深夜0時にさしかかろうという真夜中。 静寂を切り裂いて、ぽぉぉぉんっ!!!! と景気のいい爆裂音が世界図書館に鳴り響いた。 エミリエは手に持ったバズーカ型クラッカーを投げ捨てると、今度はアサルトライフル型クラッカーを装備する。 ぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱ!!!! 乾いた破裂音の連呼とともに紙ふぶきと紙テープがあたりにバラまかれた。 十数メートル先に置かれたブランの描かれた段ボールがカラフルな紙テープに彩られる。 爆風で耳が折れてしまったが、きっと段ボール製だからで本物だと無傷に違いない。血が出たら謝ろう。 ふぅ、と満足気な溜息を漏らし、エミリエはアサルトライフル型クラッカーを台に置いた。 ぱち、ぱち、ぱち。 アリッサがにこやかな笑顔で拍手を送る。「練習に余念がないわね」「うんっ! 今年のハロウィンもいっぱいイタズラするよー!! アリッサも何か仕込んでるんでしょ?」「私? 私は……」 アリッサがエミリエの頭を撫でる。 しばらく沈黙があって……。「秘密かなぁ。だってエミリエも私だからってイタズラしないつもりはないでしょ?」「もっちろーん!」 かつてメリンダの誘いでハロウィンパーティをやったのはいつのことだったか。 年々、過激さを増す世界図書館のハロウィンパーティは毎年の恒例行事となり、 そして今年もエミリエ主導の元、腕試しやら不意打ちの奇襲に対する訓練やら、そういうテキトーなお題目の元、 ハロウィンパーティーはイタズラ・バトルロワイアルとでも言うべきイベントと化していた。 よーいドン! の合図なんか待ってはいられない。 この静まり返った世界図書館で無数の刺客が、もとい最新のイタズラを抱えた猛者達が時計を睨んでいる。 0時00分ちょうどまで、後、5、4、3……。 後で掃除することなんか考えず、みんな好き放題やらかすだろう。 もちろん、アリッサも、エミリエもそのつもりだ。 2、1、……。 悲鳴。怒号。爆裂音。 蟲。インク、バナナの皮。「きゃぁぁぁぁぁー!!!!!!!!」 どうやら今年のパーティーは、ガン・ミー司書の悲鳴から始まったようだ。 世界図書館は今日も平和だった。======<ご案内>このシナリオは「ロストナンバーたちの後日談」を描くものです。プレイングでは、みなさんの「その後の様子」をおしらせ下さい。このシナリオは便宜上0世界が舞台として表示されていますが、どの世界の出来事でも構いません。例:・3年後、ヴォロスに帰属した。冒険者相手の酒場を経営している。・数年後、○○さんと結婚。今もターミナルで暮らしている。・冒険の旅に出た。新たな世界を発見し、探索を続けている。・10年後、故郷の世界に帰り、再帰属を果たす。○歳まで生きて天寿を全うした。※「○年後」という表現があれば、北極星号の帰還の年から数えます相手のある内容の場合(結婚等)、お相手の方も同じシナリオにご参加のうえ、互いのプレイングに明記をお願いします。帰属済みであるなどしてシナリオに参加できない場合、設定欄等に同意があることをわかる記述をお願いします(納品されるまでそのままにして下さい。ライターが確認したタイミングで書かれていなければ参照しません)。なお、このシナリオの結果として、帰属や死亡が描写された場合でも、ステイタス異常にはなりません。!重要な注意!このシナリオのノベルに関しては、どのような理由であっても、納品後の修正依頼は一切受け付けません。「故郷の世界」や、「新たな世界」を描写する場合、担当ライターにその設定も含めて一任していただくものとします。複数のエピローグシナリオへの参加について、制限はありません。ただし、ライターは別のライターが執筆するシナリオの内容については関知せず、両者の内容について整合性を保つ義務は負いません。シナリオに参加したことをもって、上記の点をすべてご了承いただいたものとします。======
■北極星号帰還直前 ~ヴォロスへ~ 「クリスマスプレゼント交換会の時の話ですが、甘露丸さん。まだクッキー焼いていらっしゃるんですか?」 「ふむ。クッキーに限らぬが菓子の基礎の一つとして日々勉強はしておるぞ」 「以前にエミリエさんが食べちゃったクッキー、覚えていらっしゃいますか? とても美味しいと噂のアレです!」 以前、甘露丸の元にクッキーの材料が持ち込まれ新たなクッキーを作成するという試みがなされたことがある。 ヴォロスで採れた小麦粉と、モフトピアの雲砂糖を使った特製クッキーを作ればとても美味しいクッキーができるのではないだろうか? その可能性を検証するために石窯小屋にこもること数時間。 しかし、エミリエの奸計によりティーパーティ前にクッキーは消失してしまったのだ。 その当時の事件を振り返り、ミルカの中には一つだけ心残りがあった。 はたしてその材料で作られたクッキーはどれほど美味しいのだろうか? 舌が蕩けるほどに甘いのか? 鼻をくすぐる香ばしさはどれほどに魅力的なのか? その材料はヴォロスの希少な小麦粉に、モフトピアの砂糖を使って作られたという。 しかし世界群にはまだまだ貴重で美味しい材料があるはずだ。そうに違いない。 「この際、世界群を駆け回ってターミナル史上最高に美味しいクッキーを作ってみませんか!?」 ミルカの提案は甘露丸の職人魂とアリッサの食い意地に火をつけ、ついに世界図書館をも動かした。 世界司書、もといエミリエを巻き込んで、アリッサの了承を取り付けると、正式な依頼としてクッキーの材料集めが発注される。 この時、ミルカの材料集めに手を上げたのはコンダクターのアリオとツーリストのブランであった。 「アリオさん、お久しぶりです。一緒に冒険をしたのが昨日のことのようですね」 「あの時もヴォロスだったな。……あ、うん」 「……? アリオさん。なんか顔が赤いですよ? 年越し便でHamleysでおもちゃを見に行ったこともありましたね!」 「……うむ、二人とも。ぜひとも我輩を無視しないでくれたまえ」 耳をぺっとり寝かせてなにやら寂しそうなブランをさておいて、二人はヴォロスの地へと降り立った。 収穫仕立ての小麦を買い付け、そのまま水車小屋へと持ち込んで細かく挽き、袋につめると鮮度が落ちぬうちにターミナルへと引き返す。 言うだけなら簡単な作業だが実際には何十キロもの袋をいくつも馬車に積んではおろし、今度は水車小屋の巨大な臼へ一定間隔で麦を落とすと、出てきた粉を箒でかき集めて袋へと詰め込み、さらにその袋を再び馬車へと積み込むという重労働だ。 ついでに馬車からロストレイルへ積み替える作業にも人手はまったく足りない。 「こんなことなら力持ちのロストナンバーを連れてくればよかったな」 「頑張ってください、アリオさん。ブランさん!」 ミルカ自身、手伝うと申し出たものの「幼いとは言えレディに力仕事をさせてしまってはカスターシェン家末代までの恥。ここは我々に任せていただこう」というウサギ貴族の拒否にあってしまい、アリオとブランが汗だくになりながら力仕事を行っている様をただただ座して見守っていた。 収穫の時は小麦畑に潜むニセコムギクイムシダマシモドキの巣を踏み抜いてしまったブランが、代償としてニセコムギクイムシダマシモドキに右耳の毛を円形にごっそり食いちぎられるという悲劇に襲われたものの無事に小麦の調達はなった。 水車小屋で粉を目一杯全身に浴びて毛皮の隅々まで小麦粉のパフ状態になったブランは、それでも黙々と小麦粉の袋を運ぶ。 帰りのロストレイルにたまたま居合わせたため「しょうがねぇなぁ」と言いつつ手伝うハメになったティーロの助力もあり、無事に小麦粉はターミナルへと輸送された。 「次はクモの砂糖ですね。モフトピアにつくのは明日の朝だそうです! 超特急ですね!」 「……ミ、ミルカ嬢。なぜ、こんなに急いでクッキーを?」 ブランとアリオは筋肉痛で客車の床に倒れている。 幸い、同乗者がほとんどいなかったため通行の邪魔と踏まれることはなかったものの床に倒れている貴族はややシュールな姿であった。 なぜこんなに? 問われて、ミルカは寂し気な笑顔を見せた。 「北極星号が帰ってくるまでに材料を集めてクッキーをいっぱい作りたいんです。わたし、北極星号が帰ってきたら自分の世界を探して帰属しよう、って決めました。皆さんとご一緒できるのも後少しかも知れません。でも、それまでに是非! 皆さんと思い出に残るお茶会がしたいんです。普通のお茶会じゃなくて、もっとみんなが笑顔になってくれるような。美味しいお菓子でもあればいいかなって考えていたら美味しいクッキーの話を思い出しました。ぜひ皆でそのクッキーでお茶会をしたいです!」 「なるほど、ミルカ嬢は自身の送別会が頭にあるのか」 渋い声のブランだが床にうつ伏せで倒れたままなので、ちょっとだけかっこよさに欠けた。 「……あははは」 返事代わりにとミルカは小さく笑う。 「よっし、じゃあミルカのお別れ会を盛り上げるために頑張らないとな」 「アリオさん……?」 ブランと同じように満身創痍のはずのアリオが立ち上がり、右手の拳で左の掌をパシっと打って見せた。 「うまいクッキー作ろうぜ! 自分の世界に帰属したって、ミルカが立派なサンタクロースになったら俺の家にクリスマスプレゼントを持ってきてくれるかも知れないだろ。俺の世界ではサンタクロースって超スピードで世界を駆け回ってるんだってさ。ロストレイルよりも早くだ。つまりサンタクロースは次元を超えてくるかも知れない。 だったらさ、何年か後のクリスマスに甘露丸が焼いたクッキーよりも美味しいクッキーが枕元にあったら、絶対にミルカのこと思い出せる。だから美味しいクッキー作らないとな!」 「ア、アリオさん……!?」 「珍しくアリオが紳士な台詞を言うではないか、ふ、我輩には遠く及ばんが」 「そ、そんなんじゃねーよ!」 茶化すブラン(床)に、窓の外に視線を移したアリオがそっけなく呟く。 そんなアリオの服のスソをミルカが強く握り締めた。 「ありがとうございます! あ、あの、わたし一人っ子なのでお兄さんがいるみたいで嬉しいです!」 「……おにいさん……、いや、うん。まぁ。……お、おう、そうだな!」 「わたし、クッキーを美味しく焼くコツを甘露丸さんに教えてもらってきます。それで、わたしも美味しく焼けるようになったら、いつか、どこかで、必ずクリスマスイヴの夜、アリオさんに美味しいクッキーをプレゼントしにいきますね」 「おう、楽しみにしてる!」 「さて、モフトピアについたようだぞ。次は、空飛ぶ雲をかき集めて袋詰めして、また力仕事だ」 「……すこーし休憩してもいいかな?」 「ダメですっ! わたし、一刻も早くクッキーを焼く練習しますからっ!!」 ミルカは力強く拳を握り締めた。 ミ★ ミ☆ ミ★ ミ☆ ミ★ ミ☆ ■北極星号帰還直後 ~ターミナル・医務室~ 「精々、生きるさ」 風が吹き込み、手紙が捲れる。 手紙の前のグラスの氷がカラリと音を立てて崩れる。 ――何か――を、聞いた気がした。 風の正体をつきとめようと振りかえり。 その先には白衣の女性。 どう対応して良いものか判別がつかず、ヌマブチは軽く帽子を浮かせた。 「久しぶりでありますな。某はそろそろ長旅のアカを落として来ようと……」 北極星号を降りてすぐどちらかへ向かわねばない用事もなく、まずは長旅の荷物を置くのが得策を己の住処、長屋へと足を向けた。 感慨に耽っていた、といえば聞こえはいい。 しかし、目の前の医師には「帰って早々一杯ひっかけている相変わらずの飲んだくれ」に見えたことだろう。 それも事実だった。 その前に、と言葉の機先を制することを思いついた。 「そうだ、ガルバリュート殿を知らないでありますか? 彼に言伝が……」 言葉を継げないほど、無機質な真顔のクゥ。 「やぁ、おかえり」 「ああ」 簡単な挨拶をかわし数秒、無言のまま視線が交錯する。 無情な無音を先に破ったのはクゥだった。 「体に異常は?」 「特には」 「そうか、念のため確認するよ」 北極星号の帰還、一年ぶりの仲間達との再会。 お祭り騒ぎに近いターミナルのホームを越え、長屋の再会を終えて自分の気持ちを整理する。 ようやくの静謐を破った彼女は、目をあけられやれ上を向け下を向け、喉を見せろ、関節を曲げてみろと注文をつけた。 逆らうのも面倒で言われるがままに手足を動かし、やがて「よし」と言う彼女の言葉でようやくヌマブチは解放された。 「そんなに急いでやらなくても、後で出頭するでありますよ」 「そうか、出頭と言う言葉を使うからには心当たりがあるね?」 「……ああ、まぁ」 目を逸らし、心当たりについて自分なりに反芻をする。 最初のひとつはやはり穐原城の件、<朱昏>での傷。 治療もそこそこに出かけ……。 脳内を一年前の出来事が駆け巡り始めた途端、ヌマブチの腹部に鈍痛が走った。 目を見開いて腹を見ると、握り締められたクゥの拳がめり込んでいた。 一撃はヌマブチの腹筋に遮られ、彼の臓器はおろか筋肉へのダメージもない。 むしろ気を抜いていたとは言え軍人の腹筋に素人の拳を当てたのだ、殴った拳が壊れていてもおかしくない。 「ぐ、ぐぅぅぅ……くっ」 「……おい」 右の拳を抱えて短くうめいた後、クゥはヌマブチの顔を睨みつける。同時に吼えた。 「この阿呆がっ!! おまえの傷が酷いのは私が百も承知だ! 朱昏から帰ってきた時、何て言ったか覚えているか!? 三日の安静と一ヶ月の療養だ。どういう意味かわかるか? 三日は大人しくしていろと言う意味だ。おまえが長期間の安静などしているわけがないから、これでもギリギリまで短く見積もったんだ!! 北極星号に乗るというのも私は必死で止めたぞ。それこそ全力でだ! 綺麗さっぱり無視するところまでは予測したからせめて車内安静できるように薬もマニュアルも作って! どうせ放置するだろうと思ったから、カバンの中に詰め込みまでしたぞ! まさか当時の朝にそのカバンごと机の上に放置していくとは思わなかったけどな!! 聞いているのか、ヌマブチ!!」 「……聞いているでありますよ」 「とりあえず、すぐに医務室だ。どうせ君の事だから飲酒厳禁を守りもしていないだろう。隠れて飲んだ量を事細かに話してもらうからな!」 「事細かには覚えていない」 「どうやら私が聞いたのは事実みたいだね。証言がある」 ――「あら、隠れて飲んだりしてないわよ。ねぇ?」 ―― 幸せの魔女はにっこりと笑顔を見せる。 ――「毎日毎晩、事あるごとにお酒びたりだったもの。立ち寄った世界での銘酒を買い揃えて次の世界に行くまでに飲み干すなんて事をしていたら、ねぇ?」 「……おい」 「こんな感じの証言が十近い」 証言を記録していた装置を止め、クゥはヌマブチに強制入院を宣言した。 かくて。 帰還から間もなく、健康診断より早く医務室に連れ込まれた。 酒欲をまったくかきたてないアルコール臭の消毒から始まり、罵倒を伴う問診と何の魅力もない病院食の二拍三日監禁生活を経て、酒を摂取していないがための手足の震えや集中力の欠如が目立ってきた頃、ようやく最後の検診が終了した。 「体は概ね正常。もちろんアルコール依存症にしては、という但し書きつきだけど。幻肢痛の方は?」 「この半年ほどは出ていない。ピークは出立してから一ヶ月ほどだったかな。……質問をしても?」 「うん」 「いつまで某はこう、監禁されていなければならんのだ?」 「できることなら二年ほど」 「断る」 「だろうね。さしあたり検査はさっき終わったよ。ここから先は治療だ」 「……そうか」 「『それならいつでも逃げ出せる。すぐにというわけには行かないのが厄介だな』ってところ?」 「心を読むのは感心せんな」 「大抵のアル中患者はそう考えるんだ。どうせ根回しをしてもそこらへんで買って飲むだろう? 世界群を越えられると調達するなと言っても胸先ひとつで破られる」 「…………」 「『わかっているならもう禁止令とか言い出さなければいいのに』と思っているだろう。その次は『あの窓から逃げられるかな』だ。やめておくんだ、窓を破ると痛い」 指差された窓はガラス製。 破って逃げ出した上で硝子を付着させつつ酒を買いに行くのは不穏だろう。 ヌマブチとしても、そこまでプライドを放棄して酒を求めるのは本意ではない。 「話を戻すよ。君の幻肢痛は出立から一ヶ月をピークに、半年ほど前から発生していない。何か心当たりはある?」 「そうだな」 ヌマブチの中で幾度かシミュレートした会話である。 ターミナルに戻ったらどう説明すべきか考えていた。 実を言えば今も考え続けている。 「己の死に方について考えた」 またそういう事を、と言う表情を目の前の医師がするのは予想通りだ。 「そして、自分が死ぬならどう死ぬかだ。 ――酒に溺れて病で死ぬか。 ――戦に倒れて殺されるか 或いは思いも寄らぬ死因でぽっくり逝くか。その時に未練になる事は何かを考えた」 「未練はあったか?」 「嗚呼、考え始めた頃には全く思いつかなかった。 だが道中で友人の故郷を見つけた。どのようなものかと考えてはみたが、大した事では無かった。 けれどそれを伝えたら彼奴はどんな面を晒すのかと思った。 そうすると……。そこで、帰る理由が出来たらしいと気付いた」 帰還してから数日、ようやくヌマブチはクゥの顔を真っ直ぐに見つめた。 かと思えばニヤリと口元だけを歪める。この上なく悪どい表情でヌマブチは笑った。 「……と、いう事を話した時、君がどんな面を晒すのかも、楽しみにしていたよ」 ――まさか、涙が見れるとは思わなかったがな。 そう言って軍人はもう一度、笑った。 ミ★ ミ☆ ミ★ ミ☆ ミ★ ミ☆ ■北極星号の帰還より五年後 ~インヤンガイ~ こんこん、と軽いノックの音がした。 派手な街区の郊外、小さなボロアパートへ尋ねてくる客の目的は二つに一つ。 ひとつは、この部屋にいる「自分」の稼業を知っていて仕事を依頼しにきた客。 もうひとつは治安のあまりよろしくないこの地域に若い娘が一人暮らしをしていると目星をつけ、金か娘自身、あるいはその両方を目当てに尋ねてくる不埒者。 絵奈の経験上、圧倒的に後者の確率が高いのは転居を考えるに充分な理由だった。 とは言え。 来訪者に居留守を決め込むつもりない絵奈は解放していた己の髪をゴムで括る。 息を潜め、今にもドアが蹴破られても対処できるよう足と肩の力を抜いて構えた。 十秒、二十秒。 やがて、来訪者の足音が扉から離れた頃を見計らい絵奈は扉を開けた。 「こんにちは」 住人の不在を悟って帰ろうとした来訪者の背中から声をかける。 構えていない相手なら不意打ちを喰らうことは少ない。 こんな単純な心理作戦でも襲撃を控えた緊張状態の人間なら充分に驚かせることができる。 絵奈がここしばらくのインヤンガイ暮らしで身につけた技術だった。 が、いつもなら少々驚いた顔で振り向くはずの来訪者はスタスタと意に介さず階段を折り始めた。 「あれ? あ、あの、私に用事ですよね? あのー」 絵奈が少し声を大きくして手を振ってみせる。 それでも止まらない来訪者を追いかけると、踊り場で曲がった拍子に視界に入ったのだろう。きょとんとした視線を向けてくる。 「……あの。私に御用。ですよね?」 驚かせて機先を制するつもりで、逆に驚かされた絵奈は首をかしげて来訪者に問う。 こちらはこちらで驚いたらしく、少し動きを止めたこの来客は小さな声で「……舞原、絵奈、さん?」と首を傾げた。 ハワード・アデル。 絵奈も知るインヤンガイの大物の一人である。 かつてはターミナルを巻き込んだ事件もあり、絵奈も報告書で彼の名前を知っていた。 来訪者、セリカ・カーマインと名乗った女性はその大物であるハワードの名刺を絵奈に差し出した。 「はじめまして」 年の頃なら二十を過ぎたくらい。 幼さが抜けたばかり。とは言え、大人の女性の雰囲気が漂ってくる年頃だ。 (いいなぁ) 大人の女性の雰囲気は絵奈のちょっとした憧れでもある。 インヤンガイでは人生を妙に達観したような、砕けて言えば退廃的な性格の女性が多い。 永遠の十六歳というほぼ全ての女性が羨望をもって見つめそうな絵奈ではあるが、どうしてもオトナの雰囲気は羨ましい。 美しい金色の髪、整った容姿、すらりと伸びた手足。 呼吸をすることも忘れ見つめていた絵奈ははっと失礼な態度をとっていなかったかと咳払いをしつつ自省する。 「ご、ごめんなさいごめんなさい。見惚れていました」 「……え? え、あ、は……、はい。な、なに?」 自分の対応が気まずかったのかと絵奈は必死に話題を探す。 「あの、それでハワードさんが私に何か御用でしょうか?」 「ええ、私の雇い主のハワードから絵奈さん、あなたに暴霊退治の仕事の依頼です」 「……ハワードさんから? 暴霊退治の依頼?」 絵奈の退魔師としての腕はありていにいえば中程度である。 格闘術を嗜む絵奈にとって、人間や機械の相手をする技術はそれなりに収めてもいる。 だが霊体を相手に戦うとなると物理的攻撃だけではどうしようもない。己の魔力をこめた攻撃も純粋な霊体を相手にするには力不足だ。 五年前、北極星号が帰還してからしばらくしてにわかにターミナルの人員の入れ替えが激しくなった。 そんな環境の中、絵奈が選んだのはインヤンガイにおいて暴霊退治を専門に行う退魔師の仕事を続ける事だった。 きっかけを知る人物は少ない。 絵奈は一時の暴走の贖罪にと少しでもインヤンガイへの奉仕を決めた。 幸いにも、いや不幸にも、インヤンガイは暴霊による人や動物への被害が大層多い。 インヤンガイへの贖罪として、経済的にも外交的にも立ち回れない絵奈が選んだのが体に染み付いた戦闘能力をインヤンガイへ捧げることだった。 短剣に呪符をつけ、グローブを聖水にひたし、靴の踵に銀を仕込み。 物理的な攻撃に己の魔力を付与した程度では太刀打ちできない暴霊に対し、モノの力を借りることで一人でも暴霊に対抗する術を身につけた。 今ならばある程度の暴霊ならば絵奈一人で何とか対処を行うことができる。 しかし、今回絵奈に依頼を持ってきたという依頼主がハワード氏の名前を出すことには違和感があった。 絵奈でさえ名前を聞いたことのあるインヤンガイの大物であれば、自分程度の退魔師に何の用もないはずだ。 ましてやインヤンガイで商売を始めてから、世界図書館を挟まない依頼などほとんどこなしていない。 訝しむ絵奈の心を察したのか、セリカは淡々と業務内容を説明し始めた。 結局、仕事が終わったのは三日後の朝だった。 仕事の内容は館の暴霊を駆除すること。よくあるパターンだ。 しかし今回は館に巣食う暴霊に攻撃をしかけ、持久戦に持ち込む作戦を取った。 数十年前から館に巣食う暴霊は一筋縄で行く相手ではなかったからだ。 食料と水を用意し、館内の中心部で炎を焚く。 火事にならない程度に、しかし、火種を絶やさずに赤く燃やして祈り続ける。 絵奈の仕事はその祈りを捧げる祈祷師の護衛である。 24時間常に隙をうかがっては襲い来る暴霊を払いのけ、不眠不休で祈祷師の生命を守る。 セリカと交代で休息をとり、四日目の朝を迎えた頃には二人ともが年頃の娘とは思えぬ程、ぼろぼろの風体へと変わっていた。 髪は汗でへばりつき、肌はべとべとと脂ぎっている。 着替えをする暇を惜しんだため、血と汗の匂いに塗れた戦闘衣は修復すらできないはずだ。 朝日を浴びたと同時に祈祷師が倒れ、護摩壇の炎が暴れ、はじけて飛んだ。 「しまっ……」 「うぎゃぁぁぁぁぁぁ!!!!」 絵奈が反射的に突き飛ばしたのは祈祷師。しかし、絵奈の手の届かない所にいた探偵が炎の犠牲となる。 「モウ・マンタイ探偵!」 傍に控えていた探偵はセリカが名を呼ぶ間もなく炎に炙られ、数秒の絶叫の後、消し炭へと変わった。 それが暴霊の最後の抵抗。 館に巣食う暴霊は護摩壇の爆破と共にこの世界から消えてなくなった。 「……終わった、わね」 「すみません。……本当にすみません。モウさんが……」 「仕事は祈祷師の命を守ることよ。探偵は含まれていない。それに、この世界では探偵の命は安いの。探偵を名乗るからには皆、それを覚悟してる。それより、見事ね。舞原絵奈」 「そ、そうですか? こんなにボロボロになっちゃいましたけど」 「そうね。一流の退魔師ならもっとスマートにこなすわ。祈祷師に三日三晩護摩壇を焚かせるなんて事もなく、一撃で吹き飛ばすほどの猛者だって何人もいる」 なら、どうして自分に? という質問が顔にでも出ていたのだろう。 セリカは薄く微笑んだ。 「あなた、ロストナンバーでしょ?」 「え、ええ、と……」 世界図書館に属するロストナンバーはみだりに自分のことを話したりはしない。 しかし、相手が知っていた場合はどうすればいいのか。 「これからもよろしくね。仕事を回すようにする。だから事務所はあの場所からは変えて、治安が悪すぎるもの。ところで、アリッサは元気?」 世界図書館の館長、正しくは元館長の名前を出すからには協力者なのだろうか。 あるいは世界図書館で出会った事があっただろうか。こんな綺麗な金髪を見忘れはしないと思うのだけれども……。 ふっと絵奈の脳裏にある人物が浮かんだ。 資料にあった彼女の容姿は16,7歳頃、つまりは絵奈と同じくらいの年頃のもの。 目の前の女性はそれより幾分大人びてはいるけれど、面影は消えていない。 「わかりました。セリカ・カーマインさん……もしかして、セリカ・カミシロさん?」 「昔はね。あ、そうか。話してなかったっけ」 どかどかと屋敷に踏み込む足音がする。 どうやらハワードの手配した後始末の部隊が到着したらしい。 侵入者はモウ探偵の死骸を見つけると蘇生を試み、それが叶わぬ程に死亡していると知ると悪霊にならないためのまじないを始めた。 祈祷師はゆっくりと彼らに近寄り事情を説明している。 後始末部隊の中の一人がセリカに近づき、敬礼の姿勢を取った。 「おつとめごくろうさまです。ハワード様より労いのお言葉がございます、それとガーディアンが家を開け放つのはこれっきりにしてくれとイの一番に伝えよとの伝言を申し受けました!」 「ごめん。アデル家に勤める前のことを思い出してね。たまには我侭もいいでしょう?」 帰路、セリカは絵奈にこれまでの経緯を話してくれた。 アデル家のガーディアンとして生きていること。今回はロストナンバーの力試しと聞いて自分が出張ってみたくなり我侭を言って担当させてもらったこと。 学校に通い無事に卒業し、知識を得て、銃の腕も数段あがったこと。 「……でもね。やっぱりちょっと最初は羨ましいなーって思ったわ。絵奈、あなた本当は何歳?」 「ええと、……実を言うとあまり覚えていません。同じくらいの年だと思うんですけど」 「二十歳越えているか三十路越えているか分からないけど、外見はロストナンバーになった時のままって言うのは羨ましいわね。最初に会った時、ちょっと見惚れたわ」 「わ、私の方こそ! 綺麗なお姉さんだなーって見惚れちゃいましたよっ!」 絵奈がオトナの女性の雰囲気に見惚れている時、セリカもまた絵奈の若さとか巨乳とかに見惚れていたようだ。 お互いに褒めあって、湛えあって、ヘタな小芝居のようではあるが二人は心から相手を賞賛していた。 少なくとも、セリカの指に光る指輪は絵奈の憧れのひとつに間違いない。 「私はこのまま帰るけど、あなたはどうする? ターミナルに帰るならロストレイルのホームまで送らせるわ」 「そ、そうしていただけますか? そろそろ着替えを取りに帰ろうかと思っていた所ですし」 「ついでに伝言も頼まれてくれる? まだ帰属していない友達が何人か世界図書館にいるはずだから」 「は、はいっ。もちろん!」 「そうね『私の子供の顔を見に来てくれる? 半年ほど先だけど』って」 その時のセリカの表情が。 なんというか絵奈にはものすごく羨ましいものだった。 「ところで、あなたは帰属はしないの?」 「私はまだ真理数もない半人前だし早いです……。それに」 少しだけ躊躇して。 でも、三日三晩の死闘の果ての疲労に任せて言葉を搾り出してしまう。 「私の好きな人も、まだ旅人ですから」 その時の絵奈の表情もまた。セリカにとっては言葉にしようもなく羨ましいものだった。 ミ★ ミ☆ ミ★ ミ☆ ミ★ ミ☆ ■北極星号の帰還より五年後 ~レディへの挑戦~ レディ・カリスのレイピアがジュリエッタの帽子を貫いた。 ジュリエッタが一瞬早く身を屈めていなければ、今の一撃が脳に達した可能性は高い。 つまり、それほどに本気でレディ・カリスはジュリエッタを殺しに来ている。 コロッセオの中央、砂にまみれた手でジュリエッタは己の額の汗を拭った。 (これほどまでに本気だとはのう……。わたくしもまだまだ未熟じゃ。怒らせるつもりはなかったのじゃが) 続いて踏み込んできたカリスの剣をバックステップで交わす。 着地地点を狙って鞭がしなり、ぴしっと音を立ててジュリエッタの靴を抉った。 バランスを崩して倒れこんだが、倒れる勢いを利用してさらにレディ・カリスからの距離を取る。 きっかけはレディ・カリスに料理を振舞ったことにある。 北極星号が帰還してから二年ほど経過した時点で、ジュリエッタの生活に転機が訪れた。 無事に大学を出た後、彼女はコンダクターと料理人の二束のわらじで活動を始めたのだ。 壱番世界、イタリア各地の料理店で修行を行い、めきめきと料理の腕をあげていった。 その分、コンダクターとしてターミナルを訪れる回数は減ってはいたが、そもそもノルマに縛られないロストナンバーの活動である。 たまたまレディ・カリスと出会い、言葉を交わすうちに料理談義になり、気付けば試食会の算段が立った。 ジュリエッタの差し出す料理は素朴で美味しく、かと思えば華美な技術をイヤミにならない程度に披露する華々しい皿も織り交ぜており、同席していた甘露丸からも賞賛の声が出るほどに上々の評判を得た。 月刊ターミナルで特集が組まれる程に有名になるまで僅か三年。ジュリエッタの並々ならぬ努力はじわりじわりと花開き始める。 「0世界では店を開いていないのね。それとも予定はあるのかしら?」 「予定というほどのものではないが」 レディ・カリスの質問にジュリエッタは正直な事を答えた。答えてしまった。 自分には思い人がいることを。 彼と永遠の時を過ごすため、そしてチャイ=ブレに万一の事があった時にも運命を共にできるようロストメモリーになる事も考えている、と。 それは若い少女の夢物語。 「それほどの覚悟であれば、少し練習をしてみましょう。そうね、闘技場へいらして」 貴族が料理人に向けて言う言葉ではない。 レディ・カリスはせめてもの料理の賞賛にと、己がロストメモリーになるための試験対策、つまりは練習課題となることを申し出た。 だが、言葉が足りないのがレディ・カリスのちょっと残念なところである。 ジュリエッタはレディ・カリス相手に惚気てしまった、と認識した。 なんせ料理を差し出し、それまで上機嫌で食べていた相手が、いきなりコロッセオへと呼び出しをかけたのだ。 その直前の会話はジュリエッタがいかに思い人に心を寄せているか、である。 勘違いするなという方が無理な注文だ。 (しまった。独身女性相手にわたくしのような小娘が惚気るなどと……) 元より凜とした雰囲気のレディ・カリスの周囲はどこか空気が固い。 彼女の有無を言わせぬ迫力に、ジュリエッタは後を追う以外の選択肢を見つけられない。 無言で先導するレディ・カリスの影を追う間、ジュリエッタも言葉を発せず、ついつい自分に落ち度でもあったのかと自省に囚われる。 やがて、コロッセオが見えてきた頃、ジュリエッタの中でひとつの結論に達した。 ――自分はレディ・カリスの地雷を踏み抜いた。己より年上の、それも百歳以上も年上の独身女性の前で惚気話などと……。 ジュリエッタは、そうであってもなくても失礼な感想を持ってしまった。 「うむ、他意はなかったのじゃが悪いことを言うてしまったようじゃな。すまぬ」 「――何のこと? それよりも、武器を取りなさい」 「まさか、決闘を申し込まれる程に怒らせたとは思わずじゃな」 ジュリエッタの言葉が終わる前にレディ・カリスはどこからかレイピアを取り出し、ジュリエッタへと突き出した。 ――やはり己が悪かったのだろうが。 回想シーンに飛んでいたジュリエッタの意識がカリスの一撃で強引に現実へと引き戻される。 「覚悟の程を見せて頂戴。練習だと思って思い切り。ロストメモリーになる試験はもっと過酷よ」 「思い切り」 すっと軽く息を吸い込むとジュリエッタの体が深く沈む。 腰を落として体重を乗せ、沈む勢いを足のバネに乗せて次の一歩を大きく踏み込んで、カリスの胸元めがけて小脇差をつきこんだ。 体重を切っ先に乗せず柄に残したままの突きには威力がない。 カリスのレイピアは脇差を彼女の左側へと受け流した。 が、本命である脇差の支点は柄に残したままだ。深く沈んだ姿勢のジュリエッタは足を大きく伸ばし、柄でもってカリスの腕を薙いだ。 肉の感触がして打撃が入ったことを確信し、さらなる追撃を望もうと意識を集中する。 次の動作に移ろうと崩れたバランスを立て直す一瞬の隙に、己の耳にパンッ! と乾いた音が飛び込んだ。 同時、燃え上がるような痛みがジュリエッタの頬を襲った。 何のことはない、ただのビンタである。 レイピアと小脇差に意識を集中しすぎたためにジュリエッタはカリスのもう片方の手を視界に捕らえ損なっていた。 それがための一撃を。握りこぶしではなく平手打ちという何ともカリスらしい形で叩き込まれたのだ。 「そんな腕でこれから0世界を担う者になれるのかしら?」 「なれるとも!」 ジュリエッタの脳裏に思い人の顔が浮かぶ。 我ながら物語のようだと心のどこかで笑う自分がいる。 だが、それを力に変えて示すことができるのもまた本当の自分だ。 バチっと破裂音がした。今度はジュリエッタの周囲の空気が自らはじけているかのように。 「うおおおおおおお!!!」 「……!?」 薄れる意識の中で、ジュリエッタは己が呼び出した雷竜の眉間にレイピアを突き刺すカリスの姿を見た。 「うーむもう完全に制御はできておったはずなのじゃが」 何度目かの医務室のベッドの上。 シーツの上に正座してジュリエッタは己の未熟を悔いていた。 闘技場で暴れた後、この白い空間で自省する。 何度目かの経験だったが己の暴走は抑え切れていない。 それでも、頻度は確実に減っている。 それが救いと言えば救いかも知れない。 ぐがーと隣のベッドから響いたティーロのいびきに自分との対話を乱され、それをきっかけに小さな溜息をついて反省タイムを終了させる。 「うっかり発動させてしもうたのう……とはいえカリス殿も真剣に取り組んでくれたのじゃし、わたくしもその時が来るまで覚悟のほどを見極めねば」 よし、っと己に気合をいれるため両の頬を強めに叩き、ベッドから降りる。 カーテンを開けるとクゥと目が合った。 「やあ、もう起きられる?」 「うむ、此度も迷惑をかけたようじゃの。すまぬ」 ぺこりと頭を下げ、それから思い出したように顔をあげた。 詫びの言葉のすぐ後に言うことではないかも知れないが。 「それでもまだ世話になりそうじゃの。よろしく頼む」 「私の手におえる範囲だと嬉しい」 「心得た。ところで、聞きたいことがあるのじゃが」 「うん?」 ――やはり年上の独身女性に惚気話を聞かせるというのは失礼なのかの? ぴしっと凍りついたクゥの表情に気付かず、ジュリエッタは己が思い人の顔を瞼の裏に思い浮かべていた。 ミ★ ミ☆ ミ★ ミ☆ ミ★ ミ☆ ■北極星号の帰還より七年後 ~ターミナル~ 「いらっしゃいませ」 カグイ ホノカの挨拶がカレーショップ『とろとろ』の店内を幾度も駆け巡る。 この店でアルバイトを始めて五年。 店内の勝手知ったるベテランである。 「聞いたか? 次のヘンリー&ロバートのツアー企画だけどよ。ニンジャ体験なんだってさ、そういうの好きなヤツは多いよな」 ホノカが注文を取りに行くと客席のティーロが注文より先に世間話を始めた。 ニンジャ。その言葉にホノカの表情が凍りつく。 五年前。 北極星号が帰還する直前、ホノカは自身の過去に決着をつけた。……その、つもりでいた。 サエグサスズとの決戦のきっかけは覚えていない。 気がつけば、スズの断末魔が耳に焼きついていた。 しかし、未だにスズの最後の言葉が。塵一つ残さずに焼き尽くしたはずの彼女の言葉がホノカの心を焼き続ける。 ――「……ヤマガの最後は……」 「おい、……おーい、聞こえてるかー?」 店内の椅子にどうやってか座っている蜘蛛のぬいぐるみ、もとい葛城やまとが寂しそうにホノカを呼んでいる。 「は、はい。ご注文をどうぞ」 「納豆カレーを辛口で頼むぞい。それとサラダもの」 「承りましたー。辛口ひとつ、納豆でーす」 店の奥から了承の返事が帰ってくる。 カレーの準備ができる前の僅かな時間にホノカはサラダボールに切った野菜を放り込み、ドレッシングをかけてかき混ぜた。 タイミングを合わせ、カレーとサラダを葛城やまとの前に出す。 このぬいぐるみがどうやってカレーを食べるのか疑問に思っていると、神秘的な力や妙な仕掛けなど一切なしに口の周りを黄土色に染めてもふもふと食べ始める。 もう少しヒネりはないものかと見つめていると、ふとこちらを振り向いたやまとと視線がぶつかった。 ほんの僅かな静寂の後、やまとは「水のお代わりをくれんかのう、よければらっきょうも欲しいのじゃが」と告げる。 「はい、かしこまりました」 「すまんのう」 「いえいえ、お客様は神様ですから」 「……ほほう!」 やまとの目が輝いた。 蜘蛛型だけあって目はいくつもあるが、そのうちの六割ほどが輝いた。 「わしを神と見破るとはそなたタダモノではないのう。いかにも、わしは太古の昔より運命を掌握する大神であった。かつてはわしの社に老若男女を問わず、参拝者が訪れたものじゃ。縁結びに家内安全、病気平癒に果ては国家転覆までどのような祈りも聞き届け、そのほとんどを聞き流し、それでもわしの加護ありし願いが叶って立身出世を欲しいがままにしたヤツも数多くおったわ。そうじゃのう、おぬし、タダモノではないようじゃからここでわしの所に来たミョーな願いベスト3を聞かせてやるとしよう。ではまず、第三位じゃ……」 ホノカの耳にスズの声が響く。 ――ヤマガの最後は蜘蛛に噛ませた。 スズの告げた蜘蛛はホノカも承知していた。 弱毒性の蜘蛛の毒は即死にはいたらない。薬草も対処法もホノカの世界では一般的な知識であり、おおよそこの蜘蛛に噛まれて命を落とすものなど存在しない。 スズはその蜘蛛を使ったヤマガの死に様を語って見せた。 四肢を縛り、指先に蜘蛛を這わせる。 やがて、身動ぎに仰天した蜘蛛は足元の肌を噛む。 ――肉を切り裂こうにも傷口に手は届かない。 ――吸い出そうにも口は届かない。 ――対処方法である薬草も血清もない。 ――やがて、蜘蛛の毒は指先の一部を腐らせた。 ほんの僅かな指先の腐敗は雑菌の温床となる。 雑菌は高熱を呼び、手足の感覚を麻痺させる。 しかし、弱毒性であるため死ぬことはできない。 腐敗毒が全身に回って死ぬまでおおよそ数ヶ月。 食事も水も点滴で与えられ、定期的に家族の悲鳴を聞かされて精神に刺激を与えられ。 発狂することもできず、衰弱死することもできず。 蜘蛛の噛んだ爪先が焼けるように痛み続け、高熱で朦朧とするも死ぬに死ねず。 最後には肘まで腐った腕を無理に振りほどこうと力任せに振るった所、腐った肉が削げ落ち、骨だけがロープに残った。 腐っているがゆえに出血の勢いは弱く、ぼたり、ぼたりと己の腕が元あった所から血液が滴り落ち、ゆっくりと、そうゆっくりと死に歩み寄る。 そんな無残な死に様が――。 「そして、栄えあるベスト1! 鼻からカルボナーラを食える能力をくれとゆーものがおっての。なんでも「そんなことができたら鼻からペペロンチーノを食ってやる」と宣言したわええが、そんなことができたらしいんじゃ。じゃがペペロンチーノは嫌いじゃからして、代わりにカルボナーラを……ふぎょっ!?」 ホノカの視線に殺気のようなものが帯びていることに気付き、やまとは口を噤む。 「お、面白くなかったかの。そりゃ二位の『手からいくらでもからあげが出てくる能力』が欲しいとゆうた若者の願いをかなえてやって、サービスでレモンまで一緒にかかるようにしてやったら社が放火された話のほうがウケがええもんじゃからして、それが一位のほうが納得がいくかも知れんが、カルボナーラのほうは頼んだやつの顔が面白うてその分の温情加算があるやもしれぬが……」 ――ずっと生きていたい気も今すぐ死んでもいいような気も同じくらいある ――毎日微笑んで接客して夜は不眠症で眠れなくて ――誰かの傍で思いっきり眠りたい ――夢は夢で終わりそうだけど ホノカの中でぐるぐると思考が渦巻く。 自分は何なのか。 ――自分が今クノイチかと聞かれれば違うと答えるけれど ――それなら何かと聞かれたら困ってしまう ――人を一瞬で燃やし尽くす炎を作るのは簡単でも ――人を笑顔にするのは難しい。楽しいことを作り出すのは難しい。 「楽しいこと、ですか……」 「そうじゃ、やはり第一位と第二位を入れ替えた方がいいかのー?」 やまとがいくつもある腕を組んで考え始めた。 しばらく考えさせてくれというので、他のテーブルの空いた皿を片付けに厨房へ戻ると新たな注文が入っていた。 今夜のハロウィンパーティで使うカレーの大量注文だ。 毎年、過激さを増すハロウィンパーティでカレーをどんな風に使うのかは分からないが、グラウゼが注文を引き受けた以上は食べられない程の激辛や、食べ物を粗末にするようなものではないだろう。 「……ハロウィンですか」 伝聞で聞いてはいるが、レベルの上昇は計り知れないらしい。 毎年、レベルをあげすぎて殺傷能力を帯びてしまい、強制退場になるものが後を絶たない。 翻せば、ほとんどのイタズラが殺傷能力スレスレの過激さであることを示している。 これを見習ってみるというのはどうだろうか。あるいはスカっとするかも知れない。 「……燃え移らず、火傷もしない炎。ってあったら便利だと思いますか?」 炎を吸い込み体内の火貯め袋で練って口から吐き出す。 同じように炎を練り、ふっと噴出してみる。 何気なくやったつもりだったが客が数人、こちらを見て目を見開いていた。 「そ、そんなに辛いカレーがあったのかの!?」 やまとの言葉に曖昧に笑って返事をして見せた。 幾度目かの練習で炎の温度調節に成功した。 厳密には温度があがるわけではなく、一瞬だけ炎を吹き上げるのだ。 熱いと感じる間もなく炎は消える。髪の先くらいはコゲるかも知れないが、これくらいなら許されるだろう。 手の火傷はハロウィンの準備だと言えば見逃された。 最終的に、炎上する直前のガスを操る技術を行使することにした。 燃え上がる熱は上と横に広がる。 ガスを腕から外に向けて放射し、点火することで爆発的に炎があがる。 派手なパフォーマンスだが熱いくらいで火傷はしない。 精神力の消費は大きいけれど、ゆっくり準備をすれば何とかなるだろう。 「あの、願掛けをしてもよろしいですか?」 「おお。わしに願い事とな? ふむー、本来は運命を操る太古の神の奇跡。あたらと見せるわけにも行かぬのじゃが、ふむ。おぬしは運がええぞ。わしが何でも叶えてしんぜよう。さあ、願いを言うがよい」 目の前にいるのが神様だというのも都合がいい。 ホノカはハロウィンに活躍できますように、と呟いた。 やまとは鷹揚に頷くと「楽しむ心は何にも勝る」とそれらしい事を言い放った。 当日はあっという間に訪れた。 カレーを配達したついでに自身のエントリーを済ませる。 開始まで5、4、3、2、1……。 開始と同時に世界司書ガン・ミーの悲鳴があがった。 その悲鳴を目印にホノカは走る。 あのあたりにエミリエがいるに違いない。 風にゆれるピンクの髪を目にした途端……。 「きゃ~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!!!!!!!?」 ぽぉぉぉんっ、と景気良く空中に跳ね飛ばされ、ホノカ自身の用意したガスが引火。 図らずもホノカを中核とした盛大な花火が打ちあがった。 見舞いに来たやまとが「派手になるよう祈ったんじゃがの。こうなるとはのう」と笑っていた。 「うん、来年はもっと戦略を練るわ」 ホノカは小さく呟いた。 いつか突然消える日が来るまで ターミナルでの生活はずっとこんな風に続いていく それがいつになるのかは分からないけれど、と付け加え。 ホノカはベッドの上から窓の外を見つめた。 ミ★ ミ☆ ミ★ ミ☆ ミ★ ミ☆ ■北極星号の帰還より七年後 ~帰属する者~ 「ただいま」 沖常 花は小さく呟いた。 聞く人もいないこの世界の田舎。山奥。 それでも見覚えのある植物達が歓迎してくれている。何年ぶりだろう。 ある日、いきなり花の目の前から消えた世界が、また花の目の前に現れた。 「じゃあ、今までありがとう!」 花が笑顔を見せる。餞別だと言ってティーロがくれたのはセクタン型のお守りだった。 それじゃあと手を振り一歩下がる。 ロストレイルはいつもの通り、汽笛を上げ、金属の軋む音を立てるとゆっくりと動き出す。 やがて速度をあげた車両は空に浮かび上がり、空へと駆け上がり、光って、消えた。 ヴォロスやインヤンガイのようにターミナルと結びつきが強いわけでもないこの世界に帰属する。 それはおそらく、花の生きているうちにターミナルと関わる回数が極端に減った事を意味した。 こちらから連絡は取れない、あちらからも連絡は取れない。 この世界に生きていた時の花と同じで覗き見ることすら叶わない。 でも。 だけど。 でもでも。 「やっと戻ってきたよボクの故郷! とってもぶっ飛んだ世界!」 ここは花の生まれ育った世界なのだ。 他の世界と比較すると自分の世界が少し異常らしいと気付いたのは何年前だっただろうか。 自分の「普通」の基準をターミナルで思い切り揺さ振られて、その分、自分の世界のいい所も悪い所も分かった。 花の住んでいた国は「王政」というものに近い。 主は世襲、家臣も世襲。 目覚しい活躍をすれば重役につくこともあるし、罰を受ければ平民に落とされることもある。 サムライやシノビは能力の有無が重要だけど、その分、生まれつきそういう力を持っていなければ没落する。 ビョードーじゃないけれど、かと言って自分の国だけこの体制を止めれば他国に支配されるだろう。 そのあたりは上様なら話を聞いてくれるに違いない。 思案しながら山を越え、野を歩く。 花の感覚では自分の世界の文明レベルは壱番世界に程近い。 車があり、交通網が整備され、食事に事欠かないのは一部の裕福な国。 海の向こうや陸の果てには未だに飢えに苦しむ未開の国がある。 ロストレイルにおろされた場所がそんな国だったらどうしようと不安だっただけに、ようやく人里に降り駅に出た時、花は安堵の溜息をついた。 いくつかの国境を越える時は忍のノウハウが役に立つ。 身分証の偽造も考えたが、素直に警備網を掻い潜ってこっそり突破することにした。 所持金も心許ないので節約を重ね、ようやく花の住んでいた城についた頃、花が世界に降り立ってから数日が経過していた。 「ただいま」 花が挨拶すると守衛のおじさんがびっくりした。 その連絡を貰って最初に飛び出てきたのは小松だった。 少し痩せた、いや、精悍になった。 この七年でよっぽど鍛えられたのか。 「……花、か?」 「そうだよ。ただいま、小松。上様にお目通りしたいんだ」 小松の後に出てきた見知った顔の侍達がぐるりと花を取り囲んだ。 無理もない。 忍が七年も家をあけて、今更帰ってきたんだ。 花自身、自分の事ながら、普通なら敵方に捕らえられて洗脳され寝返った間諜だと思うだろう。 「だからと言って牢はないよ。ボクは上様に忠誠を誓ったんだから」 言い訳をしてみる。 やがて小松が進み出た。 「分かった。上様へのお目通りを願い出る」 花の知るスケジュール通りであれば、上様はこの時間、重要な会議をしているはずだ。 にも関わらず、花の帰還を聞くと喜んで会議の中断を申し出た。 あれよあれよと言う間に算段が進み、謁見の間で上様とのお目通りが叶ったと告げられるまで十五分も待っていない。 「謁見の間? そんな他人行儀なマネするの?」 「そうだな。なんせ七年ぶりだからな」 慣れた廊下を小松の後ろについて歩く。 やがて、通された謁見の間。花が知るより重役の数は少なく、上様も御簾の向こうにいる。 その横に控えている女性。 「……ええと」 「上様はご結婚なされた」 「……そっかぁ」 思ったよりショックを受けていない自分にショックだった。 自分のようなものが、と常々思っていたけれど本当は上様に結婚相手ができたら嫉妬に狂うんじゃないかと思っていたのだ。 しかし、と花は思う。 御簾のあちらにいる女性は何となく覇気もなく、あまり上様の横にいるイメージがつかない。 かしこまった花には御簾の向こうからかけられる声もなく、これは花の知る限り初対面の使者を迎える時のような余所余所しい儀礼である。 家臣の帰還を迎えるに相応しいとは言いかねる。 どうしてだろう。 花は視線で小松を探す。 居並ぶ家臣の間に見知った顔があった。 畏まって頭を下げているその顔。まさしく。 「上様っ!!!」 御簾の向こうにいる相手に下げるべき頭を群集の一角に向け叫ぶ。 周囲がざわつきはじめた。 しかし、花の知っている上様は御簾の向こうにいる人影ではなく、この上様なのだ。 「……おかえり、花」 「はい。ただいま戻りました。長きの不在、真に申し訳ございません」 やっぱりそうだった。 御簾はすぐにあげられる。その向こうに座していたのは影武者か。 花の知る主君は頭を下げる花と同じ目線で花の労を労った。 と、すると、本物の主君の傍にいる女性こそ、本物の奥方様だろうか。 「奥方様!? お初にお目にかかります。沖常 花と申します。……わー、奥方様! 美人!! かわいい!!!」 壇上にいた女性と違い、こちらの奥方様は立派に覇気がある。 この人なら主君と並んで立ち、共に歩んでいけるに違いない。 何より、こんな素敵な女性を娶れたと主君を寿ぐことに何の抵抗もない。 「上様! 上様! おめでとうございます! おめでとう!」 感極まって奥方様に抱きついたら、周囲の家臣によってたかってひっぺがされた。 それから一年、花は彼女の失踪前と同様に暮らしていた。 家臣の反対を押し切り、主君と奥方、それに小松が尽力したようだ。 先の戦争で功を上げた小松は花より上の位を手に入れていたが、それでも花の所に頻繁に顔を出した。 花の同僚は「身分の高い人がこうちょくちょく来ると落ち着いて茶もすすれない」とボヤく始末である。 一年経ってようやく落ち着いてきたものの、まだまだ花の生活には難問が山積みだった。 同僚、と一口に言っても失踪前は花と同世代の見習い達。 しかして今は十歳近くの年の差があるのだ。 ほとんどの知己は結婚し、特に女性は城勤めを辞めて野に下っている。 飯炊きのばーさんは花の帰りを喜んでくれたが、偉い人達は花の処遇をどうするかで揉めていた。 16歳の娘衆の中にいれてくれればいいし、そもそも忍なんだから集団行動していなかっただろうという花の意見は最近になってようやく受け入れられたようだ。 波乱万丈で落ち着かない愛すべき日常は遅々として過ぎ、それでも生活は緩やかに変化し続ける。 奥方様の懐妊の報が城中に流れ、花が誰よりも喜んでいる時、彼女に呼び出しがかかった。 花の荷物籠の上に置いてあった手紙。 差出人を見ると小松である。 花から見ても小松はオトナになった。 実際、花と同い年だった彼も今は花より十歳は年上の青年である。 もちろん、花とて十年ほどの空白はロストナンバーとして生きてきたわけなので、精神的にはそこそこ成長しているはずだった。 しかし外見年齢はいかんともしがたいものがある。 自分よりも年上に見える小松は頼もしく見えた。 呼び出し場所にいくと小松は一人で松の木の下に座っている。小松だから松の下、というのはいかにも安直で小松らしい。 花の姿を見ると小松は片手をあげて挨拶をした。 「奥方様の御懐妊の報は聞いたか?」 「聞いたよ。やったよね! ね、ね、お祝いは何がいいかな? あ、まだ気が早いのかな。でも、こういうのは早めに準備ができることだしさ」 「そうだな。……あ、いや、その」 「それよかさ、小松。聞いたよ。そろそろいい年なのに、っていうかいい年を五年くらい過ぎてるのにまだ独り身? 小松だってそこそこいい家の出なんだから世継ぎを残さないとダメじゃん? ってゆーか小松、わりと評判いいよ。でも求愛されても片っ端から断ってたんだって? あ、侍ってソッチの趣味の人多いって言うけどもしかして小松もソッチの趣味? うわー、もしかして昔、本気で上様狙ってたりした?」 「せんわっ! その手の口の悪さは昔から変わらんな」 「だってボクはボクだもん。神妙にしてたら偽者だよ」 「その通りだな」 そわそわと落ち着かない様子が見て取れる。 「見合いをしたんだって? 別に小松が何だっていいけどさ、世継ぎ作っとかなきゃ御家も上様も安心できないじゃん? なんでさっさと身を固めないのさ」 「おまえを待ってたからだ」 「ふーん、だからっていつまでも独り身でいていいわけじゃ………………今、なんて?」 さらりとした発言に流されそうになった。 小松は今、たしかに花を待っていたと言った。 それは、つまり。 記憶の中のあの夜の光景は、花の記憶違いでもなんでもなくて。 さらに勘繰りをしすぎたわけでもなんでもなく、本当に。 「花、俺が妻にしたいと思っているのはお前だ。俺では不十分か? これでも功をあげてそれなりの出世を果たした。おまえが夜毎に物騒な仕事をしていたのも知っている。お前がここ十年近く、どこで何をしてきたのか問う気もない。何をしていようが構わない。花、俺と一緒になってくれ」 拒むより早く、小松の手が花を捕らえ抱き寄せた。 男が、侍がこう強引な所は他の文明を持った世界群ではあんまりないことなんだ、と言ってやりたいが。 それよりも花の理性は、血が登った頭と、汗がつたう額と、早鐘を打つ心臓を抑えるのに精一杯だった。 強く、強く、小松の腕の中に抱きすくめられ、やがて花は小さく噴出す。 「ばっかだなぁ小松は。ボクは忍だよ? もし帰ってこなかったらどうするつもりだったのさ?」 「帰ってくるまで待つつもりだった」 ふぅん、と花は呟いた。 (……なんだかカッコイイよね。小松だけ成長したみたいで。ボクはまだあの頃のまんまなのに……) 長い長い数秒。 やがて花は顔をあげ、小松の顔を覗きこむ。 背一杯の笑顔。 「……待っててくれてありがとう。ボクも小松が大好きだ」 今度は花が小松の背に手を回して抱き寄せ、襟元に顔を埋めると両腕にありったけの力をこめて抱きしめた。 ミ★ ミ☆ ミ★ ミ☆ ミ★ ミ☆ ■ 幕間 ~前略、医務室のベッドより~ 「……意識を失っていたか」 真白のシーツは彼に似合う。 白燐の名が示す通り、白い布に覆われた空間は彼の居場所に相応しい。 純白のカーテンの向こうから人が近づいてくる気配がして、彼は体を起こした。 カーテンに手がかかる。 「すまない、迷惑をかけたな」 白燐が居住まいを正したタイミングで、カーテンを開けたクゥと目が合った。 「やぁ、調子はどう?」 「悪くない。どうやら意識を失っていたようだ」 「傷口はほとんどないね。コロッセオで試合でもしてた?」 「ああ、青燐と手合わせをしていた。攻撃を避けたところに突然落とし穴が開いてな。気付いたら妙な体勢で落下した」 「コロッセオに落とし穴?」 「黄燐の仕業だろうな。手合わせ場所に落とし穴製造シートを落ちておくなと説教してやらないと」 落とし穴に落下した時、受身を取り損ねた。 黄燐の仕業というのはその通りだが、それでも青燐の手元に集中しすぎて己の足元を見誤った咎は己自身にある。 次に青燐と手合わせするまでに克服しておくべき課題のひとつだろう。 クゥがカルテにペンを走らせる音を聞きながら戦いを思い返していると不意にカーテンが開いた。 「先に帰るぜ。お、シリーズ・燐のホワイトじゃねえか。さっき、シリーズ・燐のブルーに会ったぜ。仲間だろ?」 「……シリーズ・燐?」 言葉の意味がよく飲み込めず小声で反芻しているうちに闖入者ことティーロはクゥに片手で挨拶すると、入ってきた時と同様、唐突な勢いで部屋を後にした。 問いただすことはできなかったが、どうやら青燐も医務室に来ていたらしい。 自分と手合わせをしていた時にケガらしきものはなかったはずだが、何をしにきたのか機会があれば尋ねてみるのも一興かと考える。 ふと、クゥが顔をあげた。 カルテに手をおいて口火を切る。 「前にね、シリーズ・燐のレッドが……」 「……なんでもいいが、その呼び方はどうにかならないか?」 「失礼、赤燐が医務室に運ばれて来てね。その時の相手も青燐だったんだ、コロッセオでのケガは珍しくないけれど一人が医務室送りを繰り返しているとなると、これはこれで……」 「今回の医務室送りは事故みたいなものだ。気にしなくていい。それに青燐は千年級の天人長だ。俺や赤燐なら返り討ちを覚悟での手合わせだからな」 「……分かった。そのうち黒燐が運び込まれてきたらもう一度考え直す」 「知り合いか?」 「少しね」 えへへーと笑った子供染みた所作の黒い少年が白燐の脳内で手をふった。 「勘違いされそうだが、黒燐も黄燐も俺より年上だぞ。確かに黒燐の見た目は俺より遥かに若いが、実際は俺の方が上。俺が生まれた年に黄燐が統治を始めたからな、それほどに年の差はあるし、外見によらない。俺の世界では結構当たり前なのだが」 青年然とした容姿の白燐を見る限り、赤燐にはともかく、黒燐や黄燐より年下だといわれても俄かに信じがたい。 とはいえ、ターミナルの常識に乗っ取って考えるだけでも、幼女のようなエミリエより年下のコンダクターやツーリストはいくらでもいる。 そういうものか、と納得したクゥをさておき、白燐は手近な棚から白い布を手に顔の前に被せた。 耳がひっかかり装着に手間取っている様を見つめるクゥに自分の耳を指してみせる。 「これはな。……故郷では狐の耳と尻尾を持つ者は、混血児でも少なく、覚醒の直前でも奇異の目で見られたものだが」 奇異に見えるか? と目で問うとクゥは静かに首を振った。 「だろうな」と白燐は笑う。 覚醒して世界図書館に所属するようになってから、耳や尻尾に対する己自身の偏見は薄くなっていた。 目の前で見つめているクゥにとっても、そこをケガしたら血が出るのかどうかの方が重要に違いない。 数分で身支度を整え、白燐は差し出された利用者名簿にサインをする。 役職ではなく名前を書け、と強く言われたのは、五行長の誰か……彼らの言葉を借りるならば、燐シリーズの誰かがやらかしたのだろうか。 サインを終えて白燐は自分の寝ていたベッドを指差す。 「次に手合わせをした後は青燐をそのベッドに寝かしてみせよう」 白燐は狐のような瞳でふっと笑う。 「実は青燐とは覚醒してから交流を持ったので張り切ってたんだ」 ――ほら、気持ちが若いだろう? そう言って白燐は切れ長の瞳をさらに細めた。 廊下に出て振り返る。 「そうだ、数年前に自分の世界に帰属した軍人がいただろう。世界樹旅団の時のあいつ」 「……うん?」 「死んだそうだ」 かしゃん、と。 バインダーが落下する音が廊下に響いた。 ミ★ ミ☆ ミ★ ミ☆ ミ★ ミ☆ ■北極星号の帰還より七年後 ~それぞれの道~ 月見里 眞仁が廊下を歩く。 だだっ広い図書館の長い廊下を行くと似たような扉が並んでおり、その中のひとつを目指して歩く。 途中で眞仁とすれ違ったティーロが眞仁とすれ違った後不意に立ち止まり、柱を基点に1、2、3と数を数えていたのは珍しい光景ではない。 同じような扉が並んでいるため目印や目標がないとどうしても他人の部屋を開けてしまうのだ。 ネームプレートが必ずしもあるとは限らない。数人続けて自分の部屋にプレートを掲げない主義の部屋主がいる場合、先ほどのように最後の目印からいくつ目の部屋という数え方をせねばならない事も往々にして存在する。 眞仁がこれから尋ねる相手は幸いにして自分の部屋を隠す性質はない。僥倖だった。 部屋の前に大きな半紙が貼り付けられており、茶色の太い文字で「みかんどらごん がん・みー なのだ」と書かれている。 字の上手い下手は横においておくとして、部屋への訪問者が道に迷うことはない。 ノックの後、扉を開けると咲夜の正面、部屋の最奥に大きな窓があり、その下に木造の机。こちらに背を向けた椅子。 数秒の間があいて、その椅子がゆっくりと回転する。 背がこちらを向いている時には分からなかったが椅子に乗った座布団の上に蜜柑が鎮座ましましていた。 やがて威厳をこめ、みかんは来訪者眞仁に決まり文句を告げた。 「がおー、我は偉大なるみかんどらごんにして世界司書、ガン・ミーなのだー!」 「よう」 「よく来たのだー。準備は整ったのかー?」 「……まぁな」 と言って眞仁が見せた荷物は旅行カバンひとつ。 依頼に行く時と同じ、トラベルバッグに納まるだけの必要最低限度の生活必需品のみだ。 ここ最近で増えたとは言え、ターミナルでは昔から時々見かけた風景がある。 0世界を去り、特定の世界に帰属する者が最後の別れを告げに来たのだ。 「って事で、ガンに会いに来た。帰属前の挨拶ってやつだ」 「うむ。聞いていなかったが、眞仁は壱番世界に帰属するのだー?」 「あー。いやな、実はヴォロスなんだ」 「ヴォロス?」 眞仁の故郷は壱番世界である。 てっきり故郷に戻るかと思っていたがそうではないようだ。 何と言って良いものか思案するガンに眞仁は言葉を続ける。 「……今、俺らしいって思ったか? だろうなぁ、俺、ドラゴン好きだしドラグレット好きだし。でな、何か和風っぽいところがあって。そこで、交流してるうちにな」 旅人はやがて心を託せる土地を見つけ、朽ち果てるべき場所を選び、そこへと帰っていく。 眞仁もまた、己が故郷を後にし、寿命を得て生きるべき土地を見つけたのだろう。 「んでもな。実をいうと帰属するって……、妹の咲夜には内緒なんだ。で、この先はもっと内緒だけれど。俺、右目完全に失明したんだよ。何て言うの、これって壱番世界の日本的な言い方で言霊っていうの? 俺の名前の由来になった神様みたいに片眼見えなくなったんだわ。で、壱番世界とかにいると妹にばれるわけで。ヴォロスだと、魔術的なサポートあるみたいだから。多分それが最後の一押しだ」 注意深く見れば眞仁の右目は黒目が動いていない。 本人の申告通り、機能を失っているのだろう。 0世界でも、あるいは壱番世界で過ごしている限り身近な仲間に気付かれず過ごすのは困難と判断したということだ。 「なぜ、我に話したのだー?」 「なんでだろうな?」 俺にもよくわからん、と眞仁は笑った。 少し考えてから、咲夜に近いからかなと首をかしげる。 「正直言うとな、咲夜と離れるのは寂しい。ついでにトレモも! でも、ガンに言っときゃそのうち妹の耳に入るだろうし、そーすりゃ会いに来るかも知れないだろ? このまま一生あいつと会えないなんてことになったらヴォロスとは言え帰属しないって断言しそうだけど、ま、ヴォロスならターミナルの皆も気軽に会いにきてくれるだろうしな。ってことで、勝手に話すのはいいぜ。住所はまた落ち着いたら連絡する。今度は手紙か何かになりそうだけどな」 それじゃあ、と言い残し眞仁は荷物を持ち上げる。 「眞仁……」 「シリアスなのは面白くないからな。そうだ、最後だから盛大に愛でも語ってみるか! かわいい咲夜と離れるのは寂しい! トレモも! 咲夜は会いに来てくれるかも知れないがトレモ、お前はどうなんだ!?」 傍らのトレモ、つまりは彼のセクタンを抱き上げ眞仁は全力で頬ずりする。 なんとか逃げ出そうとするオウルフォームの翼を眞仁のたくましい両腕ががっちり挟んで逃がさない。 トレモは2のダメージを受けた。 「咲夜! 可愛いよ、咲夜!!」 トレモは2のダメージを受けた。 トレモは2のダメージを受けた。 トレモは2のダメージを受けた。 トレモは2のダメージを受けた。 微妙に剃り切れていない眞仁の頬髭がセクタン・トレモの心のHPを削りきった頃、ようやく脱出に成功したようだ。 これから帰属する眞仁の横にいつまでもセクタンはくっついていない。 トレモもまた、眞仁の知らないうちにいつのまにか姿が見えなくなるのだろう。 「じゃ、な」 「ああ、達者で過ごすが良いのだ。汝には偉大なるみかんどらごんの加護がついているのだー。年越し特別便の出る夜は起きているのだぞー」 「そいつは頼もしいな、楽しみにしてるぜ」 眞仁は苦笑すると司書室を後にした。 眞仁の挨拶から遅れること一月、月見里 咲夜が廊下を歩く。 やはりだだっ広い図書館の長い廊下を行くと似たような扉が並んでおり、その中のひとつを目指して歩く。 はるか前方できょろきょろしている人がいるなーと進んでいたが、やがてすれ違うタイミングで声をかけられた。 魔術師ティーロだ。 「すまん、グラウゼの部屋ってここらへんか?」 「『とろとろ』じゃないの?」 「それがあいつ、世界司書する時用の部屋があるらしいんだがな。会う時は大体カレー屋なんでよくわからなくてだな」 残念ながら知らないと告げると、そうかとティーロはメモを片手に扉のネームプレートを確認する作業に戻った。 ティーロが迷っていたあたりを少し越えたあたりで咲夜はひとつの扉の前に立つ。 茶色の太い文字で「みかんどらごん がん・みー なのだ」と書いた紙を眺める。 半紙は長期間放置すると湿気を吸って撓んでしまう。そろそろ新しい紙を書く時期かも知れない。 あるいは金属製のプレートに代えることも検討すべきかと思いつつ咲夜は戸を叩く。 ノックの後、扉を開けると咲夜の正面、部屋の最奥に大きな窓があり、その下に木造の机。こちらに背を向けた椅子。 数秒の間があいて、その椅子がゆっくりと回転する。 毎度お馴染みのように椅子に乗った座布団の上に蜜柑が鎮座ましましていた。 やがて威厳をこめ、みかんは来訪者咲夜にいつもの決まり文句を告げた。 「がおー、我は偉大なるみかんどらごんにして世界司書、ガン・ミーなのだー!」 「はいはい、偉大なるみかんどらごんの司書に会いに来たわよ」 ガン・ミーの口上を聞く前から咲夜は持参した紙袋を部屋の棚の上に適当に広げていく。 食料や書物、文房具などの雑貨品である。 ガン・ミーが頼んだものというより、咲夜が勝手に判断して持ってきたもので、要するにガン・ミーが困る前に先回りしての備品補充だ。 「よくきたのだー、ゆっくりしていくがいいのだぞ」 「はいはい、ゆっくりね」 荷物を広げた咲夜はいつものごとく、三角巾を頭に巻いて着物を襷掛け、部屋にハタキをかけ始める。 部屋の隅にホコリが目立ち始めているため、咲夜はそろそろ雑巾掛けでもしようかと思案した。 「知ってる? アリオさんが帰属を考えてるそうよ。残念ながら最後までアリッサさんとのフラグは経たなかったのかしら?」 定期的に出てくる話題である。 十年ほど前、覚醒するロストナンバーが増えて時期にアリッサはひとつの計画を立てた。 初めてターミナルを訪れる旅行者が気軽に馴染めるよう、チュートリアルカフェを開き、参考資料としていくつもの本やプリントを用意したのだ。 もちろん、ほとんどはリベルの手による事務仕事だったが、その中に覚醒時の記憶としてアリオの話が採用された。 ロストナンバーとなるにあたり、館長(もっとも当時は代理だったが)のアリッサと出会いがきっかけとなったアリオの話は広く知られることとなったのだ。 そして、その出会いは少年漫画の主人公のような運命的なものであり、アリオが主人公であればヒロインの座はアリッサに違いない、そう思わせる内容だった。 以来。 何度も何度もアリオとアリッサの中は旅人に揶揄されることとなる。 だが、咲夜の言葉が表す通り、結ばれるでもなく、キスのひとつもなく、それどころか手を握ることもなく。 ついにはアリッサの性格を差し引いても「誰だっけ」と言われるほどの情けない日々である。 「アリオは壱番世界に帰るのだー?」 「うーん、それは分からないわね。もしかしたら他の世界で可愛い女の子見つけてたらしこまれるような未来もあるわけだし……。そういえばね、ガン。あたしもそろそろ帰属先を考えているのよ」 「咲夜も帰属するのだ?」 「ええ、壱番世界に。……と言っても、気になることが解決したらね。だってチャイ=ブレがいる限り安心できないのも本当だから」 咲夜は三角巾と割烹着を脱ぎ、着物の襷掛けを外す。 今日の掃除は終わりという意思表示だろう。 「そ・れ・に! 帰属したらガンに会えないじゃない。モフトピアにいけないじゃない! ちとてんとお別れするのは、もっと先の方がいいし!!」 左手にセクタンのちとてん、右手にちりとり。 ちとてんとちりとりをちらちらと交互に持ち替えつつ咲夜は軽く咳払いをした。 「……おほん。つまり、まだまだ旅人は続けてるわよ。だから、つつかせて?」 ガンの返事を待たず咲夜はガン・ミーの皮をつっつきはじめた。 「ほら、気軽に帰属してバイバイって言えない程には結構気になるのよ。元保護主としては。それに、何気に一番身近にいた「偉大なるみかんどらごん」だったしね?」 「えっへん、我は偉いのだー!」 「そういえばお兄ちゃんを見ないんだけど、ガン知らない? 尋ねていって留守なのはよくあるんだけど、引っ越したって札がかかってたのは初めてなのよね」 「う、うおおおおお!」 「ごめん、痛かった?」 痛いわけではなく、どう答えて良いやら悩んだ末のうめき声であった。 眞仁の帰属を妹である咲夜に黙っていたことは事実である。 隠すつもりは全くなかったものの、ついついみかんの収穫時期と重なってしまい世界司書とみかんの刈り取りを並行する日々を続けてしまった結果、咲夜に話さぬまま一ヶ月が経過してしまった。 ヘタに答えれば何故隠していたと責められかねない。 仕方が無いのでガン・ミーはあからさまに呻く。 セクタンのちとてんがぼてっと床に落ち、咲夜の注意がそれる。 「あら、ちとてん。やきもち食べt……。きゃー!?喉に詰まらせてる!?」 呼吸ができずにセクタンが死んだという例は聞いたことがないが、それでも苦しそうなセクタンを放置するわけにはいかないと医務室へ急行した。 それからさらに一ヶ月。 咲夜が最後に眞仁を見た日からちょうど百日が経過した時点で、行方をつきとめると決心した咲夜はガンの部屋に乗り込んで白状させると無理矢理チケットを発行させヴォロスへの車両に乗ることとなる。 帰属は勝手だが文句だけは言いに行く、とのことだ。 まぁ、本人が妹の耳に入ることを、そして帰属を知った妹が自分に会いに来ることを想定しての行動であるため眞仁に文句はないだろう。 そして妹の方でも文句は兄に直接言いに行くという。 と、いうことで。どれも誰かが書いたシナリオで、この件に関してガン・ミーの悪巧みは一欠けらもない。 なぜ、世界司書たる自分が咲夜に叱られねばならなかったのかと腑に落ちないガン・ミーであった。 ミ★ ミ☆ ミ★ ミ☆ ミ★ ミ☆ ■北極星号の帰還より十年後 ~Yo-Ho-!!~ 「コタロと撫子も連れてきたかったな」 ティーロはぼんやりを海を眺めていた。 海賊の一団、と言っても十人に足りない小さな船の見張り台の上でごろりと横になり、酒を煽るかどうかを思案する。 眼下には長い航海でだらけきった海賊達が甲板で昼寝していたり、釣りをしていたりとやりたい放題だ。 ティーロが無断で見張り台を占領してから一時間ほどが経ったところだが誰も騒ぎ立てていない所を見ると気付かれてすらいないのだろう。 気付かれたら逃げればいいや、と考えていたら、唐突にティーロの周囲で風の精霊が逃げろと絶叫した。 慌てて起き上がってみるとどこから現れたのかゴツい軍艦が数隻、ティーロの乗る船を囲んでいる。 足元からコツコツ音がする所を見ると海賊の方でもこの見張り台に近づいてきている、ということだ。 どうしようと考えていると軍艦から火薬音が響いた。 見張り台の真横の木がえぐりとられ、飛び散った木片がティーロの顔をひっかく。 血が頬を垂れたが、それよりも次弾を装填した砲筒がティーロの方を狙っていることの方が重大な問題である。 「……こりゃ、ヤバイだろ。オレ死ぬかな?」 そう呟きティーロは瞬間転移でその場から消える。 数秒後、見張り台は粉みじんになって吹き飛ばされ、登ろうとしていた海賊は思い切り甲板へと叩き落された。 「海賊だー!! てーっ!!!」 軍艦、沿岸都市の自警団が組織的に用意した武装船は並みの海賊など容易に蹴散らせるだけの装備を持っていた。 海賊の側ではこれに出会えば逃げの一手を打ち、被害が少しでも少なくなれと神に祈ることが最良の手段だといわれている。 この海賊船はそんな軍艦数隻に囲まれていた。 「……もうダメかも」 海賊行為をしているからには対峙すれば容赦なく斬り捨てられ、降伏して捕虜になれば縛り首。 この期におよんでは恐怖の数日を過ごさない代わりに最後の温情であるりんご一個を諦めるか、 この世の名残にりんご一個を口にいれられる事のみを望みに、死刑が執行されるまでの恐怖の数日を耐えるかを選択せねばならない。 どうあがこうと今死ぬか、数日後に死ぬかの二択である。 そもそもが十人に満たぬ海賊グループ、軍艦に囲まれてまともにやりあっても勝ち目はない。 腰の剣を抜くこともできず、全員がその場に座り込んだ。 『ああ、どうか大物海賊が気紛れにこの軍艦の所属する都市を襲う計画を立てていますように』 軍艦からはしごがかけられ、数十人の兵士が隊伍を組んで海賊船へと乗り移る。 最後の娑婆の食事が昨日のマズいメシだったとは、昨夜のうちにベッドに隠したラム酒を飲み干せば良かった。 そんな事を考えながら頭を伏せた海賊の頭上に兵士の剣が振り上げられた。 五秒。 十秒。 己の首を襲う衝撃がない事をいぶかしんだ海賊がおそるおそる目を開けると、甲板に倒れる兵士達の体が見えた。 何がおきたのか把握もできぬままぐぁっ、と小さく呻いてまた一人の兵士が倒れる。 「待たせたな!」 声のした方を横目に見る。 かつての船長アーティラ・ウィンクルーネが簡易な作りの船の上に腕を組んで立ち、バンダナや前垂れを風に靡かせつつ颯爽と現れた。 その横ではイング・ティエルが「はぁい♪」と陽気に手を振っている。 「心配かけたね!だけど君らの親分は不死身さー!」 「……あ、あれ、アーティラ船長? それに横にいるのは……?」 「この人?んふふ、ボクのマイハニーって言えばいいかな。ん~♪」 「はぁーい♪ アーティラちゃんの彼女よぉ♪」 自らをそう紹介し、イングは魔法の制御に戻る。 兵士の周囲の空気密度を希薄化すれば酸欠になり、どれほど屈強な者でも数秒と持たずに昏倒するのだ。 やがて、イングが魔法の矛先を軍艦に変え、二隻目を海中に沈めたあたりで他の軍艦は逃げ出した。 敵の姿がなくなった事を確認した後、臆病なほどに軍艦の所属する都市沿岸部から離れるとようやく海賊たちはアーティラとの再会を喜ぶことができた。 ディアスポラ現象に見舞われてからどれほどの月日が経ったのだろう。ようやくの生き別れた海賊団のメンバーとの再会である。 アーティラのことを知らない新米も、あるいはアーティラがディアスポラに見舞われてから今日までの間に命を落とした古参メンバーの遺影にも、一晩をかけてアーティラは労いの言葉をかけ、酒を酌み交わす。 帰ってきたのかと問う海賊にアーティラは小さく首を横に振った。 「実はロストナンバーを続けてたりー! 0世界での生活も割りと気に入ってたしー、暫くはロストナンバーとして活動しつつ故郷に戻って義賊活動をする事にしようかなってねー!」 ロストナンバー、0世界。 初めて聞く単語に首を傾げる海賊を無視してアーティラは話を続ける。 「0世界でも相変わらず冒険旅行に出たりしつつ、密かに夢だったファッションデザイナーとしても活動してるんだ~っ! オシャレでクールだったりスタイリッシュだったりな服や装飾品をいくつもデザインしているよー! ……けどね、こっそりとセクシーなデザインの服や装飾品もデザインしてるんだ~んっふふ~♪ ボク自身がモデルになる事もあるけど、イングにもモデルになって貰ってるし最高な毎日さっ! あ、イングは紹介したよね。マイハニーだよ! これでも数百年を生きる神様みたいなもんなんだぜっ! 勿論、普通の服もセクシーな服も着て貰ってるよ、んっふふ……♪ 見るかい? 新作! んっふふ…今回もなっかなかイカした出来だと思うよ~!」 ずらっと並べた服にアクセサリー。 繰り返すがここは海賊船である。 おしゃれどころか風呂すら滅多と入れない。 衛生環境最悪の空間で生死を共にしたかつての船長が、服のセンスがどうこうと語っているのである。 腑抜けたかというには先ほどの軍艦を追い返してもらった義理もあり、海賊としてもどう反応して良いやら困り果てている。 さらにはイングの存在である。 アーティラが語る軟派な言葉の一つ一つを肯定的に頷いて聞いていたかと思えば、神だと来た。 「数百年を生きる、とは言うけれどぉ。それは私の魂の話なのよねぇ。霊魂に関しては魔法陣とか準備しないと扱えない程度の技量だけど、他の人の身体から魂を抜き取って、そこに私の魂を滑り込ませる。そうやって身体を何度も変えて生きてきたわぁ。もう、一番初めの身体は何だったかしらぁ。……と思ったけど、世界を抜けたら年を取らなくなったなんてラッキーじゃないのぉ。元の世界では神としてはもう少し魔法を完成させよとか言われたけどぉ、神にならずとも良かったのよねぇ」 ここらへんで海賊は話を完全に理解する努力を放棄した。 イングは魔法使い、軍艦を静めるほどの実力者でアーティラと親しい。 敵ではない戦力というだけで充分ではないか。 「でも、イグジストの下に付いてないといけないってのがダメねぇ。だからドックタグ技術を元に、ロストナンバーをそのまま、ドックタグにて存在を保管される技術を研究しているって聞いた時は思わず協力申し出ちゃったわねぇ。完成はした、けどやっぱりまだドックタグ頼り。管理者がその気になれば消されちゃう。だから、その先、何にも頼らずに存在を保てる研究を続けないといけないのよ。全然進まないけどねぇ。ま、時間はたくさんあるし、焦らずやりましょぉ。少なくともチャイブレに消される心配はないのですからぁ」 要するに。 アーティラはこれまで同様に姿を消すが、たまには戻ってきてくれる。 イングはアーティラの彼女として現れるし、戦力にもなってくれる。 0世界とかチャイ=ブレというのは、無教養な己にはよくわからない他国の王族か何かだろう。 海賊たちはその程度の認識で納得することにした。 そのまま夜を徹しての宴会は続く。 ケチ暮らしをしていた海賊団にとっては久々の宴会だ。 やがて、海賊の一人がイングのスソを引っ張った。 「アネさんはアーティラ船長のお嫁さんなんですかい?」 実際はもっと卑俗な言葉だったが、イングは嫌な顔もせずにこやかに言葉をむけた。 「うふふ、そうねぇ、いつかはワタシも故郷に帰属するんでしょうけどぉ。それまではアーティラちゃんのやりたいこと、手伝ってあげるわよぉ。義賊活動も、モデルも楽しいしねぇ♪ 少なくとも今はずっとアーティラちゃんを見てるつもりよ」 見た目の通りフシギなアネさんだ。 海賊は多いに笑い、不躾だぞとアーティラに拳骨をもらった。 さらにこれがきっかけでケチな海賊暮らしの荒くれ者が文化や礼儀を叩き込まれるはめになった。 アーティラの故郷において、海賊の教養レベルが僅か一世代で劇的に向上した直接の原因である。 「明日からもボクは刺激的な活動を続けるのさぁ~!」 酒に酔ったアーティラは故郷の海へ高らかに宣言した。 ミ★ ミ☆ ミ★ ミ☆ ミ★ ミ☆ ■北極星号の帰還よりン年後 ~女三人よれば姦しい~ 「たっだいまー!!」 「おや、愛しの8ちゃん。おかえり」 椅子に腰掛けたままのハイユが視線でNo.8を出迎える。 お茶でもどうぞと勧めてくれるが、ハイユの性格上、淹れてくれるわけではない。 重々承知のNo.8は自分でヤカンからティーポットにお湯を注ぎ、紅茶のティーバッグを放り込んだ。 僅かな抽出時間を活用して、背負っていたリュックや身につけていたポーチをがしゃがしゃと床に落としていく。 「バイトも三連戦はちょっとキツいですねー。弾薬補給のために2、3日休暇を貰ったんでその間に骨休めしておきますよ。ちょっとバラ撒きすぎて銃弾とメンテ代で今回のバイト代、ほとんど吹っ飛ぶし、借金の利子だけでも莫大だしで……、ここに帰ってくる前だってお腹すいたなーってロストレイルの客席でぐったりしてたら見るに見かねたのかティーロのおじちゃんに酢イカもらってそれ食べたら中途半端に胃が動いて余計にお腹がすいて……。あはは、いいんです。満足ですから。結婚しなくても彼氏いなくてもー!! ブルーインブルーで久々に言い寄られた相手がターゲットのタコ型海魔だってくじけませんっ! 私に精莢渡そうなんて百年早いんだよっ!」 「はいはい、店先で泣き出さないのよ。今回はどこ行ってたの?」 「今回はブルーインブルーですっ! 海魔とバトってきました。タコの化け物が相手だったんですよー!」 「……共食い? 美少女が粘液でぬらぬらするのは興奮しないわけじゃないけど、ちょっとベタすぎだわね」 「共食い違うっ!」 ハイユと同じテーブルについているのは幸せの魔女。 開口一番、No.8をタコと同類扱いした彼女につっこみをいれつつ、カバンからきらりと光る宝石を取り出して二人の座るテーブルに差し出した。 「じゃーん! 今回の戦利品ですっ! 特上特大の翡翠ですよ! どうですか!」 「……ふぅん?」 光る宝石を不躾に素手で掴み、ころころと掌で転がしてから幸せの魔女はくすりと嗤った。 掌を横に向け、一本ずつ指を離していき、最後の小指がぴんっと立つ。 程なくして床に落ち、緑の宝石は粉々に砕け散った。 一秒、二秒、 笑顔のまま張り付いたNo.8はやがて瞳に大粒の涙を浮かべ、無言で床を指差す動作と幸せの魔女にぽかぽかと拳を叩きつける。 「8ちゃん、あれ、翡翠の偽者さね。翡翠ってのは割れないんだ。床に落とした程度じゃ特にね」 ぽかぽかぽかぽかぽかぽかぽか ぽかぽかぽかぽかぽかぽかぽか ぽかぽかぽかぽかぽかぽかぽか ぽかぽかぽかぽかぽかぽかぽか ぽかぽかぽかぽかぽかぽかぽか ぽかぽかぽかぽかぽかぽかぽか ぽかぽかぽかぽかぽかぽかぽか ぽかぽかぽかぽかぽかぽかぽか ぽかぽかぽかぽかぽかぽかぽか ぽかぽかぽかぽかぽかぽかぽか 「どこのインチキ商人に騙されたか知らないけど、あれ、ただの緑色に塗った泥団子じゃない? ここまで粉々になるって硝子球ですらないよ」 ぽかぽかぽかぽかぽかぽかぽか ぽかぽかぽかぽかぽかぽかぽか ぽかぽかぽかぽかぽかぽかぽか ぽかぽかぽかぽかぽかぽかぽか ぽかぽかぽかぽかぽかぽかぽか ぽかぽかぽかぽかぽかぽかぽか ぽかぽかぽかぽかぬるぽかぽか ぽかぽかぽかぽかぽかぽかぽか ぽかぽかぽかぽかぽかぽかぽか ぽかぽかぽかぽかぽかぽかぽか 「ああ、もういつまでぽかぽか叩いてるのよ、痛いじゃない」 幸せの魔女は大泣きしてるNo8の手を掴むと強引に自分の胸元に引き寄せると思い切り抱きしめた。 「あ、ずるい。あたしも8ちゃん抱っこしたい」 「んふふふふー。早いもの勝ちよー。ごめんね、先に言えば良かったんだけど、あまりにも貴女が幸せそうだったからすご~く泣き顔が見たくなっちゃったの」 よしよしと頭を撫で、柔らかな髪の感触とえぐっえぐっと自分の胸でしゃくりあげて泣く美少女というシチュエーションに幸せの魔女は恍惚の笑みを浮かべる。 ハイユが羨ましがっているという状況も加味すると絶頂を覚えかねない。 さらなる快感を貪ろうとNo.8の髪に鼻を近づけ、息を吸い込んだ途端、幸せの魔女の顔が曇った。 「……磯の匂い」 「えぐっ、えぐっ、……そんなこといわれてもっ! ブルーインブルーで海に落ちたし、お風呂まだだもん」 きらっと視線がぶつかる。 薄ら笑いを浮かべるハイユと、妖艶な笑みを浮かべる幸せの魔女の視線である。 こきこきと肩をならしながら椅子から立ち上がったハイユが背後からNo.8の右腕に抱きついた。 何をする、と振り向いた途端、それまで真正面にいた幸せの魔女もNo.8の左腕に抱きつく。 「な、なななな……?」 「8ちゃん。美少女が磯臭くなってて、その戦闘してきました塗れの服装でいるのは罪だ。さ、着替え買いにいくよ。ついでにデートしよ」 「私も最近は色々と忙しい事尽くしだったから、たまには思いっきり羽を伸ばすのも悪くはないわね。愛しのハイユさんと8さんからのお誘いなら尚更だわ。デートって言っても3Pね。このPはプレゼントって意味だから決していかがわしい意味じゃないわ」 猛烈に悪い予感がして咄嗟に逃げ出そうとしたNo.8の首はひっ捕まえられ、抵抗むなしく街中へと引きずり出された。 ミ★ ミ☆ 「こ、このスカートの丈、短くないですか!?」 短い。というか、無い。 腰周りをスカートもといパレオほどの布地で覆ったNo.8は真っ赤になって顔を伏せている。 美少女が下肢を晒しているが、ぬらりと粘液に光ったタコの足が八本。 「正直、腰周りが今でも気になっててね。体型的にスカートなら普通に着られるんじゃないかって思ってたんだけど、ビンゴね。……うん、ミニスカからのぞくタコ足。……マニアックでイイネ!」 「め、めくらないでくださいよー!?」 ハイユがスカートをめくるとNo.8が全力で飛びのく。 飛びのいたついでに試着室の中に逃げ込んで、カーテンを閉めた。 「いいじゃない。どうせ普段は腰周り何もつけてないだろ?」 「そ、そりゃまぁそうですけど」 No.8の下半身は構造の都合上、通常の人間の纏う服は入らない。 かと言って故郷では下半身に服をまとっていたかといえばそうでもない。 ハイユの長年の調査結果によると、No.8にとって腰周りから下に服を纏わないのは、壱番世界で言うところの帽子をかぶっていない程度の露出と同レベルである。 だが、あえてスカートを履かせて、それをめくってみた所、その反応は前述の通りである。 ハイユは己の「仮説と実験結果」に大いに満足をこめ、深く深く頷いた。 「やめてくださいよぅ、なんか恥ずかしいんですからっ!」 「何を言う、可愛いカッコしないとかありえない。需要はあたしにある」 「あら、私にもあるわよ」 「って事で、少なくともココに2件ある。女の子なんだから可愛いカッコもできなきゃダメよ……むしろあたしが帰る前に可愛いカッコをしろ」 命令形で言い放つハイユ。 渋々、試着室から出てきたNo.8は耳まで真っ赤に染めていた。 (……ううっ、普段着てないのにっ。なんでわざわざ着せられてっ、なんでめくられてっ。わーん、アタマがフットーするー!!) 蛸足を器用に折りたたみ、No.8は床にへたりこんだ。 「キャラ的にはスパッツが合いそうなんだけどねー」 「そうよねぇ、でも王道すぎない?」 「王道は正道。あー、でも8本足のスパッツなんかさすがに売って……るのか? 0世界だし? なけりゃ仕立てるか。今度になっちゃうけど。……ん?」 「……?」 ハイユの視線は何度も眺めてきたNo.8。 じーっと頭の上から下まで眺める。 繰り返すこと三回。 「あれ、考えてみるともしかして今の8ちゃん、下半身に何もはいてない状態だったりする?」 「……え、普段からこんな感じですよ。むしろスカートの分、いつもより多く着てる感じで……」 「ィヤッフウゥ! こいつぁ祭だぁっ!」 No.8の言葉を最後まで聞かず、ハイユは拳を天に突き上げた。 「我が生涯に一片の悔いなし! いや、ある。まだ8ちゃんのウェディングドレス見てないし! 口球探して下のオクチ的ないじめ方もしてない!」 どーん、と効果音が聞こえてきそうなハイユの仁王立ちである。 ふっと口元を歪め、ハイユは次に幸せの魔女を指差した。 「次、幸せちゃんね」 「……あら、私もコーディネートしてくれるの?」 「もちろん、幸せちゃんにはボーイッシュな黒のジャケットとパンツをセレクト。金髪には黒のキャスケット」 ハイユが店のあちこちを指差すと、店員が素早く運んできては幸せの魔女に差し出す。 「こういう服はあまり私の趣味じゃないわよ?」 「知ってるよー。もっちろん。でもほら、普段と真逆の服装って見てみたいじゃないか! やだもー、あたしったら乙女! あとドレスだとボディラインが見えにくいからね」 「そういうことね、ええ、いいわ。少々待っててね。8さん、一緒に試着室いかが?」 幸せの魔女の誘いはくびをぷるぷる震わせる8に拒否されたが、あら残念ねと言って当の本人はあっさりと着替えた。 黒レザーのジャケットと太ももも露な黒い皮のショートパンツ、ハンチング帽をかぶった幸せの魔女は二人の視線を浴び、薄く微笑んだ。 「おおお。幸せちゃんの露出だ。生きててよかった」 「うふふ、うふうふふふふうふふうふうふふふふ。視線がカイカン……じゃなくて、私、今とても幸せだもの。これくらいは構わないわ。ね、8さん?」 「…………お、オッス」 あまりの過激さにNo.8はごくりと生唾を飲み込む。 放置しておくと自分もあんな格好をさせられるのか。 あるいはあんな格好をした幸せの魔女にいいようにいじめられるのか。 着る? と視線で促されたNo8は全力で首を左右に高速回転させた。 ミ★ ミ☆ 「ちぇー、買っちゃえばよかったのに」 「私の趣味ではないのよね。それとも、強引に着せてくれるのかしら?」 オープンテラスに三人で着座する。 程なくして運ばれてきた紅茶を片手に、幸せの魔女は余裕たっぷりに微笑んで見せた。 「おお、ハピマジョさん。優雅! オトナのオンナ!」 「ええ、ありがとう」 にっこりと微笑み返す姿からは、とても先ほどブラックレザーをまとっていたヘンタ……もとい女性と同一人物だとは思えない。 優雅な気品に満ちた貴族然とした姿は非常に絵になる。 先ほどの姿は何かの間違い、ひょっとしたら自分の思い込みが作り上げた幻覚か何かだと必死に思い込み、No8は笑顔を返す。 「こうやって3人でお茶してると姉妹みたいで良いですねっ! 私が一番下の可愛い妹ですよっ!」 「ええ。それなら可愛い妹さんにケーキでもおごらせていただこうかしら?」 「わー! 食べる! じゃ、このミルフィーユとイチゴショートとショコラと抹茶ミカンと……」 「そうだ、8ちゃんの足を見ながら8ちゃんをいただきますしてる気分になってタコ焼き食おうぜ!」 「やめてぇーーー!!! かわいい妹でいさせてくださいっ、かっこいいお姉ちゃんになっててください!」 唐突にNo.8の注文に割り込み、ハイユがたこ焼きをオーダーする。 微笑ましいやりとりだと幸せの魔女は嗤っていたが、No.8的にはたまったものではないようで。 と、いうより「いただきます」の六文字に物凄く言葉に形容しがたい過去を思い出し、記憶が背筋をぬろっとナメあげるかのようで、No.8は身震いした。 そんなNo.8におかまいなしで、もとい、もっとそんな表情を見たいと言わんばかりにハイユの言動はエスカレートする。 運ばれてきたタコヤキをわざとNo.8の前に近づけ、さらにハイユ自身の唇も目一杯近づけてふぅふぅと冷ます。 当然No.8の目の前に、グロスに艶かしく光るハイユの唇が接近してふぅふぅと息に合わせて揺れるので、 No.8としては「こういうセクハラもあるのか」とぐらぐらする頭で考えるしかない。 「おいしくなぁれ、ふ~ふ~、あ~ん、とかアキバ系の間違ったメイドさんプレイも今日だけ解禁だよ」 「メイドさん、お茶をいただけるかしら?」 「ばっか、自分で茶なんて淹れるわけないだろ。プライベートではメイドじゃないただの一人のオンナなんだよ! 酒だ。酒もってこい!」 「ふふふ、ハイユさん。それ、ダメオヤジの言動ですわよ?」 「ダメオヤジ上等。あー、でも二人とも未成年なんよねー。しょうがないから紅茶にブランデー入れるくらいのぬるい飲み方にしよう」 「……センパイ、素で酔っ払いテンションじゃないですかー」 ぼそっと呟いたNo.8の言葉はハイユの耳にしっかり届き、ナマイキのオシオキと称してハイユと幸せの魔女に双方向から抱きつかれるハメになった。 ミ★ ミ☆ 「ケーキ! おいひいへふっ! おふぁふぁひふははひ(お代わりください)」 「こちらも」 「……はー、よく食うね、二人とも」 がつがつ、がつがつ。 貧乏暮らしのため、ケーキでお腹を膨らませられる貴重な機会を逃すわけにはいかないとNo.8は注文する端から食べつくす。 一方、幸せの魔女はといえばフォークで優雅に少しずつ食べていた。 スピードは圧倒的にNo.8が勝っているはずなのに、幸せの魔女が食べて積み上げた皿の量に二人の差異はほとんどない。 見る見るうちに積みあがる皿と追加注文の伝票の束を、ハイユは楽しげに見つめる。 「はひっ、はへはいほひひへひへはへんっ、ははははひほふへふっ」 「『はい、食べないといきていけません。カラダがシホンです』ってところかしら。うふふふ、ねぇお二人。今日の私はとても幸せなの。せめてものお礼に、良ければここの会計は私のオゴリにさせてくれない? でも、だからと言って調子に乗って注文しまくったりしたら駄目よ? その分だけ……幸せを奪わなきゃいけなくなるから」 「いかんなー、幸せを奪われるのか。じゃ、幸せ補充だ。8ちゃん、ぎゅー!」 「へんはひっ、はははへへはふー(センパイ、まだ食べてますー)」 食べてるNo.8に必要以上のスキンシップを取りながら戯れるハイユを微笑みと共に見つめ、幸せの魔女はポケットから小さな箱を出した。 小さな音をたてて机の上に置き、静かにあける。 三角形の配置で指輪が三つ。 「ねぇ、二人とも。見ていただけるかしら? この可愛い指輪。ラブリングですって。何故かわからないけど1組3個セットで売られていたわ」 「ほふほふ……ぷはっ。なんでラブリングが三つ一組?」 「うふふ、細かいことは気にしないで。もとい、これは何かの導きよね。これを私達でつけてラブラブになれっていわれているに違いないわ。ふふ、うふふふふ」 「ハピマジョさん、いつにも増して妖艶……というか、妖妖しい笑顔になってる」 慎重に指輪の構造を確かめ、一度つけたら指を切り落とすまで離れないとか、指を切り落としても離れないとかそういう呪いがないことを殊更注意深く確認し、No.8は自分のぶんを手に取る。 「あー、だめだめ。指輪は人につけてもらってナンボよー」 ハイユが強引にNo.8の左手を取り、薬指へとリングを通す。 あえての左手薬指。 壱番世界ではね、と幸せの魔女がその意味を解説する。 弾かれたように左手薬指のリングを外そうとするが抜けない。 「それね、一度誰かにつけられたら、その人からの愛を受け入れない限り外れないの」 「でも受け入れたら外す意味ないよね。どうする? もう一つ手段があるけど、それはちょっとつまらないことになるよ?」 つまらないこと。 ハイユがそういうからにはロクでもないことなのだろう。 さしあたって害もないようだし、次に戦地に赴く前に外せればいいか、とNo.8は小さく溜息をついた。 (ま、もう一つの手段は「指輪の宝石の後ろにある取り外しレバーを引く」んだけど、帰って説明書読むまで待ってみよう) ハイユと幸せの魔女的にも、いつまでNo.8の指に三人の友達の証が輝き続けるのか楽しみが増えた。 では友情の証に、と。こちらはそれぞれ自分で自分の指にリングをはめる。 ハイユは左手の人差し指に、幸せの魔女は右手の中指に。 なんで左手の薬指じゃないのかと声をあげたNo.8の話をまぁまぁと静止し、幸せの魔女は露骨に話題を変える。 「そうそう、ゲームセンター・メン☆タピに今日新しいゲームが入荷するの。ロケーションテストもかねて一緒に遊ばない?」 幸せの魔女の言うゲームセンター・メン☆タピは今、彼女が経営権を握る遊技場である。 本来はもう一人、ファルファレロ・ロッソも一口噛んでいるはずだが、彼は健全な遊戯のコーナーに口出しはしてこない。 「リオードル叩きって言ってね。こう台の上にいくつも穴が空いているの。 その穴から「我が力は、我がもとへ還れ」とか言ってリオードル卿の人形がニョッキリ生えてくるから、 それをめっこハンマーで叩くの。たまーに出てくる世界樹の枝を突き刺せば高得点。 コンボボーナスがあるから、連続でリズムよく叩くがコツよ。「我が力は」まで言ったあたりで叩くとクリーンヒットになりやすいわ」 「……それ、とーぜん許可は……」 「文句があるなら化けて出てくればいいのよ」 超然とした笑みを浮かべて。 幸せの魔女は最後の皿のケーキにフォークをつきさした。 ミ★ ミ☆ ミ★ ミ☆ ミ★ ミ☆ ■北極星号の帰還より十と数年後 ~新ホワイトタワーの収監者~ 朝早くに大勢の足音がする。 天渡宇日 菊子が咄嗟に目を覚ました時、布団は世界図書館の自警団にすっかり囲まれていた。 「天渡宇日 菊子、ハロウィンパーティにおいてロストナンバーに対し、無差別な猥褻行為を繰り返した咎で逮捕する」 「無差別ではないぞー! ちゃんとドラゴンだけだ。あとケモノだけだー!」 「確保」 猿轡をかまされ。 弁護士を呼ぼうにも司法制度は整っておらず、天渡宇日 菊子はホワイトタワーへと収監された。 ミ★ ミ☆ ミ★ ミ☆ ミ★ ミ☆ ■北極星号の帰還よりン年後 ~年越し特別便~ と、ある世界において。 道端の石にクゥが座っていた。 年越し特別便はロストメモリーが0世界から外に出ることを許される数少ない機会である。 大抵、0世界と関わりの深いヴォロスやブルーインブルーへの旅行者希望者が多い。 この年、クゥはほとんど0世界と干渉しない辺境への特別便を希望した。 何度目かの抽選漏れの後、ようやくロストレイルの行き先が彼女の希望先へと決まり、そして彼女は他の面々が見知らぬ世界の探索に赴いた後、観光地でもないこの小さな村を尋ね、その郊外で一時間ほどじっと座っていた。 無言で見つめる先にも石がある。 子供ほどの大きさの石、わざわざ運んできたわけではなく、人工的な何かがあるわけでもない。 元々、50センチほど近くにあった大石を村の力自慢が今の位置に動かした。それだけだ。 クゥはその石をずっと見つめる。 やがて、年が明けた。 村の方角で鐘が鳴る。 暦は違えど、何かの祭りの日だったようだ。 「あけましておめでとう。……さむっ、随分冷えるな」 「ああ、そうだな」 ティーロが酒瓶を手に、クゥの隣へと腰掛けた。 「風邪引くなよ。医者の不養生って笑われるぞ」 「気をつける。……ところでここしばらく頻繁にあちこち行ってるみたいだね」 「おう! こいつに世界を見せてやろうと思ってな」 ティーロは手の甲をクゥに向ける。 指に光る指輪が夜にも関わらず、僅かに光った。 「こいつ、デウスってんだ。カンダータにいた神様の成れの果てだよ。別に危険はねぇぜ、こいつはデウスの知識欲の部分らしくてな、いろいろ見せてやってるとたまぁぁぁぁぁに意見や感想を伝えてくるんだぜ。ってことで頻繁に話しかけてんだけどさ、いやー見ての通り、返事ひとつ帰さねぇもんでオレ、独り言オジサンだぜ。まいったまいった」 ぼりぼりとぼさぼさの髪を引っかき、明るく笑ってみせる。 「そのために?」 「ああ、そのためだ。しっかし、こいつといるとツイてねぇって言うか。エミリエの依頼を受けたらチケット間違ってて、ショーのためにロストレイルから派手に飛び降りたら全然違う世界でさ。魔族と人間の最終戦争、今こそ天下分け目ってな戦場にネオンつけたまま飛び降りて、人間からも魔族からもバケモン扱いされて孤軍奮闘させられるわ。アリオに誘われてコミケってトコにいってきたらディアスポラで飛ばされてきたロストナンバーと鉢合わせてパニクったそいつが巨大な空中戦艦呼び寄せちまって、ジョニーと一緒にどうにか演出って事で収めて……あ、ジョニーって覚醒時に助けてくれたやつな」 饒舌なティーロは酒が回って酔っ払ってるらしい。 「酒は控えろと言ったはずだけど?」 「あー? これくらい大丈夫だって。こないだ「黄昏商店街・ツクモ町」ってトコで商店街のおっさんたちと飲み比べしたんだけど、そん時ゃさすがにマズいと思ったな。あんときは四日ほど禁酒したぜ。四日酔いしたからだが。と、いうのもだ。商店街のイベントでラスボス役のおっさんが急病だってんで代役頼まれたもんで調子乗って魔法で演出をちょいっとしたらこれがもう大ウケ。気に入られちまって、オレの酒が飲めねぇのかー? 状態になって。そりゃ飲めねぇなんてカッコ悪いこと言うわけにも行かなくてな!」 けらけらと笑ってティーロは片手の小瓶の中身を飲み干す。 空になった瓶をトランクにしまうと、大瓶を取り出した。 「で。その時に貰ったのがこいつだ。銘酒:シルバーカーテン。商店街のおっさんどもの手作りだが心が篭った芯の強い一本だ。キくぜ」 どん、と土の上に硝子の瓶を置く。 夜が深まり、静かな風は寒を運ぶ。 北方の寒村の夜は冷える。 「で、あんたはこんなトコで何をしてるんだ?」 しばらく沈黙があり、やがてクゥは「聞く?」と答えた。 その答えにティーロはにやりと笑う。 「いいや、悪かった。ここで聞くのは……、野暮ってもんだな」 立ち上がり、ティーロは一升瓶の蓋をあけた。 一歩、二歩、三歩。 クゥが一日見続けていた石にその酒を注ぐ。 「止めてもいいぜ。何年か前はコイツに酒を出したら必死になって止めてただろ?」 「そうだな。……グラスに一杯分だけ残しておいてくれ」 「じゃあ、二杯分残しだ。ってことだ。悪いな、その分はオレ達で貰ってくぜ」 ティーロはぺしぺしと岩を叩く。 酒を注がれた苔むした岩からは芳醇な吟醸香が漂った。 どこからか取り出したグラスに瓶の中身を二杯分注ぎ、無言のまま打ち鳴らす。 キィンと済んだ音が寒空に響く。 くいっと一気に煽り、クゥは口元を押さえた。 「……かなり効くな」 「くくくく、カッコつけてるあんたでも飲みなれないヤツにはこの酒はキツいだろ?」 「キツい。よくこんなものを飲む気になるな」 「普通は水で割る酒だ。さて、年も明けたことだし、オレはそろそろロストレイルに戻るが、あんたはどうする? まだそのバカのとこにいるか?」 寒村の風は、程なくして酒の香りを吹き飛ばしてしまうだろう。 ここにいて名残も何もあったものではない。 それでも。 「この道だったそうだ」 回るアルコールが言葉の脈絡を奪う。 頭の中でまとめたはずの言葉が堰を切ったように口へ押し寄せ、その大半が思いの濁流へと飲み込まれて消える。 競争に打ち勝った単語は、それだけで意味を為さない。 馬車の前を走る子供、危険だから避けろと叫ぶ御者、競争だと言って馬車の先導だと嘯き、ぬかるみに足を取られて倒れる子供。 勢いづいた馬は御者の制止も間に合わず、己が引く車両に潰されまいと子供を踏み越えて進もうと試みる。 ひづめが子供の頭を引っ掛ける直前、一人の男が子供を抱き込んだ。 馬の蹄鉄に額を割られ、その勢いに押されて、道端を転がる。 間もなく、村医がその男の死亡を確認した。即死だった。 「そいつは私の知己で、患者だった。どうしようもない不良患者だった。……それだけだ」 「ああ、それだけだな」 クゥは残った酒を石の上から注ぐ。 最後の一滴を垂らし、クゥは道にしゃがみこむ。 軽く息を吸い込んで。 物言わぬ石を全力で睨みつける。 「……このアホがっ!!!」 ティーロが時計を手に村を見る。 そろそろ来る頃かと眺めると、村の方からこちらへ向かってくる馬車の明かりが見えた。 手配をしておいた馬車が到着したようだ。 「……さて、どう声をかければヤボじゃなくなるかね」 馬車が到着するまでに何秒もない。つまり考える時間もそれほどないということだ。 我ながら損な役回りに首をつっこんだもんだとティーロは小さく苦笑した。 ミ★ ミ☆ ミ★ ミ☆ ミ★ ミ☆ ■北極星号の帰還よりン年後 ~モックン祭~ 「さあついにこの日がやってまいりましたよいつも素敵なボクモックンがまさに太陽の如く輝くその名もズバリ『モックン祭』!!!!!!! 名前を見れば一目瞭然ボクのボクによるボクのための祭りなわけでそんなハレの日にボクがやることといえばもちろんイタズラだ。つまり今日このときこの場所は僕が丸々10年くらいかけてターミナルに仕込んできたトラップを一斉に発動させその様子を独りで実況して盛り上がる日でもちろんモットーは『徹底的に、絶対的に、感……なんて説明めいた台詞を言っている間に最初のトラップがHA☆TSU★DO☆Uしたぞ記念すべきトラップ第一号はズバリ「納涼祭リターンズ」ッ! 駅前広場があっという間に妖怪と雪塗れに……ん、今は夏じゃないのに納涼はおかしいって? いやいやいやいやバカなこと言っちゃいけませんよどんな季節だろうが涼しいのは素晴らしいことだしどうせターミナルには季節なんてなおおっと第二号「車掌さんの華麗なる転身」と第三号「リベルネガキャン大作戦」が始まったぞ!! いつもは無表情な車掌さんてば今回は全員リベルのコスプレでターミナルの大通りを踊っているぞこれは壱番世界伝統のええじゃないか踊りだどうだリベルこれだけの車掌さんが大通りでリベルのコスプレして踊っていたらローアングラーに艶かしい車掌さんの生足がぱしゃぱしゃと撮影されて一石が二鳥を三度焼きに四谷怪談! 五(いつ)も六でもない事件に頭を悩ませる七面倒くさいこの世界でも、八っぱりココノ名物なんじゃかー十(とお)! ボクことモックンは思うわけですよ、さあお立会いの皆々様の中にボクの言葉を聴けるほど余裕のある人はちょぉ~っとお鼻をくんくんさせてみるんだ。このかぐわしき香りこそ第四号の『ターミナル中に金木犀の香り~ミントを添えて~』だ。なんと建物と建物の間に挟まっていたギーギー啼くよくわかんない枕みたいな毛玉に段ボールを被せて金木犀のドライフラワーを下から炊き込めること三日おきになななななななななななぁんと十と二年と一ヶ月と七日! その毛玉を矛先につけたのがあちらの纏! そそーらそーらそーらまっくらーのだーんすっ! ほらほら、金木犀の香りするでしょ!? でしょ!? ちょっといい香りだけどこれじゃイタズラとしては物足りないよね、確かにビール飲むときなんかほのかに金木犀の香りがしたり、焼き鳥屋やカレー屋で金木犀の香りがしたら少し場違いかも知れないし恋人とぎゅって抱き合ってる人なんか鼻をくすぐるのが金木犀の香りだったりなんかしちゃったりしたら少し田舎のおばあちゃんとか思い出して色気も何もなくなるかも知れないけれどこの放送を聴いてくれてる皆だもの、そんなささやかなイタズラをボクモックンがするわけないと思うよね? そーのーとーおーりーだー! この日のためにある下準備をすること二年と四ヶ月と二十三日! 思いついたのは毛玉の準備してから十年くらい経ってからだったんだけど、ふふふふ、ボクの才覚に酔いしれてもいいんですよお客さん! なんと0世界中のターミナルのトイレに金木犀の芳香剤を置いておいたのはボクことモックンだったのだよ。それまでラベンダーの香りだったトイレにも消臭剤だけ置いてあったトイレにも薄緑の男にだけわかるあの溶けていくボールにいたるまで今、ターミナル中のトイレの芳香剤は金木犀! ふっふっふそろそろボクの恐ろしさが分かってきた頃なんじゃないかな!? そーのーとーおーりーだー! さあ言っちゃうよ恐怖のあの言葉を言っちゃうよ、覚悟はいいかな。せーの! 「今、ターミナル中はトイレの匂いでーす!」 あーっはっはっはっはっはっ、言っちゃった言っちゃった!! ほうらそれまでちょっといい香りかな? とか思ってたそこの君、少し食欲がなくなってきたんじゃないかな。駅前広場の納涼祭リターンズでわたがし買ったお兄ちゃん隣の彼女と手を染めていい雰囲気になってるところをちょっとトイレの中にいる気分になってきたね? 陣頭指揮を取って車掌さん達の騒ぎを止めようとしてるリベルさーん、そして車掌の間に混じって踊ってるエミリエも楽しんでるかーい? それじゃあそろそろ第五弾の登場だ。さあ取り出しましたるは何の変哲もない古い本、しかしこれは十年前にターミナルを恐怖のズンドコに……ちがぁぁぁぁぁう、恐怖のドン底に叩き落した恐怖の書物。エミリエ師匠の本棚からパクって全部コピーして作ったから描いてあることはそっくりそのまま原書通り、本物はエミリエ師匠の本棚に返しておいたから安心していいよ! でもオビをラノベっぽい「今から世界を滅ぼす」的な煽り文句の本と摩り替えておいたからエミリエ師匠みたいなよからぬコトを企むボクのようなぴゅあっぴゅあ少年がまぁた読むかもね。でもそれはその時の話でどうでもよくて、肝心なのはこの本をボクがもう実践しちゃったということだったりするんだよ! ほうら、車掌の数が多いと思わない? ロストレイルって今何台あったっけ? 一台に一車掌?三交代制で五十人くらいはいるかも? なんて説もあったけど、今大通りにいる車掌は千人を越えているよねぇ? じゃあ、ここでさっきから車掌の生足を撮影しまくっていた方に突発インタビューをしてみましょう。名づけてモックンの「特攻! 隣の朝写真!」だぁぁぁ。どうですか、奥さん。艶かしい車掌の足は撮れましたか本当は何か妙な色をしたゼリーがいませんかぁぁl!? その通り、このリベルコスプレの車掌の群れこそ本当はセクタンの上にセクタンを重ねてさらにセクタンを乗せもういっちょセクタンを置いてその上にセクタンをあしらったあとセクタンを重ねて車掌の服に押し込んだセクタンの群れだったんだよ。さあ今こそ招待を表せセクタンの群れ! 赤セクタン青セクタン黄セクタン紫セクタン、五色揃ってセクタンジャー! ああ、一色足りない!? まあいいか! ほうら観客の皆さん、別名被害者の皆さん見てますか駅前広場を占領したセクタンの群れがどんどん増殖を始めたよ! 覚えているかいロストレイルを占領したセクタンの群れを。こうなりゃもう配管も何もかもあったもんじゃないよね。おっとお喋りが過ぎた頃かな、そろそろ官憲の手が伸びてくる時間だよね。それじゃ単純にホワイトタワーどかーん! あっはっはっは、本当に爆破するとか思ってなかったでしょ、大丈夫大丈夫、イタズラの範囲内だから! あのあたりの区画にいる囚人って今はいないんだよね。それでも厄介なのが一人いるよー? そもそも捕まえた時、懲役何年にするか悩んだ末に反省タイムっつって曖昧なまま閉じ込めたあの妖怪がいたりしたでしょ? あ、これ全部聞いてくれてる優しい人いる? ボクの前はもうセクタンしかいないんだけど、赤セクタンと緑セクタンに両目を潰されて何かやけにカラフルな3D表示のセクタンがいたりするよ。第五弾『恐怖!這い寄るセクタン』に続いてはボクもそろそろ押し流されて限界なんだけどそれでも第六弾『やっぱりシメは巨大花火』でお別れしましょう。ボク特性、光と音だけの無殺傷花火を仕掛けたよ。どこにって!? そりゃもうターミナル狭しとあちこちの建物に植木にトイレに本にあの子のスカートの中に! このボタンを押したら一斉にどかーんっていくよ。そんなことはやめろって? そんなこといったってここまでおおはしゃぎしたんだから最後に一発どん! ってシメないと納得いかないんじゃないかな。ほらほら、どうなるかやってみようよ。ほうらぽちっとな、ってこんなトコにまで仕掛けたっけ? さすがに光と音だけあってものすごい大音響のってあち、あち! なんか燃え移ったちょっと待ってこの段階で火があがると第二十八弾目の『リアル花火の憂鬱』の導火線に引火して、え、手遅れ? わわ。うわあっぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……!!!」 ミ★ ミ☆ ミ★ ミ☆ ミ★ ミ☆ ■北極星号の帰還よりン年後 ~モックン祭直後~ 最初の犠牲者はやまとだった。 のほほんと酒を飲み歩いているといきなりセクタンの洪水に押しつぶされた。 やがて壮大な爆発音で意識を取り戻し、街のセクタンが一斉に掃除されていく中、気付けば己の糸で縛られていた。 「みーつーけーたー。けものー!!!!!」 「きゃぁぁぁぁぁぁぁ」 どこでどう叫んだのか覚えていない。 気付けば菊子の嘴に唇を奪われていた。 というか、つつかれていた。 「よーし、クモか。クモだな。結婚しろー!」 「わしは神様じゃぞー!? 結婚なんかせんぞー」 「じゃあ、うちを孕ませろー!! なぁに痛いのは始めだけだ。すぐに気持ちよくなって自分からおねだりするようになるんだぞー!」 「うら若いおなごがスケベオヤジに言われるような台詞を、まさかうら若いおなごに言われるとは思わなんだぞー! いやぁ、待って、脱がさないで、殻を剥がないでー!」 「ふははははは、観念するのだー!!!! ……ん?」 どたどたと足音。 常人より耳も鼻も効く菊子にとってはターミナルの自警団の居場所などすぐに分かる。 「……ちっ、追手がかかったかー! 仕方ない、おいクモ。婿にしてやるから逃げるんじゃないぞー! 分かったなー!!」 クモの耳元でそう告げ、菊子はターミナルの空へと舞い上がった。 程なくして、自警団はぐったりと倒れているやまとに駆け寄り助け起こす。 「うううう……」 ぬいぐるみのような姿のやまとは、自警団に助け起こされると涙も流さず呻いていた。 「……破壊から一時間も経っていないのに、もう二人目の被害者か」 自警団員は無人の空を見上げて悔しそうに歯噛みした。 ホワイトタワーに収監されてどれほどの月日が経ったのだろう。 何故か謎の爆発がおきた時、菊子はチャンスだと悟った。 今しかない。それは「逃げるなら今しかない」というよりも、婿を娶るなら今しかない。 もっと砕けて言えば孕むなら今しかない。 直感的な何かに突き動かされ、菊子はターミナルを走りまくる。 収監中に何度も練った計画、ロストレイルに乗りヴォロスへ向けて旅立つ。 あの世界にはドラゴンがいる。ケモノもいる。人間もいるけどそれはどうでもいい。 ドラグレッドあたりの集落に忍び込んで、夜な夜な若いオスを襲っていけば0世界からの追っ手に捕まるまでに孕めるかも知れない。 完璧な手段とは言いがたいが、なぜか大量発生していたセクタンにロストレイルは乗っ取られており、車掌は駅前広場に集結しているらしい。 菊子にとってはこの上ないチャンスだったがロストレイルの操縦方法などわかるわけもなく、忍び込んでみた操縦室のレバーを見てもちんぷんかんぷんのままだった。 追っ手に見つかったわけではない。 駆け寄ってくる足音も聞こえない。 おそらく即日のうちに手配が回るだろう。 それまでにヴォロスへ向かわなければ。 そうでなくても、せめて別の世界へ逃げなければ。 命短し孕めよ乙女とも言うではないか! 操縦室をあさると操縦マニュアルなるものを発見した。 車掌が書いたのか、あるいは他の技術者のためなのか。 おそるおそるマニュアルに従ってボタンを押す。 わずかな機械の駆動音と共にボタンというボタンにランプが灯った。 「おおおおおお、神様はいるのだー!」 さっき自分が犯しかけた葛木やまとも神様の一柱という事はさておいて、菊子は神様の存在を信じかけた。 やがて、レバーを倒すとロストレイルは車庫を出る。 ぐおんとゆっくり動いて進み、敷かれたレールを進む。 車庫を抜けた先は先ほどまでの騒ぎで無人であり、菊子とそのロストレイルを止めるものはどこにもいない。 「ふはははははははーー!!! 待っているんだぞー、ドラゴン! ケモノ! うちが今からおめぇらの子種をいただきに行くからなー!!!!」 0世界の空から、果てしない世界群へと羽ばたく様に心を躍らせ、菊子は勝利を確信する。 やがて、既設のレールを走りきったロストレイルは地面に踏み出し、そのまま数十メートルの地面を走って停止した。 空を飛び、世界群を越える操縦方法がマニュアルになかったのがほんのわずかな致命傷だった。 ようやくかけつけた自警団、最初の一人がたまたま火竜族だったのが幸か不幸か。 「婿になれー!!!!」と叫んで飛びついたまま全身を火竜の体温で焼かれた菊子はホワイトタワー行きを免れたものの、今度は火傷の治療のため医務室に幽閉されることとなった。 ミ★ ミ☆ ミ★ ミ☆ ミ★ ミ☆ ■北極星号の帰還より百年後 ~チュートリアル・カフェ~ 「よう、新入り!」 虎部は明るく声をかけた。 アリッサの部屋から出てきたロストナンバー、新入りは大抵不安のまま引きこもるか攻撃的になるかあるいは好奇心のままに行動するか。 いずれも共通しているのは自分がわけのわからない所に飛ばされ、自分の世界に帰れるかどうか分からないという不安と絶望に苛まれているということである。 それゆえに、虎部は新入りに対して極めて明るく声をかけることにしていた。 だが少し積極的すぎるきらいがあるようで、新入りは大抵不穏なものを見る目で虎部を見つめるのだ。 その後、相沢優がにこやかに説明する。 「……なぁんで、この虎部さんが説明しようとすると皆、あんな顔で逃げてくんだよー」 「うーん、なんでだろうな」 優は新入りに説明資料を渡し、分からない事があったら何でも連絡してよと笑いかける。 今回の新入りはコンダクターの女の子。優が笑いかけると顔を赤らめていたので、ちょっとした恋の予感かも知れない。 「おお。おまえらお似合いなんじゃね? つきあっちゃえよー」 虎部の軽口で、新入りの女の子はそのまま頭を下げ逃げ出していった。 「……恥ずかしがり屋だなぁ」 「お前、もうちょっと場の空気とかそういうものをだな」 「そうかぁ?」 先ほど渡した説明資料と同じものが優の手元にある。 作ってからすでに数年が経過しており、ターミナルのランチマップなどは情報が古いのでそろそろ更新を考えていた。 だが、それでも何割かの新入りは急激な環境の変化についていけず、己のチェンバーに引きこもったまま表に出てこない。 衣食住に不安がなければ一度引きこもってしまった人を社会に連れ戻すのは容易ではなく、そのために新入りに対するフォローアップは虎組の勤めのひとつだった。 「予算を割いてみる価値はあると思うんだ」 「あ?」 優はプリントを差し出した。 「……チュートリアルカフェ?」 資料にはそう描いてある。 虎部にも優にも最初にターミナルに来た直後、あの時はアリッサ発案のお茶会だったように思う。 ――『コンダクターの相沢優です。この世界には来たばかりで、わからないことは多いですが、よろしくお願いします』 最初の挨拶をしてから百年以上が経った。 壱番世界にいた頃の同世代の友人全員が天寿を迎えて、もう十年以上が経過している。 あの頃はターミナルに来たばかりで何もわかなかったけれど、あの頃に出会った仲間と過ごし別れ、あるいは今もこうして一緒に暮らしている。 そのきっかけを作る側に、自分は回ることができないだろうか? そんな思いを今回のイベントにぶつけることにしたのだ。 「実はもうナラゴニアの財界にもターミナルの主要メンバーにも声をかけた」 「つっても、もうお友達のノリだろ」 「まぁな。ノラさん相手に利益を出すのはまだ骨が折れるけど、こういう企画の時はみんな協力してくれる」 「で、どこの世界でやればいいと思う?」 「えっ?」 もちろんターミナルでやるつもりだった虎部は優の問いを理解できず聞き返す。 つまりは。 ロストナンバーの仲間は0世界だけではない。 ヴォロス、ブルーインブルー、モフトピアにインヤンガイ。 さらにはかつて世界図書館やナラゴニアに所属し、自分の世界に帰属していった数多くの仲間。 百年も経つと初期の頃の仲間、特に壱番世界の人間はすでに天寿を全うしているか既に老齢の域にある。 しかし、それでもまだまだ自分の選んだ世界で活躍しているものも沢山いるのだ。 そんな彼らをチュートリアル・カフェに招くというのはどうだろう、そんな試みである。 だが帰属者をロストレイルに乗せて0世界へ連れてくることはできない。 だからといって、世界を横断して一同に解することもできない。 制限の多い中、優は虎部が裏稼業として行っている試みに突破口を見つけたのだった。 『異世界秘密配達人』 主に帰属者向けのサービスである。 かつてはトラベラーズノートを開けば連絡の取れた仲間でも、帰属してしまえばそうはいかない。 虎部は詳細に帰属者の住処を記録し、手紙を集荷して相手に届ける。 もちろん、それなりの期間はかかるが一年、二年をかけてでも手紙を届けたいと思う帰属者はそれなりにいるのだ。 「で、それがチュートリアルカフェとどう関係あるんだよ」 「だからさ、全部の世界でやるんだ。隆なら連絡を取れる現地人がいくらでもいるんだろ?」 「……へ? いやいや、そんなコトしてたらいくら金があったって足りないだろうが」 「メリンダさんのパーティを覚えているか? あんな風に現地の協力者にスポンサーを呼びかけるんだ。なーに、巨額の資金を動かす必要はない。数百人がガーデンパーティできる場所さえ用意してもらえば、後は料理も料理人もお酒だって0世界から持参する。ちょっと掃除が面倒臭いけど人員の確保はお手の物だろう!?」 「う、うううーん」 十三人委員会が何というか、想像するだに恐ろしい。 危険を冒してまで試みるほどの企画なのか。 説得するための根回しも必要だ。そのリスクは小さくはない。 「こつこつしっかり、時に勝負が虎組のモットーだろ?」 優の熱弁に、今度は虎部が考え込む番だった。 ミ★ ミ☆ 「俺、最近思うんだ。兄貴も実はチャイ=ブレと戦うために放浪し続けているのかもしれない。俺たちがこうしてる様に。でも俺は正直パーフェクトじゃないから皆と協力する。でも兄貴は一人でそれを追い求めているんじゃないのかな」 虎部はうんうんと頷いた。 イベント当日の出店の打ち合わせ中、唐突な虎部の独白に優はきょとんと聞き入る。 とりあえず書類に走らせる視線とサインするペンの動きは止めないままで。 「それが兄貴が帰ってこない理由で、いつか帰ってきた時それが壱番世界の救われる時になるんじゃないかなって。まあだからって俺はやめねえよ? 兄貴と競争だ。でもな、俺は気付いたぜ。仲間がいる俺の方が絶対に有利だってな」 「えっ、百年かけてそれに気付いたの?」 「うるせー。それよか、ラーっているじゃん?」 「ああ、こないだどっかの世界で保護してきた女の子だろ。フランさんに紹介した後、大騒ぎしたの覚えてないのか? 紹介した後、玄関そのまま閉じて家に立てこもって大泣きしまくって方々に迷惑かけて、抜け殻みたいになって仕事もできなくなってたし、挙句に殺されかけてなかったか? そのラーって女の子が。出身世界ごと」 「そ、そんなこともあったな」 「今でもそうだろ。いつまでたっても結婚しないわ、ほったらかしておくわ、挙句の果てに女の子引き取って紹介するって、何考えてんだ?」 「それはほら、俺の器のデカいところだろ!」 「フランさんの器に全力で傷つけてやるなよ」 「それはいいから! ええと、ラーもイベントに参加させてやろうかとだな」 その他にも、と虎部は思いつくまま優に提案を繰り返す。 やれ、この百年でかき集めた面白グッズを使おうだの、ロストレイル一機使おうぜだの、 魔法使いやらアーカイヴ遺跡の遺産を巻き込もうぜ、だの。 そういう虎部の提案の取捨選択をするのは優の役目である。 全部任せてしまえば確実に破綻するが、却下するには惜しいアイディアと手段を虎部はいくらでも持っていた。 ミ★ ミ☆ 結局、第一回虎組主催のチュートリアル・カフェはターミナルで行われることとなった。 世界群での展開はこの結果次第、ということである。 ここしばらくの間に0世界に訪れた者、あるいは事情があって引きこもっていた者にも声をかけ、思った以上の参加者で駅前広場は溢れかえった。 屋台や舞台などを出展し、虎組の経済活動を追求することも忘れない。 その舞台に、優は立っていた。 集まっているロストナンバー達の視線を浴びつつ、昔を思いかえす。 あの時、優は参加者の一人として不安を抱えつつこの世界に関わる第一歩を踏み出した。 今は自分が、ここにいる皆の第一歩を踏み出す道を作れるだろうか。 あの頃は壱番世界に危機が迫っていることすら知らなかった。ツーリスト達は故郷へと帰れず、ターミナルの法も定まっていなかった。 壱番世界を救う手立てもなければ、自分一人で何もできないただの凡人だった。 ターミナルも変わったが、自分もだいぶ変わったなと思う。 流れた月日は普通の人間よりも多く、その分、多くの経験を優に与えてくれた。 袂を分かった友も、既にもう会えない友もいる。 百年。 一口で言うのは早いがその言葉が示す年月は非常に長く、重い。 ――もう、そんなになるんだな。 マイクの音声テストを行い、優はぺこりと頭を下げた。 傍らに相変わらずカルいノリでこっちに指を立てている隆がいることに安堵している自分がいる。 「こんにちは!」 挨拶をした途端、優の後ろで花火があがった。 挨拶の最後にぶちあげようとしていた取って置きのサプライズが最初に炸裂した。 盛大な拍手があがったが、それは優の挨拶の後に出てくるはずだったものだ。 「ええ、ええええと、ど、どどどど、どうしよう」 「四尺玉の化身め。しくじりやがって……。色々台無しじゃんかよ。あ、配るためのミルカクッキーは残ってる? よしそれでいい。ええい、優。いけ、お前ならできる!!!」 イヤホンから虎部の無責任な応援が聞こえた。 いつまでたっても、俺達らしい。 俺達らしいのなら、――イケる! そう考えた途端、優の心に勇気を奏でる灯りがともった。 ――こんにちは。 俺、相沢優って言います。 ロストナンバーになった皆さん、少しは落ち着けるようになったでしょうか。 ええと。 本当は俺、こんな風に皆の前で演説するようなガラじゃないんですが、 今回は代表って事で、挨拶させてもらうことにしました。 あ、若輩者がって思ってらっしゃる方、いらっしゃると思います。 これでも、120歳近いんですよ。あはは、そう見えないですよね。これ、ロストナンバーのメリットのひとつです。 さて、冗談はさておき。 ようこそ、ターミナルへ。 自らの意思でここにこられた方は少ないと思いますし、 ここにはここの文化があって、楽しいことばかりではないと思います。 でも、ここは決して誰かの思いを妨げる場所ではありません。 そりゃ多少はイタズラが流行ってたり、傍若無人な振る舞いの人もいますが、 これから何年も何十年も退屈しないで済むと思ってください。 あ、なんかネガティブな言葉になっちゃったな。ええと――。 俺、ここにこれて本当に良かったと思ってます。 かけがえのない友達が、元の世界では一生できない経験が、 見た事もない世界が、どうしようもないほどわくわくする事件が。 このターミナルにはいくらでも転がっています。 今、ここに来てくれた皆さんの間で、 もしかしたら今日がきっかけで、永遠に相手の心に残る仲になるかも知れないんです。 ほら、わくわくしてきませんか? ロストレイルに乗って新しい世界を見てみたいと思いませんか? 不安のせいで踏み出さないなんて、とっても勿体無いことです。 皆さん 一緒に行きましょう 次の世界へ、その次の世界へ 小さな世界の外側には こんなにも広大なわくわくが待っています 一緒に 俺と、俺たちと一緒に、 冒険にいきましょう 大切な友達は 必ずできます 必ず、皆さんの傍にいる誰かがいます 恐れないでください あなたが手を伸ばせば握り返してくれる手を信じてください あなたが手を指し伸ばしてくれるのを待っている手に応えてあげてください 皆さんは決してここに流れ着いた漂流者ではありません。 ここに集まって、ここから旅立つ、仲間です。 かつて、アリッサ・ベイフルックは俺たちにこう言いました。 その言葉を俺からも、皆さんに贈ります。 無限の世界へ 出発進行 !
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