★ メタトロニアス交響曲第六〇〇九番『天葬』 ★
クリエイター諸口正巳(wynx4380)
管理番号100-6977 オファー日2009-03-10(火) 22:02
オファーPC ユージン・ウォン(ctzx9881) ムービースター 男 43歳 黒社会組織の幹部
ゲストPC1 ブラックウッド(cyef3714) ムービースター 男 50歳 吸血鬼の長老格
ゲストPC2 神凪 華(cuen3787) ムービーファン 女 27歳 秘書 兼 ボディガード
ゲストPC3 RD(crtd1423) ムービースター 男 33歳 喰人鬼
ゲストPC4 レオンハルト・ローゼンベルガー(cetw7859) ムービースター 男 36歳 DP警官
ゲストPC5 ルークレイル・ブラック(cvxf4223) ムービースター 男 28歳 ギャリック海賊団
ゲストPC6 刀冴(cscd9567) ムービースター 男 35歳 将軍、剣士
ゲストPC7 ギル・バッカス(cwfa8533) ムービースター 男 45歳 傭兵
ゲストPC8 ケイ・シー・ストラ(cxnd3149) ムービースター 男 40歳 テロリスト
<ノベル>

 銀幕市民が「チャイナタウン」と呼んでいる区域がある。しかしユージン・ウォンに言わせれば、タウンなどと呼ばれるにはおこがましい規模だ。中国系の住民が集中している数ブロックに過ぎない、と。だが、ユージン・ウォンはここを拠点にしていた。
 ホテルや商店が掲げるネオンサインは原色使いの派手なものであったし、美味くて本格的な中華料理を味わえる店もある。広東語と北京語が当たり前のように飛び交って、ひとことも日本語が聞こえない一日もまれにあった。おこがましくはあるが、ふるさとを中国に持つ人々が安心感と郷愁をおぼえるには充分だ。
 ここがもし無くなってしまったら、どこに住もうか。
 時おり、ウォンはそんなことを考えた。
 べつにここ以外に住めないというわけではないし、気まぐれに市内のホテルを転々とすることもある。それでもそんなことを考えてしまうのは、ちっぽけなこの中華街がそれなりに気に入っているからだろうか。ここしか自分には似合わない、と思っているからかもしれないが。
 そうして、日本に住んでいる以上はまず考えないような「万が一」のことを危ぶむ必要があるのは、ユージン・ウォンがユージン・ウォンであるからこそであり、また、「ここが銀幕市であるから」なのだった。
 ここでは突然市民が家を失うことなどしょっちゅうだったし、命を失うことさえままあった。たぶん、ここ3年は、日本の中で平均寿命が低い町のワースト1をキープしているだろう。国内外の若者の間では、「今、日本の中で最もスリリングな街」として知れ渡っているらしい。さもありなん。死亡率も高ければ犯罪率も(日本の基準からいけば)異常だろう。
 まったく、危惧すべきことばかりだ。浮かれている場合ではない。ある意味、「自分がいた世界」よりもタチが悪い。
 しかしウォンは、そう考えてため息をつきながらも、ハンカチで腕時計の文字盤をぬぐっていた。
 この時計が意味することを知っている。
 自分が浮かれたほんのひとときが積み重なり、結びついて、目に見える結晶となったもの。
 だから、お祭り騒ぎを楽しむ人々を、手放しで批判できない自分がいる……のかもしれない。こんな時計など要らなかったとは、ついぞ考えたことがないのだ。時計など山ほど持っていて、これよりも高価であったり正確であったりするものもごまんとあるのに――いや、むしろ――この時計以外は要らないとまで思っている。
 ウォンはもう一度ため息をつき、文字盤がきれいになった腕時計をはめて、外に出た。
 やけに明るい午後9時21分だ、と思った。
 光が近づいてくる。


 目を開けたときには、神凪華の目に映る光景は、まるで別世界のようになっていた。
 美味いと評判のフカヒレ入り肉まんを買うため、チャイナタウンへ向かっている途中だったはずなのに。チャイナタウンまであと1ブロックと少し、というところで、夜食に肉まんを食べる予定はあえなく崩されてしまった。
 いや、よく見れば、街並みは銀幕市の、チャイナタウン周辺のようなのだが。
 街並みは黒く煤けていて、破壊されていた。高層ビルが鉄骨をむき出しにして、かろうじて立っているのが見える。見覚えのある建物の死骸があり、コンビニやガソリンスタンドが掲げるのっぽの看板が傾いている。
 ――核でも落ちたか? ……まさかな。さすがの私も、核なんか食らっちゃバラバラだ。
 見たところ、自分の身体に異常はない。服には、ひとつの焦げあともなかった。ただ、風に飛ばされてきた黒い灰や煤が、白いシャツを汚し始めている。
 不思議と、ひとの気配がない。
 建物や道に焼き払われた様子があるにも関わらず、空気は冷え冷えとしていた。
 ――仕方ない。とっとと帰ろう。……帰れるものなら。
 華もこの街に来てそこそこ経っているので、こういった状況に巻き込まれたが最後、帰りたくてもなかなか帰れなくなることは承知の上だ。
 しかも今回のこの状況は、どう考えても、厄介そうだ。武器は念のためにいつも持ち歩いている大ぶりのサバイバルナイフだけ。それだけでも日本国内においては警察に咎められる行為だが、この街は物騒だ。彼女は、持ち歩くに値する理由があると思っている。ともあれ華のカンは、ナイフだけでは心もとないと言っているのだ。バッキーも家に置いてきてしまった。華と同居している少女が、何やらメーキャップのモデルにしたいと言ってきたから。
 こんなことになるとわかっていれば、ちゃんとバッキーも連れてきたし、押入れの奥に隠してあるAK47も持ってきたというのに。残念ながら、神凪華は予知能力を持っていない。
「おおっと?」
 不意に、野太い男の声が響いた――華はすでに、ナイフを抜いて身構え、声の持ち主のほうを向いていた。
 声は、大きな槍を担いだ眼帯の男のものだった。彼もまた身構えていたようだったが、華の顔を見ると、片手を槍の柄から離して、ひょいと気さくに上げてみせた。
「いつぞやの大将軍じゃねえか」
 ギル・バッカスだ。常人なら持ち上げるのも骨が折れる大槍を、手足のように軽々と振るう傭兵だった。華は面と向かって話したことがほとんどないが、少なくとも敵ではないのは確かだった。華は軽く息をついて、ナイフを下ろした。
「よしよし。おめぇさん、蜂の巣になるところだったぜ」
「なに?」
「おうい」
 ギルは振り返り、声を上げた。
 すると――赤いレーザーポインタがいくつもひらひらと動いた。いつの間にか遠距離から狙われていたらしい。半壊した黒焦げの建物の影から、わらわらと黒い人影が現れて、ザカザカと重い音を立てながら、駆け足で近寄ってきた。
「……おまえらもいたのか」
 彼らは全員ガスマスクをつけていて、華にとってはおなじみの武装に身を包んでいる。先頭に立った男がガスマスクを顔の上に押し上げた。
 その白い顔、蒼い目。テロ集団『ハーメルン』のリーダー、ケイ・シー・ストラだ。彼が行くところには、必ず、彼の『同志』が十数名ついてまわる。
「プリヴェット。大女、クリスマス以来だな」
「私が誰だか知ってて照準合わせてたってのか? ご挨拶だな」
「許せ。状況が把握できないため、慎重に慎重を重ねていた」
「フン。まあ、ちょうどいいところに来てくれたから、許してやるよ。コイツがほしかったところなんだ」
「おい、何をする!?」
 華はテロリストのひとりが持っていたアサルトライフルを、ひょいと奪い取る。願いが叶った、そんな気分だった。ライフルは、彼女が思い描いていたAK47であったから。テロリストの武器は、いわゆる「東側」製のものが多いようだった。
「さすがアカのイヌだ」
「……褒め言葉として受け取っておこう」
「なあ、おめぇら、なんであちこちでイヌ呼ばわりされてんだ?」
「話せば長くなる」
「話せよ、時間なら腐るほどあるだろうが」
 ギルはまったくの異世界の出身だ。スターリンを知らないし冷戦も知らない。それどころか、共産主義や資本主義という名称も知らないのだ。
 確かに説明が長くなるよな、と華はすこし苦笑した。
 ストラもギルも、呼気にアルコール臭が混じっている。
「おまえら、仲いいんだな。飲んでたろ」
「二軒目に行こうとしてたらコレだ」
「いや、我々は拠点に帰還する予定だったのだが……」
「あー?」
 何言ってんだ、と言わんばかりの顔で、ギルはストラに絡みかけた。
 また、とてつもない光が空を照らしたのは、そのときだ――。


 ずォん。


 どうしようもない街だ。
 最悪だ。
 地獄のようだ……とまでは言い過ぎかもしれないが。
 レオンハルト・ローゼンベルガーは、自分が事件に巻き込まれようと巻き込まれまいと、銀幕市をそう評価する姿勢を崩さない。実体化し、状況を把握したときから、この街の異常性を危惧してきた。全市民が、自分と同じくらいの危機感を持っていても差し支えはないと思っているほどだ。
 しかし彼はそう意見はするが、強制はしない。強制は反感を生み、事態を悪くするだけだ。
 市民がそんなレオンハルトの声にまったく耳を貸さないわけでもない。
 逃げたい者はとうに逃げているようだし、無謀や能天気をたしなめる声もある。
 まあ、たぶん、大丈夫だろう。少し神経質すぎるのかもしれない――ときどきレオンハルトもそうして見方をゆるめることもあったが、そうして「軽く油断」するたびに、今のようなとんでもない事件が起こって、結局いつもの堅固な姿勢に戻ってしまうのだ。
 チャイナタウン近辺を歩いていて、突然空が光ったと思ったら、べつの世界――べつの銀幕市に飛ばされていた。ほんの2、3分辺りの様子をうかがっていたら、彼は突然攻撃されたのだ。
 背後から、ハイ・コントラストな光球が飛んできたのだ。光速でも音速でもなかったが、何の戦闘能力も持たない一般人なら、逃げ切れそうもない早さだった。
 レオンハルトはかわせた。焦げついた地面を転がった。光はレオンハルトの頭上をかすめ、路面店の壁に激突した。普通はそこで派手な爆音が上がるところだろうが、くぐもった、照明弾の発射音のような奇妙な音が生じた。
 路面店がどうなったか、今確かめる必要はない。
 レオンハルトは拳銃を抜き、光球が飛んできた方向に向けた。
 確かにそこには人がいた。
 いや、待て。人であるかどうかはわからない。頭と胴体がひとつ、手と足が2本ずつ。そういう身体を持つ存在が、人であるとはかぎらない。
 頭の存在は確認したが、顔の存在は認められなかった。
 レオンハルトはそう判断する頃にはすでに、立て続けに3発銃弾を放っていた。
 すべて頭に命中したはずだが、甲高い金属音しか聞こえなかった。兜でもかぶっているのだろう。ゲームや映画の中ではおなじみの、エネルギーチャージ音とおぼしきものが聞こえ始めた。同時に視界が、白い白い光で埋め尽くされていく……。
 ゴん!
 今度は、派手な音がした。
 いろいろなものがひしゃげ、つぶれて、砕け散ったらしい。
 レオンハルトが目をそむけかけた光は、忽然と消えた。人に似た姿の存在も。横合いから何か質量のあるものが飛んできて、「かれ」と衝突したのだ。
「ヘッ……男なら、重みってヤツが大事だろう。蚊トンボみてェなナリしやがって」
 のしっ、とすぐ先の交差点から現れたのは、――オウガだ。
 全身は筋肉の塊、双眸は爛々と輝き、顔には凶悪な牙と角がある。泣く子も喰らいそうな風貌だ。むき出しの太い二の腕に、血のような顔料のようなもので『RD』とペイントされている。
「あン。蚊トンボがもう1匹……。ヘ、ハッ」
 オウガはレオンハルトを見下ろして、牙だらけの口をニタリと歪めた。
「君の意図した結果ではないだろうが、おかげで助かった。無駄弾を撃たずにすんだからな。……差し支えなければ、君の名前を聞かせてもらえないかね」
「RDだ」
 彼はレオンハルトの質問に、拍子抜けするほどすんなり答えた。が、彼はその強面をしかめて、すんすんと何かの――たぶん、レオンハルトの――匂いを嗅いだ。
「テメェ、妙なニオイがしやがる。さっき会ったオッサンたちに……似てもいねェかァ。ま、何となく仲良くやれそうなカンジだな。同じ穴のムジナってヤツか」
「他にも巻き込まれた人がいるのか。そんな予感はしていたが……」
 レオンハルトはほんの一瞬思案に暮れた。
「どこで見かけたのかね? 教えてもらえるか」
「中華料理屋の前だったかな。でもそこでじっとしてるかどうかはわかンねェぜ」
「君はどうする」
「俺の勝手だろ。……ああ、まずは腹ごしらえってトコさ」
 RDは瓦礫の山に歩み寄った。さっき、レオンハルトを攻撃し、RDに吹き飛ばされた者の死骸が、瓦礫にこびりついていた。骨も肉も、すっかり潰れている。よく見れば、死体はふたつだった。しかしふたつの死体は、強烈な力によって叩きつけられたために、ほとんどひとつの肉塊になっていた。
 RDはべりべりと肉塊から肉塊を引き剥がし、口に持っていった。
 犬も猫も、食事を邪魔されると怒り狂うものだ。
 レオンハルトは服の汚れを払い、その場を立ち去った。とりあえず、目的地は見つかったのだ。RDが言うように、着いたときには誰もいないかもしれないが。
 むちゃむちゃにちゃにちゃと、鬼が生肉を咀嚼する音は、歩いても歩いても、やけにしつこく耳にしがみついてきた。



「銃声だな」
 彼の呟きは、のんびりしていると言えた。
 ブラックウッドが動揺しているところなど、恐らく誰も見たことがないだろう。彼はこの期に及んでもいつものペースだ。
 ユージン・ウォンは、高級広東料理店の前でブラックウッドと出会った。彼がチャイナタウンにいるのも珍しいことだ、と思ったら、ブラックウッドはその思惑を読んでいるかのように、ここに来たわけを話してくれた。
 使い魔が、小さなお仲間から「美味いフカヒレ入り肉まん」の噂を聞きつけて、食べたがっていたからだと。普段なら、金だけ渡して自分で買いに行かせるところだが、その小さなお仲間全員ぶんをまとめて買ってやることにしたらしい。
 ブラックウッドは実際、肉まんでぱんぱんになった紙袋を抱えていた。あまり似合わない。が、こういうギャップがたまらないという彼のファンもいるかもしれない。
 ウォンと出会った直後は、使い魔は状況をつかめずおろおろじたばたしていたが、今はすっかり落ち着き、ウォンの肩の上であむあむ肉まんをほおばっていた。
 しかしウォンもブラックウッドのことを呑気だと言える立場にないと自覚している。彼はその辺でくすぶっている炎で葉巻に火をつけ、ぷかぷかとドミニカ産の香りを味わっていた。
「また銃声だ、が」
 ブラックウッドは首を傾げた。
 そう遠くないところで、再び上がった銃声は、さっきのものとはだいぶ毛色が違っている。さっきの銃声は拳銃のものだった。確か、3発ほど。しかし、今回の銃声は、終わることなくいつまでも続いていた。
「アサルトライフルだな。サブマシンガンも混じっている」
「それではまるで戦場だ」
「戦場――。もしや……」
 軽々しく戦場の武器を乱射する集団に、ウォンは心当たりがある。どうやらブラックウッドも同様らしく、ちょっと可笑しげに微笑んでいた。
 盛大に銃をぶっ放している連中が誰なのか――
 どちらかが答えを口にする前に、光が視界の隅から近づいてきた。
「ぷぎゅう!?」
 ウォンの肩で、ブラックウッドの使い魔が叫ぶ。肉まんはもちろん落ちた。
 ウォンは右へ、ブラックウッドは左へ跳んで、身をかわした。しかしブラックウッドのとっさの跳躍力が尋常ではなかったので、ふたりの間は通り一本ぶん以上の距離が開いた。
 ふたりの背後にあったビルの1階部分に、光の塊が衝突した。
 ずォん、と消え失せる広東料理店。ビルの1階から3階までを、美味い料理を出すその店が占めていた。3階から上は――ウォンが知っている限りでは、オフィスと空きフロアばかりだったはずだ。広東料理店をごっそり抉り取られて、3階から上のビルの残骸が、倒れてきた。
 ウォンの身体にも、ガラスの破片とコンクリート片がぶつかってくる。幸い顔にも急所にも当たらなかったし、動きを制限されるような傷ではなかった。
「ぷぎゅぎゅぎゅぎゅ!! ぎゅぷー!!」
「落ち着け。おまえの主人がこの程度で倒れるか」
 慌てふためく使い魔に静かな声をかけ、ウォンは『敵』をねめつけた。
 ふたりいる。羽ばたきは聞こえない。だが、ふたりは空から降りてきていた。
 いや、どうやら、ふたりだけではないようだ。目をこらせば、黒雲と焔色がまだらになった空から、続々と人影が降りてきているのが見えるのだ。
『敵』である。わかっているのはそれだけだが、ウォンが銃を向けるにはそれだけで充分とも言えた。
 言葉をかけるよりも先に攻撃してきたのだ、やさしい隣人であるはずがない。
 ウォンが二丁の拳銃を前に突き出すと、使い魔は彼の肩から飛び立った。
 顔が見えない。空から降りてきた者の顔が。何かかぶっているのか。だからウォンはひとりの首筋目がけて、銃弾をくれてやった。途切れることのない連射で、ひとり目の首が飛んだ。相方を殺されて、残るひとりがウォンに猛然と突進してきた。
 そのときにしてようやく、かれらを飛ばせているものの存在が明らかになった。背中から翼状のエネルギーを放出しているらしい――スピードを上げれば、その『翼』が光を増して、人の目にも映るようだ。
 武器は槍だった。
 正面からの銃弾は、当たっているようだが、跳ね返っている。
 銃撃はほどほどにして――と言っても30発は撃っていたが――ウォンは身をかわした。
 光の人間の突進は、瓦礫を蹴散らしただけだった。
 細身の槍を引き抜き、人はゆっくりとウォンに向き直る。やはり……、顔はなかった。ヘルメットなのかもしれないが、顔も頭もすっぽりと、鏡のように磨き上げられた球面状の兜をかぶっている。向かい合えば、その鏡の顔には、ウォンと瓦礫の街がくっきり映りこんでいた。
「貴様からは、穢れた匂いがする」
 ガラスの鍋でもかぶって放せば、そんな、しゃらしゃらと割れた声が出るだろうか。男とも女ともつかない、美しいような恐ろしいような声だった。
「ヒトよりも穢れたものまで、地上にははびこっているというのか……」
 かれは蒼い鎧を着ているらしい。身体はマネキンを思わせた。手足が長くて細く、鎧もまたその体格にぴったり密着しているかのようだ。鎧の材質が何であるかはウォンの知ったところではないが、まるでボディスーツのようでもある。ただ、光を跳ね返しているから、それが金属でできているのは間違いないようだ。
 鎧の継ぎ目は……ある。さっき、ひとりの首を飛ばせたのはまぐれではない。銃でも剣でも、彼を殺せる。
「われわれは天上よりの遣いだ。地上から穢れを払い落とし、美しい星のかがやきを呼び戻さねばならぬ」
 聞いてもいないのにぺらぺらとしゃべってくれたので、ウォンの手間が省けた。ふう、と彼は軽く息をついて、ゆるゆるとかぶりを振る。
「我々の領域の前で焚火とは。やはり正義にクソ垂れる奴なぞ、この世の害虫だ」
「なに?」
「早撃ちはどうだ。きっと興奮するぞ」
 ようやく彼は、自分がダビドフをくわえたままだと言うことを思い出した。光が見えてから、街の焦げ臭さばかりが鼻と肺をつくばかりで、せっかくの煙を堪能できない。これはしばらく、無用のものだ。
 ウォンは銃を一丁しまい、葉巻を放り投げた。
 天上から来たという存在は、「早撃ち」の意味に気がついたのか。動こうとしたようだ。
 立て続けに、2発の銃声が響いた。


 焦げた空から、蒼い鎧の人々が降りてくる――。
 瓦礫と焦土の街で、光と銃弾が飛び交い始めた。
 天上人の多くは何も語らずに襲いかかってきた。ほとんど出会い頭に触れたものを消滅させる光を飛ばしてくるのだが、どうやらこの強力な攻撃は続けて何度も使えないらしく、光をかわされたあとは手にした槍で攻撃をしかけてくる。
 ギル、華、ハーメルンはチャイナタウンを離れ、ミッドタウンに向かいながら、謎の存在を叩き落としていった。光を避けるために遮蔽物を利用しながら戦っていたら、自然とそう移動してしまっていたのだ。
 ここはムービーハザード内であると、すでに誰もが理解していた。
 どれだけ広いのか、どこまで行けるのか、さっぱり見当もつかない。この様子だと、銀幕市のすべてが「再現」されているようではあるが――。
「弾!」
 華はおよそ5秒ごとにそう怒鳴っている。AKの銃身は炎を上げそうなくらいに熱くなっていた。30発入りのマガジンは、ほんの数秒で撃ち尽くしてしまう。だが幸い、テロリストたちはどこからともなくいくらでも、30発の弾がぎっしり詰まったマガジンを取り出すことができた。華にその能力はないが、要求すれば誰かが投げてよこしてくる。
 倒しても倒しても敵が押し寄せてくるこの状況では、まともに機能していてもあまり役には立たないだろうが――ストラは戦いの最中に言った。数々の作戦で市民にあてにされてきた、索敵能力の調子が優れないらしい。
 そう言えば、と華とギルも思い出した。ふたりともそれなりに修羅場を潜り抜けてきたから、動物的勘とでもいうべきものが鍛えられていて、ある程度気配を探れるのだ。確かに言われてみれば、その手のカンが鈍っている気がする。これではうっかり背中を狙われかねない。
「おい――」
 目の前の「鏡」に槍を叩きこみ、
「何の音だ?」
 石突で背後の敵の腹を突いて、
「何か聞こえるぞ!」
 ギルが怒鳴った。
 誰も手をとめ、銃撃をやめて、耳をそばだてる余裕などない。だが、ギルが聞き取ったであろう物音を知ろうと努力した。
 どぅるるるるるるルルルルル……――
 ああ、聞こえた。
 そんな音。
 確かにそれは、近づいてきている。次第に、聞こうと努力しなくても聞こえるようになってくる。
「エンジン音です」
 ほんの数秒、イヤーガードを片方ずらしたガスマスクが答えた。ハーメルン一耳がいいという設定でもあるのだろう。
「車――いや、バイクか」
 ストラは頷き、次の瞬間にははっと目を見張っていた。
「走れ!」
 蒼い鎧の者たちが数十人、上空に結集して、力を――光を溜めている。
 華とハーメルンは銃撃をやめ、ギルが先頭に立って、全員が全員、疾走した。退路をふさごうとする敵は、ギルが斬り伏せた。槍の穂先についた斧状の刃は、手元さえ狂わなければ一閃で敵の首を飛ばした。
 走りながらの大薙ぎだ。どうしても一度は手元が狂う。
 だづッ、と槍の穂が、青い鎧の胸を斬った。鎧ごと斬られた胸からは、一見赤い血がしぶく。
 彼らの血は、輝くのだ。光を受けると、金色のかがやきが浮かび上がる、美しい血だった。
「チッ――」
 一撃で仕留められなかったばかりに、ギルは五秒も足をとめるはめになった。二閃目で今度こそ首を刎ねたが、突き出された槍が、ギルの左の脇腹をかすめた。
 ストラもハーメルンも華も、一瞬だけ足をとめた。
 その一瞬がたたって、光球の掃射から逃れるのに、間に合わなかった。

 間に合わなかったけれど、全員、助かった。

 うォん、とビルとビルの間からバイクが飛び出してきて、
 バイクの後ろに乗っていた男が跳んだのだ。
 見事な大剣を振りかぶり、高速で飛んできた光球の前で、裂帛の気合とともに振り下ろした。
 剣風の勢いか、剣に特別な力でも備わっているのか、あるいは魔法か。
 狙い撃たれた数十の光球は、彼の一閃でかき消された。
「こっちだ。市役所の近くの銀行に来てくれ。ここよりは安全だ」
 バイクを操るのは、眼鏡をかけた黒髪の男。緋い大剣で窮地を救ってくれたのも、黒髪の男。しかしふたりの「毛色」はまったく違う。
 ルークレイル・ブラックと刀冴。バランスが取れたコンビだった。


 ルークレイルは海賊団をあげての大七並べ対決で運悪く最下位になってしまい、罰ゲームとして自腹でフカヒレ入り肉まんを人数分買いに出かけるはめになったのだ。「それは『ゲーム』とは呼ばないだろ」というツッコミはするだけ無駄だと判断し、ルークレイルは仕方なく皆からの命令に従った。手札があまりに悪かったのが原因だが、負けは負けだ。ベイエリアから指定のチャイナタウンまではうんざりするくらいの距離があり、彼はバイクで移動することにした。
 たまたま今夜杵間山から下りてきた刀冴と彼が出くわしたのは、チャイナタウンの手前だ。刀冴は老酒と紹興酒とその他の酒を買った帰りだった。本当は調味料として使う紹興酒だけが目的だったが、珍しい異国の酒が並んでいるのを見たら、ついつい衝動買いが増えてしまったのだ。
 ルークレイルは無類の酒好きであったことがたたって、刀冴が山と抱えている酒瓶についつい目を奪われてしまった。肉まんのついでにあれも買おうかと思ったのだ。
 次の瞬間、光が見えた。
 ……ミッドタウンの銀行に無事全員が辿り着いたところで、ルークレイルと刀冴はそういきさつを話した。景気づけに1杯……いや1本やっていたので、ふたりともいつもより陽気だ。刀冴などは普段からわりと陽気なので、テンションが高すぎると言ってもいいくらいだろうか。
 蒼い鎧の襲撃者どもは、ミッドタウンに入ると、その追っ手の数を減らした。高いビルが立ち並んでいるので、飛びづらいのだろうか。もしくは、彼らにとっては追跡よりも優先すべきことがあるのかもしれない。どちらにせよ、敵の数が減るのは好都合だ。
 銀行の地下は、電気が通っていないために暗かったが、その業務性質上丈夫に作られているらしい。破壊も火災もまぬがれていた。
「まあ、ゆっくりしていけよ。酒もあることだしな」
「お、そりゃアいい」
 酒と聞けば、ギルの顔も思わずゆるんだ。ストラとテロリストたちは――ウォッカ一辺倒なので、刀冴とルークレイルが用意した(と言うのはおかしいかもしれないが)酒が中国酒ばかりだったので、落胆している様子だった。
「しかし、お互い災難だな。怪我はないか? ……無傷なわけはないか」
 新たに加わった仲間を見て、ルークレイルは自分がした質問をすぐさま取り消した。華もギルもハーメルンも、深刻な傷は負っていないものの、全員どこかしらから血を流している。
「何が起きてるんだ? ムービーハザードだよな?」
 華はしかめっ面だ。正直、さっきまでの真剣勝負はけっこう楽しんでやっているところもあったのだが、わけも知らされずに殺されかけること自体は不愉快だ。複雑なようだが理にはかなっている、と華は思う。
「たぶんそうだ。市役所のパソコンと資料を持ってきた。ヤツらの正体を探ろうと思っていたんだけどな……銃声が聞こえたから」
「地獄耳なんだよ」
 刀冴が笑って、とがった耳を指した。
「パソコンか。電気はどうすんだ」
「マルチニ」
「ダ・ヤア!」
 ルークレイルが近くの市役所から持ってきたというノートパソコンを、ハーメルンのメカニックが受け取った。たぶん何とかしてくれるだろう。
「ヤツら、妙な色の血だぜ」
 そこらに落ちていたぼろきれで、ギルは大槍をぬぐった。金色の光を浮かべた鮮血は、時間が経っても、布でぬぐい取っても、変色もせずに美しいままだ。
「失礼。入ってもよろしいかな?」
 不意にノックが聞こえ、ドアの外から男の声がした。全員が一斉に身構えた。
「おっと。失敬に失敬を重ねてしまった。ブラックウッドだ」
「なんだって?」
 刀冴が素っ頓狂な声を上げて、剣を下ろす。
「あんたまで巻き込まれてたのか」
「そういうことだ。できれば部屋に入る許可をもらいたい。いやなに、昔の癖でね」
「いいとも。入ってきてくれ。あんたがいれば心強い」
「お招きいただいた上に、刀冴君にそう言ってもらえるとは。光栄だよ」
 ふあッ、と室内の湿度が急に上がった。ドアの隙間から霧が入ってきたのだ。霧はたちまち、黒装の紳士に姿を変えた。
 彼――ブラックウッドは、ストラとガスマスクたちの姿を見て、ふっと顔をほころばせた。
「やはり君らもいたか。ソ連製の銃は実に荒々しい声を上げるからね。唐突にソ連製の銃火器を振り回す人々ときたら、君らしか思い当たらなかったよ」
 ブラックウッドはメカニックがいじっているパソコンと、ルークレイルが読みあさっている資料に目を向けた。
「まず敵を知るということか。確かに圧倒的に情報が足りない」
「旦那も知らないのか」
「すまない。熱心に映画を観るようになってからまだ日が浅いのだよ」
 ブラックウッドは刀冴に向かってかすかに苦笑いをしてから、ああ、と何かを思いついたように目を閉じた。
「ユージン・ウォン君をここに呼ぼう。彼も『この世界』にいる」


 ユージン・ウォンは腰抜けではなく、かつ無謀でもなかった。彼の銃は弾切れを知らないが、ひとりで無数の敵を相手取るには無理がある。相手は全身を鎧で固めていて、空を自由に飛びまわる存在だ。しとめるにはそれなりに狙いをつけなればならない。狙いをつけるのにそう時間はかからないとはいえ、わずかなタイムラグも積み重なると結局隙になってしまうのだ。
 囲まれてしまってからでは遅い。ウォンはほどほどに応戦し、退路を確保した。そして今は、勝手知ったるチャイナタウンの地下、マフィア御用達のカジノに身を隠している。ここには下水道に通じる隠し通路もあった。あの天上人どもは、カジノの上にそびえる雑居ビルを消し飛ばし、分厚いコンクリートの基礎を掘り返さなければ、ここに辿り着けないだろう。
 時計は午後11時5分を指している。あれから2時間半も経ったのだ。今日、このカジノに来る予定はなかったが、何度も付き合いで来たことがある。この時間帯は稼ぎ時で、人相の悪いスーツの男たちが大勢集まっていた。女もいるにはいたが、皆きらびやかなナイトドレスに濃い化粧だった。自分が煙草に火をつける必要がないくらい、いつでももうもうと紫煙が立ちこめていたのだ。
 悪い店ではなかった、とウォンは思い返した。普段はまったく考えもしないが、こうして「失った」ときを髣髴とさせる状況にあると、不思議と感傷的になれるらしい。ウォンは自嘲しかけた。ここは銀幕市ではない。今ごろ、本当の銀幕市の同じ場所にあるカジノでは、相変わらず紫煙がたちこめていて、金がごうごうと流れているのだ。このカジノは、所詮まぼろしだ。
 耳を澄ませても、地上の音は聞こえない。状況はわからないが、たぶん何も変わっていないだろう。空気も時間も、代わりばえのないままだから。
 ブラックウッドの使い魔とは、ずっと一緒だ。だからウォンはどうにかなると信じていた。必ずブラックウッドから連絡が来るはずだ――。
『ウォン君』
 来た。
 かわいらしい使い魔の口から、ベルベットヴォイスが発せられた。
「無事だ。そちらは?」
『良い知らせがある』
「悪い知らせのほうから聞こう」
『おっと……。言い方が悪かったな。失敬、あるのは良い知らせだけだ。カラシニコフ愛用の集団も含めて、頼りになる方々と合流できたよ。君もこちらに来るといい――が、単独で行動する必要があると考えているなら、強制はしない』
「いや。そちらに行く」
『わかった。急ぐ必要はない。案内をしよう』
 場所は、ミッドタウンの市役所前。銀行の地下。



 蒼い鎧に身を包み、鏡のように磨き上げられたフルフェイスの兜をかぶって、目にはあまり映らない翼を持つ者たち。
 かれらは空から降りてきて、死にぞこないを殺し続けた。かれらは時おり、見慣れない風貌や出で立ちの人間を見かけた。さらには、人間ではないものまで見つけることもあった。
 皆一様に、何が起きたかわからないという顔をして、光と槍の前に消えた。
 その表情は、かれらが見飽きるほど見てきたものだ。
 だから疑問は抱かなかった。
 不思議に思う者もいたのだが、……強い使命感と嫌悪感には、抗えなかったのだ。
 今かれらは、咆哮を上げて暴れまわる一匹の鬼にてこずっていた。かれらが嫌悪するところの人間ではなかったが、鬼はかれらに、まったくべつの憎悪と殺意をあたえた。
 血。
 死。
 同胞は打ちひしがれ、死んで、穢れてゆく。
 ――しかし、妙だ。
 電柱や道路標識を引き抜いては振り回し、あるいは放り投げ、戦士を次々に穢れた肉塊に変えていく――あの、人喰い鬼。
 ――あんなものは、地上にはいないはず……。様子がおかしい。そう、皆の様子も。何もかもが……おかしいのだ。
 鏡の仮面の奥で、そう考えている者が……いなかったわけではない。
 空から見ると、天上の血で染められた焦土が、光を浴びた一瞬だけ、金色に見える。



「わかったぞ。たぶんこれだ」
 ルークレイルが顔を上げた。ギルと刀冴とハーメルン(メカニックのマルチニを除く。彼はあわれにも一滴の酒も飲めず、壊れかけのノートパソコンのそばにいなければならなかった。システムがとても不安定なのだ)の酒盛りは、それを合図にしてお開きとなった。
「『エンレイジ・エイジ』、コミック・ブック原作の映画だ。つい最近のだな。ヤツらは天上人だ。主人公は悪魔と契約したダーティ・ヒーローらしい。……見かけたか?」
「いや」
「主人公不在か」
「かれらは『穢れ』を忌み嫌っているようだった」
 ブラックウッドが顎を撫でた。
「ウォン君にそんなことを言っていたよ。天使……とは違うのだね?」
「似たような感じではある。大人の事情で天使にできなかったのかもな」
 ルークレイルはノートパソコンに目を戻した。幸いネットは機能している。映画では、地下で天上人の対抗組織がネットを使っているという描写があり、恐らくその設定が影響して、ハザード内でもネットワークが生きているのだろう。残念ながら、天上人とともに戦ってくれそうな対抗組織や映画の主人公は、ハザード内に存在しないようだった。
 この殺伐としたムービーハザードには、自分たちの他にも巻きこまれた者が大勢いるかもしれない。ハザードはいつどこで起きるのかわからない――災害のようなものだ。
「……天上人は大昔に一度洪水で地上をリセットした。だが人間は長い時間をかけて再び栄えた。天上人のほとんどは長い目で人間の再出発と成長を見守っていたが、一部の力ある派閥が愛想を尽かし、もう一度人間を一掃することによって、地上の浄化を企てる。かれらは今度は、水ではなく火を使った……」
 映画のストーリーと設定をまとめているサイトがあった。ルークレイルは眉をひそめながら、淡々と記述を読み上げる。
「肝心なのは最後だな」
 ギルが言い、ルークレイルは頷いた。
「結局のところ、天上人の中にも強制浄化には気が進まない者も多かったらしい。主人公が人類殲滅を推進した将を倒したあと、休戦してる」
「じゃ、その将軍を叩けばいいわけか。……言うのは簡単だが、あの敵の数を考えたら……こりゃ大仕事だぜ」
 ギルはそう言いつつも、短く笑って、ぐるぐると肩を慣らした。その横では、華がガスマスクから装備品を分けてもらっていた。彼女もまた、ギル同様、どこか呆れたように笑っている。
「面倒くせえよ。片ッ端からブッ殺していけばいい話じゃないか? 弾はいくらでもあるんだ。派手に暴れてりゃ、将軍サンもアワ食って飛んでくるさ」
「でも映画のキャッチコピーが『その数、六千。』だぞ。6000人いるんじゃないか?」
「我々が倒したのはせいぜい100人だ」
 ストラはガリルのレバーを引いた。仏頂面で、ふん、と短く息を漏らす。
「残り5900を相手取るのは、……時間がかかりそうだな」
 彼は『骨が折れる』とも『不可能だ』とも言わなかった。青い目が、ちらと華やギルを見てから、刀冴を見る。
「このエルフにはあの光弾をかき消す力があるようだし、戦うならば力を貸せる」
「あんなもん気合でなんとかなんだよ。まあ、場合によっちゃ、俺はあの『光』対策に専念してもいいし。ここで篭城とかは性に合わねぇんだよなあ」
 刀冴は笑っていた。華と同じくらい、彼は戦う気だ。自分が戦いというものをこよなく愛しているとはあまり考えていなかったが、半生を振り返ってみれば、それは戦いの連続だった。銀幕市で生活していても、こうして結局「機会」があれば必ず剣を振るっている。
 自分には、戦いしかないわけではない。けれど、戦いからは逃れられないものなのだ。
「突然すまない。悪い知らせだ」
 刀冴がわずかな間物思いにふけっていると、ブラックウッドが本当に突然、そう話を切り出した。
「地下の下水道を通ってミッドタウンに向かってきていたウォン君だが、下水道から直接ここへは行けなかったらしい」
「で?」
「嫌な前フリだ」
「市役所の手前で地上に出た。そこで囲まれている」
 刀冴が、誰よりも先に立ち上がって、広い地下フロアを飛び出していった。
 ギルが、華が、彼に続く。
「行くぞ、同志よ。出撃だ」
「ダ・ヤア!」
 ザカザカと重い音を立てながら立ち上がったテロリストたちの首領に、ルークレイルがすかさず声をかける。
「ストラ、待ってくれ。爆薬を持ってるやつはいないか? 考えがあるんだ。ちょっと貸してくれ」
「ミハイルとスミルノフがC4を携帯している。我々と離れて行動するならば、護衛も兼ねさせよう」
「自分の身くらいは自分で守れると思うけどな……ま、ありがたく期待しとくよ」
 ルークレイルはふたりのテロリストを従えて、地図を片手に、刀冴たちが行く道とは違う方向へ走りだした。



 運悪く、ミッドタウン上空にいた斥候に見つかってしまったらしい。もっとも、空にはやつらがひしめいているから、地上に出てしまえば見つかるのは時間の問題だった。ブラックウッドが言う銀行は目前だったが、今中に駆けこむのは危険だ。敵に仲間の位置を教えることになりかねない。
 遮蔽物や身を隠せる建物には困らない。しかし、チャイナタウンの一件のように、建物ごと吹き飛ばされてしまっては話にならない。隙を見て、また地下に潜りこむしかないか。時間が経てば経つほど増援が集まってくるから、早く決断しなければ――。
 ウォンひとりのために、連中は容赦なく光球を放ってくる。すでに彼が何人も仲間を撃ち殺しているという情報を持っているのだろうか。怒りの声を上げて襲ってくる者がいた。
 ――お互い様だな。私も頭にきている。
 槍を構えて突進してくる敵に、ウォンは真正面から銃弾を見舞った。1発、2発、3発目が、槍の穂先を打ち砕き、4発、5発、6発目が、兜と全身鎧の継ぎ目に命中した。皮一枚で胴体とつながった首が、衝撃で背中にぶつかった。ウォンの目と鼻の先に、天から来た者が墜落する。
 頭上を光がかすめていった。かがむまでもなくかわせた――が、それはつまり、最初からウォンを狙っていなかったということだ。
 光弾はウォンの背後の街灯と信号機の根元を消し飛ばした。倒れてくる。
 右と左のどちらに避けても、連中の思う壺のようだ。光を溜めて構えている者が、空に何人も浮かんでいる。
 どちらかを狙撃して叩き落すか。
 一瞬のうちに、実にたくさんの可能性について考えた。
 ふ、と風を感じた。
 ひらひらと、塵でも灰でもない黒いものが舞い、ウォンの視界を横切った気がした。
 ――羽根。
 黒い、鴉の羽根にも似た羽根。
 天上から降りてきた戦士たちは、鳥の翼を持っていない。
(傲慢なる者ども。自らの『無価値』を知るがいい)
 声が聞こえた気がした。ウォンは右に避け、街灯と信号機をすんでのところでかわした。同時に空が紅蓮に染まり、燃え上がって、今にもウォンにぶつけられようとしていた光が消える。サングラスをかけているので、ウォンはまばゆい空の現状をすぐに確認できた。
 三対の、漆黒の翼を生やした男が、空に浮かんでいる。男は――喪服か、ブラックスーツを着ているようだ。炎と光が、彼のブロンドを照らし出す。そして、凶悪な笑みで歪む口元も。
 槍の戦士のひとりが、翼の男を指さした。ウォンよりも、その男が危険であると判断したのか。光が撃ち出されたが、黒翼の男はまるでよける素振りも見せず、ただ、右手を軽く振っただけだった。
 ぱちん、という指のスナップが聞こえた気がする。あんな空から地上まで、スナップが届くはずもないのに。
 また、空を業火が疾走する。
 ――おっと。よそ見をしている場合ではないな。
 上空の戦士どもは黒翼の男にかかりきりだが、地上に降り立った者や低空を跳ぶ者にとって、標的はウォンのままだった。3、4メートルほどの高みから、槍を構えて急降下してきた敵の、手首に弾丸を叩きこむ。手は潰れ、指は吹き飛び、槍は落ちた。ウォンは間合いを詰めると、その腹に蹴りを叩きこんだ。
「ゲふ!」
 鏡の兜の内側で、そんなうめきと湿った音。
 鎧など壊さなくても、蹴り方次第では身体の内側に衝撃を与えることはできる。それなりの鍛錬を積んで、コツを掴む必要はあるが。
『かれらは天上人らしい。人間は害虫程度の認識だが、アンデッドや悪魔ははっきり敵視しているようだ』
 使い魔を通して、ブラックウッドが情報を流してくれた。
「納得した。どうやらお互い、嫌われ者のようだな」
『興味深い存在だよ。叶うものなら対話をしたいくらいだ。――ところで、空で大火災を起こしている彼だが』
「知っているのか」
『姿はレオンハルト・ローゼンベルガー君のようだが、少し雰囲気が違うな。私の使い魔が会っているのだが、そのときは翼など生えていなかったからね』
「少なくとも我々と利害は一致しているらしい。私には見向きもしないが」
 ウォンは身を伏せた。熱気が伝わるくらい近くで、レオンハルトが放った炎が炸裂し、天上人をひとり蒸発させたのだ。
『今、全員でそちらに向かっている。恐らく最初に君を助けられるのは刀冴君だ』
「刀冴……あの男までここに……」
 思わず、ウォンの口からそんな言葉がこぼれ出た。
 本当は、自分ひとりのために全員が出てくる必要はないと言うべきだったのに。この様子だと、天上人はブラックウッドたちが身を隠していた地下フロアを知らないはずだ。
 捨てるというのか。隠れ家を。
 戦うというのか。幾千もの戦士と。
「フ……」
 笑うつもりはなかったのに、笑ってしまった。
 アサルトライフルの銃声が聞こえてきて――
「ウォン、こっちだ。走れ!」
 彼は、逃げろとは言わなかった。
 ウォンは刀冴の声のもとへ駆けた。
 びょう、と熱い風が頭上を飛び越える。刀冴が〈明緋星〉を振りかぶり、ウォンを跳び越えていた。彼がウォンの背後に着地したとき、脳天から真っ二つにされた天上人が倒れた。低空を飛び、ウォンの背後に迫っていたのだ。
 金色の光をたたえる血が、だくだくと通りに広がっていく。刀冴はすぐに立ち上がり、ウォンと背中をぴたりと合わせて、〈明緋星〉を打ち振った。緋色の刀身に絡みついていた血糊が、びしりと焦げたアスファルトに落ちる。
「待たせちまったか?」
「それなりに。だが、間に合ったのだ。何も問題ない。舞踏会はこれからだ」
「そいつはよかった」
 刀冴は赤黒い空を見上げて、ふん、と笑った。
「見ろよ。俺たちと踊りたいってさ」
 レオンハルトが上空で大立ち回りを繰り広げているからか、それとも、急に何人もの抵抗者が現れたためか。東西南北の空の隅は黒く染まり、風の唸りにも似た音は、ウォンたちのもとに集結しつつあった。



 身の丈5メートルの喰人鬼の皮膚は、鋼鉄異常の何かでできているらしい。天上の槍が通用しなかった。相当の勢いをつけた突進を食らえば、なんとか刺さりはするのだが――それだけだ。鬼は単に怒り狂って槍を抜き、槍の持ち主を掴み上げ、ばりばりと全身の骨をへし折るだけだ。もしくは、掴んだ戦士を、光球を飛ばそうとしているべつの戦士めがけて投げつけるだけだ。
「蚊トンボなんて言って悪かったなァ……てめェらは蚊だ! 蚊トンボなんかよりよっぽどタチ悪ィぜ。ウゼェんだよ、この!!」
 落ち着いて食事もできやしない。それが何よりもRDをイラつかせる。この『蚊の集団』と戦っている者たちが自分の他にもいるということを、彼は知らなかった。知っていても、「だから何だ」と嘲笑うだけだが。彼には人助けをするつもりはなかったし、人に助けられるつもりもなかった。
 ただ――いつもの銀幕市なら、そうやすやすと人は喰えないが、ここなら喰い放題だ。蚊トンボのように細くて、人間とはちょっと違う味でも、RDの飢餓感を埋めるには充分だった。
 槍の穂先が刺さっても、RDにとってはかすり傷だ。槍を抜いて放っておけば、意識せずとも傷は勝手にふさがってくれる。
 何匹目をビルの残骸に叩きつけて肉塊に変えただろうか。ふと、蚊どもが攻撃の手を休めた。
「……あァん?」
 野生のカン――というよりは、魔物が持つ第六感だろうか。RDも、「一味違う」気配を感じて、血みどろの手をとめた。
「貴様だな。悪鬼とは喩えに過ぎぬと思うていたが、よもや正に悪鬼であったとは」
 RDにとっては蚊のように細い戦士たちだったが、そのとき彼の前に舞い降りてきた者は、がっしりした体格であるようだった。鏡面の兜も鎧もデザインはほとんど変わらないが、圧倒的にサイズが違う。槍も穂先が大振りで装飾がなされていたし、鎧の色も違うようだ。蒼い色彩に、銀の光が乗っている。
「ああァ、うるせェよ。おエライさんのつもりか? どんなヤツも死んじまえば同じなんだよ。俺の胃袋ン中で、一緒くただぜ」
 RDは牙を剥いて嗤い、「おエライさん」と思しき戦士めがけて、巨大な拳を振り下ろした。拳は烈風さえ放ち、轟音を生み、瓦礫と焦げた土を飛び散らせた。
 肉と骨の潰れる感触がなかった。
 RDは舌打ちし、……ぎりぎりと右腕に力をこめる。
 戦士はRDの拳を片手で受け止めていたのだ。膝をついてはいたが、それは衝撃を受け流したからにすぎなかったようだ。今や彼は立ち上がり、両手でRDの拳を抱えこんでいた。
 ごきり、とRDの体内を鈍い音と激痛が走る。
 ばきり、ともう一度、痛みと音。
 そしてRDの巨体は、投げ飛ばされていた。鉄骨と鉄筋をさらけ出したビルの残骸に、RDの身体が激突する。熱い痛みがRDの背中で弾けた。鉄筋が背中と腰に刺さったようだ。だが、弾けたのは痛みだけではなかった。

 ――!!!

 ありとあらゆる生物の五臓六腑が縮こまる、鬼の怒号。RDは激怒した。すくみ上がる虫けらを尻目に、自分を投げ飛ばした戦士に向かって猛進した。右の手首は折られてしまったが、それはまともに使えないのは右手だけということだ。
 ビルも吹き飛びそうなタックルを、RDは見舞った。
 戦士の背後にあったビルは確かに粉砕されたが、やはり、肉と骨が潰れる手ごたえがない。
 チイィ、と舌打ちして瓦礫の中から顔を引き抜く。その顔を殴りつけられ、RDは2メートルばかり吹っ飛んだ。
 地面を転がり、ぐらつく視界に目をしばたいて、すぐに首を傾けた。戦士が顔面めがけて槍を突き出してきたのだ。
「この……! いい加減に……!」
 RDは左手を突き出した。
 掴んで、握り潰してやる。
 そう思ったが、戦士は槍を引くと、稲妻のような速さで繰り出してきた。RDの手のひらに、それこそ電撃そのものが命中したかのようだった。衝撃と痛みが、RDの左手を貫く。
 RDはまた叫んだが、それは人をすくみ上がらせる力を持たない、ただの悲鳴だった。
 戦士がぐっと身体に力をこめたのがわかる。RDの手から引き抜いた槍に、光が宿った。

 ゴ・ん!!



「おい、弾――」
 華は声を張り上げながら周りを見て、舌打ちした。
 ガスマスクたちとは少し離れてしまっている。
 薄暗い、黄昏時に近い視界の中で、十数のマズルフラッシュがひっきりなしに光っている。残念ながら、華のもとに駆け寄ってマガジンを投げる余裕がありそうな者はいなかった。
 空気が裂けた。
 華の肩の皮膚も。
 反応できたのは、積み重ねた経験のおかげだろうか。華は、弾が切れたAKで槍を受け流していた。左肩で熱が爆発している。骨をやられていないようだから、まだ充分動かせるだろうが。
「ファンタジーな鎧着やがって、この野郎!」
 華はAKのストックで、思いきり相手の顔面を殴りつけた。
「めんどくせえんだよ!」
 なめらかな曲線を描いていた鏡に、醜いヒビが入っていた。天上人は槍を手放して悶絶した。胸と腹の鎧の継ぎ目に、華はすかさずナイフを滑りこませる。それから、追い討ちに蹴り倒した。
 ギル・バッカスのようにうまく扱えるかどうかはわからないが――華は、地面に落ちた槍を拾い上げた。思いのほか軽い。
 現代の戦場でこんな槍を使う機会はめったにないだろう、と華は考えた。
 ――ファンタジーなことばっかりだ、まったく。
 しかし、槍の穂先を眺めた華の表情は、誰が見ても嬉しそうだった。
「おぅ、大将軍! 槍もサマになってるじゃねえか!」
 華が槍を拾うのを、ギルはしっかり見ていた。この薄暗い世界では、槍や鎧の輝きすら、ギルの目には異様にあざやかに映るのだ。もともと彼の目は、暗い世界で生きるために都合がいいようにできている。
 が、そんな一瞬のよそ見で、意外なところから間合いを詰められていた。
「ッと!」
 また脇腹を抉られかけるところだったが、二度も同じような場所に攻撃を食らうつもりはない。ギルは逆に間合いを詰めて、相手の槍をがっちり脇に抱えこんだ。
 ブーツの踵を地面に叩きつけると、ぱちりと仕込んでいた刃が飛び出す。槍と腕を掌握したまま、天上人のすねをヒールで蹴り上げた。
 ギルの耳元で、破れ鐘を叩いたような悲鳴が上がる。
 倒れた戦士の鳩尾に、ギルは容赦なく自前の大槍を突き刺した。
「大槍! 狙われているぞ!」
 どこからか飛んできたストラの声に、ギルはハッと頭上を仰ぐ。
 光が飛んでくるところだった。
 逃げられないか? そう思った瞬間には、ギルの身体は宙を舞っていた。どうやら、怪力を持つ誰から投げ飛ばされたようだ。そう理解する時間があるくらい、ギルの身体は長い時間滞空していた。実際には、1秒くらいの間だが。
 なんとか受身を取って地面を転がり、すばやく膝を立てると、空からの光弾が地面を大きく抉って、すり鉢状の穴を穿っていた。土煙が舞う中、穴の中心に霧が集束する。
 助かった、とギルはブラックウッドに片手を挙げた。
 ブラックウッドも片手を挙げて応えたようだったが、すぐにまた彼の姿は霧になった。
 天上人はギルよりもブラックウッドのほうが相当気に食わないようで、彼が現れたクレーターに向かって、執拗に光球をぶつけ始めたのだ。
 ストラがその空に向けてガリルをマガジンひとつぶん連射した。
 距離と角度にもよるが、ガリルとAKの弾丸は、天上人の鎧を貫通するらしい。ギルとブラックウッドを狙い撃ちにしていた天上人が、逆に狙い堕とされていた。
 ストラはすばやくマガジンをリロードした。が、どうしても生じるわずかな隙に、天上人が槍を投じてきた。絶対に当てられるという自信があったのだろうか。
 光の粒子で軌跡をいろどり、槍は音速に近い速さで飛んできた。ストラは不意に寒気をおぼえた。恐怖ではない――急に、湿気が頬を撫でてきた気がして。
 槍は当たらず、ストラの前に出現したブラックウッドが受け止めていた。
 ブラックウッドはくるりと槍を回して穂先の向きをひっくり返すと、左手で軽く投擲した。ように見えた。
 ぱンッ!!
 その破裂音は、飛んだ槍が音速を超えた証だ。自分の槍を食らった天上人は、胸から上がなくなっていた。
「――スパシーバ」
「おや、これはいけない。君らにはすでに貸しがあったというのに、また貸しを重ねてしまっ……」
 ブラックウッドはストラの身体を軽々と抱え上げて、跳躍した。何メートル飛んだか、ストラにはわからなかった。気がついたときには、路地の上に転がされていた。傍らにブラックウッドが膝をついて、静かな微笑を浮かべている。
「また貸しだ。まあ、返せと言うのも少々がめついかな」
「一度目の貸しとは?」
「君が信頼する同志に、一度食事を妨げられてね。だが、あの件については銀幕市の民が『恨みっこなし』と決めたのだ。だから私も不問にしようと思ったのだが……食い物の恨みは恐ろしい、とよく言うだろう」
 ストラは戸惑ったのか迷惑に思ったのかわからない複雑な表情で、身体を起こした。
「男の血を吸ってどうする、吸血鬼」
 ブラックウッドが言わんとしていることを何となく理解したのだ。
「私は分け隔てをしない主義なのだよ」
「節操がないと言え。下僕にされてはかなわん」
「そうかね。残念だ」
 ブラックウッドの余裕の微笑から、ストラはふいと目をそらす。
「……だが、借りはいつか返さねばな。ウォッカでは不足か? ……不足だろうな。考えておこう」
 ストラはようやく落ち着いてマガジンをリロードできた。叩きつけるようにしてレバーを引き、光と炎が渦巻く通りへ走っていく。残されたブラックウッドは、わずかに肩をすくめて、やはり笑っていた。
「なるほど、かわいいところもあるようだ。早急に市民に受け入れられた理由はそこかな」
「おーい! みんな、こっちだ!」
 ルークレイルの声がした。ブラックウッドは、ウォンとともにいるはずの使い魔に同調し、視界をつなぐ。ルークレイルとガスマスク2名の姿を確認できた。
 旧い吸血鬼の姿は、静かに消えた。


「こっちだ! みんな、こっちに逃げろ!」
 ここで退避しろ、だと。
 しかしウォンは、突然現れたルークレイルの言葉に反発はしなかった。刀冴たちとともにいた仲間であるらしいことははっきりしている。ガスマスクを2名伴っていたからだ。
 ウォンが背中を預ける刀冴が、顔の汗を腕で荒々しくぬぐった。
「ありゃ、何か仕込んだ感じだな。どうする、ウォン」
「行ってみよう。イヌと槍使いも乗っていることだし……おまえもだいぶ疲れているようだからな」
「ンなことねぇよ! むしろこんなに身体動かせて楽しくなってきちまったくらいだ」
 刀冴は笑い飛ばしたが、その額と首筋からはとめどなく汗が流れ落ちていた。彼は惜しみなく広範囲に影響を及ぼす魔法を使い、光の球を何度も弾き返している。消耗するのが当然だ。今にも倒れそうという風ではないから、試合を楽しむスポーツ選手が見せる表情に似ているだろうか。
 ギルは、逃げるなんてとんでもないと不満を言っている華を引っ張って走っていた。路地から飛び出してきたストラは、ぞろぞろと同志を引き連れて、ルークレイルが手を振る建物に駆け寄っていく。
「逃げられると思うのか、馬鹿めが!」
 天上の人々は、珍しくそんな悪態をついて追跡してくる。ウォンと刀冴はしんがりになった。ウォンが銃で応戦し、刀冴が魔法で障壁を作り上げて、雨あられと浴びせかけられる光弾を防ぐ。
「待たせたな。皆無事か?」
「どういうつもりだ、せっかく楽しんでたってのに」
「まあまあ。インターバルもなしに12ラウンドはきついだろ? ――おっと、むやみに歩き回らないほうがいい。俺についてきてくれ」
 ルークレイルは先頭に立ち、備品も何もない、柱が並ぶだけのフロアを走った。地下への階段を、ほとんど飛び降りるようにして降りていく。刀冴などは、一段も降りずにひらりと飛び降りた。
 天上からの追っ手は、当然ビルの中に入ってきたようだったが――
 全員の足が一瞬止まるほどの爆発が、1階フロアで起きた。
「これで何人片づいただろうな。ひとりとかふたりだったらお笑いだ」
 ルークレイルは苦笑いした。地下フロアは真っ暗だったが、テロリストたちがライフルの下に装着したフラッシュライトのスイッチを入れた。ライトは冷たい鉄の扉を照らしだす。ルークレイルが扉を開けると、かすかに不快な匂いがしてきて、湿気がドアの向こうから漏れてきた。
「下水処理施設がある。ここから下水道に降りられるんだ」
「また下水か。まったくクソ一色な夜だ」
 ウォンが軽くため息をつく。あんな鼻が曲がるような思いを、この日だけで二度も味わうはめになるとは。
「市内のどこにでも行けるぞ。ハーメルンの連中は下水道の配置を把握してるんだ」
「では、チャイナタウンに向かうか」
 ウォンは銃をしまい、サングラスを取った。傷だらけの顔と目があらわになる。
「ブラックウッドから大体の話は聞いた。どうやらほぼ全員、『豚宝中心』のフカヒレ入り肉まん……ではない、チャイナタウンが始まりだったようだな――あの街が『入口』に変えられてしまった。あそこで終わらせられたら、何とも劇的だとは思わないか。所詮茶番だ。茶番にふさわしいフィナーレをくれてやる」
「やあ。もしよかったら、彼も仲間に加えてあげられないかね」
 ついさっきまでいなかったはずのブラックウッドが、ひとりの男とともに、闇の中から現れた。ふたりとも服は黒一色であったから、まるで闇の塊が姿を変えたかのようだった。
 ブラックウッドが伴ってきたのは、ちろちろと炎の筋をまとう、黒翼の男――レオンハルト・ローゼンベルガー。
 ウォンと、彼の目がかち合った。
 しかしふたりは、お互いが気づいたことをあえて口にはしなかった。何の意味もないことだ。戦力が増える、それだけでいい。レオンハルト・ローゼルベルガーの中に、もうひとつの強大な『気』が潜んでいること。ユージン・ウォンが、すでに死んでいるのに腐敗の兆候も見せずに動いていること。本当に、どうでもいいことだ。むしろ、触れないほうがよさそうではないか。
「チャイナタウンだな。把握した。我々が先導しよう」
 ストラがガリルを背負い、下水道へつながる鉄のはしごを降り始めた。



 始まりの街、チャイナタウン。
 天上人はほとんどがミッドタウンに結集しているらしく、辺りは静かなものだった――が。
 路地裏のマンホールから地上に出た一行が真っ先に見たのは、血みどろで倒れている大鬼の姿だった。ギルと華とルークレイルなどは、ぽかんと圧倒された。
「ランドル……」
 ウォンはその姿を見て呟きかけ、すぐにその考えを改めた。
 知っているオウガによく似ていたのだ。だが、どうやら人違いだったようだ。
「RDだな。私が見たときは、景気よく暴れまわっていた。……返り討ちにあったか……見たところ、戦闘能力には優れていたようだったが」
 レオンハルトが腕を組んで、のびている鬼を見上げた。刀冴はRDのぬらぬら光る生々しい傷痕を見て、首の後ろを掻いた。
「おいおい、大丈夫かよ。っかァ、こういうときに回復魔法もちゃんと勉強しとくんだったって思うぜ」
「あー、よく考えたらこのメンツ、戦闘に特化しすぎじゃないか」
 ルークレイルが言うと、華やギルやブラックウッド、ガスマスクたちまでもが苦笑いした。
「あまり近づかないほうがいい。放っておけ」
「でもよ、怪我人だぜ」
 レオンハルトはRDの戦いぶりや、その食性を目の当たりにしていた。だから、その忠告もやむを得まい。それに素直に従えなかった刀冴も、そういう性分であるから、仕方がないと言えるだろう。
 刀冴が近づき、その赤い肌に触れたとき――後ろで見守っていた者たちは、小山が動く光景を見たような気がした。
「うルぉああああああァ!! 畜生! クソ野郎! あ゛ァああああああ!!」
 血をまき散らしながら、喰人鬼は身を起こし、大木のような両腕を振り回した。刀冴もレオンハルトも、危ないところでラリアットの直撃を避けた。
「ぉおおい、マズイだろ。連中に気づかれちまうぞ、せっかくちょっと静かだったってのに――」
 ギルが危惧した次の瞬間には、全員の視界に、蒼の輝きが映りこんでいた。ハーメルンがジャカジャカと一斉にライフルを空に向ける。
「待て!」
 しかし、現れた天上人はひとりだけ。しかもその天上人は、そう言って手をかざした。
「天に誓う。おまえたちに危害は加えない。ものを尋ねたいのだ」
 細い肢体に、細い槍。見かけは、一行がさんざん蹴散らしてきた者たちとほとんど変わりない。だが――少し、背が低いだろうか。
「うるせェ、なめやがって!」
 RDは咆哮し、その手を伸ばして、初めてコンタクトを取ってきた天上人を掴み取ろうとした。ウォンは嘆息し、無言のままRDに駆け寄る。そして、黒い疾風のように背後にまわった。RDがウォンに気づいたときには、彼は膝の裏を強く蹴られて、どうと倒れこんでいた。レオンハルトがすかさずその右腕を押さえつける。
「ふむ、気は進まないが……」
 ブラックウッドもレオンハルトに協力した。彼はRDの左腕を押さえつける。ただし、ふたりとも傍から見ると、片手を軽くRDの二の腕に置いているようにしか見えない。RDは吼えながらもがいたが、ふたりの拘束はびくともしなかった。
「クソこのテメェら!! ブッ殺してブッ潰して喰ってやる、畜生! 離せ!!」
「すまない。少しの間だけ辛抱してくれ」
「スカしやがってこのジジイィィ……!」
 天上人はその様子を見て、ふわりと地面に降り立ち、槍を足元に投げ捨てた。そして、鏡面の兜を脱いだ。
 無貌の仮面の下から現れた顔は、人形のように整っていた。銀髪碧眼の、女だ。
「わたしは下位3連隊隊長、レイスウェル」
「……信用してもよさそうだ」
 ルークレイルが言って、前に出た。
「映画の設定資料で見た。彼女は主人公側についた天上人だ。――人間狩りには消極的だった、そうだろう?」
「なぜ、わたしのことを知っている?」
 レイスウェルは眉をひそめたが、警戒まではしていないようだった。ただ……不思議そうなのだ。
「疑問ばかりだ。この街も、わたしの同胞も、ヴェルトロン将軍も、何かがおかしい。確かに、我々天が浄化しようとしている地上には、悪鬼や悪魔がはびこっていた。だが、おまえたちには……どうしても違和感がある。わたしたちが長きにわたって相手取ってきた『穢れ』とは違う気がする。それに……将軍も、わたしの隊の兵たちも、皆まるで心がないようだ。気立てのいい者もいたのに、皆盲目的に命を奪おうとするばかり……」
 彼女は知らないのだ。
 恐らく彼女だけが、このハザード内で生まれたムービースターで――あとの天上人は、皆、ムービーハザードの一部にすぎない。今までウォンたちが倒してきた天上人は、誰ひとりフィルムにならず、死体となって転がるばかりだったから。
 彼女は知らないのだ。
 ここは銀幕市であることも、自分が本当の「天上の人」ではないことも。
 レオンハルトはひそかにかぶりを振った。自分が実体化したことを好ましく思っていない彼にとっては、自らの「出現」に混乱するムービースターの出現が、何よりの悲劇に思われてならない。
「説明してやるよ。でもその前に、この世界から出――」
「伏せろ!」
 ルークレイルの言葉をさえぎり、刀冴が飛び出した。彼の双眸が、烈しい白金色に輝いた。
 光球の雨が、横殴りに降ってくる。
 刀冴の剣風と障壁だけでは防ぎきれない。レオンハルトはRDの腕から手を離し、炎の壁を作り上げた。天上人レイスウェルは、背中の羽根を輝かせ、目の前にいたルークレイルを抱えると、恐ろしい勢いで光球を避けた。
 天上人の軍勢だ。
 ストラがハーメルンにしかわからない言葉で何ごとか叫ぶと、ガスマスク連中は空に向かってライフルを一斉掃射した。だが、その弾幕をかいくぐり、他の天上人よりもひとまわり大きい戦士が、槍を構えて急降下してくる……!
「おめぇらッ、もっと下がれッ!」
 ガスマスクたちをかばい、ギルが迎え撃った。大槍には大槍をとばかりに。
 ぎゃリッ、と激しい金属音と火花が散った。血が飛び散った。ギルのものだ。穂先を急所からずらすことはできたが、二の腕をばっさり斬り裂かれてしまった。
「将軍か……!?」
「ヴェルトロン将軍だ!」
 レイスウェルが叫んだ。彼女は丸腰だったが、自在に飛べるので、回避するだけなら問題なさそうだ。ルークレイルという男を軽々と抱えるほどの力もある。
「裏切ったか、レイスウェル。穢れにほだされるとは、何たることだ」
「閣下、お聞きください。この世界は……」
「黙れ。我らの目的を、忘れたのか!」
 ヴェルトロンは兜の中から怒りに満ちた声を上げ、手負いのギルに槍を向けた。
 黒い影が、ずざあッと地面を滑る。ストラがスライディングして、ヴェルトロンの足首を蹴りつけていた。ぐらりと天上の将は傾いだ。ストラはジェリコを抜き、至近距離から銃弾を放とうとしていた。
 だが、ヴェルトロンはすばやく飛び上がっていた。
 バシッ、と銃弾が命中したかのような音が、彼の左腕で起こった。華が、ミッドタウンで手に入れた天上人の槍を投げたのだ。それはヴェルトロンの小手を貫き、腕の肉と骨を貫いた。血みどろの穂先は腕から飛び出し、ヴェルトロンは大槍を落としかける。
「この、クソがァ!! コイツら喰う前に、借り返してやるァ!!」
 RDが猛然と立ち上がって、ヴェルトロンの背中に凄まじい勢いでヘッドバットを浴びせた。
「閣下!」
「この悪鬼どもめが!」
 上空の天上人が、槍と光弾を投げてくる。
「五月蝿い外野だ」
 レオンハルトが振り向きざまに炎の壁を張った。
「静粛にしていろ」
 壁は光と槍を消し飛ばしただけにとどまらず、空に向かって押し出された。逃げ遅れた天上人は炎に巻かれ、ほとんど一瞬で消し炭になった。
 RDのヘッドバッドをまともに食らったヴェルトロンは、そう遠くはなかった地面に叩きつけられた。
 立ち上がろうとしたところに――
「ツラ無しで踊ってみせろ」
 ユージン・ウォンが、拾ったレイスウェルの槍を叩きこんだ。
 鏡の仮面が、一秒にも満たない間、迫り来る穂先を映していた。
 顔面に槍を突き刺されたヴェルトロンの身体は、激しく痙攣した。だがその腕はいまだ大槍を握っていて――
 刀冴の〈明緋星〉が、ウォンを突く前に、ヴェルトロンの大槍を叩き切っていた。
「閣下……!」
 飛び出そうとしたレイスウェルの腕を、ルークレイルが掴む。
「ニワトリでももっとマシに踊るぞ。××××」
 ウォンが吐き捨てる。ヴェルトロンは……フィルムにならなかった。

 光だ。
 数時間前に見たものと同じ光が、9人とレイスウェルを包みこむ――。




 午前2時23分。
 ウォンの腕時計は、冷静に時を告げてくる。だが、磨き上げたはずのその文字盤には、金色にかがやく血がこびりついていた。
 ブラックウッドは空を見上げた。漆黒の夜空では、無数の星が光っている。炎のような赤さも、黒煙のような雲も、見当たらない。
 美味いフカヒレ入り肉まんを売る『豚宝中心』は、シャッターが閉まっていた。シャッターには、『10:00〜23:00 月曜定休日』とペンキで無愛想に書いてある。
「帰ってこれたな。ふぅーーー……、いやァ、まいったぜ」
 刀冴が、疲弊しきった長いため息をついて、その場にどっかり腰を下ろした。
「もうおしまいかよ。……なんだ、終わってみたらけっこう楽しかったな」
「おい、大女。貴様、自分のAKをどうした。返せ」
「あ? 悪い悪い、どっかで捨てちまった。弾が切れたもんでさ」
「何ィー!?」
「大声を出すな、セルゲイ。……大槍、腕を見せろ」
 華を怒鳴りつけるガスマスクをたしなめ、ストラがギルに歩み寄った。ギルの二の腕の傷は、骨が見えるくらい深かった。
「同志の窮地を救ってくれたな。感謝する。……ベリンスキーが縫合できるだろう」
「あー、なァに。こんなもん酒でもぶっかけときゃいいんだよ。どーしても詫びたいってンなら、その酒を奢ってくれりゃアいい」
「酒! いいな、酒!」
「そうだ酒だ! 疲れたときゃ、酒がいちばんだ」
「お、いいねえ」
 ルークレイルと刀冴がパッと顔を輝かせた。ちゃっかり華も。
「チッ……お気楽な連中だ。勝手にやってろ」
「RD君。空腹だったのではないのかね。それに君も傷を負っている」
 RDは、夜気が心地よい冷たさだったこともあって、急に毒気を抜かれた気分だった。怒りと苛立ちと空腹感は治まらないが、それは……いつものことだ。
「うるせェ。いつかテメェら全員喰い殺してやる」
「腹を壊すぞ」
 ウォンが一言忠告すると、RDはものすごい形相で睨みつけ、唾を吐いて、のしのし歩き去っていった。
「この世界の話をする約束だったな」
 生き残った――と言っていいものなのかはわからないが――天上人のレイスウェルは、兜と槍を抱え、ゆっくりと辺りを眺めまわしていた。傍らにレオンハルトが歩み寄り、そう声をかける。
「人によってはこの話に怒りや虚無感をおぼえる。だが、希望を見いだす者もいる。……後者のほうが多いかもしれないが。酒を飲みに行くなら、ルークレイルたちが話してくれるだろう。酒がいらないなら、私が話す」
「……」
 レイスウェルはしばらく思案に暮れていた。
 ちら、と彼女は酒を飲む前からわいわいと盛り上がっているルークレイルたちに目を向ける。
「そうか。それならいい。私はこれで消える」
「……すまなかった。まだ状況が呑みこめていないが、きっとおまえたちに迷惑をかけたのだろう」
「不可抗力だ。もう済んだことでもある。気にするな」
 レオンハルトも、静かにその場を去った。ルークレイルたちには、何も言い残さずに。
 ふむ、とブラックウッドがゆるやかに微笑む。
「さて、君はどうするかね」
 腕時計をぬぐっていたウォンは、顔を上げた。
 さて、どうしようか。
 時刻は、午前2時半をまわっている。一応、この時間でもやっている店を、知っている。場所はもちろん、ここチャイナタウンだ。




〈了〉

クリエイターコメント正真正銘のギリギリ納品で大変申し訳ありません。大人数プラノベのご予約ありがとうございました。
戦闘区域は、戦いやすそうだったのでミッドタウン内に設定してしまいましたが、いかがでしょうか。銀行の地下が頑丈というのは捏造です……。どこの建物でもトイレが丈夫という話は聞くのですが、さすがにトイレで小休止はちょっと……。
戦闘シーンの連続、楽しんでいただけたら幸いです。

肉まんが食べたい。
公開日時2009-06-01(月) 18:50
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