ヴォロス南方の砂漠地帯には『砂鯨』という巨大な生物が棲息している――。 それはイルファーンが聞きつけてきた噂だった。 その地域は、きわめて細かい砂の砂漠が広がっており、普通に歩くことさえ困難だった。そのため、一年を通して強い風の吹く気候であることを利用して、砂のうえを帆を張ったボートやソリのようなもので移動する習慣がある。 そして、こまやかな砂の中を泳ぐように暮す生き物もいるのだった。 砂鯨(デザートホエール)とはそんな砂漠の生物の中で、最大のもので、その名のとおり、砂漠に住む鯨と考えればよい。陸生の哺乳類だが、砂地を泳げるよう進化したのだろう。 非常に珍しい動物で、普段は巨体を砂に潜めているせいもあってなかなか見ることもかなわない。 だが年に一度だけ、この時期の満月の晩には、砂鯨たちが繁殖のために集まってくるのだという。 月下の砂漠で砂鯨の雄と雌が求愛行動をとる。そのときにかれらがあげる鳴き声は「砂鯨の歌」として砂漠のキャラバンたちには知られている。また、すでに身ごもっている雌は出産をする。生まれたばかりの子鯨が、月夜に産声をあげる光景はさぞ幻想的だろう。 今年も、砂鯨たちがやってくる夜が近づいていた。 近くにはキャラバンが交易の拠点とするオアシスの都市があることもわかり、「ヘンリー&ロバート・リゾートカンパニー」は、ツアー企画を催すこととなったのだった。 =============!注意!パーティシナリオでは、プレイング内容によっては描写がごくわずかになるか、ノベルに登場できない場合があります。ご参加の方はあらかじめご了承のうえ、趣旨に沿ったプレイングをお願いします。=============
■ 砂漠の町のバザール ■ 『イルファーンの故郷も砂漠の世界だと聞いたよ』 エレニア・アンデルセン――その手のパペットが、傍らの恋人に語りかける。 「似ていると言えるだろう」 イルファーンの赤い瞳は、しかし、遠い故郷の追憶ではなく、今ここにいるエレニアのほうを向いていた。 エレニアは照れて、賑わうバザールの風物に気をとられたふうを装った。 (わぁ……) だが目を向けてみれば、実際に引き込まれてしまう。 「宝石の原石だね」 露店に並べられた石は、不思議な光沢で見るものを魅了せずにはおれない。 エレニアは飽くことそれを見つめ、その横顔をイルファーンが優しく見守る。 「この原石、ヴァネッサさんっぽいです……あ、この飾りは絶対菖蒲ちゃんに似合います! この柄は緋穂さん好きそうです、でもそれならエーリヒ君もお揃いにしたいです。カレーっぽい品も探さないと」 吉備サクラもまた、自身のつくる服に使えそうな石や、お土産にと考えた石を選ぶのに夢中である。このあと布地や装飾品も買い込む予定なので、夜までには財布がすっかり軽くなりそうな予感である。 「むむ……」 そしてこちらは財布の中身とにらめっこしているカンタレラ。 ヴァネッサに宝石を買って献上できればと思っていたが、生憎の手元不如意である。ヴァネッサほど目の肥えたコレクターに中途半端なものを渡してはかえって不興を買うかもしれないし、妖精郷の子どもらへのお土産も買いたいからここで路銀を使い果たすわけにもいかなかった。 「仕方ないのだ。石は諦めて織物にするのだ。ゴージャスなものならきっと気に入ってくださるはず……」 方針を変えて織物の店をのぞく。 豪奢な金糸を織り込んだものはどうだろう。ついでに自分用の、踊りの装束に使えるものも買おうか。カンタレラはそう考えながら、店に入ったところで、どんとぶつかってきたのはソア・ヒタネだ。 「あっ、ご、ごめんなさい!」 たまたま同じ店で、織物を選んでいたソア。買い物に夢中になって前が見えていなかった。 「平気なのだ。……それは綺麗な織物なのだな」 「あ、はい。素敵でしょう? 植物の図案なんです。これは女性向きかな、って。揃いで男性向きのものも探してるんですけど……」 ソアは買った織物でなにか仕立てて友人たちに贈り物をするつもりだそうだ。 「うっわー、キレイだなー。おじさん、あれ取って!」 ハロ・ミディオが露店のうえに吊るされた、カラフルな鳥の羽根を使った飾りものを指して言った。 手が届かないので、ぴょんぴょん跳びながら店主に声をかけたが、店主はよそに気をとられて聞こえなかったようだ。 「はい、これですか」 かわりに、通りがかったジューンがとってくれた。 「ありがとう! トリルちゃんに似合うかな?」 いつもかぶっている牛の骨(彼女のトラベルギアなわけだが)の角に吊り下げてみる。 その様子にジューンは微笑み、自身もまた、お土産を選ぶことを思い出す。 「これはうちの子にぴったりです。後は……緋穂様やツギメ様にも……ふふっ。装飾品が多すぎて迷ってしまいますね」 バザールで手に入らないものはないのではないか――。 そんなふうに思ってしまうくらい、さまざまな物があふれ、活発に商いが行われていた。 金町 洋は椰子の木陰で果実水を啜りながら、そんなバザールの様子を眺めている。 少しひやかしてみたが、本格的に見て回るとなるとそれだけでかなりの時間を費やしてしまうだろう。 だがこのツアーの本分は夜。それまで体力を温存しなくては。 そんな洋の視線の先で、マルチェロ・キルシュは独り、買い物に励んでいる。 (たまには単独行動も悪くないかな) 気ままに店から店へ歩き回り、目に留めたものに手を伸ばす。 「これは幾ら? そう……それじゃあ、これも一緒に買うからすこし負からない?」 値切りもなかなか堂に入っているのは商家の生まれゆえか。 真鍮の耳飾に、磨いた空色の石をつなげた首飾。そして銅版を加工したドアベル。いくつかの細工物を手に入れた。 「カラクリ仕掛けの武器はありますかねぇ」 七代・ヨソギは武具に興味があるようだ。 そして見つけたのは、肘までを覆う金属製の手甲(ガントレット)だが、仕掛けにより仕込んだ刃が飛び出すというものだ。 「これはバネなんですかねえ? それとも……ふんふん、留め金を外すと重みで滑って出てくるわけですね」 仕組みは想像できるが、詳しくは分解してみたほうがいいだろう。 さっき鉱石を仕入れた残りのお金で何が買えるか、ヨソギは算段を始める。 「アルド……。私は別に……」 「うーん、やっぱ赤かなー」 飛天 鴉刃はアルド・ヴェルクアベルと連れ立って歩いていた。 夜のための酒や飲み物は調達できたが、ふいにアルドが服を売る店で止まり、鴉刃の手を引いたのだ。 押し付けられたのは、厚手の織り地を染料で色づけし、仕立てあげた服だった。壱番世界風に言いならばデニムジャケットか。 「うん。ちょっと試着してみなよ。女の子っぽくて可愛いし」 ニコニコと見守るアルドのまえで、そっと羽織ってみる鴉刃だった。 そしてこちらはニワトコとユーウォンだ。 ユーウォンが水を一杯、奢ってくれた。砂漠の町では水も立派な商いものだ。 「お土産買っていくんだろ?」 「うん。なにがいいかな?」 「そうだなー」 ユーウォンは腕組みして、鹿爪らしい顔つきをしてみせた。 「日除けはどうだ」 「日除け!?」 露店で使われている、砂地に木の棒を差して、そのうえに布地を渡したそれらは、いかにも機能的だが。 「0世界や夢浮橋じゃあんまり使わないような……。あ、そうだ。香炉はどうかな」 それならぴったりではないか、とニワトコは思った。 砂漠の国でつくられたエキゾチックな香炉だ。きっと珍しがってくれるだろう。 それともお揃いのキレイな石でも買ったほうがいいかな? いろいろ迷いながら、そんな迷いもまた楽しいのだった。 ■ 旅芸人の天幕 ■ 賑わうバザールに寄り添うように、旅芸人たちの天幕や小屋が立つ。 さまざまな催しが行われているようだ。 「当てる、賞品貰う? 分かった、ルンやる!」 ルンは的を射抜けば賞品が貰えるという競技に勇んで参加。 得意の弓の腕前を披露して喝采とともにジュースの詰まったココナツの実をたくさん貰った。 ……さて、そんな様子を微笑ましく眺めていた坂上 健。 大学がちょうど夏休みなので参加したが、ただ見世物を堪能するだけではない。これだけの人出だからスリもいれば喧嘩も起こるだろう。そんなときは飛んでいって解決に協力するつもりだ。いわばボランティアの警備員。根っからの正義の味方なのだ。 と、そんな健の耳に飛び込んでくる喧騒は。 「どうした、どうした!?」 「あっちでなんか妙なことになってんぞ!」 すわ事件かと駆けつけた健が見たものは、 「……おい、しっかりしろ! ……寝てる?」 敷き布のうえにバタバタと倒れている人々……の姿に、一瞬、ギクリとしたが、よく見ればみな、すやすやと安らかな寝息を立てているではないか。 シタールを抱えたまま舟を漕いでいる吟遊詩人らしき男の傍らで、白服の少女――シーアールシー ゼロが歌をうたっているのだった。 「……こんにちはなのです。ゼロはゼロなのです」 ちりん、と銀の鈴が鳴った。ゼロが先ほど露店で買ったものだ。 「平気よ。彼女が子守唄を歌っただけなの」 一部始終を見ていたらしいホワイトガーデンが健に説明したところによると。 ゼロは吟遊詩人たちに「何かこの辺りのお話をお願いするのですー」に、この地方の民間伝承や神話の類を吟じてくれるようリクエストしたらしい。 それでしばらくそれを堪能したのだが、ふとした会話の流れでゼロが歌うことになった。そこで彼女は、最近覚えた壱番世界の演歌を歌ってみたのだった。 なぜ演歌!?というところがまず第一のツッコミポイントだが、演歌だろうがなんだろうが、彼女が歌えばすべてが子守唄になるのであって、結果、一帯はお昼寝コーナーになったという経緯なのだった。 「木陰は涼しくてお昼寝には最高よ。今夜は夜更かしだから寝ておくのもいいわね」 ホワイトガーデンはふわり、とあくびをした。 「今日の君は一段と麗しいな」 アマリリス・リーゼンブルグの言葉は決して世辞ではない。 彼女の連れ――東野楽園は、このヴォロスの砂漠地帯風の、踊り子の衣裳をまとって来たのだ。 腹のあたりなどは大胆に肌を見せているかと思えば袖は長くやわらかな布で覆われ、そのアンバランスさがかえって艶やかだ。顔の一部も紗で覆った、ミステリアスな異国の踊り子である。この地方の人々と比べれば楽園はかなり肌が白いのが目立つが、それだけに艶やかさはいっそうきわだつ。 「ふふふ、ありがとう。貴女も似合っていてよ。そういった恰好もなさるとは思わなかったわ」 対するアマリリスもまた、今日は揃いの衣裳で来た。 いつもの凛々しい出で立ちとは異なるが、もともと眉目秀麗なアマリリスのこと、衣裳はよく似合っていて、かつ、腰からは剣を提げているのがどこか倒錯的でもあった。 「おおい、おまえたち、こんなところで何をしているんだ!」 そぞろ歩いていたふたりへ、声がかかった。 「早く早く、もう出番だぞ!」 と強引にふたりの手を引いて。 「待って。人を間違えておられるのでは?」 アマリリスの抗弁も聞かず、どん、と背中を押されて放り込まれたのは、どうやら天幕内の舞台袖のようだ。 舞台から漏れる灯りのなか、袖には、同じような衣裳を着た踊り子たちが待機していた。 出演者と間違われたらしい。 さてその舞台のうえでは、鋼のように鍛えた肉体の怪力男が、鉄球のジャグリングを披露し終えたところ。 そして最前列のかぶりつきではナウラが、眼前で繰り広げられる芸の数々に目を輝かせ、手が痛くなるほど拍手をしているのだった。 土産を買ったあと、迷子になってしまったが、そのまま人並みに押し流されるようにしてこの天幕へ。しかしもう今は自分が迷子なのも忘れて舞台に見入っているナウラである。 蛇使いに火吹き男も凄かった。ナイフ投げに、怪力ジャグラー……さて次は――と、期待に胸を膨らませていると、果たして音楽の様子がかわり、舞台になだれこんできたのは、肌もあらわな衣裳を着た、美しい踊り子の娘たちなのだった。 「楽園!」 「いいじゃない。こんな偶然、またとないのだわ。楽しみましょう」 楽園は嫣然と微笑むと、本物の踊り子の群れに混じって舞台へ駆けていってしまった。 袖に残されたアマリリスが戸惑うのをよそに、見よう見真似で振りを合わせる姿は、意外なほど様になっているのだった。 (こ、これは……!) 目を白黒させているのは最前列のナウラ。 どうやらこれがこの小屋のメインイベントであったらしく、観客は熱烈に盛り上がっているが、踊り子たちの揺れる胸や、あらわな太ももに、ナウラは顔を真っ赤にして、両手で目を覆う。覆ったけれど指の隙間から見てしまう。 「私にはまだ早い!」 などと言いつつ、目が離せない! 楽園は舞台袖に視線を送り、微笑んで手招きをした。 「えい、こうなったら――」 覚悟を決めて、アマリリスは前へ。 楽園は、流れる楽の音に合わせて、声を放った。オペラのような、朗々たる発声だった。 そこへ流れるような動きで滑り込んでくるアマリリス。すらり、と剣を抜き放った。舞台を照らす篝火を反射する刃。それは勇壮な剣舞だった。だが舞うのは、艶やかな踊り子姿の美しい女性であって。それはまるで戦いの女神が降臨したかのような、美しくも神秘的な一幕となったのだった――。 ■ 酒肴に酔う ■ 村山 静夫は屋台を見てまわる。 連れ立っていたはずのナウラとはいつのまにかぐれていたが心配していない。 だが、ナウラのことを思い出したついでに、 「ガキも喜びそうな物はあるかい?」 と、屋台の親父に尋ねる程度の気遣いはあった。 揚げたドーナツのような菓子と、シナモンの風味を利かせたプリンのような甘味を買う。 それから自分のための酒と肴を少々。 屋台は故郷の縁日を思わせ、村山の心をなごませた。 吊るされている蠍の黒焼きさえ、微笑ましいのだ。 「さァて、土産を買うのも済んだ。次は喰いモン堪能させて貰おうか、ヒャハハハハ」 ジャック・ハートは食欲を刺激する香辛料の匂いに引き寄せられるように、屋台の前に立つ。 鉄の串に刺されて高くそびえている巨大な肉の塔がある。屋台の親父はそれを回転させながら焙り、焼きあがった外側を削っては客に供しているのだ。壱番世界で言うところのドネルケバブである。 ジャックは肉を山盛り求め、それから酒を買うべく、別の店へ。 ――と、酒を売る店の前で、じっとたたずむ男がひとり。……ヌマブチだ。 「……買うのか、買わねェのかどっちなんだ」 ヌマブチがなかなかそこをどかないので、ジャックが声を掛けると、ヌマブチは慌てた様子だ。 「い、いや、某は――飲酒は些か憚りが」 「此処ァ酒を禁止されてる場所じゃないと思ったが。違ったか、アァン?」 「いや、そういうわけではないのでありますが、その……親父、これを。では失敬」 どさくさにまぎれてひと瓶買うと、逃げるように人ごみへ消えた。 なんだありゃあ?とジャックは首を傾げる。 ヌマブチの事情を知るものがいないのは幸いだった。 「……人が多いのは、まだ慣れない」 しだりはそっと相沢優に抱きつき、その服に顔を埋めた。人ごみが苦手なしだりは人酔いしてしまったようだ。 「ごめん、無理させたな。どこかで休もう」 頭をなでながら、優は言った。 なるべくはずれの、人の少ない場所で、冷たい果実水かなにかを買って……そんなことを思いながら、しだりをかばうようにして歩く。 その途上で。 「!? ちょ、待って、優」 しだりが思わず二度見したのは、露店で売られている酒のボトルの中に、葛木やまとがいたからだった。 優にもむろん、それがロストナンバーであることはわかった。どこかで会ったことがあっただろうか。 蜘蛛の神は、ヤモリだのイモムシだのが漬けられた酒に並んで、蜘蛛酒として普通に陳列されていた。 「……放置してはいけない気がする」 やまとが入った酒を買いもとめると、人ごみを抜けて退避。 瓶を割ってみた。 「うぃ~」 「なんでこんなことに」 「わからん~」 「わからん……って。酔ってるの?」 「うぃー、酔っとらん。酔ってないよー!」 「だめだ完全に酔ってる」 その頃、とある屋台では、川原撫子が尋常ならざる食欲を発揮していた。 よく食い大いに飲むことまさに鯨飲馬食(砂鯨ツアーだけに)。 いわく、 「ゲテ物も美味しい物も一網打尽ですぅ☆ 蠍、海老っぽくて美味しいですぅ☆」 と、珍味にも怖気づく様子はない。食べられるものならなんでも食べる。 ねえちゃん、いい呑みっぷりだねぇ、と赤ら顔の現地の男たちに声をかけられ、はぁい♪と可愛く返事をしつつ、撫子はずい、とかれらの傍に椅子を寄せた。 「ちょっと遠い地方から来ましてぇ、知りたいんですけど、ここでは砂鯨、昔からこんなふうに保護してたんですかぁ☆」 「んー、そうだなァ、鯨は昔からこのあたりにいるもんさ。それこそ街が出来るまえからさ。保護……ってのはどういうことかね?」 酔ったふりして率直に聞くことにする。 「食べないん……ですか?」 そしたら、どっと笑われた。 どうも食用にはならないらしい。エコロジーなどという概念のないヴォロスで、もしあれが食べられるなら、住人が狩らないはずはない。たまたまそういう習慣がないからなのか、実際、食べることができないものなのかはわからないが……。 こちらのテーブルは、蓮見沢 理比古と虚空の主従。 「わぁ、タンパク質たっぷりって感じだ」 理比古はなにかイモムシ的なものを炒めた料理を恐れること口に運び、そう感想を述べた。 見慣れぬ食材もむしろ「旅の醍醐味、異文化コミュニケーションってこういうことだよね!」ということらしい。 「まえに来た砂漠の街とも違う。広いんだな。ヴォロスは」 そう言って虚空は杯を傾ける。焼け付くような強い酒だ。この地方でつくられている蒸留酒らしい。水で割るとさっと白く濁る。味はどことなく薬じみた、独特の香りで、奇妙な感じだが、これも異文化コミュニケーションだろうと、あるじの受け売りをしておく。 「食べないの、虚空? これも美味しいよ。ラクダの乳のチーズだって」 「ああ」 たいらげるのは理比古にまかせて、味見程度の虚空。 虚空としては、珍しい食材や料理を知ることは目的だ。加えて、どれが理比古には好評で食いつきがいいのかもわかればなおよし。だが理比古は虚空にもっと食べさせたい!という気持ちが高まったらしく、屋台の親父を呼んで串焼きを追加すると、虚空の前にどんどん積み上げていくのだった。 ■ 最果ての流転 アルカトゥーナ ■ かつて何度か、ロストナンバーたちが交流を持ったこともあるキャラバンのひとつが、この街に来ているとわかり、訪ねることにした。 話をつけたのは氏家ミチルだ。 ロストナンバーたちは、町はずれに滞在するアルカトゥーナの天幕に通される。 司馬ユキノと、アキ・ニエメラ、ハルカ・ロータス、百田十三は、族長の息子リンゼとその妻カノンに招かれ、車座になってもてなしを受ける。 リンゼが羊皮紙の地図を広げて、ここまでの旅の道筋を聞かせてくれた。 (凄いな。一生を旅とともにあるって……どんな気持ちなんだろう) ハルカは思う。 この三十名ほどの集団はほとんどがどこかで血のつながりをもつひとつの氏族だ。それが、ひとつ土地に根付くことなく、旅の空のしたで、しかし血脈をたしかに保っている。その姿に、まさしく敬虔な巡礼者を見たときのような、畏敬の念のようなものを抱かざるをえない。 「町がないところだと野営をするんだろ? どんなものを食べるの。料理を教えてほしいな」 アキが訊ねた。 これにはカノンが、アルカトゥーナでもよくつくられているという料理を思いつくままに教えてくれた。干し肉と豆を煮込んだものや、蜜漬けにした干し果物を一緒に入れて煮込む鶏のスパイス煮、乾燥ハーブをまぶして焼く魚などである。 「旅をするうえでの工夫とか、コツみたいなものがあるのか?」 という問いには、少し考えて、リンゼが、 「仲良く、楽しくやること」 と笑って応えた。素朴な笑顔だった。 「そうか。いいな。いつか……旅に同行させてもらいたい。ハルカも行くよな?」 「え? ああ、もちろん」 「喜んで。アルカトゥーナはいつでも歓迎する」 「あの……みなさんは、旅しながら暮らされていて……私たちや、今、この町に集まっている人たちは観光客ですよね。そういった人のこと、どう思いますか?」 ユキノが聞いた。 「こうして行き逢うのも佳き運命のひとつに違いない。観光客も我々も旅人であることに変わりはないのだから、この出会い、ふれあいを喜ぶだけだよ」 「はあ……」 あまりにしなやか、そして泰然。ユキノは圧倒されたような、かつ、肩透かしをくらったような、そんな気になる。 そんなふうに、キャラバンに興味津々な3人が話すのを、百田十三はじっと聞いている。自分から話しはしないが、興味深く耳を傾けていることは察せられた。 年嵩のものたちが、十三の差し入れてくれた酒や食べ物の礼を述べた。手土産として、彼がバザールで仕入れ樽を担いできた酒と、袁仁5匹に運ばせてきた食べものだ。 「そうだ。日が落ちるまで暑いからな。すこしまっていてくれ。器はあるか?」 ふと思いついたように十三は立つ。 天幕の外にビニールシートを広げると、雹王を召還。 「雹王招来急急如律令、この上に雪の山を作れ」 生み出された氷雪を器に盛り、持参の抹茶糖をかければカキ氷の出来上がりだ。 「これは珍しい。いつかの秘境で食べた万年氷の蜜がけのようだ」 と、評判も上々である。 さて、かれらを引き合わせたミチルは、長への挨拶の後、以前の旅で親しく結び、その後の消息を気にかけていたリドとユカの夫妻のものへと向かっていた。 老夫婦はミチルとの再会に顔をくしゃくしゃにして喜ぶ。 「おふたりがお元気で良かった……! あ、そうだ、預かってきたものが……」 かれらに会えたら渡してほしいと言付かってきた薬草のブレンド茶と、自作の干し肉を贈ったときのふたりの喜びようと言ったらなかった。さっそく、いつもふたりの幌に置いているという厚手の皮の袋の中にしまいこむ。そこには、今までの旅で得た大切なものがみなしまってあるのだという。 「そうだ! 疲れてないッスか? マッサージしてあげます!」 ミチルは自分の祖父母のように接した。 しばらくそうしてあたたかな時間を過ごしてから、リドがふと思いついたように、なにかを取り出してきた。 「よかったら、これをお持ちなさい。これは『哀しみを遠ざけて幸せを呼び込む』とされている物だよ」 そう言って、そっと握らせてくれたのは、ちいさなお守り石のようだ。 なめらかな石の表面は虹色の不思議な光沢を見せている。とある地方の、太古に火山の噴火により一夜にして灰の下に沈んだ都市の遺跡から出土した品なのだという。土中にあって、この光沢をもつことから、おそらく銀化した硝子であろうと推測された。 「ずっと元気でいて下さいッス。大好き」 感激して言うミチルに、私たちもだよ、と返し、マッサージのお礼に髪を梳いてあげると言い出すのだった。 ■ 砂クジラの歌 ■ 日が落ちた。 砂漠の夜空は澄みきっていて、そのなかを、ゆっくりと月が昇っていった。 砂鯨があらわれる砂漠には、大小さまざなの砂舟が幾艘も停まっていた。 「砂鯨ってどれくらい大きいんでしょうね!」 吉備サクラのテンションは高い。 ユキノはカメラを準備し、洋は『月の砂漠』を口ずさみながら、目当てのものがあらわれるまでの時間を過ごした。 そして、どのくらい待っただろう。 ざ――、 ざ、ざ、ざ…… かすかに、風にまじった、その音。 「!」 はっ、と皆が息を呑んだ。その視線の先で。 ざあああ―― 砂漠の一画が、突然に盛り上がった。突如として出現する新たな砂丘。その表面を滝のように砂が流れ落ちてゆく。そして。 「わ、ぁ……」 サクラは言葉をなくした。 砂舟からはかなり距離はあると思われたが、その距離感が狂うほどの大きさだった。 まさしくそれはクジラだ。砂漠の砂を泳ぐクジラなのだ。 (こんな生き物がいるなんて!) ソアは、先ほどまでの眠気も忘れ、眼前の光景に息を呑む。 ユキノは信じられない、という思いで、それを見つめた。 写真に収めようなどという気は、本物を目の当たりにしたら失せてしまった。それよりも、今この瞬間を、たしかにこの目に焼き付けておきたい。 「おっきぃですぅ……」 撫子は、もしあれが海のクジラと同じく食べられたら、と想像してしまった。 ユキノは 七代・ヨソギはバザールで買った遠眼鏡をのぞきこむ。 するとより仔細に、クジラを見ることができた。 「この遠眼鏡、良い仕事してますねぇ」 クジラもすごいが、遠眼鏡をつくった職人の腕にも興味があった。 やがて―― 別の場所でも次々に、砂クジラが姿を見せはじめた。 「大きい……綺麗だ。狩りたい」 思わず、ルンはつぶやく。 だがすぐかぶりを振った。誰に聞きとがめられたわけでもないが、 「分かってる、ここは神の国、全て神の物。勝手に狩るは駄目」 そのように、彼女は自然と感じたのだ。 おそらく、それと同じようなことを、ジューンも感じ取っていたようだ。 「この街の人々が、守ろうと思った気が少しだけわかる気がします」 機械の瞳が、砂漠の海を見渡す。 「あんな規格外の生き物はコロニーに置けません。でも……たとえ映像だけでも、いつかあの子たちにも見せてあげたいです……」 ジャック・ハートは、はるか上空にいた。 宙空に静止したまま、酒を呷り、砂鯨が泳ぐ砂漠を見下ろす。そして、チッ、と舌打ちをした。 「何でどの世界もエンドアよりこんなにも豊かなンだヨ」 ひとりごちる。 もうひとつ……いや、もう一組、夜空を翔けるものがある。 それはアマリリスに連れられた楽園だ。 「クジラとはこんなに大きな生き物だったのだな。どこまでなら近づけるだろう」 と、アマリリス。 その腕に身を預け、楽園はそっと囁いた。 「騎士様。今夜は素敵な夢をありがとう」 0世界に閉じこもっていたら、見ることのできなかった風景、知ることのなかった体験だ。 楽園は感謝を込めて、アマリリスの頬にそっと、くちづけを贈る。 いつのまにか、砂漠には相当数のクジラが集まってきているようだ。 その群れの中から、不思議な音が響く。 声だった。 「これが砂鯨の、歌……」 坂上 健は、うたれたように立ち、その声を聞いた。 それは管楽器か、バグパイプの音色に似ている。身体が大きいだけあって、それは砂漠の夜空を貫くように通り抜けていった。 何匹ものクジラたちが声を響かせ、音が重なり合ってゆく。固体によって微妙に声の高さや調子が違うようで、それが集まると、まるで聖歌の合唱のような、荘厳なハーモニーが生まれるのだった。 それは砂漠の夜の奇跡を見るようでもあった。 「すげぇ……。姿を見るのもすごいけど……この歌を聞くほうがメインだ。すげぇな……」 不思議な感動に、健は震える。 「魍魎でも式神でもないあの大きさの生き物を見るのは初めてだ……それにこの声……良い物を見させて貰った」 十三が満足げに頷く。 金町 洋は息を詰めて、クジラたちに見入っていた。 クジラの歌は求愛行動である。 洋の見つめる方向で、一匹のクジラに、別の一匹が寄り添うようにして泳ぐ光景があった。 やがて、まったく同じタイミングで、その二匹が砂に潜った。 あ、と思う間もなく、次に浮かび上がってきたときには、まるで絡み合うようにぴたりと腹を合わせているのだ。 洋は言葉も忘れて、その様子を見つめ続ける。 氏家ミチルは、クジラたちの合唱に加わるようにして、自身も歌い始めた。 砂舟の縁からそっと手をのばし、砂をすくいあげる。 指のあいだからこぼれてゆく砂が、夜風にさらわれてゆくのを感じながら、ミチルは歌う。 「うーん……くじら……歌って……」 ハロ・ミディオはいつのまにかうとうとと。 さっきまで、大きなくじらの姿にはしゃいでいたはずだったが、歌を聞くうち眠くなってしまったようだ。 月下の砂漠をクジラが泳ぐ。 目覚めたとき、この光景はまるで夢だったかのように思えるだろう。 村山静夫とナウラは双眼鏡でクジラを観察した。 昼間はどこをほっつき歩いていたんだ、と村山が水を向けると、なぜか赤くなったナウラ。やがて、ざぶんと砂のなかへダイブした。 楽しげに泳ぐナウラを近景に、遠景にはクジラたちの群れを眺めながら、村山は静かに酒盃を傾けた。 「いいよな、こういうのも」 カンタレラの美しい声が砂漠の夜を彩る。 どうにかクジラをもっと近くに呼べないかと考えたのである。 すう――、と、砂地が盛り上がった。おお、と人々が目を見張るまえで、ざああ、と砂を割ってクジラが姿を見せ、瞬間、ぱっと身を翻して砂に潜ってしまう。その余波で舟が揺れ、あえなく転覆する。ひっくりかえった船底につかまりながら、カンタレラは逃げてゆくクジラを見送った。 歌に誘われてきたものの、仲間ではないことに気づいて慌てて逃げ出したのだろう。まだ若いクジラのようだった。 「なんだよー。クジラを見たら? 僕の顔ばっかり見てないで」 アルドが言った。 ふふ、と鴉刃は微笑う。 「別に見ていてもよかろう?」 二人用の砂舟の、船底に敷いたクッションによこたわりながら、葡萄酒の杯を鴉刃は傾ける。 そんな鴉刃の顔を、今度はアルドが見つめる番だ。 「……最近はその、僕が鴉刃にわがままばかり言ってるような」 ぽつり、とアルドは言った。 「そうか?」 「ん――。鴉刃もさ、僕にこうしてほしいとかあったら、言ってほしいよ」 「……そうだな……」 さやさやと、風は流れ、砂は流れてゆく。 ゆるやかな砂漠のうえを、ふたりを乗せた砂舟もゆっくりと滑ってゆくのだ。 「すごいのですー。砂鯨さんもお月様も綺麗なのです」 シーアールシー ゼロも、感嘆の気持ちを隠さない。 「どれ。子クジラはどこにいるかな?」 マルチェロ・キルシュがそう言って双眼鏡をのぞきこむ。 「あー!」 最初に声をあげたのはユーウォンだった。 「ほらほら、あそこ! ちっちゃいのがいる! あ、跳ねたよ、すごいすごい!」 「え、どこどこ?」 ニワトコがのんびりとユーウォンの指すほうを見た。 「あ、あれか!」 マルチェロも見つけた。 「赤ちゃんなのですー」 ゼロもだ。 「えー、どこどこ?」 最後まで右往左往しているニワトコ。 小さなクジラは、母親と思しき大きなクジラの傍で跳ねたり泳いだりしていた。 小さいと言っても、5メートルはあるだろうか。 「あの声が聞こえて? ほら」 ホワイトガーデンが言った。 子クジラの様子にきゃあきゃあ言っていた一同は、引率の先生に命じられた園児のように耳をすませた。 「赤ちゃんの、声……?」 ユーウォンが気づいた。 ほかのクジラの歌よりもあきらかに甲高く、ふるえるような調子の、歌というよりは叫ぶような声だ。 それは産声。 「あそこだ」 マルチェロが示した方角に、今まで見られた子クジラよりもずっと小さいクジラが、砂のうえをよちよちと動いていた。傍にじっとしているクジラが今しがた産み落としたのだろう。 「今日この日から、あの子の物語が綴られていくのね」 ホワイトガーデンがうたうように言った。 砂クジラたちの営みは、このヴォロスでどれほど続いてきたのだろう。そのもっとも新たな1ページが今、書き加えられたのだ。 「お元気でなのですー」 ゼロが声を送った。 「健やかに育つのですー」 それは、このちいさな命の誕生に立ち会ったものたち皆の願いだった。 「可愛いな」 優は、子クジラたちの姿を遠眼鏡で眺めながら笑った。 「龍の姿でなら、近くに寄れるかな?」 と、しだり。 ふたりが乗る砂舟の縁には、少年の姿のやまとが立っている。クジラの泳ぐ砂漠、という神秘的な風景に、新たな生命の誕生。神として、この大いなる営みに寿ぎを与えねばとでも思ったのか、舟縁から自身の手のあいだに糸を張り、それを爪弾けば、美しい弦の音色が流れ出す。 「めでたき哉。良きものに相応しき曲を披露してみせようぞ」 優たちの舟の傍を、理比古主従の舟がすれちがい、虚空が優に片手を振った。 「アレやっぱ浮上してくるのは呼吸のためなのかね? しかし砂を泳ぐってあのヒレすげぇ筋肉なんだろうなあ」 「んー、でもさ、虚空。水の中を泳げるのは水中で浮力が発生するからだよ。砂は固体だし……不思議だな、どういう原理で泳げるんだろうか」 「それは……だな」 「うん、やっぱり、ヴォロスって凄い!」 「結論そこか!」 アキとハルカの舟でも、似たようなやりとりが発生していた。 「生き物って、なんつーか力強いよな」 と、アキ。ハルカも本当に、と実感を込めて頷く。 「世界って広いな、アキ……!」 「ああ。まだまだ俺たちの知らないことはたくさんあるんだ。……ハルカ。もっとたくさんの場所へ行って、たくさんのものを見よう。たくさんのもの聴いて、たくさんのものを食べて……。それでもきっと、世界には終わりはないんだ」 「うん。そうだね」 クジラを見つめるアキの瞳は輝いている。 この瞳に、これからも、もっといろいろなものを見せてやりたい。アキはそう思うのだ。 一方。 「久方ぶりの酒は沁みるでありますなァ」 ヌマブチはひとりきりの舟で、ひとり酒盃を空けるのだった。 空になった杯に、とぽとぽと手酌で酒を注ぐ。 とはいえ。 酒そのものの味は本当は変わることがないのを、ヌマブチは知っている。 「本能が侭に生きる動物ならば簡単な事が、人たる我が身は中々どうして難しい」 ふぅ、とため息をひとつ。 ひとり酒に興じる男の心中は、これでなかなか難しいようだ。 「可愛らしい、ですね」 囁くエレニア。イルファーンのほかに誰に聞かれることのない、ふたりきりの舟の中だ。 子クジラたち様子にひとしきりなごんだ二人である。 気づけばいつしか夜も更けている。 そんな中を、ふたりの砂舟はさまようように、夜風に吹かれて砂のうえを滑ってゆくのだった。 「イルファーンさん」 「うん」 「いつか……本当にいつになるのかわからない――遠い遠い未来のことかもしれませんが」 エレニアは言った。 「私達にも子供が宿るといいですね……」 ひと呼吸の沈黙のあと、イルファーンはふわり、とエレニアを抱き寄せた。 「僕の小鳥、エレニア・アンデルセン」 彼は言うのだ。 「いつか死がふたりを分かつとしても、僕の魂は永遠に君とともにある」 ロストナンバーである限り、子孫が得られない。だから。 「君の故郷に帰属して語り部として生きる君を手伝いたい。それが僕の夢だ」 砂丘の果てへと、月がゆっくりと傾いていく。 砂クジラたちの歌声が、そのなかにいつまでも響いていた。 (了)
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