北極星号は飛び立っていった。 およそ、一年の後……北極星号は、ワールズエンド・ステーションでの成果を手に帰還するだろう。 そのときまで、残されたものたちはこの0世界を守ってゆくことになる。 0世界を治める新たな体制づくりへの気運が、ターミナルを包んでいる。 それに向けて、そろそろ具体的な行動を始める頃合いだろう。 北極星号が帰還したとき、もしかすると、ターミナルはまったく違った街に変貌しているかもしれない。 それは、不変と停滞を本質とする0世界には本来あるまじきことであり……だからこそ、それは新たな時代の幕開けと呼ぶにふさわしいことなのかもしれなかった。===========!注意!非常に特殊なシナリオです。クリエイターコメントの内容を熟読の上、ご参加下さい。※このシナリオはロストレイル13号搭乗者の方は参加できません。===========
さらさらと――、ホワイトガーデンのペンが紙の上で踊る。 インクが心地よく紙に吸われてゆく。 彼女は綴る。 それは旅人たちが集う街、ターミナルと、0世界の出来事だ。 ホワイトガーデンは、この0世界が変わっていくことを強くは望まない。 それについて問われたとき、彼女はすこし小首を傾げて、こう答えた。 「今迄ツーリストとして旅をしてきて、それが合っていると感じたから、というのは感覚的かしら」 だが、そうだからといって、流れに抗したいというわけでもなかった。 ターミナルの変革を望む声をあげるものたちがあらわれることもまた、彼女が見守ってきたこの世界の出来事のひとつに過ぎない。 そこは、世界図書館の館内にある、広い議事堂だ。 階段状の座席に、大勢の市民たちが集まっている。 ホワイトガーデンは後方の席で、そっとなりゆきを見守りながら、思いつくまま観たままに、ペンを紙の上に走らせているのだった――。 * 誰でも参加可能な、討議の場を設けようと最初に発言したのは深山 馨だった。 是非もないことだったので、ロストレイル13号出発後、ひと月ほどが経ってから最初の会が開かれ、以後、定期的に催された。 会では議論がかわされて、おもに「新ターミナル法」の制定と、それにもとづく「ターミナル警察」の設立について、そして世界図書館の旧体制の改革に関して話し合われた。 『ひとつの法体系を一挙に作り上げるのは余り現実的では無いように思えます』 鹿爪らしい顔で、ふさふさが言ったのは初回でのこと。 『この古部草案は、民法の基礎となるべき互いに互いを尊重するという考え方が十分に含まれています。生存権、財産権、身体的精神的自由権の萌芽が見えます。ですが法の下の平等が明記されていませんし、図書館とファミリーに対する権利制限。旅団のような厄災を考えれば戦時法も必要でしょうし、裁判所法、不服申立制度、刑法もありません。参政権も規定がありません。 すべてについて合意形成するのにはまだまだ時間が必要です。優先順位として、そもそもの発端としての治安維持の行う実行機関と、体制の整理から行うべきでは』 「ルールやマナーって、結局のところ『己の欲せざる所は人に施す勿れ』という言葉に落ち着くんじゃないかと思うんだ」 蓮見沢 理比古が発言した。 「古部さんの案も趣旨としてはそうことでは?」 「ここは神さまみてぇな連中も少なくねぇけど、基本になるべきなのは『人道』じゃねぇかって俺は思う」 と、虚空。 「自分がされて嫌なことは人にもするな、って昔のえらい人も言ってる。結局のとこ、そういうことじゃねぇの?」 そして、それらを破った場合に旅人を裁く機関と、必要に応じて罰を与える機関の制定がなされればいいのでは、と結んだ。 そういった声に古部 利政は、 「僕はターミナルの何もかもを法で縛りつける必要はないとも思っている。厳しくすべきはむしろ取り締まる側、治安組織の規則だろうね」 『0世界に至る入世界審査を設けてはどうだ?』 NADの声なき声が告げる。 『私は提案しよう。私を法を行使する力としたまえ。私は君たちとは異なる精神という世界にあるもの。距離と場所の概念を持たぬゆえに、如何なるものも私から隠れることはできない。会話を持たぬゆえに、如何なる偽りも私を騙すことはできない。そして、何より君らと違い欲望を一つしか持たぬゆえそれが満たされる限り、賂に心を揺らがすこともない。私は君らが警察と思い浮かべる全てより有能であり、探偵と思い浮かべる全てより秘密に触れ、裁判官と思い浮かべる全てより純粋だ』 「ま、待ってくれ、それはつまり……」 『一定の基準となる法ができさえすれば、それを執行する警察機関は私ひとりで事足りるということだ』 「……。提案は理解した」 いささか面食らった様子の古部。 「一人だけってのもな……。俺は司法機関には多様な考え方と広い視野を持った、少なくとも各十人以上の検事、裁判官、弁護人的な立場の人々を置くことを提案する。それぞれ、専門家の志願か、複数名からの推薦をもとに選ぶのがいいと思う」 虚空が意見を述べた。 「まず、最初は法律というか、憲法のようなものを作ったほうが良いのかもしれない。その上で、ルール作りをして……細部は動かしていきながら修正していった方がいいだろうし」 「司法については陪審員制がいいのじゃないかな。法律を学ぶための、市民に向けた講習のようなものもあったほうがいい」 「図書館から、冊子にまとめたものを配布してもらっては?」 黒葛 一夜、イェンス・カルヴィネン、ローナらから現実的な案が出た。 「理事会についてなんだが」 ムジカ・アンジェロは先般、発案したとおり、理事会を議員制とする案について諮った。 「ムジカくんの案は、たしかこうだったね」 馨が確認する。 ロストレイルと同じ十二星座と北極星の名を冠する十三の議席。 ファミリーが占有する席を三席。これは永年資格をもつ。 残りは任期制で、世界樹旅団側の代表者による席を三席。 世界図書館側として、ロストナンバーの代表者による席を四席。 ターミナルに暮らす住民、ロストメモリーの席を二席。 最後の一つは空席で、議決の際に世界図書館・世界樹旅団のすべてのロストナンバーから賛否を仰ぐための席である。 議論では、旧理事会については一定の配慮を求める声が少なくなかった。 馨は「彼らはこの二百年図書館を預かってくれていた。チャイ=ブレとのパイプ役でもある。新しい理事会なり議会になりにも彼らの代表者の席を残しておきたい」と述べ、理比古も「二百年間続いてきたことに理由もあると思う。何より俺は、新体制が今よりよいものである保証はないとも思っているんだ」と言った。 ムジカの案はこの点も踏まえて、特に大きく対立する案もなかったため、この方向で新体制がつくられることになった。 「これは事実上、ナラゴニアを併合するというだけれど」 レディ・カリスが懸念を――先方がどう反応するかという意味で――示したが、後に、そのハードルは驚くほど低かったことがあきらかになるのだった。 * ある日。 村崎 神無は人狼公リオードルに謁見していた。 「厄介だな」 リオードルは、一言、そう答える。 神無が問うた「ユリエスが世界園丁になることについてどう考えているか」という質問への答えがそれだった。 「ユリエスはナラゴニアの、0世界の平穏を望んでいた。でもあなたと彼の考えは対立していて……。これは私ひとりの勝手なお願いです。でも……どうか、ユリエスや図書館とも手を取り合って新しいナラゴニアのために力を貸して頂けませんか」 神無は訴える。 「俺はナラゴニアの王になるつもりだった」 リオードルは言った。 「だがそれはやめた」 「えっ!?」 「正確には、できなくなった。……俺は今でも、ナラゴニアを導くべきは俺であるべきだと思っているし、それについては今後も譲るつもりはない。だが、ナラゴニアを俺のものにすることはできなくなった。ユリエスを排除することもな」 「ど、どうしてですか」 リオードルの翻意に戸惑いながら、神無は質した。 「ユリエスが『世界園丁』になるからだ。……いいか、俺がナラゴニアを支配できるのは園丁が一人もいなくなったからだった。先の戦いで、世界樹がチャイ=ブレとの戦いにかまけている隙におまえたちが園丁を始末してくれたのはまったくの僥倖だったのだ。世界樹ある限り、園丁に害なせば世界樹に復讐される。ユリエスが世界樹の意志の代弁者たる園丁になった以上、誰もユリエスを殺すことはできないし、その意志をないがしろにすることはできない。俺はこれからはユリエスと協調したうえでやっていかないといけなんだよ。まったく厄介極まりない」 神無はその足で、世界樹聖域へ向かった。 そこでは、翠の侍従団のものたちや、世界樹への信奉が厚いナラゴニア市民たちが毎日集まり、祈りを捧げる場になっていた。新たな世界園丁の誕生と帰還を一心に祈念しているのである。 神無もその中に加わる。 祈りながら、ユリエスに語りかけた。 世界樹の中に、独りでいるはずのユリエスが寂しくないように……そして、ターミナルやナラゴニアの出来事、神無自身のことを、手紙を書いて消息を報せるように、訥々と語るのだ。 「……あれは?」 ふと、さわがしい人だかりに気づく。 「ああ、あれは……」 侍従団の青年が語ったところによると、ユリエスが園丁になる端緒となったイテュセイが、自らを「新園丁を導いた慈母神」として売り込んでいるらしかった。 おもに見た目が気味悪いという理由で最初は忌避されていたが、『ジェネラル世界園丁の帰還』なる謎の教典を執筆して配布、徐々にではあるが物好きな市民を組織して教団活動をはじめ、『新・世界園丁まんじゅう』を売り出したり、温泉を掘って温泉宿を経営するなどしていつのまにか、一定の立場を確保していた。 おもに見た目が気味悪いという理由で今も大勢には忌避されてはいるが、温泉はそれなりに好評なようだ。 さて、そのナラゴニアの市街地では。 ミルカ・アハティアラ、相沢 優、ソア・ヒタネ、七代・ヨソギら「虎組」によるバザーが開かれていた。 かれらはナラゴニア市民との親交を深めるために、ノラ・エベッセと協力して定期的にこの活動を続けている。 「あ、ロックさん、いらっしゃい」 ドーナッツを売っていた優は、黒翼の武人の姿をみとめて笑顔を見せた。 「どうぞ、食べていってください。あ、雑貨も売ってますよ」 「いかがですか?」 ミルカがにっこり笑って、かわいらしいアクセサリーやお守りを見せた。 「む……。いや、少し様子を見にきただけだ……」 「まあ、そう言わずに座ってください。フランクフルトもありますよ?」 「むう……」 隣では、ソアが野菜を売っていた。 「いかがですかー? わたしが育てたんです。あ、これ、試食されますか? 特製芋っ子鍋です!」 野菜や果物のほか、それを調理した鍋も振舞われている。 ソアは、ナラゴニアの人はみないい人たちだ、と思っていた。 むろん、好意的なものたちだからこそ、バザーに足を運んでくれているのだろうとは思う。それでも、何度か来てくれている人を見つけて喜んだりしているうち、かつては戦争さえした相手とはとても思えないのだった。 「そうそう、上手ですよ~」 七代・ヨソギの天幕からは、トンテンカンと金属を打つ音がする。 細工物を売ったりする一方で、ちょっとした教室を開いているのだった。 ヨソギは、反対に、ナラゴニアの品物もよく仕入れては、その技を学ぶことにも余念がない。このバザーを通じて、職人たちの交流もできればと思っていた。 「今回は盛況みたいだね~」 「あ、ノラさん!」 ノラに気づいて、ミルカたちはぺこりと頭を下げた。 「今のところ、こいつもうまくいっているようだしね~」 にこにことノラが示す紙幣。 バザーを開く一方で、虎組の面々はナラゴニアとターミナル双方にかけあい、共通の通貨をつくれないかと話を進めてきた。 今後、両者が融和していくうえでは、いずれ行わねばならないことだ。 しかし急には難しいので、いったん地域通貨のように、一定の範囲でだけ流通させられるものをつくって、徐々に様子を見ることになった。 ターミナルとナラゴニアの、それぞれの通貨から両替可能なお金である。 紙幣にはエドマンドの肖像や樹海の風景を図案化したものが印刷され、コインにはアリッサの横顔が鋳造された。 この地域通貨は、将来的には0世界の通貨として運用される予定だ。 虎組の活動は非常に大きな成果をあげた。 ほかにも、黒葛 一夜が独自にナラゴニア市民に力を貸す活動をしていたり、侍従団との関係を深めた神無、あと一応イテュセイの活動などなど、ナラゴニアにかかわるものたちがいたことで、市民レベルの交流が進んだのである。 ローナは、先の戦争以後、勢いを失っていた長手道提督と魔法少女大隊に接触し、協力を要請した。 リオードルは世界樹内部の強行探索の失敗や、その後イテュセイから地味な嫌がらせを受け続けたこともあって権威を削がれ、相対的にノラ・エベッセの影響力が増大した。 表舞台に返り咲いた長手道提督の後ろ盾を得たノラは、ナラゴニアの商人による商売の自由化を一気に進め、一年後にはほぼターミナルとナラゴニアの間の通商は自由化。ここに至り、よく言えばのんびりと、わるく言えばガラパゴス化していたターミナルの商人を圧倒的に上回る商いの力により、ナラゴニア資本がターミナルに怒涛のように流入することとなった。 ナラゴニアが空前の好景気に沸く一方、相対的に強くなったナラゴニアの外貨に対して、ターミナル側で投資ブームが起こり、これを機にロバート卿が仕掛けた異世界為替証拠金取引によって、大儲けするものがあらわれる一方、一瞬で財産を溶かすものがあらわれたりもした。 その是非は、後の歴史家の判断に任せるとして、0世界の経済は、この一年で大きく変貌することになったのである。 * さて、そうしたナラゴニアの変化は、それまでの自治独立の方針を容易く撤廃することにも繋がった。 ナラゴニア政権は、図書館の新体制に組み込まれることをあっさりと受け入れ、同時に、ターミナル新法と新司法機関による法治下に置かれることになったのである。 0世界自警団は――ターミナル警察とは役割を分担して存続していた。 自警団は市民レベルでの問題解決や、覚醒後の孤立などの社会問題の是正に力を向けている。 自警団の一員だった坂上 健は、その年の4月から、壱番世界で生活することを決めたため、自警団活動からは引退した。 「警察学校の入校式が4月頭にあって、その1週間前には入校してなきゃならないんだ。引っ越しもしなきゃならないし、今日が本当にデッドラインだからな~。本当は31日ギリギリまでやりたかったんだけど、今日で自警団活動も零世界もロストレイルも全部見納めだ」 そう言いながら、最後の日に彼がもろもろの資料や情報をまとめて残していってくれたものは、百本用意された腕章とともにその後に受け継がれる貴重な財産となった。 「これ、収支報告。俺から出すのは最後になるけど……。金額入力するだけの計算表つくっといたから、次からも大丈夫だと思う」 「ありがとう。……そうだ、ローナさんがね、手伝いたいって言ってくれてたよ。自警団に入るかどうかは考え中みたいだったけど」 アリッサは言った。 ローナは、壱番世界の民生委員など各世界の福祉事業資料を取り寄せて研究しており、0世界の問題を統計的に処理したうえで、施策や活動に落とし込みたいと考えているようだ。 健も、今日まで、勧誘も欠かさないできた(たとえば百体いる人体模型とか)。活動に興味をもってくれているものがいるなら、今後の人員の確保もしていけるだろう。 「俺たちは気軽に声かけて貰って困った人の手伝いして。人を繋ぐ手伝いで良いのさ。……時間だな。じゃ、今までありがとな」 健は、0世界を後にする。 「由良」 「もう十分手伝っているだろう」 「まだ何も言ってない」 「~~~」 不機嫌そうに煙草をくわえた由良 久秀を見て、ムジカは苦笑する。 ここ最近、忙しく動いているムジカの傍らに、影のように由良の姿があることは今までどおりだが、大半の人に「ムジカの付き添い」「なんかわからないけど、いつもいる人」と思われている由良も、実はなにかと仕事はしているのだった。 「……で?」 「図書館で資料を探したいのだけど」 「司書に頼めばいい」 「新警察の研修に使う事件のケースを集めようと思って」 ターミナル警察では、捜査技術を磨くための研修が重視されていた。『黄昏のチェンバー』などを利用した、過去の事件を素材にした研修もそのひとつである。 「異世界の事件も集めようと思ってる」 「……」 「選ぶのを任せたい」 「なぜ」 「……俺が選んでもいいのか?」 ムジカでなければそれだけで射殺されそうな眼力のこもった目を、由良は向けた。 (冗談じゃない。なにを選ばれるかわかったもんじゃない……いや、わかりきっているだろうが) またひとつ、作業を手伝わされることになった。 「警察とは即ち集団の規律を乱す如何なるものに対しても屹然と対応し、集団の脅威になるものを無力化し得る力を持っていなくてはならない。悪徳の誘惑に逆らい、柔と剛のバランスよい態度で臨んでもらいたい。まあ柔の方は自警団に重きを置くとしても、我々も住民の安寧を脅かす強権力へと暴走してはならない。無法が無法を取り締まってはいけないのである」 ガルバリュート・ブロンデリング・フォン・ウォーロードの初心演説。 彼はターミナル警察の指導教官に収まり、思う存分、武道の心得とポージングを披瀝していた。 「ではまずランニングから! ターミナル外縁を100周!!!!」 ターミナル警察にもそこそこの志願者があった。 だが、草の根の活動を行う自警団とは異なり、実行力をもつことに加えて、対象がターミナルにナラゴニア、それに樹海や、ギベオン(ギベオンは現地住民がおらず、実質的に図書館の支配下にあるため、ターミナル法が及ぶことになる)まで広がったことで、その責務は重大なものであった。 初期メンバーの中には、ターミナル法の起案者である古部のほか、志願した天摯、フェリックス・ノイアルベールの姿もある。 「私は若い頃、故郷で騎士の任についていた。もう随分昔の話になるがな。国のために、民のために力を尽くす……警察というのも同じような組織なのだろう? ……そろそろもう一度、自らの国のために力を使うのも悪くないと思って菜」 フェリックスは、志願の動機をそう述べた。 自らの国――フェリックスは0世界をそう呼んだのだ。それは、この世界に一人で暮らすわけではないからこそ、その一員としての責務を果たしたいという思いだったかもしれない。 天撃も、また。 「いつまでこの地に滞在するかは判らぬ。しかし、わしはこの場所にも愛着を抱いてしまった」 ならばその場を守り、自分や隣人たちが住みよい環境の設定に尽力するのは当然のことだと、彼は言う。 「わしは複雑なことを考えるのは得意ではないが、要するに、誰かが誰かを傷つけたり、傷つけられたり、奪ったり奪われたりせねばよいのであろう。それは、ほんのわずか、他者に対して譲ればよいだけのことだが、我慢のきかぬ乱暴者を力ずくででも懲らしめる者が必要なら、その末端として働きたい」 天撃も、仲間や後進に武術について教えられると受けあった。 警察への志願者は、ある程度、腕に覚えのあるものだろうが、この点においては、ターミナルにもナラゴニアにも人材には事欠くまい。 同時に、かつての『ホワイトタワー』が修復・改築され、収監施設として運用されることとなった。 さまざまな条件を加味した結果、チェンバーとして独立するこの場所が最適だったのである。 収監に関するルールや運用(たとえば収監者の無力化の方法など)が慎重に検討された。 「ふむ……。これが『看守』か……」 馨は、黒い制服の、『車掌』に似て非なるものたちをしげしげと眺めた。 『車掌』、すなわち、アーカイヴと接続して作動する人造人間を、当初は警察そのものに転用する案もあったが、厳密なプログラムにもとづいた行動しかとれないため、捜査などには不向きである。逆にルーティンワークには適しているため、管理は専門の人員があたるとしても、平素の運用はかれら『看守』によって行われると決まり、新たにかれらが生み出されたのである。 他方、裁判所の設置も準備が進んでいる。 陪審員制が採用される見通しだが、ふさふさとNADは判事の席を狙っているようだった。 * 「『契約の変更』、ですか」 「うん。チャイ=ブレに、壱番世界や他の世界の吸収はやめてもらうのね!」 アーカイヴへ続く広大な地下空間。 マスカダイン・F・ 羽空とレディ・カリスはそぞろ歩きながら、話している。 「そのかわり、ぼくら旅人が、情報をあげる」 「……今までと同じでは?」 「だから今まで以上に!」 カリスはそっと微笑む。 「そうできればいいですが、『契約』はなにも相談して決まったわけでもないので。チャイ=ブレから一方的に課されたものである以上、難しいとは思います」 「でも、でも」 マスカダインは諦めない。 「世界樹とは交信できたんだもの。チャイ=ブレとだって、今まで『ファミリー』は交信をしてきたはず。イグジストと意志の疎通をもっとやりやすくできる方法があるはずなのね。たとえば『言葉』で気持ちを伝える方法を覚えてもらうとか!」 「……」 「ボクらはチャイ=ブレの気持ちを知って、ボクらの気持ちを伝えて。きっと共存できる道があると思うの!」 「現在の状態の延長線に――」 カリスは遠く、視線を投げた。 「壱番世界の吸収を限りなく永遠に近く先延ばしにできれば、貴方の思うようになるのかもしれません。……ほどなくナラゴニアで新たな世界園丁が誕生すれば、世界樹との交信が可能になります。そして、ギベオンでの研究が進めば、あるいは……」 それはほのかな可能性。 あるかどうかもわからない、蜃気楼のような見果てぬ夢だ。 そして秘蹟の遊界・ギベオン。 「世界樹の樹皮組織! ……採ってきたんですか。大丈夫でした?」 「造作もないこと。我が端末をごく自然に付着させたまでです」 ラグレスは、試料を持ち込んだ経緯を、フラン・ショコラにそう説明した。 「あいにく、苗は手に入りませんでしたので」 「あれは世界園丁がいないと入手できないですから……。樹皮の採取も見咎められないようになさったほうがいいと思いますよ。これはありがたく使わせていただきますけど」 「礼には及びません。試料は足りますでしょうか。実のところ、もう採取に出向く必要はありません。全体が記憶媒体でもある我が身は対象の組織取得が情報解析に直結。即ち分解吸収を以って分析再構築を成し得ます。嘗て不定形に甘んじた私が固体形成を会得したのも人体組織の摂取に因るものなのです」 「えっ。つまり、樹皮組織の情報はラグレスさんが記憶していて、コピーをつくれるということですか」 「左様でございます」 「うーん。でもそれは現在、存在している樹皮部分のコピーですよね。イグジストとしての世界樹は、ナレンシフを生み出したりもするわけですけど、そういった能力部分までコピーできたわけではないでしょう?」 「今のところは。それは今後の、貴女の研究に期待するところです。私は、世界樹の一片とチャイ=ブレの特産物であるキューブの比較検証を行いました。その情報も提供できます。貴女の今までの研究結果や経過なりと照合致せば幾許かは解析の補強が叶うと夢見ますが如何に」 「それはそうですね」 フランは頷く。 イグジストの研究は、今のところまだその輪郭さえ茫洋としたものだが、ラグレスのように協力を申し出てくれるものもいることで、たとえわずかであっても、着実に進んではいる。相沢優からも、ナラゴニアでのバザーの成果で得た資金の援助などもあったのだ。 いずれワールズエンドステーションからの情報がもたらされれば――そこへ向かったロストレイル13号のことを思うと、普段は考えないようにしている感情のゆらぎを感じる――、なにかの成果へつながる道はきっとあるだろう。 エイブラム・レイセンからも、自分を助手として雇わないかという売り込みがあった。 研究機器の操作、膨大な量のデータ整理や解析などは彼の得意とするところだ。 なるほど腕はたしかなのだろうが、エイブラムの思惑は、恋人が不在のあいだにフランとどうこうしたいという下心がだいたい9割くらいを占めていて、だからだろうか、つい「(竜刻の力で生存している)きみの肉体にも興味がある」と口走ってしまったためにフランに通報された。 エイブラムは、ターミナル警察による逮捕者第1号の栄誉にあずかることになった。 * そして、13号の出発から、およそ一年が過ぎた――。 一年に及ぶ議論を経て、ターミナル新法は固まりつつあった。 新法には、異世界の秩序をみだりに乱さないための内容や、世界間移動とチェンバーの創造についても管理する制度が含まれている。秩序と治安の維持に寄与するものになるはずである。 法の制定をはじめ、諸々の事業については、蓮見沢 理比古からの資金援助が大きく貢献していた。いわく「俺がお金を使うことでターミナルが落ち着くなら本望だよ」とのこと。陰日向に理比古を助けた虚空も「せっかくだ、いいターミナルにしようぜ!」とよく働いた。 イェンス・カルヴィネンが地道に法を説く講習会も続けられている。並行して教本の執筆も行っているため多忙だが「北極星号の皆に負けていられないよ」と、かえって効率が上がっているようだ。 新法は、近く理事会にかわる新たな執行機関「十三人委員会」が発足し、かれらによって施行されることになるだろう。 永世議席である《牡羊座》《牡牛座》《双子座》には、それぞれヘンリー・ベイフルック、レディ・カリス、アリッサが就いたが、ヘンリーはエドマンドの帰還後は交代したいと表明している。アリッサも本当はやりたくないらしいが、ヴァネッサが固辞するためやむをえないようだ。 ナラゴニアに与えられた《蟹座》《獅子座》《乙女座》の議席には長手道提督、人狼公リオードル、ノラ・エベッセが就いた。 ロストナンバーから選ばれる《天秤座》《蠍座》《射手座》《山羊座》の議席、ロストメモリーから与えられる《水瓶座》《魚座》の議席については、選挙が間近に迫っていた。 その選挙を目前に控えた日。 ナラゴニアでは世界樹内部から、世界園丁となったユリエスが帰還し、人々の熱狂的に迎えられた。 滂沱の涙で園丁を歓迎する群集する人の中にはもちろん村崎神無もいる。 園丁ユリエスは、十三人委員会には加わらないが、世界樹の司祭として、その意志を人々に伝え、また世界樹を鎮め続ける役割を担うという。 そして…… ロストレイル13号《北極星号》から、まもなく帰還するとの報が届いたのは、まさにそんな日々の最中のことであった。
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