――え、遅刻? 嘘ぉごめんなさいね、最近本当忙しくってぇ、「仕事が無くなるんじゃなかったのか」――そんなことも言っていたかしら? あら今日は爆発君いるんじゃなかったの?「居候も忙しいらしい。最近みんな慌ただしくて、困ったものだね」――あらっ、店長がコーヒーを準備してくれたの? 珍しい。「おまえは紅茶しか入れないだろ。コーヒーが飲みたかったんだ」――そう。今日はタルトを買ってきたのよぉ! 奮発したんだから! 遅刻のことは許してね?「カウベルの遅刻を怒っていたら堪忍袋が足りない」――そもそもそんな袋、持ってないくせに! 割りと長い間、二人はこうやってやってきた気がする。 店主とそのバイトと、でも時々はお茶会を開いたりして店を放ってのんびりと語らうこともあった。 それは0世界にターミナル新法ができ、様々な有り方が変わってしまってからも、13号が帰還して全てのロストナンバーが元の世界に戻れる可能性を得てからも。 カウベルは図書館でのロストナンバーのサポートに『真面目に』力を入れていたし、機会を見つけては積極的に他の世界を見に回っていた。 一方、博物屋は13号の帰還後新しく運びこまれた生物や魔法形態の情報収集にのめりこみ、自身は外の世界へ身を置く事が極端に少なくなっている。「店長も自分の眼で確かめたいことってないの?」「うーん、正直あまり外は好きではないんだ。私は家猫でね……」「まぁ、誰が飼っているのかしらぁ……?」 サクサクとしたクッキーのような生地とカスタード、たっぷりのフルーツが美味しい、壱番世界の名店の出だという菓子職人の作っているタルト。コーヒーは美味しいが正直ミルクを入れ過ぎて、渋みが足りない。「外に出て、そこのが素晴らしかったら、そこに行ってしまうだろ。そうしたら、また他にもっと素晴らしいところがあるんじゃないかって思うかもしれない」「店長ったら、案外旅人気質なのねえ。伊達にツーリストじゃないわぁ」「でも今の生活が惜しいからさ。やっぱりね、まだ気乗りがしないなぁ」「のんびりしたこと」 カウベルは店に置いていっている自分のカップでいつも通りコーヒーをすすっている。「カウベルは」「ん?」「カウベルは過去を知りたいと思うか? もうお前の過去を知る方法は何だってあるだろう? 私だってお前が記憶をなくす前に会っているし、昏睡したときにお前の記憶に触れたものもいる」「そうねぇ」「お前は気づいていて上に黙っているが、下にアーカイヴ遺跡につながる穴もある。こっそりお前の記憶を何とかすることも或いは……」「気乗りしないわねぇ」「……そうか」「ねぇ、それより、今日もリベル司書がねぇ……」 二人は結局そんな調子で、時々博物屋の店番をし、時々お茶をするのだった。「あら、最近見ないと思ったら、帰属するの?? おめでとう!」「長い旅に出るって? 帰ってきたらまた話を聞かせてくれるかな? なに、ちゃんとお返しはするさ、何だ? 誰の幻に会いたいって?」 博物屋はいつでも貴方の来店をお待ちしております。======<ご案内>このシナリオは「ロストナンバーたちの後日談」を描くものです。プレイングでは、みなさんの「その後の様子」をおしらせ下さい。このシナリオは便宜上0世界が舞台として表示されていますが、どの世界の出来事でも構いません。例:・3年後、ヴォロスに帰属した。冒険者相手の酒場を経営している。・数年後、○○さんと結婚。今もターミナルで暮らしている。・冒険の旅に出た。新たな世界を発見し、探索を続けている。・10年後、故郷の世界に帰り、再帰属を果たす。○歳まで生きて天寿を全うした。※「○年後」という表現があれば、北極星号の帰還の年から数えます相手のある内容の場合(結婚等)、お相手の方も同じシナリオにご参加のうえ、互いのプレイングに明記をお願いします。帰属済みであるなどしてシナリオに参加できない場合、設定欄等に同意があることをわかる記述をお願いします(納品されるまでそのままにして下さい。ライターが確認したタイミングで書かれていなければ参照しません)。なお、このシナリオの結果として、帰属や死亡が描写された場合でも、ステイタス異常にはなりません。!重要な注意!このシナリオのノベルに関しては、どのような理由であっても、納品後の修正依頼は一切受け付けません。「故郷の世界」や、「新たな世界」を描写する場合、担当ライターにその設定も含めて一任していただくものとします。複数のエピローグシナリオへの参加について、制限はありません。ただし、ライターは別のライターが執筆するシナリオの内容については関知せず、両者の内容について整合性を保つ義務は負いません。シナリオに参加したことをもって、上記の点をすべてご了承いただいたものとします。======
*リジョルの場合 「お邪魔するよ」 ドアの隙間からするりとしなやかな体が滑りこんでくる。 「今日は店の方に繋がってるんだな」 外と比べて店内は薄暗く、大きな瞳の中の細い瞳孔がじわりと広がった。 大きな耳がピクピクと動き、尻尾がゆるりと揺れる。 彼は猫獣人。とは言っても、スフィンクス種で有る為、ふさふさとした毛に包まれているわけではない、すらりとした体躯をしている。 「あぁ、いらっしゃい。リジョルか。上にカウベルが来てるが……菓子はいくつだ?」 「そりゃ残念だ。今日は二つしかない」 「じゃあここでいいか。紅茶だけ入れて貰ってこよう」 洋菓子の箱をカウンターに置きつつ、リジョルは顎を細い指でするりと撫でた。 「そりゃ怒られるんじゃないか?」 「誰が来たか言わなきゃバレないさ」 その言葉にリジョルは目を細める。 リジョルは0世界にある私設の教育機関にて、非常勤の魔術講師をしている。 彼の幅広い魔術の知識は、様々な世界から集まるそれぞれ独特の魔術を持った魔法使い達にも広く指針を与えることができていた。 ツーリストの持つ魔法は様々だ。 しかし、それでも似た体系を持つモノ――例えば呪文により発動する、魔法陣から発動する、意思により発動する、等発動方法の近いもの。それから、精霊の力を借りる、自身の魔力そのものを変換して力とするもの、何らかのアイテムから呼び出すもの、等、力の源の似通ったモノ。 完璧に体系立てることはできなくとも、いくつかの近しいパターンは存在する。 場合によっては、他の世界のものであった魔法を別の世界出身の者が使えることもある。 彼が教えているうちの一つの教室などは生徒が魔法使いでさえ無い。 他のクラスではその魔術体系の研究について話し合いをしつつ、他のクラスでは戦闘での使用に絞った実践的な魔法技術の指導、また別のクラスでは、大人数対大人数での大規模戦闘においての戦術の指南を行っている。 研究すべき、伝えるべき知識は果てがない。 博物屋ともそんな講義の一つを見学にきたときに知り合った。 「魔術の徒として、一度深く語らいたい。良かったら店を訪ねてきてくれ」 そう言って紙の端に書いた地図を置いていったのが、この博物屋の店主だ。 はじめに来たときは、ドアを開けると大きな食卓のある居住スペースに出たので驚いた。 端にはずらりと並んだ本棚も見えたが、手前はキッチンの併設されたダイニングでそこのテーブルでは司書のカウベルと、店主の同居人のサキ、それから店主が三人で茶を啜りながら談笑していた。 「あ、リジョル先生。すみません、うちは家と店の入り口が一緒なので」 ややこしいことに、地下にある博物屋と居住スペースの1階が魔法により切り替えで同じドアから出入りできるようになっているらしい。 店を閉めている時間はこうして、ドアを開くと居住スペースに出る。 しかも普通奥に作ってもいいんじゃないかと思われる食卓がドアの真ん前にあるのである。 リジョルはその時も素直に言い放った。 「入り口入ってすぐ飯食ってるっていうのは情緒にかけないか?」 その問いにはカウベルが華やかに笑って答えた。 「あらぁ、奥から出てこなくてよくて便利じゃない!」 まさかそんな理由だとは思わないが、博物屋に何度か訪れるに連れ、ここの住人のそれなりの怠惰な性格が何となくわかってきた。 最初の日に差し出されたアップルパイが美味しかったせいもあるが、店主と魔法について話をしてから、リジョルはとてもこの場所が気に行った。 世界図書館の所蔵にも目を通し、自分の目的の為に魔法の知識を集めることに余念のない店主は同じ魔術師として非常にマニアックな知識を共有できたし、互いの研究の領域についても多くの知見を交換することができた。 また、店のバイトであるという司書カウベルの入れる紅茶が美味しい。 いつしか週一程度の頻度で博物屋に立ち寄り、ティータイムを楽しむことがリジョルの大事なライフワークになっている。 「こないだ、借りた魔道書は面白いが難解だな、まだ入門書の部分しか目を通せてない」 紅茶と食器の他に砂糖菓子の瓶をトレイに載せて、店主は奥の階段を下りてきた。 カウンターの近くの本の山から一冊適当に抜き出して中身を流し読みしていたリジョルは紅茶の良い香りに相好を崩しながら本を戻した。 「こないだ本棚ごと貸したものだろう。一週間で入門書が読めれば上々なほうだ」 ――ふむ、魔術による生き物の再現か。 ――参考資料になりそうな魔道書なら、リジョルの自宅には読み飽きた魔道書が多くある。 ――……いるかい? しばらくロストレイルが遠方から持ち込んできた新たな資料に首ったけになっていた店主が、久々に手が空いてきたと呟いたことから、持ち出した提案だった。 前々から店主なら大きな興味を示してくれるであろうことはわかっていたのだが、他の話に忙しかったのだ。 思った通り提案を喜んでくれた店主だが、リジョルが即時にアポートにより本棚ごと店内に取り出したときは、珍しく狼狽して、こう提案を返してきた。 「悪い。置き場がないから、うちの本も一棚分借りてくれないか?」 こうして、今はリジョルの家に店主の所蔵の入った本棚がひとつ置かれている。 それはボロくて埃をかぶっていて、リジョルの貸した棚のように本が巻数で揃っているわけでもない雑多なものだったが、手写しされたものであろう貴重で細やかな図版の美しい図鑑も多く、リジョルの目を楽しませている。 しかも博物屋の持つ本の多くは埃が積もっているわりに焼けや虫食いは少ない無いのだ。 何か保存の為にも魔法を使っているのだろう。 リジョルの貸した本の中には入門書や魔術師のノートの写本の他、非常に古いどこかの世界では梵書指定された禁書なども含まれている。いくつかはページごと欠落してしまっているだろう。ただし、数ページ欠落した程度じゃ少しも落ちることのない価値がその本達にはある。それがリジョルにも店主にも良く分かっていた。 店主はリジョルが持ってきたケーキの箱から、ふんわりと甘く香るスフレチーズケーキを取り出して、皿に移した。 「へぇ、美味しそうなスフレだな、箱は学校近くのパティスリーのだが……もしかして新作か?」 「店主は最近出不精だと聞いてたが、菓子の情報だけは詳しいな。新作で当たりだ」 「リジョルと同じで甘いものには目がないからな」 フォークでスフレを削ると膨らんだ泡が潰れる音がして、店主は嬉しげに口元を上げる。 「いただきます」 「フォークを差す前に言いたまえ」 「時間は戻らないな」 そんな軽口を言い合いながら、リジョルもそっとケーキにフォークを入れた。 そっと運び口の中で溶かすように味わうと二人はふぅ、と息を吐いた。 『美味い』 二人は同時に紅茶を一口飲んで口の中を落ちつかせると、二口目を崩しにかかった。 「これはなかなか素晴らしい出来じゃないですか、いやもうこの口どけが何とも言えないね」 「下に敷かれたスポンジの割合も素晴らしいな。レモンの香りもきつすぎない」 「それ思った。チーズケーキのレモンはやっぱキツすぎないほうが良いな」 一口食べるごとに、ケーキへの賛辞が二人の口から飛び出す。 「そういえば、今度新しい世界から仕入れた果物を使ったスイーツショーがクリスタル・パレスで行われるそうだ」 「まじか、そりゃ行かないとな。リジョルは一緒に行くか」 「行ってもいいが、華が無い話だ」 「華ぁ? 華を誘うとなると色々面倒だぞぉ、誰か当てはあるのか」 「カウベルは」 「それは最高に面倒だぞぉ」 そこまで言ったところで、博物屋は後頭部を抑えてカウンターにうずくまった。 リジョルが尻尾を揺らしながら涼しい顔で視線を上げる。 「紅茶のおかわり持って来たら、何美味しそうなもの食べてるのぉ!? それに面倒ってなぁに! ちょっと店長、そこに正座してなさいな!」 カウベルは店主を殴ったポットから紅茶を注ぐと、店主を押しのけてカウンターでリジョルに向かい合う。 「ここの新作のスフレ美味しいのよねぇ! リジョルさん、いつもお土産ありがとぉ!」 彼女はそう言うと、店主の食べかけのケーキを一口で頬張った。 「生徒でも誘うかねぇ」 リジョルは自分の分のケーキをつつきながらそう呟いた。 *ギィロ・デュノスの場合 「お菓子の匂いがするのは此処かーっ!」 建物の外まで漂う甘い焼き菓子の香り。それに惹かれて子竜のギィロ・デュノスは博物屋のドアを元気に開いた。勢いに前垂れがひらりとなびく。 店の前には「Close」の札がかかっていたのだが、やや高い場所にあったせいもあり、ギィロの目には全く入ってなかった。 「あらぁ? ギィロちゃんじゃない、もう少しでフォンダンショコラが焼けるわよぉ」 テーブルから立ちあがったカウベルがギィロを見て、楽しそうに手を振る。 「え、何、客? 聞いてないぞ。ケーキ焼くのは初めてだからな。美味しくできるか知らないぞ」 オーブンの前でそわそわと中を覗いていたサキはちらちらと急な来客を気にしている。 「呼んではないけど、来てしまったらお客さんだな。ようこそ子竜君。こちらの席へどうぞ。飲み物はコーヒーじゃないほうが良いかね」 カップにコーヒーを注いでいた家主である博物屋店主は、突然の来客にも驚いた風も無く椅子をひいて席を勧めた。 「何だかお店というより、普通のおうちみたいだねぇ」 ギィロはきょろきょろとそのダイニングを眺めて言った。喫茶店か何かだと思って入ってきたらしい。 「ここは私のうちだよ。お店はもう一階下」 「へぇえ、おれ、良い匂いがするから入って来ちゃった。ごめんなさい」 「良いのよぉ、減るもんじゃないしぃ」 家主ではなくカウベルが笑って手を横に振った。 「ギィロくんって言うのか。今日はね、うちの居候のサキが彼女にプレゼントするためのケーキの試作をしていてだな。我々は残念ながら実験台なんだ」 ギィロの前にホットミルクの入ったカップを置いてから店主は自分の席についた。 「実験台? でも凄く良い匂いがするよ、甘いチョコの匂いも」 「ははは、チョコは市販だから不味い匂いはしないさ」 「くっ、文句を言いたいが、まだ成功してるかわかんねぇから口答えできねぇー!」 サキがオーブンの前で地団太を踏んでいる。 「ね、焼けるまでビスケット食べる? こっちは美味しいってわかってるから大丈夫よぉ」 「わぁい、ありがとう!」 ギィロは差し出された皿からクッキーをつまんで頬張った。サクサクとしていてとても美味しい。 「ギィロちゃんは、お父さんのところに帰るって言ってなかったかしらぁ? 何か準備が大変だったりする? 何か困ったことがあったら図書館に来てねぇ」 最近随分司書らしい言動の増えたカウベルである。そういった様子を見かけるたびに古い知己は変な顔をするのだが、カウベルもそこそこの年季のある司書ではあるので、実際の経歴的にはこの程度の気づかいはいたって普通のことである。 「うん、確かに元の世界に戻るつもりだったんだけどさ、ちょっと意外な事があって!!」 ギィロは手をバタバタさせながら羽根もパタパタと羽ばたかせて椅子の上に飛び乗る。 足に引っ掛かった前垂れがひらりと足元に落ちる。 「おい、脱げてるぞ」 サキが遠慮がちに拾った前垂れをギィロに差し出した。 「あれ、ありがとう」 ギィロは特に恥ずかしがるわけでもなく前垂れを付け直す。サキはどうしたもんか首を捻ってから、一応手を洗った。料理中だし。 「なんと……パパが覚醒して0世界にやって来ちゃったんだよ! 会った時何よりまずビックリしちゃったぜー!」 「えぇぇ!?」 「『なんでパパがここに居るんだよっ!』って言ったんだけどさ、でも何か嬉しくてもう泣いちまって! それ見てパパも『ふははは、我が来たからには安心しろギィロ!」とか言ってたぞ」 「頼もしそうなお父さんねぇ」 こくこくとカウベルが嬉しそうに頷く。 サキがオーブンから天板を取り出すとほんわりと甘い香りが強く広がった。 「うわっ、ちょっとチョコはみ出てるのあるな。焦げては、ないか?」 「うん? まぁ何かそれっぽいんじゃないか。食べてみようじゃないか。早く」 店主がサキの後ろから焼き加減を覗きこみ、急かす。 「はみ出てんの回すぞ、席ついてろって」 「良い匂いだね!」 「ねぇ!」 ギィロとカウベルが嬉しそうに笑顔を向けあう。 皿に少し不格好ながら、何となくそれっぽい形状を為しているフォンダンショコラがのせられて、一人ひとりの前に配られた。皆片手にフォークを取り、作成者の声を待つ。 「えー、少々いびつではありますが、心をこめてつくりましたぁ。 食べて感想お願いします! どうぞ!」 『いただきまーす』 三人の声が揃う。 フォークでスポンジを崩すと、中に入ったチョコがとろりと溢れてくる。まだ熱く湯気を立てるケーキをそれぞれフゥフゥと冷ましながら口に運んだ。 「んー、美味しいわぁ、出来たてって良いわねぇ」 「うまーい!」 「うん、なかなか」 三人の悪くない反応に、サキが嬉しそうに顔を明るくする。 「お、何だ俺、やれば出来るカンジじゃね?」 「まぁ普通に料理できてるもんね」 「カウベルは壊滅的だが、サキは出来る」 「サキは料理上手なんだね」 ギィロは口の周りにチョコをつけながら嬉しそうにフォークを咥えている。 「そういえば、さっきのギィロちゃんのお父さんのお話だけど、今は一緒に暮らしているの? ギィロちゃんは一緒に住んでる人が居たわよね?」 「あぁ、ハウエルの事か! うん、相変わらず奴の元で過ごさせて貰ってるぜ!パパと一緒にな! パパってば我を楽しませろだの我に似合う装飾品を作れだのコキ使っててさ! その様子見て思わず笑っちまったぜ! 笑ってたら頭ぐりぐりされたけどなー」 「ギィロちゃんと一緒に住んでるツーリストさんは装飾品職人なのよぉ。 しかも特に竜向けが得意なのよね」 カウベルが二人の為に話を補足する。 「お父さんと元の世界に帰らなくていいのか? ロストナンバーは歳を取らないからなぁ、いつまでも小さいギィロとパパ上のまんまだぞ?」 ミルクのコップを両手で持ったまま、ギィロは少し首を傾げた。 「確かに大人になれないのはちょっと不満だけどー。 でも、パパからこんな魔法教わったんだ!」 そう言うと、ギィロの体がキラキラと発光したかと思うと、ジワリとそのサイズが膨らむ。座っていた椅子がギシギシと音を立てた。 光が消えるとギィロは2m程の大きさになっている。牙も目つきも鋭くなって、顔付きも凶悪だ。 「ほら、これなら大人になった気分になれるから、今のとこは気にしてないぜー!」 そういうと、残ったケーキを大きな口に放りこみひと飲みにした。 「また、前垂れ取れてるぜ、あとケーキ二個目いるか?」 「食べるー!」 シュルシュルと元のサイズに戻ると、前垂れを付け直してからギィロは席につきなおした。 「おれ飽きるまではロストナンバーはやってると思うぜ! まぁ0世界に居ると色々なことがあるしいつ飽きるかどーかはわかんねーけどなー!」 「そう簡単に飽きることは無いと思うな。わたしもまだしばらく此処に居る予定だから、また遊びにおいで」 博物屋がミルクのおかわりを差し出す。 「ありがとう! あ、そうだ、二人にお礼」 ギィロはカバンからゴソゴソと布を取り出すとサキと店主に差し出した。 それはギィロが腰につけてるものとお揃いの前垂れで。 「仲良くなった竜の人にお揃いで付けて欲しくて配ってるんだ! おまえたちは竜じゃないけど、特別だ!」 「おー」 「おう」 二人が自分の腰に前垂れを当ててみて複雑な顔をしているのを見て、カウベルの爆笑が部屋に響き渡った。 *ルンの場合 ――ルンは死人 ――死んで神さまの国に来た ――だから神さまの役に立つ ――薄れて砕けてまた死ぬまで ルンはロストナンバーになってから、ずっとそう考えてきた。 それは1年、10年、100年、それ以上の時を重ねても一緒。 危険な依頼にも参加した。 大きな戦争にも参加した。 ただその合間に、ルンが好んで何度も足を運んだ場所がある。 博物屋。 生物の死の匂いと積もる埃の匂いと、時々美味しいお茶やお菓子の匂いのする不思議な店。 「テンチョテンチョ、遊びに来……?」 「またロストレイルの乗務があるから次のバイトはちょっと先になるわねぇ、店長もあんまり籠ってるともやしみたいになっちゃうんだからぁ、たまには冒険旅行にも行くのよぉ? あ、ルンちゃん、いつもお仕事お疲れ様ぁ! 今日は時間がないんだけど、またお話しましょうね? では、おつかれさまでぇーす」 カウベルは博物屋の店主に小言を言い、ルンと両手で握手をしてから、振りかえり敬礼のポーズを取ってからパタパタと店を出ていった。 店主はカウンターにけだるげに片ひじを突いたまま、閉じたドアを見つめている。 ルンはドアと店主の間をキョロキョロと何度も目を運んだ。 そして難しそうに眉を寄せてからツカツカとカウンターに近寄ってから口元を隠して店主に告げる。 「……テンチョの番い、カウベル?」 「ゴホッ、ちょ、何でそうなる、ウッ、ゲホッゲホッ」 店主は激しく咽てしまいカウンターの向こうにしばらく沈む。その間に慣れたようにカウンターの近くの手ごろな本を積み上げて椅子を作り出し、ルンはそこに腰をかけた。 「テンチョの熱視線」 「変な言葉を覚えるな。ルンは見かけによらずカップルとか好きだよな。サキの事も大分いい感じに煽ってくれてたって言うし……でも何でカウベルなんだ。無いだろあれは」 「ウーン、でも何かヘン。ひっかかる」 ルンは本の上で器用にバランスを取りながら腕を組む。 店主はその様子を見ながら、ルンの分の茶を注いでやる。新しい世界から入って来たという赤い花茶は少し酸味が強いがなかなかに美味だった。 ルンはそもそも余り考え込む方ではない。今も珍しく頭を使っているのだろう、知恵熱でも出そうな非常に難しい顔をしている。ただし、勘が悪い方ではない、元にいた世界の影響か、本人の能力なのか、野生の勘……というのが良く働くのだ。 それは店主も認めているルンの能力なので、いきなりカウベルが番いと言われたのには驚いた。本人には全くその気は無かったが、何か。ルンにそう思わせる何かがあったのだろう。 「ルン知ってる。頭に番号ある人、年経る人、生きてる人。ないは年経ない人、死んでる人。カウベル生きてる、テンチョは死んでる。テンチョが旅に出ない、だからか」 ルンは自分の言ったことを後押しするように力強く頷く。 「いない間にカウベル年取る、心配」 店主はそれを聞いて、少し考えた。ルンの言わんとしているところを考える。ルンは少し思い違いをしているようだが、その先も含めて少し考えた。 ルンの言葉には自分の考えも及ばない特別な勘と思考から来る大事な要素がたくさんある。だから考えた。それからとりあえず、ルンの間違いに触れる。 「カウベルの頭の上にあったのはいくつだった?」 「0」 「それは0世界の番号だ。カウベルは0世界に帰属している」 ルンはお茶にも手をつけずにコクコクと頷いた。 「そして0世界には時間は流れていない。朝も夜も来ない。だからカウベルは歳を取らない。わかるか?」 ルンはぽかんと口を開けた。 「俺もカウベルもルンが来るずっと前からこの姿でここにいる」 「じゃあ、テンチョも0になれば良い。旅出ないのは、他の世界で生きたくないから」 「それはまた新しい展開で……」 店主は片手で顎をすった。確かに他の世界のどこか一か所に強く興味を惹かれてしまいそこに居ついてしまうのは自分の恐れているところではあった。 それはカウベルがどうこうではなく、自分の研究の為だと思っているが。 「恐いか。死んでからの記憶、残ると聞いた。テンチョはカウベル、忘れない。大丈夫」 真剣な目でルンは店主に伝えてくる。その目はいつも綺麗に澄んでいる。 軽く胸を叩いてルンは続ける。 「番が居るなら、生き返れ。胸に穴あく。寂しいは、長く生きない。温まった方がいい、多分」 愛する人と同じ世界に帰属すること。それは確かに大事なことかもしれない。 0世界にいた夫婦や恋人達の多くはどこか定住の地を求めて0世界を去っていった。それはロストナンバーが成長をせず、子をなせないという事実のせいも大きいが、永遠であるはずの生命を捨ててまで、皆はどこかへ旅立っていったのだ。 「欲しい物、依頼しろ。任せろ、ルン取ってくる。だから材料、心配ない。生き返っても、研究できる」 ルンは優しい。自分のことを思って言ってくれている。だから人に話さない、自分の話を店主はすることにした。 「ルンは前に話した、"俺の一番好きな人間"がカウベルだと思っているんだろ? 残念ながら違うんだ。その人は俺が元にいた世界で、一応、番いだった人で」 「テンチョ、番いが居たのか!」 「うんまぁ、昔の話だよ。もう死んでしまっているだろうね。所謂恋愛結婚ではなくって、許婚ってやつでー、わかるか?」 「わかる。早く番い決める、家族仲良くなる」 「その世界はちょっと特殊で、城守りっつー城の中から出られないけど、その城を守る大きな力を持った人間が代々生まれてて、俺がそれだった。で、彼女はお城の女王で」 「国の長。わかる、勉強した」 「でも、凄いんだよ、彼女は外に出られない俺の代わりに兵を率いて隣の国を攻めちゃうくらい強くって」 「部族の長、女でも強いが良い」 「まぁだからルンに似てるかなぁって言ったんだ。そもそも、彼女が俺のことをとても好いてくれていて、俺は自分が彼女のことを好きだなんて全然気づいてなかったんだけど」 店主は口を尖らせた。 「まぁ離れてわかることもある」 「テンチョ、やっぱり寂しい」 「良くわかんないんだよ、その後誰かを好きになったと思ったことがないし。つっても、前も離れるまで分からなかったわけで、もしかしたらもう誰か好きなのかも……」 べったりとカウンターにつっぷしてから、パッと顔をあげて真剣に言った。 「これは内緒だからな。サキやカウベルにバレたら馬鹿にされる」 「そうか?」 「そうだ。うーん、俺がカウベルを好きか……それこそ全然考えたことが無かったが、そういうこともあるのか?」 「ないのか?」 「わからん」 「テンチョもわからないことがある」 「ある」 はぁ、と店主はショボくれたため息を吐いた。 「まぁ、うーん、何かあったときはさっき言ってくれたように助けてくれ。ルンのことは頼りにしてる」 「まかせろ。その時、ルン手伝う」 ルンは胸を張って答えた。 「でも俺は昔から知識欲のある引きこもり何だよ。ここから出ないのもだからだと思うんだけどなー」 店主は後ろに体重をかけてギシギシと行儀悪く椅子を鳴らした。 ルンはすっかり冷めた茶をグビグビと飲んで、別の話題を切り出す。 「ところでサキの結婚式、いつだ? ヴォロスへクマ獲りに行く。お土産。宴のご飯、楽しみ」 「もう婚約は大分前にしたはずなんだけどなー、式もどっちかというとしたそうな感じだったが」 「しばらく生き返る気が無いとは聞いた」 「ラブラブ謳歌中だから」 「うむ。良いこと」 店主がルンのカップに新しい茶を注ぐ。ふんわりと温かな香りがした。 「うーん、知り合いで他に生き返りそう……エダム? エダムはずっと死人、多分しない?テンチョも話す、してみるといい」 「エダムさんね。ルンの知り合いは興味あるなぁ。 で、ルンは? 番いは作らないのか」 「ルンの1番、狩り。番いはならない、いない。ルン平気」 「何かズルいな」 「そうか?」 ルンは涼しい顔をしてからニッコリと笑った。 「壱番世界遊園地、面白かった。テンチョ、カウベルと行く、良い」 「え、やっぱりカウベルなのか?」 店主は変な顔をしたままウンウンと呻いている。 ルンはいつものように快活に笑った。 *ソアの場合 北極星号の帰還から一年。 自分の左手に指輪がはまってから約一年半。 ソアはいつも通り早起きして、朝ごはんの仕度をしてから自身が栽培している苺を摘みに外へ出た。 太陽のあるチェンバーの中で朝露がキラキラと輝いている。 今日も良い日だ。 ソアは家に戻ると玄関から入らずに、寝室にしている六畳間の外から雨戸を開いた。 部屋に明るい光が差し込み、部屋の中にある布団がもぞもぞと動く。 「サキさん、おはようございます」 「……おはようー」 サキは寝ぼけながらもムニャムニャと体を起こし、眠気を追い払うように顔を抑えた。 農業を営む早起きのソアに対して、サキは少し朝に弱い。 ソアの家に泊った日はいつも必死に朝と戦っているのだが、ソアが朝食を作り終えるまでに起きられた事は無かった。 なので、いつもソアが雨戸を開く音で目を覚まし、朝日を背にする彼女の笑顔を見て眠気を振りはらう。食事まで準備して貰って悪いと思いつつ、サキはこの目覚め方が結構好きだ。 「今朝は大粒のいちごがいっぱい採れたんですよ! 朝食にも付けますね」 サキはもそもそと布団を片付けつつ、横を通りぬけるソアの頭を撫でた。 ソアが山盛りの苺を載せたカゴを持ったまま笑顔になる。 良い朝だ。 ご飯に焼き魚にお味噌汁。それから控えめに盛りつけられた煮物と漬物、みずみずしい大きな苺。 『いただきます』 二人は手を合わせてから食べはじめる。 サキとソアはまだ同居はしていない。でもソアの家にサキが泊まる頻度はどんどん増えていた。もう一緒に住んでしまえばいいのに! と良く言われるのだが、二人とも幸せは少しずつ増やしていけば良いと思っている。一足飛びにどうにかする必要はないのだ。 わりとのんびりとしている二人である。 「今日は劉さんと星川さんが開いた探偵事務所にお手伝いに行かれるんですよね?」 「バカップル事務所……」 サキは自分の事を棚にあげて、先輩と友人の開いた探偵事務所をそう呼んでいる。 自分のバイト先のホストクラブの先輩と、ソアの紹介で出会った友人とはインヤンガイを中心とした物騒な依頼では良いトリオだと思っていたが、気づいたらコンビだった。 というか、自分は自分でソアのことばっかり考えていたので、全然気付かなかった。 二人の仲は本人たちに聞けば勿論否定されるのだが、バイト先の店長に言わせると「結婚してるようなものアル」である。 「晩飯には間に合わないかもしれないけど、絶対打ち上げには付き合わないで帰る。メール送るから」 「はい」 どうやら今夜もこっちに泊ってくれるようだ。ソアはこっそりと心の中で喜ぶ。 「わたしは色んな人に苺を配って来ますね」 「うん。今年の苺は形が綺麗だな、菓子屋にでも売ればいいんじゃないか」 「そうですねぇ、今年育てた品種は当たりだと思います。来年はもっと量を育てれば」 「そっか」 二人の会話はいつもさほど長くは無い。でもいつも心地よかった。 食事を終えて食器はソアが洗って、サキが拭いてから棚にしまう。 いつもの分担。 「はい、これお弁当です!」 ソアがサキに包みを差し出す。 サキはソアのオデコにキスをしてから手を振った。 「いってきます」 「いってらっしゃい」 ソアはサキが泊っていった朝でこの時間が一番好きだ。 「リリイさんこんにちは」 ソアはまず、女主人の切り盛りする仕立て屋に顔を出した。 「あら、こんにちわ。先日の注文のお洋服、出来ているわ」 「えっ、もうですか?」 「ええ、一緒に来た男の子の分も」 「サキさんの分も? ありがとうございます。これでレイラさんの結婚式に間に合います…!」 ソアは手持ちの包みを持ったままぺこりと頭を下げた。 そして顔を上げてから申し訳なさそうに言った。 「あの、実は服を取りに来たのではなくて、今日取れた苺をお届けしに来たのです。もう少し寄らないといけないところがあるので、後で改めて取りに伺ってもよろしいでしょうか?」 「まぁ、謝らなくても良いのよ。苺をありがとう。お礼にお茶だけでも飲んでいかない?」 「はい、ありがとうございます。喜んで」 リリイはお茶を入れると、まだマネキンが来ているドレスとスーツを見せてくれた。 「とても綺麗です。こんなドレス私に似合うかどうか……」 「あら、私は似合わないドレスなんて作らないわ」 にっこりとリリイが笑うので、ソアは顔が熱くなった。 追い打ちをかけるようにリリイが言葉を紡ぐ。 「本当は真っ白なドレスの注文だと思っていたのに。カラードレスなのね。 貴方は着物が似合うから白無垢でも良いとは思うのだけど、あれは少しデザインしがいが無いのよね」 「!? そ、それはどういう」 「あら、男女が一緒に正装を仕立てに来たのだもの。やっぱりそういうことかなって」 リリイが細い指を伸ばして、ツンツンとソアの左手の指輪をつついた。 ソアはさらに真っ赤になる。 「あ、もしかしてもう済んでるとか」 「リ、リリイさん!」 「うふふ、ゴメンナサイ、カウベルからまだだって聞いてるわ。 ご入り用の際にはどうぞお引き立てをよろしくお願いいたします」 リリイは澄ました顔で商売の口上をすらすらと述べた。 「博物屋さんこんにちは」 「あ、ソアちゃん! いらっしゃーい」 博物屋の扉を開けると、カウベルが嬉しそうに両手を振った。 「カウベルさんもいらしてたんですか、こんにちは! 少しお久しぶりですね」 「そうねぇ、もー最近忙しくて、ノンビリお茶も飲んでられないのぉ」 そう言いながら、カウベルは優雅な姿勢でお茶を啜っている。 「この苺、今朝チェンバーで採れたものなんです。お二人とも良かったらどうぞ!」 「ソアさん、いつもありがとう。で、うちのバカはいつ帰って来るんだ? ついに家主に挨拶も無く荷物もそのままに彼女と同居か。台所をかたづける奴が居なくなって困ってるんだ」 ソアがシンクに目をやると確かに食器が山のようになっている。 「ええと、今日も泊まりで……明日からは依頼で……私が片付けましょうか?」 「お客様にそんなことさせられないわよぉ、ほら、はやく座って。苺早速いただいちゃおうかしらぁ」 まるで家主のようにカウベルはソアにイスを勧めた。 「サキ君の予定もちゃんと把握してて、さすが奥さんねー。で、式はいつなの? 早く決めてくれないとドレス代がキープ出来なくて困っちゃうわ!」 「さっき、リリイさんにも聞かれました……」 「ルンにも聞かれた」 博物屋がソアの分の茶を入れようとカップを探すが、どうも在庫切れらしい。仕方なく腕まくりをしてシンクから救出したカップとソーサーを洗う。 「うう、まだ未定です。帰属してからでもいいかなー何て思ってみたり……」 「どこに帰属するか決まったのぉ?」 「いえ、全然」 カウベルがあらぁと口を抑えてから、まぁいいかとソアの持って来た苺に手を伸ばす。 「……なんだかここに来ると、サキさんと出会った時のことを思い出します。 あの時カウベルさんからお掃除を頼まれなければ、今サキさんと一緒にいることもなかったんだと思うと……」 ソアはそう言うと目を潤ませた。 「本当に、お二人には感謝してもしきれません」 博物屋はカップをソアの前に置いてから、カウベルは口の中の苺を呑みこんでから。 顔を見合わせてから口を揃えて言った。 『そういうのは式で言って貰わないと』 「す、すみません」 ソアの涙は慌ててひっこんだ。 「サキさん、おかえりなさい」 「ただいま」 サキはいつも少し恥ずかしそうにただいまという。 それを見ていつもソアは微笑んでしまう。 「何かいいことありましたか? なんだか嬉しそうですよ」 「いや、いつものバカップル事務所だった。雑用ばっかり」 「じゃあ何が嬉しいんでしょう」 「おかえりなさいって言われたからかな」 「いつも言ってるじゃないですか」 「だな」 それでもサキは嬉しそうだった。 「明日はインヤンガイの依頼でしたよね? 気をつけて、頑張ってください」 ソアが拳を作ってそう言うと、頭を撫でられてしまった。 「え、寂しそうに見えました? だ、大丈夫ですよ! 帰ってきたら一緒にブルーインブルーに行きますし……」 ソアは今日あった事をどうサキに伝えようか迷った、最近よく言われる「結婚式」のこと、言おうかな、どうしようかな。 「リリイさんに頼んでいたお洋服、もうできたんですって。引き取って来ました。 サキさんのスーツもとってもカッコよく仕立てられてて……」 ソアは悩んで、思いついた言葉を口にした。 「あの、あの……抱きしめて、貰えますか?」 突然の希望にも関わらず、サキはソアのことを迷わずぎゅっと抱きしめる。 「ふふ、サキさん大好きです……」 「うん」 サキがソアの頭を片腕で抱えたまま、そっと耳元で囁く。 「実は式はどうするのかって聞かれてる……」 ソアは可笑しくなってクスクスと笑ってからサキの胸に顔をうずめながら言った。 「私もです」 サキの頭がソアの頭に寄りかかる。 「考えなきゃな」 「はい」 二人はしばらくそのままくっついていた。 *ユーウォンの場合 何年経っても、ユーウォンの好奇心は相変わらずだった。 チャンスが有れば新しい世界に飛び込んでいく。 そしてチャンスは今溢れていた。 また、ワールドエンドステーションにもしょっちゅう入り浸っている。自身がロストレイル13号でたどり着いたときに幸運(?)にもワールドオーダーに許可を受け、「送り出した」世界計の複製。それは「136947周期(どのくらいだろ」の時間ののち「83%(高いのかな?」の確率で初期の世界繭になるらしい。 つまりユーウォンはいずれ世界の一つになるかもしれない欠片を、産み出してきたのだ。 やはり行方や様子が気になる為、「追跡調査」を度々行っているのだ。 未だ何か変化があるわけではないが、いつか、がきっと来る。 ディラックの空に浮かぶそれを見るたびに、自分の子供のように思えるユーウォンだ。 もっとも小柄な姿と口調の為か子供っぽく見られがちなユーウォンだが、実は子育て経験もある。世界は竜の子よりずっと手がかからない。 遠くから見つめるユーウォンはいつもそう思いながら、小さい手を精いっぱい振って、世界の成長を応援してくるのだ。 そんなこんなで今や活動派の司書さんとはすっかり顔なじみだ。 まだ短距離乗務しか任されないという司書カウベルとも何だかんだ手続きや依頼などで顔を良く合わせる。 彼女の紹介もあり、前から気になっていた博物屋にもたまに出入りするようになった。 「店長! 面白い生き物を見たんだよ!」 幻影の魚が泳いでいくその店内は、いつ来ても散らかっていて、雑多で、そして変化が少ない。 0世界の中でもとびっきり停滞した場所。 いや、この店の主が留めることを望んでいるのだから、これは努力の上の停滞だ。 変化を好むユーウォンにも、この店の姿は面白く映る。 保管された標本達や、魔法で産み出された幻達はそれぞれ変化をしないのに、ユーウォンは訪れるたびに新しい生き物に出会えた。数多くの所蔵と継続される店主の収集意欲がいつだって目に新しい。 「いらっしゃい。今度はどこまで行ってたんだ? 随分久しぶりな気がするな」 いつも通りカウンターにけだるげに腰かけて本を読んでいた店主が、嬉しげにユーウォンに席を勧める。バタバタと奥の階段を下りてくる音がした。 「お客さん……はユーウォンちゃんね! こんにちわ! お茶とコーヒーどっちがいいかしらぁ?」 奥から顔を出したのは司書カウベル。今日はバイトなのか、オフなのか。何故かピンクのメイド服に身を包み、特に何も乗っていない銀のトレイを楽しげに振っていた。 「甘いカフェラテがいいかなぁ。それからこの子に水をくれる?」 そう言って、ユーウォンがカウンタに持ちあげたのはひとつの鉢植えだった。 「この子はおれの『家族』でね、トゥレーンで生まれの帰属した友達からの贈り物なんだよ。 楽しい話を聞くのが好きで、話を聞くと咲き方や色が変わるんだ。 貰った時は白い花が咲いていたのだけどねぇ」 ユーウォンは余程色々な話を聞かせたのだろう。鉢植えには鈴なりに花が咲き、その枝ごとに色味の違う花弁が揺れていた。 カウベルがニコニコ笑うと「かしこまりました」と言って階段を駆け上がっていく。 ユーウォンが鉢植えを子細に眺めている店主に声をかけた。 「不思議な歌を歌う、面白い生き物がいたんだ。で、君たちにも聞かせてあげたくなって来たんだけど……この子にもあの歌を聞かせてやりたいから、連れてきちゃった。いいだろ?」 「歌? 歌う生き物か。勿論、彼……彼女か? もお客さんだ。後で簡単でいいからスケッチさせてくれないかな。あと時々また連れて来てくれると嬉しいんだが」 「気に言ってくれたんだね? ありがとう」 ユーウォンは嬉しげに尻尾を揺らした。 「はぁい、カフェラテと紅茶が二つ、それから新鮮なお水、お待たせいたしましたぁ」 カウベルがモノが多くて狭いカウンターにムリヤリコップを並べて行く。 「ユーウォン、言い忘れたが、カウベルのコーヒーはあまり美味くないぞ」 まず鉢植えに水をかけてやりながら、ユーウォンはカップとカウベルをちらりと見た。 「そうなの?」 「えぇ、そんなこと無いわよう。コーヒーはコーヒーでしょう?」 カウベルは手近にあった椅子の上のものを適当に床に放ると、カウンターの近くに陣取った。 「おれは何かを食べて不味いって思ったことはないけど」 「初体験かも」 「ちょっと、てんちょぉ!」 カウベルがバシンと店主の背中を叩く。ユーウォンは首を傾げてからごくりとカフェラテを飲んだ。そして、うーん、と考えてから感想を口にする。 「普通に飲めるよ」 「美味しいとは言ってないな」 「食べ物は大抵、すごく美味い、美味い、普通に食べられるのどれかだね」 「ユーウォンちゃんが全然褒めてくれてないことがわかったわ」 カウベルは自分の口の付けていない紅茶のカップをユーウォンの方へ寄せると、自分の分を入れ直しにまた階段を上がっていった。 「これも飲んでいいってことだよね?」 「紅茶はすごく美味しいから、後で褒めてやってくれ……」 悪びれないユーウォンに博物屋はため息交じりにそうコメントした。 「あ、でねぇ、店長。こないだとても寒い雪と氷に包まれた世界に行ってきたのだけどね」 ユーウォンは思い出したように、博物屋にやってきた目的の話をしだした。 「とても巨大な氷湖に住んでいた、巨大なアザラシに似た生き物なんだ。太い管の様な器官が顔にずらりと並んでいて、ちょっと変で気味が悪いのだけどね。 それが筒を振るわせてパイプオルガンと口笛を合わせた様な、実にきれいな声で歌うんだ」 「ほぉ、歌でコミュニケーションをとるタイプなのかな」 「これ、ひとつだけ拾ってきた、その生き物の管の部分」 ユーウォンはそう言うとトラベルギアのカバンから一抱え程のラッパと笛の間のようなものを取り出した。 「現物を持ってきてくれたのか! これは嬉しい」 「生え代わるものらしくて、雪に埋もれていくつも落ちていたんだ」 「材質的には骨の変形したものみたいだねぇ」 「あら、なになぁに、楽器? それとも角かしらぁ」 戻ってきたカウベルがそのくすんだクリーム色の物体を覗きこむ。 「アザラシにいっぱい生えてるんだって」 「ええっ、じゃあ牙かしら? え、どこに??」 目をぱちくりするカウベルの横で、店主は特徴を元に紙に生き物の姿を描いた。 「こんなかんじか?」 ユーウォンとカウベル。それから、気のせいか鉢植えの花も首をもたげて絵を一緒に覗きこんだ気がする。 「そうそう、店長はやっぱり絵が上手いねぇ」 「アザラシは群れで歌うのかな。とりあえず、店の前の通りで出してみるか?」 「ええぇ? この店の騒音苦情率はちょっと異常よぉ?」 「きれいな声で歌うんだろ? じゃあ問題ないさ」 店主はノリノリでスケッチとその生物の一部という管を掴んで立ち上がる。 「ワクワクするね、何だか冒険に行く前みたい」 ユーウォンが鉢植えを抱えてパタパタと背中の羽根をはばたかせて宙に浮かぶ。 アザラシ達の歌は本当に美しかった。 いかんせん一体一体が巨大であったので、近所や通りがかりの人には驚かれたが。 空に登っていくような音のハーモニーに皆静かに耳を傾けた。 「その世界は雪に包まれて真っ白で、空気もパリッとしてたんだ。 ここで聞く歌も美しいけど、やっぱりその世界で聞く歌が格別かなぁ」 ユーウォンは歌に目を細めながら、店主にそう告げた。 「おれ旅が好きで、こういう風景と自分が出会えると思うと凄くワクワクするんだ。 でもね、それでもやっぱり0世界に"帰って"きて、しばらく過ごすの。旅が好きなら、ずーっと世界を回っていることもできるのに。何か不思議だなぁって思うんだよね」 店主はアザラシたちの歌に耳を傾けながら、傍らで鉢植えを抱えるユーウォンの呟きを聞いている。 「なんだか最近、おれも落ち着いてきちゃった気がするなぁ」 そうため息交じりに言うユーウォンの声に店主は少し笑ってしまう。 「珍しく、年より臭いことを言う」 「そりゃあねぇ、覚醒した年齢からしてもおれはおっさんだもーん。 子供だってねえ、元の世界と、えーっとワールドエンドステーションの近くと、あとこの鉢植えだって、家族だしね。おっさんくさい事もたまには言うんだからね」 ユーウォンはそう言うと羽根を揺らした。 「でもまだ旅には行くんだろう」 「うーん、そうだね、もう来週のチケット取ってあるんだ」 それを聞いて、店主は笑った。 「いってらっしゃい。 また、面白い生き物の話があったら是非博物屋へ。 そうじゃなくても、いつでも遊びにおいで」 ************** 扉を開けた瞬間。 グラリとした一瞬の暗転。 慌てて目を瞬くと、ぶわりと、 宙を泳ぐ魚の群れが迫る。 銀のウロコが煌めいた途端に魚は体をすり抜け。 丸いクラゲが笑うように周囲で円を描いた。 深海魚がぬらりと、 長い体で足元をすり抜ける。 周囲が深い青に染まっていく。 引き込まれる。 引き込まれる。 海に。 魚たちがぐるぐると。 歌を歌っている。 扉を開けた瞬間。 目の前は木のテーブルのあるダイニング。 テーブルにはフードから銀髪の覗く男と、派手な服を来た角の生えた女。 散らかったシンクと、部屋の端を壁のように覆う背の高い本棚。 甘い焼き菓子と紅茶の香り。 下らない言葉のやりとり。 「いらっしゃい。お茶がしたいのかな? それとも、何かわたしの興味を引くような生き物の話を持ってきてくれたのかな?」 「どっちでもいいじゃない、ね、椅子に座って。 あなたはどんなところから来たの? どこに行きたい? 色んな話を聞かせてね!」 博物屋はいつでも貴方の来店をお待ちしております。
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