骨董品屋『白騙』に集まっていた旅人達は、ぞろぞろと解散した。 鬼面の主は、旅立つ者と引き上げる者――その中には菊絵とガラの姿もあった――を丁寧に送り出してから、未だ座敷に腰を下ろしたままの青年を視る。「終さ――」「槐」 ふたりの男は互いの名を喚ぶが、やや遅れた終の聲が槐のそれを遮ったのは、語気に力が籠った所為か。「――はい」「レタルチャペカムイは……俺を槐と間違えた。眼が視得ていないのか」「そうですね。彼女が仮の肉体を用いている事と関係があるのでは無いかと」「槐は」 そんな話をしたいのでは無い。終は面を上げて、鬼面の奥に潜む眼を見据えた。「槐は如何したい。如何在って欲しいと、願っている」 彼女の事を。「では、終さんは、如何されるおつもりですか」「俺、は……? その。朱昏の事は割と気にしているが」 質問に質問で返され面喰い乍らも、半妖は自身の想いを訥々と述べる。「正直、自分の態度が如何で在るべきかを……考え倦ねている」 変化は必然だ。それに抗うのも、変化が兆す場所に生きていてこそだと。「故、彼女が復讐を遂げて気が晴れるのなら、構わないのではないか、とすら。その結果、一つの世界が如何変わろうとも、」「仮令終わろうとも?」「――っ」 次に云うべき句を槐に先んじられ、終は息を呑む。「……卑怯でしたね。許して下さい」 彼は己の態度を詫びた後、座敷の奥へと進み、友人に背を向けた。 終は真意を伝えようと、尚語り掛けようとする。「槐、俺は只」「彼女に逢えたら伝えて下さい――貴方の想いを」「俺の……?」「それこそが僕の望みだ」「槐は往かないのか」 沈黙する背中が、「否」と云った。会話は一方的に打ち切られたのだ。「そうか」 終は『白騙』を出るなり、この店で買った品を懐から取り出した。 雪とも花ともつかぬ意匠の蓋を開けば、ターミナル標準時に合わせられた針は、朱昏往きの列車に未だぎりぎり駆け込めるであろう事を、示している。「……」 終は、懐中時計から面を上げて暫し屋号を眺め、徐に駅舎へと走り出した。 ※ ※ ※ 何が在るのか。そも、何か在るのか。彼女は居るのか。自分は、如何したい。 確かめる為に、雪深終は此処に居る。 私的な動機であるが故、同じ列車に乗り込んだであろう者達との接触は避けた。 少し遅れて村へ入り、その足で真っ直ぐ廃鉱へと向かった。 そして、今。 眼の前には、地獄へ通ずる淵と見紛うばかりの穴が、口を開けている。 奥が見えぬ理由は闇では無く、濃過ぎる朱が透けずに揺らぎ、重なる所為か。 岩窟の周辺には砕けた岩が散乱し、それらに混じって撃ち捨てられた掘削具や、最早使い物にならぬ幾つもの刀や槍、そして人骨が、嘗てを物語っていた。 ――うふふ。「!?」 終が振り向いた途端、冷たい手に顔面を押さえつけられた。 そのまま、岩窟の中へと押し遣られて。ずるずると、引き摺り込まれた。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>雪深 終(cdwh7983)=========
朧な認識に意識の針が刺さる。失神した訳では無いのだと気づく。 急速に奥へと流れ、かと想えばたゆたい乱れる朱――其の緩急の狭間で。 樹氷の如き異様で不確かな存在が、氷壁の如き絶対的な存在感を放つ。 『――また、おつかい?』 開口一番、纏わり付く様な聲で、女は妙な事を訊いて来た。 「おつかい、とは」 意味が解らず半妖が鸚鵡返しに訊ね返せば、 『この春マキリを返しに来てくれたでしょう。あの人に云われて』 女妖はまるで吾が事の様に語る。 「マキリ」 終は神夷の若者がメノコマキリと喚んだ小刀の事を思い出す。 終と白い少女が、神夷の地に届けて欲しいと槐から託された小刀。 だが、それは別に此の女に手渡した訳でも、此の女の為に届けた訳でも――、 ――何だ? 何か……。 女妖の言葉と己の思考が重なる違和感。 終が其の正体を見究める間も無く、女は『だから』と口ずさむ。 『今日も何か預かっているのではなくて?』 そして『あの人の匂いがする』と判る様な判らない様な事を云った。 ともあれ、何時ぞやと異なり槐と自分を混同しては居ないらしい。 「槐は何も……否。関係無い――訳では無いが。兎に角、今は俺の私用だ」 『……そう』 不器用で半端、だが正直でもある応えを、女妖は如何受け留めたのか。 終はなまじ敵意を擁かぬが故、強大な存在の気紛れに幾許かの不安を覚える。 振り向けば煙る朱の越しに外の物と思しき光が届いて居る。 此処は未だ――境界。 半妖の思考を読んだ様に女妖は哂う。 『いいのよ。外におともだちがいるのでしょう。今ならまだ――』 「彼等は関係無い」 終は甘言を遮る。 世界図書館の仕事で来た彼等を自分の都合に捲き込みたく無い。 争うのも勘弁だ。 「俺は貴女と話がしたい」 終は女と向き合い、やっとの事本懐を告げた。 風の音に混じって、くすくすと鈴の様な聲が滲んだ。 「何と喚べばいい」 『好きなように。あの人はレタルチャペと喚ぶけれど』 「判った」 経年に因る物か最早岩屋と云った風情の坑道を只管突き進む。 視界が悪い。濃度自体は東国の朱溜りと、そう大差無い様にも思うが。 終は己から冷気を発して散らす。 凍てついた朱が朱い氷雪を為し、背中から押し寄せる風に流れる。 往く手が透明度を益しては尚も漂う朱が侵し、屡風雪と鬩ぎ合った。 『朱い……ふぶき、』 「視得るのか」 『匂いよ』 振り向きもせぬ女妖の言葉に、終は「それだが」と食い付いた。 「何故俺を槐と」 『おまえからあの人の匂いがしたもの』 幽かに首を廻し此方へ向けた金眼が剣呑な輝きを発する。 『何か大切なものをもらって持ち歩いたりしているのかしら……』 痛烈な迄の重圧が前を往く女からじわりと発せられる。 「如何、だろう」 『ねたましいっ』 「……!」 嫉妬、憤怒、悲哀、絶望、恐怖、殺意、怨念。 女妖の側から様々な負の情念が薄い瘴気と為ってむっと押し寄せる。 朱雪の旋風が広がり吹き飛ばされて、終は後ずさった。 併しそれは直ぐに和らいで、又朱雪混じりの風が流れた。 巫女の如く畏まった滑らかな歩みで、女は何事も無かった様に先へ往く。 肺病の如き焦燥と苦しみが失せて、終は心からの息を吐いた。 ――気は抜けない。 只の一言さえ。 終はほとぼりを冷ましがてら暫し沈黙し、取り敢えず話題を変える事にした。 「奥には何が?」 訊ねた時、女妖は立ち留り此方に向き直って居た。 『此処がどういうところか識っているのでしょうに――』 これ迄とは打って変わって冷淡に、抑揚の無い言葉を紡ぐ。 朱い風が、彼女の周囲でぐるぐる廻る。 外へ外へと追い遣られ、広がり薄まり保たれて。其処は開けた場所だと解る。 入り口と同じ、朽ちた刀、槍、鎧が其処等中に顕れ、更に人骨が散乱して居る。 「……?」 それ等が明滅し、真新しい死体の群と化して、終は思わず眼を瞬いた。 なぜ。なぜ。 終の後ろ――廃鉱の入り口側から、女妖の聲がした。 振り向けば最前迄言葉を交わして居た女が、身体の彼方此方から血を流して。 幽鬼の如くよろよろと、終を追い越して往く。 わたしはソヤをまもれなかった。 わたしは穐原をころせなかった。 わたしは、チクペニを……チクペニは、わたしを。 ソヤを、みっ、かっ、ぎっ、っっ、たっ…………の。 「そうじゃ無い。槐は」 『識っているわ』 嘗ての女妖を追って身を翻した半妖は、己の否定を肯定する現在の女妖を視る。 其の前に傷ついた女妖が立ち、落ちた肩が小刻みに痙攣した。 痛ましい後ろ姿に、終は眉を顰める。 やがて五十年前の彼女は屈み込んで何かを拾い上げ。なぜ、なぜ、問い続けた。 「あれは、」 左顔面に相当する、漆黒の恐ろしい形相。槐の鬼面の片割れ。 女は鬼面を胸元に寄せ、其の表面にぽたぽたと、幾つかの朱い雫が落ちた。 わたしがわるいの? わるいのは約束を破った穐原じゃないの? どうして? 「約束……?」 血涙を流す女は、次第に流暢な言葉を遣い半鬼に語り掛ける。 尚も鬼面に血が落ちて、顎を伝って滴り落ちて、それでも鬼面に血が落ちて。 鬼面が、朱黒い光に包まれ、自らも発光した。 純白の頬を朱い筋で塗らした女は、蹲った侭――地面に滲みる様に消えた。 死体の山も亡くなり、後には元通りの兵具と骨ばかりが遺された。 「…………」 『ふふっ、どうしたの? いくわよ』 「あ、噫」 事も無げに哂う女妖に促され、既に歩き始めた彼女を終は慌てて追い駆けて。 広間の尻が窄み、又坑道に差し掛かった頃合で「俺は」と話を切り出した。 『なあに』 「俺自身が如何在るべきか考えて居る」 終はやや足を迅めて、女の直ぐ傍迄近付く。 「でも――其の、貴女の事情は未だ、余り判らない、が――気が晴れるなら。 貴女が何を如何遣っても構わない、様な気もする」 『……そう』 女妖は、努めて己の想いを語る若者に背を向けた侭、 『それで、あの人は何と云ったの?』 同じことを話したのでしょう――と可笑しそうに質す。御見通しだった。 「槐は――」 『――待って』 「……?」 ――誰か居るわ。 耳元で聲ならぬ聲が囁く。 誰か――自分より先に此処へ踏み込んだ者が居るのか。 終は開いた口を制した聞き手の向きと同じ前方を、少し離れて警戒した。 僅か一拍の後、幽かな衣擦れと共にひゅう、と朱を劈く鋭利な銀影が飛び出す。 迅い。それは一直線に女妖を貫かんと走る。 終は懐に手を突っ込み乍ら駆け、直ちに其れが見識った女戦士だと気付いた。 ――碧。 だが想定して居た事――終は女が貫かれるより少し前に櫻の花弁を戦士に放つ。 「済まん」 「おまえは、」 刃の如く研ぎ澄ませた碧の突撃は薄紅の吹雪に捲かれ、急激に減速した。 「ゆき、み……い――つ――――……」 彼女は倒れ伏し、終に視線を合わせ、瞑目した。 『あらあら。こんなことをして平気なの』 わざとらしく問う女妖に、終は「判らない」としか答えられなかった。 「でもこれで、貴女は殺さない、だろう。今は」 『なぜそう思うの』 「……判らない」 「――! あっはははははははははははは!」 要領を得ない回答に、女はからからと一頻り哂って。又歩き出した。 終は少々むっとしたが、取り敢えず碧を一瞥してから、大股で付き従った。 「貴女は」 『今度はなあに』 「穐原と国を滅ぼして其の先に何が視得て居るっ」 女の口調がすっかり子供扱いだった所為か、少しだけ聲を荒げた。 さらさらと、ずかずかと、対照的な二つの影が朱の坩堝に向って霞む。 「凡て捲き込み自らの死すら厭わないのか」 『――』 「復讐以外に望みは――…………!」 突然視界が開けて、其の光景の異様さに、終は言葉を呑み込んだ。 足元と壁面を埋め尽す頭蓋。髑髏。されこうべ。凡て人の物か。 先の戦場跡程では無いが廃鉱の規模を考えれば広い部屋。 朱の濃さは変わらぬのに、不思議と其の様子は手に取る様に判る。 最奥に姿勢を崩す、女妖と同じ姿形をした――誰かが眠って居るのも。 終は女を追い越し、夢遊病者の如くふらふらと、誰かの処へ歩み寄った。 それは精巧な蝋人形其の物だった。 決して息を立てる事無く、安らかな面持ちで無限の時をまどろんで居る。 『”私”。もう……死んでるから』 終の後ろから、蝋人形と同じ姿の虚ろな神が凡てを内包した答えを告げた。 哀しい答えに思えた。 「死……」 今迄追い駆けて居たモノは、きっと仮初の姿だ。 真都でもそうだったと聞くし、コンルカムイでは雪だった。 では、此の蝋人形――否、死蝋か。これは彼女が寄辺とした、ソヤの。 「……」 終には、もっと話したい事があった。 西国は五十年前と異なり、神夷との融和を望んで居る。 世界は時の移ろいと共に変わる物。 なのに、彼女は流れから取り遺されて、ずっと昔の侭なのか。 死蝋の様に。ロストナンバーの様に。 終わった過去が覆らず、外に感情の遣り様も無いのか。 ――でも、俺は彼女の何を識ってる。 これを目の当りにして、今迄レタルチャペの聲を聴いて。それで何が云える。 ――何か、無いか。 「……槐は?」 終は、やっとそれだけ、搾り出した。 槐の事は如何想って居る。怨みよりも強い想いは貴女の中に無いのかと。 『……私の気持ちを識って。おまえはどうする』 女妖は終もソヤも誰も居ない朱が吹き溜る空間を向いて、無機質に問い返した。 「俺は……」 答えは決めてある。 「――俺は。それが誰かの不幸で無いなら、尽力する」 『そう……それなら――』 女はぐるんと首を廻し、孔が縦に縮んだ眼を開き、ソヤを睨んだ。 途端、死蝋の腹部に朱が集い、凝縮して渦を巻き始める。 程無くそれは心室の如く、膨張と収縮を繰り返し、徐々に広がった。 『――おいでなさい』 「……?」 意想外の展開に、終は如何して善いのか判らなくなった。 『識りたいのでしょう、”私達”のこと。そこに這入ればわかるはず。 でも……すべてを識ったうえでまだ、”おまえのまま”居られるかしら』 何処かで聞いた様な台詞。 だが胡乱な記憶に薄ら浮かんだそれは、又澱みに沈んで視得なくなった。 其の時。 からあん、からあんと、これまた覚えの在る音が、無闇に響いて近付いた。 やがて朱が真白い火花を散らして消え失せて。 薄い煙の向うから 矢張り視識った美丈夫が、振り向く終の眼に映った。 「……灰燕」 『千客万来だこと』 終としてはばつの悪い顔をするしか無い。 灰燕は気にするでも無く、先ず女妖に話し掛けた。 「あんたが骨董品屋の昔馴染みか」 『ええ……、前に逢ったでしょう? そっちの”お前”とは』 女は刀匠の周囲を巡る白焔に、ゆらりと手を差し伸べる。 『あら、もう忘れたの。秋に私を”視た”じゃない?』 「……ほォ――白待歌ァ!」 「待て!」 灰燕の聲に呼応して白焔が広がり風に乗る。 終は慌てて女の前に出て同等の範囲に凍気を送り朱い氷雪を放つ。 白と朱が交差し、幾つもの花の様に舞い散り。 悉くは互いを打消し合って、爆ぜて、弾けて、蒸気が霞んで――止んだ。 主の元へ退く焔から灰燕の方へ視線を移す。 「待って、くれないか」 「訳は」 仮令仮初でも、今彼女が討たれる処を見たく無い。 だが其の背景に迄言及し出すと要約が難しい。 終は暫く悩み、結局「云い難い」としか答えられなかった。 「ほうか。――あんたはどがァする」 『私? ふふっ、ふふふふふ』 ――はやくなさいな。 「……」 灰燕の問いを愉しむ傍ら、女妖は又、聲ならぬ聲を終に仕向ける。 判って居る。終の心はもう、決まって居る。 『おまえがこの子を邪魔しないのなら、どうもしないけれど』 彼女はそう云うと、終の後ろでがらがらと音を立てて崩れ、粉々と成り果てた。 ――ふ、ふ、ふ……待っているわ。 蟲惑的な遺言に従い、終は再びソヤに向き直った。 「……ふん。せせこましい女じゃ」 刀匠の呆れ聲がした。ほんの数度、共に動いた事があった。 聞き納めになるかも識れない――そんな感傷が、ほんの幽かに湧いて。 つい、つい――何度と無く肩を並べて此の地に訪れた天狗の事を、矢張り少し。 彼等だけでは無いが。取り敢えずは。 そして――。 「往くんか」 灰燕は確かめて、 「噫」 終は背を向けた侭、頷いた。 手を伸ばすと朱い渦は鼓動を早め、より広がって、終を引き寄せた。 だから、終は流れに逆らわず、身を委ねる事にした。
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