凶報は、いつも突然、飛び込んでくるものだ。 ダイアナの行方を示す手がかりを得て、捜索隊を壱番世界へ送り出した。一方、レディ・カリスの助言で、リチャード夫妻の別邸へ向かうチームにもチケットを手配した。 ひと仕事を終えて、執務室でアリッサは紅茶でひと息――。そこへ、リベル・セヴァンが駆け込んできた。「インヤンガイからの報せです。ベンジャミン様が、『月の王』に拉致されたと」 淹れたての紅茶に口をつける暇もなかった。 ベンジャミン・エルトダウン。かつて『ファミリー』に名を連ねながら、インヤンガイに帰属した人物。血縁関係でいえば、ロバート卿の弟にあたる。そして『月の王』とは、図書館のツーリストであるが、インヤンガイで凶行をはたらいている人物だと聞き及んでいた。「……この『月の王』の手紙を読む限り、かれはダイアナおばあさまの配下だったということなの? ではこれもおばあさまの命令なのかしら」「その可能性は高いと思います」「とにかく、レディ・カリスに連絡を。それから、ロバート卿にも」「お知らせするのですか?」「しないわけにはいかないわ。……今なら壱番世界のオフィスにいらっしゃるはずよ」 慌しく、事は動いた。 ところが。「館長。ロバート卿にメールが届かないようです。壱番世界におられないのでは?」「そうなの? ヘンね。じゃあ、メガリスに連絡してみて」 いつもロバート卿に影のようにつき従っている、金属の肌のロストナンバーの名をアリッサは挙げた。かれは壱番世界ではロバート卿の会社の警備主任という体裁で、勤務しているはずだった。 指示してから、ようやく紅茶を思い出し、今一度カップとソーサーを持ち上げる。 その瞬間。「大変だ!」 扉を蹴破らんばかりの勢いで、シド・ビスタークが飛び込んできた。「なんです、シド。失礼ですよ」「それどころじゃないんだ。ロバート卿が――」「えっ」「ロバート卿に、ロストレイルがトレインジャックされた……!」 アリッサは再び、紅茶を飲む機会を失うのであった。 * * *「てめェ、なにやってんだァーーー! ファミリーだかなんだか知らねーが、こんなこと許されねぇぞ!」 血の気の多いロストナンバーが、声を荒げた。 勢いのまま、拳銃を抜いて、その銃口をロバートへと向けたが、彼は表情を変えなかった。「『その銃、買った』」 はらはらと、空中を紙幣が舞う。「な、なに……!?」 男はひきがねを引こうとしたが、引くことができない。 その隙に、ロバートが引き連れていたものたちが男を取り押さえた。「私は一等のコンパートメントにいる。ここは任せたよ、ミスター・バイヤー」「どうぞごゆっくり」 スーツ姿のツーリストが、ロバートに応えた。「みなさん」 ロバート・エルトダウンは、騒然とした車内へ向けて言う。「予定を変更してこの列車は壱番世界へ向かいます。ですが、大人しくしていただければ、みなさんの安全は保障しましょう。私はただ、緊急に壱番世界へある届け物をして……それにより、大切な人の命を救いたいだけなのです」 * * *「ええとヴォロス行きの獅子座号を乗っ取って、壱番世界へ向かってるのね? ミスターバイヤーほか、数名のロストナンバーを従えて……たぶんお金で雇ったかなにかしたのね。でも……いったい何故」「たいへん! たいへん!! たいへん!!!」 アリッサが急ぎ状況確認をしていたところへ、今度はエミリエが飛び込んでくる。「なんなの。これ以上、大変なことってある?」「レディ・カリスからだよ。ヘンリーさんがさらわれちゃったの! さらわれた、っていうか、持ち去られた?」「まさか!」 アリッサは絶句した。 仮死の状態で発見されたアリッサの父。その後、妖精郷に身柄を持ち去られ、先日、ようやくアリッサのもとへ戻った、かの眠る紳士が、姿を消したのだという。 アリッサのなかで、パズルのピースが音を立てて嵌まっていく。「……ダイアナおばあさまだわ。ベンジャミンおじさまを人質にして、ロバート卿を脅迫したのよ。パパを渡すように、って」「ではロバート卿は、ヘンリー氏の肉体をジャックしたロストレイルで移送しようとしているのですか!」「そう考えればつじつまが合う。……あれ。そうかな。でもなんかおかしいような……」「ねえねえ、追いかけなくていいの?」 考え込むアリッサを、エミリエが促す。「しかし拙いぞ。よりによってロバート卿が乗っているのは最速の獅子座号。今からあれに追いつくとすると……」「……『13号』がある」「!?」「館長。あの機体はまだ調整中で……」「でもあれなら追いつけるわ。ロバート卿を止めないと」 アリッサは強い光を瞳に宿し、司書たちを見た。「と、いうわけで、緊急の依頼です。このロストレイル13号『北極星号』で、目下、壱番世界へ向けて走行中の獅子座号に追い着き、ロバート卿並びに、ミスターバイヤー以下、卿の協力者の身柄を拘束して下さい。乗員乗客はもちろんのこと、犯人も生かして捕らえてほしいの。……なお、『北極星号』はスレッドライナーをベースに建造中だった新車両です。とりあえず走れますけど、武装はまだ準備できていなかったので交戦はできません。獅子座号は攻撃してくる可能性が高いので、避けて。気合で。……それでは健闘を祈ります」==!注意!==========以下のシナリオ・企画シナリオは同じ時系列の出来事を扱っています。同一のキャラクターによる当該シナリオへの複数参加(抽選エントリー含む)はご遠慮下さい。・【赤の王、目覚める時】黄金の獅子は哭く・【赤の王、目覚める時】太陽を喰らう月・【赤の王、目覚める時】薔薇の下に微睡むモノ・【赤の王、目覚める時】老婦人の心の匣・【赤の王、目覚める時】 ~四色の縁~また、「太陽を喰らう月」に関連して発生したパーソナルイベントにご参加の、以下の方も、上記シナリオには参加をご遠慮下さい。ムジカ・アンジェロ(cfbd6806)由良 久秀(cfvw5302)相沢 優(ctcn6216)エレナ(czrm2639)================
1 「確認しておく」 ジュリアン・H・コラルヴェントは、プラットフォームを足早に進みながら、アリッサに短く訊ねた。 「獅子座号の破損はどこまで許容される?」 「みんなの判断に任せるわ。やむをえない場合は大破させてでも止めて」 「わかった」 頷いた横顔に躊躇はない。 もうひとりの北極星号の乗車予定者――深山 馨は、うやうやしく、レディ・カリスの手の甲にくちづけを終えたところだった。 「お気をつけて」 「それはここへ残る私たちの台詞だわ。もっとも」 カリスの怜悧な瞳が、馨を見つめ返す。 「なぜ貴方が私に同行をもとめたか、貴方が何も言わなくとも貴方の推理したことはわかったつもり。でもそれは誤りです。私はロバートの計画に加担していないし、何も知りはしなかった。ただし……貴方のおかげで思いついたことはあります」 馨は何も応えず、ただ礼だけをして、北極星号へと乗り込む。 心配そうに見守るアリッサを残し、ロストレイルの試作新車両はターミナルを発った。 一方レディ・カリスは、駅前広場から待たせておいた馬車に乗り込むと御者に行き先を告げるのだった。 「『告解室』へやって頂戴」 ふあ……と、あくびをしながら、ルーズーイイラは身体を伸ばす。 それから、きょろきょろと辺りを見回したのは、車内の空気が違っていたからである。 「……」 しばし、沈黙。様子をうかがったが、誰も一言も発しないため、車内はしんとしていた。 ルーズーイイラはヴォロスに竜刻をとりにいく旅の途中だった。といっても在処は予言であきらかであり、なんの難しいこともない。行く先は風光明媚な土地で、のんびり観光してくればよいと司書に言われていた。 だから楽しみにしていたのだが。 「なあ」 通路を隔てた反対側のボックス席にはセクタンを連れたコンダクターの男がひとりいる。 ルーズーイイラは彼に、 「ヴォロスにはいつ着くんだい」 と訊ねた。 「あ?」 難しい顔でトラベラーズノートをめくっていた男――虚空は、顔をあげ、怪訝な目を向けた。 「さっきの聞いてなかったのか」 「え? なんかあったの? 寝てたもんで」 「よく寝ていられたな」 虚空は微笑った。 「簡単に言うとトレインジャックされたようだ」 「トレイン……」 虚空はぱたん、とノートを閉じると、おもむろに席を立った。 「おい、あんた!」 別の乗客が不安げに言った。虚空が、車両を出ていこうとしたからだ。 「大丈夫。安心してくれ。ちょっと様子を見てくるだけだ」 「私も行く」 ルーズーイイラも立ち上がった。 隣の車両には誰もいなかった。 通り抜けながら、虚空は手短に経緯をルーズーイイラに話す。 「そうなのかあ……。でもなんかヘンだな……」 ルーズーイイラは首を傾げる。 そして虚空は、さらに、次の車両の扉を開けた。 出迎えたのは、鬼龍の薙刀の先端だった。 灰色の隻眼がふたりをねめつける。その後方に、ミスターバイヤーと、錵守 輝夜。ふたりに護られるようにしているロバート・エルトダウン。 「まあ、待て。やりあうつもりはないんだ」 虚空は穏やかに言って、てのひらを見せた。 鬼龍は無言。突いてもこないが、退くでもない。 「あんた、本当にヘンリーを引き渡しに行くのかい?」 虚空は直接、後方のロバートに声をかける。 「……むろん、そのつもりですが」 「ほう。けどな。もし本当にそうしちまったらどうなるか、あんたにはわかってるはずだぜ。俺には理解し切れないそれが意味するところのすべてをな。俺でさえ、それがいかに不吉かは感じているっていうのにさ」 あはは、と笑ったものがいた。 輝夜である。 少女は座席の背もたれのうえに腰掛け、すらりと伸ばした足を遊ばせながら、口を開いた。 「たしかにそうだね。別の世界を犠牲にしても壱番世界を救いたい――そんな人が、いくら身内の為とはいえダイアナに利益になるような行為をするのかな」 「おい、おまえ」 ミスターバイヤーがたしなめるように言うのへ、 「なに? 私は金で買われた訳じゃない。私は面白そうな方へ行くんだ。面白そうだから一緒に遊ぶことにしたの。文句ある?」 と言い返す。 「ダイアナ卿は危険です」 ロバートが静かに言った。 「それはわかっています。でも。私はただ――大切な人の命を救いたいだけなのです」 「それなら」 踏み出しかけた虚空のまえに、鬼龍が仁王のごとく立つ。 「もうよかろう。邪魔をするつもりがないならば去れ。拒むというなら俺が相手になろう」 「あんた」 「鬼龍だ」 「鬼龍。あんたは何故」 「今の言葉を聞かなかったのか。俺はそれを信じたまで。ただ、俺は俺の信念で動く」 「もし騙されてたら?」 虚空のうしろから、ルーズーイイラが言った。 「俺の人を見る目が足りなかっただけだ」 巨漢の言葉は潔い。 「でもへんじゃない? だって壱番世界に行くんでしょ。ならなんで最初から壱番世界行きの列車にしなかったのさ。それに、そもそも、ロバート卿なら、自分の意志で列車を走らせることができたんじゃないかな。いざとなったら、ラビットホールってものだってあるわけだし」 「お喋りはやめていただけませんか」 ルーズーイイラへ向けたロバートの言葉には、わずかに苛立ちが感じられた。 彼が初めて見せた感情らしい感情だ。 そのときである。 警報が、車両内に響き渡った。 バイヤーが、窓に張り付く。 「追っ手だ! すごい勢いで追いかけてくるロストレイルがある!」 「追いつく車両あったんだ? これが最速じゃなかったの?」 と輝夜。 「まさかそんなはずは……。コンパートメントは」 「大丈夫。私が買収してあるからそう簡単には開けられない」 「隠行術を施そう」 にわかに、空気が緊張を孕んでゆく。 2 「用意はいいか」 窓からディラックの空をのぞきこみながら、ジュリアンは馨へ声をかける。 「いつでも」 ギアの拳銃に弾丸を装填し終えて、馨は応えた。 「われわれが移動した後、北極星号は下がらせる」 「異存はない」 「戻れないということだぞ」 「承知」 「ならばいい」 ジュリアンは虚無の空間を裂くひとすじの軌跡を見る。 「……ロバート卿をどう思う」 馨を振り返ることなく、ぽつりと訊ねた。 「弟のために皆を裏切った。その覚悟は美しい」 「……。そうとも言えるな。だが僕は、交渉には応じても裏切りには応じるつもりはない」 (いかなる思いや目的があるにせよ――) ジュリアンは言葉を呑み込む。 (悪いが、それでも僕は貴方の敵だ) ふいに、先を行く獅子座号の姿がかき消えた。 おそらく乗車しているツーリストのなんらかの能力だろう。想定内だ。ジュリアンは慌てず、ターミナルに連絡をとる。 幻術などで視界から列車を隠したところで、ターミナルの世界計でロストレイルの位置は確認できる。 北極星号は、正確に、獅子座号と同じ軌道をたどり、重なるようにその上空へ。そしてすみやかに高度を下げていったのだ。 北極星号の窓から、ジュリアンがひらりと宙へ身を躍らせる。そのまままっすぐに虚無の中を落下。だが、その足はしかと、獅子座号の屋根上へと着地した。 外套の裾を翻し、そのまま駆けだそうとして―― 「……っ」 動かない。 足が張り付いたように動かなかった。 「そう」 屋根のうえにもう一人。錵守 輝夜が腰掛けていた。 「私の影に影が接触した人はその場から動けないの。そのままの影じゃ届かないから、細い細い糸状にして、この列車中に張り巡らさせたの」 うっすらと笑う。 よく観察すれば、屋根のうえを縦横無尽に走る黒い筋のようなものが見えたかもしれない。それが輝夜の影だった。 反動をつけて飛び上がり、屋根の上に立つ。 暗い赤の瞳が、ジュリアンを見据えた。 「動けないのは、足だけのようだが?」 ジュリアンは外套に手を差し入れ、すばやくそこからなにかを放った。 身構える輝夜。だが彼女に向けられたものではなかったようだ。ジュリアンから横へ放られたそれは、彼の念動力により大きく弧を描き、車両の窓をめがけた。 同時に、ジュリアンを運んできた北極星号は高度をあげると同時に速度を落とし、みるみる獅子座号から遠ざかってゆく。 「一人だけなの……?」 輝夜が眉根を寄せる。 車両のほうから、ガラスの割れる音がした。 爆ぜる閃光――! ジュリアンが車両内に投げ込んだのは閃光弾だった。 全員が、視覚を奪われる――否、虚空だけは、瞬時に目を閉じ、同時に動いていた。 一瞬の隙を突いて鬼龍の薙刀の下をくぐり、その巨躯の傍らをすり抜ける。あとは座席にはさまれた通路を一直線だ。 前方にバイヤーが立ちはだかる。だが。 「っ!?」 ぷしゅ、と小さな射出音。 バイヤーの身体が崩れた。いつのまにか、ボックス席に深山馨がいた。 彼はバイヤーのアタッシュケースを奪うと、窓から外へ投げ捨てる。 「どこから」 ロバートが驚くのへ、これが種明かしだとばかりに馨が水に沈むように消えた。影だ。影の中を潜行するのが彼の能力。侵入者を阻むために列車を取り囲んでいた輝夜の影が、逆に彼をたやすく招き入れる道筋になってしまったのである。 すばやく、影の中を移動してロバートの背後に立ち、銃をつきつけた。バイヤーを撃った、おそらく麻酔弾の込められた銃を。 「くそ!」 遅れをとったことに歯噛みしながら、鬼龍が動いた。 「待ってよ、おじさん」 「何――」 ルーズーイイラだ。鬼龍の袖を引く。ルーズーイイラの片目と、鬼龍の片目とが交錯した、刹那! (……!!) 急速に、視界のすべてが遠のくような感覚だった。身体から体温が奪われてゆく。視界の端から、光が失われ、凍える闇が満ちていった。 「私の力は死の力……エネルギーの死、常識の死……見えるものは消え、見えないものが映りだす……君には何が見える?」 「死……だと……!?」 脳裏にまたたくいくつもの映像――肉が断たれる感覚。骨が砕ける音。なまぬるい血が肌を這う。ずぶり、と眼球に埋まる金属。怒号。悲鳴。肉が焦げる匂い。黒煙。押し寄せる怒涛の足音。土埃。そして。 鬼龍の大きな身体が崩れる。 ルーズーイイラがだるそうに息を吐く。 馨は、ロバートに言った。 「さあ、どうする」 「どう、とは?」 「結末だ。この取り散らかした芝居の結末をどこでつけるつもりだ」 「私の目的は最初から一つだ」 「待ってくれ」 虚空が言った。 「ベンジャミンのためにヘンリーを犠牲にする。それでベンジャミンが助かったとしてもだ。今度は壱番世界が危機に陥る。アリッサやカリスを見捨てることにもなる。あんたが――いや、『ロバート』はそんなことをできるやつじゃない」 「……」 「何を考えてるんだ。聞かせてくれ。……言わないなら俺が言おうか。ヘンリーを引き渡すと見せかけて、ダイアナを殺す。刺し違える。そんなことじゃないのか。違うか? 俺があんたでもそうする」 「……ほう」 ロバートは低く笑った。 「わかったようなことを」 「わかるさ。俺はあのとき、あんたの話を――」 「虚空くん」 馨が、静かに彼の名を呼ぶ。 「一度、舞台に出たが最後……役者は芝居を続けなければならない。観客がいる限りね」 「……。ならひとつだけ言わせてくれ。アヤたちが頑張ってる。優もいる。だからもう少し待ってくれ。それでも行くっていうなら俺もつれてけ、あんたの盾くらいにはなれるはずだ」 「もう……」 搾り出すように、ロバートは言ったのだ。 「もう後戻りなど、できはしない――」 「虚空くん!」 馨の声に、虚空ははじかれたように振り向く。彼の苦無が受け止めたのは鬼龍の薙刀だった。 「へえ……」 ルーズーイイラが眉を開いた。 「俺には死などない。神にも鬼にも人にもなりきれぬ。俺はそういうものだからな」 「そうかな? どんなものにも終わりはあるんだ……」 「よせ。ここは任せろ!」 虚空がルーズーイイラへ叫ぶ。 鬼龍は、片頬をゆるめた。 「俺の力を見せてやる」 豪快に振るわれる鬼龍の武器。 虚空の手からは複数の苦無が同時に放たれる。それに結びつけられていたワイヤーが鬼龍の武器にからみつくのを見届け、虚空は床を蹴った。 「鬼龍と言ったな。躊躇なく己を貫くことには敬意を表する!」 「小癪な」 鬼龍が渾身の力を込めれば、強化ワイヤーがたやすく千切られてしまう。 「だが、俺は! ロバートを止めてぇんだ。鬼龍! 俺とあんたはそんなに違っちゃいないぜ。一緒にロバートの本当の敵を討つ。あんたもそれに力を貸してくれ!」 薙刀の突きはかろうじて回避した。そのまま横薙ぎに殴られ、床に叩きつけられる。間髪いれず繰り出される突きを、床を転がりながらかわしつつ、虚空は訴えかけた。 「このままじゃあいつが危ない。だから――」 そして、ついに刃を掴みとる。 掴んだ指のあいだから血がしたたったが、虚空は鬼龍を見上げ、笑みを見せた。 「あんたの雇い主をむざむざ死地に送り込むこたぁねぇだろ、鬼龍サンよ」 「……」 鬼龍は――うっそりと、武器を引いた。 意を問うように、ロバートへ顔を向ける。 3 同じ頃―― 屋根のうえではジュリアンと輝夜の戦いが続いていた。 流星群のように、虚無の空間を裂くのは、閃光弾が砕いた車両の窓ガラスの破片だ。ジュリアンの念動によって鋭い破片は凶器と化し、輝夜を襲う。たとえ足を釘付けにされていても、ジュリアンの士気は衰えていなかった。 「く……っ」 影の罠で彼をここに足止めしたのは輝夜のほうだったが、むしろ反撃に圧されている。 市松人形――彼女のトラベルギアが襲いかかってくるガラスの破片を弾いていたがそれにも限界があった。破片の洗礼に血がしぶく。ジュリアンが細剣をふるえば、その太刀筋から発せられた風圧が輝夜の足をすくった。 「っ!」 バランスを崩して転倒する。 それで力が弱まったせいか、ジュリアンの足が離れた。その機を彼は見逃さない。再び影にとらわれないよう、念動で自身を浮かせ、一気に間合いを詰める。 「……」 細剣の切っ先を突きつけた。一本。 「引いてくれるか」 「イヤだって言ったら? 私を殺す? でもそうするとあなたはロバートさんを止める為に他人を殺す人ってことだよね。それってロバートの行為と何か違うの?」 「違わない」 ジュリアンは答えた。 「誰の何の思惑があるのか知らない。けど僕は獅子座号を止めると引き受けたので」 「……そう。なら殺したら?」 「車両に戻っているんだ」 ジュリアンの念動が、輝夜を浮かす。まるで優しく抱き上げるように。 「僕にはやることがある。この列車を止めなくては」 割れた窓から輝夜が送り込まれてきた。 手足の自由を奪われているようだ。 馨は、ジュリアンが目的を果たしたのだと知り、視線を上へと遣ったが、それも一瞬のこと、すぐ向き直って、ロバートへ囁いた。 「真意を聞かせてほしい」 「ダイアナは危険だ」 ロバートは言った。 「おまえの言うとおりだよ、虚空。私はダイアナを殺す。そうしなければ、あの方を守れない。あの方の壱番世界も守れない。だがダイアナは狡猾だ。そのためにはこうするしかなかった……!」 ロバートは電撃のようなすばやさで、馨の腕をねじりあげた。 声にならない呻きをあげたのを構わず、背負い投げをくらわす。 「ロバート!」 虚空が動いた。 そのときだ。 さあ……っ、と光が、窓から差し込む。 誰もが、はっと外を見た。 車窓に流れるのは青い空。壱番世界だ。獅子座号が壱番世界に到着したのである。 雲に突っ込み、そこを抜ける。 「……」 ルーズーイイラは、窓の下、はるかな眼下に緑の田園風景が広がっているのを見た。 「ここが目的の場所なのか。どこなんだ」 と鬼龍。 「イギリスだ。ダイアナとの取引の場所」 「やらせねえ」 組み付こうとする虚空をロバートはかわす。素人の動きではない。鍛えられた戦士の動作だ。 「ここまでだ……獅子座号はここで停車する」 腕をかばいながら、馨が身を起こす。まさにその瞬間。 耳をつんざく轟音に、列車が揺れた。 「何!?」 「あれ~? 先頭車両が」 窓から外を見ていたルーズーイイラが、呑気な声を出した。 「バカな!」 ロバートが放つ狼狽。 窓からジュリアンが飛び込んできた。 「機関部を切り離した。もう走行できないぞ」 壱番世界の重力に引かれるまま、万有引力に支配された先頭車両――獅子座号の機関部が落下してゆく。 「なん……だと」 「旅はここまでだ、ロバート卿。……ヘンリーは」 「コンパートメントだ」 虚空が言った。 追っ手に気づいたとき、ロバートがバイヤーに言ったのだ。皆はひとつ先の車両、一等客車へなだれこむ。 バイヤーが封じていたはずの扉は当人が意識を失い、資金のつまったアタッシュケースを捨てられたせいか、難なく開けることができた。 しかし――。 「どこにもいないぞ」 「そうか」 馨はロバートを振り返る。 「やはりこの列車には乗っていなかったんだな」 憮然とした表情のロバート。 「ターミナルに匿ってあるんだな」 念を押すように、馨は問う。だが、次にロバートの口から発せられた言葉を聞いて、馨のおもてにはじめて焦りが浮かんだ。 「……そのような、指示だった。しかしダイアナを騙すのは難しい。隙を突いて殺すにせよ、そのための餌は本物でなくてはならなかった」 「なにそれ」 「!!」 ロバートがよろめいた。 がくり、と一等客車の床に膝をつく。その背にナイフの柄が生えているのを人々は見た。そして、そこに立つ輝夜が、冷ややかな目で彼を見下ろしているのも。 「つまりあなたは本当に人質を渡すつもりだったのね。身内を救うためだけに。……つまんない。そんな奴大嫌い。たとえあなたが誰であってもね」 「何をする!」 鬼龍がロバートに駆け寄る。だがロバートは彼を制した。 その肌が、見る見るうちにつややかな金属へと変わっていく。ロバート・エルトダウンの秀麗なおもては、魁偉な男のそれへと、なめらかに変じた。 「メガリス」 虚空が呻くように、その名を呼んだ。 「ロバートはアヤたちが必ず助ける。だから一緒に」 「いい加減にしろ」 金属の肉体を持つ執事のツーリストは、おぼつかない足でゆっくりと立ち上がる。 「なにがわかる。なにができる」 「分かち合うことだ。俺はアヤを哀しませたくない。それと同じくらい、ロバートにこれ以上重たいものを背負ってほしくないし、あんたにだけいろいろなことを押し付けたりしたくない。俺にはわかるよ。俺もあんたと同じだ」 「おまえのあるじと俺のあるじは違う。俺はあの方に二百年お仕えしてきたのだ。俺は絶対に、あの方を守らなくてはならない」 「そのためにロバート卿の指示に背いてヘンリーを連れ出したのか。言え、彼はどこに……ま、まさか!」 馨は、視線を窓の外へ投げた。 「そうだ。俺はあの方の命令を聞かなかった。だからもう後戻りなど――できはしない!」 あっと思う間もなく……メガリスは窓ガラスを突き破り、外へとその身を躍らせていた。 「なんて……ことだ」 馨はいつにもまして渋い顔で、壱番世界の大地を見下ろす。 切り離され、落下していった先頭車両。 ヘンリーはそこにいた。 * * * ゆるかな傾斜を描く緑の丘に、ロストレイル獅子座号の先頭車両は突き立っていた。 ゆっくりと、そこへ近づいてくる影。 落下を耐え、しかし満身創痍のメガリスだった。 「約束の品だ! ダイアナ!」 声を張り上げる。 いらえはない。 しかし彼は立ち尽くした。立っているのもやっとなのにだ。 「ご苦労でした」 声に振り返ったときには、もう遅かった。 無数の『猫』の群れが、メガリスを襲う。彼の金属の肉体は、物理的な攻撃なら弾いただろう。だが実体のない『猫』はたやすくそれをすり抜けて、メガリスの魂を喰いちぎり、引き裂いていった。 どう、と倒れたメガリスには目もくれず、ダイアナ・ベイフルックは、それを見上げる。 「さあ、最後の仕上げと参りましょう」 獅子座号の車両は、哀しい墓標のように、壱番世界の美しい大地に立っている。
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