を受けることになった。「けれども、紫上司書を思ってくださる方、彼女の目覚めを手助けしたいと思える方にお願いしたい依頼です」 矛盾していることはわかっていますが、司書は苦笑して。「彼女がツーリストを経て世界司書――ロストメモリーになったことは、ご存じの方もいらっしゃると思います。彼女はツーリストとして過ごした時間の記憶は持っていますが、それ以前の記憶を封じています。今回はその中でも、彼女が覚醒する時の記憶に異変が起きています」 そう言うと、司書は小さくため息を付いた。「彼女の覚醒経緯は、『死に瀕して覚醒し、気がつくと異世界にいた』というものです。鋭い方はお分かりかと思いますが……彼女の記憶の中にはいり、紫上司書の……いえ、緋穂さんの命を奪ってきてください」 それはあまりにも衝撃的な依頼だった。 *-*-* そこは緑豊かで花が咲き乱れる村……いや、里だ。 あたり一面草花が豊かに咲き誇り、木々が綺麗な緑色を二つの太陽の光に映し出している。 雰囲気的には壱番世界の飛鳥時代から平安時代が近いかもしれない。 幾重に里を取り囲む木々を目隠しとして、小さな隠れ里は存在した。『花守の里』と呼ばれるその里には『花守』と呼ばれる特殊な一族が住んでいる。 男は胸元にその家が守護する花を一輪咲かせて生まれる。いずれ成長し、妻を娶ると不思議とその妻の胸元にもその花が現れるというのだ。 その花を絆とし、一族は団結力を深めていく。 つまり浮気をすれば胸元の花によって発覚が余儀なくされるからして、浮気者はほとんどいなかった。たまにいてもすぐに里を追い出されるか、そうなる前に嫌気が差して里を出ていくかのどちらかだ。 この里に、今まさに祝言をあげようとする若者たちがいた。普段の着物姿から純白の婚礼衣装に着替えた娘は十四。この世界では婚礼適齢期だ。 同じく婚礼衣装に身を包んで家の前で花嫁を待つ花婿は十七。働き者の青年で、婚礼衣装に隠された胸元には桔梗の花をいただいている。 紫上 藤雅(しのかみ・とうが)――花婿は家にたどり着いた花嫁――紅坂 緋穂(くさか・ひすい)の手を取り、はにかむように微笑んで。 里を上げての婚礼は、滞り無く済んだ。 婚礼の宴を終え、燭台の灯りを消した部屋で二人は本当の夫婦となる。 肌を合わせ温もりをわかちあい、そして、甘く切ない一夜を終える。 障子の向こうから差し込む陽の光に起こされて、緋穂は裸身を起こした。そして、知る。 自分の胸元に、藤雅と結ばれた証である桔梗の花が咲いていることを。「何を見ているんだい?」「あ、起こしちゃった?」「いや、嬉しそうな緋穂を見てた」 枕に肘をついて手に頭を載せて、藤雅は意地悪そうに笑う。「だったらわかるでしょ! 本当に藤雅のお嫁さんになれたんだって……嬉しくて」 胸元に咲いた桔梗、それが何よりの証だから。「俺も、緋穂を嫁にもらえて嬉しい……だから」「きゃっ!」 藤雅は緋穂を布団に引っ張り込み、そして甘くささやく。「もしばらくこうしていよう」 それは何の問題もない普通の朝の光景のように思えた。 けれどもそれは、来るはずのない朝――。 *-*-* 司書の説明は続いている。「本来なら、婚礼の夜の深夜、里の殆どの者が宴で酒を飲んで寝ているうちに、里を嗅ぎつけた野盗達が里人を皆殺しにしてしまいます。緋穂さんたちも例外ではありません。幸福の絶頂で旦那さんの腕の中で眠りについた彼女のところにも野盗は押し入り、彼女をかばった藤雅さんごと緋穂さんは死に瀕します」 その時に、覚醒したのだという。だが、その野盗達が現れなくなっているというのだ。野盗達が現れなければ緋穂が死に瀕する事はなく彼女は覚醒しない。「ですから……彼女が覚醒するように、緋穂さんの命を奪ってきてください」 司書は苦しそうに繰り返した。 緋穂が死に瀕して覚醒するという結末さえ合っていれば、方法は問わない。 物理的に考えて一番簡単なのは、ロストナンバー達が手を下すこと。だがこれは心情的な面で苦痛を伴うだろう。 他に方法があればそれでも構わないが、死に瀕するほどとなれば限られてくる。「非常に苦しい依頼となると思います。自信のない方は、こちらで紫上司書の目覚めをお待ちください」 それでも行ってくださるという方は――司書は言葉を切って。「どうぞ、よろしくお願い致します……」 丁寧に頭を下げた。========!注意!このシナリオのノベルは、便宜上、公開されますが、世界観的にはすべて「秘された内容」となり、参加キャラクターの方だけが知る出来事となります。========
その里には藤雅と緋穂、二人の祝言を寿ぐように花が咲き乱れていた。里を取り囲む山の一つから里を見下ろすロストナンバー四人の目にもその華やかな咲き誇りようは目に入っている。 「14歳の人妻……幼な妻か。素晴らしい響きだね」 そう呟いたのは那智・B・インゲルハイム。緋穂を手に掛けることの罪悪感を紛らわせるためにそのようなことを口にしたのかと思えば、実は違う。彼は緋穂を殺害することには何の抵抗もない。むしろ出会い頭に殺してしまえば済む話だが、そうすれば夫や里人から報復が来る。そうすれば戦闘能力は低い自分は不利だから、などとしっかり分析している方である。 「人の命は儚いものなのに、どうして奪い奪われることでさらに縮めてしまうのだろう」 反対に、今にも泣きそうなほど痛そうな表情で呟いたのはニコ・ライニオだ。現実の緋穂を助けるためには必要なこととはわかっているが、人の死を見ることに胸が痛んで仕方がない。それは長命種である彼が故の感情によるところも大きいのかもしれない。いや、人間でも同じように感じる者は多いと思うが、ここに集った者はそうでなかったり割り切れている者が多いだけだ。 その筆頭がヌマブチであった。じっと里を見つめるその瞳からは感情が見て取れない。 「抵抗を覚える親しき者が無理にその手を染める必要は無いでしょう。この場に於いて躊躇は邪魔なだけでありますから」 「!」 紡がれた言葉は感情をすべて消し去っている。そして彼は思いをすべては語らない。 不要であるとは言わない。それでも傷つく者が無理にその心を殺し、手を染める必要などあるものか。 (殺せる者が殺せばいいのであります) 親しき者の役割は殺しに非ず。目覚めた彼女の傍らで“今”の日常を彼女に与えてやる事だ――そこまで言えばいいものの、不器用なのか心中で思うだけのヌマブチ。遠まわしに言葉を向けられたニコの表情は若干ひきつっていたが、彼が詰め寄るようなことはなかった。 ただ、ニコは一つだけ強固に反対した。それは。 「村人を皆殺しにするのは反対だよ」 確かに今回は実際に起ったことのように村人たちを皆殺しにする必要はない。これは記憶の中の出来事。実際に起ってしまった過去であり、けれどもここに降り立った彼らにとっては現実で。これで実際にその世界の歴史が変わるわけではない。だったら出さなくてもいい被害は出したくない、それがニコの考えだった。 「僕が竜の姿になって村人を驚かせて惹きつけるから、その間に緋穂ちゃんちに行ってもらえれば……」 「……」 「私はそれでも構わないよ。闇に紛れて、でも構わないけどね」 ヌマブチは押し黙っていたが、那智は村人という障害がなくなるならばどっちでもいい、そんな感じだ。 「私は私なりの方法で緋穂にアプローチするわ。ただし他の村人には手を出さない、それでいい?」 それまで黙っていた東野 楽園の視線は、愛しているはずのヌマブチの上を滑り、ニコへと移る。それは愛憎入り交じる複雑な感情からのもので、愛しているけれど憎い、そんな思いが楽園に彼を敬遠させている。 ヌマブチ側は楽園の事は徹底無視を決め、完全にその場にいないものと思っているのか、視線も向けねば彼女の言葉に耳すら傾けていないようだった。 「……ああ、十分だよ。ヌマブチ君は……」 問われたヌマブチは、心中で理論武装する。 死者は蘇らない。そして生者は死者に縛られてはならない。生者には死者には無い未来がある、故にその未来を蔑ろにしてはならない。生きる者のみが前へと進む事が出来るのだから。 悲劇からの逃避は最善手では無い、だが彼女は既にその道を己の手で選び今の道を歩んでいる。であればその過去を必要以上に改変する事も、また今の彼女を否定する事もすべきでは無い。 ヌマブチは緋穂が記憶を差し出したことを逃避と位置づける。 彼女の為と為される行為は本当に相手の為のものか? 他人が彼女の道を変える事は本当に彼女の為のものか? 全てを選ぶのは彼女自身であるべきだ。 彼女はまだ生きているのだから。 「某は、計画の障害となる者がいれば躊躇いはしないで有ります」 それは万が一ニコが引きつけられない者がいて、計画を阻む者がいたら、という譲歩。とは言ったが、場合によってはその場で臨機応変に指針を変える必要が有ることは、経験上彼はよくわかっていた。こうでも言わなければ彼は引き下がらないだろう、そう思ったのだ。本当ならば必要以上の改変は避けたい。故に一人であっても緋穂の『正しい記憶』に沿いたいところではあったが……。 「ありがとう」 けれどもニコは礼を言う。彼にとってはそれでも皆殺しよりはだいぶ良いのだ。 「話はまとまったようね。……ふふっ」 楽園はオウルフォームセクタンの毒姫を下見に放ち、純白の婚礼衣装をまとう。 「辛い現実から逃げていては何も始まらない。それでは私と一緒よ、緋穂」 呟きは緋穂を危ぶんでのもの。それは風に乗って里へと下っていった。 *-*-* 婚礼の祝宴は里を上げて大々的に行われ、広場に卓を作って酒や料理が持ちだされていた。篝火が焚かれ、日が落ちても彼らの盛り上がりようは収まることはなかった。 新郎新婦がやんややんやとからかわれながら退席させられた後も、主役は新郎新婦の両親へと移り、酒盛りは続く。『本当に良かったわねぇ』『イイお嫁さんを貰ったわね』『二人共、小さい頃から好きあっていたからねぇ』『子供もきっと可愛いだろうなぁ』など、過去のことから未来のコトまで楽しそうに皆が話をしている。 風に乗って、ニコの元にもその声が聞こえてくる。きゅっと彼は唇をかみしめ拳を握りしめて。 これは緋穂の失われてしまった記憶。幸せだった頃も、愛する人のこともすべて。 (だから僕は、忘れず記憶にとどめておこうと思う。どんな辛い記憶でも) 女の子のことなら記憶力に自信があるから……心の中で決意のように呟いて、笑って。 「ニコくん?」 行けるかい? 那智の言外に含まれた確認に頷いて、ニコは本来の姿、赤竜の姿へと転ずる。この姿がこの里の者にどういう反応を示させるか、それはある意味賭けであった。驚かせて引きつけられればいいのだが……。 バサリ……翼をはためかせて飛び立つニコ。 「私達も行こうか」 その姿を見送って、那智がヌマブチと楽園を振り向いた。 (本当は、現実で待っている方が賢明だったのかもしれないけれど) けれども彼女の代わりに覚えておきたかったのだ。 ニコは昏い空を飛ぶ。 そして篝火の焚かれた明るい空間へと自ら身体を滑りこませる。 ふっと影が横切って、その場にいた人々は顔を上げた。酔漢が多いゆえにその反応は鈍い者も多かったが、何度も何度も影を落とせば気づかぬ者は微睡み始めている少数だ。 「何か飛んでるぞ!」 「またぁ……酔っ払ってる、な……!?」 「あれは龍神様!?」 「いや、違う。龍神様はこう、身体が横に細長くあられるはずだ!」 「じゃああれは何なんだ!?」 里人の間に動揺が広がっていくのがわかる。空を、暗闇に照らしだされたニコの赤を指して口々に言い募る里人達。 その里人達が遠からず到達した結論。それは。 「災いを齎しに来たんだ!」 「花嫁を奪って祝言をぶち壊すつもりにちがいない!」 未知のものに対する恐怖。恐怖に襲われる人々は、一番身近な幸せを奪われることを恐れる。今回の場合は――そう、行われたばかりの婚礼。里の幸せの一番の象徴である、若い夫婦。中でも花嫁。 「女子供と年寄りは逃げろ! 家の中に入るんだ!」 「若いもんは槍と弓を持って来い!」 「誰か、藤雅と緋穂に知らせに行け!」 誰かが災いだと叫んだ瞬間、場は騒然となった。顔をひきつらせる女衆。泣き叫ぶ子供。怒号が飛び交う。 何とか気丈な男衆の指示でそれぞれ動き始めたが、慌てすぎて転ぶ者、木々にぶつかる者などが出てきている。 (ごめんね、怖がらせて。怪我をさせて……でも) 記憶の中で『もう一度殺される』よりは、ニコの中ではずっと良いとも言えて。 (全員引きつけられはしなかったけれど……) さすがに恐怖に繋がる驚嘆で全員をその場に留めておくことはできなかった。けれども半数、いや3分の1はニコを追おうとしている。家に引っ込んだ者も含めれば、半数以上は邪魔にはならないだろう。 ニコは悲しげな思いを抱きながら、自分に攻撃をしようとする男達を惹きつけるようにゆっくりとゆっくりと旋回しながら山の方へ飛んでいく。 「花嫁は渡さん!」 「祝言は守るんじゃ!」 確かにニコ達はある意味彼らから『花嫁』を奪いに来たのだ。 だが同時に『救い』に来た。そう言っても通じないだろうが、そうなのだ。 だから何を言われようともニコは自分が引きつけた里人は死なずに済む、それでいいのだと思うようにした。 *-*-* 逃げ惑う女子供と、藤雅と緋穂達に状況を教えに行こうとした者達、武器をとりに戻ろうとした者達の一部がざわりざわりとざわめいているのは、恐慌の為ではなかった。 誰が最初に気がついたのか、、進行方向からひらりひらりと舞うように、白い装束を乱しながら歩いて来る者がいたからだ。 「あれは……!?」 ざわりざわり、村人達は闇夜に浮かぶ白い装束を目に収めては怪訝な表情をする。今日この村で白い衣装を纏うのはただ一人のはず。白は花嫁のための色。他の者も白い着物は避けているというのに。 「恋する人と結ばれた花嫁が憎い」 楽園の、恨みを込めたその言葉は金糸雀が引き裂かれる心の叫びを上げているようで。人々の首筋を冷たい指先でするりと撫で上げたかのような恐怖を与える。 「ひっ……!」 幽霊だと思ったか、魔性だと思ったか。人々が喉の奥が引きつれたような悲鳴を上げる。あらかじめ撒いておいた毒が楽園の周囲の草花を枯らし、その異様さを強調させた。 「婚礼を上げたばかりの花嫁を生贄に差し出せば里は見逃す。そうしなければ皆殺しよ」 美しすぎる魔性。魔性ゆえに美しいのか、それは里人にはわからない。わかるのは、花嫁衣裳を纏った彼女が只者ではないこと。 「そんな……緋穂ちゃんを生贄にだなんて」 「だめよ! 緋穂は……。そうよ、緋穂の代わりに私が!」 母親だろうか、年若い女性が一歩進み出たが、楽園はそれを一瞥のもとに捨てる。 「花嫁を差し出しなさい。それ以外はいらないの」 楽園が演じるのは、緋穂の運命を模した魔性。憎いのは、幸せになろうとしている花嫁。 とはいえ里人が、諸手を上げて祝福した彼女を差し出すはずはなく。 「おのれ、花嫁は渡さん。俺が成敗してくれる!」 「やぁぁぁぁぁぁっ!」 斧を手にした男性と槍を手にした男性が楽園を挟むように突進してきた。迫る刃と切っ先。楽園はそれを悠々と後方に飛ぶことで避けた。しかし、二人の男の影になった場所から矢を番えているもう一人の男がいることには気がつけなかった。鏃はまっすぐに楽園を狙い、放たれる。 「!」 着地したばかりの楽園が目を見開く。その瞳には迫り来る鏃が映っていた。 カキンッ!! 「!?」 迫り来る鏃が楽園の視界から消えた。代わりに映しだされたのは見覚のある銃剣を持つ腕。 そして一切の視線も言葉も自分に向けない、見覚えのある軍服姿の人物。 「――!」 楽園の喉の奥で声が漏れた。けれどもそれは言葉にならない。 矢を叩き落としたヌマブチと、暗闇から飛び出した那智はトラベルギアの銃剣とヴァイオリンの弓でその場にいる里人達を始末していく。目の前に立ちはだかり抵抗する以上、障害にしかならない。やむを得ないのだ。 「一体何の騒ぎだ!?」 「!」 里人達が向かおうとしていた先の屋敷から、鋭い声が聞こえた。見れば夜着を纏った若い男が走ってきている。 「藤雅、まってー!」 「緋穂はおとなしく待ってろって!」 その後方、屋敷の入口で、慌てて着たのだろう夜着の乱れた少女が歩きづらそうにしながら男を追いかけてこようとしていた。 そう、それが壺中天の中の緋穂である。 「ふふ……見つけたわ」 ふわり、蝶のように花嫁装束を翻して楽園は緋穂を目指して軽い足取りで歩む。藤雅は楽園の姿に目を見張ったものの、すれ違う彼女を振り返ることさえ出来なかった。里人を始末し終えたヌマブチと那智が、それぞれの武器を藤雅の喉元につきつけたからである。 (このままにしてあげれば、それはそれで彼女は幸せなのだろう) 仲睦まじそうな二人を垣間見て、那智は思う。しかし依頼は緋穂を目覚めさせること。ならば実行するしかない。 「もう一度言うわ。花嫁を生贄に差し出せば、里は見逃す。そうしなければ皆殺しよ」 「花嫁って……私?」 チラ、と楽園は振り返ってみせる。緋穂はその視線の先を覗きこみ、息を呑んだ。 「っ……! お母さん! 皆!」 「何もできないまま愛する人に護られ死ぬのと愛する人を護り死ぬ、どちらが幸せ?」 「……あんな酷いことをしておいて……」 「あれはごく一部よ。里人の半分以上は無事」 「緋穂!」 動けないながらも声はあげられる。藤雅が背後で行われようとしている取引を止めようと、緋穂の名を呼んだ。 「……最愛の人と結ばれた貴女が妬ましい。貴女のように真っ直ぐ人を愛せればどんなによかったか」 悲しげに目を伏せた楽園。その長い睫毛から、露が落ちたような錯覚を緋穂は覚えたのだろう、恐怖よりも好奇心が勝ったようだった。 「あなたは、できなかったの?」 思ったことがすぐに言葉になって現れでたようだ。彼女に悪気はない。ただ楽園の口ぶりから、後悔のようなものを感じたからだ。 「私は……」 楽園が語るのはヌマブチへの気持ち。ひねくれている? 否、純粋な思いがゆえに選び、進んだ先の道だ。元はそう、純粋で真っ直ぐな思い。 「自害すれば伴侶は見逃すわ。独り野山をさすらうのは飽き飽き……貴女が道連れなら孤独も癒される」 「寂しいんだね……本当に私が行けば癒されるの?」 緋穂の真っ直ぐな瞳が楽園を捉える。楽園は壊れたようにふっと微笑み、頷く。その笑みは複雑な気持ちを孕んでいるようだった。 決して視線を合わせず、互いをいないものとして扱う二人。楽園の語った言葉はヌマブチの耳に届いているだろう。決して顔色を変えず、その言葉も耳に届いていないように振る舞う彼は、どんな思いを抱いたのだろうか。 「一緒に逝きましょう、どこまでも」 楽園はそっと手を差し出す。その掌の上には、彼岸花の根を煎じた毒の入った小瓶が乗っていた。 「緋穂! だめだ、そんな魔性のもののいうことを聞いては!」 「だって藤雅、皆を助けてくれるっと言うから……」 「魔性が約束を守るはずがないだろう!」 藤雅が必死に叫ぶ。魔性のものが人をどわかす時に交わす約束は守られない、それはいろいろな民話で語られている。この世界でもそう思われているのだろう。 「でも、藤雅……!」 「だってもでももない! お前は俺の嫁さんだ。勝手にひとりだけ死ぬなんて、俺が許さない! そんな風にして守られても、俺は嬉しくない!」 叫ぶと喉元に当てられたヴァイオリンの弓と銃剣が顎に触れて里人の血がぬるりと肌につく。それでも藤雅は叫んだ。 「よく見ろ。こいつらは緋穂の母さんの他にも何人も殺している。約束を護るはずがないだろう!」 藤雅の目前には、先ほどやむなく殺害に至った里人たちの骸が転がっている。ニコのお陰で被害は数人で済んではいるが、藤雅はそれを確かめるすべはない。 「でも、私が死ななかったら、確実に藤雅も殺されちゃうんだよ!? 私は藤雅に生きて欲しい!」 「どうしてわからないんだ! お前がいない世界で生きるなんて意味が無いんだよ!!」 心からの願いを絞りだす緋穂以上に大きな声で、藤雅が叫んだ。その悲痛な表情は緋穂からは見えない。 「お前を守れなかったという後悔を抱いて、空虚な思いでこれからを過ごせというのか!」 「それでも、それでも藤雅に生きていて欲しいって思うのは、私のわがまま?」 「わがままだ!」 死ぬ決意をしたように感じる緋穂よりも藤雅のほうが悲痛な叫びを上げている。ともすれば泣き出しそうだ。 「でも、ごめんね」 緋穂は藤雅が動けないのをいいことに、わがままを押し通そうとしている。 「……ひと思いにやってくれる? 少しくらい痛いのは、我慢するから」 「緋穂!」 緋穂は楽園の掌の上の小瓶を取ることを意思表示とし、そして彼女の金色の瞳を見つめる。その言葉に藤雅が怒りのような叫びで名を呼んだが、緋穂は落ち着いていた。 「自分のせいで愛する人が死ぬなんて許せない。彼女は愛する人を護り抜いた誇りを持って死ぬの」 それは楽園の、藤雅へ向けてのメッセージ。緋穂の心を代弁したもの。楽園は鋏を手に取り、緋穂の心の臓に狙いを定める。 ――その時、ヌマブチは考えていた。 アーカイヴに捧げられたといえども今後もその記憶が戻らぬ確証は無い。 今回の一件がその証。 ではもし緋穂が記憶を取り戻した暁、その記憶の中の殺人者は誰になるのか? (全ては邪推であります) けれどもこのままでは、その記憶の中の殺人者は――? そう考えると、身体が動いた。もとより自分こそが殺人者であると緋穂に示そうと決めていたではないか。だから、ヌマブチは藤雅の首から銃剣を外し、駆ける。 その一拍後、拘束が緩んだと感じたか、それともどうあっても緋穂を止めたいと感じたか、藤雅は那智が牽制しているのを無視して振り返った。 「緋穂ぃぃぃぃぃぃ!!」 悲痛なる叫びが里へ響く。山へ響く。 鋏を振り上げた楽園。 銃剣を構えたまま緋穂に向かうヌマブチ。 目にした光景にとっさに体が動いた藤雅。 その藤雅を『邪魔者』と判断した那智。 まず、鋏を持つ楽園の手が、見覚えのある軍服を視界に収めたことで止まった。だが勢いついたその手は完全には止まらず、浅く、軍服の肩を突き刺した。 ヌマブチが楽園の視界に入ると同時に、銃剣を緋穂の心臓付近に突き刺した。肩に受けた鋏には反応を示さず、引き金を引く。 那智は、走りだした藤雅の背にやむを得ず弓を振るった。藤雅の着物と皮膚を引き裂き、溢れ出る血。血のついた弓で奏でるはレクイエム。 緋穂を襲った破裂音に合わせて、藤雅の身体はうつ伏せに倒れゆく。 ヌマブチが銃剣を引き抜くと、緋穂の身体がゆっくりと崩れ落ちた。 「緋穂ちゃん!」 丁度、人の姿に戻ったニコが、竜姿の彼を追った里人より先にたどり着いたのと、同時だった。 「……ほら、言っただろ、緋穂……魔性は……約束を、守らないん、だ……うぐっ……」 うつ伏せになった藤雅が何とか絞り出した言葉は、もう緋穂には届かない。彼は那智の演奏によって体内の血液を沸騰させられながらも苦しげにそれだけを呟いた。彼の瞳はもう、愛する彼女を捉えることはできていない。 夜風がさぁっと那智を撫でる。同時に弓を上げて最後の一音を演奏した那智は、もう動かなくなった藤雅を見下ろした。殺人には何の抵抗もないが、やむなく殺人に至るというスタンスは守れた。 (タイミングとしては最高だった……かな) 那智の望むべく、幸せをぶち壊された恋人たち。今はもう、どちらも愛を語ることはない。 「……――」 ヌマブチが身体をひねって肩から鋏を引きぬく。それほど深く刺さってはいなかったのですぐに引きぬくことができた。そのまま彼は楽園に背を向け、歩む。まるで何事もなかったかのように。彼女がその場に存在しないかのように。 「っ……」 楽園はそっと指を開いて鋏を放し、そして自らまとっていた婚礼衣装を緋穂に駆ける。緋穂の口元から漏れた血を拭き取り、小指で彼女の唇を彩る。途中で摘んできた桔梗の花をその胸元へ手向けた。 「緋穂ちゃん……」 ニコは彼女の最期の瞬間、目をそらさなかった。 自分で手を下すことはどうしても出来なかった。甘いとかヘタレだと言われても、どうしても。 だからこそ、どんな結末になっても目をそらさずにいると決めていた。だから、しっかりと彼女の最期の姿を脳裏に刻んで。その傍らに膝をつき……零れるのは涙。 「痛い思いをさせてごめん、幸せな夢を見せてあげられなくてごめん、それは全部僕らが預かるから……僕らのもとへ戻ってきて」 そっと手を取り、自分の手で彼女の小さな手を包む。 お願いだから、戻ってきて、と。 *-*-* 清潔なシーツと薬品の香りが鼻につく。白いカーテンが窓からの風に揺れている。 先に壺中天から戻ってきていた四人は、ベッドで眠る緋穂の傍らにいた。 彼らは『歪み』を直したのだから、緋穂は目覚めるはずだ。 成功したとして、記憶宮殿とやらに隠されていた記憶は思い出すのか否か。 アーカイヴ遺跡が原因なら他の司書にも同じ事象が起きる可能性が高い。 彼女の記憶を口外するつもりは勿論ないが、その結果については何かしら残しておくべきではないか――これは那智の考えだ。出発前に説明をしていた有翼の司書かアリッサに申し出るべきか迷う。だが申し出たら出たで面倒そうだと思わなくもない。 と。 ふるっ……。 視界の中の緋穂のまつ毛が揺れたような気がして、那智は視界の中心を緋穂へと切り替えた。 ふる、ふるる……。 傍らのニコに視線を移すと、彼も見ていたのか頷いて声を上げた。 「緋穂ちゃん!」 ニコはそっと緋穂の手をとった。それは先程記憶の中で握ったものと、大きさも感触も同じで、なんとも言えぬ気持ちにさせられる。 ヌマブチは近くの壁に寄りかかったまま、わずかに視線だけを寄越し、楽園は腰をかけていた椅子から優雅に立ち上ってベッドサイドへと歩み寄る。 「ん……んん……」 小さな呻き声を上げて、ふぁさりと蕾が開くように緋穂の瞳が開いていく。 「緋穂ちゃん! よかった!」 「……? あれ……?」 まだはっきりしない頭で視界の中を確認する緋穂。泣きそうなニコ、柔らかい表情の那智。いつも通り上品な楽園。この組み合わせはいったい? 「……どうしたの、みんな……変な組み合わせで……」 思ったことがそのまま口に出るのは昔も今も変わらないようだ。彼女が記憶の中でのことを覚えていなさそうなので、那智はごまかしを口にする。 「風邪で寝込んでたから、皆でお見舞いに来たよ」 「風邪……? 全然覚えてないや……なんだか、すっごく長い夢を見ていた気はするんだけど……」 ドキン、その言葉に少しばかり心を跳ねさせる者もいただろう。だが彼女は何も覚えていない。そして、彼らは彼女の記憶の中での出来事を口にしてはいけない。 目の前の本人に対しても、それは同じ。 「お見舞い……そっか、そんなにひどかったんだ……だから、ここに隔離されているんだね」 ゆっくりと身体を起こした緋穂は、ぐるりとあたりを見回し、そこが病室の一つであると悟ったようだった。同時に壁に寄りかかっているヌマブチの存在にも気がついたようだ。 「エーリヒに移ってないといいんだけど」 「大丈夫、あの少年なら図書館が面倒を見ているよ」 と、那智。これもとっさに口から出たごまかしではあるが、多分外れてはいない。 「なら、よかった。みんなもわざわざお見舞いに来てくれてありがとうね!」 にっこり笑う彼女の笑顔はいつもの明るい笑顔。それは記憶の中で彼女に会った時にはすでに見られなくなっていたもの。 「もう全然平気みたい。いっぱい眠ったからかな?」 無邪気に微笑む彼女をみてどう思ったか、それは四人それぞれ異なるに違いない。だが傍から見て泣きそうな表情をして微笑んでいるのはニコだけだった。 「なんだか、幸せな夢を見ていた気もするんだよね。休んでいた分、お仕事頑張らないとね、リベルさんに怒られちゃう!」 ああ、彼女の笑顔は倒れる前と変わらない。 彼女が捧げることを選んだ記憶は、彼女に戻ってはいない。 彼女は何故記憶を捧げることを選んだのだろう。それがただの逃避からなのか、別の深い理由があるのかはわからない。 幸せな夢を、見せ続けてあげられなくてごめんね。 帰ってきてくれて、ありがとう。 【了】
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