★ アヤカシの城 〜高天原会戦〜 ★
<オープニング>

 煌めく白刃。轟く怒号。鼻をつく血臭。なにより肌に感じる空気そのものが、ここが戦場(いくさば)だということを彼女に伝えている。
 神裂空瀬(かむさき うつせ)は、城壁の四隅に建てられた物見台のひとつから、冷たく冴えた黒瞳でもって戦局を見つめていた。生暖かい風が結わえた黒髪を流し、蒼い鎧の、房飾りを揺らす。九神国(くしんこく)では、女が戦場に出ること自体は珍しくなかったが、将軍職にまで昇り詰めた例は彼女以外になかった。
 空瀬の眼下では、黒や青や赤や黄色の小鬼たちが津波のように押し寄せ、人間たちの壁を突き破ろうとしていた。個々人の戦闘能力は人間たちの方がはるかに上だ。しかし、斬っても払っても、次から次へと沸いてくる小鬼たちの数に、壁は、徐々にだが押されつつある。
 さらには上空から、魔鳥(まちょう)たちが、嘴(くちばし)にくわえた槍を豪雨のごとくに降らせはじめた。前面に迫った小鬼に気を取られていた幾人かの兵士が、肩口や脳天に直撃を受け大地に倒れ伏した。
 空瀬が忌々しげに舌打ちすると、それが聞こえたかのように、城壁上に矢をつがえた兵士たちが現れた。魔鳥の群れに向かって矢を射かける。射ち落とされたのはほんの数羽だったが、牽制には十分だった。魔鳥には地上に向かって槍を投擲(とうてき)する余裕がなくなった。
「弓箭隊(きゅうせんたい)の展開が遅い。指揮は、深矢(しんや)か……あのたわけ者が」
「誰がたわけ者ですか?」
 振り返ると、全身を<奇族(きぞく)>の血で紫に染めた鎧武者が、梯子を登ってくるところだった。
「ふん。おぬしが、だ」
 いかにも不機嫌そうに言い放ち、また戦場へと視線をめぐらす。
「奇妙な話ですね。将軍は弓箭隊の指揮について不満を漏らしておいでのようでしたが……はて? 弓箭隊の指揮を執ろうにも、私はここにこうしておりますれば」
 なにげない調子で言い返しながら、若武者は空瀬の隣に並び立った。
「耳ざといな」
「将軍ほどではありませんよ」
 白々しくも恭しく礼をしてみせる。
 空瀬はその様子をちらりと横目で見て露骨に顔をしかめた。
「世辞の使い途をどこかに落としてきたようだな。それでは心の奥底まで丸見えぞ」
「それはそれは。下手に言葉を尽くさぬとも、将軍に対する私の畏敬の念が伝わりますな」
 しゃあしゃあと満面の笑みで答える配下に、空瀬は「ほぅ」とひとつため息をついた。と、同時に肩のあたりに凝り固まっていた余計な力もとれる。
「おぬしとまともに話そうと考えた私が、たわけであった」
 若武者はなにも応じずただ笑っていた。この二人にはそれで十分なのだろう。
「で、深矢副将。どうしておぬしがここにいる? 私は弓箭隊の指揮を命じたはずだが?」
 将軍の問いに、すっと笑みを消し、深矢が答えた。
「九紫(きゅうし)将軍が、みずから指揮を執るとおっしゃられまして」
「九紫将軍が? ふん。功を焦ったか。若気の至りというやつだな。なぜ承諾した?」
「む、無茶を言わないでください。私はただの六番隊副将ですよ。どうやって九紫将軍の命にあらがえと?」
「おぬしが指揮を執っておれば、歩兵に被害は出なかったであろう。それに、魔鳥どもも一網打尽にできたはずだ」
「それは買い被りすぎです」
 謙遜の言葉に苦笑が混じっているのは、半分は空瀬の仕返しだと気づいたからだ。
「深矢、この戦況をどう見る?」
「そうですねぇ……」
 しばし黙考する。
「相手方の兵力に対して、こちらの兵数が少なすぎます。今は耐え抜く時でしょう。反撃の狼煙を上げるのは、壱白(いっぱく)将軍ら本隊の実体化を待ってから……」
「確定せぬ要素は含めずともよい」
 鋭い一瞥とともに口上を遮られ、深矢はばつの悪そうな顔で頭をかいた。
「つまり、今現在実体化していない兵力は勘定に入れるな、ということで?」
「何度も同じことを言わせるな。遠慮などいらん」
「さすれば、この戦(いくさ)、勝ち目はありません。実体化した我らの兵力は、九紫将軍率いる九番隊の歩兵八千と騎兵二千、七赤(しちせき)将軍率いる七番隊の歩兵六千と騎兵四千、あとは我らが六番隊の歩兵七千、騎兵二千、術兵一千です。対する、奇王(きおう)の軍勢は十五万の軍勢のうち、十万ほどが実体化していると思われます。ここ高天原(たかまがはら)に陣を敷く兵はそのうち六万。三万と六万、この数の差は容易にくつがえすことかないません」
 話を聞き終えた空瀬は、ふむと一声発したきり押し黙ってしまった。
 深矢にはわかっている。今は将軍の邪魔をすべきではない。
「映画、と言ったか。我々はその映画とやらの中から出てきてしまった存在なのだそうだが、おぬしはどう思う?」
 出てきた問いが、戦とはまったく関係のないものだったため、反応が遅れてしまった。
「どう思うと問われましても……そうですね。どちらが現(うつつ)でどちらが夢かを考えるに、実際に消えてしまった人間たちがいる以上、こちらが夢と考えることが自然……」
「そうではない」
 はっきりと否定され、深矢はますます混乱した。将軍の言わんとすることがまったくつかめない。
「気に喰わぬとは思わぬか?」
 空瀬がすらりと腰の大刀を抜いた。
「その映画とやらの中で、私の台詞はひと言だけなのだそうだ。おぬしなど隅っこの方で顔しか出てこぬというぞ。主役はあくまで若殿と壱白将軍であり――」
 そのとき、一羽の魔鳥がなにを血迷ったか、鋭い鳴き声を発しながら突進してきた。深夜が刀の柄に手をかけようとしたが、空瀬がそれを片手で制した。
「鬼王を倒すのも若殿なのだそう――だ!」
 最後のひと言とともに大刀を振り抜く。妖刀<風喰い>がひょおぅと鳴いた。二つに分断された魔鳥の身体は、それぞれ血の糸を引きながら城壁の外と内とへ落下していった。
「まったくもって気に喰わぬ」
 空瀬が不敵な笑みを浮かべて振り返る。深夜は嫌な予感に囚われ、表情をこわばらせた。
「映画では脇役である我々が鬼王の軍を討ち破る。なかなかに痛快な筋書きであろう?」
「しかし、将軍。あの<サンレイ>はいかがなさるおつもりで?」
 深夜の指さす十里先には、敵軍が陣を張っている。たくさんの御旗(みはた)が立ち並ぶ向こうに、小山のように巨大な人影が鎮座していた。<奇族>たちが造りだし、<山霊>と名付けた巨人は、命令に忠実に闘う術法兵器だ。動きは鈍いが、口から法術の光を吐き出し、二里四方を焼き尽くすことができた。
「<サンレイ>か……我々の力だけではあれを葬り去るのは無理だ。ゆえに助っ人を呼ぶ」
「いずこから?」
 空瀬自身が言ったはずだ。実体化していない兵力は当てにしないと。ならば、彼らの味方はどこにも存在しないはずだった。
「おぬしも知っておろう。城の奥の間にある扉だ」
 深矢は空瀬の考えに気づき「なるほど」と相づちを打った。
 彼女らが懸命に護っているこの城には不思議な扉があった。実体化する前はなかったものだ。その扉の向こうには、銀幕市という異世界が広がっており、そちらが現実でこちらは夢の世界だという。重要なのは、その街には屈強な戦士たちが多く存在するという点だ。
「うまく説き伏せれば、銀幕市に住まう武士(もののふ)たちを助っ人に呼ぶことができるかもしれない、ということですね」
「すこしばかり違うな」
 空瀬は血振りして刀を鞘に納めた。
「説き伏せるのではない。脅すのだ」
 心底楽しそうな笑みを閃かせる将軍に、深矢はやれやれといった調子で肩を落とした。



「――というわけだそうで」
 植村直紀は顔をしかめて、深いため息をついた。ここ最近頭の痛い事件ばかり起こるせいか、しかめっ面がデフォルトになりつつある。
「どうやら映画<あやかしの城>の戦場がそのままハザードとして実体化してしまったようなのです。今のところ、その世界と銀幕市との接点は一ヶ所しかありません。なぜか市役所の二階トイレの、奥から三番目の個室が、向こうの世界の城へと通じているようです。トイレから戦場へ……洒落にもなりません」
 植村は大きく首を振った。苦い笑みだ。
「向こうの世界では人族と奇族が戦争を繰り広げています。今は人族の方が劣勢のようです。人族のリーダーである神裂空瀬なる人物が助けを求めて……いや、脅迫してきました。人族が負ければ、奇族たちは次にこの銀幕市へと攻めてくるだろう、と」
 最後まで告げなくともわかるだろう。植村の充血した目はそう言っていた。
 依頼を受けた市民たちが一斉に立ち上がる。トイレへと向かうために。

種別名シナリオ 管理番号512
クリエイター西向く侍(wref9746)
クリエイターコメント▽クリエイターコメント

九本目のシナリオになります。西向く侍です。

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今回はみなさんに戦に参戦してもらいます。
敵は妖怪のような種族です。空瀬たちは自らを人族と呼び、彼らのことを奇族と呼んでいます。一方で奇族たちは、自らをウツツヒと呼び、人族のことをアヤカシと呼んでいます。

☆☆☆☆☆
おおよその状況はオープニングを読んでいただければわかると思います。以下は補足です。


戦場となる高天原は、広大な草原です。
南側に空瀬たちの護る城<九神城>があり、奇族たちは北側の草原の端に陣取っています。
東側は鬱蒼とした深い森で、人が分け入ることはできるでしょうが馬は無理です。西側には河が流れています。渡河は可能です。


敵は大きく分けて三種類。
まずは歩兵である小鬼。刀、槍、弓など武装は様々ですが、戦闘能力は高くありません。ショッ○ーの戦闘員レベルだと思っていただければ。そして、小鬼百匹を率いる大鬼。ふつうの兵士であれば複数でないと倒せないでしょう。戦闘向けPCであればサクっといけます。
次に騎兵。小鬼は馬に乗れませんので、騎兵はすべて大鬼ということになります。戦場が平原ということもあり、敵の主力です。
あとは術兵がいます。術兵は召還獣である魔鳥をあやつり空から攻撃したり、巨大な獣である魔獣を突如として戦場に投入したりします。術兵自身に戦闘能力はありません。術兵を倒せば召還獣は消えます。


山霊(サンレイ)に関しては、ナ○シカの巨神兵を思い浮かべてもらえば。


もし個別に知りたい情報があれば、ブログやキャラクターメール等で質問してください。答えられる範疇でお答えします。

☆☆☆☆☆
こういった状況で、空瀬将軍は以下のような戦略をもって敵を撃退しようと考えています。


戦場におとりとして騎兵および歩兵を展開し撹乱する。その裏で、東側の森の敵陣近くにすべての術兵を配置し、攻城法術の準備をさせる(攻城法術は射的距離が短く、準備にも時間がかかるため)。


おとり部隊は適度に撤退し、敵をさらに九神城へ引きつける。この際、術兵は取り残されるかたちになる。


攻城法術(術兵全員でミナ○イン)でサンレイを倒したあと、術兵は即撤退。後方からの攻撃とサンレイの破壊で混乱をきたした敵軍に全軍をもって反撃。


さらに、すべての裏側で秘密裏に、空瀬は敵将軍の暗殺を企てています。

☆☆☆☆☆
さて、まずはみなさんには以下のいずれかの部隊に所属してもらいます。プレイングには該当する数字を必ず記入するようにしてください。

1:参謀として空瀬将軍と城にいる
身の危険はありません。全体的な戦略・戦術に対して進言できます。なにかもっと良い戦略・戦術があれば、この部隊を選択してプレイングに盛り込んでください。会議の際の台詞や、他PCにかける言葉なども自由にどうぞ。

2:おとり部隊として深矢副将と戦場を駆けめぐる
もっとも危険な役回りです。騎兵か歩兵かを選択したうえで、一兵卒として深矢副将に仕えるか、千人長として千人の兵を指揮するかどちらかを選んでください。千人長を選択すれば必ずしも戦闘能力がなくとも参加できます。ファンでもエキストラでも大丈夫です。
被害を最小限にとどめつつ敵を引きつける方法や撤退の方法などをプレイングに盛り込んでください。もちろん、戦闘時に部下にかける台詞や戦闘方法やシチュエーションなどなども自由にどうぞ。

3:術兵として七赤将軍と攻城法術に参加する
魔法に類する力を持つPC限定です。仲間を信じ、息を潜め、魔法陣を書いたり、力を集めたりと準備をします。最後には敵地に置き去りにされます。こちらも一術兵として七赤将軍に仕えるか、千人長として術兵千人を指揮するか選択できます。敵に気づかれないための方法や攻城法術を強める方法などをプレイングに盛り込んでください。もちろん、戦闘時に部下にかける台詞や戦闘方法やシチュエーションなどなども自由にどうぞ。

4:護衛兵として術兵に同行する
歩兵として(森に入れないため)術兵の護衛をします。攻城法術準備中の術兵はまったくの無防備となってしまうため、命を捨てて彼らを護らなければなりません。最後は敵地に取り残される術兵を、なるべく全員戦場の外へ逃がす役目も負っています。一歩兵として七赤将軍に仕えるか、千人長として歩兵千人を指揮するか選択してください。もちろん、戦闘時に部下にかける台詞や戦闘方法やシチュエーションなどなども自由にどうぞ。

5:暗殺者として敵陣に潜入する
隠密スキル持ち限定の部隊です。数人で敵陣に潜入し、敵将軍を暗殺します。潜入方法や暗殺方法をプレイングに盛り込んでください。もちろん、台詞やシチュエーションも自由にどうぞ。

そのほか、プレイングを合わせて、「1を選択し、千人長である○○PCの部下となる」といった方法も可能です。


☆☆☆☆☆
最後に、今回のシナリオは戦争ものですが、ファンでもエキストラでも非戦闘系スターでも参加いただけます。ただし、その際は必ず参謀か千人長待遇を選択してください。部下が護ってくれます。ちなみに、敵はハザードではなくすべてムービースターです。ファングッズも有効です。

参加者
続 那戯(ctvc3272) ムービーファン 男 32歳 山賊
晦(chzu4569) ムービースター 男 27歳 稲荷神
白亜(cvht8875) ムービースター 男 18歳 鬼・一角獣
ベルナール(cenm1482) ムービースター 男 21歳 魔術師
翡翠(cwde8663) ムービースター その他 23歳 夢魔
ギル・バッカス(cwfa8533) ムービースター 男 45歳 傭兵
掛羅 蒋吏(csyf4810) ムービースター 男 19歳 闘士・偵察使(刺客)
ミケランジェロ(cuez2834) ムービースター 男 29歳 掃除屋
古森 凛(ccaf4756) ムービースター 男 18歳 諸国を巡る旅の楽師
ハンス・ヨーゼフ(cfbv3551) ムービースター 男 22歳 ヴァンパイアハンター
神凪 華(cuen3787) ムービーファン 女 27歳 秘書 兼 ボディガード
シャルーン(catd7169) ムービースター 女 17歳 機械拳士
<ノベル>

▽第壱章 開戦前〜神と戦人の対話〜▽

 神裂空瀬(かむさき うつせ)は玉座の間にひとりたたずんでいた。
 彼女は二十歳のときに九神国軍(くしんこくぐん)に籍を置いた。それからの七年間、戦争と政争にのみ身を投じてきた。
 後悔はしていない。むしろみずからの望むように生きることができていると思う。
 彼女の前には、空の玉座があった。本来ならば、王が座すべき場所である。現在そこに王は居ない。それどころか、この世界に存在すらしない。
 彼女が武人としての生(せい)をまっとうするつもりなら、最終的に到達すべき場所はどこなのか。その答えのひとつが、ここに在った。
 このまま王が実体化しなければ……
 彼女の端正な口元を苦い笑みが彩った。
「我ながら詮ないことを……」
 思わず言葉に出てしまう。
 王とは血筋だ。それ以外の何ものでもない。
 ゆえに、賢王であるとか愚王であるとか、そういった二つ名がまかりとおるのだ。玉座は血でつかむものであり、才でつかむものではない。己(おのれ)が恃(たの)むものは才であり血ではなかった。
「名将、という言葉もあるか……」
 明日の戦(いくさ)に破れれば、暗愚の将として後世に名を残すのであろうか。いや、そもそもこの世界に後世というものがあり得るのだろうか。
 空瀬はゆっくりとかぶりを振った。
 大事な一戦の前だというのに、思考が混乱している。まずは目前に迫った責務に全力を尽くさねばならない。
 彼女の背後で、かたりと音がした。
 空瀬は反射的に腰の大刀に手をかけ、鋭い殺気を送った。音の主が尋常ならざる氣(き)を発していたからだ。
「おいおい、こえぇな」
 男は玉座の間入り口の扉に背をもたせかけ、おどけた調子で諸手をあげた。降参の意を示したのだろうが、気怠げな表情からは敗北など微塵も感じられない。実際、空瀬から送られた殺気をのらりくらりとかわしている。
「客将(きゃくしょう)殿か」
 空瀬らは、異世界――銀幕市より招いた者たちを客将として扱っていた。一時的にしろ、指揮権を与えるのだから、それなりの地位が必要だった。客将は千人長と同等の位(くらい)で、その名の通り千人の部隊を率いることができる。
 空瀬は刀を納めると、不可思議な格好をしたその男に、あらためて向き直った。もちろん、彼女らからすれば客将は皆、不可思議な格好をしていることになる。
「ここは客将殿といえど立ち入ってよい場所ではない」
「あんたにちょっと話があってね。立ち話もなんだなぁ」
 きょろきょろと室内を物色するが、あいにくとこの部屋には玉座以外に座る場所などない。王の御前なのだから当然だ。
 あきらめたのか、考えるのが面倒なのか、男は「まぁ、いっか」と頭をかきながらその場に腰を下ろした。床にあぐらをかき、膝の上にほおづえをつく。
「あんたも座ったらどうだ?」
「いや、けっこう」
 二人の距離は縮まらない。ただ上と下に目線が離れただけだ。見下ろす空瀬と見上げる男。
「たしか名前は……」
 言いかけた空瀬を、男がさえぎった。名前など不要だとばかりに。
「あんた、なんで奇族(きぞく)と戦ってる?」
 単純だが深い意味を持つ問いだった。
「戦わなければ、我々が滅ぼされる。ただそれだけだ」
 単純だが深い意味を持つ答えだった。
「あんたらは自分たちを『人』と呼んで、鬼たちを『奇』と呼んでる。鬼たちは自分たちを『現(ウツツヒ)』と呼び、あんたらを『妖(アヤカシ)』と呼んでる。正しいのはどっちなんだ?」
「戦に正しさなど存在せぬ。そうではないか? それとも、おぬしの世界では争いなどないのか?」
「残念ながら……」
 男はポケットから煙草とライターを取り出し、
「こっちの世界でも、人は争ってばかりさ」
 火を灯した。
 空瀬はわずかに警戒を解いた。
「面白い男だな」
 男は謙遜するでもなく憤慨するでもなく「そりゃどうも」とだけ応えた。
「俺だって正しさなんて曖昧なものを主張するつもりはねぇさ。ただ考えてほしかっただけでね。どんな理由があるにせよ、争い、殺し合うって事はあってはならねぇことじゃないか?」
「……和睦(わぼく)、か?」
 男は無言だ。
「奇族との和睦など考えたこともなかったな」
 それは彼女の本心であった。人族と奇族は、相争うことがもはや必然であり、疑念を差し挟む余地などなかった。
 それでも、やはり戦いをやめるわけにはいかない。
 最後に空瀬はこう言った。
「我々は殺しすぎたのだろう。そして、殺されすぎた」
 あとは、男など存在しないかのように、真横を通り過ぎ、一顧だにせず玉座の間を立ち去った。人族の命運を分ける決戦は明日に迫っていた。
 取り残された男は、根本までゆっくりと煙草の味を愉しむと、床に吸い殻を押しつけようとして、やめた。床に敷かれた豪奢な織物が、美しい文様を身に宿していたからだ。
 芸術の神として、美しいものを貶(おとし)める行為はできない。火を指先でつぶし、ポケットにしまった。
「まったく……」
 なにが「まったく」なのかもわからず、ミケランジェロは立ち上がった。
 神とはもっと人に対して冷厳なものではなかったか。我儘で奔放で身勝手で。
 それが、今の自分はいつの間にか人に対してお節介を焼いている。
 銀幕市で帰りを待っていてくれるであろう友の面影を想い、多分にその影響を受けている自分がおかしく思えてくる。いつしか、彼は笑っていた。
「ま、とりあえず、自分で決めたことだからな。やるしかねぇか」
 そうして、ミケランジェロは戦場へと向かうのだった。



▽第壱章 開戦前〜術式を用いる者たち〜▽

 九神城(くしんじょう)の一室にて、念入りな打ち合わせがすでに三時間以上つづいていた。
「全体的なコンセプトは理解した。あとは細かい修正だな」
 地図上に描き込まれた精緻な文様を指でなぞりながら、ベルナールが言った。
 机上に広げられた地図は高天原(たかまがはら)一帯を記したもので、そこに墨で描かれているのは攻城法術(こうじょうほうじゅつ)を成功させるための巨大な法術陣の青図であった。
 これだけのものを完成させるのにどれほどの時間がかかるのか。はたまた、人員はどれほど必要か。
 作戦を成功させるために必要とされる様々な要素がベルナールの脳内を駆けめぐる。
 戦記物ファンタジーから実体化した彼にとって、軍事行動は得意分野だ。しかも彼は映画内では魔術師として唯一将軍職に就く者として描かれていた。事前の作戦会議にも慣れている。ただ……
「あのぉ、客将殿」
 隣の席で話を聞いていた法術兵(ほうじゅつへい)がおそるおそる手を挙げる。
「なんだ?」
 ベルナールの口調はどうしても呆れたものになってしまう。法術兵が貝のように堅く口を閉ざした。
「すまない。君たちを責めているわけではないのだ」
 そう言ってうながすと、法術兵はようやくつづけた。
「こんせぷと、とはどういった意味で?」
 ベルナールが思わず嘆息する。法術兵は「やっぱり」と後悔した様子でしゅんとなってしまった。
 この世界に来てからずっと彼を悩ませているのは、言葉の違いだった。なにせ横文字がまったく通用しない。これは相当なストレスだ。
「全体的な構成は理解した。あとは細かい修正だな」
 それでも律儀に言い直すベルナールを、翡翠がくすくすと笑う。
 ベルナールがぎろりとにらみつけるが、翡翠はどこ吹く風だ。彼は特別な呪布で鼻からうえを覆っていたので表情は読みとりづらかったが、口元からおおよその感情はうかがい知れる。
「ま、俺も銀幕市に来てすぐは大変だったけどな」
 翡翠は、和風ファンタジー映画より実体化した妖(あやかし)である。彼も最初は横文字のたぐいに苦心したものだった。
 周囲の法術兵たちは、そんな二人のやりとりに親近感を覚えつつあった。
 この二人、両名とも二十代前半といった容貌の若者なのだが、実際はベルナールは三十代半ばであったし、翡翠にいたっては数千歳という年齢だった。初めは、自分たちよりも年若く見える彼らが指揮を執るという点に、反発を示した者たちも多かったが、実年齢を聞き、さらには彼らの豊富な知識に触れるにつけ、考えをあらためた。
「俺の配下には紅桜(くおう)って木霊がいるんだけどな。そいつが木々を操れるんだよ」
「精霊の力を利用するわけか」
「ああ、そうだ。力の集束、増幅に役立つと思うぜ」
「なるほど。だったら、ここの術式は地属性のものに変えた方がいいか」
「だな。植物と大地とで相性も問題ねぇ」
 ハイレベルな意見交換に、他の法術兵たちはついていけない。
「他に改良点はなさそう、か」
「だな」
「あとはサンレイの吐くエネルギーの強さがわかればいいのだが」
 つぶやいてから、法術兵たちが困惑しているのに気づき、「サンレイの吐く力の強さがわかればいいのだが」と言い換える。
「んなもん、わかってどうなるんだ?」
 翡翠は妖術を扱う夢魔だ。戦闘は経験していても戦争は初めてだ。戦略・戦術が絡むと俄然ベルナールのほうに軍配が上がる。
「相手が撃ち返してきたときのことを考えているのだ。そうなれば、私たちの攻城法術とサンレイの法術がぶつかることになる。そうなれば、あとは力勝負だからな」
「ふぅん。じゃあ、相手が俺たちより先に撃ってきたら?」
「私たちは全滅だろうな」
 ベルナールの発言に、一同が固唾を呑むのが二人に伝わってきた。
「ま、そうならないために事前に策を弄するわけだがな」
 ベルナールは不安を払拭するように自信満々の態度で、テーブルに立てかけておいた杖を手にした。二匹の銀蛇で装飾されたそれは、魔術師の証(あかし)だ。
 口の中で何事かを唱え、地図の上に杖の先をかざすと、急に机上に霞がかかった。法術兵たちから感嘆が漏れる。ベルナールにしてみれば、大気中の水分を利用して霧をつくりあげることなど造作もないことだったが、この世界の術体系からすれば珍しいことであったらしい。
「明日はこうして森全体に濃霧を発生させる」
「なるほど、これで我々の姿を隠すわけですな」
 法術兵の一人が得心いったとしきりにうなずいた。
「ちょっと待てよ」
 翡翠が思案顔で待ったをかけた。
「そいつは逆効果じゃねぇのか? そこだけ都合良く霧が発生したら、逆に目立っちまう。それに、身を隠すなら、俺が準備してる結界と幻術でじゅうぶんじゃねぇか?」
「実は最初、私もそこが気にかかったのだが、凛殿と那戯殿が言うには問題ないらしい」
「それはどういう意味だ?」
「翡翠殿の結界は魔力と気配を消してくれる。さらに幻術によって我々の姿を隠すこともできる。ただし、それはあくまで物理的な結界ではないのだから、敵の進入を防ぐものではない。仮に敵が斥候(せっこう)の一人でも出して、結界内に入られたら見破られてしまう」
「それは霧だって同じじゃねぇか?」
「詳細はわからないが、霧は心理的な結界となるらしい」
 翡翠がさらに訊き返そうとしたとき、会議室の扉が勢いよく開いた。
 豪快な笑い声とともに入ってきたのは、七赤将軍(しちせきしょうぐん)である飛懐千淕(ひかい ちりく)だった。
 九神国には九つの将軍職がある。壱白(いっぱく)、弐黒(じこく)、参碧(さんぺき)、四緑(しろく)、五黄(ごおう)、六白(ろっぱく)、七赤(しちせき)、八白(はっぱく)、九紫(きゅうし)の九つだ。そのうち現在、銀幕市に実体化しているのは、六白将軍である神裂空瀬、七赤将軍である飛懐千淕、九紫将軍である楽樹杷准(らぎ はじゅん)の三名しかいない。元来、千淕は、九将軍の中でも最年長であるし、軍席からいえば現時点ではナンバー2でもある。
 本来ならば明日の血戦にそなえて、軍議にいそしむべきところだが、千淕とは、どうにもそういったものが性に合わない男だった。片手に持つ酒徳利が、そのことを雄弁に物語っている。
「いやいや愉快愉快。バッカス殿とはこのまま夜が明けるまで飲み明かしたいものじゃ」
 並んで歩く偉丈夫の肩をがしがし叩く。
 右目に眼帯をしたその男――ギル・バッカスは同じように大笑しながら「さすがにそれはマズかろうよ」と同じく手に持った徳利をかたむける。傭兵であるギルはそれでも逆の手には大槍をかかえていた。
「ん? まだ終わっとらんかったか?」
 今さらながら、千淕が照れたように頭をかく。本来ならばこのような時にこのような場で酒に酔うなど言語道断の行為だ。ところが、なんとなく憎めないのがこの将軍の良いところのようで、部下たちは責めることなく微苦笑するだけだった。
「いえ、もう終わったところです」
 ベルナールが無感情に告げる。自身があまりハメを外すような性格ではないので、千淕のような武骨然として豪放なタイプは少々苦手だ。
 逆に翡翠はこういったノリが嫌いではなく、さっそくお相伴にあずかろうと二人にすり寄っている。
「二人だけでお楽しみなんて意地が悪いぜ、将軍」
「ふむ、そうじゃな。確かにおぬしの言うとおり。軍議が済んだのなら、明日に備え、皆で鋭気を養うとするか。おい、おぬしら、倉から酒を持ってこい」
 千淕の指示で会議室が宴会室に様変わりしていく。翡翠は「待ってました」と手を叩き、ベルナールはひそかに嘆息した。
 そんな魔術師の肩に腕をまわす傭兵がいた。力任せに引き寄せられベルナールが痛みに顔をしかめる。
 ギルは酒臭い息を吐きながら、にやりと笑った。
「ボウズ、生きるか死ぬかの瀬戸際が迫ってんだ。明日になったら嫌でもぴんと張りつめなきゃならん。今くらいは弛めてもいいだろ」
 そう言って、杯を差し出す。
 ベルナールはやはりため息をついたあと、それでも杯を受け取った。



▽第壱章 開戦前〜朱の妖狐〜▽

 晦(つごもり)はつれづれなるままに城内を散策していた。
 城壁の内側では、そこかしこで着々と戦の準備が進められている。晦は、その胸に虚しさが去来するのを抑えきれなかった。
 人はなぜ争うのか。この戦争の先にあるものは何なのか。
 「人間とはそういうものだ」と父に諭されたこともあったが、妖の基準でまだまだ子供である晦には理解できなかった。
 彼がこの戦に参加した目的は、守ることにあった。戦争で命が失われることは止めようがない。だからせめて、自分の力で多少なりとも救える者たちがいれば……
 彼の想いは純粋なものであった。しかし、純粋であるがゆえに決して叶うことがない想いだと、まだ気がついてはいない。
「ん? それはなんや?」
 晦が話しかけたのは、なにやら竹細工のようなものを造っている兵士だった。
「きゃ、客将殿!」
 兵士があらためて立ち上がろうとするのを、晦が困った顔で制する。
「わしは、将軍なんて柄やないから。そんままでええわ」
 逆に晦の方が兵士の横に腰を下ろした。
「こいつは……花火かいな?」
 兵士が竹細工に組み込んでいるのはいわゆるロケット花火だ。
「火薬、というものらしいですね。火を近づけると爆発するのだとか。客将殿の世界では当たり前のものなのでしょうね」
「ん? ああ、まぁな」
 この世界にないもの。それは確実に敵の予想を裏切るだろう。
「こいつをぶち込むんか。こりゃええわ。相手も軽い怪我ですむやろうしな。よぉ考えたもんやなぁ」
 軽い怪我のところで兵士が怪訝な表情をしたのだが、晦は気づかなかった。兵士も聞き間違いと思いそれ以上は追求しない。殺し合うのが当然の戦場で、相手を気遣うなどありえないことだ。
「那戯客将の提案だそうです」
「那戯……ああ、あの橙色の髪の」
 自分と似た色の毛並みだったのでよく覚えている。
「わしも手伝おか?」
「い、いえ、客将殿にこのようなことは――」
「だーかーら、柄やないっちゅーねん」
 晦は半ば強引に竹と花火を奪い取って、ふたつを組み合わせはじめた。初めは困惑していた兵士も、語らううちに打ち解けていた。
 このはにかんだ笑顔の若者が、明日には命を落とすことを、晦は知るよしもない。



▽第壱章 開戦前〜追う者、追われる者〜▽

 高天原(たかまがはら)の西には漣河(さざなみがわ)と呼ばれる河川が横たわっている。
 南北に走るこの大河に興味を示したのは古森凛(こもり りん)であった。
「この河を利用できないものでしょうか」
 数の不利をくつがえすにはそれなりの力をもってあたるしかない。そして、力は他者から借りてもいいのだ。それこそ空瀬将軍が銀幕市民の手を借りたように。
 凛は大自然から力を借りる心づもりだった。
 決戦を明日に控えた今、凛の指示を受け、シャルーンは漣河で堤防工事の指揮を執っていた。
「こんなところで、こんなことをすることになるなんてね」
 森から切り出した木々を、鋸(のこぎり)や鑿(のみ)を使って加工する兵士たちを監督しながら、シャルーンは自嘲的な笑みを浮かべた。しかし、映画の中でも軍属であった彼女の出す指示は非常に的確だ。
「慣れたものだな」
 木陰からハンス・ヨーゼフが話しかけてきた。白皙の肌を持つ彼が紫煙をくゆらせる姿は、見る者に奇妙な違和感を生じさせる。怜悧な美貌が古代の名工による彫像を思わせるのに対して、サングラスや煙草が嫌でも現代を想起させるからだ。
「昔ちょっと、ね」
 シャルーンは異能者であり、彼女のいた世界で異能者たちは弾圧されていた。人間たちに両親を殺され、レジスタンス活動に身を投じたのが、まだ十三、四のころだ。そういった境遇が彼女に多様なスキルを身につけさせた。特に、手足を土木機械へと変えることができたので、こうした仕事を命ぜられることも多かったのだ。
「それにしても……」
 ハンスがサングラスを少しだけずらして、遠くに視線を移した。
「これだけの大河を堰き止めるなんて、実際に間に合うのか?」
 作戦決行は明日である。ハンスの素人目からでも、この調子ではあと半日で工事が終わらないと確信できた。
「このままじゃ間に合わないわね」
「このままでは?」
 含みのある言い草にハンスは興味をそそられた。
「ハンスは聞いてないのね」
「俺はここで敵を待てという指示しか受けていない」
 凛からこの河川工事の全貌を聞かされているのはどうやらシャルーンだけのようだ。
 ハンスが吸い殻を投げ捨てた。シャルーンが「どうしたの?」とたずねる暇もなく、彼は走り出していた。
 吸血鬼と人間のハーフ、いわゆるダンピールである彼の身体能力は、常人を遥かに上回っている。いくら逃げ足が速いといってもかなうはずがない。
 ハンスは十秒も経たずに、敵の背中を視界に入れた。数は、二つ。
 距離をはかり、コートの中から小振りなナイフを取り出す。狙いを付けて、投擲した。
「ぐっ!」
 苦鳴をあげて敵の一人が草原に倒れ込む。もう一人は、鉄則どおり仲間を見捨てて遁走する。振り返りすらしないのは、仲間の死を確信しているからだろう。
 ハンスはもう一本ナイフを投げた。
 今度は狙いがはずれ、残りの一人の肩口を浅く斬り裂いただけだった。
 ハンスはそれ以上深追いするようなことはせず、仕留めた一人のかたわらに膝をついた。うつぶせになっていた身体をひっくりかえすと、呼吸を確かめるまでもなく、すでに息絶えているのがわかる。おそらく毒を飲んだのだろう。口の端から紫の血が筋を引いていた。
「鬼、か」
 人とほとんど同じような姿形をしているものの、その敵の額には角が生えていた。これが彼らが闘うべき相手だった。
「逃がしたの?」
 いつの間にか追いついたシャルーンが、背後に立っていた。彼女もまた常人ではない。
 ハンスほどの使い手が一度捕捉した敵に逃げられるはずがない。一人に逃げられたということは、故意に逃がしたということに違いない。
「俺が凛から頼まれたのは、敵の密偵をわざと逃がすこと、だ」
「じゃあ、次はあたしが凛からの頼まれごとを果たす番ね」
「どうするつもりだ?」
 ハンスの訝しげな口調に、シャルーンは美笑を閃かせた。
「明日までに工事を終わらせるのよ」
 ハンスはシャルーンの言っていることを理解できないでいる。このままでは間に合わないと、シャルーン自身も認めたはずだ。
「ゆったりやってたのは表向きだけ。敵に工事が間に合わないと思わせるためよ。裏では――」
 シャルーンの腕に電気が走る。青白い火花が散り、形が変わっていく。ほんの瞬きひとつの間に、彼女の右腕は巨大なチェーンソーになっていた。
「こういったものをね、銀幕市から大量に持ち込んでいるわけ」
「なるほど、それは早いだろうな」
「ハンス……」
「なんだ?」
「他人事みたいに言っているけど、あんたも手伝うのよ」
「俺もか?!」
 シャルーンがハンスの手を引く。
「機械の使い方を知ってる人間は一人でも多い方がいいに決まってるわ」
 ハンスは空を仰ぐと、ふっと息を吐いて、あきらめたように歩きはじめた。



▽第壱章 開戦前〜深き森の策動〜▽

「そもそもなぜこの俺がこのようなことをせねばならん!」
 九紫将軍である楽樹杷准(らぎ はじゅん)は顔にかかる枝葉を振り払いながら、周囲の部下たちに怒声を飛ばした。将軍の短気はいつものことなので、誰も気にはしていない様子だ。
 それがまた怒気に拍車をかける。
「このような任など、それこそ客将どもにやらせればよかろう」
 キッと睨みつけた先には掛羅蒋吏(から しょうり)がいる。蒋吏は杷准の眼光にはまったく反応せず、てきぱきとみずからに課された使命を果たしていた。
 異世界邦風ファンタジック映画出身の彼は、銀幕市民一行の中でも外見的に目立たないように思われる。思われるが、それはけっこう大きな間違いで、独特の民族衣装を着込んでいるため彼の姿は十分に際だっていた。特に、頭や首につけた数珠がことさら人目をひいた。
「数珠など身につけおって。ただの坊主ではないのか」
 この暴言に、ぴくりと蒋吏の鉄面皮が崩れた。聞こえていて無視していたらしい。
「蒋吏客将」
 そんな彼に声をかけてきたのは、九番隊副将である嶺裏夜鞍(れいり やくら)だ。線の細い印象の、しかも女性である夜鞍はとても一軍の将といったイメージではない。
「お気を悪くなさらないでください。将軍も悪気があってのことでは……」
「いやいや、気になどしておらぬ。こちらこそ変な気を遣わせてまったようで……」
 お互いに同じようなことを言いながら、へりくだりあう様はどことなく消極的な者同士のお見合いの座を想起させる。蒋吏にしてみれば年上の女性、夜鞍にしてみれば国賓ということで、致し方ないことかもしれない。
「あのようなお方ですが、剣術・馬術ともに確かで、兵法も並々でなく、まことに九紫将軍の名に恥じぬ御力をお持ちなのです」
 言ってからあわてて口をつぐむ。取りようによっては、上司に対する不敬罪とも言える発言だったからだ。
 蒋吏は夜鞍を安心させるように「わかっております」と笑顔を向けた。
「おい、夜鞍! なにをしておる! 後続部隊が遅れておるぞ!」
 夜鞍は「はっ!」と返事をかえすと、蒋吏に礼をして将軍のもとへと駆けていった。
 蒋吏はそれを見届けると、仕事に戻った。
 彼の仕事とは、九紫将軍とともに歩兵を指揮して、高天原の東に位置する森――つまりは作戦で法術兵たちが潜むことになる森に、火計(かけい)の準備を仕掛けることだった。火計とは火攻め全般のことで、簡単に言えば森を燃やして敵に被害を与える罠のことだ。
 今回の作戦の要(かなめ)は、この森から法術兵が攻城法術を放つことにあるのではなかったか。その森を焼いてしまう準備とは、どういうことだろうか。
 疑問は尽きなかった。戦略の全容は情報の流出をふせぐため一部の者にしか知らされていない。だが、それを不服として行動できなくなるようでは兵士などやっていられない。
 そのとき、蒋吏は一人の兵が不可解な動きをしていることに感づいた。
 他の皆と同じように火種を設置しているのだが、どうにも動きがうさんくさい。無意識なのか、気配を殺して移動している。自然に、そして目立たないように。
「同業者か」
 蒋吏は密偵使であり刺客でもあった。同類には鼻がきく。他には誰も気づいていないようだ。
 蒋吏は杷准に向かって合図を送った。
「杷准将軍、これくらいで充分でしょう。空気も乾燥しています。これで森全体を焼くことが可能なはず」
「ふん、わかった。皆の者、撤収するぞ」
 演技なのか、地なのか、不機嫌なまま杷准は夜鞍に撤退を言づてた。
 敵の密偵が化けていると思われる兵士は、離脱するべく行動を開始していた。
 このことが吉と出るか凶と出るかは、一兵士である蒋吏には判断がつきかねる部分だった。



▽第壱章 開戦前〜人事を尽くし天命を待つ〜▽

「今し方、河川工事にあたっているハンスさん、シャルーンさんから、そして森で準備をしている蒋吏さんからも連絡がありました」
 古森凛は「これですべての準備が整いましたね」と席に着いている一同を見渡した。まずは上座に空瀬、その隣に控えている弦深矢(げん しんや)、そして続那戯(つづき なぎ)の三人だ。
「抜かりはなかろうな?」
 空瀬から思いのほか強い疑念が発せられる。みずからが招いた客将とはいえ、すべてにおいて信頼できるわけではない。
 それもまた当然のことであると理解したうえで、凛ははっきりと断言した。
「問題ありません。ハンスさんは二人の密偵のうち、一人は故意に逃がしたそうですし、蒋吏さんもまったく気づかないふりをしたそうですから」
 押し黙っている空瀬にかわって、副将の深矢があとを受けた。
「これで、鬼王軍からしてみれば、漣河に関しては『工事が行なわれていることを知ったうえで、自分たちが知ったことを我々に知られている』状態に、森に関しては『火計の準備が行なわれていることを知ったうえで、自分たちが知ったことを我々に知られていないと思いこんでいる』状態になりましたね」
「俺様たちの計画どおりじゃねぇの?」
 那戯は行儀作法など知ったことじゃねぇとばかりに、机上に脚を投げ出してつまらなそうにあくびをしている。この場では彼が最年長であるので、特に誰からも苦言は出ない。もともと空瀬はそういったことに寛容でもあるし、那戯の能力を評価しているからでもある。火薬や工作機械などの現代社会にしかない物を持ち込むアイディアは彼のものだった。
「まぁ、あとはこっちがアレの行動のタイミングを操れれば上々なんだがねぇ」
 肩に乗せていた長槍の石突きでトントンと叩くのは、戦略地図の一点、サンレイと呼ばれる生体兵器が鎮座する場所だ。
「ベルナールが心配してたぜ。攻城法術の準備が終わる前に、先にサンレイが法術を撃ってきたらオシマイだってな。ま、たしかにそうだわな」
「それも大丈夫だと思います。こちらの事前の策に敵がひっかかってくれれば、草原をまっすぐに突き抜けて攻めてくるはずです。それこそ、西側の河にも、東側の森にも近づかずに。そして、六万の兵が展開するには高天原は少々狭すぎます」
 九神国軍の三万に対して、鬼王軍は二倍の六万の大軍である。数の利点をもっとも生かしきれる軍列は横隊、つまり横に長く広がり、そのまま押し包むように敵を圧倒する陣形だ。ところが、凛たちの策略により、敵は東と西へ広がることができない。となると、自然と隊列は縦に長くなる。横長の長方形ではなく正方形に近くなるだろう。
「軍列が厚みを増せば、その後方に控えるサンレイもまた前へ出ることが難しくなります」
「結果的に、相手にもっとも効率的な戦法を取らせず、サンレイの動きもある程度封じることができる、か」
 ようやく空瀬が重い口を開いた。
 那戯の眼光が一瞬鋭くなる。なにかを言いかけて、やめた。それはまた、すべてが終わってから問いかければいいことだ。
 深矢が気遣わしげな視線を送ると、空瀬もふっきれたように立ち上がった。
「凛殿、那戯殿、ここまでの御尽力、感謝いたす」
 そう言って頭を下げる。
 凛もあわてて頭を下げたが、那戯はそのままの姿勢を崩さなかった。
「すべては明日。明日の戦に勝たねば、我々人族に先はない。命をくれとは言わぬ。己が身が危ういと思えば、みずからを優先させてもらって一向にかまわぬ。ただ、ただ、もうしばし、力を貸していただきたい」
 このとき、この場で、紛れもなく偽りない真摯な、空瀬の願いだった。
「頭を上げてください、将軍。私は自分の意志でここに来たのですから。最後まで最善を尽くさせてもらいます」
 凛が微笑む。
「ま、自分の意志でうんぬんってとこは、俺様も同じってことだな」
 ひょいっと脚を上げると、その勢いを利用して器用に立ち上がる。
「少なくとも明日は、あんたらのために全力を尽くすさ」
「少なくとも、か」
 空瀬が人の悪い笑みを向けると、「ああ」と那戯も人の悪い笑みで返す。お互いに胸の内がわかっていることへの確認作業だ。
 凛と深矢は二人のやりとりの意味が理解できず、お互いに顔を見合わせた。
「あとは、アレだな。華がうまくやれるかどうか」
 トンと再び槍の石突きを落とした先は、地図上で敵本陣の位置を示す場所だ。
「彼女には一番危険な任務を与えてしまいました」
 凛のトーンが落ちたのを気にしてか、深矢がつとめて明るく言った。
「白亜殿もついています。大丈夫ですよ」
 今回の九神軍の作戦、最後の一手は今まさに、鬼王の本陣で打たれようとしていた。



▽第壱章 開戦前〜四面楚歌〜▽

 鬼王軍(きおうぐん)の指揮官の名をフツツと言った。フツツは軍略家としても戦士としても脂ののりきった壮年の偉丈夫で、鬼王軍の中でも最高位職であるミツハシラのひとつであるホバシに任ぜられている。性格は苛烈を極め、慎重という言葉とは縁遠い人物だ。
 その彼にしても、裏切り者の扱いには用心深くならざるをえなかった。
「どう思う?」
 いま幕舎にはフツツの他に幕僚は一人しかいない。銀髪の若者は「おそれながら……」と前置きして私見を述べた。
「そもそもあの女の存在自体が我が軍への足止め策であったかと」
 鬼王の本陣に、内通者を名乗る女性が現れたのはつい二日ほど前のことだ。これにより、鬼王軍は九神城に対する総攻撃を延期しなければならない事態に陥った。内通者のもたらした情報を確認する必要が出てきたからだ。
「なるほど。辻褄(つじつま)は合うな。あの女の言ったことを確認するために我々は二日を要した。その間、奴らは準備を調える時を得たことになる。実際、河川工事はある程度進んでおったそうだな」
 これは今日になって得た情報だ。漣河を堰き止める工事が進んでいることを密偵がその目で確かめている。
「はい。隠密使(おんみつし)が一人犠牲となりましたが、情報は確かです」
 生き残った密偵の話によると、仲間は風体の奇妙な男にやられたらしい。おそろしい速さで走り、あり得ない力で小刀を投げたのだという。
「それこそ、あの女と同じ、銀幕市からやってきたという助っ人であろうな」
 内通者が言うには、銀幕市民はいずれも特異な能力を有しており、その戦闘力はウツツヒやアヤカシなど遠く及ばないとのことだった。
「あの女が告げたとおり、河川工事は進んでおった。助っ人も存在しおった。どこまで信ずるがよかろうか?」
 将軍の疑問に、若者が再び進言する。
「かの女の『九神軍が漣河を堰き止め、氾濫させ、我らが軍を水攻めしようとしている』という言。これは事実でありましょう。しかし――」
「しかし?」
「その後の言は解せませぬ。『だから、河のある西側ではなく、東側から攻めるべきだ』。これは真摯たる想いから出た言葉ではありますまい」
「つまり、『西に策在り』というのは我々を『東へおびき寄せる』ための罠だと?」
「でなければ、『西側には近づくな』で済む忠言を、わざわざ『だから東側に寄れ』などとはつづけますまい。なにより東側の森には――」
 それ以上は不要とばかりに、フツツ将軍が手を挙げた。
「実際、あれほどの大河を三日で堰き止めるなど無理。そして、東の森に送った密偵が見たという火計の準備。『九神軍が漣河を堰き止め、氾濫させ、我らが軍を水攻めしようとしている。だから、河のある西側ではなく、東側から攻めるべきだ』と言ったあの女の真意は、『東の森に火計を仕掛けているから、そちらを通って攻めて欲しい』といったところか」
「御意にございます。ただし……」
「もうよい、ホトリ。あの女を連れて参れ。いや、いま殺しては、相手に策がばれておることを知られるやもしれぬ。明日までは生かしておくか」
 フツツは明日の戦の勝利を確実と考え、にやにやと嫌らしい笑みをこらえきれずにいた。
 ホトリと呼ばれた銀髪の若者は、まだ何か言いたげであったが、すべてを飲み込み退室した。フツツは、本来こういった進言など聞く耳持たぬ種類の上官である。だから、今回、ホトリが意見を求められたことは奇跡に近かった。将軍の考えがわかっただけでも良しとする。
 もし彼の上官が、内通者の嘘を信じて東側の森付近を通って攻め込むなどと命令を出したら、敵軍の火計によって多少なりとも被害を受けていただろう。
 非常に良いタイミングで、西側の工事と東側の計略を露見させることができた。そうでなければ、フツツ将軍は女の嘘を信じていたかもしれない。穏密使の働きのたまものだった。
 西側は密偵が一人殺されたことで、自分たちが工事に気づいたことを相手側は知っている。逆に、東側は密偵が見つからずに帰ってきたことで、自分たちが森の計略に気づいたことを相手側は知らない。これはまさに天が味方しているとも取れる状況だ。
 河川工事のみに気づかれたと、九神の将は思いこんでいるはずで、ますます鬼王軍が西側を避けて東側を通る可能性が高くなったと喜んでいるはずだ。こちらはその裏をかいて、間に合うはずもない偽の止水工事が行なわれている西側から、もしくは真正面から攻めればよいのだ。
 ふとホトリの胸をざわめきが走った。
 何かを見落としている気がする。あまりにもすべてのタイミングが良すぎる気がしたのだ。
 正体不明の違和感について考えを巡らすうち、ホトリは客専用の幕舎に到着した。入り口の前では完全武装の兵士が一日中見張りについている。
「これはこれはホトリ副将」
 ホトリの姿を認めるなり、番兵は片膝をついて挨拶した。若干二十歳で副将の地位にのぼりつめた実力を持ちながら、そのことを少しも鼻にかけない彼のことを、敬う部下は多かった。
「中の客人に会いたいのだが」
「お一人で、ですか? 危険です」
「大丈夫だ。相手は女一人、危険はない」
 それでも躊躇している番兵をなし崩しに押しのけ、ホトリは一人で幕内に入る。
「今度はあんたか。ホトリ副将、だったか?」
 足を踏み入れるなり、女の馴れなれしい呼びかけが飛んできた。ホトリは知らんぷりをして勝手に椅子に座った。
 自称内通者は自然な笑みを浮かべて寝台に腰掛けていた。浅黒い肌は黒鬼族に似ていたが、角がない。引き締まった筋肉は、彼女が兵士――傭兵であるとの説明を受けるまで、何によって鍛えられたものか見当もつかなかった。ウツツヒの間では、女性が戦うことはないからだ。
「神凪殿」
「華でいい」
 神凪華(かんなぎ はな)は気さくに言った。
「では、華殿。よく私の名前を覚えておいででしたね」
「あんただけ、違っていたからな」
 ホトリは自嘲気味に唇を歪めた。
「この髪は目立ちますからね」
 彼の銀髪は、様々な髪色が存在するウツツヒの中でも格別に珍しかった。
「あ、いや、そうじゃない。将軍の前で話をしたときに、あんたたち幹部もいただろう? その中でも、あんたが一番用心深く私のことを観察していたから、覚えていたんだ」
「それは、褒められていると思ってよいのですか?」
「そのつもりだが」
 率直な物言いに、ホトリは少しだけこの異界の女性に気を許しそうになった。こっそり気持ちをひき締め直す。
「何度も訊かれたことだと思いますが、あなたはなぜ九神軍を、いや、銀幕市の同胞を裏切ったのですか?」
 裏切ったと直接的な表現を使うことによって動揺を誘うつもりだ。
「本当に何度も訊かれたことだな。恨みさ。他にはなにもない」
 うんざりだと言わんばかりに、腕組みをする。
「では、質問を変えましょう。敵地に一人で乗り込んできて、命の危険については考えなかったのですか?」
「私が死んでも、それであいつらに一矢報いれるならそれでいいさ」
 あっさりと断言するその裏に、どろどろとした怨恨が渦巻いているようには思えない。ホトリは直感する。やはりこの女は罠だと。
 ならばこちらとしては、敵の罠を利用できるだけ利用するに尽きる。
「いくつか教えていただきたいことがあるのですが……」
 それからホトリは真贋を見極めつつ、華から出来る限り多くの情報を聞き出した。
 しばらくして、ホトリが出て行き、一人残された華に話しかける者がいた。
「名演技ですね」
 淡々とした口調は、称賛しているようにも、蔑んでいるようにも聞こえる。彼の気質からしておそらくは前者だろう。丁寧な物言いなのは、華が年上の女性だからだ。そういった部分は彼が銀幕市に来てから身につけたものだ。
「私は基本的にあまり人に信用されないタチでね。自然に振る舞っても今回の任務にぴったりの言動になる」
 答える華もまた嘘か本気がわからない言い草だ。
 華の任務とは、敵陣営に誤った情報を与えることにあった。その手法はいささか込み入っており、自分が二重スパイであることを意図的に悟らせることによって、相手を信じ込ませるといったものだった。
 まずは『西の漣河には罠があるから近づかない方がよい。それよりも東の森付近を通った方がよい』と裏切り者を名乗ってアドバイスを行なう。もちろんこれはフェイクだ。ここで相手は、この話を信じるべきか判断するために、西と東に密偵を送る。そこには凛や那戯が仕掛けた罠が待っており、それを見た敵は、華が二重スパイであることに気づくだろう。二重スパイだとわかれば、彼女の言葉を信じずに、少なくとも彼らは東の森を通らずに、西か中央を突破してくるはずだ。それこそ凛や那戯の思う壺だと気づかずに。
 そういう意味で、彼女は信頼を得る振りをして、その実、信頼を得られないよう演技をしなければならなかった。そして、それは現段階でほぼ成功したと言える。
 幕内には華以外に人影すらない。それでも声だけは響く。
「貴方はなぜこの仕事を引き受けたのです?」
「あいつらの思惑通りに、事が運ぶのがしゃくでね」
 あいつらとは空瀬たちのことだ。
 自分の存在をまるっとすべて利用されるのは我慢ならない。だからこそ、一兵卒として戦うのではなく、バッキーと離れ、このイレギュラーな任務を選んだ。
 彼女は最初に空瀬らと顔を合わせたとき、「うぬぼれるな。数が多いだけの雑魚が攻め入ったところで、銀幕市は陥落しない。貴様の要請に付き合ったのは酔狂な奴か、暇潰しに来た奴だ」と言い放ったものだった。
 これに賛同を示したのがシャルーンだ。彼女もまた「本当は銀幕市民の力を合わせれば、人族と奇族の両方を纏めて始末することだって出来るのよ。あたし達は脅しに屈したから手伝ってるんじゃない、厚意でやってるんだから、その辺勘違いしないでね」とつづけた。
「白亜、おまえはどうなんだ? そもそもその容貌では、敵方と間違えられてもおかしくないだろう?」
 白亜――一角獣の鬼は、どこかに潜んだまま返事をかえした。
「確かに、この角を口実に、あいつらが銀幕市に攻撃をしかけてくるかもしれない。その危惧はありました。危惧があるゆえに、参加したといったところでしょうか」
 華が眉根を寄せる。
「銀幕市には奇族に似た容貌の者がたくさんいる。奇族を始末したあと、人族が、それを口実に銀幕市に攻め入ってくるような者たちでないことを確かめたかったのです」
「ま、今回の作戦に参加した連中は、良い意味でお人好しが多いからね。おまえや私のような役回りも必要だろうさ。とりあえずは、もう一仕事、残ってるからな」
 華の眼光が鋭くなる。彼女らにはこれから最も重要な任務が待っていた。
「その点は、私に任せていただきましょう。フツツ将軍に気取られず近寄る手段も持ち合わせています」
「バイト姿になって、色仕掛けか?」
 沈黙。
「はは。冗談だ」
「笑えませぬ……」
 こうして、高天原会戦を明日に控え、銀幕市民それぞれの一日は暮れていった。



▽第弐章 高天原会戦〜進軍〜▽

 夜明けとともに動き出した兵数、実に四万。鬼王軍の歩兵部隊である。
 赤、青、黄、一本角、二本角、三本角と多種多様な小鬼たちが、朝靄を吹き飛ばす勢いで鬨(とき)の声を上げる。手にした武器も、大刀、長槍、薙刀、弓矢と様々だ。中には数日前の攻城戦での傷もそのままに出陣している者もいた。まさしく総力戦だ。
 軍勢を前にし、フツツ将軍は満足げに顎髭を撫でた。
「見よ、この陣容の厚さを。ウツツヒどもなど昼飯までに蹴散らしてくれるわ」
 みずからも腕をふるいたくてしょうがないフツツは、がちがちと刀の鍔を鳴らしている。その意を読みとって、ホトリが諫(いさ)めた。
「将軍、御出陣なさるなら、我が軍の勝利が確実となってからに……」
「わかっておる!」
 うとましげに舌打ちする将軍に、ホトリは無反応だ。いま彼はそれどころではない。
 東の森に霧が出ていた。この季節には珍しい濃霧だ。それはまるで、木々の頭が白い海から突き出ているようにも見えた。この霧がやけに気にかかる。
 今朝の軍議でフツツ将軍は、この霧を好機と笑った。
「策士策に溺るるとはまさにこのことだな。奴らの策は、裏切り者を使い、我らを東の森におびき寄せ、火計にて手傷を負わせようというもの。しかし、この霧では木々が湿り、火計も使えまい。ウツツヒどもは大自然の神にも見放されおったわ」
 その後、諸兵士長とも相談のうえ、西側にも東側にも寄らず、真正面から平原を突っ切って城へと攻め入ることが決定した。
 西の河付近は、偽の水攻めが露見したと九神軍も知っている。偽である以上、敵がそこから攻めてくる可能性を考えるはずだ。だから、守備兵を置くしかない。東の森は言わずもがな、火計のための兵が潜んでいるはず。わかっているのだから、それらの兵をすべて無為におとしめようというのだ。
「下手な小細工を弄し、もともと少ない兵力から、さらに西と東に力を割いたことを後悔させてやろう」
 間違ってはいない。兵力はこちらの方が遙かに上なのだ。真正面から叩きつぶすことこそ常策であり、上策。
 進軍の法螺貝が吠え声を立て、ホトリを思考の世界から現実に連れ戻す。彼もまた、歩兵の後方に控える騎兵を率いるため前線に向かわねばならなかった。
「これだけの兵力差なのだ。予想外の出来事が起こってもじゅうぶんに巻き返すことができるはず」
 そう自分自身に言い聞かせて、ホトリは馬の鐙(あぶみ)へと足をかけた。



▽第弐章 高天原会戦〜覚悟〜▽

 鬼王軍が動き出したという知らせが九神城に届いたのは、法螺貝の音を聞いたからでもなく、彼らが移動する土煙を見たからでもない。
 凛が思考中継の能力を使って、敵陣の白亜から仕入れたものだ。
「まったく便利な力だ」
 空瀬が感心していると、凛は「こちらの負担も激しいのですが」と前置きして、「今回の戦、私にできる残ることはこれだと思っています。体力と精神力のつづく限り、空瀬将軍の指令を時間差なしで全軍に通達しつづけます」と微笑んだ。
 城壁の前には九神軍歩兵二万と騎兵八千が展開している。二万の歩兵は六番隊、七番隊と九番隊の混合部隊で、総指揮は六番隊副将の弦深矢が執ることになっていた。空瀬将軍は城に残り大局を見極める必要があり、千淕将軍には法術兵部隊を率いるという重要な役目があった。杷准将軍は、騎兵八千を率い、残りの歩兵一千は城の守りについた。
 状況だけ見れば絶望的である。
 まず歩兵同士の戦いですでに二万の兵力差があり、騎兵同士の戦いにも一万六千の兵力差がある。術兵に関しては、こちらの兵数は実質的にゼロだ。
 それでも空瀬は、悠然と皆の前に進み出た。堂々たる姿勢で声を張り上げる。
「勇猛果敢たる九神の仔らよ!」
 朗々たる声音は、とても女性のものとは思えない。力強く、威厳に満ちたものだ。
「今一度、見よ! お主らの前に立ちはだかる者は誰ぞ?」
 問いかけに、すべての兵士が後背を振り返った。朝靄に遠く揺らめく地平線の向こうに、大軍がうごめいている。その向こうには、小山のような巨大な影もはっきりと見えた。
 それは、人族の敵である奇族であり、九神国軍の敵である鬼王の軍でもあった。
「彼の大敵を打ち破るは誰ぞ?」
 再び全軍が振り返る。兵士たちの瞳には決意だけが燃えていた。将軍の問いに誰も応じないのは、答えがわかりきっているからだ。
 空瀬は手綱を引くと、ことさらゆっくりと馬を歩かせた。軍列の端から端まで移動し、兵士たちの引き締まった貌を胸に焼き付けていく。
 中にまだ若年の兵を認めると、空瀬はその額に直接触れ、九神の加護を授ける仕草をした。
 空瀬はもう一度兵に言葉を向けた。
「皆ももはや知っていよう。我らが兵力は、歩兵二万、騎兵一万。対するに――」
 そこで、間を置いたのは怯えからではない。
「対するに、鬼王の軍は、高天原に展開する騎兵および歩兵のみで六万! 実に我が軍の二倍である! そして、敵軍には奴らがサンレイと呼ぶ兵器がある!」
 空瀬が忌々しげに敵陣を睨みつけた。サンレイは、立ち並ぶ御旗のさらに奧で、小高い丘のような姿をさらしていた。近づいて見れば、それが巨大な人型だということがわかるだろう。まさしく巨人だ。
「お主らも知ってのとおり、サンレイの吐く法術の光は二里四方を焼き尽くすと言う! だが、恐れるな!」
 一瞬だけ、空瀬の口元に苦笑が閃いた。これだけの現実を突きつけておいて、なお、恐れるなとはどの口がほざくのか。
「我らには秘策がある! サンレイを叩き、鬼王の軍を叩く必勝の策だ!」
 空瀬はさも自信たっぷりに秘策の内容を兵士らに告げた。彼らの志気がいやがおうにも高まっていくのが手に取るようにわかった。
「さらに、銀幕市なる異界から、凄まじき力を持った客将たちが手助けに来てくれておる!」
 すべての兵士たちが、雄叫びをあげた。秘策と援軍、この二つが彼らに闘うための気力を与えたのだ。
 空瀬が腰の大刀を抜いた。呼応するように兵士らも各々の刀や槍を天に掲げる。鋭い刃が、鈍い朝日を照り返し、朱色に輝いた。
「九神の仔らに、闇氣(あんき)の御加護を!」
 将軍の鬨の声に、全軍が唱和する。
「はっ、お上手なこったな」
 冷ややかにその様子を眺めつつ、那戯がつぶやいた。
「一軍の将には必要な能力ですよ」
 聞きつけた凛がフォローするように言う。
「間違ってるとは言っちゃいねぇさ。こいつらはこれが終わったらどうすんのかなっと思ってね」
「どうする、とは?」
 那戯は無言だった。
 凛はさらに言い募ろうとしたが、空瀬将軍に呼ばれ彼のそばを離れた。
「これより凛客将が戦に向かう皆のため神曲を奉納してくださる」
 凛が空瀬の隣に並ぶと、彼女はそう説明した。
 凛の吹く神曲には聴く者の心を奮わせる効果がある。これだけの人数が対象だ。かすかにしか聴き取れない者もいるだろうし、一人ひとりへの効果は微々たるものだろう。それでも、彼は皆を祝福せずにはいられなかった。
 凛は横笛を唇に添えた。
 清澄な音楽が全員の鼓膜をふるわせる。
 妖しの森の長である大樹から切り出し造り上げた横笛は、清々しい霊力でもって、これから死地へ向かう兵士たちの心を撫でていく。
 楽曲自体は短いものだったが、聴く者たちにとっては永遠にも等しい時間だった。
「死して語られるよりも生きて共に語り合いましょう」
 静かにそう結んで、凛は空瀬の後方へとさがった。
「全軍、進撃!」
 空瀬が檄を発する。
 こうして、漲(みなぎ)る闘志を胸底に秘めつつ、九神軍は進軍を開始した。
 歩兵部隊の中に蒋吏、シャルーン、晦の姿がかいま見える。凛は、ハンス、深矢とともに騎兵を指揮するため彼らとともに行くことはできない。ただ無事を祈るばかりだ。
 深矢が馬の腹を蹴ろうとしたとき、ふと空瀬と目が合った。
「死ぬでないぞ」
 真剣な眼差しを受けて
「御命令とあらば」
 鮮やかな笑み。
 ついに高天原会戦の火ぶたが斬って落とされたのだ。



▽第弐章 高天原会戦〜先陣疾走〜▽

 シャルーンが高く口笛を吹いた。
「壮観だわ」
「ホンマ、すごいわ」
 晦もまた呆気にとられている。
 二万の人間が隊列を組んで歩くのは想像以上に雄大な光景だったが、その倍である四万の敵軍がじりじりと迫ってくる様はさらに壮大なスケールだ。すべて敵であることを忘れて見とれている二人に、蒋吏が歩み寄った。
「お二人に頼みたいことがあるのだが」
「なんや? わしにできることやったらなんでもするで」
「俺にもしものことがあったら、シャルーンか晦殿に俺に代って指揮を執ってほしい」
 蒋吏は晦やシャルーンと違って千人長をつとめている。
 晦が露骨に嫌な顔をした。
「意味わからへんねんけど」
 わかっていて言っている。
「もしも俺が死――」
「だーっ! うっさいわい! 意味わからん言うとるやろ!」
 律儀に言い直そうとする蒋吏に対し、駄々っ子のように地団駄を踏む晦。
「おまえ、この戦がはじまる前に言うとったやろ」
 今朝、蒋吏は自分の部下となる歩兵たちに向かってこう告げた。「俺のような若輩者が千人を指揮するなど、未熟かもしれない。だが、こうして戦がある以上、放っておくことなどできない。今こうして皆とまみえることができたことに悔いはない。今は、ただ俺たちに託された責を果たそう」と。
「おまえ、それで責任が果たせるんか? 大将は最後まで部下を護らなあかんのやないか?」
「晦殿……」
 それまで黙って二人のやりとりを聞いていたシャルーンも会話に加わる。
「あたしみたいな端役にはね、雑兵がお似合いよ。蒋吏の代わりに千人長なんてご免だわ」
 肩をすくめてみせた。
「シャルーン……」
 晦は憮然とし、シャルーンは微笑んでいる。蒋吏は苦笑するしかなかった。
「わかった。では、千人長として命じよう。これから俺がすることを黙って見ていてくれ」
 言うが早いか、彼は軍列から飛び出し、ものすごい勢いで駆け出す。向かう先は、当然のように敵軍勢だ。両手には十手(じって)を備えていた。
 一瞬、茫然自失。すぐに復活した晦が「ぜんっっっっぜんわかっとらんやかないかっ!」と叫んで、蒋吏のあとを追った。
 兵士たちに動揺が走る。目立つ格好をした二人が大軍と大軍の間を、ぽつりぽつりと渡っていくのだ。ある者はぽかんと口を開け、ある者は「阿呆か」と漏らす。
 特に、蒋吏の部隊は、千人長の突然の行動にどう対処してよいかわからず、「客将殿を守れ」と動き出す者が出てきはじめた。ここ数日、森への火計の設置などで行動をともにした部下たちの中には、彼の人柄に惚れた者も多いのだ。
「動くな!」
 シャルーンが一喝した。
 その迫力に、しんと静まりかえる。
「蒋吏千人長の指示を忘れたの? 別命がない限り、あたしたちはこのまま歩調を合わせて進軍する」
 ようやく兵たちの動揺もおさまり、しぶしぶながらも通常の移動速度で前進をつづけ出した。
 そのような中、言葉とは裏腹にシャルーンの足だけがせわしなく歩を刻む。
「まったく、男って生き物はバカなんだから」

 そのころ、シャルーンによって名誉あるバカのレッテルを貼られた男ふたりは、言い争いながらも小鬼たちの群れに突撃していた。
「なぜついてきた?!」
「わしの勝手やろが!」
 蒋吏は鎧を身につけていない。スピードに主眼を置いた体術で闘うがゆえだ。
 まずは、狼狽しつつもようやく刀をかまえた黄色の小鬼に、十手を打ち込む。みぞおちに決まると、苦鳴をあげながら悶絶した。
「こやつらの急所は人間と変わらないようだぞ!」
 声を張り上げると、晦から返事がない。少し離れた位置で、木刀をふるっている赤い頭髪がちらついていた。
 四万対二人。人波に呑まれるとは、まさにこのことか。
 蒋吏には晦を信じるしか道はない。
 左右の十手を縦横無尽にふるい、時には蹴り上げ、時には頭突きを浴びせる。幸い小鬼たちの戦闘力は相当に低く、体力の消耗を最小限におさえながら、目的を達成できそうだった。
 彼は無目的で単独突入を決行したわけではない。可能な限り敵を引きつけ、厚い壁に少しでも穴を開けてやろうという魂胆があった。ゆえに、釣り針のように敵をひっかけたまま、徐々に移動しつつある。
「不殺(ふさつ)か。愚かしい行為だ!」
 暴力的な一撃が、圧倒的な風圧を引き連れて、蒋吏に襲いかかってきた。咄嗟に二本の十手を十文字に組んで受け止めたが、そのまま吹き飛ばされる。
 空中で身をひねり、赤鬼の頭を蹴って無事に着地した。睨みつける先には、明らかに雑兵とは違う鎧甲(よろいかぶと)を纏った大鬼がいた。蒋吏を殴りつけたのは、御伽噺(おとぎばなし)そのままの金棒だ。
「殺さずを決め込んで生き残れるほど戦場(いくさば)は甘くないぞ」
 大鬼が再び金棒を振りかぶった。
 と、そのまま前のめりに倒れる。
 周りの小鬼たちは何が起こったか理解できない。
 一閃。
 蒋吏の目にも留まらぬ一撃が大鬼の急所を突き、気絶させたのだ。
「次はどいつだ?」
 蒋吏の十手の先に、誰も立とうとはしなかった。

 全体を指揮する深矢もまた、兵卒たちと同じく、判断に迷った。
 蒋吏の(ついでに晦の)単騎駆けは計画になかったことだ。「勝手な真似を」と思う反面、彼らの勇気に舌を巻く。
「蒋吏客将の部隊を援護に向かわせますか?」
 そばに控えた夜鞍が女性らしい気遣いをする。本来なら九番隊の副将である夜鞍は、杷准将軍のそばに居るべき武将だ。今回、深矢が全軍を動かすにあたり、補佐として空瀬がつけたのが夜鞍だった。
 全体の指揮権を副将程度に奪われ、副官までも獲られたとあっては、杷准将軍の立つ瀬がない。しかし、これには七赤将軍である千淕までもが賛意を示したので、九紫将軍たる杷准にはあらがいようがなかった。このことが杷准の自尊心をいたく傷つけ、とある行動を取らせる契機となるのだが、それはまだ後の話だ。
「いや……それは客将も望んでいまい」
 実際、蒋吏千人長の部隊が単独で動き出す気配があったものの、今は落ち着いていた。
 これは蒋吏と晦が作り出した好機だ。彼らを見捨てさえすえれば。
 そして、それを本人たちも望んでいる。
「俺が行こう」
 ハンスが馬に拍車をかけようとする。乗馬の経験がない彼だったが、訓練するうちにみるみる上達し、今やプロ並みの技量を身につけていた。
「駄目です。それでは、騎馬隊に客将が居なくなってしまいます。客将が居ると居ないとでは相手に与える心理的な圧力が違うのです」
 凛は思考中継に専念するべく、みずから造った結界内に身を隠していた。隠行(おんぎょう)の力を発揮するその結界は、周囲の生き物の気をそらし、そこに凛がいることを認識できなくする。つまり気づかれないわけだ。彼はサンレイの破壊が終わるまで、結界内に居る予定だった。
 そうなれば、騎兵部隊に客将はハンスしかいない。
「凛殿の思考中継を利用して、各千人長に伝達する。客将が斬り込み、敵をひきつけている間に、敵陣形の逆側を突き崩す」
 夜鞍が何か言いたそうにしたが、無理やり飲み込んだ。
「ハンス殿もそれでよいですか?」
「シャルーンが動かない。俺もまた彼女と同じように、蒋吏や晦を信じるとしよう」
 言いつつも煙草に火を付ける仕草が少なからず苛立たしげだった。
「では、全軍に通達――」



▽第弐章 高天原会戦〜術士たちの焦燥〜▽

「おーい、いつまで歩きゃあいいんだ?」
 ぐったりした様子でダラダラと歩きながら、ミケランジェロがわめく。ベルナールが渋い顔で答えた。
「まだ歩きはじめたばかりだ」
「あぁ? そうかぁ?」
 気怠げに煙草をふかす掃除屋に、一瞬だけ殺意をおぼえる。そもそもミケランジェロもまた、ベルナールと同じく千人長のはずだ。それなのに彼は、どこをほっつき歩いていたものか、軍議に顔も出さず、そのくせちゃっかりと宴会の場には現れ、楽しく呑み明かしていた。
 もちろんミケランジェロは空瀬と密会していたのだが、本人が誰にも言わないため誰も知らない事実となっていた。
「霧ってやつは、ジトジトして気持ちわりぃな」
 翡翠は、まとわりつく湿気を払うように手のひらでパタパタやっている。
「この霧があるからこそ――」
 ベルナールが言いかけると、翡翠はささっと逃げていった。お小言がはじまると察したのだ。ここ数日ベルナールと行動をともにするうち、翡翠が新たに身につけたスキルだ。お小言察知技能とでも呼ぼうか。
「そうカッカすんなよ。そんなこっちゃいくら命があっても戦場じゃ足りねぇぞ」
 またもやギルが肩を組んできた。
 ギルは年上でもあり、戦場では先輩でもあるので、ベルナールはなんとも言いようがなく、「わかっています」と、そっと腕から抜け出すしかなかった。
 そんなベルナールを、面白がるようにギルはいじめる。翡翠が遠くで、くすくす笑っていた。
 根が真面目な魔術師には、どうにもこの法術部隊は馴染めなかった。総指揮官の千淕将軍からして細かいことにはこだわらないタイプだったし、ミケランジェロを筆頭に、ギルも翡翠も表面上は、きちっとしているとは言い難かった。もちろん彼らの内心を疑っているわけではない。この戦争に向けた気持ちは本物だろう。
 翡翠は、森全体に気配と魔力を隠す結界を張っている。さらには森の外側からは、何もないように見せる幻術まで行使しているのだ。そのうえ、桜の精霊である紅桜に攻城法術の強化まで行なわせている。気丈に振る舞ってはいるが、妖力の使いすぎによって、立っているのも辛いほどの虚脱感にさいなまれているはずだ。
 ベルナール自身も、濃霧の発生魔術で、残る魔力は攻城法術分を引くと下級魔法を数回分のみだ。
 その二人を気遣ってか、ミケランジェロは自分がひとりで攻城法術を発動させることを望んだ。他の法術兵たちを先に逃がして、なるべく早く安全を確保しようというのだ。
 護衛兵のギルにしても、表面上の軽さは、逆に頼もしさに見える。
 わかってはいる。わかってはいても、性分というのはどうしようもないもので……
 わなわなと魔術の杖をにぎりしめるベルナール。
「せめてもう少し緊張感を――」
「客将殿」
 法術兵のひとりが不安そうに彼を見ていた。はっとして、顔のこわばりを取る。
「大丈夫だ。翡翠殿の結界により、私たちの姿も見えなければ、気配すらわからないのだ。敵に見つかることはない。さらにはこの濃霧で火計が使えないと判断した敵は、この森の重要性を低く考える。近寄ろうともしない。私たちは私たちの任務をまっとうしよう」
 安心したのか法術兵は力強くうなずいた。
 ベルナールはこっそりとため息をついた。気苦労で、だんだん老けていっている気がする。
「戦いが、はじまったな」
 ギルが、森の木々によって閉ざされた空を仰ぎながら、誰にとはなく言った。耳にした兵士たちがざわざわとざわめく。
「わかるのですか?」
 周囲の疑問を代表してベルナールが訊ねると、ギルはにやりと笑った。
「空気が、な。戦場の空気というものは臭いからして違うもんだ」
 その場にいた誰もがギルの言葉を信じた。馬鹿にできないものが、ギルの態度に充ち満ちていたからだ。経験に裏打ちされた確かな予感とでもいうべきものだ。
「戦場の臭いってのは……」
 ミケランジェロが鼻をひくつかせる。
「血の臭いってことか?」
 不吉。
「違う。死の臭いだ」
 さらに不吉。
 ギルはそう言ってから、がっはっはと大笑した。
「客将ら、今し方、思考中継とやらで連絡があったぞ」
 千淕将軍が巨体を揺すりながら、木の枝を押し分けてやってきた。彼は全体を見渡せる後方から部隊を指揮していた。その彼みずからやってくるとは重要な情報に違いなかった。
「この思考中継というやつは便利だな。こいつがあれば、敵の三倍は早く動ける」
 まるで夢見る子供のように無邪気な笑顔で語る老将に、一同が冷たい視線を浴びせかける。
「お、おお、そうじゃった。高天原のほぼ中央で、我が軍と奇族どもが矛先を交えたそうじゃ。蒋吏客将、晦客将が先陣をつとめたそうじゃぞ。二人きりで四万の歩兵に挑むとは、真にあっぱれじゃ」
 ミケランジェロとベルナールが顔を見合わせる。
 それは、たった二人で突入したということだろうか。言葉通りに取ればそうとしか考えられない。いくら戦闘能力が高いからといえど無茶をする。
「それで二人は?」
 ミケランジェロの質問に、千淕はしばし沈黙する。思考中継によって状況を知ろうとしているのだ。
「待てよ、待てよ。二人とも健在のようだ。おほ! 深矢め、こわっぱのくせにやりおる。二人が敵右翼に作り出した混乱に乗じて、左翼を叩きに行くそうじゃ」
「それは、戦術的に二人を見殺しにする、とうことですか?」
 ベルナールの灰色の瞳が鋭さを増した。ミケランジェロまでが剣呑な雰囲気を放つ。
「まぁ、そういうことじゃな」
 事も無げに言い放つ千淕に、離れて聞いていた翡翠までもが憮然として歩み寄ってくる。
 ベルナールが抗議の声を上げようとしたとき、
「ふん! ひよっこどもがピーピー騒ぐな!」
 一喝したのはギルだ。
 槍を地面に突き立てる音が、うわついた空気を霧散させる。
「ここをどこだと思っている? あぁ? 戦場だぞ!」
 しんと静謐(せいひつ)がおとずれた。
 静謐とは破られてはならない無音のことだ。それは誰にも壊されない。
「わかったのなら、足を動かせ。ボウズどもの仕事はそれだろうが」
 ミケランジェロもベルナールも翡翠も、他の法術兵たちも、前方をきっと見据えた。彼らに後ろを振り返る暇などないのだった。



▽第弐章 高天原会戦〜火を噴く女神の砲身〜▽

 シャルーンは、右の黄鬼を日本刀で叩き斬り、左の青鬼をチェーンソーで両断しつつ、正面の赤鬼をブーツで蹴り飛ばした。不整地用にブーツの底には鋭い棘が付いている。蹴られた赤鬼は、紫の血を吹き出しながら倒れ込み、他の小鬼たちに踏まれ、絶命した。
 そんな彼女の頭に直接声が届く。凛からの指示を受け取り、シャルーンは表情をほころばせた。
「いったん後退して、東側から回り込む! 蒋吏たちの援護に行くよ!」
 シャルーンの出した指示が千人に伝達されていく。蒋吏がいない間、結局は彼女が全体を統率していたのである。
 ようやくお許しが出たことで、シャルーンも兵士たちもいよいよ気合いが入った。本当は皆、今すぐにでも二人を助けに行きたかったのだから、当然だ。
 遠くで悲鳴が聞える。そちらでは味方の兵が苦戦していた。
 シャルーンは右手の日本刀をレールガンへと変化させた。彼女の義手はどんな武器にでも換装可能なマルチウェポンと同じだ。
 味方だけには当たらないよう、あとはめくら撃ちでレールガンをぶっ放す。炸裂した弾丸は、十数人の小鬼を巻き添えにして爆発した。
 砲撃のノックバックで身体が傾(かし)いだが、その隙を敵に突かれることはなかった。なぜならその瞬間、戦場が凍り付いていたからだ。
 レールガンの発射音も、着弾音も、爆発音も、奇族にとっては生まれて初めて体験するものだ。唖然とするのも仕方がない。
 事前に聞いていたはずの九神兵までもが止まっているのに気づき、シャルーンは荒っぽく大声を出した。
「もう一発いくよ! 吹き飛ばされたくなかったら道をあけな!」
 奇族たちは恐れおののき、人族は力づけられた。味方が勢いづくのがわかる。
 実際はシャルーンにもう一発撃つつもりはなかった。今回の戦いでは無駄に発砲しないよう決めていたからだ。鉄製の武器が少ないこの世界では、弾丸の元となる金属を補充するのが難しい。
 しかし、このあと彼女は残弾すべてを撃ち尽くすことになるとまだ知らない。
「牽制になれば、それでいいわ。あとは那戯さんが準備した花火があるし」
 戦場を駆け抜けながら、自嘲の念がわき起こる。
 久方ぶりの力試しのつもりで受けた依頼だった。ところがこうして戦っていると、本当の理由が実感できる。ただ異能の者同士が意味も無く戦いつづけるこの世界が憎らしくも懐かしかったからなのだ。

 深矢の胸中に再び迷いが生じていた。
 彼をサポートすべき夜鞍はシャルーンのレールガンを目の当たりにして青ざめている。意見を求められる状態ではなさそうだ。
 今のところ歩兵戦は順調に進んでいると言える。問題は次の一手だ。
 那戯の虎の子、火薬を仕掛けるのはサンレイ破壊後となっていた。となれば、それまでは手持ちの駒で対応するしかない。残る手駒は、騎兵とハンスのみ。
 東側は蒋吏と晦によって、西側はシャルーンたち歩兵軍によって、上手く戦況を混乱できている。しかしそれも限界に近づきつつあった。だんだんと数の差が出てきつつある。
 騎兵を東側に差し向け、蒋吏と晦に注意を向けている敵を蹴散らすべきか、西側に差し向け、歩兵とともに敵を蹴散らすべきか。
 そのとき、天が深矢たちに味方したと思われた。鬼王軍の騎兵が動き出したのだ。
「騎兵部隊、出陣する! 私につづけ!」
 間髪入れずに鐙(あぶみ)を蹴る深矢。
 半歩遅れてハンス。さらに一歩遅れて夜鞍。
「どうするんだ?」
 ここまで我慢して、ようやく動き出すことを許されたハンスは、ここぞとばかりに馬を飛ばしている。
「ハンス殿とシャルーン殿が造ってくださった罠を使います」
「なるほど。あの作業は無駄にならずにすんだか」
 ハンスは一晩中続いた土木作業を思い出し、うんざりした気分が多少甦った。



▽第弐章 高天原会戦〜ホトリの不安〜▽

「騎兵は西側の河川沿いを進軍?」
 ホトリは思わず聞き返した。
「はい、フツツ将軍の御命令です」
 鬼王軍にとって戦局は好ましいものではなかった。圧倒的な数の差があるにもかかわらず、全軍が押しとどめられているのだ。
 その理由のひとつに陣形がある。
 数の利を活かすなら、横に長く隊列を組み、相手を押し包むように潰していくのが有効である。ところが、西の河と東の森に近づかず、正面突破するため、どうしても狭い平原で縦長に隊列を組まなければならない。この点は、まさしく凛の策略どおりなのだが、ホトリは気づいていない。
 それでも兵力差はかなりあるはずだ。十分に押し切れるはずだった。
 うとましいのは銀幕市から来たという兵士たちだ。たった二人で東側の戦場を混乱に陥れている。ホトリは「二人の存在を無視して突撃せよ」と告げたのだが、伝令が遅くなっているようで、いまだもたもたと戦いつづけている。
 このような状況に業を煮やしたフツツ将軍が、騎兵を西側から回して敵の側面を突く作戦を実行したのである。先ほど炸裂した巨大な爆発も将軍の焦燥に火をくべたに違いない。あれは法術などではなかった。未知の攻撃、おそらくはこれも銀幕市民の仕業だ。
 間違ってはいない。西の河にあるという罠は偽物なのだ。堤防工事など間に合うはずがない。そこを通ることに問題はないのだ。
 なのに不安が頭の隅をかすめる。なにかを見落としている気がする。ただの気のせいかもしれない。だが、なにかがひっかかる。
 ただそれ以上は思考が進まないのもまた事実だった。
「騎兵は西側から回り込む」
 ホトリは思い切って命令を下した。

 深矢からの伝達を受け、凛は結界内でその旨を空瀬将軍と那戯に送った。
 その風体には憔悴の色が濃い。戦場に乱れ交う思考の波をとらえ、的確に中継するのは非常に精神力を消耗する。
 さらには凛自身が、各部隊から送られてくる情報をすべて集積し、手薄になっている部分に兵を送るなど、さながら盤面の駒を動かすように指示を出していたのである。盤面の駒を動かすといっても、駒ひとつひとつに命がある以上、ゲームのようにはいかない。慎重に、かつ大胆に。彼の提案した漣河の仕掛けが威力を発揮することを祈りつつ。

 空瀬は、城壁の物見台から戦場を見渡していた。
 そこからなら高天原のほとんどを視界に入れることができる。部下が生きる様も、死ぬ様も両の目に焼きつけることができるのだ。
「これで撤退の機会もつかみやすくなった。那戯殿であればどう出る?」
「そうだねぇ……」
 那戯は城壁の上から足を放り出し、ぶらぶらさせている。
 部下たちがいくら危険だと諫めても、二人はこの場所から動こうとはしなかった。皆が命を投げ出している以上、自分たちだけ安全な場所でのうのうと指示など出せるはずもない。
「この様子だと、敵さん、すっかり俺様たちの詐欺にひっかかっちまってっからなぁ。河付近で騎兵同士、一戦交えて、即撤退。堤防の罠に引き込んで、ドカン。歩兵もいっしょに退いた方がいいかもね。そろそろ劇薬も切れてヤバイころさ。全軍で撤退した方が相手も追ってきやすいだろ」
「ふむ、同意見だ」
「ここで被害を最小限にとどめるのが将の器ってやつだぜ」
 振り返ってにやにやする那戯に、空瀬は苦笑する。
「相変わらず手厳しいな」
「そりゃどーも。褒め言葉と受け取っとくぜ」
 草原にいまだ人族の血は思ったほど流れていない。蒋吏と晦が東に注意を引きつけてくれたので、西は有利に戦いを進めている。シャルーンの力も大きい。とは言え、じょじょに押されつつある。
 血みどろの撤退戦はこれからだった。



▽第弐章 高天原会戦〜血みどろの撤退戦〜▽

 ハンスは、蒋吏や晦と同じように先陣を疾駆していた。
 彼の乗馬は漆黒の毛並みを持った牝馬で、九神軍でも指折りの駿馬(しゅんめ)だ。深矢は指揮官であるので、後方に控えている。隣には夜鞍が轡(くつわ)を並べていた
「客将殿、あまり突出なさらぬよう」
 夜鞍に言われ、歩速を落とす。
「どうにも気が昂ってしまうな」
「客将殿でもそういうことが?」
 夜鞍が意外そうにしているのは、ハンスが何事にも動じない、よく言えば冷静、悪く言えば冷血漢という印象を持っていたからだ。
「ああ。それに、この手の昂奮は嫌いじゃない。それより、俺は、あんたのような女性がここにいることの方が不思議だ」
「空瀬将軍も女ですよ」
「それとこれとはまた別だろう」
「どこが別だというのです?」
 眉根を寄せるハンスとくすくす笑う夜鞍。
「あ、いや、なんというか、空瀬将軍は似合うが……」
「私には似合いませぬか?」
 さらに困るハンス。笑いをこらえきれない夜鞍。
「来ました」
 すっと笑みを消して夜鞍が告げる。
 ハンスと夜鞍の行く手に人馬の壁が立ちふさがっていた。二人の後ろには八千の味方、前には二万四千の敵。
「騎兵同士の戦いは――」
 夜鞍が忠告を終える前に、ハンスは腰の長剣を抜いていた。夜鞍たちが使う大刀とは違って、直刃で幅広の刀身を持ち、柄は片手持ちのため短めだ。
「俺は俺の戦いをする。あんたは深矢を補佐しろ」
 返事も聞かずに、スピードを上げた。
 蒋吏や晦を真似るつもりはない。味方が戦いやすいよう、引っかき回す役を買って出たつもりだ。
 周りの景色がぐんぐん後ろに流れていき、敵騎兵の姿がみるみる大きくなっていく。
 騎馬同士がハイスピードですれ違う。その刹那に交わせる刃は一合か二合が限界だ。
 他の騎兵より数秒早くハンスが最初の獲物を仕留めた。
 長剣の一振りで大鬼の首が宙を舞う。返す刀で二匹目の胸を斬り裂き、三匹目は脇腹を薙いだ。
 高速で振るわれる剣は、鬼たちの目でとらえることはできない。ハンスの黒いコートが翻り、そのあとには屍の山が築かれる。モーゼのごとく、生者の海を割って走る。
 そこに後続の味方が突っ込んだ。
 出鼻をくじかれた鬼騎兵は総崩れとなった。

 晦は獅子奮迅の奮闘ぶりだった。
 紅の衣は刀傷でぼろぼろになっており、片袖はすでにない。高下駄もどこかで小鬼に投げつけたので裸足だ。それでも身体にはかすり傷程度しか負っていないのはさすがだ。
「わしはここにおるで!」
 叫びつつ殴り倒した小鬼は、もう何体目か判然としない。
 彼の武器は、破邪の紋が刻まれた木刀だ。特別な力も持った木刀は、鉄よりも硬く、火でも燃えない。奇族たちの刀とぶつかり合っても、傷ひとつ付かなかった。
 その武器で、立ちふさがるすべてを叩き伏せていく。
 晦は守るためにこの戦に参加した。いま彼がひとりで戦うことによって、味方の兵たちは死なずにすんでいる。助けがこないことすら、彼にとっては喜ぶべきことだった。
 ただ気になるのは蒋吏のことだ。敵陣に突入してすぐにはぐれてしまったが、無事にしているだろうか。
「蒋吏! 無事か?!」
 空に向かって叫んでみる。
「無事だ」
「うわっ! そんなとこにおったんか?!」
 すぐ後ろで、蒋吏が小鬼を蹴散らしていた。
 蒋吏もまた衣服が破れ、みすぼらしい格好になっていたものの、たいした怪我はない。数珠だけは意識して大事にしているのか、糸を切らして落としたりはしていないようだ。
「晦殿が、撤退の指示が出たにもかかわらず気づいておられなかったようなので……」
「撤退? ウソや。そんなん聞いてないで」
「たぶん夢中になりすぎて凛殿の思考が届かなかったのでしょう」
「あっちゃー、それで迎えに来てくれたんか?」
 蒋吏は無言で首肯した。
「シャルーンの率いる部隊が到着するので、そちらに合流しましょう」
「よっしゃ!」
 二人は背中合わせに、木刀と十手をかまえた。
 彼らを中心にして不自然な円形の空洞ができている。小鬼たちが攻めあぐねているのだ。
「ん? なんや敵の数が少なくないか?」
 晦の疑問ももっともで、餌に群がる蟻のように無数に居た小鬼たちが少なくなっている。
「どうやら俺たちを最小限の人数で足止めし、本隊は城へ進軍することにしたようだ」
 蒋吏の言を証明するように、歩兵がぞろぞろと城の方角へと進軍していた。ようやくホトリの命令が届いたのだ。
「どうせ撤退するんやから好都合っちゃー好都合か?」
 晦が小声で囁くと、蒋吏も「ですね」と返した。
 そこに二人の名を呼ぶ声が届いた。包囲の一角を崩しながら、九神の兵士が近づいてくる。先頭を走っているのは、当然のごとくシャルーンだった。
「蒋吏! 晦!」
 ここまでの道のりの過酷さを物語るように、彼女は奇族の血で紫色に染まっていた。
「久しぶりやな」
 ウィンクする晦に、シャルーンは半眼を向けた。
「そんな顔すなや……」
「それよりも早く撤退しよう。他の歩兵たちはすでに撤退をはじめている。取り残されるぞ」
 何事もなかったかのように言うので、今度はシャルーンの半眼が蒋吏に焦点を合わせた。
「うっ……ぐっ、す、すまなかった」
「ま、男なんてそんなもんよね、仕方ないから許してあげる」
「そ、それもなんか違う気がすんねんけど……」
 晦が困って頭をかいたとき、にわかに空がかき曇った。シャルーン、蒋吏、晦と、千人弱の兵士たちがいっせいに上空を見上げた。
 雨雲かと思われたそれは、無数の魔鳥(まちょう)の群れだった。業を煮やしたフツツ将軍が、騎兵だけではなく、術兵をも戦場に投入したのだ。魔鳥は術兵によって召還される無尽蔵の兵力だ。
 三人の脳裏を稲妻のごとき閃きが走った。
 魔鳥は嘴にくわえた短槍でもって地上の敵を攻撃する。
「全員、上空からの攻撃に備えよ!」
「みんな、上よ!」
 蒋吏とシャルーンがほぼ同時に叫んだが、時すでに遅く、魔鳥たちが次々と槍を投擲する。彼らの周囲に、小鬼たちはほとんどいない。味方が巻き添えを食うこともないので、投げたい放題だ。
 敵のまっただ中を突き抜けてきたため、蒋吏の部隊は密集体型を取っている。相手は狙い澄まさなくても、ただ投げるだけで誰かに当たる。甚大な被害が予測された。
 ところが、槍の半分くらいが彼らを無視して、別の場所にいる小鬼たちに降り注いだ。
 晦だ。彼の首にさがっている宝玉が光を放っている。
 父からもらったその宝玉には強力な神通力が秘められており、相手の動きをある程度操ることができた。魔鳥が狙いをはずしたのは、晦が全力で可能な限りの敵の動きを操ったからだった。
「今のうちや!」
 晦の合図で、全員が城へと向かって後退をはじめる。槍を受けて命を落とした者もいれば、負傷した者もいる。進行速度は速くはない。
 すぐに第二波が迫ってきた。
「弾丸の補充がきかないからって、そうも言ってられないわね」
 シャルーンが舌打ちして、両腕をマシンガンに変えた。魔鳥の群れに銃口を向け、乱射と呼ぶにふさわしい撃ち方をする。
 弓矢の届かない高見から攻撃をしていた魔鳥たちは、すっかり油断しており、何十羽という数があっさり撃ち落とされた。
「那戯殿の仕掛けは?」
 蒋吏が焦って凛に思考通話を送る。魔鳥対策として、煙の出る花火で牽制する計画だったはずだ。
「返事は?」
 訊ねる晦は、宝玉を両手で捧げ持ち、大量の汗を流しながら術を行使していた。数体の魔鳥がお互いに槍を突き刺し合って落ちていく。
「火薬部隊はもっと後方にいる。俺たちは敵陣に深く入り込み過ぎた」
 蒋吏は唇を噛みしめた。自分たちを援護に来たがために、彼の部下は撤退から取り残されつつあるのだ。
「客将のせいではありませぬ」
 それを察したのか、近くにいた部下が力強く言った。
「我々は客将殿の力になりたく思い、みずからの意志でここに来たのです」
 他の部下たちも志は同じとばかりにうなずいた。
「――俺がしんがりをつとめる。皆は先に……」
「あんたねぇ、千人長は先頭に立ってみんなをひっぱっていくものでしょう?」
 シャルーンが、今度は許さないとばかりに、蒋吏の背中を押す。
「今度はあたしの番よ」
「そやそや、誰かが前を斬り開いていかんとな」
「晦、大丈夫なの? 顔色が悪いわよ?」
「はぁ? 誰に言うてんねん。これくらいでへばるかい! シャルーンこそ、弾の撃ち過ぎで腕が短くなってきとるやんけ」
「ちょっと長すぎるって思ってたからちょうどいいわ」
 減らず口をたたき合う晦とシャルーンに律儀に一礼して、蒋吏は部隊の先頭へと走った。
 できるだけ多くの仲間とともに無事に帰りたい。三人の想いは共通していた。



▽第弐章 高天原会戦〜水流瀑布、敵を押し流す〜▽

 ホトリがその可能性に思い至ったとき、すべては遅きに失していた。
 彼はいま、騎兵を率いて西の漣河沿いを南下している。中央平原で交戦している歩兵部隊を側面から攻撃するためだった。ところが、その動きを読んだかのように、敵軍勢の後背から騎兵部隊が迎撃に出てきた。それと連動するように、歩兵が後退をはじめたので、横合いを突くことができなくなり、正面から騎兵を相手どることになった。
 ここまでは特にまずいことはない。騎兵同士であるのだから、数が上であるホトリ側に軍配が上がるはずだ。
 予測どおり、すぐに鬼王軍の方が優勢となった。
 ひとり黒衣の若者が、縦横無尽に駆けめぐり、その力をしめしていたが、しょせんは個人の力だ。大局を動かすほどのものではなかった。
 最初に疑問を持ったのは、敵騎兵の一部隊の動きだった。
 なぜかその部隊だけ漣河に近づこうとしないのだ。どう考えても河沿いから攻めた方がいい場面で、わざわざ遠回りしている。
 まさかとは思うが、河に堤防が完成しているのでは、と気になった。一気に背筋が凍った。
 もし仮に堤防が完成しており、それをここで決壊させられたら、自分たちはきれいに誘い込まれたことになる。
「全軍、いったん停止、いや後退せよ!」
 あわてて伝令を出したが、敵もすでに後退し出している。巻き添えを恐れてのことだと、ここに至ってホトリは水計の存在を確信した。

 ハンスは味方の損害を最小限にするべく、最後列で剣を振るっていた。
 その刃は数え切れないほどの命を吸い、妖しくきらめいている。二万四千の敵中を単騎で動き回り、ほぼ無傷という神業を成し遂げた彼に、挑んでくる鬼たちは少ない。極端な話、ハンスが近づけば敵は逃げる。それだけで、しんがりをつとめている意味があった。
 そこに夜鞍が馬を寄せてきた。
「ハンス客将、深矢副将から伝言です。堤防のことを敵に気取られたようなので、すぐに決壊させるそうです。ですから――」
「即座に撤退か?」
「はい」
 そう言われれば、押していたはずの鬼王軍がなぜか理由もなく退いているのが見て取れた。
「これは成功か? 失敗か?」
「え? そうですね。成功とは言えないかもしれません。最大の損害は与えられないでしょうから」
「だったら、俺がもう少し狩りに出よう」
「え?! それは――」
「俺のことは気にするな。すぐに水を解き放ってくれ」
 またもや返事も聞かずに、敵陣目がけて特攻する。
 漆黒の人馬を目にしたすべての小鬼が恐怖し、そして絶望した。
 銀色の剣線が舞い、死が量産される。ほぼ無抵抗の相手を斬り捨てることに多少の罪悪感があるが、ここが戦場であり、そのような感傷が命取りであるともわかっている。
 ハンスは、水計にかかるはずだった予定のダメージを現実にするために、一直線に進んだ。
 悲鳴と怒号が飛び交う中、ほどなく彼はひどく目立つ銀色の髪の若者を見つけた。
 直感的に指揮官だと感じ、そちらに馬を走らせる。
 護衛と思われる兵士が二人ほど立ちはだかったが、それぞれ一振りで始末し、銀髪の若者に剣を振り下ろした。
 鋼同士が歯咬みする音が響き、はじき返される。ハンスは少なからず動揺した。彼の剣を受けきった奇族は、この日、この若者が一人目だ。
 二合、三合と打ち合ううち、また別の悲鳴が聞えてきた。「水だ!」「逃げろ!」などといった声も混じっている。
 ハンスは潮時を感じた。指揮官らしき人物を仕留め損なったのは痛いが、もう充分だろう。なにより濁流が押し寄せる音もまた彼の背後に迫っていた。
 若者の刀を大きく押し返し、前方に馬を走らせた。銀髪が追ってくる気配はない。彼も逃げるので精一杯だろう。
 少し馬を走らせると、すぐに目の前が大きく開けた。そこには敵の姿も、味方の姿もない。
 くるりと振り返ると、騎兵が濁流に飲まれている光景が広がっていた。
 ハンスはたったひとりで敵陣を貫いてみせたのだった。

 ホトリは震える手で手綱をにぎり、必死に指揮を執っていた。指揮といっても、とにかく逃げろとしか言いようがない。どうやって為し得たのかは理解不能だが、九神軍はやはり堤防を完成させていたのだ。
 水に押し流された兵士は何人くらいだろうか。このあとどう立て直すか。問題は山積みだったが、うまく頭が回らない。
 恐怖のせいだ。
 黒装束の男。
 あと数秒、時間があれば、斬られていただろう。それほどに恐ろしい剣の使い手だった。
 たった二人で特攻してきた歩兵といい、黒装束の男といい、銀幕市民の戦闘力にはただただ驚かされる。
 今は客人として本陣に迎えられている神凪華もこれほどの力を持っているのだろうか。そうであるなら、フツツ将軍の命があやうい。このこともすぐさま本陣に伝えなければならない。
 彼女はこの水計のことは話していたが、森に準備されていた火計については話題にしなかった。華が本当に裏切り者であれば、森の火計についても話すはずであるし、裏切り者でなければ……
 そこまで考えて、ホトリに天啓が閃いた。
 裏切り者でなければ、『東の森を通れ』などとは言わずに、『西の河を通れ』と言うはずではないだろうか。そのほうがこの水計の効果が増したはずだ。
 もしかしたら、敵の狙いは、この水計ではないのかもしれない。ましてや森の火計でも。自分たちは大きな勘違いをしていたのではないか。
 いま鬼王軍の置かれている状況で、相手が得をしている点とは何であろう。
 フツツ将軍は、西も東も捨て、中央突破をはかった。その結果、軍列が厚くなり……
 動けなくなったのは、サンレイだ。この水計にしろ、火計にしろ、まったくサンレイとは関係ないところで動いている。そんなことはあり得ない。あり得るはずがない。
 敵が、こちらの最大戦力であるサンレイを完全に無視した作戦を立てるはずがないのだ。
「しまった!」
 自分自身を殴りたい衝動に駆られる。
 真の狙いがサンレイとして、何かがあるとしたら、場所はひとつしかない。西の河にこの堤防の罠、中央の平原に兵士、残るは東の森だ。
 火計も、霧も、すべてが罠なのだとしたら。
「今すぐ本陣に伝えよ! サンレイに攻撃を命ずるのだ!」
「サンレイ、ですか? ええっと、どこを攻撃すれば?」
 理解できずにいる伝令に、ホトリは珍しく苛立ちを隠さず言い放った。
「森だ。とにかく、東の森を最大射程で攻撃せよ」
 敵が潜んでいるなら、サンレイの攻撃が届くギリギリの場所に居るに違いない。
「それから、歩兵の一部、そうだな、二千人を至急森に向かわせろ」
 部下は首をひねりつつも「はっ!」と答えて走り去った。ホトリ自身は騎兵部隊を立て直さなければならない。
 間に合うだろうか。ホトリはとにかく心を落ち着けるために深呼吸をした。


▽第弐章 高天原会戦〜法術陣、そして術士たちの戦い〜▽

 すべての準備は整っていた。
 ベルナールを中心に、法術兵たちが急ピッチで法術陣を描いていく。木々が邪魔になったときには、護衛兵たちが切り倒した。
 翡翠は攻城法術を強化すべく紅桜とともに動き回っていた。
 一番何もしないかと思われていたミケランジェロは、法術陣をさらに強化する図柄をその場で考案し、部下に描かせていた。さすがに芸術の神といったところで、図案は絵画的でとても方陣には見えない。そのうえ理にかなっているのだから、ベルナールや翡翠は感嘆するしかなかった。
 こうして完成した法術陣は、九神の術兵だけで造るものの、十倍以上の出力を可能にするものとなっていた。
「これなら確実にサンレイってやつをつぶせるな」
 翡翠が肩で息をしながらベルナールに言う。精神的にも肉体的にも限界がきていた。
 それはベルナールも同じで、本来ならその場に座り込みたいところだが、千人長の威厳を保つために背筋を伸ばして立っている。
「あとは発動準備だ」
 法術陣を発動させるには呪文の詠唱や、ある程度のまとまった魔力が必要だ。それに関してはミケランジェロがひとりで受け持つことになっていた。これは彼みずから言い出したことで「なにも全員が危険を冒してまで、いつまでも法術陣にとどまる必要はない」とのことだった。
 ミケランジェロは魔力の集積地点、つまり円の中心に、けだるそうに座している。のんびりと煙草をふかしているが、彼なりの精神集中だったろう。
「じゃあ、ミケランジェロ。あとは頼んだぜ」
 翡翠が呼びかけると、軽く片手を挙げて応える。
「よし、それでは全員すみやかに撤退する」
 ベルナールの指示で、法術兵が立ち去る準備をはじめようとした、まさにそのとき。
「まずいことになったぞ」
 剛胆でなる千淕将軍が顔を青ざめさせていた。その手には大刀を握りしめている。
「凛殿から連絡があった。歩兵二千がこの森に向かっておるそうじゃ」
 将軍の心情が伝播し、千人の術兵がいっせいに肝を冷やした。それこそ絶望的な状況であったからだ。
「見つかった、ということか?」
 うなるベルナールに、「おそらく」と千淕。
 沈黙が落ちた。
 彼らを守る護衛兵は百名足らずしかいない。これは戦術上、仕方のないことだった。そもそも見つかることを前提に決めた人数ではなかったからだ。攻城法術の発動まではまだ時間を稼ぐ必要があり、それには二千の歩兵を足止めしなければならない。誰がそれを実行するというのか。
「二千対百か、おもしろい」
 沈黙を破ったのは、ギルだ。平然とうそぶいてみせる。いや、彼の場合、本当にそう思っているかのような不敵な貌(かお)だ。
「おめぇら! 俺たちの死に場所はどこだ?」
 ギルが槍の穂先で護衛兵たちを指し示す。
「この役目を買って出たときから、決まってるよな?」
 護衛兵たちの目に迷いはない。
「イイ目だぜ…… いいか! 守るべき者たちよりも後ろで倒れるこたぁ、この俺が許さねぇ! 俺たちの死に場所は、こいつらより前だ!」
 ギルの覇気が兵士たちを奮わせた。一斉に腰の大刀を抜き放つ。
「って、わけだ。そっちの兄ちゃんが法術陣を発動させるまで、なんとか時間をかせぐからよ」
「ギル殿」
 ベルナールが真剣な面持ちで彼の前に立った。ギルは「あん? また、お小言か?」と皮肉げに唇を歪めた。
「正直に言えば、私はあなたのような人種が好きではありません」
 ギルが苦笑する。
「ただし、あなたの生き方は尊敬に値する。まだ補助魔法のひとつやふたつは使えます。私もともに参りましょう」
「はぁ?」
「だったら、俺も行くしかねぇな。ベルナールにだけ、かっこつけさせるわけにはいかねぇぜ」
 ふらつきながら、翡翠が顔を覆っていた呪布をはずした。素顔が風にさらされる。それは彼がすべての力を解放することを示しており、本気になった証だった。
「私もおともいたします」
 法術兵のひとりが名乗り出た。
「私には法術を使う余力はもうありません。でも小刀をふるう力くらいは残っています」
 法術兵は護身用に小刀を携帯している。とはいえ、荒事は専門ではない。本当にわずかな時間稼ぎにもならないだろう。それでも彼は行くと言う。
「では、私も」
「俺も行きます」
「俺だって」
 次々と法術兵たちが小刀を引き抜く。鎧も身につけていない、ろくな訓練も受けていない。ただ死地へと。
「これで、二千対千百です」
 ベルナールが肩をすくめると、ギルは「バカばっかりだぜ!」と大笑を響かせた。
「ふむ、では全軍出陣、ということじゃな」
 千淕将軍もすでに臨戦体勢だ。早く抜刀したくてうずうずしている様子で、鍔をがちゃがちゃ鳴らしている。
「あとは頼んだ――」
 ギルが振り返ると、すでにミケランジェロは瞳を閉じ、座禅を組んで、法術陣の発動に入っていた。千の敵が迫っていると聞いた瞬間に、できるだけ早く攻城法術を完成させることが自分の使命だと理解し、いち早く動き出していたのだ。



▽第弐章 高天原会戦〜犠牲〜▽

「早よぅ、逃げんかい!」
 疲労のため足がもつれた兵士を抱き起こしながら、宝玉の力で小鬼たちを同士討ちさせる。飛んできた矢を木刀でたたき落とし、降ってくる槍を素手でつかまえる。
 地には小鬼の群れ、天には魔鳥の群れ。無尽蔵の敵。
 晦は気が狂いそうだった。せめて自分の目に映る範囲の味方は、せめて自分の手に届く範囲の味方は、そう思って守っていたが、それすらもままならない。ひとりの命を救えば、ひとりが命を落とす。また別のひとりを助ければ、最初に救ったひとりが命を落とすのだ。
 視界の隅に、弓箭隊(きゅうせんたい)が矢をつがえる姿がよぎった。
「うああああああっ!!」
 晦は首からさげていた宝玉を右手で引きちぎると、天高く掲げ、力を使う。
 数百本という矢が放たれたが、すべてが軌道を変え、九神軍に届く前に地面に落ちた。
 敵は再び次の矢をつがえる。きりがない。
 晦は自分の考えが甘かったことを痛感していた。
 ひとりで敵地に突入した際には、己の身ひとつを守ればよかった。なんとも簡単で、気楽なことだ。
 他人の命を守ることのなんと難しいことか。
「晦! ぼんやりしてると死ぬわよ!」
 彼の背後から襲いかかってきた赤鬼を、シャルーンがチェーンソーで斬りつけた。
 彼女の左腕は、ない。マシンガンと弾丸に変え、腕がなくなるまで撃ち尽くしたのだ。
 那戯が準備しておいた花火が功を奏して、魔鳥の攻撃は散発的となってはいたものの、それで数が減るわけでもない。途中、死亡した兵士の武具で鉄を補給しつつ戦ったのだが、魔鳥の軍勢に対して焼け石に水といった状況だった。
「蒋吏がひっぱっている先頭が、本隊と合流したそうよ。あたしたちも行きましょう」
「くそっ! わしはいったい何人殺してしもたんや!」
 晦が木刀を地面に突き刺した。苦渋をにじませながら、うつむいている。
「うぬぼれないで。一人でできることなんて、しょせんたかが知れてるわ」
 シャルーンは淡々とした口調で告げた。生きてきた年数は晦の方が長いかもしれない。しかし、幼い頃から戦いに身を置いていた彼女とは経験が違う。
「あたしは目の前で親しい人たちをたくさん失ってきたわ。だから、いつも自分にできる精一杯のことをするだけよ」
 シャルーンはくるっと身を翻すと、あとは一顧だにせず、生き残った味方のあとを追った。
 晦は忌々しげに木刀を引き抜くと、壊れるくらい強く、手のひらの宝玉をにぎりしめた。
「わしにはまだできることがある……」
 力強く振り返ると、シャルーンが、後退する自部隊の最後尾を守りつつ奮戦しているのが目に飛び込んできた。駆け出す。
「シャルーン! わしが防御に専念する。われは攻撃に専念せい!」
 木刀をしまい、宝玉の力を全開にして敵軍の行動を操る。
 シャルーンはふっと口元を笑み崩すと、「これが最後よ」と右腕をレールガンへと変える。
「二人とも無事か?」
 ちょうどそこへ蒋吏も駆けつけた。
「戻ってきたの?」
「戻ってきたんかい?」
 蒋吏は何も答えず、二人を守るように十手をかまえた。
 飛び道具や魔鳥の攻撃は晦が防ぎ、近づいてきた歩兵は蒋吏が倒し、シャルーンがレールガンですべてを吹き飛ばす。三位一体の動きにより、鉄壁の布陣が敷かれた。
 
 ずぶ濡れのハンスが、深矢たち騎兵部隊に合流したとき、すでに敵騎兵は体制を立て直しつつあった。
「立ち直りが早い」
「指揮官が優秀なのでしょう」
 深矢の独り言に、夜鞍が答えた。
「銀色の髪の男だ」
 流れる滴を払いもせず、遠く敵影を眺めつつ、ハンスがつぶやく。
「銀色……奇族にしては珍しいですね」
 夜鞍が首をかしげた。彼らはまだホトリの名を知らない。
「あとはサンレイへの攻撃が間に合えばいいのですが」
 歩兵二千が森へ向かった時点でこちらの策は露見したと考えていいだろう。あとは時間との戦いだ。
 深矢の心に、凛の思考中継が入る。
「そうですか、術兵もともに……」
 二千の歩兵に対して、百の歩兵と千の術兵で時間を稼ぐという知らせが届いたのだ。それを聞いた深矢は、指揮官として非情に徹し、夜鞍は沈痛な面持ちで祈りを捧げる仕草をした。
「そもそも、なぜ作戦がバレた?」
 ハンスの疑問はもっともだ。途中まではうまくいきかけていたのだ。相手はおそらく森の法術兵に気づいていなかったし、漣河のトラップにも感づいていなかった。
「いろいろと積み重なって、だとは思いますが、不審に思われた可能性があるとすれば、騎兵の動きでしょうか」
「騎兵の動き? こちらのか?」
「はい」
 なんとなくはっきりしない物言いだ。奥歯に物が挟まったような。
 ハンスが眉をひそめると、深矢に代わり夜鞍が言った。
「九紫将軍、でございますね」
 九紫将軍――杷准は、全体ではなく一部の騎兵のみ指揮権を与えられていた。これは空瀬の決定であり、異議の申し立ては許されなかった。たかだか副将である深矢が騎兵の全権を任され、あまつさえ補助に夜鞍という副官まで付けられたのだ。杷准としては面白いはずがない。
 杷准は奇族の騎兵軍を川岸に引き込む際に、深矢の命令を無視して動いた。
「可能な限り御自身の兵力を温存するためでしょう。危険な河寄りを避けて動き、ほとんど戦っておられません」
 夜鞍がまるで自分のことのように恥じ入った。
「それを不審に思った銀髪が、河のトラップを見抜いたと」
「そうですね。あとは芋蔓式にわかってもおかしくありませんから」
「あの銀髪は、やはりあのとき倒しておくべきだった」
「後悔してもはじまりません。これから先のことを考えましょう。水計で損害を与えたとはいえ、まだ鬼王軍の方が遙かに数が多いのですから」
 深矢が気を引き締めて手綱を握り直すのと、夜鞍が「あっ」と声を漏らすのはほぼ同時だった。
 何事かと深矢もハンスも訝しげな顔を作った。夜鞍が無言で指をさす。
 鬼王軍の本陣で、巨人が身を揺すっていた。ゆっくりと、確実に、サンレイと呼ばれる兵器が動き出している。大きな足がずるずると地面をのたくり、大きな腕がわずかずつ引き上げられる。
 深矢はすぐにサンレイの首に注目した。顔の向きこそが重要なのだ。なぜならサンレイは口から法術を吐き出す。
 サンレイの首はぎぎぎと東に向かって動いた。
 絶望的だ。東といえば森のある方角だった。歩兵を差し向けるだけでなく、法術による攻撃をも森に加えようというのだ。
「くっ! どうすればいい?!」
 深矢は歯がみして、拳を打ち合わせた。今からでは援護など間に合わないのは自明だ。
「信じるしかない」
 ハンスは煙草に火をつけようとして――ライターが濡れて駄目になっていたので諦めた。
「俺たちはサンレイが破壊されることを信じて、目の前の敵を倒そう」
 水を吸った煙草を指先でつぶすと、すぐさま長剣を鞘から抜いた。
「待ちきれない奴もいるようだしな」
 ここまで無傷だった杷准将軍の騎兵部隊が、反撃するべく歩を進めつつあった。



▽第弐章 高天原会戦〜サンレイとミケランジェロ〜▽

 奇妙な鎧をつけた偉丈夫がひとりで近づいてきたと思ったら――
 世界が暗黒に包まれた。
 なにが起こったのか想像もつかない。突如として無の世界に放り込まれ、無力な赤子のようにうずくまるしかなかった。
 恐怖と不安がないまぜになる中、今度は意識自体が途切れた。
 無から死へと、世界は変貌を遂げたのだ。
 ギルのロケーションエリアである『Dark Age』には周囲の者たちの五感を封じる効果がある。ギルは、まったくの無防備となった小鬼たちを最小限の労力で狩ってくだけでよかった。
 ただし、このロケエリにも、敵味方を問わないという弱点があり、無造作に発動できるものではない。そのため、せいぜい倒せて十数人といったところだった。
「それでも、やらんとな」
 ギルはつづけて、森の中を行く。小鬼には目もくれない。小鬼ならば術士たちでも倒せるだろうが、大鬼となれば厳しいだろう。戦闘力の高い大鬼を中心に仕留めていく心づもりだった。
 彼は、陽の光が存在しない暗闇の世界を生きてきたため、夜目が利く。術兵の護衛を選んだ理由もそこにあった。薄暗い森でも視覚が阻害されることがないのだ。
「わかりやすくて助かるな」
 大鬼はその名とおり、小鬼よりも体格が二回りほど大きい。見つけるのは容易(たやす)かった。
 彼の槍には穂先に両刃がついている。突くだけなく薙ぐこともできた。
「どぉおぉおぉおぉおおりゃっ!!」
 木の枝まで巻き込み、旋風のように回転する大槍の一撃で、護衛についていたと思われる小鬼三匹がバラバラに転がる。
 そのままの勢いで、神速の突きを繰り出した。
 大鬼は大刀で受け流そうとしたが、槍に触れることすらできず、喉元に閃光を受けて倒れた。
「これで隊長格とは、片腹痛い!」
 ギルの隻眼が次の獲物を求めて殺気を放った。
「一匹仕留めたからといってまだ気を抜くのは早いぞ」
 術兵たちに指示を与えながら、ベルナール自身も戦いに身を置く。彼は魔術師であり、肉弾戦は苦手だ。
「残りは……一、二回といったところか」
 魔力の残量から、ざっと計算する。ギルを見習い、この魔術は大鬼にとっておかなければならないだろう。それならば、
「杖は魔術師の命ではあるが……」
 小鬼の頭頂部を杖で叩く。落ちてきた刀を杖で受け止める。魔術師らしいといえば、魔術師らしい闘い方だ。動くのに邪魔だったので、途中でローブは脱ぎ捨てた。
「客将殿!」
 法術兵から声がかかる。大鬼を発見したら伝えるように言いつけてあったからだ。
 すでに味方の術兵が為す術なく命を散らしていた。多少の足止めにでもなれば、という想いが伝わってくる。
「そこをどけっ!」
 ベルナールは素早く呪文を詠唱する。術兵たちが大鬼から離れたのを確認して、魔術を解き放った。
「おおおおおおおぉぉおん!」
 大鬼が鳴きながら凍り付いていく。術兵たちから歓声が上がった。
 呪布を取り去った翡翠の妖力解放は、広範囲に影響を及ぼす。
 幻術によって、現実にはありえないものにおびえる小鬼たちは、小刀しか持たない術兵でも十分に相手どることができた。
 翡翠自身も得意の影を使った戦法で敵を倒していく。
 文字通り、みずからの影の中に隠れ、大鬼の影の中から出現しては、魔剣『霧闇』で容赦なく命を奪っていく。影から影へと移動する翡翠をとらえきれる者は存在しなかった。
「天狼(てんろう)! 黎明(れいめい)!」
 翡翠が呼ばうと、即座にどこからともなく部下たちが姿を現す。
「大将、なんのようっすか?」
 銀髪銀眼の青年――天狼がたずねると、
「状況でわかろうもの」
 目つきの鋭い青年――黎明が静かに答えた。
「存分に喰らい尽くせ」
 その命令だけで、天狼と黎明は戦場に散っていった。
 妖狼である天狼は鋭い爪で引き裂き、黒竜である黎明は炎を吹き付け、手際よく敵兵を減らしていく。
「二千対千百ってのは、さすがに辛いねぇ」
 翡翠はよろめいて大樹に背をもたせかけた。今にもその場に崩れ落ちそうだ。あとは部下たちに任せるしかない。
 そのとき、目も眩まんばりの光の渦が、森全体を明るく照らし出した。
 真昼だというのに、風景が白く霞んだ。
 九神軍も鬼王軍も、数万人の人々がすべて同時に空を振り仰ぎ、戦(いくさ)が一時的に中断する。
 サンレイの吐き出した法術と、ミケランジェロが発動した法術とが、両者の中央でぶつかりあったのだ。

「なん、とか、間に合った、か」
 ミケランジェロは降ってくる圧力に耐えながら独りごちた。
 彼の周囲では千人の術兵によって描かれた法術陣が不可思議な七色の光を放って力を発揮している。それぞれの光が芸術の神に収束する光景は、ひどく幻想的で、美しかった。
 それに対して、サンレイの口から吐き出された光は白一色だ。力強く、混じりけがない。
 多くの人々の想いを寄り集めた攻城法術と、サンレイただひとつから放たれた法術と、それぞれの性格を表しているかのような色の対比だ。
 そのふたつが上空でぶつかり合い、まさしく火花を散らしていた。
 軍議でのベルナールの予感が当たったことになる。あのとき彼は「あとは力勝負だ」と言った。今のところ、力の振り子はどちらにも振れていない。互角ということだろう。
 ならば、勝敗を決する要素はなんだろうか。
「死なせるわけには、いかんよなぁ」
 ミケランジェロは苦痛に耐えたまま、ツナギのポケットから煙草を一本取り出した。口にくわえようとして、やめた。この美しい法術陣を汚してしまうような気がしたからだ。
「さて、本気でいくぜ。サンレイとやらには覚悟してもらうか」
 今度は絵筆を取り出す。圧力で思うように動かない腕で、みずからの顔に筆を入れはじめた。自分自身をも法術陣の一部と化して、出力を上げようというのだ。
 全身に文様を描き込んでいくたびに、法術陣が光を増す。と同時に、彼の背中に焼けただれた翼が見え隠れし出す。かつて失った神としての地位を取り戻そうとしているかのようだ。
 すべての文様を描き終え、筆を静かに地面に置くと、背中の翼が一瞬だけ純白の輝きを取り戻した。
「終わりさ」
 ミケランジェロの宣告により、一際強い七色の光がたち上った。
 中央でくすぶっていた法術同士の衝突が、一気にサンレイ側へと偏る。
 高天原全体から歓声があがった。
 決着は一瞬だ。
 おそろしいほどの光量が巨人を包み、次の瞬間には、最初からそこには何もなかったかのように、空白だけが存在した。サンレイは、跡形無く消滅したのだった。



▽第弐章 高天原会戦〜反撃の狼煙〜▽

 サンレイの破壊をすべての人々が目にした。

「全軍、反撃に転ずる! サンレイ破壊の尻馬に乗るぞ!!」
 空瀬が凛に向かって最後の思考中継を伝える。
「ついでに、俺様の虎の子も頼むぜ」
 那戯が火薬部隊の投入を告げた。

「ようやくね……」
 両腕を完全に失ったシャルーンが地面に座り込む。
「これから反撃だが、二人はここで休むがいい」
 蒋吏は反撃のための火薬部隊も指揮しなければならない。彼の戦いは終わらない。
 晦は、力をすべて使い果たし、子狐の姿に戻ってしまっている。シャルーンの膝のうえで丸まっているその様子は、自分の力のなさに悔し涙をにじませているようだった。

 凛は結界から立ち上がると、汗をぬぐい、そのまま騎馬に飛び乗る。彼もまたこれから戦わねばならない者だ。

「よくやったぞ、術兵ども!」
 杷准は浮き足だった鬼王軍を存分に蹂躙している。

「もうひと仕事」
 深夜は今度こそみずからも刃を振るうべく抜刀する。
「参りましょう」
 夜鞍もまた刀を抜く。
「もう一度駆け抜けるか」
 ハンスは事も無げに言い放った。

「やりやがったな、兄ちゃん」
 ギルが大槍を休めることなく動かしながら大笑する。
「最後の出力増はいったい」
 魔術師らしい点を気にしながらベルナールも杖を振る。
「俺はもう休ませてもらうぜ」
 翡翠はすっと影の中に吸い込まれた。

「ご苦労さん」
 ミケランジェロは光を失った法術陣に声をかけると、ようやく煙草に火をつけた。

 そして、鬼王軍本陣にて、最後の作戦が実行に移されようとしていた。



▽第参章 終戦〜敵影〜▽

 凛からの思考中継によりサンレイ破壊を知った華と白亜は、手はずどおり隠密活動を開始した。
 サンレイが破壊される前、華の役目は、二重スパイとして鬼王軍に誤った情報を与え罠にかけることだった。白亜は万が一に備え、彼女を守る役だ。サンレイ破壊が達成された今、彼らの任務は別のものへと切り替わる。
 それはフツツ将軍の暗殺。
 寝台に寝転がり時を待っていた華のもとに合図が送られる。手拍子が軽く三回鳴った。
 華は勢いよく跳ね起きると、そっと入り口の幕を押し上げた。
 見張りはすでに床に倒れており、白亜が立ち尽くしている。
 お互いに目だけで意志の疎通をし、足音を忍ばせたまま、将軍が居るであろう本陣へと向かった。
 建物から外に出ると、あわただしく兵士たちが行き交っていた。サンレイがやられてしまった混乱からまだ立ち直っていないようだ。この混乱は二人にとっては好都合だった。さらに白亜が幻覚で周囲の小鬼たちの感覚を歪ませ、自分たちのことを認識させないようにしたので、ほとんど労せず移動することができた。
 フツツ将軍の居る幕舎は通常、警備の要所として複数の兵によって守られている。ところが、戦時というのは恐ろしいもので、あらゆる人の思考がさまざまな方向へむけられるため、ふとエアポケットが存在することがある。数千、数万の人間がいても、誰もいないポイント、誰も気づかないポイント、そういったものだ。
 まさにこの瞬間、この場所がそうであったと言える。
 隣接する幕舎の陰に身を潜める白亜と華は、将軍の護衛がすべて出払っている状態に、興奮とともにわずかな不安を覚えた。
「事が上手く運びすぎるのも――」
 白亜が慎重に様子をさぐる。
「気持ち悪い、か?」
 華がモノクルを人差し指で押し上げる。
 と、ガラス面に光が反射して彼女らの後ろの風景が、ほんの少し映った。
 これを僥倖と呼ばずして何を僥倖と呼ぼう。
 華がスーツの懐からナイフを取り出し、ほとんど狙いも定めず、背中越しに投げつけた。
 金属同士がぶつかり合う甲高い音がして、先ほどまでは感じられなかった強力な殺気が襲いかかってきた。
 白亜が左へ、華が右へ、それぞれ身を躍らせる。
 足元に穿たれた穴は、弾痕だった。
「不安的中だな」
 華はすでにもう一本のナイフをかまえ、戦闘体勢を取っている。投擲用とは違い、大振りのサバイバルナイフだ。
 一方、白亜は無手での格闘術を得意とするため、自然体で立っているだけだ。
「この世界に銃器は存在しない。貴方は何者だ?」
 二人を背後から狙っていたのは、背広姿の若い男だった。右手に拳銃を、左手にマシンガンを携えている。目つきが鋭く、鶴のように痩せた男だ。
 男は無言で銃身を持ち上げた。今度はマシンガンだ。
「華殿は将軍を! この騒ぎでは気づかれてしまう」
「死ぬなよ」
 一言だけ残して、迷いなく幕舎へ走る華。
 その背中に向けられた銃口の前に、白亜が立ちはだかる。
 引き金をひこうとした男の身体が、ぐらりと揺れた。白亜によって幻覚を見せられたのだ。
 白亜が隙をついて接近しようとしたが、むしろ幻覚があだとなり、男がマシンガンを闇雲に連射し出した。
 当たることはないが、これではいくらなんでも小鬼たちも何事かと集まってくる。
「仕方ない」
 白亜はまず手当たり次第、目についた小鬼に幻術をかけた。味方を敵に見せる幻覚だ。
 すぐに小鬼たちが同士討ちをはじめた。それと同時に、男にかけた幻術が解ける。
 正気に戻った男の射撃は正確で、白亜は左肩と右脇腹を撃たれた。
 苦痛によろめきながらも、一跳びで拳の届く間合いに接近する。
 みぞおちに手加減した一発を叩き込むつもりだったが、そのような余裕がないことを本能で察知した。男の右手はいつの間にか接近戦用のナイフを握っていたのだ。身のこなしがプロであることを物語っていた。
 白亜は渾身の一撃を男に見舞った。
「ぐぎがが……」
 口から血を吐き、くずおれる男に、白亜が問いかける。
「目的はなんだ?」
 男は何も告げないまま一片のフィルムへと変わってしまった。
 姿格好からして明らかにこの世界の住人ではなかった。自分たち以外にも銀幕市からやって来たスターが居たのだろうか。それにしても、市役所のトイレから侵入せねばならないこの世界に、そう簡単に入ることができるのだろうか。
 疑問は尽きなかったが、とりあえず布きれで止血をし、華を援護に向かわねばならなかった。

 華が幕舎に侵入すると、フツツ将軍は憤怒の形相で椅子に座っていた。
 最初、フツツが刀を抜いていることに警戒心を抱いた華だったが、刃先が血に濡れており、側近と思われる者たちの死体が二体、床に転がっているのを発見し、逆に安堵した。
 フツツは思い通りに動かない戦局に苛立ち、サンレイが破壊されるに至り、怒りにまかせて部下を手にかけたのだろう。彼は自分から味方を減らし、尋常の精神状態でないことを暴露したのだ。
「くそっ! なぜこうなった? 戦力は我が軍の方が格段に上のはずだ!」
 椅子を蹴飛ばし、怒鳴り散らす。
「山霊まで失い、鬼王様にどう申し開きをすればよいのだ」
 挙げ句の果てには刀を放り投げてしまった。
 なんと無防備な男だろう。これでよく将軍職が務まるものだ。いや、務まらないからこそ負けているのだ。華は内心で呆れ果てた。
 銃声が届いた。
「何事だ?!」
 銃という武器すら知らないフツツに、音の正体をわかれと言うほうが無理な話で。彼は外の様子をさぐろうと、幕舎の入り口に移動する。
 これは華にとって千載一遇のチャンスだった。
 いくら戦闘訓練を積んでいるとはいえ、ムービーファンの彼女が、真正面からムービースターに挑むのは危険だった。
 一度侵入した入り口からもう一度外へ出る。
 息を殺し、出入り口の横でフツツ将軍がやってくるのを待った。
 いまだマシンガンは叫び、小鬼たちの悲鳴が聞こえる。白亜のことを思ったが、華は任務を優先させた。彼がこれくらいで死ぬはずはないと確信してもいる。
「いったい何事だ? 誰ぞ説明せい!」
 フツツが顔を出した。
 すぐ横に、華の冷たく冴えた美貌があった。
「貴様っ――」
 するりと、サバイバルナイフが将軍の首筋を撫でる。
「さよなら」
 任務を終えた華は、白亜と合流すべく銃声の発生地点へと去っていった。



▽第参章 終戦〜凛と杷准とホトリ〜▽

 鬼王軍は、漣河の氾濫および九神騎兵の追撃により騎兵二万四千のうち一万を失い、攻城法術の一撃によりサンレイという最終兵器と、その側に展開していた術兵四千のうち二千を失った。平原中央の歩兵部隊こそ互角の戦いをしていたが、そもそも四万と二万、二倍の兵力差があるにもかかわらず互角というのがおかしな話だ。
 このまま戦闘を続行すべきか判断を仰がねばならない。そう考えたホトリは、騎兵部隊の指揮を部下に任せて、戦線を離脱しようとしていた。本陣に戻り、フツツ将軍と会談するのだ。
 すると、平原のあちこちで火花が散り始めた。
 那戯の秘策である火薬部隊が活動しているのだ。それらは単なる花火なのだが、鬼王の兵をおびえさせるには十分だった。なにせ彼らはシャルーンのレールガンを目の当たりにしていたからだ。
 ホトリすら「あれほどの兵器を、これほど大量に有しているのか」と青ざめたほどだ。
 これは撤退しかない。ホトリの心は決まった。あとは将軍が承諾するかどうかだ。
 フツツ将軍は今ごろ怒り狂っているだろう。その彼を諫めるとなると命がけだ。すでに護衛兵などは将軍の刀の錆となっているのではないだろうか。
 とにかく、ホトリは本陣に向かって馬を走らせた。
 そのころ凛は、部下である千人の騎兵を神曲で強化したうえで術兵たちの救助を命じ、みずからは、大鬼どもを精神汚染の能力で狂わせるという戦闘補助を行いながら、負傷兵を横笛の演奏の力で癒してまわっていた。
 またそのころ九紫将軍である杷准は、自身の手柄をあげるために戦場を駆けめぐっていた。敵総大将は暗殺されるにしても、指揮官のひとりくらい首を獲らねば彼の功名心が満たされない。
 凛と杷准とホトリの三人が出会ったのはまったくの偶然だった。
 ハンスの時と同じく、今回もホトリの銀髪が杷准を引き寄せたのだった。
「そこの貴様っ! 俺のために首を置いていくがよい!」
 杷准の身勝手な物言いに従う義務はなく、ホトリは無視を決め込み馬の腹に蹴りを入れた。
「待て!」
 待てと言われて待つ者もまた居ない。
 杷准の騎馬は疲弊しており、ホトリに追いつくことは絶対に無理だったのだが、ここで運命のいらずらが生じた。花火に驚いた小鬼の放り投げた槍が、たまたまホトリの乗っていた馬の足を砕いたのだ。
 地面に転がり落ちるホトリを、杷准はここぞとばかりに刀で斬りつけた。
 なんとか一刀をよけたものの、ホトリにしてみれば絶体絶命の危機だ。杷准は馬首をめぐらせ、再び銀髪の首を獲ろうとした。
「杷准将軍、おやめください!」
 そこに通りがかった凛が割って入った。
「客将ごときが俺に命令するのか?!」
 手柄を横取りされると思ったのか、杷准が食ってかかる。
「そうではありません。もしこの方がそれなりの地位を持っている方なら、停戦の申し出を……」
「停戦だと? 九神を裏切るつもりか!」
「裏切るつもりなら、最初からここまで協力しません」
 きっぱり言い切る凛に、杷准は口ごもった。話の筋は通っている。
 凛は馬から下りると、ホトリに手を差し伸べた。状況が飲み込めずにきょとんとしていたホトリは、無警戒に彼の手を取った。
「私は古森凛と申します。九神軍においては客将として扱われていますが、本来は銀幕市民です」
「私はホトリ。フツツ将軍の副官を務めています」
「では、ホトリ副将。単刀直入に申します。いますぐ軍を退いていただきたい」
 ようやく正常な思考力を取り戻したホトリは、慎重に対応すべく「私の一存ではなんともしがたいことです」と様子見の一言を発した。
 凛はただ早くこの戦を終わらせたかった。これが空瀬将軍や那戯に無断の行動でも、それが正しいと思えた。思考中継によって戦場のすべてを知っている彼が、この戦の悲惨さをもっともよく理解していると言えた。
「フツツ将軍は命を落とされました。嘘だと思うならどのようにしてでも確かめてください」
「神凪……華……か」
 凛の宣告に、ホトリが背筋を凍らせる。危惧していたことが現実となったからだ。
「だから、あなたが決めるしかないのです。この戦をつづけるか否か」
「さっきから黙って聞いておれば勝手なことを!」
 しびれを切らした杷准が刀の切っ先を凛へと突きつけた。
「こ奴を斬り捨てれば、指揮を執る者がおらんようになるのだぞ。そうなれば鬼王軍など烏合の衆だ。このまま勝てる算段がつこうというもの」
「杷准将軍、あなたはこれ以上の犠牲を望むのですか?」
「犠牲だと? そのようなもの戦には付き物ではないか! そもそも奇族どもと交渉するなど――」
 凛の仕込み刀の柄頭(つかがしら)が、杷准のみぞおちにめり込んだ。九紫将軍はだらしなく意識を失う。
 その行動を見て、ホトリは呆気にとられた。
「私は、これ以上の犠牲を出したくないのです」
 凛の瞳は真摯な光をたたえていた。
「……わかりました。フツツ将軍の件がはっきりし次第、高天原から撤退いたしましょう」
 もとよりホトリは撤退を考えていたのだ。これは僥倖というものだろう。
「ありがとうございます」
 凛は丁寧に頭を下げた。

 こうして戦局が泥沼化する前に、鬼王軍は兵を退くことになった。
 高天原会戦の終結であった。



▽第参章 終戦〜銀幕市民と戦人の対話〜▽

 ホトリは凛との約束を守った。頸動脈を切られたフツツ将軍の遺体を確認すると、全軍に向かって撤退命令を出したのだ。
 結局、この戦はどちらが勝利者だったのか判然としないまま終結したことになる。
 いや、絶望的な状況から敵軍を追い払うことに成功した、九神軍の勝利と言った方が正しいかもしれない。戦争に勝利者というものが存在するならば、の話だが。
 とにもかくにも、銀幕市からやってきた客将たちは傷ついた身体を癒すべく、そのまま元の世界へと帰っていった。医療設備は彼らの世界の方が整っているからだ。
 それぞれに別れを惜しみつつ、蒋吏も晦もシャルーンも、ミケランジェロもベルナールも翡翠もギルも、凛もハンスも、白亜も華も、銀幕市へと帰っていったのだ。
 ところがひとりだけ、まだこの世界に残っている者がいた。
 続那戯だ。
 彼は空瀬と最後の密談を行うべく九神城の会議室に居た。
「あんた、これからどうするつもりだ?」
 那戯がいつになく真剣な口調で切り出した。
 空瀬ははぐらかすことなどせずに、腹を割って話すことに決めていた。だから、本心を告げる。
「私は、おぬしら銀幕市民を、我々をおびやかす脅威ととらえている」
 高天原会戦において、銀幕市民が活躍すればするほど、次はその力でもって自分たちが滅ぼされるのではないか、もしくはその力を敵が利用するのではないか、という不安がふくらんでいく。先見の明がある者であればあるほど、その考えは大きくなっていく。
「この戦が終わったら、疲弊しているはずのおぬしらを始末してしまおうかとも考えた」
「そいつは、まぁ、うすうす感づいてたけどな。だいたい俺が、あんたの立場だってそう思うからな」
 那戯は最初からそのことに思い至っていた。だからこそ、空瀬に対して警戒を解かなかったのだ。時には言葉で牽制をかけてもいた。
「俺が聞きたいのはそこじゃない。あんたはそれをしなかった。だから、これからどうするのかってとこだ」
 容赦ない追求だ。
「このまま、王や壱白将軍が実体化しなければ、私が決めるしかないのだろうな……」
「だろうね」
 空瀬は、那戯ではなく、どこか遠くを見ているようだった。
「ミケランジェロと言ったか。あの者に問われたのだ。戦う意味とやらをな。もし我々の元居た世界が映画とやらの中の世界なら、戦う意味があったかもしれぬ。しかし、今となっては……」
「意味がないってか?」
 空瀬はうなずいた。
「おぬしたちを見ていてそう思ったのだ。だから、できれば鬼王と和平を結ぼうと思っている」
 那戯は微笑して、椅子から立ち上がった。空瀬が鬼王を倒し、その後銀幕市に攻め入ろうなどと考えていないことがはっきりしたからだ。もはやここに残る必要はない。
「もし――」
 那戯が最後に言い残す。
「和平を結ぶのに力が必要なら、また俺たちを呼んでくれ。銀幕市民は喜んで力を貸すだろうさ」
 空瀬はただ微かな笑みを浮かべていた。今度はできる限り、自分たちの手で事をなそうと思っているのだろう。銀幕市民の力を思い知った鬼王は、そうしなければ交渉には応じないだろうから。
 それから那戯は、銀幕市役所へと戻るべく、会議室を去っていった。
 空瀬はすぐに護衛兵を呼んだ。
「千淕将軍、杷准将軍、それから深矢副将に、今すぐ集まるよう伝えよ」
 鬼王軍との和睦へ向けた会議をはじめるためだった。

クリエイターコメント今回はもう、この一言しかありません。
申し訳ありませんでした。
納品が遅れ、参加者のみなさんにはご迷惑をおかけしました。


7月頃に続編を募集したいと考えています。これに懲りずに是非参加いただけたらと思っています。

また、分量が分量なだけに訂正が必要な部分も多くあるかもしれません。その場合、遠慮なくリテイクをお申しつけください。
公開日時2008-06-03(火) 19:00
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