「例えば、それは――」 リクレカ・ミウフレビヌはいつものように映像端末を併用しながら依頼内容を説明し、集まったロストナンバー達にチケットを渡していった。ターミナルだけではなく、ナラゴニアのロストナンバーもいる。「ほら、リッド君早く」「わっちょっとモモさん引っ張らないで。浮いてる、浮いてるってばぁ」 いつぞや樹海で迷子になっていた少女はすっかりターミナルに馴染み、チケットを受け取るやいなや猫と子豚を合わせたモチーフのぬいぐるみの腕をむんずと掴み走り去っていった。「あらあら、そんなに急がなくてもロストレイルが出るのはまだ先なのにね」「元気なのはいいこと」 少女と暮らしている製薬師と剣士のお姉さん2人はそんな様子を温かい目で見つめていた。 一方で。「む、そういえば。リクレカ司書、ちょっといいか?」「何でしょう、ケンプさま」 かつて図書館と戦った機械兵部隊のリーダーは、行き先の名産をリクレカに尋ねていた。「戻ったら送別会でな。折角だから何か渡してやりたくて」「おめでとうございます、と言うべきでしょうか?」「喜ばしい事ではあるが……寂しくもあるな」 ミリメカ系ロストナンバーの寄り合い所帯のような彼らからも、出身世界を見つけ故郷に帰った者は少なからず居る。時折保護された者を迎え入れる事もあるが、一時期と比べグループメンバーは大分減っていた。もちろんケンプのように今しばらく残るつもりの者も居る。 報告書の作成に戻っていたリクレカは、一息入れようとほのかに夕空を思わせるティーカップを取り出しながら、ふと窓の外を眺めた。 脳裏に浮かぶのは、ロストナンバー達の事。ターミナルの空の下で今も暮らす人達は、空の向こう側へと行った人達は、どこでどうしているのだろうか――。======<ご案内>このシナリオは「ロストナンバーたちの後日談」を描くものです。プレイングでは、みなさんの「その後の様子」をおしらせ下さい。このシナリオは便宜上0世界が舞台として表示されていますが、どの世界の出来事でも構いません。例:・3年後、ヴォロスに帰属した。冒険者相手の酒場を経営している。・数年後、○○さんと結婚。今もターミナルで暮らしている。・冒険の旅に出た。新たな世界を発見し、探索を続けている。・10年後、故郷の世界に帰り、再帰属を果たす。○歳まで生きて天寿を全うした。※「○年後」という表現があれば、北極星号の帰還の年から数えます相手のある内容の場合(結婚等)、お相手の方も同じシナリオにご参加のうえ、互いのプレイングに明記をお願いします。帰属済みであるなどしてシナリオに参加できない場合、設定欄等に同意があることをわかる記述をお願いします(納品されるまでそのままにして下さい。ライターが確認したタイミングで書かれていなければ参照しません)。なお、このシナリオの結果として、帰属や死亡が描写された場合でも、ステイタス異常にはなりません。!重要な注意!このシナリオのノベルに関しては、どのような理由であっても、納品後の修正依頼は一切受け付けません。「故郷の世界」や、「新たな世界」を描写する場合、担当ライターにその設定も含めて一任していただくものとします。複数のエピローグシナリオへの参加について、制限はありません。ただし、ライターは別のライターが執筆するシナリオの内容については関知せず、両者の内容について整合性を保つ義務は負いません。シナリオに参加したことをもって、上記の点をすべてご了承いただいたものとします。======
僕ハ、オズニモ幸セニナッテ欲シインダ。 ――幽太郎・AHI/MD-01P 我輩は2人を見守りながら、0世界で余生を過ごそう――と、思っていたのだが。 ――オズ/TMX-SLM57-P ある日、茶缶こと宇治喜撰241673の仕事を手伝っていた――というより一緒に仕事していた幽太郎の視界にとあるロボット兵が入ってきた。かつて敵対していた世界樹旅団機械兵部隊の隊長、ケンプだ。 一通りの依頼説明が終わった後、幽太郎は個人的に声をかけた。 「ケンプ、久シブリダネ……イヤ、直接会ッタ事ナカッタカラ……初メマシテト言ッタ方ガイイノカナ……?」 「そういえば会うのは初めてか。噂には聞いているよ、幸せそうで何よりだ」 「イヤ、ソンナ……」 恋仲に触れられ思わず照れる幽太郎。でも話したいのはそれとは違って。 「アノ、エット……ナラゴ二アノ戦イヲ覚エテイル?」 「チェス盤で戦ったアレか?」 「アノ時、揚陸作戦ヲ阻止シタ部隊ニ僕モ参加シテイタンダ……」 「ああ、レポートで読んだよ。電子戦でも完敗していたんだな」 当時を振り返ったのか苦笑いを浮かべるケンプ。あの時はふさふさの広域制圧ミサイルに始まり各特殊能力や連携でターミナルの地に触れることなく撤退する羽目になった。幽太郎によるステルス看破と当時の機械兵部隊を遙かに上回る索敵能力がその出足をくじいたのは言うまでも無い。1つの体制下で手を取り合う今しか知らない新米ロストナンバーが聞けば驚くエピソードの1つかもしれない。わだかまりも、消えたわけでは無いが。 「モウ、アンナ争イハシタクナイナ……ナラゴニアニモ良イ人達ガ沢山イルッテ分カッタカラ……君モ含メテネ……」 「そうだな、あんな戦いは俺たちももう沢山だ」 双方とも、少なくない被害を受けた。チェス盤に限定しても図書館側はふさふさのアヴァターラを失い、機械兵側は中破や大破が相次ぎ戻らなかった者も居る。 「ソウダ、今度遊ビニ行ッテモイイ……?」 「ああ、構わないよ」 ケンプ達は昔も今もメカ系の寄り合い所帯として大きな建物で暮らしていた。ただ、世界樹を維持するための戦いが必要なくなったことで組織として戦力向上を考えたりすることは無くなったそうだ。 宇治喜撰の休みに合わせて、幽太郎は恋人と弟のオズも連れて彼らの家を訪ねた。 昔の、まだ双方が対立していた頃の話からもっと前の双方が出会う前、さらに元いた世界の話。0世界の各エネルギー素材味比べ(?)トークに将来の話まで。 「では幽太郎さんもいずれは司書になるんですね」 「ウン、ソノツモリダヨ」 副隊長こと噴進砲型のミリーが、少しうらやましそうに幽太郎と宇治喜撰を見ながら声をかけてきた。 既に宇治喜撰の補佐として少なくない経験を積んでいる幽太郎だ。職場が同じならばずっと一緒に居ることも――いや既にずっと一緒に居る有名カップルなのだが。とにかく実務経験を着実に積み、他の司書達にも認められつつあり元々の情報処理能力等を考えればそう大きな障害は無いだろう。レディ・カリスの面接が多少不安ではあるが……。 「ソノツモリ、ナンダケド……」 そう言った幽太郎は、ちらりと弟のオズの方を見た。 オズは格闘型の面々と談笑していた。近接戦闘術等の会話をしつつ、つまみ代わりのエネルギー素材に酩酊作用でもあったのか自身の将来についてもぽつりと話し始めた。 「まあオニイサマが恋人と0世界に定住するわけだ、世界司書にもなるしな。我輩は2人を見守りながらこの世界で余生を過ごすさ」 世界司書になるということはロストメモリーになるということ。それは覚醒前の、元の世界の記憶を一切封印することでもある。恐らくオニイサマは宇治喜撰破壊事件でのあれこれを経て、故郷に関して気持ちの整理がついたのだろう。だから、未来へ向かうための決断をした。少なくともオズはそう思っている。 人は誰からも忘れられた時、真の死を迎えるという。ならば封印されるオニイサマの記憶――ハハウエの事は、自分が預かれば良い。 「異世界へは……そうだな、オニイサマ達の頼みであれば行くが、それくらいになるだろうな」 オズの話を聞いていた格闘型の1人は、そこにほんの少し違和感を覚えていた。大事な人の幸せを見守りたいというのは、確かに自然な感情に思える。でも、彼自身はそれでいいのだろうか。 機械兵達は知るよしも無かったが、オズのAIは幽太郎のそれがベースになっている。それは幽太郎の生家とも言える有澤重工研究所をオズを生んだテクノマトリクスが襲撃した際、ハハウエこと有澤春奈のAI理論を襲撃跡から断片ながら奪取して設計されたものだからだ。つまりオズは幽太郎とある意味兄弟でありながら、大切なハハウエを奪った企業の産物でもある。 もっとも彼の生誕に携わった研究者達がそのAI理論を理解していたかどうかはかなり怪しい。何故なら優秀な兵士とするためか組み込まれた悪魔の人格ベース、その中にあった『主人として相応しくないと判断された者は、無残な末路を辿る』という性質により、起動実験の際に当の研究者達がまさに無残な末路をたどったのだから。そしてある時テクノマトリクスでは解凍できなかったデータ――幽太郎と有澤春奈の記憶――の封印が解け、それをきっかけにオズは覚醒した。 そんな経緯があるためか、オズは幽太郎をオニイサマとして慕い、自分の出生に――オズ自身には何の責も無いのだが――負い目を感じ、そして幽太郎と春奈の親子のような関係に憧憬の念を抱いていた。あるいは従わせるのではなく導く姿こそ、彼にとっての『主人としてふさわしい者』だったのかもしれない。 だからだろうか、0世界で幽太郎と出会ったオズはいつしかオニイサマの幸せを何よりも優先するようになっていた。そしてオニイサマの幸せな将来が想像できる今、それを見守ろうとしている。 ただ、違和感を感じた格闘型は思ったのだ。それはある意味、幽太郎への依存ではないのかと。 ふとその格闘型が視線を動かすと、その幽太郎が隊長と副隊長と一緒にオズのことを見つめていた。 幽太郎にとって、オズは間違いなく弟だった。ただ同じAI理論で生まれたと言うだけでなく、共に生きる家族として。 だからこそ、不安だった。弟が自分のことばかり気にして自身のことをまるで考えないことに。 幽太郎には立派な世界司書になって宇治喜撰と一緒に幸せに暮らしたいという夢がある。しかしオズはただそれを見守りたいというだけで。 それは嬉しいことではあるのだけれど、でも彼の本当の幸せになるとは思えなくて。 ……いや、本当は気付いていたのだ。オズが兄弟以上の気持ちを自分に向けていることを。 気付いてはいたけれど、自分のことだけで精一杯だった頃にはそこまで気をかける余裕が無かった。でも、今は違う。 それに、オズにも誰かを愛することは出来るはずなのだ。何故なら同じ母から生まれたのだから。有澤春奈は、きっと自分たちの幸せを願っているはずだから。 そう、テクノマトリクスの最大のミスもここにある。彼らが単に優秀なAIとしか見なかったそれは「一個の個体として人と共に歩むこと」を理念に開発されたものだった。彼らの求める「従順で優秀な兵士」とは方向性が違い、それを理解せず採用した彼らは当然のようにオズを自分達の制御下のものとして扱った。結果、オズの高度な自我に主人として不的確と判断され、惨劇を招く結果となったのだ。 もっともそこまでは知らない幽太郎だが、オズへの不安はクローズドリンクでケンプとミリーに打ち明けた。 2人は、幽太郎の背中をそっと押した。 このままでは駄目なんだ。それに、彼がこのままだとそれが心残りになってロストメモリーになれない気もする。 「オズ、チョットイイカナ?」 だから、これはちゃんと言おう。たった一人の大切な肉親として――姉として。 「オニイサマ、何か?」 元々性自認が曖昧、というか中性だった幽太郎だが、宇治喜撰との付き合いを通して少し女性寄りな部分を自覚しつつあった。 「今マデ僕ノコトヲ大事ニ考エテクレテアリガトウ。今ハトテモ幸セダヨ」 「オニイサマが幸せなら、我輩にとってこんなに嬉しいことは無い」 オズが当たり前のように返すが、幽太郎がそれに首を振る。 「ダカラ……僕ハ、オズニモ幸セニナッテホシイ」 「オ、オニイサマ!?」 オズは盛大に狼狽した。オニイサマの幸せが我輩の幸せと返そうと思ったが、それが通じるなら先程首を振ったりはしないはずだ。 「あの、えっと、オニイサマ? 我輩に幸せになって欲しいって、それは一体どういう……」 「恋人ヲ作ルトカ」 「いや、あの、いきなり恋人とか言われても我輩にはそもそも恋心というものが何なのか皆目見当が……」 一向に通じる様子が無いオズに、珍しく幽太郎が強気に出た。 「アーモー、出来ナイトカ分カラナイトカジャナクテヤルノ。ジャナイトオ姉チャン不安デロストメモリーニナレナイヨ!」 「そ、そう言われてもですな……お姉ちゃん?」 なんだか混乱の上乗せをされた気がするが珍しくヒートアップした幽太郎は気付かない。 「ゴタゴタ言ワズニヤルノ。僕ニ出来タノダカラ、オズモ誰カヲ愛セルハズダヨ」 「確かに元は同じかもしれないですが、兵器として作られた我輩にはその方面の知識は……」 「オズ、男デショ。潔クナリナサイ!」 「まーまーそこら辺で。オズさん、私達もサポートしますから頑張ってみたらどうでしょう? 他でもないお姉さん……オニイサマ? の頼みですし」 「う、うむ……」 頃合いを見計らって場を納めようとしたミリーに何とか頷くオズ。何だろう、いっぺんにいろんな事が起こった気がする。 「ま、まあその……努力してみる。えっと……オネニイサマ?」 「ソコハ今マデ通リデイイヨ」 ちなみに幽太郎達が帰ったあと。 「隊長」 「ん、なんだ?」 「恋って、いいものですね」 「ん? ああ、そうだな」 「……私達も、あんな風になれるのでしょうか?」 「へ、ミリー?」 「……ああああの、えっとそのぉ」 そんなやりとりがあったそうな。 他の人達? みんなにまにましながら柱の陰から見守っていましたよ? 昔の人は言いました、何かを学ぶ時はまず形からと。 そんなどこかの世界の故事に習い、オズはゼノ・ソブレロに新しいボディを外注した。全高160cm程度のヒョウ獣人型ガイノイド、それが今のオズの外見だ。 (我輩は兵器である故に恋心や女心には疎い。まずはこのボディで色々学ばないとな) いや形からってそういう意味でしたっけとどこぞの誰かが聞いたらツッコミが入りそうではあったものの、彼の周囲はやる気の表れと見てむしろ積極的にサポートしていった。 例えば幽太郎は宇治喜撰の導きの書のモフトピア観光や各世界のロストナンバー保護依頼、その他恋愛絡みの依頼を積極的にオズに回した。 あるロストナンバーは合コンに彼を誘い、あるロストメモリーは恋愛小説を薦め。そうした周囲の助力もあり、オズも徐々に恋愛感情というものがなんなのか分かりだしてきた。 しかし、それが分かるにつれ、オズは自分が幸せになっていいのか不安になってきた。 オニイサマは優しい。だからこんな自分でも気遣ってくれる。しかし、自分は有澤春奈の死によって生まれたようなものだ。そんな自分が誰かと幸せになって良いのだろうか。 そんな悩みを抱え始めた頃、オズはミリーの誘いを受けた。 ――お墓参りに、付き合って貰えませんか? 花束と僅かなエネルギー資材を積んで、オズとミリーを乗せたヘリタイプのロストナンバーが2人を目的の場所へと運ぶ。そこはナラゴニアからほど近い、世界樹の根が樹海に伸びている場所の内の1つ。他のヘリにはケンプ達、0世界来訪前からのメンバーが乗っているらしい。 「その後の進展はどうですか?」 「オニイサマの願いだ、頑張ってはいるのだが」 「……なにやら不安がありそうですね」 どうやらミリー、あのメンバーではお袋さん的な立場にいるらしくそういった機敏に結構鋭い。 「実はあの時、幽太郎さんから相談を受けまして。それにお2人の事は宇治喜撰さんのレポートでもある程度把握していますから」 「ふむ……」 少しの、静寂。 「気にするな、というより……そうですね、貴方は幽太郎さんや春奈さんに何か危害を加えたのですか?」 「む……我輩が直接何かしたということは無いのだが、しかしだな」 我輩の誕生にハハウエの死が関係しているのは事実。そう語るオズをミリーはまっすぐ見つめながら続ける。 「そういう見方も可能ではあります。ですが、よく考えてみて下さい。それは貴方の意思で変えることの出来た過去なのですか?」 オズが生まれたのはあの襲撃事件より後である。時間をさかのぼりでもしない限りオズがどうこうできるわけが無かった。 「何が言いたい?」 「冷静に振り返れば、有澤重工の件で貴方は何も悪くないのですよ。自らの出生など誰も選べないのですからね」 確かにその通り。だからオズは何も言わず、ただ先を促した。 「幽太郎さんの代わりに過去を覚えておくのは良いと思いますけど……それに縛られては元も子もない、私はそう思います」 「そうか……ありがとう」 そのようなつもりは無かったのだが、ひょっとしたらそうだったのだろうか。 ヘリを包む沈黙、その雰囲気を和らげようとしたのか、ミリーは唐突にこんなことを言い出した。 「そうそう、話は変わりますけど私ケンプ隊長と近々結婚するんです」 ……いきなりのろけか。 やがてヘリは世界樹の根(?)の先に付いた大きな球体が接地している周辺に着陸した。降り立った面々はその球体の周りに思い思いにお供えをしてゆく。 これは、かつてクランチに要塞化されたヴィクトリカの遺体なのだそうだ。 「恐らく皆様にとっては脅威でしかなかったのでしょうが……私達にとっては大事な妹だったのですよ」 クランチに要塞化されるまでは、ですけど。そう言いながらミリーもまた花束とエネルギー資材を供え、静かに祈りを捧げた。 「ミリーはな、誰より彼女を大切にしていたんだ」 ケンプが語る。自分達の知らない所で、彼らには彼らの物語があるのだろう。 帰りのヘリでは、かつてオズの話を聞いた格闘型が同乗者だった。名前はフェイスという。 最初はとりとめも無い話をしていたが、やがてオズが恋愛や幸せへの戸惑いを語るとにわかに彼女の口調が厳しくなった。 「私見で申し訳ないですけど、私には幽太郎さんを縛り付けているようにも聞こえます」 「なんだと!」 オニイサマの名前を出され、オズはついかっとなった。何故自分がオニイサマの足かせにならなくてはいけないのか。 「だって、幽太郎さんの事件のせいで尻込みしているのでしょう? それって幽太郎さんにとっては自分の不幸が弟まで縛っていることになりませんか」 それは幽太郎さんにとっても辛いと思うのですけど。そう彼女は言ってのけたのだ。 正論と言えば正論だ。しかし受け入れられるかどうかはまた違う。 しかし、どうしてだろう。彼女はただまっすぐオズを見つめているのだ。まるで許せないなら殴っていいですよとでも言っているかのように。 「恋をするのも幸せになるのも貴方でしょう。オニイサマの事なんて気にしないで貴方が幸せになればいいじゃないですか」 ああそうだ、きっとその通りなのだろう。しかしどうして彼女はこうもまっすぐ自分に向き合うのだろう。 後々聞いた話では、どうやら彼女、自分から同乗を希望したのだとか。 そしてオズは吹っ切れたのか、さほど遠くない未来にお付き合いを始めることになる。 世界にはまだまだ俺の知らない技術が沢山あるッス。それを見て見ぬ振りして帰るとかマジねえッスよ。 ――ゼノ・ソブレロ 「内容を説明するぞ。北西からエリアに潜入、エリア内の敵性体に見つからないよう南東、南西の施設からデータを入手し侵入地点へ帰還せよ。制限時間は2時間、敵性体を含むエリア内の一切の損害を禁じる。分かったな」 「OKッス」 無限のコロッセオ。様々な敵性体や戦闘状況を再現できるこの場所を、ゼノは新作パックの試験稼働によく利用している。 今回テストするのは隠密偵察型「ゴーストドラゴン」。その名前から連想できるロストナンバー、幽太郎の身体を調べさせてもらい作製したパックだ。探査用の各種センサーを充実させ、熱光学迷彩に加え対レーダー用のステルスを搭載したパックはまさに隠密偵察の名を冠するのにふさわしい。もっとも機体出力や処理能力を隠密性能に振りすぎたため荷電粒子砲の搭載にまでは至らなかったが。 リュカオス・アルガトロスの説明を受け、スニーキングミッションスタート。発見した敵の索敵能力を確認しながら慎重に……なんて事は無く、パックの性能を信じておおざっぱに敵を避けながら突き進む。 結果。帰りに発見され証拠隠滅に施設を爆破され失敗。 どうやらセンサーの情報処理負荷が予想よりも大きくステルスとのバランスに改善の余地がありそうだ。 また、ゼノはオズから新しいボディの注文を受けた際に当時のボディのデータも取得していた。それをベースに作られたのが重装強襲型「オセM式」だ。 重厚な外付けアーマーは波の銃弾を寄せ付けず、各所に取り付けられた大量のブースターにより三次元機動も行える重装甲高機動仕様である。 ただし機動制御にCPUを取られるため火器管制能力が極めて低く火器類はほぼ扱えない。搭載武装は振動ダガー2振りのみ。一撃離脱に頼るか、FCSに頼らなければ歩兵銃なら扱えるかもしれない。最もゼノ自身の射撃の腕は不明なのだが。 一方で新ボディ制作時のデータ流用から作られた軽装野戦型「オセF式」もある。 可動部位の機能拡張、ブースターを瞬発力寄りに調整し、二次元的な戦闘機動を重視したパックだ。ブースターはジャンプ用だが3階程度の高さは飛び越えられる瞬間出力を持つ。 ちなみにオズに渡したボディはヒョウ獣人型だが「オセF式」は猫をモチーフとしているためどことなくアイドルっぽい外見でもある。犬が猫を着るのかとツッコんではいけない、多分。 多くのロストナンバーが帰郷のための出身世界探しをする中でも、オズは相変わらずいろんな世界へと出向いていた。壱番世界でSFメカ作品を仕入れ、ヴォロスの鉱石や魔法機械技術に竜星のアヴァターラ、ブルーインブルーの古代遺跡、インヤンガイの呪術体系、カンダータの軍事技術、ラエリタムのバイオマテリアルetc. 無数の世界群はゼノに膨大な発想と可能性を示し続け、ワイルドカードのパックは次々と新バージョン開発やマイナーチェンジが行われた。それこそ長距離砲戦仕様から近接防護仕様、戦術レーザーやレールガンユニット、イージスシステム小型化計画なんてものまであるそうな。飽くなき探究心と開発精神は、ロストナンバー歴が長くなるにつれその筋の有名人という立場をいつの間にか作り上げていた。その情熱故に変人扱いされることもあったのだけれど。 私は私に出来る限り、人々のために尽くしたいのです。 ――ジューン 北極星号が帰還してから5年後のある日。ジューンはリクレカやリッドとお茶会を開いていた。 「本日はオレンジムースのケーキを持参しました。お口にあえば良いのですが」 給仕役はもちろんジューン。これもまた彼女の矜持なのだろう。 「あむ、ん……とても美味しいですよ、ジューンさま」 ジューンの旅行記録は北極星号帰還までの公式記録だけで3桁に上る。それだけに様々な世界と縁があるが、そう遠くない将来カンダータに帰属するであろう事はほぼ決まっていた。 「私はうちの双子が家に帰れるまでカンダータに再帰属しませんので。リッド様は?」 「そうだなぁ、僕はまだしばらく旅を続けそう。こっちにいた方が創作意欲も湧くし」 壱番世界のイギリスで保護した双子の妖精は今もジューンが面倒を見ている。時が止まった0世界では身体的成長はさほど望めないが、精神面は当時と比べて随分と成長しているとか。相変わらずいたずらには手を焼かされることもあるそうだが。 「そろそろムラタナご夫妻に第二子がお生まれになる頃かと。ギベオンのフラン様にもご相談して、お祝いを持って伺おうかと考えております。リッド様も御一緒にいかがですか」 「あ、僕も行きます。撫子さんには色々連れて行って貰いましたし」 当時の2人を知る人が居ればむしろ振り回されていたんじゃとツッコミが入りそうな関係ではあったが、それも今となれば良い思い出。唐突なカンダータ帰属には驚いた人々も多かったが、それもまた彼女らしいといえば彼女らしい。 ちなみにジューンは撫子の初産にも立ち会っている。何事もまずは体当たりで挑む撫子も事が大切な2人の子供となるとさすがに不安もあり、決して良いとは言えないカンダータの衛生環境に初めてのつわりや陣痛とこのときばかりは参っていたのでジューンの存在は随分と助けになったそうだ。今も定期的にカンダータに訪れてはムラタナ夫妻宅を訪れている。 「ムラタナ夫人は3人以上お子さんがほしいと仰っていましたから、お祝いの機会自体はまだあると考えます」 「それはそれは、幸せそうで何よりでしょうか」 「ですね」 そしてしばし思い出話にふける3人。様々な旅を経たジューンの話は尽きることが無い。 「ラエリタムの件では随分とお世話になりました」 「いえ、私もあの世界は好きですから。それにとても強い親和性を感じていましたし。あの世界の存続をとても喜ばしく思います」 「もう6年経つのですね……最近行ったのでしたっけ」 「ええ、ラエリットは空前の地上復興ブームに沸いていました。何でしたら今度皆で訪問しませんか」 「そうですね、今年はどうにか年末時間取れそうですし、年越し便で私も行きましょうか」 その年の年末、ジューンやリクレカにリッド、ふさふさ他数名が年越し便でラエリットを訪れた。決戦以降特に目立った事件が起きていないこともあって依頼はロストナンバー保護がメインだが、巨大ロボや星間航行、生物科学に鉱物などの特徴から私費で訪れる人もそれなりにいる。 翌年、双子の妖精リベラとエミリナの出身世界が見つかり、彼女達は無事に出身世界への再帰属を果たした。 ジューンはカンダータのディナリア軍司令部へ赴き、近々カンダータに戻る旨を伝えた。正式に軍属となるためにはいくつか手続き等必要なため、早めに準備して貰うのだ。 そして一度0世界へ戻り、その後は各世界の縁のあった人々へ別れを告げて回った。 彼女にはグスタフから出された宿題があった。 『俺たちは戦友を備品呼ばわりなんてできねえ、次に来る時はその態度を直しな。俺達の仲間になりたいっつうなら俺等流に合わせてもらわねえとな』 彼女は自身がアンドロイドであることをよく理解していた。あくまで人のための道具であるとの意識が強く、それ故にグスタフからの宿題は彼女にとってちょっとした難題となっていた。 「ナガセ少佐」 「ジューンさん、お久しぶりです」 ラエリットでのジューンの戦友、ナガセ・ミノルは今は少佐となっていた。相変わらずヴェルナシティを拠点にORAで地上警護任務に就いているらしい。 「少佐、私がこの地に来られるのは今回が最後になりました」 「そうですか。……寂しくなりますね」 一緒に地上開発の様子を見て回った後、少佐の誘いで街の高級レストランで夕食を取ることになった。料理に舌鼓を打ちながら、これまでを振り返りしばしの談笑。 「初対面の時のインパクトは今でも忘れられないですよ、指揮官型の背中を駆け抜けて体内に電撃ですもん」 「張り切りすぎて最後は助けられましたけどね」 「そりゃ大事なお客様ですもん、何かあったら一大事」 「そんなことも言われましたね」 アンドロイドだから無茶も当然と吶喊したジューンだが、確かに相手側からすればひやひやものだっただろう。……ひょっとしたら、この辺りもグスタフ様の宿題のヒントになるだろうか。 「あら、何かありました?」 「いえ……そうですね」 うっかり思考が顔に出ていたのだろうか。ならいっそ聞いてみるのも良いかもしれない。目の前に居る人物もまた戦友なのだし。 「私は、アンドロイドですから。自分は人間のための道具であると、それが当たり前と思っていたのですが……そう扱われないことが最近多いものでして」 「そうですね、私も戦友であり大事な友人であると思っています。道具とはちょっと思えないですね」 「少佐もですか……人間のための道具で無いなら、私は一体何なのでしょう」 「あらぁ、アンドロイドのお姉さんは人間が友や仲間でいて欲しいと望んでも人間のためにそうしてくれないんですかー?」 少しおどけた口調でジューンの疑問に答えるナガセ少佐。 「いえ、そんなことはないですけれど」 「ならそれでいいのではないですか」 「それで、いいのですか?」 少佐はこくりと頷く。 「昔軍学校の先生が言っていたんですよね、『危ない兵器など存在しない、危ない人間が存在するのだ』って」 「はあ、それが今の話とどうつながるのでしょう」 「ジューンさんが自分を道具だというのならそこは否定しません。でも道具の役割って最終的には使い手が決めると思うんですよ」 「ええと、では使い手の方が私を仲間と認識しているのなら、私の役割は使い手の方の仲間になると」 「あくまで私の解釈ですけどね」 そういうものなのだろうか。これは他の人にも聞いてみた方が良いのかもとジューンは思った。例えば、ムラタナ夫妻とか。 ちなみに少佐にとっては、愛機のORAギルメットもれっきとした戦友なのだそうだ。 そうして各世界でのお別れ等を済ませたジューンは、カンダータのムラタナ夫妻の元へと身を寄せた。いかにかつての戦女神といえど戦後6年も経っていると軍属になるにも少し時間がかかるらしい。司令部に赴く際にも、知らない顔が増えていた。 それでも、現地上層部の人間ははっきりと覚えているのだ。そこまで長く待たされることも無いだろう。 だってこれ、兄ぃの幸せの魔法(呪い)やしの……。 ――アマムシ わい、呪い紡ぎやけれど、作れた当初はなんでやねんってつっこんでん。 ――ムシアメ 北極星号の帰還後、ムシアメとアマムシの兄弟は自分達の身の振り方を考えていた。 彼らは別に故郷に帰りたいわけでは無い。詳しいことは知らないが、どうやら何かあったらしい。 世界図書館が把握している世界ではインヤンガイが故郷に近いが、相性が良いだけに逆に躊躇われた。あの世界では自分達を我が物にしようと争いが起こるのが目に見えている。 では他の世界はどうだろう。出身世界やインヤンガイのように呪いの影響力が強い世界では言うまでも無く注目を浴びてしまうが、そうでなくとも呪術道具を巡って争いが起きない世界かと考えるとどこも少々怪しい。 そういうことが起こらない世界は、あるのだろうか。――あったのだ。 そんなわけで北極星号がターミナルに戻ってから10年後。2人はモフトピアに帰属した。 「時間かかったなぁ。でも、無事に帰属できてよかったわ! なあ、兄ぃ」 「せやなぁ。わい、ここが一番自分におうとるし」 「ムシアメー、アマムシー、また来たー?」 「おう、また来たで。今度はずーっとおるで」 「ずーっといっしょ?」 「せや、ずーっといっしょや」 「わいらここに住むことになってん」 「わーい、ずっとあそべるー」 「おいわーだー」 「おいわいだよー」 「わー」 「わー」 ふわりふわふわ、もこもこふわふわ。 アニモフ達の歓迎に幸せいっぱいの2人。それにこの世界では遊びで競争することはあっても誰かと争ったり傷つけたりするという概念がない。まさに楽園と呼ぶにふさわしい世界。 帰属までは大変だった。モフトピアはその特性上事件などが起こることもなく、他の世界が平穏ならそれなりに調査という名の観光依頼も出るのだが慌ただしい世界があるとあまり依頼も出されなくなる。なので2人は自分達から積極的にモフトピアの行事を調べ、調査申請を出したり時には自腹でチケットを入手し自由に旅したりして地道にモフトピアとの縁をつなげていった。3年、4年と通い続けても一向に真理数は浮かばず心が折れかけたこともあったが、2人は諦めなかった。やがて飴桑葉の島に集中的に通うようになり、旅人の外套効果があっても忘れられないくらい深い縁を築いていって。島の行事も年間フル参加ですっかり島の一員のようになってようやく真理数が点灯したのだ。 真理数が点灯したはいいものの、2人には不安もあった。モフトピアで生まれた者は過剰に傷ついたり傷つけたりすることは無いが、外から来た存在にはそれが当てはまらない。アマムシは元々呪い喰いなのでまだいいとして、ムシアメは呪い紡ぎなので能力の使い方次第ではアニモフを傷つけかねない。なので積極的にモフトピアに通いながら、ムシアメはアニモフ達と楽しめるような呪いの研究も欠かさなかった。 しかしムシアメはどこかで大丈夫だろうとの思いもあった。何故なら自分達は呪術道具、その役割は使い手に影響される。楽しいこと大好きなアニモフ達と一緒なら、きっと自分の呪いも幸せの魔法になるはず。 そして、帰属したその日。ムシアメは研究してきた呪いを早速試してみた。いきなりアニモフを相手にするのは少し心配だったので、まずは風景で。 まずはふしゅると糸を吐き、真っ白なふわふわ絹のキャンバスを作る。そしてキャンバスとその向こうに向かって呪いを紡ぐと、真っ白だったキャンバスにその向こう側の景色が浮かび上がった。それはまるで絹に写真を織り込んだタペストリーのよう。 「わーすごーい」 「すごーい」 「兄ぃ、ええなぁこれ」 「せやろ。まあ最初コレできた時はなんでやねんって自分でつっこんでんけどな」 でも、こんなに皆が喜ぶならば研究のかいがあったというものだ。 「んじゃ次は集合写真撮ってみよか」 そう言ってアニモフを集めて、再び呪いを紡ぐ。出来上がったふわ絹写真は……。 「あっちゃ、緊張したんかぼけてしもうた」 「ぽやーんとしてるー」 「ぽやぽやー」 残念ながらピンぼけ写真。しかし、そこは呪いの産物。 「しゃーないなぁ。アマムシはん、これ呪いだけ喰うてくれへん?」 「ああ、なるほど」 アマムシが呪いを食べれば、絹は真っ白に逆戻り。呪いの産物だからこその撮り直し方だった。 「んじゃもっかいいくでー」 今度は成功し、ついでに日付も入れて出来上がり。出来上がった写真は島の一番大きな家に飾ることになった。 まあ唯一の難点は……当の2人が呪いが効かない故に写真にも写らないことだろうか。 「はーい、じゃあ撮りますよー」 そんなわけで、同行したロストナンバーに頼んで2人も含めた集合写真もパシャリ。これもふわ絹写真と一緒に飾ることになった。 そしてモフトピア帰属の影響は思わぬ形で現れた。 2人は呪術道具だったので、本来なら定期的にメンテナンスが必要だったのだがその必要がなくなったのだ。そろそろやなぁとお互いのメンテナンスをしようとして、いつもなら放っておくと悪くなるはずの部分がどうともなかった時には思わず顔を見合わせたものだ。でもこれで壊れて呪いをまき散らす心配も無い。 そんな帰属した2人の話が0世界に広がると、平穏な暮らしを望むいわゆる曰く付きの物たちを中心にモフトピアブームが巻き起こった。モフトピアの持つ可能性に、注目が集まったのだ。 「はいはい、今のモフトピア名物、白黒コンビによるふわふわ絹に映す写真いらんかー」 飴桑葉の島はすっかりロストナンバーの観光先の1つとなり、アマムシとムシアメは訪れるロストナンバー相手に写真屋をやっていた。 商売と言っても、お代はアニモフ達と遊ぶと貰えるお菓子。つまり島を楽しんだらその記念写真も撮って貰えるというわけだ。 今日もムシアメの呪い、もとい幸せの魔法は旅人とアニモフの笑顔を絹糸に描くのだった。 それからしばしの時間が流れる。 幽太郎の唯一の心残りだったオズの人生だが、彼にもまた生涯を共にしたいと思える相手が出来た。 お相手はかつて同じヘリに乗ったフェイス。実はその時から彼女は好意を持っていたのだとか。 オズの幸せな将来が見えたことで、幽太郎がロストメモリーになる最後の懸念が消え去った。 その年、幽太郎は無事に司書試験に合格。ロストメモリーとなり正式に司書として働き始めた。 さらに数十年の時が流れる。 北極星号の帰還から実に83年。 カンダータに帰属したジューンは稼働年限超過により体内融合炉が停止、ムラタナ夫妻の子孫やかつて共に戦った古強者達の子孫に見守られながら静かにその生を終えた。 自身の寿命を悟っていたジューンは生前、グスタフの子孫と次のようなやりとりをしていたらしい。 「私が寿命を迎えたら、分解して使用技術をカンダータの発展に役立てて欲しいのです」 「しかし、貴方をばらすのは私達としても気が引けるのです」 「その気持ちは嬉しく思います。ですが私はアンドロイド、自ら子孫を残すことは出来ないのです」 だから分解し、その技術をもってこの世界に在り続けさせて欲しい。そのジューンの熱意を受け、ディナリア方面軍は彼女に感謝の意を捧ぐ催事を執り行ってからノアの技研に沈黙した彼女を搬送した。 当時のカンダータをもってしても未知の技術が多かったジューンの解析には実に12年の歳月を要した。時にゼノ他技術系ロストナンバーを技術顧問に迎えながら解析したデータを元にカンダータは新たな生産ラインを開設。同型機の大量生産が行われ各都市に配備されていった。もっともその全てがオリジナルの彼女の願い通りに運用された訳でも無かったが……。 なお、原機と同じ記憶を持たせた物はロストナンバー化しないことがこの時確認された。 わふぅ、わふぅ(もし帰りたい場所が世界の外側だったとしても、帰ることは出来るのでしょうか?) ――ふさふさ 裁判官席にわんこが1匹。経験浅いロストナンバーの中には何故犬がと思う人も居たが、彼は立派な判事である。古参ロストナンバーであり天才犬でもあるふさふさだ。 彼は今、尻尾をぱたぱたと振っている。これは無罪判決の合図だ。 「判決、被告人――」 新生理事会の発足後、彼は当時から狙っていた判事の席を射止めていた。以後長きにわたり、判事の1人として活躍している。 新生理事会とはその活動を補助するように、時に協力し、時に対立した。もちろん天才とはいえ全知全能では無い。正しい判断もあれば、後に誤りが発覚することもあった。確かなのは、その時その時で最善を尽くしていたということ。 彼の判事歴はとうとう100年を超えた。 判事の仕事を主にこなしながら、時折ふらっとラエリタムに赴き、新しいガジェットを土産用に持ち帰る。それらはリクレカや扱えそうなメカ系ロストナンバーに渡されたが、どういうわけかふさふさ自身はそれらを取っておくことはなかったようである。振り返ってみれば、0世界に来てしばらくの間は、他のロストナンバーとの交流にお世辞にも積極的では無かったなと思う。意思疎通の不全も何度かあった。 眠そうに裁判官席に丸まっていたふさふさはおもむろに立ちあがると、鋭く吠えた。 「わぅーん」 「判決、被告人――」 これは、有罪の合図だ。 もちろん、彼の耳にも再帰属の話は入ってくる。しかし彼は聞こえないふりをし、あるいは興味なさげな風にあくびをしてやりすごした。 本当に興味が無いのかと問われれば、どうなのだろうか。彼にとってはイエスでもありノーでもある。 帰りたくないわけでも、会いたい人が居ないわけでも無い。ただ、それは階層数の検索ではおそらく見つからないだろう。 なぜなら、彼が覚醒した場所は、大切な人とはぐれた場所は――ディラックの空だったのだから。 最近の彼は後進の育成にも熱心だった。 今彼が面倒を見ている候補生は若い女性だ。どことなく、雰囲気があの人に似ていたのも選んだ理由なのかもしれない。そして彼女は犬好きだった。 そんな折、図書館に珍しい報告がもたらされた。ディラックの空においてワームでもロストレイルでもない人工飛翔体に遭遇したというのだ。 目撃証言によればそれはまさに宇宙戦艦のようであり、その技術水準も例えばラエリタムと比較してもはるかに進んでいるだろう事が容易に想像できたという。虹色に輝く金属で構成された船殻、重力変換炉、バリア、対ワーム装備と思われる自動対空迎撃システム等の先進装備を有しており、乗組員はイグジストの脅威の一端を理解しているようだった。真理数は距離があり映像通信が行われなかったこともあり不明、自力航行を行いロストレイルに対して敵対行動も取らなかったため図書館は特に追跡調査を行うことは無かった。というより、ディラックの空を自力航行する物体を再び見つけ出すのは極めて難しいため、追跡調査は効果が薄いと判断されたのだ。 レポートとしては極めて短いそれは、多くのロストナンバーにはただ珍しいだけの代物に過ぎなかった。しかしふさふさはそれを食い入るように見つめながら何度も読み返した。今思えば、彼の心は既にその船に捕らえられていたのだろう。 それからしばらく経ったある日、彼が面倒を見ている候補生はいつものように彼を呼びに行き、そして見た。机の上に置かれた辞表、そして犬皿に残されたクッキーを。 そしてその日を境に、0世界でふさふさを見かけることは無くなった。その後の消息は不明。 彼と縁のあった者の中には、今も持っているはずのトラベラーズノートからの連絡を待っている者も居る。 さらに時は流れる。 北極星号の帰還から実に110年後、カンダータで大量生産されたジューンの設計図は、ギベオンにも持ち込まれ同型機の生産が開始された。 完全な同型機はもちろん、世界群から蓄積した技術等を用いた様々な試作機も作られ、優れたものは量産ラインにも乗せられた。 追加装備の設計にはゼノも加わった。もちろん自分のパックにフィードバックするためでもあるが、既存のパックのデータも積極的に提供したらしい。 北極星号帰還から198年後、0世界は新たなイグジスト発見の知らせとそれによる世界群の危機から大規模なトレインウォーを発令。 この戦いはロストナンバー有志はもちろん、ギベオンの研究成果の確認を兼ね対イグジスト兵器を搭載されたジューンも投入された。 激しい戦いの末、イグジストの事実上の無力化には成功。しかし今作戦に参加したジューンは帰還することは無かった。 そして北極星号帰還から実に250年後。0世界史上に残る大決戦が行われる。 対チャイ=ブレ戦。 その参加者にはロストナンバー達と共に、ギベオンで生産された最新型のジューンも顔を並べていた。
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