§ターミナル司書室「お集まり頂きありがとうございます、早速ですが皆さんに依頼があります」 ロストナンバーに話しかける世界司書はリベル・セヴァン。「依頼の内容は、ヴォロスはシュラク公国に身を潜めている世界樹旅団残党の無力化及び彼らが育成する『世界樹の苗』の回収です」 背筋をピンと伸ばした直立不動に導きの書を右手にした何時もの姿、少々の違和感――紙束と共に小脇に抱えた金属的光沢のある奇妙な『パズルボックス』――が加えられているものの、その言葉はいつも通り淡々と明瞭である。 詳しく説明致しますと前置いたリベルは、司書室の灯りを落としプロジェクタを使って壁面に依頼の資料を表示する。「本件は先日アイン司書からの依頼で対応頂いたヴォロスの世界樹旅団残党に関わるものになります。 アルスラとの会戦でロストナンバーに敗北した世界樹旅団残党と協力者――シュラク公国宰相サリューン、同国王オルドル、同王妃にしてサリューンの妹であるエルシダ――彼らは現在、シュラク公国の西に位置する大森林、エルフと呼ばれるヴォロスの固有種族の国の更に奥に作られた城に落ち延びていることを確認しました。 会戦後一軍を率いて退却した彼らでしたが、漁夫の利を狙ったスレイマン王国の傭兵軍に兵力を分断され、僅かな手勢と共にシュラクの奥地まで落ち延びた模様です」 プロジェクタに映しだされているのはアルヴァク地方の地図。 シュラク公国とアルスラの国境が存在した場所には、スレイマン王国の領土を示す赤色が広がっている。「再起を計る彼らは、城――ドンガッシュ氏がサリューンの魂を施主にリフォームした擬似世界――で行なっていた『世界樹の苗』の育成へさらなる注力を開始しました。 『世界樹の苗』が十分に成長した後には、アルスラに存在する巨大竜刻を吸収、大規模災害を発生させることが予見されています」 ここで言葉を切り部屋の灯りを点けたリベルは『パズルボックス』を壇上に乗せ、紙の資料に目を落とす。「この『パズルボックス』は世界樹旅団が『世界樹の苗』の力を封じ運搬するために使っていた道具です。活動状態にある『世界樹の苗』を封じることは不可能ですが力を減じた状態であれば回収は可能とのことです。 ヴォロスにある『世界樹の苗』は伸ばした根からもエネルギーを吸収しているようですが、主なエネルギー源は城の地下に存在する巨大な竜刻、これを内部に取り込むことで力を得ているとのことです。そのため、封印タグを用いて竜刻の力を封じる、もしくは何らかの手段で竜刻を破壊することで著しく力減じることが予想されます。 ……なお『世界樹の苗』については回収後、図書館にて調査研究を行うことが決まっております。 説明は以上です、それでは皆様よろしくお願いします」‡ ‡ ヴォロスはシュラク公国の西にある大森林、エルフと呼ばれる種族が作る国の更に西方。 森林を円状に繰り抜いたような不自然な荒地の中心に巨大な樹、それを護るように城壁が存在した。 城壁の上には精力を感じさせない青ざめた死骸の兵が徘徊、竜刻の力を破壊力に変える砲を磨き来るべき戦に備えている。 魔術なるものに精通するものであれば見えるであろう虹色の煌めき、幾重にも重なるドーム状の結界は、転移術、飛行術、精神術と言った多岐に渡る侵入手段への対策が万全であることを示唆している。 壱番世界にはない幾つもの脅威から内側に居るものを守護する石城に見立てた擬似世界。 その主である居住者は、擬似世界の中央、樹に埋まる石造りの屋敷の中に存在した。 屋敷の内部、壱番世界で言うならばオスマン・トルコを彷彿させる謁見の間。 天蓋のついた赤い敷布の上に掛ける美髯が白皙の美男と言葉を交している。「オルドル王よ、御加減は如何で」「屍兵の姿に些かうんざりだが、さして問題はない。 さて宰相、スレイマンのカス共に一杯食わされたが挽回策がないとは言わせんぞ」「……世界樹の力でもってアルスラとスレイマンに天変地異を、その威を傘に号令すれば兵の再結集も容易かと」「ふん……玩具頼りか」 宰相の提案を蔑視してたわけではない、しかし己の把握できぬ力しか手段がないことが気に入らない、オルドル王が故の言葉。 宰相と呼ばれた男は王の態度に無言の肯定のみ返す。 会話が途絶え静寂に包まれる謁見の間に再び声が響く。 容姿、カリスマ性と室内に居た二人と比べるべくもない圧倒的凡夫、ただ世界樹の神官であるだけの男の声。 「サリューン様、オルドル王、私の千里眼が世界図書館の姿を発見しました。おそらくは世界樹を狙った――」 扇子の隙間から漏れるクスクス微笑いが凡夫の言葉を遮る。「強い力を得たはずが、より強い力を呼び寄せる……おもしろいこと。ねぇお兄様」 己も滅びに瀕しているというのに謁見の間に現れた女はどこか楽しげだ。「エルシダ――」「俺は大望を抱き、覇道を生きると決めた。なれば邪魔者など全て喰らい尽くし糧とするのみよ。彼奴らからやってきたなら都合がいい。素っ首叩ききって我が覇道の礎としてくれるわ」 賽はすでに振られているのだ、今更止まるという選択肢は存在しない。‡ ‡ ――数日前 §ターミナル館長室 お茶菓子と紅茶が乗ったテーブルを挾み、さほど歳の変わらぬように見える二人の少女が言葉を交している。 その内容は、残念ながらと言うべきか年頃の少女が話す華やいだものではない。 紙束を握る少女は、緊張のせいか額に浮かぶ汗をハンカチで度々拭いながら言葉を紡ぎ、その言葉を聞く少女は静かに、意味を吟味するように幾度も頷く。 世界図書館の館長と元世界樹旅団の少女、二人が吟味するのは元世界樹旅団の少女――フラン・ショコラが提案する研究計画、すなわち――『イグシスト排除方法に関する研究――チャイ=ブレが壱番世界に及ぼす影響を排除する手段の発見』「――イグシストの不滅性は、ディラックさんの魂によっても語られていますが、同時に消失した際の事象が存在することもディラックさんは示唆しています。 これに加えて世界樹がチャイ=ブレに対して攻撃をかけたことを考えると例えば、イグシスト同士なら相手を滅ぼす手段があるのではないかと私は考えています。 ですのでチャイ=ブレとは異なりますが似た特性を持つイグシストの欠片、世界樹の一部である苗を研究することは無駄ではないはずです」 説明を終えたフランは強く握っていたせいで、些か皺が寄ってしまった資料を机の上にそっと置く。 溜め込んだものを吐き出すような大きく息をついたフラン、気分を落ち着けるために胸を軽く抑えるとアリッサに意見を求める。「……どうでしょう、館長さん。絶対は保証できないですけど……私は研究する価値があると思います」「だいたいわかりました。 たしかに、チャイ=ブレをどうにかできる存在があるとすればそれは他のイグシストだけ。 でも、万事慎重に慎重を重ねて進めてほしいの。 チャイ=ブレ自身が望まない行為をこの0世界内で行うことにはリスクがあります。かといって異世界で世界樹の苗を扱うのも差し支えがあるし……」 アリッサはしばし考え込み、それからふと思いついたように言った。「そうだ。以前、滅びた世界の小さな残骸みたいなものを見つけたことがあったよね? ああいう、飛び地のような無人の世界をどこかで見つけてこれないかな? そこでなら研究がしやすいと思うわ」
§承前 シュラク公国西方に広がる大森林地帯、竜刻の地において亜人と呼ばれる者達の領域。 現地人も入らぬ異郷に、異邦人たる四人のロストナンバー達を導くのは樹間をうねる水の流れ。 目的地の水源であると聞き及んでいた川は、木漏れ日に煌めき銀鱗を持つ竜のように映る。 先頭を歩き、道塞ぐ枝葉を断ちながら草を踏みしめていた軍装の男が脚を止めた。 鼻孔を擽る森の気に砂の臭いが混じり、欝蒼と茂る樹林が遮っていた視界が僅かに開けた。 軍帽の庇を指で上げ、幾重にも重なる葉から覗くのは見上げんばかりに高き石壁。そして石壁を遥かに超え、雲龍の天蓋へと聳え立つ巨大な樹。 世界図書館の旧敵たる世界樹旅団がヴォロスに刻んだ残滓、異界の儀によって造られた城と世界樹の苗。 「あれこそ旅団残党の居城、いやはや、なかなかに壮観でありますな……さて、各々方『あれ』を如何に攻めますかな」 軍装の男――ヌマブチが中身のない片袖を揺らしながら、同道のむくつけき漢達に尋ねる。 「百を超える兵士に強者が三人、さらに強力な結界とまでなれば、正面切っての戦いは不利だ。単独行による撹乱、目的を達した後、速やかな離脱しかあるまい」 熊が如き巨漢、浅黒い筋骨の中年――百田十三が渋みを帯びた低音で軍人に応じる。 「策はともかくとしてヌマブチ、例のものはどうなった?」 ――簡便で火をつけるだけで使えるような爆発物が欲しい。 司書室を出た後に発した武骨な符術師の発言にヌマブチは些か虚を突かれた。 己と同じような発想を持つもの、それも術師が、居るとは思いもよらなかった。 「ダイナマイトを一式でしたな、無論遺漏なく。しかし、符術を諳んじた百田殿がかような小道具に頼るとは某、些か心外と言わざるを得ません」 懐から取り出した一束。 素直に渡せばいいものにいらぬ言葉を加えるのは、内心を驚愕させた漢への身勝手な意趣返し。 「ぬかせ、道具を選んで負けるのは愚の骨頂だ。 道具といえば、この護法符を持っていけ。一度限りだがおまえが受けた傷を肩代わりしてくれる。 無論、己の技のみを頼りするのであれば強要はせんのだが……」 猛獣のような漢に刻まれた意外な皮肉に、軍人は口の端を歪ませ肩を竦める。 「これはこれは……勿論、借りさせて頂きますよ。某のようなかたわものは、小道具があってようやく半人前ですからな」 人食った男の含み笑いと剛健を形にしたような漢の太い笑いが交じる。 三十路男の軽い言葉のやりとりは戦場を前にした一種の儀式、その間に木立を揺らす葉音と共に空気を読まぬ若さが割り込む。 「まっ、あんま、深く考えなくてもいいんじゃねえの?」 偵察のために持参した双眼鏡を片手に、樹を滑り降りる学生服の少年――虎部 隆は、呑気な言葉を発する。 「各自の独断専行を期待するってやつだろ? 俺達いつもそうじゃん、あ、十三さん、護符は俺もくんない? 今日のナイアはオウルタンでさ、ちょっと危なっかしいと思ってたんだよね」 根拠のない自信満々な少年の言葉に、軍人の口がわざとらしい笑い声を上げる。 「ははは、確かに、それが我ら世界図書館の最強にして最大の戦略でしたな」 「そういうことだぜ、つかさ、あんま考えすぎっとおっさん禿げちまうぜ。ただでさえ何時も帽子被ってんだからさ、実は生え際とかやばいんじゃね?」 ヌマブチは乾いた表情と共に皮肉を解さぬ少年の名を心の復讐ノートに刻む。 「……ふむ」 軍人の心の声が聞こえたのか聞こえないのか、これまで一言も発していなかった赤紫髪の巨漢が吐息を漏らし、炎を意匠化した着流し姿に乗る三度笠を懐に収めた。 「あれ? しらきのおっさんは気にすんなよ、全然ふさふさだしさ」 少しばつ悪そうに漏らす少年の言葉に、ヌマブチは心のペンをへし折った。 「ん? ああ、戦闘が始まるのだろう? この三度笠は大事なものでね、仕舞っておこうと思ったんだ」 ‡ ‡ §前哨 森の作る微かなざわめきの中にカチリと響いた音は呼び水。 轟と鳴る凄まじい振動が、枝葉の散る地面を弾き上げ、幹を砕かれた樹が崩れ落ち森林を揺さぶる。 突然の暴虐――散となって逃げる原生生物達が森をどよもす 某に一計ありと告げ、森林に残ったヌマブチが行使したもの。 ヴォロス、いや彼の所属した文明すらも超えた科学の爆轟。 一寸前までそこに存在したせせらぎは影も形もなく消失した。 透き通った水は土砂で埋まり土気色、衝撃で気絶した魚の腹が木漏れ日を反射して銀に見える。 爆轟は二度、三度と続けて鳴った。 蹂躙された木々はもはや粉々の破片となり、掘り起こされた土と綯い交ぜになって川を埋め堰き止める。 (……げに凄まじき破壊力、進んだ科学は魔法と変わらぬとは誰の弁でしたかな? もっとも魔法ほどに某の心を揺さぶるところではありませんが) 軍人は掌の中で大業を成したには、あまりに小さく簡素なスイッチを転がしながら独りごちる。 ヌマブチの策――城の水源である川を堰き止めは、兵糧攻めを意図したものではない。 兵糧攻めは相手を囲む兵力と己等の補給線があって成立する、世界図書館のような指示系統の纏まらぬ集まりでは凡そ実施には及ばない。 その真意は――布石と如何許かの悪意 (世界樹は火に弱い……ナラゴニアでは対策が大いに取られておりましたが、急拵えの城では如何ですかな? ドンガッシュ殿の城とはいえ、川の水がなければ鎮火はさぞ大変でしょうな) 世界樹旅団に身を預けていた己だからこそ思い至った策、わざわざ川を跨ぎ、城を作った意図を逆手に取る 城の人間の動揺は如何ばかりか、まだ残る爆薬の臭いの中に悪意が滲む嗤いがくっくっと漏れる。 ‡ 誰かが遊ぶ箱庭ゲームの渦中に居るかのごとく、ある地点からぶつりと大森林は途切れた。 樹の隙間から僅かに見えていた城と世界樹の姿が今やはっきりとその姿を晒し、完全に開けた視界には隠されていた異常な大地の有り様が見える。 草木が絶え粉塵が舞い飛ぶ大地、中央を川が流れるにも関わらず白く乾燥している。 幾人かのロストナンバーであれば思いたるその風景――イグシストに情報を喰われた世界 木色の鱗を持った蛇もとい世界樹が貪った地表には幾つもの孔が覗く。 孔の一つ、世界樹の根が掘り進め作り上げた洞に熊の如き巨漢は身を躍らせる。 洞は天蓋から漏れる本当に微かな光を除けば完全な暗所、真暗闇を見る十三の『目』となったのは二つの式。 百米先で揺れる飛鼠、そしてぼうと灯り主の周りを照らす赤色――火燕 符術の目を通して見る世界樹の空間は、縦横に伸びる根によって宛ら樹形回廊とでも称すべき迷宮の様相を呈している。 敵地の中心に聳えるのが世界樹、すなわち樹木であるならば、根をつたえば深奥に至るのは必至。 無論、あけすけな道程故、待ち構えられているリスクは高いと認識しているが己一人ならば如何様にでもなるという自信があった。 根が発した水気のせいか、乾いた地上に比べしっとりと濡れ肌寒い回廊を十三はひた走る。 ‡ 乾いた大地を進んだ先、荒野の中央に聳え立つ異業の城。 その真実の有り様は常人の目には凡そ捉えることはできない。 神気宿すしらきの眼差しは、シャボン玉のような一時も形を留めぬ虹色が流れるドーム状の結界を視ていた。 (なかなかの光景だ…………) しらきは感じたままを胸中に浮かべ、表す言葉が定まらないことに頭を掻く。 「ほんもんの城ってホントでかいな。あれ? ガッシュのおっさんが作ったんだったらほんもんじゃないのかな? そういえばこういう城って、脱出用の抜け道とかあったりしない? なあしらきのおっさん、どう思う?」 雅を前にして無遠慮な言葉――いや、この光景を見れない少年が発する言葉としては自然か――が、しらきの夢想を乱す。 (……仕方ない、始めよう) 鬼は一息、白煙混じりの嘆息を吐くと構えを取る。 両手を握り開くとそこにはゆらゆらゆらと揺れる陽炎。 少し傾けた掌から零れ落ちた火の粉は、地面に落ちる寸前で赤鼠の姿に変じ、地面に降り立つや甘えるようにしらき周りを駆けまわる。 次から次へと生まれ群れなすしらきの使鬼。 「さあ、行っておいで」 朱金の眼を細め、ぽん、ぽぽんと柏手を鳴らすたびに鼠の姿は空間を超えし虹色の壁の前に落ちる。 主の意を汲んだ使鬼達は火が爆ぜるようなパチとした鳴き声を上げ地中へと消えた。 「さて少年、俺は今から城壁を壊してくる。また、後でな」 全ての使鬼が姿を消したのを確認するや同行の少年に短い言葉を告げたしらきの体は、蜃気楼のようにゆらぎの中に消える。 「お、おう?? ……全くぬまぶっさんも十三さんも一人で行っちまうし、おっさん達はみんな協調性がないな……」 置いてきぼりを食らった少年はついさっき自分が口に出した言葉も忘れボヤく。 「やっぱあの穴くらいしかないのかなぁ? うーむ」 肩に乗ったオウルタン越しに覗いた穴――銃眼の先に灯りが浮かぶ。 火に揺られる姿、ネチャリと嗤う死霊兵のされこうべが確かに見えた。 「げげげ……見つかってんじゃん! やべーー!」 少年の顔に浮かんだ引き攣った笑いは、股の間を縫った矢が掻き消す。 ‡ ‡ §観測 「サリューン様、オルドル王……世界図書館の輩が四匹ばかり近づいております。 正面に二匹、世界樹の根の作る地下から一匹、残る一匹は水源である川を爆破し堰き止めているようです」 音を発するのは、世界樹が与える千里眼を行使する神官。 中肉中背、謁見の間に居並ぶ偉丈夫の間に合っては、貧相と形容せざるを得ない男。 「……宰相、判断を述べろ」 『眼』の言葉を聞いたオルドル王は己の右腕と頼む男に問うた。 「王よ、世界図書館、しかも少人数とあれば目的は地下の竜刻もしくは世界樹と言ったところかと。 であれば、外の動きはこちらを分散させる陽動……手薄になった城内を撹乱、混乱に乗じて目的を達するといったところでしょう。さしあたって孤軍から撃破致します。この場は私におまかせを」 己の意見を述べ一礼と共に部屋を辞するサリューンの肩をオルドルが掴む。 「……サリューン、この城内であればお前の有利は動かない……そうだな?」 「……オルドル王?」 白皙の面を微かに揺らぎサリューンが疑念を浮かべる。 「お前の動きを気取られて彼奴らの動きが変わっても面倒であろう、余が腐れ共の指揮を取り正面の二人を釘付けにしてくれよう」 「……勿体なき言葉」 全てを知り利用しあう間柄であるからこその言葉、しかしそこに胸を打つものがないとは言わない。 「うふふふ、麗しい友情ですわね」 もっともそれに水を指すものはどこにでもいる。 「エルシダ、お前は――」 「嫌ですわお兄さま、戦は殿方の晴れ舞台にございましょう。女である私が奪ってしまっては申し訳が立ちませんわ」 男どもの泥臭さを露も理解する気のない女は、ドレススカートの裾を摘むと形式ばかり優雅に一礼し退出した。 ‡ ‡ §接触 世界樹の根を覆う土に石が混じり始める、おそらくは根が砕いた城壁の破片。 (城壁を超えたか……邪魔者はなし。ならば、このまま一気呵成に竜刻を目指――) 十三の『目』が回廊に浮かび上がった幾つもの熱の気配を察知する。 天蓋を抜け幾つもの小さな塊が落ちる、火を弾くが如き不思議な鳴き声を上げる大鼠が暗闇を赤々と照らした。 咄嗟に式を打たんと身構える十三、だが鼠らが襲ってくる気配はない。 「……小奴ら、しらきの使鬼か?」 十三の訝りを号令として、燃える大鼠達は突如駆け、灯火の体は回廊の先を照らし、音を鳴らしながら分岐に消える。 再び暗闇と静寂に還った回廊、次に十三に触れた感覚は全身を走る強烈な衝撃。 胸に大穴を穿ち吹き飛ぶ十三の姿は、致死の一撃を肩代わりした護身符の成れの果て。 通路が揺らぎ白皙の紳士然とした男が突如姿を現し、無防備な十三の腹に一撃を加えていた。 (くっ、ばかな!? 式までが眩まされというのか……何たる業前、しかし!) それは刹那より短い間隙であった。 幻覚に隠れた後の不意打ち、確かな手応えと共に十三を止めるはずであったサリューンの抜き手は彼の知る魔術とは異なる呪法で無為に帰した。 知らぬが故に理解をするために生まれた一瞬は、達人の世界に於いて致死の隙。 鈍い音――幾筋もの煌めきが麗人の全身に沈む 「点穴を衝いた。物理的に封じた人体を動かせると思うなよ!」 鍼が伝える手応え、確実な術の完成に符術師が吠える。 「なるほど油断しました……しかし、それは貴方にも言えることです」 絶対の束縛に関わらず発された言葉は沈着。 サリューンがただの人間であれば、この結界の場でなければ十三の技は十全の効果を発揮したに違いない。 しかし、永生者である彼の肉体は、人間に酷似していたが僅かに異なる。 それは誤差と言ってもいい差、だがこの全てを束縛する結界の内に於いては絶対的な差であった。 ――ッ! 漲らせた気迫に膨らむ体が鍼を押し上げる。 鍼を独力で破るありえぬ様相に、十三は驚愕を刻みながら早九字護身法を切った。 「臨兵闘者皆陳列在前……退魔行!」 不可知の力が魔に属するものを滅ぼさんと迫るが、力づくで鍼の束縛をねじ伏せたサリューンは嗤いながら退魔行を握りつぶす。 ‡ 軍服のズボンが水を含み、軍靴の底に泥濘が重く纏わりつく。 己が堰き止め水位が下がった川、城の水源たる命脈は裏を返せば急所に至るための道程そのもの。 (これ以上の侵入経路はありませんな、む――) かたわものが扱うには些か嵩張る故、杖代わりにしていたに銃剣にカチリと触れるものがある。 ちょうど城壁の真下、存在したのは不用意に水中から侵入したものをなます切りにする罠、透明な硝子できた刃。 (なかなか周到でありますな……城の主の性格が伺える) 銃剣で硝子を破壊しながら浮かべる思考は相手を褒めるものではなく、揶揄する類のもの。 石壁の下を潜り城の内部に至った軍人を迎えたのは幾重にも構えられた弓、そして甲高い嘲弄。 「あら、あら、こっそり脱出しようと思っておりましたのに不幸ですわね、私。なんでこんなところにロストナンバーが居るのでしょう?」 ヌマブチは失念していた、千里眼は水路から侵入する――否、ロストナンバー達の行動をつぶさに観察できる。 なれば如何なる侵入経路を取ろうが待ち伏せは必定、むしろ逃げ道の少ない隘路は己を窮地に追い詰めるだけの存在。 (……十三殿の符を用いて諸共に散華するか? いや……落ち着け、すぐさま殺さぬには理由があるはず、たとえ気まぐれ程度であっても) 「あら、なかなか聡いわ、流石裏切り上手さんね。見事に理由を当てられたら見なかったことにして差し上げてもよろしくてよ」 ――読心 己が頼みとする神算も封じられたと知った軍人は狼狽を隠すことも許されない。 ‡ ‡ §衝撃 何ものも遮るもののない大空、虎部の前から姿を消したしらきは、巨大な徳利に座し強烈な風に煽られる雲を下に見ていた。 (ヴォロスはいいな、空気が心地いい) ふと、心に浮かんだ感覚は正直なところであるが、それを楽しむことは目的ではない。 巨大な徳利――トラベルギアが宙で傾き、当然ではあるが上で座していた鬼の体はふわりと宙に舞った。 重力――大地に封印された竜が夢現に全てを喰らう力などと解釈される力――に引かれしらきの肉体が加速する。 大気の壁との激突は、しらきの顔を厳しく歪め、空気抵抗と重力加速のせめぎあいが落下速度の限界を作るに至った時――たとえるならば竜の咆哮、しらきが背負う徳利から零れた酒の霧が鳴らす連続の爆発が、ロケットの如き推進力を鬼の肉体に与える。 加速する鬼の周囲から音が消えた、砕けた空気の壁は白く烟り、肉体は大気との摩擦に赤熱した塊となる。 凄まじい大気との摩擦は、宇宙から降り注ぐ隕石がそうであるように何者をも焼きつくすが、しらきは火の化身。 高熱との接触は、より大きな力をしらきに与え、巨大な赤い弾丸となった鬼は城門に激突する。 熱したナイフがバターを溶かすように石壁を引き裂き、音速を超えた衝撃波が周囲の物体を粉砕し大気にまき散らした。 着弾の衝撃は大地が縦に振り、みちみちと音を鳴らして世界樹の根を引き裂き、宙に茶色の破片が散った。 「うん、上々だな」 肉弾に晒されて人型に融解した大地から立ち上がった鬼は、殊なげに呟く。 ‡ 衝撃の大半は下から上に抜ける、故にか、ヌマブチの体は泥濘に埋まるだけですんだ 己を追い詰めた女と下僕は衝撃で地に倒れ伏し動く気配がない。 (……悪運は某を味方したようですな) 泥鼠となったヌマブチの前には選択肢があった。 混乱に乗じて城に潜入し目的を果たすか、この女を止めるか。 軍人の判断は早かった。 油断なく銃剣を構えたまま摺足で女から間合いを取る。 己の勘が安全と告げる距離を取った刹那、片腕の軍人は城内の屋敷めがけて駈け出した。 軍人が遁走すると倒れ伏していたはずの姿が消え、武器を構えた兵と女の姿が浮かび――消えた。 (あら……別れ土産にお一人様とでも思いましたが……。 さて、義理を尽くすのはここまでですわ、お兄さま。それではご機嫌麗しく) ‡ しらきの起こした爆裂は、城内を混乱の坩堝へと導いていた。 烈震が城内施設を粉々にとし、跳ね飛ばされた躯が宙で砕けた。 「ちぃ、相変わらずか化物共め!!」 赫怒に染まる怒号を発するのは、激しい揺れを矜持のみで仁王立つ城の主。 「伝令、サリューンを呼べ! 本命は城門だ。陣形を整えよ。竜刻砲、長弓構え、城門跡の化物に集中砲火――何!?」 儀仗の如く槍を振りかざし怪異に屈せず号令を駆ける王の姿は、ヴォロスの戦争であれば兵を鼓舞し勝利へ導いたであろう。 しかし、王に従う兵はただ命令に従うだけ死霊の群れ、そして相対するのは異界の住人。 命令故に立ち上がる傀儡、その鎧の上を連続した炸裂音が爆ぜ、天に掲げた王の槍は砕け散る。 「あぶねえ、しらきのおっさんに全部いいとこ持っていかれるところだったぜ。さて、見つけたぜ王さん、あんたに言いたいことがあんだよ」 しらきの作る混乱の中、オウルタンを飛ばしいち早く王の位置を特定した。 シャーシン炸裂弾の連打で王の周囲を取り巻く死霊兵を吹き飛ばした虎部は、腕を伸ばしペンを突きつけた油断ない構えでオルドル王と対峙した。 「王様あんた知ってんのか? あんたの参謀はあんたの野望を裏切ってるぞ」 口火を切る少年、彼は誰が相手でも対話を試みていた。 殺し合い奪い合いの結果は常に断絶でしかない。少年はそれを好としない。 殺しあうのは言葉を尽くしてなお分かり合えない時の最後の手段にしたい。 「このまま世界樹を育ててたら大変なことになる、世界樹は世界を食べちまうんだ。見ただろこの城の周りを! 世界樹に食べられて一面の荒野じゃないか!! それだけじゃない、世界樹が餌にしている竜刻、あれは暴走寸前なんだ、今すぐ対処しないと大変なことになる」 少年の言葉が届いているのか、折れた槍を握りしめ傲然と構える王。 「なあ、不毛の大地を手に入れて、裸の王様になってあんたは嬉しいのか? そうじゃないだろ? 何の為の覇道だ? それで手に入るものなんて何もない!」 はたして王の口元から零れたのは忍び笑い、それは徐々に声高になり哄笑となって響く。 「くくく、何をほざくかと思えば、生っちょろい小僧らしい言葉よ。余がサリューンの考えを知らぬとでも思ったか! 余の望み、奴の望み、交わるところがあるからこその共闘よ」 「じゃあ、この有り様はあんたの思い通りだって言うのかよ、皆の国土を荒廃させてとんだ愚王だな、あんたは! あんたが野望に凝り固まった愚か者だから、傀儡にしやすいって思われてるんだろ」 引き攣れるような痛みが頬を走り石が散った。 オルドルが無拍子で投じた穂先を失った槍が少年の頬を裂きに城壁を貫く。 「小僧……王たる余を愚弄する壮語を吐いて、ただで済むと思うなよ」 ばっくりと裂けた少年の頬から血が滴る。 ‡ 振動は世界樹の作る地下回廊もまた激しく揺らしていた。 激しい揺れに撓む横壁を走る麗人の手刀が砕けた根を打ち払い弾幕とする。 突き出した十三の両掌に連続発射される火燕が根の弾丸を片端から喰らい灰燼と化す。 燻る紫煙、揺らいだ視界の先で麗人の眼が怪しく瞬く。 ――目眩まし!? ええい、ままよ! 突如闇に包まれた視界の中に、微かに響く土の音に十三が雄叫びを上げる。 「雹王招来急急如律令!」 密閉空間での巨大な式の招来は自爆に等しい。 剥き出しになった十三の肌を激しい凍気が切り裂く。 ――肉を切らせて骨を断つ。 激痛と雹王の雄叫びの中に麗人の苦悶が聞こえた。 地下回廊が再び大きく揺れた。 烈震で脆くなった回廊は、巨大な式の発する威力に絶えれず瓦解する。 崩れ落ちる天蓋、二人の間に存在した空間は土塊に埋まった。 目眩ましが解け視界が開けた時、十三の周囲は地下の暗黒ではなく地上の光が照らしていた。 風穴から流れる、焼け焦げた臭いと轟音が、地上でも戦闘が始まっていることを告げていた。 天蓋と共に転げ落ちてきた死霊兵を早九字で打ち払い、十三は式を招来する。 「幻虎招来急急如律令、俺ごと眩惑を被せ、死霊を擦り抜け世界樹迄俺を連れて行け!」 ‡ ‡ §結実 振動の余波も収まりきらぬ城内は轟音が響いていた。 竜刻砲に転移したしらきが城内の死霊兵、ナレンシフ、屋敷に攻撃を開始。 十三が招来した燃え上がる式が咎人を責める獄卒のように死霊の兵を屠っていた。 (しらき殿と十三殿の魔法たるや空恐ろしいものですな……まあ魔法の使えぬ一兵卒は地道にやらせて頂きましょう) 爆薬を持って更なる混乱を招くつもりであったが、この状況下ではもはや蛇足であろう。 砲撃で半壊した屋敷に潜入し駆ける軍人。 謁見の間であったと思われる豪奢な部屋、振動で頭をぶつけたのか意識を朦朧とさせていた神官を見つけ腹を蹴り上げる。 四つん這いで嘔吐する神官の右手を銃剣で地面に縫い付けると馬乗りになり髪を引っ張り、顔を上げさせる 「ご機嫌麗しゅうございますな、神官殿、早速ではありますが某に協力頂けますかな? ああ、ちなみにお勧めの答えはNOでありますよ、某恥ずかしながら拷問の類が大好きでありますゆえ」 「! ヌマブチか、この蝙蝠男め……誰が貴様の……ぐっぎゃあああああああ」 ぶちりと音がした、短刀が脚を貫き床と神官を縫い付ける。 「流石神官殿、このヌマブチお勧めを選んで頂き大変恐縮であります。僭越ながら紅国式戦地尋問術の教練を尽力させて頂く所存」 ‡ 「護法招来急急如律令、童子よ! 邪魔立てするものを全て吹き飛ばし道を作れ!」 巨大な虎の式にまたがり十三がさらに符を打つ。 護法鬼が剣を振るうと悪鬼羅刹を調伏するという衝撃が走り死霊兵を安息へと旅立たせる。 鎧を着た骸に戻ったものの間を駆け抜け、剥き出しになった世界樹の根を幻虎の爪が引き裂く。 人の腕ほどはあろうかという瑕に十三はダイナマイトの束を捩じ込むと十分に間合いを取り、火燕を招来する 「火燕招来急急如律令、爆薬毎世界樹の外皮を吹きとばせ!」 火燕が触れた爆薬は豪と火柱を上げ燃え盛り、衝撃と共に周囲に火をまき散らすが、強力過ぎる火勢が逆に容易な接近を許さない。 ――炎上する世界樹 近づき倦ねていた十三の傍らが、熱によって炙られたように揺らぎ、鬼が姿を現す。 「ああ、この奥に竜刻があるみたいだ。使鬼だけでは火力が足りなかったが……これだけ火があれば調度いい」 火炎を吸収し大鎚としたしらきが世界樹の外皮に痛烈な一打を加える。 ‡ 閃光の如き突きに地を滑る払い、石突で石を打ち出す小技まで混ぜ虎部を追い詰めるオルドル。 技量に大きく隔たりのある少年が、今だに対峙できていたたのは離れて戦える武器と説得したいという意志を共に持つ故。 「なあ見ろよ、世界樹は焼け落ちる、もう決着はついているだろ? あんた、俺たちを集めて国を良くする意見を聞いてたじゃないか。俺達が協力すればあんたの国を――」 「巫山戯ろ、貴様らのどこに信がある。 己が道に全てを捧げることも覚悟もなく、気に入らぬものに力だけを振りかざすだけの半端者共が! サリューンは首を晒し命懸けで俺を説いたぞ、それに比べて貴様らは戯言を並べるばかり。 国が荒れる? 民が苦しむ? 貴様らは口を開けば戯言ばかり。余の元に全てがひれ伏せば平等よ、差異など存在しえぬ」 「それが裸の王様だって言ってんだろわからず屋め。 だったら力で捻じ伏せられて言うことを聞かされれば満足なのかよ!」 「余に理を解くなら断頭台に縛り付けて言うのだな、さすれば唾棄と嘲弄を与えてやる」 穂先が消えた、達人が後先を省みぬ捨身の一撃。 虎部の心の臓を確実にえぐる突きは炎の中に消えた。 「危ないところだったな」 「…………ああ、そうだな」 世界樹運搬装置を手にしたしらきが虎部の横に転移していた。 その眼前には槍を構えたままの人であった消し炭が存在した。 ‡ ‡ §収穫 「いやはや、某些か驚きましたよ。折角、旧知を頼り地下への向かいましたらしらき殿が現れましたからな」 「ああ、使鬼達が騒いでいたよ」 「ヌマブチ、そういえばお前地下で何かしていたな」 「なんと申しますか、そう清掃の準備ですかな? 汚物の焼却でありますよ」 とぼけたヌマブチがスイッチを押すと城があった場所に巨大なきのこ雲が上がる。 竜刻に巻きつけたダイナマイトの爆発。暴走しかかっていた誘爆が加わりそこに存在したものを痕跡ごと消し去った。 「世界樹の欠片でも残すことは害悪にしかなりません、我々世界図書館が責任持って始末するべきであります」 本心からかは分からないいつも通りの人を食った言葉。 全てがなくなった夢の跡地を眺めながら少年は独りごちる。 (これが悪い野望の末路ってやつなのか…………俺も気をつけよ)
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