※ 火が付いていたのは……へえ、好くご存知で。仰る通り、お寺様です。今迄もそうだったんで御座いますか。仏像でも狙っているんでしょうかねえ。 さて、そのお寺様の周りには何人も見物人が居りましたが、火消しや鳶、軍人様のご到着は未だの様で御座いました。私はと云いますと、燃え盛るお寺様を只ぼうっと眺めておりました。その時、後ろから聴こえたんで御座います。 ぼうずがごにんやかれたら、こうべがみっつになったとさ。 ぼうずをさんにんやけばほら、こうべはひとつだけになり。 ぼうずひとりをやきましょか、たらぬこうべはおとなりの――、 しわがれた聲を押し殺した様な、それで居て愉しんでる様な……。私にはそんな風に聴こえたんで御座います。振り返ると、其処には例の婆様が。 伸び放題の白髪は地面に付いていてもお構い無し。所々が千切れたり破れた侭の汚れた着物を着ていて、何か小さなものを赤子の様に抱き抱えて居る様で御座いました。この寒いのに草鞋も履かず、生っ白い足を擦って、ゆっくりと通り過ぎて往くんです。唄を口ずさみ乍ら――。 ※ 焼けた寺で聴いた唄だ? それなら今でも耳元で延延と響いてやがらあ。あン? 婆じゃねえよ。こりゃあ間違い無く親仁の太え聲だ。それに出くわしたのも建物が骨みたくなっちまった後の事さ。……どんな内容か、だと? 角折宮潰羽散微在商在、呼不歌失呻消言続哭続、肝破腎溢脾断心動肺動……――。灰燼に吾喜べば怨まれんとも、其の者の哀しみをこそ吾楽しむもの也。其の者の怒りこそ、吾の喜ぶべき処也。吾の喜ぶべき処也。故、次なるは……。 ――ってなもンだ。最初は何云ってンのかさっぱりだったが、朱霧が晴れるみてえに段段はっきり聴こえてきやがる。唄っつうよりゃ御経――ってのも少し違うか? ま、兎に角だ。今判るのは此処までって訳よ。 なあ、あんた六角さんだろ? 迅いとこ如何にかしてくれねえか。こちとら毎日毎日四六時中こいつが聴こえて……此の侭じゃ頭が如何にかなっちまう。なあ、頼むよ。もううんざりしてンだ。助けてくれ。たすけて。なあ……。 ※「――てゆう聞き込み模様が、導きの書にぽんと出ました」 骨董品屋『白騙』の帳場に腰掛けもちゅもちゅと大福を頬張っているのは、世界司書のガラだ。曰く、蔵に篭る店主より留守を仰せつかったとの事だが、ならば、仕事の説明を此の場でする意味も無さそうなものである。しかし素識らぬ風に膨らんだ雀斑顔は、ずびっ等と実に品の無い音を立てて茶を啜ってから、話を続けた(尚、旅人達へ湯飲みは供されたものの茶は注がれて居ない)。「なんか、東国からお寺を無くそうとしてる議員さんが居るみたい」 東国――皇国は明治期の日本に酷似した文化形態であり、政治は内閣主導の元、議会に依って執り行われる。 さて、件の議員が先ず提唱しているのは《奨祀扣禅令》。字面のみならば単純に禅を控え祀る事を奨励するものとも取れる。だが、実態は『仏に纏わる一切を認めず、随神の道のみ尊ぶべし』といった趣旨の、歴然たる宗教弾圧だ。「未だ未だ反対する人が多くて、どうにもなってないんだけど……不思議な事にね、その議員の人がショウシコウゼンレー、とか云い出した途端。真都にあるお寺が、次々と焼き討ちに遭ったんですって」 それは必ず夜に起き、巻き込まれた幾人もの僧を鬼籍に追い遣っている。更に奇妙な事に――焼け跡から出て来た僧の焼死体は、悉くが首無しであると謂う。 そして、捨て置けば今後も何処かの寺が和尚共々焼かれてしまうのだ、と。餅が喉に痞えているのか、はたまた遺憾の故か、ガラは僅かに聲を震わせて云った。「ね、色々あんまりですよね。だから、こんな事は止めさせなくちゃ」 悲愴な面持ちで尚も咀嚼を止めぬ世界司書は、やがて嚥下すると向き直る。「と、云う訳で。次に狙われそうなお寺を出来るだけ早く探り当てて、犯人をやっつけて下さい。詳しい事は現地で『六角さん』に訊けば、きっと教えてくれますよう。あ、六角さんて云うのは――」 六角とは、国が抱える真都守護軍の中でも特に怪異に対抗すべく組織された第六小隊の通称である。嘗て世界図書館の旅人達と共に多くの事件を解決してきた経緯から、ロストナンバーの事は(他都市からの協力者と云う認識で)良く心得ている筈だ。加えて、此度の連続放火事件は六角の管轄であるらしい。「それと。実は今回のお話、この間の蜂さんの事調べてる最中、行き成り浮かんだんです。何が何だか、ですけど、ひょっとしたらあの欠片と繋がってるのかも。手掛かりがあるかも識れないから、一応探ってみて下さい」「あと……して欲しくない事がひとつ、あるの」 ガラは帽子のつばで目元を隠して、怪談でも語るかの如く聲を顰めた。「聞き込み模様の中で出てきたお婆さんの事、槐が聞いたら暫く黙り込んじゃって。それから君達に伝言する様にお願いされたんです。『絶対にその老婆に近付いてはいけません』って。いっつも優しそうなのに、なんだか凄く怖い目で」 それ以上何も語ろうとはせず、槐は蔵に引っ込んでしまったらしい。異世界旅行――況して朱昏の妖絡みともなれば危険など茶飯事であろうに。「ガラにはなんだか全然判んないです。でも――だからこそ気をつけて。お婆さんにだけは、近付かないで。ガラからも、お願いします」 皆を見送る世界司書もまた常とは異なり、その口元は引き締められていた。「いつも乍ら良い間を選んでくれる」 六角の尖塔が見下ろす兵舎に連続放火事件の捜査本部が設置されて、丸一日が過ぎた頃。若手の隊員が報せた「見慣れぬ風体の怪しげな一団」の来訪を、真都守護軍第六小隊長、天沢蓮二郎中尉は大いに歓迎した。 何故ならば、六角の兵舎を訪ねて来る怪しげな者等、例の旅人達に違いないから。そして、彼らが現れるのは、真都に何らかの――往々にして厄介な――事件が起きており、第六小隊単独の解決が困難な場合と決まっているからだった。「此方には来ぬものとばかり思っていたよ」 天沢は俄かに相好を崩すも、直ぐに軍人らしく堅苦しい面持ちへと転じた。「では、早速状況説明に入ろう。――先ず、これ迄に出火した仏閣は三軒。何れも全焼の上、生存者が皆無な事、痕跡が認められない事等から原因は不明。だが、当局はこれを『ある理由』から、人為的ないし怪異に纏わる何者かの意思が介在した事件と断定し、前述の両面で目下捜査中だ」 「次に、これを見て欲しい」 天沢は卓上に広がる、細やかな布に描かれた真都の地図に手をかざす。「此処が第六小隊兵舎、つまり、今我々が居る場所と云う訳だ」 真っ先に示されたのは南西方向に描かれた逆五芒の紋。「最初の出火は丁度一週間前。此の寺になる」 直ぐに東部に在る『礼正寺』と記された点を人差し指でこつんと叩いた。「その後は四日前」 続いて左に指を這わせ、一旦留まるのは『義徳寺』。「そして一番最近の火事が一昨日。……此処だ」 更に上に滑った指は、やがて『信願寺』にて動きを止めた。「次は何時、何処で起こるのかも判らない。今夜起きる事もあり得る」 何か、有用な手掛かりは無いのだろうか。此の問いに、天沢は少し間を置いてから、やがて「役に立つかは判らない」とした上で、重々しく口を開いた。「現場で『怪しい老婆を目撃した』、それに『不気味な聲を聴いた』と云う証言が在る。何れも裏付けの取れていない未確認情報だが……」 語られた内容は一言一句ガラが視た光景そのもの。だが、問題はその続きだ。「……聞き込みを終えた直後の事だ。二人の証人の内、聲を聴いたと証言した男が、正気を失った。老婆を目撃した女に到っては、突然苦しみ出したかと思うと、その場で息絶えてしまった。我々の、目の前でな」 『ある理由』とはこの事だと、天沢は眉間に刻まれた皺を更に深めた。得体の識れぬ理不尽な狂乱、そして死。槐の伝言が思い出される。 この事件の背後には、一体何が潜んでいると云うのか――。「説明は以上だ。聴いての通り表向き起きた事が判明したに過ぎない状況だが、それでも尚協力してくれると云うのなら、これを渡して置く」 何処から取り出したものか、天沢は同じ図柄が描かれた札を六枚、卓上に並べた。朱味を帯びた墨で難読な文字の羅列が記されたそれは、ある程度迄の呪力や祟りを、一度だけ退ける事が出来ると云う。 気休めだが無いよりはましだろう――何処か自嘲気味に付け加えられた台詞は、この護符が天沢自身の手による物である事を窺わせた。「君達には自由に動いて貰って構わない。但し、進展があったら直ちに報告してくれ。此方も何か判り次第伝えると約束しよう。では――健闘を祈る」
「……あ、あの」 華月がおずおずとかぼそい聲――それですら、彼女が苦手とする団体行動と異性を具えた此の場においては赤面を伴い乍ら、大いに己を奮い立たせなくてはならなかったのだが――で、天沢に訊ねた。 「ある議員さんが……お寺を無くそうとしている、って」 「議員と云うと――穐原光臣(アキハラ・ミツオミ)卿の事か」 定時報告を終えたばかりの天沢は疲れた眼を顰め、深い溜息を吐く。 次の話に、その理由は集約されていた。 「……正直な処、此方でも真っ先に疑いはした。《奨祀扣禅令》を打ち出した時期と重なり過ぎているからな。全く、何故突然あの様な――否、兎も角。事件当夜は何れも自宅に居た事と云う複数の証言を得ている。そして吾々は事実上、それ以上追求する権限を持たない」 「え……? 如何して……」 「怪奇事件の少ない此処二十余年、吾が第六小隊は昼行灯もいい処だ。上層部にとっても、国にとってもな。それに引き換え、相手は軍閥に通じる大物政治家。下手に深入りして動きが封じられる程度ならば未だ良いが、」 最悪の場合、六角そのものを潰されかねぬ。 「そんな……!」 「で、ありましょうな。心中お察しする」 状況を見守っていたヌマブチが絶句した華月に代わり、口を開いた。年嵩の軍人は、彼から視れば未だ若き異邦の軍人に対し、心底の苦笑いで応える。 「面目無い。……その身形、君も何処かの?」 「しがない一兵卒でありますよ」 「だが苦労して来た様だ」 「貴殿程では」 雲の上の都合で真っ当な軍務すら侭ならぬのは何処も同じの様だ。ならば、とヌマブチは帽子のつばを下げる。矢張り此方で直に探るしかあるまい。 (併し……それだけか? 未だ何か……アキハラ――何処かで聞いた名だ) 肩を落とす華月の横で、ヌマブチは眉間に深い皺を刻み込んだ。 冬なれば気は乾き火に易けれど、朱霧絶えぬ真都にて火難に怯える事は稀。 況して三度の難有らば、天曇らずとも人心に浅からぬ影落さん。 故なるか――眼下に身を寄せ合う都の営み、寒村の如し。 六連の尖塔、其の一棟の頂に、赤褐色の影が在る。験者の装を己が両翼で覆い被せ、風を読む雄々しき佇まいは、何方より流離い来る名も無き鳥の様。 事実、玖郎の識は鳥、特に狗鷲のそれに近い。 だから、と云うのでも懼らく無いが、天狗には此度の事変――その経緯を耳にした折、大方の推測が成り立つ傍ら、如何にも解せぬ点が浮かんだ。 寺にゆけばおのずとしれようか。 遥か北の大河から固い風が吹く。故に玖郎は屋根を蹴り、両翼を広げた。 己が推理を確かめる為、己が疑問を訊ねる為、真都の南へと、羽ばたいた。 「玖郎はん」 兵舎の門を出た美丈夫が、頭上を過る鳥影におやと停立して見上げ。 額に手を翳して、彼方へ向かう偉丈夫の背を見送った。 彼が乗ったものと同じ風を背に受けて、黒髪と、着物の裾が煽られる。 「ほしたら、わぇはこっちでええんやね」 そして、鳥妖の意を察した刀妖は微笑して、ゆらゆらゆらりと歩き出す。 煙と霧と怪しい性にまかれた都へ消えて往く――。 (判らん) 真都守護軍第六小隊兵舎、仏閣連続放火殺人事件捜査本部。 扉が開きっ放しの部屋で、メルヒオールは独り地図を眺め、考えていた。 そろそろ昼も過ぎた頃だろうか。 仲間達は各々心当りがあるらしく、検証の為に皆出払っている。 天沢は指揮やら報告やらで忙しそうだが、後でまた来ると云っていた。 火災現場で目撃された老婆と、その焼け跡で聴かれた男の聲。 これ迄にも二つ発見された怪しげな欠片が係わるやもと、世界司書は云った。 (如何係わる?) 老婆が欠片を所持しているのか。さもなくば男の方か。 事件の元凶なのか、関係者が所持しているだけなのか。 (まー……他人の怨みや怒りを喜んでる辺り、ろくな相手じゃ無いんだろな) 例の聲の内容が思い出され、憂鬱な気分になる。 「やれやれだ」 メルヒオールは溜息混じりに後頭部を掻き毟り、如何にか気を取り直す。欠片の事は一旦保留。何か共通点は無いか。例えば場所。例えば、寺の名前。 ……名前? (ん? こいつは――) 「戻ったぞ。……邪魔だったか?」 思考は、いつの間にか入り口を塞がんばかりの大男――十三に一時遮られた。 「いや。でも早かったな、皆は一緒じゃないのか?」 「ああ。ヌマブチは例の議員を調べに、侘助と玖郎は別々に寺を当っている」 「華月は?」 メルヒオールが眠たげな眼を瞬くと、十三は入室と共にひょいと脇へ避けた。 「あ……!」 「よう、お疲れさん」 「お疲れ様……です」 前が空いた事に不意を打たれたのか、華月は困った様な気恥ずかしげな顔で、辛うじて応えてからおずおずと十三の後に続く。 メルヒオールは彼女の態度に首を傾げ乍らも、二人の帰参を有り難く思った。 十三は少なくとも自分より此の手の事に詳しい筈だし、華月も何かしらの情報を掴んで来た事だろう。これで考えるのが楽になる筈だ。 メルヒオールは、先ずは華月に問うてみる事にした。 「何か判ったか?」 「……! …………」 「華月殿」 ばつが悪いのか瞬きし乍ら頭を掻くメルヒオールを気遣い、十三が促す。 「あの……議員さんの事を、調べてみたのだけれど――」 華月は議員の名をメルヒオールに告げ、ぽつりぽつりと話し始めた。 華月が調査に当り最も注目していたのは、穐原議員が《奨祀扣禅令》を以って寺、ひいては仏教そのものを排斥せしめんとする理由。 「深くて悲しい想い。それに、仏様とお坊さんへの恨み辛みが、其処に在る様な気がして……」 ヌマブチは直接議員を追うと云い遺して早々に別れた。 遺された華月が頼りにした情報源は、新聞や書籍等の文字媒体が主だったが、歩いているだけで人々の四方山話が耳に入る事も少なくなかった様だ。 果たして得られた情報は、或る意味で華月の見立てを覆す内容だった。 穐原光臣は、壱番世界式に云えば所謂上院に属する議員である。 穐原家と云えば、天帝に引けをとらぬ程の歴史と由緒ある名門の家系として著名であり、加えて光臣は熱心な仏教徒としても識られている。 そんな穐原だが、当人がそれを望み、然るべき活動を続けているにも係らず、未だ閣僚入りは果たせていない。政治家としての実績や経験、認知度や人気も申し分無いだけに、内外でこれを疑問視する聲も少なくない様だ。 一説では、随神を奉ずる者が大半の皇国議会に於いて仏弟子は旗色が悪い為だとも云われているが、少なくとも表立って信心の相違を下地に官職が定められた事例は過去に無く、また、穐原自身この説を強く否定している。 「皆、不思議そうにしていたわ。何故そんな人が御寺を潰すのか、って……」 「行き成り掌返したって訳か。確かに妙だな」 「…………動機が判れば、次に狙われる御寺も判ると思ったのだけど」 華月は、俯いてか細く結んだ。 (気に入らん) 望まれぬ火葬を経て骨と化した仏閣を前に、刀の化生は眉を顰めた。 (わぇもどっちか云うたら神さん寄りやけど、こんなんは好かん) 人々の信ずる物を一方的に力で弾圧し、排斥せしめる等。 手を下したのが妖であれ、議員であれ、直接的には同じ目的を以て動いている。 或いは、廃仏毀釈の如き法案さえも議員が操られて掲げているのやも識れぬ。 化生――侘助は見る影も無い『義徳寺』に背を向け、『信願寺』へ向かう。 (にしても……) 抹香臭い。 『礼正寺』から此処へ来る間に、着流しにもすっかり染み付いてしまった。 始めは寺と運命を共にした僧への手向けかとも思ったが、それだけでは無く、如何やら近隣に続けて不幸があったらしい。 (悪い事って何で続くんやろ) 今やこの界隈が広大な寺の境内かと錯覚する程である。嫌悪はせぬが。 併し、『信願寺』へ着いても尚薄ら白い街に――やがて違和感を覚えた。 よもや此の一帯でも葬儀が行われているのでは。 (何やの) 不安に似た感情は、侘助の足を近隣の居住区へと向ける。 幾つかの路地を横切り、そして、嗚咽と慟哭に湿る商家を遠くに望み。 「…………」 其の背に斬魔の誉を宿す化生は、踵を返し、西へ、未だ見ぬ寺へ向かった。 同じ頃、もうひとりの化生は古びた寺の境内へ、今当に降りんとしていた。 丁度老いた僧侶が独り、ゆっくりと箒で地を撫で、枯葉を集めている。 他に人気は無さそうだ。 玖郎は地表付近でふわりと一度舞い上がり、老人の背後に聳える大木へ留まる。 老僧は、その物音に身動ぎも振り向きもせず、滑舌好く問うた。 「外道が寺に用等無かろう。愚僧を哂いにでも来たか」 「用ならばある」 天狗もまた動じる事無く応える。 「然らば人に倣い、先ずは降りよ」 玖郎が云われる侭地に降り立つと、老僧もまた振り向いた。上背と肩幅の割に随分痩せぎすな体躯だと云う事が袈裟越しにも判る。禿げ上がった頭とは対照的な伸び放題の眉毛に隠れた眼は落ち窪み、こけた頬と無数の皺から察するに大層な老齢であろう。尤も、年を数えれば玖郎よりは余程若いのだろうが。 「して、何用か」 「この寺の由来をしりたい」 「何故か」 「まもるため」 「其の心は」 「おれの役目ゆえ」 「役目とな。物怪が寺を護る役目とは実に面妖也。だが真都に仏閣等無数に在ろう。態々此の襤褸寺を択らずとも――」 「『木』『土』『水』が喰われた今、次は『火』がねらわれよう」 「……ほう。鳥妖めが賢しくも悟りおったか」 老僧は長く垂れた顎鬚をひと撫ですると、ぎょろりとした双眸で化生を睨め付けた。だが、若鳥は尚も意に介さぬ。 「護国のためか」 「左様」 「ならば『中心』には何がある」 「愚僧の口からは云えぬ」 「なぜだ」 「訳も語れぬ。如何あっても識りたくば六角の洟垂れ共に訊くが善い。貴奴等の事、大方今頃泡を食っておるのだろう。序でだ、尻に火でも点けて遣れ」 「――」 老僧の性質の悪い冗談は、六角との浅からぬ縁を窺わせた。 天狗は一旦話を止め、考えを整理する。 護国の為に寺を配し乍ら、其の央に在る何かは音にも出来ぬ。 何故か。其が災いへと転じる為。或いは災禍其の物こそを封じたか。 聴けば六角も識るとの事。何れ護るならば今此処で解らずとも善かろうか。 「おれの郷里では、」 ならば、後は――玖郎はもうひとつの疑問を以て話題を変えた。 「僧は武装し強硬手段にうったえ、対す武士が寺を焼くなどしていた。ここの僧はしずかなものだ、蜂起もせず焼かれるままとは」 「誰が手を拱いて焼かれて等遣るものか!」 只の所感に過ぎぬ玖郎の朴訥とした言に老僧は聲を荒げ。 そして、項垂れた。 「……御主の郷里と変わらぬよ。懼らく皆、抗いはした。仮令太平の世に腑抜けておろうとも、相手が人ならば不覚は取るまい」 「人、ならば」 玖郎は反芻し、其の意味を吟味した。 如何にロストナンバーと云えど、ヌマブチは唯の人に相違無い。少なくとも彼自身は常々そう考えて居るし、怪しげな術――魔法の様な――を繰る事も(或る事情から少し前は幾らか嗜んだものの、現在は)出来ぬ。 外見だって何処から見ても真人間そのものである――今を除いては。 華月と別れてから、ヌマブチは先ず穐原光臣の足取りを追った。そして、然程労せず、けれど実りも無くそれは果たされ、同時に行き詰った。 日中、穐原は議事堂に詰めて公務をこなし、日が落ちて少しの頃帰宅するらしい。穐原本人に接触し、あわよくば拉致でもして自白させるのが手っ取り早いと考えていたのだが、議事堂の警備は存外に手堅い。潜入には骨が折れそうだし、しくじれば六角にも面倒を掛け兼ねない。 如何したものか。 (此処はあれを遣るしかあるまい) 思案する迄も無く方針転換の済んだヌマブチは議事堂を後にすると、其の足で既に掴んでいた穐原の自宅へと向かった。 途中、予め用意していた漆黒の軍服に着替え、手袋も白い物に改める。仕上げに黒い外套を羽織り、顰め面に無理矢理にやりと作り笑い――、 「……ッ!? ヒィィィ!」 ――通行人が怯えて逃げ去るのを確かめてから、引き続き穐原邸を目指す。 この扮装を議事堂前でやろうものなら忽ち成敗、否、調伏されてしまう処だが、度重なる凶事に苛む真都の街角に於いて、少なくとも人を払うには充分な効果が得られた様だ。 隻腕だった事も、異様さを醸し出すのに一役買っていたのかも識れぬ。 妖ならぬ霊か、或いは――魔人? (『魔人ヌマブチ』。響きは悪くないなあ) 序でに魔法のひとつも使えれば云う事は無いのだが。 兎に角そうした訳で、穐原邸に着く頃、一帯の人気はすっかり失せていた。 (さて、後は――通報される前に事を終えねば) 尤も、駆けつけるとすれば六角か。それはそれで好都合な気もする。 此の家で証拠が見付かればの話だが。 「『智念寺』の和尚さんの話やと、みぃんな亡くなったんは火事の後なんやて」 三度、第六小隊兵舎にて。 戻るなり見聞きした事を告げる侘助を、十三と華月、メルヒオールが囲む。 「事情聴取を受けた目撃者と同じに、か」 十三が苦々しげに云った。彼らは一様に老婆と会ったのだろうか。唄を聴いたのだろうか。それ故に理不尽な死に見舞われたのだとすれば。 「俺達も他人事じゃ無いな。……って、如何した華月?」 「……あっ、えっ……!」 寺名が出てきた辺りから地図に目を向けている華月に、メルヒオールが訊ねる。 「な、名前に何か共通点が無いかと思って…………」 如何やら先刻のメルヒオールと同様の思考を巡らせていたらしく、華月は焼け跡の位置に赤印を付けていた。そう云えば二人の帰参に伴い中断していた事を、メルヒオールはぼんやり思い出す。 「その事やけど」 侘助も。 「焼かれた御寺さん、全部『五常』の字ぃが一文字ずつ当てられてはるんよ」 「それそれ、五常だ。壱番世界の学問か何かの本で見かけたっけな。モーシだかジュキョーだか……何かそんな感じの有り難ーい奴」 「ごじょう……?」 「あー、確か――人間が常に行うべき五つの道、だっけか」 「『仁』『礼』『義』『信』『智』の事やね。『五徳』云う人もおるんやて」 「あ……!」 メルヒオールと侘助の説明に、華月も合点が行ったらしい。 「『礼』『義』『信』が失われているから……」 「そやし、次はわぇが往って来た『智念寺』か、」 「南の『仁福寺』であろう」 「玖郎はん」 一同が開放された侭の入り口を視る。 注目を余所に、天狗は中へ踏み込むなり、皆を挟んで丁度侘助の反対側に居場所を定め、人の言葉を繰り乍ら人と似付かぬ調子で語り始めた。 「件の男の聲は、すべて相剋に則した順だ」 焼け跡で聴かれた、参考人を狂わせた、あの聲の事である。 即ち、五音の角、宮、羽、微、商。 五声の呼、歌、呻、言、哭。 五臓の肝、腎、脾、心、肺。 そして、五情の喜、怨、哀、楽、怒。 「これが五行ならば東に『木』、西に『土』、北東に『水』あらば、南に『火』、北西に『金』をのぞむ」 十三が玖郎の聲をなぞり地図に正確な寸法、角度で線を引いた。 其処に出でたるは六角の隊章と同じ、 「逆五芒か……!」 十三は盲点とばかりに呻いた。 「ならば中央には」 そして自ら描いた桔梗紋、その中心に、矢張り逆向きの伍稜を目聡く見出す。 名も記されぬ、鳥居の印が五つ。併し、同時に此処で新たな疑問が生じた。 「……妙だな。五常との対応は如何なる?」 狙われた寺を五常とし、五行に則するならば『木の仁』『土の信』『水の智』『火の礼』『金の義』となる筈。だが、焼かれた順と玖郎の話を併せると『木の礼』『土の義』『水の信』『火の仁』『金の智』となってしまう。 「僧によれば」 これについては玖郎もまた疑問に思い、相違点を和尚に訊ねていた。 「寺の配置は、今の朱昏をあわらしたものでもあるらしい」 ――現在の朱昏は西に金、東に火、北に水、南に木の理が満ち、土気を孕みし存在がそれらを望む。五常の寺は縮図である。同時に、金気が土気に牙を剥く様を模した危うきを示す画図である。 「朱昏の縮図、か」 故に、外観に反して寺としての歴史は浅い。 その意図も、護国の仔細共々遂に語られる事は無かったが。 朱昏にも五行思想が在るとして、現在は其の循環が狂い、旨く機能していないと云う事なのか。 「まーその辺は追々判るだろ。兎に角、次は『仁福寺』って事だよな」 「……うむ」 メルヒオールに肩を叩かれ、十三も気持ちを切り替える。 「けど万一ゆう事もあるし、一応両方に人手を割いてもええのんとちゃう?」 「――む」 「如何したん?」 侘助の、さり気無い、されど至極尤もな物云いに、何故か玖郎が面を上げる。 先の弁舌からは懸離れた、此の天狗にしては些か過剰な――或いは、何処か畏れている様な――態度に、付喪神の美丈夫は小首を傾げた。 「…………どうもせぬ」 「……? 変な玖郎はん」 「ならば可能性の高い『仁福寺』は俺達が押えて、『智念寺』の警備は六角に任せては如何だ?」 さりとて然程気にする風でも無く、十三の提案に頷く。 「そやね。天沢はんも結界張れるみたいやし、華月はんと手分けすれば」 「莫迦な……!」 仮眠から目覚めたばかりの天沢は、天狗が導き出した推論に戦慄いた。 老僧の秘匿に通ずる物を覚えた玖郎は、予定通り彼に問う。 「五芒の中心には何がある」 「俺も気になっていた。多分此処に老婆が解放を願う、吾々にとって宜しくない怪異の片鱗が残されている筈だ。見過ごす訳にはいかん」 十三も同様の疑問を擁いていたらしく、玖郎に続く。五芒に行き着いた彼等からすれば、それは自ずと導き出されて然るべき流れ故。 「…………塚だよ」 「何?」 「塚が在る」 暫しの逡巡の後、壮年の軍人は忌々しげに聲を搾り出した。 「此の話は他言無用に願う。特に此の真都ではな」 天沢の口から語られたのは、次の様なものだった。 其処には、或る化生の首級が祀られている。仔細に触れる事は他言無用と前置いて尚憚られ、天沢等の事情を識る一部の者でさえ、名を聲に発する事も筆で書に著す事も固く禁じられているのだと云う。 「兎に角、名前ひとつにも呪力を秘めた、極めて危険な存在と認識して貰えればと思う。そして君達の云う通り、首塚の周囲には東から南周りに『木』『火』『土』『金』『水』の気を満たした神社を配し、結界を施してある。繰り返すが、神社だ。仏の関与等聴いた事が無いし、私が識る限りその様な記録も口伝も遺されては居ない」 「だが、無関係と考えるのは流石に無理がある」 首塚から各神社へ線を走らせた場合、その遥か延長上に五常の寺が位置するのは今更確認する迄も無い。そして、内三つは既に失われているのだ。 「あの老僧は護国のためと」 「和尚が? 寧ろこれでは結界を破る為に建てた様なものでは無いか」 「寺が神社にすすんで仇なすともおもえぬが」 「第一、それなら坊さんが首を狩られる理由が無いぜ」 「それは、確かにそうだが……」 十三と玖郎、メルヒオールの意見に、天沢は益々考え込んでしまった。 「そう云えば……」 華月もまた思案げに、口元に手を添える。 「如何して、首を持ち去ったりするのかしら……」 これには矢張りと云うべきか、玖郎が応えた。 「用途はひろかろう。僧のどくろをつなげた瓔珞はつよい呪具にもなるという」 「あー、成る程。その手のモンは何処の世界でも同じなんだな」 「すておけば、懼らくよいようにはならぬ」 「…………そう、なのね」 示された例にメルヒオールが頷く傍ら、華月は表情を曇らせる。 彼女の顔は、皆の気持ちを体現したかの様だ。 「首塚の周囲で首が奪われ――か。ほんに厭ぁな話ばっかりやね」 侘助が一連の出来事に辟易したとばかり深い溜息を吐いた。 全く碌でも無い。 ヌマブチは、実際は微塵も動じる事は無く、唯それだけを思った。 彼は今、腐った血肉と何かの草花の匂いが入り乱れた、凄惨な現場に居る。 穐原邸は窓に硝子を使っている外は日本の邸宅其の物と云っても良い造りで、門構えにも玄関口の引き戸にも、施錠は為されて居なかった。 「無用心だな」 一瞬罠かとも思ったが、その可能性は低い。 何故ならば一歩邸内に踏み込んだ途端、死臭が鼻をついたからだ。 ヌマブチは銃剣を携え、当初の予定通りに物陰から物陰へと用心して進んだ。 そして中庭を囲む廊下へ曲った処で、下女とみられる遺体を発見した。 随分苦しんだのか、凄まじい形相である。 他の部屋からも女子供の――何れも首無しの――遺体が三人分見付かった。 そして書斎らしき部屋に入ると、 「……」 今度は洋装を纏う男の首無し死体が、大の字に寝ていた。 他の遺体に比べ若干古いらしく、腐敗の進行が節々に見受けられる。 死後一週間は経過してそうなものだ。 部屋中に白くて小振りな花が無数にばら撒かれ、とうに萎れて枯れていた。 卓上には真都の地図の一部が記された図面。 「通例と云うべきか」 東部に壱、西部に弐、北東に参、南に四、北西に伍と書かれ、順に結ぶ事で逆五芒を描く事が出来る。十三と玖郎同様、ヌマブチも想定していた事だ。 併し、此の様な図面が在ると云う事は、此の男は、 「穐原光臣……そうか」 其の時、ヌマブチは気付いた。 天沢との遣り取りの最中に生じた違和感の正体に。 即ち――『穐原』と云う名を、先の報告書で目にしていた事実に。 ――ぼうずがごにんやかれたら、こうべがみっつになったとさ。 「――!」 悪寒。低温。生臭みと花の香りと。気配と聲とからり乾いた、骨の音。 総て一斉に背面から逼り、ヌマブチは総毛だった。 ――ぼうずをさんにんやけばほら、こうべはひとつだけになり。 「黙れ」 黒い外套を翻し、老婆の姿を視界に捉えるより先に銃剣を突き出す。 書斎の間取り。敵の位置。僅か一歩で処理が出来る距離――だが手応えは無く、 ――ぼうずひとりをやきましょか、たらぬこうべはおとなりの、 ヌマブチは己が目測の正しさと敵の存在としての不確かさを、紛れも無く貫いた襤褸衣と、髪と肌と擁いた髑髏の連珠と何本も吊り下げた人骨、全部が白い真白い婆の姿を認める事に因って、思い識った。 ――しゅうげんのく―― 「黙れえェェェ!」 刺した侭引き金を引けば耳慣れた銃聲が老婆を更に貫いた。また撃てばまた貫きまた穴を空け火花が散り老婆の姿と、壁がえぐれていく。手応えも返り血も無いその代わり、撃たれた箇所から向こうの景色がうっすら見え始める。 「!?」 ヌマブチが眼を凝らす間も無く、老婆はじわじわと薄まり、唐突に消えた。 ――うふふ、なつかしいにおい。 しわがれた聲に代わり、澄み渡り乍らも瑞々しく蠱惑的で、狂気を孕んだ哂い聲を後に――正確にはヌマブチの耳の中に直接、遺して。 「…………何だ、あれは」 どっと疲労感に襲われる。身体中汗ばんでい乍ら、寒い。 天沢より渡された呪符に獣爪痕が刻まれている事に気付いたのは、暫く経ってからだった。 日暮れ前、華月のトラベラーズノートにヌマブチからの連絡があった。 其処に記された俄かには信じ難い内容に最も取り乱したのは天沢だったが、直後、部下から「議事堂で穐原が生首となり、けたたましい哂いと共に何方へ飛び去った」との報告を受けると、寧ろ落ち着きを取り戻したと云う。 天沢の指示と旅人達の提案により、六角は穐原邸の捜査と智念寺の警備、及び智念仁福両寺の僧の緊急避難を行い、更に都民の夜間外出を禁ずる様、再度上層部に提言した。 そして、夜。 ヌマブチが合流を果たし六名となったロストナンバー達は、仁福寺にて思い思いの場所に陣取り、或いは潜み、意識を研ぎ澄ませて、然るべき時を待つ。 「これは……?」 「護法童子を封じた護法符だ。一度だけどんな攻撃からも身を守ってくれる」 十三は仲間達に、手製の札を配って廻っていた。 「華月殿と侘助も貰ってくれるか」 二人を特に気遣ったのは、片や自ら結界を繰り、片や魔を断つ者として生まれた存在で、その誇りを傷つけると考えた為なのかも識れない。 「貰ときます。おおきに」 「あ……有難う、御座います」 「気にするな。ヌマブチの話を聴く限り、幾ら合っても足りんぐらいだ」 これ迄の手口を鑑みるに、敵は僧を殺した後で火を放っている可能性が高い。 軍人は戻るなりそう云った。 老婆と(穐原の生首と思しき)未だ見ぬ妖、何れが何れを行うかは不明だが、それ故、先に老婆が現れても何ら不思議は無いと云える。そして老婆の事は、骨董品屋と世界司書から関わるべきではないと念を押されもした。 (ヌマブチが遭っちまったんなら、もう手遅れじゃねえのかな) 矢張り十三の護符を懐に仕舞い乍ら、メルヒオールはそんな事を思う。 とは云え、常からものぐさな彼も、此度はそれなりにマジックスクロールを用意している。仲間は戦に秀でた顔ぶれなので、護りを中心に備えてみた。 (これで何とかなりゃいいが……) 仁福寺には華月が侵入を感知出来る結界を展開し、玖郎が上空から、侘助が地上でそれぞれ眼を光らせ、更には十三の護法童子が寺の周囲一里程を巡回し、ヌマブチは境内を哨戒している。 先手は取らせぬ。誰もが意気込み、其処には微塵の油断も無かった。 また、十三自身は、何故かヌマブチを常に視界に置くようにしていた。 何か気に掛かる事でもあるのだろうか。 ――角折宮潰羽散微在商在、 「む!」 ――呼不歌失呻消言続哭続、肝破腎溢脾断心動肺動。 「きたか」 ――灰燼に吾喜べば怨まれんとも、其の者の哀しみをこそ吾楽しむもの也。 「で、でも……」 ――其の者の怒りこそ、吾の喜ぶべき処也。 「……? やけに近くから」 『吾の喜ぶべき処也ィッッ!』 「なッ!?」 突如ヌマブチの影が炎上する。 「矢張り! 穐原邸で憑かれたな!」 十三が真っ先に駆け寄る中、続けて炎から男の面が飛び出した。 華月もすぐに近寄り、漆黒の槍を構える。 『…………。おやァァなァんで糞坊主どもが居やがらねェんだアァァァ。婆アァに叱られちまァうあアァァァァァ』 耳まで裂けた下品な口から、鼻から、眼から火を立ち上らせて。 自らも燃え上がるそれは、首を傾げる様に宙で揺れる。 ヌマブチは何処か予感していたのか、冷たい紅眼で男を睨み付けた。 「――穐原光臣か」 『はアアァいそうでエすよオォォォォ首だけですけェどねエィェア』 邪悪な生首はゆらりがくりと不規則に、届かぬ高さを飛び回る。 「あの老婆は何者だ」 『あれエェは何だっけ何だっけ忘れたアァァァアアヒャハハァ』 「まともな受け答えすら出来んか。ならば」 ヌマブチが空を仰いだ瞬間、閃光が寺に落ちた。 そして轟き。穐原に天罰の如き雷神の稲妻が穿たれる。 『あがアァアアアァァ何しやがるウ』 宙をのた打ち回る生首は、その揺らぎだけで周囲に火気を落す。 「袁仁招来急急如律令! 鐘を鳴らし水を求めよ! 雹王招来急急如律令! 延焼を防ぎ敵を切り裂け!」 十三が直ちに護法童子を招き、火を消し止めて不可視の刃を放つ。 『畜生オオォォォォオゥ喰ゥらえエェェェ』 避けきれず耳を削がれ乍ら、穐原は穴と云う穴から全方位へ炎を噴射した。 これには華月が結界を張り応戦。放たれた炎は旅人達を焼く前に留まる。 対する首は醜悪な顔をつくり乍ら更なる高所へと飛んだ。 結界から逃れようとしているのか。 「させないわ!」 華月は平時からは及びもつかぬ毅然とした眼差しで云い放つと、伸ばした槍の穂先を地に穿ち、其の反動で蝶の如く宙へと舞い上がる。 『餓ァ鬼が来るんじゃアァねえエェェェェェェェ』 尚も高空へ到らんとする穐原へ、更に高みに在る天狗が、今一度雷撃を落す。 『うげェ』 「――、」 失速した首の真芯に狙いを定めた華月は、大きく手を引き、 「其処っ!」 『おほオゥッ――』 壱の突きで穐原の眉間を、貫いた。 急速に火気が失せたそれは、最早妖では無く。 唯の、憐れな亡骸だった。 華月が鮮やかに着地し、玖郎も地に降り立った、その直後。 ――ほ、ほ、ほ、ほ。役立たずなおとこ。 老婆では無い、若い女が、何処かで哂う。 「今度は何やの……?」 「……?」 真っ先にその聲を察知したのは戦闘中も周囲を警戒していた侘助。次いで玖郎。 前者は己に近しい意識を、後者は天敵の気配を感じ取り、身を硬くする。 「真打のお出ましって訳だ」 メルヒオールがスクロールを構える。 ――天帝を妬む心を信心でごまかすところは、ちょっとおもしろかったけど。 「ど、何処……?」 聲は境内の何処からも聴こえる。 判じ切れぬ華月は、仲間の周囲へ隔絶の結界を施す。 ――せっかく命とひきかえに、やり方をおしえてあげたのにねえ。 「気を付けろ!」 ヌマブチは、日に二度も肝を冷やす不運を呪った。 花の香りと、骨の音と。囀りの如き優しき調べ。穐原邸の時と同じ。 ――そうしたら、あたらしいお友達と、ひとつになれたのに。 「巫山戯るな!」 十三は境内に並々ならぬ妖気を視る。 仮令相手が姿を消しても、彼の妖精眼は誤魔化せぬ筈。 ――ええ、お友達。なのに、おまえたちが邪魔するんだもの。 「さらばなんとする」 次第に己を脅かす金気が濃くなる中、玖郎の本能が警鐘を鳴らす。 だが、水気を始め他の気も複雑に入り乱れている。相無き様に疑念が涌く。 (これはなんだ) ――もう止めにするわ。あきたから。 「そりゃ有り難い」 ついでに此の侭帰ってくれると尚有り難い。 メルヒオールは心底そう思う。既に生きた心地がしない。 ――でも。ねえ、わたしまだ、なあんにもしてないの。 「無理に何かせんでもええやろ。早ぅ帰り」 侘助が努めて穏やかに、帰参を奨める。 処が、矢張りと云うべきか、そうは問屋が卸さなかった。 ――あらつれない。すこしぐらい、 『あそんでちょうだいよ』 「っ……!」 華月の真正面、隔絶の結界ぎりぎりの場所に、聲の主が顕れた。 紐で連ねた髑髏と骨をだらりと垂れた淡雪の如き白い手で無造作に持ち。白地に複雑な紋様で縁取られた、緩やかな着物を羽織り。長過ぎて地べた迄垂れた髪は深淵の如き漆黒。何より特筆するべきは――、 「そんな……!」 華月が、そして十三、玖郎も、美貌を窺わせる睫毛の濃い大きな金眼より、その左眼から下部を覆う、斜めに割れた――鬼面に釘付けとなった。 『ふふっ、うふふふ。やっぱりね。おまえたちは、あの人とおんなじ――』 「玖郎殿ッ!」 「むっ」 『あら』 ヌマブチの聲に察した玖郎が牽制の雷撃を放つ。その震音が合図となり、 「炎王招来急急如律令、敵を燃やし尽くせ!」 焔を纏う護法童子が巨大な火球を生して女を薙ぎ払い、 『あらあら』 「――ったく」 其の隙にメルヒオールが仲間へ防護魔法を発動し、同時に華月とヌマブチが、 「其処っ!」 くびれた胴の両側面から貫く。 『げんきだこと』 尚も間を置かず、高まる金気に呼応するが如く。 「未だ未だ!」 侘助は着流しを棚引かせて空を舞う。 弧を描いた身は忽ちに其の本性たる斬魔の太刀へと変じた。 「十三はん使てっ!」 「応!」 刻まれし雲龍を認めた退魔師は迅く走り、諸手に柄を吸い寄せて、 「疾っ!」 女の首目掛け、一閃す。 『っ――』 雲海迸る雷鳴に、火宅を尚焼く焔に、蜂の尾針の如き双の剣に、そして喉笛を狙い定めて鋭利に舞う咬龍の牙に、諍う処か身を委ね、陰、妖、朱、金、水、そして数多綯う気がほつれ、また雑ざり。 手応えは無い。 「何だと……」 「……霞でも斬ったみたいやわ……」 妙に現実味に欠けた女の身体は、稲光を飲み込んだ。 業火に撃たれた刹那、其の全身は僅か薄まるに留まった。 交差した穂先と切っ先は何かを砕きはしたが、突き抜けた先はふわりと歪む。 終いに寸断された首が水面に溶けた顔料の如く散り、また混ざって繋がる。 強いて云うならば――、 「……骨?」 当に己が身を以て女に触れた侘助が。 『ええ、ほね。朱の霧でかざってみたの。きれいでしょう』 ――骸骨が透けて視得る様になった。 けれど、女は心地良さげに眼を細め、小首を傾げる。 『じゃあ――そろそろ、私から』 女が獣染みた手付きで乱暴に空を払うと、華月があっと聲をあげた。 「そん……な……結界が」 『かわいらしい』 引き裂かれた。 「いかん、退け!」 十三が打ちのめされた華月を小脇に抱え、ヌマブチ共々即座に後退する。 全員が一箇所に集い、身を寄せた。 其処へ女が一歩近付くと、ざわざわと湿度が増す。更に一歩踏み込めば、懐で何かが破れる。次に一歩進み寄ると硝子が割れる音がして、今度はメルヒオールが眉を潜めた。更に一歩、歩き出すと、十三の護符が塵と化した。 其の度に、其の度に、女の姿は薄らいで。 けれど其の度に、其の度に、旅人達は無防備となる。 女の右目は愉悦に弛み、旅人達は息苦しい。 其の時。 「えっ?」 『なあに』 華月があげた意外そうな聲に、女も、メルヒオールも、他の者も気を取られた。 併し直ぐにその理由が解る。華月の頬に、十三の頭に、侘助の刀身に、ヌマブチの肩に、メルヒオールのスクロールに。ぽたり、ぽつり、水滴が落ちる。 忽ち無数の粒となり、旅人達と――女を、ざああと打つ。 「霧ごしらえの身を雨天につくろえはすまい」 『まあ』 玖郎の仕業だった。 女の姿が雨に溶け、忽ちの内に霧散して往く。 『はははは、あァはははははははははははははっ』 それでも愉しげに揺れる。遊び相手を視付けた子供と同じ眼をして。 『す、て、き』 「っ」 玖郎にぞくりと悪寒が走った。 程無く姿が視得なくなると、後に顕れた人骨が、身に着けていた髑髏と共に、がらがらがらんと其の場に崩れ、小さく乾いた山となり。仕舞いにがらんとされこうべが、ひとつ、落ちた。 だが其処に、あの鬼面は無い。 『またあそびましょう。こんどは西の、しゅうげんにて』 「待て! 貴様何者だ!」 「ヌマブチはん、あきまへん! 今は……」 刀妖は十三の手を離れて人に戻り、ヌマブチの肩を引き止める。 己と何処か似て非なる、けれど強大な気配。これが気紛れに留まろう物なら、通じぬ攻手、破られる護手に心身とも疲弊した今の旅人達に勝機は視得ぬ故。 「答えろ!」 ヌマブチとてそれが判らぬ訳では無い。だが、この侭往かせて仕舞えば、今後も後手に回りかねない。何でも良い、女の手掛かりを持ち帰らなければ。 此度の事件で失われた命の数に報いる為に。 『ふ、ふ、ふ』 ※ 戦場。血と鉄。肉と火。屍と泥。戦士達は聲を張り上げる。自らを奮い立たせる為。苦痛と無念を叫ぶ為。身形は違えど見慣れた、見飽きた光景。違いがあるとすれば、誰も殺し合い等していない。一様に得物を構えて駆ける侍達。西国? 似たような出で立ちの数多の躯を踏み越え、何かに斬りかかる。そしてあの女中と同じ苦悶を浮かべ、何も出来ずに果てる。たったひとりの敵。否、一匹? 屍の山の頂に座す者は――しろい、けもの。 ※ 「――っ!?」 突然、火花の様に頭の中で弾けた光景。ヌマブチは固唾を飲む。 『あのひとにも、よろしく』 女の気配が、遠ざかる。 ――ぼうずにくしやころせばたのし、 「くそっ、帰りくらい大人しくしろっての――」 メルヒオールが歯噛みし乍ら急いで消音のスクロールを破る。 ――どくろいとしや…… 。 不吉な唄も、雨音も、安堵の息も、総て絶え。 魔法の効果が失われたのは、月が真南を過ぎた頃の事だった。 雨が上がると、穐原の頭は瞬く間に朽ちて骨と化し。 頭蓋の中から、例の欠片が見付かった。 穐原光臣一家惨殺事件は、連続放火殺人事件とは別件として処理された。 また、彼の死を以て《奨祀扣禅令》は白紙に戻り、同調していた一部の議員は憑物でも落ちた様に、或る意味では何かに憑かれた様に、神仏融和を唱え始めた。 焼失した寺は三軒とも再建される事が決まり、首塚の結界については、天沢の上申に由って、更に複雑で強固なものが早々に施される見込みらしい。 これに伴い、五常を冠す寺の意義が、和尚の口から明らかになった。 嘗て、然る高僧が首塚の監視と有事の対応の為、弟子達に命じて逆五芒の封印を取り囲む寺を配した。朱を用いた五芒の力は万能乍ら、より長じた者につけ込まれ易くもある。だが、僧が用いる法力は、一切を浄化せしめる。 然るに五常を五行に正しく当てずとも問題は無く、されど封印を囲む伍稜足り得た故、また件の女が坊主を厭う故、眼を付けられたのだろう、と。 穐原一家は、女が失せた場に遺された骨の山共々、仁福寺にて葬られた。 そして――某日。骨董品屋『白騙』にて。 「――遇って、しまったのですね」 差し出された欠片を前に、槐は押し殺した聲で云った。 「不可抗力であります。充分な説明を怠った貴殿に咎める資格はあるまい」 「ええ。無論、心得ています」 ヌマブチの言に尤もだとばかり頷く。安心と観念を綯交ぜにして。 「……本当に、御無事で何よりでした」 「あれはなんだ」 玖郎が――意図に由らずとも結果として――皆に代わり率直に問うた。 金気に他の五行をも纏うもの等訳が判らぬと。 「恐るべき化生だった」 十三の述べた素直な所感に、鬼面の男は眼を伏せる。 「嘗て朱昏の北方、神夷の地に生じた妖です。神――邪神と云い替えてもいい。ガラさんの予言を聴いた時は、偶然の一致かとも思いましたが」 「何? 偶然の一致て?」 侘助が首を傾げる。 「彼女は人前に顕れる時、よく唄うのですよ。老婆の姿に化けてね。只、同じ特徴を持つ別の怪異と云う可能性もあった――いいえ、そう願っていました」 「……」 華月が店主に気遣いげな視線を送る傍ら、メルヒオールが頭を掻く。 「西で会おうとか云ってたっけな。それと誰かさんに宜しくだとさ」 「……そうですか」 不意にがらりと引き戸が開いた。 「君達大変ですよう!」 そして沈む空気を一切読めぬ者が、ずかずかと座敷に上がり込んだ。 「ガラさん……。如何したんです、そんなに慌てて」 「遂にやりました! 欠片の在り処が導きの書に直接! 出ました!」 「それは……おめでとう御座います」 とてもそんな気分では無かろうに、併し槐は世界司書を寿ぐ。 「ありがとうございます! けどー、なんかややこしくって」 「ややこしい、とは?」 「や、なんかね。カンダータにあるっぽいんです。欠片」
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