新たなロストメモリーを生み出す儀式が行われる。 その裏で、もうひとつの作戦がひそやかに敢行されようとしていた。「みなさんにお願いしたいのは『流転機関』を入手することです」 作戦の目的を、レディ・カリスは告げた。「『流転機関』はチャイ=ブレが生み出す生体部品で、これによりロストレイルに大きな推進力をもたらすことができます。かつてロストレイル0号にとりつけられ、それによって前館長エドマンドは『因果律の外の路線』へ送り込まれました。……もっとも、その流転機関はチャイ=ブレが世界樹との戦いで大きな打撃を受けたことで作動を停止したと推測されています。ですから0号は現在、ディラックの空を漂流状態にあるはずです」 そういうことであるらしい。 顔を見合わせるロストナンバーたちに、カリスは続けた。「今、新たな『流転機関』を入手すれば、それをもってロストレイル13号を発進させることが可能です。0号を救助することももちろん、そのまま『ワールズエンドステーション』へたどりつくこともできるでしょう」 『ワールズエンドステーション』とは。 世界群の中心とされる世界。 理論上、その存在が想定されていながら、誰もたどりつくことのできなかった場所だ。 そこからなら、すべての世界へ到達可能とされるため、ロストナンバーが故郷の世界を発見するのに大きく寄与することだろう。「ここで問題があります。かつて『流転機関』は儀式によりチャイ=ブレから賜ることができました。ですが、その儀式を行えるダイアナ卿のいない今、同じ方法は使えないのです。そのため、みなさんは『チャイ=ブレの体内を探索する』ことで、流転機関を発見していただきます」 それが今回の作戦でロストナンバーたちに課せられる使命なのであった。「これが可能なのはロストメモリーを生み出す儀式が行われる今のタイミングだけです。儀式を行う一方で、儀式が終わるまでのあいだに事を終える必要があります。チャイ=ブレがロストメモリーの記憶を吸収している隙に行うということです」 流転機関は世界計の一部のような機械めいた形状だが、別のなにかに擬態していることもあるという。だが、「見れば必ずそれとわかる」らしいので、ありかに到達できればそれで入手は可能だ。 ただし……チャイ=ブレの体内はそれ自体が複雑な構造の迷宮と化している。 そのうえ、寄生ないし共生している小型のワームに遭遇する可能性もあれば、チャイ=ブレの自身の「抗体」により異物とみなされた侵入者が撃退される可能性もあるのだ。 また、吸収した情報が露出して、チェンバーのような別空間になっている箇所もあるという。 ある程度、深部まで探索を進めなければ目的は達成できないが、踏込みすぎると危険度は跳ね上がる。「広大な体内を効率よく探索するため、少人数のチームを複数編成します。ここから先は、担当の司書から説明を聞くようにして下さい。大変、危険な任務となりますが……よろしくお願いします」* * * * * * * * * * * * * *「今回、君達にはこの区域を担当してもらう」 いつになく真面目な顔をしたエルフっぽい世界司書、グラウゼ・シオンが『導きの書』を片手にそう言った。 彼はどこからともなく持ってきた黒板に簡単な図を記載しながら口を開く。「君達が向かう部分は、チャイ=ブレが食した記憶から作られた都市の残骸だな。壱番世界のヴェネツィアに瓜二つだが、暮らしていたのは海鳥の翼を持つ人々だったらしい」 その為か、建物の中には2階部分あたりに入口があるものや、バルコニーが広い建物も存在するという。 幾つもの水路と橋からなるこの場所は、ところによっては何故か無人で動いているゴンドラに乗って移動しなくてはならない場所もあるそうだ。その上、迷路のように入り組んでいるようで、マッピングしておいた方が良いかもしれない。 また、内部には美しい絵画や宝石を使った装飾などもあり、人によっては興味深く思うだろう。しかし、注意しなくてはならない事がある。「記憶から復元された住人の影が出現する事もある。彼らは海賊と戦い、金品を奪うこともあったそうだ。海賊だと思われるような事をすれば攻撃をされかねないから注意して欲しい」 しかし、礼儀正しく対応すれば、その影と遭遇しても攻撃されない、ともグラウゼは言った。 その他、この遺跡は入る分にはいいものの、どういう仕組みかはわからないが侵入者が脱出を試みた事を感じると、消化液の水位が上昇するという。「その速さや止める方法は解らない。脱出は速やかに行うのが得策だろう」 そこまで言うとグラウゼは『導きの書』を閉ざし、ロストナンバー達の顔を一人一人見た。「下手したら大怪我どころでは済まない事態になりかねん。心して挑んで欲しい。ちゃんとに帰ってこいよ」 グラウゼは「本当は俺も皆と行きたいんだがな」と小さく付け加えて頭を下げる。ロストナンバー達はそんな彼に一礼し、探索へと出発する。その背中を見送りながら、彼は小さな声で呟いた。「記憶献上の儀、か。……凄く冷たい記憶しかねぇよ……」 ――チャイ=ブレ体内・消化液状都市型遺跡。 今、貴方々の目の前に司書が話した遺跡の入口たる橋がある。その向こうに思いを馳せつつ、貴方々は一歩踏み出した。。。。。。。。。。。。。。。。!注意!イベントシナリオ群「チャイ=ブレ決死圏」およびパーティシナリオ「ロストメモリー、記憶献上の儀」は同じ時系列の出来事を扱っています。同一キャラクターによる複数シナリオへのエントリー・ご参加はご遠慮下さい。また、特別ルールをよくご確認下さい。このシナリオでは参加キャラクターの死亡が発生することがあります。※このシナリオでルイス・エルトダウンとその関係者との遭遇は起こりません。
起:その宝を得る為に ――チャイ=ブレ・水上都市型遺跡 長い長い橋を渡り、遺跡内に入ったロストナンバー達は、一瞬自分達が壱番世界・ヴェネツィアに迷い込んだのでは? と錯覚してしまった。が、誰もいない街を見てここがどこであるのか、思い出す事ができた。 (さて、先ずは地理を得る事から始めようか) と老紳士、ジョヴァンニ・コルレオーネが考えている傍から、兜を被った大男、ガルバリュート・ブロンデリング・フォン・ウォーロード(以下、ガルバーと表記)が天高く舞った。彼はこうして飛ぶことで街全体を俯瞰し、地理を把握しようと考えたのである。ジョヴァンニは『ミネルヴァの眼』を使って水路などを走査しようと、相棒であるオウルタンのルクレツィアに空を飛ぶように頼む。 「やはりマッピングはすべきでしょうか?」 道を覚えられないこともありませんが、と付け加えながら男装の令嬢、ドルジェが問えば、傍らで考え事をしていた眼鏡美人、吉備 サクラは「へ?」と僅かに驚いた。傍らではジェリーフィッシュタンのゆりりんが揺れて彼女の肩をゆする。 「そうですね。地図や、情報があったとしても、マッピングしていた方が撤退時に役立つかと思います」 我に返ったサクラはそう答えつつも、目の前に広がる路地を見つめる。そして、ちらりとコンダクターの老紳士、兜の騎士、眼帯をつけた乙女を見た。 (ごめんなさい。でも、私達はどうしても流転機関を得なければなりません。だったら……) 一人ぐらいの犠牲が、必要なのではないでしょうか? サクラは誰に言うでもなく、ぽつりと呟く。この遺跡は脱出を試みた時、消化液の水位が上がり始めるのだ。速度も一回に上昇する高さもわからない。それ故に、サクラには試したい事があった。 地上へと降りてきたガルバーは、ふぅぅぅ、と息を吐きながら開口一番にこう言った。 「上から見ると、道が迷路のようなのがよく解るのである」 「遺跡の中央と最奥に教会らしきものがあったの。他にも所々役所やら貴族らしき者の館もあった。ゴンドラ乗り場は……」 と、地図に色々書き込みをしていくジョヴァンニ。一方、ドルジェは2人が齎した情報から、抜け道になりそうな場所に幾つか目星をつけていた。また、どの路地が大通りにつながっているか等も頭に叩き込んでおく。大きな獣と戦った事はあるが、獣の体内に入るという体験は初めてであった彼女は、いつになく慎重に事をすすめたかったのかもしれない。 「脱出の際、最短となるルートも予め定めたほうがよろしいかと存じます。サブルートは私が覚えておきましょう」 「それはいいアイデアである!」 ガルバーはぽん、と手を打ち……そうしつつも内心では脱出がかなり難しくなった時の事も考える。 (その時が来たら、やるしかなかろう。拙者には、もう帰る所など無い) ふと、脳裏に過ぎった故郷のことを頭の隅に置き、彼は地図を見る。ジョヴァンニとドルジェは書き込んだ地図を見、真剣な顔でルートをどれにするか話し合いを始めていた。 「ルクレツィアの目を借りて見た限り、教会の大通りを東へ走ったほうが良さそうじゃ」 「そういえば、グラウゼ様は無人で動くゴンドラの存在を言っておりましたが」 その動きも把握しておかなくては、と言う彼女に、ガルバーは「これは失礼」と頭を下げて報告をする。 「まず1つ目のゴンドラは今しがた拙者達が入った入口の近くにあった。そこと中央付近にある教会近くの桟橋を往復しておった」 そう言いながら地図に青いペンでルートを書き込んでいく。そして2つ目はその中程の桟橋から最奥の教会を往復し、3つ目はこの遺跡の周りを回っている、と上空から見た情報を3人に伝えた。 「3つ目のゴンドラは、例の2つの物よりスピードは遅いようである」 「そうですね。使うとしたら、1つ目と2つ目でしょうかね」 サクラも地図を覗き込み、他のゴンドラが無いかガルバーに尋ねる。と、彼曰くその他の物はなかったそうだ。また、速度に関しても人が走る程の早さだったという。 一行は最短ルートを話し合うと、早速都市の探索に乗り出したのだった。 (博打を打つならば、大きく張った方がいいんですよね) 眼鏡を正しながら、サクラはそれとなく一番後ろを歩く。そうしながら少しずつ、少しずつドルジェ達から離れていく。彼女は流転機関を見つけるまで、一人で奥を目指していく事にしていたのだ。もし、その事を話せば止められるだろう。それ故に、サクラは黙って離れたのだ。 「絶対見つけて持ち帰ります。そのために私は……ここに来たんです」 トラベルギアである鍵のペンダントを握り締め、サクラは静かに決意を固めた。 3人が地図を頼りに歩いていくと、早速というべきか、青白い影のような物が見え始めた。彼らは皆、人間のように見えるがその耳は僅かに尖り、背中からは鴎や海猫を思わせる翼を生やしている。 海賊を見た事がなかったドルジェだったが、ならず者の類だろうと推測していた。そこから、住人達には、真摯に対応すれば問題ないだろう、と踏んでいた。が、警戒も忘れていない。 (流転機関の回収が物盗りの行為と捉えられる可能性があるかもしれません) 影への関わり方を考えながらも、ドルジェはマッピングを怠らない。彼女は正確に記録し、脱出の際にも活かせる事ができれば、と考えていた。 「どこから始めようかのぅ。目立つ建物といえばこれとこれと……」 ジョヴァンニはあたりを見渡し、ルクレツィアの『ミネルヴァの眼』を使用して目星を付ける。一方、ガルバーは辺りを見渡し、人が集まりそうな場所を探していた。彼は人々を集めて調査の協力を呼びかけようと思っていたのだ。そうすれば、少しは調査しやすくなるのではないか、と。どの様にして人を集めるのかは語らなかったものの、確かにいいアイデアかもしれない。ドルジェとジョヴァンニはなるほど、と頷いた。 「時間が惜しい。そろそろ始めようではないか。なぁ、サクラさん?」 ジョヴァンニはそこにいるだろうと思い、サクラに呼びかけた。けれども、そこにポニーテイルを揺らす乙女は居なかった。コンダクターを優先的に守ろうと考えていたドルジェは、心配に思いながら辺りを見渡す。 「一体、サクラ様はどこに行かれたのでしょう?」 ジョヴァンニはサクラがどこに行ったのか、なんとなく解ったような気がしていた。これは直感でしかないのだが……。それと同時に嫌な予感を覚え、表情を引き締める。 「調査を進めながら、合流を目指すしかなかろう。各々方、参ろうではないか」 ガルバーの言葉に、2人は頷いた。 3人が更に進むと、広場のような物が見えてきた。その辺りには青白い影が幾つも見えている。聞き込みなどをするには、ちょうど良い場所だった。確かにサクラの事も気がかりだが、今は流転機関を探し出す方が先決だ。 「それでは、この辺りから始めますか?」 漸く落ち着いたドルジェが問いかけ、ガルバーが「そうであるな」と相槌を打つ。そして、彼は早速……ポージングを始めるのだった。 承:あるがままに進み、求めるという事 ――チャイ=ブレ内:水上都市型遺跡・目抜き通り 「ふぅぅぅんっ!」 ガルバーがきゅっ、と雄々しくポージングを取れば、興味を持った影達が集まってくる。興味を持った子供たちが真似をしたかと思えば、どこからともなく『キレているっ! キレてるよ!!』やら『ナイスバルク!』という掛け声や指笛も聞こえてきた。その間にドルジェとジョヴァンニは頷き合い、それぞれ目星をつけた屋敷へと入っていく。 ジョヴァンニは入った屋敷に飾られた装飾品や絵画に目を奪われた。ヴェネツィアらしい雰囲気を宿したそれらは実に美しく、壱番世界でも通じると思ったのだ。 思わずため息をついていると、女主人であろう影がかれを見つめている。ジョヴァンニは「これは失礼」と帽子を脱ぎ、名乗った上で説明をする。 「我々は流転機関という事物をさがしておる。それを見つけねば此処から出られぬのじゃ。どんな些細な事でもよい、心当たりがあれば教えてくれたまえ」 そう、礼儀正しく願い出れば女主人は『それはわかりませんが、調査はご自由に』と笑顔で応じてくれた。ジョヴァンニは「ありがとう、マダム」と一礼し、彼女が立ち去った所で隠し通路などが無いか本棚の後ろやら骨董品の下やらを調査する。けれども、そのような物は一切見つからなかった。ジョヴァンニは小さくため息を着くと改めて女主人へお礼を言いに行くのであった。 一方のドルジェも礼儀正しく挨拶をし、館内を捜索させてもらっていた。宝を隠すのは一番堅牢な場所が通例であると考えた彼女はこの都市で一番大きいであろう館で調査を行う事にした。そうしながらも考えるのは、ここの住人や都市の事だった。 (この街も住人もかつては実際に存在していた。けれど、チャイ=ブレに吸収されてしまって今に至っている。この現状に彼らはどんな思いでいるのでしょう) ドルジェの傍らには『手伝う』と言った影が寄り添っている。彼をちらり、と見てみたものの、考えは読めない。次にドルジェはこの探索に乗り出した人々の事を考えた。 (ここは情報の宝庫で、それを得るために潜る方もいらっしゃると聞きました。やはり故郷に帰るためなのでしょうか) けれども、故郷たる世界での出来事故に、ドルジェはそれを思い出したくなかった。彼女は首を振ると流転機関を探す事に集中した。 「我が名はガルバリュート·ブロンデリング·フォン·ウォーロード! 世界図書館のツーリストにして、流転機関の探索者である! 今日は、皆様がたにお願いがあって参り申した!」 広場で名乗りを上げたガルバーは、集まった住人たちに礼儀正しく一礼し、流転機関という物を探しているので、是非手伝ってもらいたい、と頼んでみる。しかし、それがどういったものなのかと問われ、ガルバーは少し考えてしまった。 (世界計の一部のような機械めいた形状か、何かに擬態していると聞いておる。しかし、ここの住人たちでもわかるのであろうか?) 悩みながらも、聞いた事をそのまま語るガルバー。住人たちは首をかしげたりしたものの、暫くしてちらほらと『これかな?』と子供たちが玩具やら壊れたカップやらを持ってきた。しかし、どれも流転機関ではなかった。 「忝ない、小さき紳士淑女達よ」 ガルバーはそれでも礼を込めて頭を下げ、申し訳なさそうに目的のものではない事を告げた。 ジョヴァンニ、ドルジェ、ガルバーの3人はこのようにして調査を続ける。けれども、肝心の流転機関は見つからなかった。 その頃。一人奥へと進んでいたサクラは、ゴンドラから降りた。彼女はゴンドラを乗り継ぎ、最奥の教会までやってきていたのだ。サクラはしっかりとした扉を開けると、静かに中へと入っていった。 この白亜の教会は、どうやら海神を信仰していたものらしく、祭壇には剣を持った騎士らしき男の像が祀られていた。しばらく見上げていたサクラとゆりりんであったが、人の気配を覚えて振り返ると、司祭だろう男の影がそこにいた。彼女は男に頭を下げる。 「大切な人を助けるために、ここに眠っている宝が1つ必要なんです。他を荒らす気はありません」 真剣な眼差しで願うサクラを影の男は黙って見つめ続ける。彼女は心臓がバクバク言うのを聞きながら、それでも目を逸らさず、「お願いです、探させて下さい」と男に頼み込んだ。暫くの間無言だったが、ややあって彼は『どうぞ』と許可をくれた。サクラは感謝で胸がいっぱいになりながらお礼を言う。 『貴方に、海神の加護がありますように』 男は静かにそう伝え、深々と頭を下げてその場から消える。サクラはもう一度頭を下げてから、祭壇の辺りを調べ始めた。そうしながらも、彼女の脳裏に先ほどの男の顔が残る。 (そういえば、あの人、グラウゼさんに似ていましたね) そこから引き出されるように浮かぶ、バイト先の店長の声。しかし、ここへ来る直前に聞いたその言葉を、素直には聞き入れられないと思っていた。 ――任務直前:世界図書館 「グラウゼさん、お願いがあります。これを預かって頂けませんか?」 「ん? これは?」 サクラは任務に赴く直前、グラウゼ・シオンに3人分のカトラリーを預けていた。彼女曰く、先日レイラ・マーブルのお店でお揃いの物を買ったのだという。 「私の分はもう使っちゃってますけど、チャイ=ブレのなかに落としちゃうのは嫌なので」 「ああ。……次のバイトの時にでもこれ使おうか。ありがとう」 グラウゼはそう言って大事そうにそれを受け取る。けれども、互の視線が重なった時、サクラはどきっ、とした。グラウゼがいつになく真剣な目で見つめているからである。 「サクラさん。まさか、犠牲になろうとは考えてないだろうな?」 不意に問われた言葉に、サクラは苦笑する。けれども、彼女は口元を綻ばせて瞳を細める。 「プレゼントしたんですから、次の賄いは張り込んでくださいね、グラウゼさん」 「いつも美味しいものを出しているけどな」 グラウゼは苦笑し、サクラの目を見つめたまま小声で付け加えた。 「流転機関を得るよりも、君達が生きて帰る事の方が、俺は嬉しいんだ」 サクラはその一言に苦しさを覚え、会釈して背を向けて走り去った。 ――現在。 サクラとゆりりんは、教会の地下へ降り立った。ここには墓地があり、もしかしたらココにあるのかもしれない、と彼女は踏んだのだ。しかし、重々しい石棺の群れがあるだけで流転機関らしき物は何一つない。 (確か、『見れば必ずそれとわかる』らしいんですよね) 探しても、探しても、見つからない。だとすれば、どこにあるというのだろうか。サクラの胸に不安が募る。そしてその時。彼女の耳に聞こえてきたのは……繰り返す波と自分の呼吸音、何かが沸き起こるような音だった。 (そ、そんな?!) 血の気が引き、体が震えていく。まだ流転機関を得ていないのに、なぜこうなったのだろうか? 消化液が増え始めているような予感に心拍数が増加する。それでもサクラはぎりぎりまで流転機関を探そうと地下墓地を歩き回った。 サクラはゆりりんと共に最深部たる教会の調査を続け、ジョヴァンニ、ガルバー、ドルジェの3人はそこを目指しつつも調査をすすめる。 彼らの積極的な探索は、普段のモノならば……通常のものならば成功に結びついたであろう。しかし、ここはチャイ=ブレの中である。動けば動くほど、チャイ=ブレの消化器官は活性化し、消化液が排出されていく。 結論から言おう。 彼らの積極的な活動により、『消化』が促進される。それ故に誰ひとり撤退を考える前に、都市を巡る水路の水量は……徐々に増え始めていたのであった。 転:決死の撤退 はじめ、異変に気づいたのはドルジェだった。立ち入った屋敷を出る際、彼女はちらりと見た水路の水位が少し上がったような気がした。 (どなたかが流転機関を見つけ、脱出を考えたのでしょうか?) そう思い、丁度それぞれ別の館から出てきた2人に問うも、彼等もまた流転機関を見つけては居なかった。メールでサクラへ連絡をしてみたものの、返事はない。 ドルジェが気になった事を口にすると、ジョヴァンニとガルバーもまた水位を見る。と、確かに上昇しているのを確認した。それに、老紳士と機動騎士は顔を見合わせる。 「どうやら、潮時のようじゃの。我々は、深く立ち入りすぎた」 「それでは……」 ガルバーは当初、脱出となった場合3人を自分が飛んで運ぶつもりだった。しかし、今ここにサクラはいない。故に言葉を止めてしまった。 「目星はついておる。恐らく、サクラ君は最深部たる教会へと向かったのじゃろう」 そう言いながら背を向けるジョヴァンニ。それだけで全てを理解したガルバーは頷いた。 「サクラ殿を」 「わかっておる。貴公はドルジェさんを」 「待って下さいっ」 この2人の会話についていけず、ドルジェが声を上げる。彼女はジョヴァンニの前に出ると、真剣な顔で胸に手を置きながらこう言った。 「私が探してまいります。ですから」 「可憐な乙女二人を危険に晒す訳には行かぬ。そんな事をすれば亡き妻に合わせる顔がない。そして……」 そこまでいい、彼はドルジェを諭すように、穏やかな笑顔を浮かべた。その凛とした佇まいは、正に紳士と言えた。 「いざとなれば我が身を犠牲にしても女性を守る。それこそが《ノブレス・オブリージュ》……貴族が負いし義務じゃ」 同意するようにガルバーは頷く。そんな2人に言葉を失うドルジェだったが、一つ頷いた。 「……どうか、お気を付けて。そして、サクラ様をお願いします」 「ご武運を!」 ドルジェは頭を下げ、ガルバーと共に予め割り出した最短ルートを走っていく。それを見送ったジョヴァンニは、傍らのオウルタンに微笑みかける。 「迎えに行くとしようかの、ルクレツィア」 相棒が頷くと、彼はサクラが向かったであろう教会へと走り始めた。 「戻って、ゆりりん!」 サクラは相棒をパスへと戻すと、階段を駆け上がった。そして窓から水路を確かめると、やはり水位は上がっていた。後ろ髪を引かれるような思いをしつつも、サクラは教会を出ると全速力で石畳の道を走り始めた。 (1番奥に居る私が逃げなければ時間稼ぎになると思ったのに……) 捨て身の賭けに敗れ徒労感を覚えながらもサクラは止まる事無く走り続ける。 そのうち、次第に住人たる影達が消えていくのが見えた。気がつけば、この道に届かんという位まで消化液が迫って、水路の脇にあった小道は既に水没している。それに気を取られていたのか、サクラは段差に躓いて派手に転んでしまった。どうやら右足首を捻ったらしく、思うように走れない。 それでもサクラは足が痛むのを堪え、引きずりながらも走り続ける。その時、彼女は漸くドルジェからのメールに気がついた。内容はごく簡単なもので「迎えに参ります。どこにいるのですか?」という物だった。 (ドルジェさん、ありがとう。でも、迷惑をかけるわけにはいきませんから) サクラは手早く返事を書き、「すれ違っていなければいいけれど」と呟きながら、小さくため息を付いた。 と、その時。遠くから波の音が近づいてきた。よく見ると……2、3m程の高さの波が、都市を襲っていた。 (嘘?!) 足が竦んだサクラは身動きが取れず、ただ呆然とその津波を見上げ……飲まれてしまった。 メールの返事が返ってきたことに気づき、ドルジェがノートを見る。そしてガルバーも気になったので、許可をもらって覗き込んだ。 サクラです。みなさんの脱出がうまくいくよう、時間稼ぎをしていました。けれども失敗したみたいですね。 最深部の教会を先ほど出て、最短ルートを走っています。みなさんは先に行っていて下さい。私は後から追いつきますから。 「サクラ殿……」 ガルバーの呟きに、ドルジェもため息をつく。彼女は自分の身を犠牲に、仲間の安全を図ろうとしていたのだ。ジョヴァンニは察知していたのかもしれないが、これを読んだら何と言うだろうか。 「侵入したあの橋までは、まだ時間がかかるかと存じます。ですが……」 今からでも2人を連れ戻せるか、と周りの様子を見ながら考えるドルジェの肩を、ガルバーが叩く。彼はしっかりとした声でこう言った。 「拙者に任されよ!!」 そう言ってドルジェを抱えようとしたのだが……激しい水の音に耳を澄ませる。そして2人が見たものは、どこからともなく迫り始めた大量の消化液だった。そして、屋敷の中からドルジェめがけて消化液が降り注ごうとする! 「危ないっ!」 ガルバーが叫び、ドルジェが避ける。石畳を抉る消化液の様に、2人は戻ることもできず前進あるのみだった。 溶ける痛みを覚えながら、サクラの意識は少しずつ沈んでいく。パスから呼び出して抱きしめたゆりりんのお陰で呼吸はできるが、じりじりと溶かされ、体力を奪われていくのを止める事はできなかった。 (ごめんなさい、グラウゼさん、――さん……) サクラの脳裏に、アルバイト仲間の女性とエルフっぽい司書が泣きそうな顔で自分の名を呼んでいる姿が浮かび上がった。 (……サクラ嬢!) 見覚えのある乙女が、消化液の波に巻き込まれたのを、ジョヴァンニは目撃していた。彼はすぐさまトラベルギアを発動させ、薔薇の蔦を伸ばす。けれども消化液によって溶かされてしまう。 ジョヴァンニは上着を脱ぎ捨てると歯を食いしばり、自ら消化液の中へ進む。焼け付くような痛みに耐えながら彼は再び薔薇の蔦を伸ばし、今度こそサクラを引き寄せることに成功した。 「マドモアゼル、こんなところで眠ってはいけないよ」 ジョヴァンニはサクラが抱きしめていたゆりりんに礼を込めて笑いかける。そして、ゆりりんがぺちん、と彼女の頬を叩けばゆっくりと瞳を開く。 「あれ? 私は確か……」 「諦めてはいけない、サクラさん」 そう言うと、老紳士は乙女へと手を差し伸べる。乙女はこみ上げる涙を拭い、頷いてその手を取った。 ――2人の逃避行が始まる。 結:脱出 奥へと踏み込みすぎた代償は大きく、いつしか、空からも消化液の雨が降り始めていた。ガルバリュートとドルジェは、消化液が遂に桟橋を溶かし始めるのを目視し、戦慄する。 「ジョヴァンニ殿、サクラ殿……御免!!」 「えっ!?」 意を決したガルバリュートはドルジェを抱きかかえ、気合と共に最初からフルバーストで飛び始めた。サクラとジョヴァンニを助けられなかった事を悔やみながらもせめてドルジェだけでも生きて帰そうと、彼は全力前進で前へと進む。 突然の事に悲鳴をあげてしまったドルジェだがすぐに我に返り、真っ青になった。 「ガルバリュート様、大変申し訳ありません!」 「謝る必要はござらん、ドルジェ殿! 貴殿だけでもこのガルバリュート、入口までお守り申す!!」 ガルバリュートはその謝罪を避難に対する物だと思い、内心で苦笑する。そうしながらも必死で侵入口を目指していた。 全身の駆動が激しく軋む。このまま突き進めばオーバーヒートするかもしれない。それでも、彼は飛ぶ事を止めなかった。 (何故、私が守られているでいるのでしょう?!) コンダクターである2人の安全を優先する筈だったのに、こうしてガルバリュート守られながら脱出を図っている。その事実が、ドルジェをより不安にさせていた。過去のトラウマから脱せずにいる彼女は、ジョヴァンニの言った《ノブレス・オブリージュ》や、ガルバリュートやサクラの思いを素直に受け止めきれずにいたのだ。 ふと、脳裏に浮かんだのはジョヴァンニの優しい笑顔と、出発直前にみたサクラの笑顔。ドルジェはガルバリュートの兜に包まれた頭を見、静かに思う。 (この借りは、必ず返さなくては) すぐに返してしまいたいが、この状況ではそれができない。ドルジェはもやもやとした気持ちを抱えたまま瞳を閉ざした。体に伝わる機械音、モーター音が、妙に痛々しくドルジェの骨と耳に響く。 (この状況に怯えているのでござろうか) ガルバリュートは、身を固くしているドルジェの様子からそう思った。だから、安心させようと――そして、自分も全力を出し切る為に――高らかに名乗りを上げる! 「我が名はガルバリュート·ブロンデリング·フォン·ウォーロード! アルガニアの誇り高き騎士にして……同志ドルジェの守護者也!」 ドルジェは、その声に宿った感情に身を竦ませた。人に触れられる事を怯える彼女は、『守る』という真っ直ぐで熱い思いに、その身が焼けてしまうのではないかと思ってしまった。ガルバリュートは、自分を同志と言った。それに邪な感情など一切なく、困惑、焦燥、不安が綯交ぜとなるドルジェの心に深く染み渡った。 消化液は水路から溢れ、既に踝までが浸かるようになっていた。消化液に濡れた二人は体に熱さと倦怠感、激しい痛みを覚えるようになっていた。また、先ほど消化液の中へ落ちた代償なのだろうか。サクラは喉をやられ、何度も咳き込んでいた。右足も傷めている為何度も転ぼうとするが、ジョヴァンニがその度に助けていた。 「あと、どれぐらい……あるんですか?」 「中央の教会をすぎたところじゃな。このままでは……」 血混じりの唾を飲み込みながらサクラが問い、ジョヴァンニは額の汗を拭いながら答える。 館から吹き出した消化液はジョヴァンニのトラベルギアから出された薔薇の結界によって防ぐ事が出来たが、防ぎきれなかった分の消化液を体に受け、二人は体に更なるダメージを受けていた。 (このままでは、二人とも死んでしまう) ジョヴァンニはちらり、とサクラを見た。先ほどから顔色が優れない。言葉を発するたびに喘ぎ、ぜいぜいと息を切らしている。 「……ルクレツィア!」 ジョヴァンニは傍らを飛んでいたオウルタンの名を呼び、『ミネルヴァの眼』を展開する。そして見えたのは、徐々に消化液によって沈みゆく都市の姿だった。ガルバーとドルジェの姿は見えない。あの2人は無事に脱出できただろうか? (どうにかして、ここを脱出しなければ) いざという時にはサクラを庇い、自分が死ぬつもりだったジョヴァンニだったが、その眼が白い影を捕らえる。よく見れば、それは自動で動くゴンドラだった。ジョヴァンニはサクラの手を引き、ゴンドラの方へと走る。しかし、遠くから先ほどよりも大きな津波が迫ってくるのが見えた。 (間に合ってくれっ!) トラベルギアである黒檀の仕込み杖から茨の蔓を伸ばしてゴンドラを引き寄せる。と、彼はそれにサクラとともに乗り込んだ。体力の限界を迎えようとした2人が生きて脱出するにはそれしかない。そう、ジョヴァンニは考えた。 「ジョヴァンニさん?」 「君は、わしが守る。命に代えても、入口まで連れて行く」 目を丸くするサクラと、真摯な眼差しのジョヴァンニが自然と見つめ合うが、津波がすぐそこまで迫っていた。 ぐぅん、と波にのるゴンドラ。身を縮こませるサクラをジョヴァンニが身を挺して庇う。共に低い体制のままゴンドラに揺られ、大きな波に乗って一気に都市を流れていく! (頼む……っ!) (これは、ピンチであるな) ガルバーは背後から迫る津波の音を聞き、冷静にそう思った。進行方向を見れば、消化液が迫る橋と消化液が入らないような仕組みが施された入口が見えた。それはドルジェにも見えており、2人に僅かな希望が見えていた。 「もう直ぐ、スタート地点です!」 彼女の声に頷きつつも、大きな波は迫り来る。このままいけば二人共巻き込まれてしまうだろう。そう考えたガルバーは、覚悟を決めた。迷っている暇はない。彼は一旦空中で止まると、入口付近へと狙いを定める。 「ガルバリュート様?」 不思議に思ったドルジェが問う。が、ガルバーは彼女を抱え直し、投げるような格好を取る。 「な、何をなさるのですか?!」 「ドルジェ殿、乱暴御免! これっきりであるゆえ容赦いただきたい! HAHAHA!」 彼はそう豪快に笑うと、思いっきりドルジェを入口まで投げた。息を詰まらせた彼女が見たのは、墜落するガルバーと、彼を飲み込む大津波の姿だった。 (そんな……!) そして、鈍い痛みと共に入口へと着地し、転がった。 (これで、いい) ガルバーは消化液の波に飲まれた瞬間、なにか硬いものにぶつかった。そして、そのまま波に押しやられ、意識を失った。 「……リュート様! ガルバリュート様!!」 ガルバーが我に返ると、そこは入口だった。ドルジェが自分の名前を呼んでいる。どうやら、自分は助かったのだな、とその時やっと気がついた。傍らには白いゴンドラと、そこに横たわるサクラ、彼女に付きそうジョヴァンニの姿が見えた。 「気を失っておるだけじゃ。しかし、わしもサクラさんも……」 ジョヴァンニが息も絶え絶えに言う。ここへ向かう途中に消化液を飲んでしまったらしく、体内も少し損傷したらしい。 けれども、命からがら、4人とも脱出できたのだ。ガルバーはドルジェの手を握り、サクラとジョヴァンニに頷いた。生きて帰る事が奇跡的だと思いながら、彼は確かに今、生きている事を感じていた。 (終)
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